Coolier - 新生・東方創想話

強くなる

2016/06/20 15:36:51
最終更新
サイズ
5.62KB
ページ数
1
閲覧数
3036
評価数
4/8
POINT
560
Rate
13.00

分類タグ

 風が吹き、紅い木の葉が揺れる。
 その葉一枚一枚が私に数多のことを教えてくれる。
 風が吹き、一枚の色褪せた葉が剥がれ落ちる。
 それを見て、私は涙を流す。
 また、失われたのだと。


――「盛者必衰。質量保存の法則。生まれるものの数だけ失われるものがあり、それは人に近ければ近いほど顕著で、それは言い換えれば命の時間が短いほど、失われるもの一つ一つの密度は薄いということ。だから人は失われたもののことを、失ったという事実でさえ、いともいとも容易く忘れてしまうことができる」
 背後に立つ胡散臭い紫色の気配が言葉を放つ。いつからかは分からないが、見ずともそこに居たことは分かっていたし、もし振り向いたら既にそこには居ないのかもしれないけれど、言葉という事象は形を持って空気を伝い私の耳を震わせる。
「それを貴方は、人の強さだと思いますか。
 それとも、弱さだと思いますか」
 声が少しずつ近づいてくる。私は振り向かずに涙を流し続ける。紫色の気配はすぐそこまで来ているような気がするのに、どれだけ近づいても止まることは無く、私の奥底へ寄ってくる。それに向かって私も口を開く。
「忘れることは、前を向ける人間の強さ。だけど、忘れられたものたちの楽園でさえ忘れられてしまったものは、とても悲しいに違いないでしょうね」
 それを聞いて紫色の気配が止まる。ふわり、と後ろから抱きしめられる。その体は空っぽの抜け殻かと思うほど軽く、しかし鉛のようにずしりとのしかかる。
「その悲しさすらも受け入れる。貴方はそう言うのでしょう。それは、残酷なことなのだと思いながらも」
 機械のように冷たい声色。そこに隠しようのない寂寥が含まれているように感じるのは、私がそれを司るからなのかもしれない。でも、それはエゴだ。

 目を閉じる。目尻に溜まっていた粒が、頬を一筋伝う。


 ――再び瞼を上げたとき、既に気配は欠片も残っていなかった。まるで夢だったかのように、夢から覚めた私を置いて行ったかのように。
 見上げる。枝から剥がれ落ちた褐色の葉が力なく風に揺れ、揺れ、揺れ、私の目の前で、
 砕けた。

 ああ、また……


 雨が降っている。
 それは多分、私にとっても、この人にとっても、幸いだったのかもしれない。
 雨は隠してくれるから。名も無き妖怪が、名も知らぬ人間に流した涙など、知りたくもないだろうから。誰にも知られない涙は、雨粒に紛れて止めどなく落ちる。雨足は強まる一方で、まるで私の悲しみに呼応しているかのようで、紅の服を薄暗く染めながら、誰にも聞かれない声を上げ、私は泣いた。

 紅葉を愛したその人間は、毎秋の決まった日にここを訪れていた。山中の少し開けた空間に、ひときわ大きな切株があって、彼はきまってそこに座って紅葉を眺めていた。眺めて、眺めて、暫くすると立ち上がって、少し歩いて、立ち止まって、歌を詠んだ。お世辞にも上手いとは思わない歌だ。詠み終えたら、また少し歩いて、座って、紅葉を眺めた。日が傾くまで眺めた後に、満足げに立ち上がって、悠々と歩いて去っていった。私の知る彼はそれだけで、私はその一部始終を、毎秋の決まった日にここで見ていた。話したことは無いし、そも姿を見せたことはない。ただ、見ていた。
 その日も、またその次の秋の日も、彼はこの場所に来て、紅葉を眺め、へたくそな歌を詠み、悠々と去った。十年、二十年、三十年、四十年、五十年、彼はこの場所に来た。歩くのは遅くなった。座るのも遅くなった。腰は曲がっていた。杖をつくようになった。しわが増えていた。声がしゃがれていた。歌は少しだけ上手くなった。よく躓くようになった。歳をとっていた。姿が変わる彼は、変わらずこの場所に来た。私はただ見ていた。姿は見せなかった。声も掛けなかった。少しだけ、心地いいと思った。

 それがずっと続くと思っていた。

 彼を初めて見た秋の日から、六十回目の秋が来た。その日も私は、山中の少し開けた、切株のある空間に足を運んだ。人間には見えない場所で、彼を待った。今日はどんな服を着ているのかしら、いつもの杖をついているのかな、どんな歌を詠むのだろう。そんなことを考えながら待っていた。いつからか、彼を見るこの日を楽しみにしている自分がいたのだ。
 しばらくして、ようやく彼はやってきた。杖をつき、短くなった白髪を揺らして、緩やかな歩みで。私のことは見えていない。老人の歩みはとうとう切株のある場所まで届き、老人はいつもと変わらぬ動きで腰を下ろした。杖を体の前に立て、空を覆い尽くすほどの紅葉を眺めている。まるで一枚一枚の色を目に焼き付けんとするかのように、ゆっくりと、ゆっくりと、この時間を永遠にせんと思うかのように。そうして、見えるすべての葉を見て、見えない葉も見渡して、満足したように彼は微笑み、地面に崩れ落ちた。

 雨が降っている。
 もう動かない老人がいる。
 老人の傍に立つ私がいる。
 涙だけが止めどなく零れ、私の声はどこにも届かず掻き消える。
 紅の雨が、空を覆い尽くさんと降り続ける。


 ――今年も葉を染める季節が来た。いつもと同じこの場所で、私は手をあわせる。ちくり、と胸が痛む。どれほど時が経ち、木々の盛衰に触れるようになり、神と信仰されるようになっても、あの時と変わらない痛み。神様に心があるのなら、この痛みに説明がつくのだろうか。考えても仕方のないことだけれど。
「やっぱりここだった。お姉ちゃん、今日も来たの」
 背後から聞こえる快活な声に振り返る。私のことを姉と慕う豊穣の神様、秋穣子の声。私なんかとは役割も人気も全然違う、可愛らしくて健気な神様。今は里に行っているものだと思っていたが、どうやら私のことを探していたらしい。神様のくせに、人間みたいな一面を持つ穣子。今も急いでいたのか少し息が上がっていて、私を見つけたその小麦色の瞳はきらきらと輝いていて、それを見ると先ほどまでの痛みが優しく緩和されていくような気がして、私もつい頬を緩ませてしまう。
「ここは、忘れちゃいけない思い出だから」
「初恋の人との?」
「やだ、もう」
 くすくす、私は笑い。にひひ、穣子も笑い。
「ね、一緒に里に行こう、お姉ちゃん」
 穣子が私の手を引いて歩き出す。日の光を浴びる土のように温かく柔らかい手。私も素直に握り返して歩く。一歩踏み出すたび、周囲の木々が紅く色付いていくのを見て、穣子が感嘆の声を上げる。一歩、萌ゆる緑は紅に。一歩、燃ゆる紅は空に移り。やがて山を下り終えた頃には、世界は茜色に包まれていて。
「雨、降らなさそうね」
「うん、何か言った?」
「いいえ、秋の空は絶好調だなって」
「そうだね、今年一番大きな夕日だわ。すごく眩しい」
 二人で歩く。独りじゃない。笑っている。涙は出ない。体の奥が温かい。痛みはない。
「強くなれたかな。私も」
 風が吹く。木の葉が揺れる。
 その音は、歌うように軽やかに、私の心へ響いていた。
人恋し神様って、すごくいじらしいと思いませんか。
僕は全力で思います。
静楓
http://twitter.com/shiz_maple
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.190簡易評価
2.100もんてまん削除
良い雰囲気のお話でした。
良かったです。
3.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
4.90名前が無い程度の能力削除
夏が近いのに晩秋の景色が頭に浮かびます。切なさが漂う本文の最後のの一コマで暖かい気持ちになれました。面白かったです。
5.90ぐい井戸・御簾田削除
秋の情景、静葉の心模様、どちらもとても綺麗に表現されていて、読んでいて心地いいSSでした。