モノトーンに彩りを
-1-
「ごめんください。霊夢さんはいらっしゃいますか?」
青空の博麗神社に良く通る声が響いた。淀みも迷いも一切なく、声の主も同じように真っすぐな生き方をしていることが伺えた。
つっかけを履いた博麗霊夢が神社の正面に回ると一人の少女を見つけた。予想通り、背すじを伸ばして真っすぐに立っていた。
「お久しぶりです」四季映姫・ヤマザナドゥがお辞儀をした。
「久しぶりね」霊夢が近づく。「あんたがここに来るって珍しいわね。地獄は暇なの?」
「いえ。今日は仕事で来ました」
霊夢は眉間にしわを寄せた。地獄で思い出したことがあったのだ。
「そうだ、このあいだ地獄の女神が暴れてたわよ。大変だったんだから」
この抗議を予想していたようで、映姫はすばやく頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。どうやら幻想郷が危機的な状況にあっていたようで」
「ホントに大変だったのよ。というか女神がいなくなって気づかなかったの?」
映姫はばつの悪そうな顔をした。抜けるような青空とコントラストを描いていた。
「今の彼女は地獄には関わっていないんです。運営のほとんどを是非曲直庁に委任していて、現在は式典に出席するくらいの象徴的な立場なんです。その式典もしばらくなくて誰も気づかなかったというのが顛末でして……お恥ずかしい限りです」
再び映姫は頭を下げた。こうも一気にまくしたてられると怒るポイントを見失ってしまう。霊夢は居心地が悪そうに頭に手をやった。
「まあ、終わった話だし、あんたに言っても仕方がないけどさ。とにかく大変だったのよ。月に行ったり、変な薬も飲んだし」
「話だけは伺っています。つまらないものですがお詫びにこれを」
映姫は紙袋を霊夢に渡した。アルファベットが印刷されたオシャレな紙袋で、幻想郷のものではないことが一目でわかった。
「外の世界の食べ物?」
「はい。ここではまず手に入らないものです」
霊夢は袋の中をのぞき込む。
「まあ、いただくわ。ありがと」
「恐れ入ります。それで、お聞きしたいことがあるのですが…」
映姫の言葉が突然、別の声で遮られた。先ほどの彼女の声とよく似た真っすぐな声だったが、子供っぽい無邪気さを連想させる声だった。
「お客さんですか?」
東風谷早苗が二人の隣に降り立った。
「そうよ。こちらは地獄の閻魔様」
「初めまして。四季映姫と申します。幻想郷の閻魔を務めています」
「東風谷早苗です。守矢神社で風祝をやっています」
二人は丁寧にお辞儀をした。
顔を上げた後、先に喋ったのは早苗だった。
「地獄ってことは、この前のTシャツの神様の部下ですか?」
「Tシャツ……?」
意味を測りかねて、映姫は首をかしげた。
「早苗もヘカーティアと勝負したのよ」霊夢が助け舟を出した。
「ああ、そういうことですか」映姫は頷く。「確かに部下ではありますけど、私にとっては雲の上ぐらい上の立場の方です。実際に話したことはまだ無いですし。この度はご迷惑をおかけしました」
「いえいえ。月に行けたりと楽しかったです。気さくでいい人だと思いましたよ」
霊夢は紙袋を掲げて早苗に見せた。「映姫からお詫びの品を貰えたから後で食べましょう」
紙袋を見ると、早苗の表情が輝いた。
「これ、外の世界だと有名なお店ですよ。どうやって買ったんですか?」
「外の世界の地獄とも関わりがあるので、そのつながりです」
「へえー。あ、聞きたいことがあるんですけどいいですか?」
「はい。何ですか?」
「地獄ってTシャツを売ってるんですか?」
「……はい?」
映姫の顔が狐につままれたかのような表情になった。
早苗は気にせず、思うがままに喋っていた。いつものことだった。
「あの女神さまに会った時なんですけど、『ようこそ地獄へ』って書かれてたTシャツを着てまして、地獄の女神だし地獄の製品なのかなと疑問に思ってたんです」
「……いえ。地獄では売ってないですよ。外の世界で買ったのだと思います。欲しいんですか?」
「いえ、全然。ダサかったですし」
映姫は返答に窮してしまい、辺りが沈黙で包まれた。そのまま硬直化して、文章化できない微妙な表情をした彫刻のようだった。
鳥のさえずり声が三人の間をむなしく通り過ぎた。
同情した霊夢が気まずさに耐えかねて口を開く。
「さっき聞こうとしたことがあったじゃない。何なの?」
霊夢の声を合図に映姫は軽く頭を振った。
「そうでした。ヘカーティア様を探しているのですが、居場所に心当たりはありますか?」
「あら、そっちにも会うの」
「と、言うよりヘカーティア様に会うのが一番重要な目的で……」
霊夢は顎に手をやって考えた。
「確か魔理沙が湖で見たって言ってたわ。その辺で探してみたら?」
「わかりました。ありがとうございます」
「けど、あんたより偉い人はいっぱいいるでしょう?その人たちが行くべきなんじゃないの?」
「いえ、上からは霊夢さんと面識がある私が適任だと言われまして……」
「……あんたも大変ね」
「とんでもないです。失礼します」
映姫は霊夢たちに背を向けて、速足で去っていった。鳥居をくぐると自然豊かな山に向かって飛んでいった。
「変じゃないですか? なんで映姫さんが選ばれたんですかね?」黙っていた早苗が聞いてきた。
「わかってなかったの?」
「はい」
特に表情を変えずに早苗は返事した。それを見て霊夢は呆れてしまった。
「要するに、誰もヘカーティアに会いたくなかったのよ。押し付け合いをして、下っ端の映姫に役が回ってきたの。私と会ったことがあるってのも、押し付けるための言い訳みたいなものよ」
なるほどと、早苗が感嘆の声を上げた。映姫がくぐった鳥居を遠い目で眺めた。
「地獄も世知辛いですね」
「あんたはもう少し空気を読みなさいよ。地獄行きの判決をされても知らないわよ」
「宗教家にとって空気は作るものです。他人の空気に流されては導くことなんてできません」
このマイペースは尊敬に値すると霊夢は皮肉交じりに思った。白黒つけたがる映姫とは今後も馬が合わないだろう。
そういえばと、霊夢はヘカーティアを思い出す。彼女もかなり砕けた性格で口調も軽かった。二人は上手くやれるだろうかと、他人事ながら霊夢は心配になった。
「それはそうとして、映姫さんのプレゼントを食べましょう。絶対美味しいですよ」
たしかにそうだと霊夢は思った。あとは二人の問題だ。
-2-
四季映姫は森の絨毯の上を飛んでいた。もちろんヘカーティアを探すためだ。
彼女が湖にいたとの話から捜索範囲を狭められた。おそらく地獄にはない豊かな自然、森か綺麗な水辺のどこかにいるはずだ。それでも、人による開発が進んでいない幻想郷ではかなりの広域となる。無茶な命令をしてきた上司には文句の一つも言いたかった。
けれども、映姫は彼女との面会を少しだけ楽しみにもしていた。いままで遠くから見るだけだった女神と直に話せるのだから、どんな人だろうと興味がわいていた。
しばらく飛んでいると、場にそぐわない赤い点が川辺に見えた。もしもを考えて、距離をとって森の中に降り立った。足音を立てないように木々の中を通り抜けて近づくと、彼女の姿が見えた。
ヘカーティア・ラピスラズリは川のせせらぎに足を浸していた。何やら御機嫌に鼻歌を歌っている。周囲にはどこからか小動物や鳥が引き寄せられていて、鼻歌を聞いているように映姫には見えた。あたかも絵画の一枚のようで、見とれてしまった。
「そんなところでボーっとしてないで、こっちに来なさいよ」
ひとりごとかと一瞬思ったが、自分を呼んでいるのだと気づいて映姫は慌てて木立から姿を表した。途中で転びそうになった。
「大変失礼しました。盗み聞きのつもりはなかったのですが……」
「別にいいわ。大したことはしてないから」ヘカーティアは映姫の顔を見つめた。「四季映姫ね。ここの閻魔だったわよね?」
驚きのあまり、映姫は返事をするのが遅れた。
「はい。ご存知とは、恐縮です」
「そりゃあ、地獄の女神をやっているから。関係者は大体わかるわよん」
映姫は深く頭を下げた。
「是非曲直庁より書簡を預かっています」
「はいはい」濡れた足をふいて、靴に手を伸ばした。「コーヒーと緑茶どっちが好き?」
「はい?」
「いいから」
「……コーヒーです」
ヘカーティアは立ち上がり、歩き出した。
「里に行ってお茶にしましょう、手紙はそこで受け取るから」
映姫は小走りに追いかけた。
-3-
「外に比べると、味が違うのよね」
テーブルに並べられた、コーヒーとカステラを前にヘカーティアは言った。
「昔の味とも言えるけどね。そういう意味ではこの世界も面白いわ。探検のしがいがあって」
ヘカーティアは喋りながら砂糖とミルクを大量に投入した。ほとんどカフェオレだと思いながら、映姫はブラックのコーヒーを口にした。
「ブラックで平気なの?」
「大丈夫です」
仕事柄飲むことが多い。
「すごいわね。私の知り合いは変わった飲み方をするのよ……」
川で出会ってから、ヘカーティアはずっと喋っていた。他愛のない話ばかりで映姫は相槌を打つばかりだった。せめて仕事関係の話をしてくれないかと切望していた。地獄の様子はどうだとか、聞いてくれてもいいだろうに。
「あの、そろそろ書簡をよろしいですか?」
「はいはい。貰うわ」
古式ゆかしく、封蝋で封印された手紙をヘカーティアは受け取った。妙に楽しそうな表情で手紙を読み始めた。
「勝手に動かないで欲しいって。無駄に堅苦しい言葉を使うのよね、あいつらは」
カステラを食べながら、ヘカーティアは手紙を読み返す。食べかすが手紙に落ちて、映姫は眉間にしわを寄せた。
「返事を書いたら届けてくれる?」
「はい。お届けします」
どこからかレターセットを取り出して、達筆な字で書き始めた。コーヒーを飲みながら文章を盗み見しようとしたが、今は使われていない古い言葉で書かれているようで内容は分からなかった。是非曲直庁の手紙は普通の言葉で書かれているのに、どうしてそんなことをするのだろうと映姫は思った。いたずらだろうか、いやがらせだろうか。
満面の笑みで手紙の一番下まで書き終わると、ヘカーティアは両手で手紙を持ち上げ、顔を近づけると……
チュッ
呆気にとられて映姫は目を丸くした。
「はい、完成。お願いね」
受け取った手紙にはデカデカとキスマークがあった。
これを上司に渡さなければいけないのかと思うと、映姫はこめかみが重くなった。飲みなれているはずのコーヒーが胃を刺激しているような気がした。
上司が彼女を避けた理由がようやくわかった。
「みんな口うるさいわよね。プライベートくらい勝手にさせてほしいわ」
「プライベートだったんですか?」
「そうよ。友達と一緒に昔の仕返しをしただけよ」
映姫は努めてゆっくりとした口調を保ちながら、反論した。
「仕返しにしても過激ではないですか。月人が死んだのかもしれませんよ」
「気を付けてはいたわ。まあ、死んじゃったときは裁きをするだけでしょ」
「簡単に言わないでください。月の地獄は規模が小さいのであっという間に許容量を超えますよ」
「じゃあ、私も裁きをやるわ。丁寧にやってあげる」
「ヘカーティア様は制度上できません」
映姫はコーヒーを一気にあおった。今までの会話で女神らしさがほとんどなかったことが映姫の苛立ちを募らせた。女神ではなくて、ただのわがままなお嬢様にしか見えなかった。
「けど、映姫ちゃんは納得できるの? 嫦娥と夫のせいで星が落ちたのよ。あれが残ってたら今の地獄の立場はもっと良くなっているはずよ」
「でしたら、仕返しではなく、地獄の地位を上げる活動をする方が建設的でしょう。ヘカーティア様は現在も信仰されていますから、方法はあるでしょう」
「話はちょっと変わるけど、『様』で呼ぶのやめてくれない? 私は『ちゃん』付で呼んでるのに、おかしくない?」
「おかしくないです!!」
思わず語気を強めてしまった。慌てて頭を下げる。「失礼しました」
気分を害した様子もなく、ヘカーティアは笑う。
「映姫ちゃんはホントに真面目ね。最近の地獄の人はこんな感じなの?」
「例外はありますけど、みんな真面目にやっています」
あららと、ヘカーティアは声を上げる。
映姫に向かって人差し指を立てた。
「一つ質問をするわ。地獄はどこにあると思う?」
「……彼岸の向こう側です」
まさか地獄の場所を忘れたのかと、映姫は疑った。
「だから、そういう教科書通りじゃダメなの」
突き立てていた人差し指を映姫の額に押しつける。
「地獄はここにあるの、ヤマザナドゥ。人間が持っている灰色の脳みその奥にね。神も、妖怪も、地獄も、天国も、ここにあるの」
映姫の反応を確かめるように、ヘカーティアは一呼吸置いた。
「映姫ちゃんは地蔵の出身よね?」
とっさに言葉が思いつかず、黙って頷く。
「人間が死や地獄を忘れたらどうするの? 閻魔どころか、地蔵にもなれないわ。映姫ちゃんは人間を裁いているけど、偉いからじゃない。裁きを必要とする人間がいるからよ」
「……地獄を忘れるなんて、ありえませんよ」
「そうかしら? 月人は死を忘れようとしているわ。人間は神を忘れたから、この世界があるのよ」
映姫は何か反論をしようとしたが、頭がいつものように動いてくれなかった。ヘカーティアが突然別人のように見えて、戸惑った。
「人間の地獄見学ツアーって今はやってないの?」
「……すいません。初めて聞きました」
「やっぱり。人間の世界に行って、いろんな不幸を見学するのよ。差別に貧困に紛争、私たちの地獄に負けず劣らず辛いものよ。なまじ他人の幸せを目の前で見せつけられるから、不幸もより一層引き立つの」
「そういうのは判例から学べます」
ヘカーティアは首を振った。
「それじゃあイマイチよ。要約された文章だと表面しかわからない。十年、二十年と生きた人間の生きた証を見守ってみなさい。実際に目の当たりにするとね、裁判への気持ちが変わるから」
「……今の地獄は、そんなの認めてくれませんよ」
映姫の声は絞り出したかのように小さかった。
ヘカーティアは目を細め、わずかにほほえんだ。今までのとは違う、大人びた表情に見えた。
「そうね。人間も地獄も変わっちゃったのよ。変わるのは当たり前だけど、ここまで変わるとは思わなかったわ」
ヘカーティアは視線を落とし、カップを覗き込んだ。砂漠の色に似たカフェオレが彼女の顔を写し出す。
「みんな勝手よ。私は女神をやめられないのに」
ひとりごとのような小さな声だった。
ヘカーティアが小さくなったように映姫には見えた。
きっと今の地獄はこの人に合わない。昔の、是非曲直庁がなかった時代の思い出を引きずっている。昔は人と死の距離が近かったのだろう。彼女は親身になって人間を見守り、死者と会話し、熟慮の末裁いていたのだ。
今の地獄は分業化されて効率主義だった。常に人手不足で深く考えていたら、すぐに後がつっかえる。
彼女はそんな地獄に合わせられない。
合わせてしまったら、過去に裁いた死者を裏切ることになるから。
閻魔の経験が映姫にそう告げていた。
「あの」
ヘカーティアが顔を上げた。
「昔の地獄はどんな感じでした?」
ヘカーティアは身を乗り出して、映姫に顔を近づけた。打って変わって楽しそうな笑顔だった。
「聞きたい?」
「はい」
「よし」
カップに残ったカフェオレを一気に飲みほす。
「居酒屋行きましょ」
「どうしてそうなるんです!?」
「だって昔の恥ずかしい話を暴露するにはお酒がないと。どうせ経費でおちるんでしょ。いいお店行きましょ」
「私が聞きたいのは暴露話ではなく昔話です!!」
「おんなじようなものよ」
ヘカーティアは映姫の手を引っ張って歩き出した。
思いのほか暖かかったヘカーティアの手に映姫はドキリとした。
-4-
里の通りの片隅で映姫は壁に寄り掛かっていた。夜明けを目前にした里は静かだった。
頭はガンガンするし、服は臭い。ヘカーティアはいつの間にかどこかに行ってしまった。
お酒の席でも意味のない話ばかりだった。ほとんどが映姫の上司の失敗談やスキャンダルで面白くはあったが、参考にはならないし、むやみに言ふらせるものではなかった。喫茶店で一瞬見えた彼女の奥底は本当にあの時だけだった。
結局、最初から最後まで彼女の掌の上で踊らされていたような気がする。
急に、目の前が明るくなった。通りに置かれている物がそれぞれの影を作り出した。
太陽が昇り始めたのだ。
そろそろ戻らないと、そう考えていたら映姫の背後から物音が聞こえてきた。
振り返ると町が目覚めようとした。
家々から声が聞こえて、人々が荷物を持って家から出てきた。彼らは映姫の横を通り過ぎる。
彼らは職場に、寺小屋に行ってそれぞれの勤めを果たすのだろう。
家では女達が帰りを待っている。
たくさんあるそれぞれの生活のどこかで、誰かが産まれて、誰かが死んでいる。そして、裁きの席に着くのだ。
次は、もっと良い命になるようにと願いながら。
映姫は背筋を伸ばして歩き出した。
今日は上司に手紙を渡したら、体調不良を理由に早退しよう。
帰り道に花を買って、部屋に飾ろう。
色とりどりの大きな花束を。
きっとすぐに枯れてしまう。
それでもやろう。
枯れるまでの姿を目に焼き付けよう。香りを記憶しよう。
それがその花の生きた証だ。文章にも、絵にも、写真にも記録せずただ覚えよう。
いつもの自分なら絶対にやらない非生産的で、非効率的な行動だ。
たまにはそういう気まぐれもいいじゃないか。白と黒だけの殺風景な部屋に彩りを添えるのも。
そんな気まぐれをした自分がおかしくて映姫の顔に自然と笑みがこぼれた。
2人のやり取りが短くも濃厚で、上質な物語だと感じました
素晴らしかったです
へカーティアさん、いいキャラです
面白かったです
映姫さんとヘカーティアさんのお話を以前から読みたいと思っていたので嬉しいです。
文章が読みやすかったのも好いと思いました。またの投稿を楽しみにしています。
私の中では映姫は日本地獄所属、ヘカTはEU地獄所属、という別々の職場のイメージだったのでヘカTが映姫の上司なのは新鮮でした。