Coolier - 新生・東方創想話

三吉鬼

2016/05/04 02:51:06
最終更新
サイズ
30.28KB
ページ数
1
閲覧数
1747
評価数
4/9
POINT
630
Rate
13.10

分類タグ

 人は誰でも失敗がある。
 完璧でない以上、致し方ない事なのだが、その失敗を誰かに告げなくてはならないというのは存外勇気がいる。
 つまらない失敗であるほどにそれは大きくなるもので……とどのつまり、星熊勇儀はそれで難儀していた。

 そも、事の起こりは勇儀が人間の里の酒屋巡りを始めた事である。
 勇儀も鬼である、鬼の性分に漏れず酒好きであり、宴には必ず顔を出す。
 宴でなくとも、仲間を誘い誘われて出向いた先で大いに呑む。
 そういう場での、盛り上がる酒も良いのだが、たまには静かに呑む酒も味わいたい。
 一人で呑むのも良いのだが、店の中で会話も少なく、酒と肴をじっくり味わえる、そんな呑み方も実に良い。
 酒が旨いのは当然として、さてそうなると酒を飲む場や雰囲気も大切にしたいというのも人情で、なにか自分だけの好みの店を見つけたいと思ったのだ。
 地底の酒屋は全て馴染みであり、仲間も知っているのでどこかに隠れ家的な店はないものか、と地上に出向いた次第である。

 そうした中で、人里の大通りからちょいと離れた処に良い匂いを嗅ぎつけてふらりと足を踏み込んだ。
 小さな店である。広さはおおよそ5坪と言った処だろう。付け台のような処に、椅子が幾つか並んでいる、幻想郷では珍しい店だ。

「いらっしゃい」

 と店主の声が出迎える。
 短いがぶっきらぼうではない。
 丁寧さと親しみの混じった、良い言い方だ。
 これは当たりかもしれない、そう期待して、しかしてその通りであった。
 出された酒は実に口当たりが良く、上品な辛口である。
 肴に出された里芋の煮っ転がしも、旬の里芋を丁寧に煮込んでいて、ほくほくとした触感がたまらない。

 うん、いいじゃないか、実に良い。

 いつもの朱の盃で煽るのではなく、楮口でちびちびと呑む。
 肴を堪能して、酒で洗う。
 喰うと呑む、このバランスが大事なのだ。

 これは当たりを見つけたね。

 時間が悪いのか場所が悪いのか、勇儀の他に客はおらず、故にゆっくりと愉しめる。
 店主も余計な事をしゃべらず、仕事に専念しているのがまた良い。
 そうして、酒と肴と良い時間を愉しみ、少しばかり飲みすぎたか? と思った処で引き上げる事にした。
 無論、鬼である勇儀がいくら呑もうと酔うはずがない。
 だが、良い店を見つけた嬉しさで、ちょいと一人で呑むには無粋に呑みすぎた感がある。
 酒に酔わずとも、空気に酔ったと言うべきなのか。
 そんな風に、苦笑しながら懐に手を入れて……その苦笑が凍りついた。

 財布が、無い。

 慌ててほかの場所を弄る、どこかに入っているのではないかという期待を込めて。
 しかし、何処を探そうと無いものは無い。
 なんてこったい、と頭を抱える。
 初見の客が、散々飲み食いをしておいて、銭が無いと抜かす。
 どう見ても間抜けだ。
 ちらり、と店主に視点を向ける。
 相も変わらず、店主は黙々と料理を仕込んでおり、勇儀の方には気を向けて居ない。
 良い料理を作ってると判るだけに、その仕事を冒涜してるようで余計に気まずい。
 しかし、言わない訳にはいかない。

「あー……店主、ちょいといいかい?」
「はい、なんでしょう」
「その、言いづらいんだけどね……財布を忘れちまって」

 店主の眉が少し動く。
 やはり気を悪くしたか。

「すまん! 次来た時、必ず払うから見逃しちゃくれないかい?」
「ようございますよ」

 おや? と下げようとした頭を上げる。
 すると、店主がのほほんとした顔でこちらを見ていた。

「いいのかい?」
「無いものは仕方ありません」
「喰い逃げをしようとしてる、とは考えないのかい?」
「それならとっくに逃げてるでしょうからねぇ……お客さん、鬼でしょう?」
「ああ」
「鬼がわざわざ金がないと言って、そのまま逃げるってのはちょいと聞いてた話と違いますからねぇ」

 確かに、間違ってはいない、鬼とはそう言う種であるし、なにより金がないから喰い逃げをする程に星熊勇儀は小さな女ではない。
 それにしても、伝聞で相手を信用してしまうとは、まるで鬼のような人間だ。 

「店主、紙と墨はあるかい?」
「ありますが、何につかうので?」
「必ず払うって手形をするんだよ」
「おや、なんと律儀な」

 鬼の正直さに、鬼のような鷹揚さで対応されたのならば、人間のような信義を示したくなる。
 まぁ、鬼や天狗が約状を書くのは珍しい話でもないが、星熊勇儀なりの洒落というものだ。

「持ってまいりましたよ」
「あいよ」

 手渡された紙に『鬼の星熊勇儀、この店にツケを残す』と一筆したためる
 最後に拇印を押して、幻想郷でも珍しいであろう鬼の約状が出来上がった。
 これが法力勝負弾幕勝負の末ならば新しい昔話の出来上がりだとなるのだろうが、財布を忘れてというのがなんとも言えない。

「はい、確かにお預かりしました」
「アタシが払いに来なかったらこいつを里に貼り出しても構わないよ」
「そうならないようにお願いしますよ」
「もちろんさね」

 店主は苦笑し、勇儀も苦笑する。

「それじゃあ、すまないね」
「またのご来店を」

 最後の台詞を「早く払ってください」ではなく「またのご来店」にしてくれる。
 銭のしくりじりをしたのに、ちゃんと客として扱ってくれるのだ。
 それが、勇儀にとっては少しばかり嬉しい気づかいであった。




     *  *  *





「ほぅ、そんな人間がねぇ」
「あぁ」

 伊吹萃香が盃の中身を飲み干して、一つ感嘆を上げる。
 星熊勇儀は空いた盃に酒を注いで、それに応える。
 ここは地底の勇儀の住い。
 そこで酒を酌み交わす鬼が二匹。
 酒は上等だがツマミは干し肉と貧相。
 見てくれは悪いがそれでも酒に合えば文句はない。

 そして酒が入れば話も弾む。
 あれやこれやと世間話をしている内に、この処、勇儀が地底をでてちょくちょく地上に出て居るのを思い出した萃香がどういう事なのかと尋ねたところ、先日の居酒屋の話になったわけである。

「人間ってのはもっとせせこましいもんだと思ってたが」
「一括りにはできないだろうさ」

 嘘を吐く鬼とているのだからと、含みを持たせれば、意地の悪いことをと萃香は嗤う。

「にしても、間抜けだねぇ財布忘れるなんて」
「全く、この星熊勇儀の不覚だよ」
「んで、払ったのかい?」
「当たり前じゃないか」

 只食いをした翌日に、即座に財布を握りしめてツケを清算したのだ。
 何とも情けないのを笑ってごまかし、銭を払えば向こうも「確かにいただきました」とだけ返す。
 お陰で後腐れもなく、無事に事が終われば恥とて笑い話である。
 だからこそ、肴にとこの話を出したのだ。

「しかし、アンタも物好きだ、わざわざ自分の知らない店を探して飲もうとするか」
「萃香はしないのかい?」
「アタシにはコレがある」

 言って、萃香は自慢げに無限に酒の沸く瓢箪を振る。
 確かに、それがあれば探す必要などあるまい。

「アンタの盃だって、注いだ酒を良くするじゃないか」
「元が無けりゃ意味が無いだろう」
「元なんてここに幾らでもあるだろう」
「あるがそれじゃあ意味ないねぇ」

 萃香の瓢箪の酒を、勇儀の盃注いで呑む。
 それは良い酒になる。当然である、鬼の酒を鬼の盃で呑むのだ良く無いはずがない。
 が、それとこれとは話が別だ。

「なんだい、もしかして色んな酒を愉しみたいとか?」
「酒と肴と……後はそうだね、空気って奴か」

 酒の味、酒の香り、それらを愉しむのは当然として、酒にあう肴も愉しみたい。
 そこまで揃うと、今度は雰囲気も突き詰めたいものだ。

「なんとまぁ、贅沢な!」

 呆れる萃香に、勇儀はふふんと笑って返す。
 あらゆる愉しみを、愉しみ尽くしたいというのは確かに贅沢だと言える。

「んで、その店はどこにあるんだい? あんたが一見じゃ済まさないんだ、相当に良い店なんだろう」
「教えないよ」
「……なんで」
「アンタに教えたら、どうせ騒動持ち込むに決まってるから」

 萃香はその名の通り、何かを「あつめて」しまう。
 無論、能力を制御できないとかでは無く、コレの性分として面白いものを見つけたり面白い事を起こす為に「あつめる」のを平然とやるのだ。
 それが悪い事では無いのだが、折角に見つけた隠れ家である、あつめられてしまってはたまらない。

「そう聞くと、ますます知りたくなる」
「だろうねぇ」
「どうしても、教えたくないのかい?」
「教えたく無いね」
「ふぅん、じゃあ力づくだな」
「そうなるだろうね」

 物騒な流れになったが、双方気にしてなどいない。
 これが一つの幻想郷流である。いちいち気にしては持たない。
 それ以上に、それが楽しいのだというのもあるが。

「よぉし、それじゃあ、やるかい」
「勝手も負けても文句なしの一本勝負だ、いいね?」
「当然」


 地底が少しばかし揺らいだのはそれから僅かな後であった。




 そんな些細な事で地底を揺らした鬼が一匹、酒で足を揺らして地上を歩く。
 ちょっと路地裏を通って、判りづらい店の戸を開ける。

「邪魔するよ」
「いらっしゃい」

 出迎えるのは、料理の良い匂いとあの店主の呑気な声だ。

「お客さん、どうしたんですその顔」
「あぁ、これかい?」

 星熊勇儀は、自身の顔にできた一筋の傷を指でなぞる。

「ふふっ、喧嘩の勲章って奴さ」

 無論、これは萃香との喧嘩でできた傷だ。
 久々に良い喧嘩ができて、勇儀は中々にご満悦である。

「勝ちましたか」
「あぁ、勿論だとも」

 鬼と鬼の戦いとなれば、それは天運地運時の運。
 やはり実力が拮抗している者同士の喧嘩はよい、勝利の確信無く、手加減も要らぬのだから。
 尤も、良い喧嘩が面白いとは限らない。
 そう……最後に本気で面白い喧嘩だったのはお空が暴れた時だったか。
 あの時のは、盃片手の勝負であったが、実に楽しかった。

「大根の煮つけと熱燗もらえるかい」
「かしこまりました」

 もう一度、勇儀は傷を撫でる。
 この傷とは違い、霊夢たちには傷らしき傷はつけられていない。
 しかし、あの時の得難い充実した敗北感はなんだったのか。

「傷、気になりますか」
「うん?」
「いえ、顔の傷だとやはり気になるのかと思いましてね」
「こんなの、すぐに消えちまうさ。それに言ったろ、喧嘩の勲章だって」
「勲章でも、お客さんみたいな美人の傷は見てて痛々しくなってしまいますよ」
「……ぷっ」

 美人の傷と来たか。
 そんなのを言われるのはいつぶりか。
 さて、地底に鬼が逃げ込んで、身の程知らずが自分を口説こうとしていた頃もあったが。

「店主、もしかして口説いてるかい?」
「いえ、決してそんなつもりは……いや、確かにそう聞こえちまいますか」
「くくくっ、いやいや、久々にそういうを聞いたよ」

 店主はなんとも言えぬ苦笑を浮かべ、熱い徳利と御猪口を勇儀に出す。
 そして勇儀は、徳利の中身を御猪口に注ぎ、それを一気に煽るのだ。
 酒が喉を通り、腹に落ちる熱い酒の感覚を愉しむように、「ほぅ」と一息を吐く。
 女らしからぬ、太い一息であるが、それがなんとも星熊勇儀という女に似あっていた。
 勇儀を知る者ほど、大きな器から水を飲むように酒を流し込む呑み方を見知っている故に、意外に思えるかもしれない。 
 しかし、星熊勇儀に似合わぬ酒の呑み方があるのだろうか。
 ちびりちびりと呑むのも、豪快に樽から呑むのも似合うに違いない。
 幻想郷に酒を好む物は数多いが、酒が似合うとなると勇儀に並ぶものは少ないだろう。

「はい、大根の煮つけですよ」
「お、待ってたよ」

 良い感じに汁が染みて、店の灯りに煌めくようなその品を、満面の笑みで受け取る。
 気取った代物ではないが、見てくれが良いというのは実に良い事だ。
 ましてや箸でさくりと切れて、口に運べば大根が崩れると同時に煮汁で一杯になるとなればもう言う事は無い。
 酒と同じく、少々熱いが、それを口の中で転がしながら食べるのがまた愉しいのだ。

 そこでふと、店主の視線に気が付く。
 勇儀も顔を向けて見れば、そこには穏やかに目を細める店主がいた。

「どうしたんだい?」
「良い食べっぷりと飲みっぷりだと思いましてね。ちょいと見惚れました」
「なぁんだ、やっぱり口説いてるんじゃないか」 
「ふふっ、そうかもしれません」
「こりゃ驚いた、男に口説かれるなんざ何年ぶりだろう!」

 狭い店内に二人の笑い声が満ちる。
 無論、口説くと言っても冗談であるのは店主も勇儀も承知している。
 場を盛り上げるちょっとした調味料だ。笑えば酒も肴も更に旨い。

「店主、口説きついでだ」

 空の御猪口ををちょいと差し出すと、徳利から酒が注がれる。
 なんて事は無い、店主が酒を注いでくれただけなのだが。
 そいつをまた呑み込んで、手酌とはまた違う酒の味を愉しむ。

「……店主は、どうしてこんな処に店を出したんだい?」
「そりゃあ、銭が無いからですよ」
「意外とつまらない理由だね」
「人の世のなんてそんなもんですよ」
「ままならないねぇ」
「ままなりませんね」
「銭があれば表通りに店を出すのかい?」
「まぁ、自分のデカい店をもってみたいってのはありますね」
「やってごらんよ、あんたなら評判の店になるだろうから」
「お客さん、煽てても何も出ませんよ?」
「なんだい、一本ぐらいつけてくれたっていいだろうに」

 空の徳利を、見せつけるように振る。

「そいつは出来ない相談です」

 差し出された徳利を受け取って。

「なんだいケチ」

 そうして、またも朗らかな笑い声が上がる。
 酒と肴と話の種と、三つそろって。うん、やはり萃香には教えたくない。
 こういう冗談は二人だから言えるし面白いのだ、他人が居ては茶々が入ったり冷かしたりで興ざめをしてしまう。
 今日はしっかり財布を持ってきたし、心置きなく呑めるというものだ。

 それにしても、銭か。

 ふむ、と勇儀はひとりごちる。
 銭で恥を掻いた身としては、身に摘ままされる話だ。銭がなければこうして酒も飲めぬ。
 地獄の沙汰も金次第というが、強ち間違ってもいない。
 残された者が故人を弔うに積んだ金も、裁きの材料の一つとして扱われる。
 銭と言うと汚いと考えるものも多いが、清い銭もあれば汚い銭だってある、どちらであろうと関係ないという者もまた多い。
 人も妖も縛ってしまう恐ろしい代物で、故に銭の恩義と恨みは深いのだ。

「本当に、ままらないねぇ」

 何時の頃からか、鬼の自分もすっかり銭に縛られてしまって。
 それが悪いという訳では無いのだが、こうして気が付いてみると何をするにも気ままだった昔が少し懐かしく思える。
 だからだろうか、こうして、贅沢に呑みたいと思うのは。
 昔の様に勝手気ままにはゆかぬから、なにか自分が自由だと思えるものを追いたくなるのは。

「言っても栓のない事か」

 栓無い事と判りつつ、やはり欲しいものは欲しい。
 まぁ、それを危うく銭の失敗で失いかけたというのがなんとも言えないが。

「ん?」
「どうかしましたか?」
「いや、気にしないでくれ」
「はぁ」

 ふと、気が付く。
 自分は、この店の主人への借りを返しきっていないのではないだろうか。
 借金は確かに払った。既に清い身で気持ちよく飲めるのはその為だ。
 だが、それだけで済ませて良い物か。
 気持ちよく呑めるのは、金を払ったからだけでは無い。その金の事がらをこの店主が見逃してくれたからだ。

 なら、自分はまだ借りを返しきっていないのではないのだろうか。
 星熊勇儀ともあろう者が、事を軽く考えていたのではないか。

 ふぅむ、こいつは何か考える必要があるね。

 残った酒を飲み干して、勇儀はそう独りごちた。




      *  *  *




 それから、二日ばかりが経った頃であろうか。
 左程に客の来ない昼も過ぎた時間に、店を訪れる者が居た。
 言わずと知れた星熊勇儀であるが、その背に背負っている物を見て店主は目を丸くする。
 薪である、それも、どっさりとまさに山のような量の薪を背負っていたのだ。

「やあ、店主」

 背負っていた薪を降ろして、入ってきた勇儀がこの上無く上機嫌に声をかけた。

「お客さん、どうしたんです、それ」
「ん? あぁ、これかい? この前の借りを返してないのに気がついてねぇ」

 散々に思案して、勇儀が考え付いたのがこれであった。
 既に金は払った、では借りを返す恩に報いるのはどうするか。
 金の礼に金を払うか? 色をつけて払うのはよくある話だが、時期をはずしたのでそれでは間抜けすぎるし無粋に思える。
 何かしらで返さなければならないのだが、これがまた難しい。
 店の手伝い? いやいや、自分が客商売などできるはずがない。
 そうなってくると、物品が良いという事になるのだが。
 調度品は好みが判らぬので邪魔になりかねない。
 食い物も、旨い飯を造れる相手にはどうかとなる。
 では、燃料はどうだろうか。
 今でも人里で薪は大事な燃料で、あって困るような事は無い。
 特に今の時期は重宝するはずだ。

「借りだなんて、料金払っていただければ此方は……」

 店主はどうにも困った様子で頭を掻く。
 対する勇儀は、店主の困惑に待ったをかけるように手を広げる

「まぁ、まて店主。あんたの言いたい事は判る。ツケは確かに金を払えばそこでおしまいだ」
「はぁ、それでしたらなんでまた」
「こいつは、ツケてもらった事の借りだよ」
「ツケた事の借り?」
「そうさ、只でさえツケなんて店の側からすりゃ避けたいはずだ。なのにアンタは初見のアタシを見逃してくれた。こいつは立派なアタシの借りだよ」
「手形も書いたじゃないですか」
「それだってアンタが許してくれたからだろう」

 少々、押し問答の様相を呈してきた処で、店主は一つため息を吐く。
 そして、なにやら諦めたようなすっきりしたような顔でこういうのだ。

「お客さんは本当に律儀ですねえ」
「それがアタシの了見だ」

 勇儀はニヤリと笑う。

「なら、遠慮なくもらい受ける事にいたしましょう」
「あぁ、受け取っておくれ」
「それにしても、随分と沢山集められたんですね」
「それだけ、ツケを見逃してもらった恩は大きいって事さ」

 さて、と一つ首を鳴らして、改めて薪の山を持ち上げる。

「店主、どこに置いておけばいい?」
「いえいえ、お客さんにそこまでやらせるわけには」
「いいんだよ、人間の手には余る重さだ」
「……なら、厨房に置いてもらいましょう」
「あいよ」

 勇儀は店を仕切る付け台のようなものを抜けて、薪を厨房に下ろす。
 幻想郷では、実に珍しい店の間取りである。
 外の世界ではカウンターと呼ぶのだろうが、明治の頃から文化があまり変化していない幻想郷にはこのような形の店は滅多に見ない。
 大抵は、座敷にあがって盆にのった酒と料理をつつくか、机と椅子に座って飲み食いするものだ。
 しかし、勇儀はこの店の形をすっかり気に入っている。

 狭い店で、客と店主の距離が近い。
 しかし、お互いに仕切られていて近すぎる訳では無い。
 店主が仕事をしながら、客と話が出来る。
 最初は店が狭い故の致し方のない間取りだと思ったが、さてこれはこれで良い距離ではないか。

「……良い店だ」

 そう、良い店だ。
 銭が何からここに出したと店主は言うが、決して卑しさや貧しさを感じない。

「有難うございます」
「この間取りは、店主が考えたのかい?」
「外の店にはこう言うのもあるって聞きましてねぇ。知りあいの大工にちょっと無理を言ってやってもらいました」
「ほぅ、外の」
「えぇ、狭いなら狭いなりのやり方がありますから」

 狭いなりのやり方。
 ままならぬ事の中で、精一杯できる事と言うことか。
 ある意味で、自分とは真逆の在り方なのかもしれない。
 自由に呑みたい自分と、不自由の中で造る店主。
 だからこそ、こうしてウマがあうのだろうか。

「道具も手入れが届いてるじゃないか」
「そりゃあ、私の飯の種ですから」
「飯を造って飯の種か、その通りなんだけど、ちょいと妙な感じだねぇ」

 勇儀は包丁を手にしてみる。
 良く砥がれた鋭いそれは、きっと良く斬れるのだろう。

「お客さん、随分と包丁の持ち方が堂に入ってますね」
「そりゃアタシだって料理の十や二十はする」
「ほぅ、それはまた意外な」
「皆、そう言うんだよねぇ」

 そんなにも自分が料理をするのが意外なのか。
 大抵の奴は目を丸くするものだ。

「なら一丁、アタシの腕を見せてやろうじゃないか。店主、使っていい材料はあるか?」
「え、あ、それならそこの鯉を」
「よーし、見てな!」

 そう言って、意気揚々と勇儀は鯉を掴んでまな板に載せる。
 眉間に包丁の背を叩き付けてしめると、尻尾から刃を入れて手際よくさばいてゆく。
 無論、内臓と胆嚢もきっちりとる。
 特に胆嚢は別名「苦玉」と呼ばれるぐらいに非常に苦く、うっかりこれを潰してしまうと鯉全体が苦くなって喰えたものでは無い。
 骨も、鱗も、店主が「ほぅ」と感嘆の声を上げるほどの手際の良さで、それを受けて勇儀にも力が入る。
 残った骨も、その太い腕からは想像もつかぬほどに丁寧に取り除き、最後は湯洗いをして水でしめる。

 あっという間に、見事な鯉の洗いが完成した。

「いやはや、こりゃあ」

 驚く店主と、やり遂げた感じで包丁を拭う勇儀。

「喰ってみなよ」
「それじゃあ、遠慮なく」

 洗いを一つ口にして、店主の驚きはますます大きくなるばかり。
 勇儀の方はというと、そんな店主に比例するかの様にますます得意げになるのだ。

「御見それ致しました」
「ふふ……伊達に永く生きちゃいないさね」
「酒の呑み方だけじゃなくて、料理の腕もいいとは」
「なんだい、店主、今度はあんたが煽てる番かい?」
「とんでもない、本音以外のなにものでもありませんよ」

 星熊勇儀といえば「力の勇儀」と称されるほどの怪力豪腕が目立つが、決してそれだけではないのだ。
 もちろん、己の豪腕にこそ最大の信頼を置いている為、強い自分を否定する気はさらさらないが、さりとてこうして力以外のを示したくなる事もある。

「お客さんも、店をだしてやっていけるんじゃないですか」
「はっはっはっ! なら、いっちょ一緒にやってみるかい?」

 人妖共同の店なんて幻想郷にも無いだろうさと高らかに笑う。

「その気がおありで?」
「ふふっ、流石に冗談だよ。アタシは造るよりも、食べる方が好きだ」

 だから店主、なにか一つ拵えておくれよ
 ようございますよ、酒は冷ですか? 熱燗ですか?
 冷やでもらおうか

 そんな、いつも通りの会話が始まり、勇儀は客の側に戻って椅子に腰を下ろす。

 一緒にやってみるかい? か。

 少しばかり、調子に乗りすぎただろうか。
 先日は店主に自分を口説いているのかと揶揄ったが、これではこちらが口説いているようにも聞こえる。
 まぁ、いいさ、どうせ場の勢いだ。
 店主も気を悪くしてる訳でも無し、本気にしてる訳でも無し。

 出された酒に口をつけて、その時、勇儀はそれを軽くながしたのであった。




       *  *  *









「最近、随分と愉しそうね」

 地上に向かうる道すがら、唐突にそう言われた。
 勇儀が何事か、と振り返ると、そこには橋の手摺に腰を下ろした水橋パルスィが呆れたような羨むような曖昧な視線を向けていた。

「アタシは何時だって愉しく過ごしているのさ」
「そうね、アンタはいつでも愉しむ事を全力で愉しもうとしてるわ」
「そうだろう、そうだろう」
「それで、今度はまた別の愉しみを見つけたって訳ね」
「あぁ、ちょいと良い酒屋をみつけてね」
「酒屋?」
「そう、酒屋さ」
「地上には酒を呑みに行っているだけ?」
「そうだとも、戻ってくる時は酒臭いだろう?」
「アンタと萃香はいつでも酒臭いから判るわけないでしょそんなの」

 と、そこで一呼吸間をおいて。
 パルスィはジロリと勇儀を観察するように見つめる。

「……本当に、酒を飲んでいるだけ?」
「本当だとも」
「ふぅん」
「なんだい、妬いてるのかい?」
「私はいつ何時誰彼構わず妬いてるわよ」
「ははは、そうだったね」
「もう一度聞くけど、本当に酒だけが目当てで地上に?」
「いや、あとは旨い肴だ」
「あぁ……そう」

 貴女のその呑気さが妬ましい、と嗤うようなつぶやきが聞こえる。
 はて、水橋パルスィとはこの様な物言いをする娘であっただろうか。
 妬ましい事を妬ましいと、もっと他意もなく言うのが常なのだが。
 どうにも、今の「妬ましい」にはなにか違う意味があるように聞こえる。

「どういう意味だい?」
「本気で判ってないみたいね」
「そりゃあ言ってくれなきゃ判らない」
「なら言わないわ」
「意地の悪い」

 困って眉根を潜める勇儀に、パルスィはくつくつと喉の奥で笑う。
 仕草は暗いようで、陰惨さが無いのが水橋パルスィである。
 陰惨さは無いが、なにか人を揶揄うようなものが見え隠れしている。

「いいけどね、アンタ、色々と抱え込んでるし」
「何をさ」
「地底をよ」
「抱え込んじゃいないよ」
「嘘おっしゃい。アンタは実質的な地底の顔役じゃない」

 勇儀は一つ頬を掻く。
 実際、勇儀は地底における顔役である。
 旧地獄としての機能を維持しているのは地霊殿であるが、あそこの主である古明地さとりが自分の愛玩動物共に任せっきりである上、滅多に姿を現す事も無い。
 ましてや旧都の統治など興味があるはずがなく、それぞれが寄り合って好きにやっているようなものである。
 しかしそうすると自然とそれらを調節したり抑え込む者が必要になる訳で……
 それは鬼であり、その中でも強者である星熊勇儀に御鉢が廻ってくる。
 だれがそうと決めたわけでもない、只でさえ曲者である地底の妖を威服できるものなど一握りであるし、きっちり筋を通して義理立てする性根の持ち主ともなれば、それはもう勇儀以外にはありえないのだ。

「あんな面倒なことを、よくもまぁやってるわと感心するわ」
「よせやい、誰かがやるべきことだ、地底はあたしらの楽園だが、楽園の維持にも苦労は必要なのさ」
「恨み妬みも買うでしょうに」
「妬みはアンタの専売特許だろう」
「茶化さないで」
「ふふふ……まぁ、あたしらは単純さ、何かあっても殴り合って酒で傷を流せばそれで済んじまう」
「でも、傷は出来るわけだ」
「仕方がないねぇ」
「ままならないわね」
「あぁ、ままならない」

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
 こう書かれた外の世界の物語を読んで、人間は巧い事を言うと感心したものだ。
 人の世も住みにくいが、妖の世とてやりづらい。
 剛腕奮ってなんとかできるが、さりとて筋を通して綺麗に落としたいし、その方が気持ちがいい。
 そうすれば智を働かせざるを得ず、情も忘れてはならず、その二つを通す意地がいる。
 しかし、いずれも過ぎれば破綻する。

 嗚呼、やはりこの世はままならぬ。

「なればこそ、愉しみが欲しい、か」
「……まぁ、私からは言う事は無いわ。アンタが愉しいのならそれが好いもの」
「ありがとうよ」
「ただ」
「なんだい?」
「萃香の奴がね」
「萃香がどうした」
「ここ数日姿を見ないのよ」
「そういや見ないね」
「どうせその辺りを漂ってるんでしょうけど……どうも嫌な予感がするのよね」
「おや、巫女みたいな事を」
「あら、巫女の勘じゃなくて女の勘よ」
「アタシも女だが勘は働かないねぇ」
「アンタは呑気だもの」
「確かに」

 加羅加羅と笑う勇儀と、むすっとするパルスィ。
 地底の者ならば、見慣れた光景である。

「どっちにしろ、気をつけなさい。あいつ、面倒起こすときはものすごく面倒なんだから」
「気を付けるよ」

 ひらひらと手を振って、ゆったりと地上と地下の境界たる橋を後にする。

 その後ろ姿を見送って、何事もなければよいのだけれど、と水橋パルスィは一息溜息を吐くのであった。




 巫女の勘はとてつもなく鋭い。
 それは、博麗の巫女に関わる者の中では周知の事実である。
 しかし、それ以外の者の勘もバカにはならない。
 それを、星熊勇儀は嫌と言うほどに思い知った。




 それは、いつものように横道に入り、分かりづらい店の前に来たときである。
 店の中が、嫌に騒がしかった。なにか、大勢で騒いでいるようである。
 はて、今日はどうしたものか。
 入る客も少なく、そも客が入れる余裕もないこの店でこんなどんちゃん騒ぎなど出来るはずがない。
 いぶかしみながら戸を開いて、そして、水橋パルスィの言葉を痛感した。

「……萃香」
「おお! 勇儀じゃないか!」

 店の中にはいたのは、見知った顔のチビ鬼である。
 椅子に座って、升で酒をかっ食らっている。それは良い。
 ただ、その数が問題である。
 店中に小さな分身共がうじゃうじゃと、椅子だけではない、あっちこっちに座ったり歩いたりぶら下がったり。
 挙句にどいつもこいつも酒と肴を遠慮なく注文しているのだ。
 いつもは静かにゆっくり調理をしている店主が額に汗を浮かべて、その注文に応え様としている。
 この修羅場でも、仕事は丁寧なのは、店主の腕前ゆえだろうか。

「何してるんだい?」
「酒を飲んでる」
「なんだってこの店に」
「興味があったからさ。いやはや、酒も肴も旨いじゃないか」

 嘘だ。
 いや、酒と肴を愉しんでいるのは本当だろうが、どうせ自分を揶揄うために来たのだろう。

「おっと、場所の話はしなさんなよ」
「……大方、探しちゃいけないとは言われてないというのだろう」
「大当たりだ!」

 がっはっはっ、と愉快そうに本当に愉快そうに笑いあげる。
 一方の勇儀といえば、面白くはない。
 ここで、静かに店主と話をしながら呑めるのが好いのだ、これではぶち壊しではないか。
 普段は気持ちの好い奴なのに、悪戯心を起こすとこうも厄介なのが萃香の悪いところだが、してやられるとは。

「いやいやいや、それにしても勇儀。アンタが気に入ったのも分かったよ」
「何が」
「酒も好い、肴も丁寧で旨い。しかしねぇ、一番はこの店主だよ」

 言って、萃香は店主の首根っこを掴んでぐいっと引き寄せる。
 勇儀の眉根が細くなるが、分かっているのか調子に乗っていて気が付かないのか、萃香はそのまま続けてしまう。

「聞いたかい、この男、あんたの手形を焚き付けにしちまったっていうんだ」
「知ってるよ。借金払ったのだからもういらないっていうんでね」
「鬼の借金、その証文となれば家宝にしたっておかしくないよ、それをこうも簡単にすてるなんて、気持ちの好い奴じゃないか!」

 そうだとも、だからこそ、この店が気に入ったのだ。
 店主がそういう人間だからこそ、自分は気兼ねなく羽を伸ばして気持ちよく呑める。
 だから、ここが好いのだ。

「ちょっと、お客さん、放してくださいよ」
「いやいや、ちょっと待ってくれないか店主、アンタを放すことはできないが話があるんだ」
「話ですか?」
「そう、地下に来ないかい? アンタなら地下でもやってけるかもしれないよ、なぁに文句を言う奴はアタシがしばきたおし」
「萃香」

 勇儀は、ただ一言、名を呼んだだけである。
 しかしてその刹那、みしりと空気が軋んで悲鳴を上げた。
 あるいは、内側から膨れ上がったそれに押し込まれて店が鳴ったのかもしれない。
 実際に聞こえたわけでは無い。
 だが、その場の全員に聞こえたと感じさせるほどに、明らかにその空間は怒りに満たされていた。

「おっと……」

 萃香が、首を竦めて店主を放す。
 口元にニヤリと笑いを浮かべ、しかして目には少しばかりの焦りを浮かべて。

「どうにも、やりすぎたみたいだ」

 散っていた萃香が、吸い込まれるように萃香の中に戻ってゆく。
 これで、店の中には勇儀と萃香と店主の三人だけ。
 それでも、勇儀の怒りは収まりそうにない。

「いやはや、無粋な鬼は退散することにしよう」

 そうして、体を小さくちぢ込めて、萃香は勇儀の横をすり抜けて店を出る。
 最後に一度、戸から顔をだして。

「店主、悪かったね」

 そう言い残して、百鬼夜行は消えていった。


「ったく」


 勇儀はものすごく珍しく、悪態を吐く。
 吐きたい気分であった。
 見渡せば店の中もかなり荒れている。
 おまけに、勇儀の気に触れて店主はぼうぜんとしていた。
 失神も失禁もしていないのは、相当な胆力だと褒めるべきだろう。

「店主、本当にすまなかった」

 勇儀は店主に深々と頭を下げる。
 むろん、勇儀にのみ非が在る訳ではないのだが、それでも同じ鬼が仕出かしたこと、謝るのが筋であると。
 それが、自然に出来るのが星熊勇儀である。

「あ、いや、大丈夫ですよお客さん」

 勇儀の謝罪で正気に返った店主が逆に戸惑うように返す。

「今のは、お客さんのご友人で?」
「あぁ、普段は好い奴なんだが……ちょいと我が侭に生きるのが過ぎたやつでね」
「ははぁ、なるほど」
「あいつが迷惑かけた分、アタシが弁償するよ」
「大丈夫ですよ、ほかにお客もいませんでしたし。ほら、座ってください、すぐに何か作りましょう」

 店主は、勇儀に座るように勧めて、いつものように酒を出す。
 あれだけ騒がしかったのに、まるで何もなかったかのようだ。

「……好いのかい?」
「もちろんですよ」
「同族が迷惑かけたっていうのに」
「ははは、飲み屋に酔っ払いと迷惑はつきものです。それでどうこう言ったら持ちません」
「しかしねぇ」
「好いんですよ、『お客様は神様です』ってやつです」
「外の世界の言葉だね? しかしねぇ、客だからといって好き勝手を許しちゃ」
「違いますよお客さん」
「うん?」

 店主と、勇儀は改めて向かい合う。
 あれだけの騒動と怒気の後で、実に澄んだ空気がそこにはある。

「私もね、この言葉を聞いた時、お客を常に敬うものだと考えました」
「それが違うって?」
「えぇ、あとで知ったんですがね。こいつは芸事の教えでお客を神様だと思って、真摯に祈るように芸に挑めって意味らしいんですよ」
「祈るように、か」
「はい、だからね私もお客に出す酒も食い物も、神様に備えるつもりで真剣に作ってます」

 勇儀は面食らう。
 客を神とみて、神にするように事を行う。
 やはり、人間とは面白い事を考える。

「ですがね、神様ってのは好いことばっかじゃございません。悪いことだって沢山なさいます」
「そりゃあ、そうだ、神なんだから」
「えぇ、そうです、神様なんですから。そういう神様に出会うのだって、避けられるもんじゃありません。いい神様ばっかりなんて都合のいいことはありゃしません」

 店主は笑う。
 先ほどの騒動を、そして鬼たちを。

「だからこそ、悪い神様が来るのだって覚悟しなきゃいけません」
「それでいいのかい?」
「構いやしませんよ、しっかり仕事をして悪い神様に鎮まってもらう。神様にお祈りするってそういう事でしょう」
「アンタにとっての祈りとはそういうもんか」
「えぇ、もとより世の中は思い通りにゃいきません。だったら、自分で何とかできる事を増やさなきゃやってられませんよ」

 それは、あたりまえの事だ。
 勇儀が旧都でやっていることと同じ。
 きっと、誰もがやらなければならない事である。
 そうして、勇儀もふっと笑った。
 店主がこう言って、尚も謝辞を示すのは筋違いだ。

「そしてアンタは、良い神にも悪い神にも、店主としての筋を通すか」
「はい」

 誠意を示すにも、相手がいる。
 相手がどう思うかで、誠意も違う。
 嗚呼、とかくこの世は生きにくい……

「ままならないねぇ」
「ままなりません」

 だが、それでよいのだ。
 勇儀は勇儀として筋を通す。
 店主は店主として筋を通す。
 生きにくい世の中で、出来ることを行う事のなんと気持ちの良い事か。
 行いが通じる事の、なんとうれしい事か。

 そうして、勇儀は席につき、出された酒に口をつける。
 辛口の、旨い酒だ。

「店主、何か一つ見繕っておくれ、あんたがこれだと思うものを」
「はい」

 店主は、いつも通りに調理場に向き合う。
 勇儀は、酒を飲んでその姿を眺める。
 愉しい、夜だ。
 それだけで、愉しいのだ。

 愉しいから、ついこんなことを口にしてしまう。

「なぁ、店主」
「はい」
「アタシが、アンタに惚れたって言ったらどうする?」
「……そいつは、酒の入っていない時に聞きたいセリフですねぇ」
「アタシが酔ってるとでも?」
「酔ってしまうからの酒ですよ」
「……そうだね。ふふっ、違いない」

 加羅加羅とお互いに笑いあって。
 勇儀は酒に口をつける。

 惚れている、か

 あぁ、素面の時にそんなことを言う度胸がアタシにあるだろうか。
 本当に、ままならない。
 自分の心でさえも。

 そんな愉しい悩みを辛い酒で流し込んで。

 人里の夜は、ただ、更けてゆくのであった。
はい、お久しぶりです。この作品は実に難産でした。
コモンウェルズでレイダーに鉛玉プレゼントしたり、東京で神様殺したり、今はロスリックで王様殺してたりで実に難産でした。
なので私は悪くありません。
はい、ごめんなさい。
四聖堂
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.230簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
 勇儀の女気に感じ入りました。とても面白かったです。
 素朴ながらも力強く仕事に打ち込む店主さんも素敵ですね。姐さんが惚れるのも分かります。
 前回の純狐の物語同様、静かで読みやすい、手に取りやすい物語でした。また読みたいです。
2.100いぐす削除
凄かった…
月並みな言葉ですが、お世辞などでは決してなく只々凄かったです。
キャラといい、展開といい、台詞といい、言葉の使い方といい、それらが演出する雰囲気といい、自分の中では衝撃的な作品の1つでした。

それにしても、鬼も店主も何たる魅力!これぞ「粋」というヤツじゃないか!
萃香のちょっとした無粋すら、粋に変えてしまう二人の在り方がとにかく素敵でした。
舞台は飲み屋でしたが、粋ほど旨いツマミは無いというモノです。

星熊勇儀というキャラは、正直に言ってそこまで好きなキャラというわけではありませんでした。
でも、この作品を読ませていただき、その考えは覆りました。勇儀という女傑の魅力に心から触れる事が出来た気がします。
今後、勇儀と言ったらこの作品を思い出す事になろうかと思います。本当に読ませていただきありがとうございました!
4.100奇声を発する程度の能力削除
とても良い素晴らしいお話でした
6.100名前が無い程度の能力削除
これは……素晴らしいですね。
酒屋の静かで居心地のいい雰囲気がこちらにまで染み込んでくるようで、読み終わったあと、ほうっとため息をついてしまうような仕上がりでした。
姐さんも店主さんもなんとも粋でたまりませんね。