何やらどっかんどっかん音がする。
音がするたびに窓が割れ、壁にひびが入り、そのたびに「……今日、残業確定じゃない?」「残業なんてしたら、お姉さま達にものすっごい怒られるわよ」「でもどうすんのよ」と、その光景を眺めるメイド達がため息をつく。
「……あの、一体、何が起きてるんですか?」
ここは、幻想の郷のとある一角、永遠に紅くて楽しいテーマパーク、紅魔館。
今日もずらりと、その外の塀に沿って『お客様』が並ぶ中、先頭で入場を待っている男性が目の前の相手に恐る恐る尋ねる。
「ああ……」
彼女――お客様案内係チーフ兼門番――の紅美鈴は、ゆっくりと後ろを振り返り、苦笑いを浮かべる。
「何かあったんですよ、きっと」
その何とも言えない笑みと、『ただいま、入場をお待ちいただいております』の看板を掲げるメイドを交互に見て、彼は何かを察したのか、何も言わずに引き下がったのだった。
『霧雨魔理沙、覚悟ーっ!』
「うわ、うわ、うわ! ちょっと! ちょっと待て! 何だ!? 一体何が起きてるんだ!?」
紅魔館の広い通路を必死に逃げ惑う、彼女はいつもの白黒衣装――ではなく、あったかもこふわケープとふんわりフレアスカート、足にはタイツを履いて、というおしゃれな冬の装いの霧雨魔理沙が悲鳴にも近い声を上げる。
今日はお昼ご飯に豪華な料理を食べようと、紅魔館へとやってきた彼女は、扉をくぐるなり、その場のメイド達に殺意に満ちた目で迎えられ、全員から熾烈な攻撃を、現在進行形で受けているのだ。
ここでいつもなら『何だこいつら私とやろうってか面白い勝負だ』と売られた喧嘩は買った上で利子と熨しつけて返す主義の彼女であるが、今日はこのおしゃれな服を汚すのがいやだったため、とにかくひたすら逃げの一手に努めているというわけだ。
「事情がわからんぞ! 誰か説明してくれ!」
「説明不要! 今日と言う今日は許さないんだから!」
「そっちに逃げても無駄よ! Bチーム!」
「待っていたわ! 覚悟ー!」
「げっ!? 先回り!?」
慌てて、その場の通路を右に曲がって、前方から飛んでくる攻撃――弾幕などという生易しいものではなく、包丁やらレンガやら、当たればとんでもないことになりそうなものも混じっている――をよける。
「私は善良な一市民で、今日はここのお客だぞ! お金だってきちんと持ってきた!」
腰から提げた巾着袋を広げて、それを証明してみせる。
しかし、返ってくる答えは『そんなのどうでもいいから一発殴らせろ』であった。
日ごろ、この館の中で傍若無人な振る舞いをして、色々、恨みなんかも買っている魔理沙であるが、それでもこの館のメイド達は『教育』が行き届いている。そんな相手だろうと、きちんと正面から『お客様』としてやってくれば、笑顔を浮かべて応対するようしつけられているのだ。
それすらなく、目に『てめぇ、逃げるな、そこに直れ』という殺意を乗せて追いかけてくるなど、尋常ではない。
「冗談じゃ……!」
――と。
「うわっと」
いきなり、目の前のドアが開き、そこから手がにょきっと伸びてきた。
その手が魔理沙の腕を掴むと、そのままドアの中へと引き込んでしまう。
――ドアの外で、騒音を上げて、足音が通り過ぎていく。
「……助かったぜ」
「全く」
そこに立っていたのは、この館のメイド長、十六夜咲夜である。
その隣には、彼女の補佐をするメイドが一人。魔理沙の手を引っ張ったのはこちらの方だ。
「なぁ、一体、何がどうなって私は殺されかけてるんだ」
「ちょっとね。
外、もう大丈夫?」
「はい。あの子達も、あちらに走っていってしまったようです」
「あいつら、ちゃんと教育しなおしてくれ。これじゃ、この館に来るたびに、私は命の危険にさらされる」
「あなたの日頃の行いが悪いから――とだけとは、今回は言えないのよね。
私達の日頃の教育の賜物でもあるのだから」
「どういうこっちゃ」
「いいわ。説明する。
行きましょう」
ドアを開けて、咲夜が歩いていく。
魔理沙がそれに続き、最後に咲夜の補佐のメイドがドアを閉めて、それに続いた。
大半のメイド達は、魔理沙を追いかけてあさっての方向へと行ってしまったのか、遭遇することはない。
しかし、それでも、その大騒ぎに参加していないメイド達があちこちで働いている。彼女たちは魔理沙を見ると、『大変な目にあったみたいね。ご愁傷様』という視線を向けてくる。
「……あいつらは事情がわかってるみたいだな」
「そうね。
というか、年かさの子達は、みんな、この状況を、何とも言えない目で見ているわ」
「若い子達が、ちょっと行き過ぎてしまっているだけなんです」
「……若い、ねぇ」
咲夜のセリフを補完してくれる彼女を一瞥する。
身長は魔理沙程度。その見た目も、何というか、若い。この館で働くメイド達の中で、『真っ当に年をとる』ものは咲夜だけだ。この彼女――妖精の彼女が、一体何歳なのかは、魔理沙は聞いたことがない。
「とはいえ、日頃のあなたの行いがよければ、こんな目にはあわないのだし。
ちょっとは省みなさいね」
「ちぇっ」
「まあまあ。
メイド長だって、小さい時はいたずらばっかりしてたじゃないですか。お嬢様と一緒になって。
それでいっつも叱られて泣いていたのですから、これくらいは大目に見てあげてもいいんじゃないですか?」
彼女の言葉に、咲夜は頬を赤くして黙り込む。
いくつになろうが、自分の子供時代を知っている相手には、逆立ちしても勝てないと言うのを示す構図である。
――さて、それはともあれ、三人は館の一角へとやってくる。
普段、メイド達の生活の場として使われているというその空間の一つ、一枚のドアの前にやってくると、ドアをノックして中へ。
「あっ」
その、ずいぶんと質素な部屋には、一人のメイドがいる。
と言っても、服装はパジャマであり、ベッドの上に横たわっていると言う状態だ。そして、その彼女に、魔理沙は見覚えがあった。
「あら、ごきげんよう」
彼女はにっこりと笑って、魔理沙に挨拶をしてくる。
「どう? 具合は」
「なかなか治りません。派手にやっちゃったから」
彼女は右足を包帯に巻いて、上から吊っている。
咲夜は肩をすくめると、「あなたがいないと、仕事に空いた穴が大きくて困るのよ」と冗談を口にする。
「姉さん。早くよくなってくださいね」
「ありがとうございます。
……あと、その呼び方。年下の子達はともかく、あなたに言われると、なんだかからかわれているような気がします」
「あら、いいじゃないですか。あなたがみんなに慕われている証なのだから」
事情を説明するとね、と咲夜。
この妖精の彼女、この館の中ではかなり古株のメイドであり、その面倒見のよさと後進の育成のうまさから『姉さん』と呼ばれているのだそうな。
年上、もしくは自分よりキャリアが上の相手は全て『お姉さま』と言う呼び方で統一している紅魔館において、まさに異色の存在なのだとか。
そして、それ故に、特に若いメイドからは絶大な信頼と愛情を寄せられており、それが今回の『暴走』につながってしまっていると言うことらしい。
「何だ……ひどい勘違いだな」
魔理沙が狙われる理由は簡単だ。
この『姉さん』と魔理沙、今回が初めての出会いというわけではない。
数日前、彼女が怪我をして足を引きずっているところに遭遇し、紅魔館へと連れて帰ってきたのが、この魔理沙なのだ。
その様を見たメイド達は、『魔理沙が彼女を助けた』と考えたものと『魔理沙が彼女を傷つけた』と考えたものとで二分されたのである。
――だから、咲夜がさっきから言うように『日頃の行いの悪さ』がこういうところに出てくると言うわけだ。
「すみません。わたしがドジを踏んだばかりに」
「ああ、いい。別にいい。気にしなくていい」
「一応、みんなに説明はしたのだけどね。
ある特定の個人に対する信頼と言うのは、時として、事実を上回ることがあるから」
「ちゃんとしてくれよ。頼むぜ」
「だから、普段から、あなたがうちに対して真っ当な『お客様』であれば、こんなことは起きないと言っているでしょ」
「まあまあ」
これを機に、日頃の行いを見直せ、と再三腰に手を当てて言う咲夜を押しとどめて、
「ともあれ、このまま誤解が続くのもよくありませんし。
姉さんの方からもきちんと説明をしていなかったのも問題でした。やはり本人の口から聞くのと、誰か他の人から説明されるのとでは受け取る側の印象も変わってきますから。
姉さんは、申し訳ないのですけど、館の子達に事情の説明をしてください」
「ええ。わかりました」
「魔理沙さんは……」
「まぁ、これで私の疑いも晴れたわけだから、大手を振って……」
「――というわけにもいかず」
ほっと胸をなでおろしていた魔理沙が面食らった顔をする。
「やはり、メイド長の仰ることももっともです。
魔理沙さんは悪い人ではないことは、我々、重々承知の上ですが、やはりそれを行動で示してもらわないといけません」
「……というと?」
「簡単です」
にこっと、微笑む彼女を見て、何やらいやな予感に魔理沙は顔を引きつらせる。
咲夜がぽんと手を打つのを、もちろん、魔理沙は見逃さなかった。
「――というわけで。
姉さんが怪我から復帰するまでの間、魔理沙に彼女の抜けた穴を埋めてもらうことにしました」
「ふーん」
さしたる興味を見せることもなく、体に不釣合いの大きな椅子で足をぱたぱたさせる館の主――と書いて『マスコット』と読む――レミリア・スカーレットがうなずく。
彼女の視線は、咲夜の後ろで、館の正装――メイド服を着させられた魔理沙に向く。
「別にわたしは構わないけれど、魔理沙に家事なんて出来るの? 単に邪魔になるだけではなくて?」
「お前よりは何でも出来るぞ」
「こら。
あなたにとって、お嬢様は『雇用主』よ。きちんと『お嬢様』と言いなさい」
「……うぐ」
「うふふ。
あら、これは面白そう。ほら、魔理沙。『お嬢様』と呼びなさい。ほーらほら」
調子に乗るレミリアをにらみつけた後、魔理沙は咲夜に視線をやってから、すたすた、レミリアの前へと歩いていく。
そして、
「失礼いたしました、レミリアお・じょ・う・さ・ま!」
「あいたたたた!」
彼女のこめかみに拳を当ててぐりぐり攻撃。
悲鳴を上げてじたばたするレミリアを、咲夜は助けようとしない。
「何よ! 使用人のくせに暴力をふるって! クビにするわよ!」
涙目になって金切り声を上げるレミリアであるが、咲夜は「彼女の人事権は私にありますので」と、しれっとレミリアの言葉を否定する。
そして、やおら手帳を取り出すと、
「お嬢様。
館の主として、先ほどのような使用人に対する振る舞いは、些か配慮に欠けるような気がいたします。
あのような態度を、魔理沙はともかく、別の子達に取られては、我が紅魔館の品位を疑われます。
ちょうどよく、今日は日頃の『節度』や『マナー』を学ぶための学習の時間がございますので、みっちり、お勉強してきてください」
「うー!」
どこから現れたのか、その『教師』役らしいメイドがレミリアの両腕を脇の下から腕を通して固めると、「では、今日もいっぱいお勉強しましょうね」とじたばたするレミリアを連れて行く。
「……ありゃ何だ」
「お嬢様は、館の主。いわば経営者なのだから、経営者らしい知識と振る舞いを身に着けてもらわないと」
あのわがままじこちゅーようじょにそんなこと出来るわけないと誰もが信じて疑わないのが、この幻想郷ではあるが、咲夜はその『無理』を『不可能』から『可能』にするのが我が使命、と言わんばかりの事務的な態度で手にしたメモ帳に何やら書き込みをしていく。
「だけど、お嬢様の疑問ももっともね。
あなた、ちゃんと家事は出来る?」
「まぁ、一応。そこそこ程度には」
「そう。
じゃあ、まずは館の掃除からね。お掃除グループに混じって仕事をしてもらうわ。
あなたにいい感情を持っていない子もいるから、その辺りとの会話とかには気をつけてね」
「わかったわかった。態度を変えればいいんだろ」
「そう。
そういう生意気な態度じゃなくて、ここで働く子達は、みんな、あなたにとって『先輩』なのだから。
敬意と愛情を忘れないように」
「霧雨魔理沙です。本日はよろしくお願いしまーす」
『……………………』
さて、連れてこられた『お掃除グループ』。
それを仕切るメイド達は、皆、『今回の事情』を知っているものばかりである。
一方、その仕事に従事するメイド達は『事情』を知っていたり、知らなかったり。あるいは魔理沙のことを快く思わないものもいたりと様々であるが、皆、一様に、魔理沙の態度……というか振る舞いを見て、目を丸くしてその場に固まっていた。
「……はっ。
あ、え、ええ。はい。ご挨拶ありがとうございます。
そ、それでは、本日の業務分担をいたします」
一同のリーダー役のメイドが、何とか石化の魔法を自力で解除して、用意したメモ用紙の内容を読み上げていく。
しかし、まだ動揺が収まっていないのか、対象の名前を間違えたり、そもそも文字自体が読めなくなったりと散々だ。
「よろしくお願いしますね」
「は、はい。お願いします……」
魔理沙のことを『何よ、こいつ。メイド長の知り合いだからとかって、特別扱いされててむかつく』と軽蔑していたメイドが、魔理沙ににっこり笑顔を浮かべられ、困惑しながらそれに応じている。
渡された役目を、渡された道具を使い、渡された指示の下、こなしていく彼女たち。
「……誰あれ」
それを見ていた――やはりほったからしておくのは、さすがに心配だったらしい――咲夜すら、顔を引きつらせている。
霧雨魔理沙。今、その場にいる彼女は、その名前で館で知られる『彼女』ではない。
完璧な営業スマイルと、聞き取りやすい1オクターブ高い声を使いこなし、誠実かつ従順な態度で仕事をこなす。咲夜でなくても『誰てめぇ』と言いたくなるのは明々白々であった。
「あ、大丈夫ですか?」
「は、はい。すみません」
「いいえ。
モップを使う時は、むしろこうした方がいいですよ」
掃除の途中、ドジしてすっ転ぶメイドを助け、それとなく仕事のアドバイスをする魔理沙。
傍目に見ていて、その掃除は完璧であった。
モップのかけ方や雑巾のかけ方、拭き、掃き、はたき、いずれもかなりのレベルでこなしている。
「あ、私、水、替えてきますね」
「は、はーい。ありがとうございますー」
冬のこの時期、冷たいバケツの水の入れ替えは、誰もが嫌がる仕事だ。それを率先してこなす彼女に、メイド達の間に広がる困惑は、いよいよ最高潮へと達してしまう。
「……メイド長。こんなこと言うのもなんですが、ものすっごい業務効率落ちてます」
「……見ていてわかるわ」
とにかく違和感すごい魔理沙のせいで、メイド達の作業は遅々として進まない。
決して魔理沙のせいではないのだが、しかし、魔理沙以外の何物の責任でもない。
悪態つきつつ適当に仕事こなして回りから叱られ口答えし――と、普段の『魔理沙』を、皆、ある意味期待していたのだ。
それがこの有様。一体何をどう間違ってこんなことになってしまったのか、理解が及ばない。
「お待たせしました。
雑巾、私が絞りますから」
「あ、い、いいです。自分でやります、はい」
「だけど、冷たいでしょう? 気になさらず」
「す、すみません……」
皆の嫌がることを率先して引き受け、『自分が一番下の立場』を意識して行動する彼女に、誰も文句など言えるはずもない。
『どうしよう、これ』『どうしようって、どうするのよ』『どうしようも出来ないでしょ』『っていうか、ここで何かしたらこっちが悪者よ』『どうしたらいいのよ』――そんな心の声が聞こえてきそうな光景である。
掃除が終われば(通常よりも一時間以上、時間がかかった)休憩時間となる。
魔理沙に与えられたのは個室である。咲夜曰く、『大勢のメイドがいる休憩室を使うと余計ないざこざがありそうだから』ということだ。
「この屋敷、広すぎじゃないか」
「うちは人が多いから仕方ないの」
いつもの口調の魔理沙に、咲夜が答える。心なしか、その表情は、幾分ほっとしているように見えた。
彼女は魔理沙に紅茶を出すと、
「あなた、ちゃんと家事が出来たのね」
と素直な観想を口にする。
「うちは家が家だからさ。おふくろも家事には厳しかった。
将来は相手を立てて、後ろに一歩下がって、渡される仕事もその場にある仕事も何でも率先してこなせ、って」
「なるほど。素晴らしい教育ね」
「おかげで一人暮らしするに当たって、何不自由ないスキルが身についたのは感謝してる」
子供っぽい笑みを浮かべて、紅茶の入ったカップを傾ける魔理沙に『うちの教育にも、そういうの、取り入れようかしら』と咲夜。紅魔館の、いわゆる『しつけ』は幻想郷のお母さん達の参考にすらされているレベルだが、飽くなき探究心がさらに高みを目指してしまうようだ。
「この後は何をしたらいいんだ」
「掃除は終わったから、お洗濯の手伝いね。
それが時間通りに終わったらお昼ご飯。その後、あなたは勤務時間が足りていないから、入り口で接客をしてちょうだい。二時間働いたら、あとは自由時間だから、あてがう部屋に戻って休憩するもよし、どこかに出かけるのもあなたの自由。
ただ、仕事は結構流動的だから、別の業務を割り当てることもあるけど、それには従うように」
「ずいぶんと、放任主義な職場なんだね」
「相手は妖精だもの。
規律でしっかり縛るところと、個人の自由にさせるところのバランスを取らないと、あっという間に退職ラッシュだわ」
そういうところ、彼女たちはわがままなのだ、と笑いながら言って、咲夜は『それじゃ、私は私の仕事があるから』と去っていった。
「なるべく真面目に働いて、顔と恩を売っておくか。
そうしたら、もう少し、ここで何するにも楽になりそうだ」
そして、咲夜がいなくなった後、ぽろりと己の打算を口にする魔理沙は、休憩もそこそこに立ち上がるのだった。
「魔理沙がうちの手伝い?」
「はい」
「どうして、また」
「何でも、怪我をして働けないメイドさんの代わりだそうです」
「役に立たないでしょう。あんなの」
紅魔館の一角、どこかかびくさい空気の漂う図書館の中で、本を眺めてお茶を飲む魔女の姿がある。
彼女へと話をする司書は、「ところがどっこい、みたいですよ」となにやら意味ありげに小悪魔な笑いを浮かべた。
それを一瞥して、不愉快そうに目を細めた後、魔女――パチュリー・ノーレッジは立ち上がる。
「指差して笑ってきましょう」
彼女はそのまま、図書館を後にする。
いってらっしゃーい、という己の司書の声を聞きながら、図書館を出て、館の中を適当に歩いていく。
「どこで働いているのかしら。この館は無駄に広いから、人を探すのも物を探すのも一苦労だわ」
文句をつぶやきながら足を進めていると、その視線が、中庭に面した窓の前で止まる。
外は一面、雪景色。
しかし天気はよく、燦々と日の光が大地に降り注いでいる。
真っ白な雪に負けないくらい、白くなった洗濯物を干しているメイド達の姿。そこに一つ、違和感を見つけた。
「あなた、そこで何をしているの」
窓から外へと舞い降りて、雪を踏みしめ近づき、声をかける。
くるりと振り返ったその相手は、ついぞ見たことのないような柔らかい笑みを浮かべると、
「ごきげんよう、パチュリー様」
――ということをぬかしやがった。
パチュリーが硬直する。
今、言われたことを脳内で反芻し、理解に努めようとする。
頭の中に描き出される、複雑怪奇な数式と術式とあと何かよくわからない模様みたいなものが互いに絡まりあってダンスを踊り、お互いに絡め取られてすっ転んだ果てに正体不明の物体へと融合合体を果たした末に、パチュリーの意識は現実へと引き戻される。
「……あなた、一度、病院に行きましょう。私が連れて行ってあげるわ」
やっとのことで搾り出した言葉がそれだった。
その相手――魔理沙はくすくす上品に笑い、「私は健康ですよ」とこれまで聞いたこともないお上品な声音でんなこと言ってくる。
魔理沙は『少々お待ちくださいませ』と、極めて事務的かつ業務的な営業スマイルを浮かべて、パチュリーに一礼すると、手に持っていたシーツやらメイド服やらを手際よく物干し台へと引っ掛けていく。
そうして両手が空いてから、彼女はパチュリーの元へとやってきて、
「……熱はないわね。意識がおかしくなったりもしていない。ということは、あなた偽者ね。まさかの偽魔理沙の出現、ちょっと調べさせてもらおうかしら、頭を切り開いて中身とか」
「おい待て、そこまでやられたら私は死ぬ」
パチュリーと共に、一度、その場を離れてから、魔理沙は、一体どこから取り出したのかわからない金のこ持って近づいてくるパチュリーの顔に右の掌を押し付ける。
「……本物?」
その対応とセリフに、ようやく正気を取り戻したのか、パチュリーが小さな声で尋ねた。
もちろんだ、とない胸張る魔理沙。
その態度を見ると、先ほどまでそこにいた『魔理沙』があっという間にいなくなるのだから不思議である。
「あなた、悪いものでも食べたの?」
「そんなわけあるかい。
お仕事やる上での『よそ行き』の顔だ」
「まさか、あなたが二重人格だったなんてね」
「違うわ」
振り下ろした左手で、彼女はパチュリーのおでこにチョップを食らわせた。
何するの、と反撃してくるパチュリーを軽くいなしてから、
「おふくろにゃ、『女はしとやかにしろ』って育てられたんだい。
自分はがさつなくせに、出来ないことを人にやらせようとする」
そういう教育を受けて育ったのだから、『そういうふり』をするのも得意なのだという。
もちろん、『息が詰まる』し『めんどくさい』から、こんな顔は滅多にしないのだとか。
「それにしたって驚きね。
まさか、あなたがまともに家事手伝いが出来るだなんて」
「咲夜も同じ事を言ってた。
私だって、そんくらいのことは一人前にこなせる」
「なら、なぜ、普段はやらないの」
「めんどいし、誰も見てないんだから、着飾っても仕方ない」
「あなたは誰かと結婚したら、もしかしたら、いい嫁になるかもしれない」
パチュリーのセリフは本心からのものだ。
もちろん、魔理沙は『よせやい。縁起が悪い』と取り合わない。
「うちの仕事は色々手順があって面倒くさいから、大半の妖精は一から教育しないと使い物にならないと言うけれど。
あなたは教育を受けずにこなしているようね」
「昔取ったマスタースパークさ」
「あまり間違いではない表現ね」
時同じくして、とあるひまわり畑の妖怪が盛大にくしゃみをしていたりするのだが、ともあれ。
「メイドの穴埋めをやらないといけないなんて。大変なことね」
「そうなんだ。
あの『姉さん』とか言うメイドか。あいつの仕事の範囲が広すぎる」
「優秀なメイドと聞いているわ」
「優秀な奴の後釜には、優秀な奴しか務まらない。
これは世界の真理であり、一番面倒な事実だな」
「そういうのを自意識過剰というのよ」
第一、とパチュリー。
「そもそも、なぜあなたがここにいるの」
聞かれて素直に魔理沙は事情を答える。
するとパチュリーは『それでは、あなたはとても優秀とは言えないということね』とばっさりと切って捨てた。
思わず沈黙する魔理沙に対して、興味を失ったのか、
「まぁ、せいぜい頑張りなさい。
なるべく早めに、その彼女も復帰するだろうし。今のうちに、イメージ払拭に努めるのは、そう悪いことではないと思うわ」
さっさとその場を後にする彼女に、『何だい』と魔理沙はほっぺた膨らませる。
ちょうどその時、後ろから「すいません、魔理沙さん。お仕事のお手伝いを……」とメイドが一人、声をかけてくる。
魔理沙はすぐに振り返り、「承知いたしました」と、またあのオクターブ一個高い声音で彼女に返事をするのだった。
洗濯を終え、昼食時間が与えられた魔理沙は食事をしながら次の予定を咲夜によって確認、指示され、休憩時間が終わると同時に予定されていた業務とは異なる『戦場』へと投入される。
「七番テーブルのお料理、遅れているわ! すでに終わっている子がいたらフォローしてあげて!」
「はい!」
「お野菜とお肉追加! 冷蔵庫、四番目と八番!」
「わかりました!」
「三番さん、出来ました!」
「急いで! 一分の遅れで味が変わるわよ!」
「はいっ!」
――紅魔館最大の戦場、厨房である。
特にお昼ご飯時と晩御飯時の忙しさは、それこそ、目が回るどころの話ではない。
十を軽く超えるコンロの前にメイド達がずらりと構え、鍋やフライパンを操っている。食材を切る際に、もはやまな板など不要とばかりに鮮やかな包丁さばきで空中一刀両断などの技を見せるものもいる。
やってきたお客様には出来立てのお料理を。作り置きなど以ての外。お客様をお待たせしていいのは十分まで。
――そんなルールでやっているものだから、とにかく、そこで働く者たちの表情たるや凄まじい。
「あなたも料理は出来るのでしょ?」
「まぁ、ある程度は」
「じゃあ、前菜をお願い。前菜だからといって手を抜かないようにね」
「メニューを渡してくれれば何とかする」
「よろしい」
そこに連れてこられた魔理沙は、厨房の一角を与えられ、ずらりと並ぶメニューの中から指定されるものを作る作業をスタートさせる。
一応、レシピなどは壁に貼り付けてはあるものの、見る余裕などあるはずがない。
己の手元と取り出し用意される食材、調味料などを見る時間すらほとんどないのだ。次から次へとオーダーが入ってくるのである。
「もう少し急いでください。前菜が出なければ、次のお料理が出せません」
その地獄の戦場を仕切るメイドが、魔理沙の手際に注文をつけてきた。
やれやれ仕方ない、と魔理沙は服の袖をまくると、にやりと笑う。
「ただ食ってるだけじゃないってところを見せてやらないとな!」
そこからの彼女の活躍はなかなか見事であった。
厨房を預かるベテランメイド達も『なかなか出来るわね』という眼差しを送るほどだ。
ここに配置されて、そんなベテラン達のお手伝いで目がぐるぐる回っている若いメイド達も、思わず手を止めて『すごーい』と声を上げるほどの腕前を発揮する魔理沙に、咲夜が『やるわね』と声をかける。
「一応、『幻想郷料理界』でランクBだからな」
「何それ。」
「咲夜はAだぞ」
「だから何それ。」
幻想郷を、料理の力をもって裏から支配する『料理界』。そんな謎の組織の名前を挙げる魔理沙に、咲夜の顔と声も引きつる。
そんな風に仕事をしていると、
「まりさだ!」
足下で、そんなかわいらしい声がした。
視線をやると、そこに、お気に入りのくまさんのぬいぐるみを持って佇む少女の姿がある。
「フランドール」
「まりさ、どうしてそんな格好してるの?」
この館の、ちみっこお嬢様レミリアの妹、もっとちみっこお嬢様ことフランドール・スカーレットである。
きょとんとして問いかけてくるフランドールに「何、ちょっと手伝いでな」と魔理沙。
「おてつだい?」
「そうだ」
「じゃあ、フランもまりさのおてつだいする!」
笑顔を浮かべて羽をぱたぱた上下させるフランドールを見て、魔理沙は視線を咲夜に移動させる。
咲夜はというと、フランドールの世話を任せているメイドを見て、彼女がうなずいたのを確認してから、「では、フランドール様。まずはおててを洗いましょう」とフランドールに声をかけた。
「やったー!」
にこにこ嬉しそうに笑って、早速、小さなおててを洗って準備を始めるフランドール。
厨房のメイド達のうち、数名が魔理沙の元へやってくると、「このテーブル向けのお料理をお願いします」とレシピと注文の書かれたシートを渡してくる。
「手伝います」
さらにそのうち二名が魔理沙の横に立ち、準備完了だ。
魔理沙に(というか、フランドールに)与えられたミッションは『十七番テーブルのお客様にお料理のコースを提供する』である。
この忙しい中、魔理沙含め三名ものメイドを一つのテーブルにかかりっきりにさせるのはかなりの痛手となる。しかし、戦力としては数えられず、むしろ足引っ張るだけのフランドールがやる気になっているのだから仕方ない。彼女をむげに扱うことは出来ないのだ。
幸いなことに――、
「よし、フランドール。これをテーブルに持って行こう」
「はーい!」
魔理沙はまず、仕上げた前菜を手に、フランドールを連れてそのテーブルへと向かう。
大勢のお客様とメイドでごった返す『店内』。
そのうち、壁際に、そのテーブルがあるのだが、
「あんた何やってんの」
そこに座っている人間に、魔理沙は見覚えがあった。
「魔理沙さん。アルバイトですか?」
「珍しい。あなたが真面目に働いているなんて、私の人生の中で見ることなんてないと思っていたわ」
――と、散々な評価をしてくれる、魔理沙の友人たち――博麗霊夢、東風谷早苗、アリス・マーガトロイドである。
フランドールが『はい!』と手に持ったお皿をテーブルへと差し出す。
「あら、ありがとう。
フランドールちゃん、お手伝いしてるの? 偉いわね」
「うん!」
早苗が差し出されたお皿を受け取り、笑顔でフランドールの頭をなでてやる。
嬉しそうに笑うフランドールの笑顔に、場の空気が少しだけ和み、
「それではお客様、次のお料理をお持ちいたしますので、少々お待ちください」
魔理沙の、あの『営業モード』を受けてその場の空気が石化する。
魔理沙はフランドールを連れて厨房へと戻り、次の料理をこしらえる。
一方、先のテーブルでは、座っている三人が『一体、魔理沙に何があったんだ』と深刻な表情で顔を突き合わせて会議を始めてしまっている。
「こちら、本日のお野菜とスープになります」
「まーす!」
また料理を持っていく。
受け取る早苗が『あ、ありがとうございます……』と顔と声を引きつらせる。
「……魔理沙。あなた、何かあったの?」
アリスがマジで心配するような眼差しを魔理沙に向ける。
魔理沙はそれに笑顔をにっこり返し、『いいえ』と微笑みモード。アリスの顔が完璧に引きつる。
「こちら、本日のメインディッシュです。お熱いので、火傷などなさらぬよう、ご注意くださいませ」
「ませー!」
並べられる、美味しそうな料理の数々。
普段なら、それに飛びつくはずの霊夢が神妙な面持ちで魔理沙を見据え、やおら札と祓え串取り出して祈祷など始めたりする。
――そして最後にデザート。
各種の振る舞いが終わったところで、三人は席を立つ――前に、厨房へとやってきて魔理沙を呼び出した。
「何だ」
「さっきの魔理沙さんは誰ですか」
「待ちなさい、東風谷早苗。あれはきっと、魔理沙ではないわ。魔梨沙よ」
「おいばかやめろ」
「今日、永遠亭は営業しているから。今から行きましょう、魔理沙。ちゃんと家までおぶって連れて帰ってあげるから」
などなど。
やはり、友人一同からの評価も散々である。
とはいえ、魔理沙がいつもの口調で事情を説明すると、とりあえず、といった感じで彼女たちはうなずいた。
「それで、こんなことしてるんですね」
「ああ、そうだ」
ちびっこなお手伝いさんを抱っこして、「頼もしい戦力もいる」とそのほっぺたをうりうりぷにぷにすると、フランドールがきゃっきゃとはしゃぐ。
「……あれ? ってことは、あの料理、魔理沙が作ったの?」
「そうだぞ」
「えー!? 本当ですか!? 意外!」
「をい」
ものすごい素直に驚く早苗に、さすがの魔理沙もツッコミを入れてしまう。
「言っておくが、私の料理界ランクはBランクだ! そんじょそこらの木っ端料理人なんか相手にならないんだぞ!」
「な、何――――――っ! 本当なのか、霧雨魔理沙――――――っ!」
「何このノリ。」
「霊夢、ついてっちゃダメよ。」
背中に雷鳴と砕ける波頭を背負って驚く早苗。やたら威張る魔理沙。事態が理解できずにはしゃぐフランドール。
その三者を見ながら、霊夢とアリスは、なるべく自分たちに被害が及ばないように距離をとって会話をする。
「けど、本当に意外です。
魔理沙さんはアリスさんに食べさせてもらうばっかりだと思っていたのに」
「確かにそうよね。
あなた、自分で料理作れるなら、自分でやればいいじゃない」
「だってめんどいじゃないか。
それにアリスの料理だって悪くない。ちなみにアリスのランクは私と同じBだった」
「そんなわけのわからない組織の中で序列つけるのやめてちょうだい頼むから」
「心を入れ替えて、あんた、ここに就職するの?」
「そんなわけあるかい」
――と、ここでようやく、魔理沙は今回の事態についての解説を始める。
ふぅん、とうなずいた三人は「紅魔館の人たちって、お互いの信頼関係、強いですもんね」という無難な早苗の言葉で自分たちの意見をまとめる。
「たまったもんじゃないけどな。
包丁振り回されて追いかけられてみろ。死が見える」
「確かにそれは怖い」
「まぁ、そんな奴らも、上の奴らに何か言われたのか、何もしてくる気配はないし。
一週間もかからず解放されると思ってるよ」
「だといいけどね」
「やめてくれ。私は魔法使いであって家事手伝いじゃない」
そこで、魔理沙へと、後ろからメイドが声をかける。
魔理沙はフランドールを抱っこしなおすと、「じゃあ、まだ仕事がございますので。皆様、ごきげんよう」と笑顔とお上品な口調、仕草で彼女たちに一礼して厨房へと戻っていく。
「……」
「ねぇ、霊夢。あなた、魔理沙の実家に顔出しとかしたことあるんでしょ?
あそこ、一体、あれにどういう教育をしてきたとか知らない……?」
「魔理沙のお父さんとお母さんか……。
いや、見たことあるけど、あんな感じの人じゃなかったけどなぁ……」
しかし、その記憶はなにぶん昔のものだ。もしかしたら、当時の記憶が曖昧になっていて、現実との齟齬が発生しているのかもしれない。
そう思った霊夢は、『今度、お菓子とか持っていってみる』と二人に向かってぽつりとつぶやくのだった。
それから三日。
紅魔館の仕事である、朝番、昼番、夜番のローテーションを順調にこなす魔理沙に対して、メイド達の意識も若干変化していく。
最初こそ戸惑いと困惑とあと何か色んなものが混ざりまくって『あいついたら仕事が進まない』という状況になっていたのだが、二日目の昼番からはそんな状況も受け入れられ、『仕事の仲間』として認識されるようになった。
その中で、魔理沙を快く思っていなかった者たちも、『まぁ、真面目なところもあるなら、普段のあの振る舞いも、ちょっとばかり許してやらなくもない』という意識を芽生えさせている。もちろん、今回の発端となった、魔理沙による『姉さん傷害事件』(勘違い)も、それは自分たちの勘違いであったと頭を下げる者たちもいた。
「しかし、夜はぐっすり寝てる吸血鬼、ってのもどうなんだろうな」
そろそろ朝がやってくる。
夜番メイドの仕事は、館の中の見回りと、翌日、大忙しで働く日勤メイド達のサポートだ。厨房には食材を届け、作るのに時間がかかる煮込み料理などは下ごしらえを整える。あちこちの掃除をするメイド達のために掃除用具を整理し、きちんと並べておく。洗濯物を種類ごとにまとめてかごに分けておく、などなど。
主には『裏方』仕事と言っていいだろう。日中と違って音を出すことは可能な限り控えるべし、という業務であるため、それも当然なのかもしれないが。
その中で、大きな仕事は、一時間から二時間おきの館の中の見回りである。
泥棒が入り込んでいないか、戸締りはされているか、急に具合を悪くしたものがいないか、などなど。
歩きながらきちんと見て回るのだ。
「いい加減、解放されたいもんだけど」
徹夜の魔法実験などで夜に慣れている魔理沙は、そんなことをつぶやいて、前の見回りのものが見落としたのか、それとも誰かが入り込んだのか、開いている窓があったのでリストにチェックを入れ、鍵をかける。
すぐに近くのメイド達の詰め所に移動し、窓が開いていたことを報告する。彼女たちはすぐさま数名からなる『見回り部隊』を編成し、屋敷の中を見て回る。
「深夜の侵入も、ちょっと考え物だな」
夜こそ警備が手薄になるだろう、という認識は、この館には通じない。
下手なことをする輩は、見つかってしまえば、さぞかし痛い目にあうだろう。自分はそうならないように気をつけようと、魔理沙は肩をすくめる。
――と、
「そろそろ寝たら?」
後ろから声がかかった。
振り返ると、そこに、魔理沙と同じくランタンを手に持ったメイドがいる。
「あともう少しですから」
にこっと微笑み、魔理沙はそれに返すのだが、
「勤務時間。夜番のメイドは深夜の三時までが仕事時間。
そして、あんたの見回り担当時間は一時までのはずよ。何でこの仕事してるの」
「仮眠の方が起きなくて」
「そういう時は同じチームの上の人に報告しなさいよ」
何やらつんけんとした口調のメイドである。
この館のメイド達は、とにかく他人に対する『接し方』というものを厳しくしつけられる。
同じ仕事仲間であろうと、こんな口の利き方をしたというのが上にばれたら大目玉を食らうだろう。
何かやけに敵視してくる奴だな、と思いつつも、魔理沙は『かしこまりました』と頭を下げる。彼女の方が、館の中では『キャリア』が上なのだ。上の指示には絶対服従が、紅魔館のルールである。
「……ったく。
メイド長もお姉さま方も何を考えて、こんな奴を……」
ぶつぶつつぶやきながら、彼女は魔理沙に歩み寄ってくる。
ポケットを探って、『はいこれ』と魔理沙に手渡したのは、夜勤のメイドに渡される『眠たい時は、これをなめてから眠ること』という飴玉である。
聞くところによると、『より短時間に、ぐっすりすやすや寝て、疲れが取れるような』成分が入っているらしい。怪しい薬でも入ってるんじゃないのか、と魔理沙はそれを茶化したのだが、『大丈夫よ』と、その話をしていたメイドは笑っていた。
「ありがとうございます」
受け取り、頭を下げる彼女に、
「言っておくけどね! 別にこれ、何でもないんだからね!
今だけだけど、あたしはあんたの先輩なんだから! 先輩が後輩に優しくすんのは当たり前なだけなんだから!」
と、やおらよくわからないことを言って、メイドは魔理沙に食って掛かる。
「みんな、あんたのこと、『真面目にしてればちゃんとした子』とか言ってるけど!
あたしはそうは思わないんだからね! あんたにいっつもひどい目にあわされてるし! 姉さんだって!
ま、まぁ、姉さんは、ああ見えてドジなところある人だから、あんたのせいじゃないかもしれないけど、そもそも誤解させるあんたが悪いんだから!」
……何やらひどい言われようである。
普段なら、『何だと、こいつめ』と反撃するところであるが、ぐっと魔理沙は我慢する。
ここで『よそ行き』の顔を崩しては、この三日間の苦労が台無しになってしまうのだ。
「だから! あたしはあんたのことなんて、絶対に認めてやんないんだからね!」
はぁはぁ、と肩を上下させて、彼女はほっぺた思いっきり膨らませてから、
「……三日前はごめんなさい。あたしの誤解で、あんなことになって、ごめんなさい」
ぽつりとつぶやいた彼女は、次の瞬間、自分の言った言葉に照れているのか単に恥ずかしさを紛らわせるためなのか、顔をかーっと真っ赤に染めると、『あっかんべー!』と舌を出して、そのまま廊下の向こうへと走っていってしまった。
ぽかんとして、それを見つめていた魔理沙は、ぽんと手を叩く。
「そういえば、あいつ、私をいの一番に追いかけてきていたメイドだ」
ふむ、とうなずき、踵を返す。
彼女は口の中に、もらった飴玉を放り込むと、
「寝る前に、ちょっと仕込みを入れよう」
そう、小さな声でつぶやいた。
「やっと解放されたぜ」
「お疲れ様」
それから二日。
ようやく『姉さん』が復帰したと言うことで、魔理沙は晴れて自由の身となった。
咲夜からは『五日分のお給金』を渡され、持っていた財布兼用の巾着袋がだいぶ膨らんだ彼女は、満足そうにそれを叩きながら、
「ま、これで、私だってなかなか仕事が出来るって事、わかっただろ」
「それでも、うちの中で比べたら真ん中より下よ」
「お、言うね」
減らず口なら魔理沙に負けない咲夜は、くすくす笑いながら、「帰る前にお昼ご飯、食べていったら? 無料でサービスするわよ」と声をかける。
魔理沙は『それなら是非』と誘いに乗って、『レストラン』へと入る。
「そういえば五日前、これを食べ損ねたんだった」
「ああ、これ。人気なのよね。開店から二時間くらいで売り切れるの」
『紅魔館ランチスペシャル』とストレートな名前の付けられたそれを注文して、魔理沙は席について料理を待つ。
十分もしないうちに飲み物と前菜が運んでこられる。
それから三十分の間に全ての食事を終えて、やってきた咲夜に『美味しかった』と告げて立ち上がる。
「ああ、そうそう」
魔理沙はすたすた館の中を歩き、入り口へとやってくる。
そこで、あの『姉さん』の隣でお客様方をお迎えしているメイドを見つける。
――三日目の夜、魔理沙に対して、散々、言いたいことを言うだけ言って去っていった彼女だ。
咲夜に話を聞いたところ、彼女は『姉さん』について教えを受ける『妹』であるとのことだった。
だから、あれだけ怒っていたのか、と魔理沙はその時、事情を察したのだが、
「おーい」
魔理沙が二人に声をかける。
「あら。
色々、ご迷惑をおかけしました」
「いやいや、いいんだ。足は大丈夫か」
「ええ、おかげさまで」
『姉さん』がにっこり笑って返してきた。
隣の彼女は、一応、営業スマイルを顔に貼り付けてはいるものの、その笑顔はぎこちない。
にっと、魔理沙はその彼女を見て笑う。
「ほい。迷惑かけたな」
魔理沙はスカートのポケットから、小さな水晶玉を取り出して、彼女に手渡す。
きょとんとなる彼女。『姉さん』が「あら、きれい。これ、どうしたんですか?」と魔理沙に尋ねてくる。
「いやいや、今回の騒動を巻き起こした首謀者兼一番の被害者にお詫びの品をね」
にやにやと、魔理沙は笑う。
あら? と首をかしげる『姉さん』。咲夜が『あーあ』と笑いながら肩をすくめる。
「そいつはな、お守りなんだ」
事情をばらされ、顔を真っ赤にしているメイドに、魔理沙は続ける。
「ちゃんとお祈りすると、お前さんの願い事、もしかしたらかなえてくれるかもしれないぜ?
まぁ、魔女は嘘つきだから、話半分に信じていてくれ。
ただし、『姉さん』は、ちゃんと元気になったけどな」
「こっ……!」
これも、いつもの魔理沙らしい意趣返しというべきか。
余計な一言を付け加えて、彼女は箒に飛び乗った。
直後、
「……の、白黒魔法使いーっ! バカバカーっ! 帰れ、帰れ! 出てけーっ! もう二度と来るなーっ!」
憧れの人の前で、自分の恥ずかしい『想い』を全部ばらされて、彼女の羞恥心と怒りと恥じらいに火がついた。
顔を真っ赤に噴火させ、魔理沙を追いかけて弾幕ばらまく彼女を尻目に「やーなこった! また来るぜー!」と悪ガキそのものの笑みで笑いながら、魔理沙は館から飛び去っていく。
流れ弾が館のあちこちを粉砕する。
どっかんどっかん、騒音と轟音が響き渡る。
「……あの、何かあったんですか?」
それを聞きながら、不安そうな表情で、館への入場を待つ『お客様』が、今日も空を眺めながら微苦笑を浮かべる美鈴に尋ねる。
「ああ……」
それを聞きながら、美鈴は答える。
「ま、いつものことですよ」
――と。
音がするたびに窓が割れ、壁にひびが入り、そのたびに「……今日、残業確定じゃない?」「残業なんてしたら、お姉さま達にものすっごい怒られるわよ」「でもどうすんのよ」と、その光景を眺めるメイド達がため息をつく。
「……あの、一体、何が起きてるんですか?」
ここは、幻想の郷のとある一角、永遠に紅くて楽しいテーマパーク、紅魔館。
今日もずらりと、その外の塀に沿って『お客様』が並ぶ中、先頭で入場を待っている男性が目の前の相手に恐る恐る尋ねる。
「ああ……」
彼女――お客様案内係チーフ兼門番――の紅美鈴は、ゆっくりと後ろを振り返り、苦笑いを浮かべる。
「何かあったんですよ、きっと」
その何とも言えない笑みと、『ただいま、入場をお待ちいただいております』の看板を掲げるメイドを交互に見て、彼は何かを察したのか、何も言わずに引き下がったのだった。
『霧雨魔理沙、覚悟ーっ!』
「うわ、うわ、うわ! ちょっと! ちょっと待て! 何だ!? 一体何が起きてるんだ!?」
紅魔館の広い通路を必死に逃げ惑う、彼女はいつもの白黒衣装――ではなく、あったかもこふわケープとふんわりフレアスカート、足にはタイツを履いて、というおしゃれな冬の装いの霧雨魔理沙が悲鳴にも近い声を上げる。
今日はお昼ご飯に豪華な料理を食べようと、紅魔館へとやってきた彼女は、扉をくぐるなり、その場のメイド達に殺意に満ちた目で迎えられ、全員から熾烈な攻撃を、現在進行形で受けているのだ。
ここでいつもなら『何だこいつら私とやろうってか面白い勝負だ』と売られた喧嘩は買った上で利子と熨しつけて返す主義の彼女であるが、今日はこのおしゃれな服を汚すのがいやだったため、とにかくひたすら逃げの一手に努めているというわけだ。
「事情がわからんぞ! 誰か説明してくれ!」
「説明不要! 今日と言う今日は許さないんだから!」
「そっちに逃げても無駄よ! Bチーム!」
「待っていたわ! 覚悟ー!」
「げっ!? 先回り!?」
慌てて、その場の通路を右に曲がって、前方から飛んでくる攻撃――弾幕などという生易しいものではなく、包丁やらレンガやら、当たればとんでもないことになりそうなものも混じっている――をよける。
「私は善良な一市民で、今日はここのお客だぞ! お金だってきちんと持ってきた!」
腰から提げた巾着袋を広げて、それを証明してみせる。
しかし、返ってくる答えは『そんなのどうでもいいから一発殴らせろ』であった。
日ごろ、この館の中で傍若無人な振る舞いをして、色々、恨みなんかも買っている魔理沙であるが、それでもこの館のメイド達は『教育』が行き届いている。そんな相手だろうと、きちんと正面から『お客様』としてやってくれば、笑顔を浮かべて応対するようしつけられているのだ。
それすらなく、目に『てめぇ、逃げるな、そこに直れ』という殺意を乗せて追いかけてくるなど、尋常ではない。
「冗談じゃ……!」
――と。
「うわっと」
いきなり、目の前のドアが開き、そこから手がにょきっと伸びてきた。
その手が魔理沙の腕を掴むと、そのままドアの中へと引き込んでしまう。
――ドアの外で、騒音を上げて、足音が通り過ぎていく。
「……助かったぜ」
「全く」
そこに立っていたのは、この館のメイド長、十六夜咲夜である。
その隣には、彼女の補佐をするメイドが一人。魔理沙の手を引っ張ったのはこちらの方だ。
「なぁ、一体、何がどうなって私は殺されかけてるんだ」
「ちょっとね。
外、もう大丈夫?」
「はい。あの子達も、あちらに走っていってしまったようです」
「あいつら、ちゃんと教育しなおしてくれ。これじゃ、この館に来るたびに、私は命の危険にさらされる」
「あなたの日頃の行いが悪いから――とだけとは、今回は言えないのよね。
私達の日頃の教育の賜物でもあるのだから」
「どういうこっちゃ」
「いいわ。説明する。
行きましょう」
ドアを開けて、咲夜が歩いていく。
魔理沙がそれに続き、最後に咲夜の補佐のメイドがドアを閉めて、それに続いた。
大半のメイド達は、魔理沙を追いかけてあさっての方向へと行ってしまったのか、遭遇することはない。
しかし、それでも、その大騒ぎに参加していないメイド達があちこちで働いている。彼女たちは魔理沙を見ると、『大変な目にあったみたいね。ご愁傷様』という視線を向けてくる。
「……あいつらは事情がわかってるみたいだな」
「そうね。
というか、年かさの子達は、みんな、この状況を、何とも言えない目で見ているわ」
「若い子達が、ちょっと行き過ぎてしまっているだけなんです」
「……若い、ねぇ」
咲夜のセリフを補完してくれる彼女を一瞥する。
身長は魔理沙程度。その見た目も、何というか、若い。この館で働くメイド達の中で、『真っ当に年をとる』ものは咲夜だけだ。この彼女――妖精の彼女が、一体何歳なのかは、魔理沙は聞いたことがない。
「とはいえ、日頃のあなたの行いがよければ、こんな目にはあわないのだし。
ちょっとは省みなさいね」
「ちぇっ」
「まあまあ。
メイド長だって、小さい時はいたずらばっかりしてたじゃないですか。お嬢様と一緒になって。
それでいっつも叱られて泣いていたのですから、これくらいは大目に見てあげてもいいんじゃないですか?」
彼女の言葉に、咲夜は頬を赤くして黙り込む。
いくつになろうが、自分の子供時代を知っている相手には、逆立ちしても勝てないと言うのを示す構図である。
――さて、それはともあれ、三人は館の一角へとやってくる。
普段、メイド達の生活の場として使われているというその空間の一つ、一枚のドアの前にやってくると、ドアをノックして中へ。
「あっ」
その、ずいぶんと質素な部屋には、一人のメイドがいる。
と言っても、服装はパジャマであり、ベッドの上に横たわっていると言う状態だ。そして、その彼女に、魔理沙は見覚えがあった。
「あら、ごきげんよう」
彼女はにっこりと笑って、魔理沙に挨拶をしてくる。
「どう? 具合は」
「なかなか治りません。派手にやっちゃったから」
彼女は右足を包帯に巻いて、上から吊っている。
咲夜は肩をすくめると、「あなたがいないと、仕事に空いた穴が大きくて困るのよ」と冗談を口にする。
「姉さん。早くよくなってくださいね」
「ありがとうございます。
……あと、その呼び方。年下の子達はともかく、あなたに言われると、なんだかからかわれているような気がします」
「あら、いいじゃないですか。あなたがみんなに慕われている証なのだから」
事情を説明するとね、と咲夜。
この妖精の彼女、この館の中ではかなり古株のメイドであり、その面倒見のよさと後進の育成のうまさから『姉さん』と呼ばれているのだそうな。
年上、もしくは自分よりキャリアが上の相手は全て『お姉さま』と言う呼び方で統一している紅魔館において、まさに異色の存在なのだとか。
そして、それ故に、特に若いメイドからは絶大な信頼と愛情を寄せられており、それが今回の『暴走』につながってしまっていると言うことらしい。
「何だ……ひどい勘違いだな」
魔理沙が狙われる理由は簡単だ。
この『姉さん』と魔理沙、今回が初めての出会いというわけではない。
数日前、彼女が怪我をして足を引きずっているところに遭遇し、紅魔館へと連れて帰ってきたのが、この魔理沙なのだ。
その様を見たメイド達は、『魔理沙が彼女を助けた』と考えたものと『魔理沙が彼女を傷つけた』と考えたものとで二分されたのである。
――だから、咲夜がさっきから言うように『日頃の行いの悪さ』がこういうところに出てくると言うわけだ。
「すみません。わたしがドジを踏んだばかりに」
「ああ、いい。別にいい。気にしなくていい」
「一応、みんなに説明はしたのだけどね。
ある特定の個人に対する信頼と言うのは、時として、事実を上回ることがあるから」
「ちゃんとしてくれよ。頼むぜ」
「だから、普段から、あなたがうちに対して真っ当な『お客様』であれば、こんなことは起きないと言っているでしょ」
「まあまあ」
これを機に、日頃の行いを見直せ、と再三腰に手を当てて言う咲夜を押しとどめて、
「ともあれ、このまま誤解が続くのもよくありませんし。
姉さんの方からもきちんと説明をしていなかったのも問題でした。やはり本人の口から聞くのと、誰か他の人から説明されるのとでは受け取る側の印象も変わってきますから。
姉さんは、申し訳ないのですけど、館の子達に事情の説明をしてください」
「ええ。わかりました」
「魔理沙さんは……」
「まぁ、これで私の疑いも晴れたわけだから、大手を振って……」
「――というわけにもいかず」
ほっと胸をなでおろしていた魔理沙が面食らった顔をする。
「やはり、メイド長の仰ることももっともです。
魔理沙さんは悪い人ではないことは、我々、重々承知の上ですが、やはりそれを行動で示してもらわないといけません」
「……というと?」
「簡単です」
にこっと、微笑む彼女を見て、何やらいやな予感に魔理沙は顔を引きつらせる。
咲夜がぽんと手を打つのを、もちろん、魔理沙は見逃さなかった。
「――というわけで。
姉さんが怪我から復帰するまでの間、魔理沙に彼女の抜けた穴を埋めてもらうことにしました」
「ふーん」
さしたる興味を見せることもなく、体に不釣合いの大きな椅子で足をぱたぱたさせる館の主――と書いて『マスコット』と読む――レミリア・スカーレットがうなずく。
彼女の視線は、咲夜の後ろで、館の正装――メイド服を着させられた魔理沙に向く。
「別にわたしは構わないけれど、魔理沙に家事なんて出来るの? 単に邪魔になるだけではなくて?」
「お前よりは何でも出来るぞ」
「こら。
あなたにとって、お嬢様は『雇用主』よ。きちんと『お嬢様』と言いなさい」
「……うぐ」
「うふふ。
あら、これは面白そう。ほら、魔理沙。『お嬢様』と呼びなさい。ほーらほら」
調子に乗るレミリアをにらみつけた後、魔理沙は咲夜に視線をやってから、すたすた、レミリアの前へと歩いていく。
そして、
「失礼いたしました、レミリアお・じょ・う・さ・ま!」
「あいたたたた!」
彼女のこめかみに拳を当ててぐりぐり攻撃。
悲鳴を上げてじたばたするレミリアを、咲夜は助けようとしない。
「何よ! 使用人のくせに暴力をふるって! クビにするわよ!」
涙目になって金切り声を上げるレミリアであるが、咲夜は「彼女の人事権は私にありますので」と、しれっとレミリアの言葉を否定する。
そして、やおら手帳を取り出すと、
「お嬢様。
館の主として、先ほどのような使用人に対する振る舞いは、些か配慮に欠けるような気がいたします。
あのような態度を、魔理沙はともかく、別の子達に取られては、我が紅魔館の品位を疑われます。
ちょうどよく、今日は日頃の『節度』や『マナー』を学ぶための学習の時間がございますので、みっちり、お勉強してきてください」
「うー!」
どこから現れたのか、その『教師』役らしいメイドがレミリアの両腕を脇の下から腕を通して固めると、「では、今日もいっぱいお勉強しましょうね」とじたばたするレミリアを連れて行く。
「……ありゃ何だ」
「お嬢様は、館の主。いわば経営者なのだから、経営者らしい知識と振る舞いを身に着けてもらわないと」
あのわがままじこちゅーようじょにそんなこと出来るわけないと誰もが信じて疑わないのが、この幻想郷ではあるが、咲夜はその『無理』を『不可能』から『可能』にするのが我が使命、と言わんばかりの事務的な態度で手にしたメモ帳に何やら書き込みをしていく。
「だけど、お嬢様の疑問ももっともね。
あなた、ちゃんと家事は出来る?」
「まぁ、一応。そこそこ程度には」
「そう。
じゃあ、まずは館の掃除からね。お掃除グループに混じって仕事をしてもらうわ。
あなたにいい感情を持っていない子もいるから、その辺りとの会話とかには気をつけてね」
「わかったわかった。態度を変えればいいんだろ」
「そう。
そういう生意気な態度じゃなくて、ここで働く子達は、みんな、あなたにとって『先輩』なのだから。
敬意と愛情を忘れないように」
「霧雨魔理沙です。本日はよろしくお願いしまーす」
『……………………』
さて、連れてこられた『お掃除グループ』。
それを仕切るメイド達は、皆、『今回の事情』を知っているものばかりである。
一方、その仕事に従事するメイド達は『事情』を知っていたり、知らなかったり。あるいは魔理沙のことを快く思わないものもいたりと様々であるが、皆、一様に、魔理沙の態度……というか振る舞いを見て、目を丸くしてその場に固まっていた。
「……はっ。
あ、え、ええ。はい。ご挨拶ありがとうございます。
そ、それでは、本日の業務分担をいたします」
一同のリーダー役のメイドが、何とか石化の魔法を自力で解除して、用意したメモ用紙の内容を読み上げていく。
しかし、まだ動揺が収まっていないのか、対象の名前を間違えたり、そもそも文字自体が読めなくなったりと散々だ。
「よろしくお願いしますね」
「は、はい。お願いします……」
魔理沙のことを『何よ、こいつ。メイド長の知り合いだからとかって、特別扱いされててむかつく』と軽蔑していたメイドが、魔理沙ににっこり笑顔を浮かべられ、困惑しながらそれに応じている。
渡された役目を、渡された道具を使い、渡された指示の下、こなしていく彼女たち。
「……誰あれ」
それを見ていた――やはりほったからしておくのは、さすがに心配だったらしい――咲夜すら、顔を引きつらせている。
霧雨魔理沙。今、その場にいる彼女は、その名前で館で知られる『彼女』ではない。
完璧な営業スマイルと、聞き取りやすい1オクターブ高い声を使いこなし、誠実かつ従順な態度で仕事をこなす。咲夜でなくても『誰てめぇ』と言いたくなるのは明々白々であった。
「あ、大丈夫ですか?」
「は、はい。すみません」
「いいえ。
モップを使う時は、むしろこうした方がいいですよ」
掃除の途中、ドジしてすっ転ぶメイドを助け、それとなく仕事のアドバイスをする魔理沙。
傍目に見ていて、その掃除は完璧であった。
モップのかけ方や雑巾のかけ方、拭き、掃き、はたき、いずれもかなりのレベルでこなしている。
「あ、私、水、替えてきますね」
「は、はーい。ありがとうございますー」
冬のこの時期、冷たいバケツの水の入れ替えは、誰もが嫌がる仕事だ。それを率先してこなす彼女に、メイド達の間に広がる困惑は、いよいよ最高潮へと達してしまう。
「……メイド長。こんなこと言うのもなんですが、ものすっごい業務効率落ちてます」
「……見ていてわかるわ」
とにかく違和感すごい魔理沙のせいで、メイド達の作業は遅々として進まない。
決して魔理沙のせいではないのだが、しかし、魔理沙以外の何物の責任でもない。
悪態つきつつ適当に仕事こなして回りから叱られ口答えし――と、普段の『魔理沙』を、皆、ある意味期待していたのだ。
それがこの有様。一体何をどう間違ってこんなことになってしまったのか、理解が及ばない。
「お待たせしました。
雑巾、私が絞りますから」
「あ、い、いいです。自分でやります、はい」
「だけど、冷たいでしょう? 気になさらず」
「す、すみません……」
皆の嫌がることを率先して引き受け、『自分が一番下の立場』を意識して行動する彼女に、誰も文句など言えるはずもない。
『どうしよう、これ』『どうしようって、どうするのよ』『どうしようも出来ないでしょ』『っていうか、ここで何かしたらこっちが悪者よ』『どうしたらいいのよ』――そんな心の声が聞こえてきそうな光景である。
掃除が終われば(通常よりも一時間以上、時間がかかった)休憩時間となる。
魔理沙に与えられたのは個室である。咲夜曰く、『大勢のメイドがいる休憩室を使うと余計ないざこざがありそうだから』ということだ。
「この屋敷、広すぎじゃないか」
「うちは人が多いから仕方ないの」
いつもの口調の魔理沙に、咲夜が答える。心なしか、その表情は、幾分ほっとしているように見えた。
彼女は魔理沙に紅茶を出すと、
「あなた、ちゃんと家事が出来たのね」
と素直な観想を口にする。
「うちは家が家だからさ。おふくろも家事には厳しかった。
将来は相手を立てて、後ろに一歩下がって、渡される仕事もその場にある仕事も何でも率先してこなせ、って」
「なるほど。素晴らしい教育ね」
「おかげで一人暮らしするに当たって、何不自由ないスキルが身についたのは感謝してる」
子供っぽい笑みを浮かべて、紅茶の入ったカップを傾ける魔理沙に『うちの教育にも、そういうの、取り入れようかしら』と咲夜。紅魔館の、いわゆる『しつけ』は幻想郷のお母さん達の参考にすらされているレベルだが、飽くなき探究心がさらに高みを目指してしまうようだ。
「この後は何をしたらいいんだ」
「掃除は終わったから、お洗濯の手伝いね。
それが時間通りに終わったらお昼ご飯。その後、あなたは勤務時間が足りていないから、入り口で接客をしてちょうだい。二時間働いたら、あとは自由時間だから、あてがう部屋に戻って休憩するもよし、どこかに出かけるのもあなたの自由。
ただ、仕事は結構流動的だから、別の業務を割り当てることもあるけど、それには従うように」
「ずいぶんと、放任主義な職場なんだね」
「相手は妖精だもの。
規律でしっかり縛るところと、個人の自由にさせるところのバランスを取らないと、あっという間に退職ラッシュだわ」
そういうところ、彼女たちはわがままなのだ、と笑いながら言って、咲夜は『それじゃ、私は私の仕事があるから』と去っていった。
「なるべく真面目に働いて、顔と恩を売っておくか。
そうしたら、もう少し、ここで何するにも楽になりそうだ」
そして、咲夜がいなくなった後、ぽろりと己の打算を口にする魔理沙は、休憩もそこそこに立ち上がるのだった。
「魔理沙がうちの手伝い?」
「はい」
「どうして、また」
「何でも、怪我をして働けないメイドさんの代わりだそうです」
「役に立たないでしょう。あんなの」
紅魔館の一角、どこかかびくさい空気の漂う図書館の中で、本を眺めてお茶を飲む魔女の姿がある。
彼女へと話をする司書は、「ところがどっこい、みたいですよ」となにやら意味ありげに小悪魔な笑いを浮かべた。
それを一瞥して、不愉快そうに目を細めた後、魔女――パチュリー・ノーレッジは立ち上がる。
「指差して笑ってきましょう」
彼女はそのまま、図書館を後にする。
いってらっしゃーい、という己の司書の声を聞きながら、図書館を出て、館の中を適当に歩いていく。
「どこで働いているのかしら。この館は無駄に広いから、人を探すのも物を探すのも一苦労だわ」
文句をつぶやきながら足を進めていると、その視線が、中庭に面した窓の前で止まる。
外は一面、雪景色。
しかし天気はよく、燦々と日の光が大地に降り注いでいる。
真っ白な雪に負けないくらい、白くなった洗濯物を干しているメイド達の姿。そこに一つ、違和感を見つけた。
「あなた、そこで何をしているの」
窓から外へと舞い降りて、雪を踏みしめ近づき、声をかける。
くるりと振り返ったその相手は、ついぞ見たことのないような柔らかい笑みを浮かべると、
「ごきげんよう、パチュリー様」
――ということをぬかしやがった。
パチュリーが硬直する。
今、言われたことを脳内で反芻し、理解に努めようとする。
頭の中に描き出される、複雑怪奇な数式と術式とあと何かよくわからない模様みたいなものが互いに絡まりあってダンスを踊り、お互いに絡め取られてすっ転んだ果てに正体不明の物体へと融合合体を果たした末に、パチュリーの意識は現実へと引き戻される。
「……あなた、一度、病院に行きましょう。私が連れて行ってあげるわ」
やっとのことで搾り出した言葉がそれだった。
その相手――魔理沙はくすくす上品に笑い、「私は健康ですよ」とこれまで聞いたこともないお上品な声音でんなこと言ってくる。
魔理沙は『少々お待ちくださいませ』と、極めて事務的かつ業務的な営業スマイルを浮かべて、パチュリーに一礼すると、手に持っていたシーツやらメイド服やらを手際よく物干し台へと引っ掛けていく。
そうして両手が空いてから、彼女はパチュリーの元へとやってきて、
「……熱はないわね。意識がおかしくなったりもしていない。ということは、あなた偽者ね。まさかの偽魔理沙の出現、ちょっと調べさせてもらおうかしら、頭を切り開いて中身とか」
「おい待て、そこまでやられたら私は死ぬ」
パチュリーと共に、一度、その場を離れてから、魔理沙は、一体どこから取り出したのかわからない金のこ持って近づいてくるパチュリーの顔に右の掌を押し付ける。
「……本物?」
その対応とセリフに、ようやく正気を取り戻したのか、パチュリーが小さな声で尋ねた。
もちろんだ、とない胸張る魔理沙。
その態度を見ると、先ほどまでそこにいた『魔理沙』があっという間にいなくなるのだから不思議である。
「あなた、悪いものでも食べたの?」
「そんなわけあるかい。
お仕事やる上での『よそ行き』の顔だ」
「まさか、あなたが二重人格だったなんてね」
「違うわ」
振り下ろした左手で、彼女はパチュリーのおでこにチョップを食らわせた。
何するの、と反撃してくるパチュリーを軽くいなしてから、
「おふくろにゃ、『女はしとやかにしろ』って育てられたんだい。
自分はがさつなくせに、出来ないことを人にやらせようとする」
そういう教育を受けて育ったのだから、『そういうふり』をするのも得意なのだという。
もちろん、『息が詰まる』し『めんどくさい』から、こんな顔は滅多にしないのだとか。
「それにしたって驚きね。
まさか、あなたがまともに家事手伝いが出来るだなんて」
「咲夜も同じ事を言ってた。
私だって、そんくらいのことは一人前にこなせる」
「なら、なぜ、普段はやらないの」
「めんどいし、誰も見てないんだから、着飾っても仕方ない」
「あなたは誰かと結婚したら、もしかしたら、いい嫁になるかもしれない」
パチュリーのセリフは本心からのものだ。
もちろん、魔理沙は『よせやい。縁起が悪い』と取り合わない。
「うちの仕事は色々手順があって面倒くさいから、大半の妖精は一から教育しないと使い物にならないと言うけれど。
あなたは教育を受けずにこなしているようね」
「昔取ったマスタースパークさ」
「あまり間違いではない表現ね」
時同じくして、とあるひまわり畑の妖怪が盛大にくしゃみをしていたりするのだが、ともあれ。
「メイドの穴埋めをやらないといけないなんて。大変なことね」
「そうなんだ。
あの『姉さん』とか言うメイドか。あいつの仕事の範囲が広すぎる」
「優秀なメイドと聞いているわ」
「優秀な奴の後釜には、優秀な奴しか務まらない。
これは世界の真理であり、一番面倒な事実だな」
「そういうのを自意識過剰というのよ」
第一、とパチュリー。
「そもそも、なぜあなたがここにいるの」
聞かれて素直に魔理沙は事情を答える。
するとパチュリーは『それでは、あなたはとても優秀とは言えないということね』とばっさりと切って捨てた。
思わず沈黙する魔理沙に対して、興味を失ったのか、
「まぁ、せいぜい頑張りなさい。
なるべく早めに、その彼女も復帰するだろうし。今のうちに、イメージ払拭に努めるのは、そう悪いことではないと思うわ」
さっさとその場を後にする彼女に、『何だい』と魔理沙はほっぺた膨らませる。
ちょうどその時、後ろから「すいません、魔理沙さん。お仕事のお手伝いを……」とメイドが一人、声をかけてくる。
魔理沙はすぐに振り返り、「承知いたしました」と、またあのオクターブ一個高い声音で彼女に返事をするのだった。
洗濯を終え、昼食時間が与えられた魔理沙は食事をしながら次の予定を咲夜によって確認、指示され、休憩時間が終わると同時に予定されていた業務とは異なる『戦場』へと投入される。
「七番テーブルのお料理、遅れているわ! すでに終わっている子がいたらフォローしてあげて!」
「はい!」
「お野菜とお肉追加! 冷蔵庫、四番目と八番!」
「わかりました!」
「三番さん、出来ました!」
「急いで! 一分の遅れで味が変わるわよ!」
「はいっ!」
――紅魔館最大の戦場、厨房である。
特にお昼ご飯時と晩御飯時の忙しさは、それこそ、目が回るどころの話ではない。
十を軽く超えるコンロの前にメイド達がずらりと構え、鍋やフライパンを操っている。食材を切る際に、もはやまな板など不要とばかりに鮮やかな包丁さばきで空中一刀両断などの技を見せるものもいる。
やってきたお客様には出来立てのお料理を。作り置きなど以ての外。お客様をお待たせしていいのは十分まで。
――そんなルールでやっているものだから、とにかく、そこで働く者たちの表情たるや凄まじい。
「あなたも料理は出来るのでしょ?」
「まぁ、ある程度は」
「じゃあ、前菜をお願い。前菜だからといって手を抜かないようにね」
「メニューを渡してくれれば何とかする」
「よろしい」
そこに連れてこられた魔理沙は、厨房の一角を与えられ、ずらりと並ぶメニューの中から指定されるものを作る作業をスタートさせる。
一応、レシピなどは壁に貼り付けてはあるものの、見る余裕などあるはずがない。
己の手元と取り出し用意される食材、調味料などを見る時間すらほとんどないのだ。次から次へとオーダーが入ってくるのである。
「もう少し急いでください。前菜が出なければ、次のお料理が出せません」
その地獄の戦場を仕切るメイドが、魔理沙の手際に注文をつけてきた。
やれやれ仕方ない、と魔理沙は服の袖をまくると、にやりと笑う。
「ただ食ってるだけじゃないってところを見せてやらないとな!」
そこからの彼女の活躍はなかなか見事であった。
厨房を預かるベテランメイド達も『なかなか出来るわね』という眼差しを送るほどだ。
ここに配置されて、そんなベテラン達のお手伝いで目がぐるぐる回っている若いメイド達も、思わず手を止めて『すごーい』と声を上げるほどの腕前を発揮する魔理沙に、咲夜が『やるわね』と声をかける。
「一応、『幻想郷料理界』でランクBだからな」
「何それ。」
「咲夜はAだぞ」
「だから何それ。」
幻想郷を、料理の力をもって裏から支配する『料理界』。そんな謎の組織の名前を挙げる魔理沙に、咲夜の顔と声も引きつる。
そんな風に仕事をしていると、
「まりさだ!」
足下で、そんなかわいらしい声がした。
視線をやると、そこに、お気に入りのくまさんのぬいぐるみを持って佇む少女の姿がある。
「フランドール」
「まりさ、どうしてそんな格好してるの?」
この館の、ちみっこお嬢様レミリアの妹、もっとちみっこお嬢様ことフランドール・スカーレットである。
きょとんとして問いかけてくるフランドールに「何、ちょっと手伝いでな」と魔理沙。
「おてつだい?」
「そうだ」
「じゃあ、フランもまりさのおてつだいする!」
笑顔を浮かべて羽をぱたぱた上下させるフランドールを見て、魔理沙は視線を咲夜に移動させる。
咲夜はというと、フランドールの世話を任せているメイドを見て、彼女がうなずいたのを確認してから、「では、フランドール様。まずはおててを洗いましょう」とフランドールに声をかけた。
「やったー!」
にこにこ嬉しそうに笑って、早速、小さなおててを洗って準備を始めるフランドール。
厨房のメイド達のうち、数名が魔理沙の元へやってくると、「このテーブル向けのお料理をお願いします」とレシピと注文の書かれたシートを渡してくる。
「手伝います」
さらにそのうち二名が魔理沙の横に立ち、準備完了だ。
魔理沙に(というか、フランドールに)与えられたミッションは『十七番テーブルのお客様にお料理のコースを提供する』である。
この忙しい中、魔理沙含め三名ものメイドを一つのテーブルにかかりっきりにさせるのはかなりの痛手となる。しかし、戦力としては数えられず、むしろ足引っ張るだけのフランドールがやる気になっているのだから仕方ない。彼女をむげに扱うことは出来ないのだ。
幸いなことに――、
「よし、フランドール。これをテーブルに持って行こう」
「はーい!」
魔理沙はまず、仕上げた前菜を手に、フランドールを連れてそのテーブルへと向かう。
大勢のお客様とメイドでごった返す『店内』。
そのうち、壁際に、そのテーブルがあるのだが、
「あんた何やってんの」
そこに座っている人間に、魔理沙は見覚えがあった。
「魔理沙さん。アルバイトですか?」
「珍しい。あなたが真面目に働いているなんて、私の人生の中で見ることなんてないと思っていたわ」
――と、散々な評価をしてくれる、魔理沙の友人たち――博麗霊夢、東風谷早苗、アリス・マーガトロイドである。
フランドールが『はい!』と手に持ったお皿をテーブルへと差し出す。
「あら、ありがとう。
フランドールちゃん、お手伝いしてるの? 偉いわね」
「うん!」
早苗が差し出されたお皿を受け取り、笑顔でフランドールの頭をなでてやる。
嬉しそうに笑うフランドールの笑顔に、場の空気が少しだけ和み、
「それではお客様、次のお料理をお持ちいたしますので、少々お待ちください」
魔理沙の、あの『営業モード』を受けてその場の空気が石化する。
魔理沙はフランドールを連れて厨房へと戻り、次の料理をこしらえる。
一方、先のテーブルでは、座っている三人が『一体、魔理沙に何があったんだ』と深刻な表情で顔を突き合わせて会議を始めてしまっている。
「こちら、本日のお野菜とスープになります」
「まーす!」
また料理を持っていく。
受け取る早苗が『あ、ありがとうございます……』と顔と声を引きつらせる。
「……魔理沙。あなた、何かあったの?」
アリスがマジで心配するような眼差しを魔理沙に向ける。
魔理沙はそれに笑顔をにっこり返し、『いいえ』と微笑みモード。アリスの顔が完璧に引きつる。
「こちら、本日のメインディッシュです。お熱いので、火傷などなさらぬよう、ご注意くださいませ」
「ませー!」
並べられる、美味しそうな料理の数々。
普段なら、それに飛びつくはずの霊夢が神妙な面持ちで魔理沙を見据え、やおら札と祓え串取り出して祈祷など始めたりする。
――そして最後にデザート。
各種の振る舞いが終わったところで、三人は席を立つ――前に、厨房へとやってきて魔理沙を呼び出した。
「何だ」
「さっきの魔理沙さんは誰ですか」
「待ちなさい、東風谷早苗。あれはきっと、魔理沙ではないわ。魔梨沙よ」
「おいばかやめろ」
「今日、永遠亭は営業しているから。今から行きましょう、魔理沙。ちゃんと家までおぶって連れて帰ってあげるから」
などなど。
やはり、友人一同からの評価も散々である。
とはいえ、魔理沙がいつもの口調で事情を説明すると、とりあえず、といった感じで彼女たちはうなずいた。
「それで、こんなことしてるんですね」
「ああ、そうだ」
ちびっこなお手伝いさんを抱っこして、「頼もしい戦力もいる」とそのほっぺたをうりうりぷにぷにすると、フランドールがきゃっきゃとはしゃぐ。
「……あれ? ってことは、あの料理、魔理沙が作ったの?」
「そうだぞ」
「えー!? 本当ですか!? 意外!」
「をい」
ものすごい素直に驚く早苗に、さすがの魔理沙もツッコミを入れてしまう。
「言っておくが、私の料理界ランクはBランクだ! そんじょそこらの木っ端料理人なんか相手にならないんだぞ!」
「な、何――――――っ! 本当なのか、霧雨魔理沙――――――っ!」
「何このノリ。」
「霊夢、ついてっちゃダメよ。」
背中に雷鳴と砕ける波頭を背負って驚く早苗。やたら威張る魔理沙。事態が理解できずにはしゃぐフランドール。
その三者を見ながら、霊夢とアリスは、なるべく自分たちに被害が及ばないように距離をとって会話をする。
「けど、本当に意外です。
魔理沙さんはアリスさんに食べさせてもらうばっかりだと思っていたのに」
「確かにそうよね。
あなた、自分で料理作れるなら、自分でやればいいじゃない」
「だってめんどいじゃないか。
それにアリスの料理だって悪くない。ちなみにアリスのランクは私と同じBだった」
「そんなわけのわからない組織の中で序列つけるのやめてちょうだい頼むから」
「心を入れ替えて、あんた、ここに就職するの?」
「そんなわけあるかい」
――と、ここでようやく、魔理沙は今回の事態についての解説を始める。
ふぅん、とうなずいた三人は「紅魔館の人たちって、お互いの信頼関係、強いですもんね」という無難な早苗の言葉で自分たちの意見をまとめる。
「たまったもんじゃないけどな。
包丁振り回されて追いかけられてみろ。死が見える」
「確かにそれは怖い」
「まぁ、そんな奴らも、上の奴らに何か言われたのか、何もしてくる気配はないし。
一週間もかからず解放されると思ってるよ」
「だといいけどね」
「やめてくれ。私は魔法使いであって家事手伝いじゃない」
そこで、魔理沙へと、後ろからメイドが声をかける。
魔理沙はフランドールを抱っこしなおすと、「じゃあ、まだ仕事がございますので。皆様、ごきげんよう」と笑顔とお上品な口調、仕草で彼女たちに一礼して厨房へと戻っていく。
「……」
「ねぇ、霊夢。あなた、魔理沙の実家に顔出しとかしたことあるんでしょ?
あそこ、一体、あれにどういう教育をしてきたとか知らない……?」
「魔理沙のお父さんとお母さんか……。
いや、見たことあるけど、あんな感じの人じゃなかったけどなぁ……」
しかし、その記憶はなにぶん昔のものだ。もしかしたら、当時の記憶が曖昧になっていて、現実との齟齬が発生しているのかもしれない。
そう思った霊夢は、『今度、お菓子とか持っていってみる』と二人に向かってぽつりとつぶやくのだった。
それから三日。
紅魔館の仕事である、朝番、昼番、夜番のローテーションを順調にこなす魔理沙に対して、メイド達の意識も若干変化していく。
最初こそ戸惑いと困惑とあと何か色んなものが混ざりまくって『あいついたら仕事が進まない』という状況になっていたのだが、二日目の昼番からはそんな状況も受け入れられ、『仕事の仲間』として認識されるようになった。
その中で、魔理沙を快く思っていなかった者たちも、『まぁ、真面目なところもあるなら、普段のあの振る舞いも、ちょっとばかり許してやらなくもない』という意識を芽生えさせている。もちろん、今回の発端となった、魔理沙による『姉さん傷害事件』(勘違い)も、それは自分たちの勘違いであったと頭を下げる者たちもいた。
「しかし、夜はぐっすり寝てる吸血鬼、ってのもどうなんだろうな」
そろそろ朝がやってくる。
夜番メイドの仕事は、館の中の見回りと、翌日、大忙しで働く日勤メイド達のサポートだ。厨房には食材を届け、作るのに時間がかかる煮込み料理などは下ごしらえを整える。あちこちの掃除をするメイド達のために掃除用具を整理し、きちんと並べておく。洗濯物を種類ごとにまとめてかごに分けておく、などなど。
主には『裏方』仕事と言っていいだろう。日中と違って音を出すことは可能な限り控えるべし、という業務であるため、それも当然なのかもしれないが。
その中で、大きな仕事は、一時間から二時間おきの館の中の見回りである。
泥棒が入り込んでいないか、戸締りはされているか、急に具合を悪くしたものがいないか、などなど。
歩きながらきちんと見て回るのだ。
「いい加減、解放されたいもんだけど」
徹夜の魔法実験などで夜に慣れている魔理沙は、そんなことをつぶやいて、前の見回りのものが見落としたのか、それとも誰かが入り込んだのか、開いている窓があったのでリストにチェックを入れ、鍵をかける。
すぐに近くのメイド達の詰め所に移動し、窓が開いていたことを報告する。彼女たちはすぐさま数名からなる『見回り部隊』を編成し、屋敷の中を見て回る。
「深夜の侵入も、ちょっと考え物だな」
夜こそ警備が手薄になるだろう、という認識は、この館には通じない。
下手なことをする輩は、見つかってしまえば、さぞかし痛い目にあうだろう。自分はそうならないように気をつけようと、魔理沙は肩をすくめる。
――と、
「そろそろ寝たら?」
後ろから声がかかった。
振り返ると、そこに、魔理沙と同じくランタンを手に持ったメイドがいる。
「あともう少しですから」
にこっと微笑み、魔理沙はそれに返すのだが、
「勤務時間。夜番のメイドは深夜の三時までが仕事時間。
そして、あんたの見回り担当時間は一時までのはずよ。何でこの仕事してるの」
「仮眠の方が起きなくて」
「そういう時は同じチームの上の人に報告しなさいよ」
何やらつんけんとした口調のメイドである。
この館のメイド達は、とにかく他人に対する『接し方』というものを厳しくしつけられる。
同じ仕事仲間であろうと、こんな口の利き方をしたというのが上にばれたら大目玉を食らうだろう。
何かやけに敵視してくる奴だな、と思いつつも、魔理沙は『かしこまりました』と頭を下げる。彼女の方が、館の中では『キャリア』が上なのだ。上の指示には絶対服従が、紅魔館のルールである。
「……ったく。
メイド長もお姉さま方も何を考えて、こんな奴を……」
ぶつぶつつぶやきながら、彼女は魔理沙に歩み寄ってくる。
ポケットを探って、『はいこれ』と魔理沙に手渡したのは、夜勤のメイドに渡される『眠たい時は、これをなめてから眠ること』という飴玉である。
聞くところによると、『より短時間に、ぐっすりすやすや寝て、疲れが取れるような』成分が入っているらしい。怪しい薬でも入ってるんじゃないのか、と魔理沙はそれを茶化したのだが、『大丈夫よ』と、その話をしていたメイドは笑っていた。
「ありがとうございます」
受け取り、頭を下げる彼女に、
「言っておくけどね! 別にこれ、何でもないんだからね!
今だけだけど、あたしはあんたの先輩なんだから! 先輩が後輩に優しくすんのは当たり前なだけなんだから!」
と、やおらよくわからないことを言って、メイドは魔理沙に食って掛かる。
「みんな、あんたのこと、『真面目にしてればちゃんとした子』とか言ってるけど!
あたしはそうは思わないんだからね! あんたにいっつもひどい目にあわされてるし! 姉さんだって!
ま、まぁ、姉さんは、ああ見えてドジなところある人だから、あんたのせいじゃないかもしれないけど、そもそも誤解させるあんたが悪いんだから!」
……何やらひどい言われようである。
普段なら、『何だと、こいつめ』と反撃するところであるが、ぐっと魔理沙は我慢する。
ここで『よそ行き』の顔を崩しては、この三日間の苦労が台無しになってしまうのだ。
「だから! あたしはあんたのことなんて、絶対に認めてやんないんだからね!」
はぁはぁ、と肩を上下させて、彼女はほっぺた思いっきり膨らませてから、
「……三日前はごめんなさい。あたしの誤解で、あんなことになって、ごめんなさい」
ぽつりとつぶやいた彼女は、次の瞬間、自分の言った言葉に照れているのか単に恥ずかしさを紛らわせるためなのか、顔をかーっと真っ赤に染めると、『あっかんべー!』と舌を出して、そのまま廊下の向こうへと走っていってしまった。
ぽかんとして、それを見つめていた魔理沙は、ぽんと手を叩く。
「そういえば、あいつ、私をいの一番に追いかけてきていたメイドだ」
ふむ、とうなずき、踵を返す。
彼女は口の中に、もらった飴玉を放り込むと、
「寝る前に、ちょっと仕込みを入れよう」
そう、小さな声でつぶやいた。
「やっと解放されたぜ」
「お疲れ様」
それから二日。
ようやく『姉さん』が復帰したと言うことで、魔理沙は晴れて自由の身となった。
咲夜からは『五日分のお給金』を渡され、持っていた財布兼用の巾着袋がだいぶ膨らんだ彼女は、満足そうにそれを叩きながら、
「ま、これで、私だってなかなか仕事が出来るって事、わかっただろ」
「それでも、うちの中で比べたら真ん中より下よ」
「お、言うね」
減らず口なら魔理沙に負けない咲夜は、くすくす笑いながら、「帰る前にお昼ご飯、食べていったら? 無料でサービスするわよ」と声をかける。
魔理沙は『それなら是非』と誘いに乗って、『レストラン』へと入る。
「そういえば五日前、これを食べ損ねたんだった」
「ああ、これ。人気なのよね。開店から二時間くらいで売り切れるの」
『紅魔館ランチスペシャル』とストレートな名前の付けられたそれを注文して、魔理沙は席について料理を待つ。
十分もしないうちに飲み物と前菜が運んでこられる。
それから三十分の間に全ての食事を終えて、やってきた咲夜に『美味しかった』と告げて立ち上がる。
「ああ、そうそう」
魔理沙はすたすた館の中を歩き、入り口へとやってくる。
そこで、あの『姉さん』の隣でお客様方をお迎えしているメイドを見つける。
――三日目の夜、魔理沙に対して、散々、言いたいことを言うだけ言って去っていった彼女だ。
咲夜に話を聞いたところ、彼女は『姉さん』について教えを受ける『妹』であるとのことだった。
だから、あれだけ怒っていたのか、と魔理沙はその時、事情を察したのだが、
「おーい」
魔理沙が二人に声をかける。
「あら。
色々、ご迷惑をおかけしました」
「いやいや、いいんだ。足は大丈夫か」
「ええ、おかげさまで」
『姉さん』がにっこり笑って返してきた。
隣の彼女は、一応、営業スマイルを顔に貼り付けてはいるものの、その笑顔はぎこちない。
にっと、魔理沙はその彼女を見て笑う。
「ほい。迷惑かけたな」
魔理沙はスカートのポケットから、小さな水晶玉を取り出して、彼女に手渡す。
きょとんとなる彼女。『姉さん』が「あら、きれい。これ、どうしたんですか?」と魔理沙に尋ねてくる。
「いやいや、今回の騒動を巻き起こした首謀者兼一番の被害者にお詫びの品をね」
にやにやと、魔理沙は笑う。
あら? と首をかしげる『姉さん』。咲夜が『あーあ』と笑いながら肩をすくめる。
「そいつはな、お守りなんだ」
事情をばらされ、顔を真っ赤にしているメイドに、魔理沙は続ける。
「ちゃんとお祈りすると、お前さんの願い事、もしかしたらかなえてくれるかもしれないぜ?
まぁ、魔女は嘘つきだから、話半分に信じていてくれ。
ただし、『姉さん』は、ちゃんと元気になったけどな」
「こっ……!」
これも、いつもの魔理沙らしい意趣返しというべきか。
余計な一言を付け加えて、彼女は箒に飛び乗った。
直後、
「……の、白黒魔法使いーっ! バカバカーっ! 帰れ、帰れ! 出てけーっ! もう二度と来るなーっ!」
憧れの人の前で、自分の恥ずかしい『想い』を全部ばらされて、彼女の羞恥心と怒りと恥じらいに火がついた。
顔を真っ赤に噴火させ、魔理沙を追いかけて弾幕ばらまく彼女を尻目に「やーなこった! また来るぜー!」と悪ガキそのものの笑みで笑いながら、魔理沙は館から飛び去っていく。
流れ弾が館のあちこちを粉砕する。
どっかんどっかん、騒音と轟音が響き渡る。
「……あの、何かあったんですか?」
それを聞きながら、不安そうな表情で、館への入場を待つ『お客様』が、今日も空を眺めながら微苦笑を浮かべる美鈴に尋ねる。
「ああ……」
それを聞きながら、美鈴は答える。
「ま、いつものことですよ」
――と。
元は大手道具屋の娘ですからね、育ちの良さ、みたいなものが有っても不思議ではないんですよね、魔理沙って
なんとなく人間としての能力がMAXな人だと思うから
そもそも普段の男口調が演技っぽいですし
紅魔郷の頃のお嬢様口調はまだ演じるキャラが定まり切ってなかったからだったりして
あ、お話は面白かったです、繋がってるっぽいほかのエピも探してみます