Coolier - 新生・東方創想話

青に溶ける

2016/04/14 23:41:40
最終更新
サイズ
17.89KB
ページ数
1
閲覧数
2416
評価数
8/19
POINT
1240
Rate
12.65

分類タグ

 青に溶ける
 

1.


 静寂の中で鈍い音が聞こえた。目を開くとたくさんの石と数えきれない砂粒が見えた。思いっきり伸びをすると頭を下に向ける。手を前に突き出して湖底を目指して泳ぎだす。
 手ごろな大きさの石を両手に取った。私も石をたたいて返事をする。
 河童から教わったモールス信号。
 私はそれを水中で使えるようにした。石をたたく音、石をこする音の二種類で言葉を伝える。空気がなくたって言葉を伝える方法はあるのだ。
 会話が終わると石を捨てる。重力に従って落下すると、その石は道具ではなく風景の一部となった。
 頭を上に向けると光を透過して揺らめく水面が見えた。それはさながら夢と現実の境界だった。リズムよく足を動かすと土埃が舞い上がり、髪が揺れるのを感じた。
 水面から顔を出すと、風が頬を撫でた。波に揺られながら深呼吸をして肺を空気で膨らませた。首を動かして周囲をうかがう。
「どこー」
「こっちよ」
 声の方向に向かうとわかさぎ姫がいた。いつも子供みたいな無邪気な笑顔をしている。その表情しか知らないのだろうか。
「ほら、みてみて」
 突き出した手には石が納まっていた。硬いはずなのに卵を握っているかのようにやさしく握っていた。私にとっては重要ではなくても彼女にとっては大切なのだろう。
「うん。すごい綺麗」
「でしょ」と言いながら、頬ずりするように石を顔に近づける。「あと、申し訳ないんだけど、ちょっといいかな」
「はいはい。なんなの?」
 泳ぎ出したわかさぎ姫の後ろを追いかけた。
「ほら、あれ」
 姫が指さした先には乾いた土の色をした物体が浮かんでいた。詳しくないからハッキリとはわからないが鹿の死体だろうか。
「鹿かな」
「たぶんね。この子を地上に運んでくれないかしら?」
「いいよ」
 鹿の足を掴みながら泳いだ。一瞥した限りでは怪我はなく綺麗だった。となると、狼から逃げようとして湖に入って溺れたのだろうか。間抜けだと思った。きっとここじゃなくても何か別の理由で遠からず死んだだろう。自分の生きられる世界を勘違いしたのだ。違う世界で生きようとするならば辛く長い道が待ち受ける。その道は死ぬほどつらいし、耐えられず死ぬものがほとんどだ。生き残った私に待ち受けたものは何とも言えない浮遊感だ。あるいはまだ道は続いているのかもしれない。
 岸まで連れていくと二本の足で地面を踏みしめる。ふくらはぎの筋肉がこれまでとは違う動きをした。再び鹿の足を掴むと引き上げようとする。
 重い。水の中で引っ張るのと全然違う。
 岸まで上げて、さらに湖から遠ざかる。湖からは見えない木立の中に埋めずに置いてきた。こうしておけば森の動物が彼を食べるだろう。水の中で腐ってしまうよりよっぽど役に立つ。自然の生き物は死んでしまえば自然の一部になる。そういう奴らに埋葬は不要だ。そもそも墓を建てるのは人間ぐらいだ。
 私は墓を建てられずに死んだ人間をいっぱい見てきた。海で、あるいは地獄で。
 あるいは私もか。
「置いてきたよ」
「ありがとう。ああいうのほんとに困るのよね。水は汚れるし」
 私は曖昧な笑いで返事した。ひょっとしたらあの鹿を水に引きずり込んだのは彼女かもしれない。河童も人魚も人間を溺れさせるところから始まった。
「じゃあ、そろそろ帰るよ」
「はやいわね」
「明日は用があるの。準備しないと」
 そういいながら岩場に置いていた帽子をかぶる。これで正装が完了する。名もなき妖怪から寺の一員になる。
「じゃあね」
「うん」
 わかさぎ姫は私の姿が見えなくなるまで手を振っていた。
 その直後、私は置いて行った鹿の死体に再び出会った。
 なんとなく私を笑っているような気がした。


2.


 寺の門をくぐるときはいつも立ち止まって深呼吸する。我が家であるにも関わらずだ。寺とは本来修行の場だからなんらおかしくないとは思う。けど、それを聖が知ったら悲しそうな顔をすると思って誰にも言ったことがない。
 門をくぐると一輪がいた。
「お帰り、村紗」
「ただいま」
 言葉少なく一輪と一緒に歩き出した。先に口を開いたのは一輪だった。
「どこいってたの?」
「霧の湖」
「吸血鬼のとこね」
「そうそう」
「吸血鬼に会うの?」
「会わないわ。わかさぎ姫ぐらい」
「仲良くやれてる?」
「そこそこ」
 まるで親みたいに一輪は聞いてくる。今日の私はお休みの日だからどこに行こうと私の自由のはずなのに。まあ、これも昔の名残みたいなものだった。地獄にいた時はそこらじゅうが危険だったからお互いの居場所を把握する癖があった。
 地獄に行った当初は悪いのに絡まれてボロボロになって帰ったこともあった。もっとも当時は聖の考えに強く影響されていた時期だったから妙に正義感が強く、色んな妖怪に声をかけて自分からトラブルを作っていた。あそこにいたおがげで社会との付き合い方を学べたというのはあった。聖は正しいと思うけど正論だけでは人は動かせないというのは学べた。
 それでも、聖に会いたかった。
本堂は相変わらずの静寂だった。寺というのは大抵必要以上に大きくて、必要以上に静かだ。それによって自分は偉いんだと誇示したいのだろうか。聖はそんな性格ではないのを知っているけど、形式にこだわる頑固なところがあるのは知っている。
 本堂の扉の隙間から内部の様子が見えた。聖と女性が向かい合って座っていた。女性はどうも悲しんでいるようでうつむいていた。
「あの人は?」
「お経の依頼。産まれてすぐに子供が死んだんだって」
「水子か」
「そ、簡単にでもいいから供養がしたいんだって」
 本堂の横を歩くと、所々の隙間から二人の姿が見えた。会話の内容までは分からないが聖の母性的な表情が印象的だった。女性の方は手で顔を覆っていた
「幸せ者ね」
「子供が死んだのよ」一輪が眉をひそめた。
「子供の方よ。産まれたばっかりの子を供養してくれるなんてそうそうない」
「ああ。そうね」
 お経をあげるのも無料ではないのだ。きっと裕福な家なのだろう。供養もお金次第というのは不公平だと思う。けど、無料でやってしまえばキリがなくなる。だから、代金を設定するしかないのだ。その分心を込めて手厚く送ってあげようというのが聖の主張だった。じゃあ、そもそも葬式なんか必要ない。どうせ閻魔は葬式の有無を判断材料にいれないだろうと聞くと、返事は否だった。葬式は死んだ人の為だけではない。生きている人のためでもある。死んだ人のために精一杯のことができたと納得するのも葬式の役割の一つなのだと聖は言った。
 では、お金を払えず葬式を開けない人はいつまでも後悔することになる。そういう人たちはどうすればいいのだろう。そう思ったが言葉にはしなかった。死を拒否した聖はきっと建前しか話さないだろう。
 聖のお経が聞こえてきた。ゆったりと、心臓の音のように。
 きっとあの女性は泣いていることだろう。

 聖と初めて会った日を思い出した。
 私が地上に引き上げられた日、子供のように手を引かれて聖の寺に到着した。そこで聖と向かい合って座った。
 私は全てを話した。人間であったとき、死んだとき、幽霊のとき、私の物語を覚えているだけ全て。
 語り終わったときにはすっかり夜が更けていた。
 そうしてあなたが私の海に来ました。その言葉で物語を締めくくった。
 その途端、聖が私を抱きしめた。親みたいに強く優しく。
 久しぶりに人のぬくもりを感じた。
 たくさん泣いた。ひたすら泣いた。聖が私の中にあった潮を絞り出すように。
 実際、泣き終わったころには寺中が磯臭くなったと辟易された。
 そのあとに飲んだ井戸水がたまらなく美味しかった。生き返った気分だった。
 あの時、聖は私に一つだけ質問をした。
 どうして人を溺れさせたのですか?
 上手く説明できなかった。憎いとか寂しいとかもっともらしい理由はあるはずなのに。
 たぶんそれは何故呼吸するか、何故食事をするのか、そのレベルの質問だったのではないかと思う。私の根幹の一つになっていたのだろう。
 聖は、ではそこから始めましょうと言った。自分自身を理解することが第一歩だという。
 まだ、上手く言えない。長い間海にいたせいで無くなったのではないか。私の思いも、私自身も、海に溶けていったのだ。

「船の点検はしたの?」
「これから」
「ちゃんとやってよ。落ちたら困るんだから」
「そのときは一輪と雲山に助けてもらうよ」
「最初から他人をあてにしない」
「はいはい」
 そのまま歩いていくと本堂から遠ざかった。聖の声も聞こえるギリギリの音量になった。
 私が立ち止まると一輪が振り返った。
「先行ってて」
「どうしたの?」
「最後まで聞こうかなって」
「もう全部覚えてるでしょう」
「聞くのは別よ」
「まあ、邪魔しないようにね」
「わかってる」
 一輪はそのまま真っすぐ向かった。私達の部屋はそっちにある。
 私は道を戻って本堂に行った。近くの階段に腰を下ろした。
 そのまま目を閉じて聖のお経を聞いた。波の音や風の音に似ていて、浸るように穏やかな気持ちで聞いていた。
 きっと私の葬式はなかっただろうから。


3.


 ただでさえ静かな寺が夜になるとさらに静かになる。歩くと床板のきしむ音まで聞こえてきそうだった。廊下を歩いていると後ろから呼びかけられた。
 振り返るとナズーリンがいた。
「船のメンテナンスは?」
「もう終わってるよ。何なら今からでも」
 わざとらしく帽子を取ってお辞儀をする。ちょっと退屈だったのだ。
「ふうん。じゃあ、どうだい君の部屋で」
 掲げた右手には酒瓶があった。
 慌てて小声で注意した。「そんな堂々と見せると聖に見つかるよ」
「もう寝るって言ってた。大丈夫だよ」
「そうなの。じゃあ、お言葉に甘えようかな」
 ナズーリンの尻尾からぶら下がったネズミがチーと鳴いた。

 私はそんなに真面目でないと自覚している。人間にいたずらするし酒も飲む。ただ、ナズーリンほどではないと思っている。彼女はちゃんとした立場もあるし、それに見合った能力もある。それなのにこうやって禁止されている行為を度々行う。賢い分誤魔化し方とか手の抜き方ってものがわかっているようだった。
「よく一升瓶を持ち込めるわね」
「別に、着替えの服と一緒に袋に詰め込んだだけだよ」
「ああ、そういえば寺に泊まるとき、いつも大きな袋を担いでるわね」
「毎回持ち込んでいるわけじゃないよ。けど、普段からやっとけば怪しまれない」
 口をすぼめて息を吐き出した。酔って熱のこもった吐息だった。
「戒律とか気にしないの?」
「ないね。人を助けるためなら、まず同じ土俵に立たないと。酒を知らずに酒におぼれたものを救うのは無理だろう。第一、聖だって若返りという禁忌に手を染めてる。だからこそ妖怪は彼女を信頼できたんだ。それなのに彼女自身が戒律に厳しいっていうのも変だと思うよ」
 酔っているせいか饒舌に批判的に喋っている。いつもとは違っているけど、これも彼女の素顔の一つなのだろう。私だって会う人によって性格が変わることがある。意識するかしないかに関わらず。それは臆病なのか、器用なのかはよくわからない。けど、それが他人と生きるってことだと思う。
「なるほどねえ。やっぱり一人暮らししてると自由な考えが身に着くのかなあ」
「じゃあ、村紗も寺から離れてもいいんじゃないか。考えたことないの?」
「無理よ。自律できないから飲んで食べて太っちゃう。このぐらいでいいよ」
 そういうと手元の酒を一気に飲んだ。ナズーリンも飲んだ。
 今、部屋の中は薄暗い。真っ暗な部屋の中で私達から離れた場所に行灯が置いてあるだけだ。行灯から発する弱い光が私たちの影を作る。私からはナズーリンの影は見えるが自分のは見えない。きっと私の影は彼女のより大きく、黒いだろう。
「そういえば君はいつもワラビの煮物を残すよね。嫌いなの?」
 いきなりの質問に軽くむせてしまった。声を立てないように気を付ける。
 器に盛りつけられたワラビの煮物の姿と匂いを思い出して振り払おうと目を閉じた。
「そうね。食感がダメかな」
 これは嘘だ。煮物のワラビは大抵茶色をしている。それとあの細長い形のせいで内臓とか血管を思い出してしまうのだ。血が抜けるとちょうどあんな色になる。これまでの人生の中でそれを山ほど見てきたし、それを見てきたこれまでのことを思い出したくはなかった。
「建前だけど、仏教徒が食べ物を残すのは良くないよ。みんな気にしてる」
「がんばるわ」
 わかっているが駄目なものはどうしようもない。目をつぶって口に入れるか。  
 酒瓶を手に取って蓋を開けると、甘い香りが刺激して私の嗅覚を上書きしてくれた。持ち上げて、注ぐために傾けると重さのせいで瓶がふらついた。
 地上に上がったときはこれが怖かった。
 色んなものが重い世界が怖かった。
 水が重いという事実が怖かった。
 水をたっぷりと入れた樽が私を押しつぶす悪夢に悩まされた。
 足で踏みしめないと動けない世界が怖かった。
 最初のころなんて、上手く走れなくて何度も転んでしまった。
 あの頃に比べれば色んなものを克服して、表面上はまともになれた。これから先はどうなるんだろう。時間はたっぷりある。ありすぎする。手を伸ばしても、水のように指の間をすり抜けてつかめない。
 今まで受けた恩は返すべきだとは思うけど、どうやれば返せるのだろう。聖のように、他人のために身をささげられるようになるのだろうか。
 どうしようもない思いが手足を縛ってがんじがらめになる。
 地上から離れたくなる。
「今日休みだったらしいけど、どこか行った?」
「霧の湖」
「また沈んだの?」
「沈んだっていうか、泳ぎに行ったのよ」
 ナズーリンは手元のグラスをゆっくりと回した。
「前から気になってたんだけど、沈むのと飛ぶのどっちが好きなんだ?」
「……どっちが、ていうのじゃないな。どっちも好き」
 地上から見ればどちらも同じ。
 青い世界に溶けているように見えるだろう。
 綺麗でしょ?
「正直、沈むほうがいいって言うかと思ってた。変わったね」
 微笑んで、酒で唇を湿らせる。
「ナズーリンは?どっちが好き?」
 彼女にしては珍しく目を逸らした。不思議なほどに喋らなかった。
「ひょっとして、どちらも駄目なの?弾幕が苦手なのもそれが理由?」
 黙ったまま小さく頷いたように見えた。
 その様子がとても可愛く見えて、彼女の頭をくしゃくしゃとかきまわした。
「やめて」
「いやー凄いことが聞けたわ」
 ニヤニヤ笑う私はきっと意地悪な顔をしていただろう。
「所詮ネズミよ。地面を這いずるのがお似合い」
「大丈夫よ。私より賢いんだから」
「そういう問題なの?」
「そういう問題よ」
 賢ければ克服する近道も見つけられるだろう。見つからなかったとしても逃げ道を見つけられるだろう。


4.


「おはよーございます。おはよーございます」
 太陽が昇り切っていない時間から響子は持ち前の大声で挨拶をしていた。命蓮寺の前に並んだお客さんからチケットを集める。チケットを受け取ると一輪が中に案内する。
 お客さんは家族連れが多い。みんな楽しみにしていたようで嬉しそうな顔だ。空に飛べる一部の人間や妖怪はいるけど、ただの人間が空を飛べる機会なんてまずない。そのせいか、チケットは寺が販売する何倍もの価格で転売されている噂を聞いた。
「ピークは越えたみたいだから、船に行ってくるね。ここお願い」
「はい。頑張ってください」
 その場を後にした。去り際に幸せそうな子供の顔が目に焼き付いた。
 あの顔はどこかで見たような気がする。水面に映った幼い時の自分の顔だろうか。それとも船から水面を覗き込んだ誰かの顔だろうか。
 今日は、あの子のために船を飛ばそう。そう決めた。

 船の中はまだ静かだった。お客さんが入る直前の静けさというのは妙に癖になる。
 操縦室のひどく冷たいドアノブを回してドアを開けるとぬえがいた。
「ぬえ。こんなところにいたの」
「お邪魔してるわ」
「手伝いなさいよ」
「いやよ。人間に笑顔振りまいて頭下げるなんて嫌」
「寺に住んでるなら手を貸しなさい」
 ぬえは背もたれを抱きしめる姿勢で座っていた。ガタガタと椅子を揺らして子供にしか見えなかった。
「じゃあ、この船を襲ってやる。正体不明の怪物になって人間を驚かしてやるわ」
「いいわね、それ。一輪と雲山が撃退すれば立派なショーになりそう。今日終わったら話してみるわ」
 とたんにぬえは苦虫を噛み潰したような表情になった。
「私がやられるの?」
「とーぜん」
「言うんじゃなかった」
 引き出しを開けて中から航海日誌を取り出す。これを触るのは私だけだ。
 この日誌は継ぎ足して使っている。一ページ目は私と聖が初めて会った日だ。
 この船と日誌は私の歴史でもあった。
 いつか私以外の誰かがこの船を操縦するのだろうか。
 そうなるなら、いっそのこと隠してしまいたい。
「ぬえは今の生活楽しい?」
「突然何よ」
「退屈してることが多いと思って」
「まあ退屈ね。お経は眠いし、お酒は文句言われるし」
「地獄の方がマシ?」
 空のない、よどんだ水ばかりの地獄の風景があっという間に脳内に構築される。楽しい思い出なんてない。けど、いつか私もここにくるんだろうなと思うと不思議と恐怖は感じなかった。
「地獄も嫌い。あんな薄暗くて空気の汚い場所は私にふさわしくないわ」
「じゃあ、どこならいいの?」
 ぬえは目線を下にやった。どことなく澄ました顔で綺麗だと思った。
「どこでもいいわ。村紗達がいて、お酒飲んでばか騒ぎできればそこが天国よ」
「……本当?」
「何よその顔」
「いや、あんたもそんな臭いセリフが言えるんだなってビックリしたの」
 一瞬の空白。その直後ぬえの顔がイチゴみたいに赤みを帯びた。
「う……うるさい!私の勝手でしょう」
 昨日のナズーリンといい、今日のぬえといい。おもしろい場面に遭遇できた。
 こんど、ぬえの部屋に酒を持っていこう。

「村紗いますか?」
 伝声管から星の声が聞こえてきた。
「はいはい。こちら村紗」
「お客さんの準備ができたので発進してください」
「わかった。けど、今回時間がかかったね」
「来ないお客さんがいて、待ってたの。けど、来る気配がないから聖と話してたんです」
「風邪とかじゃない」
 きっと乗れなくて残念がっていることだろう。けど、もし船が墜落したら乗らなくてよかったというだろう。何が起こるかわからないのが世の中だ。その中でもがいて進み続けるしかない。
「お願いしますね」
「まかせといて」
 舵輪を握ると船が揺れ出す。寝床から起き上がるように。
「出発」
 ゆっくりと目の前の視界が変化していく。樹の先端、家々の屋根が眼前に広がって浮かんでいることがわかる。舵輪を動かして船首を里に向けた。
 これから時間をかけて人間の里上空を一周して高度を上げる。雲と同じくらい高い所に行く。
 今日は雲が多い日だから、雲の中に溶けていく様が地上から見れるだろう。その様子をいつか自分で見てみたい。
「外出るけど、ぬえは出る?」
「いいわ。いってらっしゃい」
 外の風景を見ながら私に手を振った。
 お客さんは使わない通路を使って甲板に上がる。上がったとたん、青一色と強い風が出迎えてくれた。この歓迎で空に上がったことが確認できる。
 お客さんの歓声が遠くから聞こえてきた。
 マスト伝いに重力から離れる。上へ。上へ。
 一番上の場所で降り立った。ここが幻想郷で一番高い場所だ。緑色の世界がどこまでも広がっていた。
「むらさー」
 ナズーリンと一輪、雲山が横で飛んでいた。渡り鳥のように、あるいはイルカの親子のように。
「ちゃんと自動操縦にした?」
「もちろんしたよ。警備お願いね」
「まかせて」
 一輪とナズーリンが散らばって、雲山は体を霧状にした。これでお客さんが落ちても即座に助けられる。
 姿が見えなくなったところで、目をつぶって体をゆだねた。強い日差しと風が全身を押してくる感触が心地よかった。
 空を好きになれたのはあの日だ。
 地底から地上に上がったあの日。
 あの日、私と一輪は太陽で目がつぶれるのを恐れて夜中に上がった。あの時ばかりは地底の妖怪だったと後に二人そろって頷いた。
 夜明けは空の上で迎えた。
 赤、白、紺と色づく空。目を刺激する光。全身に吹く強い風。
 全てが私に襲い掛かってきた。
 それに慣れて目を開けられるようになったときには既に私は泣いていた。ようやく地上に来たのだと確信できた。
 次の瞬間に一輪が抱き着いてきた、力が強すぎて骨が折れそうだった。
 太陽の光、吹き付ける風の音、力いっぱい抱きしめてくる一輪、涙のしょっぱい味、新鮮な空気の匂い。
 生きているって実感があった。
 今思えば、あれは二度目の生き返りだったのだろう。海から帰って、地底から帰って、次はどうなるんだろう。また、ここにいられるだろうか。
「むーらーさ」
 にとりの声が上から聞こえた。よく見ると背中のバックからプロペラが突き出して回転している。あれで飛んでいるのか。
「何やってるの?」
「試験飛行。どこまで高く飛べるのか実験しているの」
 そんなの使わなくても飛べるのに、それとも誰かと一緒に飛びたいのかな。
「また泳ぎに行っていい?」
「もちろん。波の出る機械も調節したから、また来てよ」
「ありがとう」
 手を振るとさらに高く上がっていった。
 今度はナズーリンが近寄ってきた。
「河童のところにも泳ぎに行ってたのか」
「まあね」
「迷惑かけないようにね」
「ナズーリンこそ。空から落ちないようにね」
「苦手だからってそんなこと……ちょっと雲山大丈夫だから」
 ナズーリンの体に白い雲が巻き付いた。ダンスのリードを務めるような大きく優しい手つきだった。
 笑い声を上げるとばつが悪そうにナズーリンは離れていった。
 遠くを見ると、紅魔館の紅い外壁と霧の湖が見えた。ここからでは姿は見えないけどわかさぎ姫があそこにいる。
 私たちはつながっている。
 水で。
 空で。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今回は雰囲気重視のため縦書きに指定しています。

4/25 誤字を訂正しました。ご指摘ありがとうございます。
カワセミ
http://twitter.com/0kawasemi0
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.480簡易評価
5.100名前が無い程度の能力削除
 楽しませて頂きました。
6.100名前が無い程度の能力削除
所々の重めな表現のおかげで爽やかな読後感が引き立てられてる
7.90奇声を発する程度の能力削除
とても面白く良かったです
8.100名前が無い程度の能力削除
最後まで読み進めた時の爽快感が素晴らしかった。
10.100名前が無い程度の能力削除
終わり方がお洒落ですね
11.70名前が無い程度の能力削除
雰囲気はよかったです。

誤字報告
必要以上に静かた。→静かだ・静かだた?
どことなく済ました顔で綺麗だと思った。→澄まし・すまし
12.100いぐす削除
これは良い村紗!
特に好きなキャラの一人なので、内面が深く描写されていて嬉しかったです。
村紗の魅力はこの内面と、その礎となるバックボーンにあると思うんだ…

ぬえとの関係も甘くて素敵でしたね!ベタな甘さではなく安心する甘さという感じ。
勿論、一輪、ナズーリン、にとりとの関係も良かったです。

そして爽やかな読後感、確かにありました!
他の方のコメントで初めて気付きましたが、物語の締め方が凄く綺麗ですね。
あとがきで雰囲気重視とありましたが、その通り心地よい雰囲気を楽しめました。
16.100名前が無い程度の能力削除
ありがとう