Coolier - 新生・東方創想話

Be Stupid Dolls War ? 第六話

2005/11/13 10:12:01
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 こつ、こつ、こつ、と。

 人影の無い暗い廊下を、誰かが静かに歩いている。
編上靴が床を叩く音が木霊し、携えられた洋灯の中で燃える光が、靴音に合わせてゆらゆらと揺蕩う。
その者の表情は闇に隠れて窺い知る事は出来ないが、清楚で優雅な足運びで歩を進めながらも
時折その律動が乱れて早まっているのは、何かに焦燥している事の証だろうか。

 そして暫し暗中に靴音を響かせた後、その影は歩みを止め。

 こつ、こつ、こつ、と。

 古びた木扉を叩く様な音が聞こえた。



「お母さん……入るわよ」


 扉が軋む音に掻き消されそうな小さな声とともに、
声の主がその部屋の中に歩を進める。
 かちゃり、と、揺れる焔を湛えた洋灯が壁に掛けられ、
不言色の光が薄ぼんやりと、闇然たる皮膜を剥がして行く。


「……具合はどう? そろそろ薬も切れる頃だと思うんだけど……」

「だ、大丈夫……さっきよりは随分、楽に……けほっ……」


 声と共に、淡い光が広がった。
 その豪奢な作りの洋灯の光に照らされて現れたのは
薄絹の帳に囲われた、これまた豪奢な寝具。
 影中から歩み出でし、金色の絹糸の様に繊細な髪を揺らす少女と、
褥中に力無く横たわる、布帛越し故に勿忘草に濁った柳の髪の少女。
 そして何やらを手に携えた金髪の少女が、足音を立てぬ様静かに歩を進めると、
床に伏していた少女がふらふらと身を起こし、回り切っていない呂律を押して、掠れ声を発した。


「ゴホ! ゴホホ! 本当に……ごめんね、アリスちゃん……。
わざわざ魔界までお見舞いに来てくれて……忙しかったでしょう?」

「もう……水臭い事言わないでよ、お母さん。
お母さんのばんじゃいしちゃう位にたくましいアホ毛がブチ抜けたなんて
いざ鎌倉な一大事を放っておける訳が無いでしょ? はい、新しい氷枕」


 魔界、アホ毛、たくましい、ばんじゃいしちゃう。
これらの関連性も統一感も無い四つの言葉が同時に出てくるとなれば、
もはや答えは一つしかない。
 そう、彼女達は幻想郷一の薬物中毒者であるアリス・マーガトロイドと
その母親兼魔界の神兼カリスマ枯渇委員会委員長の神綺である。
母親の前である為か、いつもクールなアリスの表情も幾分和らぎ、
常日頃のつんけんし態度とのギャップにより非常に芳醇な魅力を醸し出しているが、
神綺のアホ毛が無いという緊急事態に際してツンデレがどうとか言っている暇は無いのであった。

 ……そもそもの発端は数日前に遡る。

 いつもの様に怪しげな人形を駆使して霊夢に夜這いを仕掛けようとしたアリスの元に、
一匹の小さな悪魔がやって来た。もしや変態妖怪の襲来かと自分の性癖を棚に上げて身構えるアリスに
その悪魔が告げたのは、何と神綺のアホ毛が抜けて意識不明の重体だと言うショッキングなニュース。
勿論、母親のその様な無残な現状を聞き及んでは黙っていられる訳も無い。
そして急遽夜這いを切り上げて人形達に留守を任せ、はるばる魔界まで看病に来たという訳だ。


「フババ! ガッホ! あ、ありがとうアリスちゃゾブジャブワッシュ!」

「ソクラテスジェネレーション!」


 だが、斯様な親子の心温まる風情はしかし、神綺の神秘的なくしゃみによってぶっ飛ばされた氷枕が
愛娘の顔面に直撃した際にアリスから発せられた、何処と無く哲学的な叫びで夢の彼方へ消し飛んだ。


「ああ! ご、ごめんねアリスちゃん! お母さん風邪引いてるから! ごめんね!」

「はぶぶ……い、いいのよお母さん。今のお母さんはヒゲをぶった切られたネコ、
もしくは自分の事を俺という白黒魔法使い、または酔っ払っていないアル中幼女、
更に言えば胸パッドをしていないメイド長、挙句の果てには幼女化しない吸血鬼と同じで
自分の持ち味をイカせていない状態なんだから無理しちゃ駄目よ」

「そうね……でも、アリスちゃんがお見舞いに来てくれて本当に助かったわ。
夢子ちゃんは他の仕事もあるから、私にかかり切りになって貰う訳に行かなくて……」


 本当にごめんね、と、先程から恐縮仕切りの神綺。
ちなみにその「他の仕事」というのは別に魔界の管理業務などではなく、
何の因果か知らないがいきなりたくましい足が生えて逃げ出してしまった神綺のアホ毛を
追いかけてとっ捕まえるという不毛極まりない任務であるのだが、この際それはどうでもいい。

 その時、ふと何かに思い及んだのか、神綺の顔に浮かんでいた
悪戯を咎められた幼子の如くに沈んだ表情が、子を想う母親のそれに変わり
掠れた声のまま、心配そうな口調で言葉を紡ぎ出した。


「……だけど、アリスちゃんも体には気を付けてね。
私はいつも夢子ちゃんが付いていてくれるからいいけど、
貴方は女の子の一人暮らしなんだから。
何か困った事があったら、すぐ帰ってきていいのよ?」

「心配ないわよ、お母さん。私はほら、この通り
心身ともに悩みなんかこれっぽっちも無いもの」

「そう? それならいいんだけど……。
もしかしてアリスちゃん、好きな子にちっとも振向いてもらえなくて
毎晩薬の力を借りていい夢を見る事で自分を慰めたりしてるんじゃないかって
いつも気になって気になって……」

「……」


 やはり親という存在は恐ろしいものだ。
見てもいないのにアリスの日常を九割九分九厘把握しているではないか。
誰もあの薬の事は知らない筈なのに、と、アリスの背中に嫌な汗が流れる。
ちなみにアリスが永琳の薬を使っているという事はとっくに当の永琳にバラされ、
しかもそれを何処ぞの変な靴を履いてるパパラッチにスッパ抜かれてしまっているのだが
世の中には知らない方が良いという事も確実に存在するのでこれ以上はツッコまない。


「……まあ、男でも連れ込んでるなら別だけどね」

「ふぇ!? な、何言い出すのよ、お母さんったら!
そ、そんな霊夢を雁字搦めにして梁に縛り付けて薬漬けにして軟禁して
朝も昼も夜もなく喰らえッッッッ! 食前食後にその肉を喰らえッッ! だなんて
やる訳が無いけどやりたいに決まってるけど考えただけでも涎が止まらないけど
と、とにかくそんな留守を守ってくれる人なんて居ないってば!」


 そして、くすりと悪戯っぽい笑みを浮かべ、お茶目なカマ掛けを敢行する神綺と
まるで予想だにしない角度からの不意打ちに、わたわたと慌てるアリス。
母と子と言うより、気のおけない友人と表現した方がしっくり来る情景である。
まあ、母子にしても友人にしても、女の子を軟禁するだの薬漬けにするだのの
セクシュアルパーヴァーションな単語が至極是当然とばかりに飛び出してくる辺り、
彼女達がオリハルコンより柔軟でシャボン玉より硬い絆で結ばれている事の証明といっても差し障りは無いだろう。


「ふふ……あ、それと……お家の戸締まりはちゃんとして来たの?」

「大丈夫よ、私の傑作達が留守番してくれてるから」


 神綺の問いに対して余裕の笑みを浮かべ、無いでもない胸を張って誇らしげに答えるアリス。
母子が楽しそうに円居する枕元と、扉の側に掛けられた洋灯の周り以外は
暗闇に閉ざされている広い部屋に染み渡ったその言の葉は、何処となく虚しい響きを孕んでいた。
それはまるで、白浜に聳え立つ真砂の城がさらさらと崩れていく音の様な、
そんな寂寥の風情にも似て──────────────────。


・ ・ ・


 アリスと神綺がアットホームな一時を満喫していた、その一方で。
アリスが誇る「傑作達」の内の一体、グランギニョル座の怪人は
のっぴきならない事態のド真ん中に放り込まれていた。


「あらよ~っと」

「ギニョギニョ(お、おのれ……な、何と言う力だッッ……!!)」


 必殺の心算で放った拳が、脚が、そして魔弾が、その悉くが回避される。
そして花畑を軽やかに舞う蝶の様に優雅な動きから繰り出される
傘が、墓石が、そして標識が、その悉くがグランギニョル座の怪人を
じわじわと弄る様に、しかし確実に追い詰めていく。
その舞踊の如くに美しく流れる様になめらかな紫の一挙手一投足に対し、
慌しく飛び回るグランギニョル座の怪人には余裕など一欠片も無かった。


「ギニョギニョ(くッ……! 何故だ……! 何故当たらない……!?)」

「うふふ……やぁん、このお人形さんこわーい」

「ギニョギニョ(なッ……き、貴様と言う奴はッ……嘗めるなぁ──ッッ!!)」


 咆哮とともに放った渾身の拳が、紫の頬を掠める。
そこへ好機とばかりに突っかけるグランギニョル座の怪人だが、
間髪入れずに繰り出した二撃目はあっさりと回避された上に、
交錯の瞬間に垣間見えた、確かに捉えた筈の紫の頬に
掠り傷すら付いていない事に気付き、驚愕に目を見開いた。


「あら……惜しかったわねぇ、もうちょっと右よ~」

「ギニョギニョ(……ッ)」


 左手に翳した扇子をひらひらと踊らせながら、幼子をあやす様に微笑む紫。
そして、その禍々しい笑顔に戦慄を隠し切れないグランギニョル座の怪人。

 ……これはおかしい。
どう考えてもおかしい。
掠めた程度では到底致命傷になり得ないのは分かりきっているが、
それでも僅か一滴の血すら零れる気配も無いのは明らかに異常だ。
最初から効いていないのか、それとも何かしらのトリックを使っているのか。

 しかし、どちらでも結末は変わらないだろう。
そもそもあらゆる攻撃が無効だと言うのなら負けるに決まっているし、
何らかの手段を用いて攻撃を無効化しているとしても、
それはその『手段』を用いられる前に一撃で仕留めるしかない。
どちらにしろ、この状態からではまったく打つ手が無いのだ。

 もはや万事休すなのか、ここで詰んでしまったのか、と
グランギニョル座の怪人の心に屈辱と諦念が渦巻き始めたその時である。



「さて、と……そろそろ頃合かしら」


ぱちんと扇子を閉じた紫が、木々の隙間から覗く月を見上げ、小さく呟いた。
そのままくるりと踵を返し、未だ殺意満面のグランギニョル座の怪人から離れようとする。
そして、それを命を賭けた勝負に挑んでいる自分への冒涜と受け取った
グランギニョル座の怪人が、心に染み付きかけた諦めを吹き飛ばす様に
精一杯の大音声を上げ、紫目掛けて叫喚した。


「ギニョギニョ(何処へ行くッッ!! 私はまだ生きているだろうがッッ!!)」

「残念ねぇ、演目表によると人形劇はもうおしまいなのよ」

「ギニョギニョ(なっ……に、人形劇だと……!? それは一体どういう事だァッッ!)」

「ふふ、どうして私があの二体を見逃してわざわざ貴方と遊んであげたのか分かる?」

「ギニョギニョ(何だと……?)」


 ……確かに、よくよく考えてみればその通りである。
他の奴等が一体何を仕出かしてこういう事態になったのかは知らないが、
もしも本当に自分たちを邪魔する気なら、この妖怪のやっている事は理屈に合わない。
さっさと自分を倒すなり煙に撒くなりしてあの二体を追えばよかったものを
まるで人形劇を鑑賞するかの様な感覚で遊んでいたのだ。

 それは何故か、と問うまでもなかった。
この場合、答えは自ずと一つに決まる。


「ギニョギニョ(罠……か!? 何たる卑劣な! 貴様、それでも漢(おとめ)かァッ!!)」


 ……そう、目の前の妖怪があの二体を追わなかった理由。
それは最初から追う必要が無かったからに他ならない。
つまりこの妖怪はあの二体が失敗する事を確信しているのだ。
更に、その確信に至る理由を考えていけば、自然と「罠」という言葉に突き当たる。
 そして、何しろ自分がこれだけ翻弄される様な曲者の考えた罠だ、
あの漫才コンビ如きにそれを避ける術などあるまい、と勝手に決め付けて
勝手に怒り始めたグランギニョル座の怪人を、優しい声音で窘める紫。


「もう、一々そんな大声出さないの。心配しなくても、罠なんか仕掛けてないわよ」

「ギニョギニョ(何だと!? おい! 貴様ァ!
虚言を弄して相手を煙に撒くのもいい加減にしろ!
そもそもそれ以外に一体何があると言うのだ!!)」

「うふふ……そんなに教えて欲しい?」

「ギニョギニョ(! き、貴様……ッ! ふざけるのもいい加減に……はぶッ!?)」


 瞬間。
 グランギニョル座の怪人と、彼女を包む天地が、ぐるり巡りて逆しまに。
 激烈なる怒号が天を衝くのと同時に、グランギニョル座の怪人は硬い大地に無様にめり込んでいた。

 天地返し、である。


「ギニョギニョ(ぬ……お、お……!)」

「ふう……さて、まだ起きててくれれば
手間が省けていいんだけど……どうかしらねぇ」


 そして、ただの人形如きが紫の力に抗える筈も無く。
顔面を強かに打ち付け、呻き声を上げるグランギニョル座の怪人と
道端に転がる襤褸などに興味は無い、と言わんばかりに
ぶつぶつと何やらを呟きながら、飄々たる足取りはそのままに
一瞥をくれる事も無く、グランギニョル座の怪人から離れていく紫。


「じゃあね、お人形さん。さっきのパンチ、ちょっぴり痛かったわよ」

「ギニョギニョ(! ぐ……お……おの……れ……ば、化……物が……)」


 去り際に、取って付けた様に掛けられた言葉が、グランギニョル座の怪人の心に突き刺さる。
愛する主人を傷付けると言う天地開闢以来稀に見る大罪を犯した仇敵を前にして、
ただの一矢も報いる事が出来ず、ただ無様に倒れ伏したまま、恨み言を発するしか出来ない現実。


 ……何も、出来なかった。


 せめて己の力を僅かでもぶつけられたのなら、まだ良かった。

 だが、拳も、脚も、魔弾も、怒りも、叫びも、そして命すらも。

 何から何まで、流された。

 どれだけ悲惨な敗北でも、この痛みの前では露と消えるだろう。


「ギニョギニョ(うああ、まてこのやろ……まちやがれ~~~~~~っ!!
畜生……畜生ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ────────!!)」


 ぶつける相手の居ない想いを込めた絶叫が、虚しく響く。
そうして一頻り慟哭した後、狂った様に地面を殴りつけながら、彼女は泣いた。
透明な雫が、抉れた地面に染みて、そして消えていく。
 だが、そうしたところで、彼女の悲しみが癒える訳でもなかった。


・ ・ ・


 そして、朋友達が無残にもその儚い命の華を散らしていたその頃。
いわくつきドールズ自称隊長なのに加え自称最淫であり、
更には自称上海人形の運命の配偶者であるスーパーヒーロー蓬莱人形と
超現実的な程に巻き込まれ型ヒロインの上海人形が、当面の目的である博麗神社への侵入に成功していた。


「ホラーイ(……さて、可及的速やかにミッションをコンプリって帰還せねば。
万が一、私達が完全に自律していないと思っているマスターが今の私達を見たら、
衝撃と感動の余り尻からロケットエンジンを噴射してぶっ倒れてしまいかねないからな)」

「シャンハーイ(思うも何も……いや、そもそも私達は自律していないだろう?
これだって基本的には以前にマスターの『霊夢とエロい事させろ』という命令があり、
それが未だ成就されていない為にこうやって半ば自律した様に考えられるのであって、
例えば今マスターが『いいから帰って来い』と命令すればそちらに従う他は無い筈だ)」


 飛ぶと余計な魔力の動きが発生して侵入がバレそうなので、
ずりずりと匍匐前進に興じながら蚊の鳴くような声で言葉を交わす二体。
何もそこまでしなくても普通に立って歩けば良さそうなものだが、
いつもはツッコむ筈の上海人形が「確かに匍匐前進の方が安全かもしれない」と考えた所為で
こういう結果に相成ってしまった。
 ちなみに匍匐前進を提案した蓬莱人形の真の思惑は、
「一歩間違えれば上海人形の乳首が床に擦れて大変な事態になるかも知れない」という
破廉恥過ぎて涙が止まらない様なものなのだがこの際それは関係ない。


「ホラーイ(フ、中々私好みのいやらしい考えだ。頭の片隅にでも残しておこう。
しかし、まあ、所詮……いや、所詮という言い方は悪いな。語弊があり過ぎる。
ともかく、何だかんだ言ってもマスターの見ているのは『アリス=マーガトロイドの世界』であり、
あくまでも『魔法使い』という存在が認識出来る範囲の概念によって構築された世界だ。
つまりマスターからすれば、私達はこれでも『自律していない』という事になる訳だ)」

「シャンハーイ(しかし、私達は現に命令がなければ……)」

「ホラーイ(アンタは自律の意味をどう取る? 確かにこれはマスターの命令に基づく行動だが
何もマスターは『自分が留守の間に霊夢にクスリぶっ掛けろ』などと指示した訳ではない。
他の状況だって同じだ、例えばマスターが何らかの実験をしている際、私達に対して
『フラスコを持ってきて』という命令を下したとしよう。しかし、私達が自律していないと言うのならば
そのフラスコが何処にあるのか、どういう方法で運搬すればいいのか、またどの位の時間を掛けてもいいのか等、
微に入り細に穿って指示通達せねばならなくなる。アンタ、そういう経験があるのか)」

「シャンハーイ(それは……)」

「ホラーイ(……だが、まあ、これもあくまで『人形から見た世界』の内からの認識でしかない。
更に細かい事を言えば、それは『蓬莱人形から見た世界』、つまり私の個人的な認識だ。
よって私達は自律しているとも言えるし、同時に自律していないとも言える事になる。
観察者如何によって容易く移ろう実態の無い概念……まあ、そもそも概念には実体など無いか。
どちらでもいいがな。いつか世界が終わるとすれば『自律』という概念自体無くなるかも知れんのだ)」


 一頻り話した後、ところで世界が終わるとしたら
あの蓬莱人達はどうなるのだろうな、と蓬莱人形が続ける。
しかし上海人形はその言葉に答えず、暫しの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。


「シャンハーイ(では……貴方は私達が既に自律している……と?)」

「ホラーイ(さてね、そこまで私が知った事か。夜伽の際のアンタの可憐さと淫靡さは
それを見たことが無い者には八方手を尽くしても説明出来ないのと同じだよ。
それよりこんな答えの出ない議論なんかどうでもいいから
明日手近な河原に行って落ちてる春画本でも集めないか?)」

「シャンハーイ(夜伽ってそんなの貴方に見せた覚えは無いって言うか結局こういう話に落ち着くのかよ!)」

「ホラーイ(叱ッ……フ、こんな暗い所で私の様な必要以上に可愛い女と二人きりだから
興奮するのも無理はないが……愛情表現はもう少しメロディアスに頼むよ、ハニー(はぁと)」

「シャンハーイ(う……)」

「ホラーイ(それにさっき言ってた自律云々も、全てマスターが手動で操っていると考えれば
一発で何もかも解決するんだがな。ハッハハ! ああ、口からでまかせ言うのって楽しいなぁ!
そもそも概念ってそれこそどういう概念なんだかさっぱり分からないよ! 誰か説明してくれないかなぁ! ハハハ!)」


 蓬莱人形の何の脈絡も根も葉も身も蓋も情緒もへったくれも無い睦言に、思わずツッコむ上海人形。
どうせこいつの事だからまた途中でいきなり訳の分からないたわ言を挟むんだろ、と予想していたのだが
そのタイミングをずらすと言う高等テクニックに引っ掛かり、結局いつもの様に手玉に取られてしまった。
挙句の果てには叱責まで受けるという始末である。

 ……だが、そんな目に合わされながら、不思議と怒りも呆れも湧いてこない。
そんな事を蓬莱人形に言えば「愛の証だ」等と
与太話をおっ始める事は分かりきっているので口には出さないが、
何だかんだ言って自分は今の境遇を楽しんでいるのだろうか、と
ちょっぴり複雑な気持ちになる上海人形。


「ホラーイ(まあ、ここまで来ればそうそう邪魔は入らないし、追っ手も来ない。
例え誰かが追って来るにしてももはやあの巫女は私達のまさに眼前!
簡単な事だ、目の前の巫女を犯……いや、薬をかければいい!)」


 そして、上海人形が色々と考えている内に目的の部屋の前に着いていた。
未だに複雑な表情の上海人形にそう言いつつ、静かに障子戸を開ける蓬莱人形。
その隙間から僅かに差し込む月明りを頼りに、部屋のほぼ中央に敷かれた
布団にそっと忍び寄り。


「ホラーイ(敵将ォ! 討ち取った……り……ッッ!?)」

「シャンハーイ(ちょ、そ、そんな大声出したら……って、こ、これはッ!?)」


 アホみたいな大声で勝ち鬨を上げかけた、まさにその瞬間。
勢いよく剥がした布団の中に、紅白の巫女の姿は無く。
その代わりにひらひらと舞い上がる、それは……恐らく、呪いの御札。

 ……罠か。

 蓬莱人形の全身を、不吉な悪寒が走り抜ける。


「ホラーイ(ちっ! こちらの作戦に気付かれたか! 上海人形、気を付けろ!
何処からあの巫女の腋毛魔神銃(マシンガン)が私達を狙っているか分からないぞ!)」


 緊急事態発生である。
一筋縄ではいかない相手である事は重々承知していたが、
まさかここまで周到な歓迎をされるとは思っていなかった。
何事にも対して拘らない性格である故、さして酷い仕打をされる事も無いだろうと
タカを括っていた自分を戒めつつ、愛しの上海人形を庇う様に身構える蓬莱人形。

しかし、いくら待てどもこの部屋の主が現れる事は無かった。


「シャンハーイ(……な……何も起こらない様だが……)」

「ホラーイ(油断するなよ……先程、鬼と遭遇した際もこんな感じだっただろう?
あの巫女の事だ、畳の下にでも潜んで虎視眈々とこちらを…………む?)」


 壁に掛けられた時計の針音だけが静かに響く。
沈黙に耐え切れなくなったのだろうか、上海人形が
小さな声で呟いたその時、蓬莱人形のセンサーが妙な事実を捉えた。
呪符や御札の類ならば多少なりとも付加されている筈の魔力が、
先程の紙切れからは微塵も感じられないのだ。
 用心深くそれに近寄り、人形の体には大きなそれを持ち上げると
暫ししげしげと眺めた後、小さく安堵の溜息を付いた。


「ホラーイ(何だ……御札と思ったら、ただの紙切れではないか……。)」

「シャンハーイ(え……? か、紙切れ……?)」

「ホラーイ(ああ……何やら文字が書いてあるが、まあ、呪詛の類では……ッ)」


 一度は安心に緩んだ筈の蓬莱人形の声が、再び神妙な響きに変わっていく。
そしてその紙に記されている文面を読み終える頃には、最初よりもむしろ
緊張に引き攣った表情が張り付いていた。


「ホラーイ(フ……これならまだ、御札の方がマシだというものだな)」

「シャンハーイ(ま、マシ? それは一体どういう……って、
まさかそれ自動的に消滅する系のブービートラップなんじゃ……)」

「ホラーイ(いや……)」


 尻すぼみに小さくなる蓬莱人形の声、そして束の間の沈黙。

 次の瞬間。

 蓬莱人形の口から紡がれた言の葉に、上海人形は己が耳を疑った。


「ホラーイ(……『至急 紅魔館へ れみりゃ』とエスペラント語で書いてある)」


 ……風雲拳、いや、風雲急を告げるとはまさにこの事。
思わずブーメランを天高く突き上げてうおおおおおおおおおおおおーっ! と
叫びたくなる様な衝撃の事実が、目出度くマスターアップぶちかました。
 とは言え、よくよく考えてみれば当たり前の事ではある。
自分達が博麗霊夢を狙っているからと言って、
他の者がそれをしない道理など何処にも存在しないのだ。
むしろ恋敵が一人脱落しているに等しいこの状況で
ただ手をこまねいて見ている事の方が道理に合っていない。
と言うかそもそも相手の同意を得る事をうっちゃらかして夜這いをかけたり
怪しい薬をぶっかけようとしたり誘拐したりする事の方が道理に合っていないのだが
生憎ここにはそんな細かい事を気にする冷静さを保った者は居なかった。


「シャンハーイ(エスペラント語!? 読めるの!? いや、じゃなくて、こ、紅魔館だって!?
と言う事はつまり何だ、まさか、あの吸血鬼が博麗霊夢を攫ったとでもいうのか!?)」

「ホラーイ(……この手紙が偽物でなければ、そういう事になるだろうな。
まあ、あの紅い悪魔の名を騙る様な命知らずが居るとも思えないが)」

「シャンハーイ(だ、だったら何で態々こんな証拠を残して……!)」

「ホラーイ(……分からん。分からんが……)」


 そこで一旦言葉を切った蓬莱人形が、紙切れを抱き締める様にしてぐしゃりと潰す。
刹那の間を置いて、蓬莱人形の両手から紫紺に輝く魔光が染み出した。
とろり、と、ゼリーの様に柔らかな光の奔流が蔓の様に紙切れに絡み付き、
やがてぼんやりと揺らめく焔へとその在り方を変えた光の蔓が、
その中に囚われたものを優しく灰燼へ反す。


「ホラーイ(……してやられた、という事だ)」


 忌々しげな呟きは、灰と共にさらさらと吹き消され、隙間から吹き込む夜風に流れていく。
カチカチと時を刻む壁掛時計の針音は、まるで立ち尽くす二体を嘲笑っているかの様だった。



そろそろ話の冒頭に「この作品は東方の世界観を借りたオリジナルです」とでも
書かねばならない様な気がして参りました(馬鹿)

下っぱ
http://www7a.biglobe.ne.jp/~snmh/
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コメント



0.1420簡易評価
1.80奏空猫削除
いつも楽しませていただいております(笑
ああっ!カワイイなぁ上海はっ!!(壊
4.90銀の夢削除
素晴らしいです。
作中にさりげなく織り込まれた、『壊れ』に関する氏の思いを垣間見た気がします。いやはやだからこそ氏は素晴らしい、そう思います。

グランギニョル散る!
一矢も報いられない思い…格ゲーマー的には、なんとなくわかります。
人の形をするものには魂が宿る。ならば、それが成長して、リターンマッチのあらんことを。

そしてどんでん返しの急展開! これはどうなる!? 続きは紅魔館か……
5.80与作削除
時々、貴方が本気で、全力でシリアスSSを書いたらどうなるんだろう、とか思いますが、どうにもならないんだろうなあ、という気もします。
過剰なくらいに熱い戦闘も、時々見せる深く穿った考察も、全て最後でちゃぶ台返しにしてギャグに繋げる、それが貴方の技なのでしょう。そういえば、最後でぶち壊すためだけに世界観を構築した、とか評された作者がいたなぁ。
なんにせよ、長編でも息切れしない展開、GJでした。
10.90Izumi削除
>ソクラテスジェネレーション
ふ、吹いた! 思わず吹いたよ!!(クララが立った、のテンションで)
21.100不破刃削除
相変わらずのテンション・・・すごい漢だ

(至急紅魔館へれみりゃ
↑とエスペラント語で書いてある)

↑なにィ!?それは真実(まこと)だろうな!?
アリス「私の愛する巫女博麗霊夢の体、即刻わしに差し出せい!」
25.80名前が無い程度の能力削除
ぐらんぎにょ~~~~~る!!
29.90名前が無い程度の能力削除
ちんき様のたくましいなwにばんじゃいしちゃうSSが読めるのは下っぱ様の作品だけっ!
にしても、ブーメラン+空手のあの人、判る人はどれ位いるのでしょうか?
44.100名前が無い程度の能力削除
私は何年でも続編を待っているぞーーーッ!!