ある日のこと、さとり様が「君の名は。を飼いたい」と言い出した。
「キミノナワ? 何ですかそれ」
「あんた知らないの? 最近外の世界を震撼させてる巨大生物に決まってるじゃないの。何でも海からやって来てtokyo-cityを滅茶苦茶に踏み荒らし、火炎や光線を吐いてtokyo-citizunを恐怖のどん底に陥れているそうよ」
「完全にヤバい化物じゃないですか。そんなの飼える訳ないですよ」
「だからこそ飼うのよ、分からないの? 地底一のペットフリークと誉れ高いこの古明地さとり、相手が化物であればあるほど腕が鳴るってもんよ!」
「そんなもんですかねぇ」
もしかしてあたいもそういう化物枠で飼われてたりするのだろうか。
「さらに、地底一の三流小説家(第三の眼を持つが如き緻密な心理描写を得意とする謎の覆面女流小説家、の略かしら)と誉れ高いこの古明地さとり……」
「いやそれは誉れ高くないですよ! かなり誉れ低いですよ!」
「うるさいわね。とにかくこの私が超危険な巨大生物と聞いて黙ってる筈ないでしょ?」
「黙ってないのはいいですけど、どうするつもりなんですか?」
「そりゃあんた、とっ捕まえるわよ」
「どうやって?」
さとり様はにっこり笑ってあたいの肩を優しく揉んだ。「バケモンにはバケモンぶつけんだよ、って諺にもあるでしょ?」
「初耳です……」
「四つ耳の癖に」
「うるさいわ!」
「ってことで化猫君、一つよろしく頼むよ」
「え? え? あたいが捕まえるんですか? 君の名を?」
「君の名は。」
「君の名は。を?」
「そうそう。もうどんどん捕まえちゃっていいわよ」
「いいわよ、って、そいつそもそも外の世界にいるんじゃないんですか? しかも大騒動になってるならしばらく幻想郷には現れないと思いますけどね」
「じゃあ外の世界に行けばいいわ」
「えぇ……嫌ですよ。あたい仕事ありますし」
「私だってあるわよ。でも巨大生物のためだもの、泣く泣く行くの! 原稿の進捗駄目だけど行くの!」
「さとり様も行かれるんですか!?」
「当たり前でしょ。動物は最初に自分を捕獲した者を親だと思うのよ。もしあんたが君の名は。を一人で捕まえてウチまで連れてきたら、君の名は。は私じゃなくてあんたに懐いてしまうじゃない。だから私も隣にいて君の名は。の共同捕獲者的な雰囲気を出すわ」
「それストックホルム症候群と間違えてません? あと君の名は。連呼するの止めて下さい、混乱するので」
「細かいことはいいから。行くの? 行かないの?」
「行きません」
「へぇ。行かない。なるほど。行かないと。それでいいんだ」
「な、何ですか」
「……幻想郷縁起p112」
「!?」
「『さとりのペットは皆、彼女を慕う事で仲間意識が高い』、とこう書いてあるわ。これはいわば公式設定。私のペットは皆私を慕っているの。慕っているが故に仲間意識が高い。ならば私を慕わなければどうなるかしら?」
さとり様はあたいの返事を待たずに話を続ける。「そう、仲間意識は消失し、地霊殿は崩壊してしまう……! あんたが私に逆らうってことはね、地霊殿を壊滅させることと同義なのよ!」
慕うのと盲従するのは全然意味が違うと思う。
「で、どーすんの。行くの? 死ぬの?」
やたら物騒な物言いとは裏腹に、さとり様は懇願するような目を向けてくる。君の名は。とかいう名の巨大生物に本気で憧れているのだろう。さとり様の動物好きは折り紙付きなのだ。
あたいは頭を掻き、深々と諦めの溜め息を吐いた。
「……分かりました。付き合ってあげますよ」
まぁ、どんな理由であれこの出不精が外出する意欲を持つのはいいことだ。目的地が外の世界というのは、ヒキニートがいきなり宇宙を目指すようなものだろうけど。
「それでこそ我が片腕。付き合わせてあげるわ。さぁ待ってらっしゃい、君の名は。!」
かくして謎の巨大生物、君の名は。を巡るさとり様とあたいの壮大な旅が幕を開けたのである。
「さて到着しました東京都東京区。私リポーターの古明地さとり、そしてこちらが何らかの火焔猫燐。以上二名でお送り致します」
「何らかって何ですか! あと東京区って、適当過ぎますよ幾ら何でも。東京のことよく知らないんならリポーターなんかしないで下さい。っていうかいつの間に東京に着いたんですか。それ以前にどうやって来たんですか外の世界!」
駅構内を埋め尽くさんばかりの人混みに揉まれながら、ゴスロリファッションでハイテンション突っ込みを重ねる猫耳少女ほど痛々しいものはないだろう。
……うぅ、穴があったら地底まで潜りたい。
「しかもセカイとか言っちゃってる、プププ」
「くっ、笑ってないで質問に答えて下……やっぱり答えなくていいんで一刻も早く外に出ましょう」
駅を抜けて東京の街中を練り歩く。駅だけかと思ったら、外も変わらずとんでもない人の多さだ。一人や二人頂いてもバレないんじゃないかな。
「それにしても、化物に襲われてるっていう割には皆普通ですね。パニックにもなってないし、建物とか道路も壊れてないし、肝心の化物もいないし」
「そうねぇ。さっきから道行く人の心読んでるんだけど、別に最近大災害があったみたいな様子はないのよね」
「そうですか……。となるとどうしましょうかね。何か当てはないんですか」
「あっ、ちょっと待って、今いたわ、君の名は。のこと考えてる人いた!」
「ほんとですか!?」
「でも待って、ああ駄目、人が多過ぎて見失っちゃった」
「巨大生物でしたか?」
「それがよく分からないのよ。若い男女の心と体が入れ替わるとか、女の子が口でお酒を作るとか、意味不明な思考が切れ切れに読み取れただけだったわ」
「そいつは関係なさそうですね。困ったなぁ」
その時である。
「……あれ?」あたいはふと足を止めた。「えっえっ、ちょっとさとり様、ちょっとちょっと」
「何何どうしたの」
「あれ、あれ見て下さい!」
あたいは慌てて数十メートル先の雑踏の中を指差した。指差しつつ、見間違えかもしれないのでもう片方の手で目を擦ってみる。
いや、やっぱりそうだ。信じがたいことだが、そこには何とこいし様がいた。あの帽子といい、ふあふあの髪の毛といい、紛れもなくこいし様である。そしてまたまた信じがたいことに、その傍らにはお空、そしてこいし様の友人である秦こころさんの姿があった。お空は大きなカメラを手にしている。
「何あの愉快なイカれたメンバーは! 燐、行くわよ!」
「は、はいっ」
駆け寄っていくと、愉快なイカれた三名はこちらに気付いて手を振ってきた。
「お姉ちゃん、お燐、それにメリーさん。こんなところで会うなんて奇遇ね」
「メリーさんって誰ですか!? あたいら二人だけですよ、怖いこと言わないで下さい。あと奇遇どころの話じゃないですよね? ここ東京ですよ? 世界が違うじゃないですか!」
「プププお燐、大通りの真ん中でセカイとか叫んでる」お空がにやにやウザい笑みを浮かべる。
「そういう年頃なんだろう」こころさんまで……。
「それよりあんたたち何してるの? カメラなんか持って」
「今ね、戦慄怪奇ファイル コワすぎ! FILE-01【口裂け女捕獲作戦】を撮ってるの」
何だか長いタイトルだ。ホラービデオの類なんだろうか。というかどっかで聞いたことあるような……。
その捕獲対象の口裂け女役はこころさんなのだろう、般若の面を付けて例の都市伝説モードになっている。
「そう、この世界線ではあんたが運命の反逆者なのね、こいし……」
何故か深刻ぶったさとり様の反応に、あたいを除く三名は神妙に頷く。
世界線とか運命とか反逆者とか、あたい以上のパワーワードが高密度で出てきたけどそれはいいのか。
「それで、お姉ちゃんたちは何してるの?」
「そうそう、脱線するところだったわ。あんたたち君の名は。って知らない?」
知らない:0%
分からない:0%
東京で見た:100%
「ほんと!?」
「君の名は。って新海監督のでしょ?」
「私たち三人で見てきたもんねー」
「ねー」
「し、しんかい!? 真怪ですって!?」
「ご存知なんですかさとり様!?」
「ええ、真怪といえば、かの妖怪学の開祖・井上円了が提唱した、妖怪の中でも最も不可解で人智を超えた存在を指す概念。彼は真怪についてこう語っているわ。『もし、人智の性質の有限にして、宇宙の事物の無限なるを知らば、人智以外の事物ありて存することがわかる。その体たるや、不可知的不可思議と申すものじゃ。かかる不可思議を名付けて真怪とするときは、世界に真怪の存するは疑うことができぬ』……君の名は。がそんな超越的な存在によって作り出された生物だったとは……。こいつは面白くなってきたわね」
「……こいし様、一体どこで君の名は。を見たんですか?」
「待ってて、地図書いてあげるから」
巨大生物、君の名は。は魔都東京に依然として潜んでいるという。そして君の名は。に纏わる奇妙な噂の数々……井上円了、真怪……。俄に不穏な気配が立ち込める中、我々取材班はこいし様の地図を頼りにいよいよ君の名は。がいると思しき謎の地へと向かったのである。
「うっ……うぅ、ぐすっ」
「燐」
「はい……ぐすん」
「あんたいつまで泣いてるの」
「だっ、だってぇ」あたいは止め処なく込み上げてくる嗚咽を必死に堪える。「き、君の名は……。」
「君の名は。」
「君の名は。……」
「が何よ」
「すっごいよかったですねぇ……」
「ったく」
さとり様はやれやれと首を振る。
「確かによかったわ、君の名は。確かに面白かった。カンドーした。だけどね」
「だけど、何です?」
「映画じゃん」
「まぁ……そうでしたね」
「巨大生物じゃないじゃん。作中にも巨大生物出てこなかったじゃん。君の名は。なんて巨大生物の名を冠しておきながら、巨大生物の巨の字も出ない恋愛映画だったじゃん」
「……一つ思ったんですが」
「何よ」
「そもそも君の名は。ってほんとに巨大生物の名前なんでしょうか。何か違うものと勘違いしている可能性もあるのでは?」
「はァー? そんな訳ないでしょ? 君の名は。っつったらどこからどう見ても巨大生物でしょうが。君の名は。=巨大生物! 巨大生物=君の名は。! これ当然の論理的帰結!」
「そ、そうですかね?」
「とはいえ映画鑑賞も無駄ではなかったわ。新たな手がかりを掴めたしね」
「え、いつの間に?」
「前の席にいた老夫婦の心を読んだらね、興味深い事実が判明したのよ。何でもお婆さんの方が、今から62年前、こっちの暦で言うと昭和29年、すなわち1954年に、君の名はを見ているらしいのよ」
「君の名は。じゃなく?」
「いや、君の名は。じゃなくて君の名はだったわ。まぁご老人だし句読点の一つや二つ抜けててもしょうがないでしょう。それからお爺さんの方は、同じく1954年に巨大生物を目撃してるのよ。二人の見てるものが微妙に一致してないのは気になるけど、でもこれだけ共通点があればもう疑いなしよ。完璧にいるわ、君の名は。って訳で行くわよ」
「行くってさとり様、どこへ?」
「1954年の東京に決まってるでしょ」
そういう訳であたいらは今、1954年の東京を歩いている。さすが1954年の東京、1954年感に溢れている。
「……ちなみに伺ってもいいですか?」
「伺わなくても分かるわ。どうやって過去にタイムスリップしたのか、それを知りたいのでしょう」
「その通りです」
「とうとうあんたに真実を伝える時が来たようね」
「し、真実……?」
「何故あんたには耳が四つもあるのか、不思議に思ったことはない?」
「え? まぁ、あるっちゃありますけど……」
「自分の能力が『死体を持ち去る程度の能力』であることをおかしいと思ったことはない? そんなの能力じゃなくてただの趣味じゃない」
「ま、まぁ、怨霊と会話とかも出来るし、いいかなーと」
「そのまさかよ」
どのまさかだ。
「今日まで隠していたけど、実はあんたの本当の能力は別にあるの」
「ま、まさか」
「そのまさかよ」
このまさかか。
「そう、あんたの本当の能力、それは『時空を移動する程度の能力』だったのよ! 耳が四つあるのもそのせいなの。あんたは元々人間だったわ。それも未来人。未来からタイムスリップしてきた時、あんたが出現する筈だった空間にたまたま猫がいたの。同じ空間に二つの生命体が同時に存在したらどうなると思う? ……そうよ。あんたと猫は遺伝子レベルで融合してしまったの。過去の記憶がないのはその時のショックによるものよ」
だからね、とさとり様は厳粛な調子で言う。
「あんたの名は、だから燐なの。燐というのは元素記号P、原子番号15の非金属元素のことよ。単体では自然界に存在出来ないという特徴があるわ。常に他の物質と化合している元素、それが燐。猫と融合し猫人間と化したあんたの在り様を表しているのよ」
そこでさとり様は少し間を置いた。「っていうのは全部嘘なんだけど」
「それは分かってるんで大丈夫です」
地底一の三流作家……。
「いやぁそれほどでもあるわな」
「誉めてませんよ。小説家なら三流の意味くらい覚えて下さい」
「分かった分かった、どうせ私はしがない第三の眼を持つが如き緻密な心理描写を得意とする謎の覆面女流小説家よ……ん? ねぇ燐、三と言えば、あそこにいるのってさっきの三人じゃない?」
バカな、と思いつつもそちらを見てみると、こいし様&お空feat.こころさん。マジでいた。
「あんたたちまた会ったわね」
「お姉ちゃんにお燐! 私たち今、戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 史上最恐の劇場版を作ってるから邪魔しないでくれる!?」
劇場版には過去へタイムスリップするシーンがあるらしい。わざわざ時を駆けて過去ロケまで行うとは大したものだ。
「ねー叫んでいい? 叫んでいい?」
「こころが叫びたがってるんだ。」
史上最恐というだけあって絶叫シーンも用意されているらしい。
「質問に答えてくれたら邪魔はしないわ。あんたたち、この時代の君の名は。について何か心当たりはない?」
「君の名はなら知ってるわ。というか見てきたもん」
「言っとくけど2016年の君の名は。じゃないのよ。1954年の君の名は。よ?」
「うん。1954年の君の名はでしょ? 三人で見てきたもんねー」
「古くても中々どうして侮れなかったぞ」
「いにしえより彼の地に伝わりし恐るべき魔物ゆえ心してかかれだって!」さとり様が目を輝かせる。今のってそんな意味だった?
「で、どこで見たの!?」
「えーっとね、あっちの道をずーっと行って……」
遂に君の名は。が我々の前にその全貌を現す……!
「ねぇ、燐」
「はい」
「これって……」
「映画館ですね」
「またァ?」
「1954年にも君の名はって映画が上映されてたみたいですね」
「二度もパチモン掴まされたわ……君の罠。」
「でも今度こそ巨大生物が登場するかもしれませんよ。前みたいに手がかりが得られる可能性もありますし、一応見るだけ見てみましょう」
「あんた映画が見たいだけなんじゃないの?」
「そんなことはないですよ。しかし前の君の名は。もそうでしたけどこっちもかなりの来客数ですねぇ」
「皆巨大生物を求めてるんでしょう」
「あ、あっちのゴジラって奴も人気みたいですよ。そういや前の映画館でもシン・ゴジラってのやってましたね」
「シンゴジラだか燐×こいしだか知らないけど、どーでもいいわ。タイトルからして純愛映画っぽいし。私が見たいのは究極の巨大生物すなわち君の名は。なの!」
「はいはい、じゃ取り敢えず入りますか。もうすぐ始まりますよ」
「頼むわよ、君の名は。……! その名に恥じぬ破壊と混沌をせめてスクリーンの向こうから見せて頂戴!」
結論から言えば、あたいらはまたしても君の名は。に会うことが出来なかった。1954年の君の名はもやはり恋愛を主題にしており、さとり様が期待したような邪悪な怪獣とはまるで無縁の物語だったのである。
あたいとしては充分泣けるお話だったので満足だったけど、さとり様はさすがに挫けてしまったらしく、君の名は。を巡る壮大な旅は志半ばで打ち切りという形になった。といってもまだ諦めがついた訳ではないのか、今でも各方面から君の名は。についての新情報を募ったりしているようだ。
そういえば、ついこの間、「ゴジラが出た」とかで地上が大騒ぎになっていた。それと時を同じくして『シンゴジラ、面白かったー。久しぶりに絶望感に対しワクワクしました』という文面の怪文書も出回った。
ゴジラという単語は映画館で目にしたきりでどういうものなのか全然知らなかったから、さとり様を連れて見物に行こうと思ったんだけど、出不精のあの方のこと、巨大生物関連のニュースでもなければわざわざ重い腰を上げて地上まで出向いたりしない。話してみると案の定、君の名は。にしか興味はないとにべもなく断られた。ゴジラはすぐに消えたみたいで、結局あたいもお目にかかる機会を逸してしまった。
……君の名は。
覚妖怪の探知能力を以てしても未だ捉えられぬ幻の怪物。名前があるのかないのか判然としないその呼称からも窺える通り、それはまさしく幻想の存在と呼ぶに相応しい未知の生物なのである。
地底の闇よりも深い謎に包まれた君の名は。は、もしかしたらこれを読んでいるあなたのすぐ近くにいるのかもしれない。
ただ、あなたが気付いていないだけで……。
さりげなく公式設定に切り込んで行くスタイルがクールだね