わっ、と歓声が遠くから響く。パーティは盛り上がっているようだ。それを耳にして頷く影ひとつ。
影はしんしんと降る雪の向こう、真っ赤な館の門に立っていた。館に負けぬ鮮やかな朱の髪、紅魔館門番「紅 美鈴」である。
「いやはや、あの兎どもが悪戯しなければもう少し楽だったんですがねぇ」
誰に言うでもなく、しかし当人は満足げだ。篝火が揺れ、美鈴の影を白い大地に踊らす。館の方からまた、大きな歓声。皆楽しんでいるようで何より、と思う美鈴。対照的に彼女は一人、静かな風景に佇むばかりだ。
「はぁ、しかし寒い」
白い吐息とともに一人呟く。
「……なら、中に入っちゃえばいいのに」
何故かの返答がそこにある。美鈴は笑みを浮かべた。
「あら、珍しいですねフランドールさま」
「驚かないんだ、ちぇ」
振り返る先には名の通り、この紅魔館の主の妹がいる。手袋をし、七色の毛糸を贅沢に使ったもこもこのセーターに身を包み、明らかに長すぎるマフラーをぐるぐる巻きにした完全防寒仕様だ。そのコーディネイトを見る限り自分でお着替えしたのだということが分る。どこかつまらなそうな表情は悪戯に失敗したからだろうか?
「まぁ、そのくらい分らないとここには立てません」
優しい表情で語りかける美鈴の方に、さく、さくと新雪を踏みしめてフランドールが歩み寄る。
「そうなんだ」
「まぁ、どなたがどんな気を持っているか把握してますからね。100m範囲に入れば察知できます」
「ふーん」
素っ気無い返事だ。
「しかし、外に出てこられるなんてほんとに珍しいですね」
「悪い?」
「いえいえそんな」
「ここは私の家でもあるから勝手にするのは当然でしょ」
「はぁ、まぁ、そうですね」
確かに今のフランドールは自ら望んで地下に留まっている。いくつか理由はあるが単純に要約すると、
「めんどくさいから」
の一言に集約されるとのこと。だからこそ滅多に地上に出てくることはないのだが。
「なんかさぁ、兎が二匹ほど迷い込んできたから追い掛け回してやったんだけど。うちの警備ザルじゃない?」
「今日は皆舞い上がっちゃってますからねぇ。それで、どうされました?」
美鈴の脳内に再生される月の兎と地上の兎。もしフランドールが戯れで右手の力を使っていればたいそう厄介が起こる、そう判断して、かつフランドールの気に障らないように聞く。
「飽きたから寝なおそうかと思ったけど、上はあんな感じで五月蝿いし、それを全部ぶっ壊すのもめんどくさいし、着替えて外をぶらぶらしてたの。そんだけ」
「なるほど」
どうやら危惧していた事態にはならなそうだ。相変わらず、つまらなそうなまなじりを美鈴に向けるフランドール。
「私のことはどうでもいいのよ。寒いんなら館に引っ込めばいいのに。どーせもう誰も来ないよ」
「はぁ、しかしそういうわけには参りません。招待状をお送りしましたが、まだ顔を見せられてない方もいらっしゃいますし」
「例えば?」
「えっと、八雲家の皆さんとか」
ハッ、と小馬鹿にしたような笑い。フランドールのそれを美鈴はあまり好いてはいない。仕方のない態度ではあるが。
「あいつらがマトモにここから入ってくると思う?」
「いいえ」
美鈴は自信の笑みを浮かべている。眉根を寄せるフランドール。返答と表情のどちらも彼女には理解しがたいものだ。だから聞く。
「じゃあ、なんでここに立ってるのよ」
「それは、私が紅魔館の門番だからです……という言葉では端的に過ぎますかね」
フランドールの表情が変わらないのを見て、言葉を重ねる。
「お嬢様は、私をここの門番として命じてくださいました。ここはいわば紅魔館の顔です。そんな大事な場所にこの私を。ですから今日のように、人を迎える時に顔がそっぽを向いていては失礼でしょう?」
「そういうものかな」
「そういうものです。ですから、来るかもしれないお客様に常に相対せるよう私はここにいます。これは、私の誇りでもあります」
「でも、お姉さまに命じられてのものなんでしょ? メイが自分でやりたくてやってるわけじゃぁないじゃん」
むすっとしたままにフランドールは言う。実に自由奔放な彼女らしい、と穏やかな表情のまま美鈴は語りかける。
「少しだけ認識が違いますね、フランドールさま。門番として戦闘技術だけでなく、交渉術や礼儀も含め全ての面において私が、私こそがここに立つのが相応しいとお嬢様は認めてくださったのです。それはとても嬉しいこと。ですから私はその喜びと誇りを背負い、お嬢様のために、そして何より紅魔館にいる皆のために私はこうして、ここにいるんです。お分かりいただけますか?」
笑顔の美鈴に対し、フランドールの表情は……先ほどより多少は険が取れただろうか。ただ、軽く小首を傾げる。
「……メイがそれでいいなら別にいい」
「は、はぁ」
多少笑顔を引きつらせる美鈴である。さて、そこで会話が止まる。館の方から聞こえてくる楽しげな声の他にはときおり枝に積もった雪が落ちる音と薪の小さく爆ぜる音だけ。不思議な静寂が、2人を包み込む。
先に耐え切れなくなったのは、美鈴だった。
「あ、あの」
「ん?」
「フランドールさまこそ、その、寒くないんですか?」
黙ったまま、美鈴の横に立ち続けるそこに問う。身体を縮こめて、マフラーに顔半分ほど埋めその奥から少しくぐもった声が真っ白な息とともに寒夜に放たれる。
「吸血鬼ってさ、人間なんかよりずっと体温が低いんだよ」
答えではない言葉。そこから先はまた、沈黙。マフラーの側に、ほつ、ほつと白い息が浮かんでは消えるだけ。美鈴は思考する。
「じゃあ、寒くな「寒いに決まってるじゃない」……あ、え、は。はぁ」
言葉をぴしゃりと遮られた。まぁそうだろう寒いだろう。美鈴も本当は気付いている。だが、道化を求められる時は道化を演じるものだとも知っていた。このへん姉とよく似てるな、などと思いを馳せ、もうひとつするべきことを思いつく。
「寒いんですね」
「そう言ってるじゃん」
「ふむ……」
ほんの少しだけ思案するそぶりを見せた美鈴であるが、おもむろにフランドールに背を向け、詰め所の方に歩き出した。
「え、ちょっと」
戻らぬはずの館内に向かう美鈴に驚いて声をかける。
「あ。すぐに戻りますので、しばらく門番代理をお願いします」
「え、あ、ちょっと」
逡巡するにもかかわらず、美鈴は歩みを止めない。ただ、顔だけは振り向いた。
「あ、あのさ! 美鈴!」
「なんでしょう?」
「私、そんな、ちゃんとした紅魔館の顔なんて、出来ないからね!」
その言葉に、美鈴は笑みだけ返してから駆けていく。夜闇に姿が消えるのを見届け、フランドールはつまらなさそうに、しかし真っ直ぐに門の外に視線を向けた。
「お待たせしました」
「待った。けっこう待った」
「申し訳ありません」
四半時ほど経っただろうか。戻ってきた美鈴の手には籠が下げられていた。
「……なにそれ」
「えっへっへぇー」
すぐには答えずに、もったいぶった調子の美鈴ではあるが、フランドールの渋面がますます渋み走ったのを見て慌てて内容物を取り出す。竹筒と包み紙。
「じゃぁはいこれ、フランドールさまのお口にあえばよろしいのですが」
と竹筒を渡す。上部に栓を詰めた穴を見つけ、フランドールにもそれが水筒であることが分かる。ただ、手袋と竹の皮越しにほんのりと温かみを感じるが。促されるままに栓を抜き、あおる。
甘さと暖かさが口いっぱいに広がる。
「ん……。これ、ココアだね」
「はい。お好きですか」
「まぁ、うん」
気のない返事をしつつももう一口。もちろん嫌いなわけがない。
「で、それは?」
視線の先には美鈴が手にした包みがある。にこやかに、かつ多少仰々しく開ける美鈴。
「揚げ餅です。餡餅ですよ」
「むっ……」
狐色に揚げられ、ふわっとした湯気を放つ美味そうな物体に、しかしフランドールは顔をしかめた。
「あ、あれ? お嫌いでしたか? 餡にはたっぷり砂糖も使いましたが」
「いやそういうわけじゃないけどさ!」
せっかくの心遣いが無碍になるのかと絶望と困惑の美鈴にフランドールが言う。
「ココアと、揚げ餅っていう、取り合わせが、ありえない!」
「あー」
最終的に美味ければそれでいいんじゃないですか、という美鈴的感性よりもフランドールはずっと繊細であったようだ。
「それは配慮が足りませんでした。お心障りになるようでしたらお下げします」
深々と頭を下げる美鈴に、
「いや、あのさ。ありえないとは、言ったけどさぁ」
苦々しい顔のフランドール。何をか言わんとし、上手く言葉が出ないのだろうか、やおら歩み寄り包み紙をひったくった。無造作に手を中に突っ込み、あちち、と小さくもらす。心配した美鈴が何をか言うより早く中身を取り出した。真っ白な湯気と香ばしい香りを放つ揚げ餅にかぶりつく。
「……おいしい」
「でしょう……じゃない。その、よろしいので?」
「美味しいって言ったんだからいいじゃない。その、メイがさ、わざわざ作ってくれたことには、さ、まぁ、感謝してるし? それでいいのよ、わかった!?」
「はぁ」
ツンデレしつつ無心にかぶりつく姿を見て、美鈴の顔もほころぶ。そのままふたりはしばし無言で、ささやかな夜食の時を過ごしたのである。
「……子様、えっと、本当によろしいので?」
「えぇ、そうよー」
そんな声が館の方からふたつ、こちらに近づいてくるのを感知する美鈴。振り向けば篝火の向こうに白玉楼の主従が見えた。宴の終わりにはまだまだ早い。
「どうも。お帰りですか?」
先んじて会釈する美鈴。その胸には一つの不安が去来する。
「えぇ」
「そうですか。……そのう、なにか粗相でもございましたか?」
美鈴の問いに幽々子は小さく目を見開き、すぐにいつもの柔和な笑みに戻る。
「いえいえ。やる事がありましたから元より顔見せにくる程度でしたの。気を使わせてしまったかしら」
「あ、それはそれは……。こちらこそお気遣いさせてしまいましたね。その、楽しんでいただけました?」
「えぇ、もちろん。お料理も大変おいしゅういただきましたわ」
その表情と気を見るに言葉の通りだ。隣の従者は実にこう、不満というか不安というか微妙な気を放っているが。
「それは何よりでした。また何かありましたらその時は是非ごゆるりとしていってくださいね。帰り道、お気をつけて」
「ありがとう。それではまた」
優雅に一礼し、美鈴のほうに意味ありげな優しい視線を送ったあと幽々子は門をくぐった。妖夢も失礼します、と簡潔に礼をして主の後を追う。闇に消えていくふたりを、美鈴は静かな優しい目で送るのであった。
「ふふ」
紅魔館を離れしばらくしてから、幽々子は小さく笑う。
「どうなさいました?」
「ん? あぁいう主従の形も素敵ねぇ、って思って」
「負ぶいませんよ」
その返答に抗議のためか、それともさらに深遠たる思考のためか、無言の笑顔を向ける幽々子。
「……負ぶいませんってば」
「あらあら」
笑顔を崩さぬ幽々子の脳裏に浮かぶのは、先ほどの美鈴の姿である。一つのマフラーをお互いの首にかけあい、眠るフランドールをその背に負ぶった姿はなによりの手土産のようにも思えた。懐のお酒がより美味しくなるわぁ、などと思いつつもう一度妖夢を見る。
「負うた子に負ぶわれ、って言うじゃない」
「それは負うた子に教えられ、ですよう。……その、お教えすることは精一杯頑張りますけど、その。幽々子様ももうちょっと真面目に剣術をですね、って、ああ、幽々子様!?」
愚痴交じりの説教モードに入りかけた妖夢を避けるように、空に舞う。慌ててそれを追う妖夢の声は耳に入っていない。そう、彼女にはまだ負えないだろう。できれば紅魔館の門番のように育って欲しいと幽々子は願う。振り返らずとも分かる。彼女は今も光り輝く館から少し離れた場所で幼い吸血鬼の娘を背負ったまま立っている。
それは紅魔館を優しく、そして力強く背負い、凛として立つ存在であると体いっぱいで表しているよう、幽々子には思えた。
影はしんしんと降る雪の向こう、真っ赤な館の門に立っていた。館に負けぬ鮮やかな朱の髪、紅魔館門番「紅 美鈴」である。
「いやはや、あの兎どもが悪戯しなければもう少し楽だったんですがねぇ」
誰に言うでもなく、しかし当人は満足げだ。篝火が揺れ、美鈴の影を白い大地に踊らす。館の方からまた、大きな歓声。皆楽しんでいるようで何より、と思う美鈴。対照的に彼女は一人、静かな風景に佇むばかりだ。
「はぁ、しかし寒い」
白い吐息とともに一人呟く。
「……なら、中に入っちゃえばいいのに」
何故かの返答がそこにある。美鈴は笑みを浮かべた。
「あら、珍しいですねフランドールさま」
「驚かないんだ、ちぇ」
振り返る先には名の通り、この紅魔館の主の妹がいる。手袋をし、七色の毛糸を贅沢に使ったもこもこのセーターに身を包み、明らかに長すぎるマフラーをぐるぐる巻きにした完全防寒仕様だ。そのコーディネイトを見る限り自分でお着替えしたのだということが分る。どこかつまらなそうな表情は悪戯に失敗したからだろうか?
「まぁ、そのくらい分らないとここには立てません」
優しい表情で語りかける美鈴の方に、さく、さくと新雪を踏みしめてフランドールが歩み寄る。
「そうなんだ」
「まぁ、どなたがどんな気を持っているか把握してますからね。100m範囲に入れば察知できます」
「ふーん」
素っ気無い返事だ。
「しかし、外に出てこられるなんてほんとに珍しいですね」
「悪い?」
「いえいえそんな」
「ここは私の家でもあるから勝手にするのは当然でしょ」
「はぁ、まぁ、そうですね」
確かに今のフランドールは自ら望んで地下に留まっている。いくつか理由はあるが単純に要約すると、
「めんどくさいから」
の一言に集約されるとのこと。だからこそ滅多に地上に出てくることはないのだが。
「なんかさぁ、兎が二匹ほど迷い込んできたから追い掛け回してやったんだけど。うちの警備ザルじゃない?」
「今日は皆舞い上がっちゃってますからねぇ。それで、どうされました?」
美鈴の脳内に再生される月の兎と地上の兎。もしフランドールが戯れで右手の力を使っていればたいそう厄介が起こる、そう判断して、かつフランドールの気に障らないように聞く。
「飽きたから寝なおそうかと思ったけど、上はあんな感じで五月蝿いし、それを全部ぶっ壊すのもめんどくさいし、着替えて外をぶらぶらしてたの。そんだけ」
「なるほど」
どうやら危惧していた事態にはならなそうだ。相変わらず、つまらなそうなまなじりを美鈴に向けるフランドール。
「私のことはどうでもいいのよ。寒いんなら館に引っ込めばいいのに。どーせもう誰も来ないよ」
「はぁ、しかしそういうわけには参りません。招待状をお送りしましたが、まだ顔を見せられてない方もいらっしゃいますし」
「例えば?」
「えっと、八雲家の皆さんとか」
ハッ、と小馬鹿にしたような笑い。フランドールのそれを美鈴はあまり好いてはいない。仕方のない態度ではあるが。
「あいつらがマトモにここから入ってくると思う?」
「いいえ」
美鈴は自信の笑みを浮かべている。眉根を寄せるフランドール。返答と表情のどちらも彼女には理解しがたいものだ。だから聞く。
「じゃあ、なんでここに立ってるのよ」
「それは、私が紅魔館の門番だからです……という言葉では端的に過ぎますかね」
フランドールの表情が変わらないのを見て、言葉を重ねる。
「お嬢様は、私をここの門番として命じてくださいました。ここはいわば紅魔館の顔です。そんな大事な場所にこの私を。ですから今日のように、人を迎える時に顔がそっぽを向いていては失礼でしょう?」
「そういうものかな」
「そういうものです。ですから、来るかもしれないお客様に常に相対せるよう私はここにいます。これは、私の誇りでもあります」
「でも、お姉さまに命じられてのものなんでしょ? メイが自分でやりたくてやってるわけじゃぁないじゃん」
むすっとしたままにフランドールは言う。実に自由奔放な彼女らしい、と穏やかな表情のまま美鈴は語りかける。
「少しだけ認識が違いますね、フランドールさま。門番として戦闘技術だけでなく、交渉術や礼儀も含め全ての面において私が、私こそがここに立つのが相応しいとお嬢様は認めてくださったのです。それはとても嬉しいこと。ですから私はその喜びと誇りを背負い、お嬢様のために、そして何より紅魔館にいる皆のために私はこうして、ここにいるんです。お分かりいただけますか?」
笑顔の美鈴に対し、フランドールの表情は……先ほどより多少は険が取れただろうか。ただ、軽く小首を傾げる。
「……メイがそれでいいなら別にいい」
「は、はぁ」
多少笑顔を引きつらせる美鈴である。さて、そこで会話が止まる。館の方から聞こえてくる楽しげな声の他にはときおり枝に積もった雪が落ちる音と薪の小さく爆ぜる音だけ。不思議な静寂が、2人を包み込む。
先に耐え切れなくなったのは、美鈴だった。
「あ、あの」
「ん?」
「フランドールさまこそ、その、寒くないんですか?」
黙ったまま、美鈴の横に立ち続けるそこに問う。身体を縮こめて、マフラーに顔半分ほど埋めその奥から少しくぐもった声が真っ白な息とともに寒夜に放たれる。
「吸血鬼ってさ、人間なんかよりずっと体温が低いんだよ」
答えではない言葉。そこから先はまた、沈黙。マフラーの側に、ほつ、ほつと白い息が浮かんでは消えるだけ。美鈴は思考する。
「じゃあ、寒くな「寒いに決まってるじゃない」……あ、え、は。はぁ」
言葉をぴしゃりと遮られた。まぁそうだろう寒いだろう。美鈴も本当は気付いている。だが、道化を求められる時は道化を演じるものだとも知っていた。このへん姉とよく似てるな、などと思いを馳せ、もうひとつするべきことを思いつく。
「寒いんですね」
「そう言ってるじゃん」
「ふむ……」
ほんの少しだけ思案するそぶりを見せた美鈴であるが、おもむろにフランドールに背を向け、詰め所の方に歩き出した。
「え、ちょっと」
戻らぬはずの館内に向かう美鈴に驚いて声をかける。
「あ。すぐに戻りますので、しばらく門番代理をお願いします」
「え、あ、ちょっと」
逡巡するにもかかわらず、美鈴は歩みを止めない。ただ、顔だけは振り向いた。
「あ、あのさ! 美鈴!」
「なんでしょう?」
「私、そんな、ちゃんとした紅魔館の顔なんて、出来ないからね!」
その言葉に、美鈴は笑みだけ返してから駆けていく。夜闇に姿が消えるのを見届け、フランドールはつまらなさそうに、しかし真っ直ぐに門の外に視線を向けた。
「お待たせしました」
「待った。けっこう待った」
「申し訳ありません」
四半時ほど経っただろうか。戻ってきた美鈴の手には籠が下げられていた。
「……なにそれ」
「えっへっへぇー」
すぐには答えずに、もったいぶった調子の美鈴ではあるが、フランドールの渋面がますます渋み走ったのを見て慌てて内容物を取り出す。竹筒と包み紙。
「じゃぁはいこれ、フランドールさまのお口にあえばよろしいのですが」
と竹筒を渡す。上部に栓を詰めた穴を見つけ、フランドールにもそれが水筒であることが分かる。ただ、手袋と竹の皮越しにほんのりと温かみを感じるが。促されるままに栓を抜き、あおる。
甘さと暖かさが口いっぱいに広がる。
「ん……。これ、ココアだね」
「はい。お好きですか」
「まぁ、うん」
気のない返事をしつつももう一口。もちろん嫌いなわけがない。
「で、それは?」
視線の先には美鈴が手にした包みがある。にこやかに、かつ多少仰々しく開ける美鈴。
「揚げ餅です。餡餅ですよ」
「むっ……」
狐色に揚げられ、ふわっとした湯気を放つ美味そうな物体に、しかしフランドールは顔をしかめた。
「あ、あれ? お嫌いでしたか? 餡にはたっぷり砂糖も使いましたが」
「いやそういうわけじゃないけどさ!」
せっかくの心遣いが無碍になるのかと絶望と困惑の美鈴にフランドールが言う。
「ココアと、揚げ餅っていう、取り合わせが、ありえない!」
「あー」
最終的に美味ければそれでいいんじゃないですか、という美鈴的感性よりもフランドールはずっと繊細であったようだ。
「それは配慮が足りませんでした。お心障りになるようでしたらお下げします」
深々と頭を下げる美鈴に、
「いや、あのさ。ありえないとは、言ったけどさぁ」
苦々しい顔のフランドール。何をか言わんとし、上手く言葉が出ないのだろうか、やおら歩み寄り包み紙をひったくった。無造作に手を中に突っ込み、あちち、と小さくもらす。心配した美鈴が何をか言うより早く中身を取り出した。真っ白な湯気と香ばしい香りを放つ揚げ餅にかぶりつく。
「……おいしい」
「でしょう……じゃない。その、よろしいので?」
「美味しいって言ったんだからいいじゃない。その、メイがさ、わざわざ作ってくれたことには、さ、まぁ、感謝してるし? それでいいのよ、わかった!?」
「はぁ」
ツンデレしつつ無心にかぶりつく姿を見て、美鈴の顔もほころぶ。そのままふたりはしばし無言で、ささやかな夜食の時を過ごしたのである。
「……子様、えっと、本当によろしいので?」
「えぇ、そうよー」
そんな声が館の方からふたつ、こちらに近づいてくるのを感知する美鈴。振り向けば篝火の向こうに白玉楼の主従が見えた。宴の終わりにはまだまだ早い。
「どうも。お帰りですか?」
先んじて会釈する美鈴。その胸には一つの不安が去来する。
「えぇ」
「そうですか。……そのう、なにか粗相でもございましたか?」
美鈴の問いに幽々子は小さく目を見開き、すぐにいつもの柔和な笑みに戻る。
「いえいえ。やる事がありましたから元より顔見せにくる程度でしたの。気を使わせてしまったかしら」
「あ、それはそれは……。こちらこそお気遣いさせてしまいましたね。その、楽しんでいただけました?」
「えぇ、もちろん。お料理も大変おいしゅういただきましたわ」
その表情と気を見るに言葉の通りだ。隣の従者は実にこう、不満というか不安というか微妙な気を放っているが。
「それは何よりでした。また何かありましたらその時は是非ごゆるりとしていってくださいね。帰り道、お気をつけて」
「ありがとう。それではまた」
優雅に一礼し、美鈴のほうに意味ありげな優しい視線を送ったあと幽々子は門をくぐった。妖夢も失礼します、と簡潔に礼をして主の後を追う。闇に消えていくふたりを、美鈴は静かな優しい目で送るのであった。
「ふふ」
紅魔館を離れしばらくしてから、幽々子は小さく笑う。
「どうなさいました?」
「ん? あぁいう主従の形も素敵ねぇ、って思って」
「負ぶいませんよ」
その返答に抗議のためか、それともさらに深遠たる思考のためか、無言の笑顔を向ける幽々子。
「……負ぶいませんってば」
「あらあら」
笑顔を崩さぬ幽々子の脳裏に浮かぶのは、先ほどの美鈴の姿である。一つのマフラーをお互いの首にかけあい、眠るフランドールをその背に負ぶった姿はなによりの手土産のようにも思えた。懐のお酒がより美味しくなるわぁ、などと思いつつもう一度妖夢を見る。
「負うた子に負ぶわれ、って言うじゃない」
「それは負うた子に教えられ、ですよう。……その、お教えすることは精一杯頑張りますけど、その。幽々子様ももうちょっと真面目に剣術をですね、って、ああ、幽々子様!?」
愚痴交じりの説教モードに入りかけた妖夢を避けるように、空に舞う。慌ててそれを追う妖夢の声は耳に入っていない。そう、彼女にはまだ負えないだろう。できれば紅魔館の門番のように育って欲しいと幽々子は願う。振り返らずとも分かる。彼女は今も光り輝く館から少し離れた場所で幼い吸血鬼の娘を背負ったまま立っている。
それは紅魔館を優しく、そして力強く背負い、凛として立つ存在であると体いっぱいで表しているよう、幽々子には思えた。
冥界組が見た二人の姿が微笑ましく、ほっこりしました。
優しい気持ちになれる紅魔館作品でした。
あだ名呼びなのは新鮮
器用不器用の違いはあれど、相手を気遣う心そのものはみんなかわらないものなのですね
フランが立派になるまで支える姿が頭に浮かぶようです
紅魔館の多くが縦横無尽に走り回る中、
描かれなかった妹様を非常によく補完しているな、と感じました。
雪の日の設定に似つかわしい、静かでよい作品でした。