今週の間、ずうっと続いていた雨がようやく上がった。
水分を絞り切った薄暗い雲はうねりながら、少しずつ、流れていく。
私は寺の縁側に座りながら雲山と一緒にその様子を眺めていた。
しばらく経つと、泣き腫らしていた空はだんだんと落ち着いてきたようで、厚い雲の隙間から少しだけ昼の光が差してきた。
あと数時間でも経てば笑顔になることだろう。
そのまま眺めていると、この週末にやっと上がった雨と入れ替わるように小さな虹が現れた。
こじんまりとした可愛らしい虹。
その虹を見て雲山が、ぽつりと言った。
虹には波がある、と。
ぼやけたり、はっきりしたり、大きかったり、小さかったり、綺麗で気まぐれな虹には波がある。波の小さい虹はあのようで、波の大きい虹は大層綺麗だ。一度だけ、本当に綺麗な虹をみたことがある。
珍しく饒舌な雲山はそう言って、懐かしそうに小さな虹を見上げた。
時たま、雲山はそうやって過去を見るときがある。懐かしそうな目で帰らない時を振り返るのだ。
そんな雲山を見た私は何だか、雲山にその綺麗な虹を見せてあげたくなった。
そしてなにより、その虹を雲山と一緒に見たいと思った。
私は立ち上がった。
「よし、雲山! 綺麗な虹! 見に行こう!」
雲山を引っ張って、私は寺を飛び出した!
『まわる! 世界が笑う!』
布教目的でなく、こうして二人で出かけるのはいつぶりだろうか。
少し高い位置から里を見下ろしつつ、未だ雲の支配する、晴れ行く空を飛んで行く。
寺を飛び出した私達は人里に向かったのだ。
雲山曰く人里には上白沢という博識な妖怪がいるらしく、そいつに大きな波の虹を聞こうと思った。
雨上がりの湿った空気に頬を撫でられながら空を飛び、上機嫌に口笛を吹きながら雲山を引っ張っていく。
長らく続いていた雨が上がり、雲の隙間から差す光に照らされた里は雨の残り香がキラキラと光っていて、まるで生まれ変わったかのようだ。
無駄に里へ行くなと聖に……。雲山は諦めたように言った。
「大丈夫よ。聖だって大目に見て、うーん、見てくれるわよ」
私は曖昧に笑った。
普段は優しい姐さんだけれど、なんだか妙なところで厳しいのである。
まぁ、大丈夫だろう。
だって今は僧侶じゃないんだし。今日の私はプライベートウーマンなのだ。
スーツという可笑しな服装に身を包んだマミゾウさんを思い出した私は笑ってしまう。
つい笑みをこぼした私に何を思ったのだろう。雲山はこれ以降なにも言わず、私達は黙々と空を行った。
里の中心付近にやってきた私は周りを見渡した。
中心街は流石に人通りが多く、幾人かは空の私達が気になるのだろう、訝しげにこちらを眺めている。
ここで適当に人漁れば上白沢さんについて、若しくは虹について有力な情報を得られるだろう。
「こら! 妖怪がここで何をしている!」
聞こえた怒号に思わず肩を竦める。
まるで悪ガキのように注意をされてしまった。
振り返ると、私達と同じ高度と少しの距離を保った妖怪が……人間?
いや、でも妖怪の匂いも……んん?
この人が上白沢慧音、この里の守護者だ。半人半妖だと言っただろう。雲山は呆れたように口を開いた。
「あ、あぁ。そんな事言ってた気もする」
私はおぼろげな記憶を辿りつつ適当に頷いた。
上白沢さんに視線を戻す。
彼女は腰に手を当て眉間にはお皺。少しばかりお怒りのようである。
里の守護者か。気付けば下方の人間たちが消えている。結界でも張ったようだ。
「貴女は命蓮寺の者だな! 何用かは知らんが、里の者が不審に思っている! 降りてもらいたい!」
上白沢さんは大声を張り上げる。
普段から発声でもしているだろうか、すごく聞き取りやすい。ハキハキとしたそれは響子と張る。
未だこちらを睨む上白沢さんに対して、私は雲山と目を見合わせた。
私の意図を悟った雲山は、ちょっと困り顔をした。
……むふふ、今日の私は機嫌がいいのよ!
上白沢さんに向き直る。
「いいわ! でも……貴女が勝ったらね! いざ! 勝負!」
言うと同時、私は色とりどりのレーザーを放った!
私を中心として菊の花のように広がる綺麗なレーザー達!
上白沢さんは溜息を吐いた後、カードを二枚提示した。そして、周りに霊魂状の使い魔を出現させ、赤と青の弾をばら撒いた!
私のレーザーと上白沢さんの弾幕はぶつかり合って、きらきらと自己主張をする。
多くの弾がかち合って光り弾けていく中で、上白沢さんはカードを宣言した。
私も、合わせて宣言をした!
雲山が繰り出すいくつもの拳と上白沢さんが展開する弾幕の盛大な打ち合い。当たっては砕け、当たっては砕け、まるでビー玉を砕いていくように煌めく破片が宙を舞っている。
カードは相打ちだ。
弾幕の破片が輝いている中、上白沢さんはさらにカードを取り出した。
気を引き締める。
「っし! いくよ雲山!」
私は自分に活を入れた後、雲山と共にまぶしい煌めきの中に突っ込んだ!
周りで弾幕がばちばちと競り合う中、雲山をまとって強引に駆け抜ける。雲山に当たる弾たちは綺麗な塵となる。私達は彗星だ。
私達はそのまま驚いて固まっている上白沢さんに近づいて、雲山と息を合わせて、せーのでパンチ!
いくつもの弾幕を弾き飛ばす雲山の大きな鉄拳は上白沢さんを吹っ飛ばす!
ばらばらと花びらを散らすように、弾幕を散らしながら飛んでいく上白沢さんは、里の大通りに激突した。
「やった! 快勝!」
雲山とハイタッチ。
私達は上白沢さんの方へ飛んでいく。
軽い土埃が晴れると、上白沢さんは服に付いた土を払っているところだった。
「さぁ、私達の勝ちよ。大きな虹の出る場所を教えなさい」
そう言うと上白沢さんは、呆れたような安堵したような、妙な表情を浮かべた。
「虹か。貴女の様子から下らない事だろうとは思ったが」
「下らないって何よ、失礼ね」
むっとした私に対して、上白沢さんは少し笑った。
「いやすまない。そうだな、私は存じていない。そういった事ならば、里外の妖精や妖怪が詳しいだろう」
「なるほど……。そっか、ありがとう上白沢さん!」
私は溜息を吐く雲山を引っ張って、里を後にした。
小さな虹が空で曲がっている。
その虹を装飾するように展開された薄い弾幕を掻い潜って、私は雲山の拳を妖精に打ち込んだ。
拳が直撃した妖精は目下の森の中へ落ちていく。
しまった、あれでは妖精達の言う『一回休み』ではないだろうか。
妖精を追って森に下りていくと、思った通り一回休みになってしまったようで、妖精の気配はどこにも感じられなかった。
これで聞きそびれたのは二回目だ。
私達は里を出た後、力の弱い妖精や妖怪達に弾幕ごっこをしかけて、大きな虹の場所を聞き回っていた。
力の弱いモノ達に聞いていたのは、自分の実力と相談した結果である。ぐすん。
「お前、見たわよ! よくも大ちゃんを!」
「あら?」
空から氷精が現れた。
お怒りの様子を見るに、どうやら先程の妖精と知り合いのようである。
中位の妖怪である私に敢えて姿を見せるなんて、この子は気と力が他のよりも強いのかもしれない。ただのおバカの可能性も多大にあるけれど。
丁度いいわ。この子にも聞いてみましょう。
私はスペルカードを提示した!
「なら、仇討ちしてみることね!」
「後悔しないでよ!」
「ぐえっ」
「よわっ」
スペルを一枚も突破できずに撃沈された氷精について湖の畔に下りる。
どうやら弾幕ごっこの最中に少し移動してしまったらしい。森から霧の湖まで来てしまったようだ。
視線を湖に移すと、弾幕ごっこを見学していたらしい妖精たちが慌てて霧の中へ消えていくのが見えた。
ひんやりと肌に吸い付くこの空気はこの湖特有のものか、それともこの氷精のものか。
どちらにしろこの妖精、雲山の拳を受けて一回休みにならなかったところを見ると、他よりも強かったことが窺える。
力は長生きの証。もしかしたら何か知っているかもしれない。
「ね、きみ。大きな虹の出る場所って知らない?」
「んなもん知るか!」
負けたことが悔しかったようだ。顔を赤くした氷精は纏う冷気を引き連れて行ってしまった。
「あ、あー」
ついでに霧も持って行ってくれれば良かったのだけど。霧で満たされている周囲を見渡す。
視界をごっそりと持っていくこの霧はあまり心地のいいものとは言えなかった。
雲素人どもは深い霧の中を幻想的だと騒ぐが、常に雲山と共にある私からすると、霧なんてものは炭酸の抜けたサイダーである。
ねえ雲山、この霧晴らせると思う?
私の質問に対し無い肩を竦めた雲山は言葉を続けた。
これ以上、力の弱い者に尋ねても成果は得られそうにないが。
「うーん、そうなのかも」
腕を組む。
勝てそうな相手だけでなく、そろそろ足を踏み出してみる必要があるかもしれない。
私は湖の中心にそびえる館へ目を向けた。
霧のせいではっきりとは見えないが、湖畔に紅が滲んでいる。
「丁度良さげなとこもあることだしねっ」
私達は吸血鬼の住む紅魔館へ向かった。
雨の影響と言うのは霧の中でもあるようだ。
水に濡れた紅い館は濃い霧にその輪郭を曖昧なものにされながらも、時折雲間から刺す光に対して淡く光を反射する。
ちろちろと霧の中で光りを放つ紅魔館は、普段の重々しい雰囲気とは違って、何だか特別なものに思えた。
高度を少し落とす。
このまま地に足を落とそうかとも考えたが、いちいち門を潜るのも億劫に思え、そのまま門の上を通過しようとした。
「ちょっと待ちなさい!」
「ん?」
真下から声をかけられた。
立ち……飛び止まる。
声が聞こえた眼下を見下ろすと、支那服の女性がこちらを見上げていた。
綺麗な紅髪、なるほどあれが紅魔館門番で有名な紅さんね。
こちらを見つめながら、高度を上げてくる紅さん。私はそれに合わせて真後ろに下がり距離を取った。
紅さんは欠伸をしながら、閉じられたままの門を指差した。
「折角こんなにも立派な門があるのに、無視するのは失礼でしょ?」
「あら、置物かと思ったわ。貴女も合わせてね」
「置物代表さんは仲間をお探しで?」
……カチン。
誰が雲山の付属品だこのやろう!
思わず殴りに掛かろうとしたところを雲山に抑えられる。
余裕の笑みがムカついて仕方なかったが、落ち着けと言う雲山に従って我を留める。
「ふーっ、館の顔である門番さんが! 来客にそんな失礼かましちゃっていいのかしらっ」
「さて、本当にお客様なのかしらね?」
「お客もお客、超お客様よ!」
運命を見ることが出来るという紅魔館の吸血鬼、レミリア・スカーレット。
その使い所もないような能力に暇を持て余しているであろう主とその退屈を有効に活用してやろうというのだ。逆に感謝してもらいたいくらいだ。
それなのにこの門番ときたら! 失礼極まりないよね! 雲山!
……。
雲山は髭を指でなぞりながら沈黙を守った。
「まー? 何となく怪しいし、通りたいならこれで」
そう言った紅さんはスペルカードを三枚提示した。
ふん、ぶっ飛ばしたいと思ってたとこだ。丁度いい。
「いいわ! 障害が欲しいと思ってたとこなのよ!」
金の輪を取り出すと同時、私はスペルカードを解放した。背後の雲山と霊力を繋げ、私の動きと連動した巨大な拳の連打を繰り出すスペルだ。
青弾を一気にばら撒いた紅さんに対し、その弾幕ごと押し潰さんと雲山の拳が迫る。
いきなりのスペルとその迫力に驚いたのだろう。一瞬身を固めた彼女にワンパンKOを確信した私だったが、なんと紅さんはヒラリと紙一重で拳を避けこちらに弾幕を放ってきた。
思わぬ反撃に驚きつつも雲山の拳を突き出すが、彼女は舞うようにそれらをいなしてゆく。
「むむ……っ」
先程までの立ち振る舞いにこの身のこなし、どうやら彼女は武術の心得があるようだ。雲山は感心したように言った。
珍しく唸った雲山に対して面白くない思いを抱いた私だったが、軽やかに拳を避け続ける彼女がその道の達人であるという事は容易に察せられた。
持続の短いスペルはあっと言う間に避けきられてしまう。
私のスペルを完封した紅さんはドヤ顔でカードを掲げた。
解放される彼女の妖力に従って出現した七色の弾幕がうねりながらこちらに向かってくる。
……くっそ、あの余裕の笑み超ムカつく! 今度はこっちが攻略してやる!
私はショットを止め、雲山をできるだけ小さく保った。ノーショットで避けきってやるのだ。
波打つ弾幕の流れを早くも掴んだ私はその海を優雅に漂う。
しばらく経って波に乗り切った私は紅さんに向かって胸を張って見せた。
これからでっかい虹を見に行こうって言うのに、こんな小さな波にやられてたまるかっての!
こちらの挑発が利いたのか、後ろから飛び出そうとした援護の妖精を紅さんは制止させ、立て続けにカードを発動した。
色取り取りに輝く弾幕がこちらに降り注ぎ――同じ高度を保つ彼女から放たれる弾幕に降り注ぐという言葉は厳密にいえば間違っているのだけれども、視界の多くが弾幕で覆われることの多いこの遊びではそういった感覚に見舞われることがよくある――無作為に向かってくる様子はまるで虹の雨だ。
偶然だろうけど、中々粋な計らいね。
さて、体術に一家言あるようだし、その鼻へし折ってやるわ。
密度の濃いとは言えない弾幕に私は雲山を薄く広く拡散させた。紅い霧と薄桃色の雲が混じり合い視界はさらに悪くなる。
だが私は雲山を通して弾幕を感じ取ることができ、相手は悪くなった視界と周囲に広がる雲山の気配によって知覚に著しく弊害が出る。相手が気配に敏感な達人であればあるほど、この振りまかれる雲山の気配は有効に働くのだ。
適当に弾幕を放ち周囲から雲山のレーザーもちまちまと発射させ攪乱する。
それを受け周りに弾幕を乱射し始めた彼女だが、密度の薄いものを振りまいて更に濃度のなくなった弾幕なんて当たりはしない。
カードがタイムアップになった瞬間、私はするりと紅さんの背後に忍び寄り、延髄に回し蹴りをお見舞い――
「……ッ」
直前で察知した彼女はしゃがみ込むようにして私の蹴りを空振りに終わらせた。
が、予想済み。
彼女はしゃがんだ態勢から私の顎を狙った蹴り上げを放ったが、私はそれを両手で綺麗に受け止めた。
そしてその無防備な背中に雲山の拳を力いっぱい叩き込む!
鈍い音ともにぶち飛ばされた紅さんは紅魔館の花壇へに突っ込んだ。結構にハデな音が鳴り響く。妖精メイド達が慌てて紅さんの元へ飛び寄っていった。
あーあ、煉瓦組みなのに、痛そう。
他人事のような感想を抱きつつ、最後のカード宣言を待つ私だったが、しばらくたってもその様子はない。
気絶しちゃった?
首を傾げる。
すると無茶苦茶になった煉瓦とお花に倒れこむ紅さんが手を挙げた。
「あー、負け。私の負けでいいわ」
「……あら、また潔いこと」
少しだけ罠を疑ったが、そんなことをする手合いではないだろう。広げていた雲山を元に戻し、紅魔館の敷地内に降り立つ。
妖精メイドが壁になるように立ち塞がったが、大丈夫、紅さんがそう声をかけた事で壁は道を開いた。
土と花に装飾された彼女は、上体を起こしてこちらを見ている。真っ直ぐに伸びた視線は武人のそれだ。
歩み寄った私は手を貸そうとしたが、手を引っ込めた。
やっぱり雲山にお願いする。
頼むまでもなく、雲山は紅さんへ手を差し出してくれた。
雲山に助け起こされた紅さんは頭を掻いた。
「いやぁ、二度も背後を取られたとあっては武人の名折れ。お見事だったわ」
「でしょう。さ、通してもらうわよ」
「もちろん」
花壇の香りを身に着けた紅さんは握手を求めてきたが、私はそれをスルーして玄関へと進む。
ちらと振り返ると、後ろでは雲山が代わりに握手に応じていた。
もう、そんなのいらないのに。
綺麗に磨かれていたのであろう数段の階段を踏みしめる。土が飛び散っているのが残念だ。
格子状の紋様が描かれた真っ赤でおっきな扉で立ち止まる。
物々しい雰囲気だが、紅魔館へようこそ!と汚い字と稚拙な館の絵が描かれた張り紙が見事に台無しにしている。
『妖精メイド一同』と紙の右下に記されているが、紅魔館の主はこれを良しとしたんだろうか……。
扉を眺めていると、私に追いついた雲山が代わりに扉に手をかけてくれる。優しい。
そして雲山がドアノブを捻った瞬間、
「こちらです」
「みッ!?」
真後ろから声をかけられた。
驚きのあまり妙な声と裏拳を放ってしまったが、ご愛敬。どちらも空振りに終わった。
私の拳を綺麗にスウェーバックで躱したメイドさんは、上体を反らしたまま言葉を続けた。
「お嬢様は上でお待ちです」
「あ、えっと、はい」
この人は知っている。十六夜さんだ。
十六夜さんの急襲?に対し咄嗟に私の身を固めていた雲山は髭をなぞり口を開いた。
綺麗な姿勢だな。
……。
私は背筋を伸ばした。
どう、私の方が良い姿勢でしょ?
少し間をおいて頷いた雲山に私もにっこりと頷いた。
十六夜さんに向き直る。
「上?」
「はい」
「外に?」
「ええ」
「その態勢辛くない?」
「つらいです」
姿勢を戻すように促すと、十六夜さんはスっと上体を起こした。その際小さく息を吐いたのを私は見逃さなかった。辛いのになぜ続けた。
十六夜さんはズレたカチューシャを整え口を開いた。
「館の上空へどうぞ。これ以上荒らされては後が困るのです」
十六夜さんが無残な姿になってしまった花壇へと目を向ける。
紅さんが頭を掻いているのが視界の端に移った。この十六夜さんが怖いのか、門番の妖精メイド達は皆紅さんの後ろに隠れている。勿論はみ出てる。
館が損傷していないな、あの花壇のみだ。雲山は呟いた。
理由は明快、館全体に結界が添付されているからだ。弾幕ごっこが行われる場所でよく展開してある類の結界だ。霊力妖力には滅法強いが物理的な衝撃は全くカバーしてくれない。私の寺にも同じものが敷いてある。
宙に浮くメイドさんについて行く。
「安心してくれていいわよ。無駄に中は荒らさないわ」
「自発的にはそうでしょうね」
「……」
むかー。私達がぶっ飛ばされる前提かよ。
逆に吹っ飛ばしてやるからな。
館の上空へ案内されると、そこではピンクのドレスに身を纏った吸血鬼が羽ばたいていた。
紅い霧に紛れたその様相は幼いながらも妖艶さと力強さを醸している。強力な妖怪である吸血鬼は昼間弱体化するはずなのだが、それを微塵も感じさせない風貌である。
名前だけ知っていたけど、いつぞやの異変で見たことがあるわね。
たしか弾幕ごっこに幻想郷全体が異様に興じていた時だったか。
スカーレットさんはメイドと一緒に弾幕ごっこの観戦に来ていたのだが、その時対戦中だった物部の流れ皿が日傘を吹き飛ばし「あっつ!あっ、やb、あっつ!」と泡食って暴れていたのが記憶に新しい。
私の思い起こした愉快な顔と違って、薄く余裕のある笑みを浮かべるスカーレットさん。
「お前か。門番のメイドが慌ててやってきたぞ。道場破りが来たとな」
「残念ね、違うわ」
「違うか、残念だ」
スカーレットさんがひらひらと手を振ると、十六夜さんは一礼し館の方へ戻っていった。
「悪いな。久しぶりの挑戦者にこうやって、めかし込んで館にて出迎えようと思ったんだが」
下方へと目をやるスカーレットさん。
その先は庭か? 生憎霧でよく見えない。
スカーレットさんは肩を竦め言葉を続けた。
「花壇を潰されてご立腹だよウチのメイド長は。紫陽花が綺麗に咲いたと、はしゃいでいたんだ。友人の水晶玉で観戦してたんだが、美鈴がやれてすぐに、ここに追い出された」
「それはご愁傷さま。役に立たない門番を恨むことね」
「だが、良い蹴りだったろう?」
「……ふん」
意地の悪い妖怪だ。
紅さんの強烈な蹴りを受け止めたことで私の両手は未だに痺れが取れないのだ。握手を断ったのも雲山が扉に手をかけてくれたのもそれが原因だ。
「勝ったのは私。次も私よ」
「威勢がいいね。では私も見習おう」
三枚のカードを提示した私に対して、スカーレットさんもカードを取り出した。
一枚だけ。
「それは威勢が良いって言わないわ。舐めてるっていうの」
「試してるんだ。さぁ、12秒間の悪夢に踊るがいい」
言うな否や、スカーレットさんに膨大な妖力が集中する。
いきなりカードを……。しかもこの妖力、デカいのが来るわね。
だけど一枚のみだ。あれを突破すればこの勝負は勝ち。昼間とはいえ吸血鬼に勝利を収めたとなれば私の格も鰻上りだ。
スカーレットさんの弾幕に備えたところで、彼女を中心として周囲に振りまくようにナイフ弾が放たれた。
よく見ればわかるが、十六夜さんの実物のナイフと違って妖力によって構成された弾幕だ。
パラパラと散らされていく弾幕は徐々に勢いを増していく。
なるほど気合避けを強いるタイプか。私はいつでもカードを宣言できるように備えた。
展開される弾幕は少しずつ、だが確実に難易度が上がっていく。
「ぐ、ぐむむ」
時間と共に密度を濃くするナイフ群にだんだんと追い込まれる。
激しい!
単純しかし故に難度の高い弾幕だ。
私は耐え切れずカードを宣言し――。
瞬間、スカーレットさんの凝縮した妖力が更に強まった。重苦しい音が辺り一面に響く。
そして見たこともないような弾幕の波が私に迫ってきた。
迫りくるナイフナイフナイフナイフ。目の前に広がるのは、ただナイフ。凝ったものではない。相手を物量で押し潰す弾幕だ。
なんだこれは! さっきまでなんて比じゃない!
私のスペルによって繰り出す雲山の拳が、あまりの数に押し返される。
だ、だめだ、維持できない。二枚目を……。
すぐに次のカードを発動するも、やはり押されてしまう。このままでは二枚目もすぐに崩れることだろう。
でも、大丈夫だ。
彼女は12秒間と、確かにそう言った。私の持つカードはあと一枚だ。十分に凌げる。
絶望的な量の弾幕に最早避けるという思考はない。ただひたすらボムって時間を稼ぐのみだ。
三枚目も惜しみなく使い、スカーレットさんが放った最後のナイフを弾き飛ばす。
ついでに彼女に向けていくつか拳を突き出すが、悠々と避けられた。
だがこれでカードを突破したぞ!
やったぞと、私が息を吐いた瞬間、彼女はまたナイフ弾を振り撒き始めた。
その光景は先程見たばかり。
「嘘でしょ」
なんのことはない。彼女はもう一度あれを繰り返そうとしている。
つまりあのナイフの津波を避けきれと、そう言っているのだ。
そんなの無理に決まっている!
私が体験したどの弾幕よりも理不尽で高難易度、異次元なスペル……。
舐めているなんてことなかった。彼女は本当に私を試していたんだ!
どうする一輪。雲山は言った。
わかってる。降参するかどうかを聞いてるんだ。このままではナイフの雨でハチの巣だ。
昼だからと侮っていたが、吸血鬼にはやはり――
「そうだっ」
一案を思いついた私は、まだ勢いのない弾幕を避けつつ彼女の上空を位置取った。
やるぞ。私は両手を上にかざした。そして霊力を手に込める。
そんな私をスカーレットさんは余裕の笑みで見上げた。
「何をしようと……ぎゃあ!」
彼女の左目に日光が差した。
そう、今は昼間。彼女の霧に穴を開けてやったのだ。
普段から雲山と共にし雲を操る私にとって、霧に干渉するなんて造作もない。
いや、造作もなかった、というのが正しいか。ぶっつけ本番だ。
晴れ間が差しているとはいえ、未だ曇り空の中では賭けに近い方法であったが、丁度よく日が差してくれたようだ。
差し込んだ日光から逃れたスカーレットさんは左目を抑えつつこちらを見上げた。
「お前私の霧を――」
見上げた顔に雲山の拳を力いっぱい叩き込んだ。
吹き飛ばれたスカーレットさんは紅魔館の時計台に激突した。
「か、勝ったよ雲山!」
雲山は大きく頷いてくれた。
高揚感をそのままに私はスカーレットさんの元へ向かった。
彼女が激突したせいで時計台の裏は大きく崩れ、盤面の内側が外からでも見て取れた。盤面を傷つけなくて良かった。あれは高そうだ。
もうもうと埃が舞う中、瓦礫を押しのけスカーレットさんが姿を現した。
日光の影響だろう。顔の左半分からは煙が立ち上っている。
「見事だ」
開口一番彼女はそう言った。
「あの、大丈夫ですか」
「問題ないよ」
「でも涙目ですよ」
「え、マジ?」
汚れた袖で目を拭うスカーレットさん。顔をあげると、涙の代わりに汚れが顔を装飾していた。
そして未だに顔の左半分からは蒸気が溢れている。
吸血鬼に日光。思ったよりも重傷を負わせてしまったのかもしれない。
謝罪を口にしようとすると、それを遮るようにスカーレットさんが口を開いた。
「さあ、要件を言いなさい」
笑みを作り上げる彼女だが、口元がひくひくと指先がぷるぷると震えていることから、相当我慢している事が窺える。
私は簡潔に、虹、それも大きな波の虹を探しているのだと伝えた。
知識を聞いているのではない。彼女の運命を見られるというその力で私を占ってくれと。
私の要望を聞いたスカーレットさんは一度目を閉じ、開いた。
そして私の方を力強く見つめ言った。
「思った方に向かいなさい、今から。そうすれば望むものがあるでしょう」
言い様はまるで本職の占い師だ。だが彼女が言うのならそうなのだろう。
そう思わせるだけの自信が、自負が彼女の言葉にはあった。
私はすぐに頷いた。
「ありがとうスカーレットさん! それと、その目の事だけど」
「いらないよ。さて、私はこれからメイド長の小言を聞きに行かなければならないのでね」
ああこわいこわい、そう言いながら彼女は崩れた時計塔の階段を下って行った。
最後に、パチンと彼女が指を鳴らすのが聞こえた。
それと同時、紅魔館を覆っていた霧が晴れていくのが分かった。
なんだ? 彼女が解除したのか?
引いていく紅、開けていく視界。館の存在と周囲の景色が露わとなっていく。
広がる世界の中で、一際目を引くものが一つ私の視界に映った。
小さな虹が遠くの丘に上がっていた。
今日の冒険の切っ掛けとなった虹。たびたび現れた小さな虹。
よし。
私は雲山の手を引っ張った。
「行こう雲山! きっとあそこだよ!」
私は直観に従って、虹の上がる丘の元へと飛び立った!
近づくにつれて、小さな虹は見えなくなった。道案内は終えたとばかりに消えていった。
私は小さな虹が印した丘にたどり着いた。
夕暮れの一歩前、消えた虹の代わりにさらさらと軽い霧雨が降り注いでいた。
ふわりと肌を撫でる風が湿った緑の匂いと共に通り過ぎる。丘の草々が波を起こし、さらさらとした音を奏でながら遠くの山と森まで波紋を広げていく。
「ここで待とう」
懐かしい空気だ。雲山は遠くを見た。
何を馳せているのかはわからない。けれど、ここで待てばいいというのは、何となくわかった。
空から地を見下ろし、私を置いて去っていく風と時と雨を肌で感じる。
けれど静かな演奏会は、乱入者によって崩された。
「あんたたちね」
「……げ」
かけられた声に振り向くと、そこにいたのは博麗の巫女だった。
陰陽玉を侍らせ、御幣を持つその紅白姿は異変解決に赴く時のそれだ。
一番厄介なのが来てしまった……。
霊夢さんはこちらを指さした。
「あんたら方々にケンカ売ってるんだってね。里に森の妖怪に湖、更には紅魔館。弱小妖怪どもが泣きついてきたわよ」
何が目的だ、そう言わんばかりの厳しい視線を向けられた。
妖怪に泣きつかれたのか。そんなのだから妖怪神社だと人間が寄り付かないんだ。
とりあえず逆上させてしまいそうな言葉は飲み込んだ。
今日やってきたことを鑑みれば、巫女が動き出しても文句は言えない。しかしこんないい時に来るなんて……。
草の根どもめ。
悲しいかな。強者ではなく、言いつけた弱者へ怒りをぶつけてしまうのは、同じく非強者である妖怪の性である。
、だが今の私は少なくとも弱者ではない。私は毅然と口を開いた。
「貴女には関係ないわ! 私はここで待つ!」
「そう」
構うな、これ以上何もしない、そういう意味での言葉だったが、上手く伝わらなかったようだ。
霊夢さんは御幣を構えた。
うわあ、あれ痛いんだよなぁ。
一輪……。雲山は諭すように言った。
大丈夫、私は吸血鬼に勝ったのよ。それに時間まで暇でしょう?
そう言うと雲山は諦めたように沈黙を返してくれた。
雲山と会話する私に痺れを切らしたのだろう、霊夢さんは本格的に臨戦態勢を取った。
「何を待つのか知らないけど! 不穏な奴は懲らしめるわよ!」
「上等! 貴女は前菜よ!」
私は四枚のカードを提示して、レーザーを放った。
菊模様に広がる弾幕だが、霊夢さんには当たりはしない。こんなものは小手調べだ。
一枚目のスペルを発動する。
私の背後に出現したいくつもの大きな拳が霊夢さんに向かって飛んでいく。
難なく躱されるも、拳が通り過ぎた軌跡も弾幕となり彼女を追い詰める。
……はずなのだが、彼女はまるで道筋が見えているかのようにすらすらと弾の間を縫って私に退魔針を放ってくる。
い、痛い痛い痛い!
刺さりはしないが、触れるだけで妖怪の痛覚を刺激する針の雨は相当につらいのだ。
スペルを維持できずに突破されてしまう。
ここぞとばかりに距離詰めようとしてきた霊夢さんに慌てて弾幕を放った。先程のレーザーに加えそれと交差するように連なった弾を撃ち込む。
少し距離を取った彼女にすかさず二枚目のカードを宣言した。
正面がだめなら横からだ。
霊夢さんの真横に出現させたいくつもの雲山の拳を叩きこむ。同時に通常弾をばらばらと彼女に向かって放った。
出し惜しみは無し。彼女の事だ。何か一発でも豪快にお見舞いできればやる気を無くしてくれるだろう。
周囲に雲山を拡散させ霊夢さんの視覚を奪う。
悪い視界と雲山の拳、それと散らばるバラ弾で相手の判断力と身体をもみくちゃにするこのスペルカードだが、やはりというか通用しない。
しかし左右からの揺さぶりでしっかりと私に照準を合わせられなくなったようだ。彼女は放つ弾幕を針から霊札に切り替えた。
誘導式で私に向かってくるお札は、針ほどの威力はない。
今だ。
私は雲山を纏い、正面から突っ込んだ!
急な正面突破は確かに彼女の虚を突けたようで、霊夢さんが驚きの表情を浮かべた。
が、それまで。
私の飛び蹴りは陰陽玉で綺麗に防がれ、代わりに私は御幣による強烈な突きを腹に叩き込まれた。
「ぎゅぶ……!」
痛烈な一撃にスペルを崩壊させられた私は、棒状に連なる弾を網の目のように交差させた弾幕を放ち後退する。
なんて突きだ。雲山の体を貫通するなんて。お腹を押さえる。痛い。それもかなり。
私は苦い顔のまま、三枚目を発動した。
上空に雲山の顔が二つ浮かび上がり、その双眸からいくつものレーザーが放たれる。
そして霊夢さんを押し潰すように雲山の拳が両脇から彼女を襲う。
四方をレーザーに固められ、迫る拳になすすべを無くした彼女は遂にカードを発動した。
迫りくるのは、霊札の奔流。
まるで瀑布のような札の流れは正確に私を捉え飲み込んだ。
咄嗟に雲山が私の身を守ってくれたが、この呼吸もままならない激流の中でスペルを維持することは当然叶わない。
三枚目もあっさりと破壊されてしまった。
吹き飛ばされた私は態勢を整え、周囲に飛散した雲山の全てを私の元に纏める。
そして最後のカードを発動した。
『華麗なる親父時代』
収束させた入道を、巨大な雲山の顔と双拳、この三つに顕現させ圧倒的な力で相手を押し潰すスペルだ。
相手が放つ弾幕をいとも簡単に消し去る拳と彼の目から放たれるレーザーが霊夢さんに迫る。
しかし力に重きを置き密度を捨て去ったこのスペルは彼女にとっては容易なものだったようだ。
両拳とレーザーを掻い潜る霊夢さんは私の懐に飛び込んだ。
そして彼女は至近距離で陰陽玉を膨張させる。
至近距離の無防備な状態。一見王手だ。
だがこれこそ、私の狙い。
彼女ならば雲山を突破できるだろうと、そう信じていた。
トドメの瞬間が一番隙ができるんだよ!
私は溜め込んでいた霊力を開放し、渾身の力で陰陽玉を蹴り返した!
「――ッ」
発射される寸前で弾き返された陰陽玉を霊夢さんは躱してしまう。
これも躱せるのか!
しかし、完全には躱しきれず左手に直撃したようだ。遠くに飛んでいく御幣がちらと映った。
大きくバランスを崩した霊夢さん目がけて、私は慌てて雲山の拳を振り下ろした。
刹那、霊夢さんと目が合った。
達人同士が剣を、瞳を交わす際、お互いの心を通じさせるというのは、よく聞く話だ。
だが、彼女の心情を悟ることはできなかった。
一つわかったのは、私の敗北。
次の瞬間、彼女を中心として展開された結界によって、私と雲山は大きく弾き飛ばされた。
目の前に広がった結界の光で暗転した視界と意識が回復するより前に、私は地面に叩きつけられた。
草むらを抉りながら転がり、止まる。
……くそ。負けた。
雲山が私の元に戻ってきて、労わるように私の周りを漂った。
私は大の字になって、丘の斜面で空を見上げた。
体は湿った土と草で泥まみれだ。これでは洗濯係の船長に怒られてしまう。
汚れた私の服とは対照的に、ぱらぱらと霧を振りまいた雲は途切れ途切れで、今にも晴れようとしていた。
「おしかったわね」
霊夢さんが私の横に降り立った。息の一つも乱していないというは流石の一言に尽きる。
しかしよく見ると、彼女の左の袖がない。どうやら吹き飛ばしたのは御幣だけではなかったようだ。
霊夢さんの視線に晒されながら、そんなどうでもいいことを思った。
一輪。雲山は言った。
わかってる。霊夢さんは私の目的を聞こうとしているんだ。
私は霊夢さんに今日の事を説明しようとした。
なんのことはない。虹を探そうとしていただけなんだ、と。
すると、雲山が遮った。
違う、前だ。
え?
私は視線を前に向けた。
まるで、時を止められたかのような錯覚に陥った。
目の前に広がるのは、大きな、とても大きな虹だった。
空と幻想郷を繋げる渡り橋のように、そしてそれら全てを覆い包むように、空にかけられた七色が描かれていた。
目が乾いてしまわないだろうか。私は瞬きが出来なかった。
「は、はは、霊夢さん、私はあれが見たかったんだ」
私の視線に合わせ、霊夢さんは前を向いた。
何を思ったのかは知らない。少しの間、その光景を見つめた彼女は飛び去って行った。
霊夢さんが去ってからも、私と雲山はその色に暫し酔いしれていた。
綺麗な虹。
破壊と創造の象徴、その龍の姿だと言われる虹は、生命の息吹を祝福するかのように世界へ光を恵んでいた。
あの光景を思い出すような、すばらしい虹だ。雲山は言った。
この期に及んで昔を振り返る雲山に私は唇を尖らせた。
「雲山、今は昔じゃなくて、私と見てるんだよ」
私の言葉に雲山はちょっと苦笑いした。
私と雲山は再び、空に目を向けた。
私の目には、大きな大きな虹が映っている。
青と雲を繋げるように、虹がかかってるんだ。
空の青の雲の中、虹となった龍は空に描いている。
そして、飛び去っていく。
どこまでも、どこまでも――。
水分を絞り切った薄暗い雲はうねりながら、少しずつ、流れていく。
私は寺の縁側に座りながら雲山と一緒にその様子を眺めていた。
しばらく経つと、泣き腫らしていた空はだんだんと落ち着いてきたようで、厚い雲の隙間から少しだけ昼の光が差してきた。
あと数時間でも経てば笑顔になることだろう。
そのまま眺めていると、この週末にやっと上がった雨と入れ替わるように小さな虹が現れた。
こじんまりとした可愛らしい虹。
その虹を見て雲山が、ぽつりと言った。
虹には波がある、と。
ぼやけたり、はっきりしたり、大きかったり、小さかったり、綺麗で気まぐれな虹には波がある。波の小さい虹はあのようで、波の大きい虹は大層綺麗だ。一度だけ、本当に綺麗な虹をみたことがある。
珍しく饒舌な雲山はそう言って、懐かしそうに小さな虹を見上げた。
時たま、雲山はそうやって過去を見るときがある。懐かしそうな目で帰らない時を振り返るのだ。
そんな雲山を見た私は何だか、雲山にその綺麗な虹を見せてあげたくなった。
そしてなにより、その虹を雲山と一緒に見たいと思った。
私は立ち上がった。
「よし、雲山! 綺麗な虹! 見に行こう!」
雲山を引っ張って、私は寺を飛び出した!
『まわる! 世界が笑う!』
布教目的でなく、こうして二人で出かけるのはいつぶりだろうか。
少し高い位置から里を見下ろしつつ、未だ雲の支配する、晴れ行く空を飛んで行く。
寺を飛び出した私達は人里に向かったのだ。
雲山曰く人里には上白沢という博識な妖怪がいるらしく、そいつに大きな波の虹を聞こうと思った。
雨上がりの湿った空気に頬を撫でられながら空を飛び、上機嫌に口笛を吹きながら雲山を引っ張っていく。
長らく続いていた雨が上がり、雲の隙間から差す光に照らされた里は雨の残り香がキラキラと光っていて、まるで生まれ変わったかのようだ。
無駄に里へ行くなと聖に……。雲山は諦めたように言った。
「大丈夫よ。聖だって大目に見て、うーん、見てくれるわよ」
私は曖昧に笑った。
普段は優しい姐さんだけれど、なんだか妙なところで厳しいのである。
まぁ、大丈夫だろう。
だって今は僧侶じゃないんだし。今日の私はプライベートウーマンなのだ。
スーツという可笑しな服装に身を包んだマミゾウさんを思い出した私は笑ってしまう。
つい笑みをこぼした私に何を思ったのだろう。雲山はこれ以降なにも言わず、私達は黙々と空を行った。
里の中心付近にやってきた私は周りを見渡した。
中心街は流石に人通りが多く、幾人かは空の私達が気になるのだろう、訝しげにこちらを眺めている。
ここで適当に人漁れば上白沢さんについて、若しくは虹について有力な情報を得られるだろう。
「こら! 妖怪がここで何をしている!」
聞こえた怒号に思わず肩を竦める。
まるで悪ガキのように注意をされてしまった。
振り返ると、私達と同じ高度と少しの距離を保った妖怪が……人間?
いや、でも妖怪の匂いも……んん?
この人が上白沢慧音、この里の守護者だ。半人半妖だと言っただろう。雲山は呆れたように口を開いた。
「あ、あぁ。そんな事言ってた気もする」
私はおぼろげな記憶を辿りつつ適当に頷いた。
上白沢さんに視線を戻す。
彼女は腰に手を当て眉間にはお皺。少しばかりお怒りのようである。
里の守護者か。気付けば下方の人間たちが消えている。結界でも張ったようだ。
「貴女は命蓮寺の者だな! 何用かは知らんが、里の者が不審に思っている! 降りてもらいたい!」
上白沢さんは大声を張り上げる。
普段から発声でもしているだろうか、すごく聞き取りやすい。ハキハキとしたそれは響子と張る。
未だこちらを睨む上白沢さんに対して、私は雲山と目を見合わせた。
私の意図を悟った雲山は、ちょっと困り顔をした。
……むふふ、今日の私は機嫌がいいのよ!
上白沢さんに向き直る。
「いいわ! でも……貴女が勝ったらね! いざ! 勝負!」
言うと同時、私は色とりどりのレーザーを放った!
私を中心として菊の花のように広がる綺麗なレーザー達!
上白沢さんは溜息を吐いた後、カードを二枚提示した。そして、周りに霊魂状の使い魔を出現させ、赤と青の弾をばら撒いた!
私のレーザーと上白沢さんの弾幕はぶつかり合って、きらきらと自己主張をする。
多くの弾がかち合って光り弾けていく中で、上白沢さんはカードを宣言した。
私も、合わせて宣言をした!
雲山が繰り出すいくつもの拳と上白沢さんが展開する弾幕の盛大な打ち合い。当たっては砕け、当たっては砕け、まるでビー玉を砕いていくように煌めく破片が宙を舞っている。
カードは相打ちだ。
弾幕の破片が輝いている中、上白沢さんはさらにカードを取り出した。
気を引き締める。
「っし! いくよ雲山!」
私は自分に活を入れた後、雲山と共にまぶしい煌めきの中に突っ込んだ!
周りで弾幕がばちばちと競り合う中、雲山をまとって強引に駆け抜ける。雲山に当たる弾たちは綺麗な塵となる。私達は彗星だ。
私達はそのまま驚いて固まっている上白沢さんに近づいて、雲山と息を合わせて、せーのでパンチ!
いくつもの弾幕を弾き飛ばす雲山の大きな鉄拳は上白沢さんを吹っ飛ばす!
ばらばらと花びらを散らすように、弾幕を散らしながら飛んでいく上白沢さんは、里の大通りに激突した。
「やった! 快勝!」
雲山とハイタッチ。
私達は上白沢さんの方へ飛んでいく。
軽い土埃が晴れると、上白沢さんは服に付いた土を払っているところだった。
「さぁ、私達の勝ちよ。大きな虹の出る場所を教えなさい」
そう言うと上白沢さんは、呆れたような安堵したような、妙な表情を浮かべた。
「虹か。貴女の様子から下らない事だろうとは思ったが」
「下らないって何よ、失礼ね」
むっとした私に対して、上白沢さんは少し笑った。
「いやすまない。そうだな、私は存じていない。そういった事ならば、里外の妖精や妖怪が詳しいだろう」
「なるほど……。そっか、ありがとう上白沢さん!」
私は溜息を吐く雲山を引っ張って、里を後にした。
小さな虹が空で曲がっている。
その虹を装飾するように展開された薄い弾幕を掻い潜って、私は雲山の拳を妖精に打ち込んだ。
拳が直撃した妖精は目下の森の中へ落ちていく。
しまった、あれでは妖精達の言う『一回休み』ではないだろうか。
妖精を追って森に下りていくと、思った通り一回休みになってしまったようで、妖精の気配はどこにも感じられなかった。
これで聞きそびれたのは二回目だ。
私達は里を出た後、力の弱い妖精や妖怪達に弾幕ごっこをしかけて、大きな虹の場所を聞き回っていた。
力の弱いモノ達に聞いていたのは、自分の実力と相談した結果である。ぐすん。
「お前、見たわよ! よくも大ちゃんを!」
「あら?」
空から氷精が現れた。
お怒りの様子を見るに、どうやら先程の妖精と知り合いのようである。
中位の妖怪である私に敢えて姿を見せるなんて、この子は気と力が他のよりも強いのかもしれない。ただのおバカの可能性も多大にあるけれど。
丁度いいわ。この子にも聞いてみましょう。
私はスペルカードを提示した!
「なら、仇討ちしてみることね!」
「後悔しないでよ!」
「ぐえっ」
「よわっ」
スペルを一枚も突破できずに撃沈された氷精について湖の畔に下りる。
どうやら弾幕ごっこの最中に少し移動してしまったらしい。森から霧の湖まで来てしまったようだ。
視線を湖に移すと、弾幕ごっこを見学していたらしい妖精たちが慌てて霧の中へ消えていくのが見えた。
ひんやりと肌に吸い付くこの空気はこの湖特有のものか、それともこの氷精のものか。
どちらにしろこの妖精、雲山の拳を受けて一回休みにならなかったところを見ると、他よりも強かったことが窺える。
力は長生きの証。もしかしたら何か知っているかもしれない。
「ね、きみ。大きな虹の出る場所って知らない?」
「んなもん知るか!」
負けたことが悔しかったようだ。顔を赤くした氷精は纏う冷気を引き連れて行ってしまった。
「あ、あー」
ついでに霧も持って行ってくれれば良かったのだけど。霧で満たされている周囲を見渡す。
視界をごっそりと持っていくこの霧はあまり心地のいいものとは言えなかった。
雲素人どもは深い霧の中を幻想的だと騒ぐが、常に雲山と共にある私からすると、霧なんてものは炭酸の抜けたサイダーである。
ねえ雲山、この霧晴らせると思う?
私の質問に対し無い肩を竦めた雲山は言葉を続けた。
これ以上、力の弱い者に尋ねても成果は得られそうにないが。
「うーん、そうなのかも」
腕を組む。
勝てそうな相手だけでなく、そろそろ足を踏み出してみる必要があるかもしれない。
私は湖の中心にそびえる館へ目を向けた。
霧のせいではっきりとは見えないが、湖畔に紅が滲んでいる。
「丁度良さげなとこもあることだしねっ」
私達は吸血鬼の住む紅魔館へ向かった。
雨の影響と言うのは霧の中でもあるようだ。
水に濡れた紅い館は濃い霧にその輪郭を曖昧なものにされながらも、時折雲間から刺す光に対して淡く光を反射する。
ちろちろと霧の中で光りを放つ紅魔館は、普段の重々しい雰囲気とは違って、何だか特別なものに思えた。
高度を少し落とす。
このまま地に足を落とそうかとも考えたが、いちいち門を潜るのも億劫に思え、そのまま門の上を通過しようとした。
「ちょっと待ちなさい!」
「ん?」
真下から声をかけられた。
立ち……飛び止まる。
声が聞こえた眼下を見下ろすと、支那服の女性がこちらを見上げていた。
綺麗な紅髪、なるほどあれが紅魔館門番で有名な紅さんね。
こちらを見つめながら、高度を上げてくる紅さん。私はそれに合わせて真後ろに下がり距離を取った。
紅さんは欠伸をしながら、閉じられたままの門を指差した。
「折角こんなにも立派な門があるのに、無視するのは失礼でしょ?」
「あら、置物かと思ったわ。貴女も合わせてね」
「置物代表さんは仲間をお探しで?」
……カチン。
誰が雲山の付属品だこのやろう!
思わず殴りに掛かろうとしたところを雲山に抑えられる。
余裕の笑みがムカついて仕方なかったが、落ち着けと言う雲山に従って我を留める。
「ふーっ、館の顔である門番さんが! 来客にそんな失礼かましちゃっていいのかしらっ」
「さて、本当にお客様なのかしらね?」
「お客もお客、超お客様よ!」
運命を見ることが出来るという紅魔館の吸血鬼、レミリア・スカーレット。
その使い所もないような能力に暇を持て余しているであろう主とその退屈を有効に活用してやろうというのだ。逆に感謝してもらいたいくらいだ。
それなのにこの門番ときたら! 失礼極まりないよね! 雲山!
……。
雲山は髭を指でなぞりながら沈黙を守った。
「まー? 何となく怪しいし、通りたいならこれで」
そう言った紅さんはスペルカードを三枚提示した。
ふん、ぶっ飛ばしたいと思ってたとこだ。丁度いい。
「いいわ! 障害が欲しいと思ってたとこなのよ!」
金の輪を取り出すと同時、私はスペルカードを解放した。背後の雲山と霊力を繋げ、私の動きと連動した巨大な拳の連打を繰り出すスペルだ。
青弾を一気にばら撒いた紅さんに対し、その弾幕ごと押し潰さんと雲山の拳が迫る。
いきなりのスペルとその迫力に驚いたのだろう。一瞬身を固めた彼女にワンパンKOを確信した私だったが、なんと紅さんはヒラリと紙一重で拳を避けこちらに弾幕を放ってきた。
思わぬ反撃に驚きつつも雲山の拳を突き出すが、彼女は舞うようにそれらをいなしてゆく。
「むむ……っ」
先程までの立ち振る舞いにこの身のこなし、どうやら彼女は武術の心得があるようだ。雲山は感心したように言った。
珍しく唸った雲山に対して面白くない思いを抱いた私だったが、軽やかに拳を避け続ける彼女がその道の達人であるという事は容易に察せられた。
持続の短いスペルはあっと言う間に避けきられてしまう。
私のスペルを完封した紅さんはドヤ顔でカードを掲げた。
解放される彼女の妖力に従って出現した七色の弾幕がうねりながらこちらに向かってくる。
……くっそ、あの余裕の笑み超ムカつく! 今度はこっちが攻略してやる!
私はショットを止め、雲山をできるだけ小さく保った。ノーショットで避けきってやるのだ。
波打つ弾幕の流れを早くも掴んだ私はその海を優雅に漂う。
しばらく経って波に乗り切った私は紅さんに向かって胸を張って見せた。
これからでっかい虹を見に行こうって言うのに、こんな小さな波にやられてたまるかっての!
こちらの挑発が利いたのか、後ろから飛び出そうとした援護の妖精を紅さんは制止させ、立て続けにカードを発動した。
色取り取りに輝く弾幕がこちらに降り注ぎ――同じ高度を保つ彼女から放たれる弾幕に降り注ぐという言葉は厳密にいえば間違っているのだけれども、視界の多くが弾幕で覆われることの多いこの遊びではそういった感覚に見舞われることがよくある――無作為に向かってくる様子はまるで虹の雨だ。
偶然だろうけど、中々粋な計らいね。
さて、体術に一家言あるようだし、その鼻へし折ってやるわ。
密度の濃いとは言えない弾幕に私は雲山を薄く広く拡散させた。紅い霧と薄桃色の雲が混じり合い視界はさらに悪くなる。
だが私は雲山を通して弾幕を感じ取ることができ、相手は悪くなった視界と周囲に広がる雲山の気配によって知覚に著しく弊害が出る。相手が気配に敏感な達人であればあるほど、この振りまかれる雲山の気配は有効に働くのだ。
適当に弾幕を放ち周囲から雲山のレーザーもちまちまと発射させ攪乱する。
それを受け周りに弾幕を乱射し始めた彼女だが、密度の薄いものを振りまいて更に濃度のなくなった弾幕なんて当たりはしない。
カードがタイムアップになった瞬間、私はするりと紅さんの背後に忍び寄り、延髄に回し蹴りをお見舞い――
「……ッ」
直前で察知した彼女はしゃがみ込むようにして私の蹴りを空振りに終わらせた。
が、予想済み。
彼女はしゃがんだ態勢から私の顎を狙った蹴り上げを放ったが、私はそれを両手で綺麗に受け止めた。
そしてその無防備な背中に雲山の拳を力いっぱい叩き込む!
鈍い音ともにぶち飛ばされた紅さんは紅魔館の花壇へに突っ込んだ。結構にハデな音が鳴り響く。妖精メイド達が慌てて紅さんの元へ飛び寄っていった。
あーあ、煉瓦組みなのに、痛そう。
他人事のような感想を抱きつつ、最後のカード宣言を待つ私だったが、しばらくたってもその様子はない。
気絶しちゃった?
首を傾げる。
すると無茶苦茶になった煉瓦とお花に倒れこむ紅さんが手を挙げた。
「あー、負け。私の負けでいいわ」
「……あら、また潔いこと」
少しだけ罠を疑ったが、そんなことをする手合いではないだろう。広げていた雲山を元に戻し、紅魔館の敷地内に降り立つ。
妖精メイドが壁になるように立ち塞がったが、大丈夫、紅さんがそう声をかけた事で壁は道を開いた。
土と花に装飾された彼女は、上体を起こしてこちらを見ている。真っ直ぐに伸びた視線は武人のそれだ。
歩み寄った私は手を貸そうとしたが、手を引っ込めた。
やっぱり雲山にお願いする。
頼むまでもなく、雲山は紅さんへ手を差し出してくれた。
雲山に助け起こされた紅さんは頭を掻いた。
「いやぁ、二度も背後を取られたとあっては武人の名折れ。お見事だったわ」
「でしょう。さ、通してもらうわよ」
「もちろん」
花壇の香りを身に着けた紅さんは握手を求めてきたが、私はそれをスルーして玄関へと進む。
ちらと振り返ると、後ろでは雲山が代わりに握手に応じていた。
もう、そんなのいらないのに。
綺麗に磨かれていたのであろう数段の階段を踏みしめる。土が飛び散っているのが残念だ。
格子状の紋様が描かれた真っ赤でおっきな扉で立ち止まる。
物々しい雰囲気だが、紅魔館へようこそ!と汚い字と稚拙な館の絵が描かれた張り紙が見事に台無しにしている。
『妖精メイド一同』と紙の右下に記されているが、紅魔館の主はこれを良しとしたんだろうか……。
扉を眺めていると、私に追いついた雲山が代わりに扉に手をかけてくれる。優しい。
そして雲山がドアノブを捻った瞬間、
「こちらです」
「みッ!?」
真後ろから声をかけられた。
驚きのあまり妙な声と裏拳を放ってしまったが、ご愛敬。どちらも空振りに終わった。
私の拳を綺麗にスウェーバックで躱したメイドさんは、上体を反らしたまま言葉を続けた。
「お嬢様は上でお待ちです」
「あ、えっと、はい」
この人は知っている。十六夜さんだ。
十六夜さんの急襲?に対し咄嗟に私の身を固めていた雲山は髭をなぞり口を開いた。
綺麗な姿勢だな。
……。
私は背筋を伸ばした。
どう、私の方が良い姿勢でしょ?
少し間をおいて頷いた雲山に私もにっこりと頷いた。
十六夜さんに向き直る。
「上?」
「はい」
「外に?」
「ええ」
「その態勢辛くない?」
「つらいです」
姿勢を戻すように促すと、十六夜さんはスっと上体を起こした。その際小さく息を吐いたのを私は見逃さなかった。辛いのになぜ続けた。
十六夜さんはズレたカチューシャを整え口を開いた。
「館の上空へどうぞ。これ以上荒らされては後が困るのです」
十六夜さんが無残な姿になってしまった花壇へと目を向ける。
紅さんが頭を掻いているのが視界の端に移った。この十六夜さんが怖いのか、門番の妖精メイド達は皆紅さんの後ろに隠れている。勿論はみ出てる。
館が損傷していないな、あの花壇のみだ。雲山は呟いた。
理由は明快、館全体に結界が添付されているからだ。弾幕ごっこが行われる場所でよく展開してある類の結界だ。霊力妖力には滅法強いが物理的な衝撃は全くカバーしてくれない。私の寺にも同じものが敷いてある。
宙に浮くメイドさんについて行く。
「安心してくれていいわよ。無駄に中は荒らさないわ」
「自発的にはそうでしょうね」
「……」
むかー。私達がぶっ飛ばされる前提かよ。
逆に吹っ飛ばしてやるからな。
館の上空へ案内されると、そこではピンクのドレスに身を纏った吸血鬼が羽ばたいていた。
紅い霧に紛れたその様相は幼いながらも妖艶さと力強さを醸している。強力な妖怪である吸血鬼は昼間弱体化するはずなのだが、それを微塵も感じさせない風貌である。
名前だけ知っていたけど、いつぞやの異変で見たことがあるわね。
たしか弾幕ごっこに幻想郷全体が異様に興じていた時だったか。
スカーレットさんはメイドと一緒に弾幕ごっこの観戦に来ていたのだが、その時対戦中だった物部の流れ皿が日傘を吹き飛ばし「あっつ!あっ、やb、あっつ!」と泡食って暴れていたのが記憶に新しい。
私の思い起こした愉快な顔と違って、薄く余裕のある笑みを浮かべるスカーレットさん。
「お前か。門番のメイドが慌ててやってきたぞ。道場破りが来たとな」
「残念ね、違うわ」
「違うか、残念だ」
スカーレットさんがひらひらと手を振ると、十六夜さんは一礼し館の方へ戻っていった。
「悪いな。久しぶりの挑戦者にこうやって、めかし込んで館にて出迎えようと思ったんだが」
下方へと目をやるスカーレットさん。
その先は庭か? 生憎霧でよく見えない。
スカーレットさんは肩を竦め言葉を続けた。
「花壇を潰されてご立腹だよウチのメイド長は。紫陽花が綺麗に咲いたと、はしゃいでいたんだ。友人の水晶玉で観戦してたんだが、美鈴がやれてすぐに、ここに追い出された」
「それはご愁傷さま。役に立たない門番を恨むことね」
「だが、良い蹴りだったろう?」
「……ふん」
意地の悪い妖怪だ。
紅さんの強烈な蹴りを受け止めたことで私の両手は未だに痺れが取れないのだ。握手を断ったのも雲山が扉に手をかけてくれたのもそれが原因だ。
「勝ったのは私。次も私よ」
「威勢がいいね。では私も見習おう」
三枚のカードを提示した私に対して、スカーレットさんもカードを取り出した。
一枚だけ。
「それは威勢が良いって言わないわ。舐めてるっていうの」
「試してるんだ。さぁ、12秒間の悪夢に踊るがいい」
言うな否や、スカーレットさんに膨大な妖力が集中する。
いきなりカードを……。しかもこの妖力、デカいのが来るわね。
だけど一枚のみだ。あれを突破すればこの勝負は勝ち。昼間とはいえ吸血鬼に勝利を収めたとなれば私の格も鰻上りだ。
スカーレットさんの弾幕に備えたところで、彼女を中心として周囲に振りまくようにナイフ弾が放たれた。
よく見ればわかるが、十六夜さんの実物のナイフと違って妖力によって構成された弾幕だ。
パラパラと散らされていく弾幕は徐々に勢いを増していく。
なるほど気合避けを強いるタイプか。私はいつでもカードを宣言できるように備えた。
展開される弾幕は少しずつ、だが確実に難易度が上がっていく。
「ぐ、ぐむむ」
時間と共に密度を濃くするナイフ群にだんだんと追い込まれる。
激しい!
単純しかし故に難度の高い弾幕だ。
私は耐え切れずカードを宣言し――。
瞬間、スカーレットさんの凝縮した妖力が更に強まった。重苦しい音が辺り一面に響く。
そして見たこともないような弾幕の波が私に迫ってきた。
迫りくるナイフナイフナイフナイフ。目の前に広がるのは、ただナイフ。凝ったものではない。相手を物量で押し潰す弾幕だ。
なんだこれは! さっきまでなんて比じゃない!
私のスペルによって繰り出す雲山の拳が、あまりの数に押し返される。
だ、だめだ、維持できない。二枚目を……。
すぐに次のカードを発動するも、やはり押されてしまう。このままでは二枚目もすぐに崩れることだろう。
でも、大丈夫だ。
彼女は12秒間と、確かにそう言った。私の持つカードはあと一枚だ。十分に凌げる。
絶望的な量の弾幕に最早避けるという思考はない。ただひたすらボムって時間を稼ぐのみだ。
三枚目も惜しみなく使い、スカーレットさんが放った最後のナイフを弾き飛ばす。
ついでに彼女に向けていくつか拳を突き出すが、悠々と避けられた。
だがこれでカードを突破したぞ!
やったぞと、私が息を吐いた瞬間、彼女はまたナイフ弾を振り撒き始めた。
その光景は先程見たばかり。
「嘘でしょ」
なんのことはない。彼女はもう一度あれを繰り返そうとしている。
つまりあのナイフの津波を避けきれと、そう言っているのだ。
そんなの無理に決まっている!
私が体験したどの弾幕よりも理不尽で高難易度、異次元なスペル……。
舐めているなんてことなかった。彼女は本当に私を試していたんだ!
どうする一輪。雲山は言った。
わかってる。降参するかどうかを聞いてるんだ。このままではナイフの雨でハチの巣だ。
昼だからと侮っていたが、吸血鬼にはやはり――
「そうだっ」
一案を思いついた私は、まだ勢いのない弾幕を避けつつ彼女の上空を位置取った。
やるぞ。私は両手を上にかざした。そして霊力を手に込める。
そんな私をスカーレットさんは余裕の笑みで見上げた。
「何をしようと……ぎゃあ!」
彼女の左目に日光が差した。
そう、今は昼間。彼女の霧に穴を開けてやったのだ。
普段から雲山と共にし雲を操る私にとって、霧に干渉するなんて造作もない。
いや、造作もなかった、というのが正しいか。ぶっつけ本番だ。
晴れ間が差しているとはいえ、未だ曇り空の中では賭けに近い方法であったが、丁度よく日が差してくれたようだ。
差し込んだ日光から逃れたスカーレットさんは左目を抑えつつこちらを見上げた。
「お前私の霧を――」
見上げた顔に雲山の拳を力いっぱい叩き込んだ。
吹き飛ばれたスカーレットさんは紅魔館の時計台に激突した。
「か、勝ったよ雲山!」
雲山は大きく頷いてくれた。
高揚感をそのままに私はスカーレットさんの元へ向かった。
彼女が激突したせいで時計台の裏は大きく崩れ、盤面の内側が外からでも見て取れた。盤面を傷つけなくて良かった。あれは高そうだ。
もうもうと埃が舞う中、瓦礫を押しのけスカーレットさんが姿を現した。
日光の影響だろう。顔の左半分からは煙が立ち上っている。
「見事だ」
開口一番彼女はそう言った。
「あの、大丈夫ですか」
「問題ないよ」
「でも涙目ですよ」
「え、マジ?」
汚れた袖で目を拭うスカーレットさん。顔をあげると、涙の代わりに汚れが顔を装飾していた。
そして未だに顔の左半分からは蒸気が溢れている。
吸血鬼に日光。思ったよりも重傷を負わせてしまったのかもしれない。
謝罪を口にしようとすると、それを遮るようにスカーレットさんが口を開いた。
「さあ、要件を言いなさい」
笑みを作り上げる彼女だが、口元がひくひくと指先がぷるぷると震えていることから、相当我慢している事が窺える。
私は簡潔に、虹、それも大きな波の虹を探しているのだと伝えた。
知識を聞いているのではない。彼女の運命を見られるというその力で私を占ってくれと。
私の要望を聞いたスカーレットさんは一度目を閉じ、開いた。
そして私の方を力強く見つめ言った。
「思った方に向かいなさい、今から。そうすれば望むものがあるでしょう」
言い様はまるで本職の占い師だ。だが彼女が言うのならそうなのだろう。
そう思わせるだけの自信が、自負が彼女の言葉にはあった。
私はすぐに頷いた。
「ありがとうスカーレットさん! それと、その目の事だけど」
「いらないよ。さて、私はこれからメイド長の小言を聞きに行かなければならないのでね」
ああこわいこわい、そう言いながら彼女は崩れた時計塔の階段を下って行った。
最後に、パチンと彼女が指を鳴らすのが聞こえた。
それと同時、紅魔館を覆っていた霧が晴れていくのが分かった。
なんだ? 彼女が解除したのか?
引いていく紅、開けていく視界。館の存在と周囲の景色が露わとなっていく。
広がる世界の中で、一際目を引くものが一つ私の視界に映った。
小さな虹が遠くの丘に上がっていた。
今日の冒険の切っ掛けとなった虹。たびたび現れた小さな虹。
よし。
私は雲山の手を引っ張った。
「行こう雲山! きっとあそこだよ!」
私は直観に従って、虹の上がる丘の元へと飛び立った!
近づくにつれて、小さな虹は見えなくなった。道案内は終えたとばかりに消えていった。
私は小さな虹が印した丘にたどり着いた。
夕暮れの一歩前、消えた虹の代わりにさらさらと軽い霧雨が降り注いでいた。
ふわりと肌を撫でる風が湿った緑の匂いと共に通り過ぎる。丘の草々が波を起こし、さらさらとした音を奏でながら遠くの山と森まで波紋を広げていく。
「ここで待とう」
懐かしい空気だ。雲山は遠くを見た。
何を馳せているのかはわからない。けれど、ここで待てばいいというのは、何となくわかった。
空から地を見下ろし、私を置いて去っていく風と時と雨を肌で感じる。
けれど静かな演奏会は、乱入者によって崩された。
「あんたたちね」
「……げ」
かけられた声に振り向くと、そこにいたのは博麗の巫女だった。
陰陽玉を侍らせ、御幣を持つその紅白姿は異変解決に赴く時のそれだ。
一番厄介なのが来てしまった……。
霊夢さんはこちらを指さした。
「あんたら方々にケンカ売ってるんだってね。里に森の妖怪に湖、更には紅魔館。弱小妖怪どもが泣きついてきたわよ」
何が目的だ、そう言わんばかりの厳しい視線を向けられた。
妖怪に泣きつかれたのか。そんなのだから妖怪神社だと人間が寄り付かないんだ。
とりあえず逆上させてしまいそうな言葉は飲み込んだ。
今日やってきたことを鑑みれば、巫女が動き出しても文句は言えない。しかしこんないい時に来るなんて……。
草の根どもめ。
悲しいかな。強者ではなく、言いつけた弱者へ怒りをぶつけてしまうのは、同じく非強者である妖怪の性である。
、だが今の私は少なくとも弱者ではない。私は毅然と口を開いた。
「貴女には関係ないわ! 私はここで待つ!」
「そう」
構うな、これ以上何もしない、そういう意味での言葉だったが、上手く伝わらなかったようだ。
霊夢さんは御幣を構えた。
うわあ、あれ痛いんだよなぁ。
一輪……。雲山は諭すように言った。
大丈夫、私は吸血鬼に勝ったのよ。それに時間まで暇でしょう?
そう言うと雲山は諦めたように沈黙を返してくれた。
雲山と会話する私に痺れを切らしたのだろう、霊夢さんは本格的に臨戦態勢を取った。
「何を待つのか知らないけど! 不穏な奴は懲らしめるわよ!」
「上等! 貴女は前菜よ!」
私は四枚のカードを提示して、レーザーを放った。
菊模様に広がる弾幕だが、霊夢さんには当たりはしない。こんなものは小手調べだ。
一枚目のスペルを発動する。
私の背後に出現したいくつもの大きな拳が霊夢さんに向かって飛んでいく。
難なく躱されるも、拳が通り過ぎた軌跡も弾幕となり彼女を追い詰める。
……はずなのだが、彼女はまるで道筋が見えているかのようにすらすらと弾の間を縫って私に退魔針を放ってくる。
い、痛い痛い痛い!
刺さりはしないが、触れるだけで妖怪の痛覚を刺激する針の雨は相当につらいのだ。
スペルを維持できずに突破されてしまう。
ここぞとばかりに距離詰めようとしてきた霊夢さんに慌てて弾幕を放った。先程のレーザーに加えそれと交差するように連なった弾を撃ち込む。
少し距離を取った彼女にすかさず二枚目のカードを宣言した。
正面がだめなら横からだ。
霊夢さんの真横に出現させたいくつもの雲山の拳を叩きこむ。同時に通常弾をばらばらと彼女に向かって放った。
出し惜しみは無し。彼女の事だ。何か一発でも豪快にお見舞いできればやる気を無くしてくれるだろう。
周囲に雲山を拡散させ霊夢さんの視覚を奪う。
悪い視界と雲山の拳、それと散らばるバラ弾で相手の判断力と身体をもみくちゃにするこのスペルカードだが、やはりというか通用しない。
しかし左右からの揺さぶりでしっかりと私に照準を合わせられなくなったようだ。彼女は放つ弾幕を針から霊札に切り替えた。
誘導式で私に向かってくるお札は、針ほどの威力はない。
今だ。
私は雲山を纏い、正面から突っ込んだ!
急な正面突破は確かに彼女の虚を突けたようで、霊夢さんが驚きの表情を浮かべた。
が、それまで。
私の飛び蹴りは陰陽玉で綺麗に防がれ、代わりに私は御幣による強烈な突きを腹に叩き込まれた。
「ぎゅぶ……!」
痛烈な一撃にスペルを崩壊させられた私は、棒状に連なる弾を網の目のように交差させた弾幕を放ち後退する。
なんて突きだ。雲山の体を貫通するなんて。お腹を押さえる。痛い。それもかなり。
私は苦い顔のまま、三枚目を発動した。
上空に雲山の顔が二つ浮かび上がり、その双眸からいくつものレーザーが放たれる。
そして霊夢さんを押し潰すように雲山の拳が両脇から彼女を襲う。
四方をレーザーに固められ、迫る拳になすすべを無くした彼女は遂にカードを発動した。
迫りくるのは、霊札の奔流。
まるで瀑布のような札の流れは正確に私を捉え飲み込んだ。
咄嗟に雲山が私の身を守ってくれたが、この呼吸もままならない激流の中でスペルを維持することは当然叶わない。
三枚目もあっさりと破壊されてしまった。
吹き飛ばされた私は態勢を整え、周囲に飛散した雲山の全てを私の元に纏める。
そして最後のカードを発動した。
『華麗なる親父時代』
収束させた入道を、巨大な雲山の顔と双拳、この三つに顕現させ圧倒的な力で相手を押し潰すスペルだ。
相手が放つ弾幕をいとも簡単に消し去る拳と彼の目から放たれるレーザーが霊夢さんに迫る。
しかし力に重きを置き密度を捨て去ったこのスペルは彼女にとっては容易なものだったようだ。
両拳とレーザーを掻い潜る霊夢さんは私の懐に飛び込んだ。
そして彼女は至近距離で陰陽玉を膨張させる。
至近距離の無防備な状態。一見王手だ。
だがこれこそ、私の狙い。
彼女ならば雲山を突破できるだろうと、そう信じていた。
トドメの瞬間が一番隙ができるんだよ!
私は溜め込んでいた霊力を開放し、渾身の力で陰陽玉を蹴り返した!
「――ッ」
発射される寸前で弾き返された陰陽玉を霊夢さんは躱してしまう。
これも躱せるのか!
しかし、完全には躱しきれず左手に直撃したようだ。遠くに飛んでいく御幣がちらと映った。
大きくバランスを崩した霊夢さん目がけて、私は慌てて雲山の拳を振り下ろした。
刹那、霊夢さんと目が合った。
達人同士が剣を、瞳を交わす際、お互いの心を通じさせるというのは、よく聞く話だ。
だが、彼女の心情を悟ることはできなかった。
一つわかったのは、私の敗北。
次の瞬間、彼女を中心として展開された結界によって、私と雲山は大きく弾き飛ばされた。
目の前に広がった結界の光で暗転した視界と意識が回復するより前に、私は地面に叩きつけられた。
草むらを抉りながら転がり、止まる。
……くそ。負けた。
雲山が私の元に戻ってきて、労わるように私の周りを漂った。
私は大の字になって、丘の斜面で空を見上げた。
体は湿った土と草で泥まみれだ。これでは洗濯係の船長に怒られてしまう。
汚れた私の服とは対照的に、ぱらぱらと霧を振りまいた雲は途切れ途切れで、今にも晴れようとしていた。
「おしかったわね」
霊夢さんが私の横に降り立った。息の一つも乱していないというは流石の一言に尽きる。
しかしよく見ると、彼女の左の袖がない。どうやら吹き飛ばしたのは御幣だけではなかったようだ。
霊夢さんの視線に晒されながら、そんなどうでもいいことを思った。
一輪。雲山は言った。
わかってる。霊夢さんは私の目的を聞こうとしているんだ。
私は霊夢さんに今日の事を説明しようとした。
なんのことはない。虹を探そうとしていただけなんだ、と。
すると、雲山が遮った。
違う、前だ。
え?
私は視線を前に向けた。
まるで、時を止められたかのような錯覚に陥った。
目の前に広がるのは、大きな、とても大きな虹だった。
空と幻想郷を繋げる渡り橋のように、そしてそれら全てを覆い包むように、空にかけられた七色が描かれていた。
目が乾いてしまわないだろうか。私は瞬きが出来なかった。
「は、はは、霊夢さん、私はあれが見たかったんだ」
私の視線に合わせ、霊夢さんは前を向いた。
何を思ったのかは知らない。少しの間、その光景を見つめた彼女は飛び去って行った。
霊夢さんが去ってからも、私と雲山はその色に暫し酔いしれていた。
綺麗な虹。
破壊と創造の象徴、その龍の姿だと言われる虹は、生命の息吹を祝福するかのように世界へ光を恵んでいた。
あの光景を思い出すような、すばらしい虹だ。雲山は言った。
この期に及んで昔を振り返る雲山に私は唇を尖らせた。
「雲山、今は昔じゃなくて、私と見てるんだよ」
私の言葉に雲山はちょっと苦笑いした。
私と雲山は再び、空に目を向けた。
私の目には、大きな大きな虹が映っている。
青と雲を繋げるように、虹がかかってるんだ。
空の青の雲の中、虹となった龍は空に描いている。
そして、飛び去っていく。
どこまでも、どこまでも――。
ありがとうございます!
楽しんでいただけたようでよかったです。
>>大根屋さん
勢いよく、というのはこのssのテーマでもありますので、そう言ってもらえてうれしいです!