1.
トリ曲になる、エドヴァルド・グリーグの「過ぎし春」を滞りなく演奏し終えたルナサ・プリズムリバーは、肩を大きく揺らしながら二人の妹と目を合わせて、詰まりそうな息を少しだけ吸った。そうして左手でメルランの肩を、右手でリリカの頭を抱き寄せ、胸にふつふつと沸きおこる熱を込めて大きく息を吐いた。三人分のむせ返るような汗の匂いと、直後に湧き上がる数えきれない歓声と拍手の響きに、酔いしれるような幸福感と達成感があった。身体中に熱い興奮を、そして一際強い熱を目尻に感じながら、ルナサは歓喜に声を上げた。
今日はお疲れ様と、ステージ裏に戻って口を開きかけたルナサは、突如自分にのしかかる衝撃によって、それを達成できなかった。
「ぐぇ」
「あ、メル姉ずるい」
倒れる途中に、何やら叫び声が聞こえたと思ったところに、第二波の衝撃。
「きゃあ」
「ぅ」
「んきゅ」
二つの悲鳴に紛れて、低い呻き声が漏れた。氷精に撃ち抜かれた蛙でさえ、もう少し可愛らしい断末魔をあげるだろうに。二人分の体重の下敷きになった憐れな長女は、自由奔放を地でゆく妹どもに文句の一つも言ってやろうと目を開けて、その自由奔放を地でゆく二つの笑顔を前に口を閉ざしてしまった。それが少しだけ悔しくて、ルナサは目の前の太陽のような笑顔の上から手刀を浴びせた。
何はともあれ、ライブは無事に終わったのだから。目を潤ませてこっちを睨む妹をよそに、ルナサはそう思って笑みをこぼした。
2.
廃洋館のバルコニーの柵に肘をついて、涼しい夜風にあたっていたリリカは、室内から聴こえてくるヴァイオリンの音色に気が付いた。それは決して主張し過ぎず、影のように周囲に馴染む音。長女の性格そのままを表したような、心安らぐ音。リリカは目を閉じて、風と弦の調に耳を傾けてた。
「でも、選曲がナンセンスね。『朝の気分』なんて」
「そう言うな。好きなんだよ」
隣で苦笑をまじえたルナサが言う。笑みが零れるたびに、手に持ったグラスの中で紅いワインが波打った。
「今夜はなんだか特別な気分なんだ。あの子のことが頭から離れなくて、つい興に乗ってしまう」
リリカも同じ気持ちだった。だから、くっくっと小さく笑った。
「夜はまだまだこれからね」
「うん。星が本当に綺麗だ」
「月も綺麗よ。ルナ姉さん」
「ふふ、それはよかった」
どちらからともなく、グラスを打った。なんてことはない、いつも通りの夜だった。リリカは一際強い輝きを放つ織姫星を見上げながら、そういえばあの子もワインが好きだったなと、グラスの中身を飲み干した。飲み終えてから、少し勿体無かったかなとも思った。そっと横を見やると、ルナサのグラスも乾いていて、それがちょっぴり恥ずかしくて、嬉しかった。
屋根の上に腰掛けたメルランが夜の空に向けて歌っていた。
「ねえ、愛しのリラ。星になったあなた。その光の中から、私達のことが見えるかな。その輝きの中に、私達の音は聴こえるかな。今、何を見ているの。どんなことを話してるの。ねえ、愛しのリラ」
姉にしては悲しい歌だと思った。リリカは左隣にいる方の姉の手を握って、少し背の高い肩に頭を預けた。
「愛しの、妹」
星に捧げられた歌声は消えることなく、夜へと響いていた。
3.
レイラ・プリズムリバーは幸せ者だった。
自らが作り出した三人の姉に見守られながら、幸せに死んだ。古ぼけた洋館で、見ず知らずだった土地で、天寿を全うした彼女は、皺だらけの顔を子供のように晴れさせて息を引き取った。
握りしめていた手が硬く冷たくなるのを感じ取り、メルランは静かに息をついた。
「……おやすみなさい。レイラ」
それを皮切りにして、低い嗚咽が聞こえた。リリカがルナサの胸に顔を埋めて肩を震わせていた。姉と目を合わせたメルランは、小さく頷いた。ルナサもまた、それを見て小さく笑った。悲しい微笑みだった。悲しいからこそ笑っているんだと思ったし、笑ってるから悲しいんだとも思った。
かなわないなあ、とメルランは目を覚ますことがなくなった妹の髪を撫でた。自分と似て癖っ毛だったその髪は、雪のように白く、霜のように柔らかな手触りで、今にも溶けて消えてしまいそうだった。
「ねえ、レイラ。貴女はすごいよ。貴女は私達に『居場所』をくれたんだ」
小さくそう呟いた。レイラの寝顔はこの上なく安らかで、きっとこの声も聞こえているんだと思って、メルランは掠れた声を重ねた。
「私達を一つにしてくれた。この洋館での生活をもう一度楽しむことができた。ええ勿論、貴女との生活も。それに、外を歩けば素敵不思議が一杯の幻想郷。貴女が居なくても、きっと楽しい暮らしが出来るわ」
リリカが声をあげた。ルナサが息を詰まらせた音も聞こえた。
言葉は矢継ぎ早に出てきた。止めてしまうと、もう届かないような気がした。そうして最後に、うんと笑って言った。
「だから……ありがとうね」
笑えていたらいいな、と願った。
星を見たのは、もう随分久し振りのような気がする。
"Lyra Prismriver"と刻まれた墓標の傍に腰を下ろして、メルランは変化のない空を眺めていた。雲を流す風が肌に触れて、小さくくしゃみをした。
雲の切れ間から、三日月が覗いたのを見た。
「風邪を引いてしまうよ」
優しい声とともに、ルナサが空から降りてきた。手に持った上着をメルランの肩にかけ、右隣に坐した。流石に夜は冷えるねと言って、小さな手を二度擦り合わせた。内容に似合わぬ暖かな言葉に、メルランは返事をしなかった。
かなわないなあ、と上着の袖に腕を通しながら嘆息した。いつだってルナサはしっかり者の姉を貫いてくれる。レイラと暮らしていた時も、それが過去になった今でも、変わることなく。そしてそれに甘えてしまう自分のことを、メルランは自覚していた。
「私ね」
「ん」
「上手に笑えていたかな」
「ああ、勿論」
「本当に」
「本当だとも」
メルランは空に向けていた視線を地面に移して、声を落とした。
「私ね」
「ん」
「泣いてはいけないんだって思ってたわ」
「うん」
「知ってたの」
「ああ、勿論」
「本当に」
「本当だとも」
メルランは石畳が映る目を閉じた。
「……かなわないなあ」
「ふふ」
ゆっくりと、少し低い肩に自らの身体を傾けた。瞑った視界には、自分に似た癖っ毛の少女の笑顔が浮かんでは、霞のように薄れていく。しかし決して消えはしない残滓に、少しだけ名残惜しさを想いながら、目を開いた。
思い出になったんだ、そう考えると、右肩に触れる姉の体温が心地良かった。
「私ね」
「ん」
「泣いてもいいんだなって、思ってるわ」
「そっか」
「知ってたの」
「ああ、勿論」
「本当に」
「本当だとも」
4.
「騒霊なのだから、やっぱり騒がしくした方がいいと思うのよねー」
日光暖かな食後のエスプレッソに砂糖を入れながら、リリカは徒然に呟いた。マドラーをくるくると回し、可愛らしい白い泡が表面に浮かぶと同時に鼻をくすぐる香りに顔を綻ばせ、やけどに気を付けて慎重に一口啜る。うん、今日もエレガントに淹れられたわ、そう自分の腕を自賛したところで、リリカは目の前から浴びせられていた二つの視線に返事をした。
「……なに」
「それは流石に」
「安直過ぎじゃないか」
「うっせい」
三人顔を見合わせてにんまりと笑った。
「それにしたって、何か案はあるのかい」
初めに切り出したのはルナサだ。騒がしくといっても、節操無く暴れまわるのでは芸がない。悪く目立ちすぎて巫女に目を付けられてしまう懸念もあった。この世界で受け入れられる騒霊としての立ち位置を考えなければならない。
「それを踏まえたうえで……」
神妙な面持ちで、ルナサは錆びたシャッターのように重々しく口を開いた。リリカは唾を飲んで言葉を待った。
「ラップなんてどうだろう」
「ダジャレかよ」
眩暈に耐えながらカップの中身を飲み干した。苦みと熱で口内をひりひりと痛みが襲ったが、そんなことに構ってられるほど事態は深刻ではなかった。
「失礼な。そもそもラップとは私らポルターガイストに由来する音楽形式であって」
「どっちにしろ変わんないでしょ。いつからそんなにオヤジ臭くなったんだか」
やけどを冷ますために、わざとらしく音を立てながら二度呼吸をしてから、リリカはこれ以上の会話を打ち切るために、テーブルに肘をついて慈悲深い微笑みを浮かべるウェーブ髪の女神へと縋りついた。今だけは迷える子羊となっても構わない覚悟があった。
「メル姉ぇぇ何か言ってよう」
女神は笑みを崩さぬまま、袖を掴む今となってはたった一人の妹と、たった一人の姉へと告げた。
「私は楽器がいいなあ。竪琴に名を貰ったあの子のためにも」
5.
「ね、こんな感じでいいかなあ」
「ええ、良い感じ。もう少し斜めにしたらもっとオシャレで可愛いわ」
「しかしなんというか、落ち着かないな。揃いの衣装というものは」
「言い出したのはルナ姉でしょ。それに一番似合ってるんじゃない」
廃洋館にふさわしい、やたらと広大なエントランスの壮大な姿見の前で、小さな三色の尖り帽子が並んで立っている。黒白赤の順に帽子と同じ色のベスト、それぞれの好みに分かれたスカート(リリカはこっちの方が可愛いとキュロットにしたらしい)に身を包んだ三姉妹は、互いの趣向に大げさに唸ったり、称えたりした。くるりと、あるいはひらひらと、衣装をくまなくチェックし終えた三人は、もう一度互いの衣装にほつれがないか念入りに確認して、誰からともなく笑顔を見せた。
「それじゃ、用意はいいかい」
長女の掛け声に頷くと、三人は床に小さく貼った「ばみり」へ足を揃えた。広大な幻想郷の片隅、この小さなステージの上で、これから騒霊プリズムリバー三姉妹としての新たな「居場所」が確立される。レイラの遺したものだけではなく、三人が自らの意思で幻想郷へと歩み寄る最初の一歩となる。胸を高鳴らせる興奮を隠そうともせずに、ルナサが声をあげた。
「幽霊楽団の初ライブ。きっと成功させよう」
幻想の幕が、今上がったのだった。
トリ曲になる、エドヴァルド・グリーグの「過ぎし春」を滞りなく演奏し終えたルナサ・プリズムリバーは、肩を大きく揺らしながら二人の妹と目を合わせて、詰まりそうな息を少しだけ吸った。そうして左手でメルランの肩を、右手でリリカの頭を抱き寄せ、胸にふつふつと沸きおこる熱を込めて大きく息を吐いた。三人分のむせ返るような汗の匂いと、直後に湧き上がる数えきれない歓声と拍手の響きに、酔いしれるような幸福感と達成感があった。身体中に熱い興奮を、そして一際強い熱を目尻に感じながら、ルナサは歓喜に声を上げた。
今日はお疲れ様と、ステージ裏に戻って口を開きかけたルナサは、突如自分にのしかかる衝撃によって、それを達成できなかった。
「ぐぇ」
「あ、メル姉ずるい」
倒れる途中に、何やら叫び声が聞こえたと思ったところに、第二波の衝撃。
「きゃあ」
「ぅ」
「んきゅ」
二つの悲鳴に紛れて、低い呻き声が漏れた。氷精に撃ち抜かれた蛙でさえ、もう少し可愛らしい断末魔をあげるだろうに。二人分の体重の下敷きになった憐れな長女は、自由奔放を地でゆく妹どもに文句の一つも言ってやろうと目を開けて、その自由奔放を地でゆく二つの笑顔を前に口を閉ざしてしまった。それが少しだけ悔しくて、ルナサは目の前の太陽のような笑顔の上から手刀を浴びせた。
何はともあれ、ライブは無事に終わったのだから。目を潤ませてこっちを睨む妹をよそに、ルナサはそう思って笑みをこぼした。
2.
廃洋館のバルコニーの柵に肘をついて、涼しい夜風にあたっていたリリカは、室内から聴こえてくるヴァイオリンの音色に気が付いた。それは決して主張し過ぎず、影のように周囲に馴染む音。長女の性格そのままを表したような、心安らぐ音。リリカは目を閉じて、風と弦の調に耳を傾けてた。
「でも、選曲がナンセンスね。『朝の気分』なんて」
「そう言うな。好きなんだよ」
隣で苦笑をまじえたルナサが言う。笑みが零れるたびに、手に持ったグラスの中で紅いワインが波打った。
「今夜はなんだか特別な気分なんだ。あの子のことが頭から離れなくて、つい興に乗ってしまう」
リリカも同じ気持ちだった。だから、くっくっと小さく笑った。
「夜はまだまだこれからね」
「うん。星が本当に綺麗だ」
「月も綺麗よ。ルナ姉さん」
「ふふ、それはよかった」
どちらからともなく、グラスを打った。なんてことはない、いつも通りの夜だった。リリカは一際強い輝きを放つ織姫星を見上げながら、そういえばあの子もワインが好きだったなと、グラスの中身を飲み干した。飲み終えてから、少し勿体無かったかなとも思った。そっと横を見やると、ルナサのグラスも乾いていて、それがちょっぴり恥ずかしくて、嬉しかった。
屋根の上に腰掛けたメルランが夜の空に向けて歌っていた。
「ねえ、愛しのリラ。星になったあなた。その光の中から、私達のことが見えるかな。その輝きの中に、私達の音は聴こえるかな。今、何を見ているの。どんなことを話してるの。ねえ、愛しのリラ」
姉にしては悲しい歌だと思った。リリカは左隣にいる方の姉の手を握って、少し背の高い肩に頭を預けた。
「愛しの、妹」
星に捧げられた歌声は消えることなく、夜へと響いていた。
3.
レイラ・プリズムリバーは幸せ者だった。
自らが作り出した三人の姉に見守られながら、幸せに死んだ。古ぼけた洋館で、見ず知らずだった土地で、天寿を全うした彼女は、皺だらけの顔を子供のように晴れさせて息を引き取った。
握りしめていた手が硬く冷たくなるのを感じ取り、メルランは静かに息をついた。
「……おやすみなさい。レイラ」
それを皮切りにして、低い嗚咽が聞こえた。リリカがルナサの胸に顔を埋めて肩を震わせていた。姉と目を合わせたメルランは、小さく頷いた。ルナサもまた、それを見て小さく笑った。悲しい微笑みだった。悲しいからこそ笑っているんだと思ったし、笑ってるから悲しいんだとも思った。
かなわないなあ、とメルランは目を覚ますことがなくなった妹の髪を撫でた。自分と似て癖っ毛だったその髪は、雪のように白く、霜のように柔らかな手触りで、今にも溶けて消えてしまいそうだった。
「ねえ、レイラ。貴女はすごいよ。貴女は私達に『居場所』をくれたんだ」
小さくそう呟いた。レイラの寝顔はこの上なく安らかで、きっとこの声も聞こえているんだと思って、メルランは掠れた声を重ねた。
「私達を一つにしてくれた。この洋館での生活をもう一度楽しむことができた。ええ勿論、貴女との生活も。それに、外を歩けば素敵不思議が一杯の幻想郷。貴女が居なくても、きっと楽しい暮らしが出来るわ」
リリカが声をあげた。ルナサが息を詰まらせた音も聞こえた。
言葉は矢継ぎ早に出てきた。止めてしまうと、もう届かないような気がした。そうして最後に、うんと笑って言った。
「だから……ありがとうね」
笑えていたらいいな、と願った。
星を見たのは、もう随分久し振りのような気がする。
"Lyra Prismriver"と刻まれた墓標の傍に腰を下ろして、メルランは変化のない空を眺めていた。雲を流す風が肌に触れて、小さくくしゃみをした。
雲の切れ間から、三日月が覗いたのを見た。
「風邪を引いてしまうよ」
優しい声とともに、ルナサが空から降りてきた。手に持った上着をメルランの肩にかけ、右隣に坐した。流石に夜は冷えるねと言って、小さな手を二度擦り合わせた。内容に似合わぬ暖かな言葉に、メルランは返事をしなかった。
かなわないなあ、と上着の袖に腕を通しながら嘆息した。いつだってルナサはしっかり者の姉を貫いてくれる。レイラと暮らしていた時も、それが過去になった今でも、変わることなく。そしてそれに甘えてしまう自分のことを、メルランは自覚していた。
「私ね」
「ん」
「上手に笑えていたかな」
「ああ、勿論」
「本当に」
「本当だとも」
メルランは空に向けていた視線を地面に移して、声を落とした。
「私ね」
「ん」
「泣いてはいけないんだって思ってたわ」
「うん」
「知ってたの」
「ああ、勿論」
「本当に」
「本当だとも」
メルランは石畳が映る目を閉じた。
「……かなわないなあ」
「ふふ」
ゆっくりと、少し低い肩に自らの身体を傾けた。瞑った視界には、自分に似た癖っ毛の少女の笑顔が浮かんでは、霞のように薄れていく。しかし決して消えはしない残滓に、少しだけ名残惜しさを想いながら、目を開いた。
思い出になったんだ、そう考えると、右肩に触れる姉の体温が心地良かった。
「私ね」
「ん」
「泣いてもいいんだなって、思ってるわ」
「そっか」
「知ってたの」
「ああ、勿論」
「本当に」
「本当だとも」
4.
「騒霊なのだから、やっぱり騒がしくした方がいいと思うのよねー」
日光暖かな食後のエスプレッソに砂糖を入れながら、リリカは徒然に呟いた。マドラーをくるくると回し、可愛らしい白い泡が表面に浮かぶと同時に鼻をくすぐる香りに顔を綻ばせ、やけどに気を付けて慎重に一口啜る。うん、今日もエレガントに淹れられたわ、そう自分の腕を自賛したところで、リリカは目の前から浴びせられていた二つの視線に返事をした。
「……なに」
「それは流石に」
「安直過ぎじゃないか」
「うっせい」
三人顔を見合わせてにんまりと笑った。
「それにしたって、何か案はあるのかい」
初めに切り出したのはルナサだ。騒がしくといっても、節操無く暴れまわるのでは芸がない。悪く目立ちすぎて巫女に目を付けられてしまう懸念もあった。この世界で受け入れられる騒霊としての立ち位置を考えなければならない。
「それを踏まえたうえで……」
神妙な面持ちで、ルナサは錆びたシャッターのように重々しく口を開いた。リリカは唾を飲んで言葉を待った。
「ラップなんてどうだろう」
「ダジャレかよ」
眩暈に耐えながらカップの中身を飲み干した。苦みと熱で口内をひりひりと痛みが襲ったが、そんなことに構ってられるほど事態は深刻ではなかった。
「失礼な。そもそもラップとは私らポルターガイストに由来する音楽形式であって」
「どっちにしろ変わんないでしょ。いつからそんなにオヤジ臭くなったんだか」
やけどを冷ますために、わざとらしく音を立てながら二度呼吸をしてから、リリカはこれ以上の会話を打ち切るために、テーブルに肘をついて慈悲深い微笑みを浮かべるウェーブ髪の女神へと縋りついた。今だけは迷える子羊となっても構わない覚悟があった。
「メル姉ぇぇ何か言ってよう」
女神は笑みを崩さぬまま、袖を掴む今となってはたった一人の妹と、たった一人の姉へと告げた。
「私は楽器がいいなあ。竪琴に名を貰ったあの子のためにも」
5.
「ね、こんな感じでいいかなあ」
「ええ、良い感じ。もう少し斜めにしたらもっとオシャレで可愛いわ」
「しかしなんというか、落ち着かないな。揃いの衣装というものは」
「言い出したのはルナ姉でしょ。それに一番似合ってるんじゃない」
廃洋館にふさわしい、やたらと広大なエントランスの壮大な姿見の前で、小さな三色の尖り帽子が並んで立っている。黒白赤の順に帽子と同じ色のベスト、それぞれの好みに分かれたスカート(リリカはこっちの方が可愛いとキュロットにしたらしい)に身を包んだ三姉妹は、互いの趣向に大げさに唸ったり、称えたりした。くるりと、あるいはひらひらと、衣装をくまなくチェックし終えた三人は、もう一度互いの衣装にほつれがないか念入りに確認して、誰からともなく笑顔を見せた。
「それじゃ、用意はいいかい」
長女の掛け声に頷くと、三人は床に小さく貼った「ばみり」へ足を揃えた。広大な幻想郷の片隅、この小さなステージの上で、これから騒霊プリズムリバー三姉妹としての新たな「居場所」が確立される。レイラの遺したものだけではなく、三人が自らの意思で幻想郷へと歩み寄る最初の一歩となる。胸を高鳴らせる興奮を隠そうともせずに、ルナサが声をあげた。
「幽霊楽団の初ライブ。きっと成功させよう」
幻想の幕が、今上がったのだった。
静楓さんの色が、さらに色濃く出てくることを期待します