<紅魔館>
国境の長いトンネルを抜ければ雪国なのは定説だ。
では、紅魔館の重い扉を抜けると?
「起きろ! この無駄飯喰らいどもが!! 朝を舐めるなぁあああああ!!」
「新聞ー、しんぶーーん、信憑性が清原の打率並の新聞でーす」
「ししょーう、昨日よりスカート短くなってますよぉー、
これじゃ動いただけで見えちゃいますよぉ、ししょーーーーう!」
「すっかり動物園ね……」
爽やかな朝の空気を、全身全霊でぶち壊す狐やら猫やら兎やら。
そんな狂態を目の当たりにした幽々子は、呆れたように呟く。
昨晩より抱え込んでいたもやもやとした悩みは、現実の重さの前に敵前逃亡したようだ。
ああ、今日も騒がしい一日になりそうだ。
「っと、ごはんごはん……」
もちろん、幽々子の一日の始まりは食事からである。
『本日より、二回以上のおかわり、及び常識の範疇外の大盛り、
及び初回における大量の注文、及び五度に分けての食事を禁止する。 by 十六夜咲夜』
「……ナニコレ」
思わずカタカナで呟いてしまう。
筆跡からして、間違いなく咲夜の直筆だ。
「(こんな事まで自分でやろうとするから倒れるんじゃないかしら)」
危うく遺書となりかけたそれを、ぼんやりと眺める幽々子。
示唆する内容がすべて自分宛てだというのに、他人事である辺り、相当に酷薄だ。
無論、それを受け入れる気もさらさら無い。
朝食は一日の活力源なのだ。
それを奪おうとするのは、いかに上司命令であろうとも許しがたいことだ。
とはいえ、強引に律を破るのは幽雅ではない。
故に幽々子は考える。
この文言を潜り抜けつつ、己の食欲を満たす方法を。
というか、食事タイムの度に繰り返されている行動なのだが。
「こんな張り紙まで出されるなんてねぇ、どんな無茶をやらかしたの?」
「む」
己の思考を乱す、憎き存在に目を向けると、いかにも呆れたような表情を見せる永琳の姿があった。
まだ一晩しか経過していないというのに、いでたちも存在自体も、この場に異常に馴染んでいる。
月の頭脳恐るべしだ。
ロングスカートとか頭脳はいい。
トマトを食べるんだ。
「……おはようございます、メイド長」
「ええ、おはよう。正確に言うとメイド長代理補佐心得だけどね」
「……なんですかそのメイド長より課長が似合いそうな肩書きは」
「他のメイドさん達に配慮して、よ。
突然現れた私が、あの子とまったく同じ地位に就いたと聞いたら良い気がしないでしょう?」
「余り変わらない気がしますけどね」
結局、今回幽々子が取った手段は、知り合いに一回ずつ自分の分をおかわりしてもらうというものだった。
迂遠極まりない手であったが、他に思い浮かばなかったのだ。
「……そこまでして食べたいの?」
「余計なお世話です。食事は私の数少ない楽しみなんですから」
「一応、立場的には制止しないと駄目なんだけど」
「あう……そ、そこは一つ、お目こぼしのほうをどうか……」
「ま、良いけどね」
永琳はため息をつきつつ生卵をかき混ぜる。
他のメニューはというと、納豆に焼き海苔、鯵の開きに味噌汁という純和風の選択だった。
幽々子のほうは、あえて語らない。
逐一表記していたら、この話が朝食談義だけで終わってしまうのだ。
「でも、霊体って普通の食事からは殆ど栄養を取れないんでしょう。
なのに、どうしてそこまで拘るの?」
「言いましたよ、楽しみだって。
エネルギーの摂取をするだけなら、他にいくらでも方法があります。
私は純粋に食べる事が好きだからこうしているんです」
「……余程、生前は食に苦しんでいたのかしらね」
「何か言いました?」
「いいえ、何も。
でも、それだと妖夢は大変ね。主人の愉楽の為に、常に頭を悩ませているんだから」
「……説教はしないんじゃなかったんですか?」
「あら、そうだったかしら」
和気藹々とは言い難い、なんともピリピリとした空気の朝食風景であった。
もっとも、お互いにこうなることは分かっていたので、さして問題は無いのだが。
一足先に食事を終えた永琳が、盆を手に立ち上がる。
別に、永琳の食事速度が常軌を逸していたという訳ではなく、単に量の差だ。
「あ、そうそう、食べ終わったらお嬢様の所へ行ってちょうだい。何でも頼み事があるそうよ」
「……たのみごと?」
幽々子は本能的に眉を潜める。
永琳の指すお嬢様とやらが輝夜の事なら分からないでもなかったが、今の永琳は紛れも無く紅魔館メイド長代理補佐心得だ。
紛れも無い割りに長い肩書きだが、それはこの際どうでもいい。
問題は、レミリアからの言であろうという点に尽きる。
そうなると腑に落ちない。
今の幽々子は平メイドに過ぎないのだから、すべては命令で済むはずなのだが、
そこをあえて頼み事と表現したのはいかなる理由があってなのか。
「まっとうな仕事では無いでしょうね。それこそ、命令するのも憚られるような後ろめたいものか……。
まぁ、行ってみれば嫌でも分かるんじゃない?」
「……ですね。私に拒否権はありませんので」
「ふふ、そうね」
永琳は軽く笑いを浮かべると、ロングスカートを靡かせつつ、すたすたと歩き去っていった。
「……」
その後姿を眺めていた幽々子に、再びもやもやとしたものが湧き上がって来ていた。
気に入らない。
何もかもが気に入らなかった。
悟ったような訳知り顔も気に入らないし、偉そうに指示する様も気に入らない。
ついでに、理不尽なまでの破壊力を持ったスタイルも気に入らない。
実際には別に偉そうにしていた訳でもないし、スタイルに至っては大きなお世話なのだが、
ダークサイドに堕ちつつある幽々子には関係なかった。
すべての料理が空になったことを確認すると、幽々子は音も無く立ち上がり、そっと永琳の背後へ忍び寄る。
「サニーパンチ!」
そして幽々子はやらかした。
ベアナックルによる後頭部への一撃。
お嬢パンチと侮るなかれ。
霊力と逆恨みがこれでもかと込められた、まさに乾坤一擲の技である。
がつん。
そんな音と共に、鈍い衝撃が拳へと伝わった。
殺った……!
そう確信した瞬間。
「甘い……とろけそうなくらい甘いわ」
「!?」
何事もなかったかのように、永琳が振り返ったのだ。
「そ、そんな……」
絶望に打ちひしがれた幽々子は、その場に膝から崩れ落ちる。
「余り私を侮らないことね。
瞬間的に脳内麻薬を分泌して痛みから逃れるくらい造作も無い事よ」
そーなのかー。
と言いたい所だったが、問題は別にある。
「……でも、それって、根本的な解決になってないわよね?」
「言われてみればそうdrftgyふじこlp」
謎の断末魔を上げて、永琳は地に伏した。
相手を吹き飛ばすような表層的な衝撃ではなく、ダメージのすべてを脳内に浸透させる死の一撃だ。
痛みに耐えようが、よく頑張ろうが、感動しようが、破壊力がそのままである以上はどうにもならない。
世界遺産に等しき月の頭脳は、個人的極まりない理由より粉砕されたのだった。
「……策士、策に溺れる。ね」
「わっ! メイド長臨時代理心得が!」
「暫定副メイド長補佐じゃなかったっけ?」
「えー? 新・続新続メイド長でしょ?」
「メイド長4~導かれしメイド達~じゃないの?」
「もういいよ、メイド長っぽい伺かって事で」
わいのわいのと騒ぎ出すメイド達。
どうやら永琳のカリスマは余り浸透していないようだ。
「(何かですら無いの……?)」
色々と突っ込みたいのを我慢して、幽々子は食堂から抜け出した。
どうせ数秒で復活するし、心配する必要も無いだろうと言い訳しつつ。
まぁ、事実なのだが。
数分後、幽々子はレミリアの私室まで来ていた。
紅魔館に務め出して以来、一対一で対面するのは初めての事である。
そう思えば、いくらか緊張しても不思議ではないのだが、この亡霊にそういった感覚は無い。
「花子です、入ります」
数回ノックすると、重く分厚い扉を、ゆっくりと開く。
「来たわね」
重厚な装張の机で腕組みをしたレミリアが出迎えた。
朝日を背景にしていたなら多少の威圧感もあっただろうが、
それをやるとレミリアは灰化してしまうので、カーテンはしっかりと閉じられていた。
故に、威圧感よりも、子供がパパの書斎で遊んでいる図のほうがしっくり来た。
軽く見回して見ると、机は元より、室内のもの全て、傷一つ付いていない。
掃除が行き届いているとかそういう問題ではなく、単に使っていないのだろう。
これも雰囲気作りの一貫なのだろうか。
「来た早々に、私を無視して室内の検分とは流石ね」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
皮肉は通じなかった。
「それにしても、こんな時間に起きられているとは意外ですね」
「今から寝るのよ」
「そうですか、お休みなさいませ」
「ええ、お休み」
ぱたぱたと手を振ると、寝室へと引っ込むレミリア。
深々と礼をして、入り口へと戻る幽々子。
こうして二人の邂逅は一瞬で終わ……
「んな訳無いでしょ! 帰るな!」
「もう、突っ込むなら早くして下さいな」
「ったく……あんたと話してると本当に疲れるわ」
……りはしなかった。
二人は改めて元のポジションへと戻る。
「またボケられても困るから、単刀直入に言わせて貰うわ。
……あんた、冥界に帰る?」
レミリアから飛び出したのは、予想だにしていなかった台詞。
これには幽々子も戸惑いを隠しきれなかった。
「え……あの、その、どういう、事なんです?」
「どうもこうも無いわ、言葉通りの意味よ。
もうあんたをここに置いておく理由は無いのよ」
「そんなこと……」
「あるの。
図書館の仕事はあの猫がやっているし、農園は狐が請け負ってる。
咲夜の代理も永琳が何とかしてくれそうだし、補佐に月兎まで付いてきたわ。
そうなると、あんたの存在はむしろ邪魔なの」
「……」
色々な意味で意外だった。
恐らくは、昨日の説教で、多少思い直す所があったのだろう。
でなければ、レミリアが自分から賭けの権利を放棄するなど有り得ない。
今必要なのは、因縁の清算ではなく、紅魔館の正常な運営だと気付いたという事だろうか。
もっとも、これは幽々子にとっても渡りに船である。
向こうから帰って良いと言ったのだから、素直にその通りにすれば、元の生活が戻ってくるのだ。
「……それは、困ります。もう暫く置いては下さいませんか?」
が、幽々子はそれを是としなかった。
理由はただ一つ。
まだ、昨晩の紫とのいざこざに、自分の中で決着が着いていなかったからだ。
それまでは、白玉楼に戻る訳には行かないのだ。
「……成る程。やっぱりそう来たわね」
「え?」
それに対して、レミリアは納得したように笑みを浮かべた。
即ち、幽々子がごねるであろうと予想していたという事になる。
しかし、不自然だった。
レミリアが幽々子の心情などを理解しているとは思えないし、理解したくもなかったろう。
という事は、誰かが入れ知恵をしたに違いなかった。
「(……また、あいつなのね)」
サニーパンチでは足りない。
今度は妖夢直伝のシャイニングフィンガーでもぶちかまそうと、密かに心に誓う幽々子であった。
「それなら、あんたにも出来る仕事が一つだけあるわ。
……でも、強制はしない。だからこれは、私からの個人的なお願いよ」
「……」
ようやく、本題へと辿りついたのを実感する。
これまでは全て既定のやり取りでしか無かったのだろう。
踊らされるのは気に入らなかったが、幽々子に選択肢は無い。
何より、あのレミリアがお願いをするような仕事に、興味があったのだ。
「どんなものかは分かりませんが、私は構いません」
「そう言ってくれると助かるわ。
……花子、私の妹の遊び相手になりなさい」
「……いもうと?」
予期せぬ単語に、思わずオウム返し。
妹。
歩行者天国でお兄ちゃんと絶叫すれば、世の若者の大半は振り返るという禁断の存在。
それが妹。
偏見?
よせやい。
「あの、妹さんなんていらっしゃったんですか?」
最初に浮かんだ疑問から口にする。
少なくとも、そんな存在がいたとは初耳であったから。
「ええ。少しばかり事情があって、あまり表には出てこないのよ。
名前はフランドール。歳は私と五つ違いね」
要するに496歳である。
妹というイメージからはかけ離れた年齢だが、ここ幻想郷では些細な事だろう。
「……正直な話、この仕事だけは、あんたにも少し期待しているの。
せいぜい裏切らないようにね」
「はあ」
話は終わり、とばかりに手をひらひらと振るレミリア。
幽々子は釈然としないまま、一礼して部屋を後にした。
「……どういう事なのかしら」
レミリアの発言は、今ひとつ意味が掴みかねた。
妹とやらの遊び相手を務めることが、どうしてそれ程までに深刻な響きをもって伝えられるのか。
もっともその理由は、直ぐに判明する事となる。
『え、妹様の? なんまんだぶなんまんだぶ……』
『嫌ぁーーーーーーーっ! 私は何も聞いてないッ! 何も聞こえないっ!』
『お姉様……お別れなんですね……』
顔見知りとなった同僚達に、レミリアから頼まれた仕事について語った際の反応である。
皆、一様に見せた反応は、恐怖。
約一名ほど別方向のノイズが混ざっていたが、多分気のせいだろう。
長く、暗い階段を、一歩一歩降りる。
初日に案内を受けた際には、欠片も触れられなかった場所。
そこに妹とやらはいるらしい。
「随分と大掛かりね……それ程までに危険な存在なのかしら」
意味不明な動揺ばかり見せるメイド達から聞けた、数少ない情報の一つに、
『妹様は少しばかり気が触れているから気をつけてね』というのがあった。
それは注意してどうにかなる類のものなのか、甚だ疑問であるが。
ともかく、こうも厳重に隔離が成されている以上、相当に危険な存在であるのは間違い無いだろう。
だからこそ、お鉢が回ってきたとも言えるが。
階段の終着点にあったのは、いかにもといった感じの重厚な扉。
幾重にも渡って結界が張られているのが、幽々子にも感じ取れた。
「(……でも、そんな化け物相手なら、この程度の結界なんて無意味じゃないかしら)」
数回ノックをした後、渡された鍵を用いて開錠する。
そして、いくらかの緊張を覚えつつ、ゆっくりと扉を開く。
「失礼します……」
「へぇ……」
扉の中に広がっていたのは、ごく普通の少女の部屋と呼べる場所だった。
白骨が散乱していたり、拷問器具が立ち並んでたりといった、
もっと毒々しい場所を想像していただけに、拍子抜けの感もある。
少し変わった所と言えば、天井がやたらと高く広い事くらいか。
「……誰?」
小さな声だった。
背丈は、レミリアと同じくらいか、もう少し小さいかという程度。
特徴的なのは、背中から伸びる羽らしきもの。
蝙蝠等が持つものをそのままくっ付けたようなレミリアのものとは違い、
骨組みだけを残したような形状に、七色の宝石めいたものがくっついていた。
が、それは別に問題という訳ではない。
今の幽々子にとって重要なのは、例の『妹様』と、目の前の少女のギャップである。
ベッドの上にちょこんと座り、興味深々の瞳で自分を見つめる様は、
とても聞いていたような凶暴な存在とは思えなかったのだ。
「申し遅れました。この度、世話役の任を仰せつかった花子と申します」
「……変な名前。お姉様に名付けられたの?」
「いえ、違いますわ。もしレミリア様によるものならば、
私の想像の範疇に収まりきらない珍妙な命名をされたのでは無いでしょうか」
「あはは、それもそうね」
少女……フランドールは、本当に可笑しそうに笑っていた。
「(何だ、別に普通の子供じゃないの)」
安心したような、それでいて少しがっかりしたような、そんな心境だった。
「貴方は人間? ……じゃないよね。なんか、浮いてるし」
「ご明察。私は亡霊ですわ」
「……ぼうれい?」
発音がおかしかった。
それでは某霊だ。
「うーん……何と言えば良いのでしょうか。
命を落とした者が、何らかの執着心を現世に残した結果、実体化したものです。
もっとも私は生前の事は覚えていませんが」
本当はもっと詳しく説明する事も出来たのだが、あえてそれは止めておいた。
概念すら知らなかった相手に、そんな事を言ってもサッパリだろうから。
「ふーん……」
幸いにもフランドールも深くは追求しては来なかった。
しかし、ここで一つ問題があることに気が付いた。
何をして良いのか分からないのだ。
予想していたような狂人が相手なら、いくらでも対処のしようはあったのだが、
こうも普通の相手だと、かえって対応に困るのだ。
「(妖夢の小さい頃みたいなものだと思えば良いかしら、……まぁ、今でも小さいけど)」
とりあえず基本は対話。
という訳で、幽々子は深く考えずに口を開いた。
「ええと、フランドール様」
呼んだ瞬間、フランドールは少し驚いたように目を見開いた。
「……へぇ、妹様って呼ばないんだ」
「あ、拙かったでしょうか」
「ううん、いいよそれで。……妹様って呼ばれ方、あんまり好きじゃないし」
「何故ですか?」
理由は大体気が付いていたが、あえて幽々子は問いかけた。
親交を深める糸口になれば、との意図だ。
「だって妹様っていうのは、姉が存在する事を前提としての呼び名でしょ。
それって何か気に入らない」
「……そうですね」
何故かここで幽々子の脳裏に浮かんだのは、絶叫する美鈴の姿。
『名前で呼ばれないってのがどういう事か……分かってるの!?』
「……」
凄く、説得力があった。
それを機に、という訳でもないが、フランドールの部屋での時間はごく平穏に流れた。
途中、気を利かせたのか、鈴仙がティーセット一式を運んできたのも幸いした。
無論、鈴仙自身が考えたのではなく、永琳に頼まれたものだろう。
「フランドール様は、小食では無いのですね」
「そう? お姉さまと比べれば誰でも普通以上になっちゃいそうだけど。
……でも、貴方は論外っぽいわね」
「ええと、褒められているんでしょうか……」
流石に、フランドール用の血入りのおやつに手を出すほど飢えてはいなかったが、
それでも幽々子の食欲は、看破されるに十分であったようだ。
「ところで、咲夜はどうしたの?」
「メイド長ですか? 今は療養中なので御出でにはなれないのでしょう」
「……療養中?」
きょとんとした表情から、意を得ていない事が分かる。
幽々子は、隠し立てするようなものでもないだろうとの判断から、昨晩の出来事について一通りを語った。
「……という訳です。でも、三日も休めば良くなるらしいので、そう心配なされる事も無いと思いますわ」
「……」
「……フランドール様?」
「あいつ、そんな大事な事まで……」
あいつ、とは恐らくレミリアの事を指しているのだろう。
記憶が確かならば、今まではお姉様と呼んでいた筈だし、何より存分に慕っている様子が見受けられたのだが、
それからは180度反転した扱いだ。
もっとも、フランドールの雰囲気が一変したかというと、それも正しくは無い。
むしろ、これまでとまったく変わらない、ごく自然な流れで口にしていたのだ。
「(ああ……そういう事ね。
気がふれているとは良く言ったものだわ)」
先程までの認識が誤っていた事に気付かされる。
フランドールには、平常と異常の間に境界が無いのだ。
だから、こちらが普通だと思えば普通なのだろう。
「ところでさぁ……」
フランドールがにこりと笑いながら視線を向ける。
少女らしい、まことに無垢な微笑み。
そこに一切の打算は無いだろう。
が、だからこそ、恐ろしい。
幽々子は本能的に、宙へと飛び退る。
一瞬遅れて、それまで座っていた椅子が、粉微塵に消し飛んだ。
何かを打ち放ったのだろうが、生憎それを視線で捕らえる事は出来なかった。
これが、何よりも彼女が忌避される理由。
常識の範疇から、二回りほども外れた、桁違いの力。
「亡霊って、強いの?」
会話の流れというものをまるで無視した言葉。
だが、それもフランドールにとっては自然なのだろう。
もっとも、それを受け入れられる者がいるのかは別問題である。
故に彼女は外へと出しては貰えず、そして幽々子は今ここにいるのだ。
「さて、どうでしょうか……」
既に幽々子に迷いは無い。
「(天井が高いのはこういう訳だったのね……。
なかなか骨の折れる『遊び相手』だこと。礼を言わせて貰うわよレミリア)」
感じるのは、恐怖ではなく高揚。
そういった意味では、幽々子自身もどこか狂っているのかもしれない。
だとしたら、何ともうってつけの仕事だ。
「フランドール様ご自身で確かめられては如何ですか?」
両の袖から扇を落とすと、手に取り、開く。
初日に門番隊へと配属された時以来の動作。
それの意味するところは、一つ。
「あはっ、そう来なくっちゃね」
フランドールは、心底楽しそうな笑みを浮かべると、宙へと舞い上がる。
楽しい楽しい、弾幕ごっこの始まりだ。
通過儀礼の如き、緩慢な弾幕から戦いは始まった。
それ自体は、フランドール自身も気を入れてはいなかったのだろう。
数発が回避されたのを見ると、直ぐに射撃を止めた。
そして、僅かに考えるような素振りを見せる。
「じゃあ……こいつから!」
発動するスペルカード。
そして瞬時に展開される弾幕。
それは、一言で言うなら、無尽蔵。
前後左右上下、360度全てを覆いつくす、反則的な弾幕だった。
が、その弾幕には一つだけ、明確な隙間が作られているのを、幽々子は認識していた。
間違いなく、意図的なものだろう。
「(やれやれ、捻くれてるのか正直なのか)」
幽々子は迷わず、隙間へと身を投じた。
絶え間なく迫り来る弾幕。
その中で、少しずつ軌道をずらして行く隙間を、瞬時に見切っては回避する。
まるで踊るかのように。
「へぇ、ならこれでどう?」
弾幕は、一時止んだかと思うと、今度は逆方向へと軌道を変えて放たれる。
より一層、密度と速度を増やしつつ。
「あらあら、せっかちなのは殿方に嫌われますよ?」
幽々子は動じない。
一定だったリズムを瞬時に逆回しにするのは引っ掛けの要素だったのだろうが、
傾向さえ理解していれば、対応する事は容易かった。
捻くれているようで、実のところは極めて素直。
そんな印象を抱かせる弾幕に、意図せずして笑みが零れる。
「随分と余裕じゃないの」
「そんな事はありません、これは素です」
「余計悪いわよっ!」
事実、フランドールは苛立っていた。
ふわふわふわふわ。
そんな間抜けな表現がぴったりの対戦相手に。
緩い動きは、いかにも格好の的となり得そうで、それでいて一つとして当たる事はない。
勿論、簡単に落ちてもらうのは御免だが、これは少し勝手が違う。
簡潔に言い表すなら、やりにくい。
恋の迷路は迷った者を落とすもの。
が、迷う事を楽しまれてはどうにもならない。
「(だったら……)」
意を決し、新たなスペルカードを展開する。
もっとも分かりやすく、もっとも強力なアレ。
「いくよ!」
フランドールが選んだカードは、レーヴァティン。
一振りの剣と言えば分かりやすいが、冗談のような長さの風景すら歪める獄炎の刀身は
分かりやすくも分かりたくもない威圧感を放っていた。
その筈なのだが……。
「まぁ、熱そうですね」
感想はこれだった。
些か気も抜けよう。
「当たって試してみなさいっ!」
別の意味で萎えそうになる気力を奮い立たせるように叫び、そして振る。
型も何もない、力任せの一振り。
が、それだけで済ませるには、余りにも膨大な魔力の奔流。
まるで、空間ごと引き裂くかの如き暴力的な斬撃であった。
流石に、この一撃で済むと考えるほど、フランドールも楽天的では無い。
次なる対応に向け、素早く目標を視認にかかる。
その瞬間。
「足元……じゃなくて懐がお留守ですよ」
「!?」
目前。
それこそ鼻が触れ合うほどの至近距離に、突如として姿を現す幽々子。
理屈は分かる。
どんなに理不尽な魔力を持っていようと、レーヴァティンはあくまでも剣を模したスペル。
即ち、刀身の内側に入られては、まったくの無力なのだ。
だが、それをまさか、最初の一撃で実行されるとは、想定の仕様の無い事態だった。
そんな事を考えている最中、何を思ったのか、幽々子は自ら背後へと飛び退る。
「……っ!」
それは、直感だった。
視認をしていては間に合わない。
フランドールは己の勘を頼りに上空へと飛び上がる。
刹那、レーヴァティンの残像から湧き出すように無数の蝶が姿を現し、それまで自分のいた場所に殺到した。
蝶の群れはそれに満足しなかったのか、直ぐに目標へと軌道を変える。
速度は大した事は無い。
だが、その数は余りにも膨大。
もしも、この群れに飲み込まれたなら、ただで済むとは到底思えない。
「なら、もう一度!」
フランドールの取った対抗策は、極めてシンプル。
再びレーヴァティンを手に取ると、鬱陶しいとばかりに豪快に振り回したのだった。
蝶の群れは、その圧倒的な魔力の前に、あっさりと掻き消される。
そして、返す刀で、飛び退った方向へ一閃。
が、既にその場所に幽々子の姿は無い。
まるで、すべてを読んでいたかのように、レーヴァティンの射程ギリギリの位置に佇んでいた。
両手に構えていた筈の扇は、片方の手に二つとも収められている。
そして、空いたもう一つの手は、はっきりとフランドールに向けられていた。
レーヴァティンのもう一つの弱点。
それは、破壊力の代償に、己自身にも隙を作ってしまう点にあった。
事実、今のフランドールは、振り回した反動で大きく身体が泳いでいる。
そこに奔る閃光。
「くっ!」
溜めが少なかったのか、それとも元々そういう性質のものなのか、
幽々子の放った閃光は左程広い範囲にわたるものではなかった。
が、それだけに早い。
フランドールは、泳いだ方向に強引に身体を振り、回避を試みる。
その結果、閃光は羽を僅かに掠めるに留まった。
ダメージは、無い。
その勢いのまま、くるりと回転しつつ、再び幽々子へと目を向ける。
「っとと、いけませんわ。そんなに足を大きく開くだなんて、はしたない」
「……」
何事も無かったかのように、悠然と笑みを浮かべて返す幽々子。
それをフランドールはじろりとねめつけたかと思うと、
大袈裟にため息をついては、展開していたスペルカードを懐に収める。
途端に漂っていた熱気は収束。
室内は嘘のように静まり返った。
「あら、どうなされました?」
「やーめた。貴方と弾幕りあっても、あんまり楽しくない」
「そうですか……期待にお答え出来ず、申し訳御座いません」
「……嫌味?」
「?」
期待外れとは半分正しく、半分間違っていた。
遊び相手として送られてきたメイドは、これまでも多数存在したが、
大概はスペルカードを使うまでもなく、簡単に壊れてしまっていた。
そういう意味では期待以上の相手であったろう。
が、フランドールは、一連の戦闘から感じ取っていた。
この目の前のメイドは、自分の遊び相手になっているのではなく、
自分で遊んでいるのではないか、と。
そんな輩を相手に、弾幕ごっこなど無意味に等しい。
例え勝利を収めた所で、余計にストレスが溜まるだけだろう。
「貴方、従者には向いてないね」
「うう……分かってはいましたが、直球で言われると堪えます……」
「分かってない」
「え?」
「別に従者なんていらない。咲夜一人いれば十分だもん。
そう思うでしょ、西行寺の幽々子さん」
「!?」
これには流石の幽々子も驚いた。
あらかじめ事情を理解していたレミリア、咲夜、パチュリーの三人を除いては、
今だ誰にも自分の正体は知られていない筈である。
だがこの少女は、僅かな情報と時間だけでそれを看破したのだ。
気がふれているのと、頭が切れるのとはまったくの別問題であると気付かされる。
「いつ、気付いたの?」
「普通分かるわよ。連中が鈍感過ぎるのか、それか他者に無頓着なだけでしょ」
「……それもそうね」
頷いてはみたが、全面においてその通りだとは思っていなかった。
このような生活を送っている以上、フランドールが他者と触れ合う機会は少ない筈。
だからこそ、数少ない機会を、彼女なりに精一杯に味わおうとしているのだろう。
故に気付き得たと言える。
「バレちゃったならフランドール様って呼ぶのも変ね。
んー……フランちゃん、で良いかしら」
「……良いけど、何か響きが卑猥なのは気のせい?」
「気のせいよ」
縦に書かない限りは気のせいだろう。
「それにしても、私の事を知っていたなんて意外だったわ」
「お姉様から色々と聞いてたからね」
「どんな事?」
「んー……食欲魔人だとか、栄養が全部胸に行ってる天然ボケとか、いかさま勝利者とか……」
「……もう良いわ。大体分かったから」
そういう余計な情報は与えるくせに、亡霊である事は伝えていないのか。
不思議ではあるが、何しろ脳で物を考えない存在であるから仕方ないだろう。
他人の事は言えないが。
「まったく……あの501歳は。自業自得の癖に、逆恨みにも程があるわ」
「?」
「聞いてるでしょう? レミリアが私を敵視するようになった原因」
「あー、麻雀だっけ?」
「そう、麻雀」
「よく分からないけど、そんなに熱が入るような遊びなの?」
「どうかしら……多分に個人差があるから、実際にやってみないと何とも言えないわね」
何時の間にか、話は豪快に逸れ初めていた。
「失礼しますっ! 何かあったんですか!?」
そこで現れた闖入者。
息を切らせて飛び込んで来たのは、本日二度目の来訪となる鈴仙。
恐らくは先程の弾幕ごっこが原因だろう。
結界の力で、騒音はほぼ完全に遮断されていた筈だが、兎の聴力はそれをも乗り越えたらしい。
「何でもないわよ。ちょっとしたコミュニケーションの一環ってとこ」
「そう、なんですか?」
信用できなかったのか、鈴仙は確認するようにフランドールへと視線を向ける。
忘れられているかもしれないが、彼女は見たものを狂気へと誘う魔眼の持ち主である。
したがって、普段はあまり他者と目を合わせない。
だが、今回においては、相手がもともと狂っているのでまったく問題はなかった。
幸運なのか気の毒なのか微妙なラインの出来事である。
「大体合ってる。不完全なコミュニケーションだけどね」
「はぁ……」
「(どうしてこの子は、自分から首を突っ込みたがるのかしら……)」
目の前でひらひらと揺れる理不尽なまでに短いスカートを眺めつつ、そんな感想を浮かべる幽々子。
元々無関係なのだから大人しくしておけば良い筈なのだが、それが出来ない辺りが、彼女が弄られる理由なのだろう。
不幸の星の元に生まれた……と言いたいところだが、それでは月出身者全員が不幸になってしまうので却下。
ともあれ、こうして現れた以上は、責任を果たさなければいけない。
何の責任かと言うと、弄る側としての、だそうな。
酷い話もあったものである。
この世には神も仏もいないのか。
「丁度良いわ。新たなコミュニケーションを実践してみない?」
「「??」」
疑問符を浮かべるフランドールと鈴仙を他所に、幽々子は薄く笑いを浮かべた。
そう、ここは幻想郷。
神も仏もあまり役に立たないのだ。
それは戦いというにはあまりにも酷すぎた。
狡猾で無慈悲で残酷で、そして一方的すぎた。
それは正に虐殺麻雀だった。
「これが麻雀よ。分かった?」
胸を張っては豪快に葉巻を吹かす振りをして勝ち誇る幽々子。
大人気ないとしか言いようがないのだが、勝負の世界はどこまでも非情なのだ。
「うう……汚されちゃった……汚されちゃったよぅ……」
鈴仙は聞いていない。
否、聞こえていない。
密かに自慢であった狂気のガン牌も、圧倒的な力の前には無力だった。
今の彼女は心身ともにズタボロである。
心はともかく、身体までとはどういう事かと言われそうだが、そこは各自で補完してほしい。
僕と君との約束だ!
等と逃げると狙撃されそうなので、少しだけ語ろう。
麻雀には何かしらの賭けるものが必要である。
が、彼女らが金銭を所有している筈もない。
故に、残されたものはというと……つまりはそういう訳だ。
「負けると凄く腹が立つってのは良く分かったわ。
……でも、何で私がこんな格好させられるの?」
「んー、脱ぐことに余り抵抗無さそうだったし……それじゃ楽しくないでしょう?」
「馬鹿にされた気がする……」
フランドールは剥かれる代わりに、メイド服を着せられていた。
無論、鈴仙が着ていたものである。
「馬鹿になんてしてないわよ。ニーズは多種多様なんだし、誇りに思っても良いわよ。
……というか、意外なほど似合ってるわね」
幽々子の言うとおり、メイド姿のフランドールは、不自然なまでに自然だった。
超の付くミニスカートも、外見的に極めて幼い彼女が身に着けると、不思議と淫靡さは感じられず、
むしろ健康的でまことによろしいと言えた。
なお、胸囲までサイズが合っていたという驚愕の事実が、鈴仙の精神崩壊を押し進めた原因である事は言うまでもない。
「そう……? なら、お姉様も喜んでくれるかなぁ」
「……? どうしてレミリアが出てくるの?」
「えー? だって、お姉様ってメイド服フェチだし」
「……は?」
突飛極まりない新事実に、間抜けにも口がぽかんと開く。
「知らなかったの?」
「ぜ、全然……でも、言われてみればそんな気もしてきたような……」
思い当たる節は……存分にあった。
紅魔館におけるメイドの仕事は家事全般のみならず、
門の警備から畑の世話、果ては古くなった館内の修繕まで多岐に及んでいる。
にも関わらず、どの任に就く者も、例外なくメイド服の着用が義務付けられていた。
効率を考えるならば、それぞれの仕事に適したコスチュームを用意するべきだろう。
そうしない理由が、主の趣味だとするなら……馬鹿馬鹿しいが、とても頷ける。
何より、一番の証拠は、永琳と鈴仙をまったくの素通しで雇った事だろう。
実務能力などはまったくの後付けだったのだ。
恐ろしい。
なんと恐ろしいことか。
が、それと同時に、幽々子は妙な共有感のようなものを感じていた。
あのプライドの塊のようなレミリアが、このような隠れた一面を持っていたという事実に。
覗き魔とメイド服フェチ……間違いなく通じ合うものがある。
どちらも最悪という点で、だが。
「ねぇ、もう一回やろ?」
どこか禁断の響きが篭った台詞だった。
「え? メイドプレイを? 私がご主人様でいいのかしら」
「はぁ? 麻雀よ、麻雀」
「あ、ああ、そう、麻雀ね。そうよね。何を言っているのかしら私ったら」
何故か安堵を覚えつつ答える幽々子。
どうやら動揺がまだ残っていたようだ。
「そ、それじゃ始めましょうか。ほら、鈴仙ちゃんもいつまでも寝てないの」
「うう……誰のせいだと思ってるんですか……というかもう払うものもありませんよぅ……」
「そんなの別にいいわよ」
「いいなら最初っからそうして下さい!」
「ああもう、そんな格好で叫ばないの。
フランちゃんの服でも借りておきなさい。たぶんサイズも合うでしょ」
「……いつか殺す……」
「もう死んでるってば」
そんなこんなで、三人はコミュニケーションとやらを再開するのだった。
結論としては、幽々子は難題……フランドールとの交流に成功したと言えるだろう。
もっとも、それがレミリアの意図通りであったかは、本人以外は知るべくもない。
一方その頃。
「……むぅ……」
ベッドの中で、数枚の書類とにらめっこする咲夜。
眉間に皺を寄せ、いかにも真剣といった様子である。
が、やがて諦めたようにため息を付くと、書類を放り投げた。
「信じられないわ……私がやるよりずっと手際が良いじゃないの……」
咲夜が目を通していたのは、関係各部からの報告書。
というより調査書に近い。
対象は勿論、八意永琳だ。
今朝方、自分に代わって永琳がメイド長を勤めていると聞き、咲夜は存分に仰天した。
脈絡の欠片も無いのだから当然だろう。
そこで咲夜は、問いただすよりも先に、館内の実情を把握するのを優先した。
紅魔館の内政が、自分を中心に回っている事を理解していたからだ。
が、報告によれば、まったく問題無し。
イレギュラーの面子を含めて、極めて円滑に指示が出されていたのだ。
それどころか、懸念されていたいくつかの問題事項までもが解決されているという。
おおよそ信じがたいが、事実は事実である。
認めない訳にはいかない。
「……」
レミリアからも、『永琳からOKが出るまで仕事に出るのは禁止。これは命令よ』とのお言葉を頂戴している。
いつのまに二人の間にパイプが出来たのかは知らないが、主の言葉に逆らうつもりは無かった。
結局のところ、今の咲夜に出来るのは、体力の回復に専念する事のみであった。
事実、深刻な症状こそ無いものの、今だ身体は休息を欲しているのが実感できる。
ここ数日の無理に加え、疾病による身体への被害は、想像以上に大きいものだったのだろう。
「はーい、咲夜ちゃん、元気にしてますかー。回診のお時間ですよー」
そこに、部屋の入り口から能天気な声が届く。
「……止めて、お願いだから」
「人がせっかく気楽な雰囲気を演出しているのに、つれないお言葉ねえ」
「もう十分に気楽よ。少しは歳を考えなさいっての」
ピンク色のナース服に身を包んでは、小首を傾げる永琳。
どうしてわざわざそっちの趣味に走るのか今ひとつ理解し難かった。
もっとも、彼女のみならず、幽々子も紫も、果てはレミリアまでも毎度色々と衣装を変えている事を思うと、
今の幻想郷のトレンドはコスプレなのかもしれない。
トレンドマイクロと同じくらい嫌なトレンドだ。
「歳なんてどうでも良いじゃない。大事なのは心意気よ」
「その心意気を、もう少し世間様に役立つように向けられないものかしら」
「それこそどうでも良い事だわ」
「……ま、違いないか」
どうでも良いような会話を交えつつ、診察が進められる。
咲夜も職務上、簡単な医療行為くらいの知識は持っていたが、本職を前にするとサッパリであった。
ほんの僅かな動作から症状を見抜いたりするに至っては、感心する他無い。
そんな矢先であった。
「じゃ、胸出して」
能力を使うまでもなく、時間が止まった。
「……え?」
「え? じゃないでしょ。心音を聞くのよ。ほら」
「そ、その、心の準備が……」
「大丈夫よ、私は出来てるから」
全然大丈夫じゃなかった。
とは言え、今の咲夜に大した抵抗が出来る筈もない。
結局、無駄に暴れて疲れたところを、あっさりとひん剥かれるに至った。
「……」
「んー、正常ね。健康一番。うちの兎もそう言ってるわ」
「……」
「……どうしたの?」
「……なんでも、ない、わよ……」
声が擦れているのは、具合が悪いのではなく、羞恥のせい。
見られる事そのものが恥ずかしい訳ではない。
咲夜の唯一といっていい、外見的なコンプレックス。
それが、胸だった。
永久凍土……という程貧相な訳ではない。
むしろこの年代の女性としては平均的と言って良いだろう。
が、それを主張するには、咲夜の周囲の人物は規格外すぎた。
あの、痩せぎすとも思われるパチュリーですら、実は脱いだら凄いんですという冗談みたいな事実を持っているのだ。
そして、今目の前にいる永琳は、規格外の中でも特に危険な代物の持ち主であった。
劣等感が羞恥心へと変換されるのも無理からぬ事だろう。
「はい、おしまい」
「……」
永琳は何も言わずに服を戻した。
それがまた咲夜に憤りを募らせる。
せめて気休めの言葉くらい言ってくれれば、凌ぎようがあったのに……。
等と思ってはみるが、実際に言われたなら、それはそれで腹立たしかったろう。
理不尽ではあるが、そういうものなのだ。
「私もね、貴方ぐらいの歳の時は、あんまり大きくなかったのよ」
「え?」
一拍置かれて語られた言葉は、咲夜の予想外のものだった。
貴方ぐらいと言われても、相手はどれだけの年月を生きているのか想像も付かない蓬莱人である。
という事は、まだ蓬莱の薬を飲む前の話だろうか。
「でもねぇ、何故かコレだけは遅れて成長し出したのよ。今じゃもう邪魔で仕方ないわ」
「……慰めのつもり?」
「違うわよ。ただの体験談」
「……どうだか。大体、月人の体験談が参考になる筈も無いでしょ」
「そうかもね」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……何か、特別にやった事ってある?」
耐え切れなかったのか、咲夜が今にも消えそうな小声で言う。
「そうねぇ、強いて言うなら……」
待ってました、とばかりに永琳が耳打ちする。
しばらく神妙に聞いていた咲夜だったが、次第にその顔が紅潮して行く。
「……それくらいかしら」
「な、あ、そ……そんな事、出来る訳ないでしょ!」
ついには完熟トマトの如く真っ赤な顔で、叫びを上げるに至った。
「別にやれなんて言ってないわよ。それにコレはあくまでも私の体験談。
貴方もその通りになるかなんて分からないわ」
「そ、そうだけど……」
「まぁ、気にしないのが一番よ。
私の見立てによれば、成長するにすれしないにすれ、貴方の形は理想的よ」
「……本当にそう思う?」
「思う思う。私、おべっかは大嫌いだから」
「……」
「……」
「……ありがと」
真っ赤な顔のまま、ぼそりと呟く。
「ふふ、礼を言われるような事じゃないわよ」
「お腹空いてるでしょうけど、もう少し我慢して頂戴ね。
今の薬が切れるまでは食べ物を入れてはいけないの」
「平気よ。幽々子じゃあるまいし」
「アレは論外よ」
くすりと笑いつつ、器具の類を片付け始める永琳。
診察は終わりという事だろう。
「ねぇ、聞いていい?」
「何? スリーサイズなら秘密よ?」
「それはもう良いってば」
一拍置いて、言う。
「……どうしてそんなにも、私に関わろうとするの?」
これまで、ずっと燻っていた疑問。
有耶無耶にしてしまうには、あまりにも大きいもの。
「……そう見えるかしら?」
「見えるわね。あの夜以来、何の関わりも無かった筈の貴方が、
偶然にも私の変調に気付き、わざわざ出向いて治療し、果ては仕事までも請け負っている。
それほど人道的な輩だったという噂は聞いたこともないし、聞いていたとしても信じられないわ」
「……」
「……勿論、助けてくれた事については感謝しているわ。
でも、ね。この状況は余りにも腑に落ち……!?」
言葉を最後まで紡ぐ事は出来なかった。
二の腕に感じた、僅かな痛み。
それが何を意味しているのかは、考える必要すらなかった。
「な、何を……」
「大丈夫、別に変な薬じゃないわ」
「そんなの信用できるわけ……」
注射器を手に持っては、にこやかに答える永琳。
「安心なさい。別に謀なんて巡らせてはいないから。
……これは単なる私の自己満足よ」
「……」
今の注射の事なのか。それとも行動全てを指しているのか。
それを理解する前に、咲夜の意識は闇へと沈んだ。
「本当、誰も信じてくれないわねぇ。少し、行いを反省でもしてみるべきかしら」
寝息を立て始めた咲夜を他所に、一人ごちる永琳。
自分で言う辺り、多少は自覚があるようだ。
「自己満足……言い得て妙ね。誰も許してはくれないし、許されて良いものではないもの」
「でも、ね。それで傍観を決め込めるほど、私は達観していないの」
「……可笑しいでしょう? 何千年も生きていながら、こんな感情が残っているだなんて」
「姫に聞かれたら大笑いされるかしら。それとも怒られるかもね」
「おやすみなさい……咲夜」
最後に名前を搾り出すように呟くと、永琳は部屋を後にした。
数多くのイレギュラーを抱えた紅魔館。
それでも日は、瞬くように過ぎていった。
紆余曲折ありながらも、フランドールの世話役をこなし続ける幽々子。
図書館の番猫と愛玩動物の境界を器用に渡り歩く橙。
その監視を行いつつも、終身名誉おさんどんとしての力を存分に発揮する藍。
無理難題を押し付けられながらも甲斐甲斐しく動き回る様子から、
次第にマスコット的なポジションに収まりつつある鈴仙。
そして、彼女らを含めたメイド達の統率と、咲夜の看病の両方を、当たり前のようにこなす永琳。
カオスの極みであったはずの情景は、いつしか何の変哲もない日常として受け入れられていった。
しかし、それも長くは続かないだろうと、誰もが漠然と思っていた。
運命の日が、目前に迫っていたからだ。
それは、レミリアの502回目の誕生日。
そして後に、こう呼ばれる事になる一日。
『紅魔館の一番長い日』と。
(;´Д`)ハァハァ/lァ/lァ/ヽァ/ヽァ ノ \ア ノ\ア / \ ア / \ ア
しかし、幽々子様とフランの弾幕ごっことは珍しい、
この組み合わせは初めてじゃなかろうか・・・?
姉妹共々お口には合わなかったようだけどw
後、鈴仙・・・火中の栗を拾うなんて(ノ∀T)
し ら
か ん
し ち
て ゃ
こ ん
れ か
の わ
こ い
と い
か よ
な !
?
じゃなく、なんかもう、最高です。
もしかしてYDS氏って定期的に鈴仙の目を見てる?
↓そーだったのかー
それにしても見事なお手前で。
分割しちゃってもいいんで、続編期待しております。
そいやあもとより血の気の多い亡霊でしたな。
相変わらず弧気味の良い小ネタマシンガンを堪能させて頂きました。
分割上等でラストをお待ちしております。
・・・懐かしい・・・;;
しかし鈴仙可愛いなぁ。苛めたい。激しく苛めたい。
お見事という他無いですね…。
手綱を握り物語を進める技量。その演算能力に感嘆する。
アンタ、何処のファティマですか!
フランの解釈、文花帖以来迷っていた彼女の姿が、何となく解ったような気
がしました。ブラボーです。
次がラストかー楽しみだけど、これで終わると思うとちょっと寂しかったり。
この解釈は素晴らしい。
なるほど。
文花帖での疑問が解けた気がします。
次回を楽しみにしています。
二次創作においてもっとも扱いに困るであろう一人の、
フランドールというキャラクターの解釈に感嘆。
原作のイメージと違和感の無い、いい描写だと思いました。
幽々子TUEEEEEEEE