蝉の鳴き声がぎゃあぎゃあと五月蠅い真夏日のことであった。
ザッザッとけもの道を踏みしめて、森近霖之助は魔法の森の中を歩いていた。
霖之助が魔法の森の深部へと赴くことは珍しいことではない。
魔法薬の材料となるきのこや薬草などの採集することはままあることだ。
だが今回の目的は、彼にとって非常に珍しいことであった。
霖之助は魔法の森の中にある洋風の家を訪ね、そしてその家のドアを叩いた。
「魔理沙、いるかい? 入るけど、いいね?」
ドンドンとノックしながら、普段あまり張らない声をあげる。
家の主はどうやら在宅らしかったが、弱々しくか細い声が返ってきて、霖之助は嘆息を漏らしてドアを開いた。
「うわぁ、相変わらず汚いなぁ」
思わず口に出てしまうほど、家の中は散らかっていた。
少ない足場を見つけて、魔理沙の寝室へと赴く。
ちょうど寝室のドアが開いたままだったので、霖之助は顔だけを部屋の中に覗かせた。
「魔理沙、入るよ。調子はどうだい?」
「ん゛ぁ~、上々だぜ」
今にも死にそうな声ではあるが、冗談を言えるくらいの元気はあるらしい。
霖之助は苦笑いを浮かべて、魔理沙が寝ているベッドの側に腰かけた。
魔理沙の顔色を見てみれば、顔を紅潮させて、少しばかり呼吸も荒い。
見ただけで熱が高そうだと分かる。
霖之助にじっと見られてるのが恥ずかしいのか、魔理沙は布団を深くかぶって半分だけ顔を隠した。
その様子に霖之助はフッと笑みを溢す。
「元気そうで何よりだ。ところで、何か食べたかい?」
「……食欲がない」
その声にも元気がない。
霖之助は「そうか」と一言。
「じゃあお粥を作ろうか。台所を借りるよ」
部屋を出て行こうとする霖之助に、魔理沙は深くかぶっていた布団から顔を出して、
「食欲がない」
少し強めに言ってやる。
「梅干しと昆布はどっちがいい? あ、それとお米はどこ?」
まるで話を聞いてない。
魔理沙は諦めたように溜め息を吐いた。
「台所の左の方に米櫃があるから、それ。あと梅干しで」
ズズッと鼻を鳴らして、魔理沙は静かになった。
霖之助はそんな魔理沙の様子に小さく笑みを浮かべて、台所へと向かった。
普段もあれくらいしおらしかったらいいのにと、少し思った。
思ったが、やはり元気はつらつな方が魔理沙らしいかなとも思いなおし、やっぱり早く元気になってもらおうと、霖之助は鍋に米と水を入れた。
「さてと……」
お粥を作るためには火を焚かなければならない。
だが台所の釜戸は長年使われた形跡もなければ、もちろん火を焚くための薪も見当たらない。
ともすれば火を焚く方法は一つしか心当たりがないので、霖之助は魔理沙のいる寝室へと戻った。
「魔理沙、ミニ八卦炉はどこ?」
魔理沙が肌身離さず持っているマジックアイテム――ミニ八卦炉。
鍋を煮るためのとろ火から山一つを焼き払えるほどの大火まで自在に調節できる不思議な火炉だ。
霖之助の問いに魔理沙は熱にうなされながらも、ベッドの中をごそごそとさせて、
「ん……」
ベッドから出てきた細い腕の先にはミニ八卦炉、本当に肌身離さず持っていたらしい。
霖之助はやれやれと肩をすくめてそれを受け取ろうとするが、魔理沙の手はミニ八卦炉をガッシリと掴んで離さない。
「……後で返せよ」
鼻声で、ズズッと鼻を啜る。
霖之助は苦笑いを一つ。
「これは元々僕が魔理沙にあげたものだろう。今更返せとは言わないさ」
よっぽどミニ八卦炉を手放したくないのか魔理沙はしばらく唸っていたが、やがてにっこりと笑みを浮かべて手をひっこめた。
霖之助はしばらく魔理沙の笑顔に呆けていたが、魔理沙はすぐに布団の中に顔を埋めてしまった。
霖之助は我に帰り、台所に戻る。
ミニ八卦炉の上に鍋を乗せて、そして小さく呟いた。
「あいつ、あんな顔もできるんだな……」
風邪のせいか弱々しくも、火照った顔が妙に色っぽかった。
子供の頃からずっと魔理沙を見ていたが、あいつも女なんだなぁと霖之助はふと思った。
「熱っ!」
火力を調整しているところで霖之助は悲鳴を上げた。
どうやら火を強くしすぎたらしい。
「久しぶりすぎて調節が難しいなぁ、やれやれ……」
少し火傷をしてしまったらしく、患部を水で冷やしながら霖之助はひとりごちるのであった。
――魔理沙の家の外にて。
「おお、これはアツイアツイ」
中の様子を覗きながら手帳に筆を走らせているのは、新聞記者の烏天狗、射命丸文だった。
射命丸は筆の頭を口元に当てて、
「店主さんに魔理沙の事を教えたのは正解だったわね。見出しは何にしようかしら。『スクープ! 香霖堂の店主、熱愛発覚』ってところかしら」
笑い声を押し殺しながらすらすらと手帳に中の様子を書き綴る。
次の文々。新聞を読んだ皆の反応を想像しては、ついつい口も緩んでしまう。
そして再び家の中を覗き見ようとして、そして、ガチャリとドアが開いた。
「やぁ、こんなところで何をしてるんだい?」
家の中から霖之助が顔を出す。
その笑顔が逆に怖い。
「あややや、店主さんじゃないですか。私も彼女が心配になって来てみたんですよー」
あははと笑いながらあっけらかんと言ってのけた、嘘八百は彼女の十八番だ。
霖之助は「そうか」と一言。
「ところで、君に見てもらいたいものがあるんだけど……」
「あやや、なんですか?」
どうやら覗き見をしていたことがバレていないらしく、射命丸はホッと胸を撫で下ろす。
そしていつもの営業用の笑顔で霖之助を見つめた。
「うん、名前は特にないんだけどね……」
霖之助は右手に持っている“ソレ”を射命丸に見せる。
射命丸は“ソレ”を見た途端「げっ」と声を漏らした。
「“マスタースパーク霖之助バージョン”なんて言うのはどうだろう?」
ミニ八卦炉をよく見えるように掲げた瞬間、射命丸は脱兎の如く逃げ出した。
幻想郷最速を誇るだけあって、その姿は霖之助の視界には既にない。
最初からそんなものを放つ気もなかった霖之助は、やれやれと溜め息を漏らして再び家の中に戻って行った。
「どこいってたんだ?」
布団から顔を出して、魔理沙は霖之助に言った。
「ちょっと外にね。それよりお粥が出来るまで少しかかるから、ほら……」
水を絞った濡れタオルを魔理沙のおでこに乗せてやった。
冷たい水がジュッと音を出しそうなほどに、熱を帯びた顔を冷やしていく。
「……あぁ、これは気持ちいいぜ」
少しは楽になったか、魔理沙の顔も緩みっぱなしだ。
その様子を見て霖之助は笑みをこぼし、隣に腰かけて持参した本を読み始めるのであった。
――その後、魔理沙と霖之助はおこげつきのお粥を仲良く食べたが、それは文々。新聞には載っていない二人だけの秘密のこと。
おわり。
ザッザッとけもの道を踏みしめて、森近霖之助は魔法の森の中を歩いていた。
霖之助が魔法の森の深部へと赴くことは珍しいことではない。
魔法薬の材料となるきのこや薬草などの採集することはままあることだ。
だが今回の目的は、彼にとって非常に珍しいことであった。
霖之助は魔法の森の中にある洋風の家を訪ね、そしてその家のドアを叩いた。
「魔理沙、いるかい? 入るけど、いいね?」
ドンドンとノックしながら、普段あまり張らない声をあげる。
家の主はどうやら在宅らしかったが、弱々しくか細い声が返ってきて、霖之助は嘆息を漏らしてドアを開いた。
「うわぁ、相変わらず汚いなぁ」
思わず口に出てしまうほど、家の中は散らかっていた。
少ない足場を見つけて、魔理沙の寝室へと赴く。
ちょうど寝室のドアが開いたままだったので、霖之助は顔だけを部屋の中に覗かせた。
「魔理沙、入るよ。調子はどうだい?」
「ん゛ぁ~、上々だぜ」
今にも死にそうな声ではあるが、冗談を言えるくらいの元気はあるらしい。
霖之助は苦笑いを浮かべて、魔理沙が寝ているベッドの側に腰かけた。
魔理沙の顔色を見てみれば、顔を紅潮させて、少しばかり呼吸も荒い。
見ただけで熱が高そうだと分かる。
霖之助にじっと見られてるのが恥ずかしいのか、魔理沙は布団を深くかぶって半分だけ顔を隠した。
その様子に霖之助はフッと笑みを溢す。
「元気そうで何よりだ。ところで、何か食べたかい?」
「……食欲がない」
その声にも元気がない。
霖之助は「そうか」と一言。
「じゃあお粥を作ろうか。台所を借りるよ」
部屋を出て行こうとする霖之助に、魔理沙は深くかぶっていた布団から顔を出して、
「食欲がない」
少し強めに言ってやる。
「梅干しと昆布はどっちがいい? あ、それとお米はどこ?」
まるで話を聞いてない。
魔理沙は諦めたように溜め息を吐いた。
「台所の左の方に米櫃があるから、それ。あと梅干しで」
ズズッと鼻を鳴らして、魔理沙は静かになった。
霖之助はそんな魔理沙の様子に小さく笑みを浮かべて、台所へと向かった。
普段もあれくらいしおらしかったらいいのにと、少し思った。
思ったが、やはり元気はつらつな方が魔理沙らしいかなとも思いなおし、やっぱり早く元気になってもらおうと、霖之助は鍋に米と水を入れた。
「さてと……」
お粥を作るためには火を焚かなければならない。
だが台所の釜戸は長年使われた形跡もなければ、もちろん火を焚くための薪も見当たらない。
ともすれば火を焚く方法は一つしか心当たりがないので、霖之助は魔理沙のいる寝室へと戻った。
「魔理沙、ミニ八卦炉はどこ?」
魔理沙が肌身離さず持っているマジックアイテム――ミニ八卦炉。
鍋を煮るためのとろ火から山一つを焼き払えるほどの大火まで自在に調節できる不思議な火炉だ。
霖之助の問いに魔理沙は熱にうなされながらも、ベッドの中をごそごそとさせて、
「ん……」
ベッドから出てきた細い腕の先にはミニ八卦炉、本当に肌身離さず持っていたらしい。
霖之助はやれやれと肩をすくめてそれを受け取ろうとするが、魔理沙の手はミニ八卦炉をガッシリと掴んで離さない。
「……後で返せよ」
鼻声で、ズズッと鼻を啜る。
霖之助は苦笑いを一つ。
「これは元々僕が魔理沙にあげたものだろう。今更返せとは言わないさ」
よっぽどミニ八卦炉を手放したくないのか魔理沙はしばらく唸っていたが、やがてにっこりと笑みを浮かべて手をひっこめた。
霖之助はしばらく魔理沙の笑顔に呆けていたが、魔理沙はすぐに布団の中に顔を埋めてしまった。
霖之助は我に帰り、台所に戻る。
ミニ八卦炉の上に鍋を乗せて、そして小さく呟いた。
「あいつ、あんな顔もできるんだな……」
風邪のせいか弱々しくも、火照った顔が妙に色っぽかった。
子供の頃からずっと魔理沙を見ていたが、あいつも女なんだなぁと霖之助はふと思った。
「熱っ!」
火力を調整しているところで霖之助は悲鳴を上げた。
どうやら火を強くしすぎたらしい。
「久しぶりすぎて調節が難しいなぁ、やれやれ……」
少し火傷をしてしまったらしく、患部を水で冷やしながら霖之助はひとりごちるのであった。
――魔理沙の家の外にて。
「おお、これはアツイアツイ」
中の様子を覗きながら手帳に筆を走らせているのは、新聞記者の烏天狗、射命丸文だった。
射命丸は筆の頭を口元に当てて、
「店主さんに魔理沙の事を教えたのは正解だったわね。見出しは何にしようかしら。『スクープ! 香霖堂の店主、熱愛発覚』ってところかしら」
笑い声を押し殺しながらすらすらと手帳に中の様子を書き綴る。
次の文々。新聞を読んだ皆の反応を想像しては、ついつい口も緩んでしまう。
そして再び家の中を覗き見ようとして、そして、ガチャリとドアが開いた。
「やぁ、こんなところで何をしてるんだい?」
家の中から霖之助が顔を出す。
その笑顔が逆に怖い。
「あややや、店主さんじゃないですか。私も彼女が心配になって来てみたんですよー」
あははと笑いながらあっけらかんと言ってのけた、嘘八百は彼女の十八番だ。
霖之助は「そうか」と一言。
「ところで、君に見てもらいたいものがあるんだけど……」
「あやや、なんですか?」
どうやら覗き見をしていたことがバレていないらしく、射命丸はホッと胸を撫で下ろす。
そしていつもの営業用の笑顔で霖之助を見つめた。
「うん、名前は特にないんだけどね……」
霖之助は右手に持っている“ソレ”を射命丸に見せる。
射命丸は“ソレ”を見た途端「げっ」と声を漏らした。
「“マスタースパーク霖之助バージョン”なんて言うのはどうだろう?」
ミニ八卦炉をよく見えるように掲げた瞬間、射命丸は脱兎の如く逃げ出した。
幻想郷最速を誇るだけあって、その姿は霖之助の視界には既にない。
最初からそんなものを放つ気もなかった霖之助は、やれやれと溜め息を漏らして再び家の中に戻って行った。
「どこいってたんだ?」
布団から顔を出して、魔理沙は霖之助に言った。
「ちょっと外にね。それよりお粥が出来るまで少しかかるから、ほら……」
水を絞った濡れタオルを魔理沙のおでこに乗せてやった。
冷たい水がジュッと音を出しそうなほどに、熱を帯びた顔を冷やしていく。
「……あぁ、これは気持ちいいぜ」
少しは楽になったか、魔理沙の顔も緩みっぱなしだ。
その様子を見て霖之助は笑みをこぼし、隣に腰かけて持参した本を読み始めるのであった。
――その後、魔理沙と霖之助はおこげつきのお粥を仲良く食べたが、それは文々。新聞には載っていない二人だけの秘密のこと。
おわり。