無縁塚といえば魔法の森の更に奥、再思の道の向こう側、その名の通り無縁仏を放り込む、死臭芬々たる荒野である。それだけでも十分気の進まぬ所な上、どうも結界がゆるんでいるらしく外来から人や物が時たま流れ着く為、この辺りを猟場の一つにしている妖怪も多い。
もちろん彼等が期待しているのは前者だが、物好きな半妖がもう片方を求めてあさり回る事もしばしば。二匹目のドジョウを願う気持ちに人妖の別は無いと見えるが、普通の人間にとっては間違いなく危険地帯である。そんな場所の近くに集落があるのかと言えば……ある。
あれを集落と呼ぶか否かは意見の別れるところだが、とにかくある程度の人間が生活している家屋群が、無縁塚の付近にはあるのだ。盗っ人、博徒、火付けに追い剥ぎ、果ては人さらいから人殺しまで、凡そ妖怪よりも化け物じみた畜生共が、里を逃れてさすらう内に、最後に行き着くどんずまり。それが無縁塚地獄宿。
「あーもう! イライラするなぁ!!」
泥とゴミの煮こごりを叩きつけたような地べたにあばら家がぱらぱら生えている中を、足を引き摺りながら目当ての家へ向かう。そよとも風は吹かないので、陽炎よろしく立ちのぼる死骸の腐臭が、汗ばんだ体にまとわりつく。
あちこちからいぶかる視線を感じるし、余りぶつくさ言っていると無用な騒ぎになりかねないのだが、毒づかないとそれこそ毒気にやられてしまいそうだ。
ふと見ると、飾り気のない櫛が水溜まりに落ちている。尋常の往来なら落とし物で済むが、地獄宿となれば話は別である。十中八九【供物】の持ち物だ。
実際、ここは隠れ蓑としては絶好だ。人里の手は伸びないし、周りは脛に傷を持つ者ばかり。だがその実、妖怪の縄張りのど真ん中にポツネンと浮いている陸の孤島でもある。
ではなぜ袋のネズミが食い荒らされないかと言えば、ある種の共生があるからで、手出しをしない事を条件に、宿の人間は人肉を提供しているのである。
地道に魔法の森や無縁塚をさまようよりも、高確立でご馳走にありつけるとなれば、妖怪達にとっても悪い話ではない。人間の行い故に巫女のお目こぼしを賜り、同類を菓子折りにして妖怪に取り入る。人里からは蔑視されるが、もとより左様な事を気にする奴はここまで落ちてこない。
妥協とへつらいに厚顔無恥が乗っかった危うい積み木の頂きに、この宿はどうにかこうにかへばり付いている。
裾で櫛をぬぐい懐にしまった。弔いにもならないし、今更どうにもならないのだが、質素なところに持ち主の暮らしぶりがしのばれて、泥水にひたされているのはあんまり不憫に思えた。
頭をあげると、向かいのボロ屋の軒先にぶらさがった、一枚の看板が目に入る。どこぞの床からひっぺがした様な板切れに【楽土】と金釘文字で書き付けてあり、その下には店と同様くちゃくちゃな婆ぁがたたずんでいる。さぁて、正念場だ。
「御免下さい」
柿渋色の着物は泥と垢で黒ずみ、ところどころ血の乾いたのがこびりついて、けとばされた犬っコロの体である。浅黒い肌に刻まれた年輪じみた皺をぐにゃっと歪めて、
「えーこりゃまぁ こぉむさ苦しとこえ よくよく追いでくだしゃいました」
笑っているのか怒っているのかちっとも分からない表情を浮かべながら、枯れ木の虚ろを風が通る様なしゃがれ声で営業を始めた。
「あぁいえ、お客ではなくて」
恐らくまぶただろう辺りの皺がぐっとよって、警戒態勢に入る。
「冷やかしなら失せろぃ場所ふさぎだぁ!」
黄色く汚れた乱杭歯を剥き出しに吠えた。老いたれども地獄宿で商売をしているだけあって、なかなかの迫力だが、私は彼女が話を聞かざるを得ない魔法の言葉を知っている。
「霧雨魔理沙はおいでで御座いましょうか?」
瞬間、ぽかんと口を開けた後、曲がった腰の乏しい可動域を最大限に使ってペコペコと頭を下げる。
「えぇこりゃまぁ、魔理沙しゃまのお知り合いどは存じましぇんで、とんだしづれぇを」
「では?」
「へぇ、ちょーどお遊び頂いておりますぢゃ」
その時、店の奥をさえぎっていた衝立ての向こうから、喧しいよがり声が聞こえてきた。おひい様のものではない。げんなりする。
そういうところだし何の不思議もないが、出来る事ならクライマックスより前に、或いは後に来たかった。まぁこれも主の命だ。頑張るしかない。土間を上がり覗き込むと、綿のはみ出たせんべい蒲団で、蛇が獲物を嫐っていた。
病的に生っ白い肌を汗みどろに、どぶ川に映った月みたいな金色の瞳を爛々と、びっくりするほど赤い舌をチロチロ覗かせて、薄明かりをしっとり吸い込む乳房からなめらかに続く腰を、いやらしくくねらせている。
本当に綺麗だ。特に、その全然健康的じゃないのが一等美しい。大店の娘が生まれながらに持つ様々な豊かさと、それ故に培われた冨に対する無頓着が、魔導等という外法への貪欲さと相まって、まったく腐りかけた果実の媚態なのだ。
しかもそのうえ悪党ときている。人が最もいけ好かなく思うのが小悪党なら、最も喝采するのは罰されぬ悪であろう。地獄宿に住まうすれっからしの卑屈な涙色の悪事に比べると、おひい様には狂い咲きの花にも似た色気がある。
同じ悪事でも彼女がやればよくもやったりと感じるところ、私も外の連中と大差ない畜生だ。
「死にます……もぉ死にます……!」
喧しいんだよズベ公。薄汚ない声でおひい様を穢すな。お前はこの頽廃に興を添える刺身のツマだ。黙って黒子に徹していればいいんだよ。
「………ッ!」
瞬間、鼠の背が弓と反り、腰を震わせること数回、べたりとだらしなく尻をついた。何が嫌といえ、これ程勘に触る事も無い。おひい様に殺されやがった。吹けば飛ぶような売女のくせに……妬ましくてたまらない。
暫らく余韻に浸ってから、既にふてりだしたおひい様の瞳にちらと私の姿が写った。みるみる表情が苦り切ったものになり、次いで、毒にも薬にもならない怠惰な微笑みに変わる。
「なんだ、ずいぶん堂々とした出歯亀だな」
「仕事ですから」
毛羽立った畳に腰を下ろしながら応える。あんまり見ていると心臓を盗られそうでちょっと恐い。
「犬一匹にも由来がある。忠誠だけで食いっぱぐれがねぇお前みたいのは、差し詰め野良あがりだろうよ」
「それならおひい様は下のやり方から仕込まれた血統書付きですね」
「お陰で愉しませて貰ってるぜ? 今もな」
舌なめずりをしながら女の腹をなぜる。碧に塗られた爪がへその穴に引っ掻かり、くるくる……くるくる……
からかいやがって。そんな事で私がまいるとでも? 舐めるのも大概にしろ。そう思いつつも、目はしっかり指先の動きを追っていた。ああ分かってる。どうせ勝てっこないのだ。必勝と知っての戯れ。
それが口惜しくて、誤魔化したくて、さっさと用件に入りたかったが、そうも行かない。
「場所を変えましょう。内密のお話があります」
「お、やっと素直になったか」
「外で待ってますからさっさとお召物を着て下さい」
さくっと無視して座を立つ。何にせよここでは都合が悪い。婆ぁがさっきから耳をそばだてている気配がするし、この売女も居る。第一、おひい様の裸はどうも刺激が強すぎる。
もちろん彼等が期待しているのは前者だが、物好きな半妖がもう片方を求めてあさり回る事もしばしば。二匹目のドジョウを願う気持ちに人妖の別は無いと見えるが、普通の人間にとっては間違いなく危険地帯である。そんな場所の近くに集落があるのかと言えば……ある。
あれを集落と呼ぶか否かは意見の別れるところだが、とにかくある程度の人間が生活している家屋群が、無縁塚の付近にはあるのだ。盗っ人、博徒、火付けに追い剥ぎ、果ては人さらいから人殺しまで、凡そ妖怪よりも化け物じみた畜生共が、里を逃れてさすらう内に、最後に行き着くどんずまり。それが無縁塚地獄宿。
「あーもう! イライラするなぁ!!」
泥とゴミの煮こごりを叩きつけたような地べたにあばら家がぱらぱら生えている中を、足を引き摺りながら目当ての家へ向かう。そよとも風は吹かないので、陽炎よろしく立ちのぼる死骸の腐臭が、汗ばんだ体にまとわりつく。
あちこちからいぶかる視線を感じるし、余りぶつくさ言っていると無用な騒ぎになりかねないのだが、毒づかないとそれこそ毒気にやられてしまいそうだ。
ふと見ると、飾り気のない櫛が水溜まりに落ちている。尋常の往来なら落とし物で済むが、地獄宿となれば話は別である。十中八九【供物】の持ち物だ。
実際、ここは隠れ蓑としては絶好だ。人里の手は伸びないし、周りは脛に傷を持つ者ばかり。だがその実、妖怪の縄張りのど真ん中にポツネンと浮いている陸の孤島でもある。
ではなぜ袋のネズミが食い荒らされないかと言えば、ある種の共生があるからで、手出しをしない事を条件に、宿の人間は人肉を提供しているのである。
地道に魔法の森や無縁塚をさまようよりも、高確立でご馳走にありつけるとなれば、妖怪達にとっても悪い話ではない。人間の行い故に巫女のお目こぼしを賜り、同類を菓子折りにして妖怪に取り入る。人里からは蔑視されるが、もとより左様な事を気にする奴はここまで落ちてこない。
妥協とへつらいに厚顔無恥が乗っかった危うい積み木の頂きに、この宿はどうにかこうにかへばり付いている。
裾で櫛をぬぐい懐にしまった。弔いにもならないし、今更どうにもならないのだが、質素なところに持ち主の暮らしぶりがしのばれて、泥水にひたされているのはあんまり不憫に思えた。
頭をあげると、向かいのボロ屋の軒先にぶらさがった、一枚の看板が目に入る。どこぞの床からひっぺがした様な板切れに【楽土】と金釘文字で書き付けてあり、その下には店と同様くちゃくちゃな婆ぁがたたずんでいる。さぁて、正念場だ。
「御免下さい」
柿渋色の着物は泥と垢で黒ずみ、ところどころ血の乾いたのがこびりついて、けとばされた犬っコロの体である。浅黒い肌に刻まれた年輪じみた皺をぐにゃっと歪めて、
「えーこりゃまぁ こぉむさ苦しとこえ よくよく追いでくだしゃいました」
笑っているのか怒っているのかちっとも分からない表情を浮かべながら、枯れ木の虚ろを風が通る様なしゃがれ声で営業を始めた。
「あぁいえ、お客ではなくて」
恐らくまぶただろう辺りの皺がぐっとよって、警戒態勢に入る。
「冷やかしなら失せろぃ場所ふさぎだぁ!」
黄色く汚れた乱杭歯を剥き出しに吠えた。老いたれども地獄宿で商売をしているだけあって、なかなかの迫力だが、私は彼女が話を聞かざるを得ない魔法の言葉を知っている。
「霧雨魔理沙はおいでで御座いましょうか?」
瞬間、ぽかんと口を開けた後、曲がった腰の乏しい可動域を最大限に使ってペコペコと頭を下げる。
「えぇこりゃまぁ、魔理沙しゃまのお知り合いどは存じましぇんで、とんだしづれぇを」
「では?」
「へぇ、ちょーどお遊び頂いておりますぢゃ」
その時、店の奥をさえぎっていた衝立ての向こうから、喧しいよがり声が聞こえてきた。おひい様のものではない。げんなりする。
そういうところだし何の不思議もないが、出来る事ならクライマックスより前に、或いは後に来たかった。まぁこれも主の命だ。頑張るしかない。土間を上がり覗き込むと、綿のはみ出たせんべい蒲団で、蛇が獲物を嫐っていた。
病的に生っ白い肌を汗みどろに、どぶ川に映った月みたいな金色の瞳を爛々と、びっくりするほど赤い舌をチロチロ覗かせて、薄明かりをしっとり吸い込む乳房からなめらかに続く腰を、いやらしくくねらせている。
本当に綺麗だ。特に、その全然健康的じゃないのが一等美しい。大店の娘が生まれながらに持つ様々な豊かさと、それ故に培われた冨に対する無頓着が、魔導等という外法への貪欲さと相まって、まったく腐りかけた果実の媚態なのだ。
しかもそのうえ悪党ときている。人が最もいけ好かなく思うのが小悪党なら、最も喝采するのは罰されぬ悪であろう。地獄宿に住まうすれっからしの卑屈な涙色の悪事に比べると、おひい様には狂い咲きの花にも似た色気がある。
同じ悪事でも彼女がやればよくもやったりと感じるところ、私も外の連中と大差ない畜生だ。
「死にます……もぉ死にます……!」
喧しいんだよズベ公。薄汚ない声でおひい様を穢すな。お前はこの頽廃に興を添える刺身のツマだ。黙って黒子に徹していればいいんだよ。
「………ッ!」
瞬間、鼠の背が弓と反り、腰を震わせること数回、べたりとだらしなく尻をついた。何が嫌といえ、これ程勘に触る事も無い。おひい様に殺されやがった。吹けば飛ぶような売女のくせに……妬ましくてたまらない。
暫らく余韻に浸ってから、既にふてりだしたおひい様の瞳にちらと私の姿が写った。みるみる表情が苦り切ったものになり、次いで、毒にも薬にもならない怠惰な微笑みに変わる。
「なんだ、ずいぶん堂々とした出歯亀だな」
「仕事ですから」
毛羽立った畳に腰を下ろしながら応える。あんまり見ていると心臓を盗られそうでちょっと恐い。
「犬一匹にも由来がある。忠誠だけで食いっぱぐれがねぇお前みたいのは、差し詰め野良あがりだろうよ」
「それならおひい様は下のやり方から仕込まれた血統書付きですね」
「お陰で愉しませて貰ってるぜ? 今もな」
舌なめずりをしながら女の腹をなぜる。碧に塗られた爪がへその穴に引っ掻かり、くるくる……くるくる……
からかいやがって。そんな事で私がまいるとでも? 舐めるのも大概にしろ。そう思いつつも、目はしっかり指先の動きを追っていた。ああ分かってる。どうせ勝てっこないのだ。必勝と知っての戯れ。
それが口惜しくて、誤魔化したくて、さっさと用件に入りたかったが、そうも行かない。
「場所を変えましょう。内密のお話があります」
「お、やっと素直になったか」
「外で待ってますからさっさとお召物を着て下さい」
さくっと無視して座を立つ。何にせよここでは都合が悪い。婆ぁがさっきから耳をそばだてている気配がするし、この売女も居る。第一、おひい様の裸はどうも刺激が強すぎる。
斬新な設定でいいと思います。
最近の方は、心無いコメントですぐに辞めていかれる方が多いので。
是非お続けください