その日、彼女たちは、呼び出しを受けていた。
「ねぇ、鈴仙さま」
「ん?」
きしむ板張りの廊下。ここは、永遠亭。名前通り、永遠に変わらぬとも思える、ふと気がつけば止まった時間の中に区切られて存在していそうな、そんなところ。ここの住人達は、彼女たちのような、強い力を持ったうさぎ達と――、
「失礼します」
静かな音を立てて開く障子の向こうにいる、永遠の人々。
「あら、早かったのね。ウドンゲ、それに、てゐ」
「……あの、師匠?」
「何?」
蓬莱の薬という不老不死を形成し、無限にその姿を固定し続ける薬を服用したために時を刻むことを忘れた人間の一人は、にっこりと、彼女たちを見て微笑んだ。
「それじゃ、私、これで。兎たちにえさあげないと」
「待ったぁっ!」
速攻でくるりと踵を返して逃げ出そうとした、ワンピース姿の少女――てゐを、がっしりと、後ろからウドンゲと呼ばれた少女、鈴仙・優曇華院・イナバが捕まえる。首元を掴まれたため、『ぐえっ』とてゐが不気味な声を上げて、前につんのめった。
「何よ。あなた達」
「ちょっと、鈴仙さま!? 離してよ! 私まで巻き込まないでっていうか、そもそも月の人の野望を叶えるのはあなただけなのよっ!?」
「何のどんな野望だってのよ!? 私とあなたは一蓮托生、死なばもろともよ!」
「いやーっ! イメクラはいやーっ!」
何やらばたばた暴れる二人。
その二人を見やって、部屋の主――八意永琳は首をかしげた。ちなみに、そんな彼女は、普段の服装ではなく白衣姿だった。裾は足下まである白衣を、前を開き、肩からかけるような、そんな形で着こなしている。なぜかミニスカートで、脚線美を強調するかのように、すっと立ち上がると、
「あなた達、何を勘違いしているのか知らないけど。
私があなた達を呼んだのは、仕事を手伝って欲しいからよ?」
「……し……ごと……?」
「だって、鈴仙さま。それじゃ、私はこれから、竹林の見回りに……!」
「逃がさないと言ったぞー!」
「ぎゃー、ブルータス、お前もかー!」
何かよくわからないネタを展開する二人を、「いい加減にしなさい」とたしなめて、両者の耳をむぎゅっと掴む。
『あひゃはぅっ!?』
ちょっぴり艶の混じった悲鳴を上げて、二人はびくっと背筋を震わせた。
「あら、ウサギの性感帯って耳なのかしら?」
「ち、ちょっと、ししょっ……あんっ……耳はぁ……」
「はぁう……んっ……」
「――と、遊ぶのはここまでにして」
ぱっと耳から手を離した瞬間、二人はへなへなとその場に腰砕けになっていった。そんな、ある意味、情けない二人を見下ろしながら、
「で、いいこと? 二人とも。
私の特技は、何?」
「……毒薬製造」
「危険実験」
「ねーえ、二人とも? アポロ13のレベルは何がいいかしら♪」
たのしそーにスペルカード構える永琳。こめかみの辺りに青筋が数本、浮かんでいる。
ぶるぶると、二人は首を左右に振って、同時に『あはははは』とから笑い。もちろん、声は引きつり、顔も笑顔と言うよりは絞め殺される一歩手前の表情だ。
「……その、医術……です」
「そうね、医術ね」
「……でも、だからって、毒薬製造は何が関係あるの? 鈴仙さま」
「何でも、医学の陰には、その……口に出しては言えない、色々やばいものがあるらしいの。ほら、人体の構造を知れば、自然と、急所とかもわかるでしょ?」
なるほど、とうなずくてゐ。
一応、それは永琳には聞こえていなかったらしい。
「そこでね、私、幻想郷の皆様のお役に立とうと思って、診療所を開設しようと思ったの。訪問診療だけじゃ、ねぇ? いいでしょ」
「それは……まぁ」
別段、否定する要素もなかったため、うなずく鈴仙。
何が嬉しいのか、笑顔でうんうんうなずきながら、永琳は部屋の中にとって返して、しばらくして、何やら手に持って戻ってくる。
「あなた達は看護婦として、私の手伝いをしてね。ああ、今は看護士の方が正しいかしら」
「これは?」
「衣装よ」
と、いうわけで。
「………………」
「あの……師匠……? これは……?」
「似合うわよ?」
二人に渡されたのは、看護婦さんの衣装だった。ナースキャップは、うさ耳が邪魔してかぶれないため削除されているが、白衣の天使がそこに顕現している。
――それはいいのだが、問題はその衣装。
「何か小さいんですけど……」
鈴仙のものは、彼女の体格に合っていなかった。簡単に言うと、ぼんっ、きゅっ、ぼんっ。スカート丈も限界ぎりぎりで、動かなくても見える。患者を挑発したいのだろうか。しかし、永琳は、別段気にした様子もなく、
「この星では、それくらいが一般的なのでしょう?」
「どんな資料を参考にしたんですか」
これ、と出されるのは、一冊の本。
「この前、香霖堂のご店主から頂いてきたの」
「……ねぇ、鈴仙さま。これの中身って……」
その本はと言うと、A4サイズでやたら重厚な装丁のなされたものだった。ついでに表紙には、『白衣の天使 乱れた痴態』と書かれている。
「……見なかったことにしましょう」
「うん……」
そして、てゐの視線はと言うと、鈴仙に向き、永琳に向き、自分に向き。とどめに一つ、特大のため息を一つ。
「それじゃ、今日から、早速お客さんが来るわよ」
「え?」
「一週間くらい前から、兎たちに頼んで、幻想郷中に宣伝をしてもらっていたの」
この人は、どこまで用意がいいんだ。
鈴仙の頭の中に、そんな言葉が浮かんだ。さすがは月の頭脳と言われた天才。やることなすことそつがないというか何というか。
ともあれ、この服を脱いで仕事に当たる暇はなさそうだった。すでに、部屋の外――正確には、永遠亭の入り口付近に人の気配がするのだから。一応、うさ耳は伊達ではない。
「……仕方ないね。
てゐ、とりあえず、今日一日、耐えよう」
「……そだね」
「ほら、早くなさい。患者は待ってくれないわよ」
はーい、とやる気なさそうに声を上げた二人がその場を後にする。
――しばらくして、障子を開いて現れたのは、一人の少女だった。
「はい、どうしました?」
机に向かっていた永琳はくるりと振り返り、
「……はい。実は、先生にご相談したいことが……」
「はいはい」
ちなみに、この診療所の名前は『八意永琳 医療相談所』というらしい。その『相談』の部分にはカウンセリングなども入るのだとか。その旨が書かれたチラシを握って現れた彼女は、沈鬱なため息をつくと、
「……名前で、呼んでもらいたいんです」
紅魔館の門番こと紅美鈴だった。地味~な見た目とは裏腹の華麗な弾幕で一躍有名になった彼女であるが、その、あまりにも平凡なキャラクターぶりに、癖のありすぎるものがそろいすぎている幻想郷の中ではいまいち目立たない人物である。
「名前で」
「はい……。先日の料理勝負以降、魔理沙さんも、一時的に名前で呼んでくれていたのに、今は『中国』に逆戻りしていて……。
見たことない人にまで中国言われるんですよ!? 私は紅美鈴ですっ! そうですよね、先生!」
「ええ、そうね。
それで、えーっと……」
「……あの」
「や、やぁねぇ。め……めー……め……美鈴さん! 名前くらい覚えてるわよ」
「今、思いっきりどもってましたけど」
ジト目で美鈴が永琳を見据える。永琳は、頬に冷や汗流しつつ、あさっての方を向きながら、
「それで、えっと、名前で呼んでもらいたい、だったわね?」
「……はい。せめて、咲夜さんにだけは、いっつも名前で……」
「あら。どうして?」
「その~……やっぱり、尊敬してますし。普段は厳しいけど、時々、お茶の用意とかしてくれたり……。それに……その……」
「はいはい。ああ、暑い暑い。今日の気温は何度かしら」
苦笑しながら、胸元をつまんでぱたぱたやりつつ、
「まあ、ともあれ。
名前で呼んでもらいたいというあなたの気持ち、わかるわ。うちもね、何かそう言うのにこだわるウサギが一人いるから」
その事態を招いたのが誰なのか、絶対理解してない一言だった。
彼女は、机の上にある書物のうち、一冊を取り出して、
「そうねぇ……。名札なんてどうかしら?」
「誰も見てくれもしないと思います」
「古典的すぎるわね。
なら、そうね。うん……活躍が必要ね……。また料理勝負でも企画しましょうか。次は、霊夢さんと魔理沙さんの主人公対決とか。美鈴さんの活躍の場が増えれば、名前も知ってもらえるし」
「……いや、あの……そもそも、名前を知ってもらえてないというのが何か前提として間違っているような……」
「よろしい、わかった。先生、一肌脱いじゃうわ。
幸い、そういうのが大好きな人たちが、ここには大勢いるわけだし。よろしい?」
「……何か不安だけど、とりあえず、わかりました。
あの、相談、ありがとうございました」
「どういたしまして。今回は、初診だから。お代は結構。お大事にね」
はい、とにっこり笑いながら、ぺこりと頭を下げて、美鈴はその場を去っていく。
彼女の背中を見ながら、ふと、永琳はつぶやいた。
「……うちの看護婦に雇おうかしら」
幻想郷でトップクラスのスタイルを誇る彼女なら、さぞかし、ナースの格好が似合うだろう。ある意味、美鈴の意外な一面発見、である。
「レミリアさんに言って、美鈴さんの衣装をナース服にするところから始めましょう」
哀れ、美鈴。
「では、次の人ー」
障子の向こうに向かって声を上げる。
次に、すっと障子を開いて現れたのは、金髪にカチューシャが特徴的な魔法使い、アリス・マーガトロイドだった。どこか、人の目を伺うように、きょろきょろと辺りを見回しながら、楚々とした仕草で座布団の上に腰を下ろす。
「はい、どうなさいましたか?」
「は……はい……。その……」
彼女は、もじもじとしながら視線を逸らす。
そばに置いた上海人形をすっと胸に抱きかかえながら、
「あ、あの……!」
と、声を上げるのだが。
「……その……」
また、黙り込んでしまう。
永琳は何も言わず、彼女から自発的に言葉を発するのを促す。一応、自分が医者としての自覚はあるらしい。
それから、およそ五分。
「……あの、先生」
「はい?」
「わ、私に、大人の恋愛をご教授ください!」
ぶっ、と永琳が思いっきり吹き出す。
一体何を言い出すかこの娘は、と思いつつ、脳内にその映像をシミュレートしてみる。
「先生……私……」
と、言いつつ、頬を赤らめるアリス。もじもじと、体をよじり、前で組んだ手の指先を絡めながら、
「先生のことが……」
潤む瞳で、自分を見つめ、そっとしなだれかかってくる。
そんな彼女を、自分は抱き留めて、
「ええ、いいの。全部わかっているわ。
大丈夫、先生に任せてちょうだい。あなたに、幸せの個人授業をしてあげる」
「ああっ、先生……」
(よい子が見ていたら困るので描写検閲)
「……あの、アリスさん?」
「え?」
それをリアルに想像してしまって頭痛に顔をしかめながら、
「あのね、私は別に構わないけど……あなた、それでいいの? あなたの想い人って……」
「あの、何のことですか?」
「は?」
「その……大人の恋愛って……どういうものなのかな、って」
「……ああ」
なるほど、そういうことか。
別に、目の前の人形遣いは、自分に恋をしているわけではないらしい。つまり、子供の恋愛の先にある『大人の恋愛』というものが何であるか、それを知りたいのだろう。色々と。
「そうねぇ。
とりあえず、お人形が苦しそうだから解放してあげなさい」
「え?」
『シャ……シャンハーイ……』
「ああっ! 上海人形!」
もじもじと指を絡めたり体をよじったりしていたため、抱かれた上海人形がぐったりとなっていた。まあ、あれだけもみくちゃにされていれば命なき無体物といっても、色々と大変で辛いだろう。
「じゃあ、大人の恋愛についてだけど。
つまるところ(検閲により削除)とか(公序良俗違反)とか、あげくには(ある意味わいせつ物陳列)を知りたいと言うこと?」
「そっ、そっ、そっ、それはっ!」
『……シャンハーイ……』
がくっ、と事切れる上海人形。
「わ、私は……その……まだそう言うのは……。ま、まずはお友達で交換日記からじゃないでしょうか!?」
「あら、そうかしら? あなたがそうやって奥手でいる間に、想い人の心は離れていくかもしれないわよ?」
「うっ!」
「ふふっ。恋愛というのは、勝負よ。駆け引きよ。時には押して、時には引いて。相手の様子を見ながら、ゆっくりゆっくり上り詰めていくの。お互いの暖かさを感じて、時に激しく、時に淫らに求め合い、高めあいながら、最後は、天上の快楽に包まれてフィニッシュ。それが、大人の恋愛というものよ?」
「フィニッシュ……快楽っ……淫らに……!」
何やら、ある意味で物騒な単語だけを取り出してつぶやくアリス。ぽて、とグロッキー状態の上海人形が床の上に落ちて、ぴくぴくと痙攣している。
どんどん、アリスの顔が赤く染まっていく。ちょうどやかんを火にかけた時のように、ぴー……、と湯気が上がっていき、ぼんっ、と弾ける。
「はぅっ」
ぶしゅっ、という妙な音と共に鼻血だらだら流しながら、ポケットからハンカチ取り出すアリス。
「子供の恋愛でいるうちは、だぁめ。そっと、さりげなく、手を加えるの。指先で、柔らかに。なぞるように」
「あ……ああ……そんな……」
「うふふふ……」
なぜか、部屋の雰囲気が桃色に染まっていく。そんな中、永琳は、ささやくようにアリスの耳元に口を近づけると、
「先生特製の、甘ぁ~いお薬を出しておくわ。それをどう使うも、あなた次第。帰りにウドンゲに言って、もらってイキなさい」
「……はい……先生……」
うっとりとろ~んとした目になって、壊れた人形のようにかくかく首を縦に振るアリス。そのまま夢遊病者のように、ふらふらと立ち上がり、床の上に落ちた上海人形を抱えなおすと、
「私……頑張ります」
「ええ、頑張りなさい。幸運を祈っているわ。
二人寝のベッドは、暖かいわよ」
こくん、と最後にうなずいて。
彼女は障子を開けて、外へと消えていった。何やらばたばたと慌ただしい足音が二つ。耳を澄ませば、『すごいの聞いちゃったね、鈴仙さま』だの『てゐが聞き耳立てるからよ!』という声も混じっている。
「あらあら……子供ねぇ」
くすくすと、やたら妖艶な笑みを浮かべる永琳。さすがは月の頭脳で蓬莱人。伊達に長生きしてないと言うところだろうか。ある意味、これも大人の貫禄である。かくも、大人というのはすごいものなのである。特に、ここ、幻想郷においては。なお、他意はないのであしからず。
「それでは、お次の方ー」
かりかりと、カルテ(のようなもの)を書きながら、声を上げる。
しかし、外からは無反応。気配はあるのにも拘わらず、だ。
不思議に思って振り返ると、
「うをっ!?」
いきなり、目の前に人影があった。一体、いつの間に入り込んできたのかはわからないが。
「こんにちは」
「は、はい……こんにちは」
人なつっこい、悪意のない笑みで笑う少女。頭に生やしたねこみみをぴこぴこ揺らしながら、
「えへへ~」
と、笑ってみせる。
――なるほど、確かに、ねこって気づかないうちに家の中にいたりとかするわね……。
無意味に納得してから、こほん、と一つ咳払い。
「さて。本日は、どうしましたか?」
「あのねあのね」
まん丸で大きな瞳をくりくりと動かしながら、
「橙ね、大人になりたいな」
「……はい?」
「だからね、大人になりたいの」
ねこみみ少女――橙は、きらきらと目を輝かせながら、そんなことを言っていた。
「大人に……って……」
そう言われても、永琳にも出来ることと出来ないことがある。
とりあえず、現時点においては、という前置きがつくのだが。
「どうして、大人になりたいの?」
先のアリスの件もある。とりあえず、相手の意思確認、と言った意味合いも込めて、彼女は訊ねてみる。
「あのね……藍さまみたいになりたいの」
「藍……」
そう言われて、即座に頭に思い浮かぶのは、割烹着姿で、日がな一日、苦労という言葉を知らずに過ごす方が難しいという日々を送っている狐のことである。そう言えば以前、胃薬をもらいに来たわね、などと思いながら、
「どうして?」
「うん……。橙ね、まだまだ子供だから。
だから、藍さまみたいにおっきくなって強くなって、藍さまのお手伝いをしてあげたいの」
なるほど。
思わず、うなずいてしまう。
「藍さまに『お手伝いする』って言っても『橙にはまだ早いよ』って。でも……毎日、何だかすごく忙しそうだから」
しゅんとなって、へにゃりとねこみみも垂れ下がる。
ちなみに、そのくだんの人物に苦労をさせているのは、約一名のとある妖怪の仕業だったりするのだが、それについては触れないでおいた方がいいだろう。両者のプライドのためにも。
「だから、橙、頑張るの!」
ちっちゃな握り拳を作って、うん、とうなずく。
「ふぅん、なるほど」
「それでね。先生なら、何か、そう言うの、知らないかな、って」
「大人になる方法……ねぇ。
まぁ、ある意味では、とってもお手軽な方法があるけど」
「にゃっ? それ何? それ何っ!?」
「まあ、それを実行したら、あなたのご主人に殺されそうだから。それは横にのけておくわね」
「ええ~?」
ひょいと肩をすくめて、永琳。彼女は立ち上がると、部屋の片隅にある、薬剤などが大量に置かれた棚へと歩いていく。
「そうねぇ……。まだ実験段階だけど、こういうお薬もあるわ」
「それ、何? 苦い?」
「一応、庭の草木では成功しているんだけど」
それを持って、永琳が戻ってくる。掌サイズの小さな瓶の中には、見るも毒々しいピンク色の液体がちゃぷちゃぷと揺れていた。橙も、思わず眉をしかめるほどだ。
「これはね、生き物の成長を助ける薬なの。成長促進剤、というところね。
実際、これを庭の花にまいてみたら、次の日には花を咲かせていたわ」
「すごいねぇ」
「そうね。でも、妖怪とか、そう言うものに効くかどうかは……」
じーっと、永琳は橙を見る。彼女は、こくん、と小首をかしげるだけだ。
にやりと、永琳は笑った。それこそ、この場に鈴仙がいたら『師匠、それだけはやめてください! 人倫に反した鬼畜外道に堕ちるつもりですか!?』としがみついて止めてきただろう。だが、橙は反応を見せない。永琳を、純粋に信頼しているのだろう。
「使ってみる?」
「え? いいの?」
「いいわよ。お代は取らないから」
「……よーし」
彼女はそれを受け取り、瓶のふたをきゅぽっと音を立てて抜くと、ごくりと喉を鳴らした。
じっと、ピンク色の液体を見つめながら、ふんふんと匂いをかぐ。一応、永琳はそれを無味無臭で作ってあるため、橙の鼻にもそれが引っかかることはない。意を決したのか、彼女はそれをくわえて、
「ちぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!」
絶叫と同時に障子が蹴破られ、疾風のごとく駆け込んできた誰かが橙の首筋にチョップした。しゅぽーん、と彼女の口から薬の瓶が飛んで、底面が永琳の顔面に直撃する。さらに、その薬は畳の上に落ちてい草の中へと吸い込まれていった。
「げほっ、げほっ、げほっ!」
「橙、何してるんだ! そんな毒を飲んで、死にたいのか!?」
「……毒って」
顔を押さえながら、永琳がすっ飛んできた人物――八雲藍を見る。彼女の顔は、恐怖に引きつっていた。
「藍さま……ひどい……」
「何を言うんだ、橙。お前は、まだまだこれから先、未来があるんだ。その未来を、一時の気の迷いで潰すつもりなのか?」
「ひっどーい! 橙、本当に藍さまが心配で……」
「ああ……わかっている。わかっているよ。
……あー、そりゃもう痛いくらいによくわかるさちくしょう」
ぼそっとつぶやく。
なるほど、やっぱりなかなか苦労しているようである。
「……でも……」
「でもな、橙。お前は、何にも気に病む必要はないんだ。
私の方から、お前に、本当に力を貸して欲しい時は頼むし、そうでないとしても、お前が手伝ってくれると言ってくれたことはすごく嬉しいよ。
でも、橙。お前は、さっきも言ったけれど、まだまだこれからだ。別段、今、焦って大人になる必要もないだろう?」
と言うか、一体どの辺りから聞き耳立てていたのだろうか、この過保護な親バカは。
じろりと永琳が彼女をにらむ。しかし、藍は永琳の方を見ることもなく、
「これからゆっくり大人になって、そして、私の手伝いをしてくれるようになってくれればいい。焦る必要はないよ」
「……うん。ごめんなさい」
「いや、いいんだ。ありがとう、橙。嬉しいよ。
ああ、それでは、永琳どの。私たちはこれで」
「先生、ばいばーい」
何やら勝手に自己完結したらしい。藍はぺこりと永琳に向かって頭を下げ、橙は小さな体を精一杯大きく使って、ぶんぶんと手を振りながら。
「……障子直していきなさいよ」
蹴破られた障子の向こうに姿を消した。
はぁ、と永琳はため息をついて、
「……けれど、あの狐も、人を誰だと思っているのかしら」
私は、月の頭脳とまで呼ばれた天才よ、と。
――ちなみに、先の藍の言葉は至極真っ当なセリフだったのだが、それを意訳するとこのようになる。
『何を言うんだ、橙。橙は小さくてかわいいから橙なんだ。大きくなんてならなくていいんだぞ。っていうか、その色々ぺたんこなところとか幼いところとかがかわいいんじゃないかハァハァ。それに、橙を大人にするのは私の役目だ、誰にも譲るかバカ野郎。くすくすくすくす』。
以上。
「……まあ、彼女を人体実験に使用しようとした私も悪かったけど、あのバカの所に、あんな純粋な子を置いておくのは限りなく不安ね」
かりかりと、橙のカルテを書く。その備考のところに『八雲藍、常に違う意味で発情期。いずれ鎮静剤の必要あり』と書くのを忘れない。
とりあえず、あとでウドンゲでも呼んで障子直してもらわないと、と思いながら、「それでは次の人ー」と声を上げる。もっとも、障子がないため、外に待機している人間の姿は丸見えなのだが。
「……あ、どうも。大変ですね」
「あら、わかる?」
「あの、これ、診療代代わりです」
そう言って、そっと箱入りのお菓子を差し出してくるのは、魂魄妖夢。何だか、今までやってきた人間の中で、いっちゃん悩み深き人物のような気もして、お菓子は受け取らなかった。悪いと思ったらしい。
「それで? ご相談は何? それとも、ご病気?」
「いえ……その、相談の方なんです」
「多いわね」
まぁ、それだけ、幻想郷には『人に迷惑をかける奴』と『かけられる奴』の二つに二極化されているわけだが。
「それで、何?」
「……はい。実は、幽々子様のことなんです」
「あら」
それは苦労してるのね、と無意味に慰めの言葉をかけてしまう。
妖夢はこくりとうなずく。心なしか、彼女の隣にふわふわ浮いている彼女の半霊もしょんぼりと落ち込んだようにも見える。
「幽々子様は、素晴らしいお方だと思います。そりゃー、確かに色々と突拍子もない思いつきでこっちを引っかき回した末に悪気もなければ謝ることすらなく好き勝手やらかしてくれて、色々とあれな方ではありますけど。それでも、お優しい方なんです」
その一言でフォローしきれないだけの事を述べたような気もしたが、永琳はツッコミはやめて黙っておくことにしたらしい。
「たまに労をねぎらってもくれますし……なぜか、布団に潜り込んでくることもありますし。あの方と一緒にいるのは、私にとって……その……幸せです」
「ああ、もう。どうしてこう、幻想郷は季節関係なく春なのかしら」
暑いわねぇ、などと言いながら、ぱたぱたやる。
「それで? その、愛しの姫君の、何が気に入らないの?」
「いっ、愛しのっ!? い、いいいいえ、あの、私と幽々子様は従者と主人の関係に過ぎないわけでして、そんな無礼な下克上にも近いことは全くこれっぽっちもあでもちょっぴりそう言うのがあったらいいなぁとかは思ってませんよ本当ですよ信じてください先生!」
そこまでを息継ぎなしで言い切ると、ぜはー、ぜはー、と妖夢は肩を上下させながら、
「……それで……私が幽々子様に求めたいのは、乙女としての恥じらいなんです」
「あの大食いなところ?」
確かに、アレはちょっと引くわね、とコメント。
西行寺幽々子と言えば、幻想郷で1,2を争う大食い娘である。それは誰もがわかっている周知の事実だ。彼女に対抗できると言えば、『そーなのかー』なルーミア程度だろう。まぁ、それはさておいて。
「確かに、年頃の娘が……って、彼女がいくつなのかは知らないけど、あんなに大量に食事をするのは、見ていて、ちょっとね」
「……いえ、それはいいんです。私の作った料理を『美味しいわ』って言ってくれるのはすごく嬉しいから」
あばたもえくぼ、というやつである。
「じゃあ、何?」
「……その……幽々子様って、着物ですよね?」
「そうね。あんな美しい柄の着物は、私も欲しいわ」
「着物って……下着つけないってご存知ですか?」
「ええ。下着のラインが出たら、かっこ悪いものね」
「そこなんですよぅっ!」
どばんっ、と彼女は小さな掌で思いっきり畳を叩いた。心なしか、ちょっぴり畳返し状態になって妖夢のあごを直撃したように見えたが、多分気のせいだろう。
「あいたた……」
「で、何が問題なのかしら? 別に、作法の問題であって、外的な問題は……」
「大ありです!
いいですか? 幽々子様、飛べますよね?」
「飛べるわね」
幽霊なんだし、と内心で付け加える。
「下から見たら丸見えじゃないですかー!」
「………………………………で?」
永遠に続くかとも思われた沈黙を、何とか自分で打ち破って、永琳はこめかみ押さえながら訊ねてみた。
「せめて腰巻きだけでもと言ってるのに、幽々子様は『そんなの面倒くさいわぁ~』って、全然取り合ってくれないしぃ……。
幻想郷は女性ばかりじゃないんですよ、って言っても聞いてくれないんですよ……。私、どうしたら……」
「……ま、要するに」
にんまり、と永琳は笑うと、ぽん、と妖夢の肩を叩いた。
「愛しの姫君の裸が、どこの馬の骨ともしれない男に見られるのが嫌だ、と。あ、ついでに、自分以外の人に見られるのも気にくわない、と?」
「そっ、そそそっ、そんなこと、ああああああるわけがないじゃないですかぁっ!」
顔を真っ赤にして、全力否定しても説得力まるでなしである。
「いいじゃない。女は見られてこそ、美しくなるとも言うわよ?」
「それは意味が違います詭弁です!」
「あら、そうかしら。
まぁ、亡霊だから、生前の姿をそのまま映しているとは言っても、この世界だし。ひょっとしたら、今よりももっと成長しちゃうかもしれないわねぇ?」
「せいちょ……って……!」
「うふふふ。上も下もぼん、ぼんで? 腰の辺りだけが、こう、きゅ~、ってなってて」
「なっ、なななななぁっ!?」
叫ぶなり、錯乱した妖夢が刀を抜く。何やら『それ以上言ったら色々殺す』と目が物語っている。しかしながら、永琳も、伊達に年を食って……ではなく、人生経験を積んできているわけではない。
「幽々子さん、ちょっとよろしい?」
「は~い。何かしら~?」
「ゆっ、幽々子さまっ!?」
一体、いつからそこにいたのか。
ふわふわと漂いながら、幽々子が現れる。大方、妖夢がいなくてお腹が空いたから、彼女を捜しに出てきた、といったところだろうか。ちなみに現在の時刻、午後の12時を少し回った頃。
「ねぇ、妖夢ぅ。お腹が空いたわぁ。帰ってご飯にしましょうよぉ」
ほらやっぱり。
「あ、い、いや、あの……」
「ねぇ、幽々子さん。実はね、妖夢さんが、ちょっとしたお悩みを抱えているの。それで、あなたに、その解決をお願いしたいのだけど、よろしい?」
「あら、珍しいわねぇ。妖夢、何を悩んでいるの?」
じ~っと、興味津々、といった瞳で幽々子が妖夢を見つめる。
先ほどまでの言葉が頭に思い浮かぶのか、妖夢の顔が段々赤く染まっていって、最後には『ぶちっ』という何だか不吉な音と共に鼻血を吹いて、後ろ向きにぶっ倒れた。
「妖夢? よ~む~?」
「うわぁぁぁっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ! 私は幽々子様の護衛失格ですぅぅぅぅうわぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
泣き叫びながら謝りつつ、さらには全力――で逃亡するという器用な技をかます妖夢を『どうしたのかしら?』という目で見る幽々子。その視線が永琳へ向くと、彼女は、
「まぁ、お年頃、ということで」
誰もが、なるほど、とうなずく返事をしたのだった。
――さて。
「それでは、次の方ー」
幽々子が妖夢を追いかけて出て行ってからしばらくして。永琳は、次の患者を呼ぶ。そろそろお腹が空いたわね、などと思いながら。
少しして、もはや意味をなしてない障子の向こうから、紅白の衣装が目に鮮やかな少女が現れる。
「はい、どうなさいましたか?」
「……実は、折り入って、ご相談したいことが」
「はいはい」
医療相談所、なのに『相談』に来る客ばかりね、などと思いながら、しかしこれも医者である自分の責務だと判断し、永琳は彼女の方に身を向けた。
「……私って……人気ない?」
「は?」
きょとんとなって問い返してしまう。
紅白の巫女――霊夢は、ずぅぅぅぅん、という効果音と共に、背中に暗い縦線背負いながら、
「私って……この幻想郷の中で、有名人ですよね?」
「まぁ……有名ね」
色々と、と内心で付け加えるのを忘れない。
「それなのに……主人公なのに……。なのに何で、人気投票で上位獲得出来ないのぉぉぉぉ!」
おいおいと泣き出す彼女。
そもそも人気投票って何だ、とツッコミを入れつつ、
「え、えっと……それは?」
「あの美鈴さんですら、過去、輝かしい戦歴を築いたというのにっ! どうして、どうして私だけぇぇぇぇぇっ!
第一、裏主人公に過ぎない魔理沙のくせにアイコンの顔は占有するわ、ディスクのレーベルにすら顔を出すわ、あまつさえ、主人公である私よりも順位が上だなんてぇぇぇぇぇ!」
「……………」
どうしたらいいかしら。
内心でぼやく永琳。彼女の言ってることがさっぱりわからないのである。
「大体、何が恋符よ! あんなの、誰がどう見たってか○は○波じゃないのっ! 亀符って改名しなさいよ、亀符って! 第一、あの虹色怪光線のどこがマスターでスパークなのよぉっ!
納得いかないわっ!
亀が嫌なら格闘符にすればいいじゃない! 真○○動○って技だってあるんだしっ!」
「あのー……霊夢さん? ちょっと落ち着いて……」
「せんせぇぇぇぇっ! 私、私、どうしたらいいですかぁぁぁぁぁ!?」
「ひぃっ!?」
がしぃっ、とすがりついてきて、涙やら鼻水やら色々なもの垂れ流している霊夢のどアップというものは結構きつい。思わず身を引いた永琳の後ろで、がたん、という音を立てて机が倒れた。
「このままじゃ、私のアイデンティティがっ! 博麗神社の巫女たる私のたぁぁぁぁちぃぃぃばぁぁぁぁがぁぁぁぁぁ!」
「てい」
「あうっ」
問答無用で、ぷすっ、と霊夢の頭に何やら注射。
それを受けて、かくん、となった彼女は、そのまましずしずと後ろに下がり、
「……すいません。取り乱してしまいました」
と、落ち着いたりする。一体何を注射したのか、それは永琳のみが知ることである。手にした注射器の中には、毒々しい紫色の液体が入っていることは、この際、気にしてはいけないだろう。
「つまり、霊夢さんは、人気が欲しい、と?」
「はい」
「……何かさっきも似たような相談を受けたような」
まあ、いいか、と結論づけて、
「そうね……。何か、アピールするポイントを探したらいかがかしら?」
「アピール……」
「やっぱり、巫女、と言う特色を生かした方がいいわね。
そうなると……えーっと……」
立ち上がり、本棚をごそごそと探る。
やがて取り出されたのは、一冊の本。そのタイトルは、『神域に佇む高嶺の花』というものであり、表紙が、巫女服着た巫女さんである。
「これによると、巫女というものに必要なのは、清楚かつおしとやかな所よ」
「……どちらも私にはないですね……」
「ええ……そうね。
それに、巫女服の持つ、何とも言えないストイックさが受けている要因でもあるの。清廉潔白で汚れを知らない、美しき麗しき乙女。それが、人の心を引きつけてやまないのよ」
「……なるほど」
壊れた人形のようにうなずく彼女。妙に目がうつろであるが、それは気のせいだ。
「そこで、霊夢さん。まずは、おしとやかな女性を目指しましょう。清楚で可憐、おしとやか、ついでに奥ゆかしくて清純と来れば、これはもう、ぐっと来るわ」
「……ええ……。でも、今ひとつ、アピールが足りないと思います……。
……そう……たとえば……隠された魅力……」
「うーん……」
マリオネットのように、無表情に、無感情に、抑揚なく喋る霊夢はかなり不気味であるのだが、永琳にとっては、そんなことはどうでもいいらしい。しばらく悩んだ彼女は、ぽん、と手を叩いた。
「脱ぐ」
「……それは先の提案と矛盾しますが」
「いいえ、そういうことじゃないの。
ほら、巫女服に限らず、和服は、まず、下着のラインを外に出さないためにも、下着を身につけないでしょう?」
先の幽々子の件を思い出しながら、
「厚着の下に隠れた桃源郷、というものが人の心を掴むのよ。ぐわし、と。
そこで、霊夢さんのその衣装」
指さして、
「横ちらにプラスして、見えそうで見えないやんちゃなスカート丈。これはいい感じじゃないかしら」
「……」
「空を飛んだら見えてしまうから、その時には、ズボンなんかに切り替えておくといいかもしれないわね。ここで重要なのは、『見えそうで見えない、ぎりぎりの世界』よ。見せてしまってはダメ、それではただのはしたない女だわ。
美しさの中に潜む、魔性の女の本性。これよ!」
びしっ、と。
永琳は無意味にポーズなどをつけながら宣言してみせた。霊夢は、ぼんやりとした、意識の定まってない様子でかっくりとうなずくと、
「……わかりました。試してみます……」
「ええ。
あ、はい、これ。参考図書」
と、数冊の本を差し出したりもする。霊夢はそれを受け取って、夢遊病患者のように、ふら~りふら~りと漂いながら、その部屋を後にした。廊下の向こうから、「霊夢さん、生きてますか!?」というウドンゲの声が響いてきたが、きっと空耳だろう。
ちょっぴり荒れ果てた室内を、がたがたと、永琳は整理しながら、
「じゃあ、これが終わったら、お昼ご飯にしましょうか。
では、次の人ー」
現段階、最後となる患者を呼ぶ。
少しして、障子の向こうに姿を現したのは、長身痩躯、ついでに沈着冷静という感じを漂わせる青年だった。
「あら、霖之助さん。先日は、図書をお貸し頂き、ありがとうございました」
「いえ、あの程度でしたら」
微笑む彼。なかなかの好青年ぶりである。
彼は、すっと座布団の上に腰を下ろすと、ふぅ、と息をついた。
「本日は、どうなさいましたか?」
「……はい。実は、深刻な問題がありまして」
「深刻? お店から、何かアイテムがなくなったとか?」
「いや、まぁ、それはもうしょっちゅうなんで大して気にしてません」
いいのかそれで、という気はするのだが。
「実は……この頃、ふっと意識が途切れることがあるんです。眠っているとか、そういうわけではなくて。ふと気がつくと、自分が全く別の場所にいたり、見たこともないものを手にしていたり……」
「……それは何かに操られていると言うこと?」
「かもしれません。
……正直、僕は怖いです。一体、誰が、こんな事を……と」
ふむ、と永琳はうなずいた。ようやく、ある意味で真面目な相談が聞けそうだ。気合いを入れなくてはならない、と居住まいを正してから、
「この幻想郷には、その手の術を使う人も多そうですね」
「……はい。まぁ、僕を始め、人、というカテゴリでくくるには、少々語弊のあるものが多いのも事実ですが。
ともあれ、先生には、僕に起きている異変を解決してもらいたいんです」
「ええ、いいわ。患者の悩みには迅速かつ的確に。我が八意流医療術の心得でもあるのだし」
何やら怪しい技の名前を口にしてから、永琳は立ち上がると、本棚をあさった。
「まずは、その症状から手繰ってみましょう。古今東西の、術式に関する本が確かここに……」
「……どうして、医学に関係ないものが……」
至極真っ当なツッコミを入れてくる霖之助。もちろん、永琳は聞いちゃいない。
「ああ、あったあった。これが……霖之助さん?」
その時。
彼女は、背後から違和感を感じた。振り返ると、彼が、その場に身を折っていた。背中を丸め、正座をしたまま、体を前に倒しているのだ。
「霖之助さん!?」
駆け寄り、慌てて脈を取り、様子の確認をする。死んではいない。
だが、これは……?
「ウドンゲ! ウドンゲ、いるわね!? 今すぐ、こっちに……!」
――その時だった。
「……霖之助……さん?」
気がついたのか。
彼が、ゆらりと身を起こした。しかし、まだ油断できる状況ではない。一体、どんな術が彼にかけられているか、わかったものではないのだ。油断なく、永琳は目をこらし、その術の本質を探ろうとする。
その前で、霖之助は静かに、顔にかけていたメガネを外すと、それをポケットへと入れて、代わりになぜかサングラスを取り出す。それを目元にかけると、何だか一転して、雰囲気が『怪しい兄ちゃん』のそれに変わったが、とりあえずそれはどうでもいい。
「師匠! 一体何が……!」
「ウドンゲ、これから何が起こるかわからないわ。覚悟しなさい」
「……はい!」
場が、一気に緊張する。
二人は、どんな状況にも対応できるよう、姿勢を整える。サングラスをかけ終わった彼は、次の瞬間、信じられない行動に出た。
「っきゃぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
絹を引き裂くような、鈴仙の悲鳴。永琳は目を見開き、彼を見る。
「……霖之助……さん……!」
それは、まさに戦慄。目の前にあるものを信じられないといった眼差しで見つめ、同時に、恐怖する。まさか、と。
「僕は……霖之助……ではない……」
虚ろにつぶやく、彼。
そこに宿るのは空虚な色。何も存在せず、しかし、それが確実に存在する、色のない世界。刹那、かっ、と彼は目を見開いた(ように、永琳には思えた)。
ばばっ、とポーズを取ると、
「オッケェェェェェェ~~~~イ!! ハード・コーリンでぇぇぇぇぇ~っす!」
叫んだ。
それこそ、徹底的に。
「いやぁぁぁぁぁっ! 変態ぃぃぃぃぃぃっ!」
絶叫する鈴仙。
そう、目の前の霖之助は、今や、ふんどし一丁の、実に漢らしい姿であった。しかもこれ以上ないほどに、漢の魂をほとばしらせる叫びを放つ、まさに真の漢。
「変態ではなく、ハード・コーリンフゥ~~~~~~ッ!!」
「きゃーっ! いやーっ! こないでーっ!」
腰をかくかくしながら鈴仙に詰め寄っていく霖之助。まさに、絶対無敵の漢。どっかのねーちゃんが『霖之助……恐ろしい漢……』と言いそうなノリである。
「……なるほど。確かに病気だ」
愕然としながらつぶやく永琳。目の前に存在する、誰も治すことが出来なかったであろう、漢の病を前に。
「鈴仙さま、どうし……きゃぁぁぁぁぁっ!?」
「さあ、お嬢さんも僕と一緒にハード・コーリンフォ~~~~~~~~ッ!!」
「いやぁぁぁぁっ! てゐ、助けて、てゐぃぃぃぃぃっ!」
あまりの恐怖に腰を抜かしたのか、ぺたんとへたり込んで、目に涙浮かべながら絶叫する鈴仙。しかし、怖いもの知らずのてゐとはいえ、目の前の漢にかなう術はないのか、泣きそうになりながら、何とか鈴仙を助けにいこうと奮闘する。
しかし、
「快感フゥ~~~~~~~~~ッ!!」
「いやぁぁぁぁぁぁっ! 鈴仙さまぁぁぁぁぁ、助けてぇぇぇぇぇ!」
やっぱりダメだったのか、霖之助の前に撃沈する。
二人して泣きながら『助けてー』と叫ぶのは、何というか、かなり壮絶である。二人を撃破した漢が、永琳を向く。
「くっ……!」
「さあ、お嬢さん! 僕と……!」
彼が何かの行動に出る前に。
まさに先手必勝とばかりに、永琳は宣言した。
――天呪『アポロ13』(ルナティック)――×100
「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥっ!?」
さしもの漢も、色んな意味で全てのものの壁となり、立ちはだかったスペルカードには勝てなかったのか、これでもかと言わんばかりの弾幕の嵐の直撃をくらい、吹っ飛んでいって、その先で永遠亭の兎たちにも悲鳴を上げさせている。
「うえぇぇぇぇぇ~ん、ししょぉぉぉぉぉ~!」
「えいりんさまぁぁぁぁぁ! こわかったよぉぉぉぉぉ!」
「よしよし」
あまりの恐怖に、完全に幼児退行を起こしている二人を優しく抱き留めながら、永琳は、頬に流れる冷や汗をぬぐった。
「……恐ろしい相手だった」
そりゃもう色んな意味で。
「オ……オッケェェェェ~イ……ぐはっ」
意識を失った霖之助をの周囲を兎たちが取り囲んで、これでもかとばかりに弾幕を浴びせている。しかし、誰一人、彼に近づいていこうとはしない。未だ、漢の魂は、そこに燃えさかっているからだ。
「ウドンゲ、即刻、彼の入院の用意よ」
「えぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
「彼は病人よ!」
その一喝に、彼女はぐっと言葉を飲み込む。何やら葛藤を経た後、わかりました、とうなずき、立ち上がる。
「彼のような重病人を野放しにしておくわけにはいかないわ。それこそ、医学を志したものとしての名折れよ!」
「……はい!」
「荒縄の太さは一センチ以上、鎮静剤は常人の三倍、用意して!」
「はいっ!」
何やら壮絶な注文を出したように思えたが、それを気にしてはいけない。今、彼女たちがやるべき事は、重たい病に冒された、一人の青年を救うことなのだから。
「急いで!」
「はい! てゐ、行くよ!」
「ううっ……ぐすっ……怖いよぉ……」
どうやら、てゐの中に、あの漢の魂はトラウマとして残ったようである。泣きじゃくる彼女の手を引いて、鈴仙は走っていく。
そんな彼女たちを見送り、永琳はぽつりと、つぶやいた。
「……人を冒す病……。それを全て、この世界から駆逐するまで、私の戦いは続くのね……!」
ぐっ、と拳を握り、
「とりあえず静かにしてくださいあなた」
何やら復活しかけていた霖之助めがけて、再びアポロ13を叩き込んだのだった。
ここは、幻想郷の奥深くにある屋敷、永遠亭。
そこには、至高の腕を持った医者と、優しく看護をしてくれる、たくさんの白衣の天使がいます。
あなたも、辛い病気を患ったときは、是非どうぞ。
「お待ちしていますわ」
八意永琳より。
「ハード・コー……!」
「うるさい」
なお、時たま激しい弾幕が乱れ飛ぶことがありますが、お気になさらずに。
「……ぐはっ」
「やれやれ」
なお、これは余談が。
「……いいわね、魔性の女」
「あの、師匠。変た……じゃなくて、霖之助さんの薬を……って、えぇぇぇぇぇぇっ!?」
「あら、ウドンゲ」
「しっ、ししょっ……! それ……!」
「うふふ。似合う?」
前を開けた白衣一枚で、他には何も身につけていない永琳を見て。
鼻血を吹いて倒れた鈴仙は、その日のうちに、新たな入院患者となったのだった。無論その後、輝夜から「永琳、私にケンカ売ってるの?」と大きな胸をにらみつけられて、その魅惑の衣装を撤回したのは言うまでもない。
ただ、時たま~に、その格好で永遠亭をうろつく永琳の姿が、それから見受けられるようになったというが、噂の域を出ない話なので、あえて割愛しよう。
終劇
「ねぇ、鈴仙さま」
「ん?」
きしむ板張りの廊下。ここは、永遠亭。名前通り、永遠に変わらぬとも思える、ふと気がつけば止まった時間の中に区切られて存在していそうな、そんなところ。ここの住人達は、彼女たちのような、強い力を持ったうさぎ達と――、
「失礼します」
静かな音を立てて開く障子の向こうにいる、永遠の人々。
「あら、早かったのね。ウドンゲ、それに、てゐ」
「……あの、師匠?」
「何?」
蓬莱の薬という不老不死を形成し、無限にその姿を固定し続ける薬を服用したために時を刻むことを忘れた人間の一人は、にっこりと、彼女たちを見て微笑んだ。
「それじゃ、私、これで。兎たちにえさあげないと」
「待ったぁっ!」
速攻でくるりと踵を返して逃げ出そうとした、ワンピース姿の少女――てゐを、がっしりと、後ろからウドンゲと呼ばれた少女、鈴仙・優曇華院・イナバが捕まえる。首元を掴まれたため、『ぐえっ』とてゐが不気味な声を上げて、前につんのめった。
「何よ。あなた達」
「ちょっと、鈴仙さま!? 離してよ! 私まで巻き込まないでっていうか、そもそも月の人の野望を叶えるのはあなただけなのよっ!?」
「何のどんな野望だってのよ!? 私とあなたは一蓮托生、死なばもろともよ!」
「いやーっ! イメクラはいやーっ!」
何やらばたばた暴れる二人。
その二人を見やって、部屋の主――八意永琳は首をかしげた。ちなみに、そんな彼女は、普段の服装ではなく白衣姿だった。裾は足下まである白衣を、前を開き、肩からかけるような、そんな形で着こなしている。なぜかミニスカートで、脚線美を強調するかのように、すっと立ち上がると、
「あなた達、何を勘違いしているのか知らないけど。
私があなた達を呼んだのは、仕事を手伝って欲しいからよ?」
「……し……ごと……?」
「だって、鈴仙さま。それじゃ、私はこれから、竹林の見回りに……!」
「逃がさないと言ったぞー!」
「ぎゃー、ブルータス、お前もかー!」
何かよくわからないネタを展開する二人を、「いい加減にしなさい」とたしなめて、両者の耳をむぎゅっと掴む。
『あひゃはぅっ!?』
ちょっぴり艶の混じった悲鳴を上げて、二人はびくっと背筋を震わせた。
「あら、ウサギの性感帯って耳なのかしら?」
「ち、ちょっと、ししょっ……あんっ……耳はぁ……」
「はぁう……んっ……」
「――と、遊ぶのはここまでにして」
ぱっと耳から手を離した瞬間、二人はへなへなとその場に腰砕けになっていった。そんな、ある意味、情けない二人を見下ろしながら、
「で、いいこと? 二人とも。
私の特技は、何?」
「……毒薬製造」
「危険実験」
「ねーえ、二人とも? アポロ13のレベルは何がいいかしら♪」
たのしそーにスペルカード構える永琳。こめかみの辺りに青筋が数本、浮かんでいる。
ぶるぶると、二人は首を左右に振って、同時に『あはははは』とから笑い。もちろん、声は引きつり、顔も笑顔と言うよりは絞め殺される一歩手前の表情だ。
「……その、医術……です」
「そうね、医術ね」
「……でも、だからって、毒薬製造は何が関係あるの? 鈴仙さま」
「何でも、医学の陰には、その……口に出しては言えない、色々やばいものがあるらしいの。ほら、人体の構造を知れば、自然と、急所とかもわかるでしょ?」
なるほど、とうなずくてゐ。
一応、それは永琳には聞こえていなかったらしい。
「そこでね、私、幻想郷の皆様のお役に立とうと思って、診療所を開設しようと思ったの。訪問診療だけじゃ、ねぇ? いいでしょ」
「それは……まぁ」
別段、否定する要素もなかったため、うなずく鈴仙。
何が嬉しいのか、笑顔でうんうんうなずきながら、永琳は部屋の中にとって返して、しばらくして、何やら手に持って戻ってくる。
「あなた達は看護婦として、私の手伝いをしてね。ああ、今は看護士の方が正しいかしら」
「これは?」
「衣装よ」
と、いうわけで。
「………………」
「あの……師匠……? これは……?」
「似合うわよ?」
二人に渡されたのは、看護婦さんの衣装だった。ナースキャップは、うさ耳が邪魔してかぶれないため削除されているが、白衣の天使がそこに顕現している。
――それはいいのだが、問題はその衣装。
「何か小さいんですけど……」
鈴仙のものは、彼女の体格に合っていなかった。簡単に言うと、ぼんっ、きゅっ、ぼんっ。スカート丈も限界ぎりぎりで、動かなくても見える。患者を挑発したいのだろうか。しかし、永琳は、別段気にした様子もなく、
「この星では、それくらいが一般的なのでしょう?」
「どんな資料を参考にしたんですか」
これ、と出されるのは、一冊の本。
「この前、香霖堂のご店主から頂いてきたの」
「……ねぇ、鈴仙さま。これの中身って……」
その本はと言うと、A4サイズでやたら重厚な装丁のなされたものだった。ついでに表紙には、『白衣の天使 乱れた痴態』と書かれている。
「……見なかったことにしましょう」
「うん……」
そして、てゐの視線はと言うと、鈴仙に向き、永琳に向き、自分に向き。とどめに一つ、特大のため息を一つ。
「それじゃ、今日から、早速お客さんが来るわよ」
「え?」
「一週間くらい前から、兎たちに頼んで、幻想郷中に宣伝をしてもらっていたの」
この人は、どこまで用意がいいんだ。
鈴仙の頭の中に、そんな言葉が浮かんだ。さすがは月の頭脳と言われた天才。やることなすことそつがないというか何というか。
ともあれ、この服を脱いで仕事に当たる暇はなさそうだった。すでに、部屋の外――正確には、永遠亭の入り口付近に人の気配がするのだから。一応、うさ耳は伊達ではない。
「……仕方ないね。
てゐ、とりあえず、今日一日、耐えよう」
「……そだね」
「ほら、早くなさい。患者は待ってくれないわよ」
はーい、とやる気なさそうに声を上げた二人がその場を後にする。
――しばらくして、障子を開いて現れたのは、一人の少女だった。
「はい、どうしました?」
机に向かっていた永琳はくるりと振り返り、
「……はい。実は、先生にご相談したいことが……」
「はいはい」
ちなみに、この診療所の名前は『八意永琳 医療相談所』というらしい。その『相談』の部分にはカウンセリングなども入るのだとか。その旨が書かれたチラシを握って現れた彼女は、沈鬱なため息をつくと、
「……名前で、呼んでもらいたいんです」
紅魔館の門番こと紅美鈴だった。地味~な見た目とは裏腹の華麗な弾幕で一躍有名になった彼女であるが、その、あまりにも平凡なキャラクターぶりに、癖のありすぎるものがそろいすぎている幻想郷の中ではいまいち目立たない人物である。
「名前で」
「はい……。先日の料理勝負以降、魔理沙さんも、一時的に名前で呼んでくれていたのに、今は『中国』に逆戻りしていて……。
見たことない人にまで中国言われるんですよ!? 私は紅美鈴ですっ! そうですよね、先生!」
「ええ、そうね。
それで、えーっと……」
「……あの」
「や、やぁねぇ。め……めー……め……美鈴さん! 名前くらい覚えてるわよ」
「今、思いっきりどもってましたけど」
ジト目で美鈴が永琳を見据える。永琳は、頬に冷や汗流しつつ、あさっての方を向きながら、
「それで、えっと、名前で呼んでもらいたい、だったわね?」
「……はい。せめて、咲夜さんにだけは、いっつも名前で……」
「あら。どうして?」
「その~……やっぱり、尊敬してますし。普段は厳しいけど、時々、お茶の用意とかしてくれたり……。それに……その……」
「はいはい。ああ、暑い暑い。今日の気温は何度かしら」
苦笑しながら、胸元をつまんでぱたぱたやりつつ、
「まあ、ともあれ。
名前で呼んでもらいたいというあなたの気持ち、わかるわ。うちもね、何かそう言うのにこだわるウサギが一人いるから」
その事態を招いたのが誰なのか、絶対理解してない一言だった。
彼女は、机の上にある書物のうち、一冊を取り出して、
「そうねぇ……。名札なんてどうかしら?」
「誰も見てくれもしないと思います」
「古典的すぎるわね。
なら、そうね。うん……活躍が必要ね……。また料理勝負でも企画しましょうか。次は、霊夢さんと魔理沙さんの主人公対決とか。美鈴さんの活躍の場が増えれば、名前も知ってもらえるし」
「……いや、あの……そもそも、名前を知ってもらえてないというのが何か前提として間違っているような……」
「よろしい、わかった。先生、一肌脱いじゃうわ。
幸い、そういうのが大好きな人たちが、ここには大勢いるわけだし。よろしい?」
「……何か不安だけど、とりあえず、わかりました。
あの、相談、ありがとうございました」
「どういたしまして。今回は、初診だから。お代は結構。お大事にね」
はい、とにっこり笑いながら、ぺこりと頭を下げて、美鈴はその場を去っていく。
彼女の背中を見ながら、ふと、永琳はつぶやいた。
「……うちの看護婦に雇おうかしら」
幻想郷でトップクラスのスタイルを誇る彼女なら、さぞかし、ナースの格好が似合うだろう。ある意味、美鈴の意外な一面発見、である。
「レミリアさんに言って、美鈴さんの衣装をナース服にするところから始めましょう」
哀れ、美鈴。
「では、次の人ー」
障子の向こうに向かって声を上げる。
次に、すっと障子を開いて現れたのは、金髪にカチューシャが特徴的な魔法使い、アリス・マーガトロイドだった。どこか、人の目を伺うように、きょろきょろと辺りを見回しながら、楚々とした仕草で座布団の上に腰を下ろす。
「はい、どうなさいましたか?」
「は……はい……。その……」
彼女は、もじもじとしながら視線を逸らす。
そばに置いた上海人形をすっと胸に抱きかかえながら、
「あ、あの……!」
と、声を上げるのだが。
「……その……」
また、黙り込んでしまう。
永琳は何も言わず、彼女から自発的に言葉を発するのを促す。一応、自分が医者としての自覚はあるらしい。
それから、およそ五分。
「……あの、先生」
「はい?」
「わ、私に、大人の恋愛をご教授ください!」
ぶっ、と永琳が思いっきり吹き出す。
一体何を言い出すかこの娘は、と思いつつ、脳内にその映像をシミュレートしてみる。
「先生……私……」
と、言いつつ、頬を赤らめるアリス。もじもじと、体をよじり、前で組んだ手の指先を絡めながら、
「先生のことが……」
潤む瞳で、自分を見つめ、そっとしなだれかかってくる。
そんな彼女を、自分は抱き留めて、
「ええ、いいの。全部わかっているわ。
大丈夫、先生に任せてちょうだい。あなたに、幸せの個人授業をしてあげる」
「ああっ、先生……」
(よい子が見ていたら困るので描写検閲)
「……あの、アリスさん?」
「え?」
それをリアルに想像してしまって頭痛に顔をしかめながら、
「あのね、私は別に構わないけど……あなた、それでいいの? あなたの想い人って……」
「あの、何のことですか?」
「は?」
「その……大人の恋愛って……どういうものなのかな、って」
「……ああ」
なるほど、そういうことか。
別に、目の前の人形遣いは、自分に恋をしているわけではないらしい。つまり、子供の恋愛の先にある『大人の恋愛』というものが何であるか、それを知りたいのだろう。色々と。
「そうねぇ。
とりあえず、お人形が苦しそうだから解放してあげなさい」
「え?」
『シャ……シャンハーイ……』
「ああっ! 上海人形!」
もじもじと指を絡めたり体をよじったりしていたため、抱かれた上海人形がぐったりとなっていた。まあ、あれだけもみくちゃにされていれば命なき無体物といっても、色々と大変で辛いだろう。
「じゃあ、大人の恋愛についてだけど。
つまるところ(検閲により削除)とか(公序良俗違反)とか、あげくには(ある意味わいせつ物陳列)を知りたいと言うこと?」
「そっ、そっ、そっ、それはっ!」
『……シャンハーイ……』
がくっ、と事切れる上海人形。
「わ、私は……その……まだそう言うのは……。ま、まずはお友達で交換日記からじゃないでしょうか!?」
「あら、そうかしら? あなたがそうやって奥手でいる間に、想い人の心は離れていくかもしれないわよ?」
「うっ!」
「ふふっ。恋愛というのは、勝負よ。駆け引きよ。時には押して、時には引いて。相手の様子を見ながら、ゆっくりゆっくり上り詰めていくの。お互いの暖かさを感じて、時に激しく、時に淫らに求め合い、高めあいながら、最後は、天上の快楽に包まれてフィニッシュ。それが、大人の恋愛というものよ?」
「フィニッシュ……快楽っ……淫らに……!」
何やら、ある意味で物騒な単語だけを取り出してつぶやくアリス。ぽて、とグロッキー状態の上海人形が床の上に落ちて、ぴくぴくと痙攣している。
どんどん、アリスの顔が赤く染まっていく。ちょうどやかんを火にかけた時のように、ぴー……、と湯気が上がっていき、ぼんっ、と弾ける。
「はぅっ」
ぶしゅっ、という妙な音と共に鼻血だらだら流しながら、ポケットからハンカチ取り出すアリス。
「子供の恋愛でいるうちは、だぁめ。そっと、さりげなく、手を加えるの。指先で、柔らかに。なぞるように」
「あ……ああ……そんな……」
「うふふふ……」
なぜか、部屋の雰囲気が桃色に染まっていく。そんな中、永琳は、ささやくようにアリスの耳元に口を近づけると、
「先生特製の、甘ぁ~いお薬を出しておくわ。それをどう使うも、あなた次第。帰りにウドンゲに言って、もらってイキなさい」
「……はい……先生……」
うっとりとろ~んとした目になって、壊れた人形のようにかくかく首を縦に振るアリス。そのまま夢遊病者のように、ふらふらと立ち上がり、床の上に落ちた上海人形を抱えなおすと、
「私……頑張ります」
「ええ、頑張りなさい。幸運を祈っているわ。
二人寝のベッドは、暖かいわよ」
こくん、と最後にうなずいて。
彼女は障子を開けて、外へと消えていった。何やらばたばたと慌ただしい足音が二つ。耳を澄ませば、『すごいの聞いちゃったね、鈴仙さま』だの『てゐが聞き耳立てるからよ!』という声も混じっている。
「あらあら……子供ねぇ」
くすくすと、やたら妖艶な笑みを浮かべる永琳。さすがは月の頭脳で蓬莱人。伊達に長生きしてないと言うところだろうか。ある意味、これも大人の貫禄である。かくも、大人というのはすごいものなのである。特に、ここ、幻想郷においては。なお、他意はないのであしからず。
「それでは、お次の方ー」
かりかりと、カルテ(のようなもの)を書きながら、声を上げる。
しかし、外からは無反応。気配はあるのにも拘わらず、だ。
不思議に思って振り返ると、
「うをっ!?」
いきなり、目の前に人影があった。一体、いつの間に入り込んできたのかはわからないが。
「こんにちは」
「は、はい……こんにちは」
人なつっこい、悪意のない笑みで笑う少女。頭に生やしたねこみみをぴこぴこ揺らしながら、
「えへへ~」
と、笑ってみせる。
――なるほど、確かに、ねこって気づかないうちに家の中にいたりとかするわね……。
無意味に納得してから、こほん、と一つ咳払い。
「さて。本日は、どうしましたか?」
「あのねあのね」
まん丸で大きな瞳をくりくりと動かしながら、
「橙ね、大人になりたいな」
「……はい?」
「だからね、大人になりたいの」
ねこみみ少女――橙は、きらきらと目を輝かせながら、そんなことを言っていた。
「大人に……って……」
そう言われても、永琳にも出来ることと出来ないことがある。
とりあえず、現時点においては、という前置きがつくのだが。
「どうして、大人になりたいの?」
先のアリスの件もある。とりあえず、相手の意思確認、と言った意味合いも込めて、彼女は訊ねてみる。
「あのね……藍さまみたいになりたいの」
「藍……」
そう言われて、即座に頭に思い浮かぶのは、割烹着姿で、日がな一日、苦労という言葉を知らずに過ごす方が難しいという日々を送っている狐のことである。そう言えば以前、胃薬をもらいに来たわね、などと思いながら、
「どうして?」
「うん……。橙ね、まだまだ子供だから。
だから、藍さまみたいにおっきくなって強くなって、藍さまのお手伝いをしてあげたいの」
なるほど。
思わず、うなずいてしまう。
「藍さまに『お手伝いする』って言っても『橙にはまだ早いよ』って。でも……毎日、何だかすごく忙しそうだから」
しゅんとなって、へにゃりとねこみみも垂れ下がる。
ちなみに、そのくだんの人物に苦労をさせているのは、約一名のとある妖怪の仕業だったりするのだが、それについては触れないでおいた方がいいだろう。両者のプライドのためにも。
「だから、橙、頑張るの!」
ちっちゃな握り拳を作って、うん、とうなずく。
「ふぅん、なるほど」
「それでね。先生なら、何か、そう言うの、知らないかな、って」
「大人になる方法……ねぇ。
まぁ、ある意味では、とってもお手軽な方法があるけど」
「にゃっ? それ何? それ何っ!?」
「まあ、それを実行したら、あなたのご主人に殺されそうだから。それは横にのけておくわね」
「ええ~?」
ひょいと肩をすくめて、永琳。彼女は立ち上がると、部屋の片隅にある、薬剤などが大量に置かれた棚へと歩いていく。
「そうねぇ……。まだ実験段階だけど、こういうお薬もあるわ」
「それ、何? 苦い?」
「一応、庭の草木では成功しているんだけど」
それを持って、永琳が戻ってくる。掌サイズの小さな瓶の中には、見るも毒々しいピンク色の液体がちゃぷちゃぷと揺れていた。橙も、思わず眉をしかめるほどだ。
「これはね、生き物の成長を助ける薬なの。成長促進剤、というところね。
実際、これを庭の花にまいてみたら、次の日には花を咲かせていたわ」
「すごいねぇ」
「そうね。でも、妖怪とか、そう言うものに効くかどうかは……」
じーっと、永琳は橙を見る。彼女は、こくん、と小首をかしげるだけだ。
にやりと、永琳は笑った。それこそ、この場に鈴仙がいたら『師匠、それだけはやめてください! 人倫に反した鬼畜外道に堕ちるつもりですか!?』としがみついて止めてきただろう。だが、橙は反応を見せない。永琳を、純粋に信頼しているのだろう。
「使ってみる?」
「え? いいの?」
「いいわよ。お代は取らないから」
「……よーし」
彼女はそれを受け取り、瓶のふたをきゅぽっと音を立てて抜くと、ごくりと喉を鳴らした。
じっと、ピンク色の液体を見つめながら、ふんふんと匂いをかぐ。一応、永琳はそれを無味無臭で作ってあるため、橙の鼻にもそれが引っかかることはない。意を決したのか、彼女はそれをくわえて、
「ちぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!」
絶叫と同時に障子が蹴破られ、疾風のごとく駆け込んできた誰かが橙の首筋にチョップした。しゅぽーん、と彼女の口から薬の瓶が飛んで、底面が永琳の顔面に直撃する。さらに、その薬は畳の上に落ちてい草の中へと吸い込まれていった。
「げほっ、げほっ、げほっ!」
「橙、何してるんだ! そんな毒を飲んで、死にたいのか!?」
「……毒って」
顔を押さえながら、永琳がすっ飛んできた人物――八雲藍を見る。彼女の顔は、恐怖に引きつっていた。
「藍さま……ひどい……」
「何を言うんだ、橙。お前は、まだまだこれから先、未来があるんだ。その未来を、一時の気の迷いで潰すつもりなのか?」
「ひっどーい! 橙、本当に藍さまが心配で……」
「ああ……わかっている。わかっているよ。
……あー、そりゃもう痛いくらいによくわかるさちくしょう」
ぼそっとつぶやく。
なるほど、やっぱりなかなか苦労しているようである。
「……でも……」
「でもな、橙。お前は、何にも気に病む必要はないんだ。
私の方から、お前に、本当に力を貸して欲しい時は頼むし、そうでないとしても、お前が手伝ってくれると言ってくれたことはすごく嬉しいよ。
でも、橙。お前は、さっきも言ったけれど、まだまだこれからだ。別段、今、焦って大人になる必要もないだろう?」
と言うか、一体どの辺りから聞き耳立てていたのだろうか、この過保護な親バカは。
じろりと永琳が彼女をにらむ。しかし、藍は永琳の方を見ることもなく、
「これからゆっくり大人になって、そして、私の手伝いをしてくれるようになってくれればいい。焦る必要はないよ」
「……うん。ごめんなさい」
「いや、いいんだ。ありがとう、橙。嬉しいよ。
ああ、それでは、永琳どの。私たちはこれで」
「先生、ばいばーい」
何やら勝手に自己完結したらしい。藍はぺこりと永琳に向かって頭を下げ、橙は小さな体を精一杯大きく使って、ぶんぶんと手を振りながら。
「……障子直していきなさいよ」
蹴破られた障子の向こうに姿を消した。
はぁ、と永琳はため息をついて、
「……けれど、あの狐も、人を誰だと思っているのかしら」
私は、月の頭脳とまで呼ばれた天才よ、と。
――ちなみに、先の藍の言葉は至極真っ当なセリフだったのだが、それを意訳するとこのようになる。
『何を言うんだ、橙。橙は小さくてかわいいから橙なんだ。大きくなんてならなくていいんだぞ。っていうか、その色々ぺたんこなところとか幼いところとかがかわいいんじゃないかハァハァ。それに、橙を大人にするのは私の役目だ、誰にも譲るかバカ野郎。くすくすくすくす』。
以上。
「……まあ、彼女を人体実験に使用しようとした私も悪かったけど、あのバカの所に、あんな純粋な子を置いておくのは限りなく不安ね」
かりかりと、橙のカルテを書く。その備考のところに『八雲藍、常に違う意味で発情期。いずれ鎮静剤の必要あり』と書くのを忘れない。
とりあえず、あとでウドンゲでも呼んで障子直してもらわないと、と思いながら、「それでは次の人ー」と声を上げる。もっとも、障子がないため、外に待機している人間の姿は丸見えなのだが。
「……あ、どうも。大変ですね」
「あら、わかる?」
「あの、これ、診療代代わりです」
そう言って、そっと箱入りのお菓子を差し出してくるのは、魂魄妖夢。何だか、今までやってきた人間の中で、いっちゃん悩み深き人物のような気もして、お菓子は受け取らなかった。悪いと思ったらしい。
「それで? ご相談は何? それとも、ご病気?」
「いえ……その、相談の方なんです」
「多いわね」
まぁ、それだけ、幻想郷には『人に迷惑をかける奴』と『かけられる奴』の二つに二極化されているわけだが。
「それで、何?」
「……はい。実は、幽々子様のことなんです」
「あら」
それは苦労してるのね、と無意味に慰めの言葉をかけてしまう。
妖夢はこくりとうなずく。心なしか、彼女の隣にふわふわ浮いている彼女の半霊もしょんぼりと落ち込んだようにも見える。
「幽々子様は、素晴らしいお方だと思います。そりゃー、確かに色々と突拍子もない思いつきでこっちを引っかき回した末に悪気もなければ謝ることすらなく好き勝手やらかしてくれて、色々とあれな方ではありますけど。それでも、お優しい方なんです」
その一言でフォローしきれないだけの事を述べたような気もしたが、永琳はツッコミはやめて黙っておくことにしたらしい。
「たまに労をねぎらってもくれますし……なぜか、布団に潜り込んでくることもありますし。あの方と一緒にいるのは、私にとって……その……幸せです」
「ああ、もう。どうしてこう、幻想郷は季節関係なく春なのかしら」
暑いわねぇ、などと言いながら、ぱたぱたやる。
「それで? その、愛しの姫君の、何が気に入らないの?」
「いっ、愛しのっ!? い、いいいいえ、あの、私と幽々子様は従者と主人の関係に過ぎないわけでして、そんな無礼な下克上にも近いことは全くこれっぽっちもあでもちょっぴりそう言うのがあったらいいなぁとかは思ってませんよ本当ですよ信じてください先生!」
そこまでを息継ぎなしで言い切ると、ぜはー、ぜはー、と妖夢は肩を上下させながら、
「……それで……私が幽々子様に求めたいのは、乙女としての恥じらいなんです」
「あの大食いなところ?」
確かに、アレはちょっと引くわね、とコメント。
西行寺幽々子と言えば、幻想郷で1,2を争う大食い娘である。それは誰もがわかっている周知の事実だ。彼女に対抗できると言えば、『そーなのかー』なルーミア程度だろう。まぁ、それはさておいて。
「確かに、年頃の娘が……って、彼女がいくつなのかは知らないけど、あんなに大量に食事をするのは、見ていて、ちょっとね」
「……いえ、それはいいんです。私の作った料理を『美味しいわ』って言ってくれるのはすごく嬉しいから」
あばたもえくぼ、というやつである。
「じゃあ、何?」
「……その……幽々子様って、着物ですよね?」
「そうね。あんな美しい柄の着物は、私も欲しいわ」
「着物って……下着つけないってご存知ですか?」
「ええ。下着のラインが出たら、かっこ悪いものね」
「そこなんですよぅっ!」
どばんっ、と彼女は小さな掌で思いっきり畳を叩いた。心なしか、ちょっぴり畳返し状態になって妖夢のあごを直撃したように見えたが、多分気のせいだろう。
「あいたた……」
「で、何が問題なのかしら? 別に、作法の問題であって、外的な問題は……」
「大ありです!
いいですか? 幽々子様、飛べますよね?」
「飛べるわね」
幽霊なんだし、と内心で付け加える。
「下から見たら丸見えじゃないですかー!」
「………………………………で?」
永遠に続くかとも思われた沈黙を、何とか自分で打ち破って、永琳はこめかみ押さえながら訊ねてみた。
「せめて腰巻きだけでもと言ってるのに、幽々子様は『そんなの面倒くさいわぁ~』って、全然取り合ってくれないしぃ……。
幻想郷は女性ばかりじゃないんですよ、って言っても聞いてくれないんですよ……。私、どうしたら……」
「……ま、要するに」
にんまり、と永琳は笑うと、ぽん、と妖夢の肩を叩いた。
「愛しの姫君の裸が、どこの馬の骨ともしれない男に見られるのが嫌だ、と。あ、ついでに、自分以外の人に見られるのも気にくわない、と?」
「そっ、そそそっ、そんなこと、ああああああるわけがないじゃないですかぁっ!」
顔を真っ赤にして、全力否定しても説得力まるでなしである。
「いいじゃない。女は見られてこそ、美しくなるとも言うわよ?」
「それは意味が違います詭弁です!」
「あら、そうかしら。
まぁ、亡霊だから、生前の姿をそのまま映しているとは言っても、この世界だし。ひょっとしたら、今よりももっと成長しちゃうかもしれないわねぇ?」
「せいちょ……って……!」
「うふふふ。上も下もぼん、ぼんで? 腰の辺りだけが、こう、きゅ~、ってなってて」
「なっ、なななななぁっ!?」
叫ぶなり、錯乱した妖夢が刀を抜く。何やら『それ以上言ったら色々殺す』と目が物語っている。しかしながら、永琳も、伊達に年を食って……ではなく、人生経験を積んできているわけではない。
「幽々子さん、ちょっとよろしい?」
「は~い。何かしら~?」
「ゆっ、幽々子さまっ!?」
一体、いつからそこにいたのか。
ふわふわと漂いながら、幽々子が現れる。大方、妖夢がいなくてお腹が空いたから、彼女を捜しに出てきた、といったところだろうか。ちなみに現在の時刻、午後の12時を少し回った頃。
「ねぇ、妖夢ぅ。お腹が空いたわぁ。帰ってご飯にしましょうよぉ」
ほらやっぱり。
「あ、い、いや、あの……」
「ねぇ、幽々子さん。実はね、妖夢さんが、ちょっとしたお悩みを抱えているの。それで、あなたに、その解決をお願いしたいのだけど、よろしい?」
「あら、珍しいわねぇ。妖夢、何を悩んでいるの?」
じ~っと、興味津々、といった瞳で幽々子が妖夢を見つめる。
先ほどまでの言葉が頭に思い浮かぶのか、妖夢の顔が段々赤く染まっていって、最後には『ぶちっ』という何だか不吉な音と共に鼻血を吹いて、後ろ向きにぶっ倒れた。
「妖夢? よ~む~?」
「うわぁぁぁっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ! 私は幽々子様の護衛失格ですぅぅぅぅうわぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
泣き叫びながら謝りつつ、さらには全力――で逃亡するという器用な技をかます妖夢を『どうしたのかしら?』という目で見る幽々子。その視線が永琳へ向くと、彼女は、
「まぁ、お年頃、ということで」
誰もが、なるほど、とうなずく返事をしたのだった。
――さて。
「それでは、次の方ー」
幽々子が妖夢を追いかけて出て行ってからしばらくして。永琳は、次の患者を呼ぶ。そろそろお腹が空いたわね、などと思いながら。
少しして、もはや意味をなしてない障子の向こうから、紅白の衣装が目に鮮やかな少女が現れる。
「はい、どうなさいましたか?」
「……実は、折り入って、ご相談したいことが」
「はいはい」
医療相談所、なのに『相談』に来る客ばかりね、などと思いながら、しかしこれも医者である自分の責務だと判断し、永琳は彼女の方に身を向けた。
「……私って……人気ない?」
「は?」
きょとんとなって問い返してしまう。
紅白の巫女――霊夢は、ずぅぅぅぅん、という効果音と共に、背中に暗い縦線背負いながら、
「私って……この幻想郷の中で、有名人ですよね?」
「まぁ……有名ね」
色々と、と内心で付け加えるのを忘れない。
「それなのに……主人公なのに……。なのに何で、人気投票で上位獲得出来ないのぉぉぉぉ!」
おいおいと泣き出す彼女。
そもそも人気投票って何だ、とツッコミを入れつつ、
「え、えっと……それは?」
「あの美鈴さんですら、過去、輝かしい戦歴を築いたというのにっ! どうして、どうして私だけぇぇぇぇぇっ!
第一、裏主人公に過ぎない魔理沙のくせにアイコンの顔は占有するわ、ディスクのレーベルにすら顔を出すわ、あまつさえ、主人公である私よりも順位が上だなんてぇぇぇぇぇ!」
「……………」
どうしたらいいかしら。
内心でぼやく永琳。彼女の言ってることがさっぱりわからないのである。
「大体、何が恋符よ! あんなの、誰がどう見たってか○は○波じゃないのっ! 亀符って改名しなさいよ、亀符って! 第一、あの虹色怪光線のどこがマスターでスパークなのよぉっ!
納得いかないわっ!
亀が嫌なら格闘符にすればいいじゃない! 真○○動○って技だってあるんだしっ!」
「あのー……霊夢さん? ちょっと落ち着いて……」
「せんせぇぇぇぇっ! 私、私、どうしたらいいですかぁぁぁぁぁ!?」
「ひぃっ!?」
がしぃっ、とすがりついてきて、涙やら鼻水やら色々なもの垂れ流している霊夢のどアップというものは結構きつい。思わず身を引いた永琳の後ろで、がたん、という音を立てて机が倒れた。
「このままじゃ、私のアイデンティティがっ! 博麗神社の巫女たる私のたぁぁぁぁちぃぃぃばぁぁぁぁがぁぁぁぁぁ!」
「てい」
「あうっ」
問答無用で、ぷすっ、と霊夢の頭に何やら注射。
それを受けて、かくん、となった彼女は、そのまましずしずと後ろに下がり、
「……すいません。取り乱してしまいました」
と、落ち着いたりする。一体何を注射したのか、それは永琳のみが知ることである。手にした注射器の中には、毒々しい紫色の液体が入っていることは、この際、気にしてはいけないだろう。
「つまり、霊夢さんは、人気が欲しい、と?」
「はい」
「……何かさっきも似たような相談を受けたような」
まあ、いいか、と結論づけて、
「そうね……。何か、アピールするポイントを探したらいかがかしら?」
「アピール……」
「やっぱり、巫女、と言う特色を生かした方がいいわね。
そうなると……えーっと……」
立ち上がり、本棚をごそごそと探る。
やがて取り出されたのは、一冊の本。そのタイトルは、『神域に佇む高嶺の花』というものであり、表紙が、巫女服着た巫女さんである。
「これによると、巫女というものに必要なのは、清楚かつおしとやかな所よ」
「……どちらも私にはないですね……」
「ええ……そうね。
それに、巫女服の持つ、何とも言えないストイックさが受けている要因でもあるの。清廉潔白で汚れを知らない、美しき麗しき乙女。それが、人の心を引きつけてやまないのよ」
「……なるほど」
壊れた人形のようにうなずく彼女。妙に目がうつろであるが、それは気のせいだ。
「そこで、霊夢さん。まずは、おしとやかな女性を目指しましょう。清楚で可憐、おしとやか、ついでに奥ゆかしくて清純と来れば、これはもう、ぐっと来るわ」
「……ええ……。でも、今ひとつ、アピールが足りないと思います……。
……そう……たとえば……隠された魅力……」
「うーん……」
マリオネットのように、無表情に、無感情に、抑揚なく喋る霊夢はかなり不気味であるのだが、永琳にとっては、そんなことはどうでもいいらしい。しばらく悩んだ彼女は、ぽん、と手を叩いた。
「脱ぐ」
「……それは先の提案と矛盾しますが」
「いいえ、そういうことじゃないの。
ほら、巫女服に限らず、和服は、まず、下着のラインを外に出さないためにも、下着を身につけないでしょう?」
先の幽々子の件を思い出しながら、
「厚着の下に隠れた桃源郷、というものが人の心を掴むのよ。ぐわし、と。
そこで、霊夢さんのその衣装」
指さして、
「横ちらにプラスして、見えそうで見えないやんちゃなスカート丈。これはいい感じじゃないかしら」
「……」
「空を飛んだら見えてしまうから、その時には、ズボンなんかに切り替えておくといいかもしれないわね。ここで重要なのは、『見えそうで見えない、ぎりぎりの世界』よ。見せてしまってはダメ、それではただのはしたない女だわ。
美しさの中に潜む、魔性の女の本性。これよ!」
びしっ、と。
永琳は無意味にポーズなどをつけながら宣言してみせた。霊夢は、ぼんやりとした、意識の定まってない様子でかっくりとうなずくと、
「……わかりました。試してみます……」
「ええ。
あ、はい、これ。参考図書」
と、数冊の本を差し出したりもする。霊夢はそれを受け取って、夢遊病患者のように、ふら~りふら~りと漂いながら、その部屋を後にした。廊下の向こうから、「霊夢さん、生きてますか!?」というウドンゲの声が響いてきたが、きっと空耳だろう。
ちょっぴり荒れ果てた室内を、がたがたと、永琳は整理しながら、
「じゃあ、これが終わったら、お昼ご飯にしましょうか。
では、次の人ー」
現段階、最後となる患者を呼ぶ。
少しして、障子の向こうに姿を現したのは、長身痩躯、ついでに沈着冷静という感じを漂わせる青年だった。
「あら、霖之助さん。先日は、図書をお貸し頂き、ありがとうございました」
「いえ、あの程度でしたら」
微笑む彼。なかなかの好青年ぶりである。
彼は、すっと座布団の上に腰を下ろすと、ふぅ、と息をついた。
「本日は、どうなさいましたか?」
「……はい。実は、深刻な問題がありまして」
「深刻? お店から、何かアイテムがなくなったとか?」
「いや、まぁ、それはもうしょっちゅうなんで大して気にしてません」
いいのかそれで、という気はするのだが。
「実は……この頃、ふっと意識が途切れることがあるんです。眠っているとか、そういうわけではなくて。ふと気がつくと、自分が全く別の場所にいたり、見たこともないものを手にしていたり……」
「……それは何かに操られていると言うこと?」
「かもしれません。
……正直、僕は怖いです。一体、誰が、こんな事を……と」
ふむ、と永琳はうなずいた。ようやく、ある意味で真面目な相談が聞けそうだ。気合いを入れなくてはならない、と居住まいを正してから、
「この幻想郷には、その手の術を使う人も多そうですね」
「……はい。まぁ、僕を始め、人、というカテゴリでくくるには、少々語弊のあるものが多いのも事実ですが。
ともあれ、先生には、僕に起きている異変を解決してもらいたいんです」
「ええ、いいわ。患者の悩みには迅速かつ的確に。我が八意流医療術の心得でもあるのだし」
何やら怪しい技の名前を口にしてから、永琳は立ち上がると、本棚をあさった。
「まずは、その症状から手繰ってみましょう。古今東西の、術式に関する本が確かここに……」
「……どうして、医学に関係ないものが……」
至極真っ当なツッコミを入れてくる霖之助。もちろん、永琳は聞いちゃいない。
「ああ、あったあった。これが……霖之助さん?」
その時。
彼女は、背後から違和感を感じた。振り返ると、彼が、その場に身を折っていた。背中を丸め、正座をしたまま、体を前に倒しているのだ。
「霖之助さん!?」
駆け寄り、慌てて脈を取り、様子の確認をする。死んではいない。
だが、これは……?
「ウドンゲ! ウドンゲ、いるわね!? 今すぐ、こっちに……!」
――その時だった。
「……霖之助……さん?」
気がついたのか。
彼が、ゆらりと身を起こした。しかし、まだ油断できる状況ではない。一体、どんな術が彼にかけられているか、わかったものではないのだ。油断なく、永琳は目をこらし、その術の本質を探ろうとする。
その前で、霖之助は静かに、顔にかけていたメガネを外すと、それをポケットへと入れて、代わりになぜかサングラスを取り出す。それを目元にかけると、何だか一転して、雰囲気が『怪しい兄ちゃん』のそれに変わったが、とりあえずそれはどうでもいい。
「師匠! 一体何が……!」
「ウドンゲ、これから何が起こるかわからないわ。覚悟しなさい」
「……はい!」
場が、一気に緊張する。
二人は、どんな状況にも対応できるよう、姿勢を整える。サングラスをかけ終わった彼は、次の瞬間、信じられない行動に出た。
「っきゃぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
絹を引き裂くような、鈴仙の悲鳴。永琳は目を見開き、彼を見る。
「……霖之助……さん……!」
それは、まさに戦慄。目の前にあるものを信じられないといった眼差しで見つめ、同時に、恐怖する。まさか、と。
「僕は……霖之助……ではない……」
虚ろにつぶやく、彼。
そこに宿るのは空虚な色。何も存在せず、しかし、それが確実に存在する、色のない世界。刹那、かっ、と彼は目を見開いた(ように、永琳には思えた)。
ばばっ、とポーズを取ると、
「オッケェェェェェェ~~~~イ!! ハード・コーリンでぇぇぇぇぇ~っす!」
叫んだ。
それこそ、徹底的に。
「いやぁぁぁぁぁっ! 変態ぃぃぃぃぃぃっ!」
絶叫する鈴仙。
そう、目の前の霖之助は、今や、ふんどし一丁の、実に漢らしい姿であった。しかもこれ以上ないほどに、漢の魂をほとばしらせる叫びを放つ、まさに真の漢。
「変態ではなく、ハード・コーリンフゥ~~~~~~ッ!!」
「きゃーっ! いやーっ! こないでーっ!」
腰をかくかくしながら鈴仙に詰め寄っていく霖之助。まさに、絶対無敵の漢。どっかのねーちゃんが『霖之助……恐ろしい漢……』と言いそうなノリである。
「……なるほど。確かに病気だ」
愕然としながらつぶやく永琳。目の前に存在する、誰も治すことが出来なかったであろう、漢の病を前に。
「鈴仙さま、どうし……きゃぁぁぁぁぁっ!?」
「さあ、お嬢さんも僕と一緒にハード・コーリンフォ~~~~~~~~ッ!!」
「いやぁぁぁぁっ! てゐ、助けて、てゐぃぃぃぃぃっ!」
あまりの恐怖に腰を抜かしたのか、ぺたんとへたり込んで、目に涙浮かべながら絶叫する鈴仙。しかし、怖いもの知らずのてゐとはいえ、目の前の漢にかなう術はないのか、泣きそうになりながら、何とか鈴仙を助けにいこうと奮闘する。
しかし、
「快感フゥ~~~~~~~~~ッ!!」
「いやぁぁぁぁぁぁっ! 鈴仙さまぁぁぁぁぁ、助けてぇぇぇぇぇ!」
やっぱりダメだったのか、霖之助の前に撃沈する。
二人して泣きながら『助けてー』と叫ぶのは、何というか、かなり壮絶である。二人を撃破した漢が、永琳を向く。
「くっ……!」
「さあ、お嬢さん! 僕と……!」
彼が何かの行動に出る前に。
まさに先手必勝とばかりに、永琳は宣言した。
――天呪『アポロ13』(ルナティック)――×100
「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥっ!?」
さしもの漢も、色んな意味で全てのものの壁となり、立ちはだかったスペルカードには勝てなかったのか、これでもかと言わんばかりの弾幕の嵐の直撃をくらい、吹っ飛んでいって、その先で永遠亭の兎たちにも悲鳴を上げさせている。
「うえぇぇぇぇぇ~ん、ししょぉぉぉぉぉ~!」
「えいりんさまぁぁぁぁぁ! こわかったよぉぉぉぉぉ!」
「よしよし」
あまりの恐怖に、完全に幼児退行を起こしている二人を優しく抱き留めながら、永琳は、頬に流れる冷や汗をぬぐった。
「……恐ろしい相手だった」
そりゃもう色んな意味で。
「オ……オッケェェェェ~イ……ぐはっ」
意識を失った霖之助をの周囲を兎たちが取り囲んで、これでもかとばかりに弾幕を浴びせている。しかし、誰一人、彼に近づいていこうとはしない。未だ、漢の魂は、そこに燃えさかっているからだ。
「ウドンゲ、即刻、彼の入院の用意よ」
「えぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
「彼は病人よ!」
その一喝に、彼女はぐっと言葉を飲み込む。何やら葛藤を経た後、わかりました、とうなずき、立ち上がる。
「彼のような重病人を野放しにしておくわけにはいかないわ。それこそ、医学を志したものとしての名折れよ!」
「……はい!」
「荒縄の太さは一センチ以上、鎮静剤は常人の三倍、用意して!」
「はいっ!」
何やら壮絶な注文を出したように思えたが、それを気にしてはいけない。今、彼女たちがやるべき事は、重たい病に冒された、一人の青年を救うことなのだから。
「急いで!」
「はい! てゐ、行くよ!」
「ううっ……ぐすっ……怖いよぉ……」
どうやら、てゐの中に、あの漢の魂はトラウマとして残ったようである。泣きじゃくる彼女の手を引いて、鈴仙は走っていく。
そんな彼女たちを見送り、永琳はぽつりと、つぶやいた。
「……人を冒す病……。それを全て、この世界から駆逐するまで、私の戦いは続くのね……!」
ぐっ、と拳を握り、
「とりあえず静かにしてくださいあなた」
何やら復活しかけていた霖之助めがけて、再びアポロ13を叩き込んだのだった。
ここは、幻想郷の奥深くにある屋敷、永遠亭。
そこには、至高の腕を持った医者と、優しく看護をしてくれる、たくさんの白衣の天使がいます。
あなたも、辛い病気を患ったときは、是非どうぞ。
「お待ちしていますわ」
八意永琳より。
「ハード・コー……!」
「うるさい」
なお、時たま激しい弾幕が乱れ飛ぶことがありますが、お気になさらずに。
「……ぐはっ」
「やれやれ」
なお、これは余談が。
「……いいわね、魔性の女」
「あの、師匠。変た……じゃなくて、霖之助さんの薬を……って、えぇぇぇぇぇぇっ!?」
「あら、ウドンゲ」
「しっ、ししょっ……! それ……!」
「うふふ。似合う?」
前を開けた白衣一枚で、他には何も身につけていない永琳を見て。
鼻血を吹いて倒れた鈴仙は、その日のうちに、新たな入院患者となったのだった。無論その後、輝夜から「永琳、私にケンカ売ってるの?」と大きな胸をにらみつけられて、その魅惑の衣装を撤回したのは言うまでもない。
ただ、時たま~に、その格好で永遠亭をうろつく永琳の姿が、それから見受けられるようになったというが、噂の域を出ない話なので、あえて割愛しよう。
終劇
会心の壊れっぷりに爆笑しました
いや、「この星では~」とか某ワードが詰め込まれてたんで……
そのうちポッキー食いだすかも。
看護士に雇ってください。
霊夢、主人公は人気投票でライバルに抜かれるのも、主役の務めよ?
料理ネタに魅せられてから連続で笑わせてもらってますよ~。
永琳がマッドというより天然お姉さんなのもグッドd(・∀・)
そして、氏は私など足元にも及ばぬほどえちぃ方だと思います(*´∀`)
ただ、あえて突っ込ませていただきたい。
うさみみゆえにナースキャップがかぶれないなら。
穴 を 開 け れ ば い い じ ゃ な い 。
本当にありがとうございました。
おおお俺も行きてぇぇぇぇぇ!!
そしてラストがこーりんだったのに不意をつかれ、あの芸風に鼻水吹いたw
でも、これはこれで!!
一度伺いたいです・・・・疲れ気味でして。