人を、待っている。
その人は来るかどうかも分からないし、いつ来るかも分からない。
待ちぼうけというやつだ。
でも、こんな時間も悪くない。未だに効率主義のような、虚無の時間が廃絶されるような風潮もあるが、少なくとも私は好きだ。
こういう時間にこそ、その人間性や生き様が映されるし、こういう時間にこそ人間は成長するのだと思う。
場所は、大学の中庭である。レンガ造りのベンチに腰掛け、空と人ごみとを交互に見やったりしている。注意して眺めても、人ごみの中に私のお目当ての人物はいない。分かりやすい格好しているくせに、こんなときには見当たらないんだ。
空は子供がペンキで塗りたくったような白浮雲と、本当の雲はこうだ、と言わんばかりにアピールする鉛色の雨雲と、ほんのわずかに垣間見える澄んだ青で満たされている。
「口、開いてるわよ」
「おおっと、こいつは失敬。遅かったね」
「文句ならあの助教授に言ってちょうだいな」
「いやいや、文句だなんて。むしろ成長させてもらったわ」
「何の話?」
「こっちの話」
へらへらと笑う私と、ひらひらと舞う彼女の髪は、大して見事な対比にもなっていないだろう。金と形容するよりはむしろ黄色というか、ともかく綺麗な髪だ。私のそれは黒と茶の間みたいな色をしているから、さながらレモネードとコーヒーのような色合いだろう。
「で、どうしてこんなところで遁世じみたことしてたわけ?」
「――別に。特に理由は無いよ。メリーを待ってただけ」
「げ、また連れ回されるの? 週末までのレポートあるんだからね」
「違う違う。今日はこれで講義おしまいでしょ? 一緒に帰ろうよ」
「また私の部屋に転がり込む気?」
なんだかひどく失礼なこと(事実)を言われているけれど、そんなことで腹を立てるような宇佐見蓮子ではない、そもそもあれは転がり込んでいるというよりは転がった先がたまたまメリーの家だっただけで、初めからヒモみたいなことをしようとは皆目思っていないぞ。
「……んー、今日はいいや」
「そ、まあ今から帰るのは事実だし――あ、そうだ。私気になってたお店があるのよ。ブレイクがてら行ってみない?」
「へえ、メリーのお眼鏡に適うなんて大したカフェじゃない」
「雨も降りそうだし、急ぎましょ。そう遠くないから大丈夫」
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「――って言ったのは誰かしらね」
「私は悪くないじゃない、悪いのはいつだって政府であり同時に地球よ」
「はいはい、私が傘持っててよかったわね」
相合傘である。
一人用の傘に二人が入ればそれはもう、狭いどころの話ではない。あとメリーのいい香りがしてすこしどきりとしてしまう。
「この時代に折畳みのコウモリ傘なんて、蓮子くらいしか持ってないわよ」
「レトロ趣味な私としては欠かせないアイテムなの。知ってる? 昔の保育士は傘で空を飛んで通勤してたんだってさ」
「また変な知識仕入れて」
こういう屁理屈にもなっていない言い訳をするメリーはなかなかに珍しい、と思う。これが私にだけ見せてくれる姿だったらどれだけ嬉しいだろうとは考えるが、メリーは私の所有物じゃあないことくらい私は知ってる。
「ま、私は雨ってけっこう好きだけどね」
「そう? 私は――手放しで歓迎できる程ではないわね」
「この『人間はどこまで行っても自然の全てを支配できはしない』って感じがね、素敵よ」
「鬱屈してる」
沈黙が、流れる。
でも、決して気味の悪いものではない。お互いが信頼し合っているからこそ、野暮な返答や相槌はいらないと思っているのだ。と思う。
雨が傘をはたく、ぱたぱた、ぴとんといった音。靴が地面を、そして水溜りを踏みしめる、こつこつ、ぱちゃんといった音。そして二人の衣擦れの音が傘の中で響く。
「メリーとね」
「ん?」
「メリーと話がしたかったのよ」
「――そ」
「私のやってることって――やりたいことって何なのかわからなくなっちゃって」
「うんうん」
「倶楽部活動、なんて子供みたいなことやめたほうがいいのかなって、さ」
「そう。ごめんなさい、気づけなくて」
「いや、メリーは何にも悪くないよ。敢えて言うなら悪いのは政府、でしょ?」
「ふふ、そうだったわね」
「でも、私は好きよ。こういう関係」
「――」
「大学生でも、女性同士でも、ましてや同じ志を持つわけでもない、倶楽部の部員じゃない。そりゃあもちろん共通している部分としてそれらはあるけれど、重要ではないわ。こんな関係は他とは持てないもの」
「……なんか意外」
「これでもね、蓮子のことをすごく大事に想ってるのよ。伝わってないかもしれないけど」
「そう面と向かって言われると、若干恥ずかしい、けど」
「蓮子って、意外とかわいいわよね」
「聞き捨てならないなあ」
「褒めてるの――あ、あそこよ。あの鞄屋さんの隣」
「ちょっと、話変えないでよ」
メリーが腕を伸ばし、指で示す。濡れることも厭わずに、臆することもなく。
ばれない程度に傘をメリーの側に寄せた。
「お客さん、少ないみたいだね」
「いいじゃない、独占できるわよ」
雨は、止まない。強さを増すこともなく降りしきる。
「そうだ、蓮子」
「んー?」
「帰りに、ケーキでも買っていきましょ?」
「お、賛成」
急ぐ必要は無い、なら、走る必要も無いだろう。
二人で傘に包まれながら、ゆっくりと肩を寄せてカフェへ向かい歩き出した。
雨はまだ降り続いている。
その人は来るかどうかも分からないし、いつ来るかも分からない。
待ちぼうけというやつだ。
でも、こんな時間も悪くない。未だに効率主義のような、虚無の時間が廃絶されるような風潮もあるが、少なくとも私は好きだ。
こういう時間にこそ、その人間性や生き様が映されるし、こういう時間にこそ人間は成長するのだと思う。
場所は、大学の中庭である。レンガ造りのベンチに腰掛け、空と人ごみとを交互に見やったりしている。注意して眺めても、人ごみの中に私のお目当ての人物はいない。分かりやすい格好しているくせに、こんなときには見当たらないんだ。
空は子供がペンキで塗りたくったような白浮雲と、本当の雲はこうだ、と言わんばかりにアピールする鉛色の雨雲と、ほんのわずかに垣間見える澄んだ青で満たされている。
「口、開いてるわよ」
「おおっと、こいつは失敬。遅かったね」
「文句ならあの助教授に言ってちょうだいな」
「いやいや、文句だなんて。むしろ成長させてもらったわ」
「何の話?」
「こっちの話」
へらへらと笑う私と、ひらひらと舞う彼女の髪は、大して見事な対比にもなっていないだろう。金と形容するよりはむしろ黄色というか、ともかく綺麗な髪だ。私のそれは黒と茶の間みたいな色をしているから、さながらレモネードとコーヒーのような色合いだろう。
「で、どうしてこんなところで遁世じみたことしてたわけ?」
「――別に。特に理由は無いよ。メリーを待ってただけ」
「げ、また連れ回されるの? 週末までのレポートあるんだからね」
「違う違う。今日はこれで講義おしまいでしょ? 一緒に帰ろうよ」
「また私の部屋に転がり込む気?」
なんだかひどく失礼なこと(事実)を言われているけれど、そんなことで腹を立てるような宇佐見蓮子ではない、そもそもあれは転がり込んでいるというよりは転がった先がたまたまメリーの家だっただけで、初めからヒモみたいなことをしようとは皆目思っていないぞ。
「……んー、今日はいいや」
「そ、まあ今から帰るのは事実だし――あ、そうだ。私気になってたお店があるのよ。ブレイクがてら行ってみない?」
「へえ、メリーのお眼鏡に適うなんて大したカフェじゃない」
「雨も降りそうだし、急ぎましょ。そう遠くないから大丈夫」
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「――って言ったのは誰かしらね」
「私は悪くないじゃない、悪いのはいつだって政府であり同時に地球よ」
「はいはい、私が傘持っててよかったわね」
相合傘である。
一人用の傘に二人が入ればそれはもう、狭いどころの話ではない。あとメリーのいい香りがしてすこしどきりとしてしまう。
「この時代に折畳みのコウモリ傘なんて、蓮子くらいしか持ってないわよ」
「レトロ趣味な私としては欠かせないアイテムなの。知ってる? 昔の保育士は傘で空を飛んで通勤してたんだってさ」
「また変な知識仕入れて」
こういう屁理屈にもなっていない言い訳をするメリーはなかなかに珍しい、と思う。これが私にだけ見せてくれる姿だったらどれだけ嬉しいだろうとは考えるが、メリーは私の所有物じゃあないことくらい私は知ってる。
「ま、私は雨ってけっこう好きだけどね」
「そう? 私は――手放しで歓迎できる程ではないわね」
「この『人間はどこまで行っても自然の全てを支配できはしない』って感じがね、素敵よ」
「鬱屈してる」
沈黙が、流れる。
でも、決して気味の悪いものではない。お互いが信頼し合っているからこそ、野暮な返答や相槌はいらないと思っているのだ。と思う。
雨が傘をはたく、ぱたぱた、ぴとんといった音。靴が地面を、そして水溜りを踏みしめる、こつこつ、ぱちゃんといった音。そして二人の衣擦れの音が傘の中で響く。
「メリーとね」
「ん?」
「メリーと話がしたかったのよ」
「――そ」
「私のやってることって――やりたいことって何なのかわからなくなっちゃって」
「うんうん」
「倶楽部活動、なんて子供みたいなことやめたほうがいいのかなって、さ」
「そう。ごめんなさい、気づけなくて」
「いや、メリーは何にも悪くないよ。敢えて言うなら悪いのは政府、でしょ?」
「ふふ、そうだったわね」
「でも、私は好きよ。こういう関係」
「――」
「大学生でも、女性同士でも、ましてや同じ志を持つわけでもない、倶楽部の部員じゃない。そりゃあもちろん共通している部分としてそれらはあるけれど、重要ではないわ。こんな関係は他とは持てないもの」
「……なんか意外」
「これでもね、蓮子のことをすごく大事に想ってるのよ。伝わってないかもしれないけど」
「そう面と向かって言われると、若干恥ずかしい、けど」
「蓮子って、意外とかわいいわよね」
「聞き捨てならないなあ」
「褒めてるの――あ、あそこよ。あの鞄屋さんの隣」
「ちょっと、話変えないでよ」
メリーが腕を伸ばし、指で示す。濡れることも厭わずに、臆することもなく。
ばれない程度に傘をメリーの側に寄せた。
「お客さん、少ないみたいだね」
「いいじゃない、独占できるわよ」
雨は、止まない。強さを増すこともなく降りしきる。
「そうだ、蓮子」
「んー?」
「帰りに、ケーキでも買っていきましょ?」
「お、賛成」
急ぐ必要は無い、なら、走る必要も無いだろう。
二人で傘に包まれながら、ゆっくりと肩を寄せてカフェへ向かい歩き出した。
雨はまだ降り続いている。