[Extinction]
初めてそれ見たとき私は確かに、その絵を綺麗だと思った。
絵の中に咲いている花は血の色でちょっと怖いと思ったけれど、血の色の花が並んだ花畑のその絵は、すごく優しくて、温かい。
「ねえ、この絵、なにー?」
すたすたと前を歩くおじいちゃんを呼び止めて、私は壁にかけられたその絵を指差して尋ねた。
おじいちゃんは、怖い顔で振り返った。すごく嫌なことを聞かれた、なんて顔をしていた。
絵を見て、おじいちゃんは言った。
「それは呪われた花だ」
「え?」
「もう世界のどこにも存在していない。私は生涯かけて責任を持って全ての種や欠片まで処分してきた。どこにも残っていない、はずだ」
「え? え? どういうこと……?」
「それは、大切な人の力になるためと愚かにも魔法に頼ってしまった人間が生み出した、魔法の負の遺産だ。いいか、魔理沙。もうこの花はどこにも存在していないはずだ。しかし、万が一どこかで見かけることがあったなら――」
おじいちゃんは、真剣な顔で、私に言った。
「すぐに、完全に燃やし尽くせ。必ずだ」
私はただ、おじいちゃんが怖いと思った。
次に来たときには、その絵は壁から消えていた。
花畑の絵。
それは思い出の片隅に――
[Tenderness]
「絵! 絵だ! そうだ……なんで忘れていたんだ!」
夢の終わりと同時に目を覚ます。目を覚ますと同時に叫ぶ。
視界に映るのは闇。真っ暗だった。
上半身だけ起き上がると、ずきんと頭が痛む。顔をしかめる。
そうだ、アリスに殴られて気絶させられていたんだ、と思い出す。そのまま眠りに落ちて――
ならば何故、ここはいつもの魔理沙のベッドなのか。
「……アリス」
ぐっと布団の中で手に力を入れる。
必ず助ける。助けてみせる。誓う。
痛む頭を気にせず、そのまま起き上がる。
そして、まっすぐに古い倉庫へ走った。
祖父が死んだとき、価値のありそうなものはほとんど実家の者が回収してしまった。そして、それだけの価値がないと判断されたものが、そのまま残された。
大きな絵だった。倉庫のガラクタをかきわけて奥に進むと、それはすぐに見つかった。
以前のように飾られていることもなく、他のガラクタに埋もれていた。
魔理沙は絵を引っ張り出して、両手でしっかりと額縁を持つ。
そこに間違いなく、幼い頃に一度だけ見た、あの花畑の絵があった。
――優しい絵だ、と思う。もう見たくもないはずのブラッディ・ドールが、ここでは確かに慈しむべきものとして描かれている。
間違いない。この絵を描いた者は、この血の花を確かに愛していたのだ。そうでなければ、このような温かい絵にはならない。
しばらくそれを眺める。絵に署名はない。
思い当たって、絵を裏返してみる。そこに長年の湿気を吸って劣化した木の表面を見て。
そして、そこに描かれた文字を見つける。
落ち着いた、綺麗な文字だった。
魔理沙は、ゆっくりと、目を通していく。
『
この絵は私の心です。
私の気持ちをずっと忘れないでください。
忘れそうになったときはどうか、
私の名前を解放してください。
大切な思い出とともに。
霧雨 百合花
』
名前は。
一度だけ、やはり、聞いたことがあった。
会ったこともない、絵も写真も見たことがない、ほとんど彼女の話を聞いたこともない。
彼女の痕跡は、こんなところに残っていた。
「おばあちゃん……」
綺麗なその文字を、何度も読み返す。
果たして祖父はこれを知っていたのだろうか。気付いていたのだろうか。
知っていたならば、この花の事をあのように悪く言ったりはしなかったのではないだろうか。真相はわからない。
もう一度絵を裏返す。
いい絵だ。魔理沙には美術のことはほとんどわからないが、とても優しい気持ちになれる、それだけで十分いい絵だと思った。祖父にはこの優しさが理解できなかったのだろうか。あのときに一言でも、だけど私はこの絵が好きだと言っておけばよかった。
絵をそっと、壁沿いに置かれている木箱の上に立てておく。これなら、倉庫に入れば絵をすぐに見ることができる。いずれまた、もとのあるべき場所に戻しておこう。
魔理沙にはまだ、先にしなければいけないことがある。
急ごう。
彼女を解放するために。
[Alice]
夜が怖い。
朝が来るのが怖い。
何もない空っぽの部屋。ベッドはある。テーブルもある。家具はちゃんとある。それ以外が、何もない。
このベッドルームにも、今朝までは、ちゃんと人形がいた。二人。もう、どこかに行ってしまった。遠くの町で、もう明日にも次の主人の手に渡っているかもしれない。もう二度と会うことはないだろう。アリスのことを知っている相手だと詮索されてやりにくいからと、わざわざ普段行かないような遠い町まで売りに行ったのだから。
彼女、その人形に一言声をかけてから寝るのが日常だった。今日も声をかけた。そこに、声を受け止めてくれる彼女はいなかった。
怖くなった。
ずっと一緒だったのに、別れの挨拶もなく、彼女は去ってしまった。違う。自ら捨ててしまった。どうして?
会いたい。明日からは我慢するから、今日だけでももう一度会いたい。今日だけでも。今から急げばあの店が開店する前には必ず着く。扉を叩けば起きてくれるはず。そうして、最後の挨拶だけ交わして帰ってくれば、何も問題はない。
そんなことをしている余裕はない。そんな時間があるのなら、もっとたくさん魔力結晶の粉を作る作業を進めなければ。そうだ、忙しいのだから、寂しがっている暇などない。
でも、寂しい。
寂しい。
怖い。
朝が来るのが怖い。部屋を出るのが怖い。
誰も出迎えてくれない自分の家が怖い。
「いや……」
堪えていた言葉が、漏れ出してしまう。
どんな苦しい気持ちも、言葉にしなければまだ耐えられると信じて、ずっと堪えていたけれど。
「いやだ……寂しいよ……もう、いや……怖いの、寂しいの……」
ベッドを背もたれにしてしゃがみこんで、気持ちを吐き出す。
涙が、ぽたり、ぽたりと絨毯の上に零れて、吸い込まれていく。
寂しい。
寂しい。
怖い。
今更、本当に身勝手だと思うけれど。
「寂しいよ……助けて……魔理沙……」
大切なものを何もかも失った。
だけど、最後に、本当に失ってはいけない、絶対に失ってはいけないものもある。人形がそれだと魔理沙は言った。違う。一番大切なものは、まだ失っていない。でもそれも時間の問題かもしれない。本当に怖いのはその未来。
その大切なものも、今日の出来事で、去っていってしまったかもしれない。望んだのはアリス本人だ。仕方の無いことだ。
――それでも、永遠に失ってしまうよりは。
花にとって、魔理沙の存在、魔理沙の家の存在は、宝の山だった。
アリスが数少ない財産を削る必要などない。奪ってしまえばいい。
すぐ近くにこんなすばらしい財宝があるのに、何故手を出さないのか。
今までずっと、その衝動を断ち切って、ただ自分の中だけで事を治めるようにしてきた。どうしても必要なものがあって出かけなければいけないとき以外は、ずっと家の中にいるようにした。魔理沙には意図的に会わないようにしてきた。アリスに残された、本当の聖域。
だけど本当は会いたい。勝手とは思うけれど、助けて欲しい。矛盾。
会ってはいけない。アリスにはもう売れるものがない。家を売れば金になるだろうが、今すぐに必要な資金源にはならない。
内側が限界ならば、もう外に向かうしかない。だから、魔理沙に会ってはいけない。
寂しい。苦しい。怖い。
朝が来るのが怖い。朝の自分が怖い。
花が怖い。あれを見ると、こんな理性も吹き飛んでしまう。
世界が怖い。
[Your....]
掘り返す。
少し前に一度掘った地面。暗い中、色が分からなくても、その場所はもう間違えない。
土は既にまた固くなり始めていたが、また同じように慎重に掘る。どこに何があるかはわかっている。前回よりはずっと楽な仕事だ。
ブラッディ・ドールを地面から引き抜いて、土をかきわけて、指輪を見つけ出す。
継承の証。付着した土を、布切れで拭き取る。
指輪の大きさを確かめて、一番ぴたりとあう指を探す。
左手の中指に、継承の証をはめる。
温かい魔力を感じる。
きっと優しい、穏やかな魔法使いだったのだろう。会ったことのない相手だが、そう思えた。
指輪の上にそっと手を重ねる。
解放しよう。
きっと、ずっと伝えたかったことがあるはずだ。
「霧雨 百合花」
名前を呼んで――
[KIRISAME]
『
ありがとう。
きっと、私の話を聞くあなたは、私よりずっと未来を生きる人でしょう。私の名前を呼んでくれて、ありがとう。
私は花の魔法使い。弱っていた私の力はもう、六十年に一度しか外の世界に影響を与えることはないでしょう。この話を聞いてくれるあなたは、花を見たはずです。私はそれをとても嬉しく思います。誰かが魔力を供給しない限り育たないこの花を、ちゃんと後世まで残すことが出来たことを嬉しく思います。
私はこの花が大好きです。けれど、きっと、私の大切な人は、この花を憎んでしまうのでしょう。
もしあなたが私の大切な人なら……もう一度この気持ちを伝える機会があったことを、とても嬉しく思います。黙ってあなたの花を生き残らせてしまってごめんなさい。きっと驚いたことでしょう。あなたのことだから、私が死んだ後、花を全て殺してしまうと考えて、先に手を打っておきました。あなたがこれを見つけたということは私の勝ちですね。嬉しいです。
私は、この花が大好きです。
』
[Bloody Doll]
私がかかった病気は、魔法使いの職業病と呼ばれていた。
人間の体はもともと魔法を使うために設計されているわけではない。魔法を使うことは、体内にどうしても歪を生み出し、歪を蓄積させていってしまう。
やがて歪をごまかしきれなくなった体が悲鳴をあげて、発病する。体重の急激な減少から始まり、少しずつ衰弱していく。やがて日常生活が送れなくなり、体の末梢の壊死が始まり、寝たきりになり、そのまま衰弱死する。発病した時点で近い未来の死が約束されている病気だった。
発病する人は、そう多くはない。私は魔法を使うのに鈴蘭の花を好んで用いていたため、毒によってもともと体が弱っていたのかもしれない。遅かれ早かれ、こうなる運命だったのだと諦めた。
心苦しいのは、私がこの病気を患ったと知られた途端に、我が子を夫の実家に預けさせられてしまったことだった。確かに私はもう子供をしっかりと育てることなど到底適わない体ではあったのだけれど。
子供が預けられてからは、この家は夫と私の二人だけの家となった。
私は、病気を患ってからは、魔法もほとんど使えなくなっていた。もともとそれほど優秀だったわけでもない。花を使うことだけが得意だった。花がたくさん咲いているところでは、存分に力を発揮することが出来た。
夫は、まだ夫ではなかった頃、私に可愛らしい人形をプレゼントしてくれた。そのときに添えてあったのが、あの花だった。自分が作った花だ、と恥ずかしそうに笑っていた。気持ち悪い花になってしまったと彼は言っていたが、私はそれをとても綺麗だと思った。嬉しかった。とても嬉しかった。私はそれが好きだと言った。ただ、最初花と人形を一緒に渡されたとき、血まみれの人形を渡されたように見えて驚いた。そう言うと彼はしまったという顔になって、花と人形をもう一度じっと見つめて、笑った。花の名前はこのときに決まった。
私が病気でほとんどベッドに寝ているような状態になったとき、最初に部屋に持ってきてくれた花がその花だった。嬉しかった。
彼は自分の研究もあって忙しいのに、ずっと私の世話をしてくれていた。私は自力で歩くこともできたが、家事などは簡単なことしかできなかった。ほとんどは彼に頼りきりになっていた。
体がまともに動かせないことと同じくらい、魔法がほとんど使えないという事実が苦しかった。優秀ではなかったとはいえ、私も幼い頃から魔法使いとして生きてきた。その力を失い、自らの拠り所を見失ってしまった。彼がいつまでも一緒にいてくれること――そして、あの日からずっと一緒に過ごしてきた一体の人形だけが、私の支えだった。
ある日。
彼が言った。魔法で作ったこの花で満たした場所なら、私も存分に魔法が使えるのではないかと。
もともと私は花が咲いているほど魔法の力が強くなる。このときでも、花畑の中にいけば少しだけは魔法が使えた。
それならば、普通の花ではなくてこの魔法の花ならもっと魔法が使えるのではないかと言い出したのだ。彼は興奮気味に、是非試してみようと自分のアイデアに歓喜していた。
彼も私ももう、私の命が残りわずかであることを知っていた。せめて魔法を自由に使うくらいの願いは叶えさせようとしてくれたのだろう。
とても嬉しかった。もう本当にあとわずかの命となると、私は少しでも長く彼と一緒にいられればそれでよかったけれど、彼が私のために頑張ってくれることが、とても嬉しかった。
このときは、少しでも長く一緒にという一番の願いがやがて叶わなくなるなんて、想像もしていなかった。
花は、そのときにはまだ種から成長して育つようにはできていなかった。彼はこの日から、花畑をこの花で埋め尽くそうと改良を重ねていった。
最初は、彼の研究時間を全てその改良作業に充てるというだけだった。
それが、やがて彼の日常時間、そして私と一緒にいる時間も削り始めた。
私は、人形を撫でながらぼんやりと過ごす時間が少しずつ増えていった。
寂しかったけれど、ついに芽が生えた、やっと作るのに必要な魔力も減らせるようになってきた、屋外に植えても大丈夫だと彼が喜んでいるのを見るのは、嬉しかった。
少しずつ花畑は赤色に染められていった。窓の外から彼が働いている様子をよく見るようになった。
花畑にこの花が増えるにつれて、私達の時間は少なくなっていった。
彼の言葉も少なくなって、やつれ始めていて、心配だったけれど、もう少しだ、もう少しで花畑がいっぱいになると私に笑顔で語りかける彼を止めることはできなかった。彼が私のために頑張ってくれているのに、もっと一緒にいたいなんて私のわがままで彼を止めたくはなかった。
ついに、数日前――私が最後の記録をしているこの数日前から、彼は私の前に姿を見せなくなった。起き上がって歩くだけでも体力を使い果たしてしまうほどになっていた私は、どうすることもできなくなっていた。
彼の異常に気付けなかった私の責任だった。彼は花を育てるのに想像以上に魔力を使い果たしていて、さらに昼も夜も働き続けた結果、ついに狂気に侵されてしまったのだ。なんとか廊下まで歩いて、通りかかった彼に声をかけても、私の存在など見えていないように、ただ新しい花を花畑に運んでいった。
私は、絵を描いた。彼が作ってくれた窓の外のこの素晴らしい景色を、生きている間に残しておきたかった。もともと時間潰しのために絵を描く道具は揃えていた。左手だけで絵を描くのは大変だったけれど、時間さえあればなんとでもなった。
今日。私は部屋に彼への手紙、感謝の思いと私の幸せを伝える手紙を残して、花畑にやってきた。人形と一緒に。
花の葉に擦れただけで手足が切れて、血が流れ出てくる。たったこれだけの傷で、血が止まらない。血小板が機能しなくなっているのだろう。
私の血で、少しでもこの花が育つ糧になるならば、それでいい。私は嬉しい。
血の色をした花畑。
彼の想いの通り、私の魔力はここで復活していた。彼はちゃんと成功していた。
この喜びを伝えたい。私はこんなに想われていてとても幸せだと。
私は、魔法を使った。
私の足ではもう届かない場所から、私の気持ちを彼に届けるために。
長く付き合ってきた人形だ。今くらいの魔力があれば、できるはずだ。
心配なのは、私の残りの命だった。私が途中で倒れてしまえば、この人形も役割を果たすことができない。場合によっては、一人で置き去りにしてしまうことになる。
私は人形の顔を、これが別れになることを覚悟して、見つめた。
人形は――私に、頷いてみせた。任せろ、と言わんばかりに。
死の際が見せた幻影だったのかもしれない。だけど、私はそれを信じる。
きっと彼に、私の鈴蘭を届けてくれると。
記録はここまで。私は死ぬ前にこの記録を残して、わずかな魔力で花を守りきろうと思う。私の仕事は、指輪を地面に埋めて、あの子に鈴蘭を届けてもらって、そこで終わり。
ありがとう。本当に私は、幸せでした。
あなたにも、鈴蘭の魔法の幸せが届きますように。
[Prologue]
何度か見た夢。今度はしっかりと思い出す。
あのとき私の意識は、人形に乗り移っていた。
今ならどこに向かっていたのかもわかる。
何を目指していたのかもわかる。
「おばあちゃん……一回、会いたかった……な」
花に向かって、頭を下げる。
花は、呪われてなどいなかった。
それならば、誰が呪ったのか。呪ってしまったのか。
魔理沙は目を伏せる。
出来ることから始めよう。
幸せになるときが、やってきたのだから。
[Alice in blood]
アリスは血の花畑で立ち尽くしていた。
花畑はここまで育った。望んだとおり、こんなにも大きくなった。
アリスが得たものは、この花畑。失ったものは、数え切れない。
そして、もう、この花畑を維持するだけの手段すら、ない。
もちろん、望んだ自立人形など得られなかった。そもそも、人形が残っていない。
「は……あはは……本当に……どうしよもないわ……」
血の花畑は、とても美しい。もっと育ててもっと綺麗にしようと訴えかけてくる。
そのための材料はまだある。あの魔法使いがいる。
そう、訴えかけてくる。
「ああ……そうよね……どうして今まで、気付かなかったのかしら……」
魔法使いがいるのだ。まだ、終わったわけではない。
魔法使いの血は最高の魔力結晶だ。
悩む必要なんてなかった。
魔法使いならいるではないか――ここに。
アリスは、作業袋から鋏を取り出す。
鋏を開いて、刃を剥き出しにする。これで立派な凶器の出来上がりだ。
刃物を見つめる。ああ、これで終わりなんだという安心感さえある。最後まで、守るべきものは守り通した。そんな自負もある。
「魔理沙……」
今日は、来なかった。よかった。今日来ていたら本当に自分を抑え切れなかったかもしれない。
「魔理沙……ありがとう。最後まで……ありがとう」
右手で鋏を持って、左手の手首を差し出す。
振りかぶる。
「さよなら、魔理沙」
振り下ろす。一気に勢いよく決めるために。
ぐしゃり、と――
その手は、空中で、止められた。
右腕を、後ろからしっかりと掴まれて。
「え……」
「さっきから、魔理沙魔理沙うるさいなあ。結局――」
手を握られたまま振り向くと、そこに。
彼女が優しく微笑んでいた。
「私がいないと、駄目なんだろ?」
「あ……ああ……」
涙が零れ落ちる。
ぼろぼろと零れ落ちる。
あっという間に、目の前の魔理沙の顔も見えなくなった。
魔理沙の空いた手が、アリスの手から鋏を回収する。そして掴んでいた手を離す。
アリスの髪を、魔理沙の右手がそっと撫でる。
「魔理沙……魔理沙……!」
「そんなに名前呼ばなくても、聞こえてるぜ」
「魔理沙ぁ……っ」
魔理沙は、アリスの体を、しっかりと抱きしめた。
そのまま、子供をあやすように頭を撫で続ける。
アリスは魔理沙の胸の中で、今までの寂しさのぶんを全部まとめて、泣いた。
しばらく泣いて、泣き止んで。
アリスは魔理沙から離れて、背中を向ける。
静かに……
「……当たり前に死ねるつもりだったのに、魔理沙の顔を見たら、いきなり怖くなっちゃった」
「ん? 私の顔が怖いって? 心外だぜ」
「魔理沙、お願い。今日はもう私は自分を殺したりはしないって誓うから、帰って。私がちゃんと普通に話ができているうちに」
無理に感情を押し殺した声で、言う。
背中を向けているのは、顔を見られたくないから。
「なあ、アリス」
魔理沙の声は穏やか、というより、普段どおりだった。
「おまえさ、半年くらい前だったかな? 人形を一体失くしたって騒いでたろ」
「は……?」
そして、その言葉は、どう考えても場違いだった。
なぜ今そんな世間話なのか。
「……あったけど、そんなこと。あんたと戦ったあと、どうしても一体見つからなくて、回収できなかったのよね」
「あれなんだけどな」
とん。
いつの間に近づいていたのか、魔理沙の手が背後からアリスの肩を叩いて。
そして、後ろからアリスの胸の前に手が伸びてきて。
その手の上には、何やら――奇妙なものがあった。
「なんと不思議なことに、私の家で拾ったんだ。つい最近。いや、よかったな、アリス! 見つかって!」
「……」
「いやあめでたいめでたい。これでアリスの友達が一人帰ってきたぜ」
「……あんた……ねえ……」
また。
枯れたはずの涙が、溢れ出してきた。
魔理沙の手の上の人形に、流れ落ちる。
「ば……かじゃないの……っ、勝手に……盗んでおいて、いまさら……そ、それに……なによこの……ぐすっ……め、めちゃくちゃな糸の跡はっ……せっかくの可愛い服が……台無しじゃない……っ」
「いや、結構ボロボロになってたから霧雨流に修繕してみた。……まあ、そんなのやったの初めてなんだ、許してやってくれ。うん」
「慣れないことしないでよ……っ、そんな、指をそこらじゅう針で刺してまで……」
「そうだな。次からは、アリスにちゃんと教えてもらうぜ」
魔理沙は、アリスの手に人形を握らせる。
丸一日以上ぶりに触った人形だった。この人形とは、半年ぶりの再会だ。
アリスはそれを抱きしめて。
また、涙が収まるまで、じっとそのままでいて。
「魔理沙……でも、私、もう……」
「よし。それじゃ、感動の再会が終わったところで、そろそろ行こうぜ」
「え……?」
魔理沙は、アリスの前に回りこむ。
右手と、包帯でぐるぐるに巻かれた左手で、アリスの左手をしっかりと掴んだ。
「ど、どこに?」
魔理沙は。
にかっと、悪戯を思いついたときのような笑顔で、言った。
「思い込みで落ち込んで自分を呪った挙句、アリスにまでこんな目にあわせた馬鹿に、説教しに」
[Lily of the valley]
「ここでいいの?」
「ああ、お疲れ様だ。ありがとな」
「いいけど……」
メディスン・メランコリーは首を傾げる。
いきなりアリスと一緒に現れた魔理沙に、鈴蘭を少し届けてくれと頼まれたのだ。必ずメディスンがここまで来て運んでくれ、と。
そして、案内されるままにやってきて、指定された場所に置く。これで終わり。
「……お墓?」
「ああ。わからずやの馬鹿が眠っている墓だ」
「ふーん」
アリスも何が何だかわからないと、後ろで首を傾げている。
メディスンと二人で一緒に、首を傾げている。
「おじいちゃん。おばあちゃん。確かに、届けたぜ」
墓に向かって、しゃがみこんで、魔理沙は呟いた。
石で出来た墓を、こつんと軽く殴る。
「なあおじいちゃん。魔法は人を幸せにできないか? あんたは確かに、失敗したかもしれない。最期を一緒にいてやれなかったのは反省しないといけないな。でも、あんたの一番の失敗はそんなことじゃない」
思い出に残る祖父の顔。祖父の声。祖父の言葉。
いつでもそこには、後悔が満ちていた。
「おばあちゃんの愛した、あんたも好きだったはずの花を、呪われた花にしてしまったことだ。結局あんたは理解していなかったんだ。おばあちゃんの気持ちを。自分を責め続けるばかりで、おばあちゃんの気持ちから目を背けていたんだ」
魔法には絶対出来ないことが二つある。
死者を生き返らせること。
人を幸せにすること。
二つ目は、絶対に間違いだ。
魔法は人を呪う力だと決めてしまったのは、祖父の勝手な思い込みだ。
「呪わなくてよかったんだ。おじいちゃん、もう、悲しい後悔は、終わりにしよう」
鈴蘭の花をそっと撫でる。
そして、花の上にそっと、継承の証を置いた。
最後に、継承の証が紅く輝いた気がした。
ブラッディ・ドールは呪われた花などではなかった。
彼の悲しみと後悔が、花を呪ってしまったのだ。
だから彼にわからせてあげなければいけなかった。
あなたの大切な人は、最期まで幸せだったと。
[Reminiscence]
「――でも、どうして鈴蘭なんだ? 毒が怖くはないか?」
「うん。怖いよ。でも、可愛いし」
「え。それだけの理由?」
「うん。あ、そうだ、鈴蘭って何科の花か知ってる?」
「僕を試すのか? 蘭じゃないのは知ってるさ。ユリ科だろう」
「正解! ……えへへ、やっと名前呼び捨てで呼んでもらっちゃった。なんて」
「あ……今のは卑怯だな……」
「知恵の勝利だもんー。それとね、鈴蘭の花言葉。色々あるんだけど、知ってる?」
「ふ……いつか来ると思って調べてきたさ。純潔。純粋。だな」
「うん。それとね」
「それと?」
「あなたに幸せが訪れる、って意味もあるの」
「へえ。そうなのか」
「うん! だからね、私が幸せなときは、あなたに鈴蘭を送ってあげる」
「君が幸せなときなんだ」
「私はもう十分に幸せだから、あなたにもわけてあげる、って意思表示かな。というわけで、はい、どうぞ」
「え? いいの?」
「私は今幸せだから! ……この先も、あなたの周りが鈴蘭でいっぱいになっちゃうくらい、幸せになるから。これからも、よろしくね」
――FIN.
起承転結、その終わり、全て最高でした。
魔法は人を幸せにできるというなら、語り部という名の魔法使いは、氏のことを言うのでしょう。
……で、そのしっとりとした読後感をどうして後書きで崩してくれますかw
アリスって精神的にもろい妖怪なのやも。だから一度転がり始めたら止まらない止まれない。
そしてそれをきっちり止められる魔理沙。ああ、やっぱり彼女たちはいいコンビだ。
魔理沙のブレーキ役? もちろんアリス担当で。胃薬必須ですね(何
ともあれ、この彼女なら、彼女たちなら、絶対にできないことも引っくり返しちゃうでしょう。
現に今、ひとつ引っくり返してしまったわけなのですから。
で、どうして貴方はオチをつけますか、しかも後書きでw
いやまあ、爆笑しましたがっ。
ただ本編は終わっても二人はやる事は多そうですね。まずは花の処分と、人形の取り戻しが急務ですかな。
それと忘れてはいけないのが再発防止の為のケア…依存症は寂しい心の隙間につけいるもの、ですから。
こればっかりは魔法では出来ない…かも?
オリジナル設定にここまで心魅かれたのは初めてです。
いやもう素晴らしい♪
百合花さんはてっきり村人。さん的な名前だなぁと思っていたら、なんと鈴蘭とかけていたとは……上手すぎます!
もうだめ、『結局…』のシーンでうるっときた。
村人氏の魔理沙は男らしい…
で、あとがき見た直後。
「村人が来たぞ 村人が来たぞ!
こいつは素敵だ 全部台無しだ」
……神父、代弁ありがとうございます。
読後の幸福感のせいで、ニヤニヤが止まりません。
本当に、お見事でした。
うおぉぉぉぉぉぉぉおぉぉおぉい!!
村人。様!過去から届いたラブストーリーが台無しですぞぉぉぉぉお!
読めてよかった。本当によかった。
これが、感謝なんだなぁ…ありがとうございました。
で、最後に見事ぶち壊してくださいました…キィィィ!
こんなにもスラスラと読める文章を誰が淡白と評せましょうか。
本当に読みやすく、ストレスなんて微塵も感じませんでした。
この喉越しのよさならもう一杯、いえいえもうニ杯はいきそうな気がします。
……さてさて、こうなると食後のデザートが恋しくなってくるわけですが……
貴方の書くマリアリは輝きすぎていますよ。
………ゑろゐ意味でもね!!
そして後書きでぶち壊し!
花に魔法、良いお話でした
ただ、アリスの葛藤と守りきったもの、メディスンに託されていた心、魔理沙の先達とのやり取り…などもさくっとまとまっていてもう少しここ読みたいっと思ったりもしました。
この後日談も気になるところだけど、後書き1行目的なのも寸止め^^で見て見たいっ
ただ惜しむらくは、やっぱりオリジナルが強すぎて、アリスと魔理沙が、特にアリスのキャラが隠れちゃってることでしょうか、もうちょっとアリスの描写を深くしてもよかったんじゃないかと、重箱の隅をつつく思いでいってみるテスト
メディスンの使い方がよかったですねwそれは考えなかった方向だ~
でもやっぱり何より、後書きで吹いた、さすがですw
メディスンの立ち回りが上手いし、弱弱しく儚げなアリスと絶対に諦めることをしない魔理沙
こうまでして登場人物に感情移入できた話なのにあんたって人は・・・
後書きヒドス
霧雨じいさんのイメージが某ゼル爺@宝石魔術師な罠(月厨め
反省点は多々あります。特に最後盛り上がれなかったことは自分の壁を感じて辛いところでした。
完全にはすっきり楽しめなかったかもしれません。ごめんなさい。
……あとがきがなかったらいただける感想はがらっと変わっていた気がするー!?∑
いやいや。あれがないと僕じゃないですよね。
ってアリスが言ってました。
台無しですか! そうですか! しまった!
というわけで……
マリアリ! マリアリ!
脱走ですけどー
よくできた話だと思う。特にメディスンの扱い。そーなのかー、と思った。
ただ、なんとなくではあるけれども、終わり方に若干問題があるように思った。物足りない、と言うのか……。
個人的に『その後』的な話を少しあったほうがいいかな、と。
個人的に、ね。
それ以外は文句無し。十分楽しめる、良作と言える。