・ルナサ・プリズムリバー(るなさぷりずむりばー)
チンドン屋。次のポケモンの主役抜擢を信じて疑っていなさそう。
ブレイカー3が出たら絶対サイコ・ザクを作る、と妹が言ってるらしい。
・博麗霊夢(はくれいれいむ)
素敵な巫女。マキブ家庭版が来ない事に怒りを感じているらしい。
広義で言えば願人みたいなものだろうとは魔理沙の弁である。
※
――路傍の小石。
そのささやかな変事にいち早く気付いたのは、今日も今日とて確たる志も無いままふらふらと歩く、一人のさとりだった。
名を古明地こいしというその妖怪は、まるで「今日も世界は悲愴で覆われているわ」とでもいうように顔をほころばせながら、人里から続く碌に手入れもされていなさそうな道々を、いつの間にか持っていた団子を頬張って歩いていた。大層ご機嫌である。もちろん、こんな場所を歩いている事も、甘味に舌鼓を打っている事も、全てが無意識の行いだった。
ふと、立ち止まって、遥かな頭上を見上げた。どこまでも突き抜けるような青空へ向かって、粗く削り出された石段がずらずらと伸びていた。幾ばくかの感嘆の声と共にしばらくそれを見つめていたこいしだが、その内首が痛くなってきたのでやめた。
律儀に登る気はさらさらなかったので、片手で帽子を押さえるとふわりと浮き上がる。
驚くことなかれ、近頃のさとり妖怪は空も飛べるのである。
無意識的に。ふわふわと。
――この上には、あの青空の果てなんかがあるのかしら。
そんな事を無意識しながら、ひとまず、遠い遠い階段の上を目指してみた。
まるでねむっちまいそうなのろい動きで音もなく降り立つ。石畳の敷かれた向こうには見るからにぼろっちい神社があって、遠くには鮮やかな朱色の鳥居があった。
立ち止まったまま、首を傾げて思案顔をしていたこいしは、ややあってからひとまず神社へ行く事とした。近づくにつれて、最低限の掃除がされているばかりで、あんまり感情のこもってなさそうな神社が克明となる。別段、こいしにとってはどうでもよい事だ。たかだか神社仏閣の一つや二つに興味は無い。
あの人間だ。きまぐれの塊でできているかのようなこいしが、珍しく名前を覚えている人間。
霊夢。博麗霊夢。いかにも、ここはあいつの場所なのだ。
無意識のうちに胸の瞳をかすかに指でさわさわとなぜながら、住居とおぼしき部分を探した。
玄関を素通りし、縁側を見つけるとそこへいそいそとよじ登る。
霊夢、と言った。声に出していた。
返事はない。
自分の声が反響して反響して神社の隅の方へ沈み込んでいって、しん、と静まり返った。
こいしは、まるで己が世にただ一人であるかのような心持となる。
ここには霊夢がいない。痛烈な、言い知れぬ違和感がそこら中に漂っていた。
それとも、わたしが呼びかけたからであろうか。無意識で自己完結する事。心に湧いたその言い辛いざわざわとした感情めいたもの。ひとまず、無遠慮に踏み込む。
和室の一つが閉められていた。
障子をすっと開けてみる。
はたして、霊夢はそこにいた。布団に寝ていて、顔をやや赤くして、ついでに常よりしおらしく見えた。
「……アンタ」
実に億劫そうにむくりと起き上がって、入ってきたこいしをじろりとねめつけ、霊夢が掠れた、ひくいひくい声で言った。
「地底のヤツね、いつだかの。……何しに来たのよ」
「――風邪。ひいてるの?」
枕もとのぬさを掴んだ手を眺めながら、こいしが問うた。返事はなく、代わりにげほげほと咳き込む音。
ぷい、と反対側に寝返った霊夢は、言外に「帰れ」とその全身で語っていた。
ただし、「そういうの」を読み取り相手の意思を汲み取るのが酷く難しいのが、古明地こいしという少女なのだった。
「にひ」
「……ちょっと……おい」
※
「上昇気流……」
語尾を力なく震わせて呟きながら、ふわりと神社の境内に降りた。耳元をびょうびょうと吹き抜けていた風の余韻が、しばらく続いていたけれど、やがてそれもおさまった。
肩にかかるぐらいの金髪を無造作に流しながら、幻想郷のチンドン屋、幽霊楽団ことプリズムリバーが長女であるルナサ・プリズムリバーは目の前の神社仏閣に目を細めて、
アア、相変わらずぼろっちいな。
というような感想を抱いた。
正しくは一度、いつだかの異変の折に御迎えが来たものだから、その機に新しく立て直された、とか。そんな話を小耳に挟んだ事があった。
だが、とりわけ家屋そのものに目的があるわけでもなく。彼女は、幻想郷の大多数の妖怪と同じように、ある種の無重力に惹かれて落ちたルナサは、紅くて白い例の巫女が姿を現さない事に、はてなと首を傾げた。
如何にも、めんどくさそうな顔をしながら。でもたまに、やけに嬉しそうに見える。
掃除をしているなら箒を持ったまま、一服していたところでもその湯のみを大事そうに抱えて、必ず一度は顔を出す少女。そのまま文句の一つでも述べるのか、あるいはそのままお茶に誘われるのか。春先の天気の具合みたく杳としてうかがえぬ、ふよふよとした曖昧さ。誰にでも、平等に無愛想に――そういう感じが、霊夢というヤツの生き様であったはずなのだけれど。
しょうがないから一度辺りをぐるりと飛んで回ってみると(神社の中にいるなら出てくるはずだ)、一箇所だけ障子が開いている。しんとした神社の、ハーモニーの中に無秩序に挟まれた断音符を思わせるそれは、ルナサの気をいたくひいた。試しに、わざわざ靴を脱いで手に提げ、そこから上がってみた。
上昇気流――。
どうでもいい一言だ。もちろん霊夢が覚えているわけはない。それでもつい、胸によぎる不安を紛らわせる為、お守りか何かのように口ずさんでしまう。
騒霊ヴァイオリストは静かに首を振った。
彼女は自分が口下手で、一緒にいてもあんまり楽しくない奴だとわかっている。つまんないやつだ。わたしだって、こんなやつは嫌だよ。下のメルランみたいに明るくもないし、リリカのように愛想よくもできないし。
いやあ、でもさ。
でも、しょうがないじゃない。
そう思っている。欠点とは往々にして、そういうものじゃないか。直そうとして、どうにかなるものかよ。自分が嫌で仕方がなくて、いつもそこばっかり見ていて気にして、怖がっているのだけれど、逆に、それ以外の自分、というものがうまく掴めないのだ。頭の中でさえ考えられない。誰にでもにっこり笑いかけたりするわたし。優しくて、明るい良いやつ。
無理だろう。
そんな簡単な話じゃあない。だからもう最初から失敗するイメージだけががんじがらめになってしまっているのだ。
それはもちろん単なる開き直りである。強がりだ。でも、そうでもしないと、立っていられない。
ここにはいられないのだ。
「上昇気流……」
そんなルナサが、初めて霊夢と話した時の。
彼女だけが覚えている、鮮明な思い出だったのだ。
「……寝ているな」
そこにはこんもり膨らんだ布団が敷いてあった。
頭だけにゅっと布団から突き出している奴こそ、探していた博麗霊夢その人であるようだった。あっち向いている。部屋の敷居の障子を開け放った格好のまま、少しばかり迷っていた。
声をかけようか。でも、疲れているんだろうか。起こしても構わなさそうだけど。寝顔見えない。まだ昼だ。いつものお遊びみたいな仕事(やる気なく箒をかけるポーズをとったり、縁側で茶を啜る事)はいいのか。ああ、寝顔は可愛いような気がする。私を布団敷いて待っていたのか。わたしのお布団はないのか。
うう、ああ。
結局、あっち向いた霊夢の寝顔が見たくて仕方がないから、とりあえずあがる事にした。
ルナサは後ろ手に戸を閉めた。
※
何度言っても。何度同じ言葉を言って聞かせても、霊夢は名前をきちんと覚えない人間だった。ルナサ・プリズムリバー。それがわたしを表す言葉であって、一欠けでも足りないならそれには意味がない――というような事を、何度伝えてもあいつはやっぱり、「面倒じゃない」といって聞かなかった。ルナサと呼ぶんだから、それがアンタなんだから、それで十分でしょう、と。
あるいは単に名で呼ばれる事が、そこはかとなくむずがゆいような、そんな気持ちになるからかもしれなかった。ルナサは覚えのない感覚にとまどっていて、それを持て余し気味だった。
――霊夢、霊夢。
記憶の中で振り向くあいつは、自分の名前を呼ばれても、ぜんぜん、平気な顔をしていた。
どうでもいいのだろうか
それは、わたしがあいつにとって、十把一絡げでしかないからなのか。けれど、そもそも彼女にとっての「特別」という認識は、はたしてわたしたちと同じ価値観なのだろうか。全てを平等に見下ろす博麗霊夢は、名を呼ぶ一々の区別が、できているのだろうか。
ときおりそんなわけのわからない不安に駆られてどうしようもなくなる。今のところも、ルナサが神社を訪れるだけの一方的な関係だった。音楽に興味がないのか、それともルナサ自体に興味がないのか、それとなく告げたコンサートには二度とも霊夢はやって来なかった。
だからルナサは馬鹿みたいに、思い出を口ずさむのだった。
か細くて、触れた瞬間に途切れてしまいそうな言葉だった。そこには祈るような、あるいは縋りつくような響きがあって、しかしルナサ自身は無意識に気づかないでいた。
上昇気流――。
ここまで言葉を大切にあつかった事はあんまり覚えがない。ルナサの音楽は姉妹の音楽という事になるし、それはつまるところ調和である。かもしれない。言葉、歌詞、それらは使うものでしかなくて、音の出るという部分ではあくまで楽器と同じものだった。
けれど今のルナサはあたかも中毒患者のごとくに、たった一つの言葉を、込められているはずの意味をただひたすらなぞっている。
一人なのかと訊かれた。何の事かと尋ねると、もう一度同じ事を訊かれた。
もちろん、他に誰もいない。
彼女の余韻がいつまでも胸にこだまして薄く薄く伸びていく。霊夢にとっての特別とは、なんなのだろうか。
――別に、そんなの。
「アンタだってそうじゃない」
「私が?」
「一々こんな外れまで飛んできて、話し込んだりするだけで帰って行くの、アンタぐらいしかいやしないわ」
「……それは。……そうか」
いつだか何のひねりも裏もなくそう告げられた。さらりとした言葉はなんだか怖いぐらいに整っている気がした。
自分が話し続ける事でその神性が失われてしまうのではないかと、迷う。結果として口をつぐんでだんまりを決め込む形になってしまって、それで、碌に返事もしない奴みたくなる。実に嫌な気持ちになるのだ。
もう、どうしようもないそれを、しかし霊夢はただ、黙する事でやんわりルナサを急かした。彼女の無言が、呆れたというものでなくて、純粋に自分の次の言葉を待っているのだと、最近になって気がついた。幻想郷の奴等は騒がしい連中が多すぎる。その中で、ルナサの小さい波紋は他の大きな音に蹴散らされてしまう。けれど、霊夢はまるで大海のように、ルナサを受け止めてくれた。
離れなさい。霊夢が言った。
今の霊夢はぎりぎりと眉を寄せてあまり見た事のない表情をしていた。
ガラガラとした、腹の底から無理矢理絞り出しているかのような低い低い掠れ声。薄い布団の中で悪寒に耐える彼女は、酷く年相応であるように見えた。
「けほ。移るわよ」
「……あー」
「移るってのは方便で、早い話がさっさと帰って欲しいから言ってんだけど」
「それは違う。私は、その」
つっけんどんな彼女の言い草に、頭で考える前から、違うと言い返してしまっていた。熱っぽい、いつになく力ない視線。物言いたげなそれがじっと頬に突き立てられているのを感じた。あえて目を合わせずに、布団の足元の方ばかりを見ていた。
「別に騒霊は、風邪ひかないし」
「ずいぶんうらやましい話じゃない」
けほ。空咳。喉がからからと干乾びてしまって、上と下とがぴったり張り付いてしまっているかのような音だった。
けほ。けほけほ。
「辛いの?」
「……辛くないように見えるのか」
皮肉っぽくて、どこか責めたてるような声だ。
「別に死にゃしないから、早いとこどっか行って頂戴」
そっぽ向いてぐるんと反対に寝て、布団をもぞもぞさせながらそう言われた。
博麗の巫女は死なないようだった。
「ふうん……」
「けほ、けほ」
「わたしは……」
最近、死ぬ事ばかりを考えている。
時折どうしようもなく息苦しくなる。空の飛び方を忘れ雁字搦めにされて地の底へと突き落とされる夢を見ている。
もちろんそれは霊夢には到底関係のない事だろう。
彼女はそんな夢を見た事もないに違いなかった。
「最近、死ぬ事ばかり考えてる」
「ふーん。なんで?」
「私たちの行きつく先」
「人間でもおんなじとこ行くけど」
「ああ、いや……欲望を、持たないと」
「欲望?」
「私たちは一度役目を終らせられて……戻ってきた。今は楽団をやってるのだが」
「場所が遠くて、ねえ。今度はもっと近場でお願いするわ」
「――善処する。お葬式に、奏でた曲を録音されて、きれいだからって毎日寝る前とかに聞かれると、何のための音なのか、私は、よくわからなくなる。道具だから。私たちは……」
「んー」
「死んでるんだろうかって、時々考えてる」
「死にたいの?」
「……二人がいるから。それに、霊夢と話しているのも楽しいし。私たちは三つで一人前分だから」
「……それってよーするに死ぬ気はないんでしょ?」
「でも、考えてる。人間でも妖怪でもなく誰でもない私たちのその先の方を」
そこで何度か、けほと霊夢が咳き込んだ。何かを言いかけて、また何度も咳をして、呻いた。長々と話し込んでいたのがよくなかったのかもしれない。
人間なら、頭に布の濡らしたのでもかければ良いのだったか。
「せっかくだ。何か作ってあげる」
「げほっ。別にんな事いいんだけどね」
ちらりと横目で何もないところを見ながら霊夢が言った。
※
「驚くほどに何もないな。……何が食べたい?」
「おそば」
「よし。おうどんにしよう」
「そんなのあったかしら」
「乾麺を持ってきている」
「これは有能」
メルランもリリカもまったくおうどんを茹でようとしないし、二人とも茹でても食べないので、死ぬほど余っているのだ。楽団をしていると何故だか乾麺を差し入れられる。この間棚の奥から四年前の日付のおうどんを発見してルナサは戦慄したのだ。
その点博麗の巫女はえり好みしない雑食のようだった。食べられればなんでもいいのかもしれない。
「いいわね。おそばも好きだけど、おうどんも嫌いじゃない」
「そうか。それは良かった」
「奥から覚えのない食べ物が見つかるってのは素敵じゃない?」
「そうかな。そうでもない気がするが……」
霊夢はそうなのかもしれないと思った。
幸い卵が見つかったのでそれを落とす事にした。
「あれだわ。お見舞いのフルーツってのが……」
「誰か持ってきたのか?」
「いや、ない」
「じゃあ、次の時にはメロンか何か持ってこよう。お見舞い代わりにでも」
それはメロン(隠語)であるのだが、病床に伏せる霊夢に言っても仕方あるまい。
おうどんは熱いので気をつけてふーふーするようにと言い聞かせる。枕元にぺたんと座って、赤い額に布の濡らしたのをかけてやっている。
そうやって、未来の約束事ができるのも、ただの幽霊にはできない事かもしれなかった。
弱った霊夢に優しいルナサがよく似合ってました
どこか照れたような霊夢がかわいかったです