どこに居ても孤独を感じる。そんな風に思ったのは、季節が秋から冬へと移り変わって、少し経った頃だった。
虫たちはもう冬眠をしている。私の傍には誰もいなかった。だからと言って、特別寂しいというわけではない。ただ、自分は一人なのだと思った。
毎日することもなく人里を眺めたり、川原で水切りをしたり、意味のないように思えることばかりをしていた気がする。
そんなある日、私は彼女に出会った。出会ったという表現は適切ではなく、私が「見つけた」と言う方が正しいかもしれない。彼女はまるで天狗のように、高い木の枝に腰掛けていたのだ。そうしてどこか遠くを見つめていた。何故だか目が離せなくて私は近くの切り株に座り、日が暮れかけ彼女がどこかに飛び立つまでその様子を見ていた。夕暮れの橙色の光が、氷のような羽を通してきらりと光っていた。
次の日も、特に予定のない私は昨日の場所にいた。彼女も同じように昨日と同じ、木の枝の上に腰掛けていた。一つ違ったことといえば、彼女が静かに泣いていたことだ。小さな肩を震わせて、何度も手の甲で顔を拭っていた。そんな彼女を見て、衝動的に彼女の居る場所まで飛び上がったのだ。
「これ、使って」
そう声をかけた。無遠慮だとは思ったが、放っておけなかった。私が差し出した白いハンカチを、彼女が少し驚いてから受け取る。それから私の目を真っ直ぐに睨んだ。
「いつから見てたの?」
彼女の目は充血していて、せっかくの青い瞳がもったいなかった。
「たまたま通りかかっただけだよ、本当だ」
私はとっさに嘘をついた。それはきっと、彼女に嫌われたくなかったからだ。
「きれいな羽だね」
私は話を逸らした。けれど心の底から思っていたことだ。一目見たときから、心を奪われていた。
「……触ってみる?」
彼女はおずおずと、ぎこちなく、私に笑いかけた。どうやら彼女には笑顔が似合うようだ。その愛くるしさに、私までつられて笑顔になった。
指を、彼女の透明なそれに伝わせると、体の芯が震えるような冷たさを感じる。そしてどうしてか、同時にくらりと眠くなった。
「きみは、氷精?」
私が混濁し気味な意識の中そう尋ねると、彼女は頷いた。
「私はリグル。リグル・ナイトバグ」
よろしくね、と続けてから、私は何をよろしくしたいのか、なんて思った。そのあと、彼女が自己紹介をしてくれた。名前はチルノ、冷気を操る妖精だという。
その日から、私とチルノは毎日のように一緒に居るようになった。明け方になると湖畔で待ち合わせをして、薄暗い星々に照らされながらダンスをした。朝がやってくると、紅魔館の門番に悪戯をしにいった。昼を過ぎると、美味しそうなご飯の匂いをもとても羽をはためかせた。
「なんか……眠い、最近、すごく、眠いなあ」
目を擦りながらそう言うと、チルノは伏目がちに小さく、そっか、と呟いた。そうして太陽がオレンジ色になる頃に、私とチルノは手を振ってお互いの家へと帰る。
普遍的な楽しさがあった。本当に、いつまでも続くように思えた。意味のないようなことでも、彼女と一緒にすれば、何だってうきうきした。もしかすると、私は本当はチルノと出会うために一人でいたのかもしれないと思うくらいに。けれど、何かがおかしい。
一人。
そういえば、初めて会ったときも、泣いていたときも、チルノは一人だった。それは、何故?
× × ×
「ブローチを作ったの、これはね、溶けない氷で出来ているのよ」
チルノが微笑んで私にそれを差し出した。ブローチは、きらりきらりと光を屈折させていた。とても綺麗だった。ちょうどマントを留めるのに良さそうだ。
「ありがとう。偶然だね、実は私もチルノにプレゼントがあったんだ」
過ぎていく季節に足跡を残したくなるように、彼女の中に私が居たらいいのに、そんな事を考えながら、私は昨日家中をひっくり返してある物を加工していた。
「これって、琥珀?」
「うん」
私が差し出したのはとろりと光る青琥珀の髪留めだった。
「嬉しい」
チルノは微笑んで、それから一滴涙を零した。
「ねえリグル、手を繋いでもいい?」
私はどうしたらいいのか分からなくて、そっと手を伸ばした。彼女のミルクのような肌は、今日も鳥肌が立つほどに冷たい。
「あ……」
いつもの眠気がやってくる。チルノと居るときは、何故だかよく眠たくなって。
「リグルと一緒だったこの数週間、とっても楽しかった」
いつも以上の冷気を出すチルノの気持ちに、気づき始めてしまう。人間も妖怪も、度を過ぎた寒さの中では生きられない。ましてや私は蟲だ。他のものよりも寒さには弱い。
「なんとなく、今日が来ることが分かっていたよ」
近づきすぎればいつかは凍えて、死んでしまう。
ぽとぽとと、涙が溢れる。私はチルノと出会って、ようやく一人じゃなくなったというのに。
君と出会わなかったら、私はどんなにこれから生きていくことが楽だったか。君が居た頃を思い出して、悲しさに飲み込まれることだってなかっただろうに。
「バイバイ」
震えた声がする。そうしてチルノの華奢な腕にぎゅっと抱きしめられ、私は意識を失った。
幻想郷から妖精一匹が消えたって、誰も騒がない。けれど、私からチルノが消えたら。
× × ×
あれからチルノのことは、一度も見かけていない。まだここにいるのだろうか。
春になると、蟲たちが私の元へと帰ってきた。彼らは私が冬の間にひどく心を沈ませていたかなんて知らない。だから、リグル様、リグル様、今日はどこまで行かれますか、などと明るく聞いてくる。
「あのね、私は忙しいの」
「忙しいって、毎日のように湖畔や森を訪れては、何もせずにぼうっとしているじゃありませんか」
二人で踊った湖の傍、木に上った森の中、何を思い出しても彼女の影が頭をよぎる。
「じゃあ、お使いを頼むよ」
蟲たちは喜んで、飛んだり跳ねたりしていた。
「おやリグル様、そのブローチは?」
ハチが目ざとく尋ねてきた。
「友達にもらったんだ」
そう答えると、蟲たちがざわめきだした。
「リグル様にご友人が!」
「喜ばしい!」
「あのリグル様に!」
好き放題にいわれているが、彼らは彼らなりに私を心配してくれていたのかもしれない。
「してそのご友人は何処に? ご挨拶に参らなくては」
「わからない」
蟲たちがきょとんとした顔でこちらを見つめる。
「でも、友達なんだ」
胸のブローチを軽く撫でながら、そう囁いた。
× × ×
見慣れない妖精を見た、と世間話の間に聞いたのは夏のことだった。無名の丘近くの池で、桶に水を汲んでいたという。花畑を散歩していた蝶が見つけたのだ。その妖精は、青空のような髪色をしていたという。羽は透明で、氷のように美しかったと蝶は言っていた。
「出かけよう」
皆にそう呼びかけて、私は丘に向かった。きっとそこに、私が探してやまない人が居るような気がしたのだ。
鈴蘭畑の近くまで進むと、ひんやりと冷気の漏れている洞窟を見つけた。蟲たちを外に待たせ、私は中に入ってゆく。懐かしい睡魔が私を襲う。
「チルノ、いるんでしょう」
暗闇の向こうから木を落とす音がした。私は小さな、青緑色の弾幕で足元を照らす。奥へ進むと、やはり、思ったとおりの人物がそこに居た。
「久しぶり、チルノ」
そう呟き近づくと、彼女は何か箍が外れたように泣き出した。わんわんと、声を上げて。
「リグル様?!」
チルノの泣き声に反応して、羽虫が慌てて飛び出してきた。可哀相に、冷気に当てられてへなへなと地面に落ちてゆく。
「どうして」
チルノがしゃくりをあげながら私を睨む。けれどその瞳は、私と過ごしていたときの、やさしいチルノそのままで。
「私は一人でいなきゃいけないのに、誰かと居たら、好きになってしまうのに。好きになったら、離れたくなくなっちゃうから、っ」
「だから来たんだよ」
チルノが目を見開く。ぽろりと涙が零れた。
「君の元で、私を永遠に眠らせて。そうすれば、私もチルノも、もう、一人じゃないよ」
あまりにも正攻法から外れている。けれど、こうでもしなければ、私たちは一緒に居られない。
「皆、元居た場所に帰って。私はもう、君たちを守れない」
洞窟の入り口に向かって呼びかける。何匹もの蟲が驚き戸惑っている空気が伝わってくる。そうして七割かの蟲が冷気に触れて死に、残りの蟲はその場から去っていった。
「ね、チルノ、泣かないで」
いつかのようにハンカチを取り出す。そうしてチルノの涙を拭った。
「抱きしめて」
それ以上の言葉は要らなかった。
チルノの白くて柔らかい体が私に触れる。同時に強烈な眠気が私を包んだ。最後に見たチルノの顔は、酷く穏やかだった。
× × ×
その日、幻想郷から一匹の妖怪が消えた。
良い雰囲気でした
最後に唸らされました。
このあとチルノは何を思うのでしょうか?