これはまだ私が幼かったころの話。
これはまだ私の嘘が幼かったころの話。
今よりずっと空が高くて、だけど今よりずっと月が近くにあったころの話。
むかしむかしに結ばれた、指切りみたいに小さな約束の話。
笑ってしまうほど薄っぺらな、兎と薬師の化かしあいの話。
これはまだ私が幼かったころの話。
これはまだ私の嘘が幼かったころの話。
今からずっと昔に、私はひらがなばかりの嘘をついた。
『嘘吐きふたり』
空にはたかく、かけた月。
丸くゆがんだ、かけた月。
きれいだな、とそう思う。
―――とおくからの声がきこえる。
月になかまがいることはずっとむかしからしっていた。
声がきこえていたんだから、あたりまえだ。
ながい耳はそのためにあることだって、ずっとむかしからしっていた。
だから、永琳に言われなくてもしっていた。
『兎は淋しいと死んでしまうと言うわ』
そのことだって、ずっとむかしからしっていた。
―――とおくからの声がきこえる。
わたしは永琳の話を思い出す。
『だから、兎のあなたは月の晩に私の所へおいでなさい。
そうすれば私はあなたに何か話をしてあげましょう』
永琳はそう言って、めずらしくわたしをなでた。
こどもあつかいして、わたしをなでた。
かけ出した。
きょうも、話をききにいこうと思った。
―――とおくからの声がきこえる。
わたしは淋しくて死んでしまったりはしない。
月のよるにはなかまたちの声がきこえるから、さびしくない。
だから、わたしは兎だけど、さみしくて死んでしまったりはしない。
だけど永琳はちがう。
永琳には耳がないから、この声はきこえない。
だから、わたしはかけ出した。
永琳はひとりでさみしいだろうから、わたしが話をききにいこうと思った。
いつものところに永琳がいた。
いつもの『まっくらなおやしきのえんがわ』にすわって、まっていた。
わたしは、そのよこにこしかける。
「ようこそ、永遠亭へ」
「わたしはいつも、ここにいるよ」
それはもう何回もしたあいさつだ。
わたしは永琳を見て、永琳はわたしを見る。
にらめっこみたいな時間がおわると、永琳は話をはじめた。
いつもとおなじ月の姫さまの話だったけど、だまってきく。
ここでなにか言うと永琳はだまってききなさいとわたしをはたく。
それにわたしは『とらわれの身』であるらしいから、ここはがまんしておこう。
「むかしむかし、月にそれは美しい姫君が生まれました―――」
いつもとおなじで、ながい話。
ひどいわるさをして月をおいだされた姫さまは、地上でくらすことになって―――
それからいろいろあって。
ながいながい時間がすぎて。
だけど、やがてむかえが来て姫さまは月にかえることになる。
―――でもひめさまは月にはかえりたくなくて。
そんな、とてもながくてたいくつなお話。
「姫さまは逃げようとしました。姫さまを哀れに思った従者を一人だけ連れて、
もう誰の手も届かない場所へ逃げようとしました」
ただそれだけの、とてもとてもながい話。
もうなんどもきいたたいくつな話をわたしはだまってきいていた。
『月の姫さまと従者』の―――輝夜と永琳の話を、きいていた。
さいしょは、どうしてわたしにこんな話をするんだろうと思った。
つぎは、もう知ってるって言ってはたかれた。
まえとおなじ話だった。
つぎのつぎは、つまらないかおをしていてはたかれた。
やっぱりおなじ話だった。
つぎのつぎのつぎは、はたかれるのがいやで話をききにいかなかった。
―――その日はずっと竹やぶにかくれていて、だけどあとからこっそり見にいった。
永琳はいつものところで、ひとりで、月を見ていた。
なんだかすごくさみしそうなかおをしていた。
そのあとけっきょく見つかって、いつものところにすわらせられた。
けっきょく見つかったそのあと、いつものように話を聞かされた。
その日もやっぱり同じ話だった。
だけどその日、話のあとで永琳はわたしにきいてきた。
「―――てゐ、姫はそれからどうなったと思う?」
わからない、と答えた。
「―――てゐ、姫は幸せだったと思う?」
わからない、と答えた。
永琳は、そうね、とうなづいてそれきりだまってしまった。
きっと『わからない』のはまちがっていたからだと思う。
だけど、はたかれたりはしなかった。
わたしがまちがえたのにはたかれなかったのは、それがはじめてだった。
はたかれずにすむのはうれしいはずなのに、うれしくなかった。
―――だからきょうは、こたえをもってきた。
たまには永琳をよろこばせようと、嘘のことばをもってきた。
「むかしむかし、月にそれは美しい姫君が生まれました―――」
そうして、いつもの話がはじまった。
いつもどおり、ひどいわるさをして月をおいだされた姫さまは、地上でくらすことになる。
いつもどおり、それからいろいろあって。
いつもどおり、ながいながい時間がすぎて。
いつもどおり、やがてむかえが来て姫さまは月にかえることになる。でも。
いつもどおり、ひめさまは月にはかえりたくなくなって。
そうして、いつもの話がつづいていく。
「姫さまは逃げようとしました。姫さまを哀れに思った従者を一人だけ連れて、
もう誰の手も届かない場所へ逃げようとしました」
いつものところで話がおわると、永琳はわたしのかおを見た。
やっぱりさみしそうなかおをしていた。
そのかおのまま、永琳がすうっといきをすいこんだ。
きのうとおなじことをきいてくる、と思った。
だからわたしは嘘をつこうとした。
「―――姫君と従者は逃げました。月からの迎えを皆殺しにして逃げました」
びっくりした。
この日は、つづきがあった。
「蓬莱の罪を負い、許され、しかしてまた罪を負い、逃げました。
罪人ゆえの永遠を糧に、あてもなくただ逃げました―――」
いつもとちがう、まるでいいきかせるみたいな話しかただった。
それでも、わたしは永琳が同じことをきいてくるのをじっとまつ。
よういしてきたことばを、なんども口の中でころがした。
おとなしくまった。
永琳がきいてくるのをじっと、じっと。
『ひめさまはどこまでもにげて、しあわせになった』
そう言おうとして、嘘をつこうとして、わたしはじっとまっていた。
「姫さまと従者は、今も逃げ続けているのでしょう。
今宵も月を見上げ、叢雲が永劫に月を隠す様を望むのでしょう―――」
―――いつもよりながい話がおわって、すこしだけほっとする。
よくはわからなかったけどこれはたぶんかなしい話。
だから、おわってすこしほっとした。
でも話は終わっても、永琳はきいてこなかった。
やっぱりさびしそうなかおでわたしをずっと見ていた。
そのうちにわたしはとてもまちきれなくなって、じぶんからきいた。
「―――どうしてきょうは、なにもきいてこないの?」
「あなたはきっと、嘘をつくでしょうから」
それこそ、嘘だった。
永琳はわたしに嘘をついてほしくて、ずっと話をしていたんだから。
だから、わたしはおもいっきり嘘をつく。
「『ひめさまはどこまでもにげて、しあわせになった』と思うよ」
「嘘ね」
「うん、嘘だよ」
いたずらじゃなく、おもいっきりの嘘をつく。
「嘘だけど、ひめさまはどこまでもにげてしあわせになった」
「―――本当に?」
「うん。嘘だけど、本当に」
―――わたしがそう言うと、またにらめっこになった。
けどこんどはわたしのかちだ。
永琳が、わらった。
「どうしようもないくらいに嘘吐きね、あなた」
そう言って、永琳はわらっていた。
わたしの耳とあたまとをなでて、ずっとわらっていた。
らんぼうななでかただったけど、すごくきもちがよかった。
だから、わたしもうれしくてわらった。
「―――てゐ、あなたを捕まえておいて良かったと思うわ」
「わたしはいつも―――ずっとむかしからここにいるよ」
「そうやって、ずっと嘘ばかり言っているのね」
「うん、むかしからそうだよ」
―――さいごに、やさしく耳をなでられた。
「これからも月の晩には私のところへおいでなさい。
また話をしてあげるし、ちゃんとあなたの嘘にも付き合うから」
「うん。また、来るよ」
永琳の手からにげて、にわにとびおりた。
そのままかけ出す。
とちゅうで一回だけふりむいて、おやすみと合図した。
そうして、きょうもおなじ話がおわる。
あしたになれば、また。
―――とおくからの声がきこえる。
わたしは永琳の話を思い出す。
『これからも月の晩には私の所へおいでなさい。
また話をしてあげるし、ちゃんとあなたの嘘にも付き合うから』
永琳はそう言ってわたしをなでた。
本当にこどもあつかいして、わたしをなでた。
わたしの耳をやさしくなでた。
―――とおくからの声がきこえる。
かけ出した。
あしたも、話をききにいこうと思った。
永琳はひとりで淋しいだろうから、わたしが話をききにいこうと思った。
つぎも、そのつぎも、そのまたつぎも、ばればれの嘘を用意していこうと思った。
淋しくなんてないわたしの耳に、とおくからの声がきこえる。
だけどわたしはきこえないふりをして、きっとあしたも話をききにいく。
―――とおくからの声がきこえる。
空にはたかく、かけた月。
丸くゆがんだ、かけた月。
きれいだな、とそう思う。
これはまだ私が幼かったころの話。
これはまだ私の嘘が幼かったころの話。
今よりずっと空が高くて、だけど今よりずっと月が近くにあったころの話。
むかしむかしに結ばれた、指切りみたいに小さな約束の話。
笑ってしまうほど薄っぺらな、兎と薬師の化かしあいの話。
お月様の下で、私と永琳はとても退屈な約束をした。
お月様の下で、私と永琳は嘘をついて笑ってた。
全部嘘だったけど、笑ってた。
『嘘吐きふたり・了』
こんな風に書かれても、どこか様になっているてゐが
不思議な感じです。
あとがき見て少しびっくり。
しっかり伝わりましたよ~^^
なぜなら彼女もまた一流の嘘つきだから、嘘つきがこぼしてしまった本当も、やさしい嘘で包まずにはいられないから・・・・・・。
永琳とてゐは仲良しであって欲しいと思います。
それが全部嘘でも、それも彼女達が望む事なのだから。
つきなみだけど、ベートーベンの月光をこの物語と共に楽しみたい。
こんなにも綺麗なてゐと師匠を生み出されるとは……
いいです……すごく……
でもね、幸せな嘘だったら、きっと、ついてもいいんだと思う……
本当に一流の嘘つきとはおおよそ――その嘘で、みんなを幸せにしてこそ……なんだ、てゐはとうの昔に、一流の嘘つきでしたか。
あまりにも脆く、
あまりにも優しい、
誰も傷つけない白い嘘。
とつとつと語られる独り言のようなお話が、とても切なく身に染みました。
永琳にとって優曇華は不肖で無二たる弟子で、優曇華にとっててゐは憎らしくも代え難い仲間で、てゐにとって優曇華はからかい甲斐のある貴重な隣人で、鈴仙にとって永琳は信頼できる絶対の師で。
てゐにとって永琳にとって、お互いは起き抜けの布団のような、ぽかぽかした親友なんでしょう。
素敵な物語でした。
永琳がとても穏やかで、てゐはやっぱりてゐで……
本当に、本当に綺麗なお話でした。
飛び切りの嘘つきになるためには、飛び切りの頭の良さと優しさがいるんだな、なんて思った。