[Alice in Bloom II]
一週間経っても、一ヶ月経っても、相変わらずどの花も元気に咲き続けている。
アリスは花の芽を持って帰って以来、花畑どころか魔理沙の前に姿を現したこともなかった。お互いもともとそれほどコミュニケーションを取っているわけでもなく、魔法使い同士ということもあって研究に没頭し始めればどちらかがしばらく外に出なくなるというのは珍しいことではない。その意味では、一ヶ月くらい顔を見せなくてもそんなに不思議ではないとも言える。
しかし、魔法の基本的な実験等に使用する植物採集などは、当然のようによく場所がバッティングしたりするものだ。何せ、同じ魔法の森に住んでいるというだけでなく、家同士もそれほど離れていない。いい場所というのは自然に取り合いになったりする。あの日以降は、そういうこともなくなっていた。
てっきり、あの様子からすると、新しい芽が生えたり花が生えたりするたびに喜んで魔理沙に報告にきたりするのではないかと思っていただけに。本音のところを言えば、魔理沙も少し寂しいのだった。
うちの花畑で採れたものを育てているのだから少しくらい経過報告があってもいいのに、と思ったりもしてしまう。もちろん本当に来たら「ああ、そう。よかったな」の一言で追い返してしまうのだろうが。なかなかに乙女心とは複雑なものだ。
というわけで。
ちょうど、比較的日常的によく使用する薬品が切れたことをきっかけに、それを貰いにいくついでに様子でも見てこようかと思うのだった。
薬品や薬草がなくなるとアリスから貰いに行くのはすでにごく当たり前のことになっていた。比較的行き当たりばったりの魔理沙と違って、アリスはいつでも在庫管理をしっかりしている。魔理沙にとっては第二の倉庫のようなものだ。
アリスの家の扉の前に立つ。
ここに来るのも久しぶりだった。
そして、ノックをするでもなく、躊躇せずにドアをそのまま開ける。当たり前に、自分の家に帰ってきたかのように。
「おーい。アリス、いるかー?」
玄関に上がって扉を閉めると、大きな声で呼びかける。
そして、しばらく待つ。
そうすると、いつものようにアリスは怒った顔をしながら現れるのだ。だから勝手に入らないでって言ってるでしょ! などと、言っても無駄なことを叫んで。
現れるのだ。
……
……現れない。
「アーーーリーーースーーーーー?」
もう少しボリュームを上げてみる。
「聞こえてるわよ。何の用?」
「お」
声だけが、返ってきた。珍しい。
普段はなんだかんだいいつつも必ず姿を見せてとりあえずは魔理沙に怒鳴るものなのだが。
「いや、ちょっとまた少し貰いにきた」
「泥棒なら帰って」
「いやいや。いつものアレだ。薬とかちょっと」
「なんでそれなら普通に貰えるものみたいにっ。……ま、いいわ、ちょうどその部屋だから勝手に上がって」
「おう。勝手にするぜ」
遠慮なく。
魔理沙は、アリスの家の構造は完全に把握している。行ったことのない部屋のほうが少ないくらいだ。
その大半はアリスに案内されたわけではなく勝手に歩き回った成果だ。その辺についてはアリスもすでに諦めている節がある。
ちょうどその部屋、ということは、薬品がある部屋。実験部屋だろう。ごく僅かな確率で奥の倉庫。
とりあえず普通に実験部屋に向かう。入る。
アリスはそこで机の前に座って、何やら作業中だった。机の上には白い粉末があって、秤にも一部乗せられていたりして、いかにも怪しい実験中といった感じだ。
「おお。悪い。忙しかったか」
「あんたと違って私はいつでも忙しいの」
「へーへー。ま、とりあえずは貰ってくぜ――って」
綺麗に区画に分けられた薬品棚。魔理沙は既に、どこに何が置いてあるかも完全に把握している。
目的の場所に手を伸ばそうと思い、とりあえず棚を見て。
目を疑う。
「なんだこりゃ」
区画のそこかしこが、空になっていた。ない薬品や薬草がいくつも見られる。
入手の難しいものだけでなく、すぐに採取できるようなものの中にも、在庫切れになっているものがあった。
アリスの薬品棚がこのような状態になっているのは、魔理沙が知る限り初めてだ。
「ない」
魔理沙の目的のものも、品切れだった。
困惑する。アリスの棚から物がなくなっている可能性など、考えもしない。それくらいアリスの在庫管理はいつも徹底しているはずだった。
「おい。なんだこれ。どうしたんだ? 全然物が足りてないぜ」
「ん……あ、欲しいもの、なかった? 倉庫にならまだあるかもしれないから、必要なだけ探して持っていっていいわよ。今忙しくて手が離せないから自分で探してね」
「いや、おかしいだろ。なんでこんなに切れてるんだ? このへんのなんて、朝ちゃんと摘みに行けばすぐ採れるようなものじゃないか」
「言ったでしょ。私は忙しいの。予備は倉庫にあるから、必要だったらそこから使えばいいんだから」
「……」
おかしい。
魔理沙は眉を顰めて、アリスの顔をじっと見つめる。
まるで魔理沙の適当癖がうつったかのようだ。なんでもしっかりと計画立てて行動するアリスとは思えない言動だ。
「なあ。何がそんなに忙しいんだ?」
不安になって、尋ねる。
あるいは、予感はあった。その答えについては。
「決まってるでしょ。あの子達を育てるためよ」
あの子……達。
花のことだ。達というからには、すでに増やすことにも成功しているのだろう。
魔理沙は、アリスの顔を見ながら、はっと気付いて、手を伸ばす。
「おい……おまえ、かなり、痩せてないか?」
「そうかしら。もっと綺麗になった?」
「……」
会話を重ねるごとに、違和感が積もっていく。
研究に没頭すれば他の日常的な作業が疎かになることは珍しいことではない。食事もまともに取らなくなることも、まあ、ある。ただ、そのイメージがアリスにはどうしても当てはまるとは思えないのだ。
「それは……何をやっているんだ?」
「魔力結晶の欠片を作ってるの。あの子達の食事ね」
「げ。それ、魔力結晶かよ。粉々にしちまって、もったいないな。高いのに」
「仕方ないじゃない。これしか食べないんだもの」
なんだ。
だんだん、このアリスと話していると気分が悪くなってくる。これはアリスではない。アリスはもっとしっかり者で、そんなところを間違いなく魔理沙は信頼しているのだから。
「……花は、どこに?」
「第二実験室よ。見たい?」
ここで。
ここに至ってやっとアリスは、魔理沙のほうに振り向いた。笑顔を見せた。
我が子を自慢したいと、輝いた瞳で。
魔理沙は、その笑顔に嫌なものを感じながらも、首を縦に振って頷いた。
「ふふ。驚くわよ。扉を開けてみて」
にこにこ。
満面の笑みで、さあどうぞと扉のほうを指差す。
魔理沙は、そんなアリスの顔を少し睨んでから、ふいっと顔を逸らして扉に向かう。
息を吐く。
覚悟を決めて、扉を開く。
「う……わ……」
そこは、血の世界だった。
棚で埋まったその部屋は、全ての段が、あの花で埋め尽くされていた。
ブラッディ・ドール。こうしてたくさん並ぶと、まさに血の花としての存在感を発揮する。
大きな長方形の鉢に数本ずつ植えてあるようだ。ざっと見ただけでも、数十本はある。この一ヶ月ほどで、ここまで増やしたというのか。
「――綺麗でしょ?」
突然真後ろから聞こえるアリスの声に、びくっと背中が震える。
あまりの光景に呆然としていて、近づいてきたことにも気付かなかった。
ゆっくりと振り向いて、目の前のアリスに向かって、言う。
「おまえ……こんなに増やして、どうするんだ?」
「こんなに? まだ全然足りないでしょ。あの生きてる人形は花畑の中で育ったのよ。私はこの花で花畑を作るの。そのときは魔理沙にも見せてあげるわ」
「馬鹿な。おまえにわからないわけがないだろ。こいつは魔力を食うんだ。多くなればすぐにもう育てられなくなるのは考えればわかるだろう! いや、もうこの数はすでに危険なんじゃないのか」
「あら。大丈夫よ。私はあなたと違って本物の魔法使いだから。心配してもらわなくても結構」
「くっ……」
魔理沙の訴えかけは、簡単に却下されてしまう。
しかしそれは何の理屈でもない。素人は黙っていろ、と言われただけだ。
到底納得は出来ない。アリスの薬品棚からいくつかのものが消えていることが、すでにこの花の育成が日常生活を侵食していることは明らかだ。
「こんな状態じゃ、花畑なんて作る前にアリスがどうかなってしまう!」
「しつこいわね。この花のことは私が誰よりも知っているの。いいえ、私だけが知っているのよ。あなたの口出しは不要よ。邪魔する気なら出て行ってもらうわ」
「……狂ったか、アリス」
「あなたなら理解してくれていると思ったけれど。残念だわ。帰って頂戴」
「……」
アリスに説得は通じそうになかった。
呪われた花。こういうことなのか。あるいは、アリスの生きる人形へのこだわりはこれほどのものなのか。
魔理沙は追い出されるような形で、部屋を、アリスの家を後にする。
こんなアリスを見ているのが耐えられなかった。しかし、なんとかして止めないといけない。力ずくで従わせるか? それこそ魔理沙が呪われそうだ。いや、それくらいの覚悟は必要なのか。花を全て処分してしまうか。種の一つでも残されてしまえば変わりはしないだろう。それに、ここまで思い入れをこめて育ててきたものを完全に壊してしまうのは、心苦しいものだ。何もそこまでする必要は本来はないのだから。
考えなければならない。少しでも早く。
[Automaton]
ブラッディ・ドールについて。あるいは呪いについて。花について。
過去の文献や資料は漁れるだけ漁った。
それでも、似たような話さえ出てこない。何の情報も無い。
魔理沙は確かにその花をどこかで見ている――ような気がする、というのに。
「ブラッディ・ドール?」
「ああ。アリスはそう言っていた。聞いたことはあるか?」
「そうね。聞き覚えはあるわ。どこだったかしら」
紅魔館の図書館。
魔理沙の知る限り、もっとも魔法に詳しい者がここに住んでいる。
いつもは魔理沙が調べ物に使ったり必要であれば本を「借り」たりする場所であるが、魔理沙は今日は真っ先にパチュリーに本題を投げかけた。
パチュリーは魔理沙の真剣な雰囲気を感じ取ってか、急な訪問や質問にも特に苦情を言わず対応する。こういうときは話が早くてありがたい。
しばらくパチュリーは目を閉じて頭を働かせている様子だったが、十秒ほどもするとすっと目を開けて、立ち上がる。
そして迷わず無数にある本棚の一つの前まで歩いて、そこから一冊の本を取り出した。
「これね」
テーブルに戻って、魔理沙に見えるように本を開く。
「あっ」
その中の一ページに、確かにブラッディ・ドールという項目があった。真っ先に目に付いたのは手書きのイラストだった。色がないためわかり辛いが、それでも確かにあの花だった。
説明の文章を読む。じっくりと、一文字も逃さないように。
何度も、読み返す。何度も。
「……これだけか?」
「この花について触れている文章は、これ以外には思い当たらないわね」
「そうか……」
そこに書かれていた情報量は、アリスが以前に魔理沙に話した内容と変わらないものだった。まず、アリスもこの本を見て知ったと思っていいだろう。
呪いに関する詳しい情報も、当然対処法も何も載っていない。魔理沙は肩を落とす。
「この花がどうかしたの?」
「……こいつを見つけてから、アリスがおかしいんだ。あんなのはアリスじゃない。そうだ、思えば、最初に見つけたあたりからこいつに執着しすぎていた……」
「――詳しく聞かせて」
魔理沙の話を聞き終えると、パチュリーはしばらく何かを考え込んでいた。
長い沈黙が続いた。
「……ブラッディ・ドールについて書かれた本は、これだけ。この本はまだ書かれてから何十年も経っていない、新しい本。おそらく、その花が生み出されたのも、そう昔のことじゃないわ」
話しながら、自分の中で情報を組み立てているのだろう。パチュリーは魔理沙の顔を見ないで、テーブルの上に視線を置いたまま話す。
「呪われた花と書かれているけれど、今聞いたような呪いにかかった人の話というのは、聞いたことがない。植物栽培に無心になってしまうとすれば、それが麻薬の素である場合が考えられる。薬物中毒になっている場合ね」
「麻薬……!?」
「わからないわ。可能性の一つというだけ。あるいは、似たような作用を生み出してしまう魔法。そのほうが自然かしら」
「……」
「ごめんなさい。こうやって推測の情報しか与えることは出来ないわ」
「いや……ありがとう。わざわざ時間とってくれたんだ。感謝している」
椅子に座ったままだが、ぺこりと小さく頭を下げる。
それを見て、パチュリーは小さく微笑んだ。
「魔理沙の大切な人なのね。今回は役に立てなかったけど、また新しい情報があればいつでも聞きにきて」
「……悪い」
もう一度、今度は深く頭を下げた。
パチュリー・ノーレッジは、魔理沙が知るもっとも当てになる情報源だ。彼女でもアリスと同等の情報しか持ち合わせていないとなると、切り口を変えて考えたほうがいい。
魔法に詳しい者といえば、パチュリーだ。呪いに詳しい者となれば、アリスだろう。無論、アリス本人に話を聞ける状況ではない。除外する。
あとは花に詳しい者に何か聞けることはないか。花といえば一人すぐに思い当たるが、彼女の居場所など知らない。少し前にふらりと魔理沙の前に姿を現したかと思えばまたどこかに消えてしまった。彼女を当ても無くさがすというのは、現実的ではない。
ならば、あまり期待は出来ないが、もっと根本的な繋がりということで――
「ブラッディ・ドール。生きる人形を生み出す、呪われた花ね」
「え……」
あまりに予想外の言葉に、ぽかんと口を大きく開けて固まってしまう。
あまり空気を吸い込むと毒に侵されてしまうため危険なのだが、そんなことも忘れてしまうほどの衝撃だった。
「知ってるのか!?」
「うん。それがどうかしたの?」
「私の友達が! ――アリスのことは、知ってるか? おまえにも会いにきて話をしているはずなんだ」
「うん、覚えてる。私の生まれにすごく興味があったみたいだけど」
「そいつが、ブラッディ・ドールの呪いにやられてるんだ! おまえみたいな、生きている人形を作ろうとして……」
魔理沙の言葉に、人形、メディスン・メランコリーは眉を顰める。
「アリスはどこにいるの?」
「え……魔法の森、私の家の近くだ。そこに住んでいる」
「案内して。今から行くわ」
「……! よし、わかった!」
魔理沙はすぐに鈴蘭畑を飛び出す。
遠い魔法の森へ逆戻り。
目指すはアリスの家へ。
「呪いを解く方法、知ってるのか?」
飛びながら、期待を込めて聞く。
「……」
魔理沙の期待の声に、返答はしばらく返ってこなかった。聞こえたのか聞こえていないのかもわからない。
待ちきれずもう一度尋ねようとするとき、メディスンは口を開いた。
「……まずは、本人の様子を見させて」
それは期待に沿った返事ではなかった。
だが、少しでも手がかりになる可能性があるのならば、それにすがるしかない。
メディスンが自力で飛べる最高の速度にあわせて飛んだ。魔理沙の全力よりはずっと遅いが、魔理沙一人で行ったところで道案内にはならない。毒の塊の人形を抱きかかえて飛ぶわけにもいかないため、これ以上は速くはできない。
何時間も休み無く飛び続けたが、メディスンは問題なくついてきていた。このあたりは人形だから疲れ知らずなのか。ありがたいことだ。
そして。
アリスの家の前の花壇は、すでに血の色に染まっていた。
ブラッディ・ドールは実験室を飛び出して、ついに屋外にまで移植されている。
「なるほど、間違いないわね」
花を見て、メディスンは呟いた。
魔理沙が何か言おうとすると、ちょうどそのとき、玄関の扉が開いた。
扉の奥から、アリスが現れる。手にはブラッディ・ドールを植えた鉢を持って。
まさに今移植作業が進んでいるところなのだろう。魔理沙とアリスは、真正面から見つめあう。アリスは魔理沙の隣にいるメディスンに、ちらっと視線を移す。
「わざわざ二人して見学かしら? それともお祝いにでも来てくれたの?」
「アリス……」
アリスの服は汚れていて、手足は見てわかるくらいに細くなっていた。
それなのに目だけはしっかりと輝いていて、逆に見ていて痛々しい。
「もう止めるんだ。おまえ、そんなに衰弱してるじゃないか」
「ちょっと忙しくて疲れてるだけよ。心配はご無用」
「アリス、聞いてもいいかしら」
メディスンが、アリスに言葉を投げる。
アリスは、無表情で反応する。
「なに?」
「それだけの花を育てるには、たくさんの魔力が必要のはずよ。あなたの余剰魔力だけじゃ全然足りないでしょう。どうしてるの?」
「魔力結晶があるじゃない。町に出てそれなりの店に行けば、ちゃんと質のいいものが売っているわ」
メディスンは、首を傾げる。
今度は魔理沙に向かって尋ねる。
「そんなのがあるの?」
「ああ。確かにある。しかし、安いものじゃないぜ」
「そう。それならお金はどこから出ているのかしらね、アリス」
二人揃ってまた、アリスに視線を移す。
そうだ。その点も気にしなければいけない場所だった。これだけの数の花に魔力結晶を与えているのだとすると、相当な買い物になる。アリスがそんなに大金持ちだという話は聞かない。
「私だって魔理沙と同じ、色んなものを持っているの。いくらでもお金を作る手段くらいあるわ」
「なっ……それじゃ、財産を削ってるだけじゃないか! そんなものはすぐに尽きるぜ」
魔理沙も確かに、売ればかなりの値がつく道具を持っていたりするが、そんなものは集めたガラクタのうちの本当にごく一部だ。その事実は自覚している。
価値のあるものばかり集めようとしたところで、そんなに多くは集まらない。宝探しなど、所詮は常にガラクタ集めになるということを、魔理沙はよく知っている。知った上で、趣向として割り切って楽しむのが蒐集家というものだ。その中でわずかに存在する本当の貴重品を売るなど、貧窮したときの最後の手段として考えることだ。アリスだってもちろん、蒐集で生計を立ててきたわけではない。
「尽きる前に完成させてしまえばいいこと。問題はないわ」
「そんな――」
「そこまでして花を育てて、何がしたいの?」
メディスンの声は、あくまで平静だ。
責めているというわけではなく、ただ純粋に質問している。
「あなたがそれを聞くの? わかるでしょう。あなたみたいな人形を作るためよ」
アリスは、確信を持って言った。
花畑を作れば目的が達成されると疑わない声。
「私みたい、なんて、言って欲しくないわ」
メディスンの声が、少し暗くなる。
「どういうこと?」
「私だってよくできたほうだとは思わないけれど、今のあなたよりはまともなつもりよ、アリス」
「……言いたいことがよくわからないわ」
「ブラッディ・ドールは生きる人形を生み出す呪われた花。生きる人形、あなたのことよ、アリス。あなたはもうブラッディ・ドールを増やして育てるだけの自動人形。人じゃないわ」
その、容赦のない言葉に。
ずっと目だけは輝かせながらも無表情だったアリスの顔が、ぱっと朱に染まる。
「な……なんですって……!」
「もう、とっくに判断力は失われている。それが何も生み出さないかもしれないという可能性が最初から除外されている。あなたはもう破滅するだけ」
「ふざけないで! あなたに何がわかるのよ!」
「はっきりとわかるのは、その花畑からあなたが得るものは後悔と空虚だけということ。保障してあげるわ。今やめればまだ、それほどのダメージではないでしょう」
「……やめないわ。そう、あなたは、自分と同じ存在ができるのを恐れているのね。自分だけが特別な人形でいたいから止めさせようというのね」
「いいえ。本当に私の仲間が出来るなら、歓迎するわ。でも決してそんなことはない」
「帰って。もうそんな言葉は聞きたくない」
アリスはまた、すっと無表情に戻る。
また。昨日と同じ、何も言葉を受け入れない構えに入ってしまう。
「アリス……」
魔理沙の呼びかけにも。
「帰って! もう、邪魔しないで! これは私の研究なの。私の夢なの!」
それだけ叫ぶと、もう二人の存在を無視して、手に持った鉢から花壇に移植する作業を再開する。
ブラッディ・ドールはまた一つ、花壇を紅く染める。
メディスンは、魔理沙の隣で俯いて、ぽつり、言った。
「……ごめんなさい、魔理沙。私はやっぱり呪いを解く方法は知らなかった。交渉もできないくせに一人で喋ってしまった」
「いいや。仕方ないさ。わざわざ、ありがとうな。でも――」
魔理沙は、メディスンの頭を何度か撫でてから、言う。
これくらいなら触れても問題はないだろうと、あまり根拠のない判断で。
「おまえさ、生まれてからずっとあの鈴蘭畑で生きてきたんだよな」
「うん」
「なんで、ブラッディ・ドールのこと、知ってるんだ? それも、誰よりも詳しいみたいだ」
「え――」
魔理沙の問いかけに、メディスンは目を丸くする。
……そして、また、沈黙してしまう。
「……なんでかな?」
「なんだ、昔見たことがあるからとか、そういう話じゃないのか」
「うーん。私、そんなに長く生きていない……いえ今も生きてはいないみたいだけど。とにかく外の世界のことはほとんど知らないの。最近まで全然知らなかったくらい」
「そうか。なんだろうな。実は、私も、どこかで見たことがあった気がするんだ」
「不思議ね」
結局のところ事態が改善されることはなかった。
メディスンとはここで別れた。
まだ作業を黙々と続けているアリスをじっと眺める。唇を噛む。
もう本当に、力ずくで従わせる――殴って拘束してしまうくらいの手段しかないのか。明らかに通常より弱っているアリスなら、本気で戦えばそれも可能だろう。だが、それができたとして、その先が読めないのが怖い。依存性の強さによっては、下手をすると死なせてしまうことになるかもしれない。
とはいえ、放っておいてもいずれ取り返しのつかないことになる。どうするのか。まだ何か見落としがあるような気がしている。まだこの花には秘密がある。
[Precious]
「どこへ行くんだ?」
捕まえる。
魔理沙は朝から――朝、普段なら寝ている時間から、アリスの家の前にずっと立って見張っていた。
アリスが大きな鞄を持って玄関から現れるのを見て、すぐにその前に立ちはだかる。
アリスは冷たい目でそんな魔理沙を見つめ返す。
「あなたには関係ないわ」
「おまえ……それ……」
鞄の開いた口から、中を覗くと、そこに人形が押し詰められているのが見えた。鞄の大きさを考えると、相当な数が入っているだろう。何十体と。
ぎゅ……と、魔理沙は強く拳を握り締める。
「それも……売るのか」
「あなたには関係ないと言ったでしょ」
「自分が何やろうとしてるのかわかってるのか……! 人形がなかったら、そもそも花を育てる意味もないだろう!」
「必要になったときにまた新しく作ればいいわ。今は動かない人形なんて邪魔なだけ。そんな人形でも売ってお金になれば役に立つでしょう」
アリスのどこまでも冷たい声に。
堪えきれなかった。
魔理沙は右手でアリスの服の胸元を掴み、ぐっと引っ張る。アリスのほうが一回り大きな体格だったが、今の弱っているアリスなら無理なくできた。
引っ張ったときのあまりの軽さが痛々しくて、魔理沙は表情を歪める。だが、ここで手を抜くわけにはいかない。
胸倉をつかまれてなお冷たい目を向けるアリスに。
「私は、アリスがその人形達をどれだけ大切にしてきたか知っている。使い捨てと言っても何度も修繕していた。すぐに汚れて破れるのにいつも服まで綺麗にしているのも見てきた。それだけの手間をかけるほど大切なものなんだろう?」
「……あなたは、一生価値観が変わらないとでも言うの?」
「なんだって……」
「かつてこの人形たちも私にとって大切なものだったのかもしれない。だけど今はもっと大切なものがある。もっと大切なもののために役立てるのは自然な発想でしょう。誰だって読まなくなった古本は売って新しい本を買うわ」
「そんなものじゃないだろう! どの人形も、長い間ずっと使ってきて、アリスと一番馴染むように成長してきているんだ。すぐにどこででも買える人形とはまったく意味が違う。例えば今見えている一番上のそいつ、私はそれに足を少し切られたのを覚えている。今ではもうアリスの手足と何も変わらないくらい、おまえに馴染んでいるんだ。……アリス自身が、それは、誰よりもわかっているはずだろ?」
必死に語りかける。
アリスの人形とは何度か戦った。また、一度は共同戦線を組んだことがあるからこそ、なおのことアリスと人形の馴染み具合を思い知らされ、それに驚かされている。人形達との間にある信頼関係のようなものを羨ましく思ったこともある。人形は決してただの道具ではない。それは、魔理沙がアリスに教えられたことだ。
たとえアリスがこの先人形遣いの道を捨てることになろうとも、人形達はアリスのパートナーとしてもはやかけがえのない存在のはずだった。失ってはいけない財産だ。
「たのむ……アリス。もう一度考えてくれ。おまえが求めるものは、何よりもかけがえのない宝物を失ってまで必要なものなのか? そもそも何も手に入らないかもしれないというのに――」
「それなら」
アリスは。
少しだけ苦しそうな表情を見せた、ような気がした。
「あなたがあの子達の世話を手伝ってくれるの? あなたが代わりに魔力結晶を買ってくれるのなら、喜んで従うわ。そうでなければ、わざわざそんなこと言わないで。私にはもう、これしか売るものがないの。持っていけるくらいのものだとね」
「アリス……」
もう、そこまで。
魔理沙は悲しそうに目を細める。
それでもやはり、アリスは最後の最後まで人形を残したのだ。やはりアリス自身も、その大切さはちゃんと理解している。魔理沙があえて言うまでもなかった。
わかっていながら、しかし、その人形達を手放してまでも、花を育てなければいけないのだ。アリス本人も苦しんでいる。花をもっとたくさん育てたいという衝動は、人形への思いを無理やりに断ち切らせるほど強いのか。
もう、アリス自身にもその衝動の意味がわかっていないのだろう。生きる人形ができるなどというのは自分の衝動を理由付けるための建前でしかないのだ。本人も、もしかすると、そこまで信じてはいないのかもしれない――しかし、必死で信じようとしている。心が壊れないように。最後の希望を持ち続けるために。だから、否定の言葉に耳を貸すわけにはいかない。
「……魔理沙。一つ、教えてあげる。魔法使いの血はね、とても純粋で強力な魔力結晶なの。あなたがこれ以上私の道を塞ぐなら……私は、あなたを殺してしまうかもしれない」
「な――ぐっ!?」
アリスの右拳が、魔理沙の鳩尾を強く突いた。
力が弱っているとはいえ、まったく予期せぬ攻撃に防御姿勢も取れず、魔理沙の体は崩れ落ちる。
――それでも、アリスの服を掴んだ手は離さず。
「だから、もう、私の前には現れないで」
ごん、と後頭部に重い衝撃。
殴られたのだと理解する前に、意識が暗転していく。
「あ……りす……ダメ、だ……ぜったい……」
「――ごめん……ありがとう」
意識が途切れる直前に、確かにアリスのその言葉を聞いた。
続き、楽しみに待ってます。
期待と不安で胸が一杯です。
続き待ってます。
彼女自身が人形なんじゃないかと思うぐらいに
続きを期待しております
(わくわく)
ってかイイ!!
氏のアリスへの愛の深さに震えが走ります。
こっからぐいっと盛り上がりそうなので、続きを楽しみに待っております。
>「そうかしら。もっと綺麗になった?」
「もっと」という所がとてもセンスいい台詞だと思いました。
ひとつ解除したと見せて、まだ奥があるとはっきり言って、しかしそれが何なのかは続きにご期待ください、と……
続きが気になるなぁ……
続きが気になって、ていうかアリスと魔理沙が気になって居ても立っても居られません。
なんか結末がおぼろげながらに見えてきましたが、しかしきっと私の想像程度は軽く超えてしまうのでしょう、ほんと楽しみだ
アリスが人形を売ろうとしているところで思わず涙が込み上げました
こののりだと多分ラストは号泣しそうw