パチン!!
乾いた音が響く。
少女が少女の頬に手のひらをぶつけた。
痛みが心に刻まれて、真っ赤に残るその痕、紅葉(もみじ)
生まれて間もない人形の少女”メディスン・メランコリー”は
人形開放という目的のために仲間が必要だと知った。
そして、仲間を得るには人の心を痛みを理解しなくてはいけないことも。
彼女は、疑う事も信じる事も知らない純粋な”生”。
心の痛みがどういうことかまだハッキリとは理解できなかったけれど
まずは時折やってくる人に親切にする事から始めようと思った。
「鈴仙、まだ来ないかな? スーさんちょっと元気なくなってきちゃったけど、まだ鈴仙の役に立てるよね。ね、スーさん♪」
見渡す限り続く広大な鈴蘭の丘
薄紫の甘香と微かな毒の冷たさが漂うフェアリーランド。
そこではこんな人形の独り言が半日おきには響いていた。
月から逃げてきた兎、鈴仙は幻想郷、永遠亭で安全を得て安穏と暮らしていた。
けれど、花の異変をきっかけにして仲間を見捨てて逃げた罪を意識するようになった。
背負った罪はどうしたら許されるのか、それは分からないのだけれど。
そんなとき出会ったある人形、鈴仙にはそれが罪を持たない無垢な”生”に思えた。
師匠の手伝いで何度か会ううちに鈴仙はその人形に興味を持った。
そして今日、永遠亭の兎、てゐをつれた鈴仙はまた鈴蘭の丘を訪れた。
「メディスンさん、師匠の言いつけでまた鈴蘭の毒をいただきに参りました」
紺のブレザーを着た細身の少女。
頭上から伸びる二本の長い耳が少女を本来より長身に見せている。
「鈴仙! そろそろ来ると思ってたわ。あぁ、まだ鈴蘭畑の奥へ入ってはダメ。今、毒をよけるから」
金髪に鮮やかな赤いリホンの映える大きな瞳の人形、メディスンが両手を広げる。
コンパロコンパロと唱え始めると同時にあたりの毒気が弱まっていった。
くいくいっと鈴仙の袖を小さな白い手が引っ張る。
鈴仙が視線を下げると、両手で口と鼻を覆った小さな兎の少女が顔を真っ赤にして瞳を少し潤ませて見上げている。
どうやらずっと息を止めているようだ。
「てゐ、大丈夫。そんなにしなくても、もう平気」
鈴仙が穏やかに言い聞かせる。
てゐは恐る恐る手を離し少し息を吸い、それから今度は大きく深呼吸した。
「はぁ…はぁ…ったく。こんなところ永琳にでも頼まれなきゃ二度と来ないわよ」
「あら、あなたはいつかの薬売りさん。そんなに警戒しなくても、毒はもうよけたわ」
メディスンは無邪気に微笑み、再びコンパロコンパロとなえながら鈴蘭畑を駆け出した。
こうして毒を集めるのは楽しく感じていた。
回ったり、飛び跳ねたり、そのままの勢いで鈴蘭畑を転がったり。
「無邪気な子供みたい。うん、実際そうなのかな」
鈴仙がつぶやくと、てゐが疑わしげな表情を返した。
視線をはずして苦笑いをする鈴仙。
「あれから何度かこうして毒をもらいに来ているけど、メディスンさんはとっても友好的だよ。今のところ。」
てゐは一度、メディスンの毒でひどい目にあっていた。
必要以上に警戒するのも当然だろう。
鈴仙だってメディスンに完全に気を許したわけではなかった。
「鈴仙! 毒をたーっくさん集めたわよ」
メディスンが背後に毒の紫気を浮かばせてやってきた。
「あ、それじゃいつものようにこのつぼの水の中に」
鈴仙がつぼのふたを開けると、メディスンの力で濃縮された毒気が中の水に溶けて力を増す。
極めて純粋な鈴蘭の毒。
「ありがとうございます、最高の薬の材料だと、師匠もいつも喜んでいます」
軽く頭を下げた鈴仙が再び頭を上げるとそこに、こぼれるように純粋な笑顔のメディスン。
彼女がどうしてこんなに楽しそうなのか、鈴仙は興味を持った。
「失礼なこと言ったらごめんなさい、でも…はじめてあったときと今では印象が違うの、なぜかしら?」
そのままの笑顔でメディスンは答えた。
「友達がほしいの。私ね、夢があって、仲間が必要で、でもそのためには人の心を知らないといけないって。鈴仙、友達を作るのに大切な事って何かしら?」
とてもまっすぐなメディスンの瞳に射抜かれた。
だから、自分のことを思い巡らして鈴仙は真剣に答えた。
「難しいけれど……やっぱり大切なのは信じる気持ち、そして、信じてくれる人を裏切らない事、かなぁ」
鈴仙は”ふっ”と息を吐いて肩の力を抜き自ら手を差し出した。
「もしあなたが私を信じようと思ってくれるなら、私もあなたを信じることができるわ。 もし私でもよかったら、だけどね」
メディの表情がぱぁっと晴れる。
「もちろんさー♪」
手を握り返すメディスン。
初めて相手から寄せられた直接の好意。
それは純粋にうれしいものだった。
鈴仙のために親切にする事で、友達になれた、人の心を知れたと思った。
舞い上がるメディスンと微笑ましくそれを見つめる鈴仙。
(友達!?)
てゐだけは二人のやり取りを信じられないといった表情で見ていた。
しかし、メディスンたちが視線を向けるとその様子も跡形もなく消える。
「鈴仙、そろそろ帰りましょう。永琳様も待っているわ(にこにこ)」
「そうね。メディスンさん、もし困った事があったら言ってくださいね、師匠も毒のお礼がしたいと言っていますし、私もあなたの力になれたらいいなって思ったし」
鈴仙は上半身を横に少し傾けて片耳を折り曲げた。
それを見て同じように体を傾けるてゐ。
しかし背中に回した手は親指を下に向けている。
「困った事なら少しあるの」
メディスンは一面の鈴蘭を見まわして言う。
春の花の異変を経ていまだ咲き誇る鈴蘭。
だが、その勢いは徐々に弱まってきていた。
「今年のスーさんはね、とっても強かったんだけど……最近ちょっと元気がないの。また、前みたいに元気に咲いてほしいな」
「うーん」
頬に指を当てて考えはじめる鈴仙。
てゐは早く帰りたいと思ったが、しょうがなく鈴仙のまねをして頬に指を当てて、立ちくたびれて足が痛ーいとか考えながらニコニコしてみた。
「やっぱり師匠なら、植物のお薬も作れるかもしれない。話してみますね」
「ありがとーーーー!!」
鈴仙に飛びつくメディスン。
丁度鈴仙の腰の位置に両手を回し体を密着させ鈴仙の顔を見上げる。
至近距離にメディスンの顔。
(やっぱり、近くで見ると人形なのね……)
鈴仙がそう思ったのは、顔のつくりとかだけでなく、その人間にしてはあまりにもまっすぐな感情の表現からだった。
少しの間ほうけていた鈴仙の袖をてゐがまたくいくいっと引っ張る。
(かーえーるーわーよー)
(はいはい)
目だけで会話する二人。
「それじゃ、メディスンさん今日はこれで失礼しますね」
「うん、私たちもう友達なんだからまた遊びに来てね!」
鈴仙たちはつぼを抱えて鈴蘭の丘を後にした。
途中何度か振り返ると、メディスンはずうっとこちらに向けて手を振っていた。
それも見えなくなってからてゐが鈴仙に言った。
「鈴仙、どういうつもり? あんな怪しい人形の友達になるなんて」
「喜んでたからね。理由はそれだけだけど。そういうことだから、てゐもメディスンさんのこと」
「いーーや! 私はまだ、メディスンにひどい目に合わされたの許さない。それよりも、鈴仙はお人よしなんだから”友達だからさー”とか言われて変な計画に巻き込まれたりとかしないでよ」
「あー……、きっと、大丈夫さー」
鈴仙がメディスンの口真似をするとてゐはじとーっと睨んできた。
「コ、コンパロ」
「ぺっ」
てゐはつばを吐いた。
アハハと罰の悪そうな顔をする鈴仙。
「変な事になってもてゐを巻き込んだりしないから。それに、夢は誰にだってあるわ。目的はともかく、メディスンさんは本気で友達を作りたがっていた」
だからきっと大丈夫よ♪ といわんばかりの能天気そうな鈴仙の表情にてゐは大きく一つため息をつく。
そして、そっぽ向いて少し小さい声で言った。
「私が心配なのは鈴仙よ。私と違って騙されやすいんだから…。それをよりにもよって”信じる事”だなんて……」
稀代の詐欺師てゐにとってそれは自分への皮肉にも聞こえた。
てゐの様子が寂しそうだと鈴仙は思った。だから逡巡したが言った。
「大丈夫、私はてゐのこと信じれるよ?」
「は? なにいってんのよ。毒にでもやられた?」
そっけなく返すてゐの声はもういつもと同じ調子だった。
二人のやり取りはそれで十分だった。
「ところでさ、鈴仙。永琳に鈴蘭の薬頼むの?」
「そのつもり。何かお礼はしなくちゃって、永琳様、も言ってたし」
「そりゃ永琳ならどんな薬だって作れそうだけどー。花は季節が過ぎたら散るのが普通でしょ?」
「そうねぇ……本当はよくないのかもしれないけれど、もう少しの間花を咲かせ続けるとかそういう薬だったら永琳様も作ってくれると思うわ。天才の師匠永琳様ならね」
少しムキになって話す鈴仙を見てニヤニヤするてゐ。
「えーりんの事だから、とんでもないもの作ったりするかもねー。鈴蘭が人間の夢を見て空を飛ぶ薬とか」
「人間は空飛ばないわよ? でも永琳、サ、マ、の気分しだいじゃ、本当に年中咲いてる薬とかは作りそうだけど…ね」
「エーリンならやりそー」
意地の悪い笑みを浮かべるてゐを鈴仙はじっと真剣な目で睨んだ。
真っ赤な瞳、くるくる回る。
「て、ゐ?」
「なによ? 文句あるの?」
「あ、師匠!!」
突然明るい声でてゐの後ろに手を振る鈴仙。
「え、え、永琳様!?」
振り向くてゐ。誰もいない。
勝ち誇った表情の鈴仙。
「あーあ、わざと引っかかってやったのよ。永琳様がこんなところにいない事くらい分かってるわよ」
やれやれと手のひらを上に向けて肩をすぼめるてゐ。
てゐが本人のいないところで永琳を呼び捨てにするのはいつもの事。
そんな些細な言葉遊びは二人の挨拶みたいなものだった。
「でもさ、てゐ。あんまりだとまた師匠に薬飲まされるよ?」
「あれは勘弁ー。あ、そうだ!」
なにやら思いついた様子のてゐは、こぶしを握り締め口元を緩めた。
「鈴仙、悪いけど用事があるの。あと任せてもいい?」
「え、今日はつぼが重いから交代で運ぼうって言ったじゃない」
「ほんっとうにごめん、今度二人で運ぶときがあったら私が先に運ぶから、ね?」
両手を合わせ拝むようにして上目づかいをするてゐ。
強く反対したところでどうしようもないことを鈴仙はよく分かっていた。
てゐもそのことをよく知っていた。
「約束、守ってよ? 私信じてるんだからね?」
先ほどのやり取りを繰り返す。
「勿論よ、鈴仙に嘘はつかないわ。それじゃ、永琳サマによろしくね~」
今度は笑顔で答えると、てゐはどこかへ跳ねていった。
「あれ、結局交代で運ぶなら先も後も……ええぇぇぇぇぇぇええ」
がっくりと肩を落とす兎が一羽残された。
二人の去った鈴蘭の丘でメディスンは鈴蘭の様子を見て回っていた。
無限とも思える数を一本一本丁寧に。
「メディ、毒を避けてもらえない?」
振り向くとてゐが両手で鼻と口を覆っている。
メディスンはあたりの毒を避けてから不思議そうに尋ねた。
「てゐ、だっけ、どうしたの? 毒足りなかった?」
「ううん、そうじゃなくってその毒のお礼よ」
てゐはビンに入った白い粉を見せる。
「鈴蘭が弱って困っているのでしょう? これはお薬、そう信じて撒くと元気が出るわよ」
無害そうな笑顔でメディスンに薬のビンを渡した。
メディスンはこの素兎があまり信用できない事は感じていた。
ふたを開け香りをかぐメディスン。
自らが毒であるメディスンに躊躇いはない。
ビンの中身は毒ではなかった。何か分からないが植物の粉を加工したもの。
視線をビンからてゐに向け、まっすぐとその瞳を見つめる。
かわらない笑顔で見つめ返してくるてゐ。
視線を合わせて動揺しないのは、言っている事が本心だからだろう。
本気でメディスンのために薬を持ってきてくれたのか。
本気で騙そうとしているのか。
よく鈴仙と一緒にいるこの素兎。
「うん、私あなたを信じることにする」
メディスンは機嫌が良い時の表情になる。
「あなたは鈴仙の友達よね。鈴仙は私の友達になってくれた。そして、信じる事が大切だって言ったわ。どちらにしても私にはやり方はわからないもの。だから、鈴仙の言ったとおりにする」
理屈を並べて納得する自分を感じて悦にいるメディスン。
そして、ありがとう、と頭を下げた。
それは、てゐにとって意外だった。
この人形は誰かのようにバカでもお人よしでもないように見える。
だからイロイロ言いくるめる台詞を考えていた。
(なんだかあっけないけど、結果オーライ……だよね?)
うまく行き過ぎて逆にバツが悪い気もしたてゐだった。
けれど、メディスンが一生懸命に白い粉を毎日撒くところを考えると気分は晴れた。
そう、その粉はてゐも飲まされた永琳の特別なお薬、”ただのうどん粉”なのだから。
それから数日、メディスンはてゐにもらった粉を鈴蘭畑に撒いて回った。
「スーさん、スーさん、私、友達ができちゃいました!」
「これは友達の友達にもらったお薬よ、スーさんが元気が出ますようにって」
「今年のスーさんは最強なんだから、これでまたきっと、ううん前よりずっと強くなるわよ」
「今日は鈴仙こないのかな?」
「友達ができるってこんなにうれしいってはじめて知ったわ。あ、もちろんスーさんもとっても大切。それは譲れないわ。でも……ね。エヘへ、このお薬だって私たちのために持ってきてくれたのよ」
「スーさん、私のほうから鈴仙のところに行ってもいいのかしら? あ、でも用事はないんだけど、うーん」
そしてある朝。
季節の移り変わりとともに、あれだけ咲き誇っていた鈴蘭の花が散っていった。
その様子を一人無表情で見るメディスン。
音のない止まった風景。
一時はあれだけ楽しそうに生命力にあふれていた鈴蘭の丘は今、冷たい。
鈴蘭は花を落としただけで死んだわけではない。
来年になればまた花を咲かせるだろう。
そんな事は分かっていた。
けれど、その毎年の光景から色の白さ以外にメディスンが得た感想は、ひどく機械的な結論。
「信じたのに、元気になるって言ったのに。私、裏切られたのかな」
風が吹く。けれど無音。
「ううん、少し違うね。あの素兎は私と友達になるって言ったわけじゃない。初めから私の敵だっただけなんだ」
そう、ただそれだけのこと。
メディスンは納得した。
「私に必要なのは仲間、友達。敵なら排除すればいい。鈴仙は友達」
友達、と言って笑顔でうんと頷く。
そして急に表情をなくす。
「てゐはいらない」
永遠亭。
てゐはいつものように部下の兎に自分の仕事をうまく押し付けて、縁側に座ってのんびりとしていた。
そこへ小さな兎が紙を咥えてやってきた。
「私に手紙? 誰から?」
竹林で迷っている人を助けたら変わりにこれを渡すように言われたらしい。
小さな兎はすぐに自分の仕事に戻っていく。
折りたたまれた紙を開く。
---鈴蘭の丘で待っています---
メディスン・メランコリー
「やっぱりばれたのかなぁ……どうしよう」
騙しとおす事が目的じゃない。
ちょっとからかってやるつもりだっただけだから。
「きっと怒ってるだろうけど、無視すると後で鈴仙にばれたら厄介だしぃ」
てゐはひょいっと立ち上がると、懐から前とは違った薬のビンを取り出す。
あの日、鈴蘭の丘から帰ってきてから永琳に頼んで作ってもらった薬。
「これもあるし、適当にいろいろ言えば何とかなるでしょ」
あの人形をまた騙すなんて簡単だ。
てゐはそう思って気楽に鈴蘭の丘へと向かった。
相変わらず丘は一面に鈴蘭が敷き詰められていた。
その真ん中でニコニコと微笑んでいるメディスン。
てゐが近づくと両手を広げた。
「コンパロ、コンパロ、毒よ……集まれ!」
(え、嘘いきなり?)
鈴蘭の毒気がてゐの左右背後を取り囲む。
目の前には、てゐに狙いを定めるメディスン。
「毒符”神経の毒”」
「な、ちょっとまって!」
てゐは小さく跳ね弾幕をぎりぎりで全てかわす。
そして突然その場にうずくまりつらそうな顔でメディスンを見つめた。
「痛っ」
「あれ、おかしいな。やっぱりスーさんの毒が弱まってるのかなぁ」
一撃でしとめられなかった事を残念がるメディスン。
「あ、あの……ね、もしかしてあの薬効果なかった? ごめんなさい。私も騙されてたのよ?永琳にこれを飲めば元気になるって言われて渡されたからついうっかり。騙そうとしたわけじゃないわ」
ね、だからゆるして、と瞳を潤ませて懇願する、まるでか弱い小兎のように。
メディスンはしかし、淡々と言い放つ。
「かすった振りしても無駄。私は毒の動きが分かる。あたってない。もう騙されない」
「ごめんなさい、私も知らなかったんだ、って、え!?」
「毒符”憂鬱の毒”」
先ほどより高速で大きい弾幕、大きくよける余裕はない。
てゐは即地面にべたっと張り付いて弾幕の下をくぐりそのまま横に転がって起き上がる。
てゐのもといた場所に大量の弾が集撃し地面をえぐった。
「あぶな……もう、聞く耳なし? 前はあんなに素直だったのに!?」
言いながらてゐも弾をばら撒く。
続けて相手に攻撃させないための牽制。
「あれは、私が信じるって決めたから信じたの。今は私がいらないと思ったからてゐを排除するわ!」
「私が言うのもなんだけど、それ、おかしいわよ」
互いに相手を追い詰めるために弾幕を張り合あった。
周囲を毒に囲まれ自由に動けない分不利のてゐ。
「おかしくない。私が正しいのよ、ね、スーさん」
再び大きくて速い弾、先ほどの弾幕が残っているためてゐの目の前には隙間がない。
大きく脇に回りこむ、その先には濃い毒気。
「しまった」
てゐの動きが鈍る。
「とーどーめ!」
ありったけの弾幕を全ててゐに向けて放つメディスン。
わずかにずれて押し寄せる無数の高速弾は、のろのろとしか動けないてゐを容赦なく狙う。
けれど。
ひきつけるだけ弾をひきつけたてゐは高速でその場から離れた。
「兎符”開運大紋”」
無防備なメディスンを密度の濃い波状弾が襲う。
(かわせない!?)
被弾直前に閃光。
弾幕の晴れたそこに無傷だが非常に疲れた様子のメディスンが立っていた。
「クイックボムかぁ。でもこれでもう、すぐには反撃できない」
てゐはニコニコしながら符を準備し始める。
てゐの取って置きの大技。
「どうして、鈴蘭の毒から抜け出せたの?」
「永琳様の秘薬、対鈴蘭用毒中和剤。飲んでも撒いても効果バッチリよ!」
てゐは弾幕と一緒に持っていたビンの粉を振りまいた。
あたりに漂っていた鈴蘭の毒が綺麗に晴れる。
「兎符”因幡の素兎”」
鈴蘭の毒を中和されたためか、てゐの兎玉と高速弾にどんどんと追い込まれていくメディスン。
わずかな隙間を潜り抜けやがて追いやられたのは弾幕の袋小路。
「これで終りね。とりあえず今日の事黙っててくれれば、それでいいわ」
そう言って余裕たっぷりに狙いをメディスンに向ける。
放たれた高速の白い刺客はしかし、メディスンから半身ほど離れた場所を通り抜けた。
「あ、れ……?」
てゐの足元がふわりとへこむ。
否、足に力が入らず膝を折る。
一陣の風が、鈴蘭の丘全体を駆け抜けて無音。
いっせいに舞い上がる花びらの純白。
なぜかぼやける視界を真っ白に染めたそれらがやがて晴れる。
てゐの眼前に広がるは、鮮やか過ぎる朱の海。
禍々しさすら感じる一面に敷き詰められた毒花、彼岸花。
その中央でいつもの無邪気な笑みを浮かべたスウィートポイズン。
「リコリンリコリン♪ 毒は、鈴蘭だけじゃないの」
再び立ち上がろうとする努力むなしく、てゐはそのままぱたりと倒れた。
白と朱の花びらがその勢いで小さく舞って、落ちた。
「まだ意識ある? でも動けないでしょ。彼岸花の毒は身体の毒。そんな中で思いっきり動き回ったらどうなるか、分かるでしょ?」
(う……そ……これ、しゃれに…ならな……ぃ)
全身に力が入らない。感覚も希薄。
ただ呼吸をするたびに毒で満たされていく。
やがて、朦朧とする。
「やった。スーさん、そして彼岸花さん、私勝ちました!」
ぼやけた瞳に一人ではしゃぐメディスンを映したまま、てゐは意識を失った。
メディスンはてゐをそのままにして立ち去ろうとする。
すると、丘の向こうから顔を真っ赤にして飛んでくる鈴仙。
「あ、鈴仙! 来てくれたのー?」
「てゐ!」
鈴仙はメディスンの横を通り過ぎ、真っ直ぐにてゐのもとへ向かった。
「鈴仙、ここは今たくさんの猛毒であふれてる。危険だから、毒をよけるまで離れて!」
しかしメディスンに言われても鈴仙は離れなかった。
半分花に埋もれていたてゐを抱き起こし、その口に竹の水筒から何か液体を流し込む。
「てゐ、師匠の薬だから、すぐによくなるから」
てゐは意識を取り戻さない。
メディスンの力であたりの毒気が急に晴れる。
「鈴仙、どうして無視するの? 危ないって言ったじゃない!」
二人に近寄るメディスン。
鈴仙は焦りを抑えるように一度強く歯を食いしばる。
「メディスンさんの手紙を見つけて、慌てて来ました。てゐが何をしたか知らないけど……」
腕の中で力なく横たわるてゐを見て、それから強い意思の瞳をメディスンに向けた。
「あぁ、てゐね。鈴仙の友達だもんね。でもね、私に嘘を付いた。私にとっては初めから邪魔者だったみたい」
やりすぎを悪びれるでもなく言い放つメディスン。
それでも視線をそらさずに決意した鈴仙。
「鈴仙……もしかしててゐの味方するの? 私は鈴仙のことはまだ信じてる。戦いたくないよ」
鈴仙はてゐを抱きかかえたまま一歩メディスンに詰め寄った。
その挙動に意識を集中するメディスン。
緊張した空気が一瞬流れる。
鈴仙は、頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「え?」
キョトンとするメディスン。
鈴仙は頭を下げたまま言った。
「たぶん、先に迷惑をかけたのはてゐだから。だからごめんなさい」
「鈴蘭の薬だって嘘つかれたわ。でもどうして?」
「それは、季節の移り変わりを捻じ曲げる薬は師匠でもすぐには難しいらしくて。でも、来年もっとたくさんの鈴蘭を咲かせる薬なら作ってくれるって」
「ううん、そのことはもういいわ。私が気になるのは」
鈴仙の顔を上げさせ覗き込むメディスン。
「どうして、鈴仙がてゐの代わりに謝るの?」
「それは……」
鈴仙の瞳は微かに潤んでいた。
その困ったような、つらそうな表情はてゐを思う優しさから。
メディスンにはそれがまだ分からない。
「それは、てゐが私の大切な友達だから」
「嘘つきで人を騙すし、からかうし、それでも大切なの?」
「うん、こんなだけど、時々人に迷惑はかけるけれどこの子は私の大事なの」
てゐを抱きかかえる手に力を入れる鈴仙。
わからない。
(わからない……)
「わからないわ、鈴仙!!」
メディスンの口調が攻撃的になる。
理解できない事への苛立ち。
「だって、鈴仙。あなたは信じる事が大切だって言ったわ。でも騙された。なら、そんな友達要らないじゃない!?」
「あは、は……。てゐ、相当に嫌われちゃったね。もう…ぐす…あれ、涙が…ぅぅ。もう、かかわらないようにっててゐには言っておくから、今日は許してあげて……ぐす」
他人が本気で悲しむ表情を見たのはメディスンにとって初めてだった。
どうしてそこまで? と疑問に思うと同時に心が水に浸るような寂しさと焦りを感じた。
だって、あんなに鈴仙のためにがんばったのに、鈴仙は友達になってくれるって言ったのに
それはすごく楽しい事だったのに、今鈴仙はてゐを大切にしている。
そんなの嫌、メディスンはそう思った。だから言った。
「鈴仙、てゐはきっとあなたも騙しているのよ。そしていつか鈴仙のことも裏切るわ。鈴仙がそんなヤツを大切にする必要はない! そんなやつ、友達だなんて思わないで、私と」
パチン!!
「え…」
鈴仙はメディスンの頬を思いっきり叩いた。
「それは私が決める事よ!」
響く声。
静寂。
「……ごめんなさい。でも、私はもう、誰も裏切ったりしない。例えいつか私がてゐに裏切られる事があるとしても、私はてゐを信じたいの」
もう一度頭を下げて謝ると、鈴仙はてゐを抱えて急いで帰っていった。
独り丘に取り残され呆然とするメディスン。
痛い。頬が痛い。
なぜか胸もズキズキする。
キューっと体の動きが感情に締め付けられ、その場に座り込む。
どうしてこんな気持ちになったのだろう。
自問するメディスン。
(私、裏切られたから…なの?)
違う。
それなら、てゐと同じように信じるのをやめて排除すればいいだけ。
(それは嫌! 私は鈴仙を信じたい……)
なぜ、鈴仙は嘘つきでもてゐを信じるというのか。
どうして、こんなにも鈴仙を信じたいと思うのか。
裏切られたら信じ続ける事は難しい。
けれど、初めから信じられなくなったらやめると決めているなら
それは本当に信じていたのだろうか?
逆だと、気がついた。
鈴仙の言葉の意味を理解した。
「スーさん。私、鈴仙に嫌われたくないよ」
声に出してつぶやく。
夢のためにどうこうじゃない、ただ純粋に鈴仙が好きだから。
だから信じたいと思える事。
鈴仙に親切にするという手段がいつの間にか目的になっていた。
気がついたのは鈴仙が去った今。
まだ痛む頬と胸に手を当てる。
心に刻まれた紅葉の形の痕。
それは、人形が感じた初めての心の痛みだった。
瞳を閉じるメディスン。
両腕で自分を抱き体を小さく振るわせる。
今感じている気持ちを逃がさないように。
つらいけれど、これはきっと自分にとって大切なものだから。
(このままじゃダメ、乗り越えなくちゃ……)
そのまま、静かに時間が過ぎた。
日は落ち、群青の天蓋に舞い散った鈴蘭の花びらのごとき満天の星。
メディスンは瞳を開き顔を上げる。
「うん、決めた」
早朝の永遠亭。
てゐが布団に寝かされている。
永琳の薬で眠っているが、時折苦しそうな声を漏らす。
「すごいわね。あの子が本気を出すとこうなるのか……全快するのに2,3日はかかるわ」
てゐの額のタオルを取り替えながら永琳が言う。
鈴仙は少し離れたところで正座していた。
「師匠の薬でもすぐには無理なんですか?」
「ううん。むりやり毒を消すことは簡単よ。でも、強い薬はそれ自体毒。急激な変化にてゐの体がもたないわ。この子も懲りないからね、このくらい自業自得。てゐのそんなところ、私は嫌いじゃないけれど」
「そうですか……」
うつむいたまま返事をする鈴仙。
長い耳が下を向いている。
永琳はハァと一つため息をつく。
「鈴仙、後悔してるの?」
「……もっと、他の言い方もあったかなって」
「でも、間違った事をしたつもりもないのでしょう? だから悩んでる」
鈴仙は頷いた。
「なら簡単よ。鈴仙、あの子は目的のためなら貪欲だわ。うん、仕返しにくるかも」
とぼけた口調の永琳だったが、鈴仙が顔を上げると永琳の瞳は優しかった。
「そういう微妙な悩みはね、相手を過小評価することになるのよ。あの子のことも信じてあげなさい」
永琳は急に視線を変える。
「む、噂をすれば。お客様が来たみたい。鈴仙、行って見てきてちょうだい」
「…はい」
(メディスンさんだよね……会いづらい…)
本当に仕返しに来たのだろうか。
玄関へ向かう鈴仙の足取りは重い。
永遠亭の入り口。
戸をはさんで向こう側に、確かにメディスンがいるのが分かる。
鈴仙はひとつ深呼吸をしてから、恐る恐る戸をあけた。
そこには、まさしくいつものまっすぐな笑顔のメディスンがいた。
「メディスン……さん」
メディスンは一歩永遠亭の中に入り、ぐいっと鈴仙に近づく。
鈴仙にとって、今はその笑顔が怖い。
「とりあえずさー、私のこと……」
至近距離で視線が合う。
パチン!!
突然、メディスンの手が横から飛んできた。
「メディって呼んで、友達なんだからね!」
驚いてその場にしりもちをつく鈴仙。
「え、え?」
よく、分からない、けれど頬は痛い。
紅葉の形に真っ赤に残る痕。
頬に手を当てて呆然とする鈴仙に、メディスンは手を差しのべた。
その手につかまり立ち上がる鈴仙。
立ち上がっても、メディスンは手を離さなかった。
「あの…」
「私ね、考えたの。でもどうしても納得いかなくって、私が鈴仙に叩かれるのはおかしいわ! だから……だから謝りに来たの。ごめんなさい鈴仙」
「それで……どうして私が叩かれるの…かな?」
「これでおあいこだから、それでいいじゃない。エヘへ」
あのとき、鈴仙が自らメディスンに手を差し出した理由を思い当たった。
人形だって、生きていけば罪を犯す。
現に小さな過ちを犯し、鈴仙を泣かせたメディスン。
それは鈴仙の罪と比べたら小さい。
けれど、メディスンは全力でそれに向き合って、力いっぱい体当たりしてきた。
あまりにも純粋で真摯な生き方。
それが、人形がまるで本当に無垢な”生”に見えた理由。
鈴仙に瞬時にそう理解させた、メディスンの笑顔。
「メディスンさ……エーット、……メディ?」
「ありがとう」
(私を受け入れてくれてありがとう)
メディスンはそう思った。
そして、握ったままの鈴仙の手にもう片方の手も添えて自分の胸に持っていった。
「私、夢のためとかじゃなくて、鈴仙のことが大好きみたい。だから、これからも友達。ね?」
カーッと鈴仙の顔が赤く染まる。
紅葉の痕も見えないくらい。
恥ずかしい事を平気で言ってのけて、顔色を変えない人形がずるいとか
関係ないことを考えた。
「あ、あの、えーっと…」
言葉を返せない鈴仙だったけれど
メディスンは返事なんて待たずに続けた。
「てゐだっけ? あの素兎は生きてる?」
「あ、はい…生きてます。でもしばらくは寝込むって師匠が」
「そっかー、あれだけやって簡単に治療される私の毒じゃないわ。永琳にも挨拶しないとだし、お邪魔するね」
許可を待たずにあがりこみどんどんと奥へ廊下を進むメディスン。
「れいせーん、そんなとこで止まってないで、てゐの部屋どこ? 案内してよ」
「でも、いまてゐは寝てるから……」
「治療してあげるの! 毒なら私が専門家よ。集めて外に出す事だって簡単なんだから……あ、こないだの兎さーん。手紙届けてくれてアリガトね~♪」
廊下の向こうで無邪気に兎と話し始めたメディスンを見て
ひょっとしたらああいう生き方が、自分の悩みの一つの答えの形なのではないかと思った。
「メディ、改めてよろしくね」
鈴仙はその場で一度メディスンに礼をして
それから、メディスンのもとへ駆けていった。
乾いた音が響く。
少女が少女の頬に手のひらをぶつけた。
痛みが心に刻まれて、真っ赤に残るその痕、紅葉(もみじ)
生まれて間もない人形の少女”メディスン・メランコリー”は
人形開放という目的のために仲間が必要だと知った。
そして、仲間を得るには人の心を痛みを理解しなくてはいけないことも。
彼女は、疑う事も信じる事も知らない純粋な”生”。
心の痛みがどういうことかまだハッキリとは理解できなかったけれど
まずは時折やってくる人に親切にする事から始めようと思った。
「鈴仙、まだ来ないかな? スーさんちょっと元気なくなってきちゃったけど、まだ鈴仙の役に立てるよね。ね、スーさん♪」
見渡す限り続く広大な鈴蘭の丘
薄紫の甘香と微かな毒の冷たさが漂うフェアリーランド。
そこではこんな人形の独り言が半日おきには響いていた。
月から逃げてきた兎、鈴仙は幻想郷、永遠亭で安全を得て安穏と暮らしていた。
けれど、花の異変をきっかけにして仲間を見捨てて逃げた罪を意識するようになった。
背負った罪はどうしたら許されるのか、それは分からないのだけれど。
そんなとき出会ったある人形、鈴仙にはそれが罪を持たない無垢な”生”に思えた。
師匠の手伝いで何度か会ううちに鈴仙はその人形に興味を持った。
そして今日、永遠亭の兎、てゐをつれた鈴仙はまた鈴蘭の丘を訪れた。
「メディスンさん、師匠の言いつけでまた鈴蘭の毒をいただきに参りました」
紺のブレザーを着た細身の少女。
頭上から伸びる二本の長い耳が少女を本来より長身に見せている。
「鈴仙! そろそろ来ると思ってたわ。あぁ、まだ鈴蘭畑の奥へ入ってはダメ。今、毒をよけるから」
金髪に鮮やかな赤いリホンの映える大きな瞳の人形、メディスンが両手を広げる。
コンパロコンパロと唱え始めると同時にあたりの毒気が弱まっていった。
くいくいっと鈴仙の袖を小さな白い手が引っ張る。
鈴仙が視線を下げると、両手で口と鼻を覆った小さな兎の少女が顔を真っ赤にして瞳を少し潤ませて見上げている。
どうやらずっと息を止めているようだ。
「てゐ、大丈夫。そんなにしなくても、もう平気」
鈴仙が穏やかに言い聞かせる。
てゐは恐る恐る手を離し少し息を吸い、それから今度は大きく深呼吸した。
「はぁ…はぁ…ったく。こんなところ永琳にでも頼まれなきゃ二度と来ないわよ」
「あら、あなたはいつかの薬売りさん。そんなに警戒しなくても、毒はもうよけたわ」
メディスンは無邪気に微笑み、再びコンパロコンパロとなえながら鈴蘭畑を駆け出した。
こうして毒を集めるのは楽しく感じていた。
回ったり、飛び跳ねたり、そのままの勢いで鈴蘭畑を転がったり。
「無邪気な子供みたい。うん、実際そうなのかな」
鈴仙がつぶやくと、てゐが疑わしげな表情を返した。
視線をはずして苦笑いをする鈴仙。
「あれから何度かこうして毒をもらいに来ているけど、メディスンさんはとっても友好的だよ。今のところ。」
てゐは一度、メディスンの毒でひどい目にあっていた。
必要以上に警戒するのも当然だろう。
鈴仙だってメディスンに完全に気を許したわけではなかった。
「鈴仙! 毒をたーっくさん集めたわよ」
メディスンが背後に毒の紫気を浮かばせてやってきた。
「あ、それじゃいつものようにこのつぼの水の中に」
鈴仙がつぼのふたを開けると、メディスンの力で濃縮された毒気が中の水に溶けて力を増す。
極めて純粋な鈴蘭の毒。
「ありがとうございます、最高の薬の材料だと、師匠もいつも喜んでいます」
軽く頭を下げた鈴仙が再び頭を上げるとそこに、こぼれるように純粋な笑顔のメディスン。
彼女がどうしてこんなに楽しそうなのか、鈴仙は興味を持った。
「失礼なこと言ったらごめんなさい、でも…はじめてあったときと今では印象が違うの、なぜかしら?」
そのままの笑顔でメディスンは答えた。
「友達がほしいの。私ね、夢があって、仲間が必要で、でもそのためには人の心を知らないといけないって。鈴仙、友達を作るのに大切な事って何かしら?」
とてもまっすぐなメディスンの瞳に射抜かれた。
だから、自分のことを思い巡らして鈴仙は真剣に答えた。
「難しいけれど……やっぱり大切なのは信じる気持ち、そして、信じてくれる人を裏切らない事、かなぁ」
鈴仙は”ふっ”と息を吐いて肩の力を抜き自ら手を差し出した。
「もしあなたが私を信じようと思ってくれるなら、私もあなたを信じることができるわ。 もし私でもよかったら、だけどね」
メディの表情がぱぁっと晴れる。
「もちろんさー♪」
手を握り返すメディスン。
初めて相手から寄せられた直接の好意。
それは純粋にうれしいものだった。
鈴仙のために親切にする事で、友達になれた、人の心を知れたと思った。
舞い上がるメディスンと微笑ましくそれを見つめる鈴仙。
(友達!?)
てゐだけは二人のやり取りを信じられないといった表情で見ていた。
しかし、メディスンたちが視線を向けるとその様子も跡形もなく消える。
「鈴仙、そろそろ帰りましょう。永琳様も待っているわ(にこにこ)」
「そうね。メディスンさん、もし困った事があったら言ってくださいね、師匠も毒のお礼がしたいと言っていますし、私もあなたの力になれたらいいなって思ったし」
鈴仙は上半身を横に少し傾けて片耳を折り曲げた。
それを見て同じように体を傾けるてゐ。
しかし背中に回した手は親指を下に向けている。
「困った事なら少しあるの」
メディスンは一面の鈴蘭を見まわして言う。
春の花の異変を経ていまだ咲き誇る鈴蘭。
だが、その勢いは徐々に弱まってきていた。
「今年のスーさんはね、とっても強かったんだけど……最近ちょっと元気がないの。また、前みたいに元気に咲いてほしいな」
「うーん」
頬に指を当てて考えはじめる鈴仙。
てゐは早く帰りたいと思ったが、しょうがなく鈴仙のまねをして頬に指を当てて、立ちくたびれて足が痛ーいとか考えながらニコニコしてみた。
「やっぱり師匠なら、植物のお薬も作れるかもしれない。話してみますね」
「ありがとーーーー!!」
鈴仙に飛びつくメディスン。
丁度鈴仙の腰の位置に両手を回し体を密着させ鈴仙の顔を見上げる。
至近距離にメディスンの顔。
(やっぱり、近くで見ると人形なのね……)
鈴仙がそう思ったのは、顔のつくりとかだけでなく、その人間にしてはあまりにもまっすぐな感情の表現からだった。
少しの間ほうけていた鈴仙の袖をてゐがまたくいくいっと引っ張る。
(かーえーるーわーよー)
(はいはい)
目だけで会話する二人。
「それじゃ、メディスンさん今日はこれで失礼しますね」
「うん、私たちもう友達なんだからまた遊びに来てね!」
鈴仙たちはつぼを抱えて鈴蘭の丘を後にした。
途中何度か振り返ると、メディスンはずうっとこちらに向けて手を振っていた。
それも見えなくなってからてゐが鈴仙に言った。
「鈴仙、どういうつもり? あんな怪しい人形の友達になるなんて」
「喜んでたからね。理由はそれだけだけど。そういうことだから、てゐもメディスンさんのこと」
「いーーや! 私はまだ、メディスンにひどい目に合わされたの許さない。それよりも、鈴仙はお人よしなんだから”友達だからさー”とか言われて変な計画に巻き込まれたりとかしないでよ」
「あー……、きっと、大丈夫さー」
鈴仙がメディスンの口真似をするとてゐはじとーっと睨んできた。
「コ、コンパロ」
「ぺっ」
てゐはつばを吐いた。
アハハと罰の悪そうな顔をする鈴仙。
「変な事になってもてゐを巻き込んだりしないから。それに、夢は誰にだってあるわ。目的はともかく、メディスンさんは本気で友達を作りたがっていた」
だからきっと大丈夫よ♪ といわんばかりの能天気そうな鈴仙の表情にてゐは大きく一つため息をつく。
そして、そっぽ向いて少し小さい声で言った。
「私が心配なのは鈴仙よ。私と違って騙されやすいんだから…。それをよりにもよって”信じる事”だなんて……」
稀代の詐欺師てゐにとってそれは自分への皮肉にも聞こえた。
てゐの様子が寂しそうだと鈴仙は思った。だから逡巡したが言った。
「大丈夫、私はてゐのこと信じれるよ?」
「は? なにいってんのよ。毒にでもやられた?」
そっけなく返すてゐの声はもういつもと同じ調子だった。
二人のやり取りはそれで十分だった。
「ところでさ、鈴仙。永琳に鈴蘭の薬頼むの?」
「そのつもり。何かお礼はしなくちゃって、永琳様、も言ってたし」
「そりゃ永琳ならどんな薬だって作れそうだけどー。花は季節が過ぎたら散るのが普通でしょ?」
「そうねぇ……本当はよくないのかもしれないけれど、もう少しの間花を咲かせ続けるとかそういう薬だったら永琳様も作ってくれると思うわ。天才の師匠永琳様ならね」
少しムキになって話す鈴仙を見てニヤニヤするてゐ。
「えーりんの事だから、とんでもないもの作ったりするかもねー。鈴蘭が人間の夢を見て空を飛ぶ薬とか」
「人間は空飛ばないわよ? でも永琳、サ、マ、の気分しだいじゃ、本当に年中咲いてる薬とかは作りそうだけど…ね」
「エーリンならやりそー」
意地の悪い笑みを浮かべるてゐを鈴仙はじっと真剣な目で睨んだ。
真っ赤な瞳、くるくる回る。
「て、ゐ?」
「なによ? 文句あるの?」
「あ、師匠!!」
突然明るい声でてゐの後ろに手を振る鈴仙。
「え、え、永琳様!?」
振り向くてゐ。誰もいない。
勝ち誇った表情の鈴仙。
「あーあ、わざと引っかかってやったのよ。永琳様がこんなところにいない事くらい分かってるわよ」
やれやれと手のひらを上に向けて肩をすぼめるてゐ。
てゐが本人のいないところで永琳を呼び捨てにするのはいつもの事。
そんな些細な言葉遊びは二人の挨拶みたいなものだった。
「でもさ、てゐ。あんまりだとまた師匠に薬飲まされるよ?」
「あれは勘弁ー。あ、そうだ!」
なにやら思いついた様子のてゐは、こぶしを握り締め口元を緩めた。
「鈴仙、悪いけど用事があるの。あと任せてもいい?」
「え、今日はつぼが重いから交代で運ぼうって言ったじゃない」
「ほんっとうにごめん、今度二人で運ぶときがあったら私が先に運ぶから、ね?」
両手を合わせ拝むようにして上目づかいをするてゐ。
強く反対したところでどうしようもないことを鈴仙はよく分かっていた。
てゐもそのことをよく知っていた。
「約束、守ってよ? 私信じてるんだからね?」
先ほどのやり取りを繰り返す。
「勿論よ、鈴仙に嘘はつかないわ。それじゃ、永琳サマによろしくね~」
今度は笑顔で答えると、てゐはどこかへ跳ねていった。
「あれ、結局交代で運ぶなら先も後も……ええぇぇぇぇぇぇええ」
がっくりと肩を落とす兎が一羽残された。
二人の去った鈴蘭の丘でメディスンは鈴蘭の様子を見て回っていた。
無限とも思える数を一本一本丁寧に。
「メディ、毒を避けてもらえない?」
振り向くとてゐが両手で鼻と口を覆っている。
メディスンはあたりの毒を避けてから不思議そうに尋ねた。
「てゐ、だっけ、どうしたの? 毒足りなかった?」
「ううん、そうじゃなくってその毒のお礼よ」
てゐはビンに入った白い粉を見せる。
「鈴蘭が弱って困っているのでしょう? これはお薬、そう信じて撒くと元気が出るわよ」
無害そうな笑顔でメディスンに薬のビンを渡した。
メディスンはこの素兎があまり信用できない事は感じていた。
ふたを開け香りをかぐメディスン。
自らが毒であるメディスンに躊躇いはない。
ビンの中身は毒ではなかった。何か分からないが植物の粉を加工したもの。
視線をビンからてゐに向け、まっすぐとその瞳を見つめる。
かわらない笑顔で見つめ返してくるてゐ。
視線を合わせて動揺しないのは、言っている事が本心だからだろう。
本気でメディスンのために薬を持ってきてくれたのか。
本気で騙そうとしているのか。
よく鈴仙と一緒にいるこの素兎。
「うん、私あなたを信じることにする」
メディスンは機嫌が良い時の表情になる。
「あなたは鈴仙の友達よね。鈴仙は私の友達になってくれた。そして、信じる事が大切だって言ったわ。どちらにしても私にはやり方はわからないもの。だから、鈴仙の言ったとおりにする」
理屈を並べて納得する自分を感じて悦にいるメディスン。
そして、ありがとう、と頭を下げた。
それは、てゐにとって意外だった。
この人形は誰かのようにバカでもお人よしでもないように見える。
だからイロイロ言いくるめる台詞を考えていた。
(なんだかあっけないけど、結果オーライ……だよね?)
うまく行き過ぎて逆にバツが悪い気もしたてゐだった。
けれど、メディスンが一生懸命に白い粉を毎日撒くところを考えると気分は晴れた。
そう、その粉はてゐも飲まされた永琳の特別なお薬、”ただのうどん粉”なのだから。
それから数日、メディスンはてゐにもらった粉を鈴蘭畑に撒いて回った。
「スーさん、スーさん、私、友達ができちゃいました!」
「これは友達の友達にもらったお薬よ、スーさんが元気が出ますようにって」
「今年のスーさんは最強なんだから、これでまたきっと、ううん前よりずっと強くなるわよ」
「今日は鈴仙こないのかな?」
「友達ができるってこんなにうれしいってはじめて知ったわ。あ、もちろんスーさんもとっても大切。それは譲れないわ。でも……ね。エヘへ、このお薬だって私たちのために持ってきてくれたのよ」
「スーさん、私のほうから鈴仙のところに行ってもいいのかしら? あ、でも用事はないんだけど、うーん」
そしてある朝。
季節の移り変わりとともに、あれだけ咲き誇っていた鈴蘭の花が散っていった。
その様子を一人無表情で見るメディスン。
音のない止まった風景。
一時はあれだけ楽しそうに生命力にあふれていた鈴蘭の丘は今、冷たい。
鈴蘭は花を落としただけで死んだわけではない。
来年になればまた花を咲かせるだろう。
そんな事は分かっていた。
けれど、その毎年の光景から色の白さ以外にメディスンが得た感想は、ひどく機械的な結論。
「信じたのに、元気になるって言ったのに。私、裏切られたのかな」
風が吹く。けれど無音。
「ううん、少し違うね。あの素兎は私と友達になるって言ったわけじゃない。初めから私の敵だっただけなんだ」
そう、ただそれだけのこと。
メディスンは納得した。
「私に必要なのは仲間、友達。敵なら排除すればいい。鈴仙は友達」
友達、と言って笑顔でうんと頷く。
そして急に表情をなくす。
「てゐはいらない」
永遠亭。
てゐはいつものように部下の兎に自分の仕事をうまく押し付けて、縁側に座ってのんびりとしていた。
そこへ小さな兎が紙を咥えてやってきた。
「私に手紙? 誰から?」
竹林で迷っている人を助けたら変わりにこれを渡すように言われたらしい。
小さな兎はすぐに自分の仕事に戻っていく。
折りたたまれた紙を開く。
---鈴蘭の丘で待っています---
メディスン・メランコリー
「やっぱりばれたのかなぁ……どうしよう」
騙しとおす事が目的じゃない。
ちょっとからかってやるつもりだっただけだから。
「きっと怒ってるだろうけど、無視すると後で鈴仙にばれたら厄介だしぃ」
てゐはひょいっと立ち上がると、懐から前とは違った薬のビンを取り出す。
あの日、鈴蘭の丘から帰ってきてから永琳に頼んで作ってもらった薬。
「これもあるし、適当にいろいろ言えば何とかなるでしょ」
あの人形をまた騙すなんて簡単だ。
てゐはそう思って気楽に鈴蘭の丘へと向かった。
相変わらず丘は一面に鈴蘭が敷き詰められていた。
その真ん中でニコニコと微笑んでいるメディスン。
てゐが近づくと両手を広げた。
「コンパロ、コンパロ、毒よ……集まれ!」
(え、嘘いきなり?)
鈴蘭の毒気がてゐの左右背後を取り囲む。
目の前には、てゐに狙いを定めるメディスン。
「毒符”神経の毒”」
「な、ちょっとまって!」
てゐは小さく跳ね弾幕をぎりぎりで全てかわす。
そして突然その場にうずくまりつらそうな顔でメディスンを見つめた。
「痛っ」
「あれ、おかしいな。やっぱりスーさんの毒が弱まってるのかなぁ」
一撃でしとめられなかった事を残念がるメディスン。
「あ、あの……ね、もしかしてあの薬効果なかった? ごめんなさい。私も騙されてたのよ?永琳にこれを飲めば元気になるって言われて渡されたからついうっかり。騙そうとしたわけじゃないわ」
ね、だからゆるして、と瞳を潤ませて懇願する、まるでか弱い小兎のように。
メディスンはしかし、淡々と言い放つ。
「かすった振りしても無駄。私は毒の動きが分かる。あたってない。もう騙されない」
「ごめんなさい、私も知らなかったんだ、って、え!?」
「毒符”憂鬱の毒”」
先ほどより高速で大きい弾幕、大きくよける余裕はない。
てゐは即地面にべたっと張り付いて弾幕の下をくぐりそのまま横に転がって起き上がる。
てゐのもといた場所に大量の弾が集撃し地面をえぐった。
「あぶな……もう、聞く耳なし? 前はあんなに素直だったのに!?」
言いながらてゐも弾をばら撒く。
続けて相手に攻撃させないための牽制。
「あれは、私が信じるって決めたから信じたの。今は私がいらないと思ったからてゐを排除するわ!」
「私が言うのもなんだけど、それ、おかしいわよ」
互いに相手を追い詰めるために弾幕を張り合あった。
周囲を毒に囲まれ自由に動けない分不利のてゐ。
「おかしくない。私が正しいのよ、ね、スーさん」
再び大きくて速い弾、先ほどの弾幕が残っているためてゐの目の前には隙間がない。
大きく脇に回りこむ、その先には濃い毒気。
「しまった」
てゐの動きが鈍る。
「とーどーめ!」
ありったけの弾幕を全ててゐに向けて放つメディスン。
わずかにずれて押し寄せる無数の高速弾は、のろのろとしか動けないてゐを容赦なく狙う。
けれど。
ひきつけるだけ弾をひきつけたてゐは高速でその場から離れた。
「兎符”開運大紋”」
無防備なメディスンを密度の濃い波状弾が襲う。
(かわせない!?)
被弾直前に閃光。
弾幕の晴れたそこに無傷だが非常に疲れた様子のメディスンが立っていた。
「クイックボムかぁ。でもこれでもう、すぐには反撃できない」
てゐはニコニコしながら符を準備し始める。
てゐの取って置きの大技。
「どうして、鈴蘭の毒から抜け出せたの?」
「永琳様の秘薬、対鈴蘭用毒中和剤。飲んでも撒いても効果バッチリよ!」
てゐは弾幕と一緒に持っていたビンの粉を振りまいた。
あたりに漂っていた鈴蘭の毒が綺麗に晴れる。
「兎符”因幡の素兎”」
鈴蘭の毒を中和されたためか、てゐの兎玉と高速弾にどんどんと追い込まれていくメディスン。
わずかな隙間を潜り抜けやがて追いやられたのは弾幕の袋小路。
「これで終りね。とりあえず今日の事黙っててくれれば、それでいいわ」
そう言って余裕たっぷりに狙いをメディスンに向ける。
放たれた高速の白い刺客はしかし、メディスンから半身ほど離れた場所を通り抜けた。
「あ、れ……?」
てゐの足元がふわりとへこむ。
否、足に力が入らず膝を折る。
一陣の風が、鈴蘭の丘全体を駆け抜けて無音。
いっせいに舞い上がる花びらの純白。
なぜかぼやける視界を真っ白に染めたそれらがやがて晴れる。
てゐの眼前に広がるは、鮮やか過ぎる朱の海。
禍々しさすら感じる一面に敷き詰められた毒花、彼岸花。
その中央でいつもの無邪気な笑みを浮かべたスウィートポイズン。
「リコリンリコリン♪ 毒は、鈴蘭だけじゃないの」
再び立ち上がろうとする努力むなしく、てゐはそのままぱたりと倒れた。
白と朱の花びらがその勢いで小さく舞って、落ちた。
「まだ意識ある? でも動けないでしょ。彼岸花の毒は身体の毒。そんな中で思いっきり動き回ったらどうなるか、分かるでしょ?」
(う……そ……これ、しゃれに…ならな……ぃ)
全身に力が入らない。感覚も希薄。
ただ呼吸をするたびに毒で満たされていく。
やがて、朦朧とする。
「やった。スーさん、そして彼岸花さん、私勝ちました!」
ぼやけた瞳に一人ではしゃぐメディスンを映したまま、てゐは意識を失った。
メディスンはてゐをそのままにして立ち去ろうとする。
すると、丘の向こうから顔を真っ赤にして飛んでくる鈴仙。
「あ、鈴仙! 来てくれたのー?」
「てゐ!」
鈴仙はメディスンの横を通り過ぎ、真っ直ぐにてゐのもとへ向かった。
「鈴仙、ここは今たくさんの猛毒であふれてる。危険だから、毒をよけるまで離れて!」
しかしメディスンに言われても鈴仙は離れなかった。
半分花に埋もれていたてゐを抱き起こし、その口に竹の水筒から何か液体を流し込む。
「てゐ、師匠の薬だから、すぐによくなるから」
てゐは意識を取り戻さない。
メディスンの力であたりの毒気が急に晴れる。
「鈴仙、どうして無視するの? 危ないって言ったじゃない!」
二人に近寄るメディスン。
鈴仙は焦りを抑えるように一度強く歯を食いしばる。
「メディスンさんの手紙を見つけて、慌てて来ました。てゐが何をしたか知らないけど……」
腕の中で力なく横たわるてゐを見て、それから強い意思の瞳をメディスンに向けた。
「あぁ、てゐね。鈴仙の友達だもんね。でもね、私に嘘を付いた。私にとっては初めから邪魔者だったみたい」
やりすぎを悪びれるでもなく言い放つメディスン。
それでも視線をそらさずに決意した鈴仙。
「鈴仙……もしかしててゐの味方するの? 私は鈴仙のことはまだ信じてる。戦いたくないよ」
鈴仙はてゐを抱きかかえたまま一歩メディスンに詰め寄った。
その挙動に意識を集中するメディスン。
緊張した空気が一瞬流れる。
鈴仙は、頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「え?」
キョトンとするメディスン。
鈴仙は頭を下げたまま言った。
「たぶん、先に迷惑をかけたのはてゐだから。だからごめんなさい」
「鈴蘭の薬だって嘘つかれたわ。でもどうして?」
「それは、季節の移り変わりを捻じ曲げる薬は師匠でもすぐには難しいらしくて。でも、来年もっとたくさんの鈴蘭を咲かせる薬なら作ってくれるって」
「ううん、そのことはもういいわ。私が気になるのは」
鈴仙の顔を上げさせ覗き込むメディスン。
「どうして、鈴仙がてゐの代わりに謝るの?」
「それは……」
鈴仙の瞳は微かに潤んでいた。
その困ったような、つらそうな表情はてゐを思う優しさから。
メディスンにはそれがまだ分からない。
「それは、てゐが私の大切な友達だから」
「嘘つきで人を騙すし、からかうし、それでも大切なの?」
「うん、こんなだけど、時々人に迷惑はかけるけれどこの子は私の大事なの」
てゐを抱きかかえる手に力を入れる鈴仙。
わからない。
(わからない……)
「わからないわ、鈴仙!!」
メディスンの口調が攻撃的になる。
理解できない事への苛立ち。
「だって、鈴仙。あなたは信じる事が大切だって言ったわ。でも騙された。なら、そんな友達要らないじゃない!?」
「あは、は……。てゐ、相当に嫌われちゃったね。もう…ぐす…あれ、涙が…ぅぅ。もう、かかわらないようにっててゐには言っておくから、今日は許してあげて……ぐす」
他人が本気で悲しむ表情を見たのはメディスンにとって初めてだった。
どうしてそこまで? と疑問に思うと同時に心が水に浸るような寂しさと焦りを感じた。
だって、あんなに鈴仙のためにがんばったのに、鈴仙は友達になってくれるって言ったのに
それはすごく楽しい事だったのに、今鈴仙はてゐを大切にしている。
そんなの嫌、メディスンはそう思った。だから言った。
「鈴仙、てゐはきっとあなたも騙しているのよ。そしていつか鈴仙のことも裏切るわ。鈴仙がそんなヤツを大切にする必要はない! そんなやつ、友達だなんて思わないで、私と」
パチン!!
「え…」
鈴仙はメディスンの頬を思いっきり叩いた。
「それは私が決める事よ!」
響く声。
静寂。
「……ごめんなさい。でも、私はもう、誰も裏切ったりしない。例えいつか私がてゐに裏切られる事があるとしても、私はてゐを信じたいの」
もう一度頭を下げて謝ると、鈴仙はてゐを抱えて急いで帰っていった。
独り丘に取り残され呆然とするメディスン。
痛い。頬が痛い。
なぜか胸もズキズキする。
キューっと体の動きが感情に締め付けられ、その場に座り込む。
どうしてこんな気持ちになったのだろう。
自問するメディスン。
(私、裏切られたから…なの?)
違う。
それなら、てゐと同じように信じるのをやめて排除すればいいだけ。
(それは嫌! 私は鈴仙を信じたい……)
なぜ、鈴仙は嘘つきでもてゐを信じるというのか。
どうして、こんなにも鈴仙を信じたいと思うのか。
裏切られたら信じ続ける事は難しい。
けれど、初めから信じられなくなったらやめると決めているなら
それは本当に信じていたのだろうか?
逆だと、気がついた。
鈴仙の言葉の意味を理解した。
「スーさん。私、鈴仙に嫌われたくないよ」
声に出してつぶやく。
夢のためにどうこうじゃない、ただ純粋に鈴仙が好きだから。
だから信じたいと思える事。
鈴仙に親切にするという手段がいつの間にか目的になっていた。
気がついたのは鈴仙が去った今。
まだ痛む頬と胸に手を当てる。
心に刻まれた紅葉の形の痕。
それは、人形が感じた初めての心の痛みだった。
瞳を閉じるメディスン。
両腕で自分を抱き体を小さく振るわせる。
今感じている気持ちを逃がさないように。
つらいけれど、これはきっと自分にとって大切なものだから。
(このままじゃダメ、乗り越えなくちゃ……)
そのまま、静かに時間が過ぎた。
日は落ち、群青の天蓋に舞い散った鈴蘭の花びらのごとき満天の星。
メディスンは瞳を開き顔を上げる。
「うん、決めた」
早朝の永遠亭。
てゐが布団に寝かされている。
永琳の薬で眠っているが、時折苦しそうな声を漏らす。
「すごいわね。あの子が本気を出すとこうなるのか……全快するのに2,3日はかかるわ」
てゐの額のタオルを取り替えながら永琳が言う。
鈴仙は少し離れたところで正座していた。
「師匠の薬でもすぐには無理なんですか?」
「ううん。むりやり毒を消すことは簡単よ。でも、強い薬はそれ自体毒。急激な変化にてゐの体がもたないわ。この子も懲りないからね、このくらい自業自得。てゐのそんなところ、私は嫌いじゃないけれど」
「そうですか……」
うつむいたまま返事をする鈴仙。
長い耳が下を向いている。
永琳はハァと一つため息をつく。
「鈴仙、後悔してるの?」
「……もっと、他の言い方もあったかなって」
「でも、間違った事をしたつもりもないのでしょう? だから悩んでる」
鈴仙は頷いた。
「なら簡単よ。鈴仙、あの子は目的のためなら貪欲だわ。うん、仕返しにくるかも」
とぼけた口調の永琳だったが、鈴仙が顔を上げると永琳の瞳は優しかった。
「そういう微妙な悩みはね、相手を過小評価することになるのよ。あの子のことも信じてあげなさい」
永琳は急に視線を変える。
「む、噂をすれば。お客様が来たみたい。鈴仙、行って見てきてちょうだい」
「…はい」
(メディスンさんだよね……会いづらい…)
本当に仕返しに来たのだろうか。
玄関へ向かう鈴仙の足取りは重い。
永遠亭の入り口。
戸をはさんで向こう側に、確かにメディスンがいるのが分かる。
鈴仙はひとつ深呼吸をしてから、恐る恐る戸をあけた。
そこには、まさしくいつものまっすぐな笑顔のメディスンがいた。
「メディスン……さん」
メディスンは一歩永遠亭の中に入り、ぐいっと鈴仙に近づく。
鈴仙にとって、今はその笑顔が怖い。
「とりあえずさー、私のこと……」
至近距離で視線が合う。
パチン!!
突然、メディスンの手が横から飛んできた。
「メディって呼んで、友達なんだからね!」
驚いてその場にしりもちをつく鈴仙。
「え、え?」
よく、分からない、けれど頬は痛い。
紅葉の形に真っ赤に残る痕。
頬に手を当てて呆然とする鈴仙に、メディスンは手を差しのべた。
その手につかまり立ち上がる鈴仙。
立ち上がっても、メディスンは手を離さなかった。
「あの…」
「私ね、考えたの。でもどうしても納得いかなくって、私が鈴仙に叩かれるのはおかしいわ! だから……だから謝りに来たの。ごめんなさい鈴仙」
「それで……どうして私が叩かれるの…かな?」
「これでおあいこだから、それでいいじゃない。エヘへ」
あのとき、鈴仙が自らメディスンに手を差し出した理由を思い当たった。
人形だって、生きていけば罪を犯す。
現に小さな過ちを犯し、鈴仙を泣かせたメディスン。
それは鈴仙の罪と比べたら小さい。
けれど、メディスンは全力でそれに向き合って、力いっぱい体当たりしてきた。
あまりにも純粋で真摯な生き方。
それが、人形がまるで本当に無垢な”生”に見えた理由。
鈴仙に瞬時にそう理解させた、メディスンの笑顔。
「メディスンさ……エーット、……メディ?」
「ありがとう」
(私を受け入れてくれてありがとう)
メディスンはそう思った。
そして、握ったままの鈴仙の手にもう片方の手も添えて自分の胸に持っていった。
「私、夢のためとかじゃなくて、鈴仙のことが大好きみたい。だから、これからも友達。ね?」
カーッと鈴仙の顔が赤く染まる。
紅葉の痕も見えないくらい。
恥ずかしい事を平気で言ってのけて、顔色を変えない人形がずるいとか
関係ないことを考えた。
「あ、あの、えーっと…」
言葉を返せない鈴仙だったけれど
メディスンは返事なんて待たずに続けた。
「てゐだっけ? あの素兎は生きてる?」
「あ、はい…生きてます。でもしばらくは寝込むって師匠が」
「そっかー、あれだけやって簡単に治療される私の毒じゃないわ。永琳にも挨拶しないとだし、お邪魔するね」
許可を待たずにあがりこみどんどんと奥へ廊下を進むメディスン。
「れいせーん、そんなとこで止まってないで、てゐの部屋どこ? 案内してよ」
「でも、いまてゐは寝てるから……」
「治療してあげるの! 毒なら私が専門家よ。集めて外に出す事だって簡単なんだから……あ、こないだの兎さーん。手紙届けてくれてアリガトね~♪」
廊下の向こうで無邪気に兎と話し始めたメディスンを見て
ひょっとしたらああいう生き方が、自分の悩みの一つの答えの形なのではないかと思った。
「メディ、改めてよろしくね」
鈴仙はその場で一度メディスンに礼をして
それから、メディスンのもとへ駆けていった。
何かしら評価をいただけたという事はとても嬉しいですね。
ありがとう。
あえていえば相手を思う気持ちを理解するのになにかもう一押し説得力があればなお良かったとも思いました。
確立していった方が話が広がるんですかね(´;ω;`)ブワワ
欲を言えば、鈴仙がぶちきれた所を、てゐがメディスンを庇うために立ち上がったら(ろうとしたら)・・・・・・。 まあそれはそれでベタんなっちゃいますかね。
それにしても、やっぱり影も形もでてこない姫。
合掌・・・・・・。
>>きな様
おもしろかったといってもらえて本当に嬉しいです。
心情の変化を描くのは難しいですね。描きすぎるとくどくなるし…精進させていただきます。
>>七死様
アリスとメディはむしろすごいかかわりがありそうで手が出せません(汗
ほんとうは師匠もてゐすらも出る予定ではなくひたすら二人で叩き合う話でした。書いてるうちにいろいろ暴走。
姫様は好きなので今後書けたらよいと思っています。