「そういえば、純狐さんって名前が無いんでしたよね」
「……えっ?」
昼下がりの永遠亭、鈴仙・優曇華院・イナバの部屋。
鈴仙の謎めいた発言を受け、純狐は困惑の表情を浮かべる。
「ちょっと待って鈴仙、それってどういう……」
「純狐さんは(無名の存在)ですよね。(無名の存在)という事はつまり、名前が無いって事なんじゃないかなーと思いまして」
「いえ、だから純狐って名前が」
「それはそれ、これはこれですよ」
「えぇ……」
執拗に食い下がる鈴仙。
どうやら引く気は無いらしい。
「いつまでも(無名の存在)では不便ですよね。いい機会ですから、私が何か気の利いた名前のひとつでも考えて差し上げますよ」
「き、気持ちは嬉しいのだけど……でもね鈴仙?」
「ふーむ、純狐さんにピッタリの名前か……」
善意による強行突破。何が鈴仙を駆り立てるのか。
腕を組んで考え込む彼女を前に、ただオロオロするしかない純狐であった。
「『ニョロニョロ』か、『純ピッピ』ね……」
「ニョ、ニョロ……!?」
後者はまだ理解出来ないこともない。だが、ニョロニョロとは何事か。
純狐のスペルカード「純粋なる狂気」のへにょりレーザーか。なぜよりによってそれなのか。
ひとつ確かなのは、ニョロニョロだけは回避せねばならぬという事だ。ニョロニョロはまずい。せめて「くねくね」にすべきであろう。
「やっぱり『ニョロ』」
「わ、わたし『純ピッピ』がいいなあ! とってもいい名前だと思うの! じゅんぴ……くっ! 『純ピッピ』って!」
「えっ……そんなに気に入っちゃいました?」
「も、勿論よ!」
涙ぐましい努力で引き攣った笑みを見せる純狐であったが、その眦には血の涙が浮かんでいた。
最悪の事態こそ避けられたものの、「純ピッピ」も決して褒められた呼称ではない。
これすなわち、政治的にやむを得ない犠牲……コラテラル・ダメージとでも言っておこうか。
「そうと決まれば、純狐さんの名前は今日から『純ピッピ』です! おめでとうございます、純ピッピさん!」
「あ、ありがと……ちょっと席を外させて貰うわね。すぐ戻るから!」
両掌で顔を覆いながら、純狐は一目散に駆け出して行った。
振り向くな。涙を見せるな。GONG鳴らせ! なんのこっちゃ。
ここは地獄……地獄……楽しい地獄……。
地獄の女神ヘカーティア・ラピスラズリの耳に、何者かが立てるドタバタとした足音が飛び込んできた。
「ヘカーティア! 鈴仙は私の名前を『純ピッピ』と決定したわ!」
ヤケクソ気味に喚き散らしながら駆け寄ってくる親友を見て、聡明なる女神は瞬時に事態を把握した。
「……あの兎め! 私の純狐に変な名前を付けてみせるなど!」
「……彼女を責めることはできません。(無名の存在)などと粋がっていたのは私なのだから」
“私の純狐”は当然の如くスルーされた。悲しみの女神……。
それでも何か言わんとするヘカーティアであったが、ここで何者かが二人の間に割って入る。
「わかっていたでしょうに、ねえ異界の私」
「地球の私」
地球の私、俗に言う青ヘカーティアであった。
澄ました青をしているが、クールを気取っている訳ではないので、どうかムカつかないでやって欲しい。
「あの頭とネーミングセンスの狂った兎が、(無名の存在)など認めるものか」
「では私に何の手だてもないまま、この先ずっと『純ピッピ』と名乗れというの!?」
「そうよ、それがあの兎の言う正しい(無名の存在)の一生よ」
「自らが変なあだ名を付けられた、その腹いせという事ねぇん――」
青ヘカーティアの辛辣な意見を受け、顔をしかめる純狐と赤ヘカーティア。
しばらくそうやっていると、残る一人のヘカーティア、俗に言う黄ヘカーティアが、何やら慌てた様子で駆け込んで来た。
「純ピッピと私達! 月の都がクラウンピースに襲われているわ!」
「よし!」
怨敵の危機を聞きつけた純狐は、何だか知らんがとにかくよしとした。
その一方で、黄ヘカーティアの報告を受けた赤ヘカーティアと青ヘカーティアは、眉を顰めつつ顔を見合わせる。
「行かせたの?」
「……知らんわよん」
「そんな事より、鈴仙ともう一度話し合ってきます」
月の都も気になるが、そんなことより純ピッピだ。
困惑気味のヘカーティア達を残し、純狐は再び永遠亭へと向かった。
再び昼下がりの永遠亭、鈴仙・優曇華院・イナバの部屋。
落ち着き払った様子の純狐に、先程この部屋から逃げ去った時の動揺は見られない。
「おかえりなさい、純ピッピさん」
「ふんっ」
鈴仙の暖かい出迎えに、純狐はそっぽを向いて応じる。
子供っぽいと思われるかもしれないが、純ピッピなる呼び名に比べれば、どうということはない。
「どうしたんですが純ピッピさん。純ピッピよりもニョロニョロのほうがよかったんですか?」
「ふーんだ。そんな名前は知りません」
「そんな……さっきはあんなに喜んでくれたのに……」
「アレは喜んだフリをしていただけよ。その気になっていたアナタの姿はお笑いだったわ」
「ひっ、ひどいです!」
涙目になった鈴仙を見て、純狐のハートがチクリと痛む。
だが、ここで怯んでは元の木阿弥である。純ピッピ化を回避する為にも、ここは攻めの一手しかない。
「ふっ……鈴仙ダサい……鈴仙センスない……鈴仙馬鹿……」
「そ、そこまで言う事ないでしょう!? 嫌なら嫌って、ハッキリ言ってくれればよかったのに!」
「言われなければ気付かなかったというのです? 何が純ピッピよ、人を侮辱するにもほどがあるわ」
「うぅ……」
少々やり過ぎた感もあったが、それでも純狐は強気な態度を崩さない。
痛みを伴わぬ解決の機会は、とうの昔に失われてしまったのだ。
「これに懲りたら、もう他人に変なあだ名を付けるのはやめることね」
「私は諦めません……純狐さんには、どうしても新しい名前が必要なんです……!」
「何故そこまで……」
「そうしなければ、純狐さんは持ち前のピュアさを失って、グダグダでよく分からない存在へと成り果ててしまうからです!」
「ええ~っ……」
無礼を咎めた矢先に、さらなる無礼で返される構図。
流石の純狐も、これには困惑を隠せない。
「鈴仙、それってどういう……」
「今の純狐さんは、怨みに純化し過ぎて、自分が何者であるかを見失っていると聞きました。復讐するだけの機械(マシーン)……」
「いや、何もそこまでは……」
「そんな状態の純狐さんから、復讐を取り上げてしまったら……アナタが全然全部なくなって、チリヂリになってしまうじゃあないですかッ!」
「おおッ!?」
鬼気迫る形相の鈴仙に対し、純狐は思わずタジタジとなる。
言ってる事はメチャクチャなのだが、真剣なだけに性質が悪い。
「純狐さんがもたん時が来ているのです! 他ならぬ私達の所為で! エゴですよこれは!」
「れ、鈴仙? 少し落ち着きましょう? ねっ?」
「だから私は考えました。復讐者に代わるアイデンティティーを構築する事によって、純狐さんに新たな生き方を提供出来るのではないか、と……!」
「それが……純ピッピだというのです?」
事ここに至って、純狐はようやく鈴仙の真意を察することが出来た。
故郷である月の都と敵対して欲しくない……だが、その為に相手の存在意義を奪うような真似はしたくない。
二律背反でアンビバレントな状況に追い込まれた鈴仙。彼女もまた、相応の苦しみを味わっていたのだ。
「もちろん、名前を変えただけで全てが良くなるとは思っていません。純狐さんが復讐以外の目的を見出すまで、私も出来る限りの事をするつもりです。だから……!」
「……鈴仙は本当におバカさんですね。そういう目的があるのなら、早く言ってくれれば良かったのに」
「純狐さん……」
「純ピッピ、と呼んで頂戴」
「えっ」
驚きを隠せない鈴仙に対し、純狐は朗らかに微笑みかける。
幾度かの衝突を経て、両者はようやく同じ地平に立ったのだ。
「アナタの気持ちも知らずに、随分と酷い事を言ってしまったからね。罪滅ぼしという訳ではないけれど、ここは謹んでその名を頂くとしましょう……」
「あー……やっぱり微妙でしたか? 純ピッピって。だったら他の名前を考え……」
「今は純ピッピでいいのよ。鈴仙が私の為に考えてくれた、純ピッピという名前でね」
「わふっ」
まだ何か言いたげな兎を、純狐は優しく包むように抱きしめる。
先程鈴仙が述べた通り、これは単なる始まりに過ぎない。劇的な変化には、常に痛みが伴うものである。
それでも、決して悪い気はしなかった。新しい名前を受け入れた事によって、彼女は新たな可能性をも見出したのだ。
今の自分にとって、この鈴仙こそが、復讐に代わる新たな目的になるのかもしれない……と。
(でも……やっぱり純ピッピはないわー……)
なるべく早く新しい名前を考えて貰おう。出来ることなら、二人で一緒に考えよう。
これが偽らざる本音であった。
ここは地獄……地獄……再び地獄……。
地獄の女神ヘカーティア・ラピスラズリの耳に、先程と同様にドタバタとした足音が飛び込んできた。
「ヘカピッピ! なんかいい話っぽくまとめられてしまったわ!」
喜色満面の笑みを浮かべつつ駆け寄ってくる親友を見て、聡明なる女神は瞬時に事態を把握した。
「……純ピッピ! アナタ私まで巻き込むつもり!?」
「……私を責めることはできません。如何に珍奇な名前であろうと、皆で名乗れば多少は恥ずかしさが薄れるというものよ」
とんだ巻き添えを食ってしまったものである。悲しみの女神……。
それでも何か言わんとするヘカーティアであったが、ここでまたしても何者かが二人の間に割って入る。
「わかっていたでしょうに、ねえヘカピッピ」
「地球(テラ)ピッピ」
地球(テラ)ピッピ、俗に言う青ヘカーティアであった。
厳密に言えば、彼女もまたヘカピッピであるのだが……どうかそこは突っ込まないでやって欲しい。
「この悪知恵の働く純狐が、自分だけ恥ずかしい名前を名乗るなど認めるものか」
「では私に何の手だてもないまま、この先ずっと『ヘカピッピ』と名乗れというのよん!?」
「そうよ、それが俗に言う『正しいネタキャラ』の一生よ」
「一応自分の事でもあるのに、よくもまあいけしゃあしゃあと――」
青ヘカーティアの割り切り具合は常軌を逸していた。単なるクール気取りかもしれないので、存分にムカついてよい。
さて、残る一人のヘカーティア、俗に言う黄ヘカーティアはどうであろうか?
月(ルナ)ピッピと名乗る宿命を背負いし彼女は、些か取り乱した様子で三人の会話に加わってきた。
「ピッピ達! 月の都がクラピッピに滅ぼされてしまったッピ!」
「よし! ……えっ!?」
つい勢いで「よし!」と言ってしまった純狐であったが、流石に今度ばかりは何だか知らんがでは済まされない。
誰もが予想だにしなかった大殊勲……大番狂わせと言って良い。問題は、この場の誰一人としてそのような結果を期待してはいなかったという事だ。
「どうするの?」
「……お仕置きが必要ねぇん」
「嫦娥の仇を討つ日が来るとは思わなかったよ」
かくして、鈴仙のあずかり知らぬところで、新たな目的を見出した純ピッピ達であったとさ。
「……えっ?」
昼下がりの永遠亭、鈴仙・優曇華院・イナバの部屋。
鈴仙の謎めいた発言を受け、純狐は困惑の表情を浮かべる。
「ちょっと待って鈴仙、それってどういう……」
「純狐さんは(無名の存在)ですよね。(無名の存在)という事はつまり、名前が無いって事なんじゃないかなーと思いまして」
「いえ、だから純狐って名前が」
「それはそれ、これはこれですよ」
「えぇ……」
執拗に食い下がる鈴仙。
どうやら引く気は無いらしい。
「いつまでも(無名の存在)では不便ですよね。いい機会ですから、私が何か気の利いた名前のひとつでも考えて差し上げますよ」
「き、気持ちは嬉しいのだけど……でもね鈴仙?」
「ふーむ、純狐さんにピッタリの名前か……」
善意による強行突破。何が鈴仙を駆り立てるのか。
腕を組んで考え込む彼女を前に、ただオロオロするしかない純狐であった。
「『ニョロニョロ』か、『純ピッピ』ね……」
「ニョ、ニョロ……!?」
後者はまだ理解出来ないこともない。だが、ニョロニョロとは何事か。
純狐のスペルカード「純粋なる狂気」のへにょりレーザーか。なぜよりによってそれなのか。
ひとつ確かなのは、ニョロニョロだけは回避せねばならぬという事だ。ニョロニョロはまずい。せめて「くねくね」にすべきであろう。
「やっぱり『ニョロ』」
「わ、わたし『純ピッピ』がいいなあ! とってもいい名前だと思うの! じゅんぴ……くっ! 『純ピッピ』って!」
「えっ……そんなに気に入っちゃいました?」
「も、勿論よ!」
涙ぐましい努力で引き攣った笑みを見せる純狐であったが、その眦には血の涙が浮かんでいた。
最悪の事態こそ避けられたものの、「純ピッピ」も決して褒められた呼称ではない。
これすなわち、政治的にやむを得ない犠牲……コラテラル・ダメージとでも言っておこうか。
「そうと決まれば、純狐さんの名前は今日から『純ピッピ』です! おめでとうございます、純ピッピさん!」
「あ、ありがと……ちょっと席を外させて貰うわね。すぐ戻るから!」
両掌で顔を覆いながら、純狐は一目散に駆け出して行った。
振り向くな。涙を見せるな。GONG鳴らせ! なんのこっちゃ。
ここは地獄……地獄……楽しい地獄……。
地獄の女神ヘカーティア・ラピスラズリの耳に、何者かが立てるドタバタとした足音が飛び込んできた。
「ヘカーティア! 鈴仙は私の名前を『純ピッピ』と決定したわ!」
ヤケクソ気味に喚き散らしながら駆け寄ってくる親友を見て、聡明なる女神は瞬時に事態を把握した。
「……あの兎め! 私の純狐に変な名前を付けてみせるなど!」
「……彼女を責めることはできません。(無名の存在)などと粋がっていたのは私なのだから」
“私の純狐”は当然の如くスルーされた。悲しみの女神……。
それでも何か言わんとするヘカーティアであったが、ここで何者かが二人の間に割って入る。
「わかっていたでしょうに、ねえ異界の私」
「地球の私」
地球の私、俗に言う青ヘカーティアであった。
澄ました青をしているが、クールを気取っている訳ではないので、どうかムカつかないでやって欲しい。
「あの頭とネーミングセンスの狂った兎が、(無名の存在)など認めるものか」
「では私に何の手だてもないまま、この先ずっと『純ピッピ』と名乗れというの!?」
「そうよ、それがあの兎の言う正しい(無名の存在)の一生よ」
「自らが変なあだ名を付けられた、その腹いせという事ねぇん――」
青ヘカーティアの辛辣な意見を受け、顔をしかめる純狐と赤ヘカーティア。
しばらくそうやっていると、残る一人のヘカーティア、俗に言う黄ヘカーティアが、何やら慌てた様子で駆け込んで来た。
「純ピッピと私達! 月の都がクラウンピースに襲われているわ!」
「よし!」
怨敵の危機を聞きつけた純狐は、何だか知らんがとにかくよしとした。
その一方で、黄ヘカーティアの報告を受けた赤ヘカーティアと青ヘカーティアは、眉を顰めつつ顔を見合わせる。
「行かせたの?」
「……知らんわよん」
「そんな事より、鈴仙ともう一度話し合ってきます」
月の都も気になるが、そんなことより純ピッピだ。
困惑気味のヘカーティア達を残し、純狐は再び永遠亭へと向かった。
再び昼下がりの永遠亭、鈴仙・優曇華院・イナバの部屋。
落ち着き払った様子の純狐に、先程この部屋から逃げ去った時の動揺は見られない。
「おかえりなさい、純ピッピさん」
「ふんっ」
鈴仙の暖かい出迎えに、純狐はそっぽを向いて応じる。
子供っぽいと思われるかもしれないが、純ピッピなる呼び名に比べれば、どうということはない。
「どうしたんですが純ピッピさん。純ピッピよりもニョロニョロのほうがよかったんですか?」
「ふーんだ。そんな名前は知りません」
「そんな……さっきはあんなに喜んでくれたのに……」
「アレは喜んだフリをしていただけよ。その気になっていたアナタの姿はお笑いだったわ」
「ひっ、ひどいです!」
涙目になった鈴仙を見て、純狐のハートがチクリと痛む。
だが、ここで怯んでは元の木阿弥である。純ピッピ化を回避する為にも、ここは攻めの一手しかない。
「ふっ……鈴仙ダサい……鈴仙センスない……鈴仙馬鹿……」
「そ、そこまで言う事ないでしょう!? 嫌なら嫌って、ハッキリ言ってくれればよかったのに!」
「言われなければ気付かなかったというのです? 何が純ピッピよ、人を侮辱するにもほどがあるわ」
「うぅ……」
少々やり過ぎた感もあったが、それでも純狐は強気な態度を崩さない。
痛みを伴わぬ解決の機会は、とうの昔に失われてしまったのだ。
「これに懲りたら、もう他人に変なあだ名を付けるのはやめることね」
「私は諦めません……純狐さんには、どうしても新しい名前が必要なんです……!」
「何故そこまで……」
「そうしなければ、純狐さんは持ち前のピュアさを失って、グダグダでよく分からない存在へと成り果ててしまうからです!」
「ええ~っ……」
無礼を咎めた矢先に、さらなる無礼で返される構図。
流石の純狐も、これには困惑を隠せない。
「鈴仙、それってどういう……」
「今の純狐さんは、怨みに純化し過ぎて、自分が何者であるかを見失っていると聞きました。復讐するだけの機械(マシーン)……」
「いや、何もそこまでは……」
「そんな状態の純狐さんから、復讐を取り上げてしまったら……アナタが全然全部なくなって、チリヂリになってしまうじゃあないですかッ!」
「おおッ!?」
鬼気迫る形相の鈴仙に対し、純狐は思わずタジタジとなる。
言ってる事はメチャクチャなのだが、真剣なだけに性質が悪い。
「純狐さんがもたん時が来ているのです! 他ならぬ私達の所為で! エゴですよこれは!」
「れ、鈴仙? 少し落ち着きましょう? ねっ?」
「だから私は考えました。復讐者に代わるアイデンティティーを構築する事によって、純狐さんに新たな生き方を提供出来るのではないか、と……!」
「それが……純ピッピだというのです?」
事ここに至って、純狐はようやく鈴仙の真意を察することが出来た。
故郷である月の都と敵対して欲しくない……だが、その為に相手の存在意義を奪うような真似はしたくない。
二律背反でアンビバレントな状況に追い込まれた鈴仙。彼女もまた、相応の苦しみを味わっていたのだ。
「もちろん、名前を変えただけで全てが良くなるとは思っていません。純狐さんが復讐以外の目的を見出すまで、私も出来る限りの事をするつもりです。だから……!」
「……鈴仙は本当におバカさんですね。そういう目的があるのなら、早く言ってくれれば良かったのに」
「純狐さん……」
「純ピッピ、と呼んで頂戴」
「えっ」
驚きを隠せない鈴仙に対し、純狐は朗らかに微笑みかける。
幾度かの衝突を経て、両者はようやく同じ地平に立ったのだ。
「アナタの気持ちも知らずに、随分と酷い事を言ってしまったからね。罪滅ぼしという訳ではないけれど、ここは謹んでその名を頂くとしましょう……」
「あー……やっぱり微妙でしたか? 純ピッピって。だったら他の名前を考え……」
「今は純ピッピでいいのよ。鈴仙が私の為に考えてくれた、純ピッピという名前でね」
「わふっ」
まだ何か言いたげな兎を、純狐は優しく包むように抱きしめる。
先程鈴仙が述べた通り、これは単なる始まりに過ぎない。劇的な変化には、常に痛みが伴うものである。
それでも、決して悪い気はしなかった。新しい名前を受け入れた事によって、彼女は新たな可能性をも見出したのだ。
今の自分にとって、この鈴仙こそが、復讐に代わる新たな目的になるのかもしれない……と。
(でも……やっぱり純ピッピはないわー……)
なるべく早く新しい名前を考えて貰おう。出来ることなら、二人で一緒に考えよう。
これが偽らざる本音であった。
ここは地獄……地獄……再び地獄……。
地獄の女神ヘカーティア・ラピスラズリの耳に、先程と同様にドタバタとした足音が飛び込んできた。
「ヘカピッピ! なんかいい話っぽくまとめられてしまったわ!」
喜色満面の笑みを浮かべつつ駆け寄ってくる親友を見て、聡明なる女神は瞬時に事態を把握した。
「……純ピッピ! アナタ私まで巻き込むつもり!?」
「……私を責めることはできません。如何に珍奇な名前であろうと、皆で名乗れば多少は恥ずかしさが薄れるというものよ」
とんだ巻き添えを食ってしまったものである。悲しみの女神……。
それでも何か言わんとするヘカーティアであったが、ここでまたしても何者かが二人の間に割って入る。
「わかっていたでしょうに、ねえヘカピッピ」
「地球(テラ)ピッピ」
地球(テラ)ピッピ、俗に言う青ヘカーティアであった。
厳密に言えば、彼女もまたヘカピッピであるのだが……どうかそこは突っ込まないでやって欲しい。
「この悪知恵の働く純狐が、自分だけ恥ずかしい名前を名乗るなど認めるものか」
「では私に何の手だてもないまま、この先ずっと『ヘカピッピ』と名乗れというのよん!?」
「そうよ、それが俗に言う『正しいネタキャラ』の一生よ」
「一応自分の事でもあるのに、よくもまあいけしゃあしゃあと――」
青ヘカーティアの割り切り具合は常軌を逸していた。単なるクール気取りかもしれないので、存分にムカついてよい。
さて、残る一人のヘカーティア、俗に言う黄ヘカーティアはどうであろうか?
月(ルナ)ピッピと名乗る宿命を背負いし彼女は、些か取り乱した様子で三人の会話に加わってきた。
「ピッピ達! 月の都がクラピッピに滅ぼされてしまったッピ!」
「よし! ……えっ!?」
つい勢いで「よし!」と言ってしまった純狐であったが、流石に今度ばかりは何だか知らんがでは済まされない。
誰もが予想だにしなかった大殊勲……大番狂わせと言って良い。問題は、この場の誰一人としてそのような結果を期待してはいなかったという事だ。
「どうするの?」
「……お仕置きが必要ねぇん」
「嫦娥の仇を討つ日が来るとは思わなかったよ」
かくして、鈴仙のあずかり知らぬところで、新たな目的を見出した純ピッピ達であったとさ。
うどんちゃんのもとへダイブするんですね。わかります。
ワグナス!!