お空の秘密
-1-
地底の中心、地霊殿には動物が溢れている。彼らはすべて古明地さとりのペットという名目だが彼女自身はすべてのペットを把握していない。地底の町と地霊殿を行き来する者、さとりの目の前に一度も姿を見せず地霊殿を家とする者。多種多様なライフスタイルがそこにあった。地霊殿のすべてのペットを確認できるのは食事の時くらいだった。
「はい、みんな一列に並んで。隣の子のご飯取ったらつまみ出すよ。3、2…1。はい。いいよ」
火焔猫燐の掛け声を合図にネコ科の動物が一斉に目の前の食事にかぶりついた。誰も声をあげず黙って食べたが、食べるときの物音で静かな大合唱になっていた。食べ終わるとその場で寝転がったり、お燐の横を通って部屋から抜け出したりと思い思いに行動する姿はまさしくネコだった。
「お燐、ちょっといい?」
「はい」
食後の皿を片付けていると古明地さとりがお燐を呼んだ。
部屋を見渡して一面のネコを眺める。
「いつのまにか見覚えのない子が増えたわね。お燐は全部わかるの?」
「全部は無理ですよ。毎日来るとは限りませんから」
さとりが足元にすり寄ってきたネコを撫でようと屈み込んだ。彼女の手に大きな袋が握られていた。
「それは?」
「ああ、そうそう。お空の部屋を掃除したら見つけたのよ」さとりはお燐に袋を渡した。
お燐が袋の中をのぞき込むと眉間にしわを寄せた。
「本当にお空の部屋にあったんですか?」
「本当よ。お空に聞いたけど覚えがないって言ってるの。またどこかで拾ったんじゃないかしら」
お燐は首をかしげた。
「八咫烏がおりてから賢くなって、他人の物を持って帰ることは無くなったんですけどね。前は大変でしたよね。勇儀さんの杯を持って帰ってきた時とか」
「あったわね。カラスの頃からその癖が抜けないのよね。拾いものが多くって、今日も掃除が大変だったわ」
さとりはネコのお腹を撫でまわしていた。お燐は目を細めて、そのネコに羨望の眼差しを向ける。
「お空には最近会えてないんですよね。これが部屋にあったってことは地上に行ってるんですかね」
「たぶん。申し訳ないけど持ち主に返してもらえないかしら」
お燐は曖昧な返事で了承した。
「よろしくね」お燐の頭を撫でてから、さとりは部屋を後にした。
再びお燐は袋の中を確認する。
「パルスィさんに、霊夢さんに、魔理沙さんかな。まあ近い順でいいだろう」
たまには飼い主がやってほしいとお燐は思う。
-2-
歩くたびに橋の床板がギシギシと悲鳴をあげた。地底の町の中心から離れているためこの辺りはいつも薄暗く、静かだった。それが床板の悲鳴を一層引き立たせた。
橋の中央で金色の髪が浮かび上がっていた。この場ではあれだけが光を放っているようだった。
「パルスィさん」
「ああ、お燐。久しぶりね」水橋パルスィはお燐に笑顔を向けた。
「どうかしたの?」
「お空の部屋から見つかった物があってね。ひょっとしたらパルスィさんのかなって」
お燐は袋の中から、藁人形を取り出した。
パルスィはそれを受け取ると舐めるように観察した。
「この藁人形は確かに私が作ったけど、お空にあげたのよ。だからこれはお空の物よ」
予想外の返事にお燐は口を開けた。
「ホントかい?」
「ええ。どんなものか説明したら頂戴って言ったの」
「ていうことは、ただの人形じゃないよね。呪いのアイテムとか?」
パルスィは目を細め、うっとりとした表情で説明を始めた。この表情だけなら可憐な乙女だった。
「そうよ。相手の髪の毛をこの藁人形に入れて呪文をとなえるの。そしたら、藁人形とその人が繋がるの。藁人形をくすぐればその人もくすぐったくなるし、釘を刺せば同じだけの痛みを与えることができる。こういうのを好きになってくれる妖怪は少ないから、お空には無料であげたわ」
お空が藁人形に釘を打ち付ける姿をイメージしたが、どうも似合わないとお燐は結論付けた。
「誰に使うかお空は言ってた?」
「誰にって……」
急にパルスィは笑い出した。口元に手をやって声を殺して笑い続けた。
「変なこと言ったかい?」
パルスィはお燐を見つめた。宝石のような緑色の瞳が妖しく光った。
「この世界ではね。その質問は野暮なのよ。覚えておきなさい」
お燐はしばらく返事ができなかった。遠くから聞こえる騒音が別世界のように思えた。
パルスィが差し出した藁人形をお燐は黙って受け取った。
「……わかったよ。教えてくれてありがとう」
「どういたしまして。願いを叶えられたかお空に聞いてもらえるかしら?」
「お断りだね」
乱暴な足取りでお燐はその場を後にした。床板の悲鳴が耳障りだった。
パルスィは微笑んだまま、お燐の背中を見えなくなるまで見つめていた。
地上に向かう竪穴を通る最中お燐は考えた。
あの藁人形には髪の毛は入ってなかった。だとすると、お空はまだ誰も傷つけていないはずだ。
いや。そもそも目的は何だろう?お空があの藁人形を必要とする状況がわからなかった。
八咫烏を身に宿してからお空は劇的に強くなった。もちろんさとりはお空にむやみに他人を攻撃するなと言い聞かせているが、本気のお空は鬼にも匹敵するとお燐は考えている。その能力と能天気な性格は呪いの藁人形を必要としないはずだ。あの藁人形はパルスィのような腕力のない、自分の感情を抑える性格の人物が使う代物だ。
それに、お空が危険な考えを持っているならさとりが気づくはずだ。さとりはお空に藁人形を見せたから、その時の反応でわかるはずだ。けど、もし彼女が嘘をついていたとしたら?実はこれは只のお使いではなくそれ以上の何かを期待していたとしたら?
お燐は大げさに頭を振った。赤い三つ編みが首筋をチクチク刺激する。
あと二つ、まだ二つある。判断するのはその二つが終わった後でいい。お燐は自分にそう言い聞かせた。
地底から吹き付ける風がお燐の背中を後押しする。
目が眩むほど眩しい地上へと。
-3-
お燐は地上に上がるとよく博麗神社を訪れる。お茶やお菓子を貰えることもあるし、何より霊夢の懐の広さをお燐が気に入っていた。出会った当初は痛い目にあったがそのおかげで大手を振って地上を動けるのだ。体を張った甲斐があったというものだ。
ひょっとしたら再び体を張ることになるかもしれないと神社を目の前にお燐は考えた。
「お姉さん。こんにちは」
「あら、お燐」博麗霊夢は縁側に座ってお茶を飲んでいた。「死体探し?」
「いんや。聞きたいことがあってね」
袋の中から博麗印の御札を取り出した。霊夢の前でひらひらと見せる。
「お空の部屋にこれがあったんだけど何かしらない?」
「知ってるも何もお空にあげたやつよ。どうかしたの?」
やっぱり。お燐は唾をのみ込んだ。
「なんで御札なんかあげたの?」
「スペルカードの練習相手を頼んだら報酬を要求してきたのよ。その分遠慮なく相手したけどね」
「妖怪退治の道具を妖怪が使えるの?」
「工夫して作ればね。私が使うほどの高性能じゃないけど」
狙いは妖怪か?けど、博麗の御札なんか目立ちすぎる。藁人形と違ってその場に証拠を残してしまう。それとも、お空はそこまで考えていないのか?
「やけに難しい顔しているけど、どうしたの?」
「いや…誰に使うのかなって」
霊夢は無表情のまま首をかしげた。
「私も聞いてみたけど、あんたやさとりに知られたくないから秘密って言ってたわ」
お燐は息苦しさを感じた。彼女との友情を信じていたため、裏切りにも似た衝撃を覚えた。秘密にしてまで何をしようとしているのだろう。
そんなお燐の様子を見て、霊夢は付け加えることがあると言った。
「その御札、威力は最低よ。痺れて動けなくなるのが精一杯」
「ホントかい?」
「危ないものを渡すわけないでしょ。というか、お空の要望がそれだったの。威力は低いけど一瞬で相手を攻撃できる即効型の御札が欲しいって」
顎に手をやってお燐は悩んだ。物騒な目的ではなさそうだ。いたずら目的だろうか?けど、秘密にする理由は一体なんだ?
「お燐、お饅頭」
目をやると、霊夢がお燐に饅頭を渡そうとしていた。受け取って口に含むと甘味が脳への刺激となってリラックスできた。思えばずっと考え込んで疲れていたのだ。
ゆっくりと味わった。
「お茶ない?」
「飲み切ったから入れなおさないと」
「じゃあ、いいや」
そこからしばらく無言になった。ときおり視界を横切る鳥や蝶をお燐はネコらしくじっと見つめていた。
「もしもの話だけどさ。今回の御札でお空が騒ぎを起こしたらお姉さんはどうする?」
「もちろん、ぶん殴るわ。私の信頼にもかかわるから念入りにね」
「あたいは全力で邪魔するからね。前みたいに」
「数が増えるだけよ。もっとも、そんなことにはならないと思う」
お燐のネコ耳が大きく動いた。
「そう言い切れる理由は?」
「巫女の勘」
お燐は小さく笑った。十分な理由だと思った。
-4-
ドアをノック。返事ナシ。
ドアをノック。返事ナシ。
お出かけかなと考え始めたところで、霧雨魔理沙がドアを開けてくれた。
「お燐か。どうした?」
「聞きたいことがあるんだ」
「そうか。立ち話もなんだし入りな」
魔理沙の家の中はとにかく散らかっていた。さとりがいたら問答無用で掃除しそうだとお燐は思った。
魔理沙は椅子の上に載った本の山を床の上に移動させて、お燐に座るよう促した。
「緑茶でも飲むか?」
「ありがと」
手早く二人分のお茶を用意すると、魔理沙はあっという間に自分の分を飲みほした。
「で、聞きたいことって」
「お空の部屋で見つけたものがあってね」
袋から木製の杖を取り出した。柄には「霧雨魔法店」の文字が彫られていた。
「これってお空の物であってる?」
「ああ。お空に頼まれて作ったんだ」
魔理沙に気づかれないようにお燐は深く息を吐きだした。
「いったい何なの、これ?」
「実演してやるから貸しな」
魔理沙に杖を渡すと、床に立てた。
「博麗霊夢」
そう言って、手を放すと杖は博麗神社の方向に倒れた。
「こうやって相手を探すんだ」
「…なんか嘘くさいね」
「まあ、たまに失敗することもある。けど、いつでも、どこでもお空が使えるとなるとこのぐらい単純にしないとな」
お燐は杖を拾い上げると何度か試してみた。確かに目的の機能を果たしていた。
しかし、まだ分からなかった。誰を探して、誰を攻撃するのだろう?
落ち着きなくお燐は杖の表面を指でなぞる。
「誰を探しているかお空は言ってた?」
「いや、言ってなかった。けど、お前のところにいるだろう。しょっちゅう見えなくなって、地上をフラフラする奴が」
お燐の指の動きが止まった。
「…いたね。確かに」
テーブルのお茶を一気に飲み干して、むせ込んだ。とんでもなく渋い味がした。
落ち着くのもそこそこに、お燐は立ち上がった。
「教えてくれてありがとう。用事ができたから失礼するよ」
「ちょっとお燐」
魔理沙はお燐に向かって手を突き出した。
「何だい?」
「情報料」
渋い顔をしてポケットから出した小銭を魔理沙に押しつけた。
「霊夢さんはタダだったよ」
「あいつは商売が下手だからな。こういうところで確実にやるのが一番だよ」
「そういえば、お空には何か請求したの?」
「羽をもらった。八咫烏の羽なら立派なマジックアイテムになるんだ」
「悪いことに使わないでよ」
「私が悪い奴に見えるか?」
「厚かましいとは思うね」
魔理沙は笑って見送った。対してお燐は渋い表情のままだった。
近い順で行ったからこんなに苦労したのだ。遠い順でやっていたらこんな苦労はしなかったのだと考えながら、お燐は地底に向かった。
今さっき飲んだ緑茶の渋みがまだ口の中に残っていた。
-5-
地霊殿の廊下にお燐の靴音が響いた。いつもより速足で、廊下の真ん中で寝ているネコにも何も言わずまたいで素通りした
さとりの書斎のドアを勢いよく開けた。
「さとり様!!」
ソファーに座っているさとりに詰め寄った。
「お燐、お空が起きちゃうわ」
霊烏路空がさとりに膝枕されて眠っていた。
慌ててお燐は深呼吸した。お空の寝息が聞こえるぐらいには落ち着いた。
「さあ、お燐。推理を聞かせて」新しい本を読み始めた読者のようにさとりは笑っていた。
怒りたいのをグッとこらえてお燐は語り始めた。
「あれは拾ったものではなくてお空の私物でした。一つは人を探すアイテム、二つは相手を攻撃するアイテムです。ただし、弱い威力で攻撃できる物でした。お空が探す人物で、弱い力で攻撃しようと考える人なんて一人しかいませんよ」
「誰?」
既にわかっているはずなのにさとりは聞いてきた。
「こいし様でしょう?お空はこいし様を探してたんです。気を遣って、殴らず怪我させずに捕まえてさとり様に会わせようとしたんですよ」
さとりは音を立てずに拍手をした。
「かっこいいわ、お燐。探偵みたい」
お燐はわざと大きなため息をついた。
「あたいが探偵なら、犯人はさとり様ですよ。お空に聞いたってのも嘘でしょう。お空が悪いことを考えてるんじゃないかって不安だったんですよ」
「だって、普通に教えてもつまらないでしょう?」
この人はときどき、こんな風に妖怪になる。実害はないのだが、いつ、どんな風にやらかすか予想できない。そのため、お燐達はこれまで何度も振り回されてきた。その意味ではパルスィの方がわかりやすい分まだマシだ。
「いいじゃない、たまには羽目を外しても」
「だめとは言ってませんよ」
再びお燐はため息をついた。
「お空もお空ですよ。秘密にせず、あたいに言ってくれれば早く見つけられるのに」
「サプライズにしたかったそうよ。ほんといい子ね」
さとりが膝上のお空の髪を撫でつける。シルクのように綺麗な黒髪が照明を反射して輝いていた。
「ほんとはね。私がやらなきゃいけないのよ。姉だから。それなのに、みんなに気を遣わせてしまって……ごめんなさい。頼りない飼い主で」
さとりは弱々しい微笑みをみせた。ずっと気にしていたのかもしれないとお燐は思った。
お燐は膝を曲げてさとりと目線を合わせた。さとりの手に自分の手を重ね、お空の頭の上で橋がかけられた。
「さとり様、そういうときは『ありがとう』って言えばいいんですよ」
「……ありがとう、お燐。お空も」
さとりの表情は変わらなかったが、眼に軟らかな光が宿ったようにお燐には見えた。嬉しくなってお燐は笑顔になった。
きまぐれで、めんどくさくて、ほんとに困った人だと思う。
それなのに嫌いになれないのは飼い慣らされたせいだろうか。
嫌な気分にはならなかった。
お空のあくびが聞こえてきて、二人は慌てて手を放した。
大型犬のようにゆっくりと起き上がった。
「ああ、お燐だぁ」目をこすりながらお空が言った。
「お空、あんたねぇ…」お燐は途中で言いよどんだ。
「どうかした?」
「…なんでもない」
あんたのせいで大変だった。そう言おうとしたが、やめにした。
いたずらっ子の笑顔で、さとりが唇の前で人差し指を立てていたのだ。
カワセミ氏の飾らない文体が以前からとても好きでした。今回も楽しませて頂きました。
いかにも少額って感じで
のび太が商売する時、一律10円でやり取りするみたいな感じ(子供らしい金銭感覚)
中盤から終盤にかけて話がどんどん進んでいくところがとくに読みやすかった
気が付いたら読み終わってました
良かったです!
良いお話でしたね