1、
自分とは違うセンスの友人を持つと、毎日が少しだけ楽しくなります。
つい先日も、そのことに改めて気づかせてくれるような出来事がありました。
きっかけは、里の道具屋で剃刀ひと月分を買いだめした帰り道、貸本屋の前で店から出てきた赤蛮奇にばったり会ったときのことです。
「最近ちゃんと食事は食べられてる?」
「あんまり。影狼は?」
「私もさっぱりね」
いうまでもなく我々にとって食事とは人間の恐怖心のことです。
私たち二人は比較的普通の食事でもやっていける性質だけれど、ずっと食べていないとやっぱりどこか調子が良くないのです。
そんないつものやり取りをしていると、蛮奇の手に外の世界のものらしい総天然色の本が握られていることに気付きました。
私が本にちらりと視線を走らせると、蛮奇は本を後ろ手にさっと隠そうとします。
隠されるとかえって気になりますよね。そこで「何の本?」と尋ねると、彼女はうぅむと何か観念したように唸りながら本の表紙を見せてくれました。
『不思議の国のアリス』
有名な児童書ですね。私もあらすじくらいは知っていますが、実際に見たのは初めてでした。
本の表紙には青と白のエプロンドレスを着た幼い少女が描かれています。
蛮奇は「この本は気に入ってるんだけど外来本を買うほどお金はないから時々ここで借りてるのよ」などと言います。
「ふふふ、可愛いじゃない」
思わず素直なコメントが口をついたのでした。表紙のヒロインに対してだけではありません。
普段斜に構えてる蛮奇が『アリス』を読むなんて、意外に可愛いらしいところあるなあ、なんて思ったわけです。蛮奇はそんな私の反応に顔を少しだけ赤くしていました。
あまり他人と付き合うのが好きな方ではない蛮奇ですが、私とはなんだかんだ良く遊んでくれます。
それでも意外に知らないことも多いんですね。
これからはもう少し掘り下げてみよう、皮肉屋で斜に構えキャラで通ってる蛮奇のはにかんだ顔、ちょっと新鮮だし。
なんてそのときの私は思っていました。
ただ、このとき私は彼女の愛読書の意味を誤解をしていたのです。
2、
蛮奇の『アリス』好きが、どうも普通とはちょっと違うと知ったのは、それから一月後のことでした。
その日私と蛮奇は人間っぽい質素な和服を着て人里の大通りで一緒に買い物をしました。
蛮奇は首を飛ばさなければただの人間みたいですし、
満月はまだ遠いので私も平常心を保っている限りまるっきり人間に見えるはずです。
私は剛毛に負けない剃刀と櫛を補充して、蛮奇はリボンを新調して二人ともご機嫌です。
目的のものも手に入り、通りを歩いていると、広場で人形遣いの魔法使いが小さな子供たち相手に人形劇をやっているのが目に入ります。
私たちは特にすることもなかったのでそのまま人形劇を観ました。内容は手に汗握る冒険もの。
若者が巨人に奪われた姫を助け出す場面では人形が震え、飛びかかり、駆け回り、魔法の糸があると分かっていても生きているんじゃないかと錯覚するような人形たちの動きに目が釘づけになります。
若者と姫が結婚するフィナーレでは、全ての人形が舞台に整列して一斉にダンスします。
後から知ったのですが、彼女の人形劇はとても有名なんだそうです。私も洗練された芸術だという印象を受けました。
私は子供たちに交じって力一杯拍手します。そんな私を横目に蛮奇は「影狼、あんまりはしゃいで耳とか出さないでよ」と冷静な声で注意するんですが、どんなに隠したつもりでも、蛮奇もワクワクそわそわしています。別に覚りじゃなくても、そこそこ長い付き合いをしていれば分かります。頭が無意識に首からずれているのがその印なので覚えておくと面白いと思います。
私は劇が終わると人形遣いさんに駆け寄って話しかけました。
「とても良かったです。初めて見ましたけど、まるで生きてるみたいに人形が駆け回って最高でした」
「あら、ありがとう。そう言ってくれると嬉しいわ」
人形遣いさんはとても上品な人ですが、人形のこととなると静かな熱が口調にこもります。彼女は夏祭りの納涼企画のためのちょっと怖い人形劇をどうするか悩んでいました。ところで人見知りの蛮奇は少し離れたところでチラチラと私たちを見ているだけです。照れずに自分も来ればいいのに、と思うのですが。
「あの人形遣いさん、アリスって名前なんだって」
私が蛮奇の愛読書を念頭に何気ない風に呟くと、蛮奇は「ふーん」と言いながら、セットを片付け中の魔法使いの背中を見つめました。首がまたズレてきます。
不思議の国のヒロインと同じ名前の魔法使い。アリスさんはどことなく都会的な雰囲気で、可憐さと気品が同居している感じの人です。
蛮奇はきっと憧れのアリスが年頃に成長した感じの人に会えて、ミーハーに浮かれているのでしょう。
またも、皮肉屋で斜に構えキャラの蛮奇をからかうチャンスね、くらいに考えていました。
「綺麗な人だよね。蛮奇の好きな本のヒロインと名前が一緒」そう私が言うと、蛮奇は神妙にうんと頷いて、ワクワクを隠しきれない上ずった声で妙なことを言うのです。
「あの人も、首のびるのかな」
本当、何言ってるんだろう……。
計りかねた私は「あの人は魔法使いであって飛頭蛮でもろくろ首でもないわ」と返したのですが、
蛮奇は「まあ来なさい」と私を自宅に呼んでくれました。解説が長くなるからです。
3、
『不思議の国のアリス』はケッサクな飛頭蛮小説である。
私が?マークを浮かべている様子が分かったのでしょう。
すかさず蛮奇は「そもそもさ、影狼は不思議の国のアリスをどのくらいちゃんと知ってる?」と訊いてくきます。
『アリス』くらい私だってあらすじは知っています。
主人公のアリスが兎を追いかけて穴に落ちたら、そこは不思議な部屋で、体の大きさを変える小瓶入りの薬が二本置いてあって「わたしをのんで」と書かれた一方を飲めば体が小さくなる、慌ててもう一方を飲めば大きくなる。
そんな感じでしょう。私がそう言うと、蛮奇は「それは短縮版」と得意げに解説します。
「短縮版じゃなくて、ちゃんと原作を読んでみて。まず、そもそも、原作では体を小さくするビンはあるけど、大きくするビンは最初の部屋にはない。その代わりケーキを食べるとアリスは大きくなる。そして、扇を煽ぐとまた小さくなる。その後、ウサギの家で大きくなる瓶が登場するけど、お菓子を食べてまた小さくなる。そのあと食べる箇所によって大きくなるか小さくなるかが変わるキノコが出てくる」
長々と語られました。
蛮奇は、普段はクールぶっていますが、妙なところに饒舌になるスイッチがあって、ときどきこうなります。
わかさぎ姫がいれば、うんうん頷きながら相づちを打ってくれるんですが。
しょうがないので私は「なんか体のサイズが変わってばっかりね」と無難に返しておきました。
「そう。それがアリスの不安定なアイデンティティを象徴しているという解釈が一般的だ」
アイデンティティってなんだかよく分からないけど、そんな小難しいこと考えながら子供の本読んでいるのでしょうか。
「しかし、飛頭蛮的に注目すべきはこのキノコだろう。こいつを食べると、飛頭蛮になる」
「……うん?」
体の大きさが変わるキノコだという話ではなかったか。
「これは実際に読んでみるといい。特にオススメはこの北欧版、の日本語訳。絵がいいんだ」
「この間とは違う版ね。こっちのイラストはちょっと儚げで消えちゃいそうな繊細な感じがするわ」
「ね。これ、頭落ちてるでしょ」
言われてみれば、普通に小さくなったのなら自分の足にぶつかるわけはないですよね。
「そして決定的なのは次のシーンだ」
なるほど確かにそうです。こんなシーンあったんですね。あらすじだけで知った気になっていた私が浅はかでした。
私は生白い首をろくろ首みたいに長く伸ばしたアリスの挿絵と、友人の色白な首筋を何度か見比べました。
その友人はといえば、「こういう文章を読むと初めて首を飛ばした日を想い出すね」としみじみと回想に耽っています。
これは確かに飛頭蛮小説と言えないこともないかもしれません。
「それだけじゃない。後半で登場するトランプの女王がやたらと誰かの首を刎ねろと喚くんだ。前に数えたらきちんと台詞で分かるものだけで十数回。示唆されているものを含むと20回を有に超える首刎ね命令を出している。ふふふ……」
「そこ笑うところなんだ」
「首を刎ねられたら飛頭蛮になるとみるのか、それとも首刎ねに執着した業で女王自身が飛頭蛮になってしまうとみるのか」
「てつがくてきね」
「そう、哲学的だ。だが、真に哲学的にケッサクなのは、やはりチェシャ猫首切り問題だろう」
「……うん?」
なんだか、また変なスイッチを踏んだようです。
チェシャ猫くらいは私も知ってます。アリスと言ったら真っ先に思い浮かぶキャラクターのひとつで、耳まで裂けるようなニヤニヤ笑いを浮かべてる猫です。突然消えたり現れたりするし、ゆっくり消えたりするもんだから顔だけ残ったり、「ニヤニヤ笑い」だけ空中に残ったりする。それがどうしたというのでしょうか。
「チェシャ猫の無礼に怒った女王が例によって首を刎ねよと命令するんだけど、まあ問題の箇所を読んでみてくれ」
蛮奇は私が問題のページを読み上げると、隣でわっはっはと声を上げて笑いました。笑いながら首がぼとりと落ちて、自分の足にあごをぶつけて痛がりながらもまだ笑ってます。
「私、思うんだけど、この本の作者はきっと飛頭蛮だったんだよ。じゃないとこんなに生き生きと首のことを書けるはずがない」
私はへんなセンスの友人に呆れながらも、そういう発想は自分にはできそうもなくて素直に感心しました。そして、妖怪が違えば同じものを見ても見ている世界が全然違うんだなあというような月並みなことを、しかし実感をもって考えこみました。
蛮奇には蛮奇の世界がある。同じように私にも私の世界がある。わかさぎ姫には姫の世界がある。私が月を見上げているとき、隣で蛮奇やわかさぎ姫も「風流ねえ」「綺麗だわ」と言うけれど、私にとっての月はもっと何かこう大切で切ないもの。同じように、水の世界に棲むわかさぎ姫にとって、水の見え方・感じ方は私たちとは全く違うはずです。
私からすると、蛮奇の『アリス』の読み方はグロテスクで歪みがあるような気がします。でも蛮奇の目で見た世界をちょっとだけ自分も見ることができたような気がして、なにか心惹かれるような新鮮な面白さも同時に感じました。
そこで、私は一つ良いことを思いつきました。
4、
夏祭りの日の夕暮れ、「恐怖人形劇・アリス・グランギニョレスク」は幕を開けた。
不思議の国のアリスの筋書きを大枠でなぞりながらも、ホラー仕立ての暗くて陰鬱な人形と小道具に台詞回しで、『アリス』原作の怖い部分をこれでもかと誇張した劇だ。
アリス役の可愛らしい上海人形の白い首が突然うどんみたいに柔かくぐにゃぐにゃ伸びて他の人形に絡まる演出である。
大人が見たって卒倒しそうだ。
チェシャ猫役の蓬莱人形(首のみ)をめぐって、首だけで首は吊れない、いいや首があれば首を吊れるはずだというくだりでは絵づらの怖さで泣き出した子が続出した。
最初はたかが人形劇と思って観ていた年長の子や大人も次第に真に迫っていく歪んだ世界観に目を離せなくなっていく。
トランプの女王が「全員の首を刎ねよ!」と叫ぶのと、アリスが「あんたたちなんてみんなトランプじゃない、ばかばかしい!」と叫ぶのは同時だった。その瞬間、トランプ兵の人形の首が一斉に飛び抜ける。
高笑いする女王の首がぐるんと一周回転してぼとりと落ちる。アリス人形は何かに怯えるように自分の頭を両手で押さえるが、幕が降りきる直前の舞台と幕の僅かな隙間から、首が落ちるのがちらりと見えた。
終幕後も、観客は口を利かず拍手もできない。そのいやな静寂を破ったのは、何か重いものを落としたような、ごとん、ごとん、という鈍い音。続けて観客席のあちこちで悲鳴が上がる。あちこちで、人の首が取れているのだ。
すると、カーテンコールもないのに幕が開き、全部の人形が首を落としたり伸ばした状態で舞台に勢揃いし、人形遣いのアリスさんが舞台の前に出てくる。アリスさんは何も言わず、ただ、お辞儀をする。彼女の綺麗な首が、そのままぐにゃんと伸びる。
5、
「劇、大反響でしたね」
わかさぎ姫がにこにこ笑って、失神した人もいっぱいいたわ、とアリスさんに観客の怯え方を面白そうに報告しました。
彼女は車椅子で観客席で観劇していたんです。
虫も殺さない性格の子なのに、ときどきちゃんと妖怪っぽいことを言うのが面白いですね。
「あなたたちの提案のおかげね。何かお礼をしないと……そうだ、良かったらうちに遊びに来ない? 夕食くらいならごちそうするわ」
「私はもう人間の恐怖心でお腹いっぱいだから、遠慮しとくよ」
蛮奇は素っ気なく言ったのですが、首がまたズレていました。
恐怖心と料理は別腹だから仕方がありません。
それに自分や他人の首が抜けたような錯覚を会場中の人間に与えるのは妖力も消耗して大変だったはずです。
わかさぎ姫は姫で「そんな、悪いですよ」と遠慮しつつ、声は期待してるときの弾んだ感じです。
しょうがない。ここは私の出番でしょう。
「せっかく誘ってもらったんだから、お言葉に甘えましょ」
アリスさんに夕食(これがすっごく美味しい)をごちそうしてもらいながら、
私は次回作ではぜひウェアウルフものをやりましょうと提案しました。
人狼の怖さと魅力を私が語ると人形遣いさんはふむふむとしっかり頷いてくれて好感触です。
それからわかさぎ姫がうずうずしているのが目に入ったので、次次回では人魚もので行きましょうと売り込みます。
「それもいいかもね、そうだ、次回と次々回も貴女たちに演出を頼めるかしら?」
わかさぎ姫は綺麗な目を輝かせて私と蛮奇をかわりばんこに見つめます。
「草の根演出ネットワークだね」
「いや、そもそも私は草の根妖怪ネットワークに入った覚えはない」
「蛮奇は強情なんだから……。これだけ一緒にやってれば、実質入っているようなもんでしょ。
そんな風に素直じゃないから、頭と体が離れちゃうんだよ」
「そうであれば、飛頭蛮としてはますますネットワークに入るわけにはいかない」
蛮奇はまだひねくれたことを言っていますが、草の根妖怪ネットワークはそんな個性も笑って受け入れます。
妖怪なんだから癖があって当たり前ですし。
私たちは異変の首謀者にはなれない草の根妖怪だけれども、それぞれが自分の世界を確かに持っている誇りある一妖怪です。
そうした自分のみる世界を活かして人形劇を演出し、人間の感情を食べることができる。
これは草の根妖怪にとって、食料を確保する新しい方法になるかもしれませんね。
皆さんにも自分とは違う不思議な感覚を持った友人がいるなら、一歩踏み出してかかわって、
その子が見ている不思議な世界を覗かせてもらってはいかがでしょう。
思ってもみなかったものの見方や出来事に出逢えるかもしれませんよ。
自分とは違うセンスの友人を持つと、毎日が少しだけ楽しくなります。
つい先日も、そのことに改めて気づかせてくれるような出来事がありました。
きっかけは、里の道具屋で剃刀ひと月分を買いだめした帰り道、貸本屋の前で店から出てきた赤蛮奇にばったり会ったときのことです。
「最近ちゃんと食事は食べられてる?」
「あんまり。影狼は?」
「私もさっぱりね」
いうまでもなく我々にとって食事とは人間の恐怖心のことです。
私たち二人は比較的普通の食事でもやっていける性質だけれど、ずっと食べていないとやっぱりどこか調子が良くないのです。
そんないつものやり取りをしていると、蛮奇の手に外の世界のものらしい総天然色の本が握られていることに気付きました。
私が本にちらりと視線を走らせると、蛮奇は本を後ろ手にさっと隠そうとします。
隠されるとかえって気になりますよね。そこで「何の本?」と尋ねると、彼女はうぅむと何か観念したように唸りながら本の表紙を見せてくれました。
『不思議の国のアリス』
有名な児童書ですね。私もあらすじくらいは知っていますが、実際に見たのは初めてでした。
本の表紙には青と白のエプロンドレスを着た幼い少女が描かれています。
蛮奇は「この本は気に入ってるんだけど外来本を買うほどお金はないから時々ここで借りてるのよ」などと言います。
「ふふふ、可愛いじゃない」
思わず素直なコメントが口をついたのでした。表紙のヒロインに対してだけではありません。
普段斜に構えてる蛮奇が『アリス』を読むなんて、意外に可愛いらしいところあるなあ、なんて思ったわけです。蛮奇はそんな私の反応に顔を少しだけ赤くしていました。
あまり他人と付き合うのが好きな方ではない蛮奇ですが、私とはなんだかんだ良く遊んでくれます。
それでも意外に知らないことも多いんですね。
これからはもう少し掘り下げてみよう、皮肉屋で斜に構えキャラで通ってる蛮奇のはにかんだ顔、ちょっと新鮮だし。
なんてそのときの私は思っていました。
ただ、このとき私は彼女の愛読書の意味を誤解をしていたのです。
2、
蛮奇の『アリス』好きが、どうも普通とはちょっと違うと知ったのは、それから一月後のことでした。
その日私と蛮奇は人間っぽい質素な和服を着て人里の大通りで一緒に買い物をしました。
蛮奇は首を飛ばさなければただの人間みたいですし、
満月はまだ遠いので私も平常心を保っている限りまるっきり人間に見えるはずです。
私は剛毛に負けない剃刀と櫛を補充して、蛮奇はリボンを新調して二人ともご機嫌です。
目的のものも手に入り、通りを歩いていると、広場で人形遣いの魔法使いが小さな子供たち相手に人形劇をやっているのが目に入ります。
私たちは特にすることもなかったのでそのまま人形劇を観ました。内容は手に汗握る冒険もの。
若者が巨人に奪われた姫を助け出す場面では人形が震え、飛びかかり、駆け回り、魔法の糸があると分かっていても生きているんじゃないかと錯覚するような人形たちの動きに目が釘づけになります。
若者と姫が結婚するフィナーレでは、全ての人形が舞台に整列して一斉にダンスします。
後から知ったのですが、彼女の人形劇はとても有名なんだそうです。私も洗練された芸術だという印象を受けました。
私は子供たちに交じって力一杯拍手します。そんな私を横目に蛮奇は「影狼、あんまりはしゃいで耳とか出さないでよ」と冷静な声で注意するんですが、どんなに隠したつもりでも、蛮奇もワクワクそわそわしています。別に覚りじゃなくても、そこそこ長い付き合いをしていれば分かります。頭が無意識に首からずれているのがその印なので覚えておくと面白いと思います。
私は劇が終わると人形遣いさんに駆け寄って話しかけました。
「とても良かったです。初めて見ましたけど、まるで生きてるみたいに人形が駆け回って最高でした」
「あら、ありがとう。そう言ってくれると嬉しいわ」
人形遣いさんはとても上品な人ですが、人形のこととなると静かな熱が口調にこもります。彼女は夏祭りの納涼企画のためのちょっと怖い人形劇をどうするか悩んでいました。ところで人見知りの蛮奇は少し離れたところでチラチラと私たちを見ているだけです。照れずに自分も来ればいいのに、と思うのですが。
「あの人形遣いさん、アリスって名前なんだって」
私が蛮奇の愛読書を念頭に何気ない風に呟くと、蛮奇は「ふーん」と言いながら、セットを片付け中の魔法使いの背中を見つめました。首がまたズレてきます。
不思議の国のヒロインと同じ名前の魔法使い。アリスさんはどことなく都会的な雰囲気で、可憐さと気品が同居している感じの人です。
蛮奇はきっと憧れのアリスが年頃に成長した感じの人に会えて、ミーハーに浮かれているのでしょう。
またも、皮肉屋で斜に構えキャラの蛮奇をからかうチャンスね、くらいに考えていました。
「綺麗な人だよね。蛮奇の好きな本のヒロインと名前が一緒」そう私が言うと、蛮奇は神妙にうんと頷いて、ワクワクを隠しきれない上ずった声で妙なことを言うのです。
「あの人も、首のびるのかな」
本当、何言ってるんだろう……。
計りかねた私は「あの人は魔法使いであって飛頭蛮でもろくろ首でもないわ」と返したのですが、
蛮奇は「まあ来なさい」と私を自宅に呼んでくれました。解説が長くなるからです。
3、
『不思議の国のアリス』はケッサクな飛頭蛮小説である。
私が?マークを浮かべている様子が分かったのでしょう。
すかさず蛮奇は「そもそもさ、影狼は不思議の国のアリスをどのくらいちゃんと知ってる?」と訊いてくきます。
『アリス』くらい私だってあらすじは知っています。
主人公のアリスが兎を追いかけて穴に落ちたら、そこは不思議な部屋で、体の大きさを変える小瓶入りの薬が二本置いてあって「わたしをのんで」と書かれた一方を飲めば体が小さくなる、慌ててもう一方を飲めば大きくなる。
そんな感じでしょう。私がそう言うと、蛮奇は「それは短縮版」と得意げに解説します。
「短縮版じゃなくて、ちゃんと原作を読んでみて。まず、そもそも、原作では体を小さくするビンはあるけど、大きくするビンは最初の部屋にはない。その代わりケーキを食べるとアリスは大きくなる。そして、扇を煽ぐとまた小さくなる。その後、ウサギの家で大きくなる瓶が登場するけど、お菓子を食べてまた小さくなる。そのあと食べる箇所によって大きくなるか小さくなるかが変わるキノコが出てくる」
長々と語られました。
蛮奇は、普段はクールぶっていますが、妙なところに饒舌になるスイッチがあって、ときどきこうなります。
わかさぎ姫がいれば、うんうん頷きながら相づちを打ってくれるんですが。
しょうがないので私は「なんか体のサイズが変わってばっかりね」と無難に返しておきました。
「そう。それがアリスの不安定なアイデンティティを象徴しているという解釈が一般的だ」
アイデンティティってなんだかよく分からないけど、そんな小難しいこと考えながら子供の本読んでいるのでしょうか。
「しかし、飛頭蛮的に注目すべきはこのキノコだろう。こいつを食べると、飛頭蛮になる」
「……うん?」
体の大きさが変わるキノコだという話ではなかったか。
「これは実際に読んでみるといい。特にオススメはこの北欧版、の日本語訳。絵がいいんだ」
「この間とは違う版ね。こっちのイラストはちょっと儚げで消えちゃいそうな繊細な感じがするわ」
.
アリスはしばらくの間、キノコをじっくりにらんで、どちらがどちらの側なのか何とか見きわめようとした。
でも、キノコは完璧に真ん丸だったものだから、見分けるのは至難のわざでね。
とうとうアリスは、腕をせいいっぱいひろげて伸ばすと、キノコの端っこを両手でちょこっとずつちぎり取った。
「さてと、どっちがどっち?」
つぶやきながら、アリスはほんの少しだけ右手のかけらをかじって効き目を確かめようとした。
とたんに、あごを下からガツンと殴られたみたいな衝撃を感じてね。なんと、自分の足にぶつかったのさ!
あまりにも急激な変わりようにびっくり仰天したけれど、そうこうするうちにも縮んでいくから、一刻もむだにはできなくて、アリスはすぐさま、もう片方のかけらを食べにかかった。
あごが足にぐいぐい押しつけられていたから、口を開けるのもひと苦労だったけど、ついにはやってのけて、左手のかけらをひと口飲み込むことができたってわけ。
でも、キノコは完璧に真ん丸だったものだから、見分けるのは至難のわざでね。
とうとうアリスは、腕をせいいっぱいひろげて伸ばすと、キノコの端っこを両手でちょこっとずつちぎり取った。
「さてと、どっちがどっち?」
つぶやきながら、アリスはほんの少しだけ右手のかけらをかじって効き目を確かめようとした。
とたんに、あごを下からガツンと殴られたみたいな衝撃を感じてね。なんと、自分の足にぶつかったのさ!
あまりにも急激な変わりようにびっくり仰天したけれど、そうこうするうちにも縮んでいくから、一刻もむだにはできなくて、アリスはすぐさま、もう片方のかけらを食べにかかった。
あごが足にぐいぐい押しつけられていたから、口を開けるのもひと苦労だったけど、ついにはやってのけて、左手のかけらをひと口飲み込むことができたってわけ。
村山由佳訳『不思議の国のアリス』83 −84頁より。
「ね。これ、頭落ちてるでしょ」
言われてみれば、普通に小さくなったのなら自分の足にぶつかるわけはないですよね。
「そして決定的なのは次のシーンだ」
.
「ほーら、やっと頭が楽になったわ!」
嬉しそうにそう言ったアリスの声は、次の瞬間には悲鳴に変わっていた。
だって、自分の肩がどこにも見えなくなっちゃってたんだ。
下を見おろしても、目に映るものといったらありえない長さの首ばかり。
それが、まるで何かの茎みたいに、はるか下界にひろがる緑の海原からにゅうっと突き出て見えるんだ。
(中略)
すると嬉しいことに、首はどの方向にでも簡単に曲げられるんだ。まるでヘビみたいにね。アリスはうまいこと首をくねらせながら、優美なジグザグを描くように下ろしていって、葉っぱの中へともぐりこんだ。
嬉しそうにそう言ったアリスの声は、次の瞬間には悲鳴に変わっていた。
だって、自分の肩がどこにも見えなくなっちゃってたんだ。
下を見おろしても、目に映るものといったらありえない長さの首ばかり。
それが、まるで何かの茎みたいに、はるか下界にひろがる緑の海原からにゅうっと突き出て見えるんだ。
(中略)
すると嬉しいことに、首はどの方向にでも簡単に曲げられるんだ。まるでヘビみたいにね。アリスはうまいこと首をくねらせながら、優美なジグザグを描くように下ろしていって、葉っぱの中へともぐりこんだ。
村山由佳訳『不思議の国のアリス』84 −85頁より。
なるほど確かにそうです。こんなシーンあったんですね。あらすじだけで知った気になっていた私が浅はかでした。
私は生白い首をろくろ首みたいに長く伸ばしたアリスの挿絵と、友人の色白な首筋を何度か見比べました。
その友人はといえば、「こういう文章を読むと初めて首を飛ばした日を想い出すね」としみじみと回想に耽っています。
これは確かに飛頭蛮小説と言えないこともないかもしれません。
「それだけじゃない。後半で登場するトランプの女王がやたらと誰かの首を刎ねろと喚くんだ。前に数えたらきちんと台詞で分かるものだけで十数回。示唆されているものを含むと20回を有に超える首刎ね命令を出している。ふふふ……」
「そこ笑うところなんだ」
「首を刎ねられたら飛頭蛮になるとみるのか、それとも首刎ねに執着した業で女王自身が飛頭蛮になってしまうとみるのか」
「てつがくてきね」
「そう、哲学的だ。だが、真に哲学的にケッサクなのは、やはりチェシャ猫首切り問題だろう」
「……うん?」
なんだか、また変なスイッチを踏んだようです。
チェシャ猫くらいは私も知ってます。アリスと言ったら真っ先に思い浮かぶキャラクターのひとつで、耳まで裂けるようなニヤニヤ笑いを浮かべてる猫です。突然消えたり現れたりするし、ゆっくり消えたりするもんだから顔だけ残ったり、「ニヤニヤ笑い」だけ空中に残ったりする。それがどうしたというのでしょうか。
「チェシャ猫の無礼に怒った女王が例によって首を刎ねよと命令するんだけど、まあ問題の箇所を読んでみてくれ」
.
首切り役人の言い分はこうだった。いくら首を切り離せと言われても、切り離されるべき胴体がないのでは無理な相談だ。
これまでそんなことは一度もやったことがないし、この年になって今さら始めるつもりもない。
王様の言い分はこうだ。およそ何であれ、首があるからには、それを切り離すこともできるはずじゃ。たわけたことを申すな。
そして女王様の言い分はといえば、今すぐ、ただちにどうにかしないと、ここにいる全員を死刑にするぞ、だった(この最後の発言のせいでみんな、あれほど深刻で不安そうな顔をしていたんだね)。
これまでそんなことは一度もやったことがないし、この年になって今さら始めるつもりもない。
王様の言い分はこうだ。およそ何であれ、首があるからには、それを切り離すこともできるはずじゃ。たわけたことを申すな。
そして女王様の言い分はといえば、今すぐ、ただちにどうにかしないと、ここにいる全員を死刑にするぞ、だった(この最後の発言のせいでみんな、あれほど深刻で不安そうな顔をしていたんだね)。
村山由佳訳『不思議の国のアリス』147 −148頁より。
蛮奇は私が問題のページを読み上げると、隣でわっはっはと声を上げて笑いました。笑いながら首がぼとりと落ちて、自分の足にあごをぶつけて痛がりながらもまだ笑ってます。
「私、思うんだけど、この本の作者はきっと飛頭蛮だったんだよ。じゃないとこんなに生き生きと首のことを書けるはずがない」
私はへんなセンスの友人に呆れながらも、そういう発想は自分にはできそうもなくて素直に感心しました。そして、妖怪が違えば同じものを見ても見ている世界が全然違うんだなあというような月並みなことを、しかし実感をもって考えこみました。
蛮奇には蛮奇の世界がある。同じように私にも私の世界がある。わかさぎ姫には姫の世界がある。私が月を見上げているとき、隣で蛮奇やわかさぎ姫も「風流ねえ」「綺麗だわ」と言うけれど、私にとっての月はもっと何かこう大切で切ないもの。同じように、水の世界に棲むわかさぎ姫にとって、水の見え方・感じ方は私たちとは全く違うはずです。
私からすると、蛮奇の『アリス』の読み方はグロテスクで歪みがあるような気がします。でも蛮奇の目で見た世界をちょっとだけ自分も見ることができたような気がして、なにか心惹かれるような新鮮な面白さも同時に感じました。
そこで、私は一つ良いことを思いつきました。
4、
夏祭りの日の夕暮れ、「恐怖人形劇・アリス・グランギニョレスク」は幕を開けた。
不思議の国のアリスの筋書きを大枠でなぞりながらも、ホラー仕立ての暗くて陰鬱な人形と小道具に台詞回しで、『アリス』原作の怖い部分をこれでもかと誇張した劇だ。
アリス役の可愛らしい上海人形の白い首が突然うどんみたいに柔かくぐにゃぐにゃ伸びて他の人形に絡まる演出である。
大人が見たって卒倒しそうだ。
チェシャ猫役の蓬莱人形(首のみ)をめぐって、首だけで首は吊れない、いいや首があれば首を吊れるはずだというくだりでは絵づらの怖さで泣き出した子が続出した。
最初はたかが人形劇と思って観ていた年長の子や大人も次第に真に迫っていく歪んだ世界観に目を離せなくなっていく。
トランプの女王が「全員の首を刎ねよ!」と叫ぶのと、アリスが「あんたたちなんてみんなトランプじゃない、ばかばかしい!」と叫ぶのは同時だった。その瞬間、トランプ兵の人形の首が一斉に飛び抜ける。
高笑いする女王の首がぐるんと一周回転してぼとりと落ちる。アリス人形は何かに怯えるように自分の頭を両手で押さえるが、幕が降りきる直前の舞台と幕の僅かな隙間から、首が落ちるのがちらりと見えた。
終幕後も、観客は口を利かず拍手もできない。そのいやな静寂を破ったのは、何か重いものを落としたような、ごとん、ごとん、という鈍い音。続けて観客席のあちこちで悲鳴が上がる。あちこちで、人の首が取れているのだ。
すると、カーテンコールもないのに幕が開き、全部の人形が首を落としたり伸ばした状態で舞台に勢揃いし、人形遣いのアリスさんが舞台の前に出てくる。アリスさんは何も言わず、ただ、お辞儀をする。彼女の綺麗な首が、そのままぐにゃんと伸びる。
5、
「劇、大反響でしたね」
わかさぎ姫がにこにこ笑って、失神した人もいっぱいいたわ、とアリスさんに観客の怯え方を面白そうに報告しました。
彼女は車椅子で観客席で観劇していたんです。
虫も殺さない性格の子なのに、ときどきちゃんと妖怪っぽいことを言うのが面白いですね。
「あなたたちの提案のおかげね。何かお礼をしないと……そうだ、良かったらうちに遊びに来ない? 夕食くらいならごちそうするわ」
「私はもう人間の恐怖心でお腹いっぱいだから、遠慮しとくよ」
蛮奇は素っ気なく言ったのですが、首がまたズレていました。
恐怖心と料理は別腹だから仕方がありません。
それに自分や他人の首が抜けたような錯覚を会場中の人間に与えるのは妖力も消耗して大変だったはずです。
わかさぎ姫は姫で「そんな、悪いですよ」と遠慮しつつ、声は期待してるときの弾んだ感じです。
しょうがない。ここは私の出番でしょう。
「せっかく誘ってもらったんだから、お言葉に甘えましょ」
アリスさんに夕食(これがすっごく美味しい)をごちそうしてもらいながら、
私は次回作ではぜひウェアウルフものをやりましょうと提案しました。
人狼の怖さと魅力を私が語ると人形遣いさんはふむふむとしっかり頷いてくれて好感触です。
それからわかさぎ姫がうずうずしているのが目に入ったので、次次回では人魚もので行きましょうと売り込みます。
「それもいいかもね、そうだ、次回と次々回も貴女たちに演出を頼めるかしら?」
わかさぎ姫は綺麗な目を輝かせて私と蛮奇をかわりばんこに見つめます。
「草の根演出ネットワークだね」
「いや、そもそも私は草の根妖怪ネットワークに入った覚えはない」
「蛮奇は強情なんだから……。これだけ一緒にやってれば、実質入っているようなもんでしょ。
そんな風に素直じゃないから、頭と体が離れちゃうんだよ」
「そうであれば、飛頭蛮としてはますますネットワークに入るわけにはいかない」
蛮奇はまだひねくれたことを言っていますが、草の根妖怪ネットワークはそんな個性も笑って受け入れます。
妖怪なんだから癖があって当たり前ですし。
私たちは異変の首謀者にはなれない草の根妖怪だけれども、それぞれが自分の世界を確かに持っている誇りある一妖怪です。
そうした自分のみる世界を活かして人形劇を演出し、人間の感情を食べることができる。
これは草の根妖怪にとって、食料を確保する新しい方法になるかもしれませんね。
皆さんにも自分とは違う不思議な感覚を持った友人がいるなら、一歩踏み出してかかわって、
その子が見ている不思議な世界を覗かせてもらってはいかがでしょう。
思ってもみなかったものの見方や出来事に出逢えるかもしれませんよ。
ひねくればんきちゃんのひねくれず素直なところが可愛らしい
とても面白くすっきりした掌編でした
劇の描写が不気味で素敵でした
アリスさんにこんな側面があったなんて知りませんでした。クレイジードリーミーワールド。
面白かったです!
キャラクターの個性を生き生きと描きつつ、テーマが一貫していて、良かったです。