前編 オカルトフェイスA.D.1999<前>
「早苗って、誰?」
霊夢の言葉の意味を、私は瞬時に理解出来なかった。背筋が粟立つような感覚。
とぼけている風でもなく、霊夢は純粋に疑問を呈すかのように不審そうな半眼で私を見ている。一拍ほどの沈黙。
「誰もなにも、早苗は早苗だよ。ここへ一緒に戻ったはずなんだが見当たらなくて」
私は同じ言葉を繰り返す。しかし、霊夢は今度は打って変わって心配そうに私を見ながら応える。
「どの早苗よ。私、その子知らないわよ。妖怪?」
私は、額から冷や汗が流れるのを感じた。決して日射の熱のせいだけではない。鼓動が早くなる。まさか、まさか、と頭の中をある考えが巡る。私はその嫌な考えを即座に打ち消す。霊夢の両肩を掴んで、再度問う。
「だから、東風谷早苗だ! 人間で、現人神で、お前の商売敵の! 守矢神社に住んでいて、外の世界から移住してきたあの!」
守矢の名を出した瞬間、霊夢の眼光が鋭くなる。
「守矢神社? 魔理沙、奴らにまた何かされたの? いいわ、いい加減決着付けに行こうかしら。私の目が黒いうちは奴らに好き勝手に動かせないわ」
戦闘モードだ。霊夢の豹変ぶりに思わず私はたじろぐ。
「いや、なんでもない。気にするな」
咄嗟に私は霊夢を落ち着かせるような言葉を吐いていた。
「なんでもないことないでしょ。何かあったんでしょ?」
今度は霊夢が私を問いただす番になった。まずい。瞬間的に思った。なんだか知らないが、『この』霊夢は守矢に敵意を抱いている。このまま霊夢を行かせれば、余計にこじれるかもしれない。
ただでさえ訳がわからないのに、これ以上事態を悪化させるわけにはいかない。
「なんでもないから、気にするなよ」
私は逃げ出すように箒に乗って空へ飛び出した。「ちょっと!」と霊夢の声が背後を追いかけてきたが、私はそれを無視して振り切った。なんなんだ、なんなんだいったい。
調査が必要だ。何故霊夢が早苗を認知していないのか。少なくとも、守矢神社はここにある。早苗が消滅したわけではない。大丈夫、大丈夫だ。私は自分の鼓動を落ち着けさせるために念仏のようにそう繰り返す。
人里では早苗を知るものは居なかった。命蓮寺でも早苗を知るものは居なかった。紅魔館も、冥界も、地底も、早苗を知るものは居ない。どこへ行っても、早苗を知っている人が居ない。焦りだけが先行する。わかったのは、守矢が幻想郷で新参であることと、妖怪の山を支配下に置いていること。その支配力は絶大で、妖怪の山へ近づくと守矢の名の元に天狗どもから迎撃されるほどだ。どうやら配下を増やすのにえらく乱暴な手を使っているらしい。信仰を集める手段も選ばなくなっていると聞いた。いったい何がどうなっているのだ。
私はひとまず時間の掛かりそうな妖怪の山の攻略を後回しにし、人里の外れにある妖怪の隠れ集落に向かう。唯一、この狂ってしまった時間軸でも話が通じるであろう人物に思い辺りがあったのだ。
「マミゾウは居るか?」
妖怪の集落に入り、適当な妖獣にそう訊くと賭場の方向を指された。命蓮寺に居なかったので、ここに当たりをつけていたのだが私の読みは的中したようだ。
私はずけずけと賭場に入る。煙草臭い店内は妖獣中心に妖怪だらけの空間になっていた。人間も混じっているが、しかし彼らは当然のように退魔師やら仙人見習いやらといった一筋縄ではいかなそうな面々である。
その混沌とした空間の中でも、マミゾウの姿はすぐに見つけることが出来た。当然のようにパンツルックではない、幻想郷に馴染む和装である。卓を囲っているマミゾウに私は大股で近づく。
「マミゾウ、話がある」
「む。魔理沙殿か。なんじゃ、突然。今忙しいんだが」
「早苗のことで話がある」
私は祈るような気持ちで彼女の名前を出す。するとマミゾウは一瞬目を丸くし、続いて含み笑いをする。
「そうか、懐かしい名前じゃのう。――おうおう、すまないみんな。すこし儂は抜けるぞい。おーい、誰か代打ち頼む」
マミゾウがそう言うと二ツ岩の銘入りの羽織を着た妖獣が入れ替わるように席に座る。
「えー。抜けるの? やりがいがなくなるなー」
マミゾウと卓を囲っていた一人の封獣ぬえが不満を漏らす。
「悪い悪い。戻ったられーと倍で相手してやるから、許しておくれよ」
へらへらとマミゾウは笑い、外へ出る。私はその後に続く。
路地の人目のつかないところまで来て私は早速本題を切り出す。
「お前は早苗を覚えているのか?」
「こっちの台詞じゃ。ここで十数年ぶりに再会したら、おぬしはあのときのことを忘れておったわい。早苗殿のことを訊いても当然知らん顔。まあこれは、再会した時点よりもっと先の時間軸でおぬしらは時間旅行をするものだと思っていたからすぐ納得できたのじゃが、しかしいつまで経っても早苗殿の姿が見当たらんかったので、それだけ不審に思っていたのじゃ」
これは調査の段階でわかっていたことだが、昨日までの私はオカルト異変の発生しない時間軸での私が普通に生活していたようだ。タイムリープから戻った私の意識に上書きされる形でその私は消失?してしまったようだが。マミゾウのことを知らなくて当然だ。
しかし、これでひとまず確信は持てた。ここは私たちが過去改変を行った時間軸と地続きだ。マミゾウが早苗のことを憶えているのがその証左である。
「早苗が、居ないんだ。今日の日付から、一緒にタイムリープして過去改変をしたのに。私だけが帰ってきた。守矢神社はあるのに、早苗の存在だけがすっぽりここから抜け落ちている」
守矢の名を出すとマミゾウは怪訝そうな顔をした。
「ほう、あの娘は守矢の所属だったか。いい噂はあまり聞かんぞ」
「知ってる。それも変なんだ。私の知ってる守矢神社は信仰を集めることに執心していたが、乱暴な手段を積極的に使う連中じゃなかった」
マミゾウは壁に寄りかかりぴんと人差し指を立てる。
「おぬしはもう原因に気づいておるのだろう? 時間旅行を行う前と後で違う現在。おぬしらは何か目的があって改変したい事実があり、それに狙いを定めて行動していたようだがそう簡単に事象を操作できるわけなかろう。玉突きのように、改変した事象に引っ張られ、はからずとも別の物事にも影響してしまった」
マミゾウが言わんとすることに、私は最初から気づいていた。気づいていながら、そうであってたまるかと祈っていた。
「バタフライ効果……」
私は途切れそうなほどの声量でその単語を吐き出す。
「だ、だが。歴史というのは弾性を持っていて、容易に改変できるものじゃないって話だったんだ」
「儂はその理屈はよく知らんが、しかしおぬしらがやったことは容易ではなかったことを知ってるよ。十数年前、おぬしらが旅立った夜、儂の活動していた街でとんでもない事件が発生した」
私は当事者なので、何が起こったか知っていた。
「超巨大な隕石が突然街の上空に現れた。夜だったのに、真昼のように明るかったのを覚えている。しかしそれは落下することなく、直前で粉々になり、結局分解された隕石の砂が降りかかった程度の被害で事態は収まった。おぬしらがやったと儂はすぐに気づいたよ。あの災厄から地球を守ることが目的だったか? あれを容易とは形容できんよ。あれはその『弾性』とやらを振り切るほどの所業だったんじゃないのかい?」
恐怖の大王。私と早苗がオカルトに芯を持たせるために起こした外の世界の異変。隕石のほうは自作自演で、私達には地球を守る大義なんてなかったが。
「あれが原因で、早苗が消えてしまったのか……?」
「何も消えたとは限らんじゃろう。今のところ儂らに認知されていないだけじゃ。もしかすると、外の世界で平和に過ごしているかもしれん」
「だとしたら、守矢神社がここにあるのはどうしてだ? 奴らが早苗だけ置いてこちらに越してくるとは思えない」
「知らんよ。ここでの守矢と言ったら、暴力の権化みたいなもんじゃからな。儂でもよっぽどの用がないと山へは出向かんくらいじゃ。なんにしろ、真相を知りたいのなら奴らに直接問いただすしかあるまい。『早苗を知っているか?』と」
結局あそこを攻略しなければ話は進まないのか。覚悟を決めるしかない。
「手を貸そうか?」
「いや、やめておく。これは私の問題だ。私が自分で解決するよ」
妖怪の山の攻略は何も今回が初めてではない。山の妖怪の侵入者に対する敵愾心が前の世界より強いのがネックだったが。最初から全力で事にかからなければならないだろう。
まずは自宅へ戻った。装備を整えるためだ。この時間軸の私も努力家だったようで魔法研究の成果というべきマジックアイテムの貯蓄は十分だった。私が作ったり蒐集したわけではないので消耗品を使うのに遠慮も感じない。普段ならもったいないと出し惜しむこともあるのだが。
魔法薬入りの試験管をスカートに仕込み、帽子に爆弾各種、仙丹と鎮痛剤や昂揚剤入りのアンプルを持ち出して準備完了だ。制服姿のままだったが、しかし着替えの必要はないだろう。
衣服に仕込んだ仕掛けが相手に丸見えなのは問題だが、軽装なため各種装備品の取り回しはこちらのほうが断然いいのだ。瞬間的に装備品を取り出せる。
経路は上空から行くことにした。姿が丸見えになるが、麓から侵入しても向こうは感知してくるので同じことだ。それに迎撃前提なら上を取った状態で戦闘に入ったほうが有利である。
箒に乗り、山の頂上より更に高い位置まで高度を調節してから私は滑空した。いつもより生地の薄い服を着ているくせに夏の暖気のせいで寒さはそれほど感じなかった。山の湖畔が見える辺りまで近づいたあたりで林のほうから霊力弾がいくつか飛んできた。私はそれを難なく避ける。様子見の散弾だ。
すぐに白狼天狗が三人、私に向かって飛んでくる。各々刀剣や槍といった獲物持ちだ。
前回妖怪の山に接近したとき奴らは警告後に攻撃を仕掛けてきたのだが今回は初めから臨戦体勢だった。湖畔まで距離が近いせいだろうか。
「おう、人間一人相手に賑やかだな」
私は軽い調子で煽る。会話で一旦動きを止めてどう仕掛けるか考えるためだった。だが天狗達は会話に応じず、問答無用に切りかかってきた。
私はアンプルを自身の首から注射した。覚醒作用により軽い高揚感とともに天狗の動きが鈍く見える。右の天狗が背後に回る。同様に左の天狗も背後に回る。正面の天狗だけ真っ正直に私に突っ込んでくる。
私は死角に回った二人を無視し、正面の天狗目掛けて試験管を投げつけた。
天狗は試験管を避けたが、しかしそれに時間差で爆発する魔法を私は仕掛けていた。試験管の中のエアゾル化した高濃度のアンモニアが中空で炸裂する。鼻の強い白狼天狗には強烈だろう。墜落はしなかったが、明らかに正面の天狗の動きが鈍る。私はその隙を突き、天狗の背後に回り首を箒で当て絞めるようにして拘束した。
仕掛けを警戒してか、案の定死角の二人は近接攻撃ではなく霊力弾で私を攻撃しようとしていた。私はそれを拘束した天狗を盾に対応する。
霊力弾の衝突とともに空気が揺れる。空で踏ん張りが効かず、私は盾にした天狗ごと後退した。天狗はそれを以って意識が途絶えたらしく、脱力した。首を絞めたのも効いていたのだろう。
私は浮力を生む魔法を天狗に付与して、その身体を放した。天狗は目を回したまま空を漂う。地面に落としてしまうのはかわいそうだ、と思ったわけではなく付与した魔法のついでに彼女の身体に忍ばせた爆弾を残り二人の天狗にぶつけるのが狙いだった。天狗のどちらかがダウンしてしまった奴を介抱しようと近づいた瞬間、爆発させて一緒に沈めてしまおうという寸法である。先刻ぶつけたアンモニアの臭いに爆薬の臭いも紛れているので、奴らの鼻ではこの仕掛けを看破出来ないはずだ。
しかし私の目論見通りにはいかず、二人の天狗は浮いた同胞に目もくれず私に迫る。冷たい奴らだ、これも守矢の強い支配とやらが影響しているのか。
天狗は私を挟むように陣取る。どちらかが死角に入り込むよう徹底して連携している。多対一の戦闘の定石。なので私は先刻と同じく死角の天狗の相手をせず、正面に位置する天狗と距離を詰めた。死角の敵の気配は強化された五感で対応できる。正面の天狗は私が接近すると同じだけ後退し、一定の距離を保つ。代わりに背後の天狗は距離を詰めている気配を感じる。
こちらのペースには合わせない気だ。先ほどは真正面から挑んで私に一匹沈められたので数の有利はあっても慎重になっているのだろう。アンモニア入りの試験管を警戒しているのか、片手で顔面もしっかりカバーしている。
仕方なく私は高度を一気に落とし、二人の天狗を同時に視界に収める。その動きも読まれていたようで片方の天狗はすぐに私とともに降下する。
まずい。地上に寄れば援軍が増えてしまうかもしれない。露払い程度にこの三人を私に差し向けたのだろうが(今は二人だが)流石にこれ以上数が増えれば面倒だ。
私は二人の視覚を塞ぐために煙幕を撒いた。私の視界も悪くなるが、死角で常に片方を意識させられるよりマシだ。こうなれば鼻を使いたくなるだろうが、アンモニアの牽制もあるのでそれを躊躇しているはずだ。この牽制が生きている数秒が勝負だ。
先ずは閃光かんしゃく玉を私は前方に投げる。正面の天狗が位置していた辺りだ。私自身は爆発に備え耳を塞ぎ口を開けた。目を閉じなかったのは煙幕が効いているためである。煙に紛れて雲間から差す太陽光のようにまばゆい閃光が音とともに拡散する。運がよければそれで一匹沈められたのだが、撃墜の気配はない。だが少なくとも奴らの意識は閃光かんしゃく玉が炸裂した方へ向いたはずだ。
私は一気に高度を上げ、煙幕のない位置まで昇る。他の二人の天狗も煙幕を嫌ってか、煙から距離を取っていた。天狗達は閃光と音の炸裂した辺りを注視していたせいであっさりと私に上を取られる形になる。音で鼓膜に多少ダメージを負っているせいか、私が上空に逃げたことに気づいていない様子だ。
私は範囲を狭めた八卦炉のレーザーで片方の天狗を撃ち抜いた。あっさりと天狗は地上へ落ちる。これで残りは一匹である。
勝負を長引かせる気はなかった。二人落とされたことが地上に知られればすぐに増援が来るに違いないからだ。私はレーザーを撃ち天狗と距離を詰める。
天狗は刀剣を振りかぶりつつ、私の弾幕を避ける。白狼天狗の持つ刀剣の間合いになる。一太刀、横薙ぎの一閃が私を襲う。だが、刀剣は私の身体を断つことなく刃先がゴムを殴りつけたかのように跳ね返った。仙丹による身体能力の強化と法力による超人化の併せ技である。これにより私の身体は瞬間的に鬼神に迫る。一発芸のようなものだったが、それでもたかが人間に刃が通らなかったことに天狗は驚愕したらしく一瞬動きを止めた。その隙に私はゼロ距離での八卦炉の火炎を浴びせた。たまらず天狗はもだえながら地上へ落ちていく。
勝ちを確信した瞬間だった。意識の外、頭上からの強打により視界が縦に一周する。
「がっ!?」
アンプルによる覚醒効果が切れていたせいで気づくのが遅れた。最初に仕留めたと思っていた天狗にはまだ意識があったのだ。打撃により空で回転する自身の体躯の勢いを殺しつつ殴られた方向を確認すると喉笛に噛み付こうと迫る天狗の顎がそこにあった。私はすぐに先刻天狗の身体に仕込んでいた爆弾を魔法により遠隔着火した。が、何も起こらない。代わりにはるか地上の見当違いの場所で爆音が起こった。どうやら天狗の奴、意識が戻った直後に自身に仕掛けられていた爆弾に気づいて処理を済ましていたようだ。
爆弾発動に意識のリソースを割いたせいで接近する天狗の牙への対応に遅れが生じる。喉に噛み付かれる瞬間、何とか腕を盾に首を防御した。
「ぐっ!? こ、のッ!!」
私は腕に噛み付く白狼天狗に頭突きをお見舞いした。僅かに顎が緩む。続けて二発頭突きを食らわして、ようやく天狗の顎は私の腕から離れた。箒をスイングして私は朦朧とした天狗を遠くへ弾いた。最初に被弾したときのダメージも残っていたのだろう、地上へ落ちていく天狗にはもう起き上がるような気力が残っていないように見えた。
危ない。仙丹と超人化の効果まで切れていたらやられていた。私は帽子を被り直し、湖畔の神社へ向かう。追っ手は来ない。必要以上に神社へ近づくのは許可されていないのか、もしくは天狗が三人落とされたことに気づいていないのか。
私は着陸の前に丸薬状の仙丹を口内に含んだ。苦味が不快だが、今噛み砕くのは早い。これはもしものときのための準備だ。
「神奈子! 諏訪子! いるか!?」
私は大声で二人の名前を呼んだ。直後だった。挨拶代わりか、頭上から御柱が私目掛けて落ちてきた。私はそれを後退して避ける。衝突の衝撃で空気が罅割れる音感が辺りに伝播し、鉄製の御柱によって床の石造りに穴があく。
「……何の用だ、人間」
御柱の上に、神奈子が胡坐で乗っていた。視線は私を射殺さんばかりに鋭く、地鳴りでも誘発させてしまいそうなほど重い声音。敵意を隠そうともしない。話に聞く通りだ。こんなに余裕のない神奈子はらしくない。
「話がある。東風谷早苗を知ってるか?」
不意打ちで私を押し潰そうとしたことには言及せずその名を切り出した。神奈子の反応はわかりやすかった。眉間に皺を寄せ、歯を食い縛る。神奈子は御柱から降り、私の前に立つ。
「何処でその名を聞いた……?」
「聞いたも何も、知り合いだ。そのことでお前に話がある」
沈黙。そして次の瞬間、大量の御柱が頭上に現れる気配を感じ取った。私は思い切り真後ろに後退する。湖畔の方向。
空を裂き、御柱が降り注ぐ。雷のような轟音とともに石造りを粉々にしながら、柱は容赦なく地に突き刺さった。
「お、お前! 殺す気かッ!?」
「そのつもりだ。あの子のことはもう我の中で決着した話だ。それを今更蒸し返して誑かすとは、巫山戯た奴だ。しかも知り合いだと? 大概にしろよ、人間。そんなことは在り得ない。貴様が拾った情報の出処はさて置き、神を愚弄した罪、まずはその身を以て償うがよい」
私を射殺さんばかりに鋭い眼光。それを受けて私は、私は怒っていた。キレていた。
「ふざけてるのは、そっちだろうがッ!」
わかっている。理不尽な怒り方をしているのは私のほうだ。神奈子はこの時間軸上の出来事しか知らないはずなので私の事情を察しているわけがない。それでも、それでもこんな敵意にまみれた解釈を普通するか? 私が、神奈子をおちょくろうとしているだと? 話が通じないのもほどがある。
あるいは私はいい加減限界だったのかもしれない。ここへ帰ってきてからまともに話が通じたのはマミゾウだけだ。他の連中はどいつもこいつも私が早苗の話を持ち出すと揃って首を捻った。
神奈子は首を捻るどころかこの有様だ。疑心暗鬼。こちらの事情を汲み取るような余裕もない。余裕がないのはこちらも同じなのに、神であるお前がそんな調子でどうするんだ。早苗の名前を聞いて、お前は何も思わないのか? せめて対話に応じるくらいの姿勢を見せられないのか?
私は怒りに任せて八卦炉を構える。山から逸れて地表を吹き飛ばさないよう射角を調整するくらいの冷静さしか今の私には残っていなかった。ぶちのめして力ずくで話を聞かせてやる。
神奈子は八卦炉の魔力を警戒したのか僅かに私と距離を取る。が、無駄だ。四方十里この山全体が八卦炉の射程だ。
「マスタースパーク……ッ!」
八卦炉から極大の熱線が解き放たれる。足元の湖の表面が熱により気化し、蒸気に変わる。神奈子は咄嗟に御柱を盾にするが、無駄だ。八卦炉の炎は神仏すら焼き焦がす。
鉄製の御柱は熱量に耐え切れず、あっさりと穿たれる。そして熱線の白に神奈子は呑み込まれる。
この程度で終わるとは思っていない。もう一度マスタースパークを追い撃ちたいが、今のは全力の放熱だったため十数秒のリキャストが必要だ。私は口内にあらかじめ含んでいた仙丹を噛み砕く。効能は人体の強度を上げることだ。続けて袖の下に隠していたアンプルを手首の静脈に注射する。アンプルの中身は魔法のキノコから抽出した高揚剤。効能は五感の強化。一秒間をおよそ二十分割して認識することが出来る。続けて法力による超人化。単純にこれは膂力の強化だ。白蓮のものより錬度は当然低いが、前述の仙丹とアンプルの効果と併せて私の種族値は一時的に人間の限界を遥かに超える。
具体的には十五秒フラット。熱線を出し切った八卦炉を懐におさめて私は水面を蹴り、神奈子に一足で肉薄する。衝撃波で湖面が大きく波打つ。
神奈子は膝をつき、腕を交差させて俯いている。同時に攻撃用なのか、幾つもの御柱を頭上に展開し始めていた。先刻の規模の熱線が続けて撃てないことを当然のように看破しているのだろう、ダメージの回復を顧みず反撃の準備をしている。しかし、私の接近には気づいていない様子だ。八卦炉の炎に晒された直後だ、目も耳も蛇の持つピット器官とやらも機能しまい。私は神奈子の背後に回り、その身体を箒のスイングで思いっきり湖畔の方へ弾いた。
吹き飛ばされた神奈子の体躯は水切り石のように水面を跳ねる。上空の御柱が私を押しつぶそうと降り注ぐが、今の私には止まって見える。難なく御柱を避け、余裕を持って水面を跳ねる神奈子を私は追った。
追い着き、私は箒を叩き下ろす。神奈子は防御せず、私の殴打を受けて勢いよく水没した。直後、激しく波打つ水面に影を見た。空を仰ぐとそこには一面に御柱が展開されていた。神奈子が私のされるがままになっていたのは御柱の召喚に意識を割いていたからのようだ。
一斉に墜ちる御柱の間を私は人外の反射神経と身のこなしで切り抜ける。だがすぐさま第二陣の御柱が一陣の隙間を埋めるように展開され始めている。物量で押し潰す気だ。
水中に沈んだままの神奈子にこちらの様子を把握する術を持たないはずだ。私が避け切るのを見越してのこの布陣だろう。
「見くびるなよッ!」
私は御柱の一つを掴み、思い切り横に軌道をずらした。超人化した今だからこそ可能な力技だ。私は御柱の雨を潜り抜け、湖畔全体を視界に納められる位置まで高度を上げた。
超人化の効力が消える。研ぎ澄まされた五感も、凡人並みに鈍化する。しかしそれはすなわち八卦炉のリキャストが終わるだけの時間が経ったことを意味する。
私は仙丹を口内に含み、八卦炉を構える。神奈子が湖面から飛び出した瞬間、全力の熱線で勝負を決める。仙丹と超人化はともかく、アンプルの残弾はもうゼロだ。ここからは己の素の反射神経だけで神霊の速度を捉えなければならない。もちろん、御柱での反撃に警戒しながら。この射角で八卦炉を撃ち込めば、山の中心に大穴が空くかもしれないから熱量を抑える必要があるかもしれない。
力む私をじらすかのように水面に動きはない。湖面の波も徐々に治まっていく。
いつまで待たせる気だ、神霊はエラ呼吸でもするのか? いや、それ以前に人間と違って酸素を必要としないのか。水中に叩き落したのは悪手だったか……?
唐突に、水面が揺れる。私は咄嗟に八卦炉を構え直すが、発砲はしなかった。水中から這い出てきたのは神奈子ではなく、御柱だった。それも幾つも。
柱に紛れて急襲する気か? 私は柱を一つ一つ凝視する。柱を落とすのは得意らしいが、こうやって重力に逆らい上昇させるのは負担が大きいのか湧き上がる柱に勢いはない。――と私が思い違った瞬間だった、一つの柱が勢いよく速度を上げた。
私はそれを逃さず八卦炉の熱線で撃ち抜く、が直後に別の位置の柱が速度を上げる。
神奈子の姿はない。かくれんぼのつもりか?
注連縄が目立つので見落とすはずはないが。そうやって私が湧き上る柱を注視している時だった。真横から音を裂く気配を感じた。
「おわっ!」
反射的に咄嗟に身体を捻る。霊力弾が私の身体があった位置を通り過ぎる。射線の先を見ると、そこには神奈子の姿があった。人里の方向、分社からの転移か!?
神奈子のような神霊の類は分霊により力を無尽蔵に分割できる性質とは別に、分社に本体を一瞬で移動させることが出来る能力を持つ。馬鹿か私は、水中に叩き落した時点で自分が優位に立ったと慢心し完全に神霊の性質を失念していた。
「くっ!」
私は八卦炉を神奈子に向けるが、相手のほうが一手早い。
「舐めるなよ、人間風情が!」
射線を逸れつつ、神奈子は距離を詰める。そして弾幕の展開では私を追い詰められないと踏んだのか、召喚した御柱を片手に振りかぶる。完全に肉弾戦へ移行する構えだ。不味い。私は高度を下げ、御柱のスイングを避ける。
状況を五分に戻すため私は試験管を放り投げ、それを空中で撃ち抜いた。瞬時に真っ白な煙幕が拡散する。私はそれと併せて湖畔に向け熱線を当て、蒸気を発生させた。
視界の全てが白に変わる。その時点で神奈子は御柱を振るのをやめたのか、空を切る音が消えた。この白闇の中でも奴はピット器官による温度感知で私の居場所を特定してくるだろう。私は箒に八卦炉を取り付けた。
八卦炉はそれ自体が高い熱を持つ。囮作戦だ。私は箒に浮遊魔法を掛け、空に放った。自分だけは別方向へ向かう。
「愚か者が。そんな小細工が通用すると思うたか!?」
真正面。神奈子の声。白で何も見えないが、私の視線のすぐ先に神奈子の気配を感じた。御柱で私を叩き潰そうと振りかぶっていることだろう。私は仙丹を口の中に放り投げ、噛み砕き、スイングの前に神奈子と距離を詰めた。
空で衝突し、私は神奈子の身体に抱きつくような姿勢になる。
「なっ!」
神奈子は御柱を取り落とし、私を引き剥がそうと肩を掴む。私は引き剥がされないよう渾身の力で胸倉を掴み、身体を縮ませる。
「引っかかったな、囮は私だ!」
神奈子が八卦炉の熱を追わず、正確に私を索敵してくることぐらい織り込み済みだ。空にあらかじめ放っていた箒と八卦炉の銃口は今、此方を向いている。
新しい仙丹を追加で口内に放り噛み砕き、私は衝撃に備える。
「マスタースパークッ!」
私の発声を合図に、八卦炉の極大の熱線が解き放たれる。神奈子はそれを背でもろに浴びる形で、私はその影に隠れる形で熱線に晒される。
私は叫ぶ。叫びながら全力で熱線の方向へ神奈子の身体を押し込む。叫び声は全て熱による空気の膨張で掻き消える。
自身の身体がダメージを負うのも厭わず、私は神奈子の身体を更に熱線へ押し付ける。いっそ押し潰してしまわんばかりに。
唐突に熱線が止む。辺りの煙幕による白は八卦炉の繰り出す熱線の衝撃波で綺麗に晴れていた。
「ッハ……!」
息を吸う。しかし、熱線により酸素を焼き尽くしてしまったせいか呼吸はちっとも楽にならない。むしろ意識が遠のく。その八卦炉の熱を無防備に浴びせられた神奈子の身体は完全に脱力していた。身体を支えるのも限界だったので、私はついに神奈子から手を放す。
が、崩れ落ちる直前に神奈子の手が私の胸倉を反射のように掴んだ。
「おわッ!?」
私の胸倉を掴むその手は、力強く、未だ余力を残していることを感じ取れた。
「この程度の、この程度の熱量で」
神奈子は上体を起こす。
「神を斃せると思ったか……?」
私からは満身創痍に見えた。なので軽く煽ってやろうと思ったが、酸欠で声が出ない。
神奈子は私の胸倉を掴み、社に向かって投げ飛ばした。なす術もなく私は地面と衝突し、鞠のように跳ねる。
跳ねながら呼吸をする。ようやく酸素を取り入れられて、意識がはっきりするのがわかるが、地面にぶつけられた衝撃のせいか挙動は著しく鈍い。手足がしびれる。仙丹の効果が切れかけている。
影を見た。頭上に御柱が召喚されている。
「終わりだ、人間」
神奈子はそう宣言する。ああ、もうダメか。神霊相手に、いい線行ってたと思ったんだけどなぁ。
私は悪あがきに法力を練り、膂力を強化する。仙丹なしじゃ身体の耐久力は上がらないので御柱を受け止めることは出来ないが。
そうやって攻撃に備えているのに、いつまでも御柱は落ちて来ない。不審に思い頭上を注視すると、透明な水の膜が一面に張っていた。
御柱の落下の勢いを完全に緩衝している。
「……何の真似だ、諏訪子」
神奈子が悪態づく。膝をつく私を庇うかのようにそこには諏訪子が立っていた。
「この人間の話、聞く価値はあるんじゃないかって思ってさ。神奈子、よくこの子を見てよ」
諏訪子は私の身体を抱き寄せる。
「早苗の制服だよ、これ。それに早苗のにおいもする」
諏訪子は私の胸当たりに顔を埋めながらそんなことを言う。神奈子は眉間に皺を寄せたまま地に降り、恐る恐るといった様子で私に近づく。私の姿を改めて俯瞰し、距離を詰め、胸倉を掴んでぐいと自身の方へ引き寄せて制服に顔を近づける。
「……莫迦な」
「バカなじゃないよ。この大間抜け」
ようやく口が利けるようになった私は神奈子の頭を力なくはたいた。
私は神奈子に運ばれ社の中に招き入れられていた。諏訪子の甲斐甲斐しい介抱もあってすぐに身体の調子は取り戻せた。布団に寝かされそうになったが、そこまで大事ではないので流石に断った。机を挟んで私たちは改めて応対する。
神奈子の奴は心なしか私との距離が遠い。
「じゃ、聞かせてもらうよ。なんであんたは早苗の服を着てるのか、早苗をホントに知っているのか」
諏訪子は早速切り出す。
「最初に言った。奴とは知り合いだ。経緯を詳しく説明してもいいが、先ずは私がどんな滅茶苦茶なことを言っても納得すると約束してほしい。さっきみたいに逆上されたら敵わないからな」
そう毒づくと神奈子は居心地が悪そうに座り直す。
「わかった。約束しよう」
「私も構わないよ。続けて」
「よし。最初に言っておくが私はこの時間軸ではない場所から来た」
私がそう話し始めると二人は揃って不審なものを見るかのように顔をしかめた。約束した手前、騒げるわけもなく黙ったままだが。
オカルト流入の異変。それを解決するための策に時間遡行を採用したこと。外の世界で弄した策の瑣末。帰ってきたら早苗が側にいなかったこと。どころか、誰もが奴のことを忘れていること。
矢継ぎ早に、二人に口を挟ませることなく私は説明した。ノンストップで喋りまくった私は一息入れるために茶を一気に煽る。気管支が驚いて思わずゲホゲホとむせてしまった。
「――千九百九十九年」
神奈子が言う。
「私が活動した年がどうかしたか?」
「その年に起こった出来事は、二十世紀最大にして最後のオカルトとして歴史に刻まれた。突如出現した巨大隕石、そしてその衝突を防いだなんらかの『奇跡』。これによって二十世紀以降のオカルト観というのは大きく歪んだ」
奇しくもその文言はいつかの菫子の言葉に似ていた。
「人々は奇跡に酔いしれた。科学を超える人の手の届かない事象がまだこの世に存在するという事実の虜となった。科学の発展によりそういった超常現象が片っ端から否定され始めていた矢先での反動もあっただろう。けれど、そうやって浮かれる人間達とは別に危機感を覚えるもの達もいた。歴史にもしもはないが、しかし仮に奇跡が起きずにその突如出現した出自不明の隕石が落下していたら? 人類史は終わりを迎えていたかもしれん」
まさか自作自演だとは思わんかったがな、と神奈子は責めるように小さくこぼした。私は何も言い返せない。
「この世界を終わらせてしまう現象が存在する。そういう能力を持つのか、或いは本当に意思を持たない事象なのか。何にせよ、危機感を抱いた一部の人間達は酔っ払った世間とは別に独自にオカルトへのアプローチを始めた。国を跨ぎ、超法規的な組織として不安は形になる」
「『異能所持保護』または『超常現象観測機関』なんて名前だったかな。人目につかないところで、彼らは活動を始めた」
諏訪子が補足する。その話がどうやったら私達の話に繋がるのか未だ理解できない私は口を挟めない。
「所変わって守矢神社。我等の拠点だ。そこで代々神職を担当する少女、風祝は私と諏訪子の力を借り所謂超常現象を引き起こすことが出来た。人々の願いに応じて雨を降らせたり地震を鎮めたり。神への信仰あってこその力だが、その信仰は神ではなく事象を引き起こす少女に集中した。この時代、世紀末の奇跡のせいで世間が異能者の存在を望んだのが後押しになったのは間違いない」
この辺の早苗の出自の話は私の居た時間軸での話と細部は異なるが大筋は変わらないようだ。
「早苗は機関に目を付けられた。とある日のことだった、奴らのスカウトが神社に来た。奴らは世紀末の奇跡の話を最初に持ち出し、この世界が終わってしまう可能性について強く言及した。早苗はそのスカウトの熱に根負けしたのか、もしくはそれを自分の使命だと思ったのかもしれない。研究に自分から協力すると言い始めた」
「世界なんてそうそう終わるもんじゃないって私たちも引き止めたんだけど。あのバカ、ぜんぜん聞かなくてさ。『私、この世界が好きなので! 守ろうと思うのは当然です』だとさ」
私と一緒に外の世界に居たときもそんなこと言ってたな。幻想郷が好きなので、絶対守りたいって。本質はどこの時間軸でも変わらないようだ。
「しかし神の力というのは信仰が源泉だ。早苗に集中していたそれが余所へ行ったらどうなる? 我はともかく、諏訪子は消滅しかけだった。それを聞くと流石に早苗は機関へ行くことを諦めたが、機関は早苗を諦めなかった。僅かに残っていた神への信仰心を、世間への情報操作で握りつぶそうとした。たまらず早苗は我等を守るため、機関へ降った」
「そして私たちは機関に斡旋されてここに、幻想郷へ押し込められた。信仰がなくても消えずにすむって聞いてたから、嫌々来たわけじゃないけど」
――大分私のいた時間軸と話が変わってしまった。
「つまり、早苗は今、外の世界の機関ってところで活動してるってことか……?」
「そうそう。そういう話。だからここには居ないの」
「いつか向こうへ帰って一緒に暮らすつもりだがな。そのために我は信仰を、力を掻き集めている」
私は頭を抱える。外に居るなら手の出しようがないじゃないか。
「どうやったらこっちに帰ってきてくれる?」
「帰るも何も、早苗の故郷はあっちだし、幻想郷に来る暇はないんじゃないかな」
「会いたいなら、貴様が外へ出向くしかあるまい。現に我らはそうする腹づもりだ」
根本的に、話が合わない。早苗の居場所は、ここじゃなかったのか? 機関って、なんだよそれ。何でこいつらはそれで納得してるんだ?
私のほうがイカれているかのようだ。しかしそれはある意味正しい。この世界の早苗は、幻想郷に住むどころか訪れたことすらないのだ。居場所も糞もない。
「我らから話せる情報はここまでだ。……済まなかったな。最初に話も聞かずに攻撃してしまって」
「次からは気軽にここへ遊びに来てよ。早苗の話、まだまだしたりないから」
そんな、故人を語るみたいなノリで話せるかよ。私の気が沈んでいく様子に二人の神は気づかない。
早苗は帰らないのか。
妖怪の山から私は自宅へ帰還する。ゆらゆらと蛇行して空を飛ぶ私は地上からは大分不審に見えただろう。戦闘後の疲れもあったが、神奈子と諏訪子の話が精神に応えた。
森に到着し自宅の扉の鍵を開け中へ入るとまるで疲弊した私に追い討ちをかけるかのように面倒な奴が中で待ち構えていた。
「こんにちは。魔理沙」
「……紫」
我が物顔で紫は私のベットに腰を下ろしていた。いやに涼しいと思ったら部屋に常備している冷房魔法が利いている。勝手に人の部屋を使いやがって怒鳴りつけてやろうと思ったが、疲れていたのでやめた。私は装備品を外してテーブルに無造作にぶちまける。奴が神出鬼没なことに今更驚かない。
「何の用だよ」
「言ったでしょう。蝶の羽ばたきにご用心」
――心臓が一瞬、凍結した。直後に大きく脈打つような錯覚。
「いやはや、忠告は無駄だったようですわね。貴女は結局、此方に迷い込んでしまった」
「待て待て。その蝶がどうたらって言葉は、私たちを送り出すときに、お前が言った言葉だ」
そう指摘すると紫は不敵に笑みをこぼす。
「何故、知ってる!? お前は私と同じ場所から来たのか!?」
「多世界解釈というのをご存知かしら。世界は様々な可能性が折重なって存在しているの。私の能力でその世界の境を弄れば、別の世界の出来事なんて簡単に観測出来ます」
突飛過ぎて思考が追いつかない。なんだそりゃ。
「この多世界解釈はパラドックスを解消するためにも使えます。今のこのオカルト観の歪んだ時間軸……いえ、東風谷早苗の居ない時間軸といったほうが貴女には飲み込みやすいかしら」
紫は言い直す。
「この時間軸では東風谷早苗は時間遡行をしません。する理由がありませんからね。しかしそうなると矛盾が生じますわ。1999年の奇跡は彼女の能力なくしては発生し得ないからです。しかし、この時間軸は現にこうして成立している。それは貴女達が別の時間軸から平行に移動してきているからです」
「パラレルワールド、って奴か?」
平行世界。けして交わることのないあったかもしれない可能性世界。
「そういう解釈で構いません。言うなれば貴女は時の迷い人」
私は紫が何のためにそんな話をしだしたのかわからずイラつき始める。心を落ち着けるため、保冷庫から冷えた茶の入った容器を取り出す。
「ああ、気遣いは結構。長居するつもりはありません」
「私が飲む用だ勘違いするな」
「あらあら」
相変わらず捉えどころのない態度だ。
「結局何が言いたいんだ?」
「羽ばたきに弾かれてここへ迷い込んだ貴女は異物です。貴女だけがこの世界で唯一違和を抱えている。困るのですよ、パラドックスの上成り立っているとは言ってもこの時間軸は安定している。貴女の辿るべき道は一つですわ」
紫は私の頬をゆっくりと撫でる。
「受け入れなさい、この世界観を。余計なことをせず、ね。私が今日ここへ来たのは、釘を刺すためです」
「……。受け入れるも何も、私はまだ何も言ってないぞ。この世界に不満があるとも、なんとも」
「あら、そうなの? でも貴女、酷い顔をしているわ」
鏡をふと横目で見る。私の顔は、そんなに落ち込んでいるように見えるのか?
「考えてみれば、貴女は別に東風谷早苗と特別仲が良いわけではありませんでしたわね。早とちりしてしまいましたわ」
仲が良いわけではない。確かに、そうかもしれない。奴とは、ただの知り合いでしかない。異変を解決する際に何度か共闘したことがあるくらいの。
「貴女が納得しているのなら、心配要りませんわね。お邪魔しました。お茶、おいしかったわ」
用意していたお茶をいつの間にか勝手に空にした紫はスキマを使い退席した。
私は納得しているのか? 異変を解決するのに、早苗が幻想郷を去ってしまうという結果は代償として釣り合いが取れているのか? わからない。そもそも私は何故こんなにも自分の気持ちが沈んでいるのかわからない。
あいつとはたった二週間程度一緒に暮らした程度の仲だ。それ以前の関係は、むしろライバルだったり一時的な仲間だったり一定しない。特別距離感が近かったわけでもない。
だったら何故、奴の居ない今の状況がこんなに心苦しいんだ……? イライラする。心がざわつく。
私はテーブルに広げた装備品を整理し始める。落ち着きを取り戻すためには単純作業が丁度良い。箒を磨き、アンプルを詰め替え、癇癪玉を再調合し、八卦炉に付いた煤を払う。
鉄製のスクレイパーで八卦炉の表面を研いでいる最中、持ち手の内側になにやら盛り上がりがあるのを感じた。何かがこびりついている。爪で引っかいて剥がしてみると、それは早苗と私が揃って写っているプリクラだった。
『幻想郷から来た』とバカみたいな台詞が丸文字で表面に描かれていて、早苗は満面の笑みでピースをしていて、私もそれに倣っている。我ながら恥ずかしくなるくらい崩れた表情の一枚。なんだこの能天気コンビは。
「あの、バカ。人の私物にプリクラベタベタ貼るなって、言ったのに」
私は思わず拳を握る。ぶつけどころのない衝動が胸の中で形になる。気づけば私は自宅を飛び出していた。
一直線に、私は向かう。目的地は永遠亭。迷いの竹林を迷わず突っ切り、冷静さを欠いたままに、衝動のままに。
早苗の居ない幻想郷がこの世界では日常だと? 違和を抱えているのは私だけだと? 私さえ我慢すれば全て丸く治まるだと?
ふざけるな、どうして私が我慢しなきゃならない。早苗はここに居なければならないんだ。誰の意思も関係ない、私がそうであってほしいと思っている。薄氷のような信頼関係だったかもしれない。たった二週間の共同生活。でもその時間を、私は心底気に入っていたんだ。それだけで十分だ、十分奴を呼び戻そうと思う気持ちに繋がる。
紫が言うにはこの時間軸は安定しているらしいが、構うものか。私の勝手にさせてもらう。私は勝手な人間なのだ。
永遠亭に着く。私は空から降り立った勢いのまま戸を叩き、応えも返って来ないうちに家内に入る。
「おおう、何事?」
と玄関で私を出迎えたのはてゐだった。私は「邪魔するぞ」とだけ言ってずかずかと永遠亭内を進む。
「わっ。魔理沙? 何よ、そんな怖い顔して」
次に遭遇したのは鈴仙だった。
「というかなんで月の隊服みたいな格好してるわけ?」
「外の世界の格好だ、一緒にするな。永琳はどこだ? あいつに用がある」
「騒がしいですね」
永琳はそんな小言を言いながら現れた。心底迷惑そうだ。しかし、そんなことは関係ない。
「私に何の用ですか。見たところ、病に罹っているわけでも怪我をしているわけでもなさそうだけれど。……いや、すこしダメージを負った痕があるわね。誰かと喧嘩でもしたの?」
「私のことはどうでもいい。今日は薬が欲しくて来た」
「薬?」
「『遷化の薬』だ」
私がその単語を出すと、永淋は目を細める。動揺の色は見えない。いや、努めてそれを出さないようにしているのか。
「はて、聞き覚えのない名前の薬ですね。少なくともうちでは取り扱っていませんよ」
「遷化の薬はタイムリープを引き起こす。水入らずで、噛み砕いてから息を止めることで一秒につき約一年遡行できる。加えて転移先のイメージを強く思い浮かべることでずれを生じさせず正しく遡行できる安心サーチ機能付きだ。転移先では意識だけが送られるが、その受け皿として原子変換した肉体を――」
「わかりました、わかりましたから少し黙りなさい」
永淋は効能を喋り捲る私を手で制す。はたから見ている鈴仙は私たちのやり取りが一体どういう意味を持つのか理解できないのか目を丸くしている。
「つまり、貴方は余所から来たのですね。全く、そちらの私は何を思って薬を処方したのか……」
「説明すると長くなる。聞くか?」
永琳は首を横に振る。
「あとにしましょう。しかし、私のことですから何を思ったのか予測くらいは出来ます。おそらく薬を与えても此方には何の影響もないと考えたのでしょうね。貴方達にどういう影響があるかはともかく」
「はっきり言うんだな」
自分達に被害が及ばないから薬を与えた。逆に言えば私達のことはどうなってもいいとも言える。
「ええ。貴方が駆け引きもなしに薬を要求してきたので、私もそれに応じて正直に答えたまでです。どうやら相当切羽詰っているようですね。理由は察しがつきますが」
あるべきものがない。もしくはあるべきでないものがここにある。指を立てながら二つの可能性を永琳は提示する。
「私は前者だと推測します。貴方の焦燥は何かを失ったことで生じているように見える」
「……歴史には弾性があるはずだ。それを聞いて私はある歴史を改変しても、他の歴史には影響を与えないものだと解釈していた」
「厳しいことを言うようですが、人の生き死にや居場所は『歴史』と呼べるほど大仰なことではない。ほんのささやかな変化に過ぎません。十分弾みで変わりうる事象です」
私が何を失ったのか、正確に把握しているように永琳は言う。弾み、というのはバタフライ効果のことだろうか。
「いいでしょう。薬は処方します。ただし、条件として何があったのかを私に詳しく説明して下さい」
「逆じゃないのか? 話を聞かなきゃ薬を渡すか否かの判断もできないだろう」
「いいえ。一度薬が必要だと私が判断して、実際に処方したのなら今更それを覆す気はありません。どの時間軸であれ、私は私のはずですから」
誤診はないってか。傲慢な奴だ。
「私が欲しいのは納得です。私が何故そう診断するに至ったか」
「いいぜ。まずは何から話そうか」
と私が切り出す直前「あのー」と鈴仙が突然口を挟む。
「なんだよ、お前の出る幕はないぞ」
「いや、別に出しゃばる気はないわ。ただお茶沸かしたから客間で話さないかな、と思って」
なるほど。気の利く奴だ。永淋も同じ感想を抱いたらしく、鈴仙を労う。
「うどんげ。たまにはいい仕事をするのね」
えへへ、と鈴仙ははにかむ。
ここへ戻ってきてからなんだか事情の説明ばかりやっている気がする。それをしなかった相手はあの知ったかぶりの物知り妖怪八雲紫くらいだ。説明を終えると永淋は頭を抱えた。聞けば納得すると言っていた癖に、他平行時間軸への自分に不信感を抱いているような反応だ。
「……弾みで消えたのが一人で良かったですね。いえ、おそらくあなたが確認していないだけで元の時間軸とここでは他にもたくさんの乖離点が存在すると思われます。それだけのことを貴方達はしてしまった」
「軽率だったって反省してるよ」
私はお茶を一口含む。喋りに夢中ですっかりぬるくなってしまっていた。
「しかし、愚策だったわけではないようですね。オカルトが異常流入する異変なんて発生した記憶がありません。訊くまでもないことですが貴方は薬を使って、せっかく平和になったこの世界に再び異変を引き起こすのですか?」
「無論だ」
私は答える。迷いはない。永淋はため息をつく。
「呆れた。たった一人の人間のために、何故そこまで出来るのか」
「お前に言われたくないっての」
姫様は元気か?と間髪入れずに聞くとあからさまに永淋は不機嫌になる。笑える。永淋は気を戻すためなのかお茶を一口含む。
「納得は得られました。歴史を矯正することで、貴方は元の時間軸へ戻れるでしょう。そしてその過程を経る前に一つ忠告をしておきます」
薬をテーブルの上に差し出しながら永淋は言う。また忠告か。だが紫の忠告を聞かなかったせいで早苗が余所へ行ってしまった。賢人の話はよく聞くべきである。紫の奴を賢人とは認めたくないものだが。
「この薬を服用することで貴方は1999年へタイムリープしますが、そこでは貴方が二人存在します。意識というものは時間軸が違えれば全くの別人であると定義付けされますが、今回の場合転移先の貴方と先に転移していた貴方とでは意識のレベル差が非常に近く近似しています。近似する二つの意識が接触したとき、魂は混濁し撹拌する」
「つまり、何が言いたいんだ?」
「もう一人の貴方と接触してはなりません。触れれば貴方の意識は対消滅してしまうかも」
「かも?」
曖昧な言い回し。らしくない。
「一番高い可能性を述べたまでです。実際のところ何が起こるかわかりません。貴方というサンプルを得ようにも、歴史を矯正してしまえば私はこの記憶を消失してしまうのですから」
「忘れるって、そりゃないだろ。時間軸ってのは平行していくつも存在してるんじゃないのか?」
多世界解釈。時間軸は一つではないと紫は言っていた。
「ええ。世界は平行して幾つも存在します。しかし主観となる世界はたった一つです。他の世界というものは存在しているけれど、揺らいでいて霞んでいて儚い。夢か幻のように安定しません」
なんだそれは。紫の奴、やはり適当なことしか言わないな。あるいは意図的に情報を伏せたり偽ったりしているのか。
「……いけませんね。話さなくてもいい与太話をしてしまいました」
「構わないぜ。割と興味深い話だった」
私はテーブルの中心に置かれていた薬を手に取る。地面に置いていた箒も忘れずに。
「じゃあ行ってくる。びびって気が変わらない内にな」
言うが早い。私は封を破り薬を口内に放り込みかみ砕く。自前の時計を懐から出して秒数を確認する。
「いってらっしゃい。上手くいくといいわね」
私の突発的な行動に特に驚いた様子もなく永淋は普通に台詞を返す。この奇行は奴をおどかす目的もあったのだが、ままならないものだ。
秒針でタイミングを計り、息を吸う。以前やったときのように空気は肺に流れ込まず、真空の感覚に溺れる。二度目なので私はパニックにならず冷静に実体が溶けるのを待つことが出来た。意識が肉体から剥がれる。視界が暗転する。
私が思い浮かべた転移先は1999年の七月下旬。つまり、私が異変を解決するために転移して一週間過ぎある程度外の世界の生活に慣れた頃だ。場所はマミゾウの居座っている貸金事務所の前。外の世界では何をするにもまずは金が必要になるからだ。あの場所の光景は何度も訪れていたおかげで鮮明に想起できる。
眼球が組成される。暗転していた視界に光が戻る。続いて瞼が形成され、再び暗闇。私の実体が周りの大気を押しのける感覚。肉体の組成とともに浮遊感が消える。意識が仮の肉体に定着する。
瞼を開けると、目の前には狸のマークの扉。無事マミゾウの事務所前に到着したようだ。が、違和感。なんだか自分の頭身が低いような。
「げっ」
足元を見ると地面が大きく抉れていた。しまった、私の肉体の質量分地面のセメントやらリノリウムやらを原子変換してしまったらしい。人目の付かないところに転移するべきだった。
「……まあいいか」
思えばいつの日だったかマミゾウの部下が抉れた地面を修繕していたことがあったな。それを考えれば私がこの時この場所へ転移するのは前々から決まっていたことなのだろう。運命なら仕方ない。
気を取り直し私は扉をノックして入る。中にはいつもの大男が箒で塵取りしていた。
「おはよう。邪魔するぞ」
大男の挨拶返しを待たずに私は事務所奥へ進む。マミゾウはこの日昼近くには事務所に居なかったが早朝ならまだ出掛けてはいなかったはずだ。
「む。魔理沙殿か。おはよう、どうした朝っぱらから」
事務所奥、マミゾウはいつものスーツ姿で眼鏡を外し椅子に深く座り込んだ状態で私の姿を確認する。目をこすってるところを見るとどうやら寝起きのようだ。よく椅子の上で眠れるな。
「悪いな、突然」
「なんじゃよく見れば珍しく制服着とるのか。初めて会った日以来じゃな」
眼鏡を掛けてマミゾウはそんなことを言う。
「まあ、たまにはな。今日はちょっとまたお金を貸して欲しくて来たんだ」
「構わんが、いくらだ?」
いくらだ、と聞かれて私はどのくらい金が必要なのか思案する。
「十万」
「はっ。相変わらず遠慮がないのう。というか、かーどを渡したはずだがあれでは足りんか?」
「いやーゲーセン通いにハマってしまってな」
と言っては見るものの、マミゾウの奴は聡い。表情や私の仕草から嘘を見破る。案の定、私の言葉が真ではないことを見ているかのように目を細める。私は目を逸らさずその視線を返す。嘘が見破られてもいい。その場合は、事情を説明するだけだ。ただしこの場合歴史がこじれる危険性がある。バタフライ効果。今この時代に私が二人居るというだけで既に歪な状態なのだ。私は必要なこと以外にはなるだけ干渉したくない。
果たしてマミゾウはどう出るのか。これだけ返答に間を置いているということは私の嘘なんてとっくに見抜いているのだろう。
しかしマミゾウはふぅと息だけ吐いて、部屋の隅に置かれた金庫へ向かう。ダイヤルを回し戸を開け中に積み上がった札束を崩す。
「ほれ、十万円。大事に使うんじゃぞ」
きっちり十枚、お札を私は受け取る。
「……いいのか?」
暗に事情を訊かなくていいのか?という含みを持たせて私は確認する。
「いいと言っておる。無粋なことを訊く奴じゃ」
「ありがとう」
私はお金を掴んで一礼する。それ以上語らず私は事務所を後にする。「またな」というマミゾウの声が聞こえた。私はそれに短く返す。今度会うのは、またまた十数年後だ。初めてこの時代に訪れて金を借りたとき、奴はそれを返さなくていいと言ったがこの金だけは必ず返そうと私は思った。
そろそろ十時過ぎ。色々な出店が開店する時間帯だ。私は私と早苗に出くわさないようルートを選びながら行きつけの服屋に向かう。この時代の私と同じ服を買いそろえなければならない。私とこの時代の私を続けて目撃した人間がいた場合、それが混乱に繋がる恐れがあるからだ。服装は合わせたほうがいい。幸い、私は記憶力がいいのでどの日にどんな格好をしていたのかちゃんと憶えている。
「あらー朝から早いのね魔理ちゃん。いらっしゃい」
店内に入るとショップの店員に真っ先に話しかけられる。
「魔理ちゃんはやめろ」
「ごめんねー。あれ、お姉さんはどうしたの? いつも一緒なのに」
店員は首をかしげる。
「あいつは姉じゃねーよ」
「でも姉妹みたいに仲がいいってそこら中で評判よ」
「そこら中ってどこだよ」
「ショップ店員の集まりみたいなのがあってねー。あなた達すっごくかわいいから、結構目立ってるわよ」
「おだてても財布の紐は緩まないぞ」
「あらー。ほんとなのに」
私は店員の会話を適当に返しながら服を手に取る。ワンピースタイプの黒服。二万。デニムスカート。三万。シャツでさえ五千円。マジかよ、カードを使っていたせいであまり意識していなかったが、私はこんなに高いものをぽんぽん買ってたのか。冗談じゃない。
さんざん悩んだ末、私は黒いワンピースだけを買った。もう全日私自身と衣服を合わせるのはやめだ。金がいくらあっても足りん。隠密に徹する。混乱が生じそうになったら、目撃者の意識をどうにか魔法で操作してやろう。そういう認識操作系の術は得意ではないのだが外の世界の住人は魔法に対して極端に耐性が低いので上手くいくはずだ。
「あら? この服、前も買ったやつじゃなかった?」
衣服のタグのバーコードを読みながら店員は私に言う。
「ああ、ちょっとドジ踏んじまって服をダメにしちゃったんだ」
「わかった! それで今日は一人なのね。お姉さんに知られたくないから」
「だから姉妹じゃねえっての」
知られたくないという部分は正解だが。
「今日ここに来たことは早苗の奴には内緒にしておいてくれよ」
「おっけーおっけー」
店員は快くそう返してくれた。
私はショップを後にして次は靴屋でシューズを買う。そこの店員にもまた同じものを買うのか?という疑問を先ほどのように問いかけられた。その店には初日に行ったっきりだったのに顔を覚えられていたのが驚きだった。私達が目立っていたという話はどうやら本当のようだ。これから注意しなければ。
私は公衆トイレで先刻買った衣服に着替え、荷物になった制服は近場のロッカーに預けた。そのまま私はホテルへ向かう。時刻は12時過ぎ。この時間帯は確か私達はカラオケではしゃいでいたはずだ。
ホテルへ入り、顔なじみの受付に軽く挨拶してからエレベーターに乗る。受付に顔を見られたのは失策だったかもしれないが、このまま事が終わればその時点で歴史が修正され元の時代へ帰れるはずなので問題ない。
私達の部屋は当然鍵が掛かっていた。この扉は屋上にあるものよりやや複雑で、私の腕でも錠開けは難しい。無理やり破壊してもいいが、それだとかなり目立つ。
なので私は一旦屋上へ向かいそこから浮遊し窓から部屋へ侵入することにした。周りには同じ高さの建物はいくらでもあるので姿を見られないよう素早く行動しなければ。
私は自身の部屋の位置をしっかり確認し、宙に浮きそのまま沈む。窓までついて、がたがたと枠を揺らす。こちらもきっちり戸閉まりしている。くそ、なんでこんなとこまでしっかり閉めてるんだ。仕方ないので私は鍵の周りを八卦炉のレーザーで丸く切り抜いた。錠を開け、部屋に這入る。室内は冷房が利いていて涼しい。付けっ放しで出て行くとは地球に優しくない奴らだ。フロンガスは二酸化炭素の何十倍もの温室効果がある、といった話を早苗がいつかしていたのを思い出す。もう少し時代が進めばこれに関しての法整備がされるらしいが。
そんな与太話はさておき、私は目的の物体を探す。早苗の力を蓄えた霊石だ。これには替えがないらしいので破壊してしまえばその時点で客星は発動できなくなり、歴史は矯正される。
まずは棚を探す。一番上は早苗の領分、二段目は私の領分、一番下の棚は共用として使っている。早苗の棚を開けると中はゲーセンで手に入れた景品とプリクラのあまりだらけだ。早苗の奴はプリクラをちゃんと整理しないからな。何枚かプリクラを手に取る。どれもこれも二人で写っている。こんなにつるんでいれば姉妹と間違われるのも仕方ないな、と私は呆れる。せっかくなので一枚くらい拝借しておく。八卦炉の持ち手の内側にそれを貼り、私は物色を再開する。
しかし探しても探しても霊石は見つからない。思えば早苗の奴があれをどこにしまっているかなんて気にしたこともなかった。もしかしたら常に身に着けているのかもしれない。だとしたら相当厄介だ。
就寝時はいつも二人一緒だ。寝込みを狙おうにも、どちらかに気付かれるリスクは高い。睡眠効果のある香料を調合しようと考えたが、私自身そういう手口にはかなり詳しい。匂いがした時点でそれがどういう効果があるのか瞬時に見抜くだろう。自賛しているわけでなく、純粋な評価だ。
私は思考を練りながらもダメ元で物色を続ける。当然成果は得られず時間だけが過ぎていく。気付けばあと三時間ほどで私達が部屋に帰るくらいの時間になっていた。クソ、今日はここまでだ。窓の修繕をしなければ。
私は室内の電話をホテルの受付に繋げる。以前ホテル内の備品をうっかり破壊したとき修繕を頼んだら瞬時に対応してくれたことがある。今回もそうしてもらおうと思ったのだ。意図的に破壊してしまったという負い目もあるので代金はしっかり請け負う。前は何故だか無料だった。ホテル側からしたら、宿泊費のうちいくらかはそういう補償込みで値段を付けているから問題ないそうだ。
窓自体は三十分もあれば直せるらしいので、私達の帰宅には間に合う。
受付には窓を壊したことは早苗には内緒にしておいてくれ、と口止めしてホテルを後にする。
さて、寝床はどうしようか。私はとりあえずロッカーから荷物を回収し空のテナントだらけのビルに侵入する。人が入ってこないという保証はないが、贅沢は言ってられない。
鍵をこじ開け、薄暗い室内でひとまず私は腰を落とす。魔法で明かりをつけ、八卦炉で空調を整える。いくら部屋の中が過ごしやすい環境になっても、息苦しさは消えない。焦りか。私の思慮は浅かった。やはり簡単にはいかない。早苗の虚を付き、霊石を奪い破壊する。言葉にするとそれだけなのだが、確かこの期間は早苗は妙な気を張っていた時期だった気がする。容易にはいかない。
私は体のぐらつきを感じる。怠い。思えば恐怖の大王再来の自作自演からの幻想郷での聞き込みやら調査やら妖怪の山攻略を終えてからも一睡もせずここまで来た。疲れていて当然だ。銭湯へ行こう。休むのも大切だ。まだ時間は一週間もある。じっくりと策を練ろう。
それから結局事は一転もしないまま過ぎることとなる。
私達がプールへ行ったり海へ行ったりしたときもこっそり後をつけて更衣室で衣服を漁ったりもしたのだが、早苗の持ち物に霊石はなかった。私に黙ってロッカーに預けているのかと考え思い当たるところを片っ端に探してみたけれど、早苗が物を預けているということはなかった。スリを雇ったりしてみたけれど、みんな返り討ちに遭った。思えば滞在中、やたら絡んでくる男が多かった気がするが半分くらいは私のせいだったのか。本当に済まない。
衣服を漁っても出てこないということは、水着姿になっても肌身離さず持ち歩いているという可能性がある。思い返してみるが、早苗が霊石をアクセサリーみたいに身に着けていた記憶はない。しかしそれは単純に私の見落としがあるだけかもしれない。水着のときの早苗を凝視するのはなんだか気恥ずかしくて控えていた記憶はあるし。
なので狙い目は早苗が風邪でダウンする帰還一日前のあの日だ。あの日なら私は買い出しに行くため早苗の元を何度か離れるし、奴自身も風邪のせいで抵抗力もない。霊石さえ破壊してしまえば全ては終わるのだ。私自身との接触さえ避けられれば、強引な手だって使える。
――まあ、早苗を攻撃したりする気はさらさらないが。それはどうしようもないときのための最終手段だ。
ホテル前で私は私が買い出しに行くまで張り込む。必然的に入れ違いみたいになるので受付は多少混乱するだろうが、そこは仕方ない。
私が出てからすぐに私はホテルへ入る。当然、受付は「あれ?」と素っ頓狂な声を出して私に声を掛けようとするが無視して私は部屋へ向かう。
鍵は開いている。私は音を立てずに部屋に侵入する。出来れば早苗を起こしたくない。
早苗はベッドの上で吐息を立てている。顔が赤い。額を触ると、やはり熱がある。霊力で風邪を飛ばせるというのに、何やってんだこいつは。私は掛布団をめくり早苗の衣服を触る。何か膨らみはないか。いやいや、胸の膨らみとかそういう際どいところではなく。
「……魔理沙、さん?」
服を触っていると早苗が虚ろな目のまま私に声を掛ける。私は取り乱すことなく早苗に「悪いな、起こして」と返す。起こしたくはなかったが意識が戻ってしまうのは想定内だ。
「……どうして戻ってきたんですか?」
妙にはっきりとした口調で早苗は私に訊く。
「汗でも拭いてから行こうと思って。汗まみれじゃ気持ち悪いだろ」
タオル片手にそう言い訳をする。早苗は赤い顔のまま先ほどのはっきりした口調とは打って変わり「はい、助かります」と返す。すぐに朦朧とした様子になる。
衣服を脱がせ下着を外し、柔らかな早苗の肌の表面ににじんだ汗を拭きつつ、私は霊石を探す。ない。やはりない。体内に仕込んでるってわけじゃないよな?
「……そういえば、霊石ってどこにしまってるんだ?」
やや強引だが私はそう訊く。早苗はうーんと唸る。こんな早苗の意識状態じゃ質問どころじゃないな。しつこく聞けば早苗の負担になる。遠慮しないと決めたくせに、弱っている早苗を前にすると私はどうしても踏み込めない。クソ、ここで何とかしなければ早苗が幻想郷から居なくなるんだぞ。
汗を拭き終え、衣服を着せてからも私は逡巡しまくり結局何もできず時間だけが過ぎる。ガチャ、っと扉のノブの回る音がする。まずい。まずいまずいまずい。
間抜けか私は。焦るあまりに私の帰還時間を計り損ねた。
早苗に布団を掛けなおし、濡れタオルに瞬間的に八卦炉でわずかに熱を与え額に乗せる。早苗の体温が移っていない冷えたままのタオルだと私が不審がるかもしれないからだ。私は飛び上がって天井に張り付き隠密の魔法をかけた。姿が消えるわけではないが、少なくとも気配は薄くなる。
早苗は目を薄く開けたまま額に手を当てて唸っている。汗拭きで負担を掛け過ぎてしまったか? すまない。とか心配している場合じゃない。今、私のほうがピンチだ。まずい。最高にまずい。私が部屋へ入ってくる。わずかでも視線を上に向ければ、見つかってしまう。気配を極限まで薄くしているとはいえ、視界に入ってしまえばおしまいだ。
「帰ったぞ早苗。どうだ、調子は」
言いながら私は早苗の額に手を当てている。これもまずい。早苗が混乱する。私は買い出しには行かず、先ほどまで汗拭きをしていたのだから。
「ううーん……。ま、魔理沙さんが二人に見えるー」
薄目のまま、早苗はそんな真っ当な事実を言う。やばい、私はこのとき熱にうなされてそう言っていると思っているのだが、ほんとのところの早苗の視界には実際に私が二人映っているのだ。
「やれやれ。まだまだ快復には遠そうだな」
能天気に私が言う。私は天井に張り付いたままするすると空を浮いて移動し扉を開け部屋を出る。早苗の視線は天井を這う私を追っていたような気がする。奴の意識が熱でおかしくなっていることを祈ろう。幻覚を見たと思い込んでいると祈ろう。
最大の危機を乗り越えたものの、私は途方に暮れていた。ホテルの屋上で、生暖かい風にさらされたまま項垂れる。このまま行けば、今日の午後日が落ちるころには早苗は回復しここで儀式を始めてしまう。
……最終手段だ。本当は今日まで、この手段を実行するチャンスはいくらでもあった。屋上で二人を襲撃して強引に霊石を奪い取るという作戦。作戦というかただの力づくだ。脳もクソもない。野蛮人の手段だ。
実行する気がなかった最終手段とはいえ、まったく準備していなかったわけではない。屋上の隅に隠していた道具を一式私は取り出し見聞する。不備はない。魔法のキノコの粉末に着火することで発動する閃光かんしゃく玉。直撃すれば意識を刈り取る。仙丹。肉体の耐久力を上げる。八卦炉と箒。私のいつもの得物。
上手くいけば最初の閃光かんしゃく玉で勝負は決まる。道具を半分も使わずに済む。出来れば早苗を傷つけたくない。私はじっくりと急襲実行のシミュレートをする。
霊石はこの日、儀式のため早苗の手から離れて地面に置かれる。二人の意識を落としたあと八卦炉で撃ち抜いてやればそれだけで作戦成功だ。歴史は矯正される。
恐怖の大王は降りず予言は人騒がせな虚言として収束する。オカルトブームは起きない。異能の研究機関も発足しない。早苗は幻想郷に戻ってくる。そして、オカルト異変も戻ってくる。
私は自覚しなければならない。歴史を矯正した世界で異変によって死んでしまう人間が出てきた場合それは私の責任なのだと。業が深い。ホントに、私は勝手な奴だ。地獄行き間違いなしである。
屋上で潜伏したまま時を待つ。二人が屋上へ来るのを。冷房や空調は操作しない。使えばそれがそのまま人のいた痕跡として二人に察知されるからだ。不意を突き一瞬で終わらせる。永淋の忠告通り私自身との接触だけは避けて。
しばらくしてようやく二人が屋上に姿を見せた。早苗の様子は病み上がりとは思えないほど好調そうだ。私は名残惜しそうに地上の様子を眺めている。この時代の風景を見納めようとこの時考えていたような気がする。
「では、準備はいいですか魔理沙さん?」
早苗は屋上の中心で霊石を地面に置いてその前で腕組立っている。どこから取り出した? 結局その謎は最後までわからなかった。私はかんしゃく玉を二つ右手に握り、左手は八卦炉を持ち魔力をチャージする。私の立ち位置は私の背後のやや斜め上、屋上へ出るための扉の真上だ。そこで伏せるようにしている。角度的に二人には姿が見えないはずだ。
「準備も何も、私は見てることしか出来んぞ」
私が言う。
「心の、準備ですよ」
念を押すように早苗は言う。私はそれにサムズアップで応えたようだ。背後から見ていてもそのくらいはわかる。早苗も私に倣い、親指を立てる。
「了解です。では、いきますよー。よく見ておいてくださいねー。と言っても、凄まじく光るでしょうから見ると目が潰れちゃうかもしれませんが」
言うが早い。早苗は詠唱を始める。霊力を込めるときに使うものとは違う音節の詠唱。私には何を言っているのかてんでわからないが、しかしその早苗の紡ぐ言葉は確かに神にだけ伝わる意味を持っているのだろう。
私は上空に飛び上がり、十分な距離を取ってからかんしゃく玉を投擲した。一投目が狙うのは私自身だ。目を覆い口を開け、耳を塞いで私は爆発に備える。
炸裂音。薄目を開けると、私が前のめりに倒れこむ姿が見えた。成功だ。
続けて早苗に向かってかんしゃく玉を投擲する。薄目では早苗の様子がよく確認できないが、一投目の閃光で少なくとも視覚は機能しないはずだ。二投目の音と衝撃で意識を落とす。
狙い通り、かんしゃく玉は早苗の目の前で破裂した。私は目を閉じたまま高度を下げ、至近距離から八卦炉のレーザーを霊石のあった位置に放つ。
水分が蒸発するような音がした。手応えがない。目を開けると、霊石は全くの無傷のままそこに在った。
何か、膜のようなもので覆われている……? 状況が理解できず、一瞬私の体は完全に硬直する。
その不意を突くように空を裂く音。霊力弾。私は身を転がしながらそれを避ける。
「来ると思っていましたよ」
早苗は言う。当たり前のように。意識が落ちるどころか、奴は無傷だった。霊石と同じ膜で体が覆われた状態で腕を組み私を見ている。
「水で出来たシールドです。知っての通り水は光を屈折させ音を緩衝し熱を奪う。建物のことを気にして八卦炉の出力を落としたのが仇になりましたね。そのせいであなたはシールドを破れなかった」
早苗はゆったりとした歩調で霊石に近づき、それを回収する。
「と、そんな話は別に興味ないかな。さて、もう一度訊きましょう魔理沙さん。どうして戻ってきたんですか?」
早苗は妙にはっきりとした口調で私に問う。「もう一度」と早苗は言った。一度目は、いつ訊いた? 自問するまでもなくすぐに思い至った。
「気づいて、いたのか」
一度目に訊かれたとき、私は早苗の身体を拭きに戻ったと答えた。私はごまかすためにそう適当に答えたのだが、あのとき早苗はそんなことなど訊いていなかったのだ。奴があのとき私に訊いていたのはもっと根本的な、私が何故この時代に再び訪れたのかという質問だ。
「気づいていたか、ですって? 当たり前じゃないですか。時間遡行ものではよくある話です。同じ人物が同じ時間に二人以上存在していることなんて。私達の作戦が失敗する外的要因があるとすれば、それは私達自身がその要因になりうると警戒していましたよ。違う時間軸の私、もしくはあなた。そしてそれは、おそらく私より未来の存在」
警戒していた。マジかよ。なんて奴だ。つまり早苗がずっと気を張っていたのは、この可能性を考慮していたからだったのか……?
「いつから気づいていた?」
私が先ほど早苗と接触したときには気づいていたはずだ。でなければ、どうして戻ってきたかなんて話を訊いてくるはずがない。
「最初からですよ。マミゾウさんの事務所前で今の身体を構成しましたよね? 地面が抉れるいたずらをされたって話を聞いてからぴんと来ました。私達以外に遡行者がいる。十中八九、その正体は魔理沙さんだって当たりを付けていましたが。仮に私が戻ってきていたのなら、私がそういうことを警戒してるって知っているはずですし」
だから早苗はその予測を私に話さなかった。話せば、この私にその警戒心を知られることになるから。
「目的まではわかりませんでしたが。私達の恐怖の大王作戦を邪魔するつもりなのか。それとも、予想外のトラブルに見舞われる予定の私達を守るために来たのか。後者を気にしてもしょうがないので、私はあなたが妨害してくることを前提に警戒をしていましたが、それも当たりでよかったです。さて、三度目ですよ。どうして戻ってきたんですか?」
早苗は霊石を片手に問う。青々と、それは発光している。今攻撃すれば確実に先手を取れる。しかし私はそうしなかった。ここまで先読みの出来る奴だ。後手に回っても私相手に優位に立ち回る算段くらい用意しているだろう。
「……お前は、歴史改変後の世界で幻想郷に居ない。居なくなってしまうんだ」
私は早苗にそう伝える。正直に話そう。もう隠していても仕方ない。そうだ、最初からこの手は私の手札にあった。早苗に正直に事情を話せば、霊石を素直に渡してくれる可能性がある。早苗だって幻想郷を離れるのは嫌なはずだ。
事情を事細かに伝えると、早苗は「ふむ」と小さく納得したように頷いた。
「そうですか。話はわかりました。ですが、私は恐怖の大王を降ろすのをやめません。幻想郷を救います」
「……そうか」
わかっていた。早苗が素直にこちらに応じないことを。自分の都合で、幻想郷を危機に晒す気なんてないことを。だから私はこの手札を切らなかったのだ。この手札を切れば、私達は決定的に決裂する。
私は最初にこの時代に来たときのことを思い出す。早苗は、幻想郷が好きだと言っていた。だから必ず異変を解決したいと。
「霊石を渡せ。お前が嫌でも、私も嫌だ。お前のいない幻想郷なんて、つまんないんだよ」
「呆れた。けれど、嬉しいです。魔理沙さん、私のことそんな風に想っててくれて。でもこちらも譲る気はありません」
早苗は懐から一枚のカードを取り出す。スペルカードだ。
「我を通したければ戦うしかありません。ここは外の世界ですが、幻想郷の流儀で決着を付けましょう」
「いいだろう。私に弾幕戦で勝てると思うなよ」
私は宙に浮き、八卦炉を構える。箒を片手に呼び寄せ、いつもの戦闘スタイルだ。
「こちらのセリフです。さあ来なさい、霧雨魔理沙。出来るものなら私を救ってみなさい!」
「ああ、東風谷早苗。お前こそ、やれるものなら幻想郷を守ってみろ!」
早苗も私に倣い宙に浮く。幻想郷では非行少女というのは日常だが、この世界では超常である。早苗は霊石を片手に携える。それに蓄えられた霊力は彼女に力を与える。不測の事態に備えて貯蔵していた霊力。今がその時というわけだ。
弾幕が散布される。雨粒のように注ぐそれは、月明かりを吸ったかのように白く美しい。細かく、避けようのないくらいの密度でそれは上から下へ向かって私に襲い掛かる。
私は大きく動いて弾幕の雨を回避し、八卦炉のレーザーを早苗に向かって放った。直線的なわかりやすい弾幕。当然早苗は事も無げに避けるが、レーザーは相手の動きを制限するための布石だ。
続けて細かい弾幕を散布する。動きは遅いが高密度、横に凪ぐような星屑。
早苗はその避けようのない弾幕の壁を、霊力の爆裂で散らして安全地帯を作る。早苗は爆裂に紛れて球状の霊力弾をとんでもない速度で放った。
目測でほぼ音と同じ速さ。私は仙丹を口内でかみ砕き、人外の耐久力を得たその腕で霊力弾の軌道を逸らした。
「今の、当たったんじゃないですっ!?」
空を切りながら宙を舞い、弾幕を放ちつつそんなケチをつける。
「掠っただけだっ!」
レーザーを薙ぐように放ちながら私は叫ぶ。
「というか、なんで生身で弾幕に触れるんですかっ!? 人間やめちゃったんですか!?」
「仙丹だよ! 仙術ってやつだ!」
「あら、そうなんですか。私も仙術ならちょこっとかじったことがありますけど、それは知らない術でした! 私が出来るのは、仙界を開くことぐらいですねっ!」
再び音速の球弾。私は今度はそれを身のこなしで避ける。だんだん目が慣れてきた。
「てめえ、さては霊石を仙界にしまってたなっ!?」
「ご名答。そこなら私以外に触れられませんからねっ!」
仙界は自分だけの空間を作り、そこへ自由に出入りする技術だ。私も練習したことがあるのだが、まだ上手く接続出来ない。かじったくらいで出来るようになるとは、ふざけた才能だ。
私は出鱈目に星の弾幕を散布するのをやめ、八卦炉のチャージを始めた。いい加減早苗が無尽蔵に出す細かい弾幕を鬱陶しく感じ始めたのだ。
早苗は私がそうするのを確認すると弾幕の展開を中止し、飛行の速度を上げた。
手の内は知られてるが、しかしこいつに限ってはそれは不利にならない。私は最強の弾幕とはパワーだと信じている。わかっていても避けられない弾幕こそが、一番凶悪なのだ。
「マスタースパークッ!」
八卦炉から極大の閃光が放たれる。轟音、それは宙に散った有象無象の弾幕をも掻き消す。早苗は空を旋回しながら極大のレーザーを避ける。私は大振りにそれを振り回す。八卦炉の炎を避け続けるのには限界がある。私は宙に停滞するように配置した星弾に向かって追い詰めるようにレーザーを振った。
早苗は星弾に接触しそうになると、霊石を発光させ空間を爆裂する。そうして無理矢理道を作った。繰り返しているうちに宙に散っていた互いの霊力弾が殆どなくなってしまった。戦況はこれでリセットだ。弾幕を張り直す必要がある。
先に弾幕を張り切ったほうが有利だ。私は両手を開き、星弾を中空一面に展開する。それに倣うように早苗も白の弾幕を展開する。
「あなたの魔力が先に尽きるか、こちらの霊力が先に尽きるか。――ですか?」
早苗が私を言う。
「私がこの世界に来てから溜め込んだ霊力と、張り合える気ですか? 傲慢ですね、相変わらず」
そうだ。耐久力勝負なら、完全に分が悪い。奴には長い時間をかけて貯蓄した霊石の力があるのだ。私にも八卦炉に貯蓄された魔力があるが、おそらく総量で負けている。
それを早苗は理解しているからこそこうやって煽る。煽って、私を焦らせようとする。一手余計な手を使わせようとする。無駄な手順を踏めば、その分だけ不利になる。舐めるなよ、早苗。そういう小手先の駆け引きは私のほうが長けている。
私は一見、意地を張って早苗の質量対決に付き合っている体だが実はそうではない。私の弾幕には殆ど攻撃力が伴っていない。展開されたものの半数ほどが星弾同士の乱反射によって生み出された光の幻影だ。
言うなれば視界を塞ぐ目隠し。魔力の消費も普通に弾幕を展開するより安上がりというおまけ付きだ。早苗の放つ弾幕の密度も併さり、空中の景観は光に埋もれているようだった。私は光に紛れたまま八卦炉をチャージする。不意打ちだ。
「――全く、そんな手に引っかかるとでも?」
早苗の霊力弾が炸裂する。光は一気に掻き消えた。チャージのために動きを止めた私目がけて早苗の元から蛇状の弾幕が飛ぶ。
早苗の瞳孔が、蛇のように鋭くなっているのを私は確認した。――ピット器官による熱探知だ。奴は、神奈子の神徳を使わずとも蛇の特性を呼び出せるのか。霊石の余剰霊力で無理矢理その力を引き出しているのだろうか。
ともかく、その力を使って早苗は私の星弾に熱量がないことをとっくに見抜いていたのだ。
「くっ!」
蛇弾を躱すが、この弾は追尾する。私はたまらず八卦炉の熱を一気に解放した。私の体躯を熱が覆う。同時に熱膨張により弾は掻き消えた。
「仙丹があるからって無茶なことを……。被弾を避けるために自爆ですか?」
ただの自爆じゃない、速度を付けるためのブーストだ。私は早苗と距離を取る。こちらを追えないよう弾幕を展開しながら。
空中から屋上へ降り立つ。閃光かんしゃく玉の炸裂にやられてぶっ倒れて目を回している私の姿がちらりと視界の端に映る。願わくば、私がこんな風に無様に倒れるような未来が来ることだけは勘弁願いたいものだ。
私は八卦炉の熱をチャージする。動きを止めた私を狙って弾幕が降り注ぐ。しかし、それには先刻程の容赦のない勢いはない。早苗は気絶している私に流れ弾が当たらないよう弾幕の量と威力を抑えているのだ。お優しい奴だ。おかげで、仙丹の防御力で弾幕を耐えつつ十分に魔力を八卦炉に込められる。
「ひ、卑怯ですよ! 自分を盾に使うなんて!」
「戦いに卑怯も糞もあるか。宣言してやる。私は今から、最大規模の火力を空に向かって放つ。逃げ場なんてないぞ」
八卦炉のチャージを続ける。
「来いよ、早苗。火力の勝負だ。まさか、何日もかけて溜め込んだ霊力があるってのに私の炎を迎え撃つ自信がないのか?」
安い挑発。だが早苗は乗ってくる。これは確信だった。何故なら、弾幕の量だけではなく火力でも早苗は私を上回っているに違いないからだ。
「……いいですよ。相変わらず火力だけには自信があるようですが、真正面からその力叩き折ってあげましょう」
早苗の掌に青い光が収束する。炸裂するような光ではなく、こちらのレーザーに近い力を練っている。攻撃範囲を広げ過ぎると私が足場にしているホテルや気絶している私にまで被害が及ぶと考慮しているからだろう。
「さて、御休みなさい、魔理沙さん!」
温度のない冷淡な言葉とともに、青色のレーザーが私目がけて放たれる。
「お前こそ眠ってろ、早苗!」
私は腰を落とし、とっておきの切り札を素早く拾う。気絶して倒れている私が所持している八卦炉だ。拾う際、もう一人の私と身体が接触する。触れれば何が起こるかわからない。永淋の忠告を忘れたわけではない。だが、迷っている暇はない。
私が迷えば、早苗はすぐに私の魂胆に気付きもう一人の私を八卦炉ごと仙界あたりに隔離するはずだ。そうなれば、火力勝負で勝ち目がなくなる。
触れた瞬間、意識がぐらつくような錯覚。意識が分離するような錯覚。構わず私は二つの八卦炉を早苗に向けて全開の魔力を暴走させる。
今の私の八卦炉の出力は単純に二倍。この炎に勝る火力はこの世に存在しない。
真っ白な光が早苗ごと黒い空を穿つ。轟音。早苗の放った霊力のレーザーは白に飲み込まれ押しつぶされた。
八卦炉の放熱が終わる。意識がぐらつく。
魔力の解放が原因ではない。
私はかぶりを振る。意識をしっかりと保つ。二つの八卦炉のうち一つを倒れている私に投げ返す。
空を見ると、意識を失った早苗がふらふらと高度を落としているのが見えた。私はそれを受け止めるため地を蹴り空に繰り出す。
これが騙りで早苗が気絶しているふりをしていた場合、完全に私の負けだ。そういう可能性を考慮しつつも、私は早苗の身体を両腕で受け止める。重い、意識を失った人間の重量だ。
早苗は目を閉じたままうめき声を上げている。
「……悪いな」
私は早苗が握りっぱなしにしている霊石を取り上げた。そしてそのまま霊石を空に放り、八卦炉のレーザーで撃ち抜いた。霊石はあっさりと砕け、早苗が異変を解決するために溜め込んだ霊力が空に霧散する。早苗の霊力の塵は月を蒼く彩り、なかなか綺麗だった。
感傷に浸るのもつかの間、刹那、意識が攪拌する。手足がねじれるような感覚を覚える。
脳髄が液化する。
魂がバラバラになる。
明らかに、歴史改変に伴う強制送還の予兆とは違う。
――限界か。もう一人の私と決して接触してはならない。私は二つの八卦炉を使うため、その禁を破った。
このまま私は消えるのか。
……まあ、いいか。消えるのはこの私の意識だけで、元の時間軸に居る私の意識は無事かもしれないし。世界というのはいくつもの平行時間軸が同時に存在している。
そのどこかに居る私に残りの事は任せていいだろう。投げやりにそんなことを考えているうちに、私の意識は掻き消える。
終わり。
・・・・・・・・・・・・・・・以下蛇足・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――と深刻な感じで意識を落とした私だが、次に目が覚めたときに映った景色は博麗神社裏の雑木林だった。意識はある。体がバラバラになった感覚もない。気温は熱いが、風があるせいでコンクリートジャングルほど嫌な空気ではない。なんだよ、永淋の奴。なんともないじゃないか。脅かしやがって。ホントに消えてしまうかと思った。
倒れたまま握力を感じる。隣を見ると制服姿の早苗が私の手を握ったまま横たわっていた。
「……帰ってきたみたいだな」
私がそう言っても早苗から反応はない。うーんと唸ったまま。しばらく放っておくと、突然早苗は飛び起きた。まるで目覚ましでも鳴らされたかのように。
「はっ」
「おはよう」
目覚めた早苗に手を振ると、何故か険悪な視線で返された。そしてほとんど体当たりするような勢いで胸倉を掴まれた。
「やってくれましたね、魔理沙さん。これで、全てすべて全部ぜーんぶおじゃんです。薬は二人分しかないって話でしたし、もう止められません。異変を解決手段は当面ありません。時期に幻想郷は外の世界のオカルトに覆いつくされるでしょう」
早苗は私を睨む。私はその視線を逃げずに受け止める。しばらく見つめあった後、早苗は私に抱き着いてきた。ただでさえ夏の暑さで暑苦しいのに、早苗の体温はそれ以上に熱い。怒っているせいだろうか。
「ホントに、勝手な人ですね、あなたは」
「……悪かったって」
早苗が憤るのも無理はない。それだけのことを私はしてしまった。
「やってしまったものは仕方ありません。とりあえず、霊夢さんに相談しましょう。今後の事を話さなくちゃ」
霊夢の奴も怒るだろうなぁと私は背筋が寒くなる。私と早苗は揃って鳥居側に回り込む。霊夢は呑気に掃除をしていた。この時点で私は違和感を覚える。なんか異変中にしては能天気すぎないか?
「あら、魔理沙と早苗じゃない。揃ってどうしたの?――ってなんだか格好まで揃ってるわね。なにそれ。鈴仙の真似?」
霊夢は私達の制服姿を指して言う。
「格好のことは気にするな。それより、オカルト異変はどうなった?」
「オカルト異変?」
「ほら、外の世界のオカルトが流入しまくる異変ですよ。私達、例の作戦に失敗しちゃって」
霊夢は首をかしげる。
「あんたら、夏の暑さでおかしくなっちゃった? そんな異変起こった記憶ないわよ。直近で起こった変なことと言えば月の侵略くらいじゃない?」
私と早苗は唖然とする。喜ばしいことなはずなのに、そうなってしまった理由がわからなくて立ち尽くす。一体、何が、どうなったんだ?
それから私達は、幻想郷中へ聞き込みを開始した。半日ほどかけて調査した結果、元の時間軸と今の時間軸との相違点はオカルト異変が起こっていないという一点のみだと確認できた。こんなに都合のいい時間軸があっていいのか?
仮にそんな時間軸があったとして、私たちはなぜそんな世界へ到達できたのだ?
喜んでいいのか慌てたほうがいいのかわからないまま時が過ぎる。
そうして二人揃って守矢神社にある庇の影の下で惚けていると、聞き込み回っている私達の噂を聞きつけたのか八雲紫が現れた。
「こんにちは、お二人さん」
「なんだお前か」
「こんにちは」
うさんくさい紫相手に私達二人の反応は微妙である。紫はそんな私達の態度が気に食わないのか、来たばっかりなのに背を向けて立ち去ろうとする。
「あーあ。せっかく二人が納得する答えを持ってきてあげたというのに。そんな態度なら私、知りませんわ」
新聞片手に、紫はそんな台詞を言う。片手の新聞は明らかに天狗のものではない。外の世界の新聞だ。
「まてまてまて。紫、悪かった。微妙な反応して済まなかった。話を聞きたい」
紫を呼び止めて私は頭を下げる。
「私も話を聞きたいです。お願いします。よっ、幻想郷一の美人さん!」
おいおいその言葉は煽りにも聞こえるぞ、と私は制止を掛けようとする。が、紫は目に見えて上機嫌になるのを見てやめた。なんだこいつ、案外ちょろいな。
「もう、しょうがないですね。貴方達二人は、何故恐怖の大王が落ちない世界でオカルト異変が起こっていないのか疑問に思っているのでしょう?」
紫の奴はこちらの事情まで事細かに把握しているようだった。でなければ1999年の予言に関するその単語が出てくるわけがない。他世界との境界を操作し、平行世界線を観測する能力。
「原因は貴方達です。この記事を見なさい」
紫は新聞を広げる。日付は1999年七月某日。私達二人が最後に過去に居た日だ。
「空に瞬く光の雨……?」
「空を駆る少女……?」
新聞の見出しはそんな感じだった。写真には上空で展開される私と早苗の弾幕戦がはっきりと映っていた。拡大付きの写真は解像度が悪くてわかりにくいが、制服姿の私達が写っている。
「端的に言うなら貴方達の弾幕は地上人を魅了しました。正体不明の飛行少女。それに伴う光弾の応酬。実際に貴方達が戦場にしたホテル屋上で熱線に焼かれた跡がいくつも見つかったのも決定的でしたわ。まだ、科学の及ばない幻想が存在するという一つの判例として貴方達の弾幕戦は歴史に記録されました」
恐怖の大王ではない、全く違うオカルト信仰の芯。
「予言のオカルトと違うのは、これには世界を傷つけ陥れるような悪意や害意がない。予言のオカルトが芯になった世界では、危機感に煽られた人々によって超常現象観測機関・異能所持者保護機関といった組織が発足させましたがこの世界ではそのような組織の存在は確認されていません。――まあ、この少女達を信仰するような怪しい宗教があるくらいですわ」
紫が写真の私達を指す。
「よかったわね。貴方達はやろうと思えばこの世界で神になれますわ」
「いや、私は既に神なんですけど」
早苗が突っ込む。私はそれどころじゃなかった。なんだそりゃ。適当に行き当たりばったりで進んできたのに、こうもあっさり都合のいい時間軸へたどり着いていいものなのか?
「魔理沙、貴方はもう少し反省するべきですわ。こんな風に貴方にとって都合のいい世界もあれば――」
紫は私の頭に触れる。――数瞬、意識が別の場所へ飛んだ。
錯覚ではなく、間違いなく。
飛んだ先の世界では、私の肢体は魂の断裂によりバラバラだった。または幻想郷がオカルトにより押しつぶされていた。或いは機関とやらに幻想郷が侵略されていた。
走馬灯のように、それぞれの光景が頭の中を駆け抜けた。
「こういう世界もある。絶望に底がないことを、貴方は知っておくべきですわ。貴方の行動次第では、こんな世界にたどり着く可能性も十分にあった」
今のは、幻覚ではない。紫の能力によって多世界の光景を見せられたのだ。
「蝶の羽ばたきは思ったよりも気まぐれです。どこへ飛ばされるかわからない」
「……ああ。肝に銘じておくぜ」
私はへたり込む。早苗が心配そうに私の肩を抱く。
「まあ、時間遡行なんてこれっきりにしておきなさい」
紫は私の頭を撫でる。私はそれを跳ね除ける。
「悪いけど、早苗がまた居なくなるようなら同じ手を使ってしまうかもしれないぞ」
「も、もう! ふざけたこと言わないでくださいよ!」
早苗は私を引っぱたく。私はへらへらと笑う。
冗談では済まない妄言。強がりだったかもしれないが、同時に本気の感情も混じっていた。
私は早苗を心底気に入っているのだ。世界を駄目にしてまで一緒に居てほしいと思うくらいには。
「早苗って、誰?」
霊夢の言葉の意味を、私は瞬時に理解出来なかった。背筋が粟立つような感覚。
とぼけている風でもなく、霊夢は純粋に疑問を呈すかのように不審そうな半眼で私を見ている。一拍ほどの沈黙。
「誰もなにも、早苗は早苗だよ。ここへ一緒に戻ったはずなんだが見当たらなくて」
私は同じ言葉を繰り返す。しかし、霊夢は今度は打って変わって心配そうに私を見ながら応える。
「どの早苗よ。私、その子知らないわよ。妖怪?」
私は、額から冷や汗が流れるのを感じた。決して日射の熱のせいだけではない。鼓動が早くなる。まさか、まさか、と頭の中をある考えが巡る。私はその嫌な考えを即座に打ち消す。霊夢の両肩を掴んで、再度問う。
「だから、東風谷早苗だ! 人間で、現人神で、お前の商売敵の! 守矢神社に住んでいて、外の世界から移住してきたあの!」
守矢の名を出した瞬間、霊夢の眼光が鋭くなる。
「守矢神社? 魔理沙、奴らにまた何かされたの? いいわ、いい加減決着付けに行こうかしら。私の目が黒いうちは奴らに好き勝手に動かせないわ」
戦闘モードだ。霊夢の豹変ぶりに思わず私はたじろぐ。
「いや、なんでもない。気にするな」
咄嗟に私は霊夢を落ち着かせるような言葉を吐いていた。
「なんでもないことないでしょ。何かあったんでしょ?」
今度は霊夢が私を問いただす番になった。まずい。瞬間的に思った。なんだか知らないが、『この』霊夢は守矢に敵意を抱いている。このまま霊夢を行かせれば、余計にこじれるかもしれない。
ただでさえ訳がわからないのに、これ以上事態を悪化させるわけにはいかない。
「なんでもないから、気にするなよ」
私は逃げ出すように箒に乗って空へ飛び出した。「ちょっと!」と霊夢の声が背後を追いかけてきたが、私はそれを無視して振り切った。なんなんだ、なんなんだいったい。
調査が必要だ。何故霊夢が早苗を認知していないのか。少なくとも、守矢神社はここにある。早苗が消滅したわけではない。大丈夫、大丈夫だ。私は自分の鼓動を落ち着けさせるために念仏のようにそう繰り返す。
人里では早苗を知るものは居なかった。命蓮寺でも早苗を知るものは居なかった。紅魔館も、冥界も、地底も、早苗を知るものは居ない。どこへ行っても、早苗を知っている人が居ない。焦りだけが先行する。わかったのは、守矢が幻想郷で新参であることと、妖怪の山を支配下に置いていること。その支配力は絶大で、妖怪の山へ近づくと守矢の名の元に天狗どもから迎撃されるほどだ。どうやら配下を増やすのにえらく乱暴な手を使っているらしい。信仰を集める手段も選ばなくなっていると聞いた。いったい何がどうなっているのだ。
私はひとまず時間の掛かりそうな妖怪の山の攻略を後回しにし、人里の外れにある妖怪の隠れ集落に向かう。唯一、この狂ってしまった時間軸でも話が通じるであろう人物に思い辺りがあったのだ。
「マミゾウは居るか?」
妖怪の集落に入り、適当な妖獣にそう訊くと賭場の方向を指された。命蓮寺に居なかったので、ここに当たりをつけていたのだが私の読みは的中したようだ。
私はずけずけと賭場に入る。煙草臭い店内は妖獣中心に妖怪だらけの空間になっていた。人間も混じっているが、しかし彼らは当然のように退魔師やら仙人見習いやらといった一筋縄ではいかなそうな面々である。
その混沌とした空間の中でも、マミゾウの姿はすぐに見つけることが出来た。当然のようにパンツルックではない、幻想郷に馴染む和装である。卓を囲っているマミゾウに私は大股で近づく。
「マミゾウ、話がある」
「む。魔理沙殿か。なんじゃ、突然。今忙しいんだが」
「早苗のことで話がある」
私は祈るような気持ちで彼女の名前を出す。するとマミゾウは一瞬目を丸くし、続いて含み笑いをする。
「そうか、懐かしい名前じゃのう。――おうおう、すまないみんな。すこし儂は抜けるぞい。おーい、誰か代打ち頼む」
マミゾウがそう言うと二ツ岩の銘入りの羽織を着た妖獣が入れ替わるように席に座る。
「えー。抜けるの? やりがいがなくなるなー」
マミゾウと卓を囲っていた一人の封獣ぬえが不満を漏らす。
「悪い悪い。戻ったられーと倍で相手してやるから、許しておくれよ」
へらへらとマミゾウは笑い、外へ出る。私はその後に続く。
路地の人目のつかないところまで来て私は早速本題を切り出す。
「お前は早苗を覚えているのか?」
「こっちの台詞じゃ。ここで十数年ぶりに再会したら、おぬしはあのときのことを忘れておったわい。早苗殿のことを訊いても当然知らん顔。まあこれは、再会した時点よりもっと先の時間軸でおぬしらは時間旅行をするものだと思っていたからすぐ納得できたのじゃが、しかしいつまで経っても早苗殿の姿が見当たらんかったので、それだけ不審に思っていたのじゃ」
これは調査の段階でわかっていたことだが、昨日までの私はオカルト異変の発生しない時間軸での私が普通に生活していたようだ。タイムリープから戻った私の意識に上書きされる形でその私は消失?してしまったようだが。マミゾウのことを知らなくて当然だ。
しかし、これでひとまず確信は持てた。ここは私たちが過去改変を行った時間軸と地続きだ。マミゾウが早苗のことを憶えているのがその証左である。
「早苗が、居ないんだ。今日の日付から、一緒にタイムリープして過去改変をしたのに。私だけが帰ってきた。守矢神社はあるのに、早苗の存在だけがすっぽりここから抜け落ちている」
守矢の名を出すとマミゾウは怪訝そうな顔をした。
「ほう、あの娘は守矢の所属だったか。いい噂はあまり聞かんぞ」
「知ってる。それも変なんだ。私の知ってる守矢神社は信仰を集めることに執心していたが、乱暴な手段を積極的に使う連中じゃなかった」
マミゾウは壁に寄りかかりぴんと人差し指を立てる。
「おぬしはもう原因に気づいておるのだろう? 時間旅行を行う前と後で違う現在。おぬしらは何か目的があって改変したい事実があり、それに狙いを定めて行動していたようだがそう簡単に事象を操作できるわけなかろう。玉突きのように、改変した事象に引っ張られ、はからずとも別の物事にも影響してしまった」
マミゾウが言わんとすることに、私は最初から気づいていた。気づいていながら、そうであってたまるかと祈っていた。
「バタフライ効果……」
私は途切れそうなほどの声量でその単語を吐き出す。
「だ、だが。歴史というのは弾性を持っていて、容易に改変できるものじゃないって話だったんだ」
「儂はその理屈はよく知らんが、しかしおぬしらがやったことは容易ではなかったことを知ってるよ。十数年前、おぬしらが旅立った夜、儂の活動していた街でとんでもない事件が発生した」
私は当事者なので、何が起こったか知っていた。
「超巨大な隕石が突然街の上空に現れた。夜だったのに、真昼のように明るかったのを覚えている。しかしそれは落下することなく、直前で粉々になり、結局分解された隕石の砂が降りかかった程度の被害で事態は収まった。おぬしらがやったと儂はすぐに気づいたよ。あの災厄から地球を守ることが目的だったか? あれを容易とは形容できんよ。あれはその『弾性』とやらを振り切るほどの所業だったんじゃないのかい?」
恐怖の大王。私と早苗がオカルトに芯を持たせるために起こした外の世界の異変。隕石のほうは自作自演で、私達には地球を守る大義なんてなかったが。
「あれが原因で、早苗が消えてしまったのか……?」
「何も消えたとは限らんじゃろう。今のところ儂らに認知されていないだけじゃ。もしかすると、外の世界で平和に過ごしているかもしれん」
「だとしたら、守矢神社がここにあるのはどうしてだ? 奴らが早苗だけ置いてこちらに越してくるとは思えない」
「知らんよ。ここでの守矢と言ったら、暴力の権化みたいなもんじゃからな。儂でもよっぽどの用がないと山へは出向かんくらいじゃ。なんにしろ、真相を知りたいのなら奴らに直接問いただすしかあるまい。『早苗を知っているか?』と」
結局あそこを攻略しなければ話は進まないのか。覚悟を決めるしかない。
「手を貸そうか?」
「いや、やめておく。これは私の問題だ。私が自分で解決するよ」
妖怪の山の攻略は何も今回が初めてではない。山の妖怪の侵入者に対する敵愾心が前の世界より強いのがネックだったが。最初から全力で事にかからなければならないだろう。
まずは自宅へ戻った。装備を整えるためだ。この時間軸の私も努力家だったようで魔法研究の成果というべきマジックアイテムの貯蓄は十分だった。私が作ったり蒐集したわけではないので消耗品を使うのに遠慮も感じない。普段ならもったいないと出し惜しむこともあるのだが。
魔法薬入りの試験管をスカートに仕込み、帽子に爆弾各種、仙丹と鎮痛剤や昂揚剤入りのアンプルを持ち出して準備完了だ。制服姿のままだったが、しかし着替えの必要はないだろう。
衣服に仕込んだ仕掛けが相手に丸見えなのは問題だが、軽装なため各種装備品の取り回しはこちらのほうが断然いいのだ。瞬間的に装備品を取り出せる。
経路は上空から行くことにした。姿が丸見えになるが、麓から侵入しても向こうは感知してくるので同じことだ。それに迎撃前提なら上を取った状態で戦闘に入ったほうが有利である。
箒に乗り、山の頂上より更に高い位置まで高度を調節してから私は滑空した。いつもより生地の薄い服を着ているくせに夏の暖気のせいで寒さはそれほど感じなかった。山の湖畔が見える辺りまで近づいたあたりで林のほうから霊力弾がいくつか飛んできた。私はそれを難なく避ける。様子見の散弾だ。
すぐに白狼天狗が三人、私に向かって飛んでくる。各々刀剣や槍といった獲物持ちだ。
前回妖怪の山に接近したとき奴らは警告後に攻撃を仕掛けてきたのだが今回は初めから臨戦体勢だった。湖畔まで距離が近いせいだろうか。
「おう、人間一人相手に賑やかだな」
私は軽い調子で煽る。会話で一旦動きを止めてどう仕掛けるか考えるためだった。だが天狗達は会話に応じず、問答無用に切りかかってきた。
私はアンプルを自身の首から注射した。覚醒作用により軽い高揚感とともに天狗の動きが鈍く見える。右の天狗が背後に回る。同様に左の天狗も背後に回る。正面の天狗だけ真っ正直に私に突っ込んでくる。
私は死角に回った二人を無視し、正面の天狗目掛けて試験管を投げつけた。
天狗は試験管を避けたが、しかしそれに時間差で爆発する魔法を私は仕掛けていた。試験管の中のエアゾル化した高濃度のアンモニアが中空で炸裂する。鼻の強い白狼天狗には強烈だろう。墜落はしなかったが、明らかに正面の天狗の動きが鈍る。私はその隙を突き、天狗の背後に回り首を箒で当て絞めるようにして拘束した。
仕掛けを警戒してか、案の定死角の二人は近接攻撃ではなく霊力弾で私を攻撃しようとしていた。私はそれを拘束した天狗を盾に対応する。
霊力弾の衝突とともに空気が揺れる。空で踏ん張りが効かず、私は盾にした天狗ごと後退した。天狗はそれを以って意識が途絶えたらしく、脱力した。首を絞めたのも効いていたのだろう。
私は浮力を生む魔法を天狗に付与して、その身体を放した。天狗は目を回したまま空を漂う。地面に落としてしまうのはかわいそうだ、と思ったわけではなく付与した魔法のついでに彼女の身体に忍ばせた爆弾を残り二人の天狗にぶつけるのが狙いだった。天狗のどちらかがダウンしてしまった奴を介抱しようと近づいた瞬間、爆発させて一緒に沈めてしまおうという寸法である。先刻ぶつけたアンモニアの臭いに爆薬の臭いも紛れているので、奴らの鼻ではこの仕掛けを看破出来ないはずだ。
しかし私の目論見通りにはいかず、二人の天狗は浮いた同胞に目もくれず私に迫る。冷たい奴らだ、これも守矢の強い支配とやらが影響しているのか。
天狗は私を挟むように陣取る。どちらかが死角に入り込むよう徹底して連携している。多対一の戦闘の定石。なので私は先刻と同じく死角の天狗の相手をせず、正面に位置する天狗と距離を詰めた。死角の敵の気配は強化された五感で対応できる。正面の天狗は私が接近すると同じだけ後退し、一定の距離を保つ。代わりに背後の天狗は距離を詰めている気配を感じる。
こちらのペースには合わせない気だ。先ほどは真正面から挑んで私に一匹沈められたので数の有利はあっても慎重になっているのだろう。アンモニア入りの試験管を警戒しているのか、片手で顔面もしっかりカバーしている。
仕方なく私は高度を一気に落とし、二人の天狗を同時に視界に収める。その動きも読まれていたようで片方の天狗はすぐに私とともに降下する。
まずい。地上に寄れば援軍が増えてしまうかもしれない。露払い程度にこの三人を私に差し向けたのだろうが(今は二人だが)流石にこれ以上数が増えれば面倒だ。
私は二人の視覚を塞ぐために煙幕を撒いた。私の視界も悪くなるが、死角で常に片方を意識させられるよりマシだ。こうなれば鼻を使いたくなるだろうが、アンモニアの牽制もあるのでそれを躊躇しているはずだ。この牽制が生きている数秒が勝負だ。
先ずは閃光かんしゃく玉を私は前方に投げる。正面の天狗が位置していた辺りだ。私自身は爆発に備え耳を塞ぎ口を開けた。目を閉じなかったのは煙幕が効いているためである。煙に紛れて雲間から差す太陽光のようにまばゆい閃光が音とともに拡散する。運がよければそれで一匹沈められたのだが、撃墜の気配はない。だが少なくとも奴らの意識は閃光かんしゃく玉が炸裂した方へ向いたはずだ。
私は一気に高度を上げ、煙幕のない位置まで昇る。他の二人の天狗も煙幕を嫌ってか、煙から距離を取っていた。天狗達は閃光と音の炸裂した辺りを注視していたせいであっさりと私に上を取られる形になる。音で鼓膜に多少ダメージを負っているせいか、私が上空に逃げたことに気づいていない様子だ。
私は範囲を狭めた八卦炉のレーザーで片方の天狗を撃ち抜いた。あっさりと天狗は地上へ落ちる。これで残りは一匹である。
勝負を長引かせる気はなかった。二人落とされたことが地上に知られればすぐに増援が来るに違いないからだ。私はレーザーを撃ち天狗と距離を詰める。
天狗は刀剣を振りかぶりつつ、私の弾幕を避ける。白狼天狗の持つ刀剣の間合いになる。一太刀、横薙ぎの一閃が私を襲う。だが、刀剣は私の身体を断つことなく刃先がゴムを殴りつけたかのように跳ね返った。仙丹による身体能力の強化と法力による超人化の併せ技である。これにより私の身体は瞬間的に鬼神に迫る。一発芸のようなものだったが、それでもたかが人間に刃が通らなかったことに天狗は驚愕したらしく一瞬動きを止めた。その隙に私はゼロ距離での八卦炉の火炎を浴びせた。たまらず天狗はもだえながら地上へ落ちていく。
勝ちを確信した瞬間だった。意識の外、頭上からの強打により視界が縦に一周する。
「がっ!?」
アンプルによる覚醒効果が切れていたせいで気づくのが遅れた。最初に仕留めたと思っていた天狗にはまだ意識があったのだ。打撃により空で回転する自身の体躯の勢いを殺しつつ殴られた方向を確認すると喉笛に噛み付こうと迫る天狗の顎がそこにあった。私はすぐに先刻天狗の身体に仕込んでいた爆弾を魔法により遠隔着火した。が、何も起こらない。代わりにはるか地上の見当違いの場所で爆音が起こった。どうやら天狗の奴、意識が戻った直後に自身に仕掛けられていた爆弾に気づいて処理を済ましていたようだ。
爆弾発動に意識のリソースを割いたせいで接近する天狗の牙への対応に遅れが生じる。喉に噛み付かれる瞬間、何とか腕を盾に首を防御した。
「ぐっ!? こ、のッ!!」
私は腕に噛み付く白狼天狗に頭突きをお見舞いした。僅かに顎が緩む。続けて二発頭突きを食らわして、ようやく天狗の顎は私の腕から離れた。箒をスイングして私は朦朧とした天狗を遠くへ弾いた。最初に被弾したときのダメージも残っていたのだろう、地上へ落ちていく天狗にはもう起き上がるような気力が残っていないように見えた。
危ない。仙丹と超人化の効果まで切れていたらやられていた。私は帽子を被り直し、湖畔の神社へ向かう。追っ手は来ない。必要以上に神社へ近づくのは許可されていないのか、もしくは天狗が三人落とされたことに気づいていないのか。
私は着陸の前に丸薬状の仙丹を口内に含んだ。苦味が不快だが、今噛み砕くのは早い。これはもしものときのための準備だ。
「神奈子! 諏訪子! いるか!?」
私は大声で二人の名前を呼んだ。直後だった。挨拶代わりか、頭上から御柱が私目掛けて落ちてきた。私はそれを後退して避ける。衝突の衝撃で空気が罅割れる音感が辺りに伝播し、鉄製の御柱によって床の石造りに穴があく。
「……何の用だ、人間」
御柱の上に、神奈子が胡坐で乗っていた。視線は私を射殺さんばかりに鋭く、地鳴りでも誘発させてしまいそうなほど重い声音。敵意を隠そうともしない。話に聞く通りだ。こんなに余裕のない神奈子はらしくない。
「話がある。東風谷早苗を知ってるか?」
不意打ちで私を押し潰そうとしたことには言及せずその名を切り出した。神奈子の反応はわかりやすかった。眉間に皺を寄せ、歯を食い縛る。神奈子は御柱から降り、私の前に立つ。
「何処でその名を聞いた……?」
「聞いたも何も、知り合いだ。そのことでお前に話がある」
沈黙。そして次の瞬間、大量の御柱が頭上に現れる気配を感じ取った。私は思い切り真後ろに後退する。湖畔の方向。
空を裂き、御柱が降り注ぐ。雷のような轟音とともに石造りを粉々にしながら、柱は容赦なく地に突き刺さった。
「お、お前! 殺す気かッ!?」
「そのつもりだ。あの子のことはもう我の中で決着した話だ。それを今更蒸し返して誑かすとは、巫山戯た奴だ。しかも知り合いだと? 大概にしろよ、人間。そんなことは在り得ない。貴様が拾った情報の出処はさて置き、神を愚弄した罪、まずはその身を以て償うがよい」
私を射殺さんばかりに鋭い眼光。それを受けて私は、私は怒っていた。キレていた。
「ふざけてるのは、そっちだろうがッ!」
わかっている。理不尽な怒り方をしているのは私のほうだ。神奈子はこの時間軸上の出来事しか知らないはずなので私の事情を察しているわけがない。それでも、それでもこんな敵意にまみれた解釈を普通するか? 私が、神奈子をおちょくろうとしているだと? 話が通じないのもほどがある。
あるいは私はいい加減限界だったのかもしれない。ここへ帰ってきてからまともに話が通じたのはマミゾウだけだ。他の連中はどいつもこいつも私が早苗の話を持ち出すと揃って首を捻った。
神奈子は首を捻るどころかこの有様だ。疑心暗鬼。こちらの事情を汲み取るような余裕もない。余裕がないのはこちらも同じなのに、神であるお前がそんな調子でどうするんだ。早苗の名前を聞いて、お前は何も思わないのか? せめて対話に応じるくらいの姿勢を見せられないのか?
私は怒りに任せて八卦炉を構える。山から逸れて地表を吹き飛ばさないよう射角を調整するくらいの冷静さしか今の私には残っていなかった。ぶちのめして力ずくで話を聞かせてやる。
神奈子は八卦炉の魔力を警戒したのか僅かに私と距離を取る。が、無駄だ。四方十里この山全体が八卦炉の射程だ。
「マスタースパーク……ッ!」
八卦炉から極大の熱線が解き放たれる。足元の湖の表面が熱により気化し、蒸気に変わる。神奈子は咄嗟に御柱を盾にするが、無駄だ。八卦炉の炎は神仏すら焼き焦がす。
鉄製の御柱は熱量に耐え切れず、あっさりと穿たれる。そして熱線の白に神奈子は呑み込まれる。
この程度で終わるとは思っていない。もう一度マスタースパークを追い撃ちたいが、今のは全力の放熱だったため十数秒のリキャストが必要だ。私は口内にあらかじめ含んでいた仙丹を噛み砕く。効能は人体の強度を上げることだ。続けて袖の下に隠していたアンプルを手首の静脈に注射する。アンプルの中身は魔法のキノコから抽出した高揚剤。効能は五感の強化。一秒間をおよそ二十分割して認識することが出来る。続けて法力による超人化。単純にこれは膂力の強化だ。白蓮のものより錬度は当然低いが、前述の仙丹とアンプルの効果と併せて私の種族値は一時的に人間の限界を遥かに超える。
具体的には十五秒フラット。熱線を出し切った八卦炉を懐におさめて私は水面を蹴り、神奈子に一足で肉薄する。衝撃波で湖面が大きく波打つ。
神奈子は膝をつき、腕を交差させて俯いている。同時に攻撃用なのか、幾つもの御柱を頭上に展開し始めていた。先刻の規模の熱線が続けて撃てないことを当然のように看破しているのだろう、ダメージの回復を顧みず反撃の準備をしている。しかし、私の接近には気づいていない様子だ。八卦炉の炎に晒された直後だ、目も耳も蛇の持つピット器官とやらも機能しまい。私は神奈子の背後に回り、その身体を箒のスイングで思いっきり湖畔の方へ弾いた。
吹き飛ばされた神奈子の体躯は水切り石のように水面を跳ねる。上空の御柱が私を押しつぶそうと降り注ぐが、今の私には止まって見える。難なく御柱を避け、余裕を持って水面を跳ねる神奈子を私は追った。
追い着き、私は箒を叩き下ろす。神奈子は防御せず、私の殴打を受けて勢いよく水没した。直後、激しく波打つ水面に影を見た。空を仰ぐとそこには一面に御柱が展開されていた。神奈子が私のされるがままになっていたのは御柱の召喚に意識を割いていたからのようだ。
一斉に墜ちる御柱の間を私は人外の反射神経と身のこなしで切り抜ける。だがすぐさま第二陣の御柱が一陣の隙間を埋めるように展開され始めている。物量で押し潰す気だ。
水中に沈んだままの神奈子にこちらの様子を把握する術を持たないはずだ。私が避け切るのを見越してのこの布陣だろう。
「見くびるなよッ!」
私は御柱の一つを掴み、思い切り横に軌道をずらした。超人化した今だからこそ可能な力技だ。私は御柱の雨を潜り抜け、湖畔全体を視界に納められる位置まで高度を上げた。
超人化の効力が消える。研ぎ澄まされた五感も、凡人並みに鈍化する。しかしそれはすなわち八卦炉のリキャストが終わるだけの時間が経ったことを意味する。
私は仙丹を口内に含み、八卦炉を構える。神奈子が湖面から飛び出した瞬間、全力の熱線で勝負を決める。仙丹と超人化はともかく、アンプルの残弾はもうゼロだ。ここからは己の素の反射神経だけで神霊の速度を捉えなければならない。もちろん、御柱での反撃に警戒しながら。この射角で八卦炉を撃ち込めば、山の中心に大穴が空くかもしれないから熱量を抑える必要があるかもしれない。
力む私をじらすかのように水面に動きはない。湖面の波も徐々に治まっていく。
いつまで待たせる気だ、神霊はエラ呼吸でもするのか? いや、それ以前に人間と違って酸素を必要としないのか。水中に叩き落したのは悪手だったか……?
唐突に、水面が揺れる。私は咄嗟に八卦炉を構え直すが、発砲はしなかった。水中から這い出てきたのは神奈子ではなく、御柱だった。それも幾つも。
柱に紛れて急襲する気か? 私は柱を一つ一つ凝視する。柱を落とすのは得意らしいが、こうやって重力に逆らい上昇させるのは負担が大きいのか湧き上がる柱に勢いはない。――と私が思い違った瞬間だった、一つの柱が勢いよく速度を上げた。
私はそれを逃さず八卦炉の熱線で撃ち抜く、が直後に別の位置の柱が速度を上げる。
神奈子の姿はない。かくれんぼのつもりか?
注連縄が目立つので見落とすはずはないが。そうやって私が湧き上る柱を注視している時だった。真横から音を裂く気配を感じた。
「おわっ!」
反射的に咄嗟に身体を捻る。霊力弾が私の身体があった位置を通り過ぎる。射線の先を見ると、そこには神奈子の姿があった。人里の方向、分社からの転移か!?
神奈子のような神霊の類は分霊により力を無尽蔵に分割できる性質とは別に、分社に本体を一瞬で移動させることが出来る能力を持つ。馬鹿か私は、水中に叩き落した時点で自分が優位に立ったと慢心し完全に神霊の性質を失念していた。
「くっ!」
私は八卦炉を神奈子に向けるが、相手のほうが一手早い。
「舐めるなよ、人間風情が!」
射線を逸れつつ、神奈子は距離を詰める。そして弾幕の展開では私を追い詰められないと踏んだのか、召喚した御柱を片手に振りかぶる。完全に肉弾戦へ移行する構えだ。不味い。私は高度を下げ、御柱のスイングを避ける。
状況を五分に戻すため私は試験管を放り投げ、それを空中で撃ち抜いた。瞬時に真っ白な煙幕が拡散する。私はそれと併せて湖畔に向け熱線を当て、蒸気を発生させた。
視界の全てが白に変わる。その時点で神奈子は御柱を振るのをやめたのか、空を切る音が消えた。この白闇の中でも奴はピット器官による温度感知で私の居場所を特定してくるだろう。私は箒に八卦炉を取り付けた。
八卦炉はそれ自体が高い熱を持つ。囮作戦だ。私は箒に浮遊魔法を掛け、空に放った。自分だけは別方向へ向かう。
「愚か者が。そんな小細工が通用すると思うたか!?」
真正面。神奈子の声。白で何も見えないが、私の視線のすぐ先に神奈子の気配を感じた。御柱で私を叩き潰そうと振りかぶっていることだろう。私は仙丹を口の中に放り投げ、噛み砕き、スイングの前に神奈子と距離を詰めた。
空で衝突し、私は神奈子の身体に抱きつくような姿勢になる。
「なっ!」
神奈子は御柱を取り落とし、私を引き剥がそうと肩を掴む。私は引き剥がされないよう渾身の力で胸倉を掴み、身体を縮ませる。
「引っかかったな、囮は私だ!」
神奈子が八卦炉の熱を追わず、正確に私を索敵してくることぐらい織り込み済みだ。空にあらかじめ放っていた箒と八卦炉の銃口は今、此方を向いている。
新しい仙丹を追加で口内に放り噛み砕き、私は衝撃に備える。
「マスタースパークッ!」
私の発声を合図に、八卦炉の極大の熱線が解き放たれる。神奈子はそれを背でもろに浴びる形で、私はその影に隠れる形で熱線に晒される。
私は叫ぶ。叫びながら全力で熱線の方向へ神奈子の身体を押し込む。叫び声は全て熱による空気の膨張で掻き消える。
自身の身体がダメージを負うのも厭わず、私は神奈子の身体を更に熱線へ押し付ける。いっそ押し潰してしまわんばかりに。
唐突に熱線が止む。辺りの煙幕による白は八卦炉の繰り出す熱線の衝撃波で綺麗に晴れていた。
「ッハ……!」
息を吸う。しかし、熱線により酸素を焼き尽くしてしまったせいか呼吸はちっとも楽にならない。むしろ意識が遠のく。その八卦炉の熱を無防備に浴びせられた神奈子の身体は完全に脱力していた。身体を支えるのも限界だったので、私はついに神奈子から手を放す。
が、崩れ落ちる直前に神奈子の手が私の胸倉を反射のように掴んだ。
「おわッ!?」
私の胸倉を掴むその手は、力強く、未だ余力を残していることを感じ取れた。
「この程度の、この程度の熱量で」
神奈子は上体を起こす。
「神を斃せると思ったか……?」
私からは満身創痍に見えた。なので軽く煽ってやろうと思ったが、酸欠で声が出ない。
神奈子は私の胸倉を掴み、社に向かって投げ飛ばした。なす術もなく私は地面と衝突し、鞠のように跳ねる。
跳ねながら呼吸をする。ようやく酸素を取り入れられて、意識がはっきりするのがわかるが、地面にぶつけられた衝撃のせいか挙動は著しく鈍い。手足がしびれる。仙丹の効果が切れかけている。
影を見た。頭上に御柱が召喚されている。
「終わりだ、人間」
神奈子はそう宣言する。ああ、もうダメか。神霊相手に、いい線行ってたと思ったんだけどなぁ。
私は悪あがきに法力を練り、膂力を強化する。仙丹なしじゃ身体の耐久力は上がらないので御柱を受け止めることは出来ないが。
そうやって攻撃に備えているのに、いつまでも御柱は落ちて来ない。不審に思い頭上を注視すると、透明な水の膜が一面に張っていた。
御柱の落下の勢いを完全に緩衝している。
「……何の真似だ、諏訪子」
神奈子が悪態づく。膝をつく私を庇うかのようにそこには諏訪子が立っていた。
「この人間の話、聞く価値はあるんじゃないかって思ってさ。神奈子、よくこの子を見てよ」
諏訪子は私の身体を抱き寄せる。
「早苗の制服だよ、これ。それに早苗のにおいもする」
諏訪子は私の胸当たりに顔を埋めながらそんなことを言う。神奈子は眉間に皺を寄せたまま地に降り、恐る恐るといった様子で私に近づく。私の姿を改めて俯瞰し、距離を詰め、胸倉を掴んでぐいと自身の方へ引き寄せて制服に顔を近づける。
「……莫迦な」
「バカなじゃないよ。この大間抜け」
ようやく口が利けるようになった私は神奈子の頭を力なくはたいた。
私は神奈子に運ばれ社の中に招き入れられていた。諏訪子の甲斐甲斐しい介抱もあってすぐに身体の調子は取り戻せた。布団に寝かされそうになったが、そこまで大事ではないので流石に断った。机を挟んで私たちは改めて応対する。
神奈子の奴は心なしか私との距離が遠い。
「じゃ、聞かせてもらうよ。なんであんたは早苗の服を着てるのか、早苗をホントに知っているのか」
諏訪子は早速切り出す。
「最初に言った。奴とは知り合いだ。経緯を詳しく説明してもいいが、先ずは私がどんな滅茶苦茶なことを言っても納得すると約束してほしい。さっきみたいに逆上されたら敵わないからな」
そう毒づくと神奈子は居心地が悪そうに座り直す。
「わかった。約束しよう」
「私も構わないよ。続けて」
「よし。最初に言っておくが私はこの時間軸ではない場所から来た」
私がそう話し始めると二人は揃って不審なものを見るかのように顔をしかめた。約束した手前、騒げるわけもなく黙ったままだが。
オカルト流入の異変。それを解決するための策に時間遡行を採用したこと。外の世界で弄した策の瑣末。帰ってきたら早苗が側にいなかったこと。どころか、誰もが奴のことを忘れていること。
矢継ぎ早に、二人に口を挟ませることなく私は説明した。ノンストップで喋りまくった私は一息入れるために茶を一気に煽る。気管支が驚いて思わずゲホゲホとむせてしまった。
「――千九百九十九年」
神奈子が言う。
「私が活動した年がどうかしたか?」
「その年に起こった出来事は、二十世紀最大にして最後のオカルトとして歴史に刻まれた。突如出現した巨大隕石、そしてその衝突を防いだなんらかの『奇跡』。これによって二十世紀以降のオカルト観というのは大きく歪んだ」
奇しくもその文言はいつかの菫子の言葉に似ていた。
「人々は奇跡に酔いしれた。科学を超える人の手の届かない事象がまだこの世に存在するという事実の虜となった。科学の発展によりそういった超常現象が片っ端から否定され始めていた矢先での反動もあっただろう。けれど、そうやって浮かれる人間達とは別に危機感を覚えるもの達もいた。歴史にもしもはないが、しかし仮に奇跡が起きずにその突如出現した出自不明の隕石が落下していたら? 人類史は終わりを迎えていたかもしれん」
まさか自作自演だとは思わんかったがな、と神奈子は責めるように小さくこぼした。私は何も言い返せない。
「この世界を終わらせてしまう現象が存在する。そういう能力を持つのか、或いは本当に意思を持たない事象なのか。何にせよ、危機感を抱いた一部の人間達は酔っ払った世間とは別に独自にオカルトへのアプローチを始めた。国を跨ぎ、超法規的な組織として不安は形になる」
「『異能所持保護』または『超常現象観測機関』なんて名前だったかな。人目につかないところで、彼らは活動を始めた」
諏訪子が補足する。その話がどうやったら私達の話に繋がるのか未だ理解できない私は口を挟めない。
「所変わって守矢神社。我等の拠点だ。そこで代々神職を担当する少女、風祝は私と諏訪子の力を借り所謂超常現象を引き起こすことが出来た。人々の願いに応じて雨を降らせたり地震を鎮めたり。神への信仰あってこその力だが、その信仰は神ではなく事象を引き起こす少女に集中した。この時代、世紀末の奇跡のせいで世間が異能者の存在を望んだのが後押しになったのは間違いない」
この辺の早苗の出自の話は私の居た時間軸での話と細部は異なるが大筋は変わらないようだ。
「早苗は機関に目を付けられた。とある日のことだった、奴らのスカウトが神社に来た。奴らは世紀末の奇跡の話を最初に持ち出し、この世界が終わってしまう可能性について強く言及した。早苗はそのスカウトの熱に根負けしたのか、もしくはそれを自分の使命だと思ったのかもしれない。研究に自分から協力すると言い始めた」
「世界なんてそうそう終わるもんじゃないって私たちも引き止めたんだけど。あのバカ、ぜんぜん聞かなくてさ。『私、この世界が好きなので! 守ろうと思うのは当然です』だとさ」
私と一緒に外の世界に居たときもそんなこと言ってたな。幻想郷が好きなので、絶対守りたいって。本質はどこの時間軸でも変わらないようだ。
「しかし神の力というのは信仰が源泉だ。早苗に集中していたそれが余所へ行ったらどうなる? 我はともかく、諏訪子は消滅しかけだった。それを聞くと流石に早苗は機関へ行くことを諦めたが、機関は早苗を諦めなかった。僅かに残っていた神への信仰心を、世間への情報操作で握りつぶそうとした。たまらず早苗は我等を守るため、機関へ降った」
「そして私たちは機関に斡旋されてここに、幻想郷へ押し込められた。信仰がなくても消えずにすむって聞いてたから、嫌々来たわけじゃないけど」
――大分私のいた時間軸と話が変わってしまった。
「つまり、早苗は今、外の世界の機関ってところで活動してるってことか……?」
「そうそう。そういう話。だからここには居ないの」
「いつか向こうへ帰って一緒に暮らすつもりだがな。そのために我は信仰を、力を掻き集めている」
私は頭を抱える。外に居るなら手の出しようがないじゃないか。
「どうやったらこっちに帰ってきてくれる?」
「帰るも何も、早苗の故郷はあっちだし、幻想郷に来る暇はないんじゃないかな」
「会いたいなら、貴様が外へ出向くしかあるまい。現に我らはそうする腹づもりだ」
根本的に、話が合わない。早苗の居場所は、ここじゃなかったのか? 機関って、なんだよそれ。何でこいつらはそれで納得してるんだ?
私のほうがイカれているかのようだ。しかしそれはある意味正しい。この世界の早苗は、幻想郷に住むどころか訪れたことすらないのだ。居場所も糞もない。
「我らから話せる情報はここまでだ。……済まなかったな。最初に話も聞かずに攻撃してしまって」
「次からは気軽にここへ遊びに来てよ。早苗の話、まだまだしたりないから」
そんな、故人を語るみたいなノリで話せるかよ。私の気が沈んでいく様子に二人の神は気づかない。
早苗は帰らないのか。
妖怪の山から私は自宅へ帰還する。ゆらゆらと蛇行して空を飛ぶ私は地上からは大分不審に見えただろう。戦闘後の疲れもあったが、神奈子と諏訪子の話が精神に応えた。
森に到着し自宅の扉の鍵を開け中へ入るとまるで疲弊した私に追い討ちをかけるかのように面倒な奴が中で待ち構えていた。
「こんにちは。魔理沙」
「……紫」
我が物顔で紫は私のベットに腰を下ろしていた。いやに涼しいと思ったら部屋に常備している冷房魔法が利いている。勝手に人の部屋を使いやがって怒鳴りつけてやろうと思ったが、疲れていたのでやめた。私は装備品を外してテーブルに無造作にぶちまける。奴が神出鬼没なことに今更驚かない。
「何の用だよ」
「言ったでしょう。蝶の羽ばたきにご用心」
――心臓が一瞬、凍結した。直後に大きく脈打つような錯覚。
「いやはや、忠告は無駄だったようですわね。貴女は結局、此方に迷い込んでしまった」
「待て待て。その蝶がどうたらって言葉は、私たちを送り出すときに、お前が言った言葉だ」
そう指摘すると紫は不敵に笑みをこぼす。
「何故、知ってる!? お前は私と同じ場所から来たのか!?」
「多世界解釈というのをご存知かしら。世界は様々な可能性が折重なって存在しているの。私の能力でその世界の境を弄れば、別の世界の出来事なんて簡単に観測出来ます」
突飛過ぎて思考が追いつかない。なんだそりゃ。
「この多世界解釈はパラドックスを解消するためにも使えます。今のこのオカルト観の歪んだ時間軸……いえ、東風谷早苗の居ない時間軸といったほうが貴女には飲み込みやすいかしら」
紫は言い直す。
「この時間軸では東風谷早苗は時間遡行をしません。する理由がありませんからね。しかしそうなると矛盾が生じますわ。1999年の奇跡は彼女の能力なくしては発生し得ないからです。しかし、この時間軸は現にこうして成立している。それは貴女達が別の時間軸から平行に移動してきているからです」
「パラレルワールド、って奴か?」
平行世界。けして交わることのないあったかもしれない可能性世界。
「そういう解釈で構いません。言うなれば貴女は時の迷い人」
私は紫が何のためにそんな話をしだしたのかわからずイラつき始める。心を落ち着けるため、保冷庫から冷えた茶の入った容器を取り出す。
「ああ、気遣いは結構。長居するつもりはありません」
「私が飲む用だ勘違いするな」
「あらあら」
相変わらず捉えどころのない態度だ。
「結局何が言いたいんだ?」
「羽ばたきに弾かれてここへ迷い込んだ貴女は異物です。貴女だけがこの世界で唯一違和を抱えている。困るのですよ、パラドックスの上成り立っているとは言ってもこの時間軸は安定している。貴女の辿るべき道は一つですわ」
紫は私の頬をゆっくりと撫でる。
「受け入れなさい、この世界観を。余計なことをせず、ね。私が今日ここへ来たのは、釘を刺すためです」
「……。受け入れるも何も、私はまだ何も言ってないぞ。この世界に不満があるとも、なんとも」
「あら、そうなの? でも貴女、酷い顔をしているわ」
鏡をふと横目で見る。私の顔は、そんなに落ち込んでいるように見えるのか?
「考えてみれば、貴女は別に東風谷早苗と特別仲が良いわけではありませんでしたわね。早とちりしてしまいましたわ」
仲が良いわけではない。確かに、そうかもしれない。奴とは、ただの知り合いでしかない。異変を解決する際に何度か共闘したことがあるくらいの。
「貴女が納得しているのなら、心配要りませんわね。お邪魔しました。お茶、おいしかったわ」
用意していたお茶をいつの間にか勝手に空にした紫はスキマを使い退席した。
私は納得しているのか? 異変を解決するのに、早苗が幻想郷を去ってしまうという結果は代償として釣り合いが取れているのか? わからない。そもそも私は何故こんなにも自分の気持ちが沈んでいるのかわからない。
あいつとはたった二週間程度一緒に暮らした程度の仲だ。それ以前の関係は、むしろライバルだったり一時的な仲間だったり一定しない。特別距離感が近かったわけでもない。
だったら何故、奴の居ない今の状況がこんなに心苦しいんだ……? イライラする。心がざわつく。
私はテーブルに広げた装備品を整理し始める。落ち着きを取り戻すためには単純作業が丁度良い。箒を磨き、アンプルを詰め替え、癇癪玉を再調合し、八卦炉に付いた煤を払う。
鉄製のスクレイパーで八卦炉の表面を研いでいる最中、持ち手の内側になにやら盛り上がりがあるのを感じた。何かがこびりついている。爪で引っかいて剥がしてみると、それは早苗と私が揃って写っているプリクラだった。
『幻想郷から来た』とバカみたいな台詞が丸文字で表面に描かれていて、早苗は満面の笑みでピースをしていて、私もそれに倣っている。我ながら恥ずかしくなるくらい崩れた表情の一枚。なんだこの能天気コンビは。
「あの、バカ。人の私物にプリクラベタベタ貼るなって、言ったのに」
私は思わず拳を握る。ぶつけどころのない衝動が胸の中で形になる。気づけば私は自宅を飛び出していた。
一直線に、私は向かう。目的地は永遠亭。迷いの竹林を迷わず突っ切り、冷静さを欠いたままに、衝動のままに。
早苗の居ない幻想郷がこの世界では日常だと? 違和を抱えているのは私だけだと? 私さえ我慢すれば全て丸く治まるだと?
ふざけるな、どうして私が我慢しなきゃならない。早苗はここに居なければならないんだ。誰の意思も関係ない、私がそうであってほしいと思っている。薄氷のような信頼関係だったかもしれない。たった二週間の共同生活。でもその時間を、私は心底気に入っていたんだ。それだけで十分だ、十分奴を呼び戻そうと思う気持ちに繋がる。
紫が言うにはこの時間軸は安定しているらしいが、構うものか。私の勝手にさせてもらう。私は勝手な人間なのだ。
永遠亭に着く。私は空から降り立った勢いのまま戸を叩き、応えも返って来ないうちに家内に入る。
「おおう、何事?」
と玄関で私を出迎えたのはてゐだった。私は「邪魔するぞ」とだけ言ってずかずかと永遠亭内を進む。
「わっ。魔理沙? 何よ、そんな怖い顔して」
次に遭遇したのは鈴仙だった。
「というかなんで月の隊服みたいな格好してるわけ?」
「外の世界の格好だ、一緒にするな。永琳はどこだ? あいつに用がある」
「騒がしいですね」
永琳はそんな小言を言いながら現れた。心底迷惑そうだ。しかし、そんなことは関係ない。
「私に何の用ですか。見たところ、病に罹っているわけでも怪我をしているわけでもなさそうだけれど。……いや、すこしダメージを負った痕があるわね。誰かと喧嘩でもしたの?」
「私のことはどうでもいい。今日は薬が欲しくて来た」
「薬?」
「『遷化の薬』だ」
私がその単語を出すと、永淋は目を細める。動揺の色は見えない。いや、努めてそれを出さないようにしているのか。
「はて、聞き覚えのない名前の薬ですね。少なくともうちでは取り扱っていませんよ」
「遷化の薬はタイムリープを引き起こす。水入らずで、噛み砕いてから息を止めることで一秒につき約一年遡行できる。加えて転移先のイメージを強く思い浮かべることでずれを生じさせず正しく遡行できる安心サーチ機能付きだ。転移先では意識だけが送られるが、その受け皿として原子変換した肉体を――」
「わかりました、わかりましたから少し黙りなさい」
永淋は効能を喋り捲る私を手で制す。はたから見ている鈴仙は私たちのやり取りが一体どういう意味を持つのか理解できないのか目を丸くしている。
「つまり、貴方は余所から来たのですね。全く、そちらの私は何を思って薬を処方したのか……」
「説明すると長くなる。聞くか?」
永琳は首を横に振る。
「あとにしましょう。しかし、私のことですから何を思ったのか予測くらいは出来ます。おそらく薬を与えても此方には何の影響もないと考えたのでしょうね。貴方達にどういう影響があるかはともかく」
「はっきり言うんだな」
自分達に被害が及ばないから薬を与えた。逆に言えば私達のことはどうなってもいいとも言える。
「ええ。貴方が駆け引きもなしに薬を要求してきたので、私もそれに応じて正直に答えたまでです。どうやら相当切羽詰っているようですね。理由は察しがつきますが」
あるべきものがない。もしくはあるべきでないものがここにある。指を立てながら二つの可能性を永琳は提示する。
「私は前者だと推測します。貴方の焦燥は何かを失ったことで生じているように見える」
「……歴史には弾性があるはずだ。それを聞いて私はある歴史を改変しても、他の歴史には影響を与えないものだと解釈していた」
「厳しいことを言うようですが、人の生き死にや居場所は『歴史』と呼べるほど大仰なことではない。ほんのささやかな変化に過ぎません。十分弾みで変わりうる事象です」
私が何を失ったのか、正確に把握しているように永琳は言う。弾み、というのはバタフライ効果のことだろうか。
「いいでしょう。薬は処方します。ただし、条件として何があったのかを私に詳しく説明して下さい」
「逆じゃないのか? 話を聞かなきゃ薬を渡すか否かの判断もできないだろう」
「いいえ。一度薬が必要だと私が判断して、実際に処方したのなら今更それを覆す気はありません。どの時間軸であれ、私は私のはずですから」
誤診はないってか。傲慢な奴だ。
「私が欲しいのは納得です。私が何故そう診断するに至ったか」
「いいぜ。まずは何から話そうか」
と私が切り出す直前「あのー」と鈴仙が突然口を挟む。
「なんだよ、お前の出る幕はないぞ」
「いや、別に出しゃばる気はないわ。ただお茶沸かしたから客間で話さないかな、と思って」
なるほど。気の利く奴だ。永淋も同じ感想を抱いたらしく、鈴仙を労う。
「うどんげ。たまにはいい仕事をするのね」
えへへ、と鈴仙ははにかむ。
ここへ戻ってきてからなんだか事情の説明ばかりやっている気がする。それをしなかった相手はあの知ったかぶりの物知り妖怪八雲紫くらいだ。説明を終えると永淋は頭を抱えた。聞けば納得すると言っていた癖に、他平行時間軸への自分に不信感を抱いているような反応だ。
「……弾みで消えたのが一人で良かったですね。いえ、おそらくあなたが確認していないだけで元の時間軸とここでは他にもたくさんの乖離点が存在すると思われます。それだけのことを貴方達はしてしまった」
「軽率だったって反省してるよ」
私はお茶を一口含む。喋りに夢中ですっかりぬるくなってしまっていた。
「しかし、愚策だったわけではないようですね。オカルトが異常流入する異変なんて発生した記憶がありません。訊くまでもないことですが貴方は薬を使って、せっかく平和になったこの世界に再び異変を引き起こすのですか?」
「無論だ」
私は答える。迷いはない。永淋はため息をつく。
「呆れた。たった一人の人間のために、何故そこまで出来るのか」
「お前に言われたくないっての」
姫様は元気か?と間髪入れずに聞くとあからさまに永淋は不機嫌になる。笑える。永淋は気を戻すためなのかお茶を一口含む。
「納得は得られました。歴史を矯正することで、貴方は元の時間軸へ戻れるでしょう。そしてその過程を経る前に一つ忠告をしておきます」
薬をテーブルの上に差し出しながら永淋は言う。また忠告か。だが紫の忠告を聞かなかったせいで早苗が余所へ行ってしまった。賢人の話はよく聞くべきである。紫の奴を賢人とは認めたくないものだが。
「この薬を服用することで貴方は1999年へタイムリープしますが、そこでは貴方が二人存在します。意識というものは時間軸が違えれば全くの別人であると定義付けされますが、今回の場合転移先の貴方と先に転移していた貴方とでは意識のレベル差が非常に近く近似しています。近似する二つの意識が接触したとき、魂は混濁し撹拌する」
「つまり、何が言いたいんだ?」
「もう一人の貴方と接触してはなりません。触れれば貴方の意識は対消滅してしまうかも」
「かも?」
曖昧な言い回し。らしくない。
「一番高い可能性を述べたまでです。実際のところ何が起こるかわかりません。貴方というサンプルを得ようにも、歴史を矯正してしまえば私はこの記憶を消失してしまうのですから」
「忘れるって、そりゃないだろ。時間軸ってのは平行していくつも存在してるんじゃないのか?」
多世界解釈。時間軸は一つではないと紫は言っていた。
「ええ。世界は平行して幾つも存在します。しかし主観となる世界はたった一つです。他の世界というものは存在しているけれど、揺らいでいて霞んでいて儚い。夢か幻のように安定しません」
なんだそれは。紫の奴、やはり適当なことしか言わないな。あるいは意図的に情報を伏せたり偽ったりしているのか。
「……いけませんね。話さなくてもいい与太話をしてしまいました」
「構わないぜ。割と興味深い話だった」
私はテーブルの中心に置かれていた薬を手に取る。地面に置いていた箒も忘れずに。
「じゃあ行ってくる。びびって気が変わらない内にな」
言うが早い。私は封を破り薬を口内に放り込みかみ砕く。自前の時計を懐から出して秒数を確認する。
「いってらっしゃい。上手くいくといいわね」
私の突発的な行動に特に驚いた様子もなく永淋は普通に台詞を返す。この奇行は奴をおどかす目的もあったのだが、ままならないものだ。
秒針でタイミングを計り、息を吸う。以前やったときのように空気は肺に流れ込まず、真空の感覚に溺れる。二度目なので私はパニックにならず冷静に実体が溶けるのを待つことが出来た。意識が肉体から剥がれる。視界が暗転する。
私が思い浮かべた転移先は1999年の七月下旬。つまり、私が異変を解決するために転移して一週間過ぎある程度外の世界の生活に慣れた頃だ。場所はマミゾウの居座っている貸金事務所の前。外の世界では何をするにもまずは金が必要になるからだ。あの場所の光景は何度も訪れていたおかげで鮮明に想起できる。
眼球が組成される。暗転していた視界に光が戻る。続いて瞼が形成され、再び暗闇。私の実体が周りの大気を押しのける感覚。肉体の組成とともに浮遊感が消える。意識が仮の肉体に定着する。
瞼を開けると、目の前には狸のマークの扉。無事マミゾウの事務所前に到着したようだ。が、違和感。なんだか自分の頭身が低いような。
「げっ」
足元を見ると地面が大きく抉れていた。しまった、私の肉体の質量分地面のセメントやらリノリウムやらを原子変換してしまったらしい。人目の付かないところに転移するべきだった。
「……まあいいか」
思えばいつの日だったかマミゾウの部下が抉れた地面を修繕していたことがあったな。それを考えれば私がこの時この場所へ転移するのは前々から決まっていたことなのだろう。運命なら仕方ない。
気を取り直し私は扉をノックして入る。中にはいつもの大男が箒で塵取りしていた。
「おはよう。邪魔するぞ」
大男の挨拶返しを待たずに私は事務所奥へ進む。マミゾウはこの日昼近くには事務所に居なかったが早朝ならまだ出掛けてはいなかったはずだ。
「む。魔理沙殿か。おはよう、どうした朝っぱらから」
事務所奥、マミゾウはいつものスーツ姿で眼鏡を外し椅子に深く座り込んだ状態で私の姿を確認する。目をこすってるところを見るとどうやら寝起きのようだ。よく椅子の上で眠れるな。
「悪いな、突然」
「なんじゃよく見れば珍しく制服着とるのか。初めて会った日以来じゃな」
眼鏡を掛けてマミゾウはそんなことを言う。
「まあ、たまにはな。今日はちょっとまたお金を貸して欲しくて来たんだ」
「構わんが、いくらだ?」
いくらだ、と聞かれて私はどのくらい金が必要なのか思案する。
「十万」
「はっ。相変わらず遠慮がないのう。というか、かーどを渡したはずだがあれでは足りんか?」
「いやーゲーセン通いにハマってしまってな」
と言っては見るものの、マミゾウの奴は聡い。表情や私の仕草から嘘を見破る。案の定、私の言葉が真ではないことを見ているかのように目を細める。私は目を逸らさずその視線を返す。嘘が見破られてもいい。その場合は、事情を説明するだけだ。ただしこの場合歴史がこじれる危険性がある。バタフライ効果。今この時代に私が二人居るというだけで既に歪な状態なのだ。私は必要なこと以外にはなるだけ干渉したくない。
果たしてマミゾウはどう出るのか。これだけ返答に間を置いているということは私の嘘なんてとっくに見抜いているのだろう。
しかしマミゾウはふぅと息だけ吐いて、部屋の隅に置かれた金庫へ向かう。ダイヤルを回し戸を開け中に積み上がった札束を崩す。
「ほれ、十万円。大事に使うんじゃぞ」
きっちり十枚、お札を私は受け取る。
「……いいのか?」
暗に事情を訊かなくていいのか?という含みを持たせて私は確認する。
「いいと言っておる。無粋なことを訊く奴じゃ」
「ありがとう」
私はお金を掴んで一礼する。それ以上語らず私は事務所を後にする。「またな」というマミゾウの声が聞こえた。私はそれに短く返す。今度会うのは、またまた十数年後だ。初めてこの時代に訪れて金を借りたとき、奴はそれを返さなくていいと言ったがこの金だけは必ず返そうと私は思った。
そろそろ十時過ぎ。色々な出店が開店する時間帯だ。私は私と早苗に出くわさないようルートを選びながら行きつけの服屋に向かう。この時代の私と同じ服を買いそろえなければならない。私とこの時代の私を続けて目撃した人間がいた場合、それが混乱に繋がる恐れがあるからだ。服装は合わせたほうがいい。幸い、私は記憶力がいいのでどの日にどんな格好をしていたのかちゃんと憶えている。
「あらー朝から早いのね魔理ちゃん。いらっしゃい」
店内に入るとショップの店員に真っ先に話しかけられる。
「魔理ちゃんはやめろ」
「ごめんねー。あれ、お姉さんはどうしたの? いつも一緒なのに」
店員は首をかしげる。
「あいつは姉じゃねーよ」
「でも姉妹みたいに仲がいいってそこら中で評判よ」
「そこら中ってどこだよ」
「ショップ店員の集まりみたいなのがあってねー。あなた達すっごくかわいいから、結構目立ってるわよ」
「おだてても財布の紐は緩まないぞ」
「あらー。ほんとなのに」
私は店員の会話を適当に返しながら服を手に取る。ワンピースタイプの黒服。二万。デニムスカート。三万。シャツでさえ五千円。マジかよ、カードを使っていたせいであまり意識していなかったが、私はこんなに高いものをぽんぽん買ってたのか。冗談じゃない。
さんざん悩んだ末、私は黒いワンピースだけを買った。もう全日私自身と衣服を合わせるのはやめだ。金がいくらあっても足りん。隠密に徹する。混乱が生じそうになったら、目撃者の意識をどうにか魔法で操作してやろう。そういう認識操作系の術は得意ではないのだが外の世界の住人は魔法に対して極端に耐性が低いので上手くいくはずだ。
「あら? この服、前も買ったやつじゃなかった?」
衣服のタグのバーコードを読みながら店員は私に言う。
「ああ、ちょっとドジ踏んじまって服をダメにしちゃったんだ」
「わかった! それで今日は一人なのね。お姉さんに知られたくないから」
「だから姉妹じゃねえっての」
知られたくないという部分は正解だが。
「今日ここに来たことは早苗の奴には内緒にしておいてくれよ」
「おっけーおっけー」
店員は快くそう返してくれた。
私はショップを後にして次は靴屋でシューズを買う。そこの店員にもまた同じものを買うのか?という疑問を先ほどのように問いかけられた。その店には初日に行ったっきりだったのに顔を覚えられていたのが驚きだった。私達が目立っていたという話はどうやら本当のようだ。これから注意しなければ。
私は公衆トイレで先刻買った衣服に着替え、荷物になった制服は近場のロッカーに預けた。そのまま私はホテルへ向かう。時刻は12時過ぎ。この時間帯は確か私達はカラオケではしゃいでいたはずだ。
ホテルへ入り、顔なじみの受付に軽く挨拶してからエレベーターに乗る。受付に顔を見られたのは失策だったかもしれないが、このまま事が終わればその時点で歴史が修正され元の時代へ帰れるはずなので問題ない。
私達の部屋は当然鍵が掛かっていた。この扉は屋上にあるものよりやや複雑で、私の腕でも錠開けは難しい。無理やり破壊してもいいが、それだとかなり目立つ。
なので私は一旦屋上へ向かいそこから浮遊し窓から部屋へ侵入することにした。周りには同じ高さの建物はいくらでもあるので姿を見られないよう素早く行動しなければ。
私は自身の部屋の位置をしっかり確認し、宙に浮きそのまま沈む。窓までついて、がたがたと枠を揺らす。こちらもきっちり戸閉まりしている。くそ、なんでこんなとこまでしっかり閉めてるんだ。仕方ないので私は鍵の周りを八卦炉のレーザーで丸く切り抜いた。錠を開け、部屋に這入る。室内は冷房が利いていて涼しい。付けっ放しで出て行くとは地球に優しくない奴らだ。フロンガスは二酸化炭素の何十倍もの温室効果がある、といった話を早苗がいつかしていたのを思い出す。もう少し時代が進めばこれに関しての法整備がされるらしいが。
そんな与太話はさておき、私は目的の物体を探す。早苗の力を蓄えた霊石だ。これには替えがないらしいので破壊してしまえばその時点で客星は発動できなくなり、歴史は矯正される。
まずは棚を探す。一番上は早苗の領分、二段目は私の領分、一番下の棚は共用として使っている。早苗の棚を開けると中はゲーセンで手に入れた景品とプリクラのあまりだらけだ。早苗の奴はプリクラをちゃんと整理しないからな。何枚かプリクラを手に取る。どれもこれも二人で写っている。こんなにつるんでいれば姉妹と間違われるのも仕方ないな、と私は呆れる。せっかくなので一枚くらい拝借しておく。八卦炉の持ち手の内側にそれを貼り、私は物色を再開する。
しかし探しても探しても霊石は見つからない。思えば早苗の奴があれをどこにしまっているかなんて気にしたこともなかった。もしかしたら常に身に着けているのかもしれない。だとしたら相当厄介だ。
就寝時はいつも二人一緒だ。寝込みを狙おうにも、どちらかに気付かれるリスクは高い。睡眠効果のある香料を調合しようと考えたが、私自身そういう手口にはかなり詳しい。匂いがした時点でそれがどういう効果があるのか瞬時に見抜くだろう。自賛しているわけでなく、純粋な評価だ。
私は思考を練りながらもダメ元で物色を続ける。当然成果は得られず時間だけが過ぎていく。気付けばあと三時間ほどで私達が部屋に帰るくらいの時間になっていた。クソ、今日はここまでだ。窓の修繕をしなければ。
私は室内の電話をホテルの受付に繋げる。以前ホテル内の備品をうっかり破壊したとき修繕を頼んだら瞬時に対応してくれたことがある。今回もそうしてもらおうと思ったのだ。意図的に破壊してしまったという負い目もあるので代金はしっかり請け負う。前は何故だか無料だった。ホテル側からしたら、宿泊費のうちいくらかはそういう補償込みで値段を付けているから問題ないそうだ。
窓自体は三十分もあれば直せるらしいので、私達の帰宅には間に合う。
受付には窓を壊したことは早苗には内緒にしておいてくれ、と口止めしてホテルを後にする。
さて、寝床はどうしようか。私はとりあえずロッカーから荷物を回収し空のテナントだらけのビルに侵入する。人が入ってこないという保証はないが、贅沢は言ってられない。
鍵をこじ開け、薄暗い室内でひとまず私は腰を落とす。魔法で明かりをつけ、八卦炉で空調を整える。いくら部屋の中が過ごしやすい環境になっても、息苦しさは消えない。焦りか。私の思慮は浅かった。やはり簡単にはいかない。早苗の虚を付き、霊石を奪い破壊する。言葉にするとそれだけなのだが、確かこの期間は早苗は妙な気を張っていた時期だった気がする。容易にはいかない。
私は体のぐらつきを感じる。怠い。思えば恐怖の大王再来の自作自演からの幻想郷での聞き込みやら調査やら妖怪の山攻略を終えてからも一睡もせずここまで来た。疲れていて当然だ。銭湯へ行こう。休むのも大切だ。まだ時間は一週間もある。じっくりと策を練ろう。
それから結局事は一転もしないまま過ぎることとなる。
私達がプールへ行ったり海へ行ったりしたときもこっそり後をつけて更衣室で衣服を漁ったりもしたのだが、早苗の持ち物に霊石はなかった。私に黙ってロッカーに預けているのかと考え思い当たるところを片っ端に探してみたけれど、早苗が物を預けているということはなかった。スリを雇ったりしてみたけれど、みんな返り討ちに遭った。思えば滞在中、やたら絡んでくる男が多かった気がするが半分くらいは私のせいだったのか。本当に済まない。
衣服を漁っても出てこないということは、水着姿になっても肌身離さず持ち歩いているという可能性がある。思い返してみるが、早苗が霊石をアクセサリーみたいに身に着けていた記憶はない。しかしそれは単純に私の見落としがあるだけかもしれない。水着のときの早苗を凝視するのはなんだか気恥ずかしくて控えていた記憶はあるし。
なので狙い目は早苗が風邪でダウンする帰還一日前のあの日だ。あの日なら私は買い出しに行くため早苗の元を何度か離れるし、奴自身も風邪のせいで抵抗力もない。霊石さえ破壊してしまえば全ては終わるのだ。私自身との接触さえ避けられれば、強引な手だって使える。
――まあ、早苗を攻撃したりする気はさらさらないが。それはどうしようもないときのための最終手段だ。
ホテル前で私は私が買い出しに行くまで張り込む。必然的に入れ違いみたいになるので受付は多少混乱するだろうが、そこは仕方ない。
私が出てからすぐに私はホテルへ入る。当然、受付は「あれ?」と素っ頓狂な声を出して私に声を掛けようとするが無視して私は部屋へ向かう。
鍵は開いている。私は音を立てずに部屋に侵入する。出来れば早苗を起こしたくない。
早苗はベッドの上で吐息を立てている。顔が赤い。額を触ると、やはり熱がある。霊力で風邪を飛ばせるというのに、何やってんだこいつは。私は掛布団をめくり早苗の衣服を触る。何か膨らみはないか。いやいや、胸の膨らみとかそういう際どいところではなく。
「……魔理沙、さん?」
服を触っていると早苗が虚ろな目のまま私に声を掛ける。私は取り乱すことなく早苗に「悪いな、起こして」と返す。起こしたくはなかったが意識が戻ってしまうのは想定内だ。
「……どうして戻ってきたんですか?」
妙にはっきりとした口調で早苗は私に訊く。
「汗でも拭いてから行こうと思って。汗まみれじゃ気持ち悪いだろ」
タオル片手にそう言い訳をする。早苗は赤い顔のまま先ほどのはっきりした口調とは打って変わり「はい、助かります」と返す。すぐに朦朧とした様子になる。
衣服を脱がせ下着を外し、柔らかな早苗の肌の表面ににじんだ汗を拭きつつ、私は霊石を探す。ない。やはりない。体内に仕込んでるってわけじゃないよな?
「……そういえば、霊石ってどこにしまってるんだ?」
やや強引だが私はそう訊く。早苗はうーんと唸る。こんな早苗の意識状態じゃ質問どころじゃないな。しつこく聞けば早苗の負担になる。遠慮しないと決めたくせに、弱っている早苗を前にすると私はどうしても踏み込めない。クソ、ここで何とかしなければ早苗が幻想郷から居なくなるんだぞ。
汗を拭き終え、衣服を着せてからも私は逡巡しまくり結局何もできず時間だけが過ぎる。ガチャ、っと扉のノブの回る音がする。まずい。まずいまずいまずい。
間抜けか私は。焦るあまりに私の帰還時間を計り損ねた。
早苗に布団を掛けなおし、濡れタオルに瞬間的に八卦炉でわずかに熱を与え額に乗せる。早苗の体温が移っていない冷えたままのタオルだと私が不審がるかもしれないからだ。私は飛び上がって天井に張り付き隠密の魔法をかけた。姿が消えるわけではないが、少なくとも気配は薄くなる。
早苗は目を薄く開けたまま額に手を当てて唸っている。汗拭きで負担を掛け過ぎてしまったか? すまない。とか心配している場合じゃない。今、私のほうがピンチだ。まずい。最高にまずい。私が部屋へ入ってくる。わずかでも視線を上に向ければ、見つかってしまう。気配を極限まで薄くしているとはいえ、視界に入ってしまえばおしまいだ。
「帰ったぞ早苗。どうだ、調子は」
言いながら私は早苗の額に手を当てている。これもまずい。早苗が混乱する。私は買い出しには行かず、先ほどまで汗拭きをしていたのだから。
「ううーん……。ま、魔理沙さんが二人に見えるー」
薄目のまま、早苗はそんな真っ当な事実を言う。やばい、私はこのとき熱にうなされてそう言っていると思っているのだが、ほんとのところの早苗の視界には実際に私が二人映っているのだ。
「やれやれ。まだまだ快復には遠そうだな」
能天気に私が言う。私は天井に張り付いたままするすると空を浮いて移動し扉を開け部屋を出る。早苗の視線は天井を這う私を追っていたような気がする。奴の意識が熱でおかしくなっていることを祈ろう。幻覚を見たと思い込んでいると祈ろう。
最大の危機を乗り越えたものの、私は途方に暮れていた。ホテルの屋上で、生暖かい風にさらされたまま項垂れる。このまま行けば、今日の午後日が落ちるころには早苗は回復しここで儀式を始めてしまう。
……最終手段だ。本当は今日まで、この手段を実行するチャンスはいくらでもあった。屋上で二人を襲撃して強引に霊石を奪い取るという作戦。作戦というかただの力づくだ。脳もクソもない。野蛮人の手段だ。
実行する気がなかった最終手段とはいえ、まったく準備していなかったわけではない。屋上の隅に隠していた道具を一式私は取り出し見聞する。不備はない。魔法のキノコの粉末に着火することで発動する閃光かんしゃく玉。直撃すれば意識を刈り取る。仙丹。肉体の耐久力を上げる。八卦炉と箒。私のいつもの得物。
上手くいけば最初の閃光かんしゃく玉で勝負は決まる。道具を半分も使わずに済む。出来れば早苗を傷つけたくない。私はじっくりと急襲実行のシミュレートをする。
霊石はこの日、儀式のため早苗の手から離れて地面に置かれる。二人の意識を落としたあと八卦炉で撃ち抜いてやればそれだけで作戦成功だ。歴史は矯正される。
恐怖の大王は降りず予言は人騒がせな虚言として収束する。オカルトブームは起きない。異能の研究機関も発足しない。早苗は幻想郷に戻ってくる。そして、オカルト異変も戻ってくる。
私は自覚しなければならない。歴史を矯正した世界で異変によって死んでしまう人間が出てきた場合それは私の責任なのだと。業が深い。ホントに、私は勝手な奴だ。地獄行き間違いなしである。
屋上で潜伏したまま時を待つ。二人が屋上へ来るのを。冷房や空調は操作しない。使えばそれがそのまま人のいた痕跡として二人に察知されるからだ。不意を突き一瞬で終わらせる。永淋の忠告通り私自身との接触だけは避けて。
しばらくしてようやく二人が屋上に姿を見せた。早苗の様子は病み上がりとは思えないほど好調そうだ。私は名残惜しそうに地上の様子を眺めている。この時代の風景を見納めようとこの時考えていたような気がする。
「では、準備はいいですか魔理沙さん?」
早苗は屋上の中心で霊石を地面に置いてその前で腕組立っている。どこから取り出した? 結局その謎は最後までわからなかった。私はかんしゃく玉を二つ右手に握り、左手は八卦炉を持ち魔力をチャージする。私の立ち位置は私の背後のやや斜め上、屋上へ出るための扉の真上だ。そこで伏せるようにしている。角度的に二人には姿が見えないはずだ。
「準備も何も、私は見てることしか出来んぞ」
私が言う。
「心の、準備ですよ」
念を押すように早苗は言う。私はそれにサムズアップで応えたようだ。背後から見ていてもそのくらいはわかる。早苗も私に倣い、親指を立てる。
「了解です。では、いきますよー。よく見ておいてくださいねー。と言っても、凄まじく光るでしょうから見ると目が潰れちゃうかもしれませんが」
言うが早い。早苗は詠唱を始める。霊力を込めるときに使うものとは違う音節の詠唱。私には何を言っているのかてんでわからないが、しかしその早苗の紡ぐ言葉は確かに神にだけ伝わる意味を持っているのだろう。
私は上空に飛び上がり、十分な距離を取ってからかんしゃく玉を投擲した。一投目が狙うのは私自身だ。目を覆い口を開け、耳を塞いで私は爆発に備える。
炸裂音。薄目を開けると、私が前のめりに倒れこむ姿が見えた。成功だ。
続けて早苗に向かってかんしゃく玉を投擲する。薄目では早苗の様子がよく確認できないが、一投目の閃光で少なくとも視覚は機能しないはずだ。二投目の音と衝撃で意識を落とす。
狙い通り、かんしゃく玉は早苗の目の前で破裂した。私は目を閉じたまま高度を下げ、至近距離から八卦炉のレーザーを霊石のあった位置に放つ。
水分が蒸発するような音がした。手応えがない。目を開けると、霊石は全くの無傷のままそこに在った。
何か、膜のようなもので覆われている……? 状況が理解できず、一瞬私の体は完全に硬直する。
その不意を突くように空を裂く音。霊力弾。私は身を転がしながらそれを避ける。
「来ると思っていましたよ」
早苗は言う。当たり前のように。意識が落ちるどころか、奴は無傷だった。霊石と同じ膜で体が覆われた状態で腕を組み私を見ている。
「水で出来たシールドです。知っての通り水は光を屈折させ音を緩衝し熱を奪う。建物のことを気にして八卦炉の出力を落としたのが仇になりましたね。そのせいであなたはシールドを破れなかった」
早苗はゆったりとした歩調で霊石に近づき、それを回収する。
「と、そんな話は別に興味ないかな。さて、もう一度訊きましょう魔理沙さん。どうして戻ってきたんですか?」
早苗は妙にはっきりとした口調で私に問う。「もう一度」と早苗は言った。一度目は、いつ訊いた? 自問するまでもなくすぐに思い至った。
「気づいて、いたのか」
一度目に訊かれたとき、私は早苗の身体を拭きに戻ったと答えた。私はごまかすためにそう適当に答えたのだが、あのとき早苗はそんなことなど訊いていなかったのだ。奴があのとき私に訊いていたのはもっと根本的な、私が何故この時代に再び訪れたのかという質問だ。
「気づいていたか、ですって? 当たり前じゃないですか。時間遡行ものではよくある話です。同じ人物が同じ時間に二人以上存在していることなんて。私達の作戦が失敗する外的要因があるとすれば、それは私達自身がその要因になりうると警戒していましたよ。違う時間軸の私、もしくはあなた。そしてそれは、おそらく私より未来の存在」
警戒していた。マジかよ。なんて奴だ。つまり早苗がずっと気を張っていたのは、この可能性を考慮していたからだったのか……?
「いつから気づいていた?」
私が先ほど早苗と接触したときには気づいていたはずだ。でなければ、どうして戻ってきたかなんて話を訊いてくるはずがない。
「最初からですよ。マミゾウさんの事務所前で今の身体を構成しましたよね? 地面が抉れるいたずらをされたって話を聞いてからぴんと来ました。私達以外に遡行者がいる。十中八九、その正体は魔理沙さんだって当たりを付けていましたが。仮に私が戻ってきていたのなら、私がそういうことを警戒してるって知っているはずですし」
だから早苗はその予測を私に話さなかった。話せば、この私にその警戒心を知られることになるから。
「目的まではわかりませんでしたが。私達の恐怖の大王作戦を邪魔するつもりなのか。それとも、予想外のトラブルに見舞われる予定の私達を守るために来たのか。後者を気にしてもしょうがないので、私はあなたが妨害してくることを前提に警戒をしていましたが、それも当たりでよかったです。さて、三度目ですよ。どうして戻ってきたんですか?」
早苗は霊石を片手に問う。青々と、それは発光している。今攻撃すれば確実に先手を取れる。しかし私はそうしなかった。ここまで先読みの出来る奴だ。後手に回っても私相手に優位に立ち回る算段くらい用意しているだろう。
「……お前は、歴史改変後の世界で幻想郷に居ない。居なくなってしまうんだ」
私は早苗にそう伝える。正直に話そう。もう隠していても仕方ない。そうだ、最初からこの手は私の手札にあった。早苗に正直に事情を話せば、霊石を素直に渡してくれる可能性がある。早苗だって幻想郷を離れるのは嫌なはずだ。
事情を事細かに伝えると、早苗は「ふむ」と小さく納得したように頷いた。
「そうですか。話はわかりました。ですが、私は恐怖の大王を降ろすのをやめません。幻想郷を救います」
「……そうか」
わかっていた。早苗が素直にこちらに応じないことを。自分の都合で、幻想郷を危機に晒す気なんてないことを。だから私はこの手札を切らなかったのだ。この手札を切れば、私達は決定的に決裂する。
私は最初にこの時代に来たときのことを思い出す。早苗は、幻想郷が好きだと言っていた。だから必ず異変を解決したいと。
「霊石を渡せ。お前が嫌でも、私も嫌だ。お前のいない幻想郷なんて、つまんないんだよ」
「呆れた。けれど、嬉しいです。魔理沙さん、私のことそんな風に想っててくれて。でもこちらも譲る気はありません」
早苗は懐から一枚のカードを取り出す。スペルカードだ。
「我を通したければ戦うしかありません。ここは外の世界ですが、幻想郷の流儀で決着を付けましょう」
「いいだろう。私に弾幕戦で勝てると思うなよ」
私は宙に浮き、八卦炉を構える。箒を片手に呼び寄せ、いつもの戦闘スタイルだ。
「こちらのセリフです。さあ来なさい、霧雨魔理沙。出来るものなら私を救ってみなさい!」
「ああ、東風谷早苗。お前こそ、やれるものなら幻想郷を守ってみろ!」
早苗も私に倣い宙に浮く。幻想郷では非行少女というのは日常だが、この世界では超常である。早苗は霊石を片手に携える。それに蓄えられた霊力は彼女に力を与える。不測の事態に備えて貯蔵していた霊力。今がその時というわけだ。
弾幕が散布される。雨粒のように注ぐそれは、月明かりを吸ったかのように白く美しい。細かく、避けようのないくらいの密度でそれは上から下へ向かって私に襲い掛かる。
私は大きく動いて弾幕の雨を回避し、八卦炉のレーザーを早苗に向かって放った。直線的なわかりやすい弾幕。当然早苗は事も無げに避けるが、レーザーは相手の動きを制限するための布石だ。
続けて細かい弾幕を散布する。動きは遅いが高密度、横に凪ぐような星屑。
早苗はその避けようのない弾幕の壁を、霊力の爆裂で散らして安全地帯を作る。早苗は爆裂に紛れて球状の霊力弾をとんでもない速度で放った。
目測でほぼ音と同じ速さ。私は仙丹を口内でかみ砕き、人外の耐久力を得たその腕で霊力弾の軌道を逸らした。
「今の、当たったんじゃないですっ!?」
空を切りながら宙を舞い、弾幕を放ちつつそんなケチをつける。
「掠っただけだっ!」
レーザーを薙ぐように放ちながら私は叫ぶ。
「というか、なんで生身で弾幕に触れるんですかっ!? 人間やめちゃったんですか!?」
「仙丹だよ! 仙術ってやつだ!」
「あら、そうなんですか。私も仙術ならちょこっとかじったことがありますけど、それは知らない術でした! 私が出来るのは、仙界を開くことぐらいですねっ!」
再び音速の球弾。私は今度はそれを身のこなしで避ける。だんだん目が慣れてきた。
「てめえ、さては霊石を仙界にしまってたなっ!?」
「ご名答。そこなら私以外に触れられませんからねっ!」
仙界は自分だけの空間を作り、そこへ自由に出入りする技術だ。私も練習したことがあるのだが、まだ上手く接続出来ない。かじったくらいで出来るようになるとは、ふざけた才能だ。
私は出鱈目に星の弾幕を散布するのをやめ、八卦炉のチャージを始めた。いい加減早苗が無尽蔵に出す細かい弾幕を鬱陶しく感じ始めたのだ。
早苗は私がそうするのを確認すると弾幕の展開を中止し、飛行の速度を上げた。
手の内は知られてるが、しかしこいつに限ってはそれは不利にならない。私は最強の弾幕とはパワーだと信じている。わかっていても避けられない弾幕こそが、一番凶悪なのだ。
「マスタースパークッ!」
八卦炉から極大の閃光が放たれる。轟音、それは宙に散った有象無象の弾幕をも掻き消す。早苗は空を旋回しながら極大のレーザーを避ける。私は大振りにそれを振り回す。八卦炉の炎を避け続けるのには限界がある。私は宙に停滞するように配置した星弾に向かって追い詰めるようにレーザーを振った。
早苗は星弾に接触しそうになると、霊石を発光させ空間を爆裂する。そうして無理矢理道を作った。繰り返しているうちに宙に散っていた互いの霊力弾が殆どなくなってしまった。戦況はこれでリセットだ。弾幕を張り直す必要がある。
先に弾幕を張り切ったほうが有利だ。私は両手を開き、星弾を中空一面に展開する。それに倣うように早苗も白の弾幕を展開する。
「あなたの魔力が先に尽きるか、こちらの霊力が先に尽きるか。――ですか?」
早苗が私を言う。
「私がこの世界に来てから溜め込んだ霊力と、張り合える気ですか? 傲慢ですね、相変わらず」
そうだ。耐久力勝負なら、完全に分が悪い。奴には長い時間をかけて貯蓄した霊石の力があるのだ。私にも八卦炉に貯蓄された魔力があるが、おそらく総量で負けている。
それを早苗は理解しているからこそこうやって煽る。煽って、私を焦らせようとする。一手余計な手を使わせようとする。無駄な手順を踏めば、その分だけ不利になる。舐めるなよ、早苗。そういう小手先の駆け引きは私のほうが長けている。
私は一見、意地を張って早苗の質量対決に付き合っている体だが実はそうではない。私の弾幕には殆ど攻撃力が伴っていない。展開されたものの半数ほどが星弾同士の乱反射によって生み出された光の幻影だ。
言うなれば視界を塞ぐ目隠し。魔力の消費も普通に弾幕を展開するより安上がりというおまけ付きだ。早苗の放つ弾幕の密度も併さり、空中の景観は光に埋もれているようだった。私は光に紛れたまま八卦炉をチャージする。不意打ちだ。
「――全く、そんな手に引っかかるとでも?」
早苗の霊力弾が炸裂する。光は一気に掻き消えた。チャージのために動きを止めた私目がけて早苗の元から蛇状の弾幕が飛ぶ。
早苗の瞳孔が、蛇のように鋭くなっているのを私は確認した。――ピット器官による熱探知だ。奴は、神奈子の神徳を使わずとも蛇の特性を呼び出せるのか。霊石の余剰霊力で無理矢理その力を引き出しているのだろうか。
ともかく、その力を使って早苗は私の星弾に熱量がないことをとっくに見抜いていたのだ。
「くっ!」
蛇弾を躱すが、この弾は追尾する。私はたまらず八卦炉の熱を一気に解放した。私の体躯を熱が覆う。同時に熱膨張により弾は掻き消えた。
「仙丹があるからって無茶なことを……。被弾を避けるために自爆ですか?」
ただの自爆じゃない、速度を付けるためのブーストだ。私は早苗と距離を取る。こちらを追えないよう弾幕を展開しながら。
空中から屋上へ降り立つ。閃光かんしゃく玉の炸裂にやられてぶっ倒れて目を回している私の姿がちらりと視界の端に映る。願わくば、私がこんな風に無様に倒れるような未来が来ることだけは勘弁願いたいものだ。
私は八卦炉の熱をチャージする。動きを止めた私を狙って弾幕が降り注ぐ。しかし、それには先刻程の容赦のない勢いはない。早苗は気絶している私に流れ弾が当たらないよう弾幕の量と威力を抑えているのだ。お優しい奴だ。おかげで、仙丹の防御力で弾幕を耐えつつ十分に魔力を八卦炉に込められる。
「ひ、卑怯ですよ! 自分を盾に使うなんて!」
「戦いに卑怯も糞もあるか。宣言してやる。私は今から、最大規模の火力を空に向かって放つ。逃げ場なんてないぞ」
八卦炉のチャージを続ける。
「来いよ、早苗。火力の勝負だ。まさか、何日もかけて溜め込んだ霊力があるってのに私の炎を迎え撃つ自信がないのか?」
安い挑発。だが早苗は乗ってくる。これは確信だった。何故なら、弾幕の量だけではなく火力でも早苗は私を上回っているに違いないからだ。
「……いいですよ。相変わらず火力だけには自信があるようですが、真正面からその力叩き折ってあげましょう」
早苗の掌に青い光が収束する。炸裂するような光ではなく、こちらのレーザーに近い力を練っている。攻撃範囲を広げ過ぎると私が足場にしているホテルや気絶している私にまで被害が及ぶと考慮しているからだろう。
「さて、御休みなさい、魔理沙さん!」
温度のない冷淡な言葉とともに、青色のレーザーが私目がけて放たれる。
「お前こそ眠ってろ、早苗!」
私は腰を落とし、とっておきの切り札を素早く拾う。気絶して倒れている私が所持している八卦炉だ。拾う際、もう一人の私と身体が接触する。触れれば何が起こるかわからない。永淋の忠告を忘れたわけではない。だが、迷っている暇はない。
私が迷えば、早苗はすぐに私の魂胆に気付きもう一人の私を八卦炉ごと仙界あたりに隔離するはずだ。そうなれば、火力勝負で勝ち目がなくなる。
触れた瞬間、意識がぐらつくような錯覚。意識が分離するような錯覚。構わず私は二つの八卦炉を早苗に向けて全開の魔力を暴走させる。
今の私の八卦炉の出力は単純に二倍。この炎に勝る火力はこの世に存在しない。
真っ白な光が早苗ごと黒い空を穿つ。轟音。早苗の放った霊力のレーザーは白に飲み込まれ押しつぶされた。
八卦炉の放熱が終わる。意識がぐらつく。
魔力の解放が原因ではない。
私はかぶりを振る。意識をしっかりと保つ。二つの八卦炉のうち一つを倒れている私に投げ返す。
空を見ると、意識を失った早苗がふらふらと高度を落としているのが見えた。私はそれを受け止めるため地を蹴り空に繰り出す。
これが騙りで早苗が気絶しているふりをしていた場合、完全に私の負けだ。そういう可能性を考慮しつつも、私は早苗の身体を両腕で受け止める。重い、意識を失った人間の重量だ。
早苗は目を閉じたままうめき声を上げている。
「……悪いな」
私は早苗が握りっぱなしにしている霊石を取り上げた。そしてそのまま霊石を空に放り、八卦炉のレーザーで撃ち抜いた。霊石はあっさりと砕け、早苗が異変を解決するために溜め込んだ霊力が空に霧散する。早苗の霊力の塵は月を蒼く彩り、なかなか綺麗だった。
感傷に浸るのもつかの間、刹那、意識が攪拌する。手足がねじれるような感覚を覚える。
脳髄が液化する。
魂がバラバラになる。
明らかに、歴史改変に伴う強制送還の予兆とは違う。
――限界か。もう一人の私と決して接触してはならない。私は二つの八卦炉を使うため、その禁を破った。
このまま私は消えるのか。
……まあ、いいか。消えるのはこの私の意識だけで、元の時間軸に居る私の意識は無事かもしれないし。世界というのはいくつもの平行時間軸が同時に存在している。
そのどこかに居る私に残りの事は任せていいだろう。投げやりにそんなことを考えているうちに、私の意識は掻き消える。
終わり。
・・・・・・・・・・・・・・・以下蛇足・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――と深刻な感じで意識を落とした私だが、次に目が覚めたときに映った景色は博麗神社裏の雑木林だった。意識はある。体がバラバラになった感覚もない。気温は熱いが、風があるせいでコンクリートジャングルほど嫌な空気ではない。なんだよ、永淋の奴。なんともないじゃないか。脅かしやがって。ホントに消えてしまうかと思った。
倒れたまま握力を感じる。隣を見ると制服姿の早苗が私の手を握ったまま横たわっていた。
「……帰ってきたみたいだな」
私がそう言っても早苗から反応はない。うーんと唸ったまま。しばらく放っておくと、突然早苗は飛び起きた。まるで目覚ましでも鳴らされたかのように。
「はっ」
「おはよう」
目覚めた早苗に手を振ると、何故か険悪な視線で返された。そしてほとんど体当たりするような勢いで胸倉を掴まれた。
「やってくれましたね、魔理沙さん。これで、全てすべて全部ぜーんぶおじゃんです。薬は二人分しかないって話でしたし、もう止められません。異変を解決手段は当面ありません。時期に幻想郷は外の世界のオカルトに覆いつくされるでしょう」
早苗は私を睨む。私はその視線を逃げずに受け止める。しばらく見つめあった後、早苗は私に抱き着いてきた。ただでさえ夏の暑さで暑苦しいのに、早苗の体温はそれ以上に熱い。怒っているせいだろうか。
「ホントに、勝手な人ですね、あなたは」
「……悪かったって」
早苗が憤るのも無理はない。それだけのことを私はしてしまった。
「やってしまったものは仕方ありません。とりあえず、霊夢さんに相談しましょう。今後の事を話さなくちゃ」
霊夢の奴も怒るだろうなぁと私は背筋が寒くなる。私と早苗は揃って鳥居側に回り込む。霊夢は呑気に掃除をしていた。この時点で私は違和感を覚える。なんか異変中にしては能天気すぎないか?
「あら、魔理沙と早苗じゃない。揃ってどうしたの?――ってなんだか格好まで揃ってるわね。なにそれ。鈴仙の真似?」
霊夢は私達の制服姿を指して言う。
「格好のことは気にするな。それより、オカルト異変はどうなった?」
「オカルト異変?」
「ほら、外の世界のオカルトが流入しまくる異変ですよ。私達、例の作戦に失敗しちゃって」
霊夢は首をかしげる。
「あんたら、夏の暑さでおかしくなっちゃった? そんな異変起こった記憶ないわよ。直近で起こった変なことと言えば月の侵略くらいじゃない?」
私と早苗は唖然とする。喜ばしいことなはずなのに、そうなってしまった理由がわからなくて立ち尽くす。一体、何が、どうなったんだ?
それから私達は、幻想郷中へ聞き込みを開始した。半日ほどかけて調査した結果、元の時間軸と今の時間軸との相違点はオカルト異変が起こっていないという一点のみだと確認できた。こんなに都合のいい時間軸があっていいのか?
仮にそんな時間軸があったとして、私たちはなぜそんな世界へ到達できたのだ?
喜んでいいのか慌てたほうがいいのかわからないまま時が過ぎる。
そうして二人揃って守矢神社にある庇の影の下で惚けていると、聞き込み回っている私達の噂を聞きつけたのか八雲紫が現れた。
「こんにちは、お二人さん」
「なんだお前か」
「こんにちは」
うさんくさい紫相手に私達二人の反応は微妙である。紫はそんな私達の態度が気に食わないのか、来たばっかりなのに背を向けて立ち去ろうとする。
「あーあ。せっかく二人が納得する答えを持ってきてあげたというのに。そんな態度なら私、知りませんわ」
新聞片手に、紫はそんな台詞を言う。片手の新聞は明らかに天狗のものではない。外の世界の新聞だ。
「まてまてまて。紫、悪かった。微妙な反応して済まなかった。話を聞きたい」
紫を呼び止めて私は頭を下げる。
「私も話を聞きたいです。お願いします。よっ、幻想郷一の美人さん!」
おいおいその言葉は煽りにも聞こえるぞ、と私は制止を掛けようとする。が、紫は目に見えて上機嫌になるのを見てやめた。なんだこいつ、案外ちょろいな。
「もう、しょうがないですね。貴方達二人は、何故恐怖の大王が落ちない世界でオカルト異変が起こっていないのか疑問に思っているのでしょう?」
紫の奴はこちらの事情まで事細かに把握しているようだった。でなければ1999年の予言に関するその単語が出てくるわけがない。他世界との境界を操作し、平行世界線を観測する能力。
「原因は貴方達です。この記事を見なさい」
紫は新聞を広げる。日付は1999年七月某日。私達二人が最後に過去に居た日だ。
「空に瞬く光の雨……?」
「空を駆る少女……?」
新聞の見出しはそんな感じだった。写真には上空で展開される私と早苗の弾幕戦がはっきりと映っていた。拡大付きの写真は解像度が悪くてわかりにくいが、制服姿の私達が写っている。
「端的に言うなら貴方達の弾幕は地上人を魅了しました。正体不明の飛行少女。それに伴う光弾の応酬。実際に貴方達が戦場にしたホテル屋上で熱線に焼かれた跡がいくつも見つかったのも決定的でしたわ。まだ、科学の及ばない幻想が存在するという一つの判例として貴方達の弾幕戦は歴史に記録されました」
恐怖の大王ではない、全く違うオカルト信仰の芯。
「予言のオカルトと違うのは、これには世界を傷つけ陥れるような悪意や害意がない。予言のオカルトが芯になった世界では、危機感に煽られた人々によって超常現象観測機関・異能所持者保護機関といった組織が発足させましたがこの世界ではそのような組織の存在は確認されていません。――まあ、この少女達を信仰するような怪しい宗教があるくらいですわ」
紫が写真の私達を指す。
「よかったわね。貴方達はやろうと思えばこの世界で神になれますわ」
「いや、私は既に神なんですけど」
早苗が突っ込む。私はそれどころじゃなかった。なんだそりゃ。適当に行き当たりばったりで進んできたのに、こうもあっさり都合のいい時間軸へたどり着いていいものなのか?
「魔理沙、貴方はもう少し反省するべきですわ。こんな風に貴方にとって都合のいい世界もあれば――」
紫は私の頭に触れる。――数瞬、意識が別の場所へ飛んだ。
錯覚ではなく、間違いなく。
飛んだ先の世界では、私の肢体は魂の断裂によりバラバラだった。または幻想郷がオカルトにより押しつぶされていた。或いは機関とやらに幻想郷が侵略されていた。
走馬灯のように、それぞれの光景が頭の中を駆け抜けた。
「こういう世界もある。絶望に底がないことを、貴方は知っておくべきですわ。貴方の行動次第では、こんな世界にたどり着く可能性も十分にあった」
今のは、幻覚ではない。紫の能力によって多世界の光景を見せられたのだ。
「蝶の羽ばたきは思ったよりも気まぐれです。どこへ飛ばされるかわからない」
「……ああ。肝に銘じておくぜ」
私はへたり込む。早苗が心配そうに私の肩を抱く。
「まあ、時間遡行なんてこれっきりにしておきなさい」
紫は私の頭を撫でる。私はそれを跳ね除ける。
「悪いけど、早苗がまた居なくなるようなら同じ手を使ってしまうかもしれないぞ」
「も、もう! ふざけたこと言わないでくださいよ!」
早苗は私を引っぱたく。私はへらへらと笑う。
冗談では済まない妄言。強がりだったかもしれないが、同時に本気の感情も混じっていた。
私は早苗を心底気に入っているのだ。世界を駄目にしてまで一緒に居てほしいと思うくらいには。
魔理沙と早苗のキャラも良かったし面白かったです
時間遡行ものの定番、醍醐味のひとつを味わえて満足感でいっぱいだ。
とても楽しく読ませていただきました。
グッジョブと言わざるを得ない
弾幕ごっこが運命の分かれ道どころかハッピーエンドへの道標になるとは
菫子やマミゾウの立ち回りも実にらしい
個人的にバトルのスケールはドラゴンボール並みが好みなのですごく良かったです。
最後の方2人が戦うシーンは手に汗握るものでした
時間を忘れられました
博愛とはかくも困難で危険なものだろうか
ただ最後ゆかりに死んだ魔理沙の世界をみせてもらわなくてもよかったかも
ゆかりんもなんか冷たい気がするし
まあ軽々と命かけまくってこの子はって感じだと思うけど
とてもワクワクする作品でした
やっぱり幻想郷の強者はタイムリープ薬とか別次元観察とかチート能力持ってるとかっこいいですね。