黙々と本を読む一人の少女。
「……なになに? 『「Halloween」とは』? ……ふむ……。
―――11月1日に外界のとある文化圏で行われる『万聖節』という行事の前夜祭。元々は秋の収穫を祝い、亡くなった家族・友人を尊び偲ぶ行事。これに伴い、家の周りを徘徊する悪霊を追い払うために、変装した子供達を歩き回らせたという。今では、『仮装した子供達が近所の家の人を訪ねてお菓子を貰う』という風習に変わっている。その際の子供達の掛け声は『Trick or treat!(「何かくれないと悪戯するぞ」という意味)』。―――
……ほう、『何かくれないと……』か。これはアレに使えるかもしれないな。えーと、『どんな仮装をするか』……ふむふむ…………。」
彼女の部屋には、ページをめくる音だけが響いていた。
紅魔館の一角に広がる本の海。本好きなら一日中いたって飽きない場所、ヴワル魔法図書館。
「……なぁ、いいだろ?」
「……駄目よ」
「少し位いいじゃないか……」
「駄目なものは駄目」
「減る訳じゃないんだし」
「貴女なら……減るわ……」
昼でも明かりが必要なほど薄暗いその大部屋の中で、白黒の魔法使いが紫の魔女に頼み事をしていた。
「今までは『いい』って言ってくれてたじゃないかー。何で急に駄目なんて言うんだよー?」
「確かに『いい』とは言ったわ。だけどそれと一緒に条件もつけたはずよ?」
「条件……?」
「むしろ当たり前な事のはずなんだけど……」
この図書館の主ともいえる立場にあるパチュリーは、最近ある悩みを抱えていた。とは言っても、その悩みの大半……大体95%はたった今目の前にいる霧雨魔理沙が原因なのだが……。
『さっくり貰っていこ』
『もってかないでー』
こんなやり取りが確かいつだったか……。
『読むだけならいいだろ?』
『……まぁ、その位ならいいわ』
こんなやり取りが確かその少し後。
『頼むからこの一冊だけ貸してくれないか?』
『……はぁ、分かったわよ……。その代わりちゃんと返してよ?』
こんなやり取りが確かその更に後……。
『今日はこれとそれとあれと……うん、後これも借りてくぜ』
『此間のがまだ返されてないんだけど?』
『大丈夫。まとめてちゃんと返すぜ』
このやり取りはもう飽きるくらいしている気がする……。
それ以降、魔理沙が持っていった本が返ってきた例は一度も無い。
「ちゃんと返すという条件の下で貸しているはずよ?」
何遍も返せと言ってはいるが……、
「あー……、そんな事もあったかなぁ……」
当の魔理沙がこれだからイカン。
「ここは仮にも図書館よ? 本屋じゃないの。今までの本が一冊も返ってきてないのに、新しいのを貸す事はできないわ」
「分かってる。今までのだってちゃんと返すぜ? だからこいつらも貸してくれよぉ。なぁ?」
そう言って魔理沙は二十冊はあろう本の山をパンパンと叩く。
「説得力が全く無いわよ……。それに一度にその量は多すぎるわ」
「そう固いこというなって…………あッ!!」
「「え!?」」
突然、パチュリーの死角を指差しながら大声を出す魔理沙。
思わず振り向くパチュリー。
そして、自室から本を運んできたところを急に指差されて慌てる小悪魔。
「なんだ、小悪魔じゃないの。驚かさないでちょうだ……」
パチュリーが向き直った時には、既に魔理沙の姿はそこに無かった。
「じゃあ借りてくぜ。ちゃんと返すからな!」
―――バタン
「あ……」
気が付いた時には魔理沙はもう扉の向こうだった。
「またやられましたね、パチュリー様……」
「はぁ、貴女出てくるタイミング良過ぎよ……」
「同じ手に何度も引っかかるパチュリー様もどうかと思いますよ……?」
「……何か、言ったかしら?」
「あ……いえ、何も……モゴモゴ……」
小悪魔の言う通り、パチュリーが魔理沙のこの手に引っかかった回数は既に二桁に上っていた。パチュリー曰く、魔理沙がいると注意力が散漫になるのだとか。
「全く……。一体いつになったら返してくれるのかしら……」
パチュリーは溜息をつきながら、『目の前に黒いのがいる時の注意不足を防ぐ方法』を探していた本を閉じた。
一方、半強奪的に本を借りていった魔理沙は、紅魔館のエントランスホールに戻る廊下を箒で疾走していた。
「へへっ、大漁だぜ」
いつの間に用意したのか、手には大きな麻袋。先ほどの本が入っているらしく、大きく膨れている。
「ちゃんと返すって言ってるのになぁ、パチュリーの奴も酷いぜ」
酷いのはどっちだ。
「私が死んだら返そうと思ってるのがまずかったかな……?」
あれこれと呟きながら最後の角を曲がろうとしたその時だった。
「うおっ!」
「きゃあ!」
当然避けられる距離と速度であるはずが無く……、
―――ドンッ……バサバサバサ……
魔理沙は相手共々派手にすっころんでしまった。
「あたたた……。前方不注意だったぜ……」
そう呻きながら、自分が何にぶつかったのか認識しようとする魔理沙。相手は魔理沙の持っていた皮袋からこぼれた本の山に潰されてしまっている。本の隙間から見える服は青い生地。この紅魔館で青い生地の服装をしている者といえば……
「げ……、マズイ……」
「ちょっと待ちなさい!」
「!」
相手が起きだす前に撤退を試みる魔理沙だったが、背中を向けたところで呼び止められてしまった。待てと言われて待つ奴があるかとはよく言うが、思わず魔理沙は立ち止まる。というのも、その待てと言う声が最も恐れていた人物のものではなかったからなのだが……。
「……あれ? なんだ、アリスじゃないか」
「なんだじゃないわよ! ぶつかったんだったら謝る位しなさいよ」
「私はてっきりあいつとぶつかったかと思ったぜ」
「あいつ? 誰よ?」
「いや、気にしなくていい。というか気にしないでくれ」
どちらにしろ、その『あいつ』に見つかってしまうと色々と面倒な事になる可能性があるので、アリスと会話しながらも散乱した本をせっせと集める魔理沙。
「魔理沙、また本を持ち出してきたの?」
「ちゃんと借りてるんだぞ? 泥棒みたいに言うなよ……」
「返さなきゃ泥棒と一緒よ。あぁ、そういえば私も魔理沙に貸してる本があったわねぇ?」
「何で今そういうこと思い出すんだよ……」
「いつになったら返してくれるのかしら? もう三ヶ月は貸してるはずよ?」
「心配するなって、ちゃんと返すよ。じゃあな!」
長居は無用。魔理沙は本を集め終わるといそいそと箒に跨る。
「あ! 返すってそれいつなのよ!!」
「そうだなぁ、私が死んだら!」
「遅すぎるわよ!!」
しかしアリスがそう叫んだ時には、魔理沙は既に先ほど吹っ飛ばされた上海人形が目を回しているエントランスホールを通り過ぎ、更に門番を突き飛ばしつつ館の外へと飛び出してしまっていた。
「魔理沙に本を貸すと、いつ返ってくるか分かったもんじゃないわ……。ねぇ? 上海……」
やっとの事でアリスのそばに戻ってきた上海人形は肯定も否定もせず、代わりに一冊の本をアリスに示した。
「あら、これは……? 魔理沙が落としていったのかしら。まぁいいわ、私も図書館に行くところだし、持っていきましょ」
アリスは、拾った本をいつもの本と一緒に抱え込むと、そのまま目的地へと向かって行った。
再び図書館。
「こんにちはー?」
「あ、こんにちはアリスさん」
静かに入り口の扉を開けたアリスを出迎えたのは小悪魔だった。
「パチュリーはいるかしら?」
「パチュリー様ならいつもの場所にいらっしゃいますよ」
アリスは小悪魔にありがとうと言って奥へ進んでいく。
暫く行くと、閲覧机の前に陣取り、自分の手の平と睨めっこしているパチュリーがいるのが見えた。何やらぶつぶつ言っているのが今のアリスの距離からでも分かる。
「魔理沙まりさマリサ……(ごくん)。マリサまりさ魔理沙……(ごくん)。ふう、これで注意力が不足しないようになったかしら?」
いわゆる、手の平に人と書いて呑むというやつである。何だか用法と目的が違う気もするが、そこは知識人なりの応用らしい。
「まだ足りないかもしれないわね。魔理沙まりさマリサ……(ごくん)」
「魔理沙に呪いでもかけてるのかしら?」
「マリサまりさ……」
―――ガタン!ガタガタガタッ!!
この世の物とは思えないような驚き具合だったと遠巻きに見ていた小悪魔は後に語る。
「ちょ、急に話し掛けないで頂戴!」
「何もそこまで驚くことないじゃない……」
「し、集中してたんだから仕方ないじゃないの!」
「大量に本を持った魔理沙にはさっきそこで会ったわ。気持ちは分かるけど、何も呪うことはないんじゃない?」
「え、あ……、そ、そうね……。やめておくわ。」
相手が都合よく勘違いしてくれている時は、それに話を合わせるに限る。
「ところで、本を貸してほしいのだけどいいかしら?」
パチュリーの反対側の席に座りながら、アリスはここに来た目的を言い出す。
「そうね、貴女はちゃんと返してくれるから構わないわよ。言ってくれればあの子に持って来させるけど?」
そう言ってパチュリーは小悪魔を呼び寄せる。アリスも「それじゃあ……」と言って目的の本を告げた。
「分かりました。ちょっと待ってて下さいね」
小悪魔がふよふよと飛んでいくのを見送りながら、パチュリーがふとした疑問を投げ掛けた。
「あら、その本って貴女も持ってるんじゃないの?」
「持ってるけど三ヶ月前位から魔理沙に持ってかれたままなのよ……。でも魔理沙だって自分のを持ってる筈よ?きっと見つからないからって借りてったんだと思うわ。私だって時々使う本だから早いとこ返してほしいのに……」
因みに書名は『魔力付加概論』。物体に魔力を持たせる技術における基礎的な事から簡単な応用までが記されていて、魔法使いなら一度は目を通す事になる書物だ。一家に一冊とまで言われたりもするが、霧雨邸でこの本を探し出すとなると恐らく五日はかかる。他から借りた方が早い。
「貴女も魔理沙に悩まされているのね」
「悩まされて……? え、あ、べ、べ、別に私は! ……あ、あいつと一緒にいたいと思ったことなんて……! 魔理沙が私以外の人と、な、仲良くしているのが悔しいだなんて! あの時だってあいつがどうしてもって言うから……!」
思わず椅子から立ち上がり、何やら一人で勝手に騒ぎ出すアリス。ついでに言うと、『あの時』とは例の永夜異変の事である。更に言えば、その時はアリスの方から魔理沙を駆り出した筈なのだが……。
「……?」
「し、仕方なくだったんだから……。」
「……落ち着いて頂戴。本の話よ……」
「へ……?」
我に返る。
「あ、ちょ、ちょっとした冗談よ……ほ、本の事ね。わ、分かってるわ。」
「アリスさーん、この本ですねー? ……って、どうかしました?」
「あ……ううん、な、何でもないの……本、ありがと……」
アリス激しく勘違い。顔を真っ赤にしながら慌てて椅子に座り直す。あの会話の流れから勘違いを起こすアリスもある意味すごい。
「聞き方を変えるわ……。貴女も魔理沙に本を返してもらえてないのね?」
「え、ええ、そうよ。三ヶ月も貸したんだからいい加減返してほしいわよ」
「……手が無い訳ではないわ」
「どういう事?」
「貴女、『はろうぃん』って知ってるかしら?」
「はろうぃん?」
「私も前に本で読んだ程度だから余り良くは知らないんだけど……あぁ、たしかその本がまだ残っていたはずね。それを見れば確実だわ。小悪魔、ちょっとあの本を持ってきて」
「あ、はいー」
「そうだ、ついでにいいかしら」
取りに行こうとする小悪魔を、廊下で拾った本を取り出しながら呼び止めるアリス。
「これ、さっき魔理沙が落として行ったみたいなんだけど、どうせここから持ち出したやつだろうから代わりに返しておくわ」
「あ、分かりました。一緒に片付けておきますね」
小悪魔はアリスから本を受け取ると、再びふよふよと飛んでいった。
「で、その『はろうぃん』って、簡単に言うとどんな物なの?」
「『はろうぃん』ってのは物じゃなくて儀式の名前よ。何でも夕暮れ時から夜に人の家へ仮装して乗り込んで行って、家主に色々と物を差し出させる儀式らしいわ」
「差し出さなかったら……?」
「何らかの方法で家主を困らせる」
「……それって本当なの?」
「記憶している限りではね」
どんな賢人でも時間が経てば記憶がうやむやになる事はある。実際、先程のパチュリーの説明ではただの強盗行為だ。記憶とはこうまでもろいものなのか……。
「それで魔理沙に今までの本を差し出させようというのかしら?」
「あら、察しがいいわね。その通りよ」
「そんなに上手くいくの?」
「現時点では問題が三つあるわ。一つ目はどんな仮装をするのかという事。これは例の本が見つかれば分かるわね。二つ目はその仮装の材料。三つ目は成功を確実にする物。つまり、魔理沙が本を差し出さなかった時にどうやって困らせるか、よ」
それを聞いて暫く何か考え込むアリス。やがて、意を決したように切り出した。
「仮装の材料なら、私の家に布生地が沢山あるわ」
「あら、協力してくれるの?」
「私だって魔理沙に持ってかれたままの本がありますからね」
「そう、なら二つ目の問題は解決ね。あとは魔理沙を困らせる方法だけど……」
「パチュリーさまー、あの本ありませんよー?」
ちょうどその時、例の本を探している小悪魔の声がどこかの本棚の間から聞こえてきた。
「おかしいわね。ちゃんと探した?」
「ええ。ありそうな書架は全部探したんですが、そのどこにもありませんでしたよ? あ、それとアリスさんが持って来てくれた本ですけど、これはここの本じゃ無いみたいです」
「え? あれは確かに魔理沙が通った後の廊下に落ちてたんだけど……」
「その本のタイトルは?」
「えーとですね……かすれてますけど……Diary……? あぁ、これ日記帳ですよ。誰のかは書いてないんで分かりませんが……」
「日記帳ですって!? 小悪魔、ちょっと戻ってらっしゃい!」
「は、はい!?」
突然の荒声に、慌てて主人の下へ戻る小悪魔。
「これって日記帳だったのね……」
「確認するけど、貴女は確かに魔理沙が通った後の廊下でこれを拾ったのよね?」
「そうよ。あの時の魔理沙、私とぶつかって持ってた本を全部落としてたから、その時この日記帳に気付かなかったんじゃないかしら」
「となると、これは魔理沙の日記帳ね。ふふふ……三つ目の問題が解決したわ」
「そ……そうね……そうよね、これがあれば魔理沙は……ふふふふ……上海、お手柄よ」
「あら、貴女が見つけてくれたのね。上海人形、貴女良い仕事したわよ。ふふふふふ……」
上海人形に向けられた二人の笑顔からは、むしろ恐怖を感じたという。
「ここまで来たら、一つ目の問題は私の記憶でカバーするわ。夜までの時間を使って早速準備に取り掛かりましょう?」
「じゃあ、私は家から生地を持ってくるわ」
「小悪魔、貴女も準備しなさい」
「え、わ、私もですか!?」
「貴女だってこの図書館の司書なのよ?」
「分かりましたよぅ……準備しますよぅ……」
かくして、図書館の入り口に『関係者以外立入禁止』の札が掛けられた。
「ふーむ、なるほど。お、この顔つきカボチャの絵は何だ? なになに……『Juck-o’-Lantern』だって? 『中をくりぬいて、表面に顔を彫り、蝋燭を入れて明かりとする』……か。ほほう、面白そうだな。作ってみよう……いや、折角だからちょいと手を加えて……」
夜のヴワル魔法図書館。
中にいると昼だか夜だか分からなくなるような大部屋で、今度は人形使いと紫の魔女、そして彼女達の使い魔が色々頑張っていた。
「こんなところかしら?」
「急ごしらえでこれ以上は無理ね」
アリスとパチュリーはいつもの服装ではなく、共に黒とオレンジを基調とした服を着ている。しかし、二人がそんな格好をしている中、小悪魔だけはいつもと同じだった。
「あのぅ、何で私はいつもと同じ格好なんですか?」
「貴女はそのままでも十分よ」
「でもパチュリー様、さっき私も準備しろって……」
「心の準備よ。今まで魔理沙が持ってった本の量は計り知れないわ。それを取戻した時の片付けをするのは主に司書である貴女の仕事ではなくて?」
「あうー……、そういう事ですかー……」
小悪魔、思わず涙。この作戦が成功しても、その後に膨大な仕事が自分に降りかかってくる事を考えると泣かずにはいられなかったようだ。魔理沙が持ち出した本の総数はそれほどにまで多い。
「そろそろ行くのにいい頃ね。アリス、そっちはどう?」
「ええ、いつでもいいわよ。日記帳もここにあるわ」
アリスがそう言うと、その日記帳を抱えた上海人形がアリスの背後から顔を出した。上海人形の格好もいつものとは違い、今のアリスのものとそっくりな服装だ。
「じゃあ行くわよ。いざ魔理沙の家へ!」
パチュリーが図書館の扉を開こうとしたまさにその時……
「とりっく・おあ・とりぃぃぃと!!」
「ひぃぃぃ!?」
扉は外から勢い良く開かれ、大きな掛け声と共にオレンジ色のカボチャが大量に飛び込んできた。よく見れば穴が目と鼻と口の形に開けられ、その中からぼうっとした光が漏れているのが分かる。
「か、か、カボチャ!? で、でも今のは魔理沙の声!?」
「今日のパチュリーはよく驚くわね……」
「そ、そんな……。魔理沙、貴女カボチャになってしまったの……? しかもこんな三角の目にギザギザ口で……」
「パチュリー様、お気を確かに……!」
「ははは、驚いたか? とりあえず落ち着けパチュリー。私はこっちだ」
扉の影から姿を現した魔理沙は、いつもの黒白ではなく黒橙になっていた。
「あら、貴女も『はろうぃん』かしら?」
「おぉアリス、お前もいたのかー。ってどうしたんだその格好」
「あぁこれ? 私達も『はろうぃん』なのよ。貴女に本を返させる為に」
「ほう?」
「ふふふ……魔理沙、例え貴女がカボチャになってしまっても、私は貴女に本を返してもらうまでは諦めないわ」
「落ち着けってパチュリー。お前が抱えてるそれは『Jack-o’-Lantern』ってやつだ」
「何だかショックが大きすぎたみたいです……」
「しょうがないな……。こりゃ、目を覚ませ」
軽くチョップ
「あう……はッ! ま、魔理沙、いいところに来たわね! 『はろうぃん』の儀式に基づいて、今まで貸した本を返してもらうわ!」
「なるほど、お前達がそんな格好してるのはそういう事か。まぁ、そう焦るなって。折角だから今まで借りた本も持ってきてるんだよ。一部だけど」
「……え?」
そう言うと、扉の影から大きく膨れた麻袋を引っ張り出す魔理沙。
「ほらアリス、例の本も持ってきたぜ」
「え!? ……あ、当たり前でしょ! 三ヶ月も貸したんだから……」
「ははは、素直じゃないなぁ。でも、これだけの量のカボチャへ魔力を与える事に成功したのはこの本のおかげだぜ? ありがとな」
「……う、うん」
貸していた本、『魔力付加概論』を受け取りつつ面と向かって礼を言われ、思わず顔を伏せるアリス。
「あとは全部ここの本だ。パチュリー、ありがとな」
「え、ええ……」
パチュリーは相槌を打って麻袋を受け取るが、驚きを隠せないようだった。
「おいおい、折角の『Halloween』なんだぜ? そんな顔してないでパーティといこうじゃないか。ほら、パイも持ってきたぞ?」
魔理沙はそう言って、周りで浮遊しているカボチャのうち一番大きいものを呼び寄せる。その中には香ばしい匂いを漂わせるパンプキンパイが入っていた。
「あら、魔理沙がパイを焼いてくるなんてどういう風の吹き回しかしらね?」
「酷いなアリス。私だってパイくらい焼けるぞ? さぁ、冷めないうちに食べようぜ」
「そうね。本も一部だけど返してもらったし、頂こうかしら。小悪魔、みんなの分の紅茶をお願い」
「はいー、少々お待ちくださいね」
「小皿も頼むぜ」
「分かってますよー」
「結構美味しいじゃない、魔理沙の作るパイも(もぐもぐ……)」
「だろ? この甘さの調整が難しいんだぜ(むぐむぐ……)」
「それにしても、貴女が自分から本を返しに来るとは思わなかったわ」
「何だよパチュリー、ちゃんと返すって言ったじゃないかぁ」
「それがいつなのかが問題なのよ。どうせ自分が死んだら持ってってくれとかそういうつもりだったんでしょ?」
「ばれてたか」
「貴女ならやりかねないもの。でもこうして持ってきてくれたのなら、あの日記帳はもういいわね。貴女に返すわ」
「日記帳? そりゃ何の事だ?」
「これの事よ、魔理沙」
「んー?」
アリスが横から差し出した日記帳をまじまじと見つめる魔理沙。
「私は日記なんてつけてないぞ?」
「何ですって?」
「日記なんてつけてないって言ったんだ。常に前を見る事にしてるからな」
「でもこれ、昼間魔理沙とぶつかった後にあの場所で拾ったのよ?」
「あぁ、その時に落としたのか。実はな、この日記帳は昨日フランに貰った物なんだよ」
「妹様に?」
「何でも、弾幕ごっこのお礼だってさ。だから中は真っ白のはずだぜ?」
それを聞いて日記帳を開いてみるアリス。
「……書いてあるわよ?」
「なに?」
「ほら」
これには魔理沙も驚いた。書いた筈の無い日記が書かれている? そんな馬鹿な。
アリスが机に広げた日記帳を覗き込む魔理沙とパチュリー。
「こりゃあ私の字じゃないぜ。でもこの内容…………ははぁん、フランの奴、『あいつ』の日記帳と知らないで私によこしたのか」
「なるほど、妹様なら確かにやりかねないわ……」
「そういう事ならこの日記帳はパチュリーに預けたままにするか」
「無難ね」
「代わりに何か借りさせてもらうぜ」
「え? ちょっと! それは……」
「私がさっきここに来たとき何て言ったか覚えてるか?」
「……?」
あの時パチュリーは錯乱していたので無理もない。
代わりにアリスが答える。
「『とりっく・おあ・とりーと』……だったわね」
「そう。そしてその意味は『何かくれないと悪戯するぞ』だ」
「あ、もしかして……」
パチュリーが何か思い出したように麻袋の口を広げる。
「やっぱり。この本、貴女が持って行ってたのね」
そう言って取り出したのは『外界文化』と題された本。外の世界の年間行事集とも言える本だ。この本の十月三十一日、即ち今日のところに『Halloween』の事が書かれていたのだ。
「あぁ、読ませてもらったぜ。だからこれも『Halloween』のイベントの一つだ」
いつの間にか魔理沙の横には十冊ほどの本の山。
「ちょ、それとこれとは話が……」
「お前達だって私に似たような事しようとしたんだろ? ならおあいこだぜ」
「それは貴女が本を返してくれないから……」
「だからちゃんと返したじゃないか…………あッ!!」
「「「え!?」」」
突然、パチュリーの死角を指差しながら大声を出す魔理沙。
思わず振り向くパチュリー。
つられるアリスと上海人形。
そして、紅茶のおかわりを運んできたところを急に指差されて慌てる小悪魔。
「って一日に二度も騙されないわ……!」
しかし遅かった。
「じゃあ借りてくぜ。今度もちゃんと返すからな! それと紅茶ご馳走様だぜ」
―――バタン
「あ……」
手の平に魔理沙と書いて呑むという作戦は失敗に終わった。
「毎回こんな感じなの……?」
「えぇ。パチュリー様ったらこの手に何回も引っかかってるんです……」
「貴女も大変ね……」
「……ありがとうございます」
二人の横では、パチュリーが残っているパンプキンパイを自棄食いしていた。
「おかしいわね……どこ行っちゃったのかしら」
「あれー? 咲夜どうしたの?」
「あ、妹様。私の日記帳をご存知ありませんか?」
「日記帳?」
「えぇ。表紙に『Diary』って書いてあるのですが……」
「あぁ、アレ咲夜のだったんだ」
「よかった、ご存知ですか!」
「……ごめん、魔理沙にあげちゃった……」
「え゛……」
日記帳が咲夜の手に無事戻ったのはそれから一週間の後の事だったとか。
「……なになに? 『「Halloween」とは』? ……ふむ……。
―――11月1日に外界のとある文化圏で行われる『万聖節』という行事の前夜祭。元々は秋の収穫を祝い、亡くなった家族・友人を尊び偲ぶ行事。これに伴い、家の周りを徘徊する悪霊を追い払うために、変装した子供達を歩き回らせたという。今では、『仮装した子供達が近所の家の人を訪ねてお菓子を貰う』という風習に変わっている。その際の子供達の掛け声は『Trick or treat!(「何かくれないと悪戯するぞ」という意味)』。―――
……ほう、『何かくれないと……』か。これはアレに使えるかもしれないな。えーと、『どんな仮装をするか』……ふむふむ…………。」
彼女の部屋には、ページをめくる音だけが響いていた。
紅魔館の一角に広がる本の海。本好きなら一日中いたって飽きない場所、ヴワル魔法図書館。
「……なぁ、いいだろ?」
「……駄目よ」
「少し位いいじゃないか……」
「駄目なものは駄目」
「減る訳じゃないんだし」
「貴女なら……減るわ……」
昼でも明かりが必要なほど薄暗いその大部屋の中で、白黒の魔法使いが紫の魔女に頼み事をしていた。
「今までは『いい』って言ってくれてたじゃないかー。何で急に駄目なんて言うんだよー?」
「確かに『いい』とは言ったわ。だけどそれと一緒に条件もつけたはずよ?」
「条件……?」
「むしろ当たり前な事のはずなんだけど……」
この図書館の主ともいえる立場にあるパチュリーは、最近ある悩みを抱えていた。とは言っても、その悩みの大半……大体95%はたった今目の前にいる霧雨魔理沙が原因なのだが……。
『さっくり貰っていこ』
『もってかないでー』
こんなやり取りが確かいつだったか……。
『読むだけならいいだろ?』
『……まぁ、その位ならいいわ』
こんなやり取りが確かその少し後。
『頼むからこの一冊だけ貸してくれないか?』
『……はぁ、分かったわよ……。その代わりちゃんと返してよ?』
こんなやり取りが確かその更に後……。
『今日はこれとそれとあれと……うん、後これも借りてくぜ』
『此間のがまだ返されてないんだけど?』
『大丈夫。まとめてちゃんと返すぜ』
このやり取りはもう飽きるくらいしている気がする……。
それ以降、魔理沙が持っていった本が返ってきた例は一度も無い。
「ちゃんと返すという条件の下で貸しているはずよ?」
何遍も返せと言ってはいるが……、
「あー……、そんな事もあったかなぁ……」
当の魔理沙がこれだからイカン。
「ここは仮にも図書館よ? 本屋じゃないの。今までの本が一冊も返ってきてないのに、新しいのを貸す事はできないわ」
「分かってる。今までのだってちゃんと返すぜ? だからこいつらも貸してくれよぉ。なぁ?」
そう言って魔理沙は二十冊はあろう本の山をパンパンと叩く。
「説得力が全く無いわよ……。それに一度にその量は多すぎるわ」
「そう固いこというなって…………あッ!!」
「「え!?」」
突然、パチュリーの死角を指差しながら大声を出す魔理沙。
思わず振り向くパチュリー。
そして、自室から本を運んできたところを急に指差されて慌てる小悪魔。
「なんだ、小悪魔じゃないの。驚かさないでちょうだ……」
パチュリーが向き直った時には、既に魔理沙の姿はそこに無かった。
「じゃあ借りてくぜ。ちゃんと返すからな!」
―――バタン
「あ……」
気が付いた時には魔理沙はもう扉の向こうだった。
「またやられましたね、パチュリー様……」
「はぁ、貴女出てくるタイミング良過ぎよ……」
「同じ手に何度も引っかかるパチュリー様もどうかと思いますよ……?」
「……何か、言ったかしら?」
「あ……いえ、何も……モゴモゴ……」
小悪魔の言う通り、パチュリーが魔理沙のこの手に引っかかった回数は既に二桁に上っていた。パチュリー曰く、魔理沙がいると注意力が散漫になるのだとか。
「全く……。一体いつになったら返してくれるのかしら……」
パチュリーは溜息をつきながら、『目の前に黒いのがいる時の注意不足を防ぐ方法』を探していた本を閉じた。
一方、半強奪的に本を借りていった魔理沙は、紅魔館のエントランスホールに戻る廊下を箒で疾走していた。
「へへっ、大漁だぜ」
いつの間に用意したのか、手には大きな麻袋。先ほどの本が入っているらしく、大きく膨れている。
「ちゃんと返すって言ってるのになぁ、パチュリーの奴も酷いぜ」
酷いのはどっちだ。
「私が死んだら返そうと思ってるのがまずかったかな……?」
あれこれと呟きながら最後の角を曲がろうとしたその時だった。
「うおっ!」
「きゃあ!」
当然避けられる距離と速度であるはずが無く……、
―――ドンッ……バサバサバサ……
魔理沙は相手共々派手にすっころんでしまった。
「あたたた……。前方不注意だったぜ……」
そう呻きながら、自分が何にぶつかったのか認識しようとする魔理沙。相手は魔理沙の持っていた皮袋からこぼれた本の山に潰されてしまっている。本の隙間から見える服は青い生地。この紅魔館で青い生地の服装をしている者といえば……
「げ……、マズイ……」
「ちょっと待ちなさい!」
「!」
相手が起きだす前に撤退を試みる魔理沙だったが、背中を向けたところで呼び止められてしまった。待てと言われて待つ奴があるかとはよく言うが、思わず魔理沙は立ち止まる。というのも、その待てと言う声が最も恐れていた人物のものではなかったからなのだが……。
「……あれ? なんだ、アリスじゃないか」
「なんだじゃないわよ! ぶつかったんだったら謝る位しなさいよ」
「私はてっきりあいつとぶつかったかと思ったぜ」
「あいつ? 誰よ?」
「いや、気にしなくていい。というか気にしないでくれ」
どちらにしろ、その『あいつ』に見つかってしまうと色々と面倒な事になる可能性があるので、アリスと会話しながらも散乱した本をせっせと集める魔理沙。
「魔理沙、また本を持ち出してきたの?」
「ちゃんと借りてるんだぞ? 泥棒みたいに言うなよ……」
「返さなきゃ泥棒と一緒よ。あぁ、そういえば私も魔理沙に貸してる本があったわねぇ?」
「何で今そういうこと思い出すんだよ……」
「いつになったら返してくれるのかしら? もう三ヶ月は貸してるはずよ?」
「心配するなって、ちゃんと返すよ。じゃあな!」
長居は無用。魔理沙は本を集め終わるといそいそと箒に跨る。
「あ! 返すってそれいつなのよ!!」
「そうだなぁ、私が死んだら!」
「遅すぎるわよ!!」
しかしアリスがそう叫んだ時には、魔理沙は既に先ほど吹っ飛ばされた上海人形が目を回しているエントランスホールを通り過ぎ、更に門番を突き飛ばしつつ館の外へと飛び出してしまっていた。
「魔理沙に本を貸すと、いつ返ってくるか分かったもんじゃないわ……。ねぇ? 上海……」
やっとの事でアリスのそばに戻ってきた上海人形は肯定も否定もせず、代わりに一冊の本をアリスに示した。
「あら、これは……? 魔理沙が落としていったのかしら。まぁいいわ、私も図書館に行くところだし、持っていきましょ」
アリスは、拾った本をいつもの本と一緒に抱え込むと、そのまま目的地へと向かって行った。
再び図書館。
「こんにちはー?」
「あ、こんにちはアリスさん」
静かに入り口の扉を開けたアリスを出迎えたのは小悪魔だった。
「パチュリーはいるかしら?」
「パチュリー様ならいつもの場所にいらっしゃいますよ」
アリスは小悪魔にありがとうと言って奥へ進んでいく。
暫く行くと、閲覧机の前に陣取り、自分の手の平と睨めっこしているパチュリーがいるのが見えた。何やらぶつぶつ言っているのが今のアリスの距離からでも分かる。
「魔理沙まりさマリサ……(ごくん)。マリサまりさ魔理沙……(ごくん)。ふう、これで注意力が不足しないようになったかしら?」
いわゆる、手の平に人と書いて呑むというやつである。何だか用法と目的が違う気もするが、そこは知識人なりの応用らしい。
「まだ足りないかもしれないわね。魔理沙まりさマリサ……(ごくん)」
「魔理沙に呪いでもかけてるのかしら?」
「マリサまりさ……」
―――ガタン!ガタガタガタッ!!
この世の物とは思えないような驚き具合だったと遠巻きに見ていた小悪魔は後に語る。
「ちょ、急に話し掛けないで頂戴!」
「何もそこまで驚くことないじゃない……」
「し、集中してたんだから仕方ないじゃないの!」
「大量に本を持った魔理沙にはさっきそこで会ったわ。気持ちは分かるけど、何も呪うことはないんじゃない?」
「え、あ……、そ、そうね……。やめておくわ。」
相手が都合よく勘違いしてくれている時は、それに話を合わせるに限る。
「ところで、本を貸してほしいのだけどいいかしら?」
パチュリーの反対側の席に座りながら、アリスはここに来た目的を言い出す。
「そうね、貴女はちゃんと返してくれるから構わないわよ。言ってくれればあの子に持って来させるけど?」
そう言ってパチュリーは小悪魔を呼び寄せる。アリスも「それじゃあ……」と言って目的の本を告げた。
「分かりました。ちょっと待ってて下さいね」
小悪魔がふよふよと飛んでいくのを見送りながら、パチュリーがふとした疑問を投げ掛けた。
「あら、その本って貴女も持ってるんじゃないの?」
「持ってるけど三ヶ月前位から魔理沙に持ってかれたままなのよ……。でも魔理沙だって自分のを持ってる筈よ?きっと見つからないからって借りてったんだと思うわ。私だって時々使う本だから早いとこ返してほしいのに……」
因みに書名は『魔力付加概論』。物体に魔力を持たせる技術における基礎的な事から簡単な応用までが記されていて、魔法使いなら一度は目を通す事になる書物だ。一家に一冊とまで言われたりもするが、霧雨邸でこの本を探し出すとなると恐らく五日はかかる。他から借りた方が早い。
「貴女も魔理沙に悩まされているのね」
「悩まされて……? え、あ、べ、べ、別に私は! ……あ、あいつと一緒にいたいと思ったことなんて……! 魔理沙が私以外の人と、な、仲良くしているのが悔しいだなんて! あの時だってあいつがどうしてもって言うから……!」
思わず椅子から立ち上がり、何やら一人で勝手に騒ぎ出すアリス。ついでに言うと、『あの時』とは例の永夜異変の事である。更に言えば、その時はアリスの方から魔理沙を駆り出した筈なのだが……。
「……?」
「し、仕方なくだったんだから……。」
「……落ち着いて頂戴。本の話よ……」
「へ……?」
我に返る。
「あ、ちょ、ちょっとした冗談よ……ほ、本の事ね。わ、分かってるわ。」
「アリスさーん、この本ですねー? ……って、どうかしました?」
「あ……ううん、な、何でもないの……本、ありがと……」
アリス激しく勘違い。顔を真っ赤にしながら慌てて椅子に座り直す。あの会話の流れから勘違いを起こすアリスもある意味すごい。
「聞き方を変えるわ……。貴女も魔理沙に本を返してもらえてないのね?」
「え、ええ、そうよ。三ヶ月も貸したんだからいい加減返してほしいわよ」
「……手が無い訳ではないわ」
「どういう事?」
「貴女、『はろうぃん』って知ってるかしら?」
「はろうぃん?」
「私も前に本で読んだ程度だから余り良くは知らないんだけど……あぁ、たしかその本がまだ残っていたはずね。それを見れば確実だわ。小悪魔、ちょっとあの本を持ってきて」
「あ、はいー」
「そうだ、ついでにいいかしら」
取りに行こうとする小悪魔を、廊下で拾った本を取り出しながら呼び止めるアリス。
「これ、さっき魔理沙が落として行ったみたいなんだけど、どうせここから持ち出したやつだろうから代わりに返しておくわ」
「あ、分かりました。一緒に片付けておきますね」
小悪魔はアリスから本を受け取ると、再びふよふよと飛んでいった。
「で、その『はろうぃん』って、簡単に言うとどんな物なの?」
「『はろうぃん』ってのは物じゃなくて儀式の名前よ。何でも夕暮れ時から夜に人の家へ仮装して乗り込んで行って、家主に色々と物を差し出させる儀式らしいわ」
「差し出さなかったら……?」
「何らかの方法で家主を困らせる」
「……それって本当なの?」
「記憶している限りではね」
どんな賢人でも時間が経てば記憶がうやむやになる事はある。実際、先程のパチュリーの説明ではただの強盗行為だ。記憶とはこうまでもろいものなのか……。
「それで魔理沙に今までの本を差し出させようというのかしら?」
「あら、察しがいいわね。その通りよ」
「そんなに上手くいくの?」
「現時点では問題が三つあるわ。一つ目はどんな仮装をするのかという事。これは例の本が見つかれば分かるわね。二つ目はその仮装の材料。三つ目は成功を確実にする物。つまり、魔理沙が本を差し出さなかった時にどうやって困らせるか、よ」
それを聞いて暫く何か考え込むアリス。やがて、意を決したように切り出した。
「仮装の材料なら、私の家に布生地が沢山あるわ」
「あら、協力してくれるの?」
「私だって魔理沙に持ってかれたままの本がありますからね」
「そう、なら二つ目の問題は解決ね。あとは魔理沙を困らせる方法だけど……」
「パチュリーさまー、あの本ありませんよー?」
ちょうどその時、例の本を探している小悪魔の声がどこかの本棚の間から聞こえてきた。
「おかしいわね。ちゃんと探した?」
「ええ。ありそうな書架は全部探したんですが、そのどこにもありませんでしたよ? あ、それとアリスさんが持って来てくれた本ですけど、これはここの本じゃ無いみたいです」
「え? あれは確かに魔理沙が通った後の廊下に落ちてたんだけど……」
「その本のタイトルは?」
「えーとですね……かすれてますけど……Diary……? あぁ、これ日記帳ですよ。誰のかは書いてないんで分かりませんが……」
「日記帳ですって!? 小悪魔、ちょっと戻ってらっしゃい!」
「は、はい!?」
突然の荒声に、慌てて主人の下へ戻る小悪魔。
「これって日記帳だったのね……」
「確認するけど、貴女は確かに魔理沙が通った後の廊下でこれを拾ったのよね?」
「そうよ。あの時の魔理沙、私とぶつかって持ってた本を全部落としてたから、その時この日記帳に気付かなかったんじゃないかしら」
「となると、これは魔理沙の日記帳ね。ふふふ……三つ目の問題が解決したわ」
「そ……そうね……そうよね、これがあれば魔理沙は……ふふふふ……上海、お手柄よ」
「あら、貴女が見つけてくれたのね。上海人形、貴女良い仕事したわよ。ふふふふふ……」
上海人形に向けられた二人の笑顔からは、むしろ恐怖を感じたという。
「ここまで来たら、一つ目の問題は私の記憶でカバーするわ。夜までの時間を使って早速準備に取り掛かりましょう?」
「じゃあ、私は家から生地を持ってくるわ」
「小悪魔、貴女も準備しなさい」
「え、わ、私もですか!?」
「貴女だってこの図書館の司書なのよ?」
「分かりましたよぅ……準備しますよぅ……」
かくして、図書館の入り口に『関係者以外立入禁止』の札が掛けられた。
「ふーむ、なるほど。お、この顔つきカボチャの絵は何だ? なになに……『Juck-o’-Lantern』だって? 『中をくりぬいて、表面に顔を彫り、蝋燭を入れて明かりとする』……か。ほほう、面白そうだな。作ってみよう……いや、折角だからちょいと手を加えて……」
夜のヴワル魔法図書館。
中にいると昼だか夜だか分からなくなるような大部屋で、今度は人形使いと紫の魔女、そして彼女達の使い魔が色々頑張っていた。
「こんなところかしら?」
「急ごしらえでこれ以上は無理ね」
アリスとパチュリーはいつもの服装ではなく、共に黒とオレンジを基調とした服を着ている。しかし、二人がそんな格好をしている中、小悪魔だけはいつもと同じだった。
「あのぅ、何で私はいつもと同じ格好なんですか?」
「貴女はそのままでも十分よ」
「でもパチュリー様、さっき私も準備しろって……」
「心の準備よ。今まで魔理沙が持ってった本の量は計り知れないわ。それを取戻した時の片付けをするのは主に司書である貴女の仕事ではなくて?」
「あうー……、そういう事ですかー……」
小悪魔、思わず涙。この作戦が成功しても、その後に膨大な仕事が自分に降りかかってくる事を考えると泣かずにはいられなかったようだ。魔理沙が持ち出した本の総数はそれほどにまで多い。
「そろそろ行くのにいい頃ね。アリス、そっちはどう?」
「ええ、いつでもいいわよ。日記帳もここにあるわ」
アリスがそう言うと、その日記帳を抱えた上海人形がアリスの背後から顔を出した。上海人形の格好もいつものとは違い、今のアリスのものとそっくりな服装だ。
「じゃあ行くわよ。いざ魔理沙の家へ!」
パチュリーが図書館の扉を開こうとしたまさにその時……
「とりっく・おあ・とりぃぃぃと!!」
「ひぃぃぃ!?」
扉は外から勢い良く開かれ、大きな掛け声と共にオレンジ色のカボチャが大量に飛び込んできた。よく見れば穴が目と鼻と口の形に開けられ、その中からぼうっとした光が漏れているのが分かる。
「か、か、カボチャ!? で、でも今のは魔理沙の声!?」
「今日のパチュリーはよく驚くわね……」
「そ、そんな……。魔理沙、貴女カボチャになってしまったの……? しかもこんな三角の目にギザギザ口で……」
「パチュリー様、お気を確かに……!」
「ははは、驚いたか? とりあえず落ち着けパチュリー。私はこっちだ」
扉の影から姿を現した魔理沙は、いつもの黒白ではなく黒橙になっていた。
「あら、貴女も『はろうぃん』かしら?」
「おぉアリス、お前もいたのかー。ってどうしたんだその格好」
「あぁこれ? 私達も『はろうぃん』なのよ。貴女に本を返させる為に」
「ほう?」
「ふふふ……魔理沙、例え貴女がカボチャになってしまっても、私は貴女に本を返してもらうまでは諦めないわ」
「落ち着けってパチュリー。お前が抱えてるそれは『Jack-o’-Lantern』ってやつだ」
「何だかショックが大きすぎたみたいです……」
「しょうがないな……。こりゃ、目を覚ませ」
軽くチョップ
「あう……はッ! ま、魔理沙、いいところに来たわね! 『はろうぃん』の儀式に基づいて、今まで貸した本を返してもらうわ!」
「なるほど、お前達がそんな格好してるのはそういう事か。まぁ、そう焦るなって。折角だから今まで借りた本も持ってきてるんだよ。一部だけど」
「……え?」
そう言うと、扉の影から大きく膨れた麻袋を引っ張り出す魔理沙。
「ほらアリス、例の本も持ってきたぜ」
「え!? ……あ、当たり前でしょ! 三ヶ月も貸したんだから……」
「ははは、素直じゃないなぁ。でも、これだけの量のカボチャへ魔力を与える事に成功したのはこの本のおかげだぜ? ありがとな」
「……う、うん」
貸していた本、『魔力付加概論』を受け取りつつ面と向かって礼を言われ、思わず顔を伏せるアリス。
「あとは全部ここの本だ。パチュリー、ありがとな」
「え、ええ……」
パチュリーは相槌を打って麻袋を受け取るが、驚きを隠せないようだった。
「おいおい、折角の『Halloween』なんだぜ? そんな顔してないでパーティといこうじゃないか。ほら、パイも持ってきたぞ?」
魔理沙はそう言って、周りで浮遊しているカボチャのうち一番大きいものを呼び寄せる。その中には香ばしい匂いを漂わせるパンプキンパイが入っていた。
「あら、魔理沙がパイを焼いてくるなんてどういう風の吹き回しかしらね?」
「酷いなアリス。私だってパイくらい焼けるぞ? さぁ、冷めないうちに食べようぜ」
「そうね。本も一部だけど返してもらったし、頂こうかしら。小悪魔、みんなの分の紅茶をお願い」
「はいー、少々お待ちくださいね」
「小皿も頼むぜ」
「分かってますよー」
「結構美味しいじゃない、魔理沙の作るパイも(もぐもぐ……)」
「だろ? この甘さの調整が難しいんだぜ(むぐむぐ……)」
「それにしても、貴女が自分から本を返しに来るとは思わなかったわ」
「何だよパチュリー、ちゃんと返すって言ったじゃないかぁ」
「それがいつなのかが問題なのよ。どうせ自分が死んだら持ってってくれとかそういうつもりだったんでしょ?」
「ばれてたか」
「貴女ならやりかねないもの。でもこうして持ってきてくれたのなら、あの日記帳はもういいわね。貴女に返すわ」
「日記帳? そりゃ何の事だ?」
「これの事よ、魔理沙」
「んー?」
アリスが横から差し出した日記帳をまじまじと見つめる魔理沙。
「私は日記なんてつけてないぞ?」
「何ですって?」
「日記なんてつけてないって言ったんだ。常に前を見る事にしてるからな」
「でもこれ、昼間魔理沙とぶつかった後にあの場所で拾ったのよ?」
「あぁ、その時に落としたのか。実はな、この日記帳は昨日フランに貰った物なんだよ」
「妹様に?」
「何でも、弾幕ごっこのお礼だってさ。だから中は真っ白のはずだぜ?」
それを聞いて日記帳を開いてみるアリス。
「……書いてあるわよ?」
「なに?」
「ほら」
これには魔理沙も驚いた。書いた筈の無い日記が書かれている? そんな馬鹿な。
アリスが机に広げた日記帳を覗き込む魔理沙とパチュリー。
「こりゃあ私の字じゃないぜ。でもこの内容…………ははぁん、フランの奴、『あいつ』の日記帳と知らないで私によこしたのか」
「なるほど、妹様なら確かにやりかねないわ……」
「そういう事ならこの日記帳はパチュリーに預けたままにするか」
「無難ね」
「代わりに何か借りさせてもらうぜ」
「え? ちょっと! それは……」
「私がさっきここに来たとき何て言ったか覚えてるか?」
「……?」
あの時パチュリーは錯乱していたので無理もない。
代わりにアリスが答える。
「『とりっく・おあ・とりーと』……だったわね」
「そう。そしてその意味は『何かくれないと悪戯するぞ』だ」
「あ、もしかして……」
パチュリーが何か思い出したように麻袋の口を広げる。
「やっぱり。この本、貴女が持って行ってたのね」
そう言って取り出したのは『外界文化』と題された本。外の世界の年間行事集とも言える本だ。この本の十月三十一日、即ち今日のところに『Halloween』の事が書かれていたのだ。
「あぁ、読ませてもらったぜ。だからこれも『Halloween』のイベントの一つだ」
いつの間にか魔理沙の横には十冊ほどの本の山。
「ちょ、それとこれとは話が……」
「お前達だって私に似たような事しようとしたんだろ? ならおあいこだぜ」
「それは貴女が本を返してくれないから……」
「だからちゃんと返したじゃないか…………あッ!!」
「「「え!?」」」
突然、パチュリーの死角を指差しながら大声を出す魔理沙。
思わず振り向くパチュリー。
つられるアリスと上海人形。
そして、紅茶のおかわりを運んできたところを急に指差されて慌てる小悪魔。
「って一日に二度も騙されないわ……!」
しかし遅かった。
「じゃあ借りてくぜ。今度もちゃんと返すからな! それと紅茶ご馳走様だぜ」
―――バタン
「あ……」
手の平に魔理沙と書いて呑むという作戦は失敗に終わった。
「毎回こんな感じなの……?」
「えぇ。パチュリー様ったらこの手に何回も引っかかってるんです……」
「貴女も大変ね……」
「……ありがとうございます」
二人の横では、パチュリーが残っているパンプキンパイを自棄食いしていた。
「おかしいわね……どこ行っちゃったのかしら」
「あれー? 咲夜どうしたの?」
「あ、妹様。私の日記帳をご存知ありませんか?」
「日記帳?」
「えぇ。表紙に『Diary』って書いてあるのですが……」
「あぁ、アレ咲夜のだったんだ」
「よかった、ご存知ですか!」
「……ごめん、魔理沙にあげちゃった……」
「え゛……」
日記帳が咲夜の手に無事戻ったのはそれから一週間の後の事だったとか。
本を貸してくれなければ魔理沙がパチェに夜這いをして
本を返してくれなければパチェが魔理沙に夜這いをして
想いを返してくれなければアリスが魔理沙に夜這いをするんですかね。
そんな妄想をする今日この頃。Trick or Treat。何か違うか……
で、咲夜さん南無。いろいろと南無。でも日記の中身を見てみt(傷魂
こういう雰囲気は好きです。
読んでて楽しい文章に小気味の良い台詞回し、これぞSSって感じの一品、ごちになりました。
特にうっかり、あわてんぼう、おまぬけと三拍子そろったパチェ萌え!
良い仕事をしておられます。
こういうほのぼのとした季節ものって良いですねえ。
でも結局理不尽な血と弾幕の雨が一度や二度降ってそうなオチも秀逸。
しかしフランドールの字と見間違われる咲夜さんの日記って、ひょっとして結構悪ひt(隠滅
雰囲気を堪能しました。
それとお体に気をつけてください。
日記の保管場所にも問題あったんじゃないかなー。
まぁ、妹様なら咲夜さんの部屋においてあっても「あれ咲夜のだったの?」とか言いそうですが。
1週間もあったら写本されてそうですな。ヴワル図書館にまた一つ本が増える(ぇ
<font size=1>ところでこの前ハーロイーンの呪文を暗唱したらけーね先生に呪文詠唱学:優をもらいました。2ヶ所ほどミスがあったのは見逃されたようです。</font>
細かい所ですが、本の題名などがしっかりと描き込まれているのも○。
現実のイベントと時期的に合わせたのも好印象です。
終盤の話の中心となる日記帳ですが、これは本人の内面を知るための重要な手がかりになるはず。瀟洒な咲夜さんと日記の内容とのギャップが描かれているとなお良かったかと思います。
ほとんど出番無いのに被った被害は甚大な咲夜さんカワイソス
ハロウィンって日本じゃ余り流行りませんねぇ。クリスマスは大騒ぎなのに。
まぁお盆という風習があるからそういう意味では必要無いのかも知れませんけど……フム。
>日記の中身を見てみt
あの日記を読んでしまうと、後でそれが「彼女」に知れてしまった時大変な事に……(そんな
なので日記の中身は皆さんのご想像にお任せしま(ぇー
>1週間もあったら写本されてそうですな。
そりゃあもう、図書館の主はそう言う所も抜かり無k(本のカド
>けーね先生に呪文詠唱学:優をもらいました。2ヶ所ほどミスがあったのは見逃されたようです。
それらのミスは、無かった事にしてくれたんです。きっと(笑
>それとお体に気をつけてください。
お蔭様で快方に向かってます。そう信じたいです(何
本当はもっと答えたいのですが、キリが無くなりそうなのでこの辺で。
ご読了ありがとうございました。