私は、その日、後輩と隊長、そして、自分の耳を失った。その狂気に満ちた一日から、ウサギたちの目付きが変わったような気がする。目が覚めたとき、私は頭にきつく包帯を巻かれ、あちこちから摘出された爆弾の破片による怪我のために、ベッドにくくりつけられていた。私が目覚めたことが隊のみんなに伝わると、先輩が見舞いに来た。
私たちを襲ったのは、地上の化け物らしい。地上でありふれた妖精たちが凶暴化したのだという。他の隊が原因と思われる黒い霧を採取し持ち帰ると月の科学者たちは一様に言葉を失った。黒い霧の正体は、無数に分裂した、汚れをまとった妖精と呼ばれる妖怪。地上でもっとも穢れた妖怪は、目に見えないほどに細かく分裂し、その一つ一つが意思を持ち、月の装備を破壊したのだと言った。そして力の弱いウサギは、その細かい妖怪に心を侵され、味方を攻撃したのだという。バケモノという言葉しかそれを表現する方法を知らない。その事実が兵士達の中に広がるにつれて、月の住民達は、地上の得体の知れない妖怪やおぞましさに恐怖した。兵士達も次第に勇気を失い始め、私たちは、優秀な兵士達を大量に失うこととなった。
「うどんげ、目はどうだ?」
私の眼はその日から、特別なものが見えるようになり始めた、相手の感情の起伏、個人と個人とのつながり、集団がどんな風に繋がっているのか、それが視覚としてわかるようになった。
「もう、大丈夫です」
そうでも言わなければ、私は原隊に復帰することは出来ないと思い、嘘をついた。
爆発で無くした耳の疼きがなくなる頃に、私は元の隊に復帰した。隊はもう私の知っている場所ではなかった。まず、もう私の知っている隊員はほとんどいなくなっていた。そして、私からたったひとつだけ上の先輩の蒼い髪の先輩は隊長として振舞っていた。めぼしいベテランの兵士達は、既に死んでいるか、病院にいた。
「よろしく、お願いします」
私は、リハビリ早々、副隊長の座につくことになった。当然、ほかの隊員達のウケは悪かったが、すぐにそれも変わった。私はあの狂気の1日を過ごした日から、ほかのうさぎにはない、特別な能力を身につけたようだ。月の支配者階級でしか持たない、超常的な力を身につけた。 相手の瞳を見つめると、相手の波長がわかる。相手が次に何をしてくるのか、どんな考えを持っているのかが目に見える。隊員達のシゴキのために、3人ほど同時に軽く叩きのめすと、周りの隊員達の態度は一変した。というか、先輩も仰天していたようだ。さらに、私の戦場での作戦、振る舞いも、神がかり始めた、敵がどこで待ち伏せをしているのか、どこにどんな妖怪がいるのか、相手の力量、とにかくあらゆることがわかる。私は、以前なら決して適わなかった地上の化物を殺すことができるようになった。耳を失ったことで、私の聴力は普通の人間並みに落ち込んでしまったが、私は狂気の夜を過ごしたことで、狂気の瞳を手にいれた。
『ホットラック』
「わぁ」
彼女は、私が仕掛けた罠にすっぽりとハマった。落とし穴を掘り、底にはわらを敷き詰めて彼女が怪我をしないようにした。彼女はそれを訓練だと考え、喜んで参加した。それが終わると彼女に家事を手伝わせた。そうした無意味な繰り返しの中で、彼女が時折こぼす言葉の中、私は彼女が昔にどんな仕事をしていたのか理解することが出来た。
彼女は、元々は月の軍人だった。その仕事をしているうちに、随分と幻想郷の妖怪を殺した、そして彼女が率いる兵士達もたくさん死んだ。もう何十年も前の話になる。しかし、彼女はそんな血なまぐさい生活をしているうちに、仲間がいつ死ぬかわからない生活が恐ろしくなったのだろう。簡単に言えば、脱走兵だ。月に帰れば厳しい罪が待っている。ここ最近はそういった月の兵士達が地上に降りて戦いになったという話は聞いていないが、月では一体どんなことが起こっているのだろう。彼女は、夜になると、月を見上げた。そしてしばらく眺めていると、体を震わせて自分が月から逃げてきたことを思い出して動けなくなる。一緒に戦うべき仲間を見捨てて逃げてきた事や、彼女が殺した地上の生き物への良心の呵責はいつまでたっても終わらないように見えた。
「さぁ、一緒に帰ろう」
月の下で縮こまる彼女の手を引いて、一緒に布団に入ることで、1日が終わる。朝目が覚めると、彼女はすっかりそのことを忘れて、また同じ場所の罠に落ちる。
「先輩、先輩」
いつも、私を見つけると後ろをついてまわってくる。どうやら彼女は自分の事を新入りの臆病な兵士だと考えているようだ。私が思うに、彼女は知り合いが元気だった頃に記憶の時間を巻き戻してしまっている。つまり、彼女は自分が脱走兵だという自覚がない状態なのだろう。 そして、私の事を、別人と勘違いしているようだ。彼女が世話になっていた人と私を混同して考えている。
「なぁ、うどんげ」
「はい?」
「お前、私の名前覚えてるよな?」
彼女は、はい、もちろんです。と答えるものの、しばらく虚空を見つめてぼんやりする。
「てゐだよ、てゐ」
「ああ、そうでした、そうでした」
手を叩いて、彼女は笑う。私はこのままでは良くないと思い、月の医者に頼んだり、里の本屋に行って月のことを調べた。いつまでも彼女が全く同じ1日を繰り返すべきではないと思ったからだ。彼女が受け入れられる嘘を彼女の中に構築してやらなければ、彼女は狂ったテープレコーダーか、壊れた円盤のように同じところを回り続けるだろう。実は彼女に仕事を教えても次の日には綺麗に忘れていることに業を煮やした医者が、対策を考えるように指示してきたのも私が行動を起こそうと思った一因ではあったが。
「おほん」
彼女がいつものように同じ場所の落とし穴にハマっているところ、私は彼女に伝えた。
「今から、お前に、非常に重要な事を伝える」
「えっ」
彼女は私の携えている本を見て、やや怯えているようだった。私の手には古い外の世界の科学の雑多な知識が詰め込まれた雑誌が握られている。その表紙には、青い星が見える場所に、ぼったい服とヘルメットをかぶった人間が、カサカサの地面に旗を立てている写真が印刷されている。
「後で、私の部屋まで来るように」
おほん、おほんと、いつもより多めに咳払いをした。この前に見た戦争物の映画はえらい人はこんなふうに関原市をしていたのを真似ただけのことだったが。
彼女を穴からやっとこさ引っ張り出して、私は里で手にいれたビデオテープを上映した。
机の上には、雑多な、あることないことの書かれた、外の世界の宇宙人や外の世界で作られた武器、ミサイル、宇宙船の雑誌。
「これは?」
彼女がパラパラとページを何気なくめくっているところを見ると、この本やビデオテープは彼女のトラウマに差し障るものではないとわかる。
「いいだろう、では説明しよう」
おほんおほん、と咳払いをして彼女と一緒に、外の世界の人間が月にたっている映像を見た。
『ガガーリンは、言いました。地球はあおかった』
『ソ連、そしてアメリカはお互いのミサイル技術を競い合いました。それが月への月面着陸だったのです』
「みてみな、すごいヨロイだろう」
古い液晶画面に映る人間は、まるっこい服に身を包んでいる。
「空に見える月は、本当はすごく遠い場所なんだ。そこにこんなヨロイと爆弾を持ち込んでいるんだ人間は」
恐ろしいだろう、と彼女に言うと。彼女ははい、すごく怖いですね。とぼんやりして言った。いつしか、私たちの上映会にはほかのうさぎたちも参加していた。彼女とうさぎたちは私のデタラメに熱心に耳を傾けた。私なりに一生懸命調べたことをまとめて話しているつもりではあったが、後々になってやってきた、山の神に質問した時に、私はまるで見当違いの話をしていたことがわかった。しかし、彼女は私の言うことを信じた。
「私は、こんなすごい人間に月が勝てるわけがないと思った」
そうだろう、と彼女に同意を求めると、彼女も頷いた。
「だから、私は月から逃げてきたんだ」
「えっ」
彼女は、やっと、驚いた顔で私を見つめた。
「もちろん、みんなに黙って逃げてきてしまったので、バレたら大変なことになる」
わかるな、と言うと、彼女は体全体を使って強く同意を示した。
「ほかの連中はわからずやだったから、逃げてこなかったけれども、お前だけは逃がそうと思ったから、連れてきたんだよ」
はい、思い出しました。彼女は私の作り話を信じ込んだ。ほかのうさぎたちも私の嘘を本当の事だと思ったに違いない。
「だから、これからは、お互いの事を先輩、後輩で呼び合うのは危ない。バレたら酷い目にあってしまうからな」
「なるほど」
「私は、てゐ。お前は、れいせん、そうだな、カタカナだとバレるからな」
私が鉛筆を撮り、鈴仙、と当て字をして彼女に見せた。
「今日からは、お互いに、名前で呼び会おう、私たちは脱走兵なのだから」
私たちが、地上の妖怪を1番たくさん殺し始めると、月のえらい連中が、私たちの事を調べ始めた。私達の隊は、月にある部隊の中で1番厳しい、耳のない鬼の副隊長がいるということで有名になっていた。
私の体を調べた医者によると、私の体には随分と穢れが溜まっているそうだった。おそらく、私が超能力に目覚めて地上の妖怪と似た力を得たのもそれが原因だろう。地上に降りて戦うことに慣れ始めると、私の力はさらに強くなった。相手の目を見て、相手のことがわかるだけではない。相手の心を操れるようになり始めた。瞳を見て相手を恐怖のどん底にたたき落とすのも、狂気の渦に巻き込むのも自由自在だ。
しかし、そんな特別な力をもっていても、隊員は死ぬ。私がなるべく死なないように隊員達を指揮しても、弱い月のウサギたちは地上のバケモノと戦えば死んだ。
私は、隊員達をむちゃくちゃな方法で訓練し続けた。誰にも死んで欲しくなかった。戦いが激しくなると、兵舎のベッドの朝の持ち主と、夜の持ち主は頻繁に変わった。寝るまもなく、交代の時間になると、誰はともなく交代でベッドを使う。他の誰かの温もりが残っている内にベッドが使い回される。そうした日常を送っているうちに私たちの家は単に兵舎と呼ぶのではなく、特別なあだ名でその場所を呼ぶようになった。私たちは、いつも他の誰かの温もりが絶えない兵舎を「ホットラック」と呼び合うようになった。
私が、隊長の代理として、月の支配者達に現場の士官として説明する日のことだった。その部屋には普段はお目にかかれない、月の最高指導者達がいた。おそらく、月の指導者たちは地上への作戦を一時凍結する事を考え始めていたのだろう。こちらのベテラン兵士たちは死に、女児のような、気の抜けた兵士ばかりが目につき、訓練さえもままならなくなっていたからだ。私は、先輩を含めて生き残った古参の兵士だった。
最初は耳のない私の容貌に、出席者全員が驚いていた。私は、もう戦いを続けることが無理だと感じ始めていた。地上の妖怪達への憎悪が消えた訳では無い。隊長を卑劣な方法で殺し、後輩の亡骸を弄んだ妖怪を殺せることを夢見ていたものの、訓練をまるで積んでいない、腑抜けの隊員たちと一緒に戦場に行くことに辟易していた。
その頃の私は、もう普通のウサギの兵士と呼べる力の持ち主ではなかった。相手をひとにらみすれば、相手をキチガイにすることや、自殺させることも出来る地上の妖怪同様のバケモノになっていた。その場に出席していた強い力のある月の支配者たちも私なら皆殺しにすることが出来ただろう。
月の戦力は、当初の目的を果たせないほど弱くなったと伝えると、月の幹部たちは
色々と苦言を呈したが、私は黙殺した。彼らの当初の目的である、地上の浄化作戦という方針さえなければ、皆死ななかった。私がじろりと彼らを睨むと、彼らは押し黙った。
「あなたは、何故、地上の妖怪に勝てるの」
部屋の簾のような敷居で阻まれた部屋の奥から、女の声が聞こえた。おそらく、月の最高責任者の2人の姫のひとりだと思った。
「訓練をつみました」
壁の向こうの女は、甲高く笑って「嘘でしょう」という。
「ねぇ、お姉さま」
彼女達が談笑し始めると、ほかの出席者たちは全て押し黙った。彼女達は月の中でもまるで別格の権力者なのだと感じた。そうして、10分ほどの談笑が終わると、そのひとりが言った。
「わかったわ」
地上の浄化作戦は一時凍結しましょう。月の最高責任者が言い放つと、どよどよと支配者たちがざわめく。
「ただし、今すぐというわけには行かない」
何か、大きな戦果が欲しい。このまま軍隊を撤退させると、次の作戦の指揮に差し障る。そういうことだった。やっと、この戦争が終わる。最初に隊に入ってきた頃の自分と、今の自分は随分別のうさぎになった。
私が一礼して部屋から出る前に、奥の部屋にいた、月の支配者から呼び止められる。
「あなた、なんて名前」
私は、自分の所属と階級、名前を告げた。
「レイセンです」
「ふぅん」
呼び止められた意味はよくわからなかったが、どうやら超能力に目覚めたことは相手はわかっているようだった。
「あなた、うさぎよね? 耳はどうしたの?」
「負傷してなくしてしまいました」
なんか、うさぎじゃないみたいね。とひそひそと聞こえる。また後ほど話を聞かせてもらうと、支配者の1人がいう。敬礼して退出する私に、女のひとりが言った。
「あなた、可愛い顔してるわね」
彼女の時間は進み始めた。次第に罠の位置を覚え、医者の教えをノートに取るようになった。
「てゐさん、おはようございます」
「おはよう」
相変わらず、一緒の布団に入らないと、彼女は落ち着かないようだった。朝目が覚める時は彼女が先に私を起こした。
「さて、うどんげ」
お前もここの暮らしになれないといけない、だからちょっと遠出をして、色々なことを勉強しよう、そう提案すると、彼女は
「わかりました」
素直に、遠出ができることを喜んだ。どこからどうみても、地元のうさぎ女だった。耳がないことは、適当に地上に降りた時に怪我をした、とでも言っておけば彼女は特に疑いもしない。彼女はもう、戦場のフラッシュバックに悩む兵士ではなく。単に臆病で、弱い戦闘経験も大してない、脱走うさぎになっていた。たまに、彼女の昔の話を探ろうと話題をふっても、
「はて、何のことですか?」
といたずらっぽく彼女は笑う。
そう言った具合で、彼女自身が作った都合のいい設定の中で、彼女のトラウマは封印された。時折彼女が月を見上げても、彼女が見捨てた味方たち、殺した妖怪の事を思い出すことはもうない。
「今日は、三途のほとりまで行こうか」
「はぁ、なんだか恐ろしいですね」
「赤い花が綺麗なんだ」
ついでに、近くの屋台でちょっと遊ぼうか、などといえば、もうすっかり年頃の娘らしくはしゃいで、稼いだ財布などを持っていく。道すがらに出会う、不死者や幽霊たちに驚きながらも挨拶をしていく。
私が、その人物達に「うちの新入りだ」とでも紹介すれば、何も問題はなかった。もしかしたら、彼女の都合の中でそろそろ、自分が生粋の地上のうさぎなんだと思い始めるのではないのかとも思った。
少し前の、あまりに気の毒な姿を思えば、こちらの方が嘘でもずっと良いと思った。辛すぎる事実は受け止めないで、逃げるのがうさぎらしい生き方だと私はつねづね考えている。
しばし、時間を忘れて、三途の川のほとりにある屋台で遊んでいた。死に際に来る場所とは思えないほどに賑やかな場所で、外来の果物に甘い砂糖菓子を塗ったもの、射的、輪投げ、そういったものがところ狭しと並べられる。今までのように、多くのうさぎたちが私の目の前でそうしたように、寿命で先に幸せに死ぬ。彼女もそのひとりになると確信し始めた頃だ。やはり、彼女の地獄はまだ、終わっていなかった。
射的に夢中になる私たちに、肩を叩いて、声をかける、しかめっ面の少女が現れた。
「ほら、この桃美味しいでしょう」
「恐れ入ります」
この月の支配者である二人の姉妹は、時折こうしてうさぎを招き入れて愛玩することが趣味であると聞いたのは、冗談だと思っていた招待を受けたあとで先輩に聞いた話だ。最初に招き入れられた時には、作戦行動の現場の話でも聞きたいのかと思い、いくつか資料を持っていったのだが、彼女達の話は、本当に取り留めがない只の井戸端会議同然だった。実際のところ、本当に作戦行動が凍結しかかっている状態であったので、無駄に危険な出撃をしないで済むのだからありがたい話ではあったが、月の支配者のゴキゲン伺いをする私は常に失言で彼女達の期限を損ねたら大変だと、冷や汗をかいていた。
「なーんか、耳がないと、人みたいに見えるわねぇ」
「申し訳ありません」
一応作り物の耳でもつけようかと思ったが、帽子をかぶって接待するのも如何なものかとそれはやめておいた。
「ねぇねぇ、レイセン」
彼女達は、私に妙な提案をする。私にこの部屋のお付にならないかと持ちかける。月の階級では彼女達月人と、うさぎたちには隔絶たる差がある。持ちかけられたら普通は断れないし、断らない。
「何故ですか」
耳のないウサギなど、愛玩に適さないのではないのかと、私としては真っ当な理由を述べたが、彼女達はつまらなそうに鼻を鳴らして桃を小分けにして私に出す。
「だって、ほかのうさぎはつまらないもの」
彼女達の戯言にいくらか付き合ったあと、彼女達が私への質問に飽きると、私はホットラックへ向かう。最近は地上への降下作戦も減り、新兵への訓練が主な仕事になりつつあった。
ホットラック周辺の訓練施設に顔を出すと、まるで女児の部活動かなにかのような光景が広がっている。ため息が思わず漏れる。なるほどこれで、地上のバケモノと戦うというのは絶対に無理なのも頷ける。昔にやられた、意気地無し地面に埋めて、頭だけ出して1日放置するなどといった処罰が懐かしく思える。先輩の指導する私たちの部隊の訓練を見に行くと、やはり似たような状態になっていた。隊員をぶん殴ると、泣き出すし、ちょっとマラソンをやらせると、吐きもしないうちに座り込んで訓練にならない。
たまに、昔の生き残り達と顔を合わせると、話題はいつも一つに尽きた。あの狂気の夜に失った仲間の仇討ち。
「先輩、ただいま戻りました」
先輩もおかえりと、幾分げっそりした顔をして出迎える。先輩が、ため息を漏らして、こんな連中、地上に放逐しちまえばいいんだ、という。向こうのウサギたちはこれよりかは幾分かやる気があるらしい。
「しかし、こいつらを訓練しないと、浄化作戦もままなりません」
私が先輩を激励するものの、先輩の顔色は冴えない。
「なぁうどんげ、私はもういいんじゃないかと思う」
先輩は、随分老け込んで、最近はいうことも気合がなくなった。私たちが命懸けでやった地上の浄化作戦も、たいした効果もなく、こうして終わる。次にどんな兵士が地上に降りるのかはわからないが、きっとそいつらも失敗する。私は、先輩を敗北主義者だと、思った。事実そう言った。
「隊長たちの敵をとらなくてもいいんですか」
先輩は、とりたいに決まってる、あの夜、私たちが頭をぶち抜いた仲間のためにも取らなきゃならないという。だが、見ろこの赤ん坊のような兵隊を、こいつらが1人前になるのにいつまでかかる。
「なら、私ひとりでも地上に降りて戦います」
無許可の作戦行動などとったら、軍法会議で除籍ものだ。先輩は落ち着いて聞けよ、と私の肩を叩く。
「なぁ、それに、うどんげ、お前は最近あの姉妹のお気に入りときた」
結局のところ、地上の浄化作戦なんてあのふたりの気まぐれさ、あのふたりの師匠、永琳様が地上に消えて、私達はその焚き付けにされただけなんだよ。私達の戦争もそろそろ終わりにしよう。先輩はそう言った。
「馬鹿な」
「お前は病院にいたが、隊長たちが死んで、私が代わりにあのベッドに入った時」
先輩はしばらく言葉を押しとどめて、ためらいがちに言った。
「次は、私の番だって、もう今だからいうが、震えが止まらなかったよ」
だからもう、ここらで終わりにしようじゃないか。お前はあのふたりのお気に入りだ、除隊なんてスグさせてもらえるんだろう。先輩の波長は気の迷いもなく、いつも通り、大きく穏やかだった。考えた末の言葉だとわかる。逆に私は、思いつくありとあらゆる悪態をついて、ホットラックを出た。昔の兵士達に連絡を取る方法を考えながら、無断で装備を取り出した。
「何故、あなたがここにいるのです」
目の現れた、いかにも頭の硬そうな口調の少女は、地獄の閻魔だった。その隣には閻魔のお付である赤毛の死神もいる。うどんげはぽかんと彼女達を眺めている。
「別に、休みの日に何しようが勝手だろ」
「あなたに聞いているのではありませんよ、てゐさん。そこにいる月のうさぎです」
「はぁ、私ですか」
うどんげは、どなたでしょう。と聞くと。彼女は律儀に返事をする。
「私は、幻想郷の魂の裁判を地獄で取り仕切っている閻魔、映姫」
こちらは、死神の小町。隣の自己紹介が済むとうどんげは、はぁ、それはどうもと言った具合で軽く会釈する。
「ここに、あなたが贖罪するべき人はいません」
ようやく、うどんげは、自分が月の脱走者であることが相手にバレていると察知して、体を硬直させる。
「私は、確かに、脱走者です」
「そうですね」
地上の人間に恐れて、月から逃げ出した、臆病なうさぎです。彼女は彼女の記憶に従って告白する。
「ですが、今はもう身も心も、地上のうさぎです」
「そのようですね」
閻魔は、手鏡がなにかでうどんげを照らしてみせる。うどんげの体を何かしらの方法で精査しているのだろう。
「あなたの体は、もう地上の穢れに染まっていますね」
「なので、地上のうさぎとして、地上で死にたいのです」
閻魔は、まゆをひそめる。それは構わないが、あなたは何も感じないのかと質問をする。私はそろそろ、この空気を読まないで登場した閻魔と、うどんげをこれ以上会話させるべきではないと感じ始めた。閻魔は、確実に彼女の昔の事を知っているように思われたからだ。
「戦いから逃げたことは、月の人々には申し訳なく思っている」
「それだけですか」
あなたのために、死んだ者達のことは、何も感じないのか。閻魔がそう言うと、うどんげは不思議そうにめを瞬かせる。何かを察した死神が閻魔に耳打ちをしている。
「なぁ、もういいんじゃないのか」
私たちは、たまの休暇に遊びに来てるだけだ、説教がしたきゃ後にしてくれよ、私がうどんげと閻魔との間に割って入る。
「なるほど、すべてに蓋をしてやってきたというわけですか」
「そのようです」
あなたが地上のうさぎとしてここで死ぬのはあなたの勝手だが、私はあなたを地獄に送る。彼女ははっきりとそう言った。うどんげは、えっと驚く。確かに、逃げたのは申し訳ないが、ぎゃくに言えば只それだけではないかと。
「えぇ、私も単に月から怯えて地上にやってきただけのうさぎを地獄に送るほど、サディストではありませんから」
「おい、そろそろ帰るぞ、うどんげ」
「えぇ、てゐさん、あなたは帰ってもいいですよ。しかしそのウサギには話があります」
閻魔がうどんげの腕をしかとつかみ、逃げられないようにした。
「何、どういうこと? それだったら私だけじゃなくて」
「なるほど、まずはあなたがしっかりと自分の罪を認めなければ、話が進まないようですね」
閻魔は、生前の罪を映し出すと言われている閻魔の持ち物、浄瑠璃の手鏡を取り出してみせる。
「これを見なさい」
これがあなたの罪です。と彼女の目先に突きつける。わたしは、はっとなり、閻魔の腹に飛び込み頭突きをかました。ようやく元気に地上のうさぎとして生活を始めた彼女が、また辛い思いをして生きていくことになると思ったのだ。閻魔が浄瑠璃を取り落とし、私は浄瑠璃が地面にあたって砕ける前に空中で掴み取った。
「てゐさん」
驚くうどんげの手を引いて逃走を図ると、いつの間にか目の前に現れた死神にしたたかに殴られる。
「無礼者」
硬い石畳の地面に頭を強打すると、一瞬意識が飛んだ。人間なら頭蓋骨が陥没でもするかという勢いだったと思う。しばらく、そうして昏倒していたが、目が覚めると目の前には、
意識を失って倒れ込む死神がいた。周囲は騒然とし始めている。
閻魔も片膝をついて、目元を抑えていた。周囲に居合わせた鬼たちが彼女達を肩を持って
なんとか逃げようとしていた。明らかにレイセンに恐怖と驚愕の視線を向けている。
「丁度いい機会です、てゐ」
閻魔が私の持っていた浄瑠璃の鏡を指さす。
「そのウサギがどれほどの悪人か、それを見て確認するといい」
うどんげは、目元を手で覆い隠して、うずくまって震えていた。
「地上で、どれだけの人間や妖怪を医術で助けようと、贖罪などできません」
「そのウサギは必ず、地獄に行くでしょう」
その後は、震える彼女をなんとか家まで連れて帰った。
「おい、大丈夫かよ」
「はい、ちょっとびっくりしましたけど」
彼女は、怖い人でしたね。と震えていた。どうやら、浄瑠璃の鏡のことはもう彼女の頭からは消え去っているようだ。
「なんで、バレちゃったんでしょう」
「閻魔ってのは、人の罪状とかが全部見えるんだ。まぁ、仕方ないさ」
「少し、厳しくありませんか。 逃げたのはダメだけど、それだけで地獄行きなんて」
「気にするな、まぁいつもあんな感じだから」
ちゃんと、真面目に仕事をしてれば平気さ。そう言っては見たものの、私はこの臆病なうさぎのことをそういえばあまり知らないことに気がつく。私の知っている彼女は、働き者で、少々とぼけているが、真面目で。
閻魔は、確かに厳しい存在だが、彼女は彼女なりの温情、甘さ、ちゃんとした規律に沿って行動している。その彼女があそこまで悪しざまに地獄行きをうどんげに告げたのは、私にとってかなりの衝撃だった。うどんげは、一体月でどんなことをしていたのだろうか。
私たちを襲ったのは、地上の化け物らしい。地上でありふれた妖精たちが凶暴化したのだという。他の隊が原因と思われる黒い霧を採取し持ち帰ると月の科学者たちは一様に言葉を失った。黒い霧の正体は、無数に分裂した、汚れをまとった妖精と呼ばれる妖怪。地上でもっとも穢れた妖怪は、目に見えないほどに細かく分裂し、その一つ一つが意思を持ち、月の装備を破壊したのだと言った。そして力の弱いウサギは、その細かい妖怪に心を侵され、味方を攻撃したのだという。バケモノという言葉しかそれを表現する方法を知らない。その事実が兵士達の中に広がるにつれて、月の住民達は、地上の得体の知れない妖怪やおぞましさに恐怖した。兵士達も次第に勇気を失い始め、私たちは、優秀な兵士達を大量に失うこととなった。
「うどんげ、目はどうだ?」
私の眼はその日から、特別なものが見えるようになり始めた、相手の感情の起伏、個人と個人とのつながり、集団がどんな風に繋がっているのか、それが視覚としてわかるようになった。
「もう、大丈夫です」
そうでも言わなければ、私は原隊に復帰することは出来ないと思い、嘘をついた。
爆発で無くした耳の疼きがなくなる頃に、私は元の隊に復帰した。隊はもう私の知っている場所ではなかった。まず、もう私の知っている隊員はほとんどいなくなっていた。そして、私からたったひとつだけ上の先輩の蒼い髪の先輩は隊長として振舞っていた。めぼしいベテランの兵士達は、既に死んでいるか、病院にいた。
「よろしく、お願いします」
私は、リハビリ早々、副隊長の座につくことになった。当然、ほかの隊員達のウケは悪かったが、すぐにそれも変わった。私はあの狂気の1日を過ごした日から、ほかのうさぎにはない、特別な能力を身につけたようだ。月の支配者階級でしか持たない、超常的な力を身につけた。 相手の瞳を見つめると、相手の波長がわかる。相手が次に何をしてくるのか、どんな考えを持っているのかが目に見える。隊員達のシゴキのために、3人ほど同時に軽く叩きのめすと、周りの隊員達の態度は一変した。というか、先輩も仰天していたようだ。さらに、私の戦場での作戦、振る舞いも、神がかり始めた、敵がどこで待ち伏せをしているのか、どこにどんな妖怪がいるのか、相手の力量、とにかくあらゆることがわかる。私は、以前なら決して適わなかった地上の化物を殺すことができるようになった。耳を失ったことで、私の聴力は普通の人間並みに落ち込んでしまったが、私は狂気の夜を過ごしたことで、狂気の瞳を手にいれた。
『ホットラック』
「わぁ」
彼女は、私が仕掛けた罠にすっぽりとハマった。落とし穴を掘り、底にはわらを敷き詰めて彼女が怪我をしないようにした。彼女はそれを訓練だと考え、喜んで参加した。それが終わると彼女に家事を手伝わせた。そうした無意味な繰り返しの中で、彼女が時折こぼす言葉の中、私は彼女が昔にどんな仕事をしていたのか理解することが出来た。
彼女は、元々は月の軍人だった。その仕事をしているうちに、随分と幻想郷の妖怪を殺した、そして彼女が率いる兵士達もたくさん死んだ。もう何十年も前の話になる。しかし、彼女はそんな血なまぐさい生活をしているうちに、仲間がいつ死ぬかわからない生活が恐ろしくなったのだろう。簡単に言えば、脱走兵だ。月に帰れば厳しい罪が待っている。ここ最近はそういった月の兵士達が地上に降りて戦いになったという話は聞いていないが、月では一体どんなことが起こっているのだろう。彼女は、夜になると、月を見上げた。そしてしばらく眺めていると、体を震わせて自分が月から逃げてきたことを思い出して動けなくなる。一緒に戦うべき仲間を見捨てて逃げてきた事や、彼女が殺した地上の生き物への良心の呵責はいつまでたっても終わらないように見えた。
「さぁ、一緒に帰ろう」
月の下で縮こまる彼女の手を引いて、一緒に布団に入ることで、1日が終わる。朝目が覚めると、彼女はすっかりそのことを忘れて、また同じ場所の罠に落ちる。
「先輩、先輩」
いつも、私を見つけると後ろをついてまわってくる。どうやら彼女は自分の事を新入りの臆病な兵士だと考えているようだ。私が思うに、彼女は知り合いが元気だった頃に記憶の時間を巻き戻してしまっている。つまり、彼女は自分が脱走兵だという自覚がない状態なのだろう。 そして、私の事を、別人と勘違いしているようだ。彼女が世話になっていた人と私を混同して考えている。
「なぁ、うどんげ」
「はい?」
「お前、私の名前覚えてるよな?」
彼女は、はい、もちろんです。と答えるものの、しばらく虚空を見つめてぼんやりする。
「てゐだよ、てゐ」
「ああ、そうでした、そうでした」
手を叩いて、彼女は笑う。私はこのままでは良くないと思い、月の医者に頼んだり、里の本屋に行って月のことを調べた。いつまでも彼女が全く同じ1日を繰り返すべきではないと思ったからだ。彼女が受け入れられる嘘を彼女の中に構築してやらなければ、彼女は狂ったテープレコーダーか、壊れた円盤のように同じところを回り続けるだろう。実は彼女に仕事を教えても次の日には綺麗に忘れていることに業を煮やした医者が、対策を考えるように指示してきたのも私が行動を起こそうと思った一因ではあったが。
「おほん」
彼女がいつものように同じ場所の落とし穴にハマっているところ、私は彼女に伝えた。
「今から、お前に、非常に重要な事を伝える」
「えっ」
彼女は私の携えている本を見て、やや怯えているようだった。私の手には古い外の世界の科学の雑多な知識が詰め込まれた雑誌が握られている。その表紙には、青い星が見える場所に、ぼったい服とヘルメットをかぶった人間が、カサカサの地面に旗を立てている写真が印刷されている。
「後で、私の部屋まで来るように」
おほん、おほんと、いつもより多めに咳払いをした。この前に見た戦争物の映画はえらい人はこんなふうに関原市をしていたのを真似ただけのことだったが。
彼女を穴からやっとこさ引っ張り出して、私は里で手にいれたビデオテープを上映した。
机の上には、雑多な、あることないことの書かれた、外の世界の宇宙人や外の世界で作られた武器、ミサイル、宇宙船の雑誌。
「これは?」
彼女がパラパラとページを何気なくめくっているところを見ると、この本やビデオテープは彼女のトラウマに差し障るものではないとわかる。
「いいだろう、では説明しよう」
おほんおほん、と咳払いをして彼女と一緒に、外の世界の人間が月にたっている映像を見た。
『ガガーリンは、言いました。地球はあおかった』
『ソ連、そしてアメリカはお互いのミサイル技術を競い合いました。それが月への月面着陸だったのです』
「みてみな、すごいヨロイだろう」
古い液晶画面に映る人間は、まるっこい服に身を包んでいる。
「空に見える月は、本当はすごく遠い場所なんだ。そこにこんなヨロイと爆弾を持ち込んでいるんだ人間は」
恐ろしいだろう、と彼女に言うと。彼女ははい、すごく怖いですね。とぼんやりして言った。いつしか、私たちの上映会にはほかのうさぎたちも参加していた。彼女とうさぎたちは私のデタラメに熱心に耳を傾けた。私なりに一生懸命調べたことをまとめて話しているつもりではあったが、後々になってやってきた、山の神に質問した時に、私はまるで見当違いの話をしていたことがわかった。しかし、彼女は私の言うことを信じた。
「私は、こんなすごい人間に月が勝てるわけがないと思った」
そうだろう、と彼女に同意を求めると、彼女も頷いた。
「だから、私は月から逃げてきたんだ」
「えっ」
彼女は、やっと、驚いた顔で私を見つめた。
「もちろん、みんなに黙って逃げてきてしまったので、バレたら大変なことになる」
わかるな、と言うと、彼女は体全体を使って強く同意を示した。
「ほかの連中はわからずやだったから、逃げてこなかったけれども、お前だけは逃がそうと思ったから、連れてきたんだよ」
はい、思い出しました。彼女は私の作り話を信じ込んだ。ほかのうさぎたちも私の嘘を本当の事だと思ったに違いない。
「だから、これからは、お互いの事を先輩、後輩で呼び合うのは危ない。バレたら酷い目にあってしまうからな」
「なるほど」
「私は、てゐ。お前は、れいせん、そうだな、カタカナだとバレるからな」
私が鉛筆を撮り、鈴仙、と当て字をして彼女に見せた。
「今日からは、お互いに、名前で呼び会おう、私たちは脱走兵なのだから」
私たちが、地上の妖怪を1番たくさん殺し始めると、月のえらい連中が、私たちの事を調べ始めた。私達の隊は、月にある部隊の中で1番厳しい、耳のない鬼の副隊長がいるということで有名になっていた。
私の体を調べた医者によると、私の体には随分と穢れが溜まっているそうだった。おそらく、私が超能力に目覚めて地上の妖怪と似た力を得たのもそれが原因だろう。地上に降りて戦うことに慣れ始めると、私の力はさらに強くなった。相手の目を見て、相手のことがわかるだけではない。相手の心を操れるようになり始めた。瞳を見て相手を恐怖のどん底にたたき落とすのも、狂気の渦に巻き込むのも自由自在だ。
しかし、そんな特別な力をもっていても、隊員は死ぬ。私がなるべく死なないように隊員達を指揮しても、弱い月のウサギたちは地上のバケモノと戦えば死んだ。
私は、隊員達をむちゃくちゃな方法で訓練し続けた。誰にも死んで欲しくなかった。戦いが激しくなると、兵舎のベッドの朝の持ち主と、夜の持ち主は頻繁に変わった。寝るまもなく、交代の時間になると、誰はともなく交代でベッドを使う。他の誰かの温もりが残っている内にベッドが使い回される。そうした日常を送っているうちに私たちの家は単に兵舎と呼ぶのではなく、特別なあだ名でその場所を呼ぶようになった。私たちは、いつも他の誰かの温もりが絶えない兵舎を「ホットラック」と呼び合うようになった。
私が、隊長の代理として、月の支配者達に現場の士官として説明する日のことだった。その部屋には普段はお目にかかれない、月の最高指導者達がいた。おそらく、月の指導者たちは地上への作戦を一時凍結する事を考え始めていたのだろう。こちらのベテラン兵士たちは死に、女児のような、気の抜けた兵士ばかりが目につき、訓練さえもままならなくなっていたからだ。私は、先輩を含めて生き残った古参の兵士だった。
最初は耳のない私の容貌に、出席者全員が驚いていた。私は、もう戦いを続けることが無理だと感じ始めていた。地上の妖怪達への憎悪が消えた訳では無い。隊長を卑劣な方法で殺し、後輩の亡骸を弄んだ妖怪を殺せることを夢見ていたものの、訓練をまるで積んでいない、腑抜けの隊員たちと一緒に戦場に行くことに辟易していた。
その頃の私は、もう普通のウサギの兵士と呼べる力の持ち主ではなかった。相手をひとにらみすれば、相手をキチガイにすることや、自殺させることも出来る地上の妖怪同様のバケモノになっていた。その場に出席していた強い力のある月の支配者たちも私なら皆殺しにすることが出来ただろう。
月の戦力は、当初の目的を果たせないほど弱くなったと伝えると、月の幹部たちは
色々と苦言を呈したが、私は黙殺した。彼らの当初の目的である、地上の浄化作戦という方針さえなければ、皆死ななかった。私がじろりと彼らを睨むと、彼らは押し黙った。
「あなたは、何故、地上の妖怪に勝てるの」
部屋の簾のような敷居で阻まれた部屋の奥から、女の声が聞こえた。おそらく、月の最高責任者の2人の姫のひとりだと思った。
「訓練をつみました」
壁の向こうの女は、甲高く笑って「嘘でしょう」という。
「ねぇ、お姉さま」
彼女達が談笑し始めると、ほかの出席者たちは全て押し黙った。彼女達は月の中でもまるで別格の権力者なのだと感じた。そうして、10分ほどの談笑が終わると、そのひとりが言った。
「わかったわ」
地上の浄化作戦は一時凍結しましょう。月の最高責任者が言い放つと、どよどよと支配者たちがざわめく。
「ただし、今すぐというわけには行かない」
何か、大きな戦果が欲しい。このまま軍隊を撤退させると、次の作戦の指揮に差し障る。そういうことだった。やっと、この戦争が終わる。最初に隊に入ってきた頃の自分と、今の自分は随分別のうさぎになった。
私が一礼して部屋から出る前に、奥の部屋にいた、月の支配者から呼び止められる。
「あなた、なんて名前」
私は、自分の所属と階級、名前を告げた。
「レイセンです」
「ふぅん」
呼び止められた意味はよくわからなかったが、どうやら超能力に目覚めたことは相手はわかっているようだった。
「あなた、うさぎよね? 耳はどうしたの?」
「負傷してなくしてしまいました」
なんか、うさぎじゃないみたいね。とひそひそと聞こえる。また後ほど話を聞かせてもらうと、支配者の1人がいう。敬礼して退出する私に、女のひとりが言った。
「あなた、可愛い顔してるわね」
彼女の時間は進み始めた。次第に罠の位置を覚え、医者の教えをノートに取るようになった。
「てゐさん、おはようございます」
「おはよう」
相変わらず、一緒の布団に入らないと、彼女は落ち着かないようだった。朝目が覚める時は彼女が先に私を起こした。
「さて、うどんげ」
お前もここの暮らしになれないといけない、だからちょっと遠出をして、色々なことを勉強しよう、そう提案すると、彼女は
「わかりました」
素直に、遠出ができることを喜んだ。どこからどうみても、地元のうさぎ女だった。耳がないことは、適当に地上に降りた時に怪我をした、とでも言っておけば彼女は特に疑いもしない。彼女はもう、戦場のフラッシュバックに悩む兵士ではなく。単に臆病で、弱い戦闘経験も大してない、脱走うさぎになっていた。たまに、彼女の昔の話を探ろうと話題をふっても、
「はて、何のことですか?」
といたずらっぽく彼女は笑う。
そう言った具合で、彼女自身が作った都合のいい設定の中で、彼女のトラウマは封印された。時折彼女が月を見上げても、彼女が見捨てた味方たち、殺した妖怪の事を思い出すことはもうない。
「今日は、三途のほとりまで行こうか」
「はぁ、なんだか恐ろしいですね」
「赤い花が綺麗なんだ」
ついでに、近くの屋台でちょっと遊ぼうか、などといえば、もうすっかり年頃の娘らしくはしゃいで、稼いだ財布などを持っていく。道すがらに出会う、不死者や幽霊たちに驚きながらも挨拶をしていく。
私が、その人物達に「うちの新入りだ」とでも紹介すれば、何も問題はなかった。もしかしたら、彼女の都合の中でそろそろ、自分が生粋の地上のうさぎなんだと思い始めるのではないのかとも思った。
少し前の、あまりに気の毒な姿を思えば、こちらの方が嘘でもずっと良いと思った。辛すぎる事実は受け止めないで、逃げるのがうさぎらしい生き方だと私はつねづね考えている。
しばし、時間を忘れて、三途の川のほとりにある屋台で遊んでいた。死に際に来る場所とは思えないほどに賑やかな場所で、外来の果物に甘い砂糖菓子を塗ったもの、射的、輪投げ、そういったものがところ狭しと並べられる。今までのように、多くのうさぎたちが私の目の前でそうしたように、寿命で先に幸せに死ぬ。彼女もそのひとりになると確信し始めた頃だ。やはり、彼女の地獄はまだ、終わっていなかった。
射的に夢中になる私たちに、肩を叩いて、声をかける、しかめっ面の少女が現れた。
「ほら、この桃美味しいでしょう」
「恐れ入ります」
この月の支配者である二人の姉妹は、時折こうしてうさぎを招き入れて愛玩することが趣味であると聞いたのは、冗談だと思っていた招待を受けたあとで先輩に聞いた話だ。最初に招き入れられた時には、作戦行動の現場の話でも聞きたいのかと思い、いくつか資料を持っていったのだが、彼女達の話は、本当に取り留めがない只の井戸端会議同然だった。実際のところ、本当に作戦行動が凍結しかかっている状態であったので、無駄に危険な出撃をしないで済むのだからありがたい話ではあったが、月の支配者のゴキゲン伺いをする私は常に失言で彼女達の期限を損ねたら大変だと、冷や汗をかいていた。
「なーんか、耳がないと、人みたいに見えるわねぇ」
「申し訳ありません」
一応作り物の耳でもつけようかと思ったが、帽子をかぶって接待するのも如何なものかとそれはやめておいた。
「ねぇねぇ、レイセン」
彼女達は、私に妙な提案をする。私にこの部屋のお付にならないかと持ちかける。月の階級では彼女達月人と、うさぎたちには隔絶たる差がある。持ちかけられたら普通は断れないし、断らない。
「何故ですか」
耳のないウサギなど、愛玩に適さないのではないのかと、私としては真っ当な理由を述べたが、彼女達はつまらなそうに鼻を鳴らして桃を小分けにして私に出す。
「だって、ほかのうさぎはつまらないもの」
彼女達の戯言にいくらか付き合ったあと、彼女達が私への質問に飽きると、私はホットラックへ向かう。最近は地上への降下作戦も減り、新兵への訓練が主な仕事になりつつあった。
ホットラック周辺の訓練施設に顔を出すと、まるで女児の部活動かなにかのような光景が広がっている。ため息が思わず漏れる。なるほどこれで、地上のバケモノと戦うというのは絶対に無理なのも頷ける。昔にやられた、意気地無し地面に埋めて、頭だけ出して1日放置するなどといった処罰が懐かしく思える。先輩の指導する私たちの部隊の訓練を見に行くと、やはり似たような状態になっていた。隊員をぶん殴ると、泣き出すし、ちょっとマラソンをやらせると、吐きもしないうちに座り込んで訓練にならない。
たまに、昔の生き残り達と顔を合わせると、話題はいつも一つに尽きた。あの狂気の夜に失った仲間の仇討ち。
「先輩、ただいま戻りました」
先輩もおかえりと、幾分げっそりした顔をして出迎える。先輩が、ため息を漏らして、こんな連中、地上に放逐しちまえばいいんだ、という。向こうのウサギたちはこれよりかは幾分かやる気があるらしい。
「しかし、こいつらを訓練しないと、浄化作戦もままなりません」
私が先輩を激励するものの、先輩の顔色は冴えない。
「なぁうどんげ、私はもういいんじゃないかと思う」
先輩は、随分老け込んで、最近はいうことも気合がなくなった。私たちが命懸けでやった地上の浄化作戦も、たいした効果もなく、こうして終わる。次にどんな兵士が地上に降りるのかはわからないが、きっとそいつらも失敗する。私は、先輩を敗北主義者だと、思った。事実そう言った。
「隊長たちの敵をとらなくてもいいんですか」
先輩は、とりたいに決まってる、あの夜、私たちが頭をぶち抜いた仲間のためにも取らなきゃならないという。だが、見ろこの赤ん坊のような兵隊を、こいつらが1人前になるのにいつまでかかる。
「なら、私ひとりでも地上に降りて戦います」
無許可の作戦行動などとったら、軍法会議で除籍ものだ。先輩は落ち着いて聞けよ、と私の肩を叩く。
「なぁ、それに、うどんげ、お前は最近あの姉妹のお気に入りときた」
結局のところ、地上の浄化作戦なんてあのふたりの気まぐれさ、あのふたりの師匠、永琳様が地上に消えて、私達はその焚き付けにされただけなんだよ。私達の戦争もそろそろ終わりにしよう。先輩はそう言った。
「馬鹿な」
「お前は病院にいたが、隊長たちが死んで、私が代わりにあのベッドに入った時」
先輩はしばらく言葉を押しとどめて、ためらいがちに言った。
「次は、私の番だって、もう今だからいうが、震えが止まらなかったよ」
だからもう、ここらで終わりにしようじゃないか。お前はあのふたりのお気に入りだ、除隊なんてスグさせてもらえるんだろう。先輩の波長は気の迷いもなく、いつも通り、大きく穏やかだった。考えた末の言葉だとわかる。逆に私は、思いつくありとあらゆる悪態をついて、ホットラックを出た。昔の兵士達に連絡を取る方法を考えながら、無断で装備を取り出した。
「何故、あなたがここにいるのです」
目の現れた、いかにも頭の硬そうな口調の少女は、地獄の閻魔だった。その隣には閻魔のお付である赤毛の死神もいる。うどんげはぽかんと彼女達を眺めている。
「別に、休みの日に何しようが勝手だろ」
「あなたに聞いているのではありませんよ、てゐさん。そこにいる月のうさぎです」
「はぁ、私ですか」
うどんげは、どなたでしょう。と聞くと。彼女は律儀に返事をする。
「私は、幻想郷の魂の裁判を地獄で取り仕切っている閻魔、映姫」
こちらは、死神の小町。隣の自己紹介が済むとうどんげは、はぁ、それはどうもと言った具合で軽く会釈する。
「ここに、あなたが贖罪するべき人はいません」
ようやく、うどんげは、自分が月の脱走者であることが相手にバレていると察知して、体を硬直させる。
「私は、確かに、脱走者です」
「そうですね」
地上の人間に恐れて、月から逃げ出した、臆病なうさぎです。彼女は彼女の記憶に従って告白する。
「ですが、今はもう身も心も、地上のうさぎです」
「そのようですね」
閻魔は、手鏡がなにかでうどんげを照らしてみせる。うどんげの体を何かしらの方法で精査しているのだろう。
「あなたの体は、もう地上の穢れに染まっていますね」
「なので、地上のうさぎとして、地上で死にたいのです」
閻魔は、まゆをひそめる。それは構わないが、あなたは何も感じないのかと質問をする。私はそろそろ、この空気を読まないで登場した閻魔と、うどんげをこれ以上会話させるべきではないと感じ始めた。閻魔は、確実に彼女の昔の事を知っているように思われたからだ。
「戦いから逃げたことは、月の人々には申し訳なく思っている」
「それだけですか」
あなたのために、死んだ者達のことは、何も感じないのか。閻魔がそう言うと、うどんげは不思議そうにめを瞬かせる。何かを察した死神が閻魔に耳打ちをしている。
「なぁ、もういいんじゃないのか」
私たちは、たまの休暇に遊びに来てるだけだ、説教がしたきゃ後にしてくれよ、私がうどんげと閻魔との間に割って入る。
「なるほど、すべてに蓋をしてやってきたというわけですか」
「そのようです」
あなたが地上のうさぎとしてここで死ぬのはあなたの勝手だが、私はあなたを地獄に送る。彼女ははっきりとそう言った。うどんげは、えっと驚く。確かに、逃げたのは申し訳ないが、ぎゃくに言えば只それだけではないかと。
「えぇ、私も単に月から怯えて地上にやってきただけのうさぎを地獄に送るほど、サディストではありませんから」
「おい、そろそろ帰るぞ、うどんげ」
「えぇ、てゐさん、あなたは帰ってもいいですよ。しかしそのウサギには話があります」
閻魔がうどんげの腕をしかとつかみ、逃げられないようにした。
「何、どういうこと? それだったら私だけじゃなくて」
「なるほど、まずはあなたがしっかりと自分の罪を認めなければ、話が進まないようですね」
閻魔は、生前の罪を映し出すと言われている閻魔の持ち物、浄瑠璃の手鏡を取り出してみせる。
「これを見なさい」
これがあなたの罪です。と彼女の目先に突きつける。わたしは、はっとなり、閻魔の腹に飛び込み頭突きをかました。ようやく元気に地上のうさぎとして生活を始めた彼女が、また辛い思いをして生きていくことになると思ったのだ。閻魔が浄瑠璃を取り落とし、私は浄瑠璃が地面にあたって砕ける前に空中で掴み取った。
「てゐさん」
驚くうどんげの手を引いて逃走を図ると、いつの間にか目の前に現れた死神にしたたかに殴られる。
「無礼者」
硬い石畳の地面に頭を強打すると、一瞬意識が飛んだ。人間なら頭蓋骨が陥没でもするかという勢いだったと思う。しばらく、そうして昏倒していたが、目が覚めると目の前には、
意識を失って倒れ込む死神がいた。周囲は騒然とし始めている。
閻魔も片膝をついて、目元を抑えていた。周囲に居合わせた鬼たちが彼女達を肩を持って
なんとか逃げようとしていた。明らかにレイセンに恐怖と驚愕の視線を向けている。
「丁度いい機会です、てゐ」
閻魔が私の持っていた浄瑠璃の鏡を指さす。
「そのウサギがどれほどの悪人か、それを見て確認するといい」
うどんげは、目元を手で覆い隠して、うずくまって震えていた。
「地上で、どれだけの人間や妖怪を医術で助けようと、贖罪などできません」
「そのウサギは必ず、地獄に行くでしょう」
その後は、震える彼女をなんとか家まで連れて帰った。
「おい、大丈夫かよ」
「はい、ちょっとびっくりしましたけど」
彼女は、怖い人でしたね。と震えていた。どうやら、浄瑠璃の鏡のことはもう彼女の頭からは消え去っているようだ。
「なんで、バレちゃったんでしょう」
「閻魔ってのは、人の罪状とかが全部見えるんだ。まぁ、仕方ないさ」
「少し、厳しくありませんか。 逃げたのはダメだけど、それだけで地獄行きなんて」
「気にするな、まぁいつもあんな感じだから」
ちゃんと、真面目に仕事をしてれば平気さ。そう言っては見たものの、私はこの臆病なうさぎのことをそういえばあまり知らないことに気がつく。私の知っている彼女は、働き者で、少々とぼけているが、真面目で。
閻魔は、確かに厳しい存在だが、彼女は彼女なりの温情、甘さ、ちゃんとした規律に沿って行動している。その彼女があそこまで悪しざまに地獄行きをうどんげに告げたのは、私にとってかなりの衝撃だった。うどんげは、一体月でどんなことをしていたのだろうか。