写真に関する5つの短編
1.本居小鈴と写真
翼を隠した射命丸文は人間の里を歩いていた。相棒のカメラは斜めがけのバックにしまっており歩くたびに振り子みたいに揺れた。天気は灰色の霞がかかっているかのような小雨で、人が全くいない里は時間が止まっているようだった。
「困りましたね」うっすらと湿った黒髪を指先で撫でながら呟く。雨音は用水路のせせらぎの音に掻き消されるほど小さかった。
「このぐらいの雨なら傘なしでも外に出れるでしょう。全く人間は」
所在なくバックから手帳を取り出す。ページをめくってこれまでの記録に目を通して溜息をついた。新しい新聞を発行するにはネタが足りず、行くところを無くした文は里の外れまで来てしまった。茶色の水たまりの中には冴えない顔をした女が文の顔を見つめていた。また溜息をつく。
ふと、彼女の眼が輝いた。急に背筋を伸ばして歩き出す。人家がまばらになったあたりで目的の建物を見つけ歩みを止めた。文は看板を見上げて笑顔になった。
建物に入る。
「いらっしゃいませ」本居小鈴が小走りで文に近づいた。
「どうも。文々丸新聞の射命丸です」
鈴奈庵の中は暖房による熱気と古臭い紙の匂いで満たされていて、文には親しんだ匂いだった。
「外に誰もいなくて驚きました」
「こんなに寒かったら誰も出ませんよ。お客さんも全然来ないです」
寒さのことを文は完全に失念していた。慌てて両手がかじかんでいる演技をしながら今度寒さの記事を作ろうと頭の片隅で考えた。
「最近、お店で何かありませんでした?」
「特にないですね」
「困ったこととか、新しい本が入荷したとか」
「ああ、新しいのは来ましたよ。見ます?」
快諾した文は、奥の受付に案内された。机に積み上げられた本をひとつずつ小鈴は紹介した。ほとんどの本は外の世界から入ってきたものらしく、見慣れない材質の紙やアルファベットが使われていた。
「面白いのはありますか?」
「一通り読みましたけど、よくわからなかったですね。変に小難しいのが多くて」
「あとで借りてもいいですか?」
「ありがとうございます」営業スマイルで小鈴は軽く会釈した。
文の興味は内容より装丁だった。新聞の参考にできるかもしれないと淡い期待を抱いていた。たくさんの本の表紙を目でなぞっていると、机の端に紹介されていない分厚い本を見つけた。文はその本を指さした。
「ちなみに、あれは?」
「ああ、あれはお店の物ではないんです」
一般的な本よりも分厚く、タイトルのない表紙は文の興味を引いた。
「差支えなければ、拝見してもいいですか?」
一瞬小鈴は戸惑った顔をした。ひょっとしたら踏み込んでいけない世界だったのかなと気まずくなった。
「本とかではないですけど。いいですよ」
「ありがとうございます」
小鈴が本を引き寄せ、文に見える位置で開いた。
「アルバムですか」
中には写真が納まっていた。どうやら家族写真のアルバムではなさそうだった。
「阿求さんとの写真ばかりですね」
「はい、二人で撮った写真を入れてるんです」
写真の中の二人は笑っていた。桜の下で団子を食べる二人、スイカを食べる二人、紅葉と同じくらいに頬を染めた二人、雪だるまを作る二人。変化のない写真の世界を喜んでいるようだった。
「ちなみに、どなたが撮ったんですか?」
「阿求のお付きの人です。出来上がったものを阿求からもらってるんです。いらないからって」
「いらないとは?」
また、小鈴の表情が曇った。写真の二人を羨んでいるかのように。
「記憶力が良いから。写真に頼る必要がないって言うんです。いつの間にか私が集めるようになって。やっぱり意識してしまうんですよ。いつ別れるか。だから思い出はできるだけ保存して置こうって決めたんです」
文は小鈴の伏し目がちな表情から目が離せなかった。記者をやるなかで何度も見てきた顔だった。新聞を書くうえで読者をこんな表情にさせたくはなかった。
「立ち入ったことを聞いてしまいましたね。申し訳ありません」
「いえ。気にしないでください。このアルバム気に入ってるんで」
そう言うと小鈴はアルバムを閉じた。その直後、顔を上げた彼女の眼差しは光を放っているかのような力強さがあった。
「それに、このアルバムのおかげで阿求との話題が尽きないんですよ。話をしているときの阿求はホントに楽しそうで。やっぱり記憶力がよくても見直すのは大事だと思います」
小鈴は微笑んでいた。文が好きなのはこういう顔だった。
「そうですよね。本も写真も何回も見るのは楽しいですよ」
見返して笑えるような記事を書くのが文の目標だった。
二人は顔を見合って笑った。
「記者がこんなところで何の用ですか?」
唐突に声が聞こえた。二人そろって振り返る。
碑田阿求が腰に手を当てて立っていた。片手に本を持っているのが見えた。
「こんなところって何よ?」むっとした表情で小鈴が言い返す。
「記者と話してたらお店の悪口を書かれるかもしれないわよ。追い返しなさい」阿求は文をにらみながら小鈴に近寄った。リズムの良い足音が店内の本に吸収されていた。
「大丈夫だよ。そんな悪い人じゃないって」
「変なこと聞かれなかった?」
「なかったよ。アルバムの話をしただけ」
「ああ、あれね」
「やっぱりさ。阿求も写真とっときなよ。見てると楽しいよ」
「だからいらないの。全部覚えてるんだから」
ここで文は気付いた。ひょっとして、阿求は意図的に小鈴に写真を渡しているのではないか。なぜなら彼女は忘れないから。忘れるという現象がわからないから。だから忘れられることをどこかで恐れている。忘れられないために、思い出してくれるように、写真を渡しているのかもしれない。
「お二人とも。写真いいですか?」
会話をしていた二人に文が割り込んだ。
「今ですか?確か写真は暗いとこだと綺麗に撮れないですよね」
「大丈夫です。このカメラは性能が良いので」バックからカメラを取り出した。
「とってもらおうよ。写真が出来上がったらくださいね」
「もちろんです。はい。二人とも笑って」
二人とも年相応の輝いた笑顔だった。遠くない未来に二人そろってこの写真を見て笑える日がくるのだろうか。そうなってほしいと文は思った。
2.鬼人正邪と写真
面白い題材はないかと文は川沿いを飛んでいた。川面が太陽の光を反射して降りて来いと誘っているかのようだった。
見知った河童や哨戒天狗は見つけたが刺激的な見出しは作れそうになかった。変わったものはないかとフラフラと子猫のようにさまよっていた。しばらく飛んでいると、見覚えのない人物が見えた。黒髪に白地の服が見えて、川に向かって釣り糸を垂らしているようだった。傍らに風呂敷が見えているので旅の道中と推測した。
その人物の隣に向かって降り立つ。
「こんにちは。お話よろしいで……」
そこにいたのは予想外の人物で、目が会った瞬間頭が真っ白になった。しかし、格好の取材対象だった。
「鬼人正邪さんですよね」
やにわに正邪は立ち上がって、身構えた。まるでシマウマのようで、何かあったらすぐに逃げられる状態だ。
「待ってください。別に捕まえるつもりはありません」
逮捕の記事ならいつでも書けるが、その前に話を十分に聞いておきたかった。ここまで何をしていたか、これからどうするか。それだけでかなりのネタになるはずだった。
「あー、新聞屋さんだ」
にらみ合っていた二人の視線が崩れた。
「これは針妙丸さん」
少名針妙丸は脇に枯れ枝を担ぎながら正邪に近寄った。以前文が見た時よりも背丈が大きかった。神社を離れたとは聞いていたが彼女と合流していたとは驚きだった。これはスクープになりそうな予感で胸が高鳴った。
「薪取ってきたよ。釣れた?」
「イマイチだな」
「じゃあ、私がやるから貸してよ」
「お前がやったら魚に負けるだろう。あっという間に溺れるぞ」
「ケチ」
意外と普通に会話している印象だった。それだけ仲が良いということだろうか。
「お二人で旅をしているんですか?」
「そうだよ」
「ひょっとしてレジスタンスの復活ですか?」
正邪の不機嫌そうな声が割り込んできた。釣り糸に視線を向けているため、文からは顔の半分しか見えなかった。
「勘違いするなよ。こいつは勝手についてきてるんだ。やめろやめろってうるさいんだ」
「だって危ないでしょ。私が見つけた時だって死にそうだったじゃん。助けなかったら今どうなってたか」
「助けろなんて誰が言った」
針妙丸は首を振って呆れたと言わんばかりの表情をしていた。
「そんなんだから安心できないのよ。正邪が諦めてくれるまで付いていくからね。それが私の反逆よ」
「……勝手にしろ。何があっても助けないからな」
「正邪ほど間抜けじゃないから」
「お前ほどお人よしじゃないよ」
針妙丸は一人で声を上げて笑っていた。蚊帳の外にいる気分になっていた文だが、ペンは休まずに動かし続けた。
「天邪鬼に反逆とは、やりますね」
「でしょ。頑張るから」
「針妙丸手伝え。魚がかかった」
見ると正邪が立ち上がって踏ん張っていた。針妙丸が慌てて近寄って釣竿を一緒に握る。激しい水しぶきの中から魚が光をまとって現れた。二人はようやくの収穫に笑っていた。
慌てて文はカメラを構えて写真を撮ろうとする。
正邪はすぐに元の険しい顔に戻った。「勝手に撮るな」
「失礼しました」
カメラを仕舞おうとすると、正邪が呼び止めた。
「たしか新聞とか言ってたよな」
「はい。新聞記者をやってます」
「じゃあレジスタンスの記事を書け。それに使うってことなら写真を撮ってもいいぞ」
文は首をかしげた。
「いいんですか。レジスタンスを宣伝して」
「同志を集めるんだよ。かっこよく書けよ」
「なるほど。何かメッセージはありますか?」
「現状に不満がある奴は私のところに来い。一緒に変えよう」
素早くペンを走らせた文はカメラを構えた。魚を片付けた針妙丸が慌てて正邪の隣に並ぶ。
「正邪さん。笑ってくださいよ」
「断る」
いい記事が書けそうだと、小さな反逆者の笑顔と大きな反逆者の仏頂面をファインダー越しに見ていた文は思った。
3.クラウンピースと写真
緑色の木立の上を文は飛んでいた。今日の取材対象は妖精にしようと決めていた。ここ最近けばけばしい衣装の妖精が出現したという噂を聞いていた。しかも、妖精にしては強いという話もあり、それが興味を引いた。
「とりあえず、チルノさんですかね。知っているといいんですけど」
突然、眼下の森から妖精特有の甲高い叫び声が聞こえた。しかも一人や二人ではない様子だった。気になって速度を落とし、声の発生源を探そうと飛び回った。
と、木々の隙間から星型の弾幕が飛び出してきた。慌ててそこめがけて高度を落とした。
陽の光がほとんど届かない森の中を怒号が塗りつぶした。
「まてー、許さないから」
「やだよーー」
一人目の声はわからなかったが、二人目の声は聞き覚えがあった。確か、三人組の妖精の誰かだ。持ち前のスピードで声の主を探した。
ほどなく見つけることができた。転んだルナチャイルドの上に誰かが馬乗りになっている。赤と青のどぎつい服を着た金髪の少女で噂に聞いた新しい妖精だと思われた。
「さあルナ。あんたも喰いなさい」
喧嘩のように見えたので文は後ろから少女を抱え上げた。
「はーなーせ」
「まあまあ落ち着いて」
押さえつけているとルナチャイルドが立ち上がり、友人のサニーミルクとスターサファイアが心配な顔をして近寄ってきた。
「いったい何があったんですか」
三人は顔を見合って笑っていた。きっといつものイタズラだと考えていると、宙ぶらりんのけばけばしい妖精が声をあげた。
「変なマズイ草を食べさせられたのよ。美味しいって言ってたのに」
「ほんとですか」
サニーミルクが首を振って否定した。冷静を装っているがこの状況を楽しんでいるのが全身から伝わってきた。
「自分から食べたじゃん。まあ、言ってなかったことはあるけど」
「そうそう。まさか鷲掴みしてあんなにたくさん食べるなんて予想外だったの」
スターサファイアも苦笑しながら追従したが悪意があったのは明白だった。
「で、何を食べさせたんですか」
「ぜんまい」と、ルナチャイルドが答えた。
「まさか生の?あく抜きせずに?」
文がそう聞くと、三人は一斉に頷いた。さすがに文もあきれて被害者に同情した。
「それはあなた達が悪いでしょう。謝りなさい」
三人そろってしかめ面をしていた。謝るなんて普段はしていないのだろう。だからといって、ここでうやむやにしておくと取材に差支えるのであえて高圧的に伝えた。
「謝らないなら新聞は売りませんよ」
そういうと渋々と謝罪した。どうせ懲りずにいたずらを再開するだろうが、その場がおさまればそれでよしとした。ようやく被害者を降ろし、相手の顔をじっくりと見ることができた。怒りもだいぶ落ち着いているように見えた。
「ごめんなさいって言ってきましたし。許してあげましょう」
戸惑いながらも妖精は頷いた。これからが本番だと意気込んだ文は腰を下ろし、ことさらに笑顔を作った。
「偉いです。では、お話聞きたいんですけどいいですか」
「話って?」
「新聞にあなたのことを書きたいんです。すごい妖精だって聞きましたよ」
一瞬で妖精の顔が笑顔になった。ひまわりのような生気に満ち溢れた笑顔だった。
「ほんとに。あたいスゴイの?」
「ええ。その凄さを広めるためにもお話をお願いします」
「するする!」
「では、あなたのお名前は」
「クラウンピース!あんたは?」
「射命丸文です」
突然クラウンピースは手を差し出してきた。握手だと気づくのに少し時間がかかった。
「最近ここに現れたらしいですが、それまではどうしてたんですか?」
「地獄にいた」
メモを取ろうとする文の手が止まった。あまりにも堂々とした言い方だったので考えるのに時間がかかった。
「地獄ってあの地獄ですか?死んだ人に罰を与える」
「そうそう。その地獄」
一瞬目を閉じて考えたがよくわからなかった。さらに話を進めるしかなかった。
「どうしてここに来ようと思ったんですか?」
「ご主人様とピクニックしてたらここの話を聞いたの」
「ご主人様?クラウンピースさんは誰かに仕えてるんですか?」
「うん」
「ちなみに、その方の名前は?」
クラウンピースは首をかしげた。
「忘れた」
「忘れた?主人の名前を忘れちゃいけないですよ」
「普段はご主人様としか言ってないからね。けど、顔は覚えているからいいの」
なんとも記事にしにくい妖精だ。いっそのこと生のぜんまいを食べさせられた間抜けな妖精として書こうか。
「じゃあ、ご主人様はどんな方ですか?」
「地獄の女神でー、時々髪の色が変わるの」
「……ほんとですか。見た目が変わる神様なんて聞いたことないんですけど」
「ほんとだよ。周りにボールが浮かんでて、頭に乗っけると髪の色が変わるの」
すっかり途方に暮れた文は手で顔を覆った。頭の中でクエスチョンマークがタップダンスを踊っていた。一般的に妖精は記憶力が悪いが、この子の場合は内容がぶっ飛んでいるのと相まって支離滅裂だった。詳しく聞こうにもこの様子では理解できる自信がなかった。
「……えーと、ここでやりたいこととかありますか?」
「松明を片手にいたずらしまくるの。ここを恐怖のどん底にするのが目標よ」
「松明とは?」
「ジュンカさせる便利アイテムよ。すごく強くなるの」
とうとう文はクラウンピースから視線を外し、横でジッとしていた三妖精に聞いた。
「この子っていつもこんな感じなんですか?」
「まあねぇ。詳しく聞いても難しいことばで説明することが多くって」
三人そろって苦笑していた。
「だーかーら、全部ほんとなんだって。信じてよ」
ここで文は方針を決定した。すぐに記事にはせず、何度か通って情報をゆっくり集めよう。なんなら何日か密着してもいい。いたずらの松明もいずれわかるだろう。
「じゃあ、クラウンピースさん。新聞に使う写真をとりましょう」
「ホント!?じゃあ、あとで写真を頂戴」
「何かに使うんですか?」
「ご主人様に見せるの。友達できたって言うの」
そういうとクラウンピースは三妖精の中心に入り込んで、ふんぞり返ってポーズをきめた。
この写真も地獄の女神とやらに見られるわけだ。変な記事を作ったら地獄行きが確定になるかもしれないと、カメラを構えながら文は想像した。
しかし、地獄の女神とは何者なんだろう。
4.古明地さとりと写真
「……はい。では、一週間後に原稿を受け取りに来ます。よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
地霊殿のオフィスで文と古明地さとりがテーブルをはさんで座っていた。
「それにしても物語は書いたことはありますが、コラムは初めてですね。面白い話をありがとうございます」
「はい。軽い感じでいいので地底の話をお願いします」
二人そろってカップの紅茶に口をつけた。時計の秒針の音だけが太陽のない地底の時間を伝えていた。
「ところで、話が変わるんですけど……」
そういいながら文は横のカバンの中をまさぐり始めた。
その様子を見ながらさとりが微笑む。
「元気なようでよかったです」
文は呆然としてさとりの顔を見た。
「先回りして読まないで下さいよ」
「そういう能力なので」
すぐに平静を取り出して文は写真を取り出した。
「人間の里の中で偶然撮れました」
そこには古明地こいしが用水路を覗き込んでいる姿があった。
「ただ、私も見た覚えがなくて。どうやらカメラには彼女の能力がきかないみたいですね」
微笑みながらさとりは写真を見つめていた。文が気づかなかった大切な部分を目に焼き付けようとするように。
「服装もきれいですし、安心ですね。……ああ、帰ってくると服がボロボロになってることが多いんです」 小さなため息をついて言葉を続けた。「そもそも私の前にもなかなか姿を見せないんです。帰っては来てるみたいですが……時々机の上に花が置いてあるんです。ほら、あれは一昨日に置いてあったものです」
さとりが指さした先には花瓶に添えられたコスモスがあった。
文は小さく首をかしげた。今はコスモスの咲く時期ではなかった。となると、花に関する能力のある彼女の協力があったと想像した。怖いと評判の彼女にも上手く立ち回れているようだ。
「そんなに危ない方なのですか。そのひと」
「いえ、かなり強い妖怪ですが、むやみにあばれる人ではないです。たぶん礼儀をしっかり守っているんでしょう」
さとりは見上げた。天井の先、大地の屋根の先にある地上に想いを巡らせていた。
「服が荒れた理由を聞いてもいつも覚えてないの一点張りで。いっそのこと地上の探検はやめなさいと言っているんです。ここなら安全ですから」
確かにそうだろう。地霊殿は地底の中心にあり、周囲には封印されるぐらい強力な妖怪がいる。実際文もここに来るときはかなり気を使った
「けど妹には自由が重要みたいで。聞いてくれないんです。けど、最近思うんですよ。妹はすでに自由と安全を獲得しているんではないかって」
さとりはテーブルの端を見つめた。そこには誰も手を付けていない三つ目のカップがあった。
「能力のおかげで、誰にも気づかれずに行動できますから。実際服が汚れていても怪我をしたことは無いんです。けれど、あの子が能力を手に入れたのは第三の眼を閉じたからです。そして、ご存知のように妹は曖昧になってしまいました」
文はさとりの言葉を静かに聞いていた。胸中では様々な思いが駆け巡っていたがさとりは特に返事をしなかった。
「私はここに縛られることで安全を得ましたが……その分自由は無いですね。だから妹は外に出るのかもしれないです。なかなか難しいものですね」
さとりは視線を下ろした。読心の能力が無い文でもしゃべりすぎたと後悔している彼女の心が読めた気がした。
「けど、この家とさとりさんがあるからこそ、こいしちゃんは外に出かけるのではないですかね。地上のお面の付喪神とは仲が良いようですけど、会うたびにお姉さんの話をしているって言ってましたよ。それだけこいしちゃんにとって大事な存在だと思います。地上の花を机に置くのも、さとりさんに笑顔になってほしいと思っているのではないですか」
さとりは目を大きく開けて文の顔を見た。
「そう……ですね。帰ってきた時は土産話をたくさんしてくれます。おかげで書き物のアイデアには事欠かないですね」
「でしょう。こいしちゃんは家が嫌だとか、さとりさんを軽んじているわけではないと思います」
さとりは自然と笑顔になった。それは主としての威厳を少しも含んでおらず、ただ家族からの愛情を享受する少女の笑顔だった。
「その写真差し上げます。どこかに飾ってください」
さとりは数秒、黙っていた。その間も笑顔は消えなかった。
「ありがとうございます。ええ、コラムはその分しっかりと書きましょう。期待してください」
「よろしくお願いします」文は頭を下げた。
「ここまではっきりと見返りを要求する人なんて初めてですよ」
「そりゃあ、あなたですから。隠しても仕方がないでしょう」
読心の者を相手にするときはそれにふさわしい対応があるというものだ。
5.霧雨魔理沙と写真
魔法の森で霧雨魔理沙を見つけた文はすばやく隣に降り立った。
「なんか用か」
「写真を整理していたら、面白いものを見つけまして。見てもらおうと」
文が差し出した写真の束を、魔理沙は土に汚れた手で受け取った。
「霊夢か」写真には博麗霊夢が写っていた。
「はい」
魔理沙は一枚ずつ手に取って眺めた。その最中、小さく首をかしげた。
「なんていうか……プライベートっぽい写真だな。どうやって撮ったんだ?」
写真に写った霊夢は魔理沙の知っている霊夢とは差異があった。掃除をしている霊夢、料理をする霊夢、私服を着た霊夢。どの霊夢も柔らかな表情でカメラから目をそらしていた。魔理沙が知っているような人気者の明るい霊夢とは一線を画していた。
「霊夢さんから撮るよう依頼されたんです。ちゃんと報酬付きで」
「あいつから?」
「ええ。そういう雰囲気のを撮ってほしいって言われて密着したんです。特に、最後のなんて驚きました」
束から最後の写真を取り出して、確認した魔理沙は口笛を吹いた。
写真に写った霊夢は何も纏っていなかった。裸のまま背を向けて畳に座りこんでいた。体を傾けているため胸の膨らみも微かに確認できた。
「あいつってこんな性格だっけ?お前もよく撮ったな」
「私も驚きましたけどね。早く撮れって急かしてきました」
魔理沙はその写真をじっと見つめていた。魔理沙の知らない女の顔だった。被写体の表情からは何も読み取れなかった。
「なんでアイツは依頼したんだ?何か理由は言ってたか?」
文は首を振った。
「はぐらかすだけで教えてくれませんでした。けど、今ならわかる気がします」
「何だと思う?」
文は唾をのみ込んだ。声を出すまでの一瞬の沈黙は木々のざわめきが誤魔化してくれた。
「霊夢さんも……女だったのではないでしょうか。私よりも、魔理沙さんよりも」
ジロリと、魔理沙は文を睨み付けた。
「あてつけか?」
「まさか、ただの推測です」
文は慌てて手を振った。
魔理沙は一枚、一枚、ゆっくりと写真を見つめていた。その眼差しは困惑に満ちていた。きっと写真を撮るときの自分もこんな顔をしていたのだろう。
その写真に写ったものは彼女の夢と不安だった。誰よりも高く飛べる彼女が望んだのは女性なら誰もが歩く道だった。風にあおられながら降り立つことのできなかった彼女の精一杯のあがきがそれだったのではないか。今になって文はそう思う。
「あいつにもこんな一面があったんだな……」
魔理沙の声は絞り出したように小さく、かすれていた。
失望したのかなと文は思った。彼女は、彼女の意志で誰も通らない場所を歩いているのだ。霊夢にはある種の憧れがあったかもしれない。
「で、どうして見せようと思ったんだ。今さらだろう」
「今さらだからです。なんの問題もないでしょう」文は微笑んでいた。
「やっぱりお前性格悪いだろう」
「あなた程では」
フンと、魔理沙は鼻を鳴らした。
「この写真貰っていいか?」
二人は博麗神社に降り立った。薄暗い魔法の森とは違いやわらかな光と風で満たされていた。
「何のつもりですか?」
「黙ってな」
足音を立てないように魔理沙はゆっくりと神社の賽銭箱に向かった。
写真の束から例の裸の写真を取り出すと賽銭箱に押し込んだ。
「新しい巫女はまだ子供ですよ。目に毒でしょう」と言いつつも、文は賽銭箱から写真を取ろうとはしなかった。
「性教育ってやつだよ」
振り返って文の方を向いた彼女の眼差しは完全に悪童のそれだった。
文は肩をすくめた。
「いい性格してますね」
「お前ほどじゃないよ」
箒にまたがってあっという間に空に消えていった。
6.エピローグ
新聞記者が共同で使用する資料庫の机で文は作業をしていた。窓から入り込んでくる暖かい光が部屋全体を明るくしてくれた。
古いドアが閉まるときの甲高い音を耳にした文が振り向くと、姫海棠はたてが近づいているのが見えた。
「何してるの?」
「写真の整理。溜まってきちゃってね」
机には日付が書かれたファイルが山となって積み上げられていた。
「文も携帯使えばいいのに。デジタルの写真ならスペースをとらないわよ」
「うーん。いいわ」写真を一枚ずつ見ながら文が返事をする。
「何でよ?現像とかフィルムが大変だってぼやいてたじゃん」
文は手を動かすのをやめてはたてに視線を向けた。温かい太陽の光を浴びてまどろんだ穏やかな表情だった。
「大変だからいいのよ。時間をかけて暗室で現像した写真がどのくらいよく撮れてて、どのくらい人を楽しませるか。それを考えるのがね。卵から産まれた子供が巣立っていくみたいで楽しいでしょ」
「楽しいのはわかるけど、そんなのデジタルでも同じだと思うな。現像なんてデジタルの印刷と同じだし」
「デジタルだと無制限に写真が撮れるでしょう。フィルムは限られた分、一枚一枚が大切になるの。それこそ子供みたいに」
文は欠伸交じりに答えた。目を細めて眠そうだ。
はたては対照的にハキハキと反論する。
「デジタルもアナログも読み手からすれば同じ写真よ。むしろさ、」はたては文のファイルを指でつついた。「アナログだとスペースとか整理で時間も場所もとるでしょ。デジタルの方がずっと効率的よ。その分文章に力を注げるでしょ」
文は細い目ではたてを見つめた。心なしか笑っているように見えた。
「そんなの私より高い順位をとってから言いなさい」
はたてはくちばしのように唇を尖らせた。
「見てなさい。とってやるから」
5が好き。
文がこいしちゃんって呼ぶのは原作どおりでしたね
実際文はどんな写真撮るのだろうね。見たいよね
>私腹を着た霊夢 (それはいけませんよ霊夢さん)
文の視点で切り取るというのは良いですね。