Coolier - 新生・東方創想話

虹色門番の鮮やかに騒がしい休日

2016/09/12 13:32:22
最終更新
サイズ
88.2KB
ページ数
1
閲覧数
3808
評価数
6/18
POINT
1160
Rate
12.47

分類タグ



虹色門番の鮮やかに騒がしい休日



   0

 ただの普通の人ですよ。


   1
 
 美鈴はその日、霧雨魔理沙と弾幕決闘をした。
 ここしばらく姿を見せなかった(裏口から侵入していたわけでもなく、彼女自身紅魔館に来るのは久々だと言っていた)コソドロ黒ネズミの来訪に驚いた美鈴は、申し込まれた弾幕決闘を二つ返事で承諾した。七色の星と雨が、夏の晴れ空を鮮やかに彩った。
 しかし片や異変解決に奔走する魔法使い。そして片や昼寝を嗜む拳法妖怪。スペルの種類は言うに及ばず、回避パターン等、弾幕ごっこの実力には大きな差がでていた。それでも新しいスペル(少なくとも美鈴にとって)を二枚攻略されたことに、霧雨魔理沙も「やるな」と零していたが、結局美鈴は倒されてしまった。
 その後、大図書館にて一騒動を起こした白黒強盗を見送りつつ、鍛錬で時間を潰し、やがて完全に日が没して気温もすっかり下がった午後八時頃のこと。
 がちゃりと、遠く離れた紅魔館の正面玄関が開かれる音を耳が拾い、美鈴は静かに、そして素早く〝気〟を伸ばしてその外出者の気を検分した。宿す力は濃密な霧を思わせる、それは考えるまでもなく当主の気配であった。
 ふわりと飛翔し、彼女が緩い速度でこちらへと向かってくる。美鈴は適度な距離まで接近した当主に、振り向かずに声をかけた。
「お出かけですか、お嬢様?」
「……結構ビックリするから、そうやって声をかけるのはやめなさい」
「それは失礼しました」
 美鈴は振り向き、黒い鋳物フェンスの剣先にまるで悪魔のように留まった自身の主を仰ぎ見た。
 月光に照らされ毛先が溶けるように透ける水銀の髪に、影のなかでも静かに光る紅玉の瞳。にぃっと小さく笑い覗かせた八重歯。そして自らの体躯より二倍はありそうな漆黒の大翼。紅い悪魔の吸血鬼、レミリア・スカーレットである。
「うーん、結構音は殺していたはずなんだけど、まだ甘かったかな?」
「ドアの音で気付いたので。それ以降はもう、手に取るように」
「まぁ私ほどのレベルになれば気配なんて気にする必要もないわけだが」
「ですよねー」
 美鈴はレミリアの気分が差して荒れているわけではないことを察した。わざわざこの門に留まるのも珍しく、こうして会話をしても、一向に急ぐ気配はない。目的は自分にあるのだろうと美鈴は考える。それは珍しいことだった。てっきり昼に泥棒の侵入を許したことによるお叱りを受けるのかとも思ったが、違うようだった。
「お出かけ、とは違うようですが、いかがされました? 咲夜さんも連れてないみたいですし」
「あー、うん、まぁ咲夜はね……」
 歯切れの悪い反応に、美鈴も困惑を覚える。まさか二人で喧嘩でもしたのだろうか。
 少し迷いのある顔で逡巡し、やがて偉大なる吸血鬼はふわりと美鈴の近くまで舞い降りて、まるで不満の溜まった子供のような表情で愚痴をこぼし始めた。
「最近咲夜が、ちょっと口うるさくなってきたと思わない? 野菜を好き嫌いせず食べろとかゲームは一日三時間とかはまだいいんだけど、貴族らしく振舞えとか威厳を保てとか言い始めてさぁ」
「あぁ、そういえば咲夜さん、一昨日の食事の時やけにお嬢様のテーブルマナーを気にされていましたね」
 ハンバーグの切り分けやフォークの持ち方、ソースのはね返りを逐一注意するメイド長とそれに頬を膨らませる当主。傍で眺めていた美鈴やパチュリーはそんな二人のやり取りに裏で笑いあったものだ。
「ほら、ちょっと前にスキマ女と会食しただろ? その時アイツが私の食い方をガキっぽいだとかほざいてたのが原因だと思うんだけどね」
 その後、レミリアが「子供は子供らしくするのが一番だからねぇ。それに変に歳を食って意味のないマナーを若者に守らせようとするのは老いの証拠。それすらも分からなくなったのかな賢者殿?」と呷り返し、露骨に眉間にしわを寄せたスキマ妖怪を思い出して美鈴は危うく吹きそうになった。
 確かに、子供が子供らしくするのは当然のことである。何せ不老の吸血鬼、永遠の子供でいられる彼女が子供らしくしようとすることに間違いはない。
 だが人間は成長する。時を経て肉体的、精神的に大きくなる。大人になるのだ。そして大人は得てして子供の成長を望み、手助けしようとする。美鈴はそれを咲夜に対して施してきた。
 だから美鈴は咲夜の言い分も理解できる立場にいた。
「お嬢様のお言葉も尤もですが、たまには咲夜さんのお願を叶えてあげてはどうですか? 部下の期待に応えるというのもまた、良い上司の務めかと思いますけどね」
 咲夜に成長を、そして手助けをしていたのは、レミリアとて同じである。
 その立場が逆転してしまった事を奇妙に思い、戸惑いが生まれ、その戸惑いが今の不満の一因になっていることも、彼女は理解していることだった。
「だから最近は、なるべくそれらしい部分も見せてる」
「さすがはお嬢様」
「だが一辺倒の生活も堅苦しいんだよねぇ。そこで相談があるんだけど」
「おーこれはまた珍しい。私で可能であれば、是非もありませんが」
 美鈴は内心で嬉しさに軽く心が弾んでいた。
 たとえ妖怪であっても、主を持つ者であれば主からの命に喜びを感じないはずもない。役に立てると、存在に意義があるのだと、自身を肯定してもらえるような幸福感がある。美鈴にもその感覚は確かにあった。これでも美鈴は故あってレミリア・スカーレットに忠誠を誓っているのだから。
「明日、漫画を買ってきてくれないか。とびきり面白そうな奴を」
 それが、例え、どんなに馬鹿馬鹿しい命令であっても、その思いが無くなる事は決してない……。

 
   2

 当主の威厳溢れる姿を見たいわけじゃなかったと言えば嘘になる。
 もちろん美鈴は話の流れからそれは叶わないだろうと思っていた。けれど昔を思い出し、少しくらい期待してしまうのは、考える者として仕方のないことだろう。
 だが落胆しても始まらない。レミリア・スカーレットの命令に応えるのは僕として当然の義務だ。当主の威厳を咲夜が気にするように、当主の息抜きを気にするのが美鈴の役目である。レミリアの言うとおり、どちらか一辺倒ではダメなのだ。
 気を取り直して美鈴は主とのブリーフィングに集中した。
 話の流れからして、漫画を読むと咲夜が良い顔をしないのだろう。ましてや買うにしてもお小言が始まるとなれば、おいそれと買いに行くこともできないのではと美鈴は考えた。そしてレミリアも大体そのように説明した。
「ここまではいいかしら?」
「わん」
 犬のようにふざけて答えてみると、レミリアは和らげな笑みを浮かべた。どうやらその冗談は受けたようであった。
「あ、でも私がいない事を咲夜さんが気付いたらどうしますか?」
「咲夜には貴女に休暇を出したって言っておくわ。これなら遭遇しても問題ないでしょう」
 つまり美鈴は休暇を与えられ、その過程で漫画を探し、あくまでも自分用に購入するという流れが出来るわけだ。その後、その漫画がお嬢様に渡ろうと注意されるのは美鈴である。美鈴は掌を上にあげて、主の狡賢さに肩をすくめた。
「まぁ、別に怒られるのは慣れてますから、いいですけどね」
「そういう事」
 最後に、美鈴は何処で漫画を買うべきなのかということを問うた。度々人里には訪れているので知らないわけではないが、何か注文があるのなら仔細把握しておくべきであろうと美鈴は思った。
「鈴奈庵」
 レミリアから飛び出した言葉に、美鈴は思わず目を見張るほど驚いてしまった。
「あの貸本屋ですか?」
 話には聞いたことがあるが、実際に訪れたことはない。何でも外来本が蒐集されているとか。美鈴はその程度の情報しか知らない。
「貸本だけじゃなくて、販売や買取、印刷なんかもやってるらしいよ。まぁ漫画の一冊や二冊あるんじゃないかと思ってね」
「なるほど。了解しました」
「任せる。じゃ、私は館に戻るから。あんまりここにいると作戦がばれるかもしれないしね」
「大変ですねぇお嬢様も」
「全くね。あの子の成長は嬉しいけど、こういうのは誤算だったわ」
 それが夜の出来事である。

 翌日。朝霧の深い午前6時過ぎ。美鈴は三時間ほどの睡眠から目覚めて早朝の鍛錬に励んだ。霧の深い前庭、噴水の近くで太極拳の套路を行い、体内の気を整えていく。
 それを終えると、今度は噴水の縁に座禅を組み静かに瞑想した。やがて美鈴の前に波打つ水面に渦が生まれ、水が浮かび、球状に膨らんでいく。美鈴が水に〝気〟を流して操っているのだ。バスケットボールほどの大きさになり、なおも回転を続ける水球を維持する。やりようによってはいくらでも膨らませることも可能だが、これは扱うための感覚を磨く鍛錬で、だからこの程度の大きさで十分だった。
 その後筋肉トレーニングをしていると、美鈴の後ろにメイド長である十六夜咲夜が現れた。
「おはよう美鈴」
「お早うございます咲夜さん」
 逆立ち状態の腕立て伏せを止めて起立し、美鈴は噴水の縁に置いてあったタオルで流れた顔の汗を拭いてから咲夜と相対した。
「あんまりお腹を出していると風邪を引くわよ」
 美鈴は現在、上半身に何もつけていない半裸状態であった。豊かな胸部が惜しげもなく晒されているが、何より素晴らしいのは全身のバランスであろうと咲夜は思った。
 鍛えていても屈強と思えるほど筋肉が膨れているわけではなく、弛みのないしなやかな印象を受ける。〝力〟という物を意識させつつ、〝美〟も併せ持つ均整の取れた身体。
 彼女の健康的な色の肌が運動によって火照り、その上を透明な汗が垂れ落ちていく様が艶かしい。親しい仲だが、さすがの咲夜もこれには少し頬を染めた。それは同性としての羞恥だけではなく、美鈴との色事を思い出してのことだった。夜月に照らされる彼女の身体も良いが、こうして朝霧に晒される彼女も魅力的であった。
「あはは、そしたら咲夜さんの看病が受けれますね」
「馬鹿。どこかの烏が有らぬ噂を流して、評判が悪くなったらどうするのよ」
「《謎の半裸妖怪、悪魔の館でストリップショー?》……見出しはこんなもんですか。嫌ですねぇ醜聞を飯のタネにしている連中は」
「それを言うなら《紅魔の門番、半裸で風邪を引き重症?》でしょ。それで社説にあの人も風邪を引くんですねぇとか、彼女を雇う紅魔館の当主も底が知れますね、なんて好き勝手言われるのよ」
「さすがにそこまで悪意ある新聞を書く輩は居ないと思いたいですね……」
「いたらその日の夕食にチキン料理が並ぶだけよ。とにかく風邪には気をつけなさい。夏風邪は長引くって言うし」
 それだけ言うと、咲夜は館へと踵を返した。美鈴も「はーい」と返事をして鍛錬を再開しようと逆立ちした。が、そこでふと思い出したように咲夜の足が止まり、彼女が再び美鈴の方を向く。
「あと八時までにお風呂に入って食堂に来なさいな。朝食にしましょ」
「今日の朝食は何ですか?」
「和食よ。アジの干物」
「魚! 美味しそうですね!」
「当然でしょう。私が作るんだから」
 咲夜を見送った美鈴は予定より少し早く鍛錬を切り上げた。そして自室のシャワーで汗を流し、いつもの服に着替えて食堂で再び咲夜と合流した。食堂では起きだしたメイド妖精たちが食事をしており、その一角で美鈴たちも朝食と向かい合う。
 色の濃いアジの干物の焼物に艶のある炊きたてのご飯、湯気の立つお味噌汁に大根の漬物。それらの朝食を目の当たりにして美鈴の食欲が沸き立った。最大の感謝を目の前の人物に込めながら、美鈴は静かにいただきますを告げた。
「貴女、今日お休みをいただいたんだって?」
 しかし食べ始めて早々、そう訊ねられて美鈴の箸が止まってしまう。まさか計画を察知されたのかと疑ったが、さすがにそれは早すぎるだろう。いかに彼女が光より速く動けるメイドといえど、発していない光を知るなど不可能だ。会話を聞かれていればその限りではないが、レミリアと話した時にメイド長が門に接近した気配はなかったはず。
「はい。どういう気紛れか、半日ほどですけどね」
「良い御身分ですわね。毎日昼寝している癖に」
「その所為でクビになったのかと思ったんですが、運良く残ることが出来たみたいです」
「まぁ気分転換みたいなものかもね。とりあえず楽しんできなさいな」
「出来れば他の誰か、いえ咲夜さんと一緒に休みたかったですねぇ」
 これはおべっかでもなければ誤魔化しでもなく、美鈴の本心だった。普段から仕事の忙しい彼女と館で話す事や買い出しで外出することはあっても、私的に外出し何かを楽しむということはあまりない。
 当然これで承諾されては困るのは美鈴である。ただ何となく言いたくなってしまったのだ。しょうがないことなのだ。
「あら、私とのデート料は安くないわよ」
「荷物持ちくらいなら出来まーす」
「全然甲斐性がないじゃない……」
 呆れられ、えへっと笑う美鈴。その後も他愛ない話で盛り上がり、やがて食事を終えた二人は食器を洗い物担当のメイド妖精に預けて食堂を出た。
「そういえば咲夜さん、外の業務のほうは平気ですか?」
「んー、とりあえず門番隊の子たちとミーティングして考えようと思ってるわ。何か気をつけなくちゃいけないことはある?」
「一応夜勤の子に今日のことを伝えてあるので、変な混乱はないと思います。門番のシフトは決まっているので担当の子に聞いてみてください。試験運用中ですけど自立型石像も出すように言っておいたので、その辺りも考慮してくだされば。さすがに咲夜さんがずっと門番をしているわけにもいかないでしょう?」
「そうねぇ。でも買い出し以外は他の妖精にやらせて門番に専念することもできるけど、どうかしら?」
「日中は暑いですからオススメできませんねぇ。呼び出されるごとにシャワーを浴びて身だしなみを整えるハメになりますよ」
「なるほど。じゃあ門は門番隊に任せるわね」
「あー、あと水遣りは早めにお願いできますか? 今日はよく晴れそうですから」
「うん、分かった」
 食堂を出て咲夜と別れた美鈴は自室へ向かい、さっそく外出の準備を始めた。
 普段着ている華人服を脱ぎ、それをハンガーに掛けて仕舞いクローゼットから別の服を探す。
「あんまり着てない奴がいいよね……」
 美鈴は変装を企んでいた。何せ人里は、今や多くの怪異が潜む地雷地帯になっていると聞く。今日は咲夜がいないので、単独でそのまま人里に入るのは面倒事になると美鈴は考えていた。
「うーん」
 そして美鈴が選んだのは、暗い黄、オリーブのような色を基調とした服だった。
 まず下着として黒いスポーツ用のタンクトップを着て、それから金糸で縁取られた長いベルスリーブが特徴のシャツ、足首で縛れられたズボン、どちらも運動用の木綿素材で出来た道着を身につける。さらにそれらの上からオリーブ色に染められた貫頭衣を纏う。
 その貫頭衣は頭を通しても襟からへそ辺りにかけてが開かれており、金色の紐とボタンの留め具で閉じる仕組みで、全てを閉じると美鈴の顎が隠れるように襟が高くなった。腰から下の前掛け部分に八卦と対極図が描かれており、道士風であった。
 やはりどことなく普段彼女が纏っているチャイナドレスに似ているが、色や金の縁取りなどもあって多少は異なった印象を受ける。金糸の刺繍も気品さがあり、全体的に少し重々しい。昔はこういう服で色々な悪さを働いたりもしたなと、美鈴は少し懐かしい気分になった。
「うげ……」
 しかし姿見で己を見た瞬間、八雲紫を思い出して美鈴は呻いた。いつだったか彼女もこんな感じの服を着込んでいたな。嫌だな。これは確かに胡散臭そう。などと嫌がり放題であった。
 けれど今更他のにしようとも思えなかった。ぶっちゃけ着替え直すのが面倒臭かった。その感情を塗りつぶすようにノスタルジーに浸り、若干興が乗っていたので美鈴はその姿で外出することにした。
 帽子の龍星は外して懐へと隠し、服と同じ色をした帽子を頭に被る。三つ編みも解き、髪を後ろで縛って垂らす。髪も色も変える。鮮やかな紅は、眠るように錆びた血の色に染色されていく。
 そこまでやると、そこには一見して紅美鈴のようで、しかし紅美鈴とは思えない者が立っていた。姿見で己の姿をもう一度確認する。外見だけでは判断は難しいだろう。
「よし」
 準備ができた。美鈴は窓を開いて外へ出る。ちゃんと窓を締めて、その場から跳躍し、美鈴は消えた。音はなく、後には虹色の燐光が漂うだけであった。


   3
 
 霧の湖のほとり、大きな岩陰の下で闇に潜んでいたルーミアは嗅いだこともない不思議な香りに目を覚ました。
「なんだろ」
 その香りは人間が身につける香水などではなく、甘く深いもので無性に後を引いた。そしてそれらに小さく肉の香りが混じる。人間がいるとルーミアはすぐに悟った。ぐぅ、と彼女の腹も肯定した。
 立ち上がって岩陰から静かに動き出したルーミアは、しばらくしてその香りの発信源に辿り着く。
 深黄の衣服と帽子を身に纏い、錆びた血色の髪をした人間が、のんきに鼻歌などを唄いながら森のなかの獣道を歩いていたのだ。
 一瞬、紅魔館の門番を連想した。彼女の衣服がどこか似ていたからだ。けれどあの門番は確かもっと赤い髪をしていたはず。記憶違いだろう。あの門番からはこんな匂いを感じたことがない。
 それに、あんな衣服は人里でもあまり見ない。となればだいたい外来人だ。
 ルーミアはちょっと面倒くさそうに頬を掻いた。外来人を見つけたのならば幻想郷の妖怪がやることは一つである。夏の暑さが酷いので見過ごしてもいいが、あまりにも珍しかったのでルーミアは人間を襲うことに決めた。彼女に近寄っていき、ある程度近づいたところで声をかけた。
「おねーさん、こんな場所でどうしたの?」
 人間は鼻歌と歩みを止めてこちらをきょとんとした目で見てきた。
「人間がこんな所でうろうろしてちゃまずいよ。ここはタチの悪いバカ妖精どもがうじゃうじゃしてるんだから」
「アンタは……いえ、そうなのですか? すみません道に迷ってしまって」
「あぁ、そういうタイプなんだ? いるいる、この辺りは特に迷いやすいからね」
「困りましたね。近くに人の住む里などはありませんか?」
「うん、知ってるよ。ここからまっすぐ東に行ったところにあるよ」
「本当ですか、有難うございます!」
「お礼はいいよ、代わりにさ……」
 ルーミアは闇を使って人間を包み込む。人間は驚きの声を上げるがもう遅い。その闇の中で、ルーミアは人間に向けて告げた。
「貴女を食べさせて」
 そうして、ルーミアは人間が立っていた場所に思いっきり飛びついた。人間を抱きしめればこちらの物だ。そのまま肉に食らいついて痛みを与え、恐怖を啜る。妖怪として捕食してやる。
 そう思っていた。
 しかしその目論見は失敗した。
「あれっ!?」
 飛びつきは空振りし、ルーミアは一気に闇の範囲外へと飛び出してしまう。しまった、人間は怯えて尻もちをついたんだ。私はその上を無様に飛び越えてしまった。そう思うと同時に、自身の両足を掴まれた。
「そんなに美味しそうな匂いした?」
 ぐるんと視界が反転し、衝撃が背中を突き抜ける。いつの間にかルーミアは地面に仰向けに寝かされていた。その上に人間が仁王立ちをした。ルーミアはあっという間にその人間の顔を見上げるハメになっていた。
「ふふん、私の変身もまだ捨てたもんじゃないわね」
「あーってことはおねーさんもしかして妖怪?」
「じゃん」
 もう隠す必要もないと言うふうに、美鈴が懐から〝龍〟と書かれた金星を取り出して額に掲げたので、ルーミアはああやっぱりかと落胆のため息を吐いた。
「くっそー、一瞬そうかもと思ったんだけどなー。変な匂いで誤魔化されたよ」
「変な匂い?」
「甘い香りがする。良い匂いだね」
「あぁ、それお香かも。よく焚いてたんだよね」
 美鈴自身も襟の部分をいくらか嗅いでそれらしい匂いに気付く。しかし本当にそれくらいしなければ気付かないほど微かな香りである。よく嗅ぎつけたものだと素直に感心した。
 ルーミアは地面に横たわったまま、徒労に終わってしまった奇襲を嘆く。
「あーあまったく、骨折り損の草臥れ儲けだよ。何が悲しくてこんな暑い時間に妖怪を襲わなくちゃいけないのかしら」
「闇を操る妖怪が、白昼堂々襲ってくるとはねぇ。そんなにお腹が空いてたの?」
「別に空いてたわけじゃないよ。ただ珍しい奴がいるから殺そうと思っただけ」
「だったらもうちょっと注意しときなさいよ。私が退魔師だったらアンタ今頃ぼこぼこにされてたわよ」
「幻想郷で退魔の連中がこんな場所にくるわけないじゃん。一人でうろうろしてる奴が討伐隊なわけないし。それくらい私だって考えてるし、普段昼寝している怠け者が人間の振りして歩いてるなんて、分かるわけないでしょ」
「へぇ。意外と聡いのねぇ」
 美鈴がルーミアの上から退いた。
「そもそもなんで美鈴はこんな場所をうろついてるの? とうとうあの館をクビにでもなったの?」
「なってないわよ。ちょっとした頼まれ事を片づけにいくの」
「ふーん。まぁどうでもいいけどね。じゃ」
 気だるげに答えてルーミアは倒れたまま宙に浮かんだ。そのままふわふわと霧の湖へと戻っていく彼女の姿を眺めながら、美鈴は顎に指を置く。
「ふぅむ。こりゃちょっと面白いかも」
 悪戯っぽく笑みを浮かべ、美鈴はスキップで人里へ向かった。


   4

 森を抜け、美鈴が人里へと向かう踏みわけ道に出ると、夏の日差しが一気に強まり一転してうんざりとした気分になった。森と違って湿度は高くないが、木陰が少なくなってしまった。幸い道着は汗をよく吸うし乾きやすいので動きづらいこともないが、さすがに長い袖をまくって縄紐で縛り、美鈴は腕を露出させていた。
 人間の振りをするため仕方なく徒歩で移動していた美鈴だが、道中で妖怪に遭遇することもなく、ちょっと後悔する。
 道端に生えていた背の高い広葉樹の木陰で一休みする。根元で座りこみ、持ってきたアルミ製の水筒で水分補給。中身はぬるくなりかけていた。しまった、魔法がかかっていない水筒を持ってきてしまった。美鈴は舌打ちする。
「……お酒が飲みたいなぁ」
 暑い日は麦酒に限る。あの炭酸の喉越しと突き抜ける苦み、冷たさ、香りがたまらなく恋しくなる。ジョッキになみなみと注がれた黄金の発泡酒を浴びるほど呑み込みたくなった。つまみも欲しいところだ。夏らしいつまみといえばなんだろう?
「ん?」
 ざり、と土を踏む音を耳にして、美鈴は妄想をやめて息を殺した。その足音は段々と近づいてきて、美鈴と木を挟んで反対側で止まった。どうやら木陰に座りこんだらしい。足音は小さく、歩幅が小さかった。子供だということは気を使わなくても分かった。
 妖怪かな? と期待して気配を探るが、残念なことにそういう感じはしない。
 立ち上がり、反対側を覗いてみると、そこには金髪の少女が座りこんでいた。
 その金色の髪は長かった。艶やかで純粋に色素が薄く、毛先が光りで透けて空間に溶けていそうだった。白いワンピースと白いサンダルに、傍らに赤いリボンを結んだ麦わら帽子。かなり小さな、齢五~六ほどの子だ。
 妖気を毛ほども感じないので、恐らく人間。洋服を着ているので、もしかしたら外来人かもしれない。
 その少女の顔がすぐに美鈴の方を向いた。少女の容貌は佳麗であり、けれど幼げな愛らしさがあった。またこの暑さの中でも冷然としたアメジストの瞳が、どこか彼女に作り物めいた雰囲気を纏わせている。
「げっ……」
 呻き、美鈴は見なかったことにして元の位置に戻った。人間の相手をするつもりはない。今は人間に変装しているし、襲う気分でもないし、ロケーションも最悪だ。幸いここは街道沿いであるから日暮れまでには保護されるだろうし、無視しても問題はないはずだ。
 美鈴はまた水筒を呷る。もう休憩もいいだろう、面倒になる前にこの場を離れなければ。そう思いつつも暑さに負けてぼんやり水筒の口を眺めていると、隣にあの少女がやってきて美鈴と同じように座りこんでしまった。
「……」
 なんだこいつ。
 美鈴は黙って立ち上がり、少女が据わっていた反対側の木陰に回り込んだ。すると少女が再び隣にやってきて、同じように座りこんでしまう。美鈴は嫌な顔を浮かべたまま逃げるように反対側へ移動するが、それでも少女は諦めず、美鈴の隣へとやってくる。
「……」
 本当になんなんだ、こいつは。
 もういい、付き合っていられない。美鈴は決心して木陰から脱出し、そのまま早足で人里へ向かう。
 美鈴の行動に反応が遅れた少女もやはり立ち上がり、早足の美鈴を追って駆けだした。けれど走り慣れていないのか、途中で足がもつれて少女は思いっきり転んでしまう。その音に、美鈴は思わず足を止めた。
 振り向いて、少女の安否を確認してしまう。どれだけ嫌がってもその行動は反射的だった。心配してしまった。
 転んだままの少女は、やがてゆっくりと立ち上がり、また美鈴に向かって歩き出す。その頃にはもう、少女を置いていこうという考えも失せ、根負けしてしまった美鈴は少女に歩み寄った。
「……大丈夫?」
 少女は黙ったまま、ただ首を縦に振る。折角の綺麗な白いワンピースが土埃で汚れてしまっている。だが見たところ怪我はしていないようだった。付着した土埃を軽くはたいて取り除いてやる。
「アンタは迷子なの?」
 少女は言葉を発さずにまた首肯した。もしかしたら喋れないのかもしれない。
「じゃあ、これからアンタを人のいる里に送ったげる。そしたら大人とか、巫女とかに助けてもらいなさい」
 少女はやはり黙ったまま、しかし今度はただ美鈴を不思議そうに見つめるだけだった。分かったのか分からないのか、反応がないのでどうしようもない。しばらく少女と見合った美鈴は、やがて溜息を吐いて振り返り、人里へと歩き出す。
 今度は少女も走る必要がないような速度で。少女も置いていかれないように美鈴の後を追う。
(なんか私って、子供に弱いのかも……)
 情けない気持ちが膨らんで、美鈴はがっくりと肩を落とした。


   5

 しばらく歩くと田畑や民家、人がちらほらと見え始めた。飛んでいるとそうも感じないが、徒歩だと意外に距離があった。美鈴にとっては何ともないものであるが、子連れゆえに少し時間がかかったのだ。
 子供が渡した水筒を美鈴に返してくる。熱中症で倒れられても面倒なのでこまめに水分補給をさせていた。本格的にお守をしてしまっているなと美鈴は自嘲する。
 人里に入るとこの炎天下でも多くの人間が往来しており、活気があって美鈴は驚かされた。そして無意識のうちに少女の手を取りはぐれないように彼女を気遣っていた。
 近くにあった茶屋で、美鈴たちは足を休めることにする。
 夏らしく、茶屋ではかき氷が売られていた。店外に置かれた腰掛けに座り、少女は宇治金時、美鈴はレモンシロップを注文。パラソルのように大きな日傘が作る陰の下でかき氷機の音を楽しみつつ待っていると、ガラスの器に盛りつけられたかき氷がやってきた。さっそく頂くとする。
「美味しい?」
 少女は言葉を発さない。ただ頷いて、かき氷を食べていく。
 子供のお守を押し付けられたようで面白くなかった美鈴だが、こんな風に余計なことを言わずにいる少女を好ましく思い始めていた。少なくとも、訳も分からず泣き喚いてあやすよりはずっと良かった。
 不思議な少女だと思う。見たところ身体に不自由はないようだが、先ほどから全く声を発さない。それに、これくらいの歳の子供であれば知らぬ場所では戸惑い、恐れるものであろうにその気配も全くない。その無味乾燥さが、彼女を人形のように思わせる要因だったろう。
 少女の反応に満足し、美鈴もかき氷にありついた。
「もし」
 口に氷を含んだ瞬間声を掛けられて、美鈴は出鼻をくじかれた。折角の休憩なのに誰だ、まったく。そんな風にむくれた美鈴が声の方向を見ると、そこには小奇麗でバルーンスリーブの水色のワンピースと白いベストを着た女性が立っていた。
 稚児髷に纏め上げられた青い髪に、不思議な形のかんざしが刺さっている。懐かしい香りを感じて、美鈴の苛立った心がふっと和らいだ。
「貴女はもしや、大陸の方ではありませんか?」
 自身を指して大陸とは、やはり中華圏のことであろうか。美鈴はそう考えつつ、戸惑った人間の振りをしながら神妙に頷いた。
「え、えぇ、まぁ……」
「なんてこと! こんな場所で同郷の方とお会いできるなんて! 申し遅れました、私はこの幻想郷で仙人をしております、霍青娥と申します」
 そんな風に嬉々としながら、青娥は懐から小さな名刺を取り出して美鈴に差し出してきた。現代風のデザインで、名前の部分が『青娥娘々』となっている。美鈴にとってはこういうのも懐かしかった。
 しかし霍青娥という名前、聞いたことがあった。邪仙と呼ばれ、道教一派の一人である。キョンシーの部下を持ち、人に付け入ることに長ける妖しき仙人。なるほど確かに、彼女の笑みには人好きする愛嬌があった。
「見たところ、外来の道士の方かと思いお声がけしたのですが……」
「あーっと」
 美鈴はかき氷を食べながら、どう対応しようか迷った。しかしまぁ、仙人自ら人間への声掛けとなると、次の展開も分かろうというものである。適当に調子を合わせて美鈴は人間の振りを続けることにした。
「一応、そういった物を修めてはおります。しかし田舎者ゆえ、多くを学ぶことが出来ず……お恥ずかしい話ですが、独学の未熟者でありまして」
「なるほど。でしたらば、我らが道場に入門など如何でしょうか?」
 そら来た。仙人と言えばこれであろう。後輩を育てて勢力拡大を計るのは宗教家の常である。特に仙人はその傾向が強く、横の繋がりの強さも並みではない。
 別にそれが悪いとは思わない。だが美鈴は仙人という種族が苦手だった。いまさら喰ったところで格などいらないし、積極的に関わろうとも思わない。
「その道場、名を神霊廟というのですが、そこでは良き指導者の下、日夜道士たちが修行に励み、仙人になるべく研鑽を積んでおります。貴女にも是非、加わっていただきたいのですが……」
「仙人ですか。やはりこの世界では彼らの存在も現実の物としてあるのですね」
「えぇ。ここは幻想郷、世界の多くの忘れ去られる者たちが集う場所です」
「私の里は山間の小さなものでしたが、そんな田舎ですら、仙人というものは伝説と化していました。私は、単純に道教を信仰する者です。貴女のおっしゃる道士とは、似て非なるものでしょう。私ごときが仙人など、目指せるはずもありません」
「いいえ。身分や出生など関係ありませんわ。大事なのは志、目指すという意思が貴女を仙人へと導くのです。私たちはその為に手を貸す事を惜しみません」
 さすがにすぐには退かないか。青娥の曇りのない笑みと軽やかな動きで美鈴の隣に座り、その肩にそっと手を添えた。
「それに、少なからず見知った知識に触れられる環境は、貴女の心の支えとなるはずです。外界から来られた方なら、未開の地に来られた今の状況はさぞお寂しいものではありませんか? そういった隙間も、埋めて差し上げられると少なからず自負しております」
 邪仙の声や目に艶めかしい気配が宿った。美鈴は生唾を呑んで真剣に戸惑うふりをしつつかき氷を口に含んで冷たさと甘さを堪能する。そして内心で「貴女の能力ってどちらかと言うと空ける方ですよね?」とツッコミを入れた。
「何も、誰彼こうしてお声をかけているわけではありません。貴女からは何か、不思議な気配を感じます」
 まぁ妖怪ですからね。
 美鈴は「えぇ……」と戸惑う振りをしながらかき氷を食べ続ける。ホント、冷たくて美味しかった。出来れば邪魔しないで欲しい。
「それを仙人としての知識に昇華させれば、タオの追求に大いに貢献なさることでしょう。何より私自身、貴女に惹かれているのです。私が個人的に指導して差し上げようとも考えています。どうですか、共にタオを追求致しませんか?」
 美鈴は曖昧に苦笑し、答えに迷うふりをした。
 それにしてもこの仙人、全力勧誘である。
 確かに人間たちが道教にハマる理由も分かる気がした。この仙人、持ち上げたりすり寄ったりと人の心を上手くくすぐってくる。欲望に火をつける術を知っているのだ。おそらく先ほど囁かれた言葉の半分以上が出まかせであろうに。多くの人間であれば見抜く前に欲望に屈するのだろう。
 初対面でこちらの状況を察し、それをすぐさま交渉材料に組み込む頭の回転の速さ。実行に移す決断力。巧みな表情、話術。素直に感嘆してしまう。
 まぁ、もういいか。そろそろ正体を明かして適当に追い払おう。美鈴はどう話を切り出そうか考えた。
「止めておきなさい」
 だが、そう声を掛けられたことで思考が中断してしまう。その声の主は美鈴や青娥ではない。桜色の髪に二つシニョンキャップを乗せた、同じように仙人風の少女――茨木華扇が、そこには立っていた。
「あらあら、これはどうも」
「朝から熱心なことで感心しますけどね、貴女が熱心になることほど怪しいものはない。宗教戦争も終わったのに勧誘しているというのも変だし、神霊廟にはすでに多くの弟子が居るでしょう。何を企んでいるかしらないけど乗らないほうがいいですよ、外来人さん」
 もちろん乗るつもりなどない。だがカミングアウトのタイミングを無くした美鈴は華扇の言葉に苦笑いを浮かべ、ことの成り行きを静観することにした。
「企むだなんてそんな。私はただ、奇しくも出会えた同郷の方を思いやり、声を掛けたまでのこと。邪な意図などこれっぽっちもありませんわ」
「どうでしょうか。今なくても後で抱くかもしれない。口ではなんとでも言えますしね。そもそも同郷って、貴女がいた時代とその人がいた時代じゃまるで違うでしょう」
「突然やってきて随分な言い草ねぇ。貴女こそ、人が声をかけた方を横から掻っ攫おうとは不届き千万。まるで賎しい雌猫のようだわ」
「なっ! メス猫ぉ!?」
 青娥の挑発に華扇は拳を握り、怒りに震わせた。その反応を見ても、青娥にはまだ含み笑えるような余裕があった。華扇は無理矢理怒りを抑えこんで、震えながら笑みを浮かべて青娥に言葉を返す。
「……私が雌猫なら、貴女は何? 良からぬことを企む女狐かしら」
「仙人よ。怒りで目が眩んで同業者すら分からなくなってしまうなんてね、修行が足りてないんじゃない?」
「ぐ……! この、ああ言えばこう言う……!」
「でも困りましたわ。折角親しくなれそうでしたのに……」
 かき氷を食べ終わった美鈴に青娥がしなだれかかってくる。
「何処かの粗忽者のせいで、雰囲気が台無しですわ。今度ゆっくりお話しましょう? お答えはその時にでも」
「粗忽者!? い、言わせておけば……!」 
「あ、あはは……」
 挑発を止めない邪仙に、怒りに打ち震える仙人。美鈴は二人を見比べて愛想笑いをするしかない。なんか盛り上がっているが、勝手にやってくれというのが美鈴の心情であった。
「もう許さん! 私の目が黒い内は、その人に近寄らせはしない!」
「ふふ、なら決闘でもしますか? 貴女が勝ったら私はこのお方にお声は掛けません。けれど私が勝ったら口出しは無用。それでどう?」
「いいわ! スペルは?」
「3枚」
 二人はその場から飛翔し、空中で対峙した。すぐさま町人たちが喧嘩だ喧嘩だと集まり始める。
「キョンシーが居ないみたいだけどそんな状態で私に勝てるのかしら?」
「貴女だって動物がいないでしょ? 合わせてあげてるのよ」
「上等ね、すぐにその減らず口を叩けなくしてやるわ!」
 弾幕が放たれる。拳や脚も交え、観客たちが歓声を飛ばす。美鈴が隣を見ると、少女の持っていた器が空になっていることに気付いた。
「そろそろ行こうか?」
 少女は首肯した。休憩ももういいだろう。美鈴は決闘の行方に興味はないし、道教に入門するつもりもない。仙人など冗談じゃない。人垣の合間を縫いながら、二人はその場を後にした。


   6

 人里。
 それなりの人口で上下水道、電気も通っているというのに、そこに並び立つ家々は古い物ばかりだ。漆喰や木造の壁、瓦屋根、たまに洋風の建築物が混じるかと思えば側だけであったりとよく分からない。
 そんな里の一角、石垣で整備された川の近くに《鈴奈庵》と書かれた看板を提げる町屋はあった。看板の〝庵〟の部分だけが傾いており、それがどことなく妖しさを漂わせている。日よけの暖簾を分けて、美鈴と少女は鈴奈庵へと入店した。店内では扇風機によっていくらか風が通り、古本独特の匂いが満ちていた。電灯はついておらず店内は薄暗い。
「いらっしゃいませ」
 美鈴たちに掛けられた声の主は、薄暗さの先、奥の勘定台で店番をしている赤毛の少女のものだった。彼女こそ噂に聞く判読眼のビブロフィリア、本居小鈴であろうと美鈴はすぐに察した。
 小鈴は涼しげな半袖のチェック柄をした着物、上にクリーム色のエプロンを身につけている。メガネを外し、読んでいた本を閉じて勘定台に置いてから立ち上がり、美鈴のもとへやってきた。
「何かご入用ですか?」 
 答えようとした矢先、美鈴の側に立っていた少女が一人で歩きだし、勝手に店内を見回り始めてしまった。二人はそれに呆気にとられたが、すぐに気を取り直した美鈴が小鈴に用件を告げた。
「ここでは外来本を扱っていると聞いたのですが……」
「はい。外から流れ着く多くの本を集めています」
「その中で、漫画とかって置いてます?」
「漫画、ですか……?」
 小鈴はふむと考える素振りをしてから、奥の本棚へと移動する。美鈴もそれに追従した。
「この辺りなどどうでしょうか?」
「おーこれはこれは……」
 導かれた棚には、確かに外来の漫画が取りそろえられている。比較的新しい物から、外の世界ではもうほとんどお目にかかれないであろう古い物、英語の物までかなりの物が揃っているようだった。
 美鈴は適当に一冊手にとって、パラパラと流し読みする。それは紅魔館の図書館にもないもので、古い日本の医療をテーマにした漫画だった。状態も良く、ページ抜けもない。
「凄いですねー。このお店にあるのは全部外来本なんですか?」
「え、えぇ、まぁそうなりますね」
 小鈴は誤魔化したが、美鈴もその対応に追及しようという気はなかった。妖魔本を扱っている事は、さすがに普通の町人には明かせないだろう。しかし結構な数の妖魔本が置いてあるようで、中にいるとそれらの気がひしひしと感じられた。まぁあの紅白巫女の監視がついているらしいので、何かあれば彼女が対応するだろうから心配する必要もない。
「買取もしていますので、発見された際にはぜひウチにご来店ください」
「分かりました」
 と言っても、日中紅魔館の門から離れられない美鈴が外来本を手に入れることなどそうそうないのだが。
 美鈴は早速棚から適当に漫画本を見繕う。レミリアの好きなジャンルは主にバトル、ギャグ、ラブストーリーの三種で、どちらかと言えば軽いノリの物を好んでいる。あとホラーが苦手。
「これとこれとこれと……あれ、さすがに全巻ないか……あー」
 あんまり多く選んでも荷物が増えれば後々面倒だ。それに暑さの中、荷物片手に散策というのも気が滅入る。早い時間に鈴奈庵に訪れてしまった事を美鈴は後悔した。嘆息し、一度手に取った漫画を棚へと戻す。
 そんな美鈴の行動を小鈴が不思議がった。
「あの、お気に召しませんでしたか?」
「いえ、実は帰宅するまでにちょっと時間があるので、また後で来ようかと。この暑さの中を本を持って移動するのは骨でしょうし」
「確かに。今日は暑いですもんねぇ」
「ホントに嫌になっちゃいますよ。ちなみに本の取り置きとかって出来ます?」
「あ~すいません、それはちょっと……」
「いえいえ、ご無理を言っているのは分かってるんです。気にしないでください」
 まぁ取り置きするほど欲しい漫画もない。なんとなく聞いてみただけだ。目的も保留としてしまった美鈴が書棚を眺めながらそろそろ去ろうかと考えていると、鈴奈庵に一人の来客があった。
「おーっす小鈴ー、いるかー?」
「あ、魔理沙さん!」
 金髪に相変わらずの黒魔女帽子を被り、夏服仕様の格好をした霧雨魔理沙が箒を片手にやってきたのだ。魔理沙は入店と同時に勘定台へ向かったが、美鈴と小鈴の姿を見て足を止めた。
「借りてた奴返しに来たぜー……って、なんだ、来客中だったか」
「お構いなくー」
 泥棒が律儀に本を返しに来たことに笑い出しそうになった美鈴が魔理沙へ手を振った。魔理沙は一瞬客の姿に既視感を覚えて首を傾げたが、すぐに会釈を返して勘定台へ向かった。小鈴もそちらに対応しに行く。
「どうでしたか? 何か使えそうな物ありました?」
 箒に引っ掛けていた頭巾から、魔理沙は一冊の本を取り出して台に置いた。中々に大きく、丁寧に鞣した皮で装丁された古そうな本だ。
「ダメだ、大雑把に翻訳は出来たが薬に必要な薬草がまるで手に入らん。そもそも注釈で存在していないかもしれないと書かれてやがる。偽書かもしれん」
「そうでしたか。妖気を感じたのでそれなりに名のあるグリモワールかと思ってたんですけどねー……」
「おいおい」と魔理沙の表情が曇り、小鈴に顔を寄せて小声で忠告する。「客の前で妖気とかグリモワールとか言っていいのかよ。怪しまれるんじゃ?」
「いけないうっかり……!」
(お構いなくって言ったのに)
 聞き耳は立てていたがそれを悟らせず、美鈴は適当な本をパラパラと流し読んで無関心を装う。内心で魔理沙の忠告に「あんたの言葉も怪しまれないか?」と疑問に思ったが、すぐに事情を知らなければ薬学書ぐらいにしか聞こえないかと一人で勝手に納得する。
「ま、とにかく参考にはなったよ。作りたい薬が増えたしなー」
「良かったです。今日も何か借りていきます、か……?」
 ふと、小鈴は魔理沙から返された薬草図鑑が微かに震えていることに気付いてそれを注視した。
「どうした?」
 小鈴は返答せず、怪訝に思った魔理沙も薬草図鑑を見る。最初こそ気付けないほどの微振動であったが、その振動はやがてガタガタと音を鳴らすまで大きくなった。だが小鈴が強く押さえつけて振動を止めさせようとすると、すぐに動かなくなった。小鈴と魔理沙がそれに安堵してホッと息を吐く。
 が、すぐにパァンッと風船が割れるような音がなって、小鈴の手を弾いてそのグリモワールが暴れだしてしまった。
「わっ、わっ、わっ!」
「なんだこりゃ! なんで薬草辞典が暴れるんだ!?」
 バサバサとけたたましくページをなびかせて縦横無尽に飛びまわり、そこら中に体当たりを繰り返してグリモワールは場を滅茶苦茶にする。その動きは本棚、電灯、扇風機とお構いなしだ。魔理沙と小鈴が大慌てでその本を捕まえようとするが、まさか暴れだすとは思っておらず、加えてかなり素早いので空振りしてしまう。
「危ないっ!」
 美鈴の方にも飛んでくるが、変わらず本を読みつつそれを避ける。直線的な動きなので、音によってどこからどのタイミングで来るかも分かるので見る必要もない。速度もチュパカブラよりは断然遅い。
「ん?」
 ふと視線を感じてその方向を見ると、ついて来た金髪の少女が美鈴の方を凝視しており、目があった。そういえば居たなと思い出し、あの子が怪我をしたら大変だと考えた美鈴は、再び飛んできた本を避けて、そのまま本の背表紙をそれを掴んで捕まえてやった。
「…………」
 まさか美鈴が捕まえると思っていなかったのだろう(魔理沙たちにしてみれば美鈴は妖怪ではなく一般人に見えていたのだから当然だ)、二人はまるで奇術にでも掛かったかのように呆気にとられた。今なお暴れ回ろうとするグリモワールの表紙を両手で閉じて押さえつけ、美鈴は小鈴たちの方へ向かう。
「紐」
「え……」
「一応縛っといたほうがいいんじゃない? また暴れだすかもしれないし」
「あ、はい……!」
 小鈴が勘定台の下から麻ひもの束を取り出して美鈴へ渡した。手早くふん縛り、美鈴はそのグリモワールを勘定台に放った。がたんがたんと未だに跳ねるので小鈴が重し石を乗せる。グリモワールは完全に動けなくなった。
「おおかた魔法の森の魔力に当てられて妖魔化でもしてたんじゃない? それか自律式が起動したか……とにかく魔力のない場所に来てびっくりしたんでしょうね。残ってる魔力を抜いてあげれば落ち着くでしょ。グリモワールってたまに変な術式が込められてるから、気をつけないとね~」
「あぁ、そうだな、うん……」
 やっと事態を飲み込めてきた魔理沙が冷や汗を拭って安堵し、それから美鈴に猜疑の目を向けた。
「それにしてもやけに詳しいな。さっきの動き、人間技とは思えなかったし」
「ちょっと、魔理沙さん……!」
 小鈴が魔理沙を止めようとするが、それよりも早く彼女の手が小鈴を制してしまう。美鈴はそんな露骨に警戒する魔理沙の対応が面白くて思わず笑みを浮かべてしまう。
「あんなの普通普通、誰だって出来るわよ。あんただって出来るでしょう」
「……その格好、道士か何かか?」
「そうそう私は神霊廟で修行しているのよ。まぁ半端者だけどね」
「にしちゃ、やけに魔法に詳しいじゃないか」
「魔法の修行もちょこっとだけしてたの」
「いよいよ胡散臭くなってきたな。あんた妖怪だろ?」
 道士の格好をして魔法に手を染めるなど、普通の人間や仙人ではありえない(霧雨魔理沙は除く)。美鈴が妖怪だと言われて小鈴が一歩後ずさった。魔理沙は不敵な笑みを浮かべて美鈴を睨めつけ、左手を自身の懐に潜り込ませる。何かあれば、マジックアイテムで攻撃しようという構えだ。美鈴もその反応が楽しくてつい悪い笑みが浮かんでしまう。
「どういうつもりか知らないが、悪さをするならただじゃおかないぜ?」
「こんな場所で何が出来るっていうのよ。あんたも、私も。まさか小鈴ちゃんに迷惑かけるわけにもいかないでしょうに」
「う。た、確かに……」
 指摘され、魔理沙の勢いが削がれてしまう。それが逆に美鈴を調子付かせた。元々美鈴に戦闘の意志はない。からかえそうだからからかっただけだ。
「大体、助けてあげたのに随分な言い草ね。魔法使いはお礼の一つも言えないのかしら?」
「ぐむむ……すまん、いやありがとう」
「本当にありがとうございました……!」
 魔理沙に合わせて小鈴も礼を告げてくる。美鈴は「貸し1ね」と言って手を降りそれに応えた。
 それから美鈴は鈴奈庵の出入り口へと向かう。この店の涼しさは名残惜しいが、いつまでもここに居るつもりもない。
「じゃ、私はそろそろ行くわ。小鈴ちゃん、また後でね」
「え……あ、そうでしたね。はい、お待ちしてます」
「おい待て! 確かにグリモアの件は助かった。だがお前妖怪だろ? ここに何の用だよ」
「別に大した用事じゃないよ。もちろん教えないけどね」
 美鈴はそう言って鈴奈庵を後にした。魔理沙も慌てて追いかけてくるが、雑踏の中で巻かれてしまった。
 結局、魔理沙は美鈴の正体を見抜けなかったようだ。いやもしかしたら何となく勘づいていたが、まさかあの昼寝門番が人里に居るなど考えられなかったのかもしれない。美鈴は魔理沙に一杯食わせたような達成感で上機嫌になった。
 そして美鈴の読みは当たっていた。最初の既視感で美鈴が候補に上がっていた魔理沙だが、まさかそんなとその可能性を否定していた。そして戻った鈴奈庵で小鈴からさっきの客は漫画を見に来ていたと聞き、漫画好きの吸血鬼を思い出して美鈴の名が再浮上したが、それでもなお魔理沙は半信半疑であった。
 人里を歩いていた美鈴が、ふと思い出したように足を止めて後ろを振り返る。
「そういえばあの子置いてきちゃったな……まぁいいか、魔理沙がなんとかするでしょ」
 そう思って前を向くと、あの金髪の少女が佇んでいた。
 呆気にとられた美鈴を他所に、少女は黙ったまま美鈴の隣に近寄って、勝手に手を握った。
 どうやら本格的に懐かれてしまったようで、美鈴は暗澹とした表情になって項垂れた。


   7

 お昼ご飯はざる蕎麦にした。何の変哲もない飯処だったが、そこで出された物は風味、食感のどちらも良い蕎麦だった。特に付け合せの大根おろしがまた絶品で、これがそばの風味をよく引き立たせ、辛みが味を引き締める。あまりの美味しさに少女が一枚を食べる間に美鈴が三枚を平らげてしまうほどだった。
 腹を満たし飯処を後にした美鈴は、上白沢慧音のいるであろう寺子屋へ向かった。子供の対応について助力を請うためだ。懐かれたままでは紅魔館に帰ることも出来ない。店で聞いた場所を頼りに、昼飯時で人通りの減った人里を歩いていると、道すがらすれ違った者に突然声をかけられた。
「おいお前さん、妖怪じゃろ?」
 驚いて足を止め、振り向いた先には女が立っていた。唐傘風の日傘を指しており、その影の下に浮かべる笑みは妖しく、すぐに彼女も妖怪だと美鈴は確信した。夏のために薄着だが、厚い布の羽織を腰に巻くという、どちらかと言えば男じみた、けれどそれが見事に様になっている格好。茶の混じった黒髪に丸眼鏡を掛けた、独特な身なりの女である。
「えっと、私はこの通り修行の者ですが……」
 足を止めて振り向いてしまったことを後悔しつつ、美鈴はそうすっとぼける。しかし女の目は変わらず鋭く美鈴を見据えていた。
「外来人か、道士を上手く装っておるようじゃが抜けとるのぉ。肝心の気配がなさすぎるわ。抑えるあまり不自然なほどに何も感じない。それが修行中の輩の立ち振舞いかい」
 しまった、そうか。妖力ばかりを気にしてその他を疎かにしすぎていた。目立たぬように気息や音を抑えていたのが仇になった。美鈴は内心で舌打ちする。どうやらかなり厄介なのに目をつけられたらしい。
 しかしそんな美鈴の印象とは裏腹に、女は優しげな、諭すような声音で語り掛けてくる。
「生憎儂は化かすことに慣れとるのでそれぐらいでも見抜けるんじゃ。しかし指摘してもなお慌てない所を見るに、その振る舞いは修行者というより刺客、忍びの類じゃな。そしてそんなもんが幻想郷におるとは聞いてないぞ。新参というわけでもないだろうし、お前さん名は?」
 こちらの正体を見透かされた上で名乗るというのは美鈴にとって面白くなかった。完全に化かしあい、読みあいで負けている。別に今は決闘中でもないので素直に名乗るつもりもない。いきなりズケズケと詮索してくる輩だ、探り返してやろう。と美鈴は気を引き締めた。
「いえいえ滅相もない。貴女こそそのお姿や振る舞い、並の妖怪とはまるで違うようで。さぞ名のある大妖怪様とお見受けします。人のふりをしてこの有り様ですから、そんな私よりもまず、貴女の名をお聞かせ願えませんか」
「おうおうお前さん、下手なおべっかで己は名乗らず相手に名乗らせようとはいい度胸じゃの。えぇ、おい。お主は何様のつもりじゃ」
 女の目と声に険が混じった。一瞬妖気が発せられ、美鈴へと当てられる。だが今のでおおよそ彼女の正体が分かってしまった。たしかに妖気の大きさは並ではないが、この臭いには覚えがある。
 それは獣の臭いだった。葉っぱと土と諸々を合わせた、野良の臭いだ。
「別に気取ってるわけじゃないけどね、そんな脅かしでビビるほど赤子でもないですよ」
 美鈴が無遠慮な口調でそう告げると、女の妖気が途端に引っ込みつまらなそうな顔でぶう垂れた。
「なんじゃつまらん。しかしちょっとはビビるのが社交辞令じゃないか。そんなんじゃお前さん成り上がれんぞ?」
「妖怪相手におべっか使う必要ないでしょう」
 ただしお嬢様及び妹様を除く。と内心で加える美鈴。
「で、そのどこぞの大妖怪様がこんなお昼に下賎なわたくしめに何用ですか?」
「露骨に態度が崩れたのう。結局名乗らんし……邪険にされるのは寂しいのう」
 まるで本心からそう思っているような顔で俯く女に、美鈴は呆れて脱力してしまった。こんな炎天下で長々と立ち話などに興じている場合ではないのに。隣にいる少女を心配して見遣るが、相変わらず何を言うでもなく、帽子で隠れていてその表情を伺うことは出来ない。この子もこの子でよく分からない。
「まぁいいわい。そんで、お前さんはそんな小さな子供を連れて人里で何をしとるんじゃ? 見たところそっちは妖怪でもないようじゃが……」
「道端で偶然会いまして、その後ずっと私のあとを付いてくるのですよ。そのままなし崩しで連れてます」
「ふぅん。お嬢ちゃん、飴ちゃん食べるかい」
 女は手馴れているようにビニールにくるまれた飴を取り出して、少女へと差し出す。少女は少しの逡巡もなくそれを受け取りビニールを剥いて飴を口に入れた。まるで警戒心がない、本当に不思議な少女だ。
「美味しいかい?」
 少女は女を見上げて首肯する。だがその表情はまるで変わらない。涼やかな紫水の瞳が、ぼんやりと虚空を見つめているようで、女はそれを訝しんだ。
「言っておきますけど最初からこんな感じです。彼女はこれまで一言も声を出してません」
「病気か傷か……ともあれ事情は分かった。すまんな、見慣れぬ者がいると新参者かと思いどうも声を掛けてしまう。老婆心ゆえ、許しておくれ」
「じゃあ私を見張っている仲間の方たちを何とかしていただけますか。もういつ殺されるかとヒヤヒヤしてるのですよ」
 女が目を見張った。周囲を見回して呆れたように笑い、腰に手をおいて肩を落とした。
「先に行けと言ったのに……」
「随分連れているんですねぇ。五、六人くらい? あと人間じゃない奴が三匹。普段からこんな大所帯で動いてるんですか?」
「いや、基本独りじゃよ。今日連れてきたのも二人じゃし。あとは人里に忍び込ませてる奴らが儂を見かけて気を張ってるんじゃろうて」
「なるほど。貴女がその親分さんと。通りで獣臭いわけですね、マミゾウさん」
 大きな妖力に獣の臭い、新参妖怪の勧誘に人望のある者。美鈴の記憶の中でそれらに該当する妖怪は彼女だけである。マミゾウは火の着いていないキセルを吸い、笑いながらそれに頷いた。
「さすがに名前は知っておったか。如何にも儂がマミゾウじゃよ。ま、これでも一応妖怪狸の頭を張っておるからのぅ。知らない奴はもぐりじゃろうて」
「でしょうね。というか、妖怪たちが人里に網を張っているという話は本当だったんですね」
「まぁの。妖怪にとって人間は弱点でもあるが利点でもある。上手く使えば甘い汁が吸える。生かし生かされこの世は回る。幻想郷とて例外ではない」
 人間から生まれやがて切り離されていった妖怪たちが生み出した、土地を隔てて人間を子飼いにするという皮肉の仕組み。幻想郷というシステムは、まるで巨大な太極図だ。ぐるぐるぐるぐる、人間と人外で世界が回る。
「で、お前さんは? 儂の正体を知ってなお恐れないとなると、さぞ名のある妖怪なんじゃろうな? これでつまらん相手じゃったら、分かっておるよな?」
 マミゾウの目がついに妖怪のそれとなる。彼女からして見れば、間違いであったものの親切心を断られ、未だに名乗らないとあっては小馬鹿にされているようで腹も立つ。相手は随分と調子に乗っていると見えるので、少しお灸でも据えてやろうかとも思っていた。
「いえいえ、ですから名乗れるほどの名前はありま……」
 正体を知ってなお軽薄に応えていた美鈴はしかし口を噤み、空を仰いだ。マミゾウも突然の美鈴の態度に何事かとそちらを見上げた。
 その時、美鈴の耳には音が届いていた。風で衣服がこすれる音だ。誰かが空を飛び、こちらへと向かってきている。そしてそれはマミゾウと美鈴の近くに降り立った。
「ちょっと」
 紅白だった。全身の衣装が紅と白で統一されており、独立した袖が特徴的な、そんな着こなしだった。艶やかな黒髪が一本結われ、涼しげにうなじを晒している。愛らしい顔立ちだが、曇りのない眼がキッと鋭くマミゾウを睨んでいた。その視線にマミゾウと美鈴は同じように身を強張らせる。
 現れたのは泣く妖怪も問答無用で退治する怪異バスター、博麗霊夢であった。
「そこの狸、白昼堂々人を騙そうたってそうは問屋がおろさないわよ。あなた、神霊廟の人? 丹薬とか買わされてない? 今すぐ返品したほうがいいわよ、それ葉っぱだから。信じられないかもしれないけど、こいつは化け狸なの」
 一瞬、なんでこの巫女は妖怪である自分を心配しているんだ? と美鈴は本気で困惑してしまった。矢継ぎ早に繰り出される言葉に理解が追いつかず、ぽかんとしてしまう。そしてそれはマミゾウも同じであった。
「……ふ、ふふ、あはははは!」
 やがて、マミゾウが堪らず吹き出してしまった。それにつられて美鈴も吹き出してしまう。急に現れて妖怪を庇いだす博麗の巫女など、他にどういう顔をして迎えればいいというのだろう。
 霊夢がわけも分からず当惑している。その混乱ぶりが少女らしくてまた可愛かった。
「で、お前さん名は?」
 咳き込むほどツボに入った笑いをなんとか抑え、マミゾウは再び美鈴にそう尋ねてくる。美鈴も毒気を抜かれて、隠す気もなくなっていた。
「はい、ふくく……申し遅れましたが私は、紅魔館で門番をしています、紅美鈴と申します」
 マミゾウはこれに驚いたが、一方でその言葉を聞いた霊夢の表情たるや、正しく声も出ないほどの衝撃だったらしい。信じられないという風に口を開け、やがて俯いてしまう。そして身を震わせながらゆらりと大幣を取り出して……。
「なんでアンタがこんなところにいんのよォ!」
 恥ずかしさと怒りが入り混じり、顔を見事なまでに紅潮させた霊夢が大幣を振りかぶる。さすがにやばいと感じた美鈴が迎撃体勢をとったが、その前にマミゾウの畳んだ唐傘が霊夢の攻撃を防いだ。すぐさま霊夢の凶暴な視線がマミゾウに突き刺さるが、待て待てとマミゾウは彼女を落ち着かせようと試みる。
「往来で叫んで騒ぎを起こしてどうする。注目を集めれば巫女と妖怪の関係にあらぬ噂が生まれるぞい。それはお前さんとて不本意であろう」
「ぐむ……!」
 我に返った霊夢は、荒い息を吐きながらそれでもしぶしぶ大幣を引っ込める。まだ何事かとざわつく人間たちの視線が残っていたが、マミゾウが火の着いてないキセルを吸い、ふぅと煙を吐き出した。それが広がると同時、すぐさま興味を失ったように彼らは歩き始めてしまう。文字通り、それは煙に巻くような所業であった。
「ありがとうございます、助かりましたマミゾウさん。いやぁ本気で死ぬかと思った」
「どこがじゃよ、構えてたくせに」
「……で、なんでアンタがこんな所にいるの?」
 さすがは博麗の巫女というべきか。すぐに激情を抑えこんで(まだ頬はほんのり赤いので可愛いが、目は怒っていて怖い)、現状の把握に努める霊夢に美鈴も安堵し、とりあえず事情を掻い摘んで説明した。レミリアのお使いのこと。少女のこと。マミゾウとの会話のこと。妖怪の言葉とはいえ、霊夢は疑わずにそれらについて納得した。
「なるほどね。まぁ漫画の話はあのお子様吸血鬼らしいっちゃらしいけど……」
 霊夢の目が美鈴の隣にいる少女に向けられる。
「そっちの子供はどうするの?」
「言葉を全く話さないので、このまま結界の外へ送り出すのもなんだかなぁと。そういう訳でして、寺子屋を訪ねてみるつもりです」
「慧音のとこかー。まぁ妥当な判断かもね。でも言葉を話さないって、一言も?」
 美鈴が頷くと、霊夢は膝を折って目線を少女に合わせた。
「声が出ないの?」
 少女は首肯した。霊夢は病気かどうか、親はどうなっているのか、ここへ来る経緯等を聞き出そうとしたが、詳しい話には首を降らなくなってしまう少女に、やがて霊夢も諦めた。
「……可哀想だけど、確かにこれは人里に置いたほうがいいかもね」
「捨て子の類かもしれんしのう。物言わずというのは、今の外の世界じゃ育てづらいじゃろうし。まぁ、それはこことて同じじゃがな」
 マミゾウの言葉に美鈴も頷いた。筆談によるコミュニケーションは取れるだろうが会話と比べどうしても遅くなってしまう。人間の中でも関係を気付けず孤立してしまうかもしれない。
「お前さんが里に入る前にかたを付けておったほうが、救いになったかもしれんぞ」
 同情と憐憫を含ませて、マミゾウは言う。だが拾った美鈴がはいそうですね、と頷くわけにも行かなかった。
「生きていればどうとでもなります。それに私、朝ご飯は食べてきちゃったんで」
 苦笑する。だがそれは面白くもない冗談だった。マミゾウと霊夢は笑わなかった。美鈴の目も、悲しげな色を浮かべていた。


   8

 霊夢は命蓮寺へ、マミゾウは賭場へと行くといい、美鈴たちは二人と別れた。
 そして人里の外れにある寺子屋へとやってきた。庭の方から子供たちの走り回る音と声がする。そういう声を聞いていると、美鈴は自然と穏やかな気分になった。子供が笑わない静かで暗い世界ほど酷いものはないと美鈴は知っていた。
「ごめんくださーい」
 奥から「はい」と返事がくる。やがて上白沢慧音が小走りで玄関へとやって来た。青いメッシュの入った銀髪を美鈴と同じようにポニーテールでまとめ、いつものように半袖のシャツと青いワンピースで見を包んでいる。慧音は美鈴を見てまず、見知った顔ではないことを訝しんだ。血錆色の髪に深黄色の道士服、特徴的ではあるが、見覚えはない。
「えっと、どちら様でしょうか?」
「紅魔館の美鈴です。どうも」
 訝しんでいた慧音の顔がさらに険しくなる。人間の里に味方する半妖は妖怪を警戒した。知った顔であったが、ここは人里だ。妖怪を警戒しないほうがおかしい。
 だが意図が分からなかった。こんな昼間に訪ねてきて、すぐさま正体を明かして何になる。少なくとも荒事になる雰囲気ではない。慧音は美鈴と手を繋いでいる少女に目を向けた。あれも分からない。妖怪か、妖精か、薄い金髪の髪を見て、もしや吸血鬼の妹かとも思った。会ったことはないが容姿は聞き及んでいた。だが日傘がないし、吸血鬼が昼に人里で動くわけもない。
「妖怪が何の用だ。悪いが立場上、友好的な顔はできないぞ」
「むしろそっちの方が安心します。実は……」
 しかしそこで美鈴は言葉を止めてしまう。少女が自分の手を強く握り、こちらを見上げたからだ。少女を見るが、相変わらず感情の伝わらない人形めいた無表情を浮かべている。だが握られた手の強さが、彼女の意志を伝えている。美鈴はしゃがみ、少女と顔を突き合わせる。
「怖がることはないよ。あの人は貴女の味方で、ここは安全よ」
 少女は何も言わない。ただ黙って、美鈴の目を見返して、手を強く握るだけだ。震えているわけでもない。戸惑っているわけでもない。ただ、それが当然であるように、少女は強く美鈴の手を握り続けた。
「…………」
 しばらく黙って少女を見ていた美鈴は、自分の中から段々力が抜けていくのを感じた。少女の目から、かなり強い意志を感じる。別にもう少女を説得するつもりもなかった。半ばどうにでもなれという諦観が、徐々に美鈴の心の中に満ちてくる。
 美鈴は再び立ち上がって、どうしようかと腰に手をおいて考えた。変わらず二人は見つめ合い、しばらく沈黙が続いた。
「……事情は分からんが、立ち話もなんだ。暴れる気もないなら、上がったらどうだ?」
 我慢できず発した慧音の言葉に、二人は少し考えてから頷き、靴を脱いで寺子屋へと上がり込んだ。それから帽子を取って、慧音に向かってお辞儀する。二人の行動が鏡合わせのように同じタイミングだったので、慧音は奇妙な気分になった。 
 美鈴たちが通されたのは教室だった。子供たちはおらず、開け放たれたふすまの先、寺子屋の校庭とでもいうべき庭で皆が楽しげな声を上げていた。蹴鞠やお絵書きなどをしている子供たちの中で、美鈴は一人見知った顔が居ることに気づいた。
 容姿は長い白髪に札のような奇っ怪なリボンを結び、服装は赤いもんぺのようなズボンと半袖カッターシャツ。焼死しない着火マン、藤原妹紅である。彼女とは八目鰻屋などで良く顔を合わせる仲だったが、さすがに自分のことは見抜けないだろうと美鈴は思った。
 妹紅は子供たちと蹴鞠をして遊んでいる。付き合わされているような雰囲気ではなく、妹紅自身楽しんでいるように見えた。子供好きなのかもしれない。
「ちょうど子供たちのおやつに西瓜を出そうと思っていたんだ。食べていくといい」
 そう言って、慧音は奥へと行ってしまった。美鈴は少女とともに縁側の近くに腰を下ろした。美鈴は少女を見る。少女は校庭の方をぼんやりと眺めている。
 扇風機の風と風鈴、セミの声に子供たちの笑い声。美鈴もただ浸るように、それらの風景を漠然と眺めながら、足を伸ばして力を抜いた。
「お姉さんたち、誰?」
 何人かの子供たちが、美鈴たちへと近寄って声をかけてくる。美鈴はだらけきったまま返答した。
「慧音先生のお友達だよー」
「そうなの? でも変なかっこーだね」
「これはね、仙人になるための修行服だよー」
「せんにん? なにそれ」
「いつまでも元気一杯な人のことだよー」
 適当に話していると、妹紅もそれに気づいてこちらへとやってきた。
「やぁ」
「こんにちは。暑いですねー」
「ねー。老人には堪えるよ、この暑さは」
「またまたご謙遜を」
 妹紅は縁側に腰を下ろす。美鈴に質問していた子供たちは妹紅と入れ替わりに校庭へと戻ってしまう。それを見計らって、妹紅は少し声を小さく、そして低くした。
「腹が減って子供を食いに来たのか?」
「ありえないでしょ。門外じゃないんだから」
「妖怪は平気で嘘をつくし、決まり事を破るし、それを誇り出すからなぁ」
「そりゃ人間も同じ。特にアンタみたいな永く生きる輩は相手の都合を考えないことが多いし。とにかくこれ以上暑くなるのは御免なんだけど」
「確かに……」
 妹紅はうなだれた。蓬莱人でもこの暑さは辛いようだった。どんな生き物も元気を失くすだろうと思えるほどに、太陽は仙人のように元気一杯だった。もちろん太陽は仙人ではない。
「ていうかよく妖怪だって分かりましたね」
「仙人を目指してる輩が仙人をあんな風に言うものかよ。あと半分は勘ね」
「鎌掛けか……まぁ、何でもいいですけど」
「中華風の格好で妖怪かぁ。大陸系だとしたら、アンタひょっとして美鈴?」
「すごっ。どんな頭してんの」
「これも勘」
 正体を見抜かれても、どうこうしようという気力は起きない。二人は一緒に校庭で遊ぶ子供たちを眺めながら益体のない話を続けた。しばらくして、奥から慧音の「誰か手伝ってくれー」という声が届き、美鈴が返事をして立ち上がった。妹紅はその時になってやっと美鈴を見た。
「私が行くよ」
「いいって。お邪魔してるのは私だし」
 奥にあった台所へ行くと、慧音が切り分けられたスイカを乗せたトレイを持っていた。もう一つトレイがあるので、美鈴はそれを持った。かなり大きなスイカらしく切り分けられた数も多い。
「その皿も持ってくれ、皮入れだ。悪いな手伝わせて」
「お気になさらず、お邪魔しているのは私ですから」
 教室へスイカを運ぶと、子供たちがスイカに群がって手に取り、それを頬張った。おやつを片手にはしゃぎ、友達と笑いながら食べる。美鈴たちも相伴に預かる。スイカはよく冷えており、とても甘い。暑い日差しで気力の抜けていた身体にその冷たさたちがよく染み渡った。
「あ~美味しい……美味しい?」
 聞くと、隣で頬張っている少女は黙って頷く。そういえばと思い至った妹紅が、彼女について不思議そうに尋ねた。
「妙に大人しいなぁ。喋らないのか?」
「喋れないみたいですよ」
 慧音の顔が再び険しくなる。
「それは……病気か何かか」
 美鈴が「恐らくは」と返す。それを聞いた妹紅も顔をしかめた。マミゾウたち同様、二人は少女の境遇を思い、その目に憐れみが篭もる。気にせず美鈴たちはスイカを齧った。
「ここに来たのは、人里に預けるためということか?」
「最初はそうだったんですが……」
 言い淀み、美鈴は頬を掻いた。どう言ったものか迷ったが、別にやましい気持ちがあるわけではない。ここは正直に話してしまって、判断を向こうに任せたほうがいいだろう。
「どうも懐かれてしまったみたいで、一度紅魔館に帰って考えようかと」
「なんじゃそりゃ。本気で喰うつもりか?」
「だとすれば、おいそれとお前を帰すわけには行かないぞ」
 妹紅と慧音の視線が鋭く美鈴に突き刺さる。肩を竦め、敵意はないと二人に掌を向けて、美鈴は反論した。
「もちろんそれ以外の方法を探します。なんでしたらお二人も説得してみてはどうですか? 私も元々は慧音さんにお任せしたくてここに来たんですし」
 二人が少女を見ると、少女も二人を見た。無機質なアメジストの瞳が、ぼんやりとこちらの方向を向いているだけで、目線を合わせているという感じはしなかった。
 不思議な雰囲気を纏っている。心ここにあらずというように茫然とした気配、儚く弱々しい見た目。一言も発さないというだけでなく、少女自身、どこか浮世離れしている。かと言って幽霊や物怪の類とも思えない。
「ふーむ……」
 妹紅は訝しんだが、判断を慧音に任せることにした。元より妹紅はそういう判断をできる立場にいなかった。
 慧音は最初こそ迷っていた。美鈴が少女を説得していたのは先ほど見て知っている。美鈴がある程度信用に足る妖怪であるということも、慧音は承知している。だが立場上、ポーズとしてだけでも行動しておくべきだという結論に達した。
「もしかしたら筆談が出来るかもしれない。別室に行こう」
「ご自由に」
 慧音がスイカを置いて立ち上がった。美鈴は少女の背中を軽く叩いて、彼女へついていくように言った。迷いなく少女はそれに頷いて慧音の後を追う。
「素直な子だな。お前は行かないのか?」
「行く必要ないでしょ。どうなろうがやることは決めてあるし」
 ここに残るのであればそれでいい。付いてくるというのであれば紅魔館に着いてから決める。それだけのことだ。
 追及するつもりもないのだろう、妹紅は「ふぅん」と興味なさげに息を漏らしてスイカを齧った。美鈴もそれに続きスイカを齧った。
 子供たちの楽しそうな声が響いている。セミの音がけたたましく夏の空に木霊している。陽炎の昇る景色の向こう、光を受けて生きる木々の緑。ただ眺めているだけでも、それは最高の贅沢のように思えて、美鈴は微笑んだ。
「いいよなぁ、子供は元気で。私たちにはない活力がある」
「いや妹紅にはあるでしょ。出さないだけで」
「ないない。もう生き過ぎて枯れちゃったよ」
「心はそうでも身体は違うんじゃない?」
「心が違ったら意味ないんだよ」
 化け物たちのやっかみなど露知らず、子供たちは声を上げて遊びまわる。
「妹紅は子供好き?」
「……どちらかというと嫌いかな」
「嘘でしょ」
「羨ましくなっちゃうんだよ、今みたいにさ。昔を思い出す。だから嫌いだ」
「子供ねぇ」
 妹紅が言い返そうと美鈴を見るが、しかし美鈴は微笑みながら子供たちを見ているだけで、そんな表情に反論する気も失せてしまう。
「お前は好きみたいだな」
「どっちかというと嫌いよ」
「嘘でしょ」
「そう思う? でも妖怪は嘘吐きですからねぇ」
 そう言った美鈴の顔は、やはり変わらず笑っていた。
「……やっぱり嘘でしょ」
 どっちか分からず、妹紅は適当に言葉を繰り返して話題を締めくくった。
 しばらくして、慧音と少女が戻ってきた。美鈴が慧音を見ると、彼女は首を振って溜息を吐いた。どうやら説得は失敗したらしい。
「筆談はダメだった。ひらがなは書けるが続かなかった。途中で絵を書き始めてしまったので、諦めた」
 残っている少ないスイカを手にとって齧る。美鈴の隣りに座った少女もスイカを齧る。
「他には?」
「分からない。踏み込んだ質問には全て首を傾げられてしまう。意味を理解しているかどうかも怪しい。だがお前に着いて行くことだけははっきりと意志を示した」
「それはまたなんとも、光栄な話ですね」
 露骨に嫌そうな顔を浮かべて、美鈴は少女を見遣る。慧音も悩ましげに眉間にしわを寄せていた。少女と妹紅だけが、のんびりと宙に視線を泳がせている。
「とにかく現状は任せるしかないようだ。本当ならふん縛ってでも別れさせるべきなんだろうがな。その子の目を見ていると、何故かそういう気も失せる」
「不思議ですねぇ」
 少女が美鈴を見る。美鈴の嫌そうな顔がもっと嫌そうに歪む。ふぃっと視線を外して、美鈴は溜息を吐く。今日だけで何回吐いたか分からない。
 用事は済んだ。これ以上お邪魔し続けることもない。美鈴は立ち上がる。
「そろそろお暇します。急に尋ねた上にスイカまでごちそうになってしまって申し訳ない」
「いやいいんだ。玄関まで送ろう」
「私も」
 慧音と妹紅も立ち上がり、四人は玄関へ。美鈴たちが靴を履いて、振り返る。
「それでは、また」
「今度ウチに来てよ。紹興酒だっけ、あれまた飲みたいんだよね」
 妹紅の言葉に美鈴は苦笑した。スイカがなんだ子供がなんだ、結局の所幻想郷は酒である。旨い酒があれば大体仲良くなれてしまうのが幻想郷である。幻想郷バンザイ。お酒バンザイ。
「分かったわ。代わりに貴女がツマミを作りなさいよ」
「やった。楽しみ~」
「呑むのはいいが呑まれませんように。妹紅、また家が燃えても知りませんよ」
「う、うん。分かってるよ慧音、あはは……」
「じゃ」
 夏の日差しはまだ強かった。日陰の室内から出るのは嫌だったが、寺子屋で涼んでいるだけでは勿体無い。折角の休日なのだ、もっと人里を練り歩こう。美鈴は気を改めて歩き出す。


   9

 明確な目的もなく人里を散策していた美鈴は、比較的商店の集まった場所の一角に小洒落た喫茶店を見つけた。ペンキで白く塗られた柱や梁が見えているハーフティンバー様式、緑色の屋根、軸組の間に組まれた赤レンガの壁に、ガラス窓のある洋風の建物だ。魔法使いの家でもあるまいに、和風建築の多い人里では目立つ外観をしている。全体として少し色落ちしており、それなりの経年を思わせた。
 少し迷ったが、美鈴は入店することにした。
 中はシックな雰囲気が漂っている。暗めの木材を基調とし、暖色の明かりとゆったりと回る天井扇風機、そして奥にあるレコードから掠れて聞こえる弦楽器の音が、店内に落ち着いた空気を作り出していた。珍しい店だが人入りは少なく、それも良かった。
「いらっしゃいませ」
 可愛らしい洋風の割烹着を着たウェイトレスが美鈴の下へとやってきて、窓際の席へと導いてくれた。幸いなことに方角の関係で窓からの日差しは少なかった。
 メニューを見ると軽食や洋菓子、紅茶やコーヒーが頼めるようで、美鈴はアイスコーヒーとクッキーを、少女はレモネードとショートケーキを注文した。珍しい店ではあるが、商品の値段は驚くほど高いというわけでもなかった。
 カウンターでは白シャツと黒いエプロンを着けた物静かな初老の男性が、何やら作業をしている。あれがこの店のオーナーだろうか。こんな店を経営しているのだから、生粋の幻想郷の人間ではなく、外来人なのかもしれない。
 しばらくして飲み物とお菓子が一緒に運ばれてきた。
 コルクコースターの上に、結露したアイスコーヒーとレモネードの入ったグラスがそれぞれ置かれる。お菓子は白い陶器の平皿に乗っていた。
 美鈴はコーヒーに少量のミルクを入れて混ぜる。白と黒が混ざり合い、別の色へと変化していく。くるくるとマドラーを回転させているとぼんやりした気分になる。まるで太極図みたいだなぁとどうでもいい事を考えていると、入店を知らせるドアベルが鳴った。
(おや……)
 見ると、緑色の髪をした巫女風の少女と銀髪のメイド服を着た少女が入店したようだった。言わずもがな、メイド服の少女は十六夜咲夜だった。もう一人は妖怪の山の巫女である東風谷早苗。あまり見ることのない珍しい組み合わせである。
 美鈴は気取られないように窓の外に顔を向けながら、ひっそりと咲夜たちの様子を伺うことにした。ウェイトレスに案内されて彼女たちが着いた席は、美鈴たちとは少し離れていた。聴覚を澄ませて聞き耳を立てる。
「ご注文はいかがしますか?」
「とりあえずアイスコーヒーで」と咲夜。一方早苗は「アイスのレモンティーで」と告げる。ウェイトレスが下がると、二人は食べるお菓子を選び始めた。色々悩んでいたようだが、咲夜はチョコレートケーキ、早苗はフルーツタルトにするようだった。
「咲夜さんってチョコレートお好きなんですか?」
「どちらかというと普通。早苗はどうなの?」
「そりゃもう大好きですよ」
「貴女の場合甘いモノならなんでもいいんじゃなくて?」
「そんなことありません! 私、甘味には一家言ありますよ!」
 女の子らしくお菓子についての話で盛り上がっているようで、その様子は実に微笑ましかった。美鈴は聞き耳に一区切りをつけてアイスコーヒーを口にする。
「あ、美味しい」
 そんな風に思わず感想が零れた。酸味は少なくコクがあり、何より香りがすっと鼻を通り抜けていく。その美味しさは単に外が暑かったからというだけではなく、純粋にコーヒーの質が良いからだろうか。
 しばらく咲夜たちの声とアイスコーヒーの味、時折少女の様子を見ながら、美鈴はその時間をひっそりと楽しんだ。やがて咲夜たちのテーブルに注文したデザートが運ばれると、二人の会話は一段回くらい軽やかさを増した。
「それでその時の霊夢さんが酷くてですね……」
「あんまりまともに受け合っちゃダメよ。あの子物凄い頑固だから」
「ええほんとに。全然人の話を聞いてくれなくて困りましたよー」
「霊夢の場合そういう時は一度適当に挑発して、それから別の提案をして調子を崩すといいわよ。下手に言いくるめようとすると余計頑なになるのよ」
「あぁ、なるほど」
「どうでもいい話でも結構食いついたりするから、覚えておきなさい」
「ふむふむ」
 どうやら巫女同士で何かがあったらしい。美鈴は呆れていた。あの紅白巫女は年中話題の尽きない存在らしい。どこからかまた別の巫女がやって来たら、三竦みになって大人しくならないだろうか。いや、一緒くたになって騒がしくなるだけか。
 美鈴が勝手に想像してげんなりしている一方で、二人の話題は紅魔館に移っていた。
「お嬢様ももう少し落ち着きを持ってくださればいいんだけどねぇ」
「レミリアさんですか? 何かあったので?」
「いやねぇ、最近お嬢様のワガママがエスカレートしすぎなんじゃないかと思って」
「ほうほう」
「本で読んだんだけど、子供って大人が何でもかんでも言うことを聞いちゃうとそれが当然だと思って成長しちゃうじゃない? 私もそれをしすぎたのかなぁと思うのよ」
「ブシュッ!」
 美鈴は思わず吹き出した。危なかった。コーヒーを口に含んでいたらテーブルにぶちまけていただろう。咲夜たちに気づかれてないか心配したが、幸い聞こえなかったようである。
 レミリアの生活について苦言を呈していたことは聞いていたが、咲夜の気持ちはまるで母親のような悩み方であった。まぁ主の日頃の行いが行いであるがゆえに仕方ないことだとは思うが、それでも小さかった咲夜が子育てに目覚め、育てたレミリアが心配されているということがとても可笑しかった。
「なんか、咲夜さんお母さんみたいですね」
 全力で早苗の言葉に同意する美鈴だった。
「というかね、妖怪って基本的に我が儘じゃない? 妹様は暴れん坊だしパチュリー様は勝手に人を実験動物にするし、美鈴は昼寝は止めないしよく食べるし能天気だしで、自然と私が注意する側になっちゃうのよね」
 がくっと美鈴は体勢を崩し、椅子からずり落ちそうになった。自分も入っているのかと思うと笑える事態ではなくなってしまう。というか、自分だけ多くないですかね……。
「あー、それって神様も結構そうですよ。祭礼とかではすごくしっかりされてるんですけど、オフの時は子供みたいに駄々こねしますし」
「人外との意識の差なのかしら。なまじ寿命が長いから、そういう違いが出てくるのはしょうがないことではあるんだけど」
「難しいですよねぇ。私も注意したりするんですけど、やることはやられてるので強くは言い出せなくて……」
「そこら辺の匙加減がまた妙に上手なのよね」
「それはすごく分かります!」
 二人はそれからしばらく日々の愚痴や悩みについて話し合っていた。美鈴は咲夜が気軽に話せていること、そういう友人がいることに嬉しさを感じていた。珍しい組み合わせと思ったが、案外二人には共通点が多いらしい。ああやって多くの人と会話をしたり関係を築くことはとても良いことであろう。
 なまじ先ほど咲夜が言ったように、人外と人間では意識的な差がどうしても生まれ、心に影響を及ぼす。それは人外化の始まりであり、最後には望まぬ結果を齎すこともあるだろう。
 咲夜には、咲夜自身が悲しみ後悔するような人生を送ってほしくないというのが美鈴の望みであった。だから、彼女にはなるべく多くの価値観に触れて、自分の意志を形作っていってほしい。
 色んな道があり、選択肢があり、可能性がある。当然嫌なこともあるし、それと比較できる良いことも世界には沢山ある。楽しく、笑顔を絶やさず、健やかな人生を。そんな親心みたいな物があったことを、美鈴は何となく思い出していた。
 ふと、美鈴は目の前にいる少女の食べていたケーキとレモネードが無くなっていることに気付いた。咲夜たちの方を気にかけすぎていて、目の前の子供に意識が向いていなかった。これでは引率者失格である。少女は黙ってこちらを見つめていたが、その目は責めているような感じではない。ぼんやりとした、やわらかな視線だった。
 美鈴は「まだ何か食べたいのある?」と少女にメニューを差し出した。すると葡萄のゼリーを示したので、備え付けのベルでウェイトレスを呼び、それを追加注文する。
 置いてあったクッキーを食べながら、美鈴は喋らない少女と見つめ合う。不思議と話しかけようという気分にはならない。彼女を知ろうとしないのではなく、喋らなくても落ち着ける、安心感のようなものがあった。
 気まずくなったわけではなく、ただ見続けずとも少女は気にしないであろうという信頼をもって、美鈴は視線を窓の外に向けた。夏の人里を眺めながら、人間の少女たちの雑談に耳を傾け、たまにアイスコーヒーを飲む。これもまた贅沢に思えて、美鈴は恐縮する思いだった。
「さて、そろそろ出ましょうか」
「そうですね」
 三〇分ほどだろうか。雑談を終え、美鈴たちより先に咲夜たちが席を立った。会計を終えて店を出て行く。もっとゆっくりしていけばいいのにと美鈴は思ったが、咲夜はおそらく夕餉の買いだしついでにこの喫茶店に寄ったのでそれを済ませなければならないのだろうと考えた。もしかしたら早苗もそうなのかもしれない。
 珍しい人間二人組の会話を聞いて、美鈴はラッキーだったと喜んだ。
「私たちもそろそろ行こっか」
 少女は頷く。咲夜たちが出てから少し時間を置いて、美鈴たちも店を後にした。


   10

 四時になって、美鈴は鈴奈庵に立ち寄リあらかじめ見繕っていた漫画を借りた。魔理沙は居なくなっていて、小鈴に話を聞くと別の薬草辞典(もちろんグリモワールだ)を借りて行ったとのことだった。
 律儀に金を払って物を借りていくあの泥棒は本当に滑稽なもので、美鈴は笑いを我慢するのが大変だった。おかげで小鈴に変な顔をされてしまった。
 鈴奈庵を後にした美鈴たちはそのまま帰路についた。
 西に傾いているとはいえ、夏場であるからこの時間でもまだ明かりはいくらか残っている。荷物もあるのでこのままの内に帰りたいと美鈴は考えていた。
 里を出て、舗装のされていない踏み分け道を少女と手を繋いで歩いていく。
 やがて田園なども見えなくなるくらいに人の生活圏から離れたところで、先ほど少女と出会った一本の広葉樹が見えてきた。そしてその木陰に、金髪で真っ青に染められたワンピースを着た、長身の女が佇んでいることに美鈴は気付いた。
 手には白いガーデンハットを持っており、美しい素顔が白日の下に晒されている。端正な顔がこちらを見つめながら静かに微笑んでいた。その姿はどこか幽玄で、見ていると引き込まれる、儚いながらも魅力があった。ひょっとしてこの少女の関係者なのではないかと美鈴は期待した。
「……」
 美鈴は意気揚々とその女に近付いていったが、しかし段々とその歩みが遅くなり、やがて立ち止まってしまう。女の待つ木まで、まだ少し距離があった。
 少女が美鈴を見上げた。彼女は変わらず無表情だった。一方で美鈴も少女を見た。その顔は、とてつもなく嫌そうな、うげっと、露骨に何かを嫌悪している顔だった。
 別れが名残惜しかったわけじゃない。ただ美鈴が考えていたことの一つが現実味を帯びてきており、だとすれば今まで利用されてきたことになりそれを行った者に対して腹が立つとともに、元から抱いていた悪感情と相まってそれが顔に出てしまったのだ。
 少女が依然として不思議そうにこちらを見上げている。ともすればこの表情も白々しく思えて、美鈴は複雑な気持ちにさせられた。
「……はぁ」
 だがこうしていても仕方がない。美鈴は握っていた手を緩める。
「今日は楽しかったですか?」
 それを聞いて、初めて少女は笑みを浮かべた。その微笑みは愛らしく、またその紫水の瞳の色は今までと打って変わって優しげであった。人形めいた気配が完全に消え失せている。彼女に感情と命の息吹が宿ったのだ。
 少女は美鈴の手を離して、そのまま木陰に立っている女の元へと歩き出した。
 その途中で、少女の姿が頭から消えていく。
 まるで見えないヴェールに包まれていくように。
 そしてその消失に合わせて今度は見慣れた白い帽子と長い金髪の女の後ろ姿が上から現れる。 
 まるで見えないヴェールを脱ぎ去っていくように。
 他人から見ればそれは不思議な光景であったろうが、ある程度正体に当たりをつけていた美鈴にとっては驚くことではなかった。彼女の能力であればそういう芸当もできるだろう。
 それに合わせて、木陰で佇んでいた女の姿も変わる。空間に平面的なノイズが走り、徐々に真の姿が露わになる。青色の前掛けに白墨の紋様。短い金髪にかぶる、白い二本の尖がりのある帽子と後ろで揺れている九本の狐の尻尾が特徴的だった。
 少女が――いや少女だった物が、取り出した日傘を指して、美鈴を振り返り笑みを浮かべた。白いドレスに紫色に染められ太極、八卦の紋が入った前掛けを着こみ、日傘の下の瞳に妖しげな気が混じっていた。
 それは境界に立つ賢者・八雲紫とその従者・八雲藍であった。
「どうやら気づかれてしまったみたいですね」
「可能性の一つとして考慮はしていました。人か否かの疑問を持ったのは鈴奈庵のグリモア暴走時。声が出ないとはいえ落ち着きすぎていた。疑惑が強まったのは寺子屋。あまりに私に固執しすぎて他の者に頓着しなかったのは不自然でした。ただその時は幽霊の類で私に憑こうとしているのかもと考えました。正体を完全に察したのはその人に近付いた時ですね」
「あら、もしかして藍の正体も見抜いたの?」
「そもそも門外に住んでる大人と子供ってありえないでしょ。それにその人から微かに油揚げの匂いがするのよ」
 くすくす笑う美鈴の言葉に藍がぎくりと身を震わせた。呆れ顔になった紫は粘るような声で「藍?」と彼女の名を呼ぶ。藍は申し訳無さそうに指を突き合わせながら「一枚だけです……」と情けなく言い訳した。
 溜息を吐いて、紫はもう一度美鈴と向き合う。
「本当は教えずに退散して、吸血鬼をおちょくるネタにしようと思ったのですけれど、アテが外れてしまいましたわ」
「人の振りを見る前に、自分の振りを直すべきでしたね」
「全くね。また折檻が必要かしら」
 後ろで藍は嫌そうな顔をして、それからがっくりと肩を落とした。さすがに気の毒だなぁと美鈴は哀れに思う。主の我が儘に振り回されているのは自分だけではないという同情もあった。だからつい反論したくなってしまった。
「好きなもの一つ食べただけで怒るの? ちょっと器が小さいんじゃない?」
「一つのミスで全てが台無しになることもありますわ。ミスは正さなくてはなりません」
「だったら正すべき相手が違うのでは? 油揚げを食べちゃいけないって指示しなかったのは貴女なんだから、正すべきは貴女の方でしょ」
 紫の笑みが少しだけ強張った。今の言葉が癇に障ったか。だがそれに気付いても美鈴は構わず話を続けていく。
「大体中途半端に式神を使うくらいなら貴女が分身すればよかったのよ。そうすれば余計なこともなく退散できたでしょうに。今回の失敗は貴女が面倒臭がって半端に式に任せたのが原因なのでは?」
「……どうあれ、藍がミスをしたのは事実でしょう」
「そもそも、貴女の目的は私のネタでお嬢様をおちょくることじゃない」
 そんなことのために半日を費やすほど、彼女は暇な妖怪でもないはずだ。いや、これは美鈴の希望を含んだ見方かもしれない。本当に暇だっただけだというなら憤怒よりもまず憐れみが湧いてくるような気がしてしまう。
 まぁそうじゃなくても、この妖怪がその目的でことを仕組んだにしては、今回は少し杜撰過ぎる。だから目的は別にあるはずだと美鈴は考える。
「私が一人で人里に行って、何をしでかすか分からないから監視でもしてたのでしょうか。それとも昨今聞く、人里に潜む妖怪たちから私を守るため?」
「そういう意図もありました、とだけお伝えしておきますわ」
「そう。優しいのね。じゃあその優しさを後ろの人にも分けてあげてください。私にはもう十分です」
 美鈴は話をそう締めくくり微笑んだ。まさか優しいと言われると思っていなかったのか、これには隙間の賢者も毒気を抜かれたようで、呆れた顔を浮かべ困ったように腰に手をやる。
「厳しさも優しさの内だと思うのだけれど」
「生きていればどうとでもなるわ。死ぬわけじゃないミスくらい、どうでもいいでしょう」
「……まぁね」
 美鈴の粘り強い説得に紫は折れ、藍が静かにホッと安堵した。それから美鈴に頭を下げる。美鈴はあえてそちらは見ず、あくまでも八雲紫を見たままで眉を上げて藍の礼に応えた。
「でも、優しいのは貴女も同じですよ。見ず知らずの私を、わざわざ連れて歩いてくれたんですから」
「子供には弱いのよ、私って」
「ふふ、あの館に務める貴女の心中、お察ししますわ」
「同情はいいから今日飲み食いした分のお金を払ってください」
「えぇ、幼気な少女からお金をせびろうだなんて、非道い人ですわ」
「人じゃなくて妖怪ですけど。あと何処に幼気な少女がいるんですかね」
「信じられませんわ。そんな甲斐性のない妖怪では結婚できませんよ」
「結婚なんかしませんよ。まったく余計なお世話だわ」
 金を返す気はないようなので、美鈴も諦める。別にそれほど豪遊したわけでもないし、蓄えならまだまだある。ただあのスキマ妖怪にタダ飯を食わせたと考えるのが癪だっただけだ。
「それで、どうでしたか? 人里の様子は」
 唐突に八雲紫は美鈴にそう問うてくる。依然として微笑んだままで、相変わらず何を考えているのか分からない。美鈴はどういった意図でこの質問を彼女がしているのか気になり、少し考えた。それから「面白かったですよ。にぎやかで」と普通に返した。確かに気になったが、すぐにどうでも良くなった。
「さっき貴女も言ったとおり、人里では様々な思惑が交錯しています。宗教を始め妖怪たちの勢力も人里を狙って活動しています。さて、貴女の主はどう動くでしょう?」
 くすくすとおちょくるように笑っている賢者を美鈴は睥睨した。彼女は美鈴がそれを分からないことを分かっているだろう。分かっているのに聞いているのは性格が悪いからだ。美鈴はまた眉を上げて「はっ」と今度は紫を嘲笑った。
「どうもしないんじゃない。いやもしかしたら明日には動くかもね。どちらにせよ私には分かりかねることですよ」
「まぁ冷たい。悲しいですわ、もうお別れですのに」
「名残惜しむほど何かをしたわけでもないです。用がないならもう行きますね」
「そう毛嫌いしないでいただきたいです。一日デートした私と貴女の仲でしょう?」
「ただの子守りだと思うんですけどね……」
 美鈴は歩き出した。紫の隣を通りすぎて、紅魔館を目指そうとする。けれど紫が「最後に一つ言伝をいいですか?」というので、その足が止まってしまう。二人の距離はちょうど一歩分くらいの近距離であり、美鈴が振り返るとすぐそこに紫の顔があった。二人の身長は同じくらいで、もう見下ろす必要もない高さだ。
「あの子に伝えて欲しいの。あんまり子供のままでいて、いざというときに動けなくなっても知らないわよって」
 あぁ、それが目的か。美鈴はやっと賢者の真意を理解した気がして、しかしそれに来るまでにやけに遠回りをしたこの妖怪の回りくどさにおかしさを感じて、ふと表情が緩んでしまった。
「どうして私の口から伝えなくちゃいけないんですか。直接言えばいいでしょう」
「貴女の口から伝えるほうが面白いじゃないですか」
「……どうせまた老人のやっかみだとか言って聞いてくれませんよ」
「今日の話をしたら聞いてくれるかも」
 それほど大事な言伝とも思えないのに少し粘る紫が、美鈴には不思議だった。単純に昨日、レミリアが話していた食事会の件で一言物申そうとしているだけに見えるのだが……。
 結局、そこは美鈴が折れた。
「分かりましたよ。とりあえず伝えておきますね」
「ええ、よろしく。それじゃあまた」
「さようなら」
 美鈴が踵を返して歩き出す。紫たちも隙間に消える。
 歩きながら、紫の言った「いざという時動けない」という言葉が、美鈴の胸裡に引っかかりそれについて美鈴は考えていた。あの不吉な妖怪がそんなことを言うと、実際に何かが起こるかもしれないという漠然とした不安が生まれてくる。何もないことが逆に不自然に思えて落ち着かなくなってくる。
 それが八雲紫という妖怪なのだ。
 美鈴はその不安を振り払うために跳躍し、そのまま空を飛んで紅魔館への家路を急いだ。


   11

「へぇ、それは大変だったね」
 ロッキングチェアを揺らしながら漫画を読み耽るレミリアがそう声を漏らした。
 そこは、紅魔館の門に設けられた守衛たちのための小さな詰め所である。簡素な木製テーブルと椅子、暖炉などの空調設備、簡易型のコンロと仮眠するためのロフト。最初の内装はそんなものであったが、現在は妖精や美鈴たちの私物も置かれ、ちょっと賑やかになっていた。
 そんな場所に紅魔館当主のレミリア・スカーレットが居座っているという光景は、通常ならありえるはずのないものであったろう。
 しかしなんてことはない。レミリアは日中の戦利品をあさりに来ていたのだ。そのついでに美鈴から一日の報告を受けていた。人里での出来事、八雲紫との珍道中など、向かいで椅子にかけ話していた美鈴の手にも開かれた漫画があった。今は休憩時間であった。
「恐ろしい話です。あの妖怪を連れて歩いていたなんて。いつ殺されてもおかしくはなかった」
「大袈裟だねぇ」
 軽く笑って流すレミリアに、美鈴も笑う。殺された程度でどうこうなる種族ではない。
 掛時計が零時半を指し、それを知らせる為に一回だけボーンと間延びした音を出した。話が一区切りしたので、美鈴は読みかけていたコマに視線を移した。その漫画は父親と娘だけの家族、そられにかかわる人々の何気ない日々を描いた物だった。
「それで、なんだっけ? いざという時動けなくなっても知らないだっけ?」
「そうです」
「なんだろ。何か企ててるのかな?」
「面白くなりそうですか?」
「微妙かなぁ。あんまり乗り気がしないよ」
 運命の女神は微笑まない。口をへの字に曲げて、スキマ妖怪を訝しむ。
「では人里の話はどうですか?」
「そっちもなんだかなぁ。面白そうではあるんだけど、どちらかというと今は傍観している方が面白い気がする。もっと事態がややこしくなってからの方が暴れ甲斐があるしねぇ」
 狸、兎、狐、天狗に宗教家などなどなど……各勢力たちの活動や範囲がどうなっているかは明らかではない。無策で突っ込んでいっても食い物にされて終わるだけだというのは、レミリアと美鈴の共通の認識だった。
 それに現状は静かなもので、宗教勧誘や水面下での根回しが横行している程度だ。そんな場所に行っても暴れる理由がない。
「そもそもあそこで動ける人材がウチに居ませんものね」
「妖精やホフゴブリンじゃ絶対無理だし、一々悪魔を飛ばすのも疲れる。結局今みたいにのんびり構えているのが一番楽なんだよ。人里の人間がどうなろうが知ったこっちゃないし、八雲紫が何もしないわけがない。支配とか、領地経営も面倒くさいしねぇ」
「こうしてお嬢様と漫画を読む時間もなくなるのは嫌ですねぇ」
 レミリアが「そうかい?」と言った。それからテーブルの上に置かれたクッキーを一枚摘んでいちごジャムにつけて口に入れる。指についたジャムをなめとり、美鈴が入れた紅茶を飲む。一連の仕草はどこか大人びた色香を漂わせ、ちろりと覗いた舌が妙に蠱惑的に美鈴の目に映った。妖しげな気が美鈴の周囲を取り囲もうとする。
「魅了しようとするのやめてくださいよ」
「ん? あぁごめんごめん。わざとじゃないよ」
「もうちょっとで襲いかかりそうになりました」
「嘘つけ。耐性あるくせに」
「魅了といえば、咲夜さんにはお使いにならないのですか? お小言の問題も解決するのでは?」
「そんな便利な力じゃないんだよ。あれじゃ一時的にやめさせることはできても、ずっとは無理だ」
「ははぁ、じゃあ問題はもうちょっと続きそうですか」
 美鈴は、咲夜が喫茶店でレミリアについて悩んでいたことを告げていなかった。あれは当人たちが解決すべき問題であると美鈴は思うし、当人が居ない場で言うのは憚られたし、何よりもう少し続いてくれたほうが面白うそうだというのが、美鈴の思惑であった。
「美鈴。お前は私を頼りなく思うか?」
「思っていたら、今ここにはいませんよ」
 レミリアは、実はそのことについて多少真剣に悩んでいた。自分が覚束なくなっているから従者が不安がっているんじゃないか。主としての立場に甘んじて、身の回りが疎かになっていないか。彼女にもしっかりと上に立つ者としての自覚があり、だからこそ今回の咲夜の件は自身を省みる機会となった。
 皆に認められなければ王たりえないということはレミリアもちゃんと理解している。分かっている上で、子供のように我が儘を通してきたのだ。それが出来なくなってきたということは自身が主であると認められていないこと。すなわち主従関係の崩壊。彼女なりにそれについては危機感はあった。
「思うに」
 予想外の主の真剣さに打たれ、ついつい美鈴は自分の意見を述べてしまう。
「咲夜さんは、母性に目覚めつつあるのではありませんか?」
 喫茶店で聞いた悩みは話さず、あくまでも今推測している程度に留める。だが美鈴の答えを聞いたレミリアは「はぁ?」と分からなそうに首を傾げた。
「子供姿のままのお嬢様に感化されて、咲夜さんの中で何かそういう価値観の変化があったのかもしれません。それが、先の八雲紫との会食を切っ掛けに明示化したのでは?」
「母性って、あいつと私は別に血が繋がっているわけじゃないんだが……」
「非道い! 私があんなにお腹を痛めて産んだのに!」
「えぇ咲夜ってお前が産んだの!?」
「今更になって認知しないだなんてあんまりです!」
「何が認知だいつ孕んだんだよ私がいつ孕ませた!」
「初めて会った日の夜、あんなに二人で愛し合ったのに!」
 レミリアが突然真顔になってクッキーを投げ付けてくる。それをキャッチし、美鈴は笑いながら口に運んだ。
「まぁ血は繋がってなくとも、長らく一緒に過ごしてきたんですからそういう情念が生まれても不思議はありませんよ」
「そうかなぁ。咲夜がここに来た時はまだ私より小さかったんだぞ? なのに今更そういうのに目覚めるものかな」
「今じゃ咲夜さんの方が大きいんです。それに、母性とは別に、咲夜さんはお嬢様の従者であるのですから、主の方向を見てそれが正しいかどうかを判断出来る立場に居ます。もしかしたらそうした意識が先行しているかもしれません」
 咲夜はそうしたレミリアとの価値観の違いを認めることが出来ず、育て方を間違えたと自己嫌悪に走っているだけかもしれない。本当のところは美鈴にもまだ分からない。
 ともあれ美鈴の言葉に吸血鬼は神妙に頷いた。
「私の行動が間違っているか」
「見方が違うんですよ。私たちと咲夜さんではそれを一致させるのは難しいのです」
 レミリアの将来に危機を感じている咲夜。一方で美鈴は楽観視している。それは寿命からくる物でもあったし、二人の立場が違うことにも起因している。
 従者の意見に板挟みになっていることに気付いて、レミリアは少しだけ苛立った。
「ならどうすればいい。何か解決策はないのか」
 美鈴は漫画に目を落としながら考えた。吸血鬼と妖怪の間に、少々不穏な沈黙が漂う。
 黙ってしまったのは、単純に解決策が思いつかなかったからではなく、美鈴が事態を彼女たち自身で解決させるべきか、自分が助言するべきかどうかを悩んだからだ。そして思いついた答えに絶対の自信がなかったからだ。
 読んでいた漫画のコマを、視線が滑っていく。あまり頭に入ってこない。ページもめくれない。そんな状態が少しだけ続いて、やがて美鈴はぱたんと漫画を閉じた。
「……一つ、思いつきました」
 絞り出すように放った美鈴の言葉に、レミリアの表情が少しだけ明るくなる。
「ただ、これが最善かどうかはお嬢様が判断してください」
「分かった」
 どれだけ従者から意見具申があろうと、最終決定は主が下さねばならない。その責務を彼女はしっかりと承知していた。
 だからそれを知る美鈴も、安心して主にその思いついた作戦を伝えた。


   12

 その後休憩時間も終わり、レミリアが詰め所を去ったので美鈴は門番業務に励んだ。午前三時を過ぎてから三時間ほど自室で眠って、いつも通り起床。日課の鍛錬をこなして仕事をする。
 そしてその日は何事も無く終わった。美鈴は自分が伝えた作戦がレミリアにとって納得行くものではなかったのだろうと考えた。伝えた時も、怪訝な表情だったので落胆は少ない。
 夜、レミリアは詰め所に現れなかった。今夜はパチュリーと過ごすらしいと夕食時(吸血鬼にとっては昼食)に聞いていたので、美鈴は休憩時間を取らずに門番をした。その日も特に何があるわけでもなく、たまに雑魚の妖魔を捻る程度だった。

 次の日もいつも通りでである。鍛錬と庭の管理の後門番をし、昼食を食べて午睡に耽った。おやつを食べてからしばらくして邪仙が来訪し、彼女は手紙を美鈴に渡してきた。何でも茨木華扇に敗れたので文通しようということがその手紙には書かれていた。声はかけていないので約束は破っていないつもりらしい。正体がばれている事に驚いた美鈴だが、彼女の図々しさと正体を知ってなお関わろうとする諦めの悪さに呆れ返って手紙を燃やした。後日お断りの手紙を書くことにする。
 そしてその日の夜もレミリアは現れず、休憩時間を取らなかった。何も変わることのないいつもの日々が美鈴に戻ってきた。
 だが、少しだけ変化があった。
 仕事を夜勤の妖精に引き継いで自室に戻り、寝る支度をしていた頃に扉がノックされたのだ。
「美鈴、ちょっといい?」
 それは十六夜咲夜の声であった。断る理由もなく、美鈴は「どうぞー」と咲夜を招き入れる。咲夜は珍しく寝間着姿でやって来ていた。
「咲夜さんもお休みですか? 一緒に寝ます?」
「そういうわけできたわけじゃないんだけどね……ちょっと話さない?」
「いいですよ。今何か淹れます。掛けて待っててください」
 美鈴は水で満たしたポットを火にかけて飲み物を選定する。缶に入った粉末のココアがあったのでそれにした。砂糖と白いマグカップと混ぜるためのマドラーも出す。
「眠れないのですか?」
 作業をしながら美鈴は咲夜に質問する。彼女が何の前触れもなく美鈴の部屋に訪れるのは本当に珍しかった。いつもなら何かしらのサインがある。
「そうね、ちょっと」
「何かあったみたいですね」
 しかし美鈴はその何かをおおよそ察しているのだから、それは白々しい言葉だった。咲夜は物憂げに机に肘をついて顎を乗せ、窓の外を眺めて美鈴の言葉に空返事気味だ。作戦が実行に移されたのだと美鈴は確信した。
 しばらく二人は会話をしなかった。美鈴は戸棚の確認をする振りをして時間を潰し、その間咲夜はずっと上の空で外を眺めていた。
 やがてポットのお湯が湧いたので、火を止めてココアの粉末を入れたマグカップにお湯を注いだ。ココアの甘い匂いが立つ。美鈴は一つを咲夜の前に置き、自身も彼女の対面に座った。
「それで、どうしました?」
「今日、ちょっとお嬢様に言われてね。それについて悩んでいるのよ」
 美鈴は頷く。
「私って従者失格なのかしら」
「藪から棒ですね」
「最近、お嬢様の生活について苦言を呈していたんだけど、今日それを咎められてしまったの」
「咎められた?」
「というか……そうね、今日お嬢様に膝枕してもらってね、頭を撫でて貰ったのよ」
「ほう」
 それは正しく美鈴が伝えた作戦の通りであった。
 母性に目覚めようとしている咲夜に、逆にお嬢様が甘えさせてやる。今まで子供だと認識していた相手にそうされて(実際レミリアは咲夜より年上である)、忘れかけていた咲夜に残る子供の記憶を刺激してやれば、咲夜は混乱して大人しくなるかもしれないというのが美鈴の考えであった。
「不思議な気分だわ。嬉しかったんだけどね」
 咲夜は考える時間を必要としている。納得ができるまで、しばらくはこのまま大人しくなるだろう。
「お嬢様に、お前から見て私は不甲斐なく見えるか? って言われてね。即答できなかったわ」
「不甲斐なく見えていたからですか?」
「というか、子供っぽすぎると思ってて……でもそれが従者としてどうなのかなって」
 咲夜の言葉は少し要領を得ない物だった。彼女自身まだ自分の中での感情や思考が整理できていないのだ。美鈴はそれを理解し、受け止めるように微笑んだ。
「いいじゃないですか。私なんていつも思ってますよ。お嬢様が子供っぽいのは今に始まったことじゃありませんし、これからも続きますよ。そう見えるのは事実なんですから気に病む必要は無いと思いますけど」
「そんなにすぐに割り切ることなんてできないわ……」
「そうですか」
 咲夜は変わらず物思いに沈んでいる。それを阻害するつもりは美鈴にはない。穏やかな沈黙がその部屋を満たしていた。たださらさらと水のように時が流れていく。窓の外から微かに聞こえてくる虫たちの声に耳を傾けながら、美鈴はゆっくりと咲夜の言葉を待っていた。
 やがてきっちり五分黙ったところで、咲夜は触っていたマグカップを手にとって初めてココアを口にした。ある程度冷めていて猫舌の咲夜でも飲めた。蕩けるような甘さを舌で舐めとって、咲夜は溜め込んだ思いを一息に乗せて吐き出した。
「美鈴、私はちゃんと出来てる?」
「ええ、出来ていると思いますよ」
「お嬢様に叱られても?」
「意見が合わないことはいつでもあることです。今回は咲夜さんたちがそれだっただけです」
「そんなものかしら」
「そんなものですよ」
 どちらも自分を疑わずに主張すれば、その二つの間には境目ができる。それは時間が経つにつれて大きくなっていく物だ。いつかはどちらかが意志を折り、その境目を失くさなければならない時が来る。共同体の中ではなおさらその時間は短くなければならない。
 妖怪と人間。あるいは大人と子供。
 そして、幸いなことにすでに咲夜の中ではレミリアの意見が浸透しつつある。問題は確実に解決へと向かっていた。
「……話してたら少し楽になったわ。ありがとう」
「いいえいいえ。私で良ければいつでも」
「でも、デートするならもうちょっと甲斐性がほしいわね」
「え~そんな~。もう品切れですよ~」
「貴女の露天はいつも品薄ね」
「あ、甲斐性で思い出したんですけど、聞いてくださいよ咲夜さん。この前の休日ですね――」
 先日の休日について、美鈴は喫茶店のことには触れず八雲紫を無賃金でお守りしたことの恨みを多大に籠めて咲夜に話し、盛り上がった。少しして、ココアを飲み終えた咲夜は自室へと戻った。きっと今日のレミリアとの触れ合いの余韻に浸るのだろう。そういう時間も必要なことは美鈴にも分かっていた。だから誘いを断られた寂しさは忘れることにした。
 電気を消して、美鈴もあの休日を改めて思い返しながら床に就いた。
 楽しい休日だった。他者との交流は、やはり日々に彩りを与えてくれる。今日はその余韻によってよく眠ることができそうだった。
 
 ただ一つ、美鈴は心に固く誓った事柄がある。
 もう二度と八雲紫の世話はしたくない。
 あと金返せこのやろう。
 今度会った時に絶対文句を言ってやる。美鈴はそう決意して眠りに落ちた。


―了―
 門番という立場上紅魔館を離れることの少ない美鈴は、内部での人間関係で丁寧口調であったり生真面目であったり人当たりの良い性格を多く描かれますが、今回は外で騙したり馬鹿にしたり露骨に嫌悪したりする彼女の一面を書きました。勝負の面ではまっすぐな彼女も、それ以外の面では妖怪としての性格があるのかなぁと思っていた次第です。

 しかし今回はより妖怪らしく(というか毒舌? 辛辣?)を目指して書いたのですが、正直まだまだまだまだ毒が足りないような気がします。もっと毒を…!
 
  原作の設定や性格を重んじていますが、時系列や把握ミス、誤字脱字などの抜けがあるかもしれません。また原作に無い単語、設定等が含まれておりますが、二次創作がゆえのご容赦とともに、少しでも皆様にお楽しみいただけたら幸いです。
 
11/14 ご指摘いただいた誤字を修正しました
泥船ウサギ
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.600簡易評価
2.90名前が無い程度の能力削除
以前より読み易くなった気がします
88kとなるともう長編に片足を突っ込むような量のはずなのにもう終わり?ってくらいにサラッと読了しました
ゆかりんと美鈴って組み合わせはかなりレアな気がする
3.90名前が無い程度の能力削除
これはいい美鈴
美鈴好きとしてはとてもよかったです
4.100名前が無い程度の能力削除
楽しく読まさせてもらいました
5.100名前が無い程度の能力削除
残暑をひしひしと感じる文章でした。
6.100名前が無い程度の能力削除
とても面白かった。

時期は神霊廟と心綺楼の間?
『いざという時に動けなくなって』は心綺楼で紅魔勢が出なかったことを指していたり?
考えすぎかな。
10.80名前が無い程度の能力削除
楽しませてもらいました。

お礼ついでにいくつか誤字の報告を。
”マミゾウは再び美鈴にそう訪ねてくる”→尋ねてくる
”落ち着くなくなってくる”→落ち着かなくなってくる

それと咲夜の「どちらかというと普通。早苗はどうなの?」という発言の不自然さについてです。
どちらかというと、とは容易に決めがたいことだがあえて選ぶならば、という意味です。この文脈ではチョコレートを好きか嫌いかで選ぶなら、と自ら条件付けをしておきながらどちらでもない答えを言っている自己矛盾の状態。もしも普通と答えたい場合は単に「普通よ。早苗はどうなの?」でよいのです。

些細なフレーズのミスで途端にその登場人物のそれらしさが失われてしまうので二次創作を書く上での気配りが大変なところですよね。
今後とも泥船ウサギさんの作品に期待しています。