プレゼント。辞書で調べずとも意味は知っている。
こんなことを考えてしまったのは、きっと例のお祭りが近いからだろう。ひげのおじさんも大変なものだ。
正直に言って、誰かに贈り物をした例など生まれてこの方未経験である。貰ったこともおそらく数える程しかないだろう、もっとも思い出すことができないだけかもしれないが。つまるところ、私は少なくとも今日に至るまでプレゼント授受にほぼ関わらず育ってきたわけだ。だとしたら恥の多い人生だろうか。
ある冬の昼休み、学校でお弁当をもそもそと食べながらそんなことを考えていた。いつもと変わらぬ、わずかに甘めの卵焼き――容器に二つ入っているうちのその片割れ――をお箸でつまみ、食べる。実のところちょっとくらい塩味が効いていたほうが私の好みではあるのだが、毎朝早くに起きてせっせとこしらえている母親を思うと、なんだかそれを口にするのはひどく躊躇われる。
血縁とはいえ他人に食事を、それも早起きして作るだなんてご苦労なことだと思う。私に出来るかと尋ねられたらおそらく出来ないと答えるだろう。誰にも労われず、それでも作り続けることなんて、こんなに悲しいことはない。いや、私が「今日も美味しかったよ、ありがとう」とでも言えば済む話ではあるのだが、この歳になると父母との距離の取り方だってなかなか難しいのであって、つまり極めて利己的な理由ではあるのだが気恥ずかしいのだ。きっと見守る側も面倒に思っているだろうが、見守られていることを理解している分こちらも大概息苦しいのだ。感謝は一応しているし迷惑とまでは思っていないが。
「お前さん、結局その話の要旨は何なのさ」
「いや、悩める華の女子高生が人生の先輩から助訓を授かろうかって」
「生きた時代が違うんだから何とも言えないけどねえ」
「妹紅さんだってそういう時期はあったでしょう?」
「どうだろう。ほら、私はちょいと特殊だろう?」
それを言われると、なんだか黙らざるを得ないような気がする。
私は寝ている。が、その寝ている間だけ起きている。寝ながら起きている間だけ、私は幻想郷にいる。そういう体質なのだからどうこう言われてもよくわからない。椅子やベンチなどあるはずもなく、人里の軒下で二人して地べたに座っているわけであり、隣にいるのはライバル(勝手にそうした)である藤原妹紅さんである。整った顔立ちとアルビノじみた美しい白髪を持つ女性だ。未だに素性をよく知らないが、あっけらかんとした物腰は少なくとも他人を傷つけたりすることはなく、とても話しやすい人だと理解している。
「特殊だって言われても、試験管ベイビーでもなきゃ育ての親がいないなんてことはないと思う――」
「お、妹紅――に菫子か。授業中に寝るとは良い度胸じゃあないか」
「慧音、ちょうどいいわ。どら、こっちのほうが人徳者で先輩だと思うからこいつに聞きなさい」
「待て待て、何の話だ」
「年頃の娘っ子は手に負えないね、ってお話」
「何だそれは、答えになってないぞ」
「外の世界から来た、乾ききった心の持ち主に道徳教育をしてあげてよ。私はぼちぼち帰るから」
「あ、ちょっと妹紅さん――」
じゃあねー、と言いつつぷらぷら歩いていってしまい、残されたのは私と慧音さん、この里の保護者兼教育者だ。私にはほんの少しカタブツのように見えてしまうが、妹紅さんの話には何度か上がっていたが実際二人で話すのは初めてになるのかな。どことなく学校の進路相談の類にも似た雰囲気を感じ取ってしまうが、不思議とそこに嫌悪感は抱かなかった。信頼させるような才覚がこの人にはあるのだろう。
「それで、何の話だったんだ?」
「あのですね――」
そうして同じ話をした。家族との距離感が難しい、仲良くしたくないわけではないのだけど特段大好きというのも違う気がする。見守ってしまう気持ちはわかるが見守られ続けるのもいささか息苦しい。そんなところだ。
「むう、君もなかなかにひねくれものだな」
「でしょうね」
「嫌いにはなりたくない、でも好きにも振り切れない。その癖自分の立場やしてもらっている行為をきちんと捉えている」
「乾ききった心の持ち主に見えても、結構客観的な性格で分析なんかは得意なんですよ」
「わかったわかった」
「それで、ひねくれだのどうだのと、さんざ私をなじってお終いですか?」
「いいや。だが君は十分に理知的だから私の助言なんて要らないんじゃないかとも思ってな」
「はあ、」
「それでも聞かれた礼儀として答えるよ。あくまで意見に過ぎないが、私は特別に何か――」
目が覚めた。時刻はお昼からの授業が始まるか始まらないか、そんなところだった。
相も変わらず帰ってくるときはタイミングが悪い。慧音さんは結局何が言いたかったのだろう。『特別に――』何なのだろう。
惰性で残りの授業を聞き、結局身の振り方は定まらないまま帰路に至った。電車に乗り、電車から降り、少し歩くと家に着く。本来私にはそんなもの必要ではないのだが、飛んでいるところを見られてどうこうされてはたまったものではないから、普段はこうして普通の女子高生を気取っている。これは家族にも言ってない、唯一の秘密なのだ。
(こんなに悩む必要ないのに、なんで真剣に悩んでるんだろう)
電車を待ちながら、不意に思った。冬の帰り道はとても寒く、マフラーやコートを身につけていても堪えるくらいだ。はぁ、と口を覆うようにして手に息を吹きかける。
仕舞ってあることを思い出し。ポケットからハンドクリームを出して、手の甲に少し出す。
ぷひゅう、とだらしない音がして、中身が飛沫のように飛び散った。使うと物は無くなるんだなあ、としみじみ感じ入りつつ、帰りにドラッグストアで買っていこうと決めた。
『まもなく電車が参ります、危ないですから線の内側までお下がりください……』
しばらくしていたら、電車がやってきた。中に人をたくさん乗せている。ホームで扉を開くと、人がたくさん出てくるし、たくさん入っていく。もしこれが電車ではなく、電車に擬態した妖怪か何かで、中にいる人間をじわじわ溶かして食べていくなんて存在だったらどうするのだろう。みんな危機意識がなっていないのだ。それとも自分は絶対に助かると信じて乗っているのだろうか。
ハンドクリームは。
ハンドクリームはどのくらい使っていただろうか。ぺたぺたする感触があまり好きになれないから、本当に寒い時にしか使っていなかった。
もしかして、中学どんだけの時分に母親から貰ったものかもしれない。なんだ、プレゼントを貰ったこと、ちゃんとあるんだ。そう実感したせいかなんだか手がぽかぽかしていた。
電車で二駅、少し郊外の駅で降りた。ここでは人がたくさん降りないので、ホームを広々とした気分で歩ける。改札を抜け、外へ出る。二十分ほど歩くわけだが、私はあまり人に会わない道をわざわざ通る。多少時間は延びているのだろうけど、一人で考え事を出来るこの時間が好きなのだ。寒い寒い、とつぶやいて歩き始めると、ほんのわずかにみぞれが降り出してきた。うわあ、雨にならないといいけどなあ。どっかで雨宿りしようかなあ――。
「あ、ハンドクリーム」
完全に忘れてしまっていた。仕方ない、今日は大通りで帰らないといけないな。ドラッグストアまではみぞれのままだろう、きっと大丈夫だ。
思いが通じたか実際みぞれのままで、なんとか目的地に着いた。自動ドアが開くと、人やヒーターによる温まった空気が流れてきた。ハンドクリームハンドクリーム、と口にして探し出すと、すぐに見つかった。が、その豊富なバリエーションにいささかたじろいでしまった。安いやつでいいや、と値札を見比べていると、いろいろな付加価値があることに気づいた。香りをつけたもの、なんだかとか言う酵素やらが美肌にすると謳ったもの。なかなかアコギな商売だ。結局私は安いものにするから変わらなかったが。もっとも安い商品を手に取り、陳列棚を去ろうと歩き出した。
そこでふと目に留まったのは、『家庭を支えるお母さんに』というコピーだ。
目にして愕然とした。
私は全く客観的ではなかったのだ。母親が私にやってくれていることばかり考えていたが、実際はそうではない。むしろそんなものはごく一部に過ぎないのだ。家庭とは私だけではなく、父を支えることも含んでいるし、お家の中を掃除したりすることも必要となってくる。その労働範囲は大層広いだろうに、それを労われず、かつ日常のごとくして遂行しているのだ。
レジに向かうとき、私はそれも手にしていた。衝動買いとかいうやつだろう。六四八円です、と言われて財布から硬貨を出した。鞄にしまい、すぐに店を出た。
みぞれは上がっていた。
帰路にもどると、色々なことを考えてしまった。
私は賢い。その自負はある。でも十分ではなかった。自分が置かれている環境もきちんと把握できていなかったのだから。
母親は、それで幸せなのだろうか。誰からもその努力や仕事を公に認められず、ただただ繰り返すそれは奴隷と呼称して差し支えないのではないか。彼女の楽しみはどこにあるのだろう。やはり子供の成長なのだろうか。だとしたらこんな性格になってしまい困惑しているのかもしれない、そう思うとひどくいたたまれなくなった。
きっと。
きっと慧音さんはあの後こう続けたかったのかもしれない
『私は、特別に何かしてあげているという感覚はないと思うがなあ』
そうなのだろう。そのくらい日常と化してしまっているのだ。誉められなくとも、それが日常に。
気付いたら、もう家に程近い曲がり角だった。
急にいい子にはなれない。それこそ帰ってきたら別人の如く「イイ子」になっている、そんなクサい演技はできないからだ。
でも、ほんの少しだけならなれるかもしれない。
「ただいま」
玄関を開け、挨拶し、靴をしまう。いつも通りだ。
おかえりなさい、と声が聞こえた。居間からだ。
「ただいま」
「おかえりなさい」
居間の引き戸を開けると、ヒーターが点いていた。ドラッグストアから帰ってくる間に鼻先や耳が冷たくなっていたようで、痛痒く感じるくらいだった。
「ほら。先にお弁当箱出して」
「うん、ちょっと待って」
ごそごそと鞄から取り出し、手渡す。
「――あのさ」
「なに? 学校で変なことでもあった?」
「卵焼き、美味しかったよ」
母親はきょとんとしていた。私も多分変な顔をしていたと思う。慣れていないことは難しいし、むず痒い。
妙な雰囲気を壊すように、また早くその場から離れたい気持ちからか二の句を次いだ。
「あー、あと、これ」
そう言って、ハンドクリームを手渡した。母親は変わらずきょとんとしていて、二人とも何も言えない時間が流れた。今回二の句を次いだのは母親だった。
「嫌だ、今日って何か特別な日だった? そういうプレゼントとか用意しておく」
「いや――いつもと変わらないよ。日常そのもの」
じゃあ、私は部屋にいるから。そう返して居間から出て行った。
伝わっただろうか。
何が?
自分でもよくわからない。ともかく何らかを感じ取ってくれたらそれでいい。
自分の部屋に入ったら、妙に寒々しかった。きっと居間に比べてヒーターが点いていなかったからだろう。人が少ないっていうのも理由だろうか。
ダンランとダンロは音が似ている、そこに意味はあるのかな。
こんなことを考えてしまったのは、きっと例のお祭りが近いからだろう。ひげのおじさんも大変なものだ。
正直に言って、誰かに贈り物をした例など生まれてこの方未経験である。貰ったこともおそらく数える程しかないだろう、もっとも思い出すことができないだけかもしれないが。つまるところ、私は少なくとも今日に至るまでプレゼント授受にほぼ関わらず育ってきたわけだ。だとしたら恥の多い人生だろうか。
ある冬の昼休み、学校でお弁当をもそもそと食べながらそんなことを考えていた。いつもと変わらぬ、わずかに甘めの卵焼き――容器に二つ入っているうちのその片割れ――をお箸でつまみ、食べる。実のところちょっとくらい塩味が効いていたほうが私の好みではあるのだが、毎朝早くに起きてせっせとこしらえている母親を思うと、なんだかそれを口にするのはひどく躊躇われる。
血縁とはいえ他人に食事を、それも早起きして作るだなんてご苦労なことだと思う。私に出来るかと尋ねられたらおそらく出来ないと答えるだろう。誰にも労われず、それでも作り続けることなんて、こんなに悲しいことはない。いや、私が「今日も美味しかったよ、ありがとう」とでも言えば済む話ではあるのだが、この歳になると父母との距離の取り方だってなかなか難しいのであって、つまり極めて利己的な理由ではあるのだが気恥ずかしいのだ。きっと見守る側も面倒に思っているだろうが、見守られていることを理解している分こちらも大概息苦しいのだ。感謝は一応しているし迷惑とまでは思っていないが。
「お前さん、結局その話の要旨は何なのさ」
「いや、悩める華の女子高生が人生の先輩から助訓を授かろうかって」
「生きた時代が違うんだから何とも言えないけどねえ」
「妹紅さんだってそういう時期はあったでしょう?」
「どうだろう。ほら、私はちょいと特殊だろう?」
それを言われると、なんだか黙らざるを得ないような気がする。
私は寝ている。が、その寝ている間だけ起きている。寝ながら起きている間だけ、私は幻想郷にいる。そういう体質なのだからどうこう言われてもよくわからない。椅子やベンチなどあるはずもなく、人里の軒下で二人して地べたに座っているわけであり、隣にいるのはライバル(勝手にそうした)である藤原妹紅さんである。整った顔立ちとアルビノじみた美しい白髪を持つ女性だ。未だに素性をよく知らないが、あっけらかんとした物腰は少なくとも他人を傷つけたりすることはなく、とても話しやすい人だと理解している。
「特殊だって言われても、試験管ベイビーでもなきゃ育ての親がいないなんてことはないと思う――」
「お、妹紅――に菫子か。授業中に寝るとは良い度胸じゃあないか」
「慧音、ちょうどいいわ。どら、こっちのほうが人徳者で先輩だと思うからこいつに聞きなさい」
「待て待て、何の話だ」
「年頃の娘っ子は手に負えないね、ってお話」
「何だそれは、答えになってないぞ」
「外の世界から来た、乾ききった心の持ち主に道徳教育をしてあげてよ。私はぼちぼち帰るから」
「あ、ちょっと妹紅さん――」
じゃあねー、と言いつつぷらぷら歩いていってしまい、残されたのは私と慧音さん、この里の保護者兼教育者だ。私にはほんの少しカタブツのように見えてしまうが、妹紅さんの話には何度か上がっていたが実際二人で話すのは初めてになるのかな。どことなく学校の進路相談の類にも似た雰囲気を感じ取ってしまうが、不思議とそこに嫌悪感は抱かなかった。信頼させるような才覚がこの人にはあるのだろう。
「それで、何の話だったんだ?」
「あのですね――」
そうして同じ話をした。家族との距離感が難しい、仲良くしたくないわけではないのだけど特段大好きというのも違う気がする。見守ってしまう気持ちはわかるが見守られ続けるのもいささか息苦しい。そんなところだ。
「むう、君もなかなかにひねくれものだな」
「でしょうね」
「嫌いにはなりたくない、でも好きにも振り切れない。その癖自分の立場やしてもらっている行為をきちんと捉えている」
「乾ききった心の持ち主に見えても、結構客観的な性格で分析なんかは得意なんですよ」
「わかったわかった」
「それで、ひねくれだのどうだのと、さんざ私をなじってお終いですか?」
「いいや。だが君は十分に理知的だから私の助言なんて要らないんじゃないかとも思ってな」
「はあ、」
「それでも聞かれた礼儀として答えるよ。あくまで意見に過ぎないが、私は特別に何か――」
目が覚めた。時刻はお昼からの授業が始まるか始まらないか、そんなところだった。
相も変わらず帰ってくるときはタイミングが悪い。慧音さんは結局何が言いたかったのだろう。『特別に――』何なのだろう。
惰性で残りの授業を聞き、結局身の振り方は定まらないまま帰路に至った。電車に乗り、電車から降り、少し歩くと家に着く。本来私にはそんなもの必要ではないのだが、飛んでいるところを見られてどうこうされてはたまったものではないから、普段はこうして普通の女子高生を気取っている。これは家族にも言ってない、唯一の秘密なのだ。
(こんなに悩む必要ないのに、なんで真剣に悩んでるんだろう)
電車を待ちながら、不意に思った。冬の帰り道はとても寒く、マフラーやコートを身につけていても堪えるくらいだ。はぁ、と口を覆うようにして手に息を吹きかける。
仕舞ってあることを思い出し。ポケットからハンドクリームを出して、手の甲に少し出す。
ぷひゅう、とだらしない音がして、中身が飛沫のように飛び散った。使うと物は無くなるんだなあ、としみじみ感じ入りつつ、帰りにドラッグストアで買っていこうと決めた。
『まもなく電車が参ります、危ないですから線の内側までお下がりください……』
しばらくしていたら、電車がやってきた。中に人をたくさん乗せている。ホームで扉を開くと、人がたくさん出てくるし、たくさん入っていく。もしこれが電車ではなく、電車に擬態した妖怪か何かで、中にいる人間をじわじわ溶かして食べていくなんて存在だったらどうするのだろう。みんな危機意識がなっていないのだ。それとも自分は絶対に助かると信じて乗っているのだろうか。
ハンドクリームは。
ハンドクリームはどのくらい使っていただろうか。ぺたぺたする感触があまり好きになれないから、本当に寒い時にしか使っていなかった。
もしかして、中学どんだけの時分に母親から貰ったものかもしれない。なんだ、プレゼントを貰ったこと、ちゃんとあるんだ。そう実感したせいかなんだか手がぽかぽかしていた。
電車で二駅、少し郊外の駅で降りた。ここでは人がたくさん降りないので、ホームを広々とした気分で歩ける。改札を抜け、外へ出る。二十分ほど歩くわけだが、私はあまり人に会わない道をわざわざ通る。多少時間は延びているのだろうけど、一人で考え事を出来るこの時間が好きなのだ。寒い寒い、とつぶやいて歩き始めると、ほんのわずかにみぞれが降り出してきた。うわあ、雨にならないといいけどなあ。どっかで雨宿りしようかなあ――。
「あ、ハンドクリーム」
完全に忘れてしまっていた。仕方ない、今日は大通りで帰らないといけないな。ドラッグストアまではみぞれのままだろう、きっと大丈夫だ。
思いが通じたか実際みぞれのままで、なんとか目的地に着いた。自動ドアが開くと、人やヒーターによる温まった空気が流れてきた。ハンドクリームハンドクリーム、と口にして探し出すと、すぐに見つかった。が、その豊富なバリエーションにいささかたじろいでしまった。安いやつでいいや、と値札を見比べていると、いろいろな付加価値があることに気づいた。香りをつけたもの、なんだかとか言う酵素やらが美肌にすると謳ったもの。なかなかアコギな商売だ。結局私は安いものにするから変わらなかったが。もっとも安い商品を手に取り、陳列棚を去ろうと歩き出した。
そこでふと目に留まったのは、『家庭を支えるお母さんに』というコピーだ。
目にして愕然とした。
私は全く客観的ではなかったのだ。母親が私にやってくれていることばかり考えていたが、実際はそうではない。むしろそんなものはごく一部に過ぎないのだ。家庭とは私だけではなく、父を支えることも含んでいるし、お家の中を掃除したりすることも必要となってくる。その労働範囲は大層広いだろうに、それを労われず、かつ日常のごとくして遂行しているのだ。
レジに向かうとき、私はそれも手にしていた。衝動買いとかいうやつだろう。六四八円です、と言われて財布から硬貨を出した。鞄にしまい、すぐに店を出た。
みぞれは上がっていた。
帰路にもどると、色々なことを考えてしまった。
私は賢い。その自負はある。でも十分ではなかった。自分が置かれている環境もきちんと把握できていなかったのだから。
母親は、それで幸せなのだろうか。誰からもその努力や仕事を公に認められず、ただただ繰り返すそれは奴隷と呼称して差し支えないのではないか。彼女の楽しみはどこにあるのだろう。やはり子供の成長なのだろうか。だとしたらこんな性格になってしまい困惑しているのかもしれない、そう思うとひどくいたたまれなくなった。
きっと。
きっと慧音さんはあの後こう続けたかったのかもしれない
『私は、特別に何かしてあげているという感覚はないと思うがなあ』
そうなのだろう。そのくらい日常と化してしまっているのだ。誉められなくとも、それが日常に。
気付いたら、もう家に程近い曲がり角だった。
急にいい子にはなれない。それこそ帰ってきたら別人の如く「イイ子」になっている、そんなクサい演技はできないからだ。
でも、ほんの少しだけならなれるかもしれない。
「ただいま」
玄関を開け、挨拶し、靴をしまう。いつも通りだ。
おかえりなさい、と声が聞こえた。居間からだ。
「ただいま」
「おかえりなさい」
居間の引き戸を開けると、ヒーターが点いていた。ドラッグストアから帰ってくる間に鼻先や耳が冷たくなっていたようで、痛痒く感じるくらいだった。
「ほら。先にお弁当箱出して」
「うん、ちょっと待って」
ごそごそと鞄から取り出し、手渡す。
「――あのさ」
「なに? 学校で変なことでもあった?」
「卵焼き、美味しかったよ」
母親はきょとんとしていた。私も多分変な顔をしていたと思う。慣れていないことは難しいし、むず痒い。
妙な雰囲気を壊すように、また早くその場から離れたい気持ちからか二の句を次いだ。
「あー、あと、これ」
そう言って、ハンドクリームを手渡した。母親は変わらずきょとんとしていて、二人とも何も言えない時間が流れた。今回二の句を次いだのは母親だった。
「嫌だ、今日って何か特別な日だった? そういうプレゼントとか用意しておく」
「いや――いつもと変わらないよ。日常そのもの」
じゃあ、私は部屋にいるから。そう返して居間から出て行った。
伝わっただろうか。
何が?
自分でもよくわからない。ともかく何らかを感じ取ってくれたらそれでいい。
自分の部屋に入ったら、妙に寒々しかった。きっと居間に比べてヒーターが点いていなかったからだろう。人が少ないっていうのも理由だろうか。
ダンランとダンロは音が似ている、そこに意味はあるのかな。
面白かったです
母親に歩み寄る菫子と、卵焼き三つ入れてしまう母親、いいですね!
超能力者である前に多感な年頃の高校生である菫子が良かったです
卵焼き増えてる
かーちゃん嬉しかったんだな
どうも自分の中で尖ったイメージが強かったせいかもしれません
何気ない日常でもいろいろなものが埋まっているし、それに気づくことができればもっといいものを日常にすることができるんですね