Coolier - 新生・東方創想話

花果子念報コラム選その2

2016/08/28 13:02:04
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 雲居一輪氏、物部布都氏、鬼人正邪氏にコラムを寄稿していただきました。
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1「諸君、私はお酒が大好きだ」 (雲居一輪)

ビールが好きだ。日本酒が好きだ。焼酎が好きだ。梅酒が好きだ。ウイスキーが好きだ。ウォッカが好きだ。ワインが好きだ。リキュールが好きだ。
バーで。居酒屋で。食堂で。路上で。縁側で。寝室で。本堂で。屋根裏で。
この地上で行われるありとあらゆるアルコール行動が大好きだ。

飲んでおいしい、騒いで楽しい。
お酒を飲んでいる時間は、俗世のすべてから解放される。
おお、なんと素晴らしいことだろう。

狭い世間に小さな集落。そして共同生活を送る仲間たち。
私はみんなを家族同然に愛しているけども、些細な原因で行き違うことも少なくない。
目玉焼きに何をかけるだの、読経のセンスがどうだのと、下らないことで言い争いになることもしょっちゅうだけど。それも当然のことだ。
だってみんな違う存在なんだから。ぶつかることもそりゃぁある。

そんな時こそ酒だ、酒の力に身を委ねるんだ。
飲んで騒いで馬鹿みたいに笑えばすべてが丸く収まるんだ。

私が寺のクルーである鵺さんと言い争いになったのだってつい一昨日のことだ。
原因は何だったか。たしか料理の味付けについてだったと思う。
健康を考えて薄味にすると言う私と、ロールキャベツの1つにデスソースを注入しろと言う鵺さん。
食事は休憩だ、安息の時間なんだ、と主張する私。食事はイベントだ、刺激が必要なんだ、と引かない鵺さん。
お前は仕事してないから食事に刺激なんて求めるんだこっちは疲れてるんだ、と続ける私。ぬええええええん、と泣きだす鵺さん。
実に下らない言い争いであった。
冷静になってみればそれこそ好みの違いだ。
でもその時の私は自分が正しいと思ってたし、鵺さんも自分が正しいと思っていた。
去り際に調味料一式に正体不明の種を付けて行きやがったことに関しては向こうに非があるとは思うものの、全体を通してみればどっちもどっちなつまらない出来事だったと思う。

そんな時は隠しておいた一升瓶とコップを2つ持って会いに行けばいい。
夕餉をいただきお風呂も済ませて、口直しに甘いものを食べていた寅さんを慰め、就寝前のふと落ち着いた頃合いを見計らって、突撃。
向こうも心得たもので、私が部屋に侵入すればやれやれといった具合に笑みを浮かべる。
そういう時のお酒は少なめでいい。
一升瓶2つじゃ物足りないけど、ほろ酔い程度がちょうどいい。
私も向こうも謝らないし、私も向こうも許したりしない。でも杯を交わせば喧嘩は終わり。
酒に溺れるんじゃなく、酔ったことにしてなあなあにする。

そうやってどうでもいい問題は放棄してしまおう。どうせ明日も見る顔なのだから。
これは決して堕落でも妥協でもなく、現実を生きる上での知恵だと思っている。
私たちがお互いを真に理解しあえる日なんてものは、きっと来ないだろう。
でも、誤解したままでも、こいつわかってねーなと思いながらも、共に過ごすことはできるはずだ。

人との関係でうまくいかないときは、お酒の力を借りればいい。少しの妥協が物事をするりと進めてくれる。
異なる者が共に生きるというのは、きっとそういうことなんだと思う。

だからもうちょっと情状酌量と言うか規制緩和と言うか、みんなアルコールに対してもう少し寛容になってもいいと思う。
頭ごなしに否定するのではなく、つまり、いい所はいいと認める形でね。

誰とは言わないけども、火に油を注いだのはあんただろとも言わないけども、人が仲違いしていた仲間の間を取り持とうとしているところに割り込んできてお酒を取り上げるのはちょっとばかり心が狭いんじゃないかなーなんて思わなくもない。
もちろん宗教上の理由で飲酒を制限するというのもわかる。でもだからといってまだ半分も飲んでないのを没収はないんじゃないだろうか。
まあ、ほとぼりが冷めたあたりで取り返しに行ったけども。
隠し場所も動体を検知するトラップ魔法の構造も知っていたので奪還は容易だったけども。
なんかムカついたからその場で布都さんとかマミさんとか関係者みんな呼んで宴会の続きやったけども。

とにかく。
酒は百薬の長。その力を正しく使えば、なかなか解決しがたい対人関係のいざこざを永遠に棚上げにできる。
現実は決して甘くない。私たちは潔癖症じゃいられない。
零か百かで考えず、潰れない程度に嗜みましょう。
そうすれば、酒は人生のよき友となれるのです。



2「自戒」 (物部布都)

西日に染まる人里。長くなった影を踏みながら帰路へとついていた。
気付けば間合いであった。
こちらの油断もあっただろう、しかしこのタヌキの足運びや気配の消し方はそれ以上に完璧と言えた。
私もとっさに驚きを隠そうとしたがこいつにはそれもお見通しだったようで、化け狸は満足そうに笑いながら馴れ馴れしく話しかけてきたのであった。
確かこんなやりとりだった。

「やあやあお若いの、そんなに急いでどこへ行く」
「あっ、人違いです」
「まあまあ、そう言うな……、行くな行くな行くな行くな待たれいよ」

去ろうとする私の肩を後ろから掴むタヌキの手には、せっかく見つけたオモチャを手放すまいとする力強さがあった。
つまり、連れが店から出てくるまでの退屈しのぎを探していたようであった。

「のう親友、ちょっとした勝負をせんか? なに、手間は取らせん、単なる暇つぶしじゃ」
「誰が親友だ誰が、我に構うな」
「まあまあ」

構うなと言っているのにすり寄ってくるタヌキを排除したいのは山々であったのだが、その時に私にはそれをするには『話を聞く』というのが一番手っ取り早いように思えた。
もう勝負でもなんでもしてやろうじゃないか、と実の所暇を持て余していた私は続きを促したのであった。

タヌキが言うには、ここにいる人間たちをどう化かすかで勝負がしたいらしい。
やる訳ないだろ馬鹿なのかこいつは、と私は反射的に思った。
お互いにいっぱしの術者である。相手の土俵で勝てないことくらいわかりきった事だ。
しかしあとに続けられた勝負の条件は、私のツッコミを封じる程度には粋なものであった。

「お主が勝ったら一杯おごろう」
「お前が勝ったら?」
「割り勘でどうじゃ」

ふふんと鼻を鳴らした酒が飲みたいだけのタヌキ面は確かにウザかった。
ただ、ナンパの仕方としては面白いと思ったので、今度私も使おうと思う。
駄目な奴からでもいい所は学ぶべきだからだ。

単なる飲みへの誘いだと言うのなら乗らぬ話でもないし、ついでに化け狸のお点前を拝見できるのなら後学のためにも見てみたいものだった。
そう思った私はタヌキに対して勝負を受けることを伝えようとした。しかしその刹那、私の頭の中に太子様の言葉が蘇ってきた。

術は使うためにあるのではない、原理を知るためにあるのだ。
身を護るためならいざ知らず、いたずらに民に向けるなど言語道断である。

偉大なる導き手であらせられる豊郷耳神子様。かの聖徳王の御言葉であった。

道術を用いた秘術の数々は、それぞれに強力な効果がある。
悪鬼羅刹や修行を積んだ術者が相手ならばともかく、神秘に対して無知な相手ならば無抵抗に蹂躙できるほどだ。
例えるならば、医師が飲み物と偽って毒を渡すようなものだ。そんな事をされたらお手上げ、どうしようもないだろう。
それほど危険なものなのだ。

道の探究には長い時間をかけた修行が必要である。
これがなかなか大変な修行で、つまらない術ひとつ習得するだけで途方もない時間を費やすことになる。
その道のりは想像を絶するほど険しく、不退転の覚悟が無ければ到底進めないだろう。

だがそれだけに、長い修練の果てに技術を会得した時には、心がおどる。
昨日までできなかったことが今日できるようになっていることに気付いた時など、胸がすくような気持ちだった
その自分が高みに上ったという確かな自覚には、感動すら覚える。
ましてやそれを実際に人に向かって打ち込むなどといったら、もう堪らないだろう。

だからこそ術を学ぶ前に、必ず先に心を学ぶ。
鋼の如き自制心が無ければ、力を持ったところで力に溺れるのがオチだ。

それでも誘惑は強い、いつしか私も力の発露が修行の目的になってしまうかもしれない。
力の歓喜を無限に味わうために、次の力のために次の次の力のために。

宇宙の真理を解き明かし、道と一体になる。
それこそが道教であり、道士の本懐であるはず。
到達点は遥か遠い。
にもかかわらず、術を繰り、力を示すことに優越感など覚えているようではたどり着けようはずもないではないか。

それを思い出した私は、タヌキに断りの言葉を投げたのであった。
力とは無為に示すものではない、とな。
だが飲みになら付きあってやってもいいぞ、とな。
この時の私は最高にかっこよかったと思う。

そうしたらあのタヌキ、拾った小銭を警邏に届けるよう説教してくる正義漢を見るような目で私を見てくるではないか。
醜い本性を晒したタヌキが耳を覆いたくなるような下劣な雑言を口から吐き出してくるが、私の心には入らなかった。
人を挑発するための語彙をよくもここまで豊富に取り揃えているものだといっそ感心してくるが、彼奴の性根がこれでもかというほどに体現されたその罵声を止めたのは命蓮寺の住職、聖白蓮であった。

幻想郷の誰よりも焼肉を愛するカルビストとして業界では有名なこの破戒僧は、側にお供を従えていつの間にやらタヌキの後ろに立っていた。
気配を消したまま振り下ろされた拳により、往来で口汚く人を罵る悪いタヌキの身長が数ミリほど縮んだように見えた。
例え寺の者であろうとも、有象無象の区別なく彼女の鉄拳は許しはしないようだ。

頭を押さえてうずくまるタヌキを下がらせた住職はどうやら話の一部始終を聞いていたらしく、その必要もないのに私の前へとしゃしゃり出てきた。
そしてタヌキに向かって行いを改めるよう諭すようなことをいくらか言い出したかと思ったら、なぜかその矛先が私の方に向いて来たのだった。

「それにあなたもです」
「我がどうかしたか?」
「何も恥じることはありません。できないことはできないと言っていいのですよ?」
「いや別に出来ぬとは言わんが、化け狸程じゃないにしても」
「強がりはいけません、そのような事をしても得るものなどありはしないのです」
「別にそういうつもりではないのだが」
「ふふふ、私だから可愛らしいと思えますが、そろそろ大人になるべきですかね」
「だからみだりに人に向けるべきでないと言っているだけでできないなどとは言ってはおらんと」
「はいはい、そうですね、ふふふ」

なんなの?
なんでそう決めつけて来るの?
文字で書くとそうでもないかもしれないが、実際言われた時の不快感はハンパじゃなかったぞ?
この寺では人をおちょくる言い回しが必須科目なの?

仏教野郎は自分の正義を確信していた。
そしてタヌキは違うと察しつつも、そうだったのかすまんの、などと半笑いしていた。
思い出すだけで腹が立ってくる。
後ろに控えていた一輪だけが、いやーそうじゃないんじゃないかなー、と言っていた。
あいつはいい奴だ。

思い込みで馬鹿な事言い出す奴が一番腹が立つ。
しばらくやり場のない怒りに震えていたのだが、そこでひとつ気付いたことがあった。

こいつらは悪鬼羅刹かつ修行を積んだ術者であるのだから、ぶちのめしてもいいのではないか?
確かに術の乱用は控えるべきだが、公衆の面前で名誉を傷つけられて黙っていては道士としての沽券に係わる。
正論に囚われ、修業の本質にばかり目をやり、それ故に目の前の暴挙を見逃すこと、これもまた道にあらず。
私はそう自戒し、武器を取った。

その結果、私がいかに鮮やかに痴れ者どもを薙ぎ払ったかは、この新聞の1面を見ていただければわかるだろう。



3「見えざるものを見よ」 (鬼人正邪)

やあみんなお待たせ。
今日もレジスタンスの活動記録をお茶の間にお届け、鬼人正邪の『逆さまコラム』のコーナーだぞ。
私のコラムのために専用のタイトルロゴをデザインしてくれると言うので、私は今から楽しみだ。

*編注:氏に約束したタイトルロゴですが、諸都合により次回以降となります。

ところで前に私がコラムに寄稿した時のことなんだが、アレを読んで私と橙がコラムの書き方がわからず射命丸の原稿を見ながら書いてたことを見抜いた奴がいてガチビビりしてるよ。
あんたすげーよスクリプターかよ。
確かにマネして書いたよ、私も橙も書き方知らなかったもん。
1人だけだったけど気付く奴がいるとは思わなかったよ。

では本題に入ろうか。
本来はコラムって前振りとか無しでいきなり本題に入るものらしいしな、まあ私は前振り書くけど。

では本題に入ろうか。
知っている人がどれほどいるかはわからないが、妖怪の山の南側中腹あたりに幻想郷中央図書館という有料図書館がある。
いわゆる貸本屋とは違い、入場料さえ払えば閉館時間まで中の本を読み放題という画期的な施設だ。椅子もある。
入場料も安いし管理者によって運営されている公的な施設なので、税金を納めているのならば遠慮なく利用するといい。
魔道書のような一点物を除いて幻想郷内で出版された書物は全てこの図書館への納本義務があるため、品ぞろえもピカイチ。
人里の人間が書いた本まで網羅しているため、背表紙を眺めているだけで1日が終わるくらいに充実した図書館だ。

さてそんな中央図書館だが、納本の他に寄贈制度もある。
絶版やらなんやらで手に入らなくなったレアな本を図書館へ寄贈し、知識を持ったプロの手で丁寧に保管してもらうという制度だ。
もちろん所定の手続きを踏めば貸し出しも可能だぞ。

その寄贈本だが、実のところ内訳は絶版書よりもむしろ『外の世界の書籍』が主だったりする。
存在そのものが珍しい幻想入りした書物を、誰でも自由に読むことができる。
小説、雑誌、新聞に加え、よくわからないムック本から飛び出す絵本まで、異なる文明を築いてきた知性が生み出した情報がそこに綴じられているのだ。

これを耳にしたレジスタンスの頭目、少名針妙丸が自分たちも寄贈をするぞと目を輝かせてしまった。
正直私は感謝されるのが嫌だったのだが、言い出したら聞かない我らが姫を止めることなど誰にもできず、つい私の持っていた漫画本をシリーズ一式寄贈することになってしまった。
レジスタンスには『公共の利益になることをしよう』という冗談のような活動があり、その一貫なのだと姫は息巻いていた。
誤解の無きよう断っておくが、今回のことは針妙丸が図書館という知識を共有し、勉学によって己を高めるシステムそのものにいたく感動してテンションが上がっちゃったがためのごく例外的なパターンであり、普段から部下に私物を手放すように要求してくる訳ではないことは明記しておく。
我らがレジスタンスに加盟したいという方も、この点は安心してほしい。
さて、結局言われるがままに本を寄贈してしまい、姫を甘やかすような結果になってしまった気もするのだが、私としても自分のしたことが記録に残り、確かに人から認められたという経験を針妙丸にさせてやりたかったのだ。
だからしょうがない。
あの本は人から譲られた大切なものだったのだが、後悔はない。

それはさておき針妙丸が寄贈した進撃の巨人1~10巻と、私に寄贈させた幽々白書と電撃ピカチュウとプラネテスのそれぞれ全巻であるが、これが図書館で大変な人気となり貸し出し希望者が続出する事態となってしまった。
知っての通り幻想郷では漫画本自体めったにお目にかかれない物であり、例え続き物の一部であろうとも漫画本というだけでレア物として高値で取り引きされる代物である。
基本的に誰も図書館に寄贈しようとはしない物だ。
現にその図書館でも漫画本は巻数がバラバラのゴルゴ13と美味しんぼが何冊か置いてあるのみであり、それらもあちこち折れて剥がれての酷い状態であった。
それがシリーズ一式まるごと美品で貸し出されるというのだから、その人気も推して知るべしと言ったところだ。

結局、貸し出しの予約が収まったのは寄贈から数ヶ月後のことで、私たちが起こした異変があらかた終息してからのことになる。
いい具合に漫画本が客寄せとなり図書館の利用者自体が増加したとして館長から大変丁寧な謝辞もいただき、針妙丸も自らの活動が世のため人のためになったのだと喜んでいた。
感謝など性に合わない私ひとりが自己嫌悪に陥っていたが、この際些細な事だとして沈黙することにした。

さて、実はここからが本題になるのだが、寄贈した漫画本は何人もの利用者によって読まれ、仕舞われ、保管されてきた訳であり、当然ながら幾ばくかの傷や汚れが本の表面を飾っていた。
図書館という施設の性質上やむを得ないことではあるのだが、貸し出しされた本の中に一冊、不自然なほど傷がついたものがあった。
電撃ピカチュウをずいぶん乱暴に扱う奴がいたものだと呆れたが、よくよく確認してみるとその本は私が寄贈した物とは発行日が違っていた。
私が寄贈した漫画本はすべて初版だったのに、その本は三刷りであったのだ。

妙だと思った私はすぐさま司書に確認を取り、電撃ピカチュウの1巻がこの図書館に1冊しかないことを確かめた。
その上で蔵書印という図書館の所有物であることを示す印を確認すると、確かに中央図書館の判が押されているのだが、よく見ると判の朱肉の色が微妙に違っていた。
その点を指摘しても司書はその程度ならば単なる思い過ごしではないかと首をかしげていたが、奥から現れた館長に続けて相談すると、ついこの間返って来たときは確かに綺麗な状態だったし、こんな短期間で紙が変色するほど日焼けすることはあり得ないと援護してくれた。

調べてくれるという館長の言葉もありその場はそれでお開きとなったのだが、それから数日後、八雲の魔の手から身をかわしながら本の調査も並行して行うというアクロバティックな生活を送っていた私の元に、図書館からの連絡があった。
妖怪の山で不定期に行われる競売に、当該の漫画本が出品されていたことがわかったという話だった。
落札者に連絡を取り本の状態を確認したところ、同シリーズの他の本と同等程度の損耗と蔵書印を削り取った跡が認められ、盗品として返還してもらえることになったそうだ。
つまりこの本の出品者はたまたま電撃ピカチュウの1巻を所有していて手放そうとしていたのだが、より高値で売れるであろう新品の本とすり替えることを思い付いた。
判子職人であったらしい彼には図書館の蔵書印を真似ることなど朝飯前であり、まさかそんなものを偽造する奴がいるとは誰も思わないだろうと考えたのだそうだ。

その思惑通り漫画本はかなりの高値で競り落とされたそうだが、彼には想定することができなかったことがあった。
本の状態に気付き、疑いを気のせいで終わらせず人に相談する者がいたこと、1冊の本の所在を確かめるためだけにツテをたどって競売にまでたどり着く者がいたこと、そして、その話を横で聞いてブチ切れた者がいたことを。
この図書館は公共の施設、その備品は間接的とはいえ大きな括りで言えば八雲の管轄。
それを盗まれ、欺かれ、私欲を満たされたことを、『舐められた』と感じた猫又がいたことを。

これさえあれば私が動けるんだと言って館長に特殊な被害届みたいなものを書かせ、捕獲目標である私を置いてすっ飛んで行った橙についていくと、そいつは通常の山道を無視した最短経路で競売の主催者の自宅へと赴き、八雲の名を振りかざして出品者の個人情報を主催から吐き出させた。
なぜ彼女が競売の主催の住所など知っていたのかはわからないが、穏便に済ませたいと言って協力を渋る主催に『狐呼ぶ?』などという凶悪な脅しをかけるような奴にそれを聞く勇気は私にはなかった。

そこから所定の手続きを踏んだ天狗による捜査で犯人は無事検挙されたのだが、館長に相談してからまだ1週間も経っていなかった。
数日で本の行方を突き止めた館長にしても、その日のうちに関係者を洗い出した橙にしても、その翌日には犯人までたどり着いた天狗たちにしても、横からほぼ見ていただけの私からはプロすげぇという感想しか出て来なかった。
不謹慎ながら、このような貴重な体験をできたことに喜びすら覚えたほどだった。

さて、この話をすることで私が何を言いたいのかは、みんなわかっているだろう。
それは漫画本が貴重品だということでも、物を盗んではいけないということでも、プロの仕事は信じられるということでもない。
一番大事なことは、真の問題は出題などされないということだ。

現実には、『では問題です』も、『さあ解いてみろ』も存在しない。
あのすり替えられた漫画本だって、私が気付かなければそのままスルーされていただろう。
真に解決すべき問題は何も言わずにそこらに転がっている、あるいはどうか解かないでくれと隠れて震えている。
私たちはこれに気付かなければならない。
出されてもいない問題に気付き、解けると信じて行動した時にだけ、結果は訪れる。

だからどうか、何か変だと感じた時は疑問を捨てずに考えを続けてほしい。
無駄足になることももちろんある。
それでもなお懲りずに、きっと何か理由があるのだと挑戦してほしい。
何気ない日常に潜む、些細な異常に喰らいついて離さない。
これこそがこの狭い社会で生きるのに必要な素養で、時に自分の身を守ってくれる大切な力なのである。
そういうものだと、私は思う。





<花果子念報より抜粋>
20度目ましてこんにちは。

2時間の話し合いで解決しなかった問題が、1杯の酒で霧散する。
間合いって書いてエリアって読む。
誰も言葉になんてしてくれないけど、気付くと楽しい。

そういうこともあるってことで。

どうでもいいですがコラムって聞くとどうしても新幹線三景が思い出される。
それではまた。
南条
http://twitter.com/nanjo_4164
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橙は敵に回しちゃいけないのがわかりました
一輪さんは達観してるなあ
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いちふと仲良い
11.100名前が無い程度の能力削除
毎度キャラの造詣の深さに脱帽しております。
とても良い作品でした。
12.90絶望を司る程度の能力削除
面白かったです。なんやかんやで橙と正邪は仲がいいような気がする。
14.100面妖うわあうな‼削除
文章・伏線、読み易さ共に素敵でした
続編が楽しみで仕方ありません
16.90名前が無い程度の能力削除
『狐呼ぶ?』 なんて恐ろしい脅し文句なんや…。夕方に