※性的な話題等が含まれます。苦手な方はご注意ください。
1
「パチュリー様、赤ちゃんって、どうやって出来るのですか?」
昼下がり。幻想郷では鈍色の雲が空を隠して雪を降らせていた。霧の湖の畔も冷厳な雪化粧に彩られ、凍てついた風は屋内の暖炉の暖かみを強調し、そうして心地よく温まった地下大図書館の書斎の一室で行われていた優雅なアフタヌーンティーの時間に聞こえた言葉は、紛れもなく青天の霹靂であっただろう。
紅茶の芳香を楽しみながら魔道について思考の枝葉を伸ばしていたパチュリー・ノーレッジの耳を打つそんな雷を放ったのは、紅茶を給仕した紅魔館のメイド長、十六夜咲夜であった。
書斎の時が完全に停止する。さすが、時間を操る人間だなぁとパチュリーノーレッジは無意味にも感心していた。少しだけであるが。
そして、その時パチュリーの心の大半を埋め尽くしていたのは、外に降り積もる雪にも似た色を連想させる、そんな空白であった。
「……は?」
長らく口を閉ざしていた彼女が、ようやくやっとの思いで絞り出したのは、そんな間抜けな空気と声を一緒に漏らしてしまったような返事だけ。
咲夜はそんな魔女の反応を不思議そうに見て、可愛らしく小首を傾げる。
「あれ、聞こえませんでした? ですから、赤ちゃんというのはどうやったら出来るのでしょうか?」
いや。そもそも聞こえているとか聞こえていないとかの問題ではない。脳が完全に十六夜咲夜の言葉を理解できていない。
いや正しくは、理解できていないのは言葉ではなく質問をする咲夜の心だった。
繰り返し質問してくる十六夜咲夜の顔や言動に、恥じらいや慎ましさといった物が一切ないのだ。しかし、セクハラや冗談といった邪念も感じない。見るからに純真な少女といった趣である。
だが今、目の前にいるメイド長の咲夜は青春期も後期、性的な成熟を迎え、もうすぐ成人しようかという年頃のはずなのだ。だからこんな質問をされるとは思ってもみなかった。そんな偏見がパチュリーを仰天へと至らしめたのだ。これが年頃の小さな少女の質問であれば、パチュリー・ノーレッジも「あらあらおませさんね」と微笑ましく思っただろうが、決してそうではない。
そして、パチュリー・ノーレッジは心の中である疑問を思い浮かばせる。
もしかして、紅魔館の誰もが、十六夜咲夜に対して保健体育的な性行動教育を教えていないのではないか……?
幼い頃、吸血鬼に拉致されて無理矢理紅魔館に置かれた可哀想な少女。彼女は物事を学び、紅魔館のメイド長としてその吸血鬼の傍らに立ちつつ、反抗期などを経て、愛らしく瀟洒なメイドとなった。
彼女を育ててきた者の一翼を担うパチュリー・ノーレッジは、この問題に真摯に向き合うことにした。
「咲夜。それを教える前にいくらか質問をしてもいいかしら?」
すぐに核心へは至らない。順序良く足場を固めて正しい結論を導くのが研究者の義務である。比較的若い世代、研究者気質の魔女であるパチュリー・ノーレッジは、己の規範に従う。
咲夜は「はい」と素直に頷いた。
「まず、貴女は性欲という概念を理解しているかしら?」
「えぇ、まぁ、多少はですけれど」
「それを抱いて、解消する術は知っている?」
「え? 自慰って事ですか? あの、私がお聞きしたいのは赤ちゃんの作り方なんですけど……」
「あぁ、一応それは知ってるのね……」
オーケーなるほど。最低限のことは知っていると見える。
だがこれだと、彼女にコウノトリの話の誤魔化しは通じないだろう。かといって生々しい性交渉の話や学術的な懐胎の仕組みを教えたところでややこしくなるだけな気がする。案外バランスが難しく、パチュリー・ノーレッジは唸ってしまった。
「あ」
しかしそこでふと思い出した。人外であるためその悩みから解放されているのですっかり失念していたが、多くの人間の女性には特有の問題が発生する。そして咲夜にもその問題が起きている事を思い出したのだ。
「貴女、月の物のとき結構重いじゃない。その仕組みについては知っているんでしょう?」
「え? はいまぁ、そういう物については美鈴や、それこそパチュリー様からも少しだけ教えていただきましたけど」
「あ」
再び思い出した。そう、美鈴だ。この紅魔館には門番兼庭師として働くあの妖怪がいたじゃないか。美鈴と咲夜は従者としての立場で仲も良く、時として情事にも及んでいる。そういった機会に性交渉のアレコレを聞いているのではないのか。いや、女同士だからこそ、男との行為については知らないのか……?
彼女が初経を迎えた時になんと説明したのか、もうだいぶ昔のことなので思い出せない。
こんがらがり始めた脳内を、首を左右に振って強引に振り払い、パチュリー・ノーレッジは言葉を辛うじて繋いでいく。
「なら、おしべだとかめしべだとか、受精うんぬんとかの話も知ってるでしょう? 子供が出来る仕組みはもう理解していると思うのだけれど」
「えっと、もちろん性欲や生理、受精の話も分かっているのですが……」
ここに来て少しだけ、十六夜咲夜は言いにくそうに視線を逸らして頬を朱に染めた。さすがに性事情についての羞恥はあったのかとパチュリーは安堵した。
「でも、世の男性は女性とは色々と姿形が違うのですよね? それがどう違い、性交渉においてもどう違ってくるのか教えていただきたいのですが……」
どごん。
パチュリー・ノーレッジは地面を蹴って後ろに倒れ、後頭部を地面に打ち付けた。あまりに平然とセクハラめいた発言をするメイド長にふざけるなと叫ぶ代わりの、それが魔女の怒りと困惑の抗議の声であった。
2
その後、解答を保留して咲夜を下げさせ、魔女はすぐさま紅魔館の主レミリア・スカーレットと外勤長の紅美鈴を図書館へと招集した。厳しい秘密保持のため、図書館の一角、普段なら絶対使わないような来賓用の客室を使って、盗み聞き対策の術式まで使って場を用意した。
けれども対して、こんな時間にも睡眠を貪る怠惰な化け物どもは、今にも気絶しそうな顔面蒼白の魔女と違って眠たげな眼を擦り、事態の深刻さを理解していない。あまりの能天気さにパチュリーは憤慨を覚える。
「パチェったら、こんなに早くにどうしたのよ……」
「私までお呼びするというのはなんとも不思議です。何かの一大事ですか?」
「この館の一大事よ馬鹿ども。冷や水と電撃どっちがいいかしら?」
左手に水を、右手に雷を生み出そうとする魔女を見て、二人の妖怪は慌てて姿勢を正して意識の覚醒をアピールした。
さて、場が整ったところで、魔女はため息を一つ吐いていから話し始める。
「美鈴。貴女咲夜と〝寝ている〟でしょう」
「え゛っ!?」
突然のそんな質問に、美鈴は驚愕と呻きを混ぜわせたような声を上げた。魔女の鋭い視線を受けて、美鈴の肝が一気に冷える。そんなことが問題に上がるとは思ってなかっただけに、本当に眠気が吹っ飛んでしまう。
「えっとぉ、それは、添い寝とかそういう意味合い的な……」
「当然性交渉を含めた同衾よ。しているでしょう、別に貴女も隠しているわけじゃないんだし、これはただの確認よ」
「え、えぇっとぉ……」
美鈴の視線がレミリアへと向く。それは、これがどういうことなのか分からないのという疑問の視線だった。しかしレミリアにも分かるわけがない。すやすや寝ていたら起こされて、挙句にこんな下らない話に巻き込まれては堪らない。少し八つ当たり気味に、美鈴に答えろと催促するように首を振って示した。
突き放された美鈴は諦めたように項垂れて「はい……」と答えた。その頬は少しばかり紅い。まぁ、妖怪であっても性事情を進んで暴露する者は少ない。その道の専門でもない限り、一定の羞恥心は誰でも持ち合わせているだろう。
パチュリーは一度頷きその返事を受け止めた後、今度は横で不貞腐れる吸血鬼へと視線を向けた。
「レミィは? 咲夜とは寝たの?」
しかし今度は吸血鬼が「はぁ!?」と困惑する番だった。いよいよもって魔女の思惑が分からない。レミリアも美鈴へと視線を向けるが、美鈴も分からないのでどうしようもない。けれど魔女の視線は鋭いので逃れる事も出来ないように思える。この場合の「寝た」も、当然美鈴の時と同じに違いない。
レミリアはもう面倒臭くなって投げやりに「あるわよ……」と答えた。
「そう。あるのね」
「何? 文句でもあるわけ? 別に酷いことはしてないわよ。ただ咲夜は従者だからって言って強くこないし、私もこの姿のままだったから、本当に慎ましい物よ? いきなりそんなハードなプレイなんてしたら嫌われちゃうかもしれないじゃない」
「いやそこまで聞いてないから」
途端、勝手に自爆した吸血鬼が頬を真っ赤に染めて「ぎゃーっ!」と叫んだ。それから飛び跳ねて熊の敷き皮の下に潜り込み、バタバタ足を暴れさせまくった。内心、恥ずかしくて死にそうだった。いっそこのまま皮にくるまって焼死したいくらいだ。
同情するような苦笑いを浮かべながら、美鈴はこほんと咳を一つ、気を取り直して「しかし何故こんな事をお聞きに?」とパチュリーに質問した。
「いい? 私たちは咲夜が小さい頃から面倒を見てきたわよね?」
魔女の言葉に、妖怪は頷く。吸血鬼も渋々顔を出して、涙目ながらもそれを「うん……」と肯定した。
「物覚えも早くて大人しくて、でも反抗期だってあって、今では成人する手前まで来ている」
各々が過去の咲夜を振りかえり、現在の彼女への歴史に想いを馳せた。人外にとっては短くも、人間にとっては長い時間が、あの少女には内包されている。その事に軽い感動を覚えた美鈴とレミリアは、途端に慈しむ気持ちが溢れて、頬が自然と緩んでしまう。
「そんな彼女に手を出したことを咎めるつもりはない」
咎められても反省するつもりは、実はレミリアと美鈴にはなかった。性交渉自体を悪いことだとは思っていないからだ。人外である彼女たちは敬虔でも清純でもない。むしろインモラルな行為に肯定的でさえいる。そういう側の存在なのだ。
しかしもちろん、十六夜咲夜への負担を考えてはいる。無理強いをするつもりもない。お互いを思いやり、それを形として表す――肉体の関係を持つのも、その手段の一つなだけだ。
では何が問題なのか? 何が本題なのか? もったいぶっていた魔女がようやくそれを告げる時が来た。
「でも、何故貴女たちは、咲夜にちゃんとした性教育を施さなかったのかしら?」
少しの沈黙の後、吸血鬼と妖怪は声を揃えて「はぁ?」と素っ頓狂な声を返してくるのであった。
3
そもそもちゃんとした性教育とはなんだろう?
妊娠や出産についての理解を深めることだろうか。それとも医学的な、受胎や胎児の育成といった生殖、性病などの予防についての危機管理意識の教育だろうか。直接的な性についての知識を与えることは、果たして最適なのだろうか。
パチュリー・ノーレッジは考える。この問題は難しい。非常にデリケートで、扱いにくい問題である。だが、誰もが考えなくてはならない問題なのかもしれない……。
そんな疑問と相対しながらパチュリー・ノーレッジが十六夜咲夜の件について事のあらましを語り終えると、美鈴は困惑の色を強めた顔で頬を掻いて質問を返した。
「えっと、つまり咲夜さんは男女間における性行為について知りたいと?」
「というより、あれは出産についての延長線上にそれがあって、知りたいと思っているのというのが正しいかもしれない」
咲夜があまりにもしれっと爆弾発言をかますので、パチュリーも己の言葉に自信が持てないでいた。もしかしたらそうであってほしいという己の願望が混じっているかもしれない事は、彼女自身否定できない事であった。
「私たちは一応、あの子を育ててきたわ。いわゆる育ての親というやつ。だから、これについては話しあってからにしようと思ったのよ」
正しい結論を導くために――パチュリー・ノーレッジは、己の規律に準じた。
決して一人で責任を負いたくない為に巻き添えを生み出したわけじゃない。自分だけの性癖を曝して恥を欠きたくないからではない。絶対ない……うん。
「でもどうして急に知りたがったんでしょうね? 咲夜さん、赤ちゃん産みたいのかな……」
「あの子の場合、もう子育てはやってるようなものだと思うんだけど」
美鈴とパチュリーの視線が同時にレミリアを捉える。自分を子供だと言外に指摘され「なんだなんだ!」と憤慨する吸血鬼は、ふんと鼻を鳴らして腕を組んだ。その仕草は子供らしいが、纏う雰囲気は子供ではなく疲れた大人を思わせる。
これでも彼女は五〇〇年を生きてきた吸血鬼なのだ。どれだけ子供らしくとも、その積み重ねが消えることはない。
「あの子だってもう二十歳に手が届くくらいの歳なんだ。むしろ遅すぎるくらいじゃないの? 外界じゃあの年くらいの子には恋人の一人か二人はいて、もう子供作ってたりするらしいし」
「じゃあもしかして、人里で気になる男性でも見つけたんですかね?」
「それでいきなり赤ちゃんについて聞くの? 色々ふっ飛ばし過ぎている気がするけど」
確かに色々と段階がおかしい。三人は唸り、眉間にしわを寄せて顔を突き合わせる。三人寄れば文殊の知恵と言うが、それは果たして化物にも該当するのだろうか? 妖怪は微妙に常人とは違う見識を持つだけに疑わしい。
「隠れて付き合ってた可能性もあるんじゃない?」
「うーん、それらしい話は聞いてないんですけどねぇ」
「いつ聞いてるのよ? ピロートーク?」
「う゛っ!」
「今の口ぶりからしてだいぶ最近みたいね。このケダモノめ」
「ま、毎日してるわけじゃないです! ホント、一ヶ月に数回程度って言うか……」
「ふーん。私なんてもう何ヶ月も御無沙汰なのに、良い御身分ねぇ門番さん?」
「お嬢様は元々多い方じゃないでしょ! 幻想郷にきてからは特に!」
知恵どころか話が進まない。すぐに脱線して騒ぎ出す様子は、姦しいという言葉の意味をよく理解させてくれるかもしれない。しかし、パチュリーは埒の明かない会話を「とにかく」とまとめて一度区切った。
「咲夜にはどう話すべきなの?」
本線に戻ると誰もが閉口してしまう。光明の見えない議題ほど重く、苦しいものはない。ソファに寄りかかって、レミリアたちは詰まりそうな息を吐いて逃がした。何度目かも分からないうーんという意味もない唸りが、部屋の中で合唱される。
「……もういっそのこと、貴女たち二人のどちらかが教えてあげれば? 言葉なり身体なり、いくらでも方法はあるでしょう?」
彼女たち人外にとって、実は雌雄はさして重要な問題ではない。その差異は少し器の形を変えるだけの話だ。吸血鬼などは身長も体重も自由自在。美鈴や、そして発言者であるパチュリーでさえも、それこそやりようはいくらでもある。
珍しく消極的な意見を出した魔女を、吸血鬼は嘲るように薄ら笑いを浮かべた。
「あらあら、大図書館の主ともあろう者が問題を丸投げ? 貴女なら、その頭に詰まった貴重な知識を動かして、あの子に私たち以上のことを教えることも出来るんじゃないの?」
「その知識が二番煎じになるくらいなら最初から教えないわ。魔女の知識はそこまで安くないから」
「というか、やっぱりこういう問題はお嬢様が決めるべきでは? 咲夜さんもなんであれお嬢様の従者なのですから、主として決着をつけるのが最もな筋かと」
「そうね。ここは紅魔館当主としての威厳で、ビシッと咲夜に男女のなんたるかを教えてあげるのが良いんじゃない?」
美鈴とパチュリーが頷くが、レミリアはふんと鼻を鳴らして不満げに二人を睥睨する。半端に意見を合わしても無駄、折れないぞという強気な意志がその瞳には宿っていた。
「なんで私が従者の下の面倒をわざわざ見なくちゃいけないのよ。それじゃどっちが主か分からなくなるじゃん」
「でも、吸血鬼はよく貞操を気にするじゃないですか。今回の件は咲夜さんの貞操についての問題ですよ?」
「処女の生き血の話? そりゃカーミラとかのイメージでしょ。あれは私じゃないし」
「そりゃそうですけど……いやでもやっぱり、これは貞操の問題じゃないですか。育てた側としてそこはちゃんと決めないと」
「私だけで育てたんじゃないわ。貴女たちだって関わったじゃない。それに、あの子に一番物を教えていたのは他ならない美鈴でしょう。貴女にだってそれを教える義務は有る筈なんだけど?」
「えぇ……あれはお嬢様が私に命令したから……」
「でも貴女の教えが不十分だから今の状況になっているんじゃなくて?」
「そんなぁ」
ここにきて、それぞれがこの事態に及び腰であることを何となく察し始めた。何故、どうして――相手の出方を伺うような、微妙な沈黙が場に漂う。
そんな中で、パチュリー・ノーレッジは黙ってしまったレミリアと美鈴を意外という目で見ていた。十六夜咲夜に対してかなり入れ込んできたのは主にこの二人だ。こういう事態にも率先して行動するかと思ったが、予想よりもずっと腰が重く見える。
そもそも今回の十六夜咲夜の件に関して言えば、レミリア・スカーレットと紅美鈴はパチュリーよりも進んでいるはず。だというのにこの消極的な態度はどうだ。お互いで遠慮しているというよりは、それより深い気配がある。
「もしかして貴女たち、〝男女〟でヤッたことないの?」
途端、レミリア・スカーレットの柔そうな頬が一気に紅潮し、彼女は意味もなく立ち上がり一歩退こうとした。そして踵がソファに引っかかり、慌ててソファの背に手を着く様は、なるほど言葉にするまでもなくそれが答えかとパチュリーに確信を抱かせるには十分だった。
一方で、美鈴の反応も中々見物であった。レミリアほどには無いにせよ、多少の赤くなりつつ浮かべた笑みは、彼女らしいのんびりとした空気を感じさせる。そういう〝いつも通りさ〟は、おそらく彼女がレミリアよりも余裕のある状況にあるのではとパチュリーに思わせた。
「い、いいいきなり何を聞くのよ! パチェ、親友でも聞いていいことの一つや二つはあるでしょう? これは非常にデリケートな問題よ! 私の沽券に関わるわ!」
「あーはいはい。まるでボーイフレンドと手を繋いだこともない初心な少女みたいな反応をありがとう。ようするにないわけね?」
「あ、あるわよ! 失礼ね! これでも私は五〇〇年を生きる吸血鬼なのよ!? 男女の営みくらいもうとっくの昔に済ませてるわよ!」
「とっく? ということはもう何年も御無沙汰? いやひょっとしたら何百年かしら。もうどんなものかも忘れてるんじゃない?」
「いやいやいや、これでも昔は悪魔としてただれた生活の二回や三回は謳歌してるわよ! 悪魔は人間を堕落させるのが仕事みたいなところがあるからね! 男も女もそりゃもうとっかえひっかえよ! ええ!」
「ふぅん? じゃあそんな経験豊富な悪魔様にお聞きしますけど、どうしてそんなにお顔を真っ赤にされているのですか? まるで純潔な生娘のようですわよ」
「いや、これはその、だから、だーかーらー!」
地団太を踏んで涙を溜めるレミリア・スカーレットを、パチュリー・ノーレッジはニタニタと意地悪そうな笑みで眺めていた。交わした内容はまるで子供のからかいであったが、しかしレミリアの涙は存外パチュリーの嗜虐心をくすぐっていた。
悔しそうに口を噤んで、レミリアは美鈴へと睨む視線を送る。それはなんとかしろという命令だった。美鈴もまた、そんな風に涙ぐんでいる彼女を愛らしいと思いつつ、主へ助けるために動いた。
「まぁ、お嬢様の華麗なる性経歴はともかく、男女の営みとなると私は自信がありません。パチュリー様はどうなのですか?」
「そもそも私は虚弱貧弱、痩せこけて皮張った身体を好き好んで抱いてくれる相手もいなかったし、退廃に耽る連中で私を口説き伏せられるような輩もいなかったわ。灰色……というよりは、色のない青春時代を過ごしてきたわよ」
「え? そうなんですか? でもパチュリー様って言うほど痩せこけているわけではありませんし、身体つきだって昔から悪くはありませんでしたし、何より端整なお顔をされているではありませんか。言い寄って来る男も選り取り見取りだったのかと」
「昔、貴女と同じような感じで口説いてきた奴と寝たことはあるわ」
「一応、あるにはあるんですね」
「ええ。ねぇレミィ?」
呼ばれ、びくっと身を震わせるレミリア・スカーレット。美鈴は「あ、なるほど」と察したが、肝心の本人は心当たりがないらしく「え? え?」と困惑していた。どうやら彼女の記憶の中には、魔女との逢瀬は含まれていないようだった。それはそれで少し悲しいパチュリー・ノーレッジである。
「その時は女同士だったので?」
「いいえ、レミィが男だったわ。といっても生やしただけだけどね。けど、その後も大体レミィが攻めなのよねぇ……」
貴族的なプライドからか、それとも元来の性格からか、残念なことにパチュリーがレミリアを攻め立てることは少ない。元々生娘だった魔女に最初に手を出したのが吸血鬼だっただけに、その関係が中々覆らないのかもしれない。
「あとは小悪魔ぐらいとしかしたことないわ。あの子も月に二、三度はさかるから、契約上しょうがないけど、まぁ一人で寂しくさせるのもなんだしね。それで美鈴はどうなの? 自信がないって言うけど、さすがに私よりはあるんでしょう?」
「いやぁ私も男女の行為の場合、ここ数百年は男の、まぁ私も生やしたぐらいですが、そんな記憶ばかりで、女の側はてんでないんです。それより前は、なんとなくぼんやりとはあるんですが……」
いや貴女何歳なのよ。と内心でつっこむ魔女。
「女同士でも、ここ最近は咲夜さんとぐらいしかしてませんし」
「あら、でも妹様のお相手はするのでしょう? 話には聞いてるわよ。たまにレミィとも同衾してるみたいじゃない」
「おいパチェなんで知ってる! あと美鈴またフランに手を出したな!?」
言葉を失っていた吸血鬼も元気に復活した。
「お、お声がかかる以上無碍には出来ませんから……」
「噂好きのメイドはこの館には掃いて捨てるほどいるからね。隠し通せる物はないんじゃないかしら」
悪気はないと言いたげな美鈴に対し、悪びれる気配の無いパチュリー。二つの反応に対応しきれず、レミリアは不満げに唸ることしか出来ない。
「そもそも私、子供って産んだこと無いんですよね」
話題転換というつもりでもないが、そう言ってたはー、と恥ずかしそうに頭を掻く美鈴に、目から鱗だと言わんばかりにパチュリーは驚き、「あぁ」と感心の声を上げた。なるほど確かに、性交ばかりに気を取られていたが、出産の経験も含めるべきか。新たな観点の登場にパチュリーはいっそ興奮さえしていたかもしれない。
しかしレミリアは手を横に振って流れを否定する。
「だったら私だって子供を産んだことはないよ。出産なんて大変なことやらなくても吸血鬼は不死だったし、眷属を増やすだけだから」
「吸血鬼に限らず、多くの化物にとっては出産なんて面倒なだけだものね。でも、そう考えると咲夜に教えるには、私たちは適格ではないと言えてしまうわ」
「そもそも私たちでは咲夜さんに赤ちゃんを授けてあげることも難しいですよね。あ、いやパチュリー様の魔法でどうにかなったりします?」
「ホムンクルスとかならあるけど……妊娠や出産となると、また別の方法かしら」
「いやいや、とりあえず男女の違いを教えてやって、子供は本当に好きな奴が出来たらでいいんじゃないか? 何も私たちが咲夜を孕ませなくてもいいだろう」
「あー、確かにそうですね」
「でも本人は産みたがってるかも知れないわよ?」
「それこそ本人に確認すればいいじゃない。今決めなくちゃいけないのは、その確認も含めて誰がやるかでしょう」
吸血鬼の言葉が締めとなって、その会話が終わる。全員が一度黙り、お互いを見遣り、そしてその問題の焦点について苦悶した。
本を使う。
言葉で伝える。
映像を見せる……。
方法は思いつけども、それを教えるとなると恥ずかしく、いまいち乗る気にはなれない。
再び迷いの袋小路に踏み込みそうになる。レミリアは、今度はそれを打破すべく、手を組んで膝に置き、歴戦の怪異としての空気を纏い他二人を睨め付けた。
「よし、こうなったら最後の手段を使うぞ」
最後の手段――そんな物があったのかと、美鈴とパチュリーは目を丸くして驚く。これまでレミリア・スカーレットには、その破天荒で型破りな性格からさんざん驚かされてきた二人であるが、まだ隠している手があるとは。しかし感動しつつも、どこか一抹の不安が残るのは、彼女の性格を知るからこそだったかもしれない。
レミリア・スカーレットは組織の長としての貫禄、威厳を発揮しながら、厳しい目つきでそれをゆっくりと紅美鈴に向けた。
「紅魔館の主として告げる。美鈴、やれ」
他人任せだった。
4
紅美鈴が紅魔館に加入したのは、何よりもレミリア・スカーレット自らの勧誘があったからだった。二人の出会いは語るには劇的ではなかったかもしれないが、美鈴はそれを運命の転機として捉え、以後レミリアにつき従っている。レミリアの命令であれば、それがどんなものでもやるという意気込みも密かに抱いている。
だが今回の命令は、さすがにその忠義も揺らぎかけた。
「横暴! 職権濫用! 圧政反対!」
「ガタガタ抜かすな! 妹に手を出して追い出されないだけマシだと思え! それに、元々咲夜に色々と教えたのはお前だろう。だったらちゃんとその責任を取りな」
「そんなぁ……」
救いの手を求めてパチュリーへと視線を送るが、自身に被害が及ばないと分かった魔女は安堵しつつも諦めろという目で美鈴に答えてくる。見捨てられた美鈴は涙目になりながらも最後の抵抗を試みた。
「咲夜さんだってお嬢様の方がいいと思います! 咲夜さんの主はお嬢様なんだから、その全てはお嬢様の物だと思うんですけど!」
「だったらそれを確かめてきなさい! それでもし咲夜が私を選ぶなら私だってそれを受け入れてやるわよ!」
「なんですかそれ! 私は捨て石って事ですか!?」
「そうよ!」
「酷いっ!」
「お前だって私の物だろう! だったら私のために働きな!」
今更ながら、人の性事情やら所有権やらを本人のいない所でどうこうするというのは、例え親や親代わりだとしても如何なものだろう――安全地帯にいるパチュリー・ノーレッジはそんな倫理観をぼんやり考えていた。
「万が一私が咲夜さんとすることになったらどうするですか!」
「構わん!」
「絶対後で怒るでしょ!」
「怒らん!」
「赤ちゃん出来たらどうするんですか!」
「館総出で祝ってやる!」
「う、ぐ……!」
もうそこまで言われたら、美鈴は何も言えなくなってしまった。頑丈に固められた決意を感じて、言葉が意味を成さないことを悟ってしまったのだ。声が詰まり、半泣きになりながら、美鈴は逃げるようにドアへと走った。
「こうなったら咲夜さんと結婚して寿退社してやるぅ! お嬢様のアホー!」
美鈴のそんな負け惜しみじみた叫び声に、レミリアは「退社は認めん! 休暇なら出す!」と答えるのだった。
そんなやりとりが一〇分ほど前のこと。現在美鈴は紅魔館の廊下を歩きながら十六夜咲夜を探していた。
もう時刻は夕方になっている。この時期、この時間の日没は早く、すでに夜の薄暗い気配が外を漂っていた。この時間であれば、本来なら主レミリアを起こしにいったりその食事を決めているころだろう。幸いレミリアは既に起床しているのでキッチンにいるのが濃厚だと思われる。
そんなわけで美鈴は一路、紅魔館のキッチンへ向かう。
「はぁ……なんでこんなことに……」
しかしその足取りは決して軽やかな物ではない。まるで荷車を引く馬、はたまた砂漠を横断する商人の駱駝か。とにかく肩を落としながら歩くその姿は決して景気が良いようには見えなかっただろう。
そんな彼女の後ろを、ひっそりと小さな蜘蛛が追っている。黒い、まるで影の闇をそのまま蜘蛛の形に象ったような、非常に小さな蜘蛛だった。赤い八つの目が、少し離れた廊下の天井から美鈴をじーっと眺めている。
その眼は先ほど美鈴たちが密会していた部屋に繋がっている。ローテーブルに置かれた水晶のドクロ、その後頭部に蜘蛛の見る世界が映っている。それを操るのはパチュリー・ノーレッジ。つまりその蜘蛛とは魔女が走らせた使い魔だった。
「それにしても意外だったわ」
「何が?」
「レミィが咲夜から手を引くとはね。もっと奪い合う展開を期待してたんだけど」
「まったくいい性格してるな……でも、美鈴の性格からしてそんな展開にはならないでしょ。それに、私のペット同士が何をしようが気にしないよ。私は自分の所有物に優先順位をつけたりしない。私の物は全て平等に私の物だからね」
「尊大というか、大雑把というか……まぁなんにしても貴女らしいわね」
「パチェだって私の物よ? 誰にも渡さないんだから」
「その割に長らく放置されてる気がする」
「じゃあ今夜あたりにでもやろうか?」
「気が向いたらね」
そんな一方で、美鈴は窓ふきをしている十六夜咲夜と遭遇した。ついに時が来てしまったのだ。
「あ、咲夜さん……」
「あら美鈴、休憩時間? この時間に屋内にいるなんて珍しいわね」
咲夜を見つけた時の美鈴の表情は、何とも表現しにくいものだった。いつも抱く嬉しさの上に、困惑、恥じ、そして苦い感情を薄く這わせたような物。すぐに咲夜もその違和感に気付く。
「どうしたの? 何か悩み事?」
「悩み事、というか……」
蜘蛛の目の向こう側で、レミリアとパチュリーはじっくりとその展開を見守っている。そんな事を出来る立場ではないが、二人は彼女を内心応援していた。それはこの事態を解決してくれるであろうというよこしまな期待と、純粋に二人の行く末を案じる親、はたまた乙女心から来るものだった。
頬を掻いて、美鈴は悩んでしまう。どう切り出したものか。
これまで生きてきて、美鈴は結婚も告白もしたことはない。する必要のない種族だった。
だから、彼女はかなり緊張していた。唇が渇いてきて、それを噛むように舐める。
「ふふ、なんか珍しいわね。緊張してるの?」
こういう物は伝わると恥ずかしいもので、さらに身が強張ってしまう。
だがそれ以上に、美鈴は咲夜の浮かべた微笑に見惚れてしまった。愛らしい仕草と端整な容貌が、ゆるやかに破顔していく光景は、美鈴の心臓を高鳴らせた。彼女と接してきて、ここまで〝くる〟のは初めてかもしれない。
幾分か紅潮させた顔を引き締めて、美鈴は決意を固める。その決意を視線で表すように、咲夜の目を見た。
「な、何よ、本当にどうかしちゃったの?」
「咲夜さん。いきなりこんな場所で、不躾ながらこんな事を言う私のことを許して下さい」
困惑する咲夜の肩を、美鈴はゆっくりと掴んだ。力を入れ過ぎず、触り、包み込むように。逃げさせないように、また、自分が逃げないように。
見ていた吸血鬼と魔女も顔を寄せ合い、ぐっと拳を握ってその場面を食い入るように見詰めている。
「咲夜さん」
「う、うん……」
行け! そこだ! 言え! 吸血鬼と魔女は内心で同じように叫ぶ。
美鈴は、固く堅く固めた意志を、全力で投げつけるようなつもりで、その言葉を咲夜へと言い放つ。
「私に咲夜さんの赤ちゃん産ませてください!」
前かがみで自分が自分がとその光景を食い入るように見ていた魔女と吸血鬼が、盛大にバランスを崩してともに床へと転倒した。
5
「……………………は?」
一瞬時が止まったのかと思った。能力は使ってないのに。そんなことを咲夜は思った。
「あ、やっぱりいきなりでしたよね……まずは結婚式とか婚約とかしないとまずいですかね……」
美鈴は赤面しながらもあわあわと頓珍漢なことを言い続けるので、咲夜は「落ち着きなさい」と手で彼女の額を叩いた。
「そもそも急に何? なんで貴女が妊娠する話になってるの? どういう流れ?」
「えっと、実は……」
美鈴は咲夜に事の経緯を話した。咲夜が子供の作り方、男女の営みについて聞いたこと。それを三人で話し合った結果、美鈴がそのなんたるかを教えることになったこと。そして現在に繋がる、と。
「だからって何で貴女が子供を産むのよ」
「恥ずかしい話なのですが、私ここ何百年で妊娠も出産もしたことがないんですよ。で、どうせだったら始めては咲夜さんがいいなぁと思いまして」
恥ずかしそうに染まる頬を手で隠し、いやんいやんと身体をくねらせる美鈴に咲夜は呆れ返ってしまう。
「あのねぇ、そもそも私たちは女同士なんだけど」
「方法は探します。とりあえずは宣言しておこうかと」
「だったら貴女が男になって私を孕ませた方が早いんじゃないの?」
「ダメですよ! いいですか咲夜さん、本当に子供というのはやればできちゃうものなんですよ!? 産むのだって大変なんですよ!?」
「作ったことあるの?」
「ありません……」
「説得力の欠片もないじゃない」
「で、でもでも、妊娠なんてしたら咲夜さんの業務に支障が出ますし……あ、もしかして私じゃダメとか……?」
一転していじらしそうに指を突き合わせる美鈴。今日はいつになくころころと表情が変わる。このままでは埒が明かないだろう。はぁ、と咲夜が溜息を吐いて会話を一つ区切った。
「そもそも子供を作るつもりも、誰かに作らせる気もないわよ。全く」
「えぇ!? ならなんでパチュリー様に赤ちゃんの作り方なんて聞いたんですか!?」
「あぁ、あれはね……」
咲夜はまた溜息を吐いた。
「あれは冗談だったのよ」
…………。
予想外の言葉に、美鈴を始め、レミリアとパチュリーたちも面食らう。
「……え?」
「だから冗談。パチュリー様がどんな反応するか気になったから。さすがに男と女がどんなことをするかなんて知ってるわよ。私を何歳だと思ってるの」
「え、えぇ……」
そんな答えは想像できるはずもなかった。美鈴たち三人は同じ困惑を共有する。
「でも、パチュリー様は意外と慌てふためかなかったわ。やっぱり一〇〇年を生きるとなるとそういうご経験も豊富なのかしらね?」
レミリアはパチュリーを見る。パチュリーは上唇と下唇を噛んで口を噤み、じとじととした泥のような目で咲夜を睨み、レミリアとはついぞ視線を合わせようとはしなかった。
「で、でも、いきなりどうしたんですか? どうして下ネ……というかそういうお下品な路線に? しかもパチュリー様に……」
「いや、私って普段、こう澄ましているというか、堅苦しい感じがあるんじゃないかと思って。それで、パチュリー様とも全然打ち解けてなかったから、じゃあちょっと変えてみようかなって。こんな私がいきなり性についての話題を振ったら、面白いかなーって」
「「「おもしろくない!」」」
三人の声が揃う。十六夜咲夜という敵は思いの外強く、また曲者であったのだ。
「ちなみに妊娠願望とかって、あるんですか……?」
「んー、そりゃ少しはあるけど、そもそも相手がねぇ。この生活だとほいほい男も作れないし」
「だ、ダメですよ! さきに婚姻を済ませてからじゃないと! 世間体や、私たちにも心の準備が!」
「えー。じゃあもう貴女がしてくれればいいじゃない。慣れてるんでしょ? 男役」
「そんな軽いノリで決めないでください!」
「今夜あたりどう?」
「なんでそんなにノリノリなんですか!」
もちろんこれで紅魔館のメンバーが追加されるような事はなかったが、十六夜咲夜の下品路線もレミリアの喝によって廃止される事になったのだった。
おわり
1
「パチュリー様、赤ちゃんって、どうやって出来るのですか?」
昼下がり。幻想郷では鈍色の雲が空を隠して雪を降らせていた。霧の湖の畔も冷厳な雪化粧に彩られ、凍てついた風は屋内の暖炉の暖かみを強調し、そうして心地よく温まった地下大図書館の書斎の一室で行われていた優雅なアフタヌーンティーの時間に聞こえた言葉は、紛れもなく青天の霹靂であっただろう。
紅茶の芳香を楽しみながら魔道について思考の枝葉を伸ばしていたパチュリー・ノーレッジの耳を打つそんな雷を放ったのは、紅茶を給仕した紅魔館のメイド長、十六夜咲夜であった。
書斎の時が完全に停止する。さすが、時間を操る人間だなぁとパチュリーノーレッジは無意味にも感心していた。少しだけであるが。
そして、その時パチュリーの心の大半を埋め尽くしていたのは、外に降り積もる雪にも似た色を連想させる、そんな空白であった。
「……は?」
長らく口を閉ざしていた彼女が、ようやくやっとの思いで絞り出したのは、そんな間抜けな空気と声を一緒に漏らしてしまったような返事だけ。
咲夜はそんな魔女の反応を不思議そうに見て、可愛らしく小首を傾げる。
「あれ、聞こえませんでした? ですから、赤ちゃんというのはどうやったら出来るのでしょうか?」
いや。そもそも聞こえているとか聞こえていないとかの問題ではない。脳が完全に十六夜咲夜の言葉を理解できていない。
いや正しくは、理解できていないのは言葉ではなく質問をする咲夜の心だった。
繰り返し質問してくる十六夜咲夜の顔や言動に、恥じらいや慎ましさといった物が一切ないのだ。しかし、セクハラや冗談といった邪念も感じない。見るからに純真な少女といった趣である。
だが今、目の前にいるメイド長の咲夜は青春期も後期、性的な成熟を迎え、もうすぐ成人しようかという年頃のはずなのだ。だからこんな質問をされるとは思ってもみなかった。そんな偏見がパチュリーを仰天へと至らしめたのだ。これが年頃の小さな少女の質問であれば、パチュリー・ノーレッジも「あらあらおませさんね」と微笑ましく思っただろうが、決してそうではない。
そして、パチュリー・ノーレッジは心の中である疑問を思い浮かばせる。
もしかして、紅魔館の誰もが、十六夜咲夜に対して保健体育的な性行動教育を教えていないのではないか……?
幼い頃、吸血鬼に拉致されて無理矢理紅魔館に置かれた可哀想な少女。彼女は物事を学び、紅魔館のメイド長としてその吸血鬼の傍らに立ちつつ、反抗期などを経て、愛らしく瀟洒なメイドとなった。
彼女を育ててきた者の一翼を担うパチュリー・ノーレッジは、この問題に真摯に向き合うことにした。
「咲夜。それを教える前にいくらか質問をしてもいいかしら?」
すぐに核心へは至らない。順序良く足場を固めて正しい結論を導くのが研究者の義務である。比較的若い世代、研究者気質の魔女であるパチュリー・ノーレッジは、己の規範に従う。
咲夜は「はい」と素直に頷いた。
「まず、貴女は性欲という概念を理解しているかしら?」
「えぇ、まぁ、多少はですけれど」
「それを抱いて、解消する術は知っている?」
「え? 自慰って事ですか? あの、私がお聞きしたいのは赤ちゃんの作り方なんですけど……」
「あぁ、一応それは知ってるのね……」
オーケーなるほど。最低限のことは知っていると見える。
だがこれだと、彼女にコウノトリの話の誤魔化しは通じないだろう。かといって生々しい性交渉の話や学術的な懐胎の仕組みを教えたところでややこしくなるだけな気がする。案外バランスが難しく、パチュリー・ノーレッジは唸ってしまった。
「あ」
しかしそこでふと思い出した。人外であるためその悩みから解放されているのですっかり失念していたが、多くの人間の女性には特有の問題が発生する。そして咲夜にもその問題が起きている事を思い出したのだ。
「貴女、月の物のとき結構重いじゃない。その仕組みについては知っているんでしょう?」
「え? はいまぁ、そういう物については美鈴や、それこそパチュリー様からも少しだけ教えていただきましたけど」
「あ」
再び思い出した。そう、美鈴だ。この紅魔館には門番兼庭師として働くあの妖怪がいたじゃないか。美鈴と咲夜は従者としての立場で仲も良く、時として情事にも及んでいる。そういった機会に性交渉のアレコレを聞いているのではないのか。いや、女同士だからこそ、男との行為については知らないのか……?
彼女が初経を迎えた時になんと説明したのか、もうだいぶ昔のことなので思い出せない。
こんがらがり始めた脳内を、首を左右に振って強引に振り払い、パチュリー・ノーレッジは言葉を辛うじて繋いでいく。
「なら、おしべだとかめしべだとか、受精うんぬんとかの話も知ってるでしょう? 子供が出来る仕組みはもう理解していると思うのだけれど」
「えっと、もちろん性欲や生理、受精の話も分かっているのですが……」
ここに来て少しだけ、十六夜咲夜は言いにくそうに視線を逸らして頬を朱に染めた。さすがに性事情についての羞恥はあったのかとパチュリーは安堵した。
「でも、世の男性は女性とは色々と姿形が違うのですよね? それがどう違い、性交渉においてもどう違ってくるのか教えていただきたいのですが……」
どごん。
パチュリー・ノーレッジは地面を蹴って後ろに倒れ、後頭部を地面に打ち付けた。あまりに平然とセクハラめいた発言をするメイド長にふざけるなと叫ぶ代わりの、それが魔女の怒りと困惑の抗議の声であった。
2
その後、解答を保留して咲夜を下げさせ、魔女はすぐさま紅魔館の主レミリア・スカーレットと外勤長の紅美鈴を図書館へと招集した。厳しい秘密保持のため、図書館の一角、普段なら絶対使わないような来賓用の客室を使って、盗み聞き対策の術式まで使って場を用意した。
けれども対して、こんな時間にも睡眠を貪る怠惰な化け物どもは、今にも気絶しそうな顔面蒼白の魔女と違って眠たげな眼を擦り、事態の深刻さを理解していない。あまりの能天気さにパチュリーは憤慨を覚える。
「パチェったら、こんなに早くにどうしたのよ……」
「私までお呼びするというのはなんとも不思議です。何かの一大事ですか?」
「この館の一大事よ馬鹿ども。冷や水と電撃どっちがいいかしら?」
左手に水を、右手に雷を生み出そうとする魔女を見て、二人の妖怪は慌てて姿勢を正して意識の覚醒をアピールした。
さて、場が整ったところで、魔女はため息を一つ吐いていから話し始める。
「美鈴。貴女咲夜と〝寝ている〟でしょう」
「え゛っ!?」
突然のそんな質問に、美鈴は驚愕と呻きを混ぜわせたような声を上げた。魔女の鋭い視線を受けて、美鈴の肝が一気に冷える。そんなことが問題に上がるとは思ってなかっただけに、本当に眠気が吹っ飛んでしまう。
「えっとぉ、それは、添い寝とかそういう意味合い的な……」
「当然性交渉を含めた同衾よ。しているでしょう、別に貴女も隠しているわけじゃないんだし、これはただの確認よ」
「え、えぇっとぉ……」
美鈴の視線がレミリアへと向く。それは、これがどういうことなのか分からないのという疑問の視線だった。しかしレミリアにも分かるわけがない。すやすや寝ていたら起こされて、挙句にこんな下らない話に巻き込まれては堪らない。少し八つ当たり気味に、美鈴に答えろと催促するように首を振って示した。
突き放された美鈴は諦めたように項垂れて「はい……」と答えた。その頬は少しばかり紅い。まぁ、妖怪であっても性事情を進んで暴露する者は少ない。その道の専門でもない限り、一定の羞恥心は誰でも持ち合わせているだろう。
パチュリーは一度頷きその返事を受け止めた後、今度は横で不貞腐れる吸血鬼へと視線を向けた。
「レミィは? 咲夜とは寝たの?」
しかし今度は吸血鬼が「はぁ!?」と困惑する番だった。いよいよもって魔女の思惑が分からない。レミリアも美鈴へと視線を向けるが、美鈴も分からないのでどうしようもない。けれど魔女の視線は鋭いので逃れる事も出来ないように思える。この場合の「寝た」も、当然美鈴の時と同じに違いない。
レミリアはもう面倒臭くなって投げやりに「あるわよ……」と答えた。
「そう。あるのね」
「何? 文句でもあるわけ? 別に酷いことはしてないわよ。ただ咲夜は従者だからって言って強くこないし、私もこの姿のままだったから、本当に慎ましい物よ? いきなりそんなハードなプレイなんてしたら嫌われちゃうかもしれないじゃない」
「いやそこまで聞いてないから」
途端、勝手に自爆した吸血鬼が頬を真っ赤に染めて「ぎゃーっ!」と叫んだ。それから飛び跳ねて熊の敷き皮の下に潜り込み、バタバタ足を暴れさせまくった。内心、恥ずかしくて死にそうだった。いっそこのまま皮にくるまって焼死したいくらいだ。
同情するような苦笑いを浮かべながら、美鈴はこほんと咳を一つ、気を取り直して「しかし何故こんな事をお聞きに?」とパチュリーに質問した。
「いい? 私たちは咲夜が小さい頃から面倒を見てきたわよね?」
魔女の言葉に、妖怪は頷く。吸血鬼も渋々顔を出して、涙目ながらもそれを「うん……」と肯定した。
「物覚えも早くて大人しくて、でも反抗期だってあって、今では成人する手前まで来ている」
各々が過去の咲夜を振りかえり、現在の彼女への歴史に想いを馳せた。人外にとっては短くも、人間にとっては長い時間が、あの少女には内包されている。その事に軽い感動を覚えた美鈴とレミリアは、途端に慈しむ気持ちが溢れて、頬が自然と緩んでしまう。
「そんな彼女に手を出したことを咎めるつもりはない」
咎められても反省するつもりは、実はレミリアと美鈴にはなかった。性交渉自体を悪いことだとは思っていないからだ。人外である彼女たちは敬虔でも清純でもない。むしろインモラルな行為に肯定的でさえいる。そういう側の存在なのだ。
しかしもちろん、十六夜咲夜への負担を考えてはいる。無理強いをするつもりもない。お互いを思いやり、それを形として表す――肉体の関係を持つのも、その手段の一つなだけだ。
では何が問題なのか? 何が本題なのか? もったいぶっていた魔女がようやくそれを告げる時が来た。
「でも、何故貴女たちは、咲夜にちゃんとした性教育を施さなかったのかしら?」
少しの沈黙の後、吸血鬼と妖怪は声を揃えて「はぁ?」と素っ頓狂な声を返してくるのであった。
3
そもそもちゃんとした性教育とはなんだろう?
妊娠や出産についての理解を深めることだろうか。それとも医学的な、受胎や胎児の育成といった生殖、性病などの予防についての危機管理意識の教育だろうか。直接的な性についての知識を与えることは、果たして最適なのだろうか。
パチュリー・ノーレッジは考える。この問題は難しい。非常にデリケートで、扱いにくい問題である。だが、誰もが考えなくてはならない問題なのかもしれない……。
そんな疑問と相対しながらパチュリー・ノーレッジが十六夜咲夜の件について事のあらましを語り終えると、美鈴は困惑の色を強めた顔で頬を掻いて質問を返した。
「えっと、つまり咲夜さんは男女間における性行為について知りたいと?」
「というより、あれは出産についての延長線上にそれがあって、知りたいと思っているのというのが正しいかもしれない」
咲夜があまりにもしれっと爆弾発言をかますので、パチュリーも己の言葉に自信が持てないでいた。もしかしたらそうであってほしいという己の願望が混じっているかもしれない事は、彼女自身否定できない事であった。
「私たちは一応、あの子を育ててきたわ。いわゆる育ての親というやつ。だから、これについては話しあってからにしようと思ったのよ」
正しい結論を導くために――パチュリー・ノーレッジは、己の規律に準じた。
決して一人で責任を負いたくない為に巻き添えを生み出したわけじゃない。自分だけの性癖を曝して恥を欠きたくないからではない。絶対ない……うん。
「でもどうして急に知りたがったんでしょうね? 咲夜さん、赤ちゃん産みたいのかな……」
「あの子の場合、もう子育てはやってるようなものだと思うんだけど」
美鈴とパチュリーの視線が同時にレミリアを捉える。自分を子供だと言外に指摘され「なんだなんだ!」と憤慨する吸血鬼は、ふんと鼻を鳴らして腕を組んだ。その仕草は子供らしいが、纏う雰囲気は子供ではなく疲れた大人を思わせる。
これでも彼女は五〇〇年を生きてきた吸血鬼なのだ。どれだけ子供らしくとも、その積み重ねが消えることはない。
「あの子だってもう二十歳に手が届くくらいの歳なんだ。むしろ遅すぎるくらいじゃないの? 外界じゃあの年くらいの子には恋人の一人か二人はいて、もう子供作ってたりするらしいし」
「じゃあもしかして、人里で気になる男性でも見つけたんですかね?」
「それでいきなり赤ちゃんについて聞くの? 色々ふっ飛ばし過ぎている気がするけど」
確かに色々と段階がおかしい。三人は唸り、眉間にしわを寄せて顔を突き合わせる。三人寄れば文殊の知恵と言うが、それは果たして化物にも該当するのだろうか? 妖怪は微妙に常人とは違う見識を持つだけに疑わしい。
「隠れて付き合ってた可能性もあるんじゃない?」
「うーん、それらしい話は聞いてないんですけどねぇ」
「いつ聞いてるのよ? ピロートーク?」
「う゛っ!」
「今の口ぶりからしてだいぶ最近みたいね。このケダモノめ」
「ま、毎日してるわけじゃないです! ホント、一ヶ月に数回程度って言うか……」
「ふーん。私なんてもう何ヶ月も御無沙汰なのに、良い御身分ねぇ門番さん?」
「お嬢様は元々多い方じゃないでしょ! 幻想郷にきてからは特に!」
知恵どころか話が進まない。すぐに脱線して騒ぎ出す様子は、姦しいという言葉の意味をよく理解させてくれるかもしれない。しかし、パチュリーは埒の明かない会話を「とにかく」とまとめて一度区切った。
「咲夜にはどう話すべきなの?」
本線に戻ると誰もが閉口してしまう。光明の見えない議題ほど重く、苦しいものはない。ソファに寄りかかって、レミリアたちは詰まりそうな息を吐いて逃がした。何度目かも分からないうーんという意味もない唸りが、部屋の中で合唱される。
「……もういっそのこと、貴女たち二人のどちらかが教えてあげれば? 言葉なり身体なり、いくらでも方法はあるでしょう?」
彼女たち人外にとって、実は雌雄はさして重要な問題ではない。その差異は少し器の形を変えるだけの話だ。吸血鬼などは身長も体重も自由自在。美鈴や、そして発言者であるパチュリーでさえも、それこそやりようはいくらでもある。
珍しく消極的な意見を出した魔女を、吸血鬼は嘲るように薄ら笑いを浮かべた。
「あらあら、大図書館の主ともあろう者が問題を丸投げ? 貴女なら、その頭に詰まった貴重な知識を動かして、あの子に私たち以上のことを教えることも出来るんじゃないの?」
「その知識が二番煎じになるくらいなら最初から教えないわ。魔女の知識はそこまで安くないから」
「というか、やっぱりこういう問題はお嬢様が決めるべきでは? 咲夜さんもなんであれお嬢様の従者なのですから、主として決着をつけるのが最もな筋かと」
「そうね。ここは紅魔館当主としての威厳で、ビシッと咲夜に男女のなんたるかを教えてあげるのが良いんじゃない?」
美鈴とパチュリーが頷くが、レミリアはふんと鼻を鳴らして不満げに二人を睥睨する。半端に意見を合わしても無駄、折れないぞという強気な意志がその瞳には宿っていた。
「なんで私が従者の下の面倒をわざわざ見なくちゃいけないのよ。それじゃどっちが主か分からなくなるじゃん」
「でも、吸血鬼はよく貞操を気にするじゃないですか。今回の件は咲夜さんの貞操についての問題ですよ?」
「処女の生き血の話? そりゃカーミラとかのイメージでしょ。あれは私じゃないし」
「そりゃそうですけど……いやでもやっぱり、これは貞操の問題じゃないですか。育てた側としてそこはちゃんと決めないと」
「私だけで育てたんじゃないわ。貴女たちだって関わったじゃない。それに、あの子に一番物を教えていたのは他ならない美鈴でしょう。貴女にだってそれを教える義務は有る筈なんだけど?」
「えぇ……あれはお嬢様が私に命令したから……」
「でも貴女の教えが不十分だから今の状況になっているんじゃなくて?」
「そんなぁ」
ここにきて、それぞれがこの事態に及び腰であることを何となく察し始めた。何故、どうして――相手の出方を伺うような、微妙な沈黙が場に漂う。
そんな中で、パチュリー・ノーレッジは黙ってしまったレミリアと美鈴を意外という目で見ていた。十六夜咲夜に対してかなり入れ込んできたのは主にこの二人だ。こういう事態にも率先して行動するかと思ったが、予想よりもずっと腰が重く見える。
そもそも今回の十六夜咲夜の件に関して言えば、レミリア・スカーレットと紅美鈴はパチュリーよりも進んでいるはず。だというのにこの消極的な態度はどうだ。お互いで遠慮しているというよりは、それより深い気配がある。
「もしかして貴女たち、〝男女〟でヤッたことないの?」
途端、レミリア・スカーレットの柔そうな頬が一気に紅潮し、彼女は意味もなく立ち上がり一歩退こうとした。そして踵がソファに引っかかり、慌ててソファの背に手を着く様は、なるほど言葉にするまでもなくそれが答えかとパチュリーに確信を抱かせるには十分だった。
一方で、美鈴の反応も中々見物であった。レミリアほどには無いにせよ、多少の赤くなりつつ浮かべた笑みは、彼女らしいのんびりとした空気を感じさせる。そういう〝いつも通りさ〟は、おそらく彼女がレミリアよりも余裕のある状況にあるのではとパチュリーに思わせた。
「い、いいいきなり何を聞くのよ! パチェ、親友でも聞いていいことの一つや二つはあるでしょう? これは非常にデリケートな問題よ! 私の沽券に関わるわ!」
「あーはいはい。まるでボーイフレンドと手を繋いだこともない初心な少女みたいな反応をありがとう。ようするにないわけね?」
「あ、あるわよ! 失礼ね! これでも私は五〇〇年を生きる吸血鬼なのよ!? 男女の営みくらいもうとっくの昔に済ませてるわよ!」
「とっく? ということはもう何年も御無沙汰? いやひょっとしたら何百年かしら。もうどんなものかも忘れてるんじゃない?」
「いやいやいや、これでも昔は悪魔としてただれた生活の二回や三回は謳歌してるわよ! 悪魔は人間を堕落させるのが仕事みたいなところがあるからね! 男も女もそりゃもうとっかえひっかえよ! ええ!」
「ふぅん? じゃあそんな経験豊富な悪魔様にお聞きしますけど、どうしてそんなにお顔を真っ赤にされているのですか? まるで純潔な生娘のようですわよ」
「いや、これはその、だから、だーかーらー!」
地団太を踏んで涙を溜めるレミリア・スカーレットを、パチュリー・ノーレッジはニタニタと意地悪そうな笑みで眺めていた。交わした内容はまるで子供のからかいであったが、しかしレミリアの涙は存外パチュリーの嗜虐心をくすぐっていた。
悔しそうに口を噤んで、レミリアは美鈴へと睨む視線を送る。それはなんとかしろという命令だった。美鈴もまた、そんな風に涙ぐんでいる彼女を愛らしいと思いつつ、主へ助けるために動いた。
「まぁ、お嬢様の華麗なる性経歴はともかく、男女の営みとなると私は自信がありません。パチュリー様はどうなのですか?」
「そもそも私は虚弱貧弱、痩せこけて皮張った身体を好き好んで抱いてくれる相手もいなかったし、退廃に耽る連中で私を口説き伏せられるような輩もいなかったわ。灰色……というよりは、色のない青春時代を過ごしてきたわよ」
「え? そうなんですか? でもパチュリー様って言うほど痩せこけているわけではありませんし、身体つきだって昔から悪くはありませんでしたし、何より端整なお顔をされているではありませんか。言い寄って来る男も選り取り見取りだったのかと」
「昔、貴女と同じような感じで口説いてきた奴と寝たことはあるわ」
「一応、あるにはあるんですね」
「ええ。ねぇレミィ?」
呼ばれ、びくっと身を震わせるレミリア・スカーレット。美鈴は「あ、なるほど」と察したが、肝心の本人は心当たりがないらしく「え? え?」と困惑していた。どうやら彼女の記憶の中には、魔女との逢瀬は含まれていないようだった。それはそれで少し悲しいパチュリー・ノーレッジである。
「その時は女同士だったので?」
「いいえ、レミィが男だったわ。といっても生やしただけだけどね。けど、その後も大体レミィが攻めなのよねぇ……」
貴族的なプライドからか、それとも元来の性格からか、残念なことにパチュリーがレミリアを攻め立てることは少ない。元々生娘だった魔女に最初に手を出したのが吸血鬼だっただけに、その関係が中々覆らないのかもしれない。
「あとは小悪魔ぐらいとしかしたことないわ。あの子も月に二、三度はさかるから、契約上しょうがないけど、まぁ一人で寂しくさせるのもなんだしね。それで美鈴はどうなの? 自信がないって言うけど、さすがに私よりはあるんでしょう?」
「いやぁ私も男女の行為の場合、ここ数百年は男の、まぁ私も生やしたぐらいですが、そんな記憶ばかりで、女の側はてんでないんです。それより前は、なんとなくぼんやりとはあるんですが……」
いや貴女何歳なのよ。と内心でつっこむ魔女。
「女同士でも、ここ最近は咲夜さんとぐらいしかしてませんし」
「あら、でも妹様のお相手はするのでしょう? 話には聞いてるわよ。たまにレミィとも同衾してるみたいじゃない」
「おいパチェなんで知ってる! あと美鈴またフランに手を出したな!?」
言葉を失っていた吸血鬼も元気に復活した。
「お、お声がかかる以上無碍には出来ませんから……」
「噂好きのメイドはこの館には掃いて捨てるほどいるからね。隠し通せる物はないんじゃないかしら」
悪気はないと言いたげな美鈴に対し、悪びれる気配の無いパチュリー。二つの反応に対応しきれず、レミリアは不満げに唸ることしか出来ない。
「そもそも私、子供って産んだこと無いんですよね」
話題転換というつもりでもないが、そう言ってたはー、と恥ずかしそうに頭を掻く美鈴に、目から鱗だと言わんばかりにパチュリーは驚き、「あぁ」と感心の声を上げた。なるほど確かに、性交ばかりに気を取られていたが、出産の経験も含めるべきか。新たな観点の登場にパチュリーはいっそ興奮さえしていたかもしれない。
しかしレミリアは手を横に振って流れを否定する。
「だったら私だって子供を産んだことはないよ。出産なんて大変なことやらなくても吸血鬼は不死だったし、眷属を増やすだけだから」
「吸血鬼に限らず、多くの化物にとっては出産なんて面倒なだけだものね。でも、そう考えると咲夜に教えるには、私たちは適格ではないと言えてしまうわ」
「そもそも私たちでは咲夜さんに赤ちゃんを授けてあげることも難しいですよね。あ、いやパチュリー様の魔法でどうにかなったりします?」
「ホムンクルスとかならあるけど……妊娠や出産となると、また別の方法かしら」
「いやいや、とりあえず男女の違いを教えてやって、子供は本当に好きな奴が出来たらでいいんじゃないか? 何も私たちが咲夜を孕ませなくてもいいだろう」
「あー、確かにそうですね」
「でも本人は産みたがってるかも知れないわよ?」
「それこそ本人に確認すればいいじゃない。今決めなくちゃいけないのは、その確認も含めて誰がやるかでしょう」
吸血鬼の言葉が締めとなって、その会話が終わる。全員が一度黙り、お互いを見遣り、そしてその問題の焦点について苦悶した。
本を使う。
言葉で伝える。
映像を見せる……。
方法は思いつけども、それを教えるとなると恥ずかしく、いまいち乗る気にはなれない。
再び迷いの袋小路に踏み込みそうになる。レミリアは、今度はそれを打破すべく、手を組んで膝に置き、歴戦の怪異としての空気を纏い他二人を睨め付けた。
「よし、こうなったら最後の手段を使うぞ」
最後の手段――そんな物があったのかと、美鈴とパチュリーは目を丸くして驚く。これまでレミリア・スカーレットには、その破天荒で型破りな性格からさんざん驚かされてきた二人であるが、まだ隠している手があるとは。しかし感動しつつも、どこか一抹の不安が残るのは、彼女の性格を知るからこそだったかもしれない。
レミリア・スカーレットは組織の長としての貫禄、威厳を発揮しながら、厳しい目つきでそれをゆっくりと紅美鈴に向けた。
「紅魔館の主として告げる。美鈴、やれ」
他人任せだった。
4
紅美鈴が紅魔館に加入したのは、何よりもレミリア・スカーレット自らの勧誘があったからだった。二人の出会いは語るには劇的ではなかったかもしれないが、美鈴はそれを運命の転機として捉え、以後レミリアにつき従っている。レミリアの命令であれば、それがどんなものでもやるという意気込みも密かに抱いている。
だが今回の命令は、さすがにその忠義も揺らぎかけた。
「横暴! 職権濫用! 圧政反対!」
「ガタガタ抜かすな! 妹に手を出して追い出されないだけマシだと思え! それに、元々咲夜に色々と教えたのはお前だろう。だったらちゃんとその責任を取りな」
「そんなぁ……」
救いの手を求めてパチュリーへと視線を送るが、自身に被害が及ばないと分かった魔女は安堵しつつも諦めろという目で美鈴に答えてくる。見捨てられた美鈴は涙目になりながらも最後の抵抗を試みた。
「咲夜さんだってお嬢様の方がいいと思います! 咲夜さんの主はお嬢様なんだから、その全てはお嬢様の物だと思うんですけど!」
「だったらそれを確かめてきなさい! それでもし咲夜が私を選ぶなら私だってそれを受け入れてやるわよ!」
「なんですかそれ! 私は捨て石って事ですか!?」
「そうよ!」
「酷いっ!」
「お前だって私の物だろう! だったら私のために働きな!」
今更ながら、人の性事情やら所有権やらを本人のいない所でどうこうするというのは、例え親や親代わりだとしても如何なものだろう――安全地帯にいるパチュリー・ノーレッジはそんな倫理観をぼんやり考えていた。
「万が一私が咲夜さんとすることになったらどうするですか!」
「構わん!」
「絶対後で怒るでしょ!」
「怒らん!」
「赤ちゃん出来たらどうするんですか!」
「館総出で祝ってやる!」
「う、ぐ……!」
もうそこまで言われたら、美鈴は何も言えなくなってしまった。頑丈に固められた決意を感じて、言葉が意味を成さないことを悟ってしまったのだ。声が詰まり、半泣きになりながら、美鈴は逃げるようにドアへと走った。
「こうなったら咲夜さんと結婚して寿退社してやるぅ! お嬢様のアホー!」
美鈴のそんな負け惜しみじみた叫び声に、レミリアは「退社は認めん! 休暇なら出す!」と答えるのだった。
そんなやりとりが一〇分ほど前のこと。現在美鈴は紅魔館の廊下を歩きながら十六夜咲夜を探していた。
もう時刻は夕方になっている。この時期、この時間の日没は早く、すでに夜の薄暗い気配が外を漂っていた。この時間であれば、本来なら主レミリアを起こしにいったりその食事を決めているころだろう。幸いレミリアは既に起床しているのでキッチンにいるのが濃厚だと思われる。
そんなわけで美鈴は一路、紅魔館のキッチンへ向かう。
「はぁ……なんでこんなことに……」
しかしその足取りは決して軽やかな物ではない。まるで荷車を引く馬、はたまた砂漠を横断する商人の駱駝か。とにかく肩を落としながら歩くその姿は決して景気が良いようには見えなかっただろう。
そんな彼女の後ろを、ひっそりと小さな蜘蛛が追っている。黒い、まるで影の闇をそのまま蜘蛛の形に象ったような、非常に小さな蜘蛛だった。赤い八つの目が、少し離れた廊下の天井から美鈴をじーっと眺めている。
その眼は先ほど美鈴たちが密会していた部屋に繋がっている。ローテーブルに置かれた水晶のドクロ、その後頭部に蜘蛛の見る世界が映っている。それを操るのはパチュリー・ノーレッジ。つまりその蜘蛛とは魔女が走らせた使い魔だった。
「それにしても意外だったわ」
「何が?」
「レミィが咲夜から手を引くとはね。もっと奪い合う展開を期待してたんだけど」
「まったくいい性格してるな……でも、美鈴の性格からしてそんな展開にはならないでしょ。それに、私のペット同士が何をしようが気にしないよ。私は自分の所有物に優先順位をつけたりしない。私の物は全て平等に私の物だからね」
「尊大というか、大雑把というか……まぁなんにしても貴女らしいわね」
「パチェだって私の物よ? 誰にも渡さないんだから」
「その割に長らく放置されてる気がする」
「じゃあ今夜あたりにでもやろうか?」
「気が向いたらね」
そんな一方で、美鈴は窓ふきをしている十六夜咲夜と遭遇した。ついに時が来てしまったのだ。
「あ、咲夜さん……」
「あら美鈴、休憩時間? この時間に屋内にいるなんて珍しいわね」
咲夜を見つけた時の美鈴の表情は、何とも表現しにくいものだった。いつも抱く嬉しさの上に、困惑、恥じ、そして苦い感情を薄く這わせたような物。すぐに咲夜もその違和感に気付く。
「どうしたの? 何か悩み事?」
「悩み事、というか……」
蜘蛛の目の向こう側で、レミリアとパチュリーはじっくりとその展開を見守っている。そんな事を出来る立場ではないが、二人は彼女を内心応援していた。それはこの事態を解決してくれるであろうというよこしまな期待と、純粋に二人の行く末を案じる親、はたまた乙女心から来るものだった。
頬を掻いて、美鈴は悩んでしまう。どう切り出したものか。
これまで生きてきて、美鈴は結婚も告白もしたことはない。する必要のない種族だった。
だから、彼女はかなり緊張していた。唇が渇いてきて、それを噛むように舐める。
「ふふ、なんか珍しいわね。緊張してるの?」
こういう物は伝わると恥ずかしいもので、さらに身が強張ってしまう。
だがそれ以上に、美鈴は咲夜の浮かべた微笑に見惚れてしまった。愛らしい仕草と端整な容貌が、ゆるやかに破顔していく光景は、美鈴の心臓を高鳴らせた。彼女と接してきて、ここまで〝くる〟のは初めてかもしれない。
幾分か紅潮させた顔を引き締めて、美鈴は決意を固める。その決意を視線で表すように、咲夜の目を見た。
「な、何よ、本当にどうかしちゃったの?」
「咲夜さん。いきなりこんな場所で、不躾ながらこんな事を言う私のことを許して下さい」
困惑する咲夜の肩を、美鈴はゆっくりと掴んだ。力を入れ過ぎず、触り、包み込むように。逃げさせないように、また、自分が逃げないように。
見ていた吸血鬼と魔女も顔を寄せ合い、ぐっと拳を握ってその場面を食い入るように見詰めている。
「咲夜さん」
「う、うん……」
行け! そこだ! 言え! 吸血鬼と魔女は内心で同じように叫ぶ。
美鈴は、固く堅く固めた意志を、全力で投げつけるようなつもりで、その言葉を咲夜へと言い放つ。
「私に咲夜さんの赤ちゃん産ませてください!」
前かがみで自分が自分がとその光景を食い入るように見ていた魔女と吸血鬼が、盛大にバランスを崩してともに床へと転倒した。
5
「……………………は?」
一瞬時が止まったのかと思った。能力は使ってないのに。そんなことを咲夜は思った。
「あ、やっぱりいきなりでしたよね……まずは結婚式とか婚約とかしないとまずいですかね……」
美鈴は赤面しながらもあわあわと頓珍漢なことを言い続けるので、咲夜は「落ち着きなさい」と手で彼女の額を叩いた。
「そもそも急に何? なんで貴女が妊娠する話になってるの? どういう流れ?」
「えっと、実は……」
美鈴は咲夜に事の経緯を話した。咲夜が子供の作り方、男女の営みについて聞いたこと。それを三人で話し合った結果、美鈴がそのなんたるかを教えることになったこと。そして現在に繋がる、と。
「だからって何で貴女が子供を産むのよ」
「恥ずかしい話なのですが、私ここ何百年で妊娠も出産もしたことがないんですよ。で、どうせだったら始めては咲夜さんがいいなぁと思いまして」
恥ずかしそうに染まる頬を手で隠し、いやんいやんと身体をくねらせる美鈴に咲夜は呆れ返ってしまう。
「あのねぇ、そもそも私たちは女同士なんだけど」
「方法は探します。とりあえずは宣言しておこうかと」
「だったら貴女が男になって私を孕ませた方が早いんじゃないの?」
「ダメですよ! いいですか咲夜さん、本当に子供というのはやればできちゃうものなんですよ!? 産むのだって大変なんですよ!?」
「作ったことあるの?」
「ありません……」
「説得力の欠片もないじゃない」
「で、でもでも、妊娠なんてしたら咲夜さんの業務に支障が出ますし……あ、もしかして私じゃダメとか……?」
一転していじらしそうに指を突き合わせる美鈴。今日はいつになくころころと表情が変わる。このままでは埒が明かないだろう。はぁ、と咲夜が溜息を吐いて会話を一つ区切った。
「そもそも子供を作るつもりも、誰かに作らせる気もないわよ。全く」
「えぇ!? ならなんでパチュリー様に赤ちゃんの作り方なんて聞いたんですか!?」
「あぁ、あれはね……」
咲夜はまた溜息を吐いた。
「あれは冗談だったのよ」
…………。
予想外の言葉に、美鈴を始め、レミリアとパチュリーたちも面食らう。
「……え?」
「だから冗談。パチュリー様がどんな反応するか気になったから。さすがに男と女がどんなことをするかなんて知ってるわよ。私を何歳だと思ってるの」
「え、えぇ……」
そんな答えは想像できるはずもなかった。美鈴たち三人は同じ困惑を共有する。
「でも、パチュリー様は意外と慌てふためかなかったわ。やっぱり一〇〇年を生きるとなるとそういうご経験も豊富なのかしらね?」
レミリアはパチュリーを見る。パチュリーは上唇と下唇を噛んで口を噤み、じとじととした泥のような目で咲夜を睨み、レミリアとはついぞ視線を合わせようとはしなかった。
「で、でも、いきなりどうしたんですか? どうして下ネ……というかそういうお下品な路線に? しかもパチュリー様に……」
「いや、私って普段、こう澄ましているというか、堅苦しい感じがあるんじゃないかと思って。それで、パチュリー様とも全然打ち解けてなかったから、じゃあちょっと変えてみようかなって。こんな私がいきなり性についての話題を振ったら、面白いかなーって」
「「「おもしろくない!」」」
三人の声が揃う。十六夜咲夜という敵は思いの外強く、また曲者であったのだ。
「ちなみに妊娠願望とかって、あるんですか……?」
「んー、そりゃ少しはあるけど、そもそも相手がねぇ。この生活だとほいほい男も作れないし」
「だ、ダメですよ! さきに婚姻を済ませてからじゃないと! 世間体や、私たちにも心の準備が!」
「えー。じゃあもう貴女がしてくれればいいじゃない。慣れてるんでしょ? 男役」
「そんな軽いノリで決めないでください!」
「今夜あたりどう?」
「なんでそんなにノリノリなんですか!」
もちろんこれで紅魔館のメンバーが追加されるような事はなかったが、十六夜咲夜の下品路線もレミリアの喝によって廃止される事になったのだった。
おわり
でも面白かったです。
紅魔館って自動的に貧乏くじを引く役目があらかじめ決まってるパターンが多いので、皆が全力で他人に貧乏くじを押し付けようと口論に発展するのは新鮮でした
アンタって人はwww
……で、紅魔館の大乱交はどこに(殴
とても面白い作品に仕上がっていました
が、あとがきが長いです
伝えたいことはあるかもですが、簡潔にまとめましょう
赤面しました。
紅魔館のみんなに愛されている咲夜さんも素敵だと思います。