妖夢は水鏡の湖面に映る自らの姿を認め、一陣、春風のように中央に浮かぶ小島へ足をつけた。眼光鋭く聳え立つ巨門を見上げる。赤く紅く朱塗りの断崖がそぞろ続く。不動たる正面門は不変を体現する象徴であり、深奥に泰然と午睡する魔王を遠くこの場から表している。
「たのもう」
「何か」
紅大正門の前に影が立つ。妖夢が目を凝らすと影が砂を落とすように零れ、大陸様のあやかしが一匹、視線を目深にした帽に押し込めて立っている。
帽には星の鋼板が据えられ、そこには龍と彫り込まれている。
血脈を思わせる髪が一房、風もなく流れた。
「昨今の異常はここの住人が原因だな」
「宴会かい。ここの主がそうだというのはなかなか慧眼だが、サテ」
「御託はいい。貴様何者」
「客分を迎えるのは侍女が役目。だったら門の前で立つのは門番の役目よ」
「左様か」
妖夢は頷き、一歩を踏み出す。
門番はなにもしない。
妖夢を迎えたのは門番であった。
「付け加えるならば」
足が止まる。
「門番は追い返すのも役目のうち」
ようやく、門番の肢体が動く。
つ、と右腕を前に伸ばし、五指を開いて妖夢にむけた。
じっとりとした一拍が置かれ、
「居ね、冥界剣」
「どけ」
「居ね」
「どかぬならば」
「何とする」
「斬る」
ちゃり、と二重に鍔が鳴った。妖夢が背負うた長刀と腰に差した脇差にそれぞれ一本の手がかかっている。
――きくならく、冥界に二刀あり。名を魂魄。界を断絶せしめること一世、今代において未熟なれど奥義結就の兆しあり。
彼女を魂魄妖夢。西行寺家に仕える庭師である。
「貴様も加担しているのか。ならば、どちらにしても斬る」
「ふはははははは!」
突如、門番が弾けた様に笑った。妖夢は出鼻をくじかれ眉を顰める。
ひとおり大笑した門番は大きな笑みを妖夢に向け、伸ばした右腕を折り、両の掌を握り、親指同士を噛み合わせるように密着させる。
「よう言うた」
引き出すように動かすと、するすると左手から白刃が伸び、剣が抜かれる。右手を見ればいつの間に掴んだのか柄が握りこまれている。
左腕をひとつ振ると、風圧にまぎれて幅広の曲刀が現れた。
「お帰り願おう。我こそは紅魔館門番役、紅美鈴」
「西行寺家付庭師兼剣術指南役、魂魄二刀妖夢。押し通る」
妖夢の背負う長刀、楼観剣の鯉口が切られ、刹那一筋の流星となって振りぬかれる。妖夢の矮躯は猛烈な踏み込みをまずひとつ、流星の一刀は十間の距離を一足で踏み抜き、長大な刃は一刀両断、美鈴の左肩から右脇までを袈裟に。
振りぬいた楼観剣の背に、ふわりと降る者あり。
「見事」
深緑の簡素な人民服が包む肉感的な肢体。高い腰の位置から始まる伸びやかな両足、上に目を遣って大きくくびれた腰元、張り出したまろやかな胸元、そして快いまでに大笑する口が。
妖夢の剣気が絞り込まれる。
美鈴の右手が陽炎のように揺らめいた。
抜刀一閃、妖夢の脇差である白楼剣が美鈴の足下へと抜かれ、異音とともに美鈴の剣に阻まれる。また目を止める暇もなく曲刀が突き出され、妖夢は楼観剣を手放して半歩下がった。喉元を鋭利な風が通りすぎる。美鈴は楼観剣の剣柄へと足をかけ、高く重く剣と曲刀を振り下ろす。美鈴の一歩は大きく伸びやか荒々しく、妖夢の半歩を一呑。交差された二振りが妖夢の天頂へ高さの有利とともに振り下ろされる。旋毛から白髪、凶悪に釣り上がった目、細い首、幼い胴を貫いて股間へ抜ける。
そして背後より打ち下ろされた巨刀楼観剣を、頭上に二振りを上げすんでの所で受け止めた。
「見事」
背後、妖夢は両手で楼観剣を握り、背筋が盛り上がるほどに力を込める。競り合う一点でせわしなく火花を散らせ、しかし不利な体勢で受け止める美鈴に基礎の筋力で負けていた。
互いの刃は一寸も動かぬ。
「ヌウ……」
喉の奥から振り絞って嘆息する。妖夢の半眼にて一筋の光を放つ視線のなか、驚くべき事にゆるりゆるりと美鈴の剣が鍔迫り合いから引き抜かれていく。矮躯とはいえ剣鬼のごとき怪力で楼観剣を押し込むのを、背面で、さらに片腕でしっかと受け止める美鈴の魔人的な筋力に妖夢は目を見張る。
引けぬ……引けば、斬られる。
妖夢はひたすら愚鈍に押し込む。楼観剣を受けるのは剛力だけではない。巧みに力を出し入れして妖夢を翻弄するその技巧とあいまってこそこの受けがある。
二天一の秘剣――
圧倒的な年季の違いというものを体感した。
美鈴がずらりと剣を抜いた。神鉄を鍛えた剣は柔軟に曲がるが折れぬ欠けぬ業物である。楼観剣を受ける無骨な曲刀は奇剣二十八刀に数えられる代物であり、魂魄の二振りに劣らぬ冴えを刃に宿す。
斬られる……!
引き抜かれた美鈴の剣は阻む物もなく、易々と妖夢の腹を断ずるだろう。呼気を一つ、曲刀に楼観剣を囚われぬようにしながら、妖夢は半身を動かした。
お、と驚愕の声が美鈴からあがった。さもありん、いままさに剣を逆手に背後の童へ振り抜こうとした矢先、その小娘が眼前で居合いの構えを取っていたのだ。脇差し白楼剣が陽炎のように現れた妖夢の腰元より鯉口を切られ、無心夢想の心持ちにある妖夢は無言一挙動――
「喝あァつ!」
――大音声。
美鈴の気魄満ち満ちた大喝は幻の妖夢を吹き飛ばす。綿雲が散り散りとなるように手足から妖夢はかき消えようとする。だが、空気に溶け込むほどに薄れた幻の妖夢は、白楼剣を放さない。鯉口を切られた脇差しは何かの力で納刀され、地に落ちることもなくゆるゆるとその場にとどまる。よくよく目をこらせば、その柄と鞘にうっすらと白雲然とした幻の妖夢が絡みついているのに気付いただろう。
魂魄妖夢の人魂が擬する人型である。
その時まさに刹那、美鈴の受けが毛ほどに崩れた。剣聖に程近い妖夢には見逃すことのないその隙を好機と判じ、瞬間的に納刀、必殺を宣言。
「人符現世斬!」
「おおおっ!?」
美鈴が不覚を取ったのは魂魄妖夢の捨て身とも言える勢い故だった。常人ならば剣を引く。達人であっても間合いを取る。美鈴の間合いに取り込まれて、だが妖夢はその逆を取った。剣鬼剣聖の矛盾を内包する魂魄二刀であればこそ為し得る妥協無き一挙動が、美鈴に一刀を甘んじさせる結果となった。
断つ。
草鞋が盛大に土を削り妖夢が止る。無言で楼観剣を外に一振りし、ゆっくりと鞘に収める。
涼やかな音を立てて納刀された。
その背後で、美鈴の躯が袈裟に二つとなり、ずれ、そして地に落ち、
「……ふぅむ?」
妖夢の隣に現れる。斬られたという風体ではない。背後では断たれた美鈴――斜めに切られた呪符が、力を失い風化してさらさらと空中に解けていく。
妖夢は舌打ちを一つ。
「小賢しい。斬られたなら素直に斬れろ」
「ハハハ。勘違いも青臭さ故ね」
「……今度は斬る」
「サテ」
再び美鈴は剣と曲刀を取り出した。気負うことなく両肩に担ぐ。妖夢も楼観剣を握り、人魂と白楼剣が人型に寄り添った。
「斬っても断てぬ、斬らねば断てぬ。では刃が届かぬ者を斬るには断つことを考えるべきか否か。届かねば断てぬが断つには斬らねばならぬ、斬るには届かせなければならぬそして届かすにはと、どうにもこうにも面倒な話。嬢ちゃんは謎解きが得意そうには見えないけどハテどうなするおつもりかしらと。
まぁ、届きはしないんだけど」
「能書きはいい。それよりも、嬢ではない、魂魄妖夢だ。名を呼べ紅美鈴!」
「アイ判った嬢ちゃん」
無言とは大喝に比する。妖夢の楼観剣は大上段、両手持ちの抜刀術が最短最速で稲妻さながらに落ちる。初めの仕合の一合目をさらに上回るのは怒り故か。美鈴までの間合いは妖夢のそれに丁度であるが、そもそも魂魄二刀の間合いは究極には天地に至る。妖夢の踏み込みは三千里を踏破する駿馬にも匹敵した。
しかし届かぬという言葉を無意識のうちに頭の片隅に置いていた妖夢は、美鈴の躯を断つはずの剣筋が彼女の隣を通っていることに気付いた。動揺は小さく抑えるが、心の機微に大小は関係がない。
「そんなだから嬢ちゃんなのよ、妖夢」
身動きした様子のない美鈴に、今度はひどく動揺した。だが大小は関係がない。心持ちが乱れれば剣筋は曲がる。
先の現世斬にて勝利し得なかったこと――それが妖夢の心持ちを揺らしている。肉体がそれにつられて緩む。半人半霊である妖夢は肉体と精神の境が薄い。どちらかが乱れればどちらもが乱れる。
妖夢の弱点であった。
「うう……!?」
「いやはや、実のところこのまま斬られてもいいんだけどね。この間合いの仕合は二本先取が基本なのよ。
だからとりあえず構えなさいな。気を抜くなら魂まで斬るわよ」
にこりと笑い、
「ホッ!」
担がれた二振りが振り下ろされた。いや、動きは一つではなく、下ろされた剣は再び翻され、振りぬいた曲刀は返す間もなく往復する。剣はしなやかに剣筋を網目のごとく妖艶に、曲刀は奇妙な動きと共に死角から狡猾に弧を描き、婉曲な美鈴の二振りは蜘蛛が獲物を絡め取るように嵐となって妖夢に迫る。必死に捌くが楼観剣の長大な刃は脇に隙が出来る。補うべく人魂の白楼剣が妖夢の股下からふらりと漂い死角を補った。
ヂィィ――ン……
刀身の擦れ合いが鈴のように澄んだ音を立てる。二対二、四つの刀身が奏でるそれはあまりの速度に連続して聞こえ、硝子を引っ掻くように周囲に響く。
「ふっふっふ。 まだまだ行くわよお!」
「……ッ」
美鈴が曲刀に妙な動作を送った。それを気にする間もなく妖夢の人魂が白楼剣で受ける。
奇妙な手応えがあった。
「え!?」
人魂と人型が困惑と驚愕に目を見張った。受け流したはずの曲刀の刃が三つに分裂し、人魂を襲う。とっさに身を縮めた人魂の霊体を薄くなった幅広の刀身が掠める。
三つに刀身を分裂させた曲刀、いや、三つの刀身を一つに纏めていた奇剣三叉刀が本来の姿で襲いかかる。これで四対二。
三叉刀の剣筋は同じ向きながらも奇妙に曲がりくねり、妖夢を惑わす。また剛くしなる剣が女体のように楼観剣に絡みつき、受け流しの見切りを惑乱させた。
返しの刃どころではない。受け流すことだけに集中しながら、それも怪しくなるほどの摩訶不思議な紅美鈴の猛攻に対して、妖夢の二刀は直線に過ぎる。有る程度ならば夢幻ごと断つ力量を持つ妖夢を以てして手足も出ない。惑いを断つ白楼剣を持つとは言え、美鈴のそれはあまりに凄まじく、まさに如来の蜘蛛糸が悟空を操るが如く。それは惑いではなく、かくあるべしと定めさせられたようである。
「ふあっはっは! まだまだ、そうら!」
この期に及んで美鈴の速度が上がる。もはや進退窮まった妖夢には言葉もない。
「さんッ!」
美鈴の三叉刀が、白楼剣を弾いた。
「にィ!」
美鈴の剣が、楼観剣を弾いた。
「いッち!」
踏み込み一つ、拳を重ねて妖夢の腹に置いた。
「かァ――ッッッ!」
両掌八指が開かれ、妖夢の矮躯を吹き飛ばした。
軽々と宙に舞う妖夢の人型は受け身も取らずに地に落ち、何度と無く弾かれながら水柱を上げて湖の岸辺に落ちた。
「……く……!?」
一瞬の空白を置いて、水滴を飛ばしながら妖夢は立ち上がる。吹き飛ばされながらも手放すことの無かった楼観剣を振って水滴を払い、ぎこちない動作で岸に上がる。人魂が追いつき、人型の周囲にまとわりつくように旋回する。
妖夢の銀髪は乱れて顔に張り付き、ブラウスとスカートは土と水で泥を被ったようになっていた。腹の部分が焼けこげたように円上に破れている。
惨めな姿ではあった。
「どういうことだ!」
「なにか?」
「今のは飛ばしただけだな!?」
噛みつくように妖夢は言う。彼女の腹部は服こそ破れたものの、美鈴に傷付ける意図は感じられなかった。
「いったでしょう。別に斬られてもいいって」
二振りを肩に担いだ美鈴は嗤うでもなく呆れるでもなくそう言った。そこにあるのは義務と喜悦と期待である。
「一体何がしたいんだ、貴様は」
「貴様ではない、紅美鈴よ。若しくは門番。いやいや、門番と呼ばれるのも、これはこれで楽しいものだ」
「茶化すな。いい加減馬鹿にするならば」
「如何する」
美鈴は、妖夢が一瞬答えるのを躊躇ったかに見えた。しかしそれは勘違いだと、声を聞いた瞬間に理解した。
「斬る」
確信というのだろうか。あるいは盲信、またあるいは愚直、無謀とも言えるかもしれない。なんにせよその言葉には先の問答と同じ力強さがある。これだけ叩きのめされて、まだ自らの剣を疑っていない。
惨めな姿ではあった。
だが、剣とは惨めなものである。
妖夢は剣そのものであるのかもしれない。
「それでこそ魂魄二刀。ならば妖夢、私はあなたに一つ助言をしよう」
「……謹んで聞こう」
「一言だ。目の前の敵に耳を貸すな」
――いやはや、これでは剣と言うよりただの辻斬り。妖忌坊も厄介な孫をもったものだ。
「三仕合目。一合で終わらせる」
「しらん。斬れば終わりだ」
「その調子よ。
ではお帰り願おう。我こそは紅魔正門番役、紅美鈴」
「西行寺家付き庭師兼剣術指南役、魂魄二刀妖夢。押し通る」
妙に間延びした半秒が流れ、
「断命剣冥想斬!」
三界を断絶せしめるその一刀が剣圧で美鈴を断つ瞬間、
「華符破山砲!」
「聞こえん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ずんばらり。
という切れ味が音を立てるような剣閃で、美鈴の躯は縦真っ二つになった。
――いやはや、ほんとうに、厄介だ。
そのまま妖夢は振り返ることなく、楼観剣を涼やかに鞘に収め、紅魔館へと踏み込んでいった。
二つになって中空に解け消える呪符を横目に、紅美鈴は苦笑を宿しながらそれを見送った。
思わず吹いてしまったんですがw
閑話休題。
とても素敵なバトル作品でした。時代小説のような戦いに始まり、それが唐突に崩れて現代風になったり、それがまた戻ったり。台詞回しの所以でしょうか?
熱いバトル、だけれどその味は幻想郷の味をそのままに。お見事でした。
言の葉の使いまわしは凄まじい破壊力です。
一気に読みふけって気がつけば終わってました。
その魅せ方、お見事です。
血が滾りましたっ! 美鈴の大物妖怪っぷりがイカス!
この表現力、欲しいなぁ……
いっつも格好いい文章ですねですね、いやはや。
駆け落ち…w
心理学的見地から見ると、抑圧された自己とめーりんを重ねており、そのめーりんが活躍することによって自己の開放をうんたらかんたら。心理学なんて名前しか知りませんが何か。
れいむはいいですね。毎日欠かさず賽銭納めてます。某スレで。
狭いからこそ見えるものもあるのでしょう。
そんな自分も、
もうれいむしかみえない。
筆主殿の荘厳にして苛烈なる文芸術の御手前、昨年よりいささかも衰える事無く、さらに一層の磨きを掛けられた御作を、この場にてお見せ頂きました事、心よりの謝意を表したく思います。
血が沸き立つとはこのような感覚をしてそう呼ぶのでしょう。
ひそかに妖忌すら坊と呼び捨てる美鈴、そう思わせて一切不足のない大妖の迫力を書き斬ったその術、実にお見事。
対する未熟の、しかしそれゆえに実にして剛の剣閃も余す事なく幻視させられる大殺陣、後書きのかぶきっぷりもあわせての仕込み、心行くまで楽しませて頂きました。
上手い!
紅魔郷と妖々夢のクロスオーバーとしてみた場合
門番如きにここまでやられる妖夢ってどうかなぁ
まあ登場人物全員に花待たせろとは言わないけど
カッコイイ美鈴書く為の丁度良い踏み台にしかなって無い気がする(そういう話多いけど
つーかこれ別に美鈴じゃなくてオリキャラでも良かったんじゃ…
文章の巧さに+30
あとは個人的趣味嗜好によって+60、ってところで。
戦闘描写はもはや物凄い領域に達してる気がします。
美鈴かっけ~!!