Coolier - 新生・東方創想話

通り過ぎて行く不思議たち

2016/07/27 07:34:46
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 休日電車に乗って河原町まで出てくるときは、なるべくなら午前中から用を済ませてしまうことにしている。用の済んだ私は町を歩く。四条の大通りをあえて避け、細い横道を渡りながら、寺町、新京極と商店街を当ても無く見て歩くのは暇のあることである。
 私はときどき、この人混みの中で、観光の目当ても買い物の目当ても無くただ散歩をしているという自分のような人間が、いったい他に何人くらい居るのだろうと思うことがある。これは誰に確かめることも出来ない疑問であって、そんな暇好きな人は自分以外に居ないのかもしれないし、案外全体の一割に入るのかもしれなかった。首を回してみれば、周囲は誰もが気ぜわしげで、数人連れの人々は何かを話し、一人の人は歩みが速い。
 その日も、用あって来た河原町をうろついていると、突然メリーから連絡が入り、丁度お互い近くに居るので食事にでも行こうということになった。
 端末の画面上で「食事」という固そうな二文字を見たときはどうも大袈裟な感じがしていたが、実際に寺町通りでメリーの顔を見ると、いつもの通り、力の抜けた目でにこにこしながらショーウィンドウのオムライスを指差していたので安心した。
 オムライスを食べる気かなと思って店に入って行くと、メリーは壁際の席に着くなりすぐに店員を呼び「オムライス二つ」と私の分まで注文を注げた。運ばれて来た皿には、果たして注文通りの品が飾られてある。
「この店、何か有名なの?」
 そう私が聞いたときにはメリーはすでにスプーンで食べ始めながら「美味しいわ」と得意そうだった。
 私はスプーンを持ち上げる前に、蒸し暑い気がしてシャツの袖をまくりあげた。平日の、半端に早い時間帯でもあるためか、店内はがらんと空いていたが、六月下旬の空気は閉じきるとすぐにぬるまるようだった。メリーの後方、奥側の壁は鏡張りになっており、ただでも空いている店内をいっそう広く見せる工夫になっていたが、私はまるで広場の中心にでもいるような思いがして落ち付かなかった。
 皿から口へ、金色をしたスプーンの先を往復させながら、いくつかの雑談があった。黄色い玉子の生地に赤いケチャップのかかったオムライス、子供っぽい色絵具で描いたような料理を食べていると、自然、二人の話すことがらまで他愛の無い内容になるようだった。
 次週の活動について互いの提案。それに対する大袈裟な意義付け。普段どおりの会議が終わると、将来に向けて考えるべきことのなくなったとき、不意に意識が進路を向け変えて過去へと焦点を結ぶように、話題はいつしか二人の思い出へと逆行していた。やがてどちらからともなく自分の話をするようになった。
「昔ね、不思議なことがあったのよ」
 手に持ったスプーンの凸面を眺めながら、メリーが話を始めた。
「不思議なことなんて今も頻繁でしょう」
 なんとなく混ぜ返してみたが、メリーは構わなかった。
「確かにそうね、それによく考えてみると、あんまり昔のことでもなかったわ。四年前よ。私、実家にいたの。春だったわ」
 私はメリーの実家がどんな様子か知らなかったが、今訊けば話が脇道にそれたまま肝心の不思議を聞くことが出来なくなる気がしたので何も言わなかった。代わりに、想像の中ではおもちゃのような赤い屋根と一つ窓の小屋にメリーを住ませて片付けた。
「一階の居間の南側に大きな窓があったんだけど、その窓の下に若木が生えてたの。もともと植えた物なんかじゃなかったから、何の木かは分からない。どこからか種が運ばれて来て、小さな芽が出ていたんだけど、三、四年経つと人の顔くらいの高さまで伸びちゃったのよ」
 メリーは話をしながら、既に曖昧になっている記憶を胸の底から懸命に引き出しているように見えた。その話し方が面白かったので、私はメリーの口をじっと見ていた。
「あの木は、木肌が白くてすべすべしていて、分厚い深緑の葉がたくさん繁って、私は好きだった。でも、とうとう邪魔になったからって、伐ることにしたの」
 ふいに目の前で金のスプーンが素早くひらめき、玉子をすくい上げてメリーの口に運んだ。
「それは、どうして窓の前に木が生え始めた時点で抜かずに放置しておいたのか不思議ってこと?」
 なんとなく混ぜ返してみたが、メリーは構わなかった。
「それでね、のこぎりを持って庭へ出たの。小さい安っぽい、工作用ののこぎりよ。木の方もまだまだ若木だったから、それでも十分だと思ったの」
「案外難しいでしょう。メリー一人でやったの?」
「うちの人も手伝って交代でのこぎりを引いたんだけど、手ごわかったわ。ある程度育った幹は、薄いのこぎりじゃ、途中で押すことも引くことも出来なくなっちゃうの。何のために斧ってものがあるのかそれで分かったわ」
「木を伐るためには日の当たる方角によって刃を入れる向きも考慮しなきゃいけないらしいわよ」
「うん、本当に、飲料の缶くらいの太さしかない木なのにどうにもならなかった。で、仕方がないから、根っこから掘り返して抜くことになったの。そのために周囲の土を取り除いてみたんだけど、今度は長い根が幾つも分かれながら地下まで続いているし……」
 私は、細い若木一本を相手に汗を流して途方に暮れるメリーの様子を想像して面白く思った。が、次に続くメリーの言葉には全く別の印象を持たなくてはいけなかった。
「それで私達、決心して、根っこを一本一本切断していくことにしたの。何故かしら、幹にのこぎりを引いていたときよりも、寄ってたかって残酷な気がしたわ」
「それは……」と言いかけて、やっぱり口を閉じた。何も言う必要が無いと思ったからだった。
「不思議だったのはこのあと。しばらく作業して、私が一番大きな根を切断した瞬間に、いきなり私の足元からムカデが這い出してきた。水が湧き出すみたいに現れて、さっと走って家の壁を上りはじめた。そうして三メートルくらいの高さで急に動きを止めてね、『好きだったのに』って、言ったのよ」
「言ったって、誰が?」
「私なのよ」
「なんだ、メリーか」
「言ったのは私なの。でも、そんなこと言うはずないじゃない。だからたぶん、木が私に言わせたのよ」
「それで、どうなったの」
「私、びっくりして動けないのよ。そのうちにムカデは屋根まで上って見えなくなった。木の精に祟られたのかもしれないわね」
 それでメリーの話はおしまいになった。
 オムライスを食べ終わると秘封倶楽部は店を出て、少し歩きながら、珈琲の飲める店を探すことにした。長話をしている間に太陽は中天から傾きかけていたが、商店街はまだ熱く、アーケードに降り込む日差しはむしろ明るさを増したようだった。食事時を過ぎ、人混みもまた増していた。
 思いがけず面白い話を聞いた私は、こんな不思議な思い出をメリーはあといくつ持っているのだろうと思った。


    ・


 気温の熱いせいもあって、表通りの喫茶店はどこも満席しているようだった。席を求めてうろうろ歩き、新京極と寺町の間の湿った横道でようやく一軒の喫茶店に入った。古汚い木馬やトルソーを何体も乱雑に置きならべて装飾に見せかけている変な店だったが、奥へ行くとほとんど他の客がおらず落ち着けた。室温も、丁度出された珈琲がすぐ飲める程度に涼しく心地よかった。
 そうして席に着いたとき、私もまたメリーの話に応えるためのささやかな経験に思い当たった。
「メリー、私もあったわ。不思議なこと」
「お互い不思議なことだらけね」
 混ぜ返してくるメリーに「そうね」と言いかけて、ふと、躊躇が私の喉を詰まらせた。
「ああでも、大した話じゃないのよ。不思議と言うほどでもないかもしれない」
 私は取り繕った。ずるく躊躇した行き詰まりを欺いてくれそうな、あの子供らしいオムライスの色は、こんな薄暗い喫茶店には見当たらない。
 しかし、メリーは聞きたがった。
「面白そう」猫が落ちているものに気を取られたときのように、全身の動作をぴたりと静止させながらそう言った。
「ええそうね、でも期待しても無駄よ。だって、ほんのちょっとしたことなの。メリーみたいに木の台詞が人の口を突いて出たりなんてしないんだから……」
「勿体つけないで言ってよ。第一、そんなささいなことをどうして不思議と思ったのよ。気になるじゃない」
 そう言うメリーの興味顔と、その椅子の背後で壁に立てかけられてそっぽを向いている木馬の顔とが、対照を成している。私はその対照に報いる必要を感じた。
「消しゴムの話なのよ」
 思い切ってそう言った。メリーは片眉を上げて、忘れかけていた単語の意味を自身の中で確かめるときのような顔をした。
「消しゴム?」
「ええ、……学生の頃に、教師の一人から消しゴムをもらったのよ。いや、昔のことだから、実際はもらったのか借りたまま返しそこねていたのか、記憶が曖昧だけど」
 私は話しながら、自分の口調が先ほどのメリーと似てきていることに気が付いて少し可笑しくなった。
「その教師の名前も憶えてないわ。担任だったわけじゃないし、特別親しかった印象も無いから……」
「それは、どうしてそんな人から消しゴムなんてもらうことになったのか不思議ってこと?」
 そう言ったメリーに、私は無論かまわなかった。
「白くて平らな箱型の、見た目はありふれた形の消しゴムだった。その消しゴムは、実はほんの先月まで愛用していたの」
「長生きな消しゴムね。それともよっぽど消しやすいのかしら」
「ええ、その両方だわ。この消しゴム、鉛筆の線が跡に残らない綺麗な消し味で気に入っていたんだけど、どんなに使っても不思議とちっとも大きさが変わらないのよ」
「ええ」とメリーが声を漏らした。驚きとも呆れとも疑いともつかない、一種微妙な相槌だった。
「この消しゴムで線を消すとね、まるで紙の上から線を拭きとるみたいでね、黒がゴムの表面に移ってしまうの。だから擦るのと違って滓もほとんど出なかった。ゴムが黒くなるだけなのよ」
「でもそれじゃあ」とメリーが疑問を挟んだ。「使ってるうちにゴムが真黒になっちゃうんじゃないの?」
「黒くなった消しゴムは水で洗うのよ。そうするとまた白くなったわ」
 こう話しているあたりで、ようやく自分の話していることの奇妙さが分かりはじめた。私は怪しく思いメリーの目を見た。彼女の目は注意深く私を待ち構えていて、私は話を続けなければならなかった。
「他人に話してみると、やっぱり変な話かもしれないわね。でも私、消しゴムを使ってるときは何も深く考えなかった。こんなこともあるだろうくらいに考えて、何年も愛用していたわ。試験を受ける時も、絵を描くときだって、その消しゴムが一番使いやすかったの」
 いつの間にか私は両手をテーブルの上に出し、指を揉み合わせていた。これから先の思い出を話すことに変な緊張と照れを感じていた。それは、木を伐ったことを話したときのメリーも同じであったに違いなかった。
「ただ、それが、さすがにずっと使ってるせいで横に亀裂が入っていてね、先週、部屋の机で課題をしているとき、数日前からほとんど割れかけてわずかにあやうく繋がっていた消しゴムを、ついにちぎって二つにしてしまった」
 私はメリーが「あらあら」とかなんとか言うだろうと思っていた。しかしメリーは何も言わなかった。
「本当に、ぎりぎりのところで繋がっているだけだったのよ。放っておいてもそのうちちぎれたと思うわ。今までにも、亀裂がひどくなるたびに、いっそ思い切ってちぎってしまおうかと迷ったことは何度もあった。でもそのたびに、自然に切れるまではあえて力を加えるまいと考え直していたのに、その日なぜかちぎってしまった」
 メリーは何も言わなかった。
「無意識の行動と言うわけじゃなかったけれど、理由や決心と呼べるようなものがあったわけでもない。ただ、終わりが迫りつつも、あんなにもこれまで通りだったものを、あっけもなく簡単にちぎってしまった自分の気まぐれが、何となくむごく、哀しく思えた……」
 そのとき、店の柱の高いところに掛けてあった時計が三時の鐘を打った。その音に秘封倶楽部はびくりとして、二人取り繕うようにカップの珈琲を飲んだ。ふと見回すと、店内に積み上げられたトルソーらの表情が、一斉に自分とメリーを取り巻いて見ているように思われた。先ほどまで聞いていない風をしていた木馬までが、三時の鐘と同時に驚愕の目を見張ってこちらを見ているようだった。
「ちぎった消しゴムは今も使ってる。でもね、以前より消しにくくなってしまったわ。まるで魔法が解かれたみたいによ」


     ・


 私はあの不思議な消しゴムの話をこのときまで自分ひとりの思い出として誰にも伝えず持っていた。きっとメリーの木を伐った話も同様であっただろう。メリーの手に携えられた不思議さは、私の手にも携えられるようになった。私の眼前を通り過ぎようとしていた不思議さは、メリーがすくい取ってくれた。
 珈琲を飲み終えて喫茶店を出ると、日は既に暮れかかっていた。
 道でメリーと別れる間際、私はふと気になって、「メリー、河原町で何していたの?」と訊ねてみた。メリーは夕焼けの映るアーケードを見上げながら「何も用は無いわ。ぶらぶらしていただけよ」と答えた。ぬるい風を受けてなびく金の髪が薄茜色の影を付けている。私は一種の予感を持ってメリーの返事を聞いていた。
「いずれ、お互いのことを思い出し、あれは何者だったのかと不思議に思うときが来る」


https://twitter.com/ubuwarai (ツイッター)
うぶわらい
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コメント



0.1540簡易評価
2.100ばかのひ削除
不思議を探している不思議な倶楽部
灯台もと暗しといえば陳腐ですけど互いに不思議だと思い合う日が来る時のことはちょっと想像したくないですね
伊弉諾物質の二人よりもっと日常的な二人で良かったです
3.100名前が無い程度の能力削除
不思議は生活の陰に溢れているのではないですかね
私たちはただそれが流れていくのをぼんやり眺めているだけで
5.100名前が無い程度の能力削除
そのたびに不思議に近づいてはすれ違っていく二人。思えば、一番近くにいる人間同士が、彼女たちお互いの生き方を象徴するものかもしれません
はっとさせられました
6.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
8.100名前が無い程度の能力削除
描写のひとつひとつが綺麗で思わず引き込まれてしまいました。明確な答えがあるわけではない不思議というものが、また秘封倶楽部の世界観にマッチしていたように思います。
10.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい……思えばうぶわらいさんの書く秘封はどれも「通り過ぎていく不思議たち」にまつわるものですね
11.90名前が無い程度の能力削除
雰囲気が好きです。秘封っぽい
14.90名前が無い程度の能力削除
素晴らしい。
いろいろな想像を掻き立てられる作品でした。
15.90名前が無い程度の能力削除
ちょっとした不思議が世にはいっぱい。案外もっと多くの人が、なんとなく理由もなく辻を歩いているのかもしれません。
17.100名前が無い程度の能力削除
今回も良い雰囲気の秘封でした。
24.90絶望を司る程度の能力削除
不思議な雰囲気で良かったです。
27.100名前が無い程度の能力削除
 楽しませて頂きました。
36.100名前が無い程度の能力削除
秘封倶楽部には永遠であってほしい
37.100名前が無い程度の能力削除
20年以上前、実家の蔵の床下に大きな手があるのをみました。
灰色で尖った爪のある、人の手のように5本指の大きな手。私はそれを鬼の手だと思いました。
今でも蔵はありますが、床下を覗いて見る勇気はありません。
43.無評価uya削除
不思議な感じが良いですね。
45.100名前が無い程度の能力削除
聞いてみれば、案外多くの人が「不思議」にまつわる思い出をもっているのかもしれませんね。
私の場合は、小学生くらいの頃、休みの日の朝に私だけ早く起きたとき、まだカーテンもしっかり閉じていて何の明かりもつけていないのにも関わらず、冷蔵庫の表面を直径8cm程の大きな赤い円の光がふよふよ漂っているのを見たことがあります。
少しまわりを流してみてもその出どころがわからなくて、アレは一体何だったんだろうと今でもふと考えたりしています。