――その女性は、子供が産めない体だった。
詳しいことは知らない。だがしかし、子供を身体に宿すことが出来ない、ということだけはわかっていたという。
彼女は、魅力的な女性だった。波打つ御髪、整った目鼻立ち、聡明なる知性、朗らかな人柄――彼女を形容する言葉は、それこそプラスのものしか見当たらないほどに。
しかし。その「子供の産めない」事実は、彼女の傍から男性というものの影を一掃するのに充分だったのだろう。彼女には浮いた話の一つもなく、また彼女自身も生涯を一人身で過ごすのだろうな、とぼんやり考えていたのだという。
そこで。愚か者が現れる。
彼女は自身に降りかかったそれを指して、「三文恋愛小説のようだ」と評したという。
それは的を射ていた。だって、子供が出来ないというのに、彼女を「愛している」と宣言した男性。そんなもの、安っぽい恋愛小説でしかありえないだろう。
しかし、それは小説ではなく、また男性にとっては冗談などではありえなかった。
男性は、まさに身を粉にして彼女に愛を伝えていく。彼女は、何回も何回も、男性を説得しようとした。
それはまるで我慢比べのよう。それはまるで意地の張り合いのよう。……と、二人の知人は後に語ったという。
苛烈な愛は、実を結ぶ。実際のところ、言い寄られていい気がしないわけはない。
それでも。彼女は最後の最後まで、男性を説得しようとした。きっとそれは、男性のためだけではなく、自分のためでもあったのだろうと思う。
だって。愛する人との間に。
――その証が無いというのは、きっと辛いに違いないのだから。
・ ・ ・
さて。そこでさらに話は陳腐になっていく。
どういう風に? それはほら、奇跡ってやつ。こう言うと、本当に三文小説みたいだと思う。
・ ・ ・
結ばれた二人。幸せな日々が続くけれど、やはり、何かがかけていたのだとおもう。
彼女は男性を愛していたと思うし、男性だって彼女を愛していた。
けれど、人間ってのは勝手なもので、やっぱり「何か」が残らないと、気持ちは長く続かない。
二人は、ちょっと行き違って、上手く行かなくなっていったのだ。
でも。とある、初夏のちょっと日差しが強い日のことだった。
その日、二人は景色のいい……そうね、緑化公園とかそういうところかしら? に行った。
理由は二人にも良く判らず……まあ、天気も良かったのだから、細かいところはどうでもいいとおもっていたんでしょうね。
風は穏やかで、日差しもちょっと強いけれど、まあ我慢できる範囲で。
色々とささくれだっていた心も、きっと落ち着いていったのだとおもう。
そんな二人のもとに、日傘を差した女性が近づいてきた。
顔は良く見えなかったけれど、腰まで届く金髪はとても綺麗だった。要するに、美人さんだったわけだ。
その女性は、優雅に口元を笑みのカタチにして、「ごきげんよう」と挨拶をした。
二人は、この辺りの人かな、って思ったわけだ。その公園は、二人の住んでいた町からはちょっと遠い。今で言う、別荘地みたいなところにあったから。
もちろん二人は、にこやかに「こんにちは」と返した。男性も、彼女も、世間的にはちょっと度が過ぎるくらいにはいい人だったから、それは当然だ。
日傘の女性は、「二人とも、お似合いの夫婦だわ」と言って。二人はその言葉に照れる、なんてありがちな問答だってあった。
そんな感じで始まった談話。それでも、夫婦、という言葉からあの言葉が出ないわけがない。
日傘の女性が、「お子さんはいらっしゃらないのかしら?」と問いかけた瞬間。二人は目に見えて落ち込んだわけである。
地雷原ってことを知らずに、地雷を意識して避けるなんて不可能だから、そりゃあまあ仕方ないわけで。
二人は気を使わせてしまうかもしれない…とか思いながら、事情を説明するわけである。事情を説明するほうが、どっちかっていうと気を使っていると思うんだけれど。
日傘の女性は、驚いた。そりゃあ驚くな、と二人が思っていたときだ。日傘の女性は、こんなことを言ったのだ。
「あら。おかしいですわね。私には……元気に張り上げられる、貴方達の子供の声が聞こえるというのに……」
驚き、目を開く二人。日傘の女性は、その様子に気付いているのかいないのか、彼女のおなかに手を当てて……「ほら。聞こえますわ。元気な子供の声」と言ったのだって。
もちろん、男性は激昂した。いい加減なことを言うなと、本気で怒ったんだ。
彼女は、怒るのでもなく、悲しむのでもなく……ただ、寂しそうにしていた。本当ならいいのに、と呟いていたのだった。
結局、その日傘の女性とは喧嘩別れみたいな感じで別れた。名前も聞かなかったのは、後で失礼だったなと思いつつも、どうしようもなかった。
・ ・ ・
そう。もう判ったでしょう?
彼女のおなかに、子供が宿るのよ。
・ ・ ・
日傘の女性と会った数週間後。彼女が体調を崩した。
病院に診察にいくと、医者が驚いているではないか。男性は、何か酷い病気でも患ったのかと医者に問い詰めた。
そこで医者が、おめでたです、と口にする。
二人は、最初はその言葉が理解できなかった。そして理解できたとき……泣いた、んだって。
・ ・ ・
「っで、生まれたのが私よ」
「ふーん。なんか無駄にドラマチックね、メリーの出生って」
蓮子はそういって、さっきまできらきらさせていた瞳をつまらなさそうに閉じた。
憎らしいことに、「本当に、三文小説みたいな結末ね」なんて呟いているし。話せ、っていったのは蓮子なのに。
「そういうなら、蓮子はどうなのよ? 私のを三文小説、っていうくらいなんだから」
「ああ私? ダメダメ、小説にすらなりゃしない。いうなれば小説というより俗説ね」
「俗説って何よ……」
「ありふれているってことよ。普通の男が普通の女と出会って恋に落ちました。結ばれました。そして私が生まれました」
「大抵の人間はそれで出生を表せるわね」
「ま、そういうことよ。普通すぎて面白いとかそういう次元のものじゃあないわ」
「普通×普通でこんな変な子は生まれないと思うわ。個人的に」
「ああ、ありがとう。最高の褒め言葉よメリー」
全く、何を言っても無駄なんだから。こういうのを、蓮子の国の言葉で「暖簾に腕押し」とかいうのだっけ?
蓮子は、調子っぱずれの鼻歌を歌いながら、ペンを指の間でくるくる回してる。もう通常モードに移行したらしい。切り替えの早いことだ。
これでこの話題は終わりかな、と私が自分のデスクに向かい合った瞬間、見計らったかのようなタイミングで蓮子がこっちを向いた。
「ところで」
「何? 蓮子」
「その、日傘の女性ってのは結局なんだったんだろね」
「さあ……両親が後日に会いに行ったときは、そんな特徴の人は住んでいない、って言われたらしいわ」
「ふーん、いるはずの人がいない、ってわけね。何だか面白そうじゃない?」
「……別に。皆が忘れてて、その人は引っ越しただけかもしれないわよ?」
「いやいやメリーさん。私の勘はこう言ってる訳ですよ……これはつまり」
「神隠し、とでも言いたいの? 馬鹿馬鹿しい。ちなみにその辺りは境界の裂け目なんてなかったわよ」
しまった。つい失言をしてしまった。
横目で蓮子のほうを見ると、蓮子はニヤニヤと笑っている。
……全く。蓮子のこの顔を見ることが無いように細心の注意を払っていたというのに。油断してしまった。
「見に行ったのね、メリー」
「悪い?」
「いやいや悪くはないよ。うん、活動が早くて素敵だなーって」
変にニヤニヤしている蓮子は苦手だ。
このときの蓮子は、行動力が二倍増しになるから。
そして私は、巻き込まれていってしまうから。
「っじゃ、次の活動でも考えようか」
「はいはい、もう好きになさい」
はあ、と溜息をついて。
あの場所の不思議な感じを思い出した。
境目はなかったけれど。何か、異質だったあの場所。
そう。境目なんて綺麗なものじゃなくて……何もかもが曖昧になってしまうような……そんな場所だった。
きっと、私以外の人間は、あそこに行ってしまったら、何もかもが境界を無くされてしまうんじゃないだろうか。
それこそ。子供が産めない、という境界を無くして、産めるようになってしまうかのように。
・ ・ ・ ・ ・
「ねんねんころりよおころりよ~」
「なんですか紫様。いきなり子守唄なんて歌いだして」
「別になんでもないわ。ただ、間接的な我が子に捧げようかと思ったのよ。唐突にね」
「はあ……よく判らないですがまあいいです」
「貴女に判るわけないわ。子供がいないんですもの」
「いるわけがないでしょう」
「ふふ……あの子は、元気かしらね。ひょこり、と顔を出したら驚くかしら……」
詳しいことは知らない。だがしかし、子供を身体に宿すことが出来ない、ということだけはわかっていたという。
彼女は、魅力的な女性だった。波打つ御髪、整った目鼻立ち、聡明なる知性、朗らかな人柄――彼女を形容する言葉は、それこそプラスのものしか見当たらないほどに。
しかし。その「子供の産めない」事実は、彼女の傍から男性というものの影を一掃するのに充分だったのだろう。彼女には浮いた話の一つもなく、また彼女自身も生涯を一人身で過ごすのだろうな、とぼんやり考えていたのだという。
そこで。愚か者が現れる。
彼女は自身に降りかかったそれを指して、「三文恋愛小説のようだ」と評したという。
それは的を射ていた。だって、子供が出来ないというのに、彼女を「愛している」と宣言した男性。そんなもの、安っぽい恋愛小説でしかありえないだろう。
しかし、それは小説ではなく、また男性にとっては冗談などではありえなかった。
男性は、まさに身を粉にして彼女に愛を伝えていく。彼女は、何回も何回も、男性を説得しようとした。
それはまるで我慢比べのよう。それはまるで意地の張り合いのよう。……と、二人の知人は後に語ったという。
苛烈な愛は、実を結ぶ。実際のところ、言い寄られていい気がしないわけはない。
それでも。彼女は最後の最後まで、男性を説得しようとした。きっとそれは、男性のためだけではなく、自分のためでもあったのだろうと思う。
だって。愛する人との間に。
――その証が無いというのは、きっと辛いに違いないのだから。
・ ・ ・
さて。そこでさらに話は陳腐になっていく。
どういう風に? それはほら、奇跡ってやつ。こう言うと、本当に三文小説みたいだと思う。
・ ・ ・
結ばれた二人。幸せな日々が続くけれど、やはり、何かがかけていたのだとおもう。
彼女は男性を愛していたと思うし、男性だって彼女を愛していた。
けれど、人間ってのは勝手なもので、やっぱり「何か」が残らないと、気持ちは長く続かない。
二人は、ちょっと行き違って、上手く行かなくなっていったのだ。
でも。とある、初夏のちょっと日差しが強い日のことだった。
その日、二人は景色のいい……そうね、緑化公園とかそういうところかしら? に行った。
理由は二人にも良く判らず……まあ、天気も良かったのだから、細かいところはどうでもいいとおもっていたんでしょうね。
風は穏やかで、日差しもちょっと強いけれど、まあ我慢できる範囲で。
色々とささくれだっていた心も、きっと落ち着いていったのだとおもう。
そんな二人のもとに、日傘を差した女性が近づいてきた。
顔は良く見えなかったけれど、腰まで届く金髪はとても綺麗だった。要するに、美人さんだったわけだ。
その女性は、優雅に口元を笑みのカタチにして、「ごきげんよう」と挨拶をした。
二人は、この辺りの人かな、って思ったわけだ。その公園は、二人の住んでいた町からはちょっと遠い。今で言う、別荘地みたいなところにあったから。
もちろん二人は、にこやかに「こんにちは」と返した。男性も、彼女も、世間的にはちょっと度が過ぎるくらいにはいい人だったから、それは当然だ。
日傘の女性は、「二人とも、お似合いの夫婦だわ」と言って。二人はその言葉に照れる、なんてありがちな問答だってあった。
そんな感じで始まった談話。それでも、夫婦、という言葉からあの言葉が出ないわけがない。
日傘の女性が、「お子さんはいらっしゃらないのかしら?」と問いかけた瞬間。二人は目に見えて落ち込んだわけである。
地雷原ってことを知らずに、地雷を意識して避けるなんて不可能だから、そりゃあまあ仕方ないわけで。
二人は気を使わせてしまうかもしれない…とか思いながら、事情を説明するわけである。事情を説明するほうが、どっちかっていうと気を使っていると思うんだけれど。
日傘の女性は、驚いた。そりゃあ驚くな、と二人が思っていたときだ。日傘の女性は、こんなことを言ったのだ。
「あら。おかしいですわね。私には……元気に張り上げられる、貴方達の子供の声が聞こえるというのに……」
驚き、目を開く二人。日傘の女性は、その様子に気付いているのかいないのか、彼女のおなかに手を当てて……「ほら。聞こえますわ。元気な子供の声」と言ったのだって。
もちろん、男性は激昂した。いい加減なことを言うなと、本気で怒ったんだ。
彼女は、怒るのでもなく、悲しむのでもなく……ただ、寂しそうにしていた。本当ならいいのに、と呟いていたのだった。
結局、その日傘の女性とは喧嘩別れみたいな感じで別れた。名前も聞かなかったのは、後で失礼だったなと思いつつも、どうしようもなかった。
・ ・ ・
そう。もう判ったでしょう?
彼女のおなかに、子供が宿るのよ。
・ ・ ・
日傘の女性と会った数週間後。彼女が体調を崩した。
病院に診察にいくと、医者が驚いているではないか。男性は、何か酷い病気でも患ったのかと医者に問い詰めた。
そこで医者が、おめでたです、と口にする。
二人は、最初はその言葉が理解できなかった。そして理解できたとき……泣いた、んだって。
・ ・ ・
「っで、生まれたのが私よ」
「ふーん。なんか無駄にドラマチックね、メリーの出生って」
蓮子はそういって、さっきまできらきらさせていた瞳をつまらなさそうに閉じた。
憎らしいことに、「本当に、三文小説みたいな結末ね」なんて呟いているし。話せ、っていったのは蓮子なのに。
「そういうなら、蓮子はどうなのよ? 私のを三文小説、っていうくらいなんだから」
「ああ私? ダメダメ、小説にすらなりゃしない。いうなれば小説というより俗説ね」
「俗説って何よ……」
「ありふれているってことよ。普通の男が普通の女と出会って恋に落ちました。結ばれました。そして私が生まれました」
「大抵の人間はそれで出生を表せるわね」
「ま、そういうことよ。普通すぎて面白いとかそういう次元のものじゃあないわ」
「普通×普通でこんな変な子は生まれないと思うわ。個人的に」
「ああ、ありがとう。最高の褒め言葉よメリー」
全く、何を言っても無駄なんだから。こういうのを、蓮子の国の言葉で「暖簾に腕押し」とかいうのだっけ?
蓮子は、調子っぱずれの鼻歌を歌いながら、ペンを指の間でくるくる回してる。もう通常モードに移行したらしい。切り替えの早いことだ。
これでこの話題は終わりかな、と私が自分のデスクに向かい合った瞬間、見計らったかのようなタイミングで蓮子がこっちを向いた。
「ところで」
「何? 蓮子」
「その、日傘の女性ってのは結局なんだったんだろね」
「さあ……両親が後日に会いに行ったときは、そんな特徴の人は住んでいない、って言われたらしいわ」
「ふーん、いるはずの人がいない、ってわけね。何だか面白そうじゃない?」
「……別に。皆が忘れてて、その人は引っ越しただけかもしれないわよ?」
「いやいやメリーさん。私の勘はこう言ってる訳ですよ……これはつまり」
「神隠し、とでも言いたいの? 馬鹿馬鹿しい。ちなみにその辺りは境界の裂け目なんてなかったわよ」
しまった。つい失言をしてしまった。
横目で蓮子のほうを見ると、蓮子はニヤニヤと笑っている。
……全く。蓮子のこの顔を見ることが無いように細心の注意を払っていたというのに。油断してしまった。
「見に行ったのね、メリー」
「悪い?」
「いやいや悪くはないよ。うん、活動が早くて素敵だなーって」
変にニヤニヤしている蓮子は苦手だ。
このときの蓮子は、行動力が二倍増しになるから。
そして私は、巻き込まれていってしまうから。
「っじゃ、次の活動でも考えようか」
「はいはい、もう好きになさい」
はあ、と溜息をついて。
あの場所の不思議な感じを思い出した。
境目はなかったけれど。何か、異質だったあの場所。
そう。境目なんて綺麗なものじゃなくて……何もかもが曖昧になってしまうような……そんな場所だった。
きっと、私以外の人間は、あそこに行ってしまったら、何もかもが境界を無くされてしまうんじゃないだろうか。
それこそ。子供が産めない、という境界を無くして、産めるようになってしまうかのように。
・ ・ ・ ・ ・
「ねんねんころりよおころりよ~」
「なんですか紫様。いきなり子守唄なんて歌いだして」
「別になんでもないわ。ただ、間接的な我が子に捧げようかと思ったのよ。唐突にね」
「はあ……よく判らないですがまあいいです」
「貴女に判るわけないわ。子供がいないんですもの」
「いるわけがないでしょう」
「ふふ……あの子は、元気かしらね。ひょこり、と顔を出したら驚くかしら……」
やられましたー。
むむぅ、おもしろかったです。