「毎日、この人形に寂しい事や辛い事を話しておくの」
妻が見せたのは、メリケン粉を焼いて作った人形である。
「心の中で考えている事を、全部自分の中にしまっておくことなどできないのよ
そんな事をしたら、考えが人を蝕んでしまうわ、あなたの前の奥さんみたいにね」
彼女はそう言って、メリケン粉を焼いてつくった人形を引き裂くと中には胆汁がつまっていた。
「もし人形に溜まらなかったら、この胆汁は私の中に溜まって、死んでいたかもしれない
世間でも『他人にしか胆汁の毒を取り除くことはできない』というもの」
パミール高原に伝わる民話『メリケン粉人形』より
生きている中で不平不満を持たない者はおそらくいないだろう。
自分がいて、他人がいる。
そうなれば良い事も悪い事もある訳で。
悪いことを呑み込もうとも呑み込みきれないなんてのは良くある話だ。
神々が愛する土地だって、ソレは変わらない。
人でも神でも妖怪でも、生きているのだから時には吐きたい時だってあるのだ。
こればっかりは、どんな医者でも治せない誰もがもつ毒なのである。
「毎度、御贔屓に」
できうる限り明るく、朗らかに。
お客に対して愛想よく振る舞う。
なにせお客が薬を買ってくれなければ、薬屋はお飯の食い上げである。
全く、あの巫女と白黒と半端剣士が乗り込んできてから永遠亭はいらない苦労ばかりをする羽目になっている。
強い日差しを避けるように笠を被りなおして、鈴仙・優曇華院・イナバは里を練り歩く。
最初の頃は薬が思うように売れず、かなり苦労したものだ。
月の英知で造られた薬である。その効能は確かなもので、売れぬはずがないと思っていたのだが。
地上の人間とは中々に小生意気なもので、見知らぬ薬師の品は買えないと抜かすのである。
わざわざ師である八意永琳まで里に出向いたというのに、本当にあの頃は苦労したものだ。
師も自分も、本来商人では無いと言うのに。
最近はどうにかこうにか商売のイロハも判ってきて、ある程度の収入も見込めてきたが、師はこれ幸いと外回りを自分に任せっきりになってしまった。
さりとて、この様な事は因幡てゐには任せられない。
アレは知恵が回るが悪知恵の類だ。
曲がり間違っても、商売が出来る性格では無い。
てゐの眷属たる兎どもの方がまだマシというものだが、あいつ等もどうにもお調子者で不安が残る。
姫様は無論論外で、やはり自分が出るしかないと判っては居るのだが。
「ふぅ」
と嫌な気持ちは口に出てしまうものだ。
やれ、永遠亭に戻る前にどこぞで茶の一杯でもひっかけてゆくか。
たしか、こちらの道が茶屋への近道だったはず、とある程度わかってきた里の道を歩いてゆくと、どこからから声が聞こえてきた。
静かだが、厳しい声だ。自分も永遠亭で散々聞かされた類のものである。
はて、何事か、と声の元を探して近くの建物を覗いてみると、年老いた男が若い男に小言を言っている場面に出くわした。
男たちの手元にはいくつかの竹細工が転がっている。
どうやら老人は竹細工の職人で、若い方は弟子の様だ。
そういえば、里の大通りで竹細工を売っている店があったが、ここはその裏手なのだろう。
「こら、そんな粗雑に扱うんじゃない。もっと細かく編め」
「は、はい」
若いのが額に汗を浮かべて必死に竹を編むが、作業の一つ一つに老人の叱責が飛ぶ。
その手並は素人目に見れば淀みないように見えるが、老人からすると色々と拙いのであろう。
しかし、あれが竹か。と籠等に編み上げられた品を見て鈴仙は感心する。
竹細工など珍しい代物ではないが、造っている場をみるとなると話は別だ。
普段は青々として硬い竹が、あのような形になるのは中々に興味深い。
「こりゃ、なんど言ったら判る!」
再び、老人の叱咤の声が聞こえると、鈴仙は自分の事でもないのに首を竦めてしまった。
作業に興味はあるが、どうにもあの類は苦手だ。
師というのは、どこのも厳しいものなのだな。
そんな事を思いつつ、鈴仙はそそくさとその場を離れるのであった。
さて、それから幾日か過ぎて、鈴仙はまた薬を売りに里を訪れていた。
何分幻想郷というのは物騒な場所である故に、薬の需要は意外と多い。
妖怪共は滅多に人を襲わぬが、幻想郷の掟など知った事では無い妖精に軽いけがを負わされたり、そもそも掟など知る由もない獣などもいる。
更に里にマトモな医者もいないので、病に備えて薬を欲する者が絶えないのである。
医は仁術なりというが、医者が喰いっぱぐれないというのもまた事実だ。
そろそろ馴染みの客と呼べるようになってきた家々を一通り回り終えて、さて帰って昼食にしようかと大通りを歩いていると、視界の端に竹細工の店が引っかかる。
先日、裏を覗いた店だ。
今日は表に来ている訳だが、普段は見ない制作現場を見たせいか、なんとなく興味が沸いて店先を覗き込む事にする。
「いらっしゃい」
若い声が、鈴仙を迎える。
声の主は、先日の若者であった。
思わず、「あら」と声が出てしまう。
「? 何か?」
「あ、いえ……この前、店の裏で店主と…で、いいのかな兎に角、作業してるのを見てたものだから」
すると、若者はなんとも言えぬバツの悪そうな笑顔を見せる。
「あ、いや、見てらっしゃったんですか」
まいったな、と居心地が悪そうに頭を掻くが、笑顔だけは忘れない。
俗に言う営業スマイルという奴であろうか。
そんな青年を余所目に、鈴仙は店内に置かれた品を物色する。
日が遮られているが入口が広い為に十分な明かりが差し込む。
こういう店にありがちな、暗いのに明るいというなんとも言えぬ独特な空気の中には本当に様々な品物が並んでいた。
一番多いのが笊や籠などの、日常で扱う品であるが、他にも玩具や茶道具、調度品なども置いてある。
どうやら小間物全般を置いているようだ。
しばらくそうした品々を手に取ってみたりして愉しんでいた鈴仙であったが、ふとある事を聞いてみる事にした。
「ここには、貴方の造ったものはないの?」
「いやぁ、私のはまだ店に出せるような代物じゃありませんので」
「この前見た時は、十分売り物になりそうだったけど」
「遠目でご覧になられたからでしょう。比べて見れば一目で違いが判ります」
そういう物なのか。
まぁ、あの老人が叱責していたのだからそうなのだろう。
「貴方も大変ね」
「も、という事は、薬売りさんも?」
「まぁね、毎日毎日、師匠の厳しい事……」
薬師・医師としての修業が厳しいのもあるが、それ以外にも色々と苦労が絶えぬ。
良かれと思ってやった事でも、余計な事として小言をもらう事だってある。
「この間の鼠よけだってそうだったし」
「おや、怒られたのですか」
「そう、酷いと思わない? 里の鼠の被害が減るんだから、良い事してるのに」
「実際、助かっておりますよ」
「そうでしょ?」
褒められて、つい調子にのってしまう。
そうしてしまうと後は簡単なもので、普段腹に溜まっているものが口からどんどんあふれ出てくるのだ。
いつの間にか店の上がり端に腰を下ろし、これまたいつの間にか出されていた茶で喉を潤す。
そのお陰でまた余計に愚痴が弾んでしまうのだ。
青年の方と言えば、そんな鈴仙に「ほぅ」とか「へぇ」と返すばかり。
しかして、迷惑そうな様子が無いので鈴仙も遠慮が出てこない。
そんな時間がどれほど過ぎたのか、鈴仙の毒を止めたのは、どこからか聞こえてくる鈍く重い音であった。
命蓮寺の鐘の音である。
そこで、はたと鈴仙は既に時間が正午を過ぎようとしている事に気が付いた。
昼前に戻る予定であったのに、これではまた師匠に怒られてしまう。
この時間で説教を喰らえば、昼食を喰いっぱぐれてしまうではないか。
慌てて立ち上がって、手の中でもてあそんでいた竹の玩具を落としかけてしまう。
辛うじて床に激突だけは避けて、青年の方に向き直って財布を開いた。
「これ、ちょうだい」
「はい、20銭になります」
何の変哲もないヤジロベエである。
鈴仙には全くと言って必要の無いものであったのだが、気が付けば長居をした上に茶まで振る舞ってもらったのに冷やかしではなんとも後味が悪い。
金を払ってヤジロベエを仕舞い、「ごちそうさま」と声をかけて。
「ありがとうございました」という声を背中に受けて、鈴仙は速足で店を後にするのであった。
* * *
人との観方というのは割と簡単に変わる。
観方が変わると気が付くこともある。
鈴仙は、時折ではあるが、あの青年を時々見つけるようになった。
鈴仙にとって、今まで「客」の背景に映っていただけのあの青年が、背景ではなくなったという事だろう。
たかだか数時間言葉を交わしただけだが、それでも変わることだってある。
その日は、仕事も落ち着いて自由な時間がとれていた。
まぁ、そうは言ってもやる事も無し、里の貸本屋でなにか面白そうな本でも物色しようかと、竹林の出口にまで差し掛かった時である。
メキメキと何かが軋む音が聞こえたので、そちらを振り向いてみると里の男衆が竹を切り倒している処であった。
珍しい光景ではない、成長の早い竹は幻想郷の貴重な資源の一つである。
焼いて竹炭にしたり、囲いに用いたり水筒に加工したり。
多岐にわたって活用出来る為、こうして時折、迷いの竹林の竹を伐採しに来るのだ。
さて、それはどうでもよい。倒れる竹も危ないので、そこは避けてゆこうとした時、男衆の中にあの青年が混じっているのを見つけた。
懸命に竹に向かって鉈を振っている。
そして切り倒した竹を玉切り(幹の長さを揃える事)したり、枝払いをしたり。
額に汗を浮かべて、懸命に作業をしている。
彼は細工師見習いでは無かったのだろうか。
何故ここで、竹の切り出しをやっているのだろう。
そう疑問に思うと同時に、鈴仙は青年に声をかけていた。
「ねぇ」
丁度、一息ついたのか水筒に口をつけていた青年がこちらの方を向く。
「これは、薬売りさん」
「えぇっと……何をしてるの?」
「あ、はい、仕事で使う竹を切り出しているんです」
「それは、わかるんだけど……貴方、細工師よね」
「細工師だからって、細工だけやってるわけじゃないですよ。男ですから、こういう仕事はいくらでもお呼びがかかります」
それは、解る。
なんだかんだ言って、人間の里で若い男は貴重な労働力だ、細工師見習いだからと言って、別の仕事をしなくてもよいというのは無いだろう。
「大変じゃない?」
「大変ですけど……仕事を放りだすなんてできませんし」
「アンタも、苦労してるんだ」
先日、同じような事を言ったが、それがもう一度口から洩れる。
何故こうも、苦労というのは下の者にのしかかるのか。
けれども、放り出すことなんてできないという言葉は、鈴仙にもかなりよく理解できる。
仕事をしないで、周囲から怒られるのは嫌だというのもあるが、仕事をしないでいるとなんとなく気分が落ち着かないというか……後味が悪いのだ。
あれやこれやと押し付けられ、小言を言われて、仕事は嫌だなと思いつつ、何か抜け道探してサボってみると、妙な息苦しさが伴う。
だから、仕事を引き受けて悩む事になる。
どっちの道を行っても辛いとは、やはり地上は碌でもない。
「あの」
「ん? 何?」
「もしよろしければ、話をお聞きしますよ?」
「は?」
話? 何の話だろうか。
「あ、いえ、なにかこう、いろいろと話というか言いたいことがあるような様子でしたから」
……そこまで、顔に出ていたであろうか。
いかん、そんなのが師匠にみられたら大事である。
「大丈夫よ」
襟を正し、姿勢を正し、己を正す。
鈴仙のように、波長を見る力は無くとも、他者を察する力を人も妖怪も持っている。
なればこそ、本音を隠す盾は必要なのだ。
「ねぇ、また今度、店に行ってもいいかしら」
「もちろんです。冷やかしでも歓迎しますよ」
「店として、それはどうなの?」
「ははははは、良いんですよ。親父さんやお袋さんも、知り合いと茶を飲んでばっかりなんですから」
「いい加減ねぇ」
「それが家の店です」
男衆から、青年の名が呼ばれる。
どうやら、時間を取らせすぎたようだ。
「あっと、ごめんね」
「いいえ、大丈夫ですよ。それじゃあ、薬売りさん、また今度……」
「鈴仙よ」
「は?」
「鈴仙・優曇華院・イナバ。私の名前」
「……わかりました、鈴仙さん」
「うん、それじゃあ、また今度」
こうして、青年は男衆の元に戻り、竹を運び出す作業を始める。
それを少しの間眺めていた鈴仙であったが、そうこうしていても仕方がない、と里に向かって歩き出した。
他人の、しかも人間に、自分の名前を教えるなんて珍しいな、と自分でも不思議に思いながら。
* * *
さて、人と言うのは厄介なもので、気軽に話せる相手が出来ると、その相手の元についつい入り浸ってしまう事がままある。
鈴仙もその類に陥ってしまったようで、何か買う訳でも無いのに、竹細工の店にちょくちょく入り浸ってしまっていた。
流石に客のいる時間と本来の店主夫婦が店番をしている時間は避けるものの、青年が店番をしている時間にちょっと顔を出して、常日頃の鬱憤を存分に吐き出すのである。
「本当に、姫様の思いつきと言ったら」
「今度はどの様な催し物をなさるので?」
「魔法の森に人形使いの魔法使いが住んでるでしょ」
「あぁ、いらっしゃいますね」
「あの子を招いて、人形劇をやるのだって」
「それで、交渉その他一切を任されたと」
「そう!」
あぁ、全く。人形遣いが話の分かる人物だったからよかったものの。
なにせ幻想郷で力あるものはどいつもこいつも我が強いのだ、いや、我が強いから力を得たというべきなのか。
どちらにしろ、協力が取り付けられて良かった。
相手も突然の話で戸惑っていたようだが、八意永琳の知識を借りて新しい人形をつくれるとなると心動かされたのだろう。
「鈴仙さんは」
「ん?」
「お師匠様とお姫様の事が好きなんですね」
「え、あー……」
そう言われると、すこし戸惑ってしまう。
確かに厳しくて怖い師で、ちょっと意地悪で我儘な姫様だが決して嫌いな訳では無い。
月から逃げた自分を受け入れてくれた人々なのだから当たり前なのだが。
ただ、嫌いでは無いと言うのは簡単だが、好きだ尊敬しているのだと口にするのは以外に難しい。
愚痴や文句なんかよりよっぽど良い事なのに。
良い事を口にするのは恥ずかしくて大変な事なのだ。
「まぁね」
こんな一言ですら、茶を啜って口元を隠さないと言いづらい。
「……ん」
唐突に毒気をぬかれたせいか、なんとも言い難い空気になってしまう。
「お茶、お代りはどうです?」
「え、あ、うん、もらうわ」
まだ湯呑にいくらか残っていた茶を飲み欲して、彼に差し出す。
急須から見事な翠色が湯呑に注がれ、見るだけで暖かいと判る湯気が立ち上がる。
そうして、再び湯呑は鈴仙に手渡されるのだが、その時に彼の手が鈴仙の目に入った。
「ちゃんと薬つけてる?」
「勿論です、お蔭で大分よくなってますよ」
気が付いたのは、いつ頃だったろうか。
彼の手が、傷でいっぱいだったのは。
竹を編むときに竹で切ってしまったり、刺さったりする事もあるだろう。
日常の雑事を行うだけだって色々と傷は出来るものだ。
とどのつまり、彼の手は働く人間の手だった。
汗水流して、という言葉はあるが、手に傷作って働くという言葉は無い。
あってもよさそうなものだが。
「こんなに頑張ってるのに、まだ店先に並べられないなんてね」
「親父さん曰く、こういうのがある時点で未熟も良い処だそうで」
「ふぅん」
未熟未熟というが、如何ほどのものなのか。
少なくとも、一所懸命に修行を積んでいるのはこの手を診れば鈴仙にだって判る。
「ねぇ」
「はい?」
「今度、貴方の造った品を見せてよ」
「えぇ?」
「いいじゃない、ちょっと興味あるわ」
「いえ、ですから自分のは出来が良く無くて」
「だから、そういうのを含めて知りたいの。だってこんなに手を傷だらけにして造ってるんだもの」
まっいったな、と彼が口の中で含む。
珍しいぐらいに珍しい、戸惑う彼の姿である。
いつも穏やかで、心が発する波長だって明るい色をしているのに。
それがなんとも面白くて、鈴仙はつい強気にでてしまう。
「仕方ないですね……」
「見せてくれるの?」
「今は全て親父さんが手直ししてしまってるので、新しく造ってお見せしますよ」
「本当? 楽しみにしてるわ」
「それよりもですね、鈴仙さん」
「何?」
「手、離していただけませんか?」
謂れて初めて気が付く。
医者が傷を診るように、鈴仙は彼の手を取っていた。
慌てて離して、顔が熱くなっているのを悟られぬように背ける。
「ご、ごめんなさい」
「いえ、ちょっと吃驚しただけですから」
全く何をやっているのか。
変な事をしたせいで、さっきよりも余計に空気がおかしくなってる。
お茶でお茶を濁そうと、湯呑に口をつけるが……
「あっつ!?」
「ちょ、大丈夫ですか?」
煎れたてであったのを忘れ、一気に流し込もうとしたせいである。
結局、鈴仙が店を出れたのは、昼も半ばを過ぎた頃であった。
* * *
迷いの竹林にある永遠亭にて、八意永琳が鈴仙・優曇華院・イナバの声を聞いたのは昼をとうに過ぎてからである。
里に行商に行った訳では無いので、いつ帰るかは判らなかったが、意外と早く戻ってきたようだ。
それとも、意外と遅く戻ってきたとも言うべきだろうか。
「師匠、ただいま戻りました」
「お帰りなさい優曇華……少し、遅かったわね」
「え、えっと、そうでしょうか?」
「交渉、難しかったのかしら?」
「あ、いえ、先方も割と乗り気だったので、明日、こちらに来てくれるそうです」
「……そう。ご苦労様、下がっていいわ」
部屋から出て行く鈴仙を見送って、永琳は一つ思案する。
最近、鈴仙の様子がおかしい。
なんというか、雰囲気が軽くなったと言うか、貯めこんでいる物がなくなっていると言うか。
「てゐ、貴女はどう見てるの?」
「いやぁ、本人の調子が良いのなら、いいんじゃないの?」
窓からひょいと因幡てゐが顔をだし、あっけらかんと言い放つ。
「確かにそうなのだけれど、あの子はどうにも調子に乗りやすいから」
臆病な癖に、というか臆病だからこそ大丈夫だと絶対の自信を持つ事柄にはやたらと強気に出るのが鈴仙の欠点である。
帰りも遅い時も多いし、何かにつけて里に行くことも多くなった。またどこぞで良からぬ事でもやってるのではないかと勘繰ってしまう。
もう少し、能力相応に落ち着いて物事を見極めて行動して貰えればこちらとしては色々と安心できるのだが。
「ま・ま・ま、そんなに気にしなくて良いと思うな」
「てゐ、貴女、何か知ってるの?」
鈴仙と違い、やたらと扱いにくい弟子兼友人の思わせぶりな態度。
何時もの事と言えば何時もの事だが、何分、人をおちょくるのが好きな性分なので、こういう時は大抵なにか知っている時だ。
「まぁね、一応は私の領分だし」
「貴女の領分?」
はて、幸運の兎の領分とはなんであろうか
鈴仙に何か幸運でもあったと言うのだろうか。
「流石に今回の一件はだんまりさせてもらうよ、野暮い事この上ないからね」
「やれやれ、自分で調べろと言う訳ね」
「そうそう、偶には自分で動かないとねー、引きこもってばっかりじゃどこぞの貧弱魔法使いみたいになっちゃうよ」
「良く言うわ、事の顛末を眺めて愉しみたいだけでしょう」
「結果はある程度予想出来るけどね。まぁ、お師匠様が馬に蹴られない事を祈ってるよ」
「……とりあえず鈴仙を呼んできて頂戴」
「はーい」
何を訳のわからない事を。
永琳は珍しく口の中で悪態を吐いて、代わりに大きくため息を外に出す。
本当にアレは扱いにくい。
鈴仙が調子に乗ると割とやりすぎるのに対して、てゐは何だかんだ言って引き際を弁えている。
お蔭で、肝心な処で肝心な事を暈されてしまうのもザラだ。
月の賢者たるものが、と言われそうだが幾ら永く生きていようと、他者の在り様や思惑などよほど深い付き合いが無ければ、そうそう簡単に理解できるものでは無い。
ましてや月や時が滞った永遠亭という変わり映えのない世界での積み重は余りにも薄すぎる。
嗚呼、全くあの子の言う通りだわ、引きこもってばかりでは駄目ね。
自嘲をお茶と一緒に飲み干して、人心地つく。
さて、と気分を入れ替えたところで、襖の向こうから鈴仙の気配が感じられた。
「お呼びでしょうか、師匠」
「えぇ、入ってちょうだい」
「失礼します」
「悪いわね、帰ってきたばかりで」
「いえ、どうという事はありませんが……何かご用件でしょうか?」
「用、という程でも無いのだけれど、次の里への行商、私が行くわ」
「………………は?」
鈴仙が固まる。
訳が判らないよ、という状況を人の形にしたらこのようなモノになるのだろう。
予想通りの反応である。
「姫の御催し物の準備もあるのに、行商までやったら手が回らないでしょう」
「え、えぇっと」
「悪いけど、後で訪問先を纏めておいてもらえるかしら?」
「あ、あのっ 師匠っ」
「何?」
「あの、大丈夫ですから、姫様の手伝いも行商も」
ほぅ、永琳は目を鋭く細めた。
いつもの鈴仙ならば、疑問におもいつつも仕事が減るのには抵抗しないはずだ。
なのに、言い返すとは。
「優曇華」
「は、はい」
「私は、いいと言っているのよ」
「で、でも」
あえてキツい口調で突き放しても、言い返そうとしてくる。
なるほど、やはり里か。
尤も、鈴仙が神社や悪魔の館や冥界や寺や仙界に用があるとも思えないが。
それにつけても、ここまで里に執着を見せるとは、何事であろうか。
とりあえず、無駄に締め付ける事も無いので、永琳は口調と目を和らげた。
「安心なさいな。永遠亭から出るなと言っている訳では無いわ。ただ、姫の手伝いに専念して頂戴と言っているだけ」
「え……あ、そ、そうですよね」
あからさまにほっとしている。
「明日で良いから、リストを作って持ってきて」
「はい、かしこまりました」
「用件はそれだけよ、下がっていいわ」
「はい、失礼します」
先ほどと同じように鈴仙が部屋を後にし、永琳は再び一人になる。
さてはて、里に何があるのやら。
それも気がかりだが、久方ぶりの商いを自分は上手く出来るだろうか。
月の賢者、あらゆる薬を造る程度の能力(天才)、そんな肩書を持つ八意永琳ではあるが、悩み事は以外にもごくごく普通な代物であった。
* * *
さて、それから3日後、永琳は里を訪れていた。
背には薬箱を背負い、頭には傘を被り、手には鈴仙の造ったお得意様一覧を持っている。
里を巡って判ったのは、意外と鈴仙が里に馴染んでいたという事である。
行く先々で「おや、いつもの薬売りさんではないのかい?」と問われ、その度に「えぇ、あの子はちょっと用事があるので」と返す。
無論、鈴仙の里での行動を調べるのが目的でそれとなく聞いてもいるが、先に述べた通りに商売も大事なので出来る限りにこやかに、下手を打てば鈴仙がせっかく築いてきた里からの信用を失ってしまう。
それは師としても一個人としてもあってはならない事態だ。
まぁ、相手が買う薬は決まっているので、必要以上に気をとがらせる事も無い、むしろそんな事をしたら相手にもそれが判って気分を害してしまうだろう。
何事にも、さじ加減というのが大事なのだ。
茶屋で喉を潤し、団子で小腹を満たした永琳は力を取り戻した余裕と共に、次を目指す。
確か次は、里の大通りに面する竹細工屋だったか。
竹細工と言えば、何時ぞやだったか鈴仙がヤジロベエを買ってきていた。
ずいぶんと珍しい事もあるものだ、と首を傾げたものだが……
「ごめんくださいな」
「はい、いらっしゃい」
穏やかな口調で、迎えてくれたのは、声と同じくらいに穏やかな初老の女性である。
おそらく、店主の奥方なのだろう。
「永遠亭から薬の補充に参りました」
「あら、まぁ、これはこれは」
ご苦労様です、と女性は頭を下げ、店の奥に向かって声をかける。
少しして、薬箱をもった青年がやってきた。
手にやたらと沢山の絆創膏を貼って、おそらくは薬のほとんどを彼が消費しているのだろう。
案の定、薬箱の中で明らかに擦過傷や切り傷に効く薬が少なくなっていた。
薬を補充し、代金をもらう。
そこで、鈴仙の話を切り出そうとしたのだが……
「そうだわ、薬屋さん。貴女、生姜はお好きかしら?」
「えぇ、好物ですよ」
永遠亭の時が動き出して、良かったことが幾つかある。
その内の一つが、地上の食い物も中々に旨いというもので、永琳も生姜の甘酢漬け等を気に入っていた。
白身魚と一緒に噛むと、繊維の隙間から酢の甘さと生姜の刺激がジュワリと染みだすようで、それが淡白な魚に良く絡んでなんともたまらない。
稲荷寿司と一緒に食べるのも良い。
「そう、貰いもので良ければ、すこし多すぎて。持って行ってもらえないかしら?」
「いえ、そんな」
「いいのよ、いつも貴方達の薬で、この子が助かってるから」
ちょっと待ってて頂戴、と告げて、女性は奥に引っ込んでしまった。
……まぁ、くれるというなら貰っておこう。
帰りに甘酢を買ってゆかなければ。
と、そんな事を考えていた時、ふと青年の何か言いたげな視線に気が付く。
「あら、なにか御用かしら?」
「いえ、今日は鈴仙さんじゃないんですね」
おや? と永琳は心の中で首を傾げる。
「えぇ、あの子はちょっと別の用件があって、こんど永遠亭で催し物をするのでその準備を」
「あぁ、人形劇の」
「優曇華から聞いたのかしら?」
「えぇ」
なるほど、この子か。
永琳は確信する。
「最近、あの子はちょくちょく里に来るようだけど」
「そうですね、まぁ、確かに良くお見かけしますよ」
「よく話をするのかしら」
「えぇ」
そんな事を幾つか話している間に、女性が生姜を持って戻ってきた。
実に大きく、見事な生姜である。
永琳は予想以上の貰い物に驚きながらも、丁寧に礼を述べて店を後にする。
振り返ると、あの青年が此方に頭を下げるのが見えた。
さて、なんとも珍しい事があるのものだ。
まさかあの鈴仙が自分の名前を教えるぐらいに里の人間と親しくするなど。
人間で親しい相手など、てっきり紅白巫女か白黒魔法使いぐらいだと思っていたが。
なにはともあれ、最近の鈴仙の行動に関して、あの青年を中心に調べれば判るだろう。
永琳は実に涼しげな、傍からみれば誰もが美しいと言うであろう笑顔を青年に向け、もう一度丁寧に頭を下げる。
ただ、その目だけは、なにか値踏みをするようなあまり良い感情の籠っていない代物であった。
* * *
何か忙しい事があると、時が経つのは速い。
鈴仙はその事をまざまざと実感させられていた。
師から、姫の手伝いに専念しろといわれてからかれこれ数日、単に人形劇の準備をするだけなのかと思いきや、なんと人形を操る練習までさせられる始末である。
事のはじまりは、姫が人形遣いの技術に興味をもって、教えてくれと乞うたからだが、それがどうして自分もやる羽目になったのか。
当然の事ながら一朝一夕で出来るような代物では無く、大分悪戦苦闘した。
仕舞にはあまりの難しさに「この子達にも薄いけど自我があるんだから、波長操ればいいのよ!」などとのたまってしまい、人形遣いから小言をもらってしまう始末。
これならば、師に無理をいって行商に時間を割いていた方が楽だったかもしれない。
お蔭で里にもこの数日足を運べていない。
今日はようやく時間をみつけて、買い物にかこつけてやってきた次第である
「おや、いらっしゃい」
もうすっかり、彼が店番をしている時間を把握している。
わざわざその時間に着くように、永遠亭を出たのだ。
「また、なにやら大変な目にあってるようですね」
「えぇ、本当にもう」
本当に、久しぶりである。
姫の手伝いが大変だとか、人形の扱いがどうだとか、なんか師匠の様子が変だとか、てゐはいつも通りでなんかイラつくとか。
そんな事をの色々をひっくるめても、里に来れないというのが鈴仙にとってなによりも不満の貯まる事であった。
永遠亭の中では言えない事を彼は何だって聞いてくれる。
静かに聞くだけで、まるで人形に話しかけてるように見えるかもしれないけど、彼は紛れもなく人間で、だから誰かが自分の色々な話を聞いてくれるのが、鈴仙には何よりも安心なのだ。
だから今日の鈴仙は、沢山沢山話をしようと思って、その通りに沢山話した。
他の連中の前では絶対に言えないような事だけれど、その全てを彼は呑み込んでくれるのだ。
少し声が大きいかもしれない、捲し立ててるかもしてない。けど、鈴仙はそんな事気にしなかった。
彼がいつも通り、穏やかな笑顔とそれと同じくらい、いや、もっとゆったりとした波長で自分を迎えてくれている。
それが、鈴仙には何よりも大事なのだから。
忙しいと時間が速いように、楽しい時間だって過ぎるのは速い。
それとも、あまりにも一気に吐き出しすぎたからだろうか。
どちらにしろ、流れが変わったのは鈴仙がすっかり落ち着いてからであった。
「そうそう、この間の品物、出来上がりましたよ」
「へぇ、貴方の作品?」
「はい」
そう言って、彼は傍らに置いてあった函から、一つの竹細工を取り出す。
細かく編まれた、兎である。
背は籠になっており、小物入れに丁度よさそうだ。
「わぁ…!」
鈴仙は、想像していたよりもずっと見事な出来のソレに、思わず声を上げる。
「凄いじゃない、店の品物に見劣りしないわよ」
「……親父さんが、初めてほめてくれた品ですから」
彼は少し照れくさそうに、でもそれよりもずっと誇らしげに。
傷と絆創膏だらけの手で、鼻の頭を掻いた。
そして、それを観た鈴仙は少し押し黙ってしまう。
「どうかなされましたか?」
「ん、いつも以上に頑張ってるんだなって」
「初めて、鈴仙さんに見せる為に造りましたから」
「そっか」
改めて、鈴仙は兎の籠をまじまじと眺めた。
素人目からも、精魂込めて造ったのが判る。
「……ねぇ」
「いいのではないですか?」
「まだ何も言ってないんだけど」
「人形の練習の事でしょう?」
「え、あ、うん」
「大変な事でも、頑張ってみるというのは良い事ですよ。何かできた時、報われます」
「そっか」
「はい」
「あのさ、人形劇、見に来てくれる?」
「もちろんです」
「うん……うん!」
鈴仙はなにかすっきりした顔で、すっと立ち上がった。
そして、兎の籠を彼に返そうとするが、彼は頭を振る。
「どうぞ、お持ちになってください」
「いいの?」
「えぇ、鈴仙さんの為に造りましたから」
うぇっ!? と変な声を上げてしまう。
自分の為に、なんて言葉、鈴仙は初めて聞いた。
途端にしどろもどろになってしまい、視線が泳いでしまう。
けれども、もう一度彼の目を見た時、やっぱり不思議と落ち着いて、鈴仙は短くこう告げた。
「うん、ありがとう」
久々に誰かに感謝を述べた気がする。
愚痴でも不満でも無い、自分でも驚くぐらいに綺麗で清々しい言葉だった。
だからだろうか、頭の中は落ち着ているのに心の中がどきどきしっぱなしで、鈴仙はそんな嬉しい乱れ方をする自分を抱えたまま、店を後にした。
「あれ、いらっしゃい?」
「おじゃまするわ」
青年が首を傾げる。
鈴仙と入れ替わりに入ってきたのは、だれであろう八意永琳その人であった。
手にはミョウガが入った袋を下げている。
「これ、この間のお礼にとおもって」
「これはご丁寧に」
暑い時期は、さっぱりした生姜もよいが、ミョウガを薬味にうどんや素麺も中々に乙なものである。
そう考えた永琳のお返しであったが、無論、用はそれだけではない。
「ごめんなさいね」
「え?」
「どうにも、優曇華が度々お邪魔してるみたいで」
そう、やはりと言うか、永琳の目的は鈴仙の素行調査である。
色々と調べてみて、良からぬ事をしている訳では無いというのは判ったが、まさか人様の店に入り浸っているとは。
永琳も鈴仙に色々と無茶ぶりをやらせている自覚はある為、愚痴が出るのは判るが、それをこういう場でやるのはいただけない。
店の人に迷惑ではないか。
「優曇華には、二度とこんな事をしないようしっかり言い聞かせておくから」
「いえ、この時間はお客さんもいらっしゃらないですし」
「全く来ない訳ではないでしょう?」
「はぁ、まぁ」
「貴方も、あの子の愚痴に延々と付き合わされるのは迷惑でしょう」
「いえ、迷惑などでは」
「あの子に遠慮する事なんて無いわよ」
「いえ、あの……」
青年はどうにも困った様子で頭を掻いている。
言葉に迷っているのだろうか。
しかし、やがて意を決したように口を開いた
「本当に迷惑などではありませんよ」
「何故?」
「その……惚れた弱み、と言うやつです」
永琳は、目をぱちくりとさせる。
はて、この青年は今なんと言った?
「あの、その、鈴仙さんにはどうかご内密に」
可哀想なぐらいに顔を真っ赤にして、青年は下を向いてしまう。
そこまでいって、ようやく永琳は自分がどうにも無粋な真似をした事に気が付く。
嗚呼、要するにそういう事なのか。
てゐが「自分の領分」と言ったのも判った。なるほど、確かアレは幸運だけではなく縁結びも司る。
「ぷっ」
何とも言えない感情に思わず、笑いが吹き出してしてしまう。
そんな事を思い至らなかった、自分がどうにも可笑しい故だったが、青年は勘違いしたのかますます縮こまってしまった。
「あぁ、ごめんなさい」
「あの」
「えぇ、判ってるわ。でも、店に迷惑をかけたのは事実だから」
そのことで改めて謝罪すると永琳も店を後にする。
惚れた弱みか。
なるほど、不平不満がどんな医者でも治せぬ毒なら、惚れた腫れたも治せぬ病だ。
そして惚れた相手のものならば毒でも甘露になるという訳か。
いやはや、それがなんとも可笑しくて。
永琳は永遠亭に帰るまで、困ったようなそれでいて本当に優しげな笑いをどうにも抑えきれずにいたのだった。
数日後、永遠亭が行った人形劇。
見事な演技を魅せる人形たちの中で、動きのぎこちない人形が一体。
出番も見物人達もあまり気にしない程度のほんの僅かな間だったけれど、確かに彼女が頑張って操る人形がいたのだ。
そして、それ拍手を送る青年と
青年を面白そうに眺める古兎と
苦笑しながら弟子を見守る師と
何かに気付きかけた姫君がいて。
どうやら、地上の月兎の苦労と心労の種がまた一つ増えたようであった。
妻が見せたのは、メリケン粉を焼いて作った人形である。
「心の中で考えている事を、全部自分の中にしまっておくことなどできないのよ
そんな事をしたら、考えが人を蝕んでしまうわ、あなたの前の奥さんみたいにね」
彼女はそう言って、メリケン粉を焼いてつくった人形を引き裂くと中には胆汁がつまっていた。
「もし人形に溜まらなかったら、この胆汁は私の中に溜まって、死んでいたかもしれない
世間でも『他人にしか胆汁の毒を取り除くことはできない』というもの」
パミール高原に伝わる民話『メリケン粉人形』より
生きている中で不平不満を持たない者はおそらくいないだろう。
自分がいて、他人がいる。
そうなれば良い事も悪い事もある訳で。
悪いことを呑み込もうとも呑み込みきれないなんてのは良くある話だ。
神々が愛する土地だって、ソレは変わらない。
人でも神でも妖怪でも、生きているのだから時には吐きたい時だってあるのだ。
こればっかりは、どんな医者でも治せない誰もがもつ毒なのである。
「毎度、御贔屓に」
できうる限り明るく、朗らかに。
お客に対して愛想よく振る舞う。
なにせお客が薬を買ってくれなければ、薬屋はお飯の食い上げである。
全く、あの巫女と白黒と半端剣士が乗り込んできてから永遠亭はいらない苦労ばかりをする羽目になっている。
強い日差しを避けるように笠を被りなおして、鈴仙・優曇華院・イナバは里を練り歩く。
最初の頃は薬が思うように売れず、かなり苦労したものだ。
月の英知で造られた薬である。その効能は確かなもので、売れぬはずがないと思っていたのだが。
地上の人間とは中々に小生意気なもので、見知らぬ薬師の品は買えないと抜かすのである。
わざわざ師である八意永琳まで里に出向いたというのに、本当にあの頃は苦労したものだ。
師も自分も、本来商人では無いと言うのに。
最近はどうにかこうにか商売のイロハも判ってきて、ある程度の収入も見込めてきたが、師はこれ幸いと外回りを自分に任せっきりになってしまった。
さりとて、この様な事は因幡てゐには任せられない。
アレは知恵が回るが悪知恵の類だ。
曲がり間違っても、商売が出来る性格では無い。
てゐの眷属たる兎どもの方がまだマシというものだが、あいつ等もどうにもお調子者で不安が残る。
姫様は無論論外で、やはり自分が出るしかないと判っては居るのだが。
「ふぅ」
と嫌な気持ちは口に出てしまうものだ。
やれ、永遠亭に戻る前にどこぞで茶の一杯でもひっかけてゆくか。
たしか、こちらの道が茶屋への近道だったはず、とある程度わかってきた里の道を歩いてゆくと、どこからから声が聞こえてきた。
静かだが、厳しい声だ。自分も永遠亭で散々聞かされた類のものである。
はて、何事か、と声の元を探して近くの建物を覗いてみると、年老いた男が若い男に小言を言っている場面に出くわした。
男たちの手元にはいくつかの竹細工が転がっている。
どうやら老人は竹細工の職人で、若い方は弟子の様だ。
そういえば、里の大通りで竹細工を売っている店があったが、ここはその裏手なのだろう。
「こら、そんな粗雑に扱うんじゃない。もっと細かく編め」
「は、はい」
若いのが額に汗を浮かべて必死に竹を編むが、作業の一つ一つに老人の叱責が飛ぶ。
その手並は素人目に見れば淀みないように見えるが、老人からすると色々と拙いのであろう。
しかし、あれが竹か。と籠等に編み上げられた品を見て鈴仙は感心する。
竹細工など珍しい代物ではないが、造っている場をみるとなると話は別だ。
普段は青々として硬い竹が、あのような形になるのは中々に興味深い。
「こりゃ、なんど言ったら判る!」
再び、老人の叱咤の声が聞こえると、鈴仙は自分の事でもないのに首を竦めてしまった。
作業に興味はあるが、どうにもあの類は苦手だ。
師というのは、どこのも厳しいものなのだな。
そんな事を思いつつ、鈴仙はそそくさとその場を離れるのであった。
さて、それから幾日か過ぎて、鈴仙はまた薬を売りに里を訪れていた。
何分幻想郷というのは物騒な場所である故に、薬の需要は意外と多い。
妖怪共は滅多に人を襲わぬが、幻想郷の掟など知った事では無い妖精に軽いけがを負わされたり、そもそも掟など知る由もない獣などもいる。
更に里にマトモな医者もいないので、病に備えて薬を欲する者が絶えないのである。
医は仁術なりというが、医者が喰いっぱぐれないというのもまた事実だ。
そろそろ馴染みの客と呼べるようになってきた家々を一通り回り終えて、さて帰って昼食にしようかと大通りを歩いていると、視界の端に竹細工の店が引っかかる。
先日、裏を覗いた店だ。
今日は表に来ている訳だが、普段は見ない制作現場を見たせいか、なんとなく興味が沸いて店先を覗き込む事にする。
「いらっしゃい」
若い声が、鈴仙を迎える。
声の主は、先日の若者であった。
思わず、「あら」と声が出てしまう。
「? 何か?」
「あ、いえ……この前、店の裏で店主と…で、いいのかな兎に角、作業してるのを見てたものだから」
すると、若者はなんとも言えぬバツの悪そうな笑顔を見せる。
「あ、いや、見てらっしゃったんですか」
まいったな、と居心地が悪そうに頭を掻くが、笑顔だけは忘れない。
俗に言う営業スマイルという奴であろうか。
そんな青年を余所目に、鈴仙は店内に置かれた品を物色する。
日が遮られているが入口が広い為に十分な明かりが差し込む。
こういう店にありがちな、暗いのに明るいというなんとも言えぬ独特な空気の中には本当に様々な品物が並んでいた。
一番多いのが笊や籠などの、日常で扱う品であるが、他にも玩具や茶道具、調度品なども置いてある。
どうやら小間物全般を置いているようだ。
しばらくそうした品々を手に取ってみたりして愉しんでいた鈴仙であったが、ふとある事を聞いてみる事にした。
「ここには、貴方の造ったものはないの?」
「いやぁ、私のはまだ店に出せるような代物じゃありませんので」
「この前見た時は、十分売り物になりそうだったけど」
「遠目でご覧になられたからでしょう。比べて見れば一目で違いが判ります」
そういう物なのか。
まぁ、あの老人が叱責していたのだからそうなのだろう。
「貴方も大変ね」
「も、という事は、薬売りさんも?」
「まぁね、毎日毎日、師匠の厳しい事……」
薬師・医師としての修業が厳しいのもあるが、それ以外にも色々と苦労が絶えぬ。
良かれと思ってやった事でも、余計な事として小言をもらう事だってある。
「この間の鼠よけだってそうだったし」
「おや、怒られたのですか」
「そう、酷いと思わない? 里の鼠の被害が減るんだから、良い事してるのに」
「実際、助かっておりますよ」
「そうでしょ?」
褒められて、つい調子にのってしまう。
そうしてしまうと後は簡単なもので、普段腹に溜まっているものが口からどんどんあふれ出てくるのだ。
いつの間にか店の上がり端に腰を下ろし、これまたいつの間にか出されていた茶で喉を潤す。
そのお陰でまた余計に愚痴が弾んでしまうのだ。
青年の方と言えば、そんな鈴仙に「ほぅ」とか「へぇ」と返すばかり。
しかして、迷惑そうな様子が無いので鈴仙も遠慮が出てこない。
そんな時間がどれほど過ぎたのか、鈴仙の毒を止めたのは、どこからか聞こえてくる鈍く重い音であった。
命蓮寺の鐘の音である。
そこで、はたと鈴仙は既に時間が正午を過ぎようとしている事に気が付いた。
昼前に戻る予定であったのに、これではまた師匠に怒られてしまう。
この時間で説教を喰らえば、昼食を喰いっぱぐれてしまうではないか。
慌てて立ち上がって、手の中でもてあそんでいた竹の玩具を落としかけてしまう。
辛うじて床に激突だけは避けて、青年の方に向き直って財布を開いた。
「これ、ちょうだい」
「はい、20銭になります」
何の変哲もないヤジロベエである。
鈴仙には全くと言って必要の無いものであったのだが、気が付けば長居をした上に茶まで振る舞ってもらったのに冷やかしではなんとも後味が悪い。
金を払ってヤジロベエを仕舞い、「ごちそうさま」と声をかけて。
「ありがとうございました」という声を背中に受けて、鈴仙は速足で店を後にするのであった。
* * *
人との観方というのは割と簡単に変わる。
観方が変わると気が付くこともある。
鈴仙は、時折ではあるが、あの青年を時々見つけるようになった。
鈴仙にとって、今まで「客」の背景に映っていただけのあの青年が、背景ではなくなったという事だろう。
たかだか数時間言葉を交わしただけだが、それでも変わることだってある。
その日は、仕事も落ち着いて自由な時間がとれていた。
まぁ、そうは言ってもやる事も無し、里の貸本屋でなにか面白そうな本でも物色しようかと、竹林の出口にまで差し掛かった時である。
メキメキと何かが軋む音が聞こえたので、そちらを振り向いてみると里の男衆が竹を切り倒している処であった。
珍しい光景ではない、成長の早い竹は幻想郷の貴重な資源の一つである。
焼いて竹炭にしたり、囲いに用いたり水筒に加工したり。
多岐にわたって活用出来る為、こうして時折、迷いの竹林の竹を伐採しに来るのだ。
さて、それはどうでもよい。倒れる竹も危ないので、そこは避けてゆこうとした時、男衆の中にあの青年が混じっているのを見つけた。
懸命に竹に向かって鉈を振っている。
そして切り倒した竹を玉切り(幹の長さを揃える事)したり、枝払いをしたり。
額に汗を浮かべて、懸命に作業をしている。
彼は細工師見習いでは無かったのだろうか。
何故ここで、竹の切り出しをやっているのだろう。
そう疑問に思うと同時に、鈴仙は青年に声をかけていた。
「ねぇ」
丁度、一息ついたのか水筒に口をつけていた青年がこちらの方を向く。
「これは、薬売りさん」
「えぇっと……何をしてるの?」
「あ、はい、仕事で使う竹を切り出しているんです」
「それは、わかるんだけど……貴方、細工師よね」
「細工師だからって、細工だけやってるわけじゃないですよ。男ですから、こういう仕事はいくらでもお呼びがかかります」
それは、解る。
なんだかんだ言って、人間の里で若い男は貴重な労働力だ、細工師見習いだからと言って、別の仕事をしなくてもよいというのは無いだろう。
「大変じゃない?」
「大変ですけど……仕事を放りだすなんてできませんし」
「アンタも、苦労してるんだ」
先日、同じような事を言ったが、それがもう一度口から洩れる。
何故こうも、苦労というのは下の者にのしかかるのか。
けれども、放り出すことなんてできないという言葉は、鈴仙にもかなりよく理解できる。
仕事をしないで、周囲から怒られるのは嫌だというのもあるが、仕事をしないでいるとなんとなく気分が落ち着かないというか……後味が悪いのだ。
あれやこれやと押し付けられ、小言を言われて、仕事は嫌だなと思いつつ、何か抜け道探してサボってみると、妙な息苦しさが伴う。
だから、仕事を引き受けて悩む事になる。
どっちの道を行っても辛いとは、やはり地上は碌でもない。
「あの」
「ん? 何?」
「もしよろしければ、話をお聞きしますよ?」
「は?」
話? 何の話だろうか。
「あ、いえ、なにかこう、いろいろと話というか言いたいことがあるような様子でしたから」
……そこまで、顔に出ていたであろうか。
いかん、そんなのが師匠にみられたら大事である。
「大丈夫よ」
襟を正し、姿勢を正し、己を正す。
鈴仙のように、波長を見る力は無くとも、他者を察する力を人も妖怪も持っている。
なればこそ、本音を隠す盾は必要なのだ。
「ねぇ、また今度、店に行ってもいいかしら」
「もちろんです。冷やかしでも歓迎しますよ」
「店として、それはどうなの?」
「ははははは、良いんですよ。親父さんやお袋さんも、知り合いと茶を飲んでばっかりなんですから」
「いい加減ねぇ」
「それが家の店です」
男衆から、青年の名が呼ばれる。
どうやら、時間を取らせすぎたようだ。
「あっと、ごめんね」
「いいえ、大丈夫ですよ。それじゃあ、薬売りさん、また今度……」
「鈴仙よ」
「は?」
「鈴仙・優曇華院・イナバ。私の名前」
「……わかりました、鈴仙さん」
「うん、それじゃあ、また今度」
こうして、青年は男衆の元に戻り、竹を運び出す作業を始める。
それを少しの間眺めていた鈴仙であったが、そうこうしていても仕方がない、と里に向かって歩き出した。
他人の、しかも人間に、自分の名前を教えるなんて珍しいな、と自分でも不思議に思いながら。
* * *
さて、人と言うのは厄介なもので、気軽に話せる相手が出来ると、その相手の元についつい入り浸ってしまう事がままある。
鈴仙もその類に陥ってしまったようで、何か買う訳でも無いのに、竹細工の店にちょくちょく入り浸ってしまっていた。
流石に客のいる時間と本来の店主夫婦が店番をしている時間は避けるものの、青年が店番をしている時間にちょっと顔を出して、常日頃の鬱憤を存分に吐き出すのである。
「本当に、姫様の思いつきと言ったら」
「今度はどの様な催し物をなさるので?」
「魔法の森に人形使いの魔法使いが住んでるでしょ」
「あぁ、いらっしゃいますね」
「あの子を招いて、人形劇をやるのだって」
「それで、交渉その他一切を任されたと」
「そう!」
あぁ、全く。人形遣いが話の分かる人物だったからよかったものの。
なにせ幻想郷で力あるものはどいつもこいつも我が強いのだ、いや、我が強いから力を得たというべきなのか。
どちらにしろ、協力が取り付けられて良かった。
相手も突然の話で戸惑っていたようだが、八意永琳の知識を借りて新しい人形をつくれるとなると心動かされたのだろう。
「鈴仙さんは」
「ん?」
「お師匠様とお姫様の事が好きなんですね」
「え、あー……」
そう言われると、すこし戸惑ってしまう。
確かに厳しくて怖い師で、ちょっと意地悪で我儘な姫様だが決して嫌いな訳では無い。
月から逃げた自分を受け入れてくれた人々なのだから当たり前なのだが。
ただ、嫌いでは無いと言うのは簡単だが、好きだ尊敬しているのだと口にするのは以外に難しい。
愚痴や文句なんかよりよっぽど良い事なのに。
良い事を口にするのは恥ずかしくて大変な事なのだ。
「まぁね」
こんな一言ですら、茶を啜って口元を隠さないと言いづらい。
「……ん」
唐突に毒気をぬかれたせいか、なんとも言い難い空気になってしまう。
「お茶、お代りはどうです?」
「え、あ、うん、もらうわ」
まだ湯呑にいくらか残っていた茶を飲み欲して、彼に差し出す。
急須から見事な翠色が湯呑に注がれ、見るだけで暖かいと判る湯気が立ち上がる。
そうして、再び湯呑は鈴仙に手渡されるのだが、その時に彼の手が鈴仙の目に入った。
「ちゃんと薬つけてる?」
「勿論です、お蔭で大分よくなってますよ」
気が付いたのは、いつ頃だったろうか。
彼の手が、傷でいっぱいだったのは。
竹を編むときに竹で切ってしまったり、刺さったりする事もあるだろう。
日常の雑事を行うだけだって色々と傷は出来るものだ。
とどのつまり、彼の手は働く人間の手だった。
汗水流して、という言葉はあるが、手に傷作って働くという言葉は無い。
あってもよさそうなものだが。
「こんなに頑張ってるのに、まだ店先に並べられないなんてね」
「親父さん曰く、こういうのがある時点で未熟も良い処だそうで」
「ふぅん」
未熟未熟というが、如何ほどのものなのか。
少なくとも、一所懸命に修行を積んでいるのはこの手を診れば鈴仙にだって判る。
「ねぇ」
「はい?」
「今度、貴方の造った品を見せてよ」
「えぇ?」
「いいじゃない、ちょっと興味あるわ」
「いえ、ですから自分のは出来が良く無くて」
「だから、そういうのを含めて知りたいの。だってこんなに手を傷だらけにして造ってるんだもの」
まっいったな、と彼が口の中で含む。
珍しいぐらいに珍しい、戸惑う彼の姿である。
いつも穏やかで、心が発する波長だって明るい色をしているのに。
それがなんとも面白くて、鈴仙はつい強気にでてしまう。
「仕方ないですね……」
「見せてくれるの?」
「今は全て親父さんが手直ししてしまってるので、新しく造ってお見せしますよ」
「本当? 楽しみにしてるわ」
「それよりもですね、鈴仙さん」
「何?」
「手、離していただけませんか?」
謂れて初めて気が付く。
医者が傷を診るように、鈴仙は彼の手を取っていた。
慌てて離して、顔が熱くなっているのを悟られぬように背ける。
「ご、ごめんなさい」
「いえ、ちょっと吃驚しただけですから」
全く何をやっているのか。
変な事をしたせいで、さっきよりも余計に空気がおかしくなってる。
お茶でお茶を濁そうと、湯呑に口をつけるが……
「あっつ!?」
「ちょ、大丈夫ですか?」
煎れたてであったのを忘れ、一気に流し込もうとしたせいである。
結局、鈴仙が店を出れたのは、昼も半ばを過ぎた頃であった。
* * *
迷いの竹林にある永遠亭にて、八意永琳が鈴仙・優曇華院・イナバの声を聞いたのは昼をとうに過ぎてからである。
里に行商に行った訳では無いので、いつ帰るかは判らなかったが、意外と早く戻ってきたようだ。
それとも、意外と遅く戻ってきたとも言うべきだろうか。
「師匠、ただいま戻りました」
「お帰りなさい優曇華……少し、遅かったわね」
「え、えっと、そうでしょうか?」
「交渉、難しかったのかしら?」
「あ、いえ、先方も割と乗り気だったので、明日、こちらに来てくれるそうです」
「……そう。ご苦労様、下がっていいわ」
部屋から出て行く鈴仙を見送って、永琳は一つ思案する。
最近、鈴仙の様子がおかしい。
なんというか、雰囲気が軽くなったと言うか、貯めこんでいる物がなくなっていると言うか。
「てゐ、貴女はどう見てるの?」
「いやぁ、本人の調子が良いのなら、いいんじゃないの?」
窓からひょいと因幡てゐが顔をだし、あっけらかんと言い放つ。
「確かにそうなのだけれど、あの子はどうにも調子に乗りやすいから」
臆病な癖に、というか臆病だからこそ大丈夫だと絶対の自信を持つ事柄にはやたらと強気に出るのが鈴仙の欠点である。
帰りも遅い時も多いし、何かにつけて里に行くことも多くなった。またどこぞで良からぬ事でもやってるのではないかと勘繰ってしまう。
もう少し、能力相応に落ち着いて物事を見極めて行動して貰えればこちらとしては色々と安心できるのだが。
「ま・ま・ま、そんなに気にしなくて良いと思うな」
「てゐ、貴女、何か知ってるの?」
鈴仙と違い、やたらと扱いにくい弟子兼友人の思わせぶりな態度。
何時もの事と言えば何時もの事だが、何分、人をおちょくるのが好きな性分なので、こういう時は大抵なにか知っている時だ。
「まぁね、一応は私の領分だし」
「貴女の領分?」
はて、幸運の兎の領分とはなんであろうか
鈴仙に何か幸運でもあったと言うのだろうか。
「流石に今回の一件はだんまりさせてもらうよ、野暮い事この上ないからね」
「やれやれ、自分で調べろと言う訳ね」
「そうそう、偶には自分で動かないとねー、引きこもってばっかりじゃどこぞの貧弱魔法使いみたいになっちゃうよ」
「良く言うわ、事の顛末を眺めて愉しみたいだけでしょう」
「結果はある程度予想出来るけどね。まぁ、お師匠様が馬に蹴られない事を祈ってるよ」
「……とりあえず鈴仙を呼んできて頂戴」
「はーい」
何を訳のわからない事を。
永琳は珍しく口の中で悪態を吐いて、代わりに大きくため息を外に出す。
本当にアレは扱いにくい。
鈴仙が調子に乗ると割とやりすぎるのに対して、てゐは何だかんだ言って引き際を弁えている。
お蔭で、肝心な処で肝心な事を暈されてしまうのもザラだ。
月の賢者たるものが、と言われそうだが幾ら永く生きていようと、他者の在り様や思惑などよほど深い付き合いが無ければ、そうそう簡単に理解できるものでは無い。
ましてや月や時が滞った永遠亭という変わり映えのない世界での積み重は余りにも薄すぎる。
嗚呼、全くあの子の言う通りだわ、引きこもってばかりでは駄目ね。
自嘲をお茶と一緒に飲み干して、人心地つく。
さて、と気分を入れ替えたところで、襖の向こうから鈴仙の気配が感じられた。
「お呼びでしょうか、師匠」
「えぇ、入ってちょうだい」
「失礼します」
「悪いわね、帰ってきたばかりで」
「いえ、どうという事はありませんが……何かご用件でしょうか?」
「用、という程でも無いのだけれど、次の里への行商、私が行くわ」
「………………は?」
鈴仙が固まる。
訳が判らないよ、という状況を人の形にしたらこのようなモノになるのだろう。
予想通りの反応である。
「姫の御催し物の準備もあるのに、行商までやったら手が回らないでしょう」
「え、えぇっと」
「悪いけど、後で訪問先を纏めておいてもらえるかしら?」
「あ、あのっ 師匠っ」
「何?」
「あの、大丈夫ですから、姫様の手伝いも行商も」
ほぅ、永琳は目を鋭く細めた。
いつもの鈴仙ならば、疑問におもいつつも仕事が減るのには抵抗しないはずだ。
なのに、言い返すとは。
「優曇華」
「は、はい」
「私は、いいと言っているのよ」
「で、でも」
あえてキツい口調で突き放しても、言い返そうとしてくる。
なるほど、やはり里か。
尤も、鈴仙が神社や悪魔の館や冥界や寺や仙界に用があるとも思えないが。
それにつけても、ここまで里に執着を見せるとは、何事であろうか。
とりあえず、無駄に締め付ける事も無いので、永琳は口調と目を和らげた。
「安心なさいな。永遠亭から出るなと言っている訳では無いわ。ただ、姫の手伝いに専念して頂戴と言っているだけ」
「え……あ、そ、そうですよね」
あからさまにほっとしている。
「明日で良いから、リストを作って持ってきて」
「はい、かしこまりました」
「用件はそれだけよ、下がっていいわ」
「はい、失礼します」
先ほどと同じように鈴仙が部屋を後にし、永琳は再び一人になる。
さてはて、里に何があるのやら。
それも気がかりだが、久方ぶりの商いを自分は上手く出来るだろうか。
月の賢者、あらゆる薬を造る程度の能力(天才)、そんな肩書を持つ八意永琳ではあるが、悩み事は以外にもごくごく普通な代物であった。
* * *
さて、それから3日後、永琳は里を訪れていた。
背には薬箱を背負い、頭には傘を被り、手には鈴仙の造ったお得意様一覧を持っている。
里を巡って判ったのは、意外と鈴仙が里に馴染んでいたという事である。
行く先々で「おや、いつもの薬売りさんではないのかい?」と問われ、その度に「えぇ、あの子はちょっと用事があるので」と返す。
無論、鈴仙の里での行動を調べるのが目的でそれとなく聞いてもいるが、先に述べた通りに商売も大事なので出来る限りにこやかに、下手を打てば鈴仙がせっかく築いてきた里からの信用を失ってしまう。
それは師としても一個人としてもあってはならない事態だ。
まぁ、相手が買う薬は決まっているので、必要以上に気をとがらせる事も無い、むしろそんな事をしたら相手にもそれが判って気分を害してしまうだろう。
何事にも、さじ加減というのが大事なのだ。
茶屋で喉を潤し、団子で小腹を満たした永琳は力を取り戻した余裕と共に、次を目指す。
確か次は、里の大通りに面する竹細工屋だったか。
竹細工と言えば、何時ぞやだったか鈴仙がヤジロベエを買ってきていた。
ずいぶんと珍しい事もあるものだ、と首を傾げたものだが……
「ごめんくださいな」
「はい、いらっしゃい」
穏やかな口調で、迎えてくれたのは、声と同じくらいに穏やかな初老の女性である。
おそらく、店主の奥方なのだろう。
「永遠亭から薬の補充に参りました」
「あら、まぁ、これはこれは」
ご苦労様です、と女性は頭を下げ、店の奥に向かって声をかける。
少しして、薬箱をもった青年がやってきた。
手にやたらと沢山の絆創膏を貼って、おそらくは薬のほとんどを彼が消費しているのだろう。
案の定、薬箱の中で明らかに擦過傷や切り傷に効く薬が少なくなっていた。
薬を補充し、代金をもらう。
そこで、鈴仙の話を切り出そうとしたのだが……
「そうだわ、薬屋さん。貴女、生姜はお好きかしら?」
「えぇ、好物ですよ」
永遠亭の時が動き出して、良かったことが幾つかある。
その内の一つが、地上の食い物も中々に旨いというもので、永琳も生姜の甘酢漬け等を気に入っていた。
白身魚と一緒に噛むと、繊維の隙間から酢の甘さと生姜の刺激がジュワリと染みだすようで、それが淡白な魚に良く絡んでなんともたまらない。
稲荷寿司と一緒に食べるのも良い。
「そう、貰いもので良ければ、すこし多すぎて。持って行ってもらえないかしら?」
「いえ、そんな」
「いいのよ、いつも貴方達の薬で、この子が助かってるから」
ちょっと待ってて頂戴、と告げて、女性は奥に引っ込んでしまった。
……まぁ、くれるというなら貰っておこう。
帰りに甘酢を買ってゆかなければ。
と、そんな事を考えていた時、ふと青年の何か言いたげな視線に気が付く。
「あら、なにか御用かしら?」
「いえ、今日は鈴仙さんじゃないんですね」
おや? と永琳は心の中で首を傾げる。
「えぇ、あの子はちょっと別の用件があって、こんど永遠亭で催し物をするのでその準備を」
「あぁ、人形劇の」
「優曇華から聞いたのかしら?」
「えぇ」
なるほど、この子か。
永琳は確信する。
「最近、あの子はちょくちょく里に来るようだけど」
「そうですね、まぁ、確かに良くお見かけしますよ」
「よく話をするのかしら」
「えぇ」
そんな事を幾つか話している間に、女性が生姜を持って戻ってきた。
実に大きく、見事な生姜である。
永琳は予想以上の貰い物に驚きながらも、丁寧に礼を述べて店を後にする。
振り返ると、あの青年が此方に頭を下げるのが見えた。
さて、なんとも珍しい事があるのものだ。
まさかあの鈴仙が自分の名前を教えるぐらいに里の人間と親しくするなど。
人間で親しい相手など、てっきり紅白巫女か白黒魔法使いぐらいだと思っていたが。
なにはともあれ、最近の鈴仙の行動に関して、あの青年を中心に調べれば判るだろう。
永琳は実に涼しげな、傍からみれば誰もが美しいと言うであろう笑顔を青年に向け、もう一度丁寧に頭を下げる。
ただ、その目だけは、なにか値踏みをするようなあまり良い感情の籠っていない代物であった。
* * *
何か忙しい事があると、時が経つのは速い。
鈴仙はその事をまざまざと実感させられていた。
師から、姫の手伝いに専念しろといわれてからかれこれ数日、単に人形劇の準備をするだけなのかと思いきや、なんと人形を操る練習までさせられる始末である。
事のはじまりは、姫が人形遣いの技術に興味をもって、教えてくれと乞うたからだが、それがどうして自分もやる羽目になったのか。
当然の事ながら一朝一夕で出来るような代物では無く、大分悪戦苦闘した。
仕舞にはあまりの難しさに「この子達にも薄いけど自我があるんだから、波長操ればいいのよ!」などとのたまってしまい、人形遣いから小言をもらってしまう始末。
これならば、師に無理をいって行商に時間を割いていた方が楽だったかもしれない。
お蔭で里にもこの数日足を運べていない。
今日はようやく時間をみつけて、買い物にかこつけてやってきた次第である
「おや、いらっしゃい」
もうすっかり、彼が店番をしている時間を把握している。
わざわざその時間に着くように、永遠亭を出たのだ。
「また、なにやら大変な目にあってるようですね」
「えぇ、本当にもう」
本当に、久しぶりである。
姫の手伝いが大変だとか、人形の扱いがどうだとか、なんか師匠の様子が変だとか、てゐはいつも通りでなんかイラつくとか。
そんな事をの色々をひっくるめても、里に来れないというのが鈴仙にとってなによりも不満の貯まる事であった。
永遠亭の中では言えない事を彼は何だって聞いてくれる。
静かに聞くだけで、まるで人形に話しかけてるように見えるかもしれないけど、彼は紛れもなく人間で、だから誰かが自分の色々な話を聞いてくれるのが、鈴仙には何よりも安心なのだ。
だから今日の鈴仙は、沢山沢山話をしようと思って、その通りに沢山話した。
他の連中の前では絶対に言えないような事だけれど、その全てを彼は呑み込んでくれるのだ。
少し声が大きいかもしれない、捲し立ててるかもしてない。けど、鈴仙はそんな事気にしなかった。
彼がいつも通り、穏やかな笑顔とそれと同じくらい、いや、もっとゆったりとした波長で自分を迎えてくれている。
それが、鈴仙には何よりも大事なのだから。
忙しいと時間が速いように、楽しい時間だって過ぎるのは速い。
それとも、あまりにも一気に吐き出しすぎたからだろうか。
どちらにしろ、流れが変わったのは鈴仙がすっかり落ち着いてからであった。
「そうそう、この間の品物、出来上がりましたよ」
「へぇ、貴方の作品?」
「はい」
そう言って、彼は傍らに置いてあった函から、一つの竹細工を取り出す。
細かく編まれた、兎である。
背は籠になっており、小物入れに丁度よさそうだ。
「わぁ…!」
鈴仙は、想像していたよりもずっと見事な出来のソレに、思わず声を上げる。
「凄いじゃない、店の品物に見劣りしないわよ」
「……親父さんが、初めてほめてくれた品ですから」
彼は少し照れくさそうに、でもそれよりもずっと誇らしげに。
傷と絆創膏だらけの手で、鼻の頭を掻いた。
そして、それを観た鈴仙は少し押し黙ってしまう。
「どうかなされましたか?」
「ん、いつも以上に頑張ってるんだなって」
「初めて、鈴仙さんに見せる為に造りましたから」
「そっか」
改めて、鈴仙は兎の籠をまじまじと眺めた。
素人目からも、精魂込めて造ったのが判る。
「……ねぇ」
「いいのではないですか?」
「まだ何も言ってないんだけど」
「人形の練習の事でしょう?」
「え、あ、うん」
「大変な事でも、頑張ってみるというのは良い事ですよ。何かできた時、報われます」
「そっか」
「はい」
「あのさ、人形劇、見に来てくれる?」
「もちろんです」
「うん……うん!」
鈴仙はなにかすっきりした顔で、すっと立ち上がった。
そして、兎の籠を彼に返そうとするが、彼は頭を振る。
「どうぞ、お持ちになってください」
「いいの?」
「えぇ、鈴仙さんの為に造りましたから」
うぇっ!? と変な声を上げてしまう。
自分の為に、なんて言葉、鈴仙は初めて聞いた。
途端にしどろもどろになってしまい、視線が泳いでしまう。
けれども、もう一度彼の目を見た時、やっぱり不思議と落ち着いて、鈴仙は短くこう告げた。
「うん、ありがとう」
久々に誰かに感謝を述べた気がする。
愚痴でも不満でも無い、自分でも驚くぐらいに綺麗で清々しい言葉だった。
だからだろうか、頭の中は落ち着ているのに心の中がどきどきしっぱなしで、鈴仙はそんな嬉しい乱れ方をする自分を抱えたまま、店を後にした。
「あれ、いらっしゃい?」
「おじゃまするわ」
青年が首を傾げる。
鈴仙と入れ替わりに入ってきたのは、だれであろう八意永琳その人であった。
手にはミョウガが入った袋を下げている。
「これ、この間のお礼にとおもって」
「これはご丁寧に」
暑い時期は、さっぱりした生姜もよいが、ミョウガを薬味にうどんや素麺も中々に乙なものである。
そう考えた永琳のお返しであったが、無論、用はそれだけではない。
「ごめんなさいね」
「え?」
「どうにも、優曇華が度々お邪魔してるみたいで」
そう、やはりと言うか、永琳の目的は鈴仙の素行調査である。
色々と調べてみて、良からぬ事をしている訳では無いというのは判ったが、まさか人様の店に入り浸っているとは。
永琳も鈴仙に色々と無茶ぶりをやらせている自覚はある為、愚痴が出るのは判るが、それをこういう場でやるのはいただけない。
店の人に迷惑ではないか。
「優曇華には、二度とこんな事をしないようしっかり言い聞かせておくから」
「いえ、この時間はお客さんもいらっしゃらないですし」
「全く来ない訳ではないでしょう?」
「はぁ、まぁ」
「貴方も、あの子の愚痴に延々と付き合わされるのは迷惑でしょう」
「いえ、迷惑などでは」
「あの子に遠慮する事なんて無いわよ」
「いえ、あの……」
青年はどうにも困った様子で頭を掻いている。
言葉に迷っているのだろうか。
しかし、やがて意を決したように口を開いた
「本当に迷惑などではありませんよ」
「何故?」
「その……惚れた弱み、と言うやつです」
永琳は、目をぱちくりとさせる。
はて、この青年は今なんと言った?
「あの、その、鈴仙さんにはどうかご内密に」
可哀想なぐらいに顔を真っ赤にして、青年は下を向いてしまう。
そこまでいって、ようやく永琳は自分がどうにも無粋な真似をした事に気が付く。
嗚呼、要するにそういう事なのか。
てゐが「自分の領分」と言ったのも判った。なるほど、確かアレは幸運だけではなく縁結びも司る。
「ぷっ」
何とも言えない感情に思わず、笑いが吹き出してしてしまう。
そんな事を思い至らなかった、自分がどうにも可笑しい故だったが、青年は勘違いしたのかますます縮こまってしまった。
「あぁ、ごめんなさい」
「あの」
「えぇ、判ってるわ。でも、店に迷惑をかけたのは事実だから」
そのことで改めて謝罪すると永琳も店を後にする。
惚れた弱みか。
なるほど、不平不満がどんな医者でも治せぬ毒なら、惚れた腫れたも治せぬ病だ。
そして惚れた相手のものならば毒でも甘露になるという訳か。
いやはや、それがなんとも可笑しくて。
永琳は永遠亭に帰るまで、困ったようなそれでいて本当に優しげな笑いをどうにも抑えきれずにいたのだった。
数日後、永遠亭が行った人形劇。
見事な演技を魅せる人形たちの中で、動きのぎこちない人形が一体。
出番も見物人達もあまり気にしない程度のほんの僅かな間だったけれど、確かに彼女が頑張って操る人形がいたのだ。
そして、それ拍手を送る青年と
青年を面白そうに眺める古兎と
苦笑しながら弟子を見守る師と
何かに気付きかけた姫君がいて。
どうやら、地上の月兎の苦労と心労の種がまた一つ増えたようであった。
大丈夫リザレクションする
タイトルの意味がよくわかんないのは自分が素人なんでしょうか?