外の世界では、流星の予測も可能であるらしい――それを聞いた時、永江衣玖は「だからどうしたというのか」と思ったものだった。星の流れを触媒に使う魔法使いならともかく、外の人間がそれを理解することになんの意味があるのか衣玖には分からなかったし、よしんば当人たちには抜き差しならぬ事情があるのだとしても、衣玖にとっては不要なものであろうと思っていた。
しかし今は、その予測技術を何よりも欲していた。ことに、地上からやってくる、黒い服を着た、箒に乗った流星の軌道の予測については、何を差し置いても得るべき技術であると言えた。
「……そろそろ止まりませんか?」
衣玖は努めて落ち着いた声音で、流星に声をかける。
空気の流れに乗ることに関しては、衣玖以上にそれを上手くやる者は稀だろう。だから、腕を引っ掴まれて高速で空を駆け抜けている状況も、衣玖に取ってはさして苦痛に感じるものではない。
ないが、だからといってそれを楽しく思えるわけでもない。止めてくれるならそれに越したことはないのであって、故に先のような声をかけることにしたわけだ。そして一方で、相手の性格とか自分の境遇とかいろいろ考えて、たぶん聞き入れられないのだろうなあ、とも思っていた。
だから、流星が衣玖の言葉を聞き入れて急ブレーキをかけた時に、流れに乗るのが追いつかず「ぐえっ」と品のない声を出してしまったのも、仕方のないことなのだ。
「けほっ……急ブレーキは事故の元ですよ」
「事故るようなモンがこの辺にあればな」
空。何よりも澄み渡り、どこまでも広がりゆき、何者の生きる場所でもない空。
ここに留まることを許された者はいない。人も物も神も妖も。ぶつかるような何者かが留まっていたなら、そこは空ではない。
だから飛び回るのにいいんだ――と流星は語ったし、それについては衣玖も概ね同意であった。
「で、飛んでいるところをいきなり捕まえてきた理由は、そろそろ語っていただけるのですかね」
「声をかけたら逃げられるじゃないか」
流星――霧雨魔理沙は悪びれもせずにそう言う。
彼女が何かに対して申し訳なさそうにしている姿というのを、衣玖は見たことがない。
「まず事情を説明するなり、堅実な方法が他にあるのではないかと言っているのですがね」
「知らないのか? 速いことは、そうではない他のどんなことよりも価値があるんだ」
「おや、早くて短いよりも、遅くて長いことの方が強い場合もあると思いますが?」
ゆらり、と袖にまとわせた羽衣をはためかせる。魔理沙の表情に変化はなかったが、小さく身構えたのを衣玖は見逃さなかった。
「……まあ、せっかくのお休み、それもこんな朝時分から戦いというのもなんですね」
衣玖は腕を下げ、改めて魔理沙に向き直る。
「それで、実際のところ何用なのですか?」
「そんな大したことじゃないんだがな。とりあえず、飛ばしてきて汗かいたから風呂を借りたいぜ」
「…………」
なんだろう、こいつは。
そんな意志を込めて半眼になどなってみたが、相手が堪えた様子はまるでなかった。
結局家にあげてしまう自分もどうなのか、とは思う。
魔理沙は「邪魔するぜ」と言うが早いか、さっさと風呂場に乗り込んでいった。準備など何もしてないので水風呂だったはずだが、魔法で沸かして入ったようだ。ご丁寧に着替えまで持ってきていたらしく、簡素な衣類に身を包んで出てきた。そして今、部屋の中をきょろきょろと眺め回している。
自分はこういう手合いに縁があるのだろうか。青い髪の天人の少女を思い出し、嘆息する。
「結構いろいろ物があるな。もっと簡素な部屋に住んでるイメージだったが」
魔理沙は勝手なことを言うが、正しい意見でもあった。
衣玖の部屋に物が増えだしたのは最近のことだ。比那名居天子のお付きで地上に降りる機会が増え、何かと物を見て回る内に、なんとなく気に入った物を買うことが増えた。それまでは魔理沙の言うように、日々の生活に必要ないものは極力持たない主義だった。
手に入れたものは地上のものばかりで、魔理沙にとってはさして目を引くようなものはないだろう。しかし、魔理沙は何かを見つける度に手にとって眺めたりと、実に興味深そうにしていた。
彼女が何にでもすぐに興味を示す性質なのは衣玖も知っている。でなければ、こそ泥として妖怪たちの間で噂になるようなこともないだろう。
彼女は果たして、その噂に違わないような振る舞いをしに来たのだろうか。
衣玖は注意深く彼女の動向を観察していたが、取り立てて怪しい動きを見せることはなかった。
「お、これ『地獄探偵小命次』シリーズの最新刊か。前の話が微妙だったからまだ買ってないんだよなー」
「購読者でしたか? 良ければ貸しますよ。今回は特別良作でした」
「ほう……んー、いや、自分で買って読む事にしよう。そのほうが楽しめそうだ」
牽制のつもりで貸すと言ってみたらこれである。もしや、本当に物漁りに来たのではないのか。
しかし、そうでないとするならば、魔理沙がわざわざやってくる理由は思い浮かばない。
衣玖は平静にしながらも、警戒を緩めないようにしていた。
「それより、腹空かないか? 上等なキノコを持ってきたんだ。昼飯にしようぜ」
そんな提案もきっと、衣玖を油断させるために違いないのだ。そう思っておく。
魔理沙が作ったきのこ汁は大変に美味で、思わずおかわりした上に作り方まで教わってしまったが、それは別の話である。
「しっかし、天界ってとこは随分と広いなあ」
魔理沙が「腹ごなしに散歩でもしてくる」と言い、そら来たぞ、と衣玖は思った。
何かしら問題を起こすに違いないと考え同行する事にし、天界の空を二人で遊泳しているのだった。
「地上のようにあちこちに施設を拵えたりしませんからね。人の流入もほとんどないし、建物が増える理由がありません」
「お前の家はけっこう物が増えてたみたいだけどな」
魔理沙は言いながらも視線をあちこちに向ける。
彼女が評したように、天界は広いばかりでさしたる物のない場所である。見て回って面白いものでもないと思うのだが、魔理沙は実に興味深そうだった。
「お」
魔理沙は何かを見つけると、加速して飛び去っていく。
衣玖が追いかけると、大樹にもたれかかって休んでいる様子の比那名居天子がいた。
「げっ」
「よう。こっちで会うのは宴会の時以来か?」
笑顔で声をかける魔理沙に、天子は苦虫を噛み潰したような顔をする。魔理沙に続いて降り立った衣玖を見つけると、さらに渋面を深くした。
天子は今日、一族の集まりに出席する用事があったはずだ。それがこんな所に一人でいるのは、抜け出してでもきたのだろうか。
「なんであんたがここにいるのよ」
「天気が良かったからな。それに、私は運も良い方だ」
したり顔でよくわからない事を魔理沙は言う。もっとも、天子の言葉はどちらかと言うと、衣玖に向けて発せられたようにも思えた。
「何やら天を駆けてみたい気分だったようでしてね。問題を起こさせまいと同行しておりました。総領娘様は……」
「言わないで。すぐ戻るから……まったく、息詰まるわ話長いわでほんっと退屈! たまに息抜きしなきゃやってらんないわ!」
集まりの内容について衣玖はよく知らない。多分、天子もあまり分かってないだろう。
それでも、それが天子を楽しませはしないであろうことは、容易に想像ができた。
「なんだ、お家の事情ってやつか」
「やんごとなき身分というものには、相応の役割と使命がついてまわるものなのよ」
誇るようなその言葉はしかし、吐き捨てるような渋面から放たれてしまえば、ただの皮肉に過ぎなかった。
「それじゃ、もう行くわ。あんたも今日ばかりは下手に暴れたりしないことね」
むしろ暴れてほしそうな表情でそんなことを言い、天子は戻っていった。
「あいつも良いご身分だと思ってたが、それなりに苦労はあるもんだな」
「何の苦労もなく日々を過ごせる者がいるはずもないでしょう」
「ま、それもそうか」
魔理沙はさしたる感慨を覚えた風でもなかった。
天子の身分はこの天界にあっても非常に特殊なものだが、魔理沙はそこに特別さを見出したりはしていないようだ。
しかし、どうでもよさそうにしているワケでもない。友人に対する気遣いに近いものが、その声音には伺えた。
「それじゃ、私達も行くか」
「? どこへ?」
「風呂の礼だ。地上の案内でもしてやるよ」
言うが早いか。魔理沙は箒を加速させて飛び去っていった。衣玖が付いてくる事をかけらも疑っていないかのように。
「……本当、変わった人間だわ」
頓着しない割には、他人のことに興味を示す。
無遠慮な割には、相応の気遣いを持つ。
不愉快ではなくとも、不可解な人物ではあった。
人間の魔法使い、霧雨魔理沙。
彼女がどんな半生を送ってきたのか、衣玖は知らない。
人づてには、実家を勘当されているらしいと聞く。
「今日はいまいちだったな」
「……普段からこんなことしてるんですか?」
「どんなものでも、案外魔法の媒体として役立ったりするからな。希少なものであればあるほど良い」
案内を買って出ておいて、魔理沙が衣玖を連れてきたのは人気のない無縁塚だった。
たまに希少品を探しに来るそうで、色々と面白いものが見つかるからと衣玖も探索に付き合わされた。
見つかったのは「空中に浮いたフォークに持ち上げられる途中で固定されたパスタ」という謎の物体くらいのものだった。
適当に切り上げ、川で手を洗ってから人里に向かい、特に目的もなく散策する。
魔理沙は大抵の店の者と顔見知りのようで、気さくに声をかけ冗談を交わし、いいものが入っていれば勧められるままに手にとっていた。
衣玖は少し意外に思った。
人ならざるものの力に触れる人間。実家を勘当され、一人不気味な魔法の森に居を構える変人。
彼女の境遇は、人里の側に立てば後ろ暗さに満ちており、およそ折り合いのつきやすい立場には見えなかったからだ。
実際、それも間違いではなさそうで、魔理沙を遠巻きに眺める人の視線からは、恐れや疎ましさを感じさせるものもある。
だが、彼女にそれを気にする素振りは見られないし、人々の中にも彼女を好意的に見る向きは少なくない様子だった。
「……不思議ですね、貴女は」
「普通だぜ」
ぽつりとこぼした衣玖の言葉に、魔理沙はそう返した。
そこには明確な意思が感じられた。
そう言わなければならないというような。そうであらねばならないと思うような。
「それじゃ、次は紅魔館あたりに行ってみるか。良い作戦を思いついたんだ」
「人の家を訪ねるのになぜ作戦が必要なのか分かりませんが、内容は?」
「まずお前が館に雷を落とすだろ? 門番やメイドが大騒ぎでお前を止めに来る。その隙に私が忍び込んで希少な魔道書なんかを漁るという完璧な作戦だ」
「それは完璧ですね。実践した場合、まず最初に貴女の頭上に雷が落ちますが」
「こうやって空が夜に染まっていく風景ってのは、実に幻想的だな」
天界に戻る空の途上、魔理沙がつぶやく。
「けっこうロマンチックな事を言いますね」
そう返す衣玖も、思いは同じだった。
空に朱を残す黄昏が、やがて完全な夜の色に染まりゆく。
その風景は、まるで現実の空間から切り離されたかのような神秘性がある。
そんな空を二人で飛んでいると、どこか別の世界へ迷い込んでしまったかのように思われた。
実際、普段ではありえないような一日ではあった。
なんやかんやと魔理沙に付き合って、幻想郷のあちこちを巡って様々な人や物に触れ合うなどという一日は、後にも先にもそうある事ではないだろう。
普段の言動や素行の噂とは裏腹に、魔理沙が行く先々で問題を起こすようなこともなく、おおよそ穏やかで適度な刺激に満ちた、良き一日だったと言える。
魔理沙が何かやらかさないかと気を張っていた精神の消耗を、忘れてもいいかと思うくらいには。
「……で、結局なぜ私を連れだしたのですか?」
まともな返事が返ってこなくて、聞くのを諦めていた質問を、最後のつもりでもう一度投げかける。
「んー? いや、レア物がレア物を呼ぶってことがあるかもしれんと思ってな」
「……は?」
振り向いた魔理沙は、衣玖の呆けたような表情を見ただろう。そのまま、軽く指差して言葉を続ける。
「『空飛ぶレアアイテム』だろ?」
「…………」
しばらく言葉を失って、止まったままの衣玖を尻目に、魔理沙はさらに上昇して行く。
「貴女ねえ……」
咎めるための言葉を、だが衣玖は途中で止めた。
上昇しながらちらとこちらを見る、魔理沙の表情を見たからだった。
にやと口元を歪め、挑むような眼を向けるその表情を。
すぐに理解する。まさしく、これは挑戦だと。
魔理沙はこう言っているのだ。「せっかくだから、最後に一勝負といこうじゃないか」
嗜みの弾幕が幻想郷の流儀だと。
「……強引に連れだした挙句がその言い草とは、少しばかり対人の作法を学んでもらうべきでしょうかね」
ならば、受けて立つのが礼儀であり、幻想郷の一住人としての矜持でもあった。
「弾幕の作法なら知っているぜ。お前が撃って、私が避ける。簡単だ」
「その話ほどに簡単かどうかは、体験してから語っていただきましょうか」
衣玖はそう告げると、片腕を前に突き出して袖口から弾幕を展開した。
放射状に放たれた弾幕を潜り抜け、魔理沙がミニ八卦炉を衣玖へと向ける。
弾幕ごっこの始まりだった。
天界の上空で、二人の少女が弾幕を交わし合う。
高速で飛び回りつつ鋭いレーザーを放つ魔理沙を、大きく動かず大量の弾幕で迎え撃つ衣玖。
言葉の通り、魔理沙の回避は堂に入ったもので、弾同士の僅かな隙間を潜りながらも余裕の表情を崩さない。
積極的に攻撃には移らず、魔理沙は回避に徹していた。それは「当ててみろ」という挑発であった。
そして、その挑発には、全力の弾で返すのが弾幕ごっこの礼儀である。
――龍魚「龍宮の使い遊泳弾」――
スペルカードを宣言すると同時、衣玖の頭上に光球が生み出された。
そこから回遊するように、螺旋を描く軌道の弾幕が展開される。
弾幕は光球の左右から放たれ、螺旋の軌道もそれぞれ異なる。展開された弾幕は交差するように魔理沙へと殺到する。
迫り来る弾幕への対応は、二つしかない。迎え撃つか、避けるかだ。
魔理沙には相手の弾幕を蹴散らして届く、最強クラスのスペルが存在する。それが来る事を衣玖は予測していた。
正面からの撃ち合いとなれば、後は持久戦になる。その心づもりでいた。
だが、魔理沙は八卦炉を構えることなく、正面から遊泳弾の海に突っ込んだ。
片方の螺旋の軌道に乗りながら、もう片方、反対方向から来る螺旋の弾幕をギリギリの位置でかわす。
弾幕の並びも、軌道も、全てが一定ではない。軌道に乗っている方の螺旋も、それだけで完全に弾を避けられるわけではない。
不規則に変化する弾の隙間を、実に的確に捉えて移動しながら、少しずつ衣玖へと迫る。
恐るべき動体視力、そして空間把握能力だった。
その類まれなる回避の技量は、衣玖にある種の感動をもたらした。
これほどの技を、人の身でどのようにすれば得ることができるものか。
魔理沙の動きに眼を奪われた一瞬の間隙。
螺旋の中心に生まれる隙間を捉えた魔理沙が、一気に加速した。
真正面より迫り来る魔理沙に、衣玖はとっさに光球を展開していた両手を外し、迎撃の弾幕を放った。
光球は急速に縮んでゆき、弾幕が消滅する。
魔理沙は迎撃の弾幕を、直前で急上昇する事で回避した。そのまま、衣玖の上空に陣取る。
その手に一枚のカードが握られているのを、目の端で衣玖は見た。
――魔符「ミルキーウェイ」――
大小様々な星形の弾幕が、衣玖の視界を埋め尽くしてなお広がる。
それは星の渦だった。
貝殻のように渦を巻きながら、星は川のように衣玖の視界を流れていく。
その瞬間、衣玖は完全に動きを止めて、ただその弾幕を眺めていた。
文字通りの雲の上、太陽も落ち、視界を阻む何者もない夜の空。
遠くに見える星たちが、目の前にやってきて流れていくような、そんな弾幕だった。
縦横無尽を埋め尽くす星は、上下の感覚を曖昧にさせ、衣玖は星の海に取り込まれたような感覚を覚えた。
それは、衣玖が知っているどんな空よりも、美しかった。
天界の大地に横たわって見る夜空は、自分が宇宙を漂う塵の一つとなってしまったかのように映る。
「おーい、死んでるかー?」
そんな風景に割り込んでくる少女の姿。闇に溶けるような黒の衣装に、夜空の星を思わせる金色の髪がやけに見栄えした。
「……はい、と返事をしたら信じるんですか?」
「返事をする死体もいるぜ」
無意味に夜空を旋回してから、魔理沙が地に降り立つ。
それは、まさしく流星を思わせる姿だと、衣玖は思う。
思えば、彼女は最初から流星だった。
ふと見つけた一つの目的地に、迷いなく一直線に突き進む星。
天体に無数の星があるように、彼女は普通の少女だった。
異質な力を持ち、特異な境遇に身を置きながらも、十人並みに人との交流を持ち、人に交わっていた。
人並みと言えるあり方を、彼女は持ち続けていた。誰と、どこで、何をしていようとも。
ただ、目標に向けてまっすぐに突き進む、意志の強さだけがある。そんな少女。
だから、彼女は自分を「普通だ」と言うのだろう。
普通であること、ただまっすぐに己であることが、彼女の意志なのだ。
そして、その意志の強さが生み出した弾幕は、天上の者である衣玖の眼をも奪う美しさを持っていた。
それが、どれほどの研鑽と努力によって作られたものなのか、衣玖には想像することしかできない。
「……って、おいおい大丈夫か? 打ちどころでも悪かったか?」
魔理沙が少し慌てたような声をかけてくる。
何かと思って起き上がろうとすると、自分の頬が濡れているのに気づいた。
「大丈夫よ。ありがとう」
自分を倒した相手に礼を言うのは妙だったが、それを言うなら倒した相手を気づかう方も似たようなものだろう。
衣玖はいつの間にか流れていた涙を拭って、今度こそ起き上がる。
「ともあれ、勝負は私の負けですね」
「ま、そうだな。今思えば何か賭けておくんだったぜ」
魔理沙はそう言うと、帽子を深くかぶり直した。箒を浮かばせてその上に腰を下ろす。
「それじゃ、私は帰るよ」
「あら、家に寄っていくつもりで送ってくれたのかと思ってましたが」
「そのつもりだったが、今日はやめておく。技の改良のアイデアが浮かんだんでな」
またな、と言い残して魔理沙は飛び去っていった。
流星が大地を目指すように、一直線に。
頬に手をやって思う。なぜ、自分は泣いたのだろうか。
それはきっと、霧雨魔理沙という少女の放つ輝きが、自分には眩しすぎたからなのだろう。
人の身で、短い生を一直線に駆け抜けるように、目的地まで突き進む彼女。
数多の星がそうであるように、その輝きは決して特別なものではない。
ただ、真っ直ぐであること。定めた目標に向かっていくこと。
それは、長い時を生き続ける妖怪たちには持ち得ない意志だった。
目的に向かって真っ直ぐであるのは、そうしなければ届かないと知っているから。
届く前に自分がいなくなってしまうことを、知っているから。
流星が燃え尽きる時にもっとも輝きを放つように、彼女もまた、消えるのだろうか。光の軌跡だけを残して。
あるいは、その目的地にたどり着いた時、彼女は今までの自分を超えるのかも知れない。
大地にその痕跡を刻む流星があるように、その時、彼女は「普通」ではなくなるのかも知れない。
そうでなければ、燃え尽きて消え去ることで、彼女は目的地にたどり着くのかもしれない。
きっと自分には、その目的地を知ることはできない。
流星を遠くから眺める、ただ通りすがっただけの雲である自分には。
「……あるいは、貴女が普通でなくなる日が来たのなら」
その時は、聞いたら答えてくれるだろうか。
ニヤニヤと笑って、はぐらかされてしまうかもしれない。
何の気もなく答えてくれるかもしれない。
できれば、聞いてみたいと思う。
聞ける日が来たらいいと思う。
空を見る。
都合よく星が流れはしなかったけれど、もし流星が見えたならば、願ってみよう。
そんな願いを胸に、衣玖は地上に背を向けて、帰途についた。
しかし今は、その予測技術を何よりも欲していた。ことに、地上からやってくる、黒い服を着た、箒に乗った流星の軌道の予測については、何を差し置いても得るべき技術であると言えた。
「……そろそろ止まりませんか?」
衣玖は努めて落ち着いた声音で、流星に声をかける。
空気の流れに乗ることに関しては、衣玖以上にそれを上手くやる者は稀だろう。だから、腕を引っ掴まれて高速で空を駆け抜けている状況も、衣玖に取ってはさして苦痛に感じるものではない。
ないが、だからといってそれを楽しく思えるわけでもない。止めてくれるならそれに越したことはないのであって、故に先のような声をかけることにしたわけだ。そして一方で、相手の性格とか自分の境遇とかいろいろ考えて、たぶん聞き入れられないのだろうなあ、とも思っていた。
だから、流星が衣玖の言葉を聞き入れて急ブレーキをかけた時に、流れに乗るのが追いつかず「ぐえっ」と品のない声を出してしまったのも、仕方のないことなのだ。
「けほっ……急ブレーキは事故の元ですよ」
「事故るようなモンがこの辺にあればな」
空。何よりも澄み渡り、どこまでも広がりゆき、何者の生きる場所でもない空。
ここに留まることを許された者はいない。人も物も神も妖も。ぶつかるような何者かが留まっていたなら、そこは空ではない。
だから飛び回るのにいいんだ――と流星は語ったし、それについては衣玖も概ね同意であった。
「で、飛んでいるところをいきなり捕まえてきた理由は、そろそろ語っていただけるのですかね」
「声をかけたら逃げられるじゃないか」
流星――霧雨魔理沙は悪びれもせずにそう言う。
彼女が何かに対して申し訳なさそうにしている姿というのを、衣玖は見たことがない。
「まず事情を説明するなり、堅実な方法が他にあるのではないかと言っているのですがね」
「知らないのか? 速いことは、そうではない他のどんなことよりも価値があるんだ」
「おや、早くて短いよりも、遅くて長いことの方が強い場合もあると思いますが?」
ゆらり、と袖にまとわせた羽衣をはためかせる。魔理沙の表情に変化はなかったが、小さく身構えたのを衣玖は見逃さなかった。
「……まあ、せっかくのお休み、それもこんな朝時分から戦いというのもなんですね」
衣玖は腕を下げ、改めて魔理沙に向き直る。
「それで、実際のところ何用なのですか?」
「そんな大したことじゃないんだがな。とりあえず、飛ばしてきて汗かいたから風呂を借りたいぜ」
「…………」
なんだろう、こいつは。
そんな意志を込めて半眼になどなってみたが、相手が堪えた様子はまるでなかった。
結局家にあげてしまう自分もどうなのか、とは思う。
魔理沙は「邪魔するぜ」と言うが早いか、さっさと風呂場に乗り込んでいった。準備など何もしてないので水風呂だったはずだが、魔法で沸かして入ったようだ。ご丁寧に着替えまで持ってきていたらしく、簡素な衣類に身を包んで出てきた。そして今、部屋の中をきょろきょろと眺め回している。
自分はこういう手合いに縁があるのだろうか。青い髪の天人の少女を思い出し、嘆息する。
「結構いろいろ物があるな。もっと簡素な部屋に住んでるイメージだったが」
魔理沙は勝手なことを言うが、正しい意見でもあった。
衣玖の部屋に物が増えだしたのは最近のことだ。比那名居天子のお付きで地上に降りる機会が増え、何かと物を見て回る内に、なんとなく気に入った物を買うことが増えた。それまでは魔理沙の言うように、日々の生活に必要ないものは極力持たない主義だった。
手に入れたものは地上のものばかりで、魔理沙にとってはさして目を引くようなものはないだろう。しかし、魔理沙は何かを見つける度に手にとって眺めたりと、実に興味深そうにしていた。
彼女が何にでもすぐに興味を示す性質なのは衣玖も知っている。でなければ、こそ泥として妖怪たちの間で噂になるようなこともないだろう。
彼女は果たして、その噂に違わないような振る舞いをしに来たのだろうか。
衣玖は注意深く彼女の動向を観察していたが、取り立てて怪しい動きを見せることはなかった。
「お、これ『地獄探偵小命次』シリーズの最新刊か。前の話が微妙だったからまだ買ってないんだよなー」
「購読者でしたか? 良ければ貸しますよ。今回は特別良作でした」
「ほう……んー、いや、自分で買って読む事にしよう。そのほうが楽しめそうだ」
牽制のつもりで貸すと言ってみたらこれである。もしや、本当に物漁りに来たのではないのか。
しかし、そうでないとするならば、魔理沙がわざわざやってくる理由は思い浮かばない。
衣玖は平静にしながらも、警戒を緩めないようにしていた。
「それより、腹空かないか? 上等なキノコを持ってきたんだ。昼飯にしようぜ」
そんな提案もきっと、衣玖を油断させるために違いないのだ。そう思っておく。
魔理沙が作ったきのこ汁は大変に美味で、思わずおかわりした上に作り方まで教わってしまったが、それは別の話である。
「しっかし、天界ってとこは随分と広いなあ」
魔理沙が「腹ごなしに散歩でもしてくる」と言い、そら来たぞ、と衣玖は思った。
何かしら問題を起こすに違いないと考え同行する事にし、天界の空を二人で遊泳しているのだった。
「地上のようにあちこちに施設を拵えたりしませんからね。人の流入もほとんどないし、建物が増える理由がありません」
「お前の家はけっこう物が増えてたみたいだけどな」
魔理沙は言いながらも視線をあちこちに向ける。
彼女が評したように、天界は広いばかりでさしたる物のない場所である。見て回って面白いものでもないと思うのだが、魔理沙は実に興味深そうだった。
「お」
魔理沙は何かを見つけると、加速して飛び去っていく。
衣玖が追いかけると、大樹にもたれかかって休んでいる様子の比那名居天子がいた。
「げっ」
「よう。こっちで会うのは宴会の時以来か?」
笑顔で声をかける魔理沙に、天子は苦虫を噛み潰したような顔をする。魔理沙に続いて降り立った衣玖を見つけると、さらに渋面を深くした。
天子は今日、一族の集まりに出席する用事があったはずだ。それがこんな所に一人でいるのは、抜け出してでもきたのだろうか。
「なんであんたがここにいるのよ」
「天気が良かったからな。それに、私は運も良い方だ」
したり顔でよくわからない事を魔理沙は言う。もっとも、天子の言葉はどちらかと言うと、衣玖に向けて発せられたようにも思えた。
「何やら天を駆けてみたい気分だったようでしてね。問題を起こさせまいと同行しておりました。総領娘様は……」
「言わないで。すぐ戻るから……まったく、息詰まるわ話長いわでほんっと退屈! たまに息抜きしなきゃやってらんないわ!」
集まりの内容について衣玖はよく知らない。多分、天子もあまり分かってないだろう。
それでも、それが天子を楽しませはしないであろうことは、容易に想像ができた。
「なんだ、お家の事情ってやつか」
「やんごとなき身分というものには、相応の役割と使命がついてまわるものなのよ」
誇るようなその言葉はしかし、吐き捨てるような渋面から放たれてしまえば、ただの皮肉に過ぎなかった。
「それじゃ、もう行くわ。あんたも今日ばかりは下手に暴れたりしないことね」
むしろ暴れてほしそうな表情でそんなことを言い、天子は戻っていった。
「あいつも良いご身分だと思ってたが、それなりに苦労はあるもんだな」
「何の苦労もなく日々を過ごせる者がいるはずもないでしょう」
「ま、それもそうか」
魔理沙はさしたる感慨を覚えた風でもなかった。
天子の身分はこの天界にあっても非常に特殊なものだが、魔理沙はそこに特別さを見出したりはしていないようだ。
しかし、どうでもよさそうにしているワケでもない。友人に対する気遣いに近いものが、その声音には伺えた。
「それじゃ、私達も行くか」
「? どこへ?」
「風呂の礼だ。地上の案内でもしてやるよ」
言うが早いか。魔理沙は箒を加速させて飛び去っていった。衣玖が付いてくる事をかけらも疑っていないかのように。
「……本当、変わった人間だわ」
頓着しない割には、他人のことに興味を示す。
無遠慮な割には、相応の気遣いを持つ。
不愉快ではなくとも、不可解な人物ではあった。
人間の魔法使い、霧雨魔理沙。
彼女がどんな半生を送ってきたのか、衣玖は知らない。
人づてには、実家を勘当されているらしいと聞く。
「今日はいまいちだったな」
「……普段からこんなことしてるんですか?」
「どんなものでも、案外魔法の媒体として役立ったりするからな。希少なものであればあるほど良い」
案内を買って出ておいて、魔理沙が衣玖を連れてきたのは人気のない無縁塚だった。
たまに希少品を探しに来るそうで、色々と面白いものが見つかるからと衣玖も探索に付き合わされた。
見つかったのは「空中に浮いたフォークに持ち上げられる途中で固定されたパスタ」という謎の物体くらいのものだった。
適当に切り上げ、川で手を洗ってから人里に向かい、特に目的もなく散策する。
魔理沙は大抵の店の者と顔見知りのようで、気さくに声をかけ冗談を交わし、いいものが入っていれば勧められるままに手にとっていた。
衣玖は少し意外に思った。
人ならざるものの力に触れる人間。実家を勘当され、一人不気味な魔法の森に居を構える変人。
彼女の境遇は、人里の側に立てば後ろ暗さに満ちており、およそ折り合いのつきやすい立場には見えなかったからだ。
実際、それも間違いではなさそうで、魔理沙を遠巻きに眺める人の視線からは、恐れや疎ましさを感じさせるものもある。
だが、彼女にそれを気にする素振りは見られないし、人々の中にも彼女を好意的に見る向きは少なくない様子だった。
「……不思議ですね、貴女は」
「普通だぜ」
ぽつりとこぼした衣玖の言葉に、魔理沙はそう返した。
そこには明確な意思が感じられた。
そう言わなければならないというような。そうであらねばならないと思うような。
「それじゃ、次は紅魔館あたりに行ってみるか。良い作戦を思いついたんだ」
「人の家を訪ねるのになぜ作戦が必要なのか分かりませんが、内容は?」
「まずお前が館に雷を落とすだろ? 門番やメイドが大騒ぎでお前を止めに来る。その隙に私が忍び込んで希少な魔道書なんかを漁るという完璧な作戦だ」
「それは完璧ですね。実践した場合、まず最初に貴女の頭上に雷が落ちますが」
「こうやって空が夜に染まっていく風景ってのは、実に幻想的だな」
天界に戻る空の途上、魔理沙がつぶやく。
「けっこうロマンチックな事を言いますね」
そう返す衣玖も、思いは同じだった。
空に朱を残す黄昏が、やがて完全な夜の色に染まりゆく。
その風景は、まるで現実の空間から切り離されたかのような神秘性がある。
そんな空を二人で飛んでいると、どこか別の世界へ迷い込んでしまったかのように思われた。
実際、普段ではありえないような一日ではあった。
なんやかんやと魔理沙に付き合って、幻想郷のあちこちを巡って様々な人や物に触れ合うなどという一日は、後にも先にもそうある事ではないだろう。
普段の言動や素行の噂とは裏腹に、魔理沙が行く先々で問題を起こすようなこともなく、おおよそ穏やかで適度な刺激に満ちた、良き一日だったと言える。
魔理沙が何かやらかさないかと気を張っていた精神の消耗を、忘れてもいいかと思うくらいには。
「……で、結局なぜ私を連れだしたのですか?」
まともな返事が返ってこなくて、聞くのを諦めていた質問を、最後のつもりでもう一度投げかける。
「んー? いや、レア物がレア物を呼ぶってことがあるかもしれんと思ってな」
「……は?」
振り向いた魔理沙は、衣玖の呆けたような表情を見ただろう。そのまま、軽く指差して言葉を続ける。
「『空飛ぶレアアイテム』だろ?」
「…………」
しばらく言葉を失って、止まったままの衣玖を尻目に、魔理沙はさらに上昇して行く。
「貴女ねえ……」
咎めるための言葉を、だが衣玖は途中で止めた。
上昇しながらちらとこちらを見る、魔理沙の表情を見たからだった。
にやと口元を歪め、挑むような眼を向けるその表情を。
すぐに理解する。まさしく、これは挑戦だと。
魔理沙はこう言っているのだ。「せっかくだから、最後に一勝負といこうじゃないか」
嗜みの弾幕が幻想郷の流儀だと。
「……強引に連れだした挙句がその言い草とは、少しばかり対人の作法を学んでもらうべきでしょうかね」
ならば、受けて立つのが礼儀であり、幻想郷の一住人としての矜持でもあった。
「弾幕の作法なら知っているぜ。お前が撃って、私が避ける。簡単だ」
「その話ほどに簡単かどうかは、体験してから語っていただきましょうか」
衣玖はそう告げると、片腕を前に突き出して袖口から弾幕を展開した。
放射状に放たれた弾幕を潜り抜け、魔理沙がミニ八卦炉を衣玖へと向ける。
弾幕ごっこの始まりだった。
天界の上空で、二人の少女が弾幕を交わし合う。
高速で飛び回りつつ鋭いレーザーを放つ魔理沙を、大きく動かず大量の弾幕で迎え撃つ衣玖。
言葉の通り、魔理沙の回避は堂に入ったもので、弾同士の僅かな隙間を潜りながらも余裕の表情を崩さない。
積極的に攻撃には移らず、魔理沙は回避に徹していた。それは「当ててみろ」という挑発であった。
そして、その挑発には、全力の弾で返すのが弾幕ごっこの礼儀である。
――龍魚「龍宮の使い遊泳弾」――
スペルカードを宣言すると同時、衣玖の頭上に光球が生み出された。
そこから回遊するように、螺旋を描く軌道の弾幕が展開される。
弾幕は光球の左右から放たれ、螺旋の軌道もそれぞれ異なる。展開された弾幕は交差するように魔理沙へと殺到する。
迫り来る弾幕への対応は、二つしかない。迎え撃つか、避けるかだ。
魔理沙には相手の弾幕を蹴散らして届く、最強クラスのスペルが存在する。それが来る事を衣玖は予測していた。
正面からの撃ち合いとなれば、後は持久戦になる。その心づもりでいた。
だが、魔理沙は八卦炉を構えることなく、正面から遊泳弾の海に突っ込んだ。
片方の螺旋の軌道に乗りながら、もう片方、反対方向から来る螺旋の弾幕をギリギリの位置でかわす。
弾幕の並びも、軌道も、全てが一定ではない。軌道に乗っている方の螺旋も、それだけで完全に弾を避けられるわけではない。
不規則に変化する弾の隙間を、実に的確に捉えて移動しながら、少しずつ衣玖へと迫る。
恐るべき動体視力、そして空間把握能力だった。
その類まれなる回避の技量は、衣玖にある種の感動をもたらした。
これほどの技を、人の身でどのようにすれば得ることができるものか。
魔理沙の動きに眼を奪われた一瞬の間隙。
螺旋の中心に生まれる隙間を捉えた魔理沙が、一気に加速した。
真正面より迫り来る魔理沙に、衣玖はとっさに光球を展開していた両手を外し、迎撃の弾幕を放った。
光球は急速に縮んでゆき、弾幕が消滅する。
魔理沙は迎撃の弾幕を、直前で急上昇する事で回避した。そのまま、衣玖の上空に陣取る。
その手に一枚のカードが握られているのを、目の端で衣玖は見た。
――魔符「ミルキーウェイ」――
大小様々な星形の弾幕が、衣玖の視界を埋め尽くしてなお広がる。
それは星の渦だった。
貝殻のように渦を巻きながら、星は川のように衣玖の視界を流れていく。
その瞬間、衣玖は完全に動きを止めて、ただその弾幕を眺めていた。
文字通りの雲の上、太陽も落ち、視界を阻む何者もない夜の空。
遠くに見える星たちが、目の前にやってきて流れていくような、そんな弾幕だった。
縦横無尽を埋め尽くす星は、上下の感覚を曖昧にさせ、衣玖は星の海に取り込まれたような感覚を覚えた。
それは、衣玖が知っているどんな空よりも、美しかった。
天界の大地に横たわって見る夜空は、自分が宇宙を漂う塵の一つとなってしまったかのように映る。
「おーい、死んでるかー?」
そんな風景に割り込んでくる少女の姿。闇に溶けるような黒の衣装に、夜空の星を思わせる金色の髪がやけに見栄えした。
「……はい、と返事をしたら信じるんですか?」
「返事をする死体もいるぜ」
無意味に夜空を旋回してから、魔理沙が地に降り立つ。
それは、まさしく流星を思わせる姿だと、衣玖は思う。
思えば、彼女は最初から流星だった。
ふと見つけた一つの目的地に、迷いなく一直線に突き進む星。
天体に無数の星があるように、彼女は普通の少女だった。
異質な力を持ち、特異な境遇に身を置きながらも、十人並みに人との交流を持ち、人に交わっていた。
人並みと言えるあり方を、彼女は持ち続けていた。誰と、どこで、何をしていようとも。
ただ、目標に向けてまっすぐに突き進む、意志の強さだけがある。そんな少女。
だから、彼女は自分を「普通だ」と言うのだろう。
普通であること、ただまっすぐに己であることが、彼女の意志なのだ。
そして、その意志の強さが生み出した弾幕は、天上の者である衣玖の眼をも奪う美しさを持っていた。
それが、どれほどの研鑽と努力によって作られたものなのか、衣玖には想像することしかできない。
「……って、おいおい大丈夫か? 打ちどころでも悪かったか?」
魔理沙が少し慌てたような声をかけてくる。
何かと思って起き上がろうとすると、自分の頬が濡れているのに気づいた。
「大丈夫よ。ありがとう」
自分を倒した相手に礼を言うのは妙だったが、それを言うなら倒した相手を気づかう方も似たようなものだろう。
衣玖はいつの間にか流れていた涙を拭って、今度こそ起き上がる。
「ともあれ、勝負は私の負けですね」
「ま、そうだな。今思えば何か賭けておくんだったぜ」
魔理沙はそう言うと、帽子を深くかぶり直した。箒を浮かばせてその上に腰を下ろす。
「それじゃ、私は帰るよ」
「あら、家に寄っていくつもりで送ってくれたのかと思ってましたが」
「そのつもりだったが、今日はやめておく。技の改良のアイデアが浮かんだんでな」
またな、と言い残して魔理沙は飛び去っていった。
流星が大地を目指すように、一直線に。
頬に手をやって思う。なぜ、自分は泣いたのだろうか。
それはきっと、霧雨魔理沙という少女の放つ輝きが、自分には眩しすぎたからなのだろう。
人の身で、短い生を一直線に駆け抜けるように、目的地まで突き進む彼女。
数多の星がそうであるように、その輝きは決して特別なものではない。
ただ、真っ直ぐであること。定めた目標に向かっていくこと。
それは、長い時を生き続ける妖怪たちには持ち得ない意志だった。
目的に向かって真っ直ぐであるのは、そうしなければ届かないと知っているから。
届く前に自分がいなくなってしまうことを、知っているから。
流星が燃え尽きる時にもっとも輝きを放つように、彼女もまた、消えるのだろうか。光の軌跡だけを残して。
あるいは、その目的地にたどり着いた時、彼女は今までの自分を超えるのかも知れない。
大地にその痕跡を刻む流星があるように、その時、彼女は「普通」ではなくなるのかも知れない。
そうでなければ、燃え尽きて消え去ることで、彼女は目的地にたどり着くのかもしれない。
きっと自分には、その目的地を知ることはできない。
流星を遠くから眺める、ただ通りすがっただけの雲である自分には。
「……あるいは、貴女が普通でなくなる日が来たのなら」
その時は、聞いたら答えてくれるだろうか。
ニヤニヤと笑って、はぐらかされてしまうかもしれない。
何の気もなく答えてくれるかもしれない。
できれば、聞いてみたいと思う。
聞ける日が来たらいいと思う。
空を見る。
都合よく星が流れはしなかったけれど、もし流星が見えたならば、願ってみよう。
そんな願いを胸に、衣玖は地上に背を向けて、帰途についた。
弾幕ごっこも楽しかったです!