吸血鬼が地団駄を踏むほどにはからりと晴れた、そんな午後。
どうせなら雲一つない晴天であれば良かったのに、漣のような薄白い雲が目立ちたがって仕方ない。
しかしそれでも、この空色が憎い、恨めしい、とかなんとかと吸血鬼が愚痴る程には良い天気には変わりなく。
文句を咲夜に垂れる主を横目に、紅美鈴は門を出た。
鼻歌交じりに地面を踏んでは、空を見上げてひとり笑む。
目的地の近くまでは、そう誰かと会うこともなければ、すれ違うこともないであろう。
今にも小躍りしてしまいそうな身体の疼きを、無理に抑える必要もなし。
道端の草花を行儀の良い観客代わりにして、美鈴は趣くままに身体を揺らしながら、本日の目的地である里へと向かった。
程なくして、ぱらぱらとした人の流れと共に、茅葺の朽葉色が、遠目に入った。
砂利が塊立った粗い道も、一歩二歩と里に近付くにつれ、土がさらりと整った滑らかなものへと変わっていく。
それまでとは一転、ふわつく心を抑えつつ、美鈴は気持ち表情を引き締める。
人前で浮かれた小躍りを披露する程、紅美鈴は幸せな頭の持ち主ではない。偉大な我らの、それはもう威厳に溢るるスカーレット様とは違うのだ。
とは胸中独り言ちるも、里の看板を越えた辺りで、どうにも緩みゆく頬を我慢出来なくなってしまう。
今日に限った話ではない。同じ目的の下に里に入る時は大抵、この小さくて慎ましい我慢比べにて黒星を喫することが殆ど。
つまるところ、彼女はそれが楽しみで仕方ないのであろう。彼女もまた、紅魔の子なのだ。
偶には里の人々にも、凜々しい顔貌を見せてやりたいものである。そう。わらわらと迫り来る数多の敵をも前にしようが、眉一つ動かさぬどころか、虎視をぶつけたいつかの勇姿を。明鏡止水、紅美鈴。
明鏡止水って違うと思うのだけれど。聞き慣れた銀色の声が何処から聞こえたような気がして、美鈴は苦ったるい笑みを浮かべた。
結局、どちらにしろ独り笑いを浮かべる運命のようで。理想は遠い。
そんなこんなで里を歩けば、そっと見えるは「お団子」の三文字書かれた暖簾。
なんと甘味で、甘露で、甘美な響き。もはやその字面が卑怯である。人々がその言葉の持つ魔力に膝を突き、囚われるのにも無理はない。
現に、目の前の「お団子」は字面だけには留まらず、千々の舌々を虜にしてきた、甘く香ばしい匂いを香らせてくるのだ。
人はその風味や味わい、とろみや幸福感をひっくるめて、「みたらし」と呼ぶ。美鈴はそんな、人たらしなみたらしに心を寄せるうちの一人だ。焦がれに焦がれた逢瀬となれば、頬が緩むのも仕方なし。
それら諸々胸に詰め込んで、美鈴は藍色地の暖簾をするりとくぐった。
らしい丸盆を胸に抱いた若女将と、互いに顔をふにゃりと綻ばせては、久々に来ちゃいました、いやいや、五日も経てば久々ですよ云々と、軽口を交わした。
どうやら人間、いや女将さんとは時間との接し方が大分異なるらしい。帰ったら咲夜ちゃんにも聞いてみましょう。
そんなこんなで会話に花を咲かせた後、美鈴はさらに解顔するなり、指を立てた。
「いつもの、お願いします」
天気がいいので、よかったら。
若女将の勧めをありがたく受け入れ、美鈴は店先軒下に在る長いすに腰掛けながら、茶を啜っていた。
確かに今日は、先ほど散々、いやそこまでではないか。そこそこに褒めた空の下。さぞかし団子もお美味くなるであろう。
話を少しだけ戻しましょう。いつもの。いつもの。いつもの。この言葉も大変好みでなりません。えぇ。
この言葉を口にするまでには、それはもう。それはもう、由々しい葛藤に苛まれたのですから。
まぁ、ただ恥ずかしかっただけなんですけれどね。
今ではもう、笑顔でさらりと口にしますよ。どこか悦に浸ってしたり顔での注文なんて、ひと月前には卒業しました。
誰に向けた言い訳なのだろう。そんな至極どうでもいい疑問の答えをぼんやりと考えていると、おまちどうさま、の声とともに、愛しのお団子達が運ばれてきた。
お団子二本。勿論、味はみたらし。照柿を思わせるみたらしの色が、高く上った日の光を受けて、とてもよく映えていた。やんちゃづいた焦げさえも、素敵この上ない。
美鈴は会釈とともに皿を受け取ると、早速と言わんばかり、しかしそれでもしなやかな雰囲気を身に纏いながら、両手を合わせた。
「それでは、いただきまあ」
幸せな顔つきと共に、団子を噛み締めようとしたその瞬間。
三歩ばかりの所から美鈴を見つめる視線があるではないか。
美鈴の視線と、相手の視線が、交差する。
相手が声をあげる訳でもなく、美鈴の口が動く訳でもなく。
只々、見詰め合う女が二人。
間を吹き抜く、風はない。
在るのは、ぽかあんとした、間の抜けた空気だけ。
それに耐えかねたみたらしが、美鈴の下唇に垂れようかというところで、相手の女が口を開いた。
「あっ、えっと。その、お構いなく」
「あい」
美鈴は返事そのまま、漸く団子を噛み締めた。
言葉通り、それまでのなんとも言えない空気にお構いなく、口の中では団子のもちもち感やらみたらしの香ばしい甘さ云々と、普段と変わらない、いや、それ以上の幸福感をもたらしてくれるみたらしを存分に味わった。
美鈴は思わず目を瞑り、空を仰ぐ。んんん、と一種の嬌声の様にも聞こえる音を出しながらその団子がいかに素敵かということを、全身で表現していた。
心ゆくまで一口目を楽しみ尽くし、これがまだ一口目であるというある種の感動に浸りつつ。
さあ二口目と口を開けようかという時、依然足を止めたままの女と目が合った。
白い導士調の服に身を包み、二つ尖った不思議な帽子。そして何より目を惹きつけるは、背中に生える複数の狐尾。彼女の背から顔を出すそれらは、毛並みの良さもさながら、白金のような輝きを見せては、陽の光を妙に照り返していた。
「お豆腐屋さんですか」
「えっ」
笑顔そのまま、美鈴は道の奥を指さした。
「このまま進んでから、二つ目の角を」
「いや、その。違う。用はない。豆腐屋に用はないよ」
「あら」
美鈴は頬に手を当てては、意外そうな面持ちを浮かべた。
「失礼しました」
「尻尾を見たね」
「顔にそう書いてありましたよ」
「おかしいな。お団子と書いてあるはずなのだけれど」
尻尾に目がいかない人などいるのであろうか。
それにちょっと、いや、とっても触りたい。後でこっそり触らせて貰いたい、というのは美鈴心の念。
一緒にいかがです。美鈴の誘いを受けた八雲藍は、頬を緩めて一つ頷くと、美鈴の隣に腰を下ろした。
「あんまり美味しそうに食べているものだから」
「あははは。よく言われます」
「じろじろと申し訳ない」
「いえいえ。全然気にしてなんて」
「それならよかっ」
「あっ。やっぱり気にしてます」
「えっ」
美鈴はわざとらしく顎に手を当てた。
「お詫びとしてですね」
「お、お手柔らかに」
「その背中のふわふわを」
藍は少しだけ面食らったようにどぎまぎしたものの、美鈴の要求を聞くなり半眼になった。
「あげるのはちょっと」
「仕方ありません。触るだけで我慢しましょう」
藍は少しだけ背中をこちらに向けて、尻尾を美鈴に差し出した。
美鈴も美鈴で、先程のささやかな願いがこんなにも早く叶うとは思わなんだ、と内心驚きつつも、口元をにやつかせながら、それらの一つに手を当てた。
ふんわりとした毛並みの奥に、しっかりとした骨の形を感じることの出来る手触り。
触る力の強弱によって、藍の反応もころころと変わる。弱く撫でればこそばしそうに。強く握れば身を強張らせ。
至極当たり前なのだが、触れば触るほど、この尻尾が生きているということを実感する。
こんなにも。こんなにも素敵なふわふわが。九本もあるなんて。そんな素敵なことが云々。
それぞれを撫でては替え、握っては替え。数えること五本目あたりで、どこか顔の朱い藍は咳払い一つした後、美鈴に向き直った。
残念美鈴。魅惑の時間もお終いである。
その落胆を隠すことなく顔に出しながら、美鈴は藍に頭を下げた。
「ありがとうございました」
「遠慮なく楽しんでくれて何より」
「遠慮は要らない、と背中に」
「私の身体は随分とお喋りみたいだね。それもかなりの法螺吹きだ」
そんな軽口を存分に叩き合った後、美鈴達は改めて自己紹介やら、過去にどこそこで在った云々等と語り合った。
お互いに東方の生まれという事もあってか、十分もたたぬうちにはもう、それとなく打ち解けてしまい、世間話の芽が多々萌え始めようとしたのだが。
八雲の藍も欲には勝てず。美鈴が手に持つみたらし団子に、ちらりちらりと目が惹かれているのは誰の目にも明らかであった。
「よし。私も頼むとしようかな」
あっさりとその欲を認めた藍へと、美鈴は更に親近感を覚えてならないのであった。
藍は手に持つお品書きをぱたりと閉じて、言った。
「あん団子二つ」
「えっ」
前言撤回。親近感などは霧散した。
あんはつぶとこしのどちらなのかと考えていると、おまたせしました、の声とともに、これから寵愛を受けるであろう団子達が運ばれてきた。
団子が二本。どうしてなのか、味はあん子。紫紺に塗られた白い団子のそれぞれが、光をもちりと映し出す。ちなみにこしあんである。
藍もまた会釈とともに皿を受け取ると、まるで分別のついた淑女のように、しかしそれでもはやる気持ちをどこか振りまきながら、両手を合わせた。
「いただきます」
藍は艶やかに串を口へと運ぶと、口をあんに染めることなく、器用に一玉味わった。
うん、うん、とどこか分かったような顔付き頷きながら、眉を開いた。
美鈴はというと、そんな藍に笑みを感染されながら、未だ温かい茶を啜っていた。
一口、また一口と、串を進める藍に負けじと、美鈴も早々と、しかし甘さを堪能することも忘れずに、一本を平らげた。
太陽ほどよく輝く下で、眩しい笑顔の紅と金。
あまりに柔やか和やかだから、通る人々誘われて。
二人横目にのれんをくぐり、更に女将も頬を緩めたとかなんとか。
意図せぬ客引きつゆ知らず、藍が耳をしとやかに揺りながら、残る一本に手を伸ばそうとしたその時。
藍の手は制された。美鈴の手に。妙な笑みを浮かべている、美鈴の手に。
「奇遇ですね。私も交換したいと思っていまして」
「私の知る奇遇とは、意味が異なるみたいだ」
「ほっぺたには未だにみたらしの文字が」
「確かに君の頬にはこしあんの文字が透けているね」
しかし、藍も藍でまた、みたらしへの一念、いや、半念程度であるかもしれないが、それを捨て切れていないというのも事実であった。
そのせいあってか、藍のあん団子に対する執着心は程なく薄れて、特に執りつく様子もなく首を縦に振った。
思いのほか容易く交渉、交渉というほど大層なものでも格式張ったものでもないが、成立まで進んでしまったものだから、美鈴は美鈴で桃の木の苗木を心に植えるなど云々。
そうして互いに串を交し合い、それぞれぱくついたわけであるが、言わずもがな、二人はあんとみたらしの味に満足したらしい。
甘美な味わいを堪能した後、腹も満たされたこともあって、ゆったりと話を弾ませては、茶を啜り、そしてまたまたまったりと会話の花を咲かせては、顔を互いに綻ばせた。
たまにはこんなのんびりとした時間もいいかもしれません、と美鈴がどことなく流した目で語れば、たまにはではなくいつも通りの間違いだろう、と藍が語尾を上げて問う。
そんなやりとりの数々が心地良いと言わんばかりに、二人のそれは続いていく。
すると、その掛け合いに妙に堅い声を差し込む者が一人、上白沢慧音が、あまりにもわざとらしい厳顔を浮かべながら現れた。
「団子屋で妖のものが二つ、暴れていると聞いて」
正に今日の空模様。そんな衣装に加えて、妙な形の、例えるならば玄人好みの閣寺を青くしたような、妙な形の帽子を乗せた、銀髪目立つ女性である。
「お団子退治に尽くしていまして」
「それはもう、手ごわいものだった」
「それに明鏡止水ですし、明鏡止水」
美鈴の終わり言葉に、慧音は眉間にしわを寄せた。意気投合したはずの藍も同様であった。
「いや、すまない。実は私も団子を楽しみに寄ったんだ。八雲藍、それに」
「八雲美鈴です」
「紅美鈴、紅魔の門番の」
「あぁ、紅魔のところの。何度か博麗の宴会では見かけたことがあるな。私は上白沢慧音。よろしく頼む」
「噂の先生ですね。改めまして、紅美鈴です」
二人が握手を交わすと、美鈴と藍は長椅子の両端に席を詰め、美鈴、慧音、藍の順に座り直した。
「しかし、これまた珍しい組み合わせだな」
慧音が顔を左右に振りながら、まじまじとそれぞれの顔を見る。
「みたらしさんとのデート中に、藍さんが」
「いや、その。でもあれだ。私はあん団子を頼んだんだ」
「そんなに赤くならなくとも」
慧音と美鈴は、茹だりゆく藍の顔を見ては、それぞれ意地の悪い笑みを浮かべてはからかった。
それをいなすどころか、もろに受け取ってしまった藍の顔が、更に鮮やかな赤が塗られたことは、言うまでもない。
「そうか。みたらしとあん団子か」
その言葉に美鈴は一つ頷くと、慧音は店内の女将を手招き、お品書きを返すついでに注文を伝える。
「三色団子をふた」
「三本で。そしてみたらしとこしあんを一本づつ追加でお願いします」
えっ、と間抜けた声に、美鈴は思わず吹き出しそうになるのを堪え、あくまでも飄々とした表情を浮かべるよう心掛けた。
「い、いや、違う。私じゃなくて勝手に。ま、待て」
女将は美鈴の思惑をしっかりと読み取ったというサイン代わりか、いたずらに白い歯を見せながら店内へと戻っていく。
何故、勝手に。眉間に皺を寄せた慧音が振り向けば、美鈴がわざとらしく音を立てて、先程お代わりを貰った茶を啜っていた。
先程の胡散臭さを感じさせ得ない作り顔とは打って変わって、知り合って数刻も立たないが、彼女らしいであろうふにゃりとした顔で、慧音に笑い掛けていた。
因みに、藍はというと。未だに顔を赤くしたまま、しかし、だって、だのともごついていた。
「三本は多すぎる」
「そう思います、私も」
慧音は口を僅かに開けたまま、しばし固まっていた。
美鈴も負けじと、更に笑い皺を深く刻んで、視線を交差させ続けた。
その睨めっこの後ろでは、依然として顔を赤くした藍が、自分に何かを言い聞かせる様に、目を閉じ、首を振っては、茶を啜っていた。
妙な空気が満ちる中。例によって、お団子達が運ばれてきた。
柿色に照り輝くみたらしと白と紫紺の対比が映えるあん団子と共に、桜、白、緑と見事な三色の団子が三本。
流石の慧音も心弾んだようで、口元の緩みを抑えきれずにいる。
そんな慧音の膝に並ぶ三色団子を一本、ひょいと美鈴は取り上げる。
あっ、と声をあげ、後に抗議の弁を並べるであろう慧音のそれが始まる前に、美鈴は運ばれてきたみたらしを三色団子の横に載せた。
慧音の皿には、三色団子が二本とみたらし団子が一本。
予想外の流れに慧音は、内心振り上げた拳のやり場にでも困っているように、口をむにむにと動かして美鈴を見つめていた。
慧音としても、悪くない提案だったのだろう。少しの間、うむむと唸ったと思えば、仕方ないという風に肩を竦めた。
そして皿をみて再び、唖然としたのだった。二本の内の一本が、あん団子に変わっていることに。
「美味しい」
その声の方に振り向けば、そこには桜団子の風味と甘味に、鼓を打ちたる八雲藍。
頬、白、緑と依然三色のままであった。
「随分と皿の上が、色とりどりに」
「二色増えただけですよ」
「うむむ」
美鈴は三色団子を口にする。
みたらしとは違い、団子そのものの仄かな甘味を心ゆくまで楽しむ事が出来るのだ。
それに加えて、更に桜や蓬の風味云々香るというのだから、こちらも中々侮れぬ。
もちもちと頬を動かす美鈴と藍に挟まれた慧音。
片眉を吊り上げながら、皿上の五色をまじまじと見て、どれから手をつけようかと口をむずむずと擦っては決め倦ねていた。
結局、左右の二人に揃える様に、慧音も三色のそれを手に取り、口にした。
「うむ」
慧音もまた、もちもちとした咀嚼の後に、呟く。
「美味い」
結局、三人の膝上の皿には、三本の串だけが残った。
しかし、完食したは良いものの、少々、いや、かなり食べ過ぎたという感想を、三人は共有していた。
きっと日が落ちたとしても、夕餉に心は躍りそうもない。この胃を包む満腹感を解消するには、里三周分走り回る必要がありそうだ。
そんなことをぼんやりと思い浮かべつつ、小腹を擦る美鈴の横で、慧音がぽつりと口を開いた。
「この前、演劇を観たんだ。里の、そこでやってる」
それを聞いた藍は耳やら尻尾やらをふさりと動かして、顔を慧音へと向ける。
「中々に面白くてな。ついつい夢中になってしまうんだ、それも毎回」
「ほう」
こほん、と一つ咳払いが響く。
「この後丁度、演劇をやるらしいんだ。八雲藍。紅美鈴。良かったら」
にやりと口元をあげる藍と美鈴。
「折角だし、誘いに預かろうじゃないか。勿論美鈴も行くだろう?」
「喜んで。このまま帰っても、きっとお昼寝しちゃいます」
三人は誰が合図したわけでもないのに関わらず、揃ったように腰を上げた。
「満腹だからといって寝てくれるなよ。私の友人は熟睡した挙句に、結末はどうだったなどと聞いてくる始末だった」
「それまでの過程があるからこそ、結末が面白くなるというのに。至極勿体ない話だね」
「あははは。気持ちは分からないでもないですけどね。久々のお芝居ですから、楽しみますよ」
ゆったりと、でも、かしましく。
まるで姉妹、いや、お団子みたいね。
歩き行く三人の後ろ姿を見て、団子屋の女将はそう、呟いた。
どうせなら雲一つない晴天であれば良かったのに、漣のような薄白い雲が目立ちたがって仕方ない。
しかしそれでも、この空色が憎い、恨めしい、とかなんとかと吸血鬼が愚痴る程には良い天気には変わりなく。
文句を咲夜に垂れる主を横目に、紅美鈴は門を出た。
鼻歌交じりに地面を踏んでは、空を見上げてひとり笑む。
目的地の近くまでは、そう誰かと会うこともなければ、すれ違うこともないであろう。
今にも小躍りしてしまいそうな身体の疼きを、無理に抑える必要もなし。
道端の草花を行儀の良い観客代わりにして、美鈴は趣くままに身体を揺らしながら、本日の目的地である里へと向かった。
程なくして、ぱらぱらとした人の流れと共に、茅葺の朽葉色が、遠目に入った。
砂利が塊立った粗い道も、一歩二歩と里に近付くにつれ、土がさらりと整った滑らかなものへと変わっていく。
それまでとは一転、ふわつく心を抑えつつ、美鈴は気持ち表情を引き締める。
人前で浮かれた小躍りを披露する程、紅美鈴は幸せな頭の持ち主ではない。偉大な我らの、それはもう威厳に溢るるスカーレット様とは違うのだ。
とは胸中独り言ちるも、里の看板を越えた辺りで、どうにも緩みゆく頬を我慢出来なくなってしまう。
今日に限った話ではない。同じ目的の下に里に入る時は大抵、この小さくて慎ましい我慢比べにて黒星を喫することが殆ど。
つまるところ、彼女はそれが楽しみで仕方ないのであろう。彼女もまた、紅魔の子なのだ。
偶には里の人々にも、凜々しい顔貌を見せてやりたいものである。そう。わらわらと迫り来る数多の敵をも前にしようが、眉一つ動かさぬどころか、虎視をぶつけたいつかの勇姿を。明鏡止水、紅美鈴。
明鏡止水って違うと思うのだけれど。聞き慣れた銀色の声が何処から聞こえたような気がして、美鈴は苦ったるい笑みを浮かべた。
結局、どちらにしろ独り笑いを浮かべる運命のようで。理想は遠い。
そんなこんなで里を歩けば、そっと見えるは「お団子」の三文字書かれた暖簾。
なんと甘味で、甘露で、甘美な響き。もはやその字面が卑怯である。人々がその言葉の持つ魔力に膝を突き、囚われるのにも無理はない。
現に、目の前の「お団子」は字面だけには留まらず、千々の舌々を虜にしてきた、甘く香ばしい匂いを香らせてくるのだ。
人はその風味や味わい、とろみや幸福感をひっくるめて、「みたらし」と呼ぶ。美鈴はそんな、人たらしなみたらしに心を寄せるうちの一人だ。焦がれに焦がれた逢瀬となれば、頬が緩むのも仕方なし。
それら諸々胸に詰め込んで、美鈴は藍色地の暖簾をするりとくぐった。
らしい丸盆を胸に抱いた若女将と、互いに顔をふにゃりと綻ばせては、久々に来ちゃいました、いやいや、五日も経てば久々ですよ云々と、軽口を交わした。
どうやら人間、いや女将さんとは時間との接し方が大分異なるらしい。帰ったら咲夜ちゃんにも聞いてみましょう。
そんなこんなで会話に花を咲かせた後、美鈴はさらに解顔するなり、指を立てた。
「いつもの、お願いします」
天気がいいので、よかったら。
若女将の勧めをありがたく受け入れ、美鈴は店先軒下に在る長いすに腰掛けながら、茶を啜っていた。
確かに今日は、先ほど散々、いやそこまでではないか。そこそこに褒めた空の下。さぞかし団子もお美味くなるであろう。
話を少しだけ戻しましょう。いつもの。いつもの。いつもの。この言葉も大変好みでなりません。えぇ。
この言葉を口にするまでには、それはもう。それはもう、由々しい葛藤に苛まれたのですから。
まぁ、ただ恥ずかしかっただけなんですけれどね。
今ではもう、笑顔でさらりと口にしますよ。どこか悦に浸ってしたり顔での注文なんて、ひと月前には卒業しました。
誰に向けた言い訳なのだろう。そんな至極どうでもいい疑問の答えをぼんやりと考えていると、おまちどうさま、の声とともに、愛しのお団子達が運ばれてきた。
お団子二本。勿論、味はみたらし。照柿を思わせるみたらしの色が、高く上った日の光を受けて、とてもよく映えていた。やんちゃづいた焦げさえも、素敵この上ない。
美鈴は会釈とともに皿を受け取ると、早速と言わんばかり、しかしそれでもしなやかな雰囲気を身に纏いながら、両手を合わせた。
「それでは、いただきまあ」
幸せな顔つきと共に、団子を噛み締めようとしたその瞬間。
三歩ばかりの所から美鈴を見つめる視線があるではないか。
美鈴の視線と、相手の視線が、交差する。
相手が声をあげる訳でもなく、美鈴の口が動く訳でもなく。
只々、見詰め合う女が二人。
間を吹き抜く、風はない。
在るのは、ぽかあんとした、間の抜けた空気だけ。
それに耐えかねたみたらしが、美鈴の下唇に垂れようかというところで、相手の女が口を開いた。
「あっ、えっと。その、お構いなく」
「あい」
美鈴は返事そのまま、漸く団子を噛み締めた。
言葉通り、それまでのなんとも言えない空気にお構いなく、口の中では団子のもちもち感やらみたらしの香ばしい甘さ云々と、普段と変わらない、いや、それ以上の幸福感をもたらしてくれるみたらしを存分に味わった。
美鈴は思わず目を瞑り、空を仰ぐ。んんん、と一種の嬌声の様にも聞こえる音を出しながらその団子がいかに素敵かということを、全身で表現していた。
心ゆくまで一口目を楽しみ尽くし、これがまだ一口目であるというある種の感動に浸りつつ。
さあ二口目と口を開けようかという時、依然足を止めたままの女と目が合った。
白い導士調の服に身を包み、二つ尖った不思議な帽子。そして何より目を惹きつけるは、背中に生える複数の狐尾。彼女の背から顔を出すそれらは、毛並みの良さもさながら、白金のような輝きを見せては、陽の光を妙に照り返していた。
「お豆腐屋さんですか」
「えっ」
笑顔そのまま、美鈴は道の奥を指さした。
「このまま進んでから、二つ目の角を」
「いや、その。違う。用はない。豆腐屋に用はないよ」
「あら」
美鈴は頬に手を当てては、意外そうな面持ちを浮かべた。
「失礼しました」
「尻尾を見たね」
「顔にそう書いてありましたよ」
「おかしいな。お団子と書いてあるはずなのだけれど」
尻尾に目がいかない人などいるのであろうか。
それにちょっと、いや、とっても触りたい。後でこっそり触らせて貰いたい、というのは美鈴心の念。
一緒にいかがです。美鈴の誘いを受けた八雲藍は、頬を緩めて一つ頷くと、美鈴の隣に腰を下ろした。
「あんまり美味しそうに食べているものだから」
「あははは。よく言われます」
「じろじろと申し訳ない」
「いえいえ。全然気にしてなんて」
「それならよかっ」
「あっ。やっぱり気にしてます」
「えっ」
美鈴はわざとらしく顎に手を当てた。
「お詫びとしてですね」
「お、お手柔らかに」
「その背中のふわふわを」
藍は少しだけ面食らったようにどぎまぎしたものの、美鈴の要求を聞くなり半眼になった。
「あげるのはちょっと」
「仕方ありません。触るだけで我慢しましょう」
藍は少しだけ背中をこちらに向けて、尻尾を美鈴に差し出した。
美鈴も美鈴で、先程のささやかな願いがこんなにも早く叶うとは思わなんだ、と内心驚きつつも、口元をにやつかせながら、それらの一つに手を当てた。
ふんわりとした毛並みの奥に、しっかりとした骨の形を感じることの出来る手触り。
触る力の強弱によって、藍の反応もころころと変わる。弱く撫でればこそばしそうに。強く握れば身を強張らせ。
至極当たり前なのだが、触れば触るほど、この尻尾が生きているということを実感する。
こんなにも。こんなにも素敵なふわふわが。九本もあるなんて。そんな素敵なことが云々。
それぞれを撫でては替え、握っては替え。数えること五本目あたりで、どこか顔の朱い藍は咳払い一つした後、美鈴に向き直った。
残念美鈴。魅惑の時間もお終いである。
その落胆を隠すことなく顔に出しながら、美鈴は藍に頭を下げた。
「ありがとうございました」
「遠慮なく楽しんでくれて何より」
「遠慮は要らない、と背中に」
「私の身体は随分とお喋りみたいだね。それもかなりの法螺吹きだ」
そんな軽口を存分に叩き合った後、美鈴達は改めて自己紹介やら、過去にどこそこで在った云々等と語り合った。
お互いに東方の生まれという事もあってか、十分もたたぬうちにはもう、それとなく打ち解けてしまい、世間話の芽が多々萌え始めようとしたのだが。
八雲の藍も欲には勝てず。美鈴が手に持つみたらし団子に、ちらりちらりと目が惹かれているのは誰の目にも明らかであった。
「よし。私も頼むとしようかな」
あっさりとその欲を認めた藍へと、美鈴は更に親近感を覚えてならないのであった。
藍は手に持つお品書きをぱたりと閉じて、言った。
「あん団子二つ」
「えっ」
前言撤回。親近感などは霧散した。
あんはつぶとこしのどちらなのかと考えていると、おまたせしました、の声とともに、これから寵愛を受けるであろう団子達が運ばれてきた。
団子が二本。どうしてなのか、味はあん子。紫紺に塗られた白い団子のそれぞれが、光をもちりと映し出す。ちなみにこしあんである。
藍もまた会釈とともに皿を受け取ると、まるで分別のついた淑女のように、しかしそれでもはやる気持ちをどこか振りまきながら、両手を合わせた。
「いただきます」
藍は艶やかに串を口へと運ぶと、口をあんに染めることなく、器用に一玉味わった。
うん、うん、とどこか分かったような顔付き頷きながら、眉を開いた。
美鈴はというと、そんな藍に笑みを感染されながら、未だ温かい茶を啜っていた。
一口、また一口と、串を進める藍に負けじと、美鈴も早々と、しかし甘さを堪能することも忘れずに、一本を平らげた。
太陽ほどよく輝く下で、眩しい笑顔の紅と金。
あまりに柔やか和やかだから、通る人々誘われて。
二人横目にのれんをくぐり、更に女将も頬を緩めたとかなんとか。
意図せぬ客引きつゆ知らず、藍が耳をしとやかに揺りながら、残る一本に手を伸ばそうとしたその時。
藍の手は制された。美鈴の手に。妙な笑みを浮かべている、美鈴の手に。
「奇遇ですね。私も交換したいと思っていまして」
「私の知る奇遇とは、意味が異なるみたいだ」
「ほっぺたには未だにみたらしの文字が」
「確かに君の頬にはこしあんの文字が透けているね」
しかし、藍も藍でまた、みたらしへの一念、いや、半念程度であるかもしれないが、それを捨て切れていないというのも事実であった。
そのせいあってか、藍のあん団子に対する執着心は程なく薄れて、特に執りつく様子もなく首を縦に振った。
思いのほか容易く交渉、交渉というほど大層なものでも格式張ったものでもないが、成立まで進んでしまったものだから、美鈴は美鈴で桃の木の苗木を心に植えるなど云々。
そうして互いに串を交し合い、それぞれぱくついたわけであるが、言わずもがな、二人はあんとみたらしの味に満足したらしい。
甘美な味わいを堪能した後、腹も満たされたこともあって、ゆったりと話を弾ませては、茶を啜り、そしてまたまたまったりと会話の花を咲かせては、顔を互いに綻ばせた。
たまにはこんなのんびりとした時間もいいかもしれません、と美鈴がどことなく流した目で語れば、たまにはではなくいつも通りの間違いだろう、と藍が語尾を上げて問う。
そんなやりとりの数々が心地良いと言わんばかりに、二人のそれは続いていく。
すると、その掛け合いに妙に堅い声を差し込む者が一人、上白沢慧音が、あまりにもわざとらしい厳顔を浮かべながら現れた。
「団子屋で妖のものが二つ、暴れていると聞いて」
正に今日の空模様。そんな衣装に加えて、妙な形の、例えるならば玄人好みの閣寺を青くしたような、妙な形の帽子を乗せた、銀髪目立つ女性である。
「お団子退治に尽くしていまして」
「それはもう、手ごわいものだった」
「それに明鏡止水ですし、明鏡止水」
美鈴の終わり言葉に、慧音は眉間にしわを寄せた。意気投合したはずの藍も同様であった。
「いや、すまない。実は私も団子を楽しみに寄ったんだ。八雲藍、それに」
「八雲美鈴です」
「紅美鈴、紅魔の門番の」
「あぁ、紅魔のところの。何度か博麗の宴会では見かけたことがあるな。私は上白沢慧音。よろしく頼む」
「噂の先生ですね。改めまして、紅美鈴です」
二人が握手を交わすと、美鈴と藍は長椅子の両端に席を詰め、美鈴、慧音、藍の順に座り直した。
「しかし、これまた珍しい組み合わせだな」
慧音が顔を左右に振りながら、まじまじとそれぞれの顔を見る。
「みたらしさんとのデート中に、藍さんが」
「いや、その。でもあれだ。私はあん団子を頼んだんだ」
「そんなに赤くならなくとも」
慧音と美鈴は、茹だりゆく藍の顔を見ては、それぞれ意地の悪い笑みを浮かべてはからかった。
それをいなすどころか、もろに受け取ってしまった藍の顔が、更に鮮やかな赤が塗られたことは、言うまでもない。
「そうか。みたらしとあん団子か」
その言葉に美鈴は一つ頷くと、慧音は店内の女将を手招き、お品書きを返すついでに注文を伝える。
「三色団子をふた」
「三本で。そしてみたらしとこしあんを一本づつ追加でお願いします」
えっ、と間抜けた声に、美鈴は思わず吹き出しそうになるのを堪え、あくまでも飄々とした表情を浮かべるよう心掛けた。
「い、いや、違う。私じゃなくて勝手に。ま、待て」
女将は美鈴の思惑をしっかりと読み取ったというサイン代わりか、いたずらに白い歯を見せながら店内へと戻っていく。
何故、勝手に。眉間に皺を寄せた慧音が振り向けば、美鈴がわざとらしく音を立てて、先程お代わりを貰った茶を啜っていた。
先程の胡散臭さを感じさせ得ない作り顔とは打って変わって、知り合って数刻も立たないが、彼女らしいであろうふにゃりとした顔で、慧音に笑い掛けていた。
因みに、藍はというと。未だに顔を赤くしたまま、しかし、だって、だのともごついていた。
「三本は多すぎる」
「そう思います、私も」
慧音は口を僅かに開けたまま、しばし固まっていた。
美鈴も負けじと、更に笑い皺を深く刻んで、視線を交差させ続けた。
その睨めっこの後ろでは、依然として顔を赤くした藍が、自分に何かを言い聞かせる様に、目を閉じ、首を振っては、茶を啜っていた。
妙な空気が満ちる中。例によって、お団子達が運ばれてきた。
柿色に照り輝くみたらしと白と紫紺の対比が映えるあん団子と共に、桜、白、緑と見事な三色の団子が三本。
流石の慧音も心弾んだようで、口元の緩みを抑えきれずにいる。
そんな慧音の膝に並ぶ三色団子を一本、ひょいと美鈴は取り上げる。
あっ、と声をあげ、後に抗議の弁を並べるであろう慧音のそれが始まる前に、美鈴は運ばれてきたみたらしを三色団子の横に載せた。
慧音の皿には、三色団子が二本とみたらし団子が一本。
予想外の流れに慧音は、内心振り上げた拳のやり場にでも困っているように、口をむにむにと動かして美鈴を見つめていた。
慧音としても、悪くない提案だったのだろう。少しの間、うむむと唸ったと思えば、仕方ないという風に肩を竦めた。
そして皿をみて再び、唖然としたのだった。二本の内の一本が、あん団子に変わっていることに。
「美味しい」
その声の方に振り向けば、そこには桜団子の風味と甘味に、鼓を打ちたる八雲藍。
頬、白、緑と依然三色のままであった。
「随分と皿の上が、色とりどりに」
「二色増えただけですよ」
「うむむ」
美鈴は三色団子を口にする。
みたらしとは違い、団子そのものの仄かな甘味を心ゆくまで楽しむ事が出来るのだ。
それに加えて、更に桜や蓬の風味云々香るというのだから、こちらも中々侮れぬ。
もちもちと頬を動かす美鈴と藍に挟まれた慧音。
片眉を吊り上げながら、皿上の五色をまじまじと見て、どれから手をつけようかと口をむずむずと擦っては決め倦ねていた。
結局、左右の二人に揃える様に、慧音も三色のそれを手に取り、口にした。
「うむ」
慧音もまた、もちもちとした咀嚼の後に、呟く。
「美味い」
結局、三人の膝上の皿には、三本の串だけが残った。
しかし、完食したは良いものの、少々、いや、かなり食べ過ぎたという感想を、三人は共有していた。
きっと日が落ちたとしても、夕餉に心は躍りそうもない。この胃を包む満腹感を解消するには、里三周分走り回る必要がありそうだ。
そんなことをぼんやりと思い浮かべつつ、小腹を擦る美鈴の横で、慧音がぽつりと口を開いた。
「この前、演劇を観たんだ。里の、そこでやってる」
それを聞いた藍は耳やら尻尾やらをふさりと動かして、顔を慧音へと向ける。
「中々に面白くてな。ついつい夢中になってしまうんだ、それも毎回」
「ほう」
こほん、と一つ咳払いが響く。
「この後丁度、演劇をやるらしいんだ。八雲藍。紅美鈴。良かったら」
にやりと口元をあげる藍と美鈴。
「折角だし、誘いに預かろうじゃないか。勿論美鈴も行くだろう?」
「喜んで。このまま帰っても、きっとお昼寝しちゃいます」
三人は誰が合図したわけでもないのに関わらず、揃ったように腰を上げた。
「満腹だからといって寝てくれるなよ。私の友人は熟睡した挙句に、結末はどうだったなどと聞いてくる始末だった」
「それまでの過程があるからこそ、結末が面白くなるというのに。至極勿体ない話だね」
「あははは。気持ちは分からないでもないですけどね。久々のお芝居ですから、楽しみますよ」
ゆったりと、でも、かしましく。
まるで姉妹、いや、お団子みたいね。
歩き行く三人の後ろ姿を見て、団子屋の女将はそう、呟いた。
アリだ
…なんだこれ!
何だろうこの熱く、モヤッとした心持ちは…。