「蓮子だっていつかは死んでしまうのよねえ」
彼女が私を視ている時間は、私が思っているよりずっと短いのかもしれない。二人でいても、どこか別の場所、あるいは過去や未来を見ているのかもしれないし、私を通して私――宇佐見蓮子――以上の概念と対話しているようにすら思えるのである。
二人そろって私の自宅にある仏間で、つまらない積もる話をしている途中に、彼女が口にしだしたのだ。
「そりゃあね。私は普通の人間だから、死ぬだろうね」
「私は蓮子が好きだから、死んでも一緒なんてとっても嬉しいわ」
「私もメリーが好きだけど、そういっつも一緒だと飽きちゃうかもしれないわ」
「まあひどい、私はさんざん遊ばれてたってこと?」
「おおっと、ついにばれちゃったか」
こう軽口を叩き合ってはいても、彼女を不気味に感じることはある。理解してしまったらもう引き返せないような、そこがある種の魅力でもあるのだろうが、とにかく冷やっこい気味の悪さを感じたりする。だからといって責任も覚悟も義理も無く、はいお別れ、ともならないし、恐らく私からも似たようなものは発せられているだろう分困るのは、なるべく関わり合いを持ちたくない周囲の人間だろう。
それでも、私は言うしかなかった。台所からくすねてきた安酒を舐めながら、気を紛らわしながら。
「じゃあ、いつ死ぬか分からない恐怖から開放されるには?」
「答えなんて19世紀やら20世紀やらに出てるじゃない。知ってるでしょう?」
「それはあくまで知識のひとつ。個人の帰結としての考えを言ってほしいのよ」
「私だって同じよ。死の恐怖から開放されるには死ぬしかない」
「ではでは、それを上回る歓喜の生は存在しますかな」
「どうでしょうね、あるかもしれないし、ないかもしれないわ」
「そうとなったら、秘封倶楽部サイゴの活動ね」
「秘封倶楽部の? それとも宇佐見蓮子の?」
僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安、と残して自殺した者が昔いたはずだが、誰だっただろう。
「どうせ死ぬなら痛くないやつで、綺麗な身体を残したいわね」
「そんなのってあるのかしら、もしあったら即売り切れよね」
「人は誰でも死にたがっているのよ」
「死にたい、よりは生きることが辛いみたいな消去法だと思うけど」
彼女の、ふわりと風に浮かぶ、細っこい金の髪が私に絡みつく。感触を思い出し、うっすらとそこに漂うべき香りを感じ、ほんのわずかだが泣きそうになった。今日はいつもの服、独特なセンスとしか形容できない紫や水色のワンピースではない。
「メリー、私はさあ」
柔和ですこし微笑んだような、慈愛に満ちた顔で彼女は私の顔を覗いてきた。綺麗な顔だと思う、これなら残したいという気持ちも分かるが。
「私はメリーがいないと寂しいよ」
「私だって、蓮子がいないとつまらないわ」
「でも、これが正解なのかが分からない、どうすると皆が幸せになれるのかが分からない」
「死ぬ直前になって愛に目覚めたって? 世界はそこまで蓮子を重要視していないと思うわ」
「そうかもしれないけど――」
「それに、退屈なんじゃない? 今のあなたは時計とコンパスが要らないだけの、ちょっと賢い女の子よ」
いや、そうか。結局それが真理なんだろう。
「私がここで倒れてたら、驚くかなあ」
「ええ、きっとね。親不孝者って罵るかもしれないわよ」
「賽の河原って、石を百個積むんだっけ?」
「完成しそうになると鬼が来て、なぎ払っていくらしいわよ」
「秘封倶楽部がそろったら、敵なんてこの世にいないじゃない」
「残念だけど、この世じゃないのよ」
「ああ、それはうっかり」
仏壇から、用意しておいた錠剤を取り出す。メリーが死んだ時、衝動的に買ってしまったものだが、昔取った杵柄とやらだ。杵などもはや見たことないが。
風が、吹き込んだ。外の暑さをふんだんに抱えた風が、薄いレースのカーテンを巻き上げていく。私の服は揺れたが、メリーの白装束は揺れない。きっと質量がないのだろう。
風に吹かれて。答えは風の中にあるのさ。そんなのも思い出したが、少なくとも私にとっては正しかったわけだ。
いつもと変わらず夏は来て、きっと今年も冬が来る。喜ぶ者もいるし、嫌がる者もいる。愛っていうのはそういうものなのかな、としみじみ感じ入っていた。
「遺影だとこんなに美少女なのに」
「それは私じゃないわ。私っていうのは、人生の大事件とかに要約できない、お散歩やら講義を受けた時間が占めているんだから」
「死んだ人に何を言われたってなあ」
「今から死ぬ人は何を言ってもいいの?」
「生きてるからセーフ」
「死んでないだけよ」
「それにしても、こんな格好する必要あるのかしら」
「きっと、最初にやった人の趣味だと思うな」
錠剤を一錠、二錠、三錠……面倒になり、残っていた分全てを出した。流し込むにはコーヒーでいいだろう。
「じゃあ、飲んじゃいますか」
「ちょ、ちょっと。ちゃんとお水で飲みなさいよ」
「今更気にすることじゃないって」
じゃらじゃらと口に入れる。三錠ほどこぼしてしまったがまあ死ねる量だろう。コーヒーを口に含み飲み下す。味なんて、いつもの同じで苦いだけだ。愛飲する人は多分ちょっとどうかしているのだろう。
世界は、あまりに重要な人物を夭折させてしまった。それも二人も。
「これで、あとはお昼寝したらそっちってことね」
「そういうこと。遺書とかは書かないの?」
「書くことなんてないわよ。『太陽がまぶしかったから死にます』とでも書けばいいかしら」
「まあまあ、学のおありなことで」
その後も下らない、馬鹿な話や思い出話を続け、じきにうとうとし始めた。これが死の抱擁か。中々生ぬるいものだなあ、などとまどろんできたところでふと思った。
「そういえば、賽の河原で石百個。あれって誰がどうやって見つけた情報なのかな」
最後まで喋っていられたか覚えていないが、辞世の句がこれってのは少し情けないなあ、と思いながら、私はゆっくり瞼を閉じた。この分なら気持ちよく寝られそうだ。
「おやすみ、メリー」
「ええ。おやすみなさい、蓮子」
最期に視たのは、慈愛に満ちた相方の笑顔だった。私もそんな顔できてたらいいけど。
彼女が私を視ている時間は、私が思っているよりずっと短いのかもしれない。二人でいても、どこか別の場所、あるいは過去や未来を見ているのかもしれないし、私を通して私――宇佐見蓮子――以上の概念と対話しているようにすら思えるのである。
二人そろって私の自宅にある仏間で、つまらない積もる話をしている途中に、彼女が口にしだしたのだ。
「そりゃあね。私は普通の人間だから、死ぬだろうね」
「私は蓮子が好きだから、死んでも一緒なんてとっても嬉しいわ」
「私もメリーが好きだけど、そういっつも一緒だと飽きちゃうかもしれないわ」
「まあひどい、私はさんざん遊ばれてたってこと?」
「おおっと、ついにばれちゃったか」
こう軽口を叩き合ってはいても、彼女を不気味に感じることはある。理解してしまったらもう引き返せないような、そこがある種の魅力でもあるのだろうが、とにかく冷やっこい気味の悪さを感じたりする。だからといって責任も覚悟も義理も無く、はいお別れ、ともならないし、恐らく私からも似たようなものは発せられているだろう分困るのは、なるべく関わり合いを持ちたくない周囲の人間だろう。
それでも、私は言うしかなかった。台所からくすねてきた安酒を舐めながら、気を紛らわしながら。
「じゃあ、いつ死ぬか分からない恐怖から開放されるには?」
「答えなんて19世紀やら20世紀やらに出てるじゃない。知ってるでしょう?」
「それはあくまで知識のひとつ。個人の帰結としての考えを言ってほしいのよ」
「私だって同じよ。死の恐怖から開放されるには死ぬしかない」
「ではでは、それを上回る歓喜の生は存在しますかな」
「どうでしょうね、あるかもしれないし、ないかもしれないわ」
「そうとなったら、秘封倶楽部サイゴの活動ね」
「秘封倶楽部の? それとも宇佐見蓮子の?」
僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安、と残して自殺した者が昔いたはずだが、誰だっただろう。
「どうせ死ぬなら痛くないやつで、綺麗な身体を残したいわね」
「そんなのってあるのかしら、もしあったら即売り切れよね」
「人は誰でも死にたがっているのよ」
「死にたい、よりは生きることが辛いみたいな消去法だと思うけど」
彼女の、ふわりと風に浮かぶ、細っこい金の髪が私に絡みつく。感触を思い出し、うっすらとそこに漂うべき香りを感じ、ほんのわずかだが泣きそうになった。今日はいつもの服、独特なセンスとしか形容できない紫や水色のワンピースではない。
「メリー、私はさあ」
柔和ですこし微笑んだような、慈愛に満ちた顔で彼女は私の顔を覗いてきた。綺麗な顔だと思う、これなら残したいという気持ちも分かるが。
「私はメリーがいないと寂しいよ」
「私だって、蓮子がいないとつまらないわ」
「でも、これが正解なのかが分からない、どうすると皆が幸せになれるのかが分からない」
「死ぬ直前になって愛に目覚めたって? 世界はそこまで蓮子を重要視していないと思うわ」
「そうかもしれないけど――」
「それに、退屈なんじゃない? 今のあなたは時計とコンパスが要らないだけの、ちょっと賢い女の子よ」
いや、そうか。結局それが真理なんだろう。
「私がここで倒れてたら、驚くかなあ」
「ええ、きっとね。親不孝者って罵るかもしれないわよ」
「賽の河原って、石を百個積むんだっけ?」
「完成しそうになると鬼が来て、なぎ払っていくらしいわよ」
「秘封倶楽部がそろったら、敵なんてこの世にいないじゃない」
「残念だけど、この世じゃないのよ」
「ああ、それはうっかり」
仏壇から、用意しておいた錠剤を取り出す。メリーが死んだ時、衝動的に買ってしまったものだが、昔取った杵柄とやらだ。杵などもはや見たことないが。
風が、吹き込んだ。外の暑さをふんだんに抱えた風が、薄いレースのカーテンを巻き上げていく。私の服は揺れたが、メリーの白装束は揺れない。きっと質量がないのだろう。
風に吹かれて。答えは風の中にあるのさ。そんなのも思い出したが、少なくとも私にとっては正しかったわけだ。
いつもと変わらず夏は来て、きっと今年も冬が来る。喜ぶ者もいるし、嫌がる者もいる。愛っていうのはそういうものなのかな、としみじみ感じ入っていた。
「遺影だとこんなに美少女なのに」
「それは私じゃないわ。私っていうのは、人生の大事件とかに要約できない、お散歩やら講義を受けた時間が占めているんだから」
「死んだ人に何を言われたってなあ」
「今から死ぬ人は何を言ってもいいの?」
「生きてるからセーフ」
「死んでないだけよ」
「それにしても、こんな格好する必要あるのかしら」
「きっと、最初にやった人の趣味だと思うな」
錠剤を一錠、二錠、三錠……面倒になり、残っていた分全てを出した。流し込むにはコーヒーでいいだろう。
「じゃあ、飲んじゃいますか」
「ちょ、ちょっと。ちゃんとお水で飲みなさいよ」
「今更気にすることじゃないって」
じゃらじゃらと口に入れる。三錠ほどこぼしてしまったがまあ死ねる量だろう。コーヒーを口に含み飲み下す。味なんて、いつもの同じで苦いだけだ。愛飲する人は多分ちょっとどうかしているのだろう。
世界は、あまりに重要な人物を夭折させてしまった。それも二人も。
「これで、あとはお昼寝したらそっちってことね」
「そういうこと。遺書とかは書かないの?」
「書くことなんてないわよ。『太陽がまぶしかったから死にます』とでも書けばいいかしら」
「まあまあ、学のおありなことで」
その後も下らない、馬鹿な話や思い出話を続け、じきにうとうとし始めた。これが死の抱擁か。中々生ぬるいものだなあ、などとまどろんできたところでふと思った。
「そういえば、賽の河原で石百個。あれって誰がどうやって見つけた情報なのかな」
最後まで喋っていられたか覚えていないが、辞世の句がこれってのは少し情けないなあ、と思いながら、私はゆっくり瞼を閉じた。この分なら気持ちよく寝られそうだ。
「おやすみ、メリー」
「ええ。おやすみなさい、蓮子」
最期に視たのは、慈愛に満ちた相方の笑顔だった。私もそんな顔できてたらいいけど。