Coolier - 新生・東方創想話

秘封倶楽部活動記『やっぱ秘境とか行ってみたい』編

2016/12/21 00:10:55
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「屋久島……」

 蓮子は引き攣ったような笑みを浮かべている。それを見たメリーの表情は少し苦くなる。蓮子は腰が引けている。やるとか、そういう以前に、自分から不適当と思っている。

「怒られるよ?」

 だから蓮子が最も気にするだろう言葉を口にした。蓮子の体はぴくりと震える。

「それをどうかするのが秘封倶楽部……」
「あそこ逃げられないじゃない。医者だってない。やめるべきだよ」

 まったく自分の言葉の通りだとメリーは思う。なにせこの活動、器具も何も使わないその身一つの体当たりなのだ。原則はそうだ。だから、せめて医療技術の確保はしたい。無謀にみえはしても、そこは譲れないのだ。
 でも引かない。蓮子は不適当に思いながらも妙に意固地だ。なぜだと追求すると、お告げだという。お告げを夢に得ることがあったのだと。

「屋久島の、奥深くで、なんか居たんだよ。そんで指さすんだよ。どこだか分からないもんで聞いたんだよ。そうしたら地図で、この辺だって」

 蓮子が夢で何か視るのは珍しい。大概私だけの専売特許だと思っていたのに。地図で指した地点は妙に詳細だった。一度隠して、もう一度場所を指させても同じだった。
 こういう時、普通はどうするんだろう。偶然や、妄想だとして終わらせるんだろうか。事二人においてそれは当てはまらない。実例はその身にあるのだから、捨て置くことは出来はしない。
 行くのか、と思った。屋久島は聖域だ。こちらの人文に晒された変化物ではなく、古来の、原始的な異境だ。正直近付きたくない。活動を通じその眼も視えているものも異様の確信を強くしているのは皮肉だった。
 しかし、行かなければ始まらないし行かなければ終わらないのだ。蓮子に用意をすべて任せてメリーは眠りについた。
 翌週、海運に身を任せる形で二人は船の上に居た。水上輸送に関する定期船は思いの外出ていて、時間を気にしなければ大阪の港からゆっくり中継地の鹿児島港まで行ける。そこからが問題で。

「はいはい、申し込みの書類に記入。もうやってきました。はい。五番で待ってる。はい」

 根本的に現在、あの島とこちらの通交はない。少ない島民のための輸送便が通っていた以外はせいぜい学術調査の集団らが小舟を借りて渡る程度だ。その島民も今はいない。今回蓮子は近々行われる観光ツアーに一般客として潜り込んだ。一般人が渡るとすればおよそそれくらいだ。戸籍情報を提出して、その点なかなか恐れ知らずである。
 見るものが見ればこの名前が聖域と呼ばれる場所に行くことはまさしく警戒事由に値するだろう。この小さな旅行会社に官憲への提出義務がないとは限らない。

「時間厳守、単独行動厳禁!」

 揺れる船の中、他五組の参加者の前でツアーガイドがそう言ってのけたとき、思わず隣の蓮子を見てしまった。一応全て回る事にはなっているが、そんな条件で果たして活動を全うできるのか。
 蓮子はただ驚いていた。口を半開きまったく想定していなかった風で。メリーは嘆息した。
 屋久島は、岩塊である。鹿児島の南にどかりと置いてある。風雨厳しく栄養細く。その環境がよい木を育てる、のだという。現に過去は伐採場があった。今はもう。ただの島だ。
 いずれ見えてくる。水平線の中に緑色をした陸地が。波に揺られながらメリーは努めてそれを視界から外そうとしている。

「メリーLv3には辛いか」

 近寄ってきた蓮子が背中をたたいた。叩くってどうなのだと思いつつ、しかし船酔いでもないので何も言えない。

「何そのレベルって」
「成長具合。低い方が多分辛くない」

 蓮子のその指摘はおそらく正解だろう。この島を薄ぼんやりと包む結界でもない何がしかは奥に行くほど存在を濃くする。神域と呼ばれる所以か、異界の顕現であるか。それを感じ取り、かつ中てられる。蓮子は、ピンピンしている。

「これをどうぞ」
「……?」

 ぐったりとしているメリーに手渡される、何やら折りたたまれて袋に入った用具一式。見ると、周りの人はみなさっさかその器具を装着している。まだ船中だというのに、その様相は物々しい。

「屋久島、険しいって言ったでしょ?」

 装備を整えた蓮子がこともなげに言う。おろおろしていたメリーは愕然とした。旅程を全て蓮子に任せたのがあだになった。そんなに険しいのか、ここ。
 身に着けたものは靴から帽子から手袋まで全身覆うものだった。些か重い。だが、秘封倶楽部は脚を使ってなんぼの活動である。割と動ける。動けるのがつらい。正味ぐったりしていたい。
 元観光地だし、舗装された道が大半だよと蓮子は言う。だが、この島が観光地だったのはずっと昔の事だ。果たしてそんな道々が使用に耐えうるのか。存在するのかと聞くと、

「到底無理です。だからお年寄りの参加はお断りさせていただいてるんですよー」

 間延びした様子でガイドの言葉が入った。
 港が近づき船は着岸する。ぞろぞろと人が降り立つ。荷物はツアーで宿へ運んでくれるらしい。時間が惜しいとばかりガイドの先導の元集団は歩き始めた。がっしょがっしょ、重そうな足取りで。
 よく見ると地面は寂れていて修繕された跡がない。港があり住民も住んでいたであろう筈なのに道建物に至るまで驚くほど乱雑で、それはまさしく野晒しと形容すべき事のように思えた。
 廃墟と化した村落群。日本の他の地域と同じように建物だけは残っている。たとい風雨の荒々しいこの島でも、いまだ往時の様相を図れるほどに。
 眺めてる間にも集団は先へ行こうとしている。視線の先、島の内陸。眼を閉じ、噛み締めるよう慣らしたあと、無理やりメリーもそれに続いた。
 ボロボロの路面を抜けるとすぐそれにも増してボロけた山道が出る。それは、階段だったのか? それは、平らな道を組んでいたのか? 木製の舗装路は腐り果て用を成さないどころか害ですらある。なるほど、これは老人では無理だ。かなり動き慣れていなければ若くても難しいだろう。
 ただ、それにしても。苔むした岩場、自然臭い空気、やたら巨大な木と木と木。相応の各地を転々としてきたがこの非人界感は特筆すべきものがある。

「これは単純に来た甲斐があって良いと思う。……蓮子?」

 蓮子は昼間だというのに上を見ながら歩いている。そして手元の地図をしきりに見比べている。

「も、もっと観光しないの?」
「見れるところなんてそんな通らないし。それより活動活動」

 言って作業を続ける。確かに活動はあるが、だからって屋久島で見る場所がないはないだろう。家の近くにこんな場所あるか。

「あ、じゃあ、屋久杉。縄文杉とかは?」
「保護のため無理でーす」

 ガイドの即座の反応。蓮子は知っていたらしく「そういうことだよ」という顔をしてこっちを見ている。
 どうやら本当に活動オンリーの目的で来たらしい。別に普段だってないがしろにしているわけではないが遠出した時はついでに観光を済ませていくのが常だ。ここまで異界異界した場所を探索するのだから不必要と言えばそうでもあるが、端から予定に組み込んでないのは意外でもあった。

 宿に戻るころには日が暮れている。日が暮れるから宿に戻ったのだともいえる。急峻な山中は闇の中に動くことを想定されていない。
 尤もこの二人はそちらをこそ想定しているのだが。息を潜めるように、密談めいた話を二人はあてがわれた室内でしている。

「取り敢えず、道は覚えた。行こうと思えば近いところには行けると思う」

 延々調査と参照を繰り返していた蓮子は近い部分だけならある程度の把握は出来たようだ。地図はと聞くと簡便なそれとメモが示される。
 島北東端の宿と目的地。舗装された国道跡を途中使うことも加味して、おおよそ二時間と地図は示している。

「夜明けまでには帰れるかな。早い内に行っちゃおう。なんか最近夜の方が調子良いとさえ思うよ」

 消灯時間は夜九時。実際歩いてみるとわかるが、一日中歩いてそのうえ家まで帰るのはあまりに辛い。早くも感じる一斉消灯は参加者への配慮だった。それから十分ほど経って、静かに扉があけられる。音をたてないように、ゆっくりと開いて、するりと影が飛び出した。そのまま他の人間に見つからないようにそそくさと階段を下りていく。エントランスは明かりがついている。いったん潜み、誰もいないことを確認して外へ向かうと、

「あら、どちらへ?」

 玄関の境で、昼間のガイドがその笑顔そのままに夜闇で佇んでいた。げ、と蓮子の喉から漏れる。

「お、お手洗いでもないかなーと……」
「お手洗いは屋内に御座いますー」

 ですよね。説明は最初に受けている。
 二人は立ち止まらざるを得なかった。油断ならない目。この類の人間を秘封倶楽部は知っている。それは決して二人を外には出したがらないことも。厄介だ。ガイドは立ち去らない。二人の行こうとする先を知っているかのように。

「一つ、こんなお話があります」

 どうするべきかと二人顔を見合わせ、ひとまず退散しようとするところをガイドに呼び止められた。

「実はこのツアー、今年で最後なんです。理由は部外秘なんですけれど、どうも人が、消えているようだと」
「消えっ……」
「ようだ?」

 絶句するメリーを尻目に蓮子が食い付いた。

「分からないのですね。島を出るときには居る。点呼も取っている。でも、港について、見送ってみると、どうも少ない気がする。七組居た人達は六組しか居ない。六組の人は五組。五組以下などもはやおそろしくて確認すら出来ません」

 脅かすための方便。そうに決まっている。もし本当だとしたら、大分危ない。

「でも良いのです。お客様方が消えても、居なくなろうとも、もう我々には。代金も拝領しております。どうぞ、行くのなら――」

 ガイドが半身を開け入り口から退いた。

「ご自由に」

 営業スマイルは張り付いている。
 ごくりと、生唾を飲み込む音が響いた。入り口の向こうには屋内など比べものにならない暗い地面が覗いている。
 逡巡が走る。普遍のオカルト好きとは一線を画す、身を切る恐怖が二人を覆う。そんな物事があったとして、自分たちはきっと隣に立って、肩だって組める近さにいる。その自負がある。組もうとした肩はカギ爪で、引き裂かれかけた。むしろ引き裂かれた。メリーにはその経験もある。
 だからそれが脅かすための嘘話だったとして、そこに何の証拠も示されなかったとして。二人は無視するわけにはいかない。あの、蓮子が見た夢の中身はこの話に関係するものなのだろうか。
 だけど逡巡して、逡巡してやめようと言う輩ではないのだ、この蓮子は。メリーは既にちょっと気が引けている。ぐっすり寝てお土産買って帰るでも悪くない。それも活動だ。
 だが蓮子は、自明ではあるのだが、この秘封倶楽部を作り引き回している奴で、そんなのが常識安全策に流れるわけがない。蓮子が踏み出した。ずっかずっかと外に向けて歩き出した。メリーもつられた。後ろでガイドが見送っている。前方の山道は、闇だ。
 万全の装備は事前購入で出来ている。懐中電灯は明暗差が激しすぎる。簡易暗視ゴーグルを装着し昼間の感覚と蓮子の眼を頼りに歩を進む。
 蓮子は、視え方に違いがあるのだろう、ゴーグルを着けたり外したりしながら空と地面をにらんでいる。そのくせ足取りは乱れない。地図要らず。
 メリーの眼はといえば、昼と同じ静かな山を映し出している。途中、この辺りだと言って蓮子が道ですらない斜面へそれた。ここからいよいよ本格的に山中だ。メリーも気合を入れなおし崖じみた斜面に足をかけ登る。

「ここだ」

 軽めのルートを選びながら懸命に登っていくうち、不意に蓮子がそう呟いた。

「暗いけど分かる。全く同じだ。ここが夢に見た場所だ」

 そこは、お世辞にも開けたとは言えない場所。端的に言って特別さが無い。樹の間隔は変わらず微妙な密集具合を示しているし地面の具合だって変わり映えしない。
 何より、眼が反応しない。この、自慢ではないが自慢の、活動の要点たるマエリベリー・ハーンの眼が、反応しない。この空間は他のどの地点とも変わらないもので出来ていると教えてくれる。
 蓮子は立ち位置を確認するように動く。夢の中での立ち位置だ。メリーはその間注意深く周囲を睥睨していた。

「指さしてたのは何処だろう。こっちかな」
「蓮子、あんまり動くと危ない」

 いよいよもって夢の信憑性が出てしまったのなら、この場所だって何がトリガーになるか知れない。以前墓石を回して引き金になった。同じ場所に立つ、同じ時刻になる。どう引き金が引かれてもおかしくはない。

「あ、そうか。私が夢に見てるんだから上視れば良いんじゃないの。月とか星とか……」

 上を向いた蓮子が、そのまま小さな悲鳴を上げた。何事か、慌ててメリーもそちらを見る。空と木々の間、叫び声の原因はすぐに分かった。メリーの眼に夜空は見えない。代わりに苔むした、壁のような結界が、全天を覆いつくしている。蓮子には何が視えていたのだろう。少なくともこれは、正常ではない。
 メリー、メリーと蓮子が呼んでいる。不味いことになったと思った。これは結界だ。気付かない内に、すでに張られていた。出口はあるのだろうか。流動性のものでないのは上を視れば分かる。危惧。あまりに堅固な結界はメリーの能力を弾き返す。

「メリー、閉じ込められた?」
「多分ね。眼はどう?」
「空は見えてる。けど何も視えない」

 時も、座標も、何もかも。あれは偽物だと蓮子は付け足した。
 そうだ、そうなのだろう。メリーにとっては箱の中にいる気分だ。全く気付かなかった。蓮子は別途幻影を見ている。あくまで覆われているだけ。籠のように、檻のように。だがそれだけでは終わらない。この類の罠が、ただ遮断するだけで終わるはずがない。
 周囲を見るに完全に別の場所でないのは不幸中の幸いだ。苔むした足場、下を見る限りは何ら行きと変わりのない空間。
 蓮子の空気が緊張する。

「方向が、分からん」
「GPSとか、磁石は?」
「無理だね。電磁波遮断されてるんじゃないの」

 なるほど光を遮断すれば本来の空は見えないだろう。偽の空を映しているのは結果が先か理由が先か。

「来た道、は……」
「分かるわけないやね。パン屑でも撒いておけばよかった」

 蓮子の眼は、普段使いでも時間はともかく位置は月の視えない場所では役立たない。地形の悪い時や昼の間用にGPSがあったのだが先んじて潰された。

「月や夜空の位置は?」
「同じ、はずだけどね……。取り敢えず今この状態での位置は同じ。だから帰りの向きもわかる。問題なのはその後よ。二時間歩くからね」

 人は、おのれの方向、進んだ距離を把握できない。歩けば歩くだけ当初の予定とは違う場所へ向かっていく。そういう風になっている。そのためのしるべの一つが空だった。いま空は、偽の何かで隠れている。
 遭難。あまり動くべきではないとも聞く。早急な行動こそが尊ばれるとも聞いたことがある。二人が帰らなければ一大事、というより、最悪警察沙汰だ。その点で言えば無理をしても帰路に就いた方がいいのかもしれない。
 いや、そもそもそう悠長にしてて良いのか。これは結界だ。これはおそらく罠だ。こんな中に留まる、それこそ悪手ではないのか。ふとよぎる、悪いもの。今の状況と、紐付けられるように聞いた話を思い出す。出発の後に消える人間の話を。実は既にあの宿には二人の偽物が戻っていて、出港をトリガーに消える羽目になるのでは?
 不味い、不味い。本当にそうなら目も当てられない。蓮子を急かし、おおよその見当を付け二人は歩きだした。二人も活動は長いがここまで露骨なものに引っかかることはない。早急に脱出せねば。暗い足場を最大限に進む。

「蓮子、止まって!」

 前方に空間異常。咄嗟に制止をかける。蓮子はびくりとしながら即座に止まってくれる。流石に信用はあるらしい。前に出て、よく視ると、天井から、木々の間を縫うよう一直線に筋が下りてきている。
 なんとも珍妙、かつ不可思議。反応を探ると前方いくらかの場所にもおぼろげではあるが視ることができた。

「どうしたの?」
「なんかある。そこ、迂回して。そう、そこで待ってて。ついでにちょっと調べてみる」

 流れそのものには問題はない。天井に張り付いている、以外目立った特徴はないようだった。逆に絶妙に視界の端に映り続ける天井をじっくり観察する羽目になったのは微妙な気分だ。ふと、地面側に眼をやる。この垂れ下がったなにかは地面にまで伸びている。だが、よく視ると、地面そのものには接しないようだ。ほんの数ミリだが、隙間を感じられる。
 むしろ、むしろ、この糸筋は島に密集する木の枝にも、葉っぱにも、触れてないように見えた。どこも当たらないところだけを探して、しっかり真っすぐ伸びている。

「それ、奇妙だ」

 聞いて蓮子は考え込む。

「だいぶ人為を感じるな。思うにこの結界、島に影響を与えないようになってる。あくまで標的は人間だから、不用意であればそれで済むんだ」
「でも、ここ野生のシカいるよ」
「だよねー。除外できてんのかな。触れる以外にトリガーあるかも」

 もう一度よく視てみる。整流だ。ゆらりと縦長の循環をしている。ようく視てみる。存在淡く風も通り抜けていきそうだ。

「こんなのでどうやって捕まえようっていうのよ」
「鳴子じゃないの。触れれば場所が割れる」

 蓮子は見えない結界に適当に目をやりながら続ける。

「島の保全が目的なら追跡者は居ないだろうし妙な薬でもなし。単純に捕縛だろうけど、じゃあどうやるんだって話」
「網」
「そのあたりかもしれない。物理が過ぎるかもだけど。引っかかったら上から降ってくんのかね。逆に私は――」

 私は、何だ。不意に言葉が消えた蓮子に、どうしたと思い見てみると、蓮子は上を向いていた。偽物の空。メリーは何も見えない。天井の向こう、蓮子は注視を続ける。

「ははーっ、なんか飛んでるよ」

 引き攣り笑いを浮かべながら上空を見ている。視線はゆっくり移動し、対象の様相をメリーに想起させる。
 距離と、大きさ。地上から見える何かは飛空艇のように悠然と飛んでいるように思える。蓮子は恐れはしないのか。

「ね、ねえ、蓮子」
「メリーと一緒でよかった」

 怯えたように、しかし強い声音で蓮子は言った。

「すごいんだ。でっかくって黒くって、ひん曲がってるようなのが、周囲を睥睨しながら飛んでる。あれに捕まったら、まずどうしようもなさそうなの。正味な話めっちゃ怖い」
「ええっ、そんなの、逃げようよ、早く」
「メリーっ、見えないからって不安にならないでよ。むしろ視えてるのはそっちでしょ? メリーに何の兆しもないなら幻覚。追い立てるための脅かし。でも、普通の人はあれに怯える、怯える……」

 周囲を見回す。

「もう一段、あるな。本当にいなくなる人がいたのならスカベンジャーが居るはず。あまり手荒な真似じゃないと思うけど」
「蓮子、嫌な事思いついちゃったんだけど」
「なによ」
「ここって神域だよね。捧げる肥料とかそういう……のじゃ……」

 引き笑いが絶句に変わる。

「ばっ、そういうやつは人間が勝手に決めた習わしで――」
「でもこんな手の込んだ結界作るのなんて人間でしょ!? だったら関係ないじゃない!」
「そりゃ……いや、待って。メリー、これ人為確定なの? 意図とかその程度の意味だったんだけど。人外存在とかそういうのはないの」
「……なんというか、自然で出来るモノじゃないのは確定で、あとはこう、罠の作り方が人間臭いんだよね。それも、結構最近。ルーツが近い。千年とか、何百年とはいかない。相手はマニアとしては上かもしれないけど、太古の技術とか出てくるよりマシだよね」
「おっ冷静になってきた」
「そりゃあ、そうなるわよ。蓮子はさっきっからセンセーショナルな感じかもだけど、私なんて夜の森林以外何でもないんだから」

 それも、天井のある森林。世にも珍しい森林である。

「歩こう」

 メリーが言った。まず、国道に出よう。一応人が住んでいた頃の名残で、山中で一筋、島の外周は取り囲むようにして国道が通っている。その過程で壁があればよし、なかったとしてあの辺りに出れば取り敢えず動きもあるだろう。
 妖しい筋をメリーの先導でよけつつなるべく通りやすい場所を進んでいくと、行きほどではないが割と早く国道が見えてくる。歩きながら、思う。これは罠としては簡単すぎると。妖しい筋は無数だが、それだけだ。密集してはないし、誘導される地形すらなかった。蓮子は時々びくりとしていたが、メリーには関係ない。
 思うにこの結界は、メリーのように干渉できる人間を想定していない。一般の、鴨を捕らえるためだけ、それのみに特化している。

「あっ視えた」

 蓮子が呟いた。

「結界は消えてない、けどここから範囲外になってる。出られたみたい」

 メリーもほぼ同時に言った。横に壁はない。国道へ入る段階で天井は途切れている。きっとそこを境にして蓮子には本物の夜空が視えているのだろう。

「ここまで来ればもう安泰だ。見ろや、抜け出てやったぞ」

 そういって山中に片手をぶんぶん振り上げている。
 そんな蓮子を横に、メリーも荒れる舗装道跡になるべく小ぎれいな所を探し、ほこりを払って座り込んだ。視界の少し上には天井が映る。まるで特殊格納庫のように高くかつ脈絡のない天井。支える壁も柱もなしにただ浮いているようにも思える。
 一通り暴れて気が済んだのだろう。そのうち蓮子も歩いてきてどっかと座り込んだ。

「こいつを用意した犯人」

 そして、おもむろに語りかけた。

「犯人」
「人で、多分環境保護が目的。オカルトに詳しい、あるいは協力者」

 メリーはどう思う。そこに、確たる返答は用意されていない。気になる所ではあるし今までの情報で推察は出来る。ただ、いざ犯人とカテゴライズすると、どうにもピンと浮かんでこなかった。
 蓮子は自分で言いながら勝手に考え唸っている。

「取り敢えず、人が、こいつを作り上げたとして」
「ふん」
「まず前提として、この島に来れた人?」
「遠隔操作の可能性だってあるよ。大前提として、これ巻き込むタイプで、大きい結界だから、現出したら騒ぎになるはず。かなり大きい、記録にも残る規模の。それがない以上設置されたのは島民が居なくなってから。つまりルーツも最近」

 どうだ、中々うまいこと言うだろう。にやりとした表情をメリーが向ける。蓮子も負けじと頭を抱える。唸り声をあげて、しばらくして、顔を上げた。

「学者陣かな。保護して得すると言えばそっち。丁度島の人口にも関係しない。観光事業は除外されて良いんじゃない。被害だって出たわけだし」
「採算悪いのかもしれない。口実作りだってあり得るよ。それだって結界を張るのはやりすぎだとしても、なら個人で張ったってのも考えられる。除外確定は早いよ」
「メリーはルーツが近いって言ったけれど」
「うん」
「退去の時に張られたってのはない? 百や千に比べればウン十なんか大分少ない方でしょ」

 否定できない。メリーは無意識的に五年とか十年とか、自分の生まれてからの、手の届きそうな範囲を想定していたけれど、放棄された年代を考えればそれ以前の方がずっと多いのだ。そうすると現状主犯者探しも立ち消えになってしまう。何十年も前の人間をどうして探せよう。未だ生きているとも知れないのに。

「でも管理人不在は良いことかも」

 蓮子が悪戯めいて笑みを浮かべる。出た、とメリーは思った。これは蓮子の悪癖だ。この表情は直感で行動するときの表情。秘封倶楽部の性質、二人の性格を加味すれば、思惑は自然に浮かび上がる。

「奪う気、先人の遺産を」
「私たち、そういう奴でしょ?」

 咎める声はより強い前進の声にかき消された。
 そうして蓮子は、再び今出た森へ身体を向ける。蓮子の瞳には普段と違う、視界下半分をフィルタにかけたような夜空が視える。それをもう既に期待を混じらせて見据えていた。予約済みのショーウインドウを見る子供めいて。

「管理人が居ないとも限らないんだよ」
「そうしたら、倒せばいいじゃない。私たち被害者、いろいろ権利ある。オッケー?」
「たくましいことで……」

~~

 重力式時限装置を設置して蓮子が駆け戻ってくる。メリーのところへ着いたとほぼ同時、装置が崩れ筋を貫通する。兆しはない。

「土くれは無害っと」

 蓮子が手帳に書き記し、唸りだす。

「金属、いや、服。多分身に着けた何かで判別してるはず」

 布、まさか服を破るわけにもいかない。何かないかと荷物を漁ると、手当て用に買ったバンテージが出てきた。これで良い。そしてすぐさま、また蓮子は時限装置を作成しに行った。視えもしない筈なのに器用にやってみせる。メリーは印をつけたが、到底十分には程遠いはずであった。
 蓮子は、何だろう随分積極的に見える。もしや、少し侮っては居ないだろうか。有り体に言ってしまえば、舐めてないだろうか。確かに恐ろしい妖や得も知れぬ遺産よりはマシだろう。しかし、結界を張った能力、その一点だけでこの二人よりは上手なのだ。今も対処の術を得た、そう思い込んでいるのだ。メリーにできるのは操作ではなく干渉だ。今際に頼るには、それは幾分心許ない。
 時限装置が重力に引かれ崩れる。バンテージ、人工布が結界を貫通する。その一瞬、今まで静かだった整流が怒り狂うように色を変えた。透き通るような循環は阻害点から秒と経たず黒ずみを全身に伸ばし、そこから遅れるように赤みを伴い始めた。滲むような赤と黒。そして、壁が出た。

「うわっ……!」

 蓮子が声を上げた。蓮子にも見えている。ふと上を見上げれば、天井は消えていた。

「あれ、なんだ?」

 壁だ、としか、メリーには言いようがない。四方を垂直な、天井と同じ苔に覆われるような石造りの壁がいきなり出現した。それに囲まれて、筋とバンテージ片は姿を消した。

「樹、当たってんじゃん……」

 蓮子が呟いた通り、周囲の樹も地面も草も、何もお構いなしにその壁はそこにある。貫通していたり踏んでいたり。欠片も中を見せない。ただ囲うだけを目的に立っている。
 それらを確かめに行くかどうか、二人は迷っていた。なんとなく接近したくない。いきなり動いたり、どこか一面がぐばあと開いて、大きな目がぎらりと二人を目視する。そんなイメージが二人を躊躇させる。硬く融通の利かなそうに見える石の壁、他の結界が消えた中に二人は遠巻きに見守るしかできない。
 じわりと、円を描くよう、国道を見失わない位置で壁を監視する。動く気配はなく、辺りに異常も視られない。メリーの眼は一つを除いてこの場所を、何にも奇妙のないただの空間と結論付けている。一つ、その壁も、蓮子に見える以上ほとんど物質の様で、表面に流れはない。一般的建造物の壁。
 数歩、接近すると、目ざとく蓮子が何かを見つけた。壁の横に落ちている。白い、何か。さっき落とした、時限装置に使ったバンテージ片。

「何であんなところに……」

 風になびいて落ちてきたのだろうか。あの壁は筋に触れたものを閉じ込める役割だと思っていただけに、幾分間抜けで笑ってしまう。閉じ込めるべきものがそこに落ちているのでは、あの中には何を閉じ込めるというのだ。
 だから、笑っていた。二人で、大声を上げるようにはしたない真似はしないが、それでもくすくす息を洩れる程度には。そして、気付いた。メリーは、蓮子も、あの仕掛けが動き、筋に触れ、この壁が出現するまで。果たしてその余裕があっただろうか。
 あの、バンテージ片は、本当に外へ逃れたのか? 実は前から。いや、違う。二人は聞いてしまっている。この人の消える話、本当はバンテージ片は今も壁の中にあって、この目の前にあるそれは、偽物。複製ではないのか。
 複製が、島の外に出ること。それが最後のトリガーではないのか。そう、感じてしまった。

「……」

 蓮子が後ずさる。メリーも同じ気持ちだ。二人にあの中を確認するすべはない。逸らすよう視線を変え、そして足早に駆け出した。
 まだ複製とは限らない。なのにあの筋は人を複製できるのだろうか。そんな考えばかりが浮かんでいく。あの檻、牢のような壁に閉じ込められた人を思い、想像し、自らもそれに囚われた様が思い浮かび、掻き消し、浮かび。
 この悪意を持った、結界が。人間をむごたらしく消し去るための仕掛けとそれを設置した誰かが、たまらなくいびつに見えて、叫び声をあげていた。叫びながら宿まで駆けた。

「あら、お帰りなさい」

 暗い宿の明るい玄関に、ガイドが二人を出迎える。

「出港は九時です。もうずいぶんと近くなりましたけど、お休みになられますか?」

 息を切らして膝に手を突く二人に、そういって首をかしげる。西の島の夜明けは遠い。だがそれでも、相応夜の白む時間にはなりつつあった。
 蓮子が先に持ち直して、大きく息を吸った。

「私たちが、出かけるの、どうして、許してくれたんですか」
「この島の最後のお客さまですので。もうあとは大学や研究機関のお偉い人たちに限られますから」
「他のツアーも?」
「ええ、終わるはずです」

 メリーが息を整えすっくと背を伸ばした。そしてまだ幾らか、言葉を交わそうとしている蓮子に先がけこう言った。

「ガイドさん、犯人ですか」
「そうですよ」

 何ら気負うところなくそう答える。その姿に、却って蓮子の方がびくりとなる。メリーは突っ込みすぎだ。駆け引きとか、大事だと思う。

「そちらの宇佐見さんも、そう問いたかったのでは?」

 見透かされていた。名前を当てられ再度びくりとする。いや、ツアー参加者の名前だ。知っていておかしくはない。

「秘封倶楽部、ですよね? お噂はかねがね」

 それ以前の問題だった。思った以上に素性がばれてたじろぐ蓮子に、横のメリーが呆れた視線を向ける。

「えっと、私たち、あれ欲しいんですけど」
「どうぞ? 鍵は倉庫に置いてあります。でもあれそのものを持ち帰るのは不可能でしょう。鍵で出来るのはオンオフ切り替えだけですから」

 そして、ついてくるよう二人に促す。その背中、メリーは後を追うが蓮子は二の足を踏んだ。しかし、メリーが先へ行ってしまうので、行かざるを得ない。
 宿の裏手、ほとんど使われてないような業務員室のすぐ隣にプレハブ倉庫が二つある。その内の、鍵のかかっている方を開け、中にある重そうな金庫の横、木でできたガラクタ箱の中からこれも木で出来た鍵型を取り出す。
 それなりに質の良い、堅そうな金庫に目もくれない姿に、一瞬呆気にとられる蓮子へ、二重三重のカムフラージュですと、そう言った。この鍵型、このガラクタのようなこれが鍵そのもの、と。

「ここの、木で出来てる?」

 何か視えるものはあるかと蓮子が目をやる前、メリーはそう呟いた。蓮子ももう一度鍵型を見る。表面のざらつきが年代を感じさせる以外は専門外の蓮子には視るものはない。だが、締りのよさそうな木材ではあった。それが良質を、この島の出身であることを物語っているのだろうか。

「ええ、その通り。この島の名もない木より切り取られ彫りを加えられた鍵型。これを持ってこの島の支配圏へ入るとあの結界は発生します」
「支配圏?」
「神域ですから」

 事も無げにそう言ってのける言葉を、蓮子は聞き流したが、メリーは神妙に聞いている。神域だと言ったその言葉を、メリーは蓮子以上に肌で瞳で感じていた。

「これは、お渡ししましょう」

 メリーに手渡される。木片に等しい質量、それがどこか別種類の重みを備えているような感じがする。

「それでは、お休みになられますか? もう遅い事ですし、出港は九時です」
「いや、あんまり眠くない……」
「言われてみればそうだね。起きてる?」
「うーん」

 それはそれで、生活リズムの乱れを招きそうで嫌だ。二人とも活動は夜が軸であれど学業もあり、もっと言うなら眠いまま講義に出たくない。

「あ、そういえばこの結界の効力って何か知ってます?」

 蓮子が聞く。ある程度の目星は付いているが当事者から話を聞けば確実だ。目の前のガイドは少し沈黙をおいて、

「……あの結界は、あらかじめ設置したポイントに獲物が侵入したとき対象に覆うように発生します。一度発動すると目的を達成するか一昼夜経たなければ消滅しません。結界は――」
「ちょっと、待った」

 蓮子が割って入る。

「随分詳しいですけど、まさか、作った本人だとか?」
「いいえ? これは、受け継いだものです」

 どこから、どう受け継いだのかは言わない。それを聞いても答えそうにない。蓮子の次の句がないことに、視線でもう良いのかと告げ、ガイドは再び話し出す。

「そして、あの結界は対象を感知したのち罠を張って対象を捕らえようとします。捕らえてのち、何らかの方法を通して干渉をするそうですが、詳細は不明。対象が捕らわれると結界が消滅することから、きっと目的はその辺りにあるのでしょうね」
「目的……」
「ええ、目的。私に話せるのはここまでです」

 それは、結界。人為的な結界ならば目的はあるだろう。通常は行き来をふさいだり、転じて防壁に使用されるものだが、今回のそれは違う。随分と底意地の悪い性質。結界の定義を根本から考え直す必要がありそうな複雑な事案。
 メリーの手にある鍵、鍵型、が静かに、作成者を映し出すように感じる。このクソ野郎、偏執狂。

「それでは、私はもう戻ります。その鍵は、ここに完全に委譲されました。……お疲れさまでした」

 そして、ガイドは居なくなる。二人倉庫前に残され、どうすると顔を見合わせる。

「私たちも、戻ろっか?」
「うーん」

 どことなく釈然としない気分で、唸り声をあげる。どちらともなく。気付けば二人して首をひねっている。
 確かにこの島での活動は終わっている。観光了、神域の所以メリーの瞳で感了、夢の中身も謎結界で了……。了?
 いや、結局夢の意味は完全には分からない。だが、結局は似たようなものだろう。夢の場所へ訪れたら仕掛けに取り込まれた。あの夢の時点で蓮子は、蓮子達はおびき出されていたのだ。そう思うと些か腹が立ってくる。

「くっそー、許さん」
「蓮子住所割れてんじゃないの? 目を付けられてたら厄介だ」
「私の夢は私のものだよ。また出たらとりあえず殴り倒す。分が悪ければメリーにも付き合ってもらう」

 夢の中で。なんとも妙な話だが干渉されたなら干渉し返せるのが道理。それにこういったものは気で負けると取り込まれる。定石通り。
 空を見上げればもう四時を過ぎようとしている。もうじき夜明けだ。多分この島で起きている最後の人間である二人は、ようやく睡眠へ誘われようとしている。

「だけど気になる」

 蓮子は独りごちる。どこか違和感が払拭できない。確かに目標は達成しあとは最早家に帰るだけ。であるはずなのに。
 そういえばあのガイド、結局どこまで把握したのだろう。正直怖いので踏み込まなかったが、二人が捕らわれても良いと考える人間だ。悪意だ。ロクなもんじゃない。そんな人間が、素直に鍵だけ渡して終わらせる?
 嘘だろう。だが同時に妄想で他者の心を決め打ちする、その不味さも思う。蓮子は判断の全能者ではない。でも違和感は残り続ける。それを形に出来ず、燻り、夜明けの到来で名実ともに終わらせたところで、ようやく微睡んだ。
 すぐに目覚めの時は来る。用意された朝食をとり、荷物を背負って宿を出て、帰りの船に乗った時。蓮子は鞄の中の鍵型がふいにうごめくのを感じた。
 動いている。能力、織り編まれた呪式の鳴動。感受性の低い蓮子にも容易に受け取れる。島の境界を出たのだろうか。術の入れ替えがなされて、兆しであっただろうか。
 掌中の鍵型が熱を帯び始める。それに中てられて、どこか視界もおぼつかず、白く輝くように薄れゆく景色の中、確かに自身の身体が指先から消失していくのを感じ――

「そーだっ!」

 ガバリと大声を上げる蓮子に、隣のメリーの唸り声が返る。
 時刻は五時前。宿の部屋ベッドの上。蓮子は半身を起こして呆然と室内を見ている。夢だ。今のは夢。そして少し寝すぎた。夜明けまでは時間がない。

「メリー起きろっ! 手遅れになるぞ!」

 掛け布団をばさばさやって強引に相方を起こす。睡眠を邪魔されたメリーはおおむね不機嫌で、今も凄惨な形相を蓮子に向けているが、ただ今一つ相方のよしみで、話を聞く姿勢だけは見せてくれる。そんなメリーに捲くし立てるよう蓮子は話した。

「あの結界、一度だ。一回だけしか発現してない。私たち二人いるんだから、これって不自然だ」
「ああ? あー。まとめて一回分だと思う……」
「こんな厭らしい結界作るやつがそんな適当するわけあるか。人を捕らえるための結界だぞ。だから本当はあの結界――」

 ――結界が、なんだ?
 勢いで推論を組んでしまったが、このまま行くと結論は「既に一回結界は発現している」。つまり「二人のどちらかは既に複製である」になってしまう。
 今、寝ぼけ、唸るこの相方が。あるいは、あるいは、今、こうやって思考している自分が。別の、本物ではない何か。
 冷えた、引き攣れのような笑みが浮かぶ。人の、防衛の一種だと、それを眺める自分がいる。

「蓮子偽物なの?」

 冷ややかな声を浴びせメリーの眼は蓮子を射抜く。いつの間にか起きて調子を取り戻している。そしてうんと唸り、

「でも、そうか。それだとわたしだってそうなのよね」

 蓮子はどう思う?
 言外に言い含んだ彼女の表情は無機質だ。
 その視線は普段相方に向けるものでは決してない。

「ま、だ、そうと決まったわけじゃない。まだ。私が考えすぎただけだって可能性はある」
「叩き起こしといてそれはないでしょ。蓮子だって確信があるからこうやってる。私も付き合ってる」

 言葉が出ない。ごまかしや繕いは通じない。メリーも結局は蓮子と同じような人間であるから、欺罔は見逃せない。
 哲学ゾンビの話を思い出す。死人であるにもかかわらず普段と全く同じやり取りを行う者。それを見破る手段を我々は持てないし、それは本人にもきっとわからない。タグが、あらかじめ付けられない限り、確認の余地はどこにもないのだ。
 恐慌に陥っていないのはあまりに突飛すぎて両者実感が沸いてないせいだろう。蓮子すら、蓮子自身に対し、ああまた宇佐見蓮子が何かを言っているよと思っている。昨日や一昨日までの自分と今の自分は連綿と続いている感覚がある。それが推論の、素直に考えれば絶望でしかない内容に抗わせている。
 それに、人という構造的複雑物を作り出せるわけがない。出来るだろうかではなく、出来るはずがない、そう思う。言葉に思いつつも、しかし、蓮子達はあくまで追う事ができるだけで、組む事はできない。その内容の殆どがブラックボックスである以上、どうして出来ないなど言えるだろう。複製の元があるのだから、むしろ蓮子の能力よりずっと簡単ではないのか。科学とは、きっとどこか決定的に違うのだから。

「蓮子」

 メリーが言う。

「私があなたに信じさせればいいの? それとも、蓮子が私を暴けばいいの?」
「ち、違う!」
「かったるいのは、嫌よ」

 惑わされるな。その思いは幻覚だ。そう言おうとして、その言葉がいかに空疎かを思って、蓮子は口をつぐんだ。だって蓮子ならどうした。今目の前のメリーを、何の感情を抱かずに見ることができるのか。
 彼女は、恐れている。筈だ。得体のしれない何かであることを。未知が死角から牙を剥くことを。蓮子と同じよう、メリーもまた、恐れている。
 沈黙を、続けてはいけない。本能で蓮子は感じた。この場で黙り続けることは、何か救いようのない溝を二人の間に構築する。

「メ、メリーだって、私を暴いたっても良いんだよ」
「そうね、貴女が偽物かどうか、私が手を突き入れれれば分かることだし」

 地味に怖い表現を使うメリーに表情がこわばる。このメリーはきっと本当にやる。人の腕力でそんな大層な事はならないと思いつつも、彼女の指先が自身の臓腑を割り開く様を想像して、足が竦みかける。彼女は歩いてくる。ごくりと生唾が鳴った。蓮子は退かなかった。彼女の指先が、腹部に触れる寸前で、止まった。

「いいわ、ごめんね蓮子、貴女を信じる。さっき時間ないって言ってたものね。貴女に任せる……目星は付いてるんでしょ?」
「あ、ああ、うん。あの最初の、私が夢で見た場所……だと思う。あそこで折り返してきたから、もし捕まってれば通ったどこかに跡はあるはず」

 分かった。小さく残してメリーは着替える。行動が早い。もう割り切ったのだろうか。

「いいわ、分かってる。織り込み済みだもの。カマかけただけよ。へたっぴだったけど。結局、蓮子に何でも任せてる時点で、文句の言いようもないのよね。分かってるのよ。はぁー……」

 諦めたように、テキパキテキパキと。ため息を交え、その内蓮子より早く準備を終えてしまった。ドア前で早くしろと目で促す。慌てて蓮子もそれに続く。
 暗い廊下。一昼夜、灯りだけは照らされ続けるエントランス。同じ道だが今この場には二人だけしかいない。阻む者も、居ない。それを些か不気味に思いつつ、そそくさと、誰に見つからないよう夜闇の街路跡に身を躍らせた。
 月は、もう、大分低いが、それでもある程度は分かる。一度通った場所なので、隙間から少しずつでも覗いていればそれで十分だ。
 道なりに進んで、宵闇の中、未だ屹立している壁が見えた。帰るときは気付かなかったが、自分たちが侵入した所より些か手前だ。後ろをついてくるメリーに視線を送ると、その壁は沈黙、辺りの静けさも不穏な点はないと言った。

「完全に停止してる。もう一度引っかからない限りは安全だと思う」

 蓮子の眼にも少なくとも幻覚よりは穏やかな森が見える。何の虚飾も施されない、ただ真実である姿が。静かな、木々の集合体が。

「空が、白んできた」

 急ごう、と先を促す。その前に、メリーが壁柱に近づく。

「これ、解除していこう。中身の作用機序が気になる」

 壁を、物理的にガンガンと叩いて、眼を凝らして。蓮子は隣で見ているだけだが、その探り方から様々な手を試していることは分かる。表面を撫でた指先がずぶりと沈んだ矢先、融けるよう壁はほどけた。メリーの瞳に例の垂れ下がる触手は視えない。ただ二人の眼には、確かにその壁の中心、地面にひとかけら白い何かが落ちているのが見える。

「やっぱりそうなんだね」

 メリーが言った。複製されている。歯噛みするような瞳で、足元のガーゼ片を見ている。それを拾おうとして、止めて、メリーは歩きだした。
 この山中、今やメリーが先導している。蓮子にとっては、なるほどふいに発生されても分からないから、願ったり叶ったりではあるのだが、その背中は些か危うく見える。
 蓮子の考えが正しければ二人が過ぎたどこかにもう一つあの壁が存在するはずだ。無ければいいのに、であれば妄想で引っ張り出した蓮子が叱責されるだけで済むのに。そう考えながら、しかしきっと覆らない、悲しい確信の下二人は歩いていた。
 先に気付いたのは、メリーだった。遅れて蓮子も、その光景に気付いた。しばらく無心で歩き続けた先、きっと夢と同じところ、白い壁で構成された四角柱が、何を起こすともなく屹立している。
 こんなに目立つ。月明りを反射し明らかに異物として照らされるそれは、しかし、今まで二人の目に留まっていなかった。二人はそこから歩き出したというのに、決して気付く事はなかった。メリーがふらりと近づく。

「開くのかな、これ……」

 気の抜けたようそう言った。見たいものではない。どちらかは発動させた。どちらかは偽物。どちらかは、整合を保つため、消されなければならない。
 ぞっとする。誰が消すんだ、どうやって。起きた自分自身に消されるのか。出ない方が手を下すのか。それとも、覚悟を決めて、自分で……。
 かちりと、震えた奥歯が当たる気がした。十三階段を上る心地だ。想像上の死が未来を伴ってすぐ傍まで迫っている。

「やるわよ、いいわね?」
「お、おう」

 メリーの方が蓮子よりずっと思い切りが良い。もう割り切ったのか、自棄か。酸が胃を灼く熱さを腹部に感じ、蓮子には追従しかできない。どちらにしろ非常時にはその方が頼もしかった。
 コツを掴んだのだろう。先ほどよりすんなりと彼女の指は入る。受け入れるように表面は揺らいで、次には壁はその役目を失っているよう蓮子にも見えた。
 壁が解ける。どっちだ。知らず知らずのうちに二人寄り添い覗き込んでいる。どっち。最悪から、どうか逃避できることを望んで。
 あっと声が漏れた。どちらも、きっと自分が発したと思った。薄暗い闇夜の中にも壁の中身は目視できる。
 一瞬蓮子もメリーも鏡と写真を同時に見るような感覚に襲われた。やった事はないが、そのものだと思った。そこには二人の人物が、うずくまるようにして眠っている。二人だ。見間違えよう筈もない。どちらか一方ではなく、宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンは、二人ともが壁の中にいた。

「はっ、はははは……!」

 どちらともなく笑い声が漏れた。二人して悩んだのは、疑心を育んだのは何だったのだ。その実はどちらとも大まぬけ。二人で罠にかかり、纏められながら複製された事にすら気付かなかったのだ。
 そのうち視界が薄く白んでゆく。光が沸いて、満ちていくようで。気付けば、その身体は地面に折り重なるよう座り込んでいた。蓮子も、メリーも、同時に気付いておもむろに立ち上がった。

「私たちが、オリジナル?」
「やめよう、そういう区分けはアイデンティティを崩壊させる」

 辺りを見回す。さすがに複製の複製……にはなっていないようだった。白い壁柱は見えない。
 苔の付いた土を払う。

「くそっ、とんだ災難だ。気付いたから良いようなものの、本当に複製されてるし、鍵型で満足してたら明日はこの世とおさらばだったかもしれない」
「ほーんと、お手柄だわ。褒めてあげる」

 いやいやと照れるポーズに虚しい拍手の音。一通り終えて蓮子は真顔へ戻った。

「やっぱ、あれか。罠か」
「情報を小出しにされて、あくまで逃げ道は残してる。善意だって言い張れる所がにくいよ。どっちでも良いとか、本当に知らないのかもしれない。結局勝手に飛び出したんだから、私たちに何を言えることでもないんだ。非難の謂れだってない」

 沸々と煮える感情が行き場をなくして鎮火する。そうだ、そこなのだ。それで納得できるほど蓮子は聞き分けがよくないが、同時に迂闊をなじられて言い返せない程度には常識的なのだ。
 不完全燃焼だ。胸やけを起こしそうだ。授業料だ、授業料。そう言い聞かせ、でも次に会ったら嫌がらせはすると心に決め、蓮子は冷静を取り戻した。

「……夢の中に介入してくるなんて、どういう了見だ」
「他の人たちもなのかな」

 メリーがぽつりとつぶやく。

「だって昼間行動してた時、みんな集団で動いてた。だれも寄り道なんかできなかったじゃない。夜中抜け出すなんか理由がなければ出来ないよ」
「それは作り話で、私たちがたまたま狙われたって線もあるよ。現に素性を知ってた。狙えば網と餌でぱくりっと」
「うん、うん……」
「けっきょくここ、何だろう」

 一番最初に見た、きっかけとなる夢は、その印象が普段何度も見ているそれとは違って、しかも起きてからも鮮明だったので、しっかりと覚えている。
 その場所が確かにあって、その感情はデジャヴュなどぬるいそれではなく、確かに自分はその知識を持つと豪語できる。そうだここだ、ここに来い。そう指し示されたのだ。
 この場所は何だ。メリーは取り敢えず辺りを視まわしている。きっとここが起点だと言っている。その仕組みが気になると。メリーはそういった類の流れが視える。分かろうと思えば分かれた筈なのだ。なのに気付かず捕まって悔しい、そう言った。
 逆に、蓮子にはメリーには視えなかった、それこそが重要なのではないかと思えた。来て早々一緒に探索して、その眼で確かに視続けていたのにいつ発動したのかもわからなかった。電機や空気とは違う。妖しい流れは揺らぎが視える。常々蓮子にそう言っているにもかかわらず。

「メリー、下だ」

 辺りを一つ一つ注視するメリーに伝える。メリーが視えないのは死角であるからだ。その能力の大部分を視覚情報に由来する。だから眼の能力。それは木の裏であり、真上直上であり、そして、一番近くて見えないところ。地の中だ。
 それまで天井のイメージに引きずられていたのだろう、気持ち上側を彷徨っていた目線がすぐに下に向いた。地面を探る姿は猟犬のよう。ぐるぐるうろつき回りそのうち蓮子に近づいてくる。

「お、と。メリー、前見てないと危ないよ」
「ここ」

 蓮子の目の前、そう言ってメリーの動きは止まった。
 蓮子は動いていない。そこは二人が壁柱へ捕らえられていた場所だ。

「ここ?」
「いや、分からないけど、引っかかる? ならここ」
「言葉に出来ない違和感ってやつ。なるほど」
「根拠薄いし違うかもよ?」
「それだけで十分だよ」

 分からないなら取り敢えず掘ってみれば良い。何か金属製のものがないかと鞄を探す。流石に皮むきナイフでは無理があるかと考えながら、そういえば先日趣味で買った苦無があったと思い出す。護身用でもなく刃物でもなく、単純に十徳ナイフより格好良かったのと金属の重さが気に入った。
 地面へ突き刺す。さすがに鉄製だけあって感触は良好だ。メリーは横で見ている。無心にざくりざくりと、三十センチも掘り進んだところで硬めの感触が手に響く。メリーを見上げ得意げに笑うと、勢い付けて土をどけその全貌を明らかにする。
 それは、木で出来た箱だった。その雰囲気はどことなくあのガラクタ箱、鍵型が入った箱に似ていた。メリーが顔をしかめた。よほど、見たくないという顔をして、しかし視なければ始まらないという思いを持って、蓮子の横にしゃがみこんだ。
 いくよ、と蓮子が言う。さっさとやってくれと手ぶりが返される。
 思いのほかきつく嵌まっていた蓋を、かぽりと開けると、殆ど空洞しかない箱の中に、一つ白いものが見える。
 なんだろう。手に取って眺めてみると、それは、鍵であるようだった。ふと思い立ち、懐の鍵型を取り出してみると、大きさも形も同じように見える。木の鍵型と、白い鍵。
 おもむろにその鍵を収まりのよさそうな鍵型に嵌め込んでみようとしたところで――

「駄目ッ!」

 メリーの叫びが蓮子を引き戻した。慌てて腕を広げそれらを遠ざける。不用意に過ぎる。表情でサインを送り、片方をメリーに渡す。

「何がトリガーになるやらって話だよ」

 そう言いつつ鍵の入っていた箱へメリーは眼をやる。ただの木の箱。翻って中に納められていた鍵。あれほど大きな結界を張っている割にはそんなに目立って感じられるものもない。確かに妖器の感覚はあるが、それより渦巻いて得られる感情が気になる。どこか、感覚的に嫌と思うそれ。鍵を視続けるメリーの、眼で視るあやしと別にある得も言えないもの。
 触れてみると指触りは滑らかだ。硬質である鍵は丁寧に加工を施されてシンプルであり整いのある印象を持たせる。取り敢えず、この森、山中の結界を形成する大本はこれだろう。手にある今も、まこと勘弁ながら胡散臭い器物であるところ主張し続けている。

「メリー、それ持ってる? こっちで持とうか?」
「いや、いい。合わせるよりマシだわ……」

 そしてもう一度、辺りをぐるっと見回し、メリーは帰ろうと促した。もう何も起きはしないだろう。結界を構築する要素は分解され、切り離された。
 最早空は白みかけるどころか鮮やかな蒼を浮かべ始めている。少し急いで帰って、丁度良い時間だろう。
 もう足が痛いだの、いや言われてみればそれほど痛みは感じない、むしろ眠気すらほとんどないだの話して、ようやく宿が見えるときにはもう出港まで一時間を切っていた。

「鍵って外に出していいのかな」

 正直取説がないので何がどう作用するか判別できない。
 かといってこんな物を放置するわけにはまたいかない。例のあのガイドさんに聞こうと思っても関係者各位やたらと忙しそうで聞くに聞けない。
 どばどば慌ただし気に走っていく姿を、部屋の前で二人は見ている。とっくに整理された荷物を持って、鍵と鍵型だけを所在なさげに袋に提げて。仕方がないので宿を出て港へ歩く。もう他の乗客はみんな乗っていて、あとは二人を待つだけの様だった。
 船内を探してもガイドさんは見つからない。その内船は港から離れ本土へ向けて動き始めた。
 蓮子の心に記憶がよみがえる。うたたねの間、確かに感じた輝き。消失の光。甲板で遠ざかる島を見て、今一度留まりたいような衝動が襲う。別け持った鍵型と鍵。きっと平気、そう言い聞かせる。島がどんどんと小さく姿を変え、霞みもしようという頃になって、自分の手が何かを握りしめていたことに気付く。メリーの手。メリーはその強張った手に握りしめられていても何も言わず、気付いた蓮子に優しい笑みを向けた。バツが悪くなり苦笑しつつ手を離す。そんな蓮子に肩を竦めてみせ、そしてメリーも島を見た。遠ざかる島を。

「動力源は、あれか……」

 思いついたことを、そのまま口に出した。確証はない。今も視え続けている神域たる所以。渦巻く島そのもの。蓮子は何か視えたのかと尋ねてくる。それに曖昧な笑みを返し、メリーは船室へと戻った。



 帰って、この曰くの付き過ぎている品々をどう保管するかという話になって、どこぞの寺社に収めるにも惜しい、しかし一緒くたにするにはちょっとこわい、となって仕方なしに片方ずつ家に持ち帰ると結論付け、蓮子は鍵の方を持ち帰り時々手で弄びながら就寝した。
 すると、また、あの場所を夢に見た。明瞭な夢。今までは眠りに就いていたように思うのに、いきなりそこから、抜け出るようにこの場に居る。島の中、この鍵を見つけた場所。そこに立って、そして目の前には誰かが居た。

「あなたは……」

 自分の声が出るのを感じた。喉の震えを言葉にし、あなたは、誰なのだと聞いた。その誰かは答えない。佇んでいる。柔らかく、蓮子と対峙している。動かず、発さない。しばし時を過ごした。
 声を、持たないのかもしれないと蓮子は思った。その誰かは、逡巡しているようでもあったから。この場を自発的に動かせない。蓮子が、何か動かす必要がある。
 だが、何を言えるというのか。恨み言をなじるは趣味ではない、かといえ問いは返ってこないだろう。言葉が使えないのだから。ただ、話さないなりに謝意は感じる。そんな奇妙な空間に蓮子は居た。
 この誰かは、もしかして神様ではないか。佇む中に、蓮子はそう感じた。罠に嵌めるためではなく、あの仕掛けを、解除してほしいから呼んだ。神様は言葉を持てない。人に頭を垂れることもできない。だから時間だけが過ぎる。
 蓮子はそれを受け入れなければならない。謝意にかまけて神を罵るのもこの場における特権で、報酬を望むのもまた同様だ。貴重をかさに薄暗い感情がよぎる。祀られる神を面罵する。それは人間に許される最上級の贅であろう。二度あると思えない。この機に、思う限りのすべてを吐き散らしても良い。
 私はと蓮子は言った。私はどうするのだ。蓮子は目をつぶった。そして開く。息を吸って、言った。私は、どうかお守りが欲しい。この危険と支援の報酬として。加護のありそうで、携行の容易であるお守りが。
 誰かの逡巡が解けた。その要求は適正であった。世界がぶわりと位相をずらす。次に蓮子が気付いた時、その身体は寝床の上だった。

 明瞭な記憶。もったいないかと思って、掻き消した。蓮子は次に繋げることを選んだのだ。邪心に惑うことなく。
 右手に鈍痛。見ると、側部に赤く色がついている。血は出ないでもどこかぶつけでもしたようだ。覚醒したての目をこすり枕もとを探す。あるなら、そこだろう。
 だが、特に、目立ち落ちている何かは無い。あの夢は夢だったのだろうか。そう思い起き上がると、机の上に置いていたあの鍵は二つになって割れていた。何事か!? と思って近付くもその鍵は見事に半分になっており、破断面の近くには細かい欠片が転がっているだけだ。
 そして、その横。ふっと見た先に不自然なまでに瑞々しい青葉が一枚置いてある。覚えのない、この部屋からは浮いている植物。
 蓮子の口端に息が漏れた。これが、お守りだろうか。本物、だろうか。見極める役はこの場に居ない。ただ、蓮子の心にはもう、先ほどまでちらついていた邪(よこしま)なものは消え去っていた。代わりに得たと、自分は得たのだという思いが支配している。奪うもの掠め取るものと違い、正当所有物であると感じるその感覚こそが、最上であると言えた。鍵を破壊するのに蓮子の身体を使うのも全部チャラにして。きっと今蓮子はすごい表情をしている。
 とにかく、今はこの贈呈品の鑑定をしよう。家を出て、朝焼けの六時半。蓮子はメリーとの通話チャネルを開いた。
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コメント



0.220簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
びゃああ面白いぃぃぃ!
話運びが上手くて淀むことなく読め、終始唸ってばかりいました。
第二のガイドにならなくて済んだ感じなのかな。なんにしてもとても楽しめました、素敵な秘封倶楽部と時間に感謝です
3.100名前が無い程度の能力削除
二人がちゃんと冒険してる感じで面白かったです
5.100名前が無い程度の能力削除
とてもいい作品でした
二人のなんとも慣れていて、それでいて危なっかしい感じは読んでいてハラハラさせてくれましたし、
秘封の科学世紀であるという前提があるにもかかわらず怪異への恐怖を確かに感じることができました
この秘封倶楽部の今までの活動や、これからの冒険をもっと知りたいものです