Coolier - 新生・東方創想話

妖怪の山 十機の羽音

2016/05/06 02:58:27
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 滝の流れに沿うように、冷たい風がやってくる。額を流れる汗が冷やされて、あごの先端から雫がぽとんと落ちた。

 九天の滝にほど近い川原で、僕は日課の訓練をしていた。大きな段平と伝家の大盾を水平に保ちながら、一本歯の下駄を履いた片足で不安定な石の上に立つ。この鍛錬法はバランス感覚を養いながら筋力と心も同時に鍛えられる。明鏡止水、仏教ではこのようなことを禅というのだったか。

 河童の里で喉の怪我を負ってから今まで、喉の調子は今ひとつだ。これは哨戒天狗にとって大問題だった。
 我々は任務中、しばしば連絡用の遠吠えや威嚇の大声を張り上げる。特に遠目の効く僕はほかの哨戒天狗たちに異常を知らせるため、喉を始め身体を万全の状態に保たねばならない。僕の喉はまだ大声や遠吠えに対応できるほど治癒できていないため、哨戒任務に復帰するには不適当と判断された。大天狗様の通達により、しばらくの保養休暇を言い渡される。とはいえ、その休暇に甘んじていては体がなまり放題なので毎日こうして鍛錬していた。

 この姿勢をしてからどのくらい時間が経っただろう。汗で足元に水たまりが出来ていた。腕に倦怠感があらわれた頃、滝とは反対から甘い香りの風が吹いた。
「やあ、はたてさん」
「こんにちは。トレーニング、やめなくていいよ」
 段平を下ろそうとしたが、彼女は構わないようなので持ち直す。振り向きざまに少しバランスを崩したがなんとか持ちこたえた……すっ転んでいたら、格好悪いどころじゃ済まないな。
 河童の里の病院から退院してここ一週間、にとりはかっぱ印の発明に忙しくなかなか会えない。文さんも《妖怪の山天狗夏季新聞大会》に出品する新聞作りにてんやわんやで、やはり会っていない。はたてさんも文さんと同じく新聞大会に出品する。だが、文さんと違って準備がいいのか、とっくに記事を書き終えたようだ。
 天狗の新聞大会は娯楽性を問われる品評会だ。年頃の少女たちが注目している新聞《花果子念報》を普段から書いているはたてさんは、まさに得意分野の大会なのである。文さんも娯楽に富んだ新聞《文々。新聞》を刊行しているが、ほぼ特種と粗探しで埋め尽くされるゴシップ新聞なのでネタの安定供給が上手くいかない。なので文さんはいつも締め切りに追われている。
「はたてさん。今日は早いね」
「もみじのトレーニング姿見たかったから早く来ちゃった」
 僕の訓練姿を見たいだって? 変わったことを言うもんだ。
「別に面白いもんでもないでしょ」
「ううん、新鮮で楽しいわ」
「変なの」にこっと八重歯を覗かせて後ろ手で佇むはたてさん。じいっと見られながらの訓練は先ほどのものとは少し違う感じがする。何かしゃべらないと間が持たないというか、恥ずかしいというか。なぜ僕を見るのだろう。いや、二人でいるのに全く見ないのもおかしいか。

「ふう、お腹すいた。お昼にしよっか」四半刻もしないうちに訓練をやめた。お腹がすいたのではない、気恥ずかしかったからだ。僕の言葉にはたてさんは、うんと頷き小走りに駆け寄ってきた。僕たちは地面に、い草で出来たござを敷いて昼ご飯の支度をする。
「はいこれ、もみじのお弁当」
「今日も作ってくれたの。悪いなあ、でも美味しいからありがたく貰うよ」籐のかごから弁当箱を取り出し手渡してくれた。はたてさんは会いに来るたび、美味しいお弁当を作ってきてくれる。しかも僕の好みである肉が中心の弁当だ。牛や豚の肉をふんだんに使いつつ、飽きないよう色んな調理方法で料理してくれる。
「もみじのお弁当、代わりにちょうだいね。あら?」
 僕は杉の木で作った折箱をはたてさんに渡す。今日は腕によりをかけた自慢の弁当だ。
「いつもいつも干し肉じゃ悪いからね」
「この香りは……ローストビーフ! まるごと干し肉からのレベルアップがすごいね」
「ソースは秋姉妹ブランドの紅葉おろしと赤ワインソース、好きな方でご賞味あれ」実は白狼天狗の友達の見舞い品に同じソースが有ったのだ。購入先を聞いただけで、一から作ったわけじゃない。まあ、物は言いよう、ハイカラな洋風の料理を作れれば料理上手に見られるだろう。だって、いつまで経っても料理ができませんじゃあ格好悪いもの。少しは僕にも女性らしさがあることを示さなければ。
「私のお弁当はトンカツと五穀米のスタミナスペシャルよ。もみじもご賞味あれ」
 相変わらず彩り豊かなお弁当だ。豪快なお弁当なのに、あちらこちらに色とりどりの野菜やら漬物が並び、とても美味しそうに詰められている。一方僕のお弁当は茶色と赤のみ。うむむ、まだ精進がいるみたい。
 今のうちに、はたてさんの料理の技を盗んで上達せねば。今度にとりに会った時に、美味しい料理を振舞うんだ。にとりは驚くだろう、そして喜ぶだろう。にとりがはたてさんに見せるそんな顔を僕にも向けて欲しい。
「美味しいなあ、流石はたてさん。お菓子から料理までなんでもござれだね」
「そんな、私なんてまだまだよ。お料理の上手い人なんてたくさんいるもの」
 謙遜しつつも、はたてさんはにっこり微笑んでいる。

「あ、ご飯粒」
 はたてさんは僕の口元に手を伸ばしてご飯粒を取ったかと思うと、ひょいっと自分の口に運んだ。一瞬のことで何が起きたのか理解が追いつかなかった。

「どうしたの、ポケーっとしちゃって」
「い、いや、なんでもない」
 はたてさんが覗き込む。僕はどきっとした。こんなことされたのは初めてだ。油断していたとは言え、顔に手が伸びるまで全く反応できなかった。はたてさんの指の感触が頬にかすかに残っている。
「喉の怪我、大丈夫? 昨日は包帯してたけど」
 はたてさんはあっけらかんと次の話題に進んでいく。そうさ、なんてことないさ、僕だってはたてさんの頬にご飯粒がついていたらとってあげる……はず。気にせず僕もその話題に飛び乗った。
「傷は塞がったんだけど、喉に負担はあまりかけられないな。大声とか遠吠えはしちゃいけないから、まだ哨戒任務は復帰できないってさ。大天狗様からしばらく療養しなさいと言いつけられちゃった」
「そう……。触った感じは完治したように見えても安静が必要なのね。早く治れ~早く治れ~」
 そう言いながら僕の喉をすりすり撫でる。はたてさんの滑らかな指の腹が僕の喉に触れる度、言い知れぬ快感が頭に届く。
「ふ、あふ、あ、や、やめてえ」喉を撫でる手を払いのけようとしたが、気持ち良いので本気で払いのけられない。中途半端に飛び出した僕の手は、所在なく空を切っていた。
「うふふ、可愛い声だしちゃって」
「やめてってば、ふう」可愛いだって? そんなこと言われたの久しぶりだ。こんな恥ずかしい声、他の人には……特に、にとりには聞かせたくないな。またからかわれて喧嘩になる未来が容易に想像できる。
「気持ちよかった?」
「ん? んー内緒」気持ちいいなんて言ったら、弱みを握られたも同然じゃないか。白狼天狗ともあろうものが、他人に弱みを握らせる訳無いだろう。気持ちよかったのは事実だが。
「じゃあマッサージしてあげよっか」
「えっ! いいよ、大丈夫だよ」なんて娘だ。僕の弱みを握るために身体中触りまくる気だな。あいにくだが僕は喉以外にも弱点があるので、そいう易々と触らせるわけにはいかない。
「あんなに重たい剣と盾を使ってトレーニングしてるのに凝らないの?」
「確かに凝ってるけど」おっと、口が滑った。
「まかせて! 紅魔館の門番さんから大陸仕込みのマッサージを教えてもらったから」
 はたてさんは、嫌がる僕を無理やりうつ伏せに寝かせる。ござからい草の、心落ち着かせる香りが漂った。
「じゃあ横になって、首筋から行くわよ」
「いいって言ってるのに」
 はたてさんの細指が背筋をなぞるように滑っていくと、頭が真っ白になるほどの快感が僕を襲った。首や肩を順に揉まれ、長時間の鍛錬による酷使された筋肉の凝りがほぐされていく。
「はあ、はあ~ふう、はわ~」
 肩甲骨の間を押し上げるように揉まれた時、肺から空気が押し出されて意思とは無関係に変な声が飛び出した。その声に少しだけ反応したようだが、はたてさんは続けて丹念に揉んでいく。

 僕はあまりの気持ちよさに、ふやけた声を出すのもいとわなくなった。なあに、滝の轟音がかき消してくれる。そう自分に言い聞かせ、僕は我慢せずに愉悦の声を出していた。



 ======



「ああ、なんでこんな時に」私は新聞大会用のネタ作りに必死になっていた。しかし、よりにもよって一番重要なカメラの望遠機能が壊れてしまった。これでは盗撮……もとい取材用の写真が取れないではないか。なんとも運が無い。
 ただこのカメラは、にとりさんのかっぱ印ブランドなのでアフターサービスが盛りだくさん。レンズの交換もそのサービスの一環なので安心だ。
「急いでにとりさんのところに行かなきゃなりませんね」新聞記事の作成で、缶詰状態だった私。荒れきった生活のせいで、髪は乱れ服はシワが残っている。そのままの格好で、にとりさんの工房に行くのは流石に躊躇したので身支度を整えた。髪に櫛をいれ、いざという時のために畳んでいた服を引っ張り出す。仕上げにラベンダーの香水をかけて良い香りをつける。香水をつけることが習慣になってきた。いつ椛さんにあってもいいようにと、最低限の身支度に取り入れたのだ。

「そうだ、最近会えなくて椛さん成分が足りないんですよね」一直線に河童の里を目指していた私は宙返りして方向転換。椛さんは家でじっとしてるタイプではない。この時間だと九天の滝か川原でにとりさんと一緒にいるかも……にとりさんと、か。
 すこし前、にとりさんに謝ろうと必死に頭を悩ましていた椛さん。私のことを大切に思ってくれていると言ってはくれたが、本当はにとりさんのほうが大事なんだろうな――にとりさんを助けるために命をかけようとするくらい、大切に想っているんだもの――いいな、にとりさん。椛さんは私のこと、そんな風に想ってくれるかな。モヤモヤと考えているといつのまにか九天の滝についた。
 ダメダメ、暗い顔で椛さんに会うなんてとんでもない。いつも明るく楽しく接したらきっと私のことも大事に想ってくれるはず。好かれるためには地道に努力を重ねるべきだ。
 滝壺から下流へ視線を移すと、川原の巨石に人影があった。あの白い髪は椛さんだ。
「あ、いましたね。おーい椛さ……」声を掛けようとしたが慌てて飲み込んだ。バレる前に大木の後ろに身を隠す。まるでいつもの盗撮の気分だ。
 川べりの平らな巨石、椛さんはござを敷いて半裸で寝そべっている。なんて魅力的な姿。ぜひともカメラに納めるべき……いやいや、問題はそこじゃない。半裸の椛さんの上に乗っかりマッサージをしている人物がいる。でも意外なことににとりさんではなかった。 
「はたて! 二人で何を……?」なんとも羨ま、いや妬ましい。あんなこと私はおろか、にとりさんだってしたことないはず。それなのにはたてが何故椛さんに? はたてと椛さんにこんなに仲良くなる接点などあっただろうか。一緒にピクニックに行って、おいしいお菓子を食べて、にとりさんのピンチに一緒に立ち上がっただけではないか……まさか、私が永遠亭に助言を求めに行った時に仲良くなったのか。
 にとりさんのことで自分を責めて憔悴しきっていたはたてが、永遠亭から戻ったら復活していた。あの時は落ち着いただけだと思っていたけれど、もしかしたら椛さんに励まされたのかもしれない。そして親密な関係に……
「あ、あやや、椛さん……あんなとろけた顔して」こっそり木陰から覗くと椛さんはフニャフニャな顔になっていた。いつものとんがった目尻は垂れ下がり、真一文字の口はだらしなく開かれていた。私の前では、あんな顔見せたことない。
 はたてのマッサージはとんでもなく気持ちいい。私も何回かしてもらったことがあるが、絶品である。あのマッサージを施行されたら間違いなく、はたてに対する好感度が上がる。
 ずるい、ずるいよはたて。私が椛さんのこと大好きなの知ってるくせに。ぬけがけして椛さんのことを独り占めするなんて。私は歯痒く思いながら大木の表皮をメキメキと言わせていた。
「う、う~」二人のもとへ行くべきか行かざるべきか。高下駄が木の根をぎりぎり踏みしめる。
 行かなければ二人はずっとマッサージをして、より親密な関係になるに違いない。下手したら私やにとりさんより仲良くなってしまうかも……阻止しないと。ええいままよ、行ってしまえ!
 がさっと木の枝を振り払い二人の近くに降り立った。嫌がらせに木の葉をまとった旋風をぶつけてやった。
「うっぷ、あれ? 文じゃない、新聞書き終わったの?」
「はふ~あやしゃん?」
 嫌がらせはほとんど効果が無かった。椛さんがへなちょこな声を出して私を見る。私のかっこいい椛さんはどこへ行ってしまったのだろう、ここにいるのは庇護欲を掻き立てられる可愛らしい椛さんしかいない。
「あの……二人して何をしてるんですか」
「何って、マッサージだけど?」
「見れば分かりますよ。なんでここで、二人でしてるんですか」キョトンとした表情で聞きかえすはたてに、イラついた私は語尾を強めに改めて問いただす。
「あやしゃん。はたてしゃんのまっさーじ、きもちい~よ~。やってもらったら?」
「やりませんよ! 大体何ですかそのふやけ切った顔は! 椛さんはもっと引き締まった顔してたでしょう?」
「だってえ、きもちいいんだもん」
 ござに顔をぐったり預ける椛さん。可愛いけれど、嬉しくない。その可愛い顔を作ったのは私ではなく、はたてなのだから。私がその顔を作れる唯一の存在になりたかった。だが後悔しても、遅かった。
「はたてもはたてですよ、私がいない間にこんなこと……ちょっと、マッサージ続けないでくださいよ!」
「いいじゃない、もみじが気持ちいいって言ってるんだから。ねえ」
「ふぁい」
 はたては流し目で椛さんを見ながら椛さんを揉み続ける。まさか私にあてつけてわざとやっているのだろうか。椛さんの気の抜けた声が耳に残る。私だけにその声を向けてくださいよ、椛さん。
 一向にやめる気配の無い二人に、焦りと苛立ちがつのり、ついに私は本音が出た。
「ずるい! 私もマッサージしてあげますから」カコンと高下駄が鳴り響く。
「冗談でしょ? 前に私を絶叫させたくらい、マッサージ下手だったじゃない」
「う、いや、前より上手くなりましたよ!」はたてはつまらない過去をあげつらった。あの時は、ちょっと腕を逆に捻じ曲げただけじゃない。あの後もマッサージの勉強などしていないが、たぶん大丈夫。愛情が伝われば椛さんも分かってくれるはず。何よりも、はたてから椛さんを取り戻さないと。
「ハイ、変わって! 椛さん、今度は私が気持ちよくさせますよ」
「あやしゃんもできるの?」
 ふふふ。これで私のマッサージが気持ちいいと知ってもらえたら、ずっと椛さんを揉んであげるんだ。私の虜にしちゃおうっと。
 うつ伏せの椛さんにまたがり、見よう見まねのマッサージを始める。上半身がほとんど裸の椛さんに触るのは初めてだ。きめ細かい肌は健康的に日焼けしている。程よくしまった筋肉質な身体は、小さいのにスマートでカッコイイ。ああ、裸の椛さん気持ちいいなあ。
「ふぎゃ!? や、やめ、イタタタ、ぎゃわわっ!」
 突然椛さんが騒ぎ始めた。どうしたのだろう、筋肉の硬い所に拳骨でグリグリしただけなのに。はたてが私にマッサージしてくれた時、そんなことをしてた記憶がある。痛いということは古傷でもあったのだろうか、力加減を間違えたとは思えない。
「痛い! やめろって、文さん下手だな。骨を直接圧迫するなよ!」
 筋肉だと思っていたら骨だったのか。
「はたてと私、どっちが気持ち良かったですか?」
「痛いって言ってるのにその質問はおかしいだろ。比べるまでもなく、はたてさんのほうが気持ちいいよ!」
「そんなあ……」ものすごく怒らせてしまった。私の虜にするはずがどうしてこうなったのだろう。
「文さんのせいで逆に痛めちゃったよ、まったく」
「はい変わって。私のは美鈴に教えてもらった正しいマッサージなのよ。後で文にも教えてあげるから」
 私は見逃さなかった。はたてが私を見ながらクスっと笑っていたのだ。間違いなく、私から椛さんを奪い取るつもりだ。私がいるというのに、またさっきみたいに二人の世界に浸り始める。はたてがこんなに憎たらしい奴だったとは思ってもみなかった。
「む~結構です! ふんっ!」悔し紛れに強めの上昇気流を作り、二人を木の葉まみれにしながら私は飛び立った。ギロっとにらんだ椛さんの目が私の脳裏に焼きついた……

「何ですか二人共、私のことを馬鹿にして」上空をとんびが旋回していたが、構わず高速飛行で突っ切った。とんびが後ろで文句を言っていたが私の耳には届かない。
「はたてめ……覚えてなさい、私の椛さんを奪うなんて許さないんだから」私は嫉妬の炎に焦がされていた。地底に住む橋姫が微笑むくらいに嫉妬していた。なんとかしてはたての魔の手から椛さんを救わなければ。でもさっきみたいに椛さんの反感を買うのは得策ではない。どうすれば……
 ふと首からぶら下がったカメラに気がつく。
「そうだ、にとりさんにこのことを報告すればきっと協力してくれるはず。フフフ……」

 超音速で河童の里に向かった。私の後ろには一本に連なる白い雲が出来ていた。



 ======



「もうっ! 文ったらわけわかんない」紫の市松スカートに張り付いた木の葉を払い落とし、私は深くため息をつく。文は癇癪を起こしたかと思ったら風を巻いて飛び去った。マッサージの後で食べるつもりだった果物も、どこかに吹き飛んでしまった。
「せっかくほぐしたのに初めからやり直しじゃない」文にグリグリされたもみじの背中は、痛々しくアザになっている。どれほどの力を込めて指圧をすればこうなるんだ。もみじが痛がるのも無理はない、加減を知らないとは恐ろしい。
「いてて、文さん何しに来たんだよまったく」
 巨石のへりに腰掛けたもみじは、背中を後ろ手でさすっていた。
「このあたりが痛む? ちょっと待っててね」肩甲骨の端から肋骨の後ろ側は赤く腫れが広がっている。このあたりは筋肉が少ないので力を込めると内出血を起こすので優しく手のひらで揉むべき場所。なのに文ときたら拳の骨で圧迫するのだから始末に負えない。ずいぶん前に、私にした下手くそマッサージから何も進歩していない。
 赤く腫れた可哀想なもみじの背中を、川の水で冷やした手で撫でるようにマッサージする。
「ひゃあ冷たっ」
「どう? だんだん痛みが和らいできたでしょ」
 冷たい手に驚きもみじの尻尾がぴょんとはねた。
 内出血は揉みすぎたり触りすぎると炎症が悪化する。できればすぐ冷やして、腫れが引いたら温めることで血流がよくなり治るのが早まる……と里に来ていた薬師の弟子兎に取材したとき言っていた。いきなり水を浴びせるのは冷やし過ぎなので、私の手を冷やして間接的に冷却する。
「ふへ~すごいなあ。さっきの揉み返しが、嘘のように気持ちよくなってきた」
 やはりこの手当でよかったようだ。薬師の弟子兎、優曇華院に感謝だ。

 しばらく冷やした手でマッサージしたので、随分腫れも引いてきた。アザになることはないだろう。手を拭いて元のマッサージ方法に戻る。さっきは背中までだったので次は腰から……
「きゃっ」
「痛かった?」
 女の子の声が川原に響く。あまりに聞きなれない声だったので耳を疑ったが、真っ赤に染まった頬を見るとどうやらもみじの声のようだ。
「い、いや、尻尾の付け根は弱いからつい」
「ふうん。ここが弱いんだ。さわさわ~」さっきは尾の付け根の、ちょっと硬いところを優しく撫でた……もう一度撫でてみよう。
「きゃうん! だ、駄目だって。本当に弱いんだから……」
 普段ぶっきらぼうなもみじがこんな声を出して体を捩らせるなんて。ああ、クセになりそう。
「くにくに……」
「やあん、やめ、やめてえ」
 もみじの顔に視線を戻すと、パッチリしていた目は細められ艶やかに濡れた唇からは熱い吐息が細切れに漏れていた。力なく伸ばされた細指は、触られるのをとめようと私の腕に絡みつく。尻尾は内巻きに縮こまり、身体は撫でるたびにビクンと震える。
 もみじの虚しい抵抗は私の嗜虐心に火をつけた。

 もっと、もみじのあられもない姿が見てみたい。

「い、いい加減にしないと本気で怒るよ」力ない声が私を抑制しようともがいている。そこに、いつもの椛の迫力はない。むしろ『もっと触って気持ちよくして』と言っているようにさえ、私には聞こえた。
「次はこのあたりかな? 耳の付け根とかどうかしら」
「話を聞……あっはあ」
 背筋を弓なりに反らして横向きに倒れた。開きっぱなしの口からは涎が垂れ、熱に浮かされた眼はとろんと潤んでいる。
「はんっ……、みみは、やめ、わふう、あふっ……」
 もみじの手はもう抵抗していない。腕や足を小さく折りたたみ、襲い来る私の快感から身を守ろうと必死に身体を丸めていた。
「だめっ……だめえっ……やあん」
 尻尾と耳の付け根を同時に、指の腹で撫で回す。吐息の度に口からチロチロ見える小さな舌が唾液でキラキラ輝いている。汗ばんだサラシから蒸れた甘い匂いが香ってきた。細かく震える耳に、フウと息を吹きかける。への字に曲がった困り眉で私の方に振り向いた。もみじは充血した目で私を上目遣いで抵抗する。
「うう、きもちよく、ない……んっだぞっ」

「そう? じゃあやめようかな」私はヒョイっと横に退き、耳と尻尾から手を離す。

「は、う、うう」
 私が突然マッサージやめたので、行き場の失った快感が、椛の頭の中をぐるぐる回っているのだろう。『どうしてやめるの?』と言いたげな唇が濃艶な赤に色づいている。
「……意地悪」
「でも気持ちよくないんでしょ?」私はわざと、もみじが言った言葉を引用して辞めた理由を告げた。
私は目を細めて目で語る、『もっとして欲しかったらおねだりしなさい』と。
 もみじはおずおずと小さな口を開いて、吐息混じりの蕩けた声で小さく呟く。
「気持ち……よかった」
「ん? 聞こえなかったな~」もちろん聞こえていたが、意地悪で言った。
「気持ち良かった! もっとして!」
「うふふ、素直なもみじは大好きよ」コロンと顔を背けながら、もみじはうつ伏せに寝転がる。私はその小さな体にまたがって、再び尻尾と耳の付け根を撫で回す。もみじは顔を手で隠していたが、隙間から見えた頬は真っ赤に火照っていた。ああ、素直なもみじってこんなに可愛いんだ。もっと弱いところを調べて悶えさせよう。もうダメって言っても絶対やめない。

「ひゃあああっ……あっ……っ……」
 もみじの色っぽい声は滝の轟音にかき消されていった。



 ======



 ブウウウン
 圧縮空気製造機が唸り声を上げている我が工房。

 全自動型抜き機や旋盤が絶え間なく稼働し注文を受けた発明品を作り上げている。ついさっき大量の材料が河童仲間から届けられ、追加オーダーもついでに届く。この分だと、まだまだ一息つけそうにない。
 病院で休んでいた期間の注文も相まって、最近とても忙しい。まとまった時間が取れなくて会えないせいか、椛のことが頭によく浮かんだ。テーブルに置いたコップから埃よけの蓋を取り、水をぐびっと飲みこんだ。コップを置いたその横には写真立て。椛と二人で写ったピクニックの写真が入っている。
 写真の裏には、病室でもらった、椛の気持ちが書かれたあの紙を忍ばせていた。あの病室から何日経っただろう。誰もいないのを見計らって、私は何回もあの紙を見返した。たった一言なのに心に染み入るあの言葉。
 また見ようかなと写真立てに手を伸ばすと ピンポン とかっぱ印のいんた~ほんが鳴った。はあいと返事をする前に勢いよく扉が開く。私は慌てて写真立てから手を引いた。
「にとりさん!」
 工作機械の隙間から玄関を見ると、アヤだった。きっと何かの依頼だろう。そうだ、気分転換にアヤと面白い話でも聞きながら一緒にお茶でも飲もうかな。工房に籠ったままじゃ良くないし、いろいろ外のことを聞きたいな。
「やあアヤ、こんにちかっぱ~」
「こんにちかっぱーって、それどころじゃないんです! 大変なんですよ」
「そうなんだよ、最近発明品の依頼やらアフターサービスやらで忙しくて大変なんだよ。おかげでみんなと遊べないしさ。あ、そうだ、前に福引でインク壺が当たったんだ。ほらこれ、あげるよ」黒いインクが詰まった瓶をアヤに手渡す。あの福引以降、会う機会はたくさんあったが、喧嘩したり雷にあったりと、とても渡せる状況ではなかった。インク壺を手にとったアヤは嬉しそうな顔をしている、あげて良かった。
「ありがとうございます……いやいや、じゃなくて! 私見たんですよ!」
「どうしたのそんなに慌てて。何を見たのさ」
「大変なんですよ、椛さんが……」
「椛がどうしたって? またなんかケガでもしたの!?」
 嫌な予感がした。ケガが治って間もないのに無茶なことをするのがいつもの椛だからだ。
「へ? あ、いやいや違いますよ。そういった大変ではないんです」
「なんだ。じゃあ何さ」
「はたてが椛さんをマッサージでたぶらかしてるんですよ」
「たぶらかすって、どゆこと?」
「だからっはたてが椛さんの気持ちいいところをグニグニしてイチャイチャしてるってことですよ!」
 一瞬、アヤが何を言っているのかさっぱりわからなかった。はたてちゃんがどうして椛とイチャイチャするのだろう。ピクニックで一緒に遊んだ以外に、二人がそこまで急接近する程の接点なんてあっただろうか。
 いやまてよ、少し前はたてちゃんの家にアフターサービスに行った時、ついてきた椛ははたてちゃんとすごく仲良くしていたな。そうだ、椛がはたてちゃんをベタ褒めしていたんだった。私が張り合ってはたてちゃんを褒めたら、悔しそうな顔でむくれていた。もしかして、椛がはたてちゃんをたぶらかしている……?
 だとしたら、『にとり、大好き』なんて紙を渡してきたくせに、よりにもよってはたてちゃんとイチャイチャしてるだって? あてつけか、あんにゃろう。
「……椛め、許せんっ!」私は立ち上がる時、写真立てをバタンと倒れた。が、起こす気はさらさら無い。
「おお、わかってくれますか。ん? 椛さんが許せないんですか?」
「ったりまえだよ! 椛め、あっちに手を出しこっちに手を出し……あんな節操ない奴、大嫌いだよ」残った水をがぶ飲みしてアヤ見る。アヤも誤解とは言え抱きつかれてただろう? と目で会話した。アヤに伝わっているかどうかなど、最早どうでもいいけれど。
「え、えーと落ち着いてください、にとりさん。たぶらかしてるのは椛さんではなく、はたてですよ? はたてに怒るんでしたらわかりますけど」
「はたてちゃんはいいんだよ、可愛いから許す。むしろ私にもマッサージして欲しいくらいだよ。それより、なんでアヤは落ち着いてるのさ。椛のあんにゃろと、はたてちゃんがイチャイチャのラブラブでもいいっての?」
「えっダメですよ。絶対にダメです、許せません!」
 急に眉間にシワを寄せたアヤ。その目には決意の炎が燃えていた。
「うむ、同士よ。今こそ立ち上がる時だ!」
「ハイッ!」
 私たちは工作機械の音にも負けない大声で意志の強さを高らかに宣言した。無節操な椛に制裁を――いざゆかん、二人のもとへ!
「でも立ち上がるって、何する気ですか?」
 勇ましく扉を開けた私にのんびり尋ねる我が同士。
「かぱぱ。今、永遠亭のお姫様から頼まれている発明品の試作機があるのだよ。ついてきな」
 居丈高に埃だらけの工房から出て、エアーシャワーの廊下を通りクリーンルームの扉に着く。指紋認証と網膜スキャンのセキュリティを解除し、ブルーライトに照らされたクリーンルームへ。冷たく輝く銀色のブリーフケースがテーブルに置かれていた。
「ちょうど試運転の最終段階、実戦投入をしようと考えてたところなんだよ」
「実戦投入? 一体何を作ったんですか」
 蓬莱山輝夜の依頼で、ラジコンのような操作性と兵器のような汎用性を備えた発明品の制作に着手していた。この発明品が量産できれば弾幕ごっこすらも変えられるかもしれない。代理戦争と言っても過言ではない。彼女が何のためにコレを使うのかはわからないが。
「どんな狭いところにでも潜り込めて機動力もあり、兵器にも治療にも使える優れモノさ。ああ、記事にするのはダメだよ、トップシークレットなんだから。下手な事したら蓬莱人が妖怪の山に攻めて来るかもよ」
「おお、怖い怖い。あの人たちを相手に喧嘩するのは面倒なので、記事にするのはやめときます」
「とくとあれ、リグルの協力により判明した《流体力学における昆虫の飛翔メカニズム》を、さらに応用してつくりあげた汎用蜂型航空機……その名もドローン!」ケースをパシュっと開けて、本題の中身をアヤに見せた。厚いスポンジの中にスティックタイプのプロポと十台の小さな機械の蜂が詰められている。
「ただの蜂じゃないですか」
 期待はずれの感想に拍子抜けした。たしかに、これだけ見てもアヤには何のことかわからないだろう。実際に動かしてみせたほうがわかりやすいはず。
「手の平に置いてよく見なよ。さあ、飛びたて!」プロポのスティックを手前に倒すとドローンの翅が高速で羽ばたき宙を舞う。アヤの前で行ったり来たり、ホバリングをさせて本物の蜂のように動かした。
「あややっこれはすごいですね。で、この十匹……十機ですね。この機械蜂をどうするんですか」
「依頼主の要望により、腹部のカートリッジに麻酔薬を入れると本物の蜂みたいに針から麻酔薬を注入できるんだ」無色透明の麻酔薬が入った小瓶をポケットから出してアヤの前で振った。液体がちゃぽちゃぽと音を立てている。
「これで二人を眠らせてイチャイチャの邪魔をする。あとは、私は椛に、アヤははたてちゃんに、お仕置きでもなんでもすればいい」アヤはこのドローンを使った作戦を理解したようだ。ニヤリと口角を上げ目配せし合った私たちは、いつしか見た時代劇の登場人物みたいに笑った。
「なるほど、なるほど。河童屋、お主も悪ですねえ」
「かぱぱ、お天狗様ほどでは……」

 ブウウウン
 工房内に、ドローンの羽音と私たちの笑い声が不敵に響いた。




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