Coolier - 新生・東方創想話

鎮魂歌を唄いましょう

2005/11/02 10:18:23
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Chapter1:出会い~蛍の光、夜雀の歌 藍色の空に舞う~


 それはとても静まり返ったある夜のこと。
 あまりにも静か過ぎて、かえって不気味な雰囲気を醸し出していたその森で。
 恐る恐る、歩いていく人間たちがいた。
 まだ幼い。年のころは十前後であろう。
 そんな子供たちが数人。夜の森の中を、歩いていた。
 おそらくは遊びすぎて夜が更け、帰るに帰れなくなったのだろう。
 どの顔も、恐怖におびえ、疲れ果て、目がぎょろりとしていた。


 がさがさ。


 茂みから音がする。子供たちがびくっ、と体を震わせる。
 あるものは逃げ出そうと構え、またあるものはぺたんと座り込んでしまい、またあるものは
へたれてしまった友達を励まそうとしていた。
 そして、茂みから物音の正体が姿を現した。

「やっと見つけた。こんなところにいたんだね」

 ぽうっ、っと、急に辺りが明るくなった。
 現れたものが明るかったから、否、そのもの自体が発光していたからだ。
 それを見て、どん底だった子供たちの表情が、周囲の光景同様にぱあっと輝きだす。
「リグル!」
「リグル~、怖かったよぅ…」
 子供たちは次々と、リグルと呼ばれた少女――発光しているけれども――の下へ駆け寄っていく。
 その中の一人が勢いよく抱きつくと、リグルは微笑んで目を細める。
「こらこら、ここではしゃいでも仕方ないよ。ほら、よしよし……
慧音や里の人たちもみんな心配しているよ。さあ、帰ろう」
 子供たちを慰めて落ち着かせてやると、そう言ってリグルは帰りを促した。
 みんな一斉にうなずいて、その後に続こうとする。


「ふっふ~ん、人間みーつけたっ♪」
 突然、空からそんな声が響いた。
 空を見上げるリグル。そこには、月明かりの逆光を受ける翼持つものの影。
「くっ…みんな、そっちの木陰へ!」
 影が襲い掛かる前に、とっさにリグルは子供たちを逃がす。子供たちは悲鳴をあげながら
言われた方向へと走っていく。
 けれど、一番幼かった子が途中で転んでしまった。
「あっはは、それ、誘拐しちゃえっ♪」
 影は、その子へ向かって真っ直ぐに飛ぶ。
 そこに横からリグルが割って入る。
「させない!」
「邪魔よ!」
 影の鉤爪がうなる。
 ザシュッ、という鈍い音とともに、リグルの腕が引き裂かれる。
 その痛みに、リグルの表情が歪む。
「ッ!」
「もう、面倒だなぁ。みんな鳥目になっちゃえ!」
 言って、その影は歌いだした。
 刹那、バチバチッ、っと電気がはじけるような音がする。魔力が空間に展開されたのだ。
 すると物陰に隠れていた子供たちが口々に大きな声を上げて助けを求める。
「何も見えない!」
「真っ暗だよ、怖いよ!」
「助けてリグル!」
 悲鳴というより絶叫に近い声だった。
 それを聞いたリグルは舌打ちする。
「なるほど…あなたは、夜雀だね」
「ふふん、そうよ。あんたも妖怪みたいだけど、私の邪魔するなんていい度胸じゃない」
「私は妖蟲。でも人間を食べるわけでもないから人間と共生しているだけ。
そういう生き方もあるんだよ。ここは引いてくれないかな」
「えっらそうに。人間に肩入れするような奴は一度性根を叩きなおしてやったほうが
いいね!」
 リグルの説得の甲斐なく、夜雀は放射状に弾幕を放つ。
 それを上空に逃れた交わすリグル。夜雀より低空を取るわけにはいかない。流れ弾が
子供たちに当たる可能性があるからだ。
 交わしつつ、リグルは小さく声をあげる。
「私の中の蟲たちよ、目覚めて。この傷を癒して頂戴」
 言い聞かせるようにつむがれるその言葉。終わるや否や、見る見るうちに引き裂かれ
ぶら下がるだけだった腕が再生していく。
「な、何あんた!? キモッ!?」
「気持ち悪いとは失礼ね。私は体内に再生蟲を飼っているの。だから、一撃で即死
させられない限り、そう簡単には死なないよ」
「寄生されてるのね、あんた。何か悪い物でも食べたんじゃないの?」
「あなたたち鳥だって体の中に蟲飼ってるでしょうに!」
 さすがに怒ったのか、リグルが夜雀に向かって厳しい顔で突撃していく。
 けれど、夜雀は余裕を崩さない。右手を胸にあて、左手を広げる。
「あんたも鳥目になるがいいわ。

さあ、私の歌を聴けええええええええええええええ!」

 叫び、そして夜雀は夜空に歌いだす。
 きれいな、きれいな歌声。考えることも忘れて聞き入ってしまいそうなその声は、
星空が歌っているかのよう。
 けれど人間はそれを恐れる。その声は、人間から見える世界を奪うから。
 けれど妖怪はそれを恐れない。見えるものだけが、世界の全てではないから。

「これは…聴覚を通して視覚を奪うのかな。なるほど、目に頼るタイプの生き物には
とても効果的だね。でも……」
 夜雀の放つ弾幕はいくつもいくつも空に浮かび、音がはじけるように小さな弾へと
変じてリグルに襲い掛かる。
 やたら弾数は多いけれど、狙いが甘く弾速も遅い。これは術者が自分も目盲になってるんじゃ
ないかと疑いたくなるぐらいに。
 その弾幕を上下左右に、けれどなるべく射線を地上へ向けないように注意しながら
リグルは避けていく。
 いや、単に避けているのではない。少しずつ、その間合いをつめていく。まるで、
しっかりと見えているかのように。
 リグルはやがてその距離を二丈程度(約6メートル)までつめると、己の妖力を高めだす。
 するとリグルは、まるで花火のように眩しく閃光を放った。間近に迫られていた夜雀は、
しかもこの真夜中に、それも自分の術にかかっているものだと思っていただけに完全に
不意打ちを受けた。きゃっ、と叫び、思わずその手で目を覆ってしまう。同時に、弾幕が
一瞬だけ停止する。

 それが勝敗を分けた。
 夜雀が目を開けたとき、正面にリグルの姿はなかった。
「あいにく、私は視覚を奪われた程度じゃなんら不自由はしないんだよ。蟲だからね。
触覚で、空間を把握することができるんだ」
 背後から、そんな声が聞こえた。
 夜雀は背中に何かを押し当てられるのを感じた。おそらく、リグルの手なのだろう。
「くっ……私の負けよ、好きにしなさいよ」
「……」
 観念してだらんと腕を下げる夜雀。そんな彼女の言葉に、リグルはしばらく黙り込んでいた。


 しかし、それは唐突に訪れた。






 ぐぎゅるるるるぅぅうぅぅ~~……






「……へ?」
「……ぁ」
 リグルは思わず間の抜けた声をあげてしまう。今の音、間違いなく夜雀からした。
 気がつけばだらりと下げたはずの腕はおなかに当てられている。
 リグルが後ろから夜雀の顔を覗き込むと、そこには顔を真っ赤にして恥ずかしげにしている
夜雀の姿があった。
「ちょ、まじまじと覗き込まないでよっ!」
「げふぅっ!?」
 それはまあ、そんなことをすれば当然報いがあるわけで。
 リグルの顔に夜雀の肘鉄が喰らいつく。すさまじい音とともに。下手をすれば弾幕よりも
凶悪なのではないかと思うほどに。
「あいたたた…いきなり肘はないでしょ…」
「あんたがデリカシーないからでしょ!」
「ごめんごめん、でも突然だったからなんだろうって思っちゃって」
 顔を真っ赤にして怒る夜雀に、あははと苦笑いをするリグル。さっきまで弾幕を張りあっていた
とは思えないぐらい打ち解けていた。
「そっかそっか、あなたはおなかがすいているんだね」
「そうよ! だからあんたたちを襲ったんじゃないの!」
「なるほどね。でも人間を襲われるのは困るなぁ」
 言って、うーんとうなって考え込むリグル。
 やがて何か閃いたのか、夜雀の手をとって地上へと降りる。
「ちょ、な、何するのよ!」
「いいからいいから、ついておいでよ。でも、人間は襲わないでね?」
 突然のことに戸惑いながら夜雀は怒鳴るけれど、リグルになだめられて、結局なすがままに
されてしまう。
 地上へ降りると、隠れていた子供たちが二人――1匹と1羽だろうか――を出迎える。
「リグル、怖かったよ~」
「大丈夫、リグル?」
「うん、平気。ありがとう」。
 まるで蟲がわいて来るかのように寄り集まる子供たちににこやかに応えるリグル。
 そのすぐそばで、夜雀はつんとした表情で顔を横に向けていた。
「ねえねえ、すごいきれいなお歌が聞こえたの、あれはなんだったの?」
 子供たちの一人…一番幼い子が、そんなことを聞いてくる。
 やわらかそうな髪の毛を長く伸ばした女の子だった。前髪の左半分をまとめてリボンのような
もので留めている。
 それを聞くと、不機嫌そうにしていた夜雀の表情が一転する。
「それはね、隣のお姉ちゃんが歌っていたんだよ。私のお友達なんだ」
「え? え?」
 突然そんなことを言われて、夜雀は戸惑ってしまう。
 そんな夜雀に、リグルはつんつんと肘で突っつく。
(ほら、あわせて)
 と、小さな声で促す。
「あー、えーと、うん、そうよ」
「そうなんだー。お姉ちゃん、何か歌って!」
 一人が無邪気におねだりすると、他の子も口々に歌ってと言い出す。
 そうやってリクエストをされるのは気分がいいのか、夜雀の表情は上機嫌なものになる。
「そ、そうね、そんなに言うなら、せっかくだから何か歌おうかな」
「そうだね、せっかくだからみんなでお歌を歌いながら帰ろうか。歌いながらなら、みんなも
怖くないね」
 リグルが提案すると、子供たちは次々に賛成する。が、自分ひとりで歌うのだと思っていた
夜雀は少し戸惑ってしまう。
「ま、まあいっか。よーし、じゃあ思いっきり歌うぞっ!!」
 なんだかうまいことこの蟲の妖怪に騙されたような気がしなくはないけれど、
とりあえず気分よく歌わせてもらえそうなので、夜雀はあまり深く気にしないでおくことにした。
 静かな夜空に、夜雀と、蛍の妖怪と、人間の子供たちの歌声が響き渡った。
 それは無邪気に、優しげに。






「見つかったか?」
「いえ…すみません、慧音様」
 紺のワンピースを基調とした服に、学者のような帽子をかぶった少女が、男から
報告を受けていた。
 慧音と呼ばれたその少女は、いわゆる半人半獣であり、ワーハクタクの血が流れている。
そんな彼女は、里において人間たちとともに生きている。
「リグルが戻らないか…まあ、彼女が見つけてくれたなら大丈夫だとは思うが…」
「だといいんですが…」
 里のもの総出で迷子になった子供たちを捜していたのだった。
 しかし夜が更けてもなかなか見つからず、皆の不安と苛立ちは頂点に達していた。
 指揮を執る慧音も、そんな感情からか歯軋りをする。

 そんな場に、突然歌声が響いた。
 声色はひとつではなかった。いくつもの声が、楽しげに折り重なっていた。


♪歩こう、歩こう。私は、元気。
 歩くの大好き どんどんいこう!


 慧音と里のものが一斉に歌声のするほうを向く。
 やがてしばらくすると、森の中からリグルや子供たちが姿を現した。
「おとうちゃん、おかあちゃん!」
「おお、無事だったか!」
 子供は親の元へ、親は子の側へ、互いに走りよる。
 そして抱き合い、ぬくもりを確認し、涙する。
「良かった、本当に良かった……」
「あのね、わたしね、森ですっごくお歌のきれいなお姉ちゃんに会ったの! それで、
一緒に帰ってきたの!」
「え……?」
「ほら、あっち……ぁ」
 子供が指をさした方向。そこでは、リグルと夜雀を、慧音と里のものが取り巻いていた。
 その空気は緊迫していて、重苦しかった。

「どういうことなんだ、リグル?」
「物騒だなぁ、慧音。ちょっと落ち着いてよ」
「これが落ち着いていられるか! そいつは夜雀だろう?
納得のいく説明をしてもらえるんだろうな?」
 慧音は口調を鋭くして言葉を放つ。それとともに、取り巻いていた里の者たちも
身構え、厳しい視線を二人へ向ける。
 はぁ、とリグルはため息をついた。仕方なさそうに口を開く。
「私の友達、じゃ納得いかない?」
「友達、ねぇ……」
 リグルの言葉を反復して口にする慧音。明らかに疑っている。
 それは、ただでさえ先ほどから歓迎とは言いがたい雰囲気で出迎えられ、不満でいっぱい
になっていた夜雀の敵意を刺激するのに十分だった。
「もういいよ、なんなのこれ!? あんたが意味深なこと言うからついてきてみれば
手荒い歓迎だし、あっからさまに喧嘩売られてるじゃない私。何、結局私を騙したわけ?」
「いや、そういうわけじゃないよ。みんなピリピリしてるだけ――」
「ふん、売られた喧嘩なら買おうじゃないの。あんたたちみんな――」
 言い捨てると夜雀は先ほどのように手を胸にあて、歌う体勢をとる。
 それを見て、慧音をはじめ里の者たちは臨戦態勢に入る。もはや一触即発、避けられない
かに見えた。
 ただ一人、リグルだけはそれを止めようと必死にしがみついていた。

「やめて、よすんだ!」

「鳥目になっちゃ――――!!」




 ――――ぐぎゅるるるるるぅうううぅうぅぅぅ~~~~~…………




 ・ ・ ・ ・ ・ ・。

 険悪な雰囲気漂い、今にも血なまぐさい戦いが始まろうとしていたその空間に。
 それは響いた。それはもう盛大に響いた。文字通り、雰囲気をぶっ壊すほどに。
 その盛大な音の張本人…夜雀は、またも顔を真っ赤にしておなかを押さえている。
 一方慧音や里の者たちは目が点になってしまっている。ただ一人、リグルだけは
盛大にため息をついた。
「……こういうことなんだけど、慧音。何か食べるものとかない?」
「…………あ? あー、えーと」
 リグルに声をかけられ、ようやっと慧音はこっちに意識が復帰してくる。が、さすがに
頭の回転まではすぐに戻ってきてはないらしくあいまいに返事をしただけだった。
 ふと慧音が夜雀を見ると、それはもうすさまじい勢いで慧音を睨みつけていた。もちろん、
顔を真っ赤にして。さぞや恥ずかしかったのだろうということが想像に難くない。
 そんな様子を見て、慧音にはむしろ滑稽だ、という思いが沸いた。すると自然に、ぷっ、と
噴出すような笑みがこぼれた。
「……捜索隊用の夜食の握り飯がまだいくつかあったかな。おい、ちょっと持ってきて
くれないか?」
「は、はあ? よろしいので?」
「かまわないさ…こいつがそんな悪さをするようにも思えない」
 慧音は傍らの男に言いつける。その男は呆気に取られてはいたものの、未だに
妖怪相手ということで警戒を解いてはいなかったが、慧音の言いつけなので
仕方なく言われたとおりにした。

 しばらくして、笹に包まれた握り飯をいくつか持ってきた。それを受け取った慧音は、
夜雀に向かってそれを差し出す。
 相変わらず夜雀は慧音を睨み殺しそうな勢いだったが、しかし空腹と目の前のおむすびの誘惑
には勝てず、ゆっくりとその手を伸ばしてとり、そして思い切りがぶりつく。
 するとどうか。先ほどまで恥ずかしさと敵意で顔を真っ赤にしていた夜雀は、今度は
幸せそうな顔で赤くなる。ぱあぁぁっ、っと輝いた。
「おいひー」
 むしゃむしゃと一心不乱にむさぼる。そんな抜けた様子に慧音もリグルもどこか
親しみを覚え、自然に笑みが浮かぶ。
「ああ、そういえばまだあなたの名前を聞いていなかったね。なんていうの?」
 思い出したようにリグルがたずねる。が、夜雀は適当に視線を向けただけで、すぐに
それは手元のおにぎりへと戻っていく。
「人に名前を聞くときは、まず自分から名乗るのが礼儀じゃない?」
「違いない」
 夜雀の返答に、リグルは苦笑する。
「私はリグル。リグル=ナイトバグよ。さっきも言ったけど、妖蟲。こっちは――」
「上白沢 慧音。ワーハクタクだ。人間の里で……まあ、一緒に暮らしている」
 二人の自己紹介を受け、夜雀は食事の手を止める。
 まだ口の中に入っていた握り飯をごくっと飲み込むと、二人に対して向き直る。

「私はミスティア。ミスティア=ローレライ。
国民的アイドル歌手よ!」

「「嘘だぁ」」

 夜雀――ミスティアの自己紹介に間髪いれず突っ込んだリグルと慧音は、光の速さで
後ろ回し蹴りを喰らって夜空の下吹っ飛んだ…………











Chapter2:a day~里での平凡な一日~


 冷たい空気に誘われてリグルは眠りから目覚めた。
 もそもそと布団から起きだす。
 本来妖蟲、さらに言えば光りの蟲たるリグルにとっては、人間のように布団で眠る必要など
ないのだが、慧音の好意によってこうして小さな小屋と暖かい布団を与えてもらった。
 大きくあくびをする。ちょっとはしたないかな、なんて思いながら。

「…………?」
 と、何か聞こえてきた。
 人の声のようなもの。耳を澄ますと、それは歌のように思えた。


 ――♪あ~た~~~らし~い~あ~さがきたっ
    き~ぼ~~~のあ~さ~~がっ


 リグルは黙って小屋を出た。何かを決意したように。


 一方、里の広場では一人朝凪に吹かれて気持ちよさそうに歌うミスティアの姿があった。
 手近な岩に腰掛けて、その綺麗な歌声を、優しくなでてくれる朝凪に乗せていた。

「♪よ~ろこ~~~びにむねを「どつく!!」

 どすっ!!
 鈍い音がした。突如飛翔してきた影が、歌うミスティアの小さな胸に両足をそろえて
蹴りを突っ込んだ。影は、他ならぬリグルその人であった。
 そのすさまじい衝撃に、しかも不意を撃たれて、ミスティアはひっくり返ってずっこける。
「朝っぱらから大音量で歌わないの! 近所迷惑でしょうが!」
 痙攣しているミスティアに向かってリグルは怒鳴る。
 しばらくするとふらふらしながらミスティアは立ち上がった。
「痛たたたた…っていきなり何すんのよリグル!」
「まだお日様も昇るか昇らないかっていう時間だよ? 少しは考えなさい」
「何よぅ、せっかく私の歌でさわやかな朝を迎えてもらおうと思ったのに……」
 ミスティアは頬をぷぅっと膨らませる。不満の色がありありと見える。
 リグルは盛大にため息をついた。これでよかったのかなぁ、と思いながら。

 あの出会いの日から、なぜかミスティアは里に居ついてしまった。餌付けをした動物が
人里に居ついてしまったかのように。
 最初は慧音をはじめ里の人々も警戒していたが、とりあえず好き勝手に歌を歌うだけ
なので基本的には放っておかれているようだ。
 そしてミスティアのストリートライブに里の人々が食べ物をおいていったりするので、
食い扶持にも困っていない、というわけだ。そんなわけで、里に居ついている次第である。
 もっとも、いたずらで里のものを鳥目にしたときは、慧音にこっぴどくしかられたらしい。
何か「いやぁああ!!」とか「ひぎぃ!!」とかいう悲鳴が聞こえてきたらしいが、この辺りは
リグルが詳細を知るところではない。

 そうこうするうちに里の人々が起きだしてくる。
 リグルやミスティアの姿を見かけると、気さくに挨拶をしてきた。
「おう、リグル、みすちー。早いもんだな!」
「あ、おはようございます」
 リグルはぺこりと頭を下げた。ミスティアも元気に手を振って応える。
「これからお仕事ですか」
「おう、んじゃいってくるぜ」
「気をつけて~」
 里の人々の朝は早い。もう山へ野良仕事へ行く人などは、こうして働きに出るのである。
「みんな起きだしたんじゃ私も朝ごはんにしようかな。朝っぱらから蹴っ飛ばされて
めっちゃくちゃ痛いけど~」
 あてつけがましく言って、ぱたぱたと飛び立っていくミスティア。それを見て、リグルは
苦笑して、口を開く。
「やれやれ…私も、朝ごはんにしようっと」
 朝日に照らされたリグルの顔は、とても明るかった。






 秋は収穫の時期であり、また冬に備える季節であるため里の大人たちは毎日忙しい。
 風に揺られ光にきらめく稲穂の海を、刈り入れをしている人々が掬い取っていく。
 すでに収穫された稲穂の藁は三角に積み上げられて、お天道様を浴びて干されていた。この後
家畜の飼料や敷料となる。
 また、諸所で干し柿や漬物を作り、冬に備えていた。

 その一方で、陽射しもやわらかくなり穏やかな風が吹き抜けるこの季節は子供たちにとっても
とても遊びやすい時期。
 ましてやたくさんの木の実が成り、また落ち葉が落ちたり、虫がいたり動物がいたりする
季節だけに、なおさらだった。

「……」
 じーっと、里の子供が川辺の叢を見つめている。
 ゆっくりと、ゆっくりと近づいていく。
 期待と遊び心で、にんまりとした表情をしていた。
 両の手をわきわきとさせて、そして――

「――あ」
 その手は、何もつかめなかった。
 叢にいたもの――トンボは、捕まるものかと空に飛んでいってしまっていた。
「あははは、そんなんじゃ捕まりっこないよ」
「う~」
 そばでリグルが笑うと、トンボを捕まえ損ねた子供がふてくされてうなる。
「でも、この時期トンボは子孫を残すために大事な時期なんだ。できるなら、じっと眺めるだけで、
そっとしておいてあげてね?」
「え~、つまんない」
 リグルの言葉に子供はぷぅっとほっぺを膨らませた。そうこられるとリグルも困ってしまい、
苦笑してしまう。

 人の里において、リグルは人々の蟲にまつわる生活について関わっている。
 主には、養蚕や養蜂。人々に蟲の恩恵を与え、代わりに守ってもらい、持ちつ持たれつ
共存している。
 養蚕も一段落つくこの時期は、子供たちに付き添って遊び、面倒を見ている。
 もっとも、本人も保護者というより子供たちの遊び仲間なのだけれど。

 と、他の子供たちが遠くから駆け寄ってくるのが見えた。
「ほら、みんな来たよ。あっちでみんなと一緒に遊ぼうか?」
「うん、そうする。リグルも来るよね?」
「そうだね、そうしよ――」
 言いかけて、リグルの言葉が止まった。
 歌が聞こえてきたからだ。
 澄んだ歌声は風に乗ってリグルの耳をくすぐる。そんな歌を歌えるものを、リグルは一人しか
知らない。
 歌の流れてきたほうへ目をやる。
 そのずっと向こうに、一人ぽつんと歌っているミスティアがいた。
 一人川辺の岩場に腰を下ろして遠くを見つめ、誰に聞かせるでもなく静かにその調べを
風に乗せるミスティアの姿は、どこか幻想的な風景に思えた。
 リグルが思わず見とれてしまうほどに。
「ごめんね、先行ってて」
「うん、ちゃんときてよ!」
「わかってるよ」
 返事をして、リグルはミスティアのほうへと飛んでいった。



「♪ちいさいあ~き、ちいさいあ~き、ちいさいあ~き――♪」
「み~つけたっ!」
 えっ、という言葉は声にならず、驚いたミスティアは歌の続きを奪っていった声の主へと
振り向く。
 そこには、にっこりと笑ったリグルが立っていた。
「何よ、せっかく気分良く歌ってたのに」
「あっはは、ごめんごめん」
 ミスティアが口を尖らせると、リグルは苦笑いをして謝る。
「隣、いいかな?」
 と、リグルがたずねても
「好きにすれば」
 ミスティアはそっけない。
 もっとも、リグルは気にした様子もなくミスティアのそばにそっと座る。
 それからどちらも声を発せず、ただ風だけが歌声を奏でていた。
「――何か用?」
 先にしびれを切らしたのはミスティアのほうだった。相変わらずとげとげしく聞いてくる。
「んー……ミスティアが、一人で歌っての、見ててさ」
 ライトグリーンのミスティアの瞳を覗き込んで、リグルは言う。
「良かったら、私たちと一緒に遊ばないかな、って思ってね」
「嫌よ」
 即答だった。それはもう音速の黒白なんて目じゃないぐらいの速さだった。
 一瞬、間が空く。けれどすぐにミスティアはぷいっと顔を背ける。
「なんで私が面倒な子守なんてしなきゃならないのよ」
「子守って言うか、単に一緒に気持ちよく歌えればいいかなぁ、って思うだけなんだけど……」
「私は気ままに歌いたいの。どうして他の奴らに付き合わなきゃいけないのよ」
 言い捨てると、ミスティアは立ち上がる。
 そしてその翼を羽ばたかせると、リグルがとめるまもなく青い秋空へ向けて飛び立っていった。
 後に残されたリグルは、ただただ苦笑するばかり。
 でも、どこかそれは微笑を含んでいて。
 なぜなら、リグルは知っているから。
 たとえば小さな子供が転んで泣いてしまっている時に――ミスティアが、元気付ける歌を歌って
あげて、泣き止ませてあげたこと。
 たとえば心の落ち着かない、そんな夜に――ミスティアが、静かな歌を夜風に乗せて
里の人々の心を穏やかにしてあげたこと。
 素直ではないのだ、ミスティアは。もちろん、必ずしも誰かのために歌うことを意図していた
わけではないことも多いけれど。でも、性根は優しいのだとリグルは思っている。
 もっとも、単に勝手気ままだというのもあるが。
 ちょっぴり、これまで一人ぼっちの時間が長かっただけ。
「リグル~、ま~だ~ぁ?」
 遠くで、リグルを呼ぶ声がした。なかなか来ないのを見て子供たちが痺れを切らしたのだった。
「待ってて、今いくよ」
 返事をして、リグルは子供たちのところへ走っていった。
 ミスティアの歌っていた、秋の余韻を残して。




「ほんっと、やんなっちゃう……」
 ぶつくさとふてくされながら、ぱたぱたと空を飛ぶミスティア。
 どこへともなく、ふらふらと羽を広げて飛んでいた。
「あいつもなんであんなおせっかい焼きなのかなぁ…」
 飛びながら腕組をしてつぶやく。けれど、文句の割には、そんなに嫌な気持ちはしていなくて。

 と、ミスティアの鼻を甘い香りがくすぐる。
「お?」
 眼下を見下ろす。
 葉をつけた木々。その緑の中に、朱の点が広がっている。
 柿の木だった。そういえば秋も中ごろ。朱く成った柿の実は、とてもとても甘そう。
 甘い芳香に誘われて、ミスティアはふらふらと柿の成る木々の中へと降りていった。

「おー」
 地面に降り立って見上げるその光景は、二度ミスティアをうならせた。
 黄昏色に朱く染まったその実が、木々をも染めんばかりに実っていた。
 食べたらどれだけ甘い味がするだろう。そんなことを思うと、思わず顔が緩んでしまう。

 がさがさ。

「ん?」
 物音がした。誰かいるようだ。
 ミスティアは音のしたほうへと近寄っていき、それを確かめる。
 そこには、人間の男がいた。年は中年期に差し掛かったころだろうか。しかし中年太りは
しておらず、引き締まった体をしている。
「あ――おっちゃん!」
「おう、みすちーじゃねぇか」
 その姿を見ると、ミスティアは飛び出していった。男もまたミスティアの名を呼んで
出迎える。
 ミスティアはその男のことを『おっちゃん』と呼んでいた。実際の名前については良く知らない。
が、それで通じるしあちらもそれについて何も言わないので、そのまま通っている。
 この男には良くなついているのか、ミスティアは人懐っこいしぐさを見せたりもする。
 もっともそれは、単に甘やかしてくれるからかもしれないし、もっと言えばおいしいものを
くれるからかもしれない。ミスティアは良くこの男の田畑にきては、取れたての作物を
もらっていたりした。
「おっちゃん何してるの?」
「見ての通り柿の収穫さ。手伝いもいるがな」
 男がにやりと笑う。その足元には、男の服をつかんでいる小さな女の子がいた。
 リグルと出会ったときにいた、やわらかい髪の毛をした女の子だった。
「どうだいみすちー。取れたてのをひとつ食ってみるか?」
「うん!」
 願ってもない申し出に迷うことなく返事をするミスティア。目がきらきらと輝いていた。
 男はがははと笑って、かごの中から1つ柿の実を取り出して差し出す。
 それを受け取って、思い切り口をあけて、がぶり。かじりつく。
 甘い味が、ミスティアの口の中でとろけていく。
 一緒に、その表情もまた。むしろ幸せそうにやわらかくなる、というべきか。
「おいしぃ~!」
「わはは、そうだろうそうだろう。なんつっても取れたてだからな! 新鮮で甘いだろう」
 男はがさつに笑いながら、その大きな手でミスティアの頭を雑に撫で回した。
 ちょっとだけ驚くけれど、でも嫌がってはなくて。
 と、男の服がくいっ、くいっと引っ張られる。女の子が、私にもほしいとおねだりをしていた。
 おっと、と男は言うと、かごの中からまたひとつ取り出して女の子に差し出す。
 女の子もまたミスティアにならって、思い切りかぶりつく。たちまち、その表情がほやほやと
やわらかくなっていく。
「みすちー」
「ん、なあに?」
 女の子は、今度はミスティアの服のすそを引っ張った。
「お歌、歌って」
「ん~…そうね、じゃあ一緒に歌おっか」
「うん!」
 女の子は元気に返事をする。男は、お~、と言いながら拍手をすると、黙って聞く態勢に
入る。

「「♪かきねのかきねのまがりかど~ たき火だたき火だ落ち葉たき~♪」」
「おいおい、そりゃ『かき』違いだろ」

 男は苦笑いしながら突っ込むけれど、少女二人は笑いあいながら歌をつむいでいく。
 秋の日は、暖かな木漏れ日に見守られて、ゆっくりと暮れていく。
 そんな、里の秋のある日のこと。











Chapter3:Sing in the Rain~涙の雨の中、狂想曲を歌う~


 漆黒の闇。暗い雲に覆われたその空は重苦しく。
 けれどそこに光はある。
 里から上がる火の手の放つ光が。

 蟲の知らせを聞いたリグルが急いで里全体に妖怪の襲撃を知らせて、間一髪奇襲を免れた。
 しかしそれでも迎撃する準備をするための時間はほとんどなく、そのまま戦闘になだれ込んだ。
 たちまち剣戟の甲高い音が響き、里は混迷のさなかに叩き落とされる。
 それでも、慧音は必死に里の人々を統制しようとしていた。

「散り散りになるな、まとまって戦うんだ!
女子供は山へ逃げるんだ! はぐれるな、急げ!」

 指揮を執りつつ、慧音は目の前の子鬼のような妖怪を手元から放つビームで薙ぎ払う。
 貫かれた妖怪たちは、断末魔と血飛沫をあげて崩れ落ちていく。
 同時に大型弾を大雑把に放射状に放つ。当たることなど期待していない。ただの牽制だ。
「リグル! お前は女子供を頼む」
「わかった!」
 肩を並べて戦っていたリグルに慧音が言うと、すぐにリグルは戦線を離脱する。
 そして、自ら発光して未だ逃げ遅れた里の人々を明るく照らす。
 光は、逃げ惑う人々を導き、その心を落ち着かせていく。
「慧音、この方法は同時に敵の的になる! 後はお願いね」
「任せろ、ここから先へは一歩も行かせん」
 二人がそんなやり取りをした直後、リグルの光めがけて弾幕や、あるいは妖怪そのものが
飛んでくる。
 まるで、飛んで火にいる夏の蟲のように。
 慧音の手から光が放たれ、慧音を三角形に囲むように背後に二つ、前にひとつ展開する。


 ――虚史『幻想郷伝説』」


 鮮やかな紅い光が無数の矢となりて迸る。
 その光は無数に展開した妖怪たちを貫き、撃ち墜としていく。
 暗夜に妖しい光を照り返す血飛沫の霧。それは、紫色に輝いて。
 見ればおかしくなってしまいそうな、そんな光景。

 藻屑と散る襲撃者たち。
 しかし、その屍を、文字通り飛び越えて新手がやってくる。
 それを見て慧音の表情は険しくなり、ぎりっ、とその口元が厳しく結ばれる。

「慧音様!」
 不意に声をかけられた。
 慧音が振り向くと、それはミスティアが『おっちゃん』と呼んでいた男だった。
「女の子が一人逃げてる間にはぐれたそうなんで。見当たらないんですよ」
「何だと!?」
 その報告を聞いて、慧音は思わず叫んだ。
 なんと、間の悪い。
 探し出さなければ危ない。だが、正直なところ目前の防戦でいっぱいいっぱいだった。
 かといって、リグルは女子供を守ってもらっている。今、彼女に離れてもらうわけにはいかない。
「俺が探しにいってきます。慧音様は敵を」
「すまない、頼まれてくれるか?」
「お安い御用でっさぁ」
 男はにかっと笑うと、駆け出していった。
 その背中を見送りながら、慧音は目の前の苦境へと向き直った。
 はぐれてしまった子は無事だろうか。心配から、どうしても気が散ってしまう。
 せめてミスティアがいてくれれば……そんなことを思ってしまう。


 勝手気ままなミスティアは――こんな日に限って、里にいなかった。





 えーん、えーん……
 闇夜に響く泣き声。母を求めて走るその声。
 小さな女の子が泣いていた。人影の消えた里で。
 やわらかい黒髪、その前髪を左半分束ねた女の子。
 いつかの日、ミスティアに出会い、あるいは一緒に歌った女の子だった。

 ここはどこだろう。
 まっくら。わからない。みんないない。
 さびしくて、こわくて。
 わかんない。なみだが、とまらないよ……
 だれか。
 だれか、きて……

「こんなところにいたのか」
 女の子は、びくっと体をふるわせた。
 低く響く声。大きな影が、女の子の前に広がる。
 でも、すぐに安心する。
 よく、見知った姿だったから。
「おっちゃん!」
「おーよしよし、いい子だ」
 ひしっとしがみついてきた女の子を抱きとめてやる。
 大きな手でなでてやると、幾分か落ち着く。
「ったく、迷子になって、こんな蔵まできてんじゃねえぞ? 今おっちゃんたちはなぁ、
みんながんばってんだ」
 男は少し厳しく言う。
 女の子は――親とはぐれた後、一人で里の蔵にまで歩いてきてしまったのだ。その建物の
入り口で、ひざを抱えて泣いていたのだった。
「さ、行くぞ」
「うん」
 男は女の子の手を引っ張って立ち去ろうとした。
 瞬間、羽音とともに辺りに気配がした。
 男の表情が引きつる。すさまじい速さで振り返ると、そこには妖怪たちがいた。
「な、別働隊だと!?」
 とっさに得物を構える。
 にやにやと、暗闇の中でもわかるほど残忍な笑みを浮かべていた妖怪の一匹が突風のごとく
襲い掛かる。
 その鋭い爪を、男はかろうじて剣で受けた。
「お嬢ちゃん、蔵の中へ行け!」
「ッ!」
 恐怖にこの世のものとは思えない悲鳴をあげて、女の子は蔵の中へと逃げていった。
 妖怪たちは酷い笑い声をあげてそれを追おうとするが、男がその前に立ちふさがった。
「行かせねぇっつってんだよ!」
 大振りに思い切り剣を振るう。
 当てるつもりはない、ただの牽制だ。
 体勢を戻しつつ、眼前の敵を見回す。
 妖怪が複数。二桁に達するか達しないか、というところだろう。
 対して自分は一人。
 人間が一人で複数の妖怪を相手にするなんてことは、あまりにも馬鹿げていた。
 それこそ、博麗の巫女でもなければ……
 その無謀を男は承知していた。否、承知しているならば無茶というべきか。
 しかし男は妖怪たちの前に立ちはだかった。
 里を守る防人として、ここを抜かせるわけにはいかなかったから。
 ただ、この奥にいる女の子は、自分だけで守ることはできそうにない。そのことも、
深く承知していた。
 誰かに気付いてもらって、助けてもらうしかない。
 手を伸ばし、こんなこともあろうかと装備しておいた爆竹を取り出す。
「こんなろォ……」
 男は覚悟を決めた。同時、妖怪たちも臨戦態勢に入る。
「あんまし人間様を甘く見てんじゃねぇぞ!!」
 男は闇夜に吼えた。
 その向こうから、妖怪が火炎の術を放つ。
 そこに爆竹を投げ込む。
 派手な音と光が辺りに炸裂する。
 突然のことに妖怪たちは一瞬ひるんだ。そこに男はがむしゃらに斬り込む。

 闇夜に、一輪の華が咲いた。
 それは、命という名の、儚い光の華。






「は~、今日も気持ちよく歌えたわ~」
 夜空をぱたぱたと、ミスティアが飛んでいた。
 その表情は気持ちよさそうだった。
「たまにはあいつらの演奏に合わせて歌うのも悪くないかなぁ」
 などと思いながら、ミスティアは先ほどまでいた紅魔館でのライブを思い返していた。
 彼女の歌に目をつけたプリズムリバー三姉妹と、かねてからユニットを組む話をしていた。
 そして今日、紅魔館にて初ライブを行ったわけである。
 三姉妹の演奏に乗り、ミスティアの歌は絶好調だった。
「帰ったらリグルに自慢してやろっと」
 顔に出るほどうれしそうにして笑いながら、ミスティアは里をめがけて飛んでいく。

 そしてその表情は、里へ近づくほど驚愕へと変わっていく。

「何…これ…どういうこと!?」
 叫ばずにはいられなかった。
 外壁のあちこちから火の手が上がっている。
 夜でも遠くを見渡せるミスティアの目は彼方でたくさんの人影を映し出した。
 慧音の指揮下、皆必死で戦っていた。
「里が…襲われてる…」
 呆然と、震える声でつぶやく。

 刹那、眼下に光が見えた。一緒に、すさまじい音が響く。
 驚いて、ミスティアはそちらへと目を向ける。
 大きく目を見開く。
 表情が、驚きから愕然としたものへ、そして――絶望に似たものに、変わっていく。

「おっちゃん!」

 ありったけの声で叫び、急降下していく。
 夜雀の少女のつぶらな瞳に映ったもの。
 それは、ある里の男の、最後の閃光だった。


 普通に飛んだって、ほんのわずかな時間でたどり着けるはずの距離なのに。
 それが、無限に続く果てない道のりに感じられて。
 紅魔館のメイド長でもないのに、流れていく時間がひどく遅く感じられて。
 目の前に広がる光景が、スローモーションで再生されていくようで。
 ミスティアの人ならざる耳は、己が内の鼓動を絶え間なく聞き取り、それがずきり、ずきりと
脳に突き刺さる。
 求めるように、その手を伸ばす。
 けれどその手は何もつかむことかなわず。
 伸ばした手が一瞬ミスティアの視界を覆う。
 その一瞬前、全身傷だらけになった男へ向かって、妖怪の一匹が剣を振りかぶっていた。
 ミスティアの視界を覆った彼女の小さな手が、視界から消える。

 そこに飛び込んできたのは。
 返り血を浴びて下卑た笑い声を上げる妖怪と。
 肩から胸へかけて深々と斬り下げられた男の姿。

「おっちゃん!!」

 胸の中の空気を、吹き付ける風のように強く吐き出して絶叫する。
 同時、疾風のごとく妖怪たちの間を翔け抜けていく。
「どけぇっ!」
 ミスティアは叫びながら、男を斬り伏せた妖怪めがけて蹴りこんでいく。
 すさまじい音とともに、妖怪が吹っ飛ばされた。
 そんなものには目もくれず、ミスティアは崩れ落ちた男を抱き上げる。
「おっちゃん、しっかりして!」
「……おー、その声は、みすちーか……」
 男は目を開けていたけれど、すでに光を映していなかった。声も、力なく弱弱しく呼吸する
息がかろうじて声になっているぐらいだった。
 ひゅー、ひゅーとかすかにする息で、男は残る力を振り絞って声をつむぐ。
「蔵の中に……女の子……あと……たのむわ……」
「おっちゃん!? わかったよ、わかったからしゃべらないで! すぐに手当てしたげるから、
知ってる顔にすんごいお医者さんがいるんだから!
 だからしっかりして!」
 震える声で、搾り出すように、必死に呼びかけるミスティア。
 けれど、男がその呼びかけに応えることはなかった。
 里の防人たる男は、役目を全うして、死んだ。
 もはや物言わぬ骸を抱えたまま――ミスティアの腕は震え、その口は音にしかならない
声をあげ続けていた。


 突然の乱入に混乱した妖怪たちだったが、ミスティアの様子を見て少しずつ冷静さを
取り戻していく。
 いきなり襲い掛かったりはせず、ゆっくりと間合いを詰め、様子を伺っている。
「なんだこいつ」
「ただの夜雀だな」
「なんだか知らねぇが、手向かうならかまわねぇ、やっちまえ」
 里の男を斬った妖怪が、まだその血が滴るその剣を振りかぶって、叫ぶ。
 妖しい銀色の輝きを放つその剣は、真っ直ぐに振り下ろされる。


 ザシュッ!
 絶叫が、響き渡る――


「お? あ、ガアァアアァッ!?」
 ――妖怪から。
 剣を持っていたはずの腕は、肘から先が、無い。鮮血を噴出していた。
 妖怪の眼前には、手の鉤爪を振り切ったミスティアの姿があった。
 うつむいた顔には、昏い影が差していた。
「あんたが――」
 ミスティアが顔を上げる。
 その形相に、妖怪が怯える。
 憎悪。怒り。そんな色に染まったミスティアの顔。
 涙を含んだその目には、暗い光が灯っていた。




「おっちゃんを、殺したあぁっ!」




 鈍い音が光り無き闇夜に響く。
 続いて、呻きとも苦悶とも言いがたい声。
 ミスティアの腕が、妖怪の胸を貫き、肋骨を断ち割って、心臓をぶち抜いていた。
「耳障りな声ね。いえ、声ともいえないわ。ただの雑音」
 温度のない冷酷な声で言い放つミスティア。
 昏い表情。慈悲のない鋼鉄のように。
「でも、せっかくだから聞き苦しいあんたの声で、一曲歌わせてあげるわ。
生きてるうちに一度しか歌えない曲よ」
 言いながら、ミスティアは腕をわずかに動かす。ずっ、という音がした。
 次の瞬間。
 勢いよくその腕が引き抜かれる。すさまじい勢いで血が噴出し、血管が引きちぎれる音がした。
 ミスティアはその手の中で脈打つ心臓を、握りつぶした。
 プチュッ、という淡白な音とともに、肉の混じった血が滴り落ちる。
 妖怪が、絶叫をあげた。それを、あるいは歌というのかもしれない。
 断末魔という名の、狂想曲。

 糸の切れた人形のように、骸に変じた妖怪が崩れ落ちていく。
 その返り血を浴びて、ミスティアは真っ赤に染まっていた。
 まるで、昏い炎が燃え上がるかのように。

 虚ろな仕草で、ミスティアはゆっくりと残る妖怪たちへと向き直る。
 そのあまりにも機械的な動作の不気味さに、妖怪たちは思わず身を震わせてしまう。
「あんたたちは絶対に許さないわ。だから一匹残らず――」
 発せられる声はひどく高かった。冷たくもあり、どこか熱くもある。
 憎しみと怒りの炎にかざされた声。
 そして、その小さな口は、続きの宣告をつむぐ。


「殺してあげる」


 壊れた笑みを照らす昏い炎。
 おかしそうに笑う口元は歪んでいて。
 その目には狂気を孕んでいて――そして、涙を含んでいて。
 憎悪と怒りに身を任せながらも、ミスティアは……泣いていた。








「まいったな……」
 左右に子供を抱きかかえたまま、リグルはぼやいていた。
 避難させた後に、リグルも子供が一人見当たらないことに気付いていた。
 その親が狂乱して捜しにいこうとしたが、慧音が何とかしてくれると、半ば押さえつけるように
言い聞かせた。
 できるなら探しにいきたい。しかし、今自分が離れるわけにはいかない。葛藤するリグルは、
うつむいて沈んだ顔をしていた。
「リグル……」
 寄り添う子供たちが不安げにリグルの名前を呼ぶ。
 いつも一緒に遊んでいた子がいない。その子のことを思い、子供たちもまた、心配で
ならなかったのだ。
 リグルは子供たちをぎゅっと抱き寄せる。それしか、できなかった。
「行っといで、リグル」
 不意に声をかけられた。リグルが声の主へと顔を向ける。里での古株のおばさんだった。
「でも……」
「あたしたちは大丈夫さ。それよりも小さな子をひとりぼっちにさせとくほうが危ない。
ここは任せて、行ってきな」
 そう言われたリグルは、子供とはぐれた母親の方を向いた。
 真っ直ぐにこちらを見つめている。その目はすがるような眼差しをしていた。
 リグルの決意が固まる。こくん、とうなずくと、両脇の子供たちを離して立ち上がる。
「行ってきます。すぐ、戻るから」
 真っ暗な夜空へ向けて、リグルは飛び立っていく。
 きつく歯を食いしばった顔。焦りが見え隠れしている。

 ぽつっ、ぽつっ。

「雨……」
 そんなリグルの頬を、水滴が刺した。
 そうかと思うと急激に雨が降り注いでくる。

 誰かが涙したような、そんな強い雨だった。




「雨が降ってきたぞ! 火の手はこれで消えよう。正面の敵を追い返せ!!」
 漆黒の闇の中、慧音が人間たちを叱咤激励する。
 そこへ、妖怪が凶刃を振るう。
 しかし人間を指揮する慧音の鞭が唸り、振り向きざまの一閃で打ち落とされる。
 そのまま慧音は正面の敵に向き直る。
 今宵の攻め手はこれまでとは格段に違い、熾烈なものだった。
 もはや里の人間たちに余力は残されていない。しかし、妖怪たちの攻撃は夜更けとともに
一層激しいものとなってきた。
 焦燥に慧音の顔が歪む。
 しかし、焦っている理由は戦況だけではなかった。
 はぐれたという女の子を探しにやった男が帰ってこない。何かあったのかもしれない。




 ピリイィッ!!




「「!?」」

 離れたところにいるはずの慧音とリグルは、同時にその感じを感じ取った。
 まるで電撃が走ったかのようなその感覚。
 空気が震えている。とてもとても強い怒りと、憎しみに。
 そして膨れ上がる巨大な妖力。

「これは…いったいなんだというのだ!?」
 突然の未知なる出来事に、慧音は驚愕する。

 そしてリグルは……驚くとともに、どこかかなしそうな顔をした。
「強い怒りと憎しみ、けれどその中で……泣いている。かなしくて」
 触覚をひくひくと動かしつつ、ぽつりとつぶやいた。
 けれどすぐに表情を戻す。何かあったのかもしれない。そう思い、リグルは力を感じる方へと
飛んでいった。

 感じた異変の出所は、里の蔵だった。
 降り立ったリグルは、自ら光り輝いて深い闇を照らしてあたりを伺う。
「リグル!」
 闇の中から声がした。照らす光をそちらへ向ける。
 駆け足で近寄ってくるその影は、探していた女の子に他ならなかった。
「君は…良かった、無事だったんだね」
「リグルッ!」
 女の子はそのままリグルに抱きつく。
 そしてリグルはその耳に聞く。女の子のすすり泣く声を。
「……っく、おっちゃ、うごかな、みすち、おかし、っ!!」
「何、何があったの?」
 途切れ途切れにしどろもどろになってしまっている女の子の言うことは、はっきりと
聞き取れない。何とか落ち着かせてやろうと背中をなでても、一向にその気配は見えなかった。
 しかし、何かが起こったことは確信できた。リグルは女の子を抱きかかえて、蔵の入り口の
ほうへと歩みを進めていく。

 そして入り口にたどり着いて目に入ったのは。
 物言わぬ骸となりて転がっていた、男の姿だった。
「おっちゃん!?」
 その光景にリグルは驚愕する。理性が吹き飛んでしまいそうになり、体がわなわなと震える。
 崩れそうになる自我を、傍らにいる女の子を連れ帰らないといけないという使命感で
無理矢理立ち直らせる。
 注意深く辺りを見回してみる。すると、リグルの驚愕はなお一層大きくなった。
 妖怪が、何匹も無残な姿で転がっていた。引き裂かれたり、胸をえぐられたり、それはもう
目も当てられない光景だった。
 思わず、目をそむけてしまうほどに。
 そんなリグルの耳に、悲鳴が聞こえてきた。
 様子を確かめるために、リグルは声のしたほうへと駆け寄っていく。
 そちらでも、妖怪たちがずたずたにされて死んでいた。


 そして、リグルのエメラルド色の目に飛び込んでくるもの。
 、弾幕で打ち抜かれ、もはや抵抗できなくなった妖怪の首元に鉤爪を突き刺し。
 一気に斬り下げ、妖怪の体をバラバラに引き千切った、ミスティアの姿。


 リグルは腕の中の女の子を強く抱きしめ、その光景を見せないようにした。
 同時、地獄のような絶叫が響く。断末魔という名の最後の歌。
 青ざめた顔でリグルはミスティアを見つめる。瞬きすら忘れて。
 血に塗れ雨に濡れたその姿が、とても怖いものに見えた。
 だけれど、同時に――ひどく、哀しそうに見えた。
 泣いている。狂気と、怒りと、憎しみに歪んだそのかわいらしい顔は、その影で
声にならず涙を流していた。
「ミ…ス…ティア…」
 かけてやるべき言葉を見つけられず、それでも手を伸ばしたくて、震える声で名前を呼ぶリグル。
その声は雨のカーテンにさえぎられて届かなかったのか、ミスティアは動かずにいた。まるで、
虚ろな人形のように。
 空白。永劫とも思えるぐらいの長い時間のような錯覚。
 だけれど、その錯覚は雨に流され、時は流れ出す。
 雨に濡れてなお、ミスティアは翼を広げ、羽ばたかせる。
「…ろしてやる」
「えっ」
 ミスティアの低いつぶやくような声に、リグルは間の抜けた声を返してしまう。
「こんなことをした奴ら、みんな殺してやる!!」
「ミスティア!!」
 リグルの制止などまるで聞かず、突風となってミスティアは飛翔していく。
 その羽音の余韻は、まるで……泣いているようだった。
「リグル…」
 抱きかかえたままの女の子が、リグルの腕の中でその名を呼ぶ。
「みすちー……怖いよ」
「……ミスティアはね、泣いているんだよ。悲しくて、哀しくて、仕方ないから」
 ぎゅっと強く抱きしめて、リグルは言い聞かせてやった。
 そして、ミスティアの飛び去っていったほうを見つめる。外壁の方向だった。
 とめなきゃ。
 リグルは、こくんとうなずくと、女の子を抱きかかえて飛び立っていった。



「みんな、ここが正念場だぞ!」
 陣頭に立つ慧音が里の人々を叱咤しつつ、自らも弾幕を放ち妖怪の群れと戦う。
 もう後がない。その苦境に、慧音の表情が歪む。

 刹那、突風が吹いた。
 慧音たちの背後から、風巻く何かが躍り出てきたのだ。
 同時に感じる妖気。先ほど感じたあの気そのものだった。
「あれは…ミスティアか!?」
 空を見上げた慧音が口を開く。
 しかし、様子がおかしい。普段のそれとはまるで違った。
 目には狂気を孕み、その雰囲気は死臭を漂わせていた。
 ぱっと見た感じでは、到底同一人物とは思えないほどだった。あれが普段、天真爛漫に歌を
歌っていただけの夜雀だったのだろうか。
 ミスティアの妖気が膨らんでいく。その手には、スペルカード。
 それを放つと、いくつもの光が雨空に展開し、そこから弾幕が生まれ、挟み込むようにして
妖怪の群れに襲い掛かる。否、妖怪にだけでなく、里の人間たちにたいしても、見境なく
力任せにぶっ放された。
 同時に、ミスティアはその弾幕を背景にして自ら高速で急降下していく。
 さながら、獲物を狙う猛禽のごとく。


 鷹符『イルスタードダイブ』


 弾幕が炸裂し、ミスティアの鉤爪が妖怪の肉を捉える。
 たちまち妖怪の群れに阿鼻叫喚の叫び声が響く。
「なんてパワーだ…これがミスティアの底力なのか」
 そのルナティックな弾幕を見た慧音は、戦慄してつぶやいた。
 とっさに慧音が弾幕を展開したため事なきを得たが、ミスティアに対して警戒をせざるを
得なかった。
「慧音!」
 背後から慧音の名を叫ぶ声がする。よく聞きなれた声だった。
 声の主は、慧音のすぐそばに着地する。黒いマントを羽織ったショートヘアーの、触覚のついた
少女。リグルに他ならなかった。
「リグルか! これはいったいどういうことなんだ!?」
「話は後よ、それよりこの子をお願い! 私はミスティアを止めてくる!」
「この子は……」
 引き渡された女の子は、憔悴してぐったりしていた。
 それを見て、慧音はあわてて問いただす。
「この子を探しにいっていた男がいたはずだ。彼は――」
 全て言い切る前に、悲しそうな顔をしてうつむいたリグルは、黙って首を振った。
 その返事に、慧音もまた気を落としてうなだれてしまう。
「ミスティアはおっちゃんを殺されたことで我を忘れてしまっている。あのままじゃ狂って
おかしくなってしまう。何もかもを破壊して、殺してしまう。そうしたら、私や慧音とも
戦うハメになってしまうかもしれない。
 そうなる前に、私が止める。慧音はその間にみんなをまとめて引いて」
「わかった。無茶するなよ、リグル」
「任せて。でも――」
 飛び立とうとするリグルは、言葉の続きをつむぐために一瞬とどまった。
「大切な友達のためなら、無茶もいとわないよ。一緒に、泣いてあげたいから」
「……そうか」
 振り向かずに言うリグル。そのまま、深い闇空へと飛び立っていく。
 その様を、どこか遠い目で、慧音は見つめていた。




 空を裂くような声がミスティアから木霊する。
 絶叫にも似た、狂い狂ったその叫び。
 それは夜雀の狂想曲となりて人々の耳を奪う。
 そして、耳から目へと作用して視界を奪っていく。
 宵闇に在るもの全てを、無限の闇へと導くその哀しい歌声。

 外壁のほうから人間たちの悲鳴がした。だけれどそれはミスティアには届かない。
 弾幕を以て撃ち抜いた妖怪が絶叫をあげる。だけれどそれはミスティアには届かない。
 その爪で捕らえ引き裂いた妖怪が断末魔をあげる。だけれどそれはミスティアには届かない。

 狂気という名の鳥かごにとらわれた夜雀は、ずっとずっと泣いていた。
 初めて感じる感情に、どうすればいいのかわからず、一緒に渦巻いたどす黒いものに身を任せた
まま、かなしくて、かなしくて泣いていた。
 たとえばこの雨のカーテンのように、絶え間なく流れる涙の音だけが、ミスティアの耳に
届いていた。ただ、自分の泣く声だけが。

 ――ミスティア!!

 なのに、そのカーテンを断ち割り、雨を駆け抜けて、夜雀を呼ぶ声が響いた。
 里のほうから飛んでくる影。
 リグルが、鳥かごの中の夜雀を助け出そうと、真っ直ぐに翔け抜けてきた。
「ッ、アァアアアァァァ!!」
 だのに、荒れ狂うままミスティアはその爪を振るう。
 それは、とっさに身をかばったリグルの腕を掠めて切り裂く。
 鮮血が飛び散り、雨の中に消えていく。
「ッ、やめるんだミスティア! これ以上狂気に身を任せていたら、あなたは――!!」
 必死に叫ぶリグル。しかし、ミスティアの狂気はとどまるところを知らず、遮二無二
リグルに襲い掛かる。
 ミスティアの叫び声は狂気の歌となり、リグルの視界を奪う。
 そして歌声は弾幕へと変じてリグルに襲い掛かる。隙間も埋めよと渦巻く弾幕が。

 二人が出会った、あのときに似ていた。

「……こうなったら、一か八か」
 弾幕を交わしつつ、リグルは自分の発光器官へ神経を集中させる。
「私の光、私の光。月の光に良く似た蛍の光。闇夜に煌いて、心騒ぐものをどうか鎮めて
正気に返して――!」
 呪文のように吐き出される言葉。それは、願いにも似ている。
 リグルが静かに明滅する。ぽぅっ、と闇の底に輝くその光は、狂えるミスティアを
穏やかに照らす。
 しばらくするとミスティアの眼から涙があふれ、一緒に狂気の色が拭い去られていく。
 その身体は小刻みに震えている。
「今だ!」
 それを見たリグルは、ひときわ強く輝く。
 闇夜を、光が飲み込んでいく。
 全てを、洗い流すかのように。


 やがて光が収まった後、それまでと同じ、真っ暗な夜空が戻った。
 誰も動くものはなかった。襲撃者は全て屍へと姿を変え、人間たちはもう動く力も残されて
いなかった。
 そして――リグルは、ミスティアを、しっかりと抱きしめていた。


「もう、やめよう? ミスティア……」
 虚ろになったミスティアに、すがるようしてに言うリグル。
 返事はなかった。ただ、嗚咽だけが聞こえていた。

「ッ…うっ…リグ…ゥ…おっちゃ…死んじゃッ…ぇッ…わた…たすけられなッ…」

 嗚咽の中、途切れ途切れに、ミスティアは声を上げる。
 けれどそれは形にならなくて、それがもどかしくて、それがまた涙に変わっていく。

「ミス…ティア…もう…いいんだ…よ……わた…ッ…も…いッしょ……泣くから……ッ!」

 慰めるリグルの声も嗚咽にまみれていき、その目から涙がこぼれた。
 ミスティアも、堰を切ったように涙が流れて止まらなかった。
 そして、ミスティアは自分を抱きしめていたリグルを、強く抱きしめ返していた。
 その長い爪が、リグルの背中に立ち、皮膚を破って血を滲ませるほど、強く。

「ッ…ひっく、ぇぅ…ッ…ぅ、ぁぅ…ああああああああああアアアッ!!」
「ぅぁ……ッ、ぇぐっ、……ぅ…ッぁ…うああああああアアアアアアアアン!!」

 抱き合う二人の少女は、ぼろぼろと涙を零し続けた。
 あふれる涙は雨に流されていく。
 二人の涙を洗い流す雨は、やむことなく深闇の夜空に降りしきっている。
 あるいはそれは、とめどなく少女たちから流れ続ける涙のように。
 静か過ぎるその夜に、しとしとと雨が降り続ける中――二人の少女の嗚咽と涙は、やむことなく
響き渡った。耳が痛いほどに……








Finale:Requiem~鎮魂歌を唄いましょう~


 あの大規模な襲撃からしばらくして、ようやっと里は落ち着きを取り戻した。
 避難していた人々はそれぞれの家に帰っていき、壊れた瓦礫を片付けるなどの後始末に
追われていた。
 そして、戦死者の葬式がしめやかに執り行われた。
 でも、そこにミスティアの姿はなかった。
 リグルや慧音をはじめ、里の人たちもずっと探していたけれど、ついに最後まで姿を現すことは
なかった。
 中には悪いうわさを立てる人もいたけれど、根も葉もない話は自然に消えていった。

 里に朝が訪れても、ミスティアのさわやかな歌は聞こえてこなかった。
 ただの鳥のさえずりが、代わりに歌となって人々の耳に届いた。

 子供たちが元気に遊ぶ昼間にも、ミスティアの楽しそうな歌声は聞こえてこなかった。
 駆け回る子供たちの表情も、何か大切なものが欠けてしまったかのようだった。

 夜の帳が下りても、人々にミスティアの穏やかな子守唄は聞こえてこなかった。
 晴れれば月明かりが妙に明るく感じられて心が高ぶり、曇ればどんよりとした空気に気持ちが
沈んでしまい、寝付けない人もいた。

 でも時々――リグルは、ふらっと現れるミスティアの姿を見かけていた。
 あるときは川辺に座り込んだり、またあるときは里のはずれの高い木に腰掛けては、
ひざに肘を立てて手に顔を乗せ、ぼうっとした表情で遠くを見つめていた。
 リグルは声をかけようとして……できなかった。
 遠くを見つめるミスティアは、何者をも寄せ付けない雰囲気を纏っていたから。
 近づかれるのを、拒絶してるような。
 それに……遠くを見つめながら、ミスティアの口元は歌を口ずさむように、動いていたから。
 歌が聞こえてくることは、なかったけれど。

 それからまた、ミスティアの姿が見えない日々が続いた。
 どこに行ったのか、リグルにはわからなかった。心当たりもなかった。
 ただ、風の噂で無縁塚のほうに飛んでいくミスティアを見た、という話を聞いた。
 無縁塚なんかに何しにいったのか。まさか、自殺? そんな、ミスティアに限って、馬鹿な。
 でも……ここのところ、ずっと様子がおかしかった。だから、絶対にありえない、なんて
言うことはできなくて。さまざまな思いがリグルの中に渦巻いていた。
 わからなくて、もどかしくて。いつしかリグルまでもが、落ち込んでしまっていた。
 慧音が心配してリグルをたずねてきたりもしたけれど、どうにもならなかった。


 それからまた日がめぐった、ある満月の晩だった。
 寝付けなかったリグルは、自分の小屋の屋根に上って空にぽっかり浮かぶ月を眺めていた。
 煌々と輝く満月。やわらかくも眩しいその輝きを、遠い眼差しで見つめている。
 死せる人の魂は月に還るのだという。
 静かに降りそそぐこの月光が、魂を月へと導いていくのだろうか。
 それなら、地上において月の光にたとえられることもある蛍である自分にも、死者に対して
できることがあるのだろうか。
 空に浮かぶ珠とは比較にもならない、儚い一瞬の煌きだけれど。
 ぼんやりと、そんなことを思いながら、リグルは飽きることなく、月を見つめていた。

「えっ?」
 瞬きする間もない、そんな一瞬の刻に。
 月を横切る一筋の影が、まるで流星のように翔けていった。
 そのシルエット。遠くからだけれど、それが何であるのか、リグルは確信する。
「ミスティア!!」
 言うが早いか、リグルもまた月の夜空に飛び立っていた。


 月の光があまねく天地を照らす。
 その下を、慧音は歩いていた。
 今夜は満月。それゆえに気持ちが高ぶり眠れなかったのか。
 あるいは、襲撃の件以来、暗く沈んだ里に、彼女の気持ちもまた沈んでしまっているのか。
 月光とは正反対にさえない顔をして、一人歩いていた。
 不意に顔を上げ月を見上げた。
 あんなに月は美しいのに――
「ん?」
 突然、その光が遮られた。
 一陣の翼持つ影が、真っ直ぐに夜空を翔け抜けていった。
 そして、後を追うように、もうひとつの影。
「あれは……」
 つぶやくように言うと、慧音もまたその影を追っていった。



 影を追い、夜の里を飛ぶリグル。
 遠目ではっきりとはわからないけれど、その影は墓地のほうへと降りていったようだった。
 その後に続いてリグルも墓地へと降り立つ。
 月明かりだけの、死者の寝所。静けさとひんやりした空気が不気味に思える反面、同時に
その雰囲気は神秘的だった。
 時々灯っては消える光が、まるで魂のようで。
 リグルは歩みを進めていく。あの影がミスティアなら、いくところはきっとひとつ。

 果たしてそこに、ミスティアはいた。
 里を守り死んでいったものを奉る墓標。その前に、静かに佇んでいた。

「ミスティア――」
 冷たい空気を伝わって、リグルの声が響く。
 ふわりと、ゆっくりとした仕草で、ミスティアが振り向いた。
「リグル……」
 返事を返すミスティアの口調は、表情もあいまっていつになく弱々しげだった。
 リグルはゆっくりとミスティアのそばへ歩み寄る。
 そして、間近で見えるその表情は……今にも、崩れてしまいそうだった。
 聞きたいことはいっぱいあるけれど、どれもが一斉にこみ上げてきて、喉に詰まった。
 リグルが何も言えないでいると、ミスティアはリグルから顔を背けてお墓に向き直った。
 ふとよく見ると、その手に一輪の花があった。
 鮮やかに紅い、小さな花。小菊だった。
 墓前にそっと供え、静かに眼を閉じる。
 月影に祈るのか。やわらかい光は、ミスティアの影を長く伸ばしていた。

「私は、自分のためにしか歌ったことがなかった――」
 唐突に、ぽつりとミスティアがつぶやいた。
 傍らにいるリグルに言うでもなく。まるで、自分の過去を振り返るかのように。
「一人ぼっちだったから。別段、気にしたこともなかったし、困ることなんてなかった」
 語り続けるミスティア。リグルは口を挟むことなく、黙して聞き入っていた。
「おっちゃんが死んじゃって……はじめて、誰かのために歌いたい、って思った。おっちゃんが、
冥界で、安らかに眠れるように、って。けど――」
 そこで言葉を区切って、息をついた。少し湿っている気がした……涙に。
「どうやって歌ったらいいのかわからなかったよ……
だって、いつも自分が楽しく歌えさえすればよかったんだもの……
口を動かして、歌ってみようとするの。でも、何も出てこなかった……!」
 語る声は、震えが混じり、高く裏返り、冷たい空気にかすれて消えていく。
「春にね。無縁塚で、閻魔様に出会ったんだ。いきなりお説教してきて、だから頭にきて
弾幕張ったんだけど……そのときに言われたの。

『鎮魂歌のひとつでも唄えるようになりなさい』

って。そのときは小うるさいお説教だから、って聞き流したんだけど……
こうなってみて、誰かのために歌を歌えなくて、わたし……自分が……嫌に……ッ!!」
「ミスティア……ッ!!」
 リグルはミスティアをぎゅっと抱きしめた。
 強く強く抱きしめて、その中で…ミスティアは震えていた。
「どうすればいいのかわからなくて……無縁塚までいってみた。そしたら、閻魔様に会ったよ。
それで話して、途中から泣きそうになって、わけわかんなくなっちゃって、そしたら……
今のリグルみたいに、抱きしめてくれた。それで、耳元で優しく唄ってくれたよ。
すごくすごく、優しい歌だった。気がついたら、すごく心が落ち着いて……一緒に、
その歌を唄っていたよ」
 そこまで言って、ふぅ、とため息をつくと、ミスティアはリグルのほうを向いた。
「リグル……私に唄えるかな。私一人で唄えるかな。その歌は、死んじゃったおっちゃんにも、
届くかな。安らかに眠れるように、唄えるかな……」
「唄えるよ、ミスティアなら。里の人たちはみんなミスティアの歌を聴いて、心を惹かれて
いたもの。何より、ミスティアは優しいもの。それに――」
 腕を解いて一歩下がり、リグルは微笑む。それは、とてもやわらかで。
「私がいるよ。ミスティアは一人ぼっちなんかじゃない。ミスティアが唄えないのなら、私がそれを導くよ。
あなたは月夜に鎮魂の歌を唄い、私は鎮まる魂とともに舞う。

 一緒に、おっちゃんの安寧を祈ろう。安らかに、眠れるように」

 えっ、と呆けたように声を零すミスティアだったけれど。
 その表情はやがて笑みに変わる。目には、嬉し涙。
「うん……ありがとう」
 ミスティアが言うと、二人は合わせたように笑った。

 唐突に二人の背後で音がした。がさっ、と草を踏みつけるような音だった。
 二人が振り向くと、そこにはワンピースに帽子をかぶった少女がいた。
「慧音……」
「すまない、お前たちが飛んでいくのが見えたのでな。
出るに出られなくてこうしていたのだが…でも」
 名を呼ぶリグルに、少し間が悪そうに言う慧音。
 言いながら慧音は、頭の帽子を取った。月光に照らされた彼女から、たちまち角が生えてくる。
「死者を弔うのなら、よければ同席させてもらえないか。

 ミスティアが死者を悼み唄い、
 リグルが死者を導き月影とともに舞うならば……
 私は、彼の歴史を刻もう。そして、私は決して忘れない


 慧音の言葉にリグルとミスティアは顔を見合わせた。
 やがて二人は慧音に向き直って、ぴったりあわせてうなずきあった。
 慧音は短く、ありがとう、と言った。

 ふわりと、リグルが浮かび上がる。
 季節外れの蛍の精が、秋の冷たい澄んだ夜空に踊る。
 ぽぅっ…と輝く。ぼんやりと、光っては消える。
 舞いめぐり、儚い光は、余韻を残して空気に霞んでいく。
 天空に浮かぶ優しい月。今もやわらかな光を以て、みんなを包み込んでくれる。
 そして時に地上の月にたとえられる蛍の光。
 大きな珠に逆らうでもなく。だけれど、ちいさなちいさなその儚い煌きは、珠の輝きに寄り添い、
光と光が混ざり合い、幻想の橋を織り成す。
 死者は月へと還る。リグルは、その光の架け橋。

 魂の道標となる光は、いくつもの小さい泡のようになって、慧音を取り巻く。
 はじけて消える、刹那の淡い輝き。
 それは泡沫の夢。死者の記憶。
 光は慧音に吸い込まれていく。
 名も無き墓標。里の防人として死んだもの。
 須臾なる存在である人間の生き様が、白沢によって歴史に刻まれていく。

 そして。
 ミスティアは胸に手を当て、息を吸い込む。
 澄んだ空気が、ミスティアの胸に満ちて、清めていく。
 零れ落ちる月の雫のような儚く、幽かな、けれど優しい歌声。
 冷たい秋風に乗り、やわらかい光満ちる夜空を舞い踊る。
 光の架け橋を伝い、高く高く、遥か彼方へ。死者の還る、月の高みへ。
 それは穏やかな子守唄のように。
 静かな調べは眠りを誘う。死者の、安らかな眠りを。
 一人ぼっちだったはずの夜雀が、がさつだったけれど大きな、優しい手を思い返して。
 そして願った。誰かのために、唄いたいと。

 心に残る死者の安らかな眠りを願い。
 死者の還る月の光に導かれ、澄んだ空気に流れる風に乗せて。
 鎮魂歌を、唄いましょう――――


♪静かに訪れる 夜の帳に
 
 月は昇り 人は家に帰る

 死せるあなたも 月影に導かれ

 幽明の境 渡っていく

 月の神さま 儚いその御霊をあわれみたまえ

 そのお膝元で 永遠の安息を得られるように

 死せるあなた どうか 安らかに眠って……♪




おしまい。
月下に蛍舞い、白沢が歴史を刻み、夜雀の歌は高らかに踊る。
死者よどうか安らかに。それは鎮魂の銀色の夢。

と、はじめましての方、前の作品も読んで下さった方、こんにちわ。銀の夢です。
今宵の銀色の夢はいかがでしたか?

コミケで見送った花映塚。9月に手に入れて、ミスティアで映姫さままでたどり着き、エンディングを見て思ったこと。
『ミスティアは、優しい子だと思う』
単にこれまでは自分のためだけに歌ってきただけなのだと思う。一人ぼっちだったから、誰かのために歌うことを知らなかっただけで。
誰かのために歌うことを知った時、映姫さまの言葉が、ミスティアの血となり肉となって、彼女を少し大人にしてくれるのだと思います。
このお話が、そんなお話に仕上がっていればいいなぁ…と思いつつ。

私がお話を書くと、どうにも長くなってしまうのですが…お付き合いいただいた方には、感謝を。
そしてふと思うこと。リグルもミスティアも、なんかそれらしくないなぁ……w うーん(==;

補足……『おっちゃん』について。
結局固有名詞を与えなかったなぁ……w 半ばおっちゃんが名前になっちゃってるけど。
里の人々は東方においてオリキャラであるか否か。グレーゾーンであり、一概には言えないと思います。
二次創作においてオリキャラを使う危険性を熟知しているつもりです。だからこそ、名前をあえて与えませんでした。名前を与えることは、個性を与えることにつながるから。
里の人々、ただの背景。名も無き防人。そして、長いミスティアの生の中で、確かに在った、彼女が成長するきっかけになった、それは短い思い出。ただ、それだけのこと。
でもって、本当はみすちーに『とうもころし』とか言わせたかったw でも時期がずれちゃったしなぁ……

それではまた、銀色の夢の中でお会いいたしましょう。
銀の夢
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コメント



0.3560簡易評価
10.90たまゆめ削除
これは、なんと……とても優しい……鎮めの詩。


13.70おやつ削除
割と組織的な妖怪、人間味のある妖怪、感情のまま命を奪う妖怪。
こういう話を見ると、霊夢の言う妖怪は妖怪らしく人間は人間らしくという言葉も、深い気がします。
この言葉も、そしてミスティアもあるがまま何でしょうけど、それって難しいことなんですよね……
ああ……もうミスティアいい!
グッジョブでした。
15.80てーる削除
自らの生きる世界の違いを知る って簡単なようで辛い物ですね。

失われし魂には 祈りと、歌を。そして記憶を。 

そんなミスティアたちに幸せを
18.80lester削除
自分の為でなく誰かの為にって結構難しいものなんだと思います。半端な気持ちだと逆に相手へ不快感を与えてしまったり……。でも、乗り越える事が出来ればそれは大きな自信になる。
ミスティアは、この小さくて大きい壁を乗り越える事が出来たのだと思います。
人の為と書いて偽りと読む(某番組より)。その偽りを打ち消す程の気持ち……大切にしていきたいですね。

『とうもころし』て……。アレですか(笑
40.90名前が無い程度の能力削除
みすちー・・・・・
45.90名前が無い程度の能力削除
なにこのいいみすちー…。
もうはじめからおわりまでステキでした。
ごっそさん。
55.100村長削除
このミスチーとリグるん最高です。
読んでる間何回も涙で続きが読めなくなりました。
64.90草月削除
高らかに響け鎮魂の歌、あの人に届きますように……。
とても素晴らしい作品でした今まで読まなかったことを後悔するほどに。
音速遅いですが得点を入れさせてもらいます。
78.100名前が無い程度の能力削除
一年以上前に読んだのに点数つけてなかったのを思い出した。
みすちーが好きになりました