学校とは社会の縮図です。あなたたちはここで大人の生活を練習しているのですよ、と言われたことを思い出していた。
もしそれが本当ならば、こんなに恐ろしく悲しいことはないだろう。社会には愚図と畜生しかいないということになってしまう。
事実としてそれは間違っていないだろう。猿とも蛮族ともつかない奇声を発して走り回る同年代を眺めれば、納得を通り越して愛着すら抱いてしまう。ひとまわりもふたまわりも小さな、面倒を見るべき生徒でもできそうな仕事に手間取る人生の先輩とやらからは多くのことを学ばせてもらった。その意味では私にも学校というものに対してある程度の意義を見出すことができただろう。
要するに、種としての限界ということだろう。これ以上の生物的進歩は望めない、いわんや文化的にも。
ではその後にどのような手段を講じて生き延びようとするだろう。淘汰圧――進化に関する生物学には明るくないが――の強い時期にはやはり多岐に渡る進化方向性が選択されるのだと思う、すなわち変異種の増加だ。
私はその一例なのだろう。完全な亜種とは呼べないにしろ、その方向性は自覚している。そしてなにも私だけが神に選ばれた特別な者だと思っているわけではない。実験的に作られたというそれに過ぎないのだ。
自分の能力について深い理解があるわけではないが、感覚的にやれることは把握できている。浮いたり、風を起こしたり、そう長くない距離であればテレポーテーションをできたり、苦労すれば鉄塔を捻じ曲げたりできる。そんなものだ。
そんなものでも、いわゆる一般人とはかけ離れていると思う。『人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な躍進』だと思う。あれ自体嘘かもしれないが。
授業が全て終わった後でもそんなことを考えている私は、どれほど勤勉なのだろう。爪の垢はないので他人には渡せないが。
「おい、宇佐見」
「――あ、はい」
「進路志望書、今週中だからな」
「すみません」
「あとはお前だけ、すまんが頼むぞ」
「はい、ありがとうございます」
「成績はかなりいいんだから、行けるところまで行ってみてもいいと思うぞ」
もしかしたら新たに心を読んだりできるようになったのかもしれないな、『生徒から格好いい、頼れる大人だと思われたい』という浅薄な考えがありありと伝わってきた。私はいわゆる『生活に問題がある生徒』だろうから、狙い目なのだろう。まさか懇ろな関係になりたいと思っているわけでもなし。
社会の縮図にしては、全てにおいて低俗過ぎた。
「宇佐見さん、まだ出してなかったんだね」
「うん、よくわかんなくて」
「トーダイとかキョーダイとか行っちゃう感じ?」
「余裕かな。ごめんね、ちょっと図書室行くから」
そう言って足早に私は去った。教室から出る時に、連中のあたりから頭良い人ってギャクに馬鹿だよね、というようなことが聞こえてきたがあながち間違ってないと思う。誰だって理解の限界を超えたものは謎にしか思えないものだから当然だろう。彼女らの言う頭の良さとは、誰と交際しているか、どんなブランド物を持っているか、電話機の機種は何か、流行ものをどこまで知っているか、そんなものなのだろう。共感が重要といわれる女性間コミュニケーションであればそんなもので十分なのだ。
廊下を歩き、離れたところにある図書室に向かう。
本は良い。人間よりも簡単に巧拙が判断できるし、それこそ限りなくあるからだ。ましてや私の――他者よりは秀でていると自負している――理解力を鑑みれば、人間と付き合っているより幾分か効率的だろう。
図書室は、校内の端に、ぽつねんとある。扉はぼろぼろ、油圧にはガタが来ていて開閉に手間取るし(もっとも私には関係ないが)、室内に冷房はあれど暖房はない。蔵書がきちんと管理されているかも怪しいところである。
入ると、いつもと変わらず大きめ、落書きや傷だらけの作業机が四卓、正方行列のように配置されている。どうせ私しか利用しないのだから必要はあまりないが、多くの生徒が利用できるようにという願いなのだろう。空虚だからか気温のせいか、寒々しい室内を歩いて定位置に座り、鞄から手帳を取り出す。
恥ずかしながら現在執筆中なのである。題は以下のように。
『哀すべき時代から愛すべき次代へ。事態は極めて甚大である。秘封倶楽部会長 宇佐見菫子』
これを紹介するにあたって、私が近頃体得した別種の能力、ないし病を説明しなければいけない。
すなわち――――『幻想郷』へ行くことのできるそれだ。
幻想郷とは、私にも正確には理解できていないが、半分別世界、半分地続きな、現代とは異なる空間である。先日、若気の至りから無理矢理に通用口を作ろうと画策した私はまんまと成敗され、その代わりに睡眠中にのみ移動できるようになったのだ。
いや、そんな経緯はどうでもいい。肝腎な点はその世界が『現代から失われたもの』で構成されているという部分にある。
世界に神秘は多く存在する――いや、していた。心の奥深くから興奮するような謎めいた秘密が確かに存在していた。
だが、それらは種の限界にある人間には御しがたく、残念なことだが大衆の理性に阻まれてしまったのだ。
私はそれらを取り戻そうと、一時期躍起になっていた。件のマントもその一環として『空を飛ぶ不思議な女子高生』という名目で売り出そうと考え作ったものであるが、悲しいことに私がビル群の上空、妖しげに照り輝く月輪を背景に飛翔する映像(撮影は私)を動画サイトに投稿しても、
「これは都市特有のヒートアイランド現象が夜にも関わらず蜃気楼を……」
「いや、一部の人間が見たと叫んだことによる集団催眠……」
「富養な食料廃棄により巨大化したコウモリの群れであり……」
といった如くに相手されなかった。劇的な演出であろうと、現代人から神秘は放逐され尽くしてしまったのだ。
それでも、私は諦めきれなかった。
世紀の捕物――『空を飛ぶ不思議な巫女と謎の女子高生』をブレブレながら撮影し、投稿した。
それもCGと一蹴された。
悲しかった。悔しかった。
そして今に至るのだ。つまり、対象が悪かったのだと。現代人にはもう夢を受け入れる度量がない。ならば――。
ならば未来人しかいないのだ。
私の手帳を読んで、深く心から興奮し、神秘に惹かれるような人間が現れることを願って、次代に託すしかないのだ。
私と同程度には賢く、堅固な意志を持ち、記録を解読できる人間を待つ。
幸いなことに、私が設立した『秘封倶楽部』には非公式ながら部室がある。入学当初に使われていない部屋を発見して、ばれない内にせっせと出入り口を隠して作ったものだ。位置やその開閉方法は私の手帳に書いてある。
そして、都市伝説だ。この東深見高校には七不思議があると噂を流した訳で、紙の切れ端に内容を書いてばら撒いたり、某インターネット掲示板に書き込んだり、廊下ですれ違いざまに呟いたりと色々な方法で行った。こういうときに変わり者キャラは使える。
その内容はこうだ。
一.この学校には夜にしか入れない謎の部屋がある
二.そこを探したり、取り壊そうとすると呪われる
三.突然失踪した女子がいる
四.この学校の図書室には隠された本がある
五.その本には世界の真理が書かれている
六.七不思議なのに七つの不思議がない
と、こんなところ――センスがないと言われればそれまでだが、自分でも興味を引きつつ多少の恐ろしさも兼ね備えた名作だと思う。後半は七つも考えるのが面倒になってしまったが。
そして、謎の部屋には私の全てが残してある。
研究を著した幾つかのノート、マント、クリスタルスカル、黄金ジェットの模型、水晶球、そして帽子。将来これらを手にしてくれるものが現れると信じて。
「――そうだ」
進路志望書。あれを使おう。第一から第三まである欄に書き込むんだ。
『第一志望、幻想郷 』
『第二志望、超能力者』
『第三志望 』
空白っていうのもつまらない、何かないかな。数分、あるいは数十分ほど考えていたが、とんと思いつかなかった。いっそ空白でも面白いだろうか。大体こんなものを配る学校側もどうかしている。華の女子高生に現実をつきつけ――。
「ああ、それは面白いかも」
『第三志望、女子高生』
我ながら下らないとは思う。でも、本心である点もないではないのだ。いいじゃないか、女子高生になりたいなんて願い。
そうして、四つ折にして手帳に挟み、鞄から国語辞典を取り出した。前もって用意した、ページをくり抜いて手帳を隠せるようにしたものである。これを隠れ蓑に保存しておく。
保存する場所は、返却箱の中である。有り余っていた時間で二重底にあつらえ、そこに隠しスペースを作った。図書室であればまず本棚を探すだろうから、そのくらいの先入観を振り払えないならば私の意志は継げないだろう。
頼んだわよ、未来の部員。二代目秘封倶楽部会長。
もしそれが本当ならば、こんなに恐ろしく悲しいことはないだろう。社会には愚図と畜生しかいないということになってしまう。
事実としてそれは間違っていないだろう。猿とも蛮族ともつかない奇声を発して走り回る同年代を眺めれば、納得を通り越して愛着すら抱いてしまう。ひとまわりもふたまわりも小さな、面倒を見るべき生徒でもできそうな仕事に手間取る人生の先輩とやらからは多くのことを学ばせてもらった。その意味では私にも学校というものに対してある程度の意義を見出すことができただろう。
要するに、種としての限界ということだろう。これ以上の生物的進歩は望めない、いわんや文化的にも。
ではその後にどのような手段を講じて生き延びようとするだろう。淘汰圧――進化に関する生物学には明るくないが――の強い時期にはやはり多岐に渡る進化方向性が選択されるのだと思う、すなわち変異種の増加だ。
私はその一例なのだろう。完全な亜種とは呼べないにしろ、その方向性は自覚している。そしてなにも私だけが神に選ばれた特別な者だと思っているわけではない。実験的に作られたというそれに過ぎないのだ。
自分の能力について深い理解があるわけではないが、感覚的にやれることは把握できている。浮いたり、風を起こしたり、そう長くない距離であればテレポーテーションをできたり、苦労すれば鉄塔を捻じ曲げたりできる。そんなものだ。
そんなものでも、いわゆる一般人とはかけ離れていると思う。『人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な躍進』だと思う。あれ自体嘘かもしれないが。
授業が全て終わった後でもそんなことを考えている私は、どれほど勤勉なのだろう。爪の垢はないので他人には渡せないが。
「おい、宇佐見」
「――あ、はい」
「進路志望書、今週中だからな」
「すみません」
「あとはお前だけ、すまんが頼むぞ」
「はい、ありがとうございます」
「成績はかなりいいんだから、行けるところまで行ってみてもいいと思うぞ」
もしかしたら新たに心を読んだりできるようになったのかもしれないな、『生徒から格好いい、頼れる大人だと思われたい』という浅薄な考えがありありと伝わってきた。私はいわゆる『生活に問題がある生徒』だろうから、狙い目なのだろう。まさか懇ろな関係になりたいと思っているわけでもなし。
社会の縮図にしては、全てにおいて低俗過ぎた。
「宇佐見さん、まだ出してなかったんだね」
「うん、よくわかんなくて」
「トーダイとかキョーダイとか行っちゃう感じ?」
「余裕かな。ごめんね、ちょっと図書室行くから」
そう言って足早に私は去った。教室から出る時に、連中のあたりから頭良い人ってギャクに馬鹿だよね、というようなことが聞こえてきたがあながち間違ってないと思う。誰だって理解の限界を超えたものは謎にしか思えないものだから当然だろう。彼女らの言う頭の良さとは、誰と交際しているか、どんなブランド物を持っているか、電話機の機種は何か、流行ものをどこまで知っているか、そんなものなのだろう。共感が重要といわれる女性間コミュニケーションであればそんなもので十分なのだ。
廊下を歩き、離れたところにある図書室に向かう。
本は良い。人間よりも簡単に巧拙が判断できるし、それこそ限りなくあるからだ。ましてや私の――他者よりは秀でていると自負している――理解力を鑑みれば、人間と付き合っているより幾分か効率的だろう。
図書室は、校内の端に、ぽつねんとある。扉はぼろぼろ、油圧にはガタが来ていて開閉に手間取るし(もっとも私には関係ないが)、室内に冷房はあれど暖房はない。蔵書がきちんと管理されているかも怪しいところである。
入ると、いつもと変わらず大きめ、落書きや傷だらけの作業机が四卓、正方行列のように配置されている。どうせ私しか利用しないのだから必要はあまりないが、多くの生徒が利用できるようにという願いなのだろう。空虚だからか気温のせいか、寒々しい室内を歩いて定位置に座り、鞄から手帳を取り出す。
恥ずかしながら現在執筆中なのである。題は以下のように。
『哀すべき時代から愛すべき次代へ。事態は極めて甚大である。秘封倶楽部会長 宇佐見菫子』
これを紹介するにあたって、私が近頃体得した別種の能力、ないし病を説明しなければいけない。
すなわち――――『幻想郷』へ行くことのできるそれだ。
幻想郷とは、私にも正確には理解できていないが、半分別世界、半分地続きな、現代とは異なる空間である。先日、若気の至りから無理矢理に通用口を作ろうと画策した私はまんまと成敗され、その代わりに睡眠中にのみ移動できるようになったのだ。
いや、そんな経緯はどうでもいい。肝腎な点はその世界が『現代から失われたもの』で構成されているという部分にある。
世界に神秘は多く存在する――いや、していた。心の奥深くから興奮するような謎めいた秘密が確かに存在していた。
だが、それらは種の限界にある人間には御しがたく、残念なことだが大衆の理性に阻まれてしまったのだ。
私はそれらを取り戻そうと、一時期躍起になっていた。件のマントもその一環として『空を飛ぶ不思議な女子高生』という名目で売り出そうと考え作ったものであるが、悲しいことに私がビル群の上空、妖しげに照り輝く月輪を背景に飛翔する映像(撮影は私)を動画サイトに投稿しても、
「これは都市特有のヒートアイランド現象が夜にも関わらず蜃気楼を……」
「いや、一部の人間が見たと叫んだことによる集団催眠……」
「富養な食料廃棄により巨大化したコウモリの群れであり……」
といった如くに相手されなかった。劇的な演出であろうと、現代人から神秘は放逐され尽くしてしまったのだ。
それでも、私は諦めきれなかった。
世紀の捕物――『空を飛ぶ不思議な巫女と謎の女子高生』をブレブレながら撮影し、投稿した。
それもCGと一蹴された。
悲しかった。悔しかった。
そして今に至るのだ。つまり、対象が悪かったのだと。現代人にはもう夢を受け入れる度量がない。ならば――。
ならば未来人しかいないのだ。
私の手帳を読んで、深く心から興奮し、神秘に惹かれるような人間が現れることを願って、次代に託すしかないのだ。
私と同程度には賢く、堅固な意志を持ち、記録を解読できる人間を待つ。
幸いなことに、私が設立した『秘封倶楽部』には非公式ながら部室がある。入学当初に使われていない部屋を発見して、ばれない内にせっせと出入り口を隠して作ったものだ。位置やその開閉方法は私の手帳に書いてある。
そして、都市伝説だ。この東深見高校には七不思議があると噂を流した訳で、紙の切れ端に内容を書いてばら撒いたり、某インターネット掲示板に書き込んだり、廊下ですれ違いざまに呟いたりと色々な方法で行った。こういうときに変わり者キャラは使える。
その内容はこうだ。
一.この学校には夜にしか入れない謎の部屋がある
二.そこを探したり、取り壊そうとすると呪われる
三.突然失踪した女子がいる
四.この学校の図書室には隠された本がある
五.その本には世界の真理が書かれている
六.七不思議なのに七つの不思議がない
と、こんなところ――センスがないと言われればそれまでだが、自分でも興味を引きつつ多少の恐ろしさも兼ね備えた名作だと思う。後半は七つも考えるのが面倒になってしまったが。
そして、謎の部屋には私の全てが残してある。
研究を著した幾つかのノート、マント、クリスタルスカル、黄金ジェットの模型、水晶球、そして帽子。将来これらを手にしてくれるものが現れると信じて。
「――そうだ」
進路志望書。あれを使おう。第一から第三まである欄に書き込むんだ。
『第一志望、幻想郷 』
『第二志望、超能力者』
『第三志望 』
空白っていうのもつまらない、何かないかな。数分、あるいは数十分ほど考えていたが、とんと思いつかなかった。いっそ空白でも面白いだろうか。大体こんなものを配る学校側もどうかしている。華の女子高生に現実をつきつけ――。
「ああ、それは面白いかも」
『第三志望、女子高生』
我ながら下らないとは思う。でも、本心である点もないではないのだ。いいじゃないか、女子高生になりたいなんて願い。
そうして、四つ折にして手帳に挟み、鞄から国語辞典を取り出した。前もって用意した、ページをくり抜いて手帳を隠せるようにしたものである。これを隠れ蓑に保存しておく。
保存する場所は、返却箱の中である。有り余っていた時間で二重底にあつらえ、そこに隠しスペースを作った。図書室であればまず本棚を探すだろうから、そのくらいの先入観を振り払えないならば私の意志は継げないだろう。
頼んだわよ、未来の部員。二代目秘封倶楽部会長。
ただ文章自体は読みやすい。
だからもっと見聞広げるのと体験を積むべきだと思う。
外の空気を吸え。
まだまだ青い。
期待している。
「頭良い人」でしょうか
「頭悪い」と「馬鹿」では逆ではないので
遭難者が流した手紙入りの瓶が家族の元に届いたかのような喜びがありました