Coolier - 新生・東方創想話

妖怪の宴、祭の異

2016/01/08 22:04:18
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 ―開幕―
 ―二幕―
 ―三幕―
 ―四幕―
 ―五幕―
 ―六幕―
 ―七幕―
 ―八幕―
 ―九幕―
 ―十幕―
 ―十一幕―
 ―十二幕―
 ―終幕―







 ―開幕―


「最近、何か事件とか起きませんかねー。もう毎日平和で平和で。あまりの退屈で頭がぼけちゃいそうですよ」
「起きないのも平和でいいんじゃないの。
 っていうか、あんたの脳みそなんて、普段からすっからかんなんだからボケようがないでしょ」
「新聞記者が平和を望むようになったらおしまいだと思うんですが。
 あと、そこまで言われるほど物忘れはひどくないですよ」
「あっそ。
 わたしは、ほら。ちゃんと、それ以外で記事作ってるし」
「あーっ!
 紅魔館の新しい記事! いつ、そんなの取材したんですか! ずるい!」
「しーらないっ。
 わたしは紅魔館の広報担当だもの。あんたなんかよりも、優先的にネタを回してもらってるだけよ」
「いいなーいいなー!」
 大きな大きな木の上で、今日もかしましく騒ぐ鴉が二人。
 そろそろ季節も寒くなる頃合だというのに、上に上着を一枚増やしただけの射命丸文と、『女の子に冷えは大敵』とマフラーにストッキング、さらに上着を長袖に替えて一枚増やし、露出度が激減した姫海棠はたてである。
 わいわい騒ぐその二人の頭上では、共に彼女たちの使い魔であるかーくん達が、
『相変わらず、この人たちはやかましいね』
『まぁ、文さまとはたて様ですからね』
 という、ちょっと達観した会話をしている。
「ええい、こうなったら、また何か事件を起こして取材をするしかないですね」
「自分で事件を起こして、それを取材とか。
 あんた、本当にゴシップ記者としての才能があるわね」
「ちっちっち。
 はたてさん、それは考えが浅いというものです。
 私は何も、自分が主役となって事件を起こす、とは一言も言っていません。
 誰かをたきつけて行動を起こさせるかもしれませんけれど」
「そういうのを『煽動』っていうのよ」
 これだからあんたは性格が悪い、とはたては文の頭を一発張り倒した。
 悲鳴を上げてうずくまる文の頭の上でため息をつき、「天狗のイメージ低下に、あんたは絶対に一役買っている」と彼女。
「あ、ちょっと。どこ行くんですか」
「そろそろ帰るのよ。
 幸い、あんたと違って、わたしは新しいネタを一つゲットしているの。
 これを記事にすれば、またわたしの新聞が、あんたの新聞と差をつけちゃいそうね~。じゃーあね~」
「くっ! こうしてはいられない!
 君! 我々も取材に行きますよ!」
『ついさっき、何もネタがないって呻いてたじゃないですか……』
「ないなら探すまで!
 何なら、人里の、四丁目の曲がり角のコサックじいさんの記事を書いてもいいわ!」
『誰ですかそれ』
「日がな一日、コサックダンスを踊ることを信条としていたら、今年、100歳を迎えるというのに足腰ぴんぴん、若さばりばりのおじいさんのことですよ」
『それ逆にネタになりますよ』
 かーくんの頭の中では、『これが若さの秘訣! 今、幻想郷でコサックダンスが大ブーム!   か?』という見出しが即座に浮かび、一番最後の『か?』だけが不自然に折り曲げられた見出しになっている紙面がレイアウトされる。
 大方、文の考えているのも似たようなものとなることだろう。
 この主人、新聞記者としての能力は、まぁ、正直に言って決して高くないどころか下手したらデマ拡散のスピーカーとしてしかならない程度なのだが、問題は、その後者を生み出す能力がやたらと高いことだ。
「さあ――!」
 はたてに遅れまいと、文が枝を蹴って飛び上が――ろうとした時である。
「文さん。ちょっといいですか」
 後ろから声がかかる。
 きききーっ、と急ブレーキをかけた文は、そのまま、重力の法則にしたがって地面に向かって墜落しそうになり、慌てて両手ばたばたさせて地面への激突を回避した。
「危ないじゃないですか!」
「いやあなた羽使えばいいじゃないですか」
 声をかけた人物――犬走椛の抗議は、至極、もっともであった。
 その背中に生えている立派な羽は飾り物か、といわんばかりだ。
 しかし、文も鴉天狗――かつては『烏』であった妖怪。烏の『腕』は翼なのだ。昔、染み付いた『癖』は妖怪となっても失せることはないのである。
「それで、何ですか。
 ひょっとして、ろくでもないことで声をかけたとか。
 もしそうなら、私は明日から四六時中、椛さんに付きまとい、あなたのプライベートを赤裸々に描いた『文々。新聞~椛特集号~』を作りますよ」
「全力でぶった斬っていいですか、この人」
『さすがに文さまでも脳天から真っ向唐竹割食らったら死ぬと思うのでやめた方がいいと思います』
 むしろそっちもいいネタになる、とカメラを構える文の顔面に、とりあえず、手にした剣の柄を叩き込む椛。
 激痛にのた打ち回る彼女を見下ろし、はぁ、とため息をついた後、
「山の天狗、河童、その他妖怪全てに招集がかかっていますよ」
 と彼女は言う。
 文は、何とかかんとか立ち上がると「招集?」と鸚鵡返しにたずねた。
「何かあったんですか」
「さあ」
「さあ、って」
「何かあったかわからないままに、こういう重大な指示が下るのって、特に鴉天狗の業界じゃ普通だと思っていたのですけど」
「椛さんのところは、上の人がものすごくしっかりしてますよね」
「いい上司です」
「うちはただのスケベ爺です」
 ちなみに椛は、その上司のことを心から信頼し、また尊敬しているのだ、ということを言うと、『鴉天狗ってのは大変ですね』な目で文を一瞥した。
 色々見下される感すさまじかったが、事実なので、文も黙ってそれを受け入れる。
 ブラックな業界とホワイトな業界の違いが、そこに明確にあったという。
「急いだ方がいいですよ。何せ正装必須だそうで」
「めんどくさいなー。
 一体、今度は何を企んでいるのやら」
「上の人たちが考えることはわかりませんよね。
 この前なんて、『天狗のみんなで遠足に行こう』とかいう話題で鴉天狗が招集されたと聞きましたけど」
「一人の大天狗さまのお孫さんが、『おじいちゃん、どこそこに行きたい』と言ったのが発端でしたね。
 あの人はじじバカなので」
「ちなみに文さんは、その時どうしたんですか」
「別に。時間もあったし、その子とはちょっと顔見知りだったので参加しましたよ。
 おかげで査定も上がったし」
「そういうところはちゃっかりしてますね」
「この業界、上に取り入るのが重要ですから」
 やれやれ、と肩をすくめて文は足下を蹴る。
「いきましょ」
「そうですね」
 はてさて何があるのか、と二人、顔を見合わせる。
 当然、考えることにろくなものは思い浮かばない。
 どうせ、めんどくさいことがあるのだろうなぁ、と考えると気が重いのか、ため息を一つ、ついてしまう二人だった。

 妖怪の山、と呼ばれる地域がある。
 この、『結界』と呼ばれる面倒な界で区切られた、狭苦しい世界の一地方と言えるくらいの広大なエリアがそれだ。
 麓に生い茂る森林からその地域は始まり、連綿と続く背の高い山脈をいくつも有するその空間は、まさしく妖怪たちの天下である。
 この世界に住まう人間たちは、『あそこは魔の山だ。近づいちゃなんねぇ』と、誰一人、そこに足を運ぼうとしない。
 唯一、足を運ぶのは、山をよく知る猟師たちくらいなものだが、これも、熊のような体格の、腕っ節に自信のあるものくらいしか山に登ってくることはない。
 まさしくそんな地域であるからして、この世界――誰が名づけたか知らないが、『幻想郷』――に住まう、大勢の妖怪たちが喜んで暮らしている場所となっている。
 彼らは人に交わらず、人は彼らに交わらない。
 夜に生きるものと昼に生きるものが交わる境目に、喜んで足を踏み込むものなど、両者共に、そうはいない。
 そうしたことを好むのは、よほどの命知らずか――。

「文、こっちこっち」
 かけられる声と手招きを受けて、彼女はその空間を進んでいく。
 巨大に連なる連峰の一角、山の中腹に、その斜面をくりぬいて作られた巨大な空間が、山に住まう妖怪どもの『集会所』である。
 そこにずらっと並ぶ妖怪たち。
 文がその種族とする天狗は、山のみならず幻想郷でもトップクラスの実力と勢力を持つ妖怪であるためか、並ぶ列も前の方である。
「何かあったんですか」
「知らない。あたしは呼ばれたから来ただけ。
 あー、せっかく、昨日から作ってた豚の角煮が美味しく出来上がりそうだったのに」
「帰ったらまた作ればいいじゃないですか」
「わかってない。あんた、本当にわかってないわね。女のくせに料理しないからよ。
 あーいう煮込み料理はね、出来上がるベストの時間ってものがあるの。鍋から取り出したり、火から外したりしたら、全部台無しよ。もう」
 とほっぺた膨らませる同僚の天狗に怒られて、『いやぁ。すいません』と頭をかく文。
 ちなみに彼女、料理は先のセリフにあった通りからっきしであり、ほったらかしておくと缶詰か何らかの携帯食、保存食しか食べないという有様だ。
「あ、はたてさん」
「あんた遅い」
「はたてさんも来てたんですか」
「来ないわけにはいかないでしょ」
「ねー、はたて。聞いてよ。
 この鳥頭、一体いつになったら料理を覚えるのよ。あんた、ちゃんと仕込んでるの?」
「仕込んでるよ。覚えようとしないだけで」
「料理なんて、美味しい料理が作れる人をお嫁さんに迎えればいいだけですし。
 あ、はたてさん、私のところにお嫁さんに来ませんか?」
「絶対お断り」
 べしっ、とおでこひっぱたかれて、文は情けない悲鳴を上げる。
 文たちの隣の列に並んでいたはたてと、文を呼んだ彼女との料理話がしばらく繰り広げられる。
 彼女たちにそぐわず、集会所はざわざわという音に満ちている。
 誰一人、前の方で事務方の連中が発している『静かに並んで待っていてくださーい』という指示には従わない。
 この集会所の前方、一段高くなった段の上で椅子を与えられ、それに座している、各勢力の長どもからして、『なあ、じいさんや。今度の囲碁の勝負はいつにする?』『ううむ、お主は強いからのぅ。もう少し、わしに練習する時間を与えてくれ』だの『じいさん、この前、ばあさんとケンカしたそうじゃないか』『あれは奴が悪いのだ。わしは悪くない!』とざわついているのだから、全く、事務方というのも報われない職業だ。
「……にしても、一体……」
 女二人のかしましい会話には加わらないようにして(と言うか、聞こえないふりをして)あたりを見渡す文。
 そういえば、こんなにたくさんの妖怪が一同に集められているのは久々だなぁ、と思う。
 何せ、この妖怪の山における力……というか、ランク付けは、自分たち、天狗が一番なのだ。
 自分たちの決定が山の意思に反映されるのだから、言ってしまえば『それ以下の連中』を呼ぶ必要などないのである。
 にも拘わらず、今日はどうだ。
 今まで見たことのない、どう見ても妖になりたてのちびすけまでが呼ばれている。
 これはよっぽど、何かめんどくさいことがあったのだろうと考える。
「じゃあ……」
 ――と、そこで、唐突に段上のお偉方たちが『一同、静粛にせよ!』と大音声を張り上げた。
 広い空間全てを圧して響き渡る、その声の圧力は、普段は『スケベじじい』と揶揄されていてもさすがの一言である。
 一瞬で、ざわついていた空間はしんと静かになる。
 そこに、なんとも軽い声が響き渡る。
「何だ何だ、暑苦しい。こんなに人を集めろと、誰が言ったのだ」
「ああ、いえ……その、『全ての勢力の連中を集めよ』とのご指示でしたので……」
「常識的な数も数えられないのか、お前たちは。所詮、鴉天狗など鳥頭と言うことか」
 何ともむかつくセリフをさらりと吐く、どう見ても、年齢一桁の子供である。
 それが壇の向こう、奥に続くほら穴から出てきた。
 その人物を目にして、辺りでざわざわと声が上がる。
「やれやれ」
 その子供――年端の行かない少女にしか見えない――が、壇の上の、これまた一段高いところへと登った。
 その口元ににんまりと笑みを浮かべて、言う。
「まぁ、よい。
 余の余興に付き合ってくれるというのならば、それを歓迎せぬ理由もあるまい。
 心して聞け、化生ども。
 余の――この、天魔の話をな」

「……え? 嘘、マジ?」
 誰かの呟きが聞こえる。
 ぽかんと間抜けに口を開けているもの達、目を見張り、慌てて平伏しようとするもの達、はたまた、いけ好かない相手を見る目でそれを見つめ……しかし、言葉など発することも出来ぬもの達。反応は様々だ。

「今日、余がお前たちをここに集めたのは、言うまでもない。
 最近の幻想郷は退屈だ。何もない。毎日毎日、アホみたいに騒いで寝るだけだ。
 毎日、何も変わらないから、退屈になる。
 ならば、何かを変えてしまえば退屈ではなくなる。簡単なことだ。
 故に、余はお前たちに命じる。簡単な指示だ。よく聞け。
 余に従う化生ども、余の手となり足となり動くがいい。余の命を聞き、余のためだけを考えて生きるがいい。
 さすれば、余はお前たちを生かしておいてやろう」

「あの幼女、ほんと、まともな話し方できないのかしら」
 隣ではたてが文句をつぶやくのが聞こえた。
 いらいらした……と言うよりは、悪さをする子供を叱る母親のような目で、彼女は天魔を見据えている。
 文は、『なるほど。はたてなら、そういう感情を持つのもわかる』と思わずうなずいてしまう。

「本題に入ろう。
 幻想郷というものが平和なのは、その平和を維持する連中がいるからだ。
 そいつらは強い力を持った人間だったり妖だったり、まぁ、様々だと聞く。
 面白そうだ。
 こいつらと真っ向からにらみ合ってみたいと、お前たちは思わないか?」

 一同を睥睨するように視線を動かし、天魔は笑う。

「余が伝えるのはたった一つ。
 この幻想郷に戦を起こす」

 その一言で、慌てて、弾かれたように立ち上がって目をむくのが、段上のお偉方たちである。

「天魔さま、それは一体!?」
「なぜそのようなことを!? それでは、この世界の律に対して背くことになりますぞ!」
「今一度、お考え直しください!」

「黙れぃ! この雑魚どもが!」

 全員、声を失った。
 子供の放つ、甲高いトーンの声に圧されて、誰一人、言葉を発することが出来なくなった。
 天魔は自分に意見をしてきた一人を見据えて尋ねる。

「なぁ、天狗よ。お前はいつから余に進言できるほど偉くなったのだ?
 お前もそうだ。いつから、余の前で立ち上がり、生意気なことを言えるようになったのだ?
 身の程をわきまえろよ」

 その一言で、全員、その場に平伏である。
 見てて無様と言う外ないが、そうせざるを得ない理由もある。
 彼らの行動を非難するものなど、誰一人、出ないことだろう。
 天魔は彼らの態度を見て満足したのか、またゆっくりと、その視線をその空間全部へと向けてくる。

「なぁに、大それた事をやろうとするのではない。
 余は、ただ、退屈を持て余しているだけなのだ。遊びたいだけなのだ。だから、戦を起こす。
 戦といっても戯れよ。子供の遊び、児戯に等しい戯事よ。
 確か、この世界では、力のあるものが、こうしたお遊びをすることを『異変』と評するのであったな?」
「はい。その通りです」

 彼女の隣に佇む、鋭い眼差しと凛とした態度の女性の妖が返した。
 あれは確か、事務方の天狗のトップに属するものだったか。
 とにかく融通の利かない頑固な奴で、しかし、それ故に仕事は完璧にこなすキャリアウーマンだ。その堂々とした態度は、土下座しているじじい共と比べると、どちらが上の立場のものかわからないほどだ。
 その返事はとても満足のいくものだったのか、天魔は何度も何度もうなずいて、にんまりと笑う。
 子供の笑みだ。
 あれは、『これ以上ないほど、素晴らしい悪巧みを考えた悪ガキ』の顔だ。

「ならば、余は異変を起こす。
 この世界のバランスを、ほんのちょびっと狂わせるだけの異変だ。すぐに解決されるだろうし、すぐに終わりを告げるだろう。
 なに、大したことではない。余は退屈なだけなのだ」

「し、しかし……恐れながら、天魔さま。
 天魔さまほどの妖怪がそのようなことをなさるのは、多くのもの達が黙ってはいないかと……」

「わかっておる、わかっておる。
 余はそのあたりも、しっかりと考えているぞ」

 彼女は唐突に、その場に『どうだ。すごいだろ』と真っ白な紙に絵を描いた何かを取り出した。
 妖怪の卓越した身体能力だから、この広い空間であろうとも、皆に伝わるそれを見て、誰かがつぶやいた。
「何、あのきったない字」

「まず、この戦にはルールを決める。
 これは遊びだ。遊びには規律が必要だ。それを守らぬ、ずるっこはつまらぬからな。
 余も、しっかりとこれを守って大いに遊び、そして大いに戦おうと思う。
 お前たちにも、これの遵守を命じる。破ったものは……そうだな、山からの追放と……まぁ、あとはお前たちで適当に考えてくれ」

 その汚い文字とごちゃごちゃした絵を、何とかして自分たちにわかるようにとメモするお偉方達。
 彼らの涙ぐましい努力とは裏腹に、その場に集ったもの達の険悪な視線は、ますます強くなるばかりだ。

「余が戦を挑む相手は博麗の巫女だ。
 奴が、この幻想郷のバランスを調律する最重要人物である。ならば、これを討ち果たすことが出来れば、この世界のバランスは大いに崩れ、混乱が招かれることであろう。
 実に楽しそうだ。そして面白そうだ。
 このものと、この周囲以外には、決して手を出してはならぬ。
 これは絶対だ。ルールなどではない。余との決め事だ。
 たとえ意図せぬハプニングであったとしても、これを守らなかったものは、余が直々に此の世から消滅させてやる。
 ああ、もちろん、相手を殺すのもダメだ。これはあくまで遊びだ、本気の殺し合いではないのだ。
 戦には本気で努め、遊びにも本気で努めるからこそ、面白い」

 にんまりと、天魔は笑う。
 その天魔へと『お、恐れ多いのですが……』と、またお偉方の一人が進言する。

「うむ。何だ。申してみよ」
「……失礼ながら、天魔さま。
 このようなことを、幻想郷の、多くの力あるものが見過ごすはずはございませぬ。
 事に、博麗の巫女を直接攻撃対象とするなど以ての外。
 下手をせずとも、我ら、山の妖怪全てが幻想郷から追放されてしまいます。
 何卒、もう一度、お考え直しを……」
「ああ、それは大丈夫だ。
 ちゃんと先手は打ってあるぞ」

 余は賢いのだ、とえへんと胸を張る天魔。
 どう見ても子供が威張り散らしているようにしか見えないのだが、そこには一応、確固たる自信があるらしい。

「すでに、あれを取り巻く保護者や力のある妖怪、神、勢力全てに通達はしてある。
 その上で、誰も何も言ってこなかった。
 ということは、余が何をしようと余の好き勝手ということだ。
 何か疑問はあるか?」
「……いえ。そういうことでしたら」
「そうだろうそうだろう。わっはっは。
 よし、この場に集った化生どもよ。大いに余のために働き、己のために遊び、そして戦うがいい。
 星を挙げたものは……そうだな、女ならば余の側室としてやろう。男ならば、そこの大天狗どもに並ぶ地位に持ち上げてやる」

「誰があんたみたいなわがまま幼女の側室になるもんですか」
 はき捨てるようにつぶやくのははたてである。
 彼女、あのような『しつけのなってないお子様』が嫌いなのだ。

「後のことはお前たちに任せる。
 無論、余も動く。余の邪魔にならぬよう、そして、余の機嫌を損ねぬよう、しっかりと己の身分に努めよ。
 今回の遊びが終わったら、大いに歌い、遊び、そして酒を酌み交わそうではないか。
 ――以上!」

 とんと演壇から降りた天魔が去っていく。
 その姿が洞穴の向こうに消え、わざわざ、その近くまで近寄って耳を立てていた天狗の一人が『オーケーです!』と大きな○サインを作る。
 ――さあ、そこからが大変だ。
「ちょっと、どうするのよ。これ。
 博麗の巫女にけんかを売るとか、冗談じゃない。あたし、何言われても何もしないわ。これからおなか痛くなるから」
「天魔さまの命令は絶対……。
 しかし、此度のこれはさすがに……。上の方々はどう判断されるのだ」
「俺は別に構わないけどな。
 この前、あの巫女は山へケンカを売りにやってきた。あの時に歯がゆい思いをしたものもいただろう。
 これは、いい意趣返しとなる。
 なぁに、殺すわけではないのだ。少々の怪我をさせたところで何の問題があろうか」
「いや、ちょっと待て。貴様、あの霊夢ちゃんにケガをさせるといったな?
 ならば、『妖怪の山 博麗の巫女ファンクラブ』の我々を敵に回すということだ!」
「何だと、このロリコン野郎め!」
「愚かな! 少女を愛する心を理解できぬ痴れ者め!」
 ――何だかよくわからない言い争いも起きていたりするのだが、それはさておこう。
 段上に集まったお偉方は車座になり、あーでもないこーでもないと話し合いを始めてしまった。
 こうなると、一時間や二時間では、事態は進展しないだろう。
 それがわかっているのか、三々五々、散っていくもの達の姿も多い。それを止めるものもいないのだ。
 そして、文はというと――。

「あんた、面白そうなことが起きた、って顔、してる」
「あ、わかります?」
「わかる」

 天魔と同じく、近頃の『何もない』日常に飽き飽きしていた文は、心が浮かれていた。
 これは面白いことになってきた。何せ、あの『天魔』が直々に博麗の巫女にケンカを売るというのだ。
 どんな騒動が起きるのか、楽しみでならない。
 しかも、この騒ぎは博麗の巫女周囲でのみの閉じられたものとなる。
 かなりのおおごとになるのは間違いないが、それも結局は『閉じた世界』の出来事だ。
 これを知らぬもの達は、全てが終わった後、もたらされる情報にこぞって群がることだろう。
 それを提供するのが自分、となれば。

「もうやる気満々ですよ!」
「……はぁ」

 はたては大きなため息をつく。
 このバカをどうしてやろうという意識が見え見えである。

「こうしちゃいられない! 私、ちょっといってきます!」
「ちょっと、どこへ行くのよ!」
「霊夢さんのところへですよ」
「はぁ!?」
「今回の、天魔さまによる宣戦布告を伝えに行くんです。
 それで、あの人がどんな顔をするか、まずそれに興味がある。そこからどんなことが起きるのか、とても興味がある。
 それを間近に独占取材! これは、我が人生において一世一代の大チャンス!
 さあ、君も行きますよ!」
『あ、は、はい! 待ってください、文さま!』
「あ、こら! 文! ちょっと!
 ……あー、もう!」
 はたてはヒステリックな金切り声を上げて地面を蹴飛ばし、『文のバカたれー!』と怒鳴った。
 そんな声など何のその。集会所の外に飛び出した文は、まっすぐに博麗の巫女がいる場所――『博麗神社』へと向かって飛んでいく。
「ふっふっふ……。
 これはもう、絶対に面白くなる。これまでの異変なんて、きっと目じゃない大異変になる。
 新聞記者冥利に尽きる、この大問題!
 さあ、取材しまくるわよー!」
 やる気満々、精気に満ち満ちたこの主人を見て、かーくんすら大きなため息をつく。
 天狗って奴は、どうしてこういうのばっかりなんだろう。そして、それを統率する人たちも、どうしてまともな人がいないんだろう。と言うか、幻想郷って、まともな人はいないのかな。
 そんな風に考えるかーくんの視界に、ひとけのない、閑散とした神社が飛び込んでくるのは、まだ少し後のことである。


 ―二幕―


「季節は秋。
 豊穣の秋だとか言って、食べ物美味しくなる季節であっても、我が懐に吹くのは秋風ばかりなり……」
 何やら寂しいことをつぶやき、今日も空っぽの賽銭箱を眺める少女がいる。
 紅白めでたい衣装とは対照的に、今日も……というか、この季節も、この神社の財政は厳しいものだ。
 唯一、首元に巻いているマフラーだけが去年とは違う新しい装備な彼女、博麗霊夢は大きなため息をついて、
「……あ、落ち葉入ってるし」
 むなしさ満点のセリフと共に、賽銭箱の中に落ちている落ち葉を拾い上げた。
 赤々と色づいた落ち葉。これがお金に変わるなら、どんなにいいことかと乾いた笑いを浮かべると、さっさと境内の掃き掃除を再開する。
「焼き芋食べよう」
 人の来ない、寂れた神社には、参道一杯に落ち葉が積もっている。
 これらを集めれば、焼き芋の三人前でも四人前でも作れそうだ。
「……あとで里に営業にいこうかな。
 この時季だと、やっぱり、『色んな作物たくさん採れますように』の五穀豊穣の祈りが定番だし」
 そういう時くらいは奮発して……と言うか、張り切って頑張らないと、今年の冬は寒いものとなることだろう。
 よし決めた、と霊夢はやる気を出した、その時だ。
「どうもどうもー!」
 いきなり上空から声が降ってきた。
 霊夢は振り向かず、手にした竹箒の、柄の方を相手の顔面めがけて投げつける。
「あうちっ」
 がつん、という確かな手ごたえ。
 同時に、どすん、とその相手は地面に落下し、落ちてきた竹箒は霊夢の手の中へと収まる。
「帰れ」
「あいたたた……。いきなりひどいなぁ、霊夢さん。
 暴力はいけませんよ。まずは話し合いから」
「あんたらみたいな輩にはね、話し合いが通用しないでしょ。
 それに、うちらの話し合いは、すなわち実力行使なのよ」
 どこの過激派の思想なのかは知らないが、自慢げに言う霊夢に、さすがのその人物――文も顔を引きつらせる。
「あれ? あんた、いつもの服装と違うわね」
 そこで、霊夢は文の衣装に気づいたらしい。
 普段の『この寒い時期にそんな格好でうろつくな。見てるこっちが寒くなる』という衣装ではなく、どこか豪奢で、どこか不思議な天狗の正装に身を包む彼女を一瞥して、「何かあったの?」と霊夢は問いかける。
「ああ、いえ」
 ぱんぱんとほこりなどをほろってから立ち上がる文。
 そして、右手にペンを、左手にメモ帳を取り出した彼女は、開口一番、
「妖怪の山が、これから霊夢さんにケンカを売るらしいので、その独占取材をしようと思って駆けつけました」
 と、言った。
 しばし沈黙。
 霊夢は、今の文の言葉を何とか咀嚼し、飲み込み、理解すると、
「……は?」
 と眉をひそめる。
「だから、妖怪の山の全勢力が、これから霊夢さんにケンカを売りに来るんですよ」
「……ちょっと待って。何それ?
 以前の、早苗の時の意趣返し?」
「それはあんまり関係ないですね」
「じゃあ、あんたらとケンカをする理由がないじゃない。
 話し合いがどうとか言っておいて、いきなり実力行使?」
「いえいえ」
 文はペンの先を振りながら、『実はですね――』と話し始めた。
 先の一件、天魔の演説のことを。
「……妖怪の山の、一番偉い妖怪が、私にケンカを売ります、と」
「そう。
 それで、そいつに従うしかない私達は、必然的に、霊夢さんの敵になるわけです。
 まぁ、参加する人は限られるでしょうけどね。
 天魔さまの目が鋭いといっても、あの山の妖怪全てを把握しているわけではありませんから。
『そんなバカらしいことやってられるか』っていうのも大勢います」
「人望ないのね」
「あるわけないじゃないですか。
 あんな、わがままと自己中とはた迷惑が同居して服着て動いてるような生き物に」
 あんたがそれを言うか、と言ってやりたかったが、霊夢はそれをぐっと我慢した。
「だけどね、誰も逆らえないんですよ。あれにはね」
 ひょいと肩をすくめて、文の口元に笑みが浮かぶ。
「そう。あいつには誰も逆らえない。
 何でかわかります?」
「さあ」
「強いんですよ。とんでもなく」
 多分ですけど、と文。
「霊夢さんがこれまで戦った奴らの中でも別次元」
 霊夢は眉をひそめ、『そんな奴がいてたまるか』という顔をする。
 しかし、文はぱたぱたと手を振って、『世の中広いんですよ』といわんばかり。
 彼女はさらりと、事も無げに言う。
「あれは、笑いながら、片手一本で、妖怪の山の妖怪を皆殺しに出来るくらい強いんです」
 と、一言。
 その言葉、普段なら、『何を冗談言って』と霊夢は笑顔で文の顔面に肘鉄叩き込むくらいのことはしていただろう。
 しかし、今回は違う。
 文は笑いながらも、その瞳は真剣そのものだった。
 その瞳の奥に、わずかながら、畏怖の感情すら見える。
 こいつは、その『天魔』という妖怪が怖いのだ。この上なく。
「あれは想像を絶する化け物だ。誰もかなわない。
 普段はどうしようもないスケベ爺だけど、真っ向から戦ったら、私なんて相手にもならない大天狗連中ですら、おびえてひれ伏すしか出来ない奴だ。
 そんなのが束になってかかっても相手にならない。そんな化け物が、霊夢さんと戦うとかぬかしてる。
 ――これは楽しそうだ。そう思いません?」
「冗談やめてよね。
 私はのんびり過ごしたいの。一日中、ごろごろして暮らしたい。
 トラブルなんてあってたまるものですか。
 帰って、その天魔ってのに言いなさい。あんたのお遊びに付き合ってやる義理はない、って」
「あのわがまま幼女はそんなの納得しませんよ。
 子供って、ほら、遊びを邪魔するとかんしゃくを起こすでしょ。あいつがかんしゃくを起こしたりなんてしたら……さて、ね」
「レミリアじゃないんだから」
 はぁ、と霊夢はため息をついた。
 そして、『どうしろってのよ』と天を仰ぐ。
 何やらとんでもない事態が、自分の知らないところで始まってしまったらしい。それに自分は巻き込まれてしまったらしい。
 これは何て不幸なことだろう。自分が一体何をした。
 毎日平和に、怠惰に、ごろごろ怠けて過ごしていた罰だというのか。
「紫とかは何も言ってないの?」
「多分。
 天魔さまは、幻想郷の名のある連中に、すでに話をしたみたいですから」
「……ふぅん。
 ったく。ってことは、これも私の修行、とか何とか考えてるな。あいつ」
「スパルタですねぇ」
「それってさ、あっさり負けたふりしたらだめ?」
「余計暴れますよ。そんなことされたら」
「げー」
 これはもうどうしたものか。
 真っ向から、そんな化け物と殴り合いをしなくてはいけないのか。それ以外に選択肢がないのか。
 ため息ついて肩を落として、そして同時に、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。
 ――ふざけやがって。自分の好き勝手で人を巻き込んで、挙句、『ケンカを仕掛ける』とかバカにしてんのか。
「それ、こっちから殴りこみしてもいいわよね?」
「いいんじゃないですか? 大喜びで迎え撃ってくれるでしょうし、『ルールに従って遊ぶ』って言っていたから、弾幕勝負にも付き合ってくれると思いますよ」
「それならこっちでも勝てる可能性はあるか。
 よし、それならさっさと身支度整えて、山に向かって殴りこみね。
 あ、そうそう。文、今回の私はマジ本気なので、邪魔したら消し炭になるまで夢想封印ね」
「邪魔なんてしませんよ。
 私は、この事態を、面白おかしく外から観察して書き連ねるためにここに来たんですから」
 にんまり笑った文の視線が空の彼方に向いた。
 彼女は目を細くしてそれを見据えると、空へと舞い上がる。
「方針が決まったみたいですね。
 それじゃ、私はこれにて。もしかしたら、私も、霊夢さんと一戦交えるかもしれませんけれど、その際は手加減してくださいな」
「絶対やだ」
「ではでは。
 頑張って生き残ってくださいね」
 ウインクして、彼女は空の彼方へと向かって飛んでいく。
 その後ろ姿めがけて「やかましいわ! このバカ烏!」と霊夢は石ころ投げつける。
 そうして、一度、肩を落として――視線を鋭くして、顔を上げた。

 空の彼方に、黒い点が一つ、二つ、三つ、四つ。
 見る見るうちに近づいてきたそれが、わざわざ鳥居の前に舞い降りて、頭を下げて境内へと入ってくる。
 身なりと体格のいい四人の天狗。年齢は、人間でたとえるなら四十かその程度か。
「博麗の巫女とお見受けする。相違ないか」
「人違い。博麗の巫女は、もうずいぶん前にどっかふらりふらりと旅に出て行方不明」
「この人物画とそっくりのようだが」
「誰よ、それ描いたの」
 相手にせず、境内の掃き掃除に勤しむ霊夢は、かざされた紙に描かれた『博麗の巫女の人物画』を見て眉をひそめた。むかつくことに、これがまた結構……というか、そっくりであった。
「我々は、妖怪の山の天狗である。
 此度の来訪は、貴殿の身の安全の確保にある。我々と一緒に来てもらおう」
「……ん?」
 眉をひそめて、箒を動かす手を止める。
 先ほど、文から聞いた話とは違う内容を聞かされて、少しだけ、理解が追いつかない。どういう意味だ。それを視線で問いかける霊夢に、相手は居丈高に「答える必要はない」と返してくる。
「理由も聞かされずに『ついて来い』とか。
 あんたら、『知らない人についていっちゃいけません』ってお母さんに教育されてないの?」
「これが貴殿にとって、最も有意義な選択となる。
 断る場合は力ずくででも連れて行く」
「……何を考えているのか知らないけど」
 霊夢は手にした竹箒を後ろに放り投げて、相手のほうへと向き直る。
「まず、相手と相対したら、最初に行うのは話し合い。それが通じなければ実力行使、ってね」
 それを彼女からの宣戦布告と受け取ったのか、彼ら四人はそれぞれ散開し、霊夢を取り囲む。
「女の子一人相手に男が四人がかりとか。なっさけな」
「何とでも言うがいい」
 四人は彼女を囲むと、一斉に襲い掛かってくる。
 そのスピードと威圧感はさすがの一言。霊夢も思わず身を硬くする。
 しかし、彼女の反応は早い。
 相手が手にした武器を突き出すその瞬間、身をかがめ、斜め前方へと向かって飛ぶ。地面に手をついて一回転し、立ち上がる。
 後ろから迫る攻撃を、振り返ることをせずに回避すると、さらに前へ。
 相手と距離をとったのを確認してから振り返る。
 眼前に、一人が迫ってきている。
 振り下ろされる武器――角棒だ――を、彼女は半身に構えてよけると、さらに一歩、後ろに下がる。
「ちょこまかと!」
 左手側から回り込むように、一人が襲い掛かってくる。
 さらに、右手側からも、先の男が迫る。
 彼ら二人の攻撃を、彼女は身をかがめて回避する。頭上で響く、棒同士がぶつかり合う乾いた音。
 確実に、相手の行動が止まった瞬間を見逃さず、彼女は両手に持った札を相手に向かって投げつける。
 札は相手に張り付き、一瞬、光を放った後、ばんと音を立てて弾ける。
 相手が姿勢を崩した。
 その脇を走りぬけ、神社の本殿側に向かって逃げる。
「逃がすか!」
 いきなり吹きすさぶ、強烈な烈風。
 思わず足を止め、無意識に、両手で顔を覆う。
 次の瞬間、背後から鈍い衝撃が走る。
 吹っ飛ばされた彼女は地面を転がり、右手で石畳を叩いて立ち上がる。
「あいたたた……。
 もう! 男のくせに、女の子を殴るとかどういう了見よ!」
「戦に男も女もない! 痛い思いをしたくなければ、戦わないのが最良の選択肢よ!」
「弱いものいじめは反対するわ!」
 頭上から振り下ろされる一撃を辛うじてよけて、左側に向かって転がる。
 再び、地面を叩いて立ち上がり、右手から飛んでくる『風』を回避する。
 相手は天狗。風と共に生きる妖なだけはあり、手にした風扇一つで、彼らは風を自在に操る。そして、この風というやつ、目に見えないからうっとうしい。
「神社が壊れたら、請求書、あんたらに出しておくからね!」
 風の弾丸は、神社の手すりを砕き、建材を舞い上がらせる。
 相手の動きは素早く、先に霊夢の攻撃で体勢を崩したもの達も復帰し、霊夢に向かって襲い掛かってきている。
 前方、斜め前、後ろ、いずれの方向も遮られ、霊夢は舌打ちして左手側に飛んだ。
 それまで彼女が立っていた場所に、相手の攻撃が命中し、石畳が砕かれる。
「これも請求書!」
 手にした札を相手に投げつけ、反撃する。
 天狗たちはその攻撃を、あるいはよけ、あるいは撃墜して回避する。
 さすがといわざるを得ない身のこなしと素早い判断に、霊夢の動きが一瞬、止まる。
 そこを逃さず、相手の攻撃が、霊夢の右のわき腹にヒットした。
 勢いのまま、吹っ飛ばされて、彼女は地面に転がる。
「遊びでなく、戦となれば、人間など妖怪の足下にも及ばぬ。ましてや、我らは天狗だ。お前がいかに人間のうちで強かろうとも相手ではないわ」
 痛みにうずくまっていた霊夢が、足下をふらつかせながら立ち上がる。
 相手はほとんど無傷。対する彼女は、それなりのダメージを受けた状態。どちらが優勢であるかは一目瞭然だ。
 しかし、
「……そうやってさ、自惚れてる奴らって、どうしても詰めが甘くなるのよね」
「……何?」
「ここがどんな場所で、私がどんな奴か知ってるなら、勝利宣言なんてしてないで、とっとととどめを刺してるわ」
 彼女は一歩、後ろに下がる。
 そして、
「人間ってのはね、自分より強い相手と戦う時には頭を使う。
 そして、私は、搦め手が大好き。
 ついでに言えば、ここは博麗神社!」
 彼女が右手を開き、握ると、地面に光が走る。
 何事だと彼らがうろたえた瞬間、地面に走った光は五つの頂点を持った星の形をなし、刹那の間に彼ら四人を縛り付け、拘束する。
「何だと……!」
「結界術ってのは、自分より強い相手だろうと、問答無用で跪かせる術の一つ。
 境をもって界となす。それだけでも強力な術なのに、ここは清められた、私の『世界』。この中に入ってきた時点で、あんたらの負けは決まってたようなもんなのよ」
 彼女が地面を叩いた、その場所が光を放って星を形作っている。
 逃げながらも仕込みは忘れない、彼女の冷静な判断の勝利だった。
「さて、と。
 そんじゃ、痛めつけてくれたお礼はしないとね」
 にっこり笑う霊夢。
 星の結界は徐々に形を崩し、無数の『遊星』が宙へと浮かび上がる。
 その数は、さて、どれほどか。
 彼らが顔を青くした次の瞬間、笑顔の中に青筋浮かべた霊夢は『じゃーあね♪』と残酷な死刑宣告を放った。

「ったく。冗談じゃないわ」
 無数の遊星は流星へと化け、天狗四人を徹底的に打ちのめした。
 全員、元が何だったのかわからないくらい黒焦げのずたぼろになって、地面の上でぴくぴく痙攣している。
 さすがの天狗であろうとも、あそこまで容赦なく、徹底的にぶちのめされれば、しばしの間、復活するのは無理なようだ。
 その中でも、比較的軽傷……と言うか、話が出来そうな相手へと近づいて、彼女は「ちょっと」とその頭を足で小突く。
「色々聞きたいことがあるのよ。
 悪いんだけど、そのままで構わないから、こっちの質問に答えてちょうだい」
「……無茶言うな」
「口が動けば大丈夫」
 人間の癖に外道な奴め、とこの時、全身ずたぼろの彼は思ったという。
 ともあれ、彼女は相手を見下ろしながら、「何で私にケンカを売ってきたのよ」と問いかける。
 しばしの沈黙。
 霊夢は腕組みしていた腕を解くと、『やっぱり話すことはないか』と頭をかいた。
「まぁ、いいや。
 あんた達、全員、壊れたところを直したらとっとと山に帰りなさい。
 あ、次はもっと容赦ないことになるから、かかってくるならそのつもりで」
 話を聞けないならば仕方ない。
 彼女は軽く肩をすくめて、その場から立ち去ろうとする。
「……とりあえず、山に殴りこみかけに行くか。
 文はまともに会話しないだろうから、椛……はもっとダメね。はたてにするか。あいつは文よりずっと常識人だから、こっちとの会話にも……」
「余が答えてやろうか」
 唐突に、そんな、甲高い声が響いた。
 声のした方向――神社の本殿、その屋根の上へと視線を向ける。
「何、あんた」
 そこに、一人の子供が座っている。
 年のころは10にも満たないかもしれない。
 黒い髪の毛、浅黄色の衣装、ぱたぱたと足を揺らして、楽しそうに目を細めて座っている少女。
「て、天魔さま……!」
 その声に、先ほどまでぴくりとも動けなかったはずの天狗四人が全員復活し、その場に平伏する。
「……天魔?」
 改めて、その相手を見る。
 どこからどう見てもただの子供。強い力を持った妖怪に特有の、『やばそうな気配』もない。
 しかし、この彼らの態度はどうだ。
 額を地面にこすりつけ、全身を硬くしている。
 その背中に見えるのは恐れの感情。恐怖そのものだ。
「あの老いぼれどもめ。
 余の目から巫女を隠して、『巫女はただいま温泉に行っており、留守でございます』とでも言い訳するつもりだったのか。
 全く、小賢しい」
 彼女は、しかし、その声に不快の色を乗せていない。
 楽しそうに笑いながら、彼女はまっすぐ霊夢と、地面にひれ伏す天狗たちを見つめている。
「何、そんなに怖がる必要はない。
 余とて寛大な心を持った為政者よ。
 余も、余と同じようなことをぬかす痴れ者がいたら、『こいつが何かを起こす前に先手を打たなくては』と思うだろう。
 お前たちの主は、普通のことをしたまでだ」
「それを自覚してるくせに、何やらかすつもりでいるのよ」
「わはは。
 何、そんな大したことではないぞ。
 余は、今、退屈でな」
 その瞬間。

「お前と遊んでみたいだけなのだ」

 ずしん、と辺りの空気が重たくなった。
 気のせいではない。
 体がまるで動かない。
 地面に体を押さえつけられているかのように、頭の上から、巨大な滝が叩きつけてきているかのように、指先一本、動かすことが出来ない。

「確か……んー……あれはいつだったか。
 前も、こんなようなことをした覚えがある。あの時はとても楽しかった。思い出と言うものは、人間も妖怪も、いつまででも持っている。
 つまらぬものはさっさと忘れてしまうが、楽しかったことはいつまでも覚えているものよ」
 とん、と軽い音を立てて、彼女は地面に舞い降りる。
「失せろ。そして、老いぼれどもに伝えろ。
 余の言った事を誠実に守れ。そして、その上で、いくらでも知恵をこらし、策を巡らせよ、とな」
 がん、と彼女が石畳を蹴った瞬間、金縛りから解き放たれたかのように、天狗たちが上空に向かって一目散に逃げ出していった。
 鳥は足が速いなぁ、とけらけら笑っていた天魔が、霊夢に向き直る。
「お前に会うのは初めてか。
 以前、妖怪の山に来ていたそうだな? 話は聞いたことがある。
 なかなかの暴れっぷりで、山のもの達をきりきりまいさせたそうだが」
「……それが……なんだっての。
 その時にかかされた恥を殺ぐとか、そういうつもりかしら!?」
「怯えなくていい。
 余は別に、お前を殺そうとか、取って食おうとかは思っておらぬ。
 一緒に遊んでくれぬか? 余のような、かわいらしい女の子のお願いだぞ」
「こんな……!」
 霊夢は指を何とか折り曲げて、拳を作る。
 ちょっとでも気を抜けば震えが走って身動きできなくなりそうなのを必死にこらえながら、片手に札を握る。
「やばそうな子供がいてたまるものか!」
 宣言と共に、それを投げつける。
 札は天魔の体に張り付き、光を放って炸裂する。
 爆発と衝撃が、辺りの空気を粉砕する。
 金縛りを解かれた霊夢は後ろに下がり、その目を本気の眼差しに変えて、爆煙の向こうを見据えた。
「ふむ……。まぁ、こんなようなものか」
「そんなものが効くなんて思ってないわ。
 何よ。何しに来たの」
「だから最初に言っただろう。遊びに来た、とな。
 暇な時間を潰すには遊ぶのが一番だ。
 余は働くのが嫌い……と言うか、頭を使うことが嫌いでな。
 できることなら、年がら年中、遊んで暮らしたいのだが、回りがそれを許してくれぬ。
 だから退屈になる」
「ああ、そう。それは大迷惑。
 悪いんだけど、家に帰って……」
「帰るぞ。これはただの挨拶だ」
 その指先が霊夢を示す。
 直後、彼女の胴体を貫通するかのような、強烈な衝撃が走った。
 悲鳴すら上げられず、彼女は地面の上に膝を折る。
「余は手加減が苦手でな。
 しかし、手加減をしなければ、人間の体などたやすく木っ端微塵になってしまう。
 お前を壊さず、しかし、退屈にならぬ程度に己を制御するというのは大変なことだ」
 うずくまる彼女を見下ろし、手を腰に当てて、天魔はふんぞり返る。
 どうだ、自分は強いだろう。その意思表示だ。
「さて――」
 天魔は次の瞬間、大きく後ろに飛び上がり、神社の社殿へと飛び乗っていた。
 それから少し遅れて、無数の閃光と共に爆ぜる炎が、それまで天魔がいた場所を真っ青に焼き尽くす。
「不意打ちは感心せぬな」
 その声に、霊夢は痛みをこらえて自分の後ろを向く。
 やはり鳥居の向こう。そこに、見たことのある相手がいた。
「確かお前は、境界の妖怪の使いをやっている狐だったな」
「八雲藍と申します。以後、お見知りおきを」
「わっはっは。そういわずとも知っておる知っておる。
 余は物知らずであるが、智慧を多く持つものを侍らせている。奴らから、お前がどれほど『危ない妖怪』かという話は、訥々と聞かされた。
 海を渡った隣の大陸を、己の欲望がままに蹂躙し、焼き尽くし、たぶらかした傾国の美女よ。
 お前のような悪女っぷりも、演じるのは悪くない」
「天魔さま。今すぐ、この地より立ち去って頂けますか?
 さもなくば、その御身、青い炎が焼き尽くすこととなりますが」
「お前の実力は聞いている。お前一人で、あの山の天狗ども半数は焼き殺せるだろう。
 だが、余は、それよりもさらに強いぞ。
 指一本、動かすだけで、あんな小さな山脈など、この大地から消滅させられる」
「力比べに興味はございません。お立ち去りなさい」
「変な敬語は使うな。体がかゆくなる」
 笑いながらひょいひょいと体を動かし、とんと足下を蹴る天魔。
 大きく伸びをして、「これから楽しくなりそうだな」と宣言する。
「これより三日。
 余は準備を整える。その間に、博麗の巫女よ。余と戦うだけの用意をせよ。これは命令だ。出来ても出来なくても、まぁ、関係ないが、失うのが手足全部と目、耳、口の全てとなるか、五体満足かくらいの違いは出るぞ」
 にっと嗤った天魔の姿が、刹那の間に消えた。
 やれやれ、と藍が肩をすくめ、未だ、地面の上で身動きできない霊夢へと近寄る。
「大丈夫か?」
 首を左右に振る彼女。
 それも当然だとうなずき、藍は霊夢を抱きかかえると、
「紫さまがお待ちだ」
 そう言って、彼女を神社の母屋へと運んでいった。

「全く。一撃でやられるとは。情けない」
 母屋の中。普段、居間として使われている部屋に、そう言葉を放つ女の姿があった。
 いつもの導師服に身を包み、座布団の上に行儀よく正座し、勝手にお茶を淹れて飲んでいる彼女――八雲紫。
 その彼女を憎らしげに見つめながらも、声を発することも身動きすることも出来ない霊夢が、藍によって畳の上に寝かされる。
「藍、いつもの術」
「かしこまりました」
 藍が霊夢の隣に跪き、右手の服の袖をめくる。
 その指先が霊夢の腹をとんとつつき、一瞬だけ、金色の光を放つ。
「……あいててて」
 痛みは消え、その一瞬で、天魔から受けたダメージを癒してもらった霊夢が起き上がる。
「なかなかの腕前になったものね」
「人を壊す術は得意ですが、治す術は得意ではありません」
「壊すのも治すのも表裏一体。どちらかに突出しているなら、その術の裏側をめくれば同じことが出来るものです」
「精進いたします」
「お茶。あとお菓子」
「それくらい自分で用意してください」
「まあ、ひどい。
 こんなに主人をけなす式があるなんて」
 芝居じみた所作でよよよと泣き伏せた後、紫はとんと卓を叩く。
 すると、そこにぽんと熱々のお茶とあんこたっぷりのドラ焼きが現れた。
「食べなさい。疲れた時は甘いものがよく効くわ」
 霊夢は紫と共に卓につき、藍は少し下がって、部屋の隅に移動した。
 お茶を飲んでドラ焼きかじって、ふぅ、と霊夢は息をつく。
「どうだった?」
 紫が問いかける。
「何よ、あの化け物」
 その問いかけの意味など、聞く必要はない。
 先ほど遭遇した、『子供の皮をかぶった化け物』の感想を、霊夢は口にした。
「あれが妖怪の山を統率する妖怪。天魔。種族は不明。天魔という種族なのか、魔のものの種族なのか、それとも第一から第六まである天のいずれかを統べるが故の天魔なのか。
 まぁ、いずれにせよ、幻想郷にいる妖怪の中ではトップクラスの怪物ね」
「あんた、あいつと会ったことあるの?」
「あるわよ。
 いつも酒を飲まされるの。あれはあの見た目のくせに大酒飲みでね。
 樽酒一つ飲み干すくらいじゃないと満足しないものだから、宴会の途中からは、いつも隙間の向こうに酒を捨てるのが恒例だったわ。
 ああ、もったいない」
「あいつ、何なのよ」
「だから、天魔よ」
 もう一度、霊夢の問いかけに紫は答える。
 それが、さも当然であり、それ以外の答えなどないといわんばかりに。
「あれが何物なのかはわからない。
 幻想郷には出自がはっきりしない妖怪が多いけれど、あれもその中の一つ。
 わかるのは唯一つ。怪物じみた強さを持っているということ。
 ああ、あと、ものすごいわがままで自己中で、恐れるものはお目付け役のみというところもあったわね。よく悪さをして、おしりぺんぺんされて泣いているらしいわ」
「……子供か」
「子供よ」
 苦手なものは辛いものと苦いもの。特に薬や歯医者が大嫌い。一日中、何か悪さをすることは出来ないかと考え、それを実行に移して叱られる。夜は早くに寝てしまい、朝は朝早くから騒ぎ出す。あちこち飛んで歩くのが大好きで、一時間と椅子に座っていることが出来ない。勉強なんて以ての外。さっさと逃げ出そうとして、やっぱり叱られる。妖怪の山を統べる妖とはいえ、実際は何もせずに遊んでいるだけ。そして、その悪知恵で、辺りのものに迷惑をかけて嗤っている。
 ――そんな妖怪なのだという。
「あれはいずこかより、ある時、突然現れた。
 自分の居場所を探して郷を彷徨い、目をつけたところにいたもの全てを瞬く間に従えた。
 その実力はわからない。私も、あれと本気で戦ったことなどない。
 しかし、あれは強い。恐ろしく強い。笑いながら相手を殺せる。腕一つ、まともに動かすだけで、山の一つは軽く消し飛ぶ。
 そんな強さを持っているから、皆、奴を恐れてひれ伏すのみ。誰一人、まともに相対しようとしない。
 天魔とは、そういう存在なのよ」
「……ふぅん」
「かつても同じようなことを仕出かしたわ。
 あれは確か……遡ること、百か、二百か。まぁ、それくらい昔。
 やっぱり博麗神社にケンカを売ってきてね。その時の目的も、『戯れ』だったことを覚えている」
 あの当時、天魔は一人でここにやってきた。
 そして、当時の博麗の巫女に『お前が博麗の巫女か。ちょっと私とケンカしろ』と言ってきたのだという。
 当時の巫女は何を考えたのか。
 ただ笑っているだけの子供と思ったのか。いいや、そんなはずはない。隠そうとしても隠し切れない、圧倒的な『強者』としての気配を携える天魔に対して、『いいわよ。じゃあ、ちょっとだけ遊びましょう』などと言い出すはずがない。
「半日くらいか。
 あれの遊びに付き合った巫女は壊されてしまった。
 首と胴体が離れてしまえば、人間はもう動かない。
 天魔は何を思ったか。
 壊れてしまったそれを見つめて、『戦利品だ』と、巫女の首を抱えて山へと飛び去った。
 それからは、少なくとも、この神社や人間に対しては静かにしていたのだけど、また悪い癖が出てきたようね」
「……助けなかったんだ?」
「当たり前でしょ。私は面倒事が嫌いです」
 それに、巫女など壊れてしまっても、いくらでも代わりがいる。愚かな選択をした『不適格者』など必要ない。
 冷酷に当時の巫女を切り捨てた紫は、別の博麗の巫女を仕立て上げ、壊された神社を修繕し、そしていつも通りの日常を、翌日から送り始めた。
 天魔はそれから、何もしてこなかった。
 山のほうでどんな迷惑を展開していたかまでは、紫の知る由もない。
 しかし、彼女は山から出てこなかったのだ。
「それが、何で今更……。しかも、私の時に」
「あなた、早苗ちゃんの時に山に殴りこみにいったでしょう?
 それを彼女は見ていたのでしょう」
「……ああ、そんなこと言ってたか」
「それが余計なことになったか。あるいはきっかけとなったか。
『やあ、あの巫女は強そうだ。これなら、もっと、以前より楽しく遊べるかもしれない』。そう考えたのかもしれない」
「退屈だから遊びたいと言っていたわ」
「妖怪の遊び……というか、戯れなんて唐突なものよ。
 太陽がまぶしいから、とりあえず人を襲いました、と言っても誰も疑いはしない。
『そういう奴だ』としか思わない」
 人と妖は違うのだ、ということか。
 紫は湯飲みを傾けると、『お茶のお代わりはいる?』と視線で問いかけてきた。
 霊夢は空っぽの湯飲みを見下ろして、首を左右に振る。
「弾幕勝負を挑むにしても、あれに勝つのは至難の業ね。
 こちらのルールには嬉々として乗ってくるでしょうけど、元の実力がとにかく違いすぎる。
 一度の負けで、あなたの敗北は決まる。身動きできなくなるでしょうからね。
 あれの強さは、先の一件で、充分、わかったでしょうし」
「……そりゃそうだけど」
「まぁ、故に、こちらのルールの中で戦うしか選択肢はない。
 妖怪のルールで戦えば、あなたなど欠片も残らず粉微塵にされる。私だって、あなたを一瞬で殺すことなんて容易だもの。あれが出来ないはずがないわ」
「……」
「どうする?」
 沈黙し、うつむく霊夢に問いかける。
 かちこちと、時計の針の音が響き渡る。
 どれほど、その沈黙の時間が続いたのか。
「怖いかしら?」
「……別に」
「そう。それならいい」
 紫は一度、姿勢を正した。
 まっすぐに霊夢へと向き直った彼女は、霊夢のおとがいに手をかけて、顔を上げさせる。
「ならば、今より強くなれ」
「……」
「お前の巫女としての実力は完成されている。
 より強い力を求めているというならば、己の中の才を引き出せ。
 出来ぬとあらば死ぬだけだ。
 そして、そのような無様な巫女などいらぬ。我がこの場でくびり殺してくれようぞ」
 そのまま、紫の手が霊夢の首にかかる。
 細く、しなやかなその指に、ちょっとでも力がかかれば霊夢の首など簡単に胴体から取れてしまうだろう。
 妖怪の力とはそれほどのものなのだ。
 たとえ、他愛のない、幼い子供の妖怪だろうとも、人間も、動物も、あらゆるものを簡単に壊してしまえるくらいの強さを持っている。
 闇の中、夜の狭間に生きる、此の世の隠。それが妖怪。
 霊夢は紫の手に己の手を載せると、思いっきり、それを振り払った。
「うっさい、ばーか」
 その返答に満足したのか、紫はうなずき、そうして優しく微笑むと、
「じゃあ、修行ね」
 と楽しそうに言った。
 霊夢の顔は歪み『うげー』といわんばかりの表情でため息をつく。
「あのかしましい仙人の言葉を借りるわけではないけれど、神性を携えるもの、それを維持するために、毎日、一に修行、二に修行、三四がなくて五に修行、というくらいに頑張ってもらわないと」
 あなたがやる気になってくれて、お母さん、嬉しいわ、といわんばかりであった。
 後ろで藍が肩をすくめている。
 霊夢は頭をかくと、『まぁ、しょうがない』とつぶやいた。
「マジで、あいつと戦うなら、今より強くならないと殺される」
「そうね。
 少なくとも、以前の西行妖の時のように、この私に三人がかりでようやくという無様な醜態を晒した、あの程度ではどうやっても」
「あれは、途中で魔理沙と咲夜が勝手に割り込んできたんじゃない。
 私一人でだって勝てたわ」
「まあ、またそういうことを言う。
 どうして、あなたはお友達を大事にしないのかしら。
 人間、その価値がわかるのは、死んだときにどれだけ多くの友人が、あなたのために本気で泣いてくれるかにかかっているのよ?
 全く、どうしてこんな子に育ってしまったのか。私のしつけが悪かったのね」
「誰が誰に育てられたのよ、ったく」
 紫は、ぽん、と床を叩いた。
 すると、そこに暗い隙間が開き、中から小さな赤い珠が現れる。
「何これ?」
「修行用の空間を作る珠。
 常日頃、やる気を出した巫女用にストックしてあるの」
「それ、私のために用意してる、って言ってるようなもんよね」
「天性の才能にあぐらをかいているものは、努力をする凡人にも劣るから」
「ぐっ……」
 そう言われると言い返せない。
 この彼女、己の天賦の才能が故に、『修行なんてめんどくさい』と不真面目この上ないからだ。
 紫は、ぽいとその赤い珠を霊夢に手渡した。
 そして、それの使い方を伝授する。
 うなずいた霊夢は、はぁ、とため息をついた。
「……めんどくさい」
「三日後。勝負に勝てたら、美味しいご飯を作ってあげる。
 あと、お賽銭もがっつり、見物客からせしめておくわ」
「壊れる神社の修繕も、向こうに無料でやらせる形でよろしく」
「任せなさい」
 にっこり微笑む紫の笑みは、とかく、胡散臭い。
 信用するしかないとはいえ、どうしてこんな奴を信用せねばいけないのか、と霊夢は悩みの種は尽きない。
 ふと振り返ると、藍も同じような顔をしていた。
 この妖に、お互い、よく振り回されている。彼女とは、何となくだがうまくやっているのは、その辺りが共通しているからかもしれないな、と霊夢は思った。

 それから少し後。
 博麗神社の鳥居をくぐってやってくるもの達がいる。
 背の高い女が一人。まだ子供にしか見えないが、剣呑な雰囲気を携えたものが一人。
「わたし、こういう神域ってきらーい。
 妖怪にとって、清められた空気なんて毒にしかならないよ」
「我慢してください、ぬえ。あとでお菓子買ってあげますから」
「ほんと?
 じゃあ、ケーキたっぷりね! チョコとクリーム、あとフルーツ! 約束だよ、星!」
「二人とも、静かに。ここは神社です」
 命蓮寺と呼ばれる寺のもの達。住職である聖白蓮、御神体(と言う扱いを受けている)寅丸星、そして居候の封獣ぬえ。以上の三名である。
 彼女たちは鳥居をくぐって境内に入り、本殿に向かって礼を示してから、普段、足を運ぶ母屋へと向かった。
「ごめんください」
 がらがらと引き戸を引いて声を上げると、奥から藍がやってくる。
 彼女は三人を見て、特に驚く風もなく、『いらっしゃいませ』と頭を下げる。
「博麗霊夢さんはご在宅でしょうか?」
「こちらです」
「何か感じ悪い」
「こら、ぬえ」
 藍がすぐに背中を向けて歩いていく。
 頭の後ろで腕を組んで、ほっぺた膨らますぬえを、横から星がたしなめた。
 彼女たちは藍に案内されるまま、母屋の中、その居間へと向かう。
「あら、ごきげんよう」
「……」
 入ってすぐのところで、紫が卓について、何やら新聞らしきものを眺めていた。
 一同に気づいた彼女は振り返り、にこっと笑って、その視線を白蓮から星、ぬえへと順番に移していく。
「あの……これは……?」
「ああ」
 白蓮の視線の先、居間の一角に、霊夢がいる。
 しかし、その有様は、異様の一言だった。
 彼女は巨大な赤い珠の中に裸で浮いている。その様は、母親の胎内で眠る赤子のようだ。
 さらに、その周囲には何重もの『封』と書かれた文字が並ぶ縄のようなものが注連縄となって結界を張っている。
「これは修行の一環です」
「修行……ですか?」
「はい。
 精神修行、と申しましょうか。
 この子に足りない、巫女としての風格を引き出すための修行です」
「へぇ、何か面白そう。ちょっと邪魔してやろうかな」
「こら、ぬえ。やめ……!」
「うわっち!?」
 その霊夢に近づこうとしたぬえの手に、いきなり、右手側から閃光が走って直撃する。
 ぬえは慌てて後ろに下がり、自分の掌に大穴が空いているのを見て、思わず目を見張る。
 視線を上げれば、いつの間にか、霊夢の周囲に赤と白の陰陽玉が舞い、ひゅんひゅんと風を切って飛びまわっている。
 そして、
「うわ、ちょ、こら、やめろー! あちちっ!」
「ぬえ、こっちに!」
「うわーん!」
 その陰陽玉は容赦なくぬえを攻撃しまくり、彼女の体のあちこちに大穴を空けるほどの攻撃を連射してくる。
 ぬえは泣きながら星の後ろに隠れ、星が手に宝塔を構えて前を見る。
 陰陽玉は、ぬえが離れたことで行動をやめ、どこかへと消える。
「気をつけてくださいね。
 この結界は、あらゆるものの侵入を阻むと共に、近寄るものを攻撃する攻性防壁。近づけば、その姿も残らぬくらい粉々になるまで攻撃をやめませんから」
「そういうことは早めに言ってよ!」
「……確かに。
 ぬえならばともかく、私がそれに巻き込まれていたらと思うと、ぞっとします」
「これは失礼」
 体に穴が空こうが頭が切り落とされようが、死んでなければどうにかなるのが妖怪だ。
 しかし、人間はそうではない。
 いかな頑健な肉体と不老不死の生命を持ったとしても、粉みじんに粉砕されては生きることなど不可能。
 白蓮の乾いた声に、紫はころころと笑って返す。
「藍。お客様にお茶とお菓子を」
「はい」
「その、足下の線からそちら側に入らなければ攻撃してきませんから。
 どうぞこちらへ」
「ぬえ、大丈夫ですか?」
「……一応、大丈夫だけどさ」
 すでに、体のあちこちに空いた穴はふさがったぬえはふてくされた顔で紫をにらむ。
 星は紫にぺこぺこ頭を下げて、とりあえず、結界に一番近いところに腰を下ろした。
 四人が卓を囲むところで、藍がやってきて、それぞれにお茶とお菓子を置いていく。
「あ、このもなか、わたしの好きな奴だ。ラッキー。いただきまーす」
 そして、先ほどまでほっぺたぱんぱんに膨らませていたぬえは、美味しいお菓子の登場にころっと顔を笑顔に変えてご満悦。子供と言うものは、全く、気持ちの切り替えの早い生き物である。
「このたびは、ようこそ。博麗神社へ」
「はい」
「何用ですか?」
「霊夢さんの護衛をしに参りました」
「それはそれは」
 白蓮は、先刻、命蓮寺へと天狗の一派がやってきたことを告げた。
 彼らは白蓮に、天魔の企みを知らせ、『痛い思いをしたくなければ関わるな』と警告して去っていった。
「とはいえ、霊夢さんにはご恩もございます。
 天魔と言う妖怪がどのような邪悪なものかはわかりませんが、彼女を『攻撃する』と宣言してきた相手です。よほどの悪なのでしょう。そして、わざわざ、このような警告までしてくるということは、よほどのことをなそうと考えている証拠です。
 ご恩のある方に、そのような大きな災いが降りかかるとならば、見て見ぬふりなどできません」
「なるほど」
「私たちがどれほどの役に立つかはわかりませんが、このような状態を見る限り、霊夢さんの周囲には危険が多く存在していると見て相違ない。ならば、この身を犠牲にしてでも、彼女を守ることが、私に課せられた役目だと考えます」
「聖は真面目って言うか、どっかずれてるよね。無視しとけばいいのにさー、って」
「こら、ぬえ」
「いえ、いいのです。星。
 私の考えを諌めてくれるのは、寺ではマミゾウさんとぬえくらいなもの。そうした冷静な指摘があるから、私は、己の道を歩んでいけるのです」
「だってさ。
 あ、じゃあ、そのお礼に、そのもなかちょーだい」
「いやです」
「……うー」
 ちぇっ、とそっぽを向いたぬえは、お茶をすすった後、畳の上に寝転がる。
 そして、どこから取り出したのか、『早苗に借りたんだ』と言って『げぇむ機』というおもちゃを取り出して遊びだした。
 やれやれ、とため息をついて、星が『申し訳ありません』と頭を下げる。
「いいえ、お構いなく。
 それにしては、人手が少ないようですが」
「他のもの達は里の警護に向かっています。
 あの天狗たちは、『此度の件、人里などには危害を加えぬ』とは言っていましたが、それもどれだけ信じられるかわかりません。
 そこで、戦力比を検討しながら、このような人選になりました」
「なるほど」
 人間でありながらその身を限りなく妖怪に近しいものへと変えた『超人』。
 毘沙門天と言う武門を司る『仏』の化身。
 日本の歴史に残る大妖の姿を持った『化け物』。
 ここにいる三人は、いずれも、その見た目に似合わぬ剣呑なもの達ばかり。
 なるほど、これだけの戦力があれば、天狗の十人や二十人程度ならばたやすくねじ伏せてくれるだろう。
 しかし、
「天魔がやってきた場合、あなた達では手助けにもならない」
 紫はお茶を飲みながら、霊夢に語って聞かせた『天魔の恐ろしさ』を語る。
 その話を聞いて、星は神妙な面持ちを浮かべ、反対にぬえは体を起こすと、げぇむ機は手放さないものの、目を輝かせて『楽しそうだ!』という顔を浮かべる。
 そして、
「たとえそうであろうとも、一分程度は食い下がってみせます」
 白蓮は、その決意を新たにする。
 彼女の瞳は断固たる決意に満ちており、『邪魔だから帰れ』と言っても聞かなさそうだ。
 元よりそれは承知の上であった紫は『そうですね』と笑うと立ち上がる。
「あれがこの地にやってくるまで、残り三日。
 その間に、可能な限り、我々がやるべきことは、天魔との『ゲーム』を盛り上げる立役者となるだけです」
「それってさ、何すればいいの?」
「天魔とまともに正面からぶつかれば、どのようなものであろうとも敗北は必至。
 ならば、この子が考え出した『ゲーム』のルールを徹底するしかないでしょう」
「はい」
「そのための準備を、この境内、そしてこの地一帯に施すのです。
 その上で、それを邪魔しようとするものは、あなた達が片付けてください」
「かしこまりました」
「やったね。
 どれくらいまでならやっていい?」
「相手が死なない程度」
「ちぇっ。それはつまらない」
 星が声のトーンを落とし、ぬえの顔をまっすぐ見据え、重たい声で言う。
 ぬえは肩をすくめると、また畳の上に寝転がってしまった。
 この子供は、この見た目と裏腹の『邪悪』の持ち主。きつく言い含めておかなくては、遊びの延長で相手を殺す。妖らしいといえばそれまでだが、命蓮寺に暮らすものとして、生き物の殺生はご法度なのだ。
「しかし、なぜ、わざわざ三日も。
 話を聞く限りでは、今日明日にでもやってくるかと思うような人格なのですが……」
「子供って、ほら、気持ちが急いている時と、遊びに対しては冷静に真剣になる時と、二つがありますでしょう?
 それが重なっているのではないでしょうか」
「……なるほど。
 深いお言葉です。私、子育てなどはしたことがないので、その辺りの感覚にはどうも疎くて」
「何でそこでわたしを見るのさ」
「いや、なんでもない」
「響子の方が子供じゃん」
 ぷっぷくぷー、とほっぺたを膨らますぬえは、誰がどこからどう見ても子供のそれであった。
 それはそれとして、白蓮は、『では、僭越ながら、お手伝いをさせて頂きます』と頭を深く下げる。
 紫もそれを受け入れると、「藍、そろそろご飯の支度をしましょう」と言った。
「では、橙も呼び寄せます」
「ええ。あの子もおなかをすかせている頃ね」
「ああ、でしたら、食事の用意は私が……」
「聖は座ってて」
「ええ、そうです。聖は座っていてください。私がやりますから」
「あ、わたしも手伝う」
「偉いですね、ぬえ。あとでお小遣いあげますからね」
「わーいやったー」
 何だか微妙に棒読みかつ焦っているような雰囲気かもし出して二人が立ち上がり、藍に『台所を借りますね』と言って歩いていく。
 残された白蓮は『……あら?』と首をかしげ、紫は「まぁ、この際ですから。お話でもいかがですか?」と微笑むのみ。
「聖に料理なんてさせらんないよ」
「決戦前の最後の晩餐にすら間に合わないかもしれませんからね」
「……あの、一体?」
「おなかすかせて倒れたくなかったら、聖にだけは料理させちゃダメ」
「素材の用意だけで一週間はかかりますから」
「……はい?」
 台所で忙しなく動き回る二人の真剣な眼差しを受けて、口をぽかんと開ける藍であった。


「魔法使いってやつは、色んなものに精通してないといけない。
 薬品、植物、動物、金属、毒物、劇物……ん? 毒物と劇物って同じか? ……まぁ、いいか。
 ともあれ、一杯だ。
 そういうものに詳しくなるためには、本を読んだり、人に話を聞いたりすることが重要だ。
 しかし、いいか。
 それよりもっと重要なものがある。
 それは、自分で体験することだ。様々な事象の発生と原因を突き止めるために、多くの知識を吸収する。それを知恵とする。
 そのために必要なのが、実験なのだ」

 そうして、魔法の森の一角にある、霧雨魔理沙邸は、その一階の半分くらいが此の世から消滅した。

「……げほっ」
 ぼこっと、崩れたものの下から這い出た、家の持ち主、霧雨魔理沙は真っ黒い煙を口から吐き出して首をかしげる。
「……何が悪かったんだろう」
 子供っぽさを残した顔も、ご自慢の金髪も、もちろん普段の衣装も煤で真っ黒けである。
 とりあえず、顔だけを、そばにあったタオルでごしごし拭くのだが、そのタオルも煤で汚れていたため余計にひどい有様になっている。
「あとで風呂入ろう」
 そして、吹っ飛んだ周囲一帯を見渡して、もう一度、首をかしげる。
「薬品の配合率は間違っていなかったはずなんだけど……。
 何がおかしかったのか」
 なぜかその一角だけ、これだけの爆発にも拘わらず無傷である、机と椅子の置かれた空間へと歩いていく。
 その机の上に広げられた本に視線を落として、内容を一字一句確認する。
 そして、彼女はぽんと手を打った。
「あ、薬品の配合比率間違えてる」
 それに書かれている文字は『1.0%』だった。彼女はそれを見間違えて『10%』で調合してしまったのだ。
 その結果がこの有様である。
 なるほど、理解すれば簡単だ。
 彼女は、次は同じ失敗をしないように、『.』をぐりぐりと赤いペンで大きく書いてから、よし、とうなずいた。
「材料は……よし、まだあるな。
 片付けはあとでも出来るからいいとして、もう一回……」
 部屋の片隅、ごちゃごちゃになっている一角から調合機材を引っ張り出して、それをセットしていく。
 しかし、液体を混ぜるために必要なフラスコにひびが入っているのを発見する。これでは使えないとそれを放り投げ、新たに引っ張り出したのは、ただのガラスのコップである。
「……ま、いいか。ガラスはガラスだし」
 使えるものは使うべしと、魔理沙はそれを実験器具にセットすると、用意していた液体を混ぜていく。
 液体は、最初の鮮やかな緑色から黄色、オレンジ、赤、紫、青、虹色まだら模様と、何だか物理法則無視した色の変化を繰り返す。
「で、あとは五分間、下から火で炙ればよし、と……。
 ……アルコールランプがないな。こいつでいいか」
 普段、大切に扱っているミニ八卦炉を取り出して、それの出力を調整。
 晴れて、簡単なアルコールランプの完成である。
 これの製作者がこの光景を見たら、眼鏡の位置をくいくいやりながらこめかみに青筋浮かべて説教してきそうである。
「よーし、それじゃ……」
 暇な時間を風呂で有意義に過ごそう、と踵を返そうとしたところで、彼女の視線は、爆発で吹っ飛んだ壁の向こうに向かう。
「おいおい、何だ。来客か?」
 風が吹いていた。
 風ならば、どこでも吹いて当たり前であるが、この風は違う。
 風が踊っているのだ。ある一角を中心に、ぐるぐると回転しているのである。
 魔理沙はそちらへと歩いていって、視線を周囲に向ける。
「おっ」
 彼女の瞳が、その人物を捉えた。
 空の上から舞い降りてくる一人の女。
 短い黒髪、きつい眼差し、シャープな顔立ち。なんというか、典型的な『融通の利かない頑固者』という感じがする。
 無論、魔理沙にとっては知らない人物だが、その相手が纏う衣装と雰囲気には覚えがあった。
「何だ、天狗じゃないか。
 こんなところにお前らがやってくるなんて珍しいね」
 彼女の方から先んじて声をかける。
 天狗は地面に舞い降りると、魔理沙と、そして、大穴の空いたその建物を一瞥する。
「……何してたの?」
「実験」
「……そ、そう」
「魔法使いのやる実験ってのは危険なんだ。
 ちょっと配合比率を間違えたりすると薬が爆発する」
「魔法使いと言うのは……何というか、発破解体とか、そういうのを生業にする業務だったのかしら?」
「多分、違うと思うんだが、あまり否定は出来ない」
 目の前の天狗は、何やら難しいものを見た……というか、不思議な現実に直面して、それを受け入れるのに苦労しているのか、ともあれ微妙な表情で眉をしかめた後、
「……霧雨魔理沙、間違っていない?」
「おう、そうだ」
 現実を受け入れたのか、はたまた逃避したのか。
 事務的な口調で魔理沙に本人確認を求めてくる。
 にかっと笑う魔理沙の姿は、顔が煤で汚れているところから、女の子というよりは腕白な少年のそれであった。
 彼女は、はぁ、とため息をつくと、
「あなた女の子でしょう。もう少し身だしなみに気をつけなさい」
 と、魔理沙に近寄って、その顔をハンカチで拭いてやる。
 やれやれ、とため息をついて、彼女はまた一度魔理沙から距離をとると、
「妖怪の山、最高権力者の天魔の命を伝えに来た」
「お前は……っていうか、そういう一部の堅物連中って、ある意味、尊敬するわ。ほんと」
 何とか『堅物な自分』を表現するために、きりっとした眼差しを見せる彼女に、魔理沙も少々苦笑い。
 彼女はひょいと肩をすくめて両手を挙げてみせる。
「ちょっと待ってくれ。
 最高権力者だの天魔だの、初めて聞く言葉と名前だ。意味を詳しく教えて欲しい」
「それを伝える義理はない。
 こちらの命令に従い、しばらくの間、家の中から出るな。三日ほどで構わない」
「いや、そいつは困る。
 実はもう食料が心許なくなってきている。三日も家の中にいたら、育ち盛りの私は餓死してしまうかもしれない」
「誰か、身の回りの世話をするものをよこすようにする。
 こちらの命令には従ってもらう」
「何だ何だ。ずいぶん、高圧的と言うか、一方的じゃないか。
 何を企んでいるんだ」
 魔理沙は挙げていた腕を後ろ手に回そうとする。
 その瞬間、一陣の風が舞い、魔理沙のすぐ横を駆け抜ける。
「不審な真似は控えてもらおう」
「おお、怖い」
 後ろを向けば、一本の木が根元から切断されて倒れていくところだった。
 大の大人二人か三人はいないと周囲を囲めないくらいの大木だ。
「いやだといったら?」
「実力行使。物理的に、家の中から出られなくしてしまうだけだ」
「治療費全額と慰謝料、あと、三日間でやるつもりだった実験を全部、そっちがやってくれるってなら考えてもいいかなぁ」
 彼女は右手を前に出す。
 その、上に向けた掌を見て、相手が少しだけ眉をひそめた、その時だ。
「私は頼まれると『わかった』と言えない性分なんだ」
 相手の周囲に、緑色に輝く無数の弾丸が現れた。
 魔理沙が掌を握った瞬間、それらは相手の天狗に収束し、炸裂する。
 無数の炸裂音と爆煙が巻き上がる。
「ケガなんてしないさ。手加減した。ちょっと熱いかな、くらいだ。
 これが私の答えだ。変なことしない、言わない、聞かないでとっとと帰れ」
「ならば、こちらも実力行使だ」
 すぐに返答があった。
 魔理沙が目をむいて、状況の認識から行動に移るその一瞬の隙間を逃さず、吹き付ける烈風が彼女の体を吹き飛ばす。
「あいてっ」
 地面に叩きつけられた魔理沙は、そのまま転がって起き上がる。
 わずかな間隙を空けて、それまで彼女がいた場所に上空から何かが降ってきて突き刺さる。
「いつの間に!」
 あの攻撃が相手に命中するまでに要した時間は数秒……いや、もっと短かっただろう。
 それを彼女は一発も受けることなくよけ、上空に退避した。
 相手が浮かんでいる高さは、およそ10メートルかそこらか。
 こちらを見下ろし、空に佇む彼女の姿には、威厳と共に嫌悪感を覚える。
「このっ!」
 魔理沙の放つ緑色の光弾が彼女に向かい、着弾する。
「わたしのような事務方は争いごとが苦手だ。なるべく穏便に事を済ませたかったのだが……」
「げっ」
 魔理沙の攻撃を、彼女は手にした風扇一つで防いでいた。
 着弾の瞬間、風を巻き起こして直撃を防いだのか、それとも本当に、その薄っぺらい扇で攻撃そのものを受け止めたのか、そこまではわからない。
「お前、何物だい!」
 もう一発。
 今度は左手側からカーブするような弾丸と、それとタイミングを少しずらして、正面から迫る弾丸を一発ずつ。
 相手はその攻撃を軽々とよける。
 自分の右手から迫る弾丸を掌で軽くいなし、正面から飛んでくる攻撃を、上から下の烈風で薙ぎ払う。
「そういえば、自己紹介がまだだったか。
 わたしの名前は疾風。鴉天狗の一人」
 反撃に撃ち出されるのは、これまた目に見えない風の弾丸。
 炸裂するそれは、攻撃を完全に回避していても、暴れる旋風が周囲に破壊を撒き散らす。
 魔理沙は風に煽られ、たたらを踏み、次に姿勢を立て直した瞬間、放たれた二発目の風の弾丸を食らって地面に倒れ伏す。
「こ、こんにゃろ……」
「天狗と人間とでは、その地力が違う。
 お前はわたしに勝てない。諦めて寝ているんだな」
「そういう、『へへん、私は強いんだぜ』っていう奴にほえ面かかせてやるのが趣味なもんでね。
 絶対にいやだね!」
 ばん、と彼女は地面を叩く。
 天狗――疾風の足下の地面が隆起し、その中から、一発の弾丸が飛び出してくる。
「不意をついたつもりか」
 飛んでくるそれを、彼女は風を操り、吹き飛ばす。
 しかし、その弾丸は虚空でカーブを描くと、再び彼女に向かって突き進んでくる。
「……」
 彼女は無言になり、迫ってくる弾丸を視線で見据え、視界に収める。
 そして、それが自分に直撃する瞬間、右手をまっすぐにそれに向かって突き出した。
 その手――長くしなやかな腕の先、まっすぐ伸ばされた人差し指が弾丸に触れた途端、その緑の塊は引き裂かれたように千切れ、粉々になって霧散する。
 力と力がぶつかり合った場合、より強い力を持った方が、それを力でねじ伏せることが出来る。
 言葉で言うのは簡単だが、それを実践しようと思ったら、それこそ天と地ほどの力の開きがなければ不可能だ。
 そして、それを可能とした彼女の実力は、まさに魔理沙とは天地の開きがあると考えるべきだろう。
「小細工はここまでというのなら……?」
 疾風が視線を下に向けると、そこに魔理沙の姿はない。
 彼女の姿を探して、周囲に視線を彷徨わせる。
「……どこへ?」
 少しだけ、彼女の動きが固まる。
 だが、その『瞬間』は魔理沙にとってのチャンスとなる。
「本当の不意打ちってのは、二重三重に手を考えるものだ!」
 物陰に身を隠し、息を潜めてチャンスをうかがっていた魔理沙が疾風の真下に飛び出してきた。
 その右手には、愛用の八卦炉が構えられている。
 かざした八卦炉に魔力が集中し、光を放つ。
「吹っ飛べ!」
 疾風を足下から飲み込む巨大な閃光が放たれる。
 小さく、彼女は口から音を漏らす。
 そして、右手に構えた風扇を高く掲げると、その場から逃げることなく、真っ向から扇を閃光に向かって振り下ろす。
「……!?」
 風の流れが巨大な刃となり、真正面から、魔理沙の放つ閃光を迎え撃った。
 それどころか、その流れを真っ二つに切り裂きながら魔理沙に向かって迫ってくる。
 逃げるのは追いつかない。
 体は動かず、直撃すれば即死間違いなしのその攻撃を、ただ見据えているだけだった魔理沙は、破れかぶれで叫んだ。
「箒!」
 遠隔操作で動かすことの出来る、愛用の箒を手元に呼びつける。
 崩れた家の壁をさらにぶち抜き、魔理沙の元へ飛んできたそれは、相手の攻撃が魔理沙に当たる、まさに寸前でその両者の間に割り込んだ。
 鈍く、激しい破砕音と共に、魔理沙の箒が木っ端微塵に打ち砕かれる。
 同時に魔理沙は真横に飛び、箒の横入りでわずかに勢いを殺された風の刃が、一瞬の間を空けて地面に突き刺さる。
「……嘘だろ」
 地面は縦に深く切り裂かれ、ちょっとしたクレバスが形成されている。
 箒は粉々。修理も不可能だろう。
 そして、肝心の疾風はと言うと、全くの無傷。
 過去にも、魔理沙にこれくらいの実力差を悠々と見せ付けてきた相手はいた。
 しかし、そいつは、人間でも妖怪でもない、もっともっと強い奴だった。
 並大抵の妖怪には負ける気がしない。それくらい自分は強い。そう確信している魔理沙の自信を揺るがすくらい、この『疾風』という妖怪は強かった。
「頼むから手加減はさせて欲しい。
 博麗の巫女以外のものに、必要以上の傷を負わせる……ましてや、殺してしまうようなことがあれば大問題となる。
 相手を無力化させる程度の攻撃ならば許可されるとは考えているが、あのわがまま娘のことだ、前言撤回などいつものことだ」
「博麗……?
 お前ら、霊夢に何か用事でもあるのか!」
「それを答える理由はない」
 撃ち出される風の塊が、魔理沙を煽って吹き飛ばし、地面に打ち据える。
 立ち上がろうとした彼女の背中からさらに一撃し、魔理沙の動きが完全に止まったのを確認して、疾風は地面へと舞い降りる。
「全く。弱い人間のくせに大きな態度を取るからこうなる。
 余計なことをすれば手続きが煩雑になって、書類が増えて面倒になるというのに……」
 とりあえず、魔理沙へと彼女は近づいていく。
 そうして倒れたままの魔理沙に手を伸ばそうとして――ふと、気づく。
「……ん?」
 足下の空気がおかしい。
 風と共に生きる天狗だからこそわかる、その変化。
 ふわふわと浮かび上がるような空気が、ゆっくりではあるが渦を巻いている。
 ――これは何だ?
 眉をひそめて、彼女が足を後ろに引く。
「油断大敵だぜ」
 そう、小さな声が聞こえた。
 直後、彼女の背後に緑色の閃光が集まる。
「不意打ちか!」
 振り返る疾風。彼女の体が完全に後ろを向いた瞬間、その光が弾けて散った。
 周囲にすさまじい閃光を撒き散らして光は消える。彼女は悲鳴を上げて後ろに――魔理沙の元へ後ずさる。
「何でもかんでも攻撃が全部ってわけじゃないからな!」
 その背中めがけて、魔理沙は至近距離から攻撃を放った。
 放たれた光弾が彼女の背中に着弾し、爆発して炎を撒き散らす。
 吹き飛び、倒れる疾風に、さらに追撃を放つべく魔理沙は立ち上がる。
 だが、唐突にその周囲の風がうねった。
 まずい、と思った時にはもう遅い。うねりが物理的な衝撃を伴って彼女に叩き付け、その小柄な体を吹っ飛ばす。
「うわっ」
 後ろの木立に叩きつけられる――そう思って目を閉じた魔理沙だが、その衝撃がやってこない。
 というか、『ぼふん』と柔らかいものにぶつかったような感覚がある。
「……え?」
「疾風ちゃ~ん。ダメじゃないの~」
 間抜けな、間延びした声が、すぐ後ろで響いた。
 振り返ると、そこに、疾風と同じ格好をした女が一人。
 ただし、こちらは長い黒髪と丸くて愛嬌のある、優しい顔立ちが特徴的な女だ。
「……つい、かっとなって」
 一方の疾風も、やはり、魔理沙の攻撃では大したダメージを受けていなかったらしい。
 服の背中が破れているものの、目立つダメージはその程度だ。
 足に来てもいなければ、手や頭を動かすにもなんら支障を受けた様子はない。
「こ~んなかわいい子をいじめるなんて。ねぇ?」
「は、はぁ?」
「あ~ん、かわいいわ~。
 ちっちゃくって、ちょっぴり生意気そうな感じがして!
 ねぇねぇ、疾風ちゃん。この子、お持ち帰りしてもいいかなぁ?」
「ダメに決まっているじゃないの!」
「な、何だ何だ、お前!」
 後ろの相手に抱きかかえられて動きを封じられ、魔理沙はじたばたと暴れる。
 しかし、体格差のせいで全く抵抗が出来ない。
 ……というか、ほぼぬいぐるみ状態で抱きしめられていれば、まともな反抗など出来なくても当然というところか。
「おい、放せ!」
「無駄よ。迅雷姉さんは、こう見えて、天狗の中でもかなりのレベルの力持ちだから」
「女の子に腕力自慢なんて、ひどいわぁ。
 そう思わない?」
「思うから放せ!」
 この女――迅雷、というらしい――の間抜けな顔に一発食らわせてやったらどれだけ気が晴れるだろうかと思っていても、文字通り、魔理沙は行動が全く出来ない状態だ。
 ひょいと地面から持ち上げられてしまっているから、足下にも踏ん張りが利かない。
「まぁ、だけど、これは僥倖。
 目的と……あと、言葉の意味はちょっと違うけれど、対象の拘束も出来た。
 あとは、あなた。わたし達の命令に従って、家の中で大人しくしていなさい。何なら迅雷姉さんをお側係として置いていくから」
「まあ、いいの!? やったぁ!」
「『やったぁ!』じゃない!」
 魔理沙は懸命にもがくと、何とか、左手を服のポケットに滑り込ませることに成功する。
 彼女はそこから、えぐい虹色に輝く液体の入った試験管を取り出して、
「このやろ!」
 それを地面へと叩きつける。
 ぱりんと試験管が割れた瞬間、猛烈な光と煙と、あとすさまじくいやな臭いが周囲に立ち込める。
「げほっ、げほっ! え、煙幕!?」
「いや~ん! 何これ~!」
「あ、ちょっと! 姉さん、手を放したらダメじゃない!」
「あっ! かわいい子がいない!」
 魔理沙は地面に転がり落ちると、全力で、その場から逃走する。
「箒……はもうないし、くそっ!」
 彼女の足である箒は木っ端微塵。それがなければ、普段の自慢の『足』は死ぬ。結局、走って逃げるしかかなわない彼女は、そのまままっすぐ、森の木々の間へと飛び込み、ひたすら全力疾走でその場を離れていく。
「くっ……!
 しかし、なんという煙……! 油断したわ!」
「けほっ、けほっ! 疾風ちゃ~ん! あの子どこ~!?」
「風を巻き起こしても晴れないとは……! くそっ!」
 何やら、あの薬は、猛烈な効果を発揮しているようだった。
 走りながら魔理沙は『……また失敗したか』と思うと同時、これも『怪我の功名』と思うことにして、とにかくひたすら、振り返らず、走り続けるのだった。

 とりあえず、アリスのところに行こう。
 魔理沙はだいぶ走った後、そんなことを考える。
 ここ――自分が拠点を置く魔法の森で、交流のある相手といえばそれくらいのものだ。
 この森の中に住む連中、『魔女』たちの会合などには足を運んだこともあるし、世間話をするくらいの相手はいても、困った時に頼れるような奴はいない。
 何せ、魔女は計算高い。下手に頼ったり、弱みを見せたりするとつけこまれる。
 相手は仲良き隣人ではない。油断すると食われる『獣』なのだ。
「えっと……」
 ――アリスの家はこっちだったか。
 とにかく森の中をでたらめに走ったため、普通なら方向感覚が失われるであろう空間においても、彼女は正確に目的地へと向かって歩いていく。
 歩き続けること、およそ一時間かその程度。
 目の前の木々が開けると同時、彼女はぽかんと口を開けて立ち尽くす。
「あら、魔理沙。どうしたの」
 そこに、目に怒りを浮かべたアリス――アリス・マーガトロイドが立っていた。
 佇む白亜の邸宅。そこの二階が丸焦げになって消失している。
 そして、家の玄関の前にぼろくそになって転がるのは二人の天狗。
「えっと……」
「ああ、これ?
 うちにいきなりやってきてね。『三日間、家の中で大人しくしていろ』なんて居丈高に言ってきたから断ったの。
 そうしたら、『お前を無力化させないと厄介だ』とか言い出して、家に火を放ってくれたわ」
 彼女の周囲には、彼女の力の源である人形たちが舞っている。
 いずれも、人形であるから表情など変わらないはずなのだが、殺気立っているように見えて仕方ない。
「確かに、二階にある人形たちはやられてしまったけれど、私のメインの子達は無事だったから。
 徹底的に叩きのめしてやっただけよ」
「……そ、そうか」
「あなたもずいぶん薄汚れているわね」
「ああ、いや……それもいいんだけど。
 何だ、その格好は」
「無傷とはいかなかったというだけ」
 破れた服、露出した素肌、覗く下着と白い柔肌。
 傍目に見れば『性犯罪の被害者』状態だ。
「全く」
 彼女は振り上げた足で、未だぴくぴく痙攣している天狗の脳天踏みつけると、踵でぐりぐり相手を踏みにじりながら、
「修理費なんかを倍々で請求してやるわ」
「……そうだな」
「とりあえず、うちに入って。その汚れた顔とか髪の毛とか、少しきれいにしなさい。
 ゴリアテ。こいつら、森の奥の『どろどろ沼』に捨ててきて。沈んでも無視ね、無視」
 二人は一旦、アリスの家の中へと移動する。
 一階部分はそれほど荒れ果てている様子はない。しかし、階段から先は穴が空いており、空を見ることが出来た。
 魔理沙はアリスから借りたタオルで顔などを拭いて、ふぅ、と息をつく。
「破れた服とか、着替えは全部、上よ。もう」
 腰に手を当てて怒るアリスに、魔理沙は『いや、実はな――』と聞かれてもいないのに現状の説明を始めた。
 それを聞いたアリスは『へぇ』と目を細くする。
「霊夢をどうするつもりなのかしら。この天狗たち」
「さあな……。
 いや、それ以前に気になるのは『天魔』ってやつだ。そいつが何をやらかそうとしてるのかがわからない」
「まぁ、そうね。
 ただ、天狗たちの総元締めでしょ? どうせろくでもない奴よ」
 彼女はひらひらと手を振りながら、『ろくでもないことが起きるに決まってる』と一言。
「ちょっと博麗神社にいこうと思うんだ。
 一緒に来てくれないか?」
「いいわよ」
「……あれ?」
「何よ」
「ああ、いや。
 いつものお前なら『はぁ? どうして、私があんたなんかと』って言いそうだったから」
「それ、私の物まね? 似てない」
 ぶみっと魔理沙のほっぺたつねって、アリス。
 何するんだ、と怒る魔理沙から手を離して、彼女は笑いながら、
「ケンカを売られて黙っているほど、私は温厚じゃないのよ」
 と、かなり底冷えする声で、怖い笑顔を浮かべる。
 ――そういえば、こいつ、クール装ってるくせに、めちゃくちゃ沸点低い奴だったか……。
 魔理沙の頬にも汗一筋。
 アリスは、それを表情に出そう……としているつもりはないのだろうが、めちゃくちゃ怒っている雰囲気ばらまきまくりであった。
 この彼女、怒ると怖いのだ。ぷっつん来てる時は、たとえ魔理沙であろうとも、アリスに関わろうとはしない。どんな目にあわされるか、大体想像がついてしまうのだ。
 そして、今のアリスは『ぷっつん来てる』状態である。問答無用で家を焼かれたりしたのだから当然といえば当然かもしれないが。
「それに、あんた、箒がないなら飛べないでしょ」
「飛べるぞ。安定しないだけで」
「私が背負っていってあげるから。
 道中……何だっけ? 疾風と迅雷? その二人の天狗に出くわさないとも限らないんだし。
 護衛はいた方がいいでしょ」
「まぁ……確かに」
「話を聞く限り、ずいぶん強そうだしね」
 アリスはそう言うと、『とりあえず』と部屋の隅にあるコートかけからコートを取り上げ、身にまとう。
 さすがに、天下の往来を、素肌を晒して歩き回る趣味はないらしい。
「ほら、急ぎましょう。そいつらが復活して追いかけてきていたら厄介だわ」
「そうだな。
 ただ、なるべく、地面を使おう。空を飛んだら簡単に見つかりそうだ」
「了解。
 低空飛行と言うのは本当に便利だわ」
 アリスはそう言って、『ほら、早く』と魔理沙を促した。
 魔理沙はちょっぴり照れくさそうに顔を赤くして、アリスの背中におぶさる。
 二人はそのまま、穴の空いた家から飛び出し、木々の隙間に隠れながら移動を始めた。
「……にしても、何だってのよ」
「それがわかったら苦労はしないんだけどな。
 何で天狗連中が霊夢に用事があるんだ。スキャンダルでも集めようってか」
「文がしょっちゅう、『霊夢はネタの宝庫だ』って言っていたからね。
 もしかしたら、それが目当てで集まってきたのかもしれないし」
「天魔もか」
「かもしれないわよ。
『こいつをそばに置いておけば、退屈しない毎日になるかもしれない』とかね」
「……ふーん」
「妖怪の寿命は長いもの。退屈が続くと頭がぼけるわ」
「人間にとってみればたまったものじゃない退屈しのぎだな」
「人間なんて、妖怪から見れば、便利な道具かおもちゃか。対等として見てる奴なんて、そう多くないわ」
「アリスも?」
「そんなわけないでしょ」
「あいてっ」
 飛びながら、アリスは後頭部で魔理沙の顎を小突く。
「私は、あんた達の友人よ」
 そう、前を見据えながら言うアリスを見て、魔理沙は小さくうなずく。
「やっぱ、お前は信用できる」
「そう。ありがとう」
 嘘偽りのない、なんてことはないその一言に、アリスは振り返ることはなかった。


 ―三幕―


「……ここ、どこよ」
 目で見ているのか、耳で聞いているのか、それとも手足で感じているのか。
 それもよくわからない、ふわふわした感覚が体中を包む不思議な空間。
 夜、眠っている時、体を丸めて宙に浮いているような意識を味わうことがある。夢の中に落ちる瞬間の、あの何ともいえない心地よさだ。
 それに、この感覚はよく似ている。すると、私は寝ているのだろうか、と彼女は考える。
 だが、手に持った祓え串と、靴底から返って来る、固い足場の感覚がそれを現実へと引き戻す。
 辺りを見渡しても、周囲は闇に包まれている。
 ただの闇と違うのは、それを明確な『黒』と認識できることか。
 暗闇が、真っ黒な光を放って輝いているような、そんな不思議な光景だ。
「紫の奴、私をどこに放り込んだんだか」
 彼女――霊夢はぼやいて、その闇の中を歩き回る。
 あちこち歩いて――しかし、全く疲れない不思議な感覚に首をかしげながら、およそ一時間か、二時間か。もしかしたら、もっと短いかもしれないし、長いかもしれない。時間の感覚すらないのだ。自分が生きているのか死んでいるのか、それすらもわからない。
 いい加減にして欲しい、とぼやいたその時、前方に光が見えた。
 この暗闇のトンネルから抜け出せるのなら、まずは足を運んでみよう。この空間そのものに飽き飽きしてきた霊夢は、その光の方へと歩いていく。
 光は徐々に大きくなり、やがて、全ての闇を祓う形で顕現する。
「……神社?」
 そこは、見慣れた博麗神社の境内だった。
 辺りを見渡して、『家の外に出てしまったのか?』と首をかしげる。
 さやさやと、静かに木々の梢が揺れている。頭の上から差し込んでくる太陽の光が、なかなか暖かくて気持ちいい。
 進める足が、そこで止まる。
「……あれ?」
 いつの間にか、境内に一人の人間がいた。
 手に竹箒を持って、境内を掃除している一人の女。背はすらりと高く、腰まで伸ばした長い黒髪をさらさら揺らす、その後ろ姿に、霊夢は見覚えがあった。
「……お母さん?」
 尋ねると、その相手が振り返った。
 相手の顔に見覚えがある。
 それは間違いなく、何年も前に神社を出て行った、自分の母親だ。
「おか……!」
 声を上げて走りよろうとして、彼女は顔面のすぐ近くを掠めていく風に足を止める。
「……」
 相手との距離はかなりある。
 それにも拘わらず、彼女の『母』が突き出した拳から放たれる光が、霊夢の顔のすぐ脇を掠めていった。
「……修行って、もしかしてこれのこと?」
 霊夢は一歩、後ろに下がる。
 彼女の母親は箒を捨てると、その場で構えを取った。
 こちらを敵意に満ちた瞳で見据えてくる。立ち上る気配は明確な殺意へと変わってきている。
「どんな修行か知らないけど、悪趣味すぎない!?」
 相手の攻撃が始まった。
 遠距離から無数の札を投げつけて、こちらの行動を拘束する。
 どこへ逃げても札が追いかけ、一撃を加える。よけなければ、それと少しタイミングをずらして前方に向かって突進する、術の『本体』から一撃をもらうという布陣だ。
「自分の手なんだから、対処法は自分が一番よく知ってる!」
 飛んでくる札の中で、一つ二つを撃墜し、崩れた包囲の隙間を抜け出す。
 相手は足を止めることなく前方に踏み込み、地面に足を下ろすと、それを支点に体を回転させ、鋭い蹴りを放ってきた。
 霊夢は右の腕でそれを受け止めると、相手の蹴りの勢いを殺すため、その流れに逆らわない形で地面を蹴った。
「っと」
 相手の攻撃の勢いに乗り、距離をとる。
 反撃のために札と針を構える霊夢だが、迫る相手の顔を見ると、どうしても攻撃に出ることが出来ない。
「わっ!」
 頭上を相手の攻撃が掠めていく。
 流れる光の波動が、そのまま、後ろの木々を直撃して幹を抉る。
 霊夢は相手の左のわき腹をかすめるように前方に飛び、反撃に、そのわき腹に掌を打ち込んだ。
 鈍い感覚と同時に、衝撃が手に走る。
「あいったたた……」
 打ち込んだ打撃……いや、衝撃が自分の掌に直接返ってきている。
 そういえば、自分の母親は、服に結界を縫いこんでいたか、と思い出す。
 致命的な一撃を受けたとしても、その打撃の何割かのダメージを相手にそのまま返す結界だ。ついでに言えば、返したダメージは自分へと伝わらない、お得な結界でもある。
「っ!」
 思い出を振り切るように、何度もかぶりを振って、霊夢は相手に攻撃を放つ。
 手にした札を投げつけると、それめがけて針を投擲する。
 針は札を貫通し、札は針の刃を包む形で炎上し、相手に向かって突き進む。
『母親』は、それを後ろに下がりながらよけ、よけられないものは素手で叩き落す。
「遠距離攻撃には、あの結界は通用しないんだっけか」
 だから、霊夢は、この結界を使用しない。
 弾幕勝負で直接的な物理攻撃を行うことはほとんどないからだ。
 対して、この『母親』の戦闘スタイルは覚えている限り、接近戦による打撃攻撃がメイン。
 なぜかと言うと、彼女、術などを扱うのが不得手なのだ。
「ちっ」
 頭上を掠める拳をよける。
 すぐさま、顔の前に迫ってくる膝蹴りも何とかよけて、地面に崩れる形で身をかがめると、霊夢は相手の足を払う。
 後ろに下がって、相手の体めがけて札を放つ。
 相手はそれを、倒れた体勢から起き上がりつつ、よけられないものを蹴り一発で撃墜する。
「そういうの得意だったよね、お母さんは」
 術での戦闘が苦手だったから、彼女の母親は接近戦を磨いていったと聞く。
 両手両足を結界でコーティングし、武器とすると共に防具とする。
 そして、
「これはお母さんの得意技だったね!」
 右手に構えた光の塊を極大化させ、相手めがけて叩きつける、霊夢の術の一つ『陰陽宝玉』。これは、彼女の母親が編み出した術であり、霊夢が見様見真似で真似している技の一つだ。
「うわっち!」
 だが、その威力は本家のそれには及ばない。
 その一発は石畳の地面を砕き、爆裂すると同時に破壊の衝撃波を周囲にこれでもかと撒き散らす。
 防御用の結界を張って後ろに下がり、霊夢が構えを取ると同時、『母親』が眼前に迫っていた。
 相手の突き出す蹴りが正確に、霊夢の結界の要である札を粉砕する。
 その突き出した足を地面に下ろし、支点とし、体を思い切りひねって飛び上がり、
「くっ!」
 繰り出される左の蹴りが、霊夢のガードを突破して、彼女の胴体を薙ぎ払う。
「いたた……!」
 一瞬ではあっても、防御には成功した。
 直撃の瞬間、構えた札が盾となり、その一撃の威力を減殺していてもこれだ。
「直撃してたら、下手したら死ぬわ。こりゃ」
 やはり、『母親』は強い。
「私が小さい頃、二人で一生懸命、特訓したっけ」
 次代の博麗の巫女として、ふさわしい『格』を身につけるために、母親と過ごした時間を思い出す。
 痛い思いをして、すぐに泣いてしまう霊夢を、慌てて母親は慰めたものだ。
 毎日毎日、一生懸命頑張った。思い返せば、まともな『努力』をしたのは、あの時くらいなものだ。
「私だって、あれからずいぶん強くなったんだ。
 もう一回、久々に手合わせしようよ!」
 構えた札を解き放ち、相手に向かって攻撃する。
『母親』は逃げることも改めて構えを取ることもせず、迫る札を回避し、撃墜していく。
 その動きを読んで、回避が不可能なタイミングで、霊夢の放つ一撃が相手の左足を直撃する。
 しかし、ダメージはない。
 着弾の瞬間、結界を張って受け止めたか、あるいは、服に縫いこんだ結界の力を一時的に解放して勢いを相殺したか。
「はっ!」
 短い息吹と共に放つ、一発の弾丸。
 それを『母親』は後ろに下がってよける。
 霊夢が狙ったのは、先ほどの爆発のあった、相手の左足だ。
 結果は後者。今、あの部分に結界は存在しない。結界を残しているなら、大きく逃げに出る必要はないからだ。
「たっ!」
 相手が地面に着地し、態勢を立て直すより早く、霊夢は相手に接近すると、その左足にローキックを打ち込んだ。
 わずかに相手の体が固まる。
 それを見逃さず、その胸元に掌を押し当てると、彼女の掌が光を放って『母親』を弾き飛ばす。
「よし!」
 勢いに乗って、相手をそのまま倒してしまおうと霊夢が走る。
 しかし、そうは問屋が卸さないとばかりに、『母親』が反撃に出た。
 弾き飛ばされ、空中を舞う彼女は、そのまま空中で回転して体勢を立て直すと、霊夢めがけて札を放ってくる。
 それらを霊夢は結界で受け止め、ガードしながら前方に突っ走る。
 だが、直後、そのがら空きとなった背中に衝撃が走った。
 たたらを踏む霊夢。その隙を逃さず、『母親』のつま先が、彼女のみぞおちを抉る。
 悲鳴すら上げられず、霊夢は吹っ飛び、石畳の上で悶絶する。
「し、しまった……!」
 結界を回避するように大回りで飛んできた札の直撃が、今の事態を招いたものだとわかる。
 そういえば、彼女の母親は、小手先の技術に優れた巫女だった。
 というより、工夫と智慧を使う、搦め手の戦法と、自分の肉体を駆使した力押しの戦いの双方を融合させたのが、母親の戦い方だった。
 霊夢の戦い方は主に前者によっている。
 相手に対して用意周到に術を張り巡らし、徐々に次の手を塞ぎ、最後に叩きのめすのが霊夢の戦い方だ。
 故に、彼女が苦手とするのは、正々堂々真っ向からの力勝負である。
 しかし、本当に苦手なのは、アリスや紫といった、自分を上回る智慧を持った相手との『智慧の勝負』であった。
「くそっ!」
 霊夢の頭が悪いというわけではない。彼女たちの智慧は、霊夢のそれを上回るというだけだ。
 作戦と作戦、精神と精神の力比べ。
 自分を上回る『作戦』を用意されると、それを打ち破るまでは、完全に無力化するのが霊夢の欠点である。
「まだまだ!」
 立ち上がると、彼女は手にした祓え串を構え、その先端を地面に向ける。
 彼女の足下から広がる結界の壁が、周囲を物理的な力を持って薙ぎ払う。
『母親』は、その結界の壁に手を押し当てると、霊夢の放つ結界を中和する術を行使する。
 彼女の体が結界の壁を通り抜け、霊夢の界へと侵入してくる。
 それを見逃さず、霊夢が次に放つのは、地面と空、両方から相手を捕らえる『鳥かご』だ。
 二枚の結界の具現体が相手を上下から捉えると、電撃に良く似た『腕』を伸ばして『母親』を捕まえる。
「はっ!」
 その結界が相手を捉えると、霊夢の両手が自分の顔の前で合わされる。
 結界は互いに収縮するように近づき、相手の胴体のちょうど中心で合体すると、一枚の頑丈な板となる。
 そして、その板は一瞬で収縮し、相手の体に触れた途端、爆裂する。
「まだまだ!」
 煙の向こう、動きの止まった相手の胴体めがけて札を撃ち込み、炸裂させる。
 すかさず接近し、大ダメージを打ち込もうとした瞬間、彼女は慌てて足を止め、前方に結界を展開する。
「やっぱり、まだまだか!」
 煙の向こう、霊夢の展開した結界に触れる形で、大きな光の珠がうねっていた。
 一瞬でも判断が遅れていれば、自分からこれに突っ込んで大ダメージを受けていただろう。
『母親』の姿は、ない。
「上か!?」
 振り仰ぐと、すぐ目の前に相手の足があった。
 結界を構えるのも追いつかず、両手でその蹴りを受け止める。直後、相手の足から走る衝撃が、霊夢の膝を地面へと押し付ける。
「ぐっ……! こ、このっ!」
 上空に逃れ、飛び蹴りを放ってきていた『母親』を追い払い、その逃げ道に、相手の動きに連動して爆発する機雷を設置していく。
 爆音と炎が虚空を揺らし、相手の動きをわずかながらゆるがせる。
「それっ!」
 相手の長い髪の毛が炎の切れ間に見えた。
 直後、煙に覆われた空から騒音が響き渡る。
「よっし!」
『母親』は、右手を後ろにやる姿勢のまま、動きを止めている。
 霊夢が相手の背後から放った、三日月のような形の結界を辛うじて受け止めたのだ。
 それで相手の動きを拘束した霊夢は、相手の無防備な腹に一撃を見舞って距離を空ける。
「どう、お母さん! 私だって強くなったでしょ!」
『母親』は地面に舞い降りる。
 受けたダメージを確認するように、腹部を手でさすっていた彼女は、鋭い眼差しを霊夢へと向けてくる。
 ――まだまだ、この程度。かかってこい。
 その瞳はそう語っていた。
 霊夢はうなずき、次の術を放つ構えを取る。
「――勝負!」
 構えた術を展開して、霊夢は『母親』に向かって走る。
 今、この時、わずかではあるが、彼女はこの修行の時間を『楽しい』と感じていた。


「助かりました。藍さん」
「いいえ」
「お裁縫の道具も燃やされてしまって。
 総額いくらを請求してやろうかしら」
 博麗神社へとやってきた魔理沙とアリス。
 アリスは破れた服を、藍から借りた裁縫道具で繕い直し、魔理沙は卓についている紫に『これこれこういうことがあったんだが、どういうことだ』という話をしている。
「――で、結局は、その『天魔』って奴が何かを企んでいるから、霊夢がこういうことになっている、と」
「そういうこと」
 相変わらず、あの赤い珠によって作られた結界の中で、霊夢は身動き一つしない。熟睡している、と言い換えることも出来るだろう。
 魔理沙はつまらなさそうにそれを見た後、
「けど、邪魔したら、ぼっこぼこにされる、と」
「殺されるわね」
「妖怪と違って、人間は、頭に穴なんて空いたら終わりよ。魔理沙」
「わかってるよ。私だって、そこまでバカじゃない」
 アリスが改めて卓に着いた。
 藍が一度、その場を中座し、お茶とお菓子を持って戻ってくる。
「それで、紫。天魔は一体、どうして霊夢なんだ」
「退屈が過ぎているから暴れたい――それだけだと思うのだけど。
 あいにくと、今、あの山に近づくのは難しい」
「あなたでも?」
「そう。私でも。
 確かに、私と藍の二人で殴りこみをかければ、あの山の天狗どもの半数以上は蹴散らせるでしょう。
 しかし、疲れたところをもう半数に襲われたら、恐らくはひとたまりもない」
「妖怪の山って、天狗とか河童とか、どれくらいいるんだ?」
「さあ?」
 あの山は広いから、というアリス。
 それにどれくらいの妖怪が暮らしていて、どのようなコミュニティがあって、どういった『社会』が形成されているかなど、知る由もない、と返した。
 山の天狗に知り合いのいる彼女たちではあるが、その知り合いの天狗は『色々とめんどくさくて堅苦しくて、そしてどこまでもいい加減な連中ですよ』としか答えないのだ。
「現状は、そこから来る使いとか、偵察部隊とか、そういう連中を締め上げて聞き出すしかないのですけれど。
 いかんせん、彼らは口が堅い」
「魔理沙とは大違いね」
「何を言う。私も口は堅いぞ。
 だがしかし、思っていることをついつい喋ってしまうという悪い癖がある。これは治さないといけない」
「無理ね。絶対」
「いてっ」
 減らず口を叩く魔理沙の後頭部を、アリスがぺんとはたいた。
 アリスはその視線を魔理沙から紫に移すと、
「天狗たちが本格的に攻めて来るのは、三日後?」
「あなた達から聞いている話を総合するとね」
「それまでに、私達は、何をするべき?」
「さあ?
 今、命蓮寺の方々がいらして、この神社を守るための手段を構築してくれています。
 お手伝いしてきてはいかが?」
「そうね。そうさせてもらうわ」
「お、珍しい」
 すぐさま立ち上がるアリスを茶化す形で魔理沙が言った。
「あんたも仕事しなさい」
 去り際に、アリスは魔理沙のお尻をつま先で蹴ると、そのまま居間を後にする。
 魔理沙は小さく肩をすくめて、霊夢を見た。
「ぶっちゃけさ」
「ええ」
「霊夢が、『真面目に修行しないと勝てない』って思うほど、その天魔っていうのはやばいのか?」
「たかが天狗の、しかも大天狗ですらないものに大苦戦したあなたでは、絶対に勝てないというくらいにはね」
「私だって、これまで、結構な連中を相手にしてきた」
「それとも桁が違うと言っている。
 人間のルールを適用しない戦いで、たとえば紅魔館の吸血鬼や、あの山の神に勝ったというなら自慢してもいいけれど」
「……それはないな」
「でしょう?
 あれは、そのルールを適用していても、そいつらに比肩する……あるいは圧倒的に凌駕する。それくらい強いの」
 そして勝てないときは、色々とめんどくさい。
 紫はお茶を一口し、「藍、お茶薄い」と文句を言った。
 もちろん、文句を言われた対象は、『じゃあ、あなたが淹れ直してきて下さい』と容赦ない慇懃無礼な言葉を返すだけだ。
「これ、どんな修行なんだ。
 これをクリアしたら、すごいパワーアップするのか」
「さあ?」
「……さあ、って」
「これは一種の精神修行。
 元々、この子の巫女としての実力は完成されている。あと、鍛えるところは肉体ではなく精神。精神が成熟し、成長すれば、自ずとそれに関連する力を引き出すことが出来るようになって強くなる。
 ただし、それが物理的な力に作用するかどうかは、また別問題ね」
 心が強くなった結果、どんな事態が起きても冷静に対処できるようになったり、精神が成熟した結果、より公正かつ公平な観点を持つことが出来るようになる。それがこの修行の成果だ、と紫は言う。
「巫女の実力は己の精神に比例する。
 古来より、人ならざるものに仕えるものの強さは、それを御する心にあった。
 この子は精神修行が全く足りないもの」
「……ふーん。
 あんまり、私には関係なさそうだな」
「そうね。
 あなたには、恐らく向かないわ」
「そっか」
 あくまで巫女としての力を高めるための修行なのだから、巫女ではない霧雨魔理沙には関係がない。
 それが、紫の言葉だった。
 魔理沙は納得したという風にうなずき、「これ、どんな修行なんだ?」と、今度は単純な興味だけでそれを尋ねる。
「これは、精神を育てる修行。
 己の中に作った界の中で、最も『強い』ものと戦い、これを打ち倒すことで心を強くする修行」
「最も強い?」
「その人物が、自分の記憶や意識の中で、『絶対に勝てない』と考えている相手よ」
「霊夢にそんな奴、いるのかね」
「いるでしょう。身近に。
 最終的に、己が乗り越えるべきは自分なのだから。
 具体的な相手がいない時は、自分の『影』と戦うことになるの」
 それは見てみたいもんだ、と魔理沙が言う。
 修行の光景を見て、外からやいのやいのと酒盛りでもしながら囃し立ててみたい、と言う彼女の言葉に、紫も笑いながら「じゃあ、今度はそういう機能もつけましょうか」と冗談を返す。
「そいつに勝てたら修行は終わりなのか」
「ええ、終わりよ。その結果、何を得て、何を育てるかまでは知らないけどね。
 ただし、勝てなければ終わらない。
 それこそ未来永劫、この止まった時間は動かない」
「……つまり?」
「この子の代は終わり、ということよ」
 紫は澄ました顔でお茶をすすりながら、そんなことを言った。
 しばらくの間、魔理沙は頭の中で、紫の言った言葉の意味を咀嚼する。
 そして、それを納得した瞬間、「それ、霊夢に言ったのか!?」と叫んだ。
「言ってないわ」
「何でだよ!?」
「言ったら、もしかしたら、『やーめた』って言うかもしれないでしょ?」
「だからって!
 そんな危険なこと……!」
「あのね、あなたは、私が重要なことを隠して……つまり、霊夢を騙して修行させたと思っているようだけど。
 まぁ、半分くらいは当たっているけれど、もう半分は違うわ。
 私は、この子なら、ちゃんと修行をクリアできると思ったからやらせたのよ」
 きちんと信頼しての行動なのだ、ということを言って、ふぅ、と紫は息をつく。
 魔理沙は、まだ何か言いたそうにしていたが、紫の言葉に付け入る隙がなかったため、それを諦める。
 信頼しているから危険なこともやらせる。
 言葉に出して表現してしまえばそれだけのことだが、それは、行わせる側にも覚悟と判断、そして、智慧が必要となる行動だ。
 適当な信頼で、もしも事が起きてしまえば、それは勧めた人物が耄碌したことを示す。妖怪の賢者などと名乗り、『私は強いのよ』という態度を取っている紫だ、当然、プライドも高い。その自分が『自分が選別した相手の実力も見抜けないほど耄碌した』などと世の中に拡散されたりしたら、それこそ色んな意味で耐えられないことだろう。
 危険な橋を渡る時には、ちゃんと足下の確認もしなければならない。
「お前は、何ていうか……甘いのか厳しいのか、さっぱりわからない時がある」
「どちらでも。
 あなたの思うように感じているといい」
「そうする」
 魔理沙は立ち上がると、『さて』と、一度右肩を回した。
「ちょっと紅魔館にいってくる」
「いってらっしゃい」
「歩いていくと大変だから、あの近くまででいい、送っていってほしいんだが」
「普段の箒はどうしたの」
「壊された。
 代わりのものがないんだ。
 空を飛ぶことは出来るけど、ちょっと足下ふらつくし」
「それなら……」
 紫は立ち上がると、とたとた、足音を立てて去っていく。
 しばらくして戻ってきた彼女の手には、『はいどうぞ』と竹箒が握られている。
「箒なら何でもいいってわけじゃないんだけどな」
「文句と贅沢は言わない」
「わかったよ。
 ……普段の足は死ぬけれど、生身でふらふら飛ぶよりはマシそうだ」
 箒に横座りになると、『晩飯は向こうで食べてくるからいらない!』と言って、魔理沙は外へ飛び出していった。
 すぐに飛行する高さを低くして、その姿が木々の間に消えていく。
「紫さま」
「命蓮寺の方々が張ってくれる結界が、どれくらいのものになることやら」
「こちらは今のままでいいのですか?」
「向こうへの斥候は用意しておきたいところね」
 策をもって、相手を後手に回って受け止めるのは好きだが、全く手も策もないまま、やられ放題やられるのは好きじゃない。紫は『さて、どうしようかしらね』と腕組みする。

「星さん」
「ああ、アリスさん」
「アリスだ! ケーキ頂戴、ケーキ!」
「持ってきてないわよ」
「ちぇー。なーんだ」
 博麗神社の周囲を囲む、鬱蒼とした森の中。
 その一角に、寅丸星とぬえがいる。
 彼女たちは、星が背中に背負った、かなりの太さの縄を手に、何やら作業中。
「何をしてるんですか?」
「結界を張っているんです」
 ぬえが取り出した、彼女の身長くらいの大きさの杭を地面へと打ち込む。
 杭は白木で出来ており、それに、星が持っていた縄を幾重にも巻き付けて、『よし』とそれを引っ張った。
「神社を中心に、五つの頂点を持つ結界を作るんです。
 外からの『邪悪なもの』の侵入を阻む界を作るんですよ」
「それって、こう……こんな感じの?」
『こんな感じ』でアリスは手を動かして、五つの頂点を持つ星の形をかたどった。
 星は『それは西洋の魔方陣ですね』と答える。
「結界とは、境をもって、他者の侵入を拒む界を作る技術です。
 たとえば、地面に木の棒などで丸く円を作り、そこに力を持たせるだけでも結界は作れます」
「へぇ……」
「あの神社の周囲を、回りの空間から隔絶するってこと。
 めんどくさいけど強力なんだよね、これが。
 大昔、京の都なんて、東西南北に厳重な結界が張ってあって、中に入り込むのに苦労したもんだよ」
「ぬえ、手伝いなさい」
「はいはい」
 縄は上から順に五段、杭に結び付けている。
 それを手に、星は歩いていく。ぬえは彼女を追いかけ、アリスもそれを追って歩いていく。
「その縄一本一本が結界なんですか」
「そうなりますね。
 ただ、これくらいのレベルの結界を張っていても、くだんの『天魔』を押さえることは出来ないでしょうけど」
「それ、普通の妖怪が中に入ってこようとしたらどうなるんですか?」
「跡形もなく消し飛びますね」
 通常、結界は、外側からの侵入者を区別なく追い出す、もしくは弾く力を持つ。今回のこれは、特に『妖怪』などの『夜の住人』を拒む結界だ。その力は特別に強く、ぬえですら、「最初から中に入ってないと、完成したら入れなくなるよ」というほどのものだという。
「我々が許可したものは中に入れることが出来ますが、恐らく、基本的には外部からのあらゆる『夜の獣』を拒む形にすると思います」
「……外に出られませんね」
「幸い、食料や医薬品などは買い物をして詰め込みましたし、足りなくなれば紫さんが買いにいってくれるそうで」
「ああ、あいつの能力は、そういうことにも使えるのか」
 結界の強さは、単純に、その結界を操るものの実力で決まる。
 それほど強くない力の持ち主であっても、ぬえクラスの妖怪であっても侵入を阻む結界を作ることは可能であるのも結界術の特徴の一つ。
 しかし、それ故に、その結界を作った結界使いよりもさらに強い力を持つ結界使いの前には全くの無力なのだそうな。
「幻想郷で、恐らく、一番の結界使いは彼女ですから。
 我々の作る結界など、彼女から見れば、薄い紙がぺたんと張ってあるようなものでしょうね」
「……じゃあ、自分が何とかすればいいのに、というのはダメなのかしら」
「あいつは一応、立場的には『妖怪』だしね。
 おまけに幻想郷の秩序を第一とするんでしょ? 今回のこれに、大きく関わるのは、立場的に無理なんじゃないかな」
 新しく杭を立て、それに、二人は縄を巻いていく。
「妖怪が人間を襲って何が悪い、ってね」
「だけど、博麗の巫女に関することになると、あれは目の色が変わるけれど」
「この程度のこと、押し返せないようでは、博麗の巫女を名乗る資格はない、と考えているのかもしれませんね」
 いわば、これは、日頃ぐーたらしているあの巫女にとっていい薬になる、と。そう考えているのだろう、というのが星の意見だった。
 ぬえもけらけら笑いながら、『それ、ありそう』と言っている。
「もし、本当に、此度の一件、けしからんと考えているのなら、幻想郷の秩序維持の名目の下、たとえ天魔であろうが討伐しようとするでしょう。
 有象無象の雑魚が何千何万集まろうとも、天魔の前では戦力にもならないかもしれない。
 しかし、有象無象の雑魚ではないものが多数集まれば、さすがの天魔といえど、苦戦は免れないし、討伐されてしまう可能性もある。
 その声を回りにかけようとせず、志願してくるものの意思に頼り、先に天魔の戦力を殺ぐこともしようとしない。
 何か思うところはあるのかもしれませんが、彼女の行動には辻褄があっていない。普段の言動と。
 ならば、これを自分の『利益』と考えていると見て相違ない――私はそう見ます」
「星って、普段はのんびりのほほんとしてるくせに、そういうところは結構鋭いよね。
 まぁ、見てるところ間違ってることも多いけど」
 しかし、そんな妖怪の思惑など関係ない、と星は言う。
 曰く、『霊夢はよき友人であり、尊敬すべき先達である。彼女に危害を加えるものがあるならば、その意思次第では、我々に対する攻撃も同様。ならば、それを退けるために、共に手を取り合うのが常道』ということだ。
「聖は、そこまで考えていないかもしれませんけどね」
「……それはありそうですね」
「このように、憶測ではいくらでも話が出来ます。
 真実は、全部が終わったら、当事者の口から語って聞かせてもらいましょう」
 さらに杭を立て、縄を巻く。
 ふぅ、と星は息をつき、また森の中を進んでいく。
「アリスはさ」
「ん?」
「強い?」
 瞬間、ぬえの右手が動いてアリスの喉元に槍が突きつけられる。
 三叉のそれを手でよけて、「さあ」と彼女は答える。
「私は、勝てないケンカはしない主義」
「なるほど」
「好戦的な連中とは一緒にしないで欲しいわ。
 怪我をするのは大嫌いよ」
 ぬえはにんまりと笑うと、手にした槍をしまって、何やら楽しそうにうなずいた。
 前を行く星は『やれやれ』とため息をついている。
「さて、と」
 これが最後の一本だ、という杭をその場に立てて縄を巻く。
 一見すると、ただの杭に縄が結び付けられている、その程度のものなのだが、これで『完成』なのだという。
「あとは、これに術をかければ作業は終了ですね」
「いざ戦いが始まったら、どれくらいもつんでしょうね」
「五分ももてば上出来だと思いますよ」
「……そんな程度ですか」
「何だかんだで、天魔はともかく、天狗など力の強い妖怪が大挙してやってくるでしょうからね」
 星とアリスは境内へと向かって歩いていく。
 ――と、ぬえが「星、ごめーん。わたし、トイレー」と結界の向こうの木々の陰に隠れてしまう。
「早く戻ってこないと、中に帰ってこられなくなりますからねー」
 すでに姿の見えないぬえの背中に声をかけて、星は『急ぎましょうか』と歩みを速める。
 今のこの結界は、完成しているとはいえ、ただの杭と縄。さらに術をかけて完全なものとなる。そこに至るまでのタイムラグを襲われては意味がないのだ。
 二人が足早に、神社の境内へと向かっていく。
 そして、
「そろそろ出てきたら?」
 大きな木の陰に隠れて、その二人の様子を伺っていたぬえが、茂みの中に向かって声をかける。
「……気づいていたか」
「まぁねー。
 あの二人も気づいていたみたいだけど、始末はわたしに任せてくれたみたい」
 茂みの向こうから現れる天狗が二人。
 一人は手に書簡のようなものを持っており、『これを、博麗の巫女へ』とぬえに手渡してくる。
 その表には、汚い文字で『宣戦布告 ばい天魔』と書かれていた。
「お使いごくろーさん。
 じゃ、帰っていいよ」
 受け取ったそれを服のポケットにしまって、ぬえがひらひらと手を振った。
 しかし、二人の天狗はその場を動かない。
「あのようなものを張られては困る」
「何で?」
「天魔さまの手を煩わせるからだ」
「そいつが本当に噂どおりの奴なら、あんなもの、ちょこっと触れるだけで千切れ飛ぶよ。だいじょぶだいじょぶ」
「それで怪我を負ったりなどしたら厄介だ」
「んなことないって」
「故に、邪魔なものは壊しておこう」
 歩き出そうとする二人の前に、ぬえは手にした槍を突きつける。
「だーめ。
 あれ作るのめんどくさいんだよ。杭と縄を作るだけで二日はかかる。
 以前、作ったものがあったからよかったけど、なかったらめんどくさかったよ。その苦労は汲んで欲しいよね。
 あと、この仕事終わったら、星が『手伝った御礼』に饅頭くれるんだ。その饅頭が食べられなくなるじゃないか」
「子供め」
「そうだよ。わたしは子供。妖は、その見た目に中身が引っ張られる。
 おじさん達はどう? 大人なのかな?」
 けらけら笑い、手にした槍の柄で、とんと地面を叩く。
「じゃあ、怖いものなんてないのかな?」
 その口元に半月の笑みが浮かぶ。
 真紅に爛々と輝く、妖の瞳。
 その体からざわつく『闇』が神聖なはずの神域に暗く広がっていく。
「妖が照日の地を離れて、もう何千年、いや何万年。何十万年。何千万年。
 その身を暗く冷たい闇の中へと落としてから何千万年。何十万年。何万年。何千年。
 その時の中で妖は闇に触れ、闇に憑き、夜となった。
 暗い夜を己の体として、ねっとり絡みつく闇を命とした」
 何か得体の知れないものを感じたのか、天狗の一人が、手にした武器を目の前の子供へと叩きつけた。
 わずかにだが、その顔が引きつっている。
 目の前の『何か』に怯えているのが、一目でわかる。
 もう一人の天狗が『おい!』と声を上げて、彼の次の行動を制止しようとした。
 だが、その時、けたたましい笑い声が響き渡る。
「闇は新たな世界を得て、日の当たる場所へと這い出てきた。
 その暖かさと輝きに、闇は己の中の夜を忘れてしまった。
 だから、思い出させてあげるよ。
 夜の怖さを。
 闇の恐ろしさを。
 この、闇の化け物がさぁ」
 ぬえの体は周囲の影の中に溶け、消えた。
 次に現れた時、それはもはや『ぬえ』ではない何かとなっていた。
 現れた黒い塊。目も鼻も口もない、真っ黒なのっぺらぼうに手足が生えただけの不気味な存在が、何人も何人も、彼らを取り囲むようにして立っている。
『化け物は他の何かの恐怖を食うんだ。
 お互いのそれを味わって、久方ぶりの食事といこうじゃないか』
 くぐもった声が、まるで呪いの音のように響き渡る。
 目の前の異様な光景に気圧され、勇猛なはずの天狗二人が足を引く。

「さあ、始まりだ」

 その影の中から『ぬえ』の形をした『ヒトガタ』が現れ、彼らの耳元で小さく囁く。

「あのちびすけいたずら妖怪が、何やら大暴れしてるみたいですけれど」
「あれは本当に、他人を脅かすのが好きな、性悪なところがありますから」
 アリスの指先から一本の糸が、後ろに向かって伸びている。
 それを耳に当てている彼女は、後ろから響き渡る、音とも声ともつかない不気味な何かを聞きながら、「夢に出るわ」と呆れ声でつぶやいた。
「まぁ、これで、少しでも天狗の方々が尻込みしてくれるといいんですけれどね。
 博麗の巫女に、想像を絶する、恐ろしい化け物が味方した、って」
 森の中を抜けて、二人は神社の境内へと戻ってくる。
 石畳の上、社殿のちょうど真ん前に白蓮が立っていた。
 彼女は瞳を閉じ、ただ立ち尽くしている。瞑想中なのかもしれない。
「聖、結界の配置を終えました」
 星が声をかけると、少しして、白蓮が閉じていた目を開く。
 彼女は星とアリスを一瞥すると、「ぬえが、またいたずらをしているようですね」と言う。
「……あれがいたずらなのね」
「ちゃんと釘は刺しておきましたから。殺したりはしませんよ。
 ただ、相手の、妖としてのプライドは木っ端微塵になるかもしれませんが」
 人間だろうが妖だろうが、怖いものは怖い。
 そして、天狗のようにプライドの高い連中が、目の前の『恐怖』に怯えてびびって逃げ出したとなれば、その立場もプライドも粉微塵。恐らくは立ち上がれないレベルの精神的ダメージを受けることだろう。
 哀れな、とアリスはつぶやいた。
「あの手の妖怪の一番の趣味。何だか知ってますか? アリスさん」
「えーっと……」
「自分の術や技をもって、対象を罠にはめ、戸惑い、逃げ回り、恐れ、怯えるものを見て、大笑いしながら馬鹿騒ぎをすること、です」
「……うわ」
 それが、『他人を脅かすことを生きがいにする魔魅の化生』の一番の趣味なのだというから、全く趣味が悪いと言う外ないだろう。
「この際、ぬえの行いには目をつぶりましょう。
 星。結界を」
「かしこまりました」
「ぬえが戻ってきてませんけど?」
「大丈夫ですよ」
 白蓮が答える。
 星は手にした棒を地面に突き立て、何やら耳慣れない言葉で呪をつむぎだす。
 そして、高らかな宣言と共に、その右手が棒を叩いた瞬間、辺りに『きん!』という空気が張り詰め、そして消える。
「……?」
「終わりました」
 今の違和感が、恐らく、結界が作られた瞬間なのだろう。
 アリスはこの手の術に全く詳しくないから、何がどうなったのかわからないだけで、目の前の二人には、今、どのような事態が起きたのか、手に取るようにわかっているはずだ。
「アリスさん。さっきも言いましたけれど、人間がこの結界を通るのは自由です。
 ですが、妖怪が結界を通り抜けようとした場合、大きなダメージを受けます。その際は、私か聖に、必ず声をかけてください」
「え、ええ。わかりました」
「あとは――」
「あー、楽しかった!」
 星が肩越しに後ろを見やると、そこから、ぬえがけたけたと笑いながら歩いてくる光景があった。
 久々に他人を脅かしてやった、という満足感で一杯の笑顔だ。
「ぬえ。天狗は?」
「大慌てで逃げてった。いやぁ、あのおじさん達も弱虫だねぇ」
「全く」
「星。ああ、聖でもいいや。お饅頭ちょーだい! おなかすいた!」
「わかりました。
 アリスさんもいかがですか?」
「あ、え、えーっと……。
 私はもう少し。いいですか?」
「では、用意して待っていますね」
「早く戻ってこないと、アリスの分の饅頭も、わたしが食べちゃうよ~!」
 三人は連れ立って母屋へと戻っていく。
 それを見送ってから、アリスは手元をひゅんと一振りする。
「あの結界が少しでも意味を持たなければ、何の意味もない。
 ならば、私が手を貸しても問題ない」
 あっという間に、十を超える人形たちがその場に現れていた。
 彼女たちはアリスの指の動きに従って方々に散っていく。
「まだ『出来損ない』の彼女たちだけど、すぐに私のかわいい『人形』になる。
 結界使いにしか出来ないこともあれば、人形操師にしか出来ない業もあるのよ」
 手から伸びる繰り糸をぴんと切る。
 そうして、彼女はその場を後にする。残るは、いつもと変わらない――何一つ変わらない、博麗神社の平穏だけだった。


「――つまるところ」
 片手に持っていた書類を、彼女はぽいと放り投げる。
 ひらひらと舞うそれが床に落ち、
「こんな面白そうなことに、我が紅魔館は参加せず、黙って見ていろと」
 それをした目の前の人物に対する、彼の視線がきついものとなる。
 紅魔館。
 幻想郷の一角に佇む紅の屋敷。
 かつては『悪魔が住まう魔性の地』と言われていたここも、昨今ではずいぶん丸くなり、大勢の人に親しまれる場所となって久しいのだが――、
「そうだ。それが、お前たちが平穏無事に、この地で暮らしていく最良かつ唯一の選択肢となる」
「あら、そう。そうなの。へぇ、そう。それはそれは。ご親切にどうもありがとう」
 この屋敷の主人、吸血鬼、レミリア・スカーレットなる子供。
 その偉そうな態度は、全く、妖怪の山の天魔と似ている。
 無駄に偉そうで、わがままで、自己中で、そして容赦ない自信家っぷり。
 加えるのならば、その種族ゆえの、他者を徹底的に下に見て蔑むその態度。
 全く、天魔とそっくりだ。
 使いとしてやってきた天狗は口の中で小さくつぶやく。
「だけどね、残念だけれど、この依頼は聞けないし、あなたの言うことも、全く賛同することが出来ない。
 なぜだかわかるかしら?」
「……」
「わたしは、楽しいことが大好きだからよ」
 ぴょんと椅子の上から飛び降りる。
 ちんまりぷにぷに、ふんわりぽん、な感じのこのレミリア。その外観は幼い少女のそれであり、実際、性格も、徹底的に子供である。
 こんなところまで、この彼女は、あの性悪ど腐れ天魔とそっくりなのだ。忌々しいことこの上ないことに。
「帰って親玉に伝えなさい。
 そんなことに従う義理はないし、付き合うつもりもない、とね。
 博麗神社を襲うのは大いに結構。存分におやりなさい。
 だけど、わたしもそこに混ざらせてもらう。
 別に霊夢を手伝うとか守ってやるとか、そんなことではないのだけど。
 一度、妖怪の山の連中――それも、特別強い奴らとけんかをしてみたかったのよね」
 彼は無言で、手にした棒で床を叩いた。
 どん、という音が広い空間に響き渡る。
「それはこちらの通告を無視する、宣戦布告とみなして構わぬな?」
「ええ、どうぞ。
 それで? だったらどうするのかしら」
「我々は天魔さまより命が告げられている。博麗の巫女以外、全てのものに対して、必要最低限の干渉以外は認めないというものだ。
 しかし、逆に考えるのなら、必要最低限の干渉は許可されている。
 天魔さまの邪魔になるものを、事前に排除しておくことに、何の戸惑いがあろうか」
「へぇ~」
 彼の右手の一振りが、紅魔館の壁を破壊する。
 轟音が響き渡り、外から、燦々と日光が降り注いでくる。
 そして、それを合図として、紅魔館の上空に待機していた無数の天狗たちが動いた。
 彼らとて、紅魔館を過小評価などしていない。
 この幻想郷で、唯一、自分たちと互角以上に戦える戦力がそろう『敵』として認定しているのだ。
 その敵地に、たった一人で、いかな天狗とはいえ乗り込もうものならどのような目にあうかわからない。
 卑怯者、臆病者と謗りたくばするがいい。
 万難を排して任務を達成することが、自分たちのような使い走りには求められるのだ。
「咲夜。壁の修理、どうする?」
「彼らに請求いたします」
「そう。
 それじゃ、こんな無礼な客はうちのルールに合わないから。
 適当に追い出してちょうだい」
「お嬢様はよろしいのですか?」
「下等な連中に付き合っていたら、この、夜の王たる高貴な血が穢れてしまうもの」
「承知いたしました」
 その会談の場に同席していた一人の人間――メイド長たる十六夜咲夜がレミリアに向かって、一度、こうべを垂れた。
 次の瞬間、天狗の真横に彼女の姿が現れる。
 繰り出される蹴りを彼は片手で悠々と受け止め、「人間が天狗にかなうと思うてか!」と宣言する。
「わたしも以前、同じようなミスをしたことがあるのだけど。
 天狗。一つだけ、教えてあげる。
 相手の力量を見極めもせず、己に浸って、戦う前から勝ち誇る奴は、その時点で敗北しているものよ」
 天狗の振りかざす棒を、咲夜は簡単に回避する。
 そして相手の背後に回りこみ、
「無礼なお客様は、どうぞお帰りください」
 その手から放つナイフを一発、彼の背中に命中させた。
 呻き、一歩、足がよろめく彼の足を払い、床の上に倒すと、みぞおちを思いっきり踵で踏みつける。
 ぐえっ、という悲鳴を上げて身を折る彼を外へ蹴り出し、地面へと叩き落す。
「各メイド部隊に通達。
 一小隊四人の編成を取り、必ず、二小隊以上で一人の相手に当たってください。
 天狗の力は皆様の想像以上です。
 我らは妖精。妖精とはいえ妖怪ですが、天狗とは大きな力の差がございます。
 しかし、皆様の日頃の鍛錬は、その差を確実に埋めております。そして我々には、天狗を上回る『鉄の結束』がございます。
 恐れることはございません。ですが、蛮勇を持ってはいけません。
 各自、普段の業務に当たるがごとく、冷静に、そして優雅に、この不埒なお客様を外へ叩き出してくださいませ」
『かしこまりました、お姉さま!』
 いつの間にか、外に、無数の妖精メイド達が集まり、指示するメイドの言葉に従い、天狗へと向かっていく光景があった。
「……あの、これは……」
「ああ、えっと……。
 お客様を楽しませるアトラクションです」
 そして、こんな時でも平常時の営業を続ける紅魔館。
 外に並ぶ、紅魔館の『よいお客様』達が、突如、空で始まる鮮やかな戦いを見て困惑するのを、彼らを案内する『お客様案内係チーフ兼門番』の紅美鈴が、何ともいえない、しかし根っこに染み付いた性根は変えられない愛想笑いを浮かべてあしらっている。
 困惑を浮かべて尋ねた男性が『そ、そうですか』と疑問を隠しきれずに、しかし納得してうなずく。
 空に浮かぶ天狗たちと妖精メイド達の戦い。それは上空のみの戦いに限られ、地面や紅魔館の建物、そして、紅魔館の美味しい料理――紅魔館レストランサービス。幻想郷の皆様に絶賛大好評――を待つ彼らには、直接の災厄として降りかかっては来ていない。
「雑魚どもを蹴散らせ!」
 勇猛な声を上げて、天狗の一人が仲間を鼓舞し、妖精たちを蹴散らしていく。
 さすがは一騎当千、幻想郷でも格別強い天狗たちだ。
 その手が相手をなでるだけで、妖精たちは悲鳴を上げて吹っ飛んでいく。全く相手になっていない、と言ってもいいだろう。
 だが、彼らは前に進むことが出来ないでいる。
「第四小隊、二人脱落!」
「第八小隊、いけ!」
「かしこまりました!」
 倒しても倒しても、次から次へと、紅魔館から武装した妖精たちが飛び上がってくる。
 仲間がどんな目にあっても、全く、それを見て恐れをなして怖気づくことなく、自分たちよりも何倍も、何十倍も強い天狗を相手に向かってくる。
 しかも、幻想郷で一般に認識されている妖精――常日頃、遊んで一日を過ごすお気楽妖精とは違って、彼女たちの士気はすさまじく高い。おまけに、皆、勇猛果敢であり、そのかわいらしい見た目にそぐわない威勢のいい雄たけびを上げて戦闘を繰り返す。
「ぐえぇっ!」
「一人、撃墜!」
「手の空いたものは左右に散れ! 味方が押されているぞ!」
『イエス・マム!』
 その戦い方も、ただ直線的に突っ込んでくるだけではない。
 スクラムを組んで突撃してきたり、一人が突撃、複数がそれを背中から援護したり、あるいは、相手一人を囲んでの包囲攻撃、さらには数名を囮にして、相手を陣の中へと誘い込み、十字砲火を食らわすなど、高度な戦術を使いこなす。
「誰だ! こいつらが、ただの妖精なんて言った奴は!?」
 戸惑いの声を上げた天狗が、メイド妖精に、後ろから『えーい!』と振りかぶったフライパンで後頭部を一撃される。
 ふらついたところに、これでもかと弾幕の集中攻撃を受けて撃墜され、戦線離脱する。
「お、おのれ!
 ええい、敵は弱兵の集まりだ! こんな雑魚どもに後れを取るなど、天狗としての沽券に関わるぞ!
 やれ! 徹底的に倒せ! 力の違いを見せ付けてやれ!」
 これが、紅魔館が妖怪の山などという化け物の集う『敵』と互角以上に戦える理由である。
 尽きない無限の戦力による人海戦術と、言葉に出さずとも視線だけで意思疎通が行えるほどの互いへの信頼、そしてそれを理解し、実行する行動力。
 これら全てを総合して、紅魔館で名づけられたのが『鉄の結束』である。
「押せ! 押して押して押し捲れ! 手加減などもはや無用! 奴らを蹴散らせ!」
 徐々に戦況は紅魔館側に有利となる。
 メイド達の戦力は全く尽きないのに、天狗たちは一人また一人と脱落し、やってきた当初の半分くらいの戦力に減じているからだ。
 味方を鼓舞する天狗は、一人、勇猛に戦い、次から次へとメイドたちを蹴散らしていく。
 彼の強さを見て、回りの天狗たちも士気を高め、戦いに臨むのだが、いかんせん、その戦況はもはや絶望的なほどにまで敵側に傾いている。
 だが、逃げるという選択肢はない。
 彼らには天狗としてのプライドがあるのだ。
 こんな、下等な存在に過ぎない妖精程度に負けて、おめおめと逃げ帰ったとなれば、仲間内からどんな目で見られるか。
 最悪、この地で力尽き、『戦いの末に玉砕した、勇気ある戦士』として讃えられる方がどんなにかマシというものである。
 故に彼らには当初の余裕がなくなり、天魔の課した『博麗の巫女以外には、最低限の実力行使しか認めない』というルールを無視して行動を始めている。
「お姉さま! 第十七小隊、壊滅しました!」
「第二十小隊、いけ!」
 メイド達の被害も大きくなってくる。
 当初に述べたように、妖精と天狗単体同士とでは、逆立ちしたってかなわないほどの力の開きがある。
 彼らが玉砕覚悟で全戦力を傾けてくれば、当然、地力で劣る妖精たちなど鎧袖一触。それでも戦いを諦めず、恐怖に怯えず、戦うのが紅魔館のメイドなのだ。
 しかし、このままでは紅魔館側の被害もかなり大きくなってしまう。
 怪我をしたもの達には傷病金を出さないといけないし、その間の業務も滞ってしまう。
 ただでさえ、紅魔館では、日頃の人材不足に悩んでいるのだ。
 これ以上、『人』を失うのは惜しい。
「っ!」
 回りの味方を全て撃墜され、孤立したメイドに、天狗の一人が雄たけびを上げて襲い掛かる。
 反撃に放つ攻撃もたやすくいなされ、視界一杯に広がった相手の姿に体を固くし、目を閉じたその時、
「すぐに後ろに下がりなさい。あとはわたくし達が受け持ちます」
 上がった悲鳴は天狗のもの。
 彼女が恐る恐る目を開くと、彼女に襲い掛かっていた天狗がぐらりと揺らめき、地面へと落下していくところだった。
 視界に映る、紅の館に映える純白の衣装。
「マイスターのお姉さま!」
 紅魔館最強の戦力、そして誰からも尊敬を集める完璧なメイド。
『マイスターのお姉さま』と、皆から信頼と尊敬、そして畏怖の視線を集める、通称『マイスターメイド』の登場である。
「何だ、きさ……!」
 新たに襲い掛かる天狗は、言葉を全て口にする前に、一刀の下に切り伏せられる。
 彼女が手にした刀が鞘に納められ、それが一瞬、閃いた瞬間、彼は地面に向かって落下していく。
 天狗の目ですら捉えられない、神速の居合いが彼女の武器である。
「やーやー、にぎやかだねぇ」
「あなたも、ただ黙って見てないで、メイド長補佐のお手伝いをされてはいかがです?」
「あたしは、若い子たちの護衛だけにしておくよ。
 他の連中だって、やられた子達の面倒を見てるだけでしょ? だいじょーぶだいじょーぶ」
 気楽なセリフと共に戦場を縦横無尽に飛びまわり、窮地に陥る味方を助けて回るメイドの手には、その身の丈を遥かに越える、巨大な大鎌が握られている。
「あたしは手加減が苦手だから、近づかないでちょうだいな!」
 柄の石突で相手のみぞおちを一撃する。
 くぐもった悲鳴を上げて身を折った彼の眼前に迫る、一発の弾丸が、その顎を弾いて吹き飛ばす。
「全くもう。そういうことばかりしているから、お下品と怒られるのですよ」
 のけぞる彼に、さらに三発の弾丸を叩き込み、沈黙させるのは両手に巨大な銃を抱えたメイドである。
 その銃口が閃くと、放たれる弾丸は的確に相手の急所を捉えて吹き飛ばす。
「何だ……!? 何だ、こいつらは!?」
 たった三人、相手に増援が来ただけで、天狗たちは手も足も出ずに瞬く間に蹴散らされていく。
「あなた達がおいくつなのかは存じませんけれど。
 たとえ妖精とはいえ、一千年を越える年月を生きれば、それは充分、『大妖怪』でございます」
 一撃。
 刀の刃ではなく、背中の方で相手を峰打ちし、ふぅ、と彼女は息をつく。
「メイド長。敵の殲滅、終了いたしました」
「お疲れ様」
 気がつけば、天狗たちは、皆、地面に倒れ伏していた。
 痛みにうずくまり、動けない彼らをメイドたちは回収し、『お怪我をなさっています。丁重に扱いなさい』と館の中へ連れて行く。
 別段、牢屋に閉じ込めて拷問、などのことをするのではなく、ただ怪我の治療をするだけだ。
 もちろん、治療した後は『お帰りください』と冷徹に蹴り出すのであるが。
 たとえ敵といえども、戦いが終われば『将来のお客様』となるかもしれない相手。そういう相手に対して、最低限以上の礼儀と慈しみを見せるのが、紅魔館メイドの『メイド魂』でもある。
「いやぁ、強い」
 空を眺めながら笑っていた美鈴は、ぱちぱちと手を叩く。
 いざとなれば自分が出て行って相手を倒さないといけないかとも思っていたのだが、思いの外、メイド達が奮闘してくれたのだ。
 これも日頃の、咲夜を初めとしたメイド達の教育の賜物である。
「これはなんというか……すごいですな」
「楽しんでいただけたのなら幸いです」
 その時、まるで何事もなかったかのように、美鈴に声をかけた男性の元に『ようこそ、紅魔館へ』と笑顔を浮かべたメイドが歩み寄ってきたのだった。

「先の戦いの、当方の被害報告です。
 重傷が三名、軽傷が三十三名。割れた窓ガラスが十八枚、南側の壁に損傷多数、地面もかなり破壊され、景観に被害」
「傷を負った子達は、全員、怪我が治るまで自室で治療を命じてください。また、傷病見舞いをしっかりと。
 あと、壊れたところは早急に修復の上、被害額を算出してください。後ほど、妖怪の山へ全額を請求いたします」
「かしこまりました」
「あの数の天狗を相手に、この程度の損傷で済む辺り、うちもずいぶん強くなったわね」
「ええ。その通りです、メイド長」
 自画自賛する咲夜に、その脇に佇むメイド長補佐のメイドが返す。
 咲夜とマイスターメイド全員を集めた、紅魔館の『最高権力者』の会議が開かれている。
 その場にレミリアの姿はない。彼女はこういう会議などに出てくると、五分ともたずに『退屈!』と騒ぎ出すからだ。
「これで、我々は、妖怪の山の完全な『敵』となったわけか」
「この期間……三日間でしたっけ? それまでの間ですし」
「山の方々にも、上得意様が多数いらっしゃいました。その方々が、今後、お店を訪れてくれるかどうかが不安ですわね」
「どうしてこう、余計な騒ぎを好みたがるのか」
「そりゃ、レミリアちゃんだもん。しゃーないっしょ」
「……彼女は我々の主人です。『ちゃん』というのはどうかと」
「『薬は甘いシロップじゃないと、絶対にやだ!』って駄々こねる子は、いくつになっても『ちゃん』扱いよ」
 しかし、その会議の雰囲気は、どちらかと言うと、それぞれが思い思いに喋るだけの茶話会に近い。
 実際、テーブルの上には紅茶とお菓子が置かれていたりする。
「さて、これからどうしましょうか」
「お嬢様の考えでは、今回の騒ぎには一つかむようだから。
 いつも通り、それをサポートする、でいいのではない?」
「だとすると、どのように動きますか?」
「今回みたいに相手が攻めてきたら応じて、そうでなければ、お嬢様が動き出すまではいつも通りにしていましょう。
 積極的に博麗神社に足を運んで、彼女のサポートをアピールするのは、あまり得策ではないわ」
 我々は、あくまでこの『遊び』を楽しむものである。
 そういう立場を鮮明にしていた方がいいだろう、という咲夜の意見に異論を挟むものはいなかった。
 紅魔館にとって、今回、戦いを挑んできた天狗たちも『お客様』である。
 彼らが今後、紅魔館のサービスを利用するに当たって、何かしこりになるものを作るのはよくない、という立場だ。
 ある意味では消極的であるし、打算まみれの選択肢である。
 しかし、彼女たちにとって、最も賢く、そして最大限の利益を取る選択肢でもあった。
「いざ、騒ぎとなれば、今回とは比較にならない数の天狗たちと事を構えることになりそうです」
「そうね」
「その時のための、腕利きを集めておいた方がいいかと存じます」
「精鋭部隊の選抜か。それは面白そうだ」
「それに、人を割きすぎて、被害が出すぎて、館の業務が止まってしまっても困りますし」
「メイド長。参加するもの達は、わたしが募り、選抜を行ってもよろしいでしょうか」
「任せます」
「かしこまりました」
 そんな感じで会議は滞りなく進み、最後に『では、出されたお茶を頂きましょう』という形で解散となる。
「やれやれ。全くもう」
「だけど、お嬢様らしいですね」
 会議が終わった後、会議室の片づけをする咲夜と、その補佐のメイド。
 彼女たちは互いに一言、二言、会話を交わすと、それぞれに作業を終えて部屋を後にする。
 上の立場にある彼女たちの仕事は、毎日毎日、山積みなのだ。
「こうして手間を増やしてくれるのだから、本当に、お嬢様は困った子だわ」
 とはいえ、それもまんざらではない、という顔をして、咲夜は一人、館の中を歩いていく。

「よう、美鈴」
「魔理沙さん、こんにちは」
 空の上から箒に乗った魔理沙が舞い降りる。
 彼女は美鈴に気さくに話しかけ、門の前に並ぶ人の列を見て、そして、門の向こうに見える館の有様に肩をすくめる。
「あれか。天狗が来たか」
「魔理沙さんのところもですか?」
「そうだ。
 私のところに来た連中は、やばいくらい強くてな……。悔しいが、さっさと逃げた。
 こっちのは?」
「メイドさん達が蹴散らしてくれました。
 私は見てるだけでしたね」
「相変わらずだね。弾幕勝負は弱いくせに」
「人には適材適所がありますから」
 美鈴に魔理沙は『ちょっと中に入れてくれ。パチュリーに用事がある』と言った。
 美鈴は目で礼だけすると、『どうぞ』と言う意思表示を見せる。
 彼女は紅魔館の門をくぐり、館の中へと足を運ぶ。
「えっと……」
「何をしにきたの? 魔理沙」
「うわ、びっくりした」
「あら、ごめんなさい」
 その彼女の背後に、音も気配もなく近寄って声をかけるのは咲夜だ。
 彼女、こうして、他人を驚かせる趣味を持っている。子供っぽいというか、迷惑千万と言うか。
 魔理沙は彼女に振り返ると、「パチュリーに用事がある」と告げる。
「何かあったの?
 そういえば、いつも持っている箒と、それは少し形が違うわね」
「壊れたからさ。こいつは霊夢のところから借りてきた」
「ふぅん、そう。
 わかったわ。じゃあ、応接室に案内してあげる」
「ケーキとお茶が欲しい」
「はいはい」
 魔理沙を連れて、咲夜は館の中を進み、『こちらへどうぞ』とある一室に通してくれる。
 館の入り口のにぎやかな喧騒はすっかり鳴りを潜め、豪華な調度品に囲まれた、豪勢な部屋である。
 咲夜曰く『外からのお客様に対して見栄を張る部屋』なのだそうな。
「ケーキは何がいい?」
「そうだなぁ。ちょっと苦めのチョコレート」
「じゃあ、オペラにしましょう。コーヒーを強めでね」
「おう、頼む」
 咲夜がドアの向こうへと消える。
 魔理沙は案内された部屋の中、勝手にソファに腰掛けると、ん~、と伸びをした。
 そして、ちょっと姿勢を正した、その時だ。
「用件があるなら、事前に話してからきてくれないかしら」
「相変わらず、お前は唐突に出てくるね」
「この館の連中は、皆、そうでしょ」
 床の上に描かれた魔方陣が光を放ち、そこから目つきの悪い魔女が現れる。
 パチュリー・ノーレッジ。
 この館に併設された図書館の主。端的に言えば、『紅魔館の居候』である。
「お前から出向いてくるなんて。どういう風の吹き回しだい?」
「美鈴から小悪魔へ。そして私へ」
「なるほど」
「館がうるさかったのは知っているし、それで何が起きたのかも、大体は見ていたから。
 まぁ、めんどくさいし、関わると厄介だから、私は一切、手出しはしなかったけどね」
「冷たいなぁ。手伝ってやればいいじゃないか」
「天狗は強いからやだ」
「なるほど」
 一撃で倒せるような雑魚と戦うのは好きだけど、何発入れてもそうそう倒れないめんどくさい奴と戦うのはいやだ、というパチュリー。子供っぽい理屈であると共に、実に合理的な理由だ。
 パチュリーが適当に椅子に腰を下ろしたところで咲夜が戻ってくる。
 咲夜は『あら、パチュリー様』と驚いたような声を上げるものの、その手に持った銀色のトレイの上にはお茶とケーキが二人前。
「それで? 何しに来たの」
「まぁ、話すとちょっと恥ずかしいからいやなんだけどさ」
 魔理沙はケーキを食べながら、天狗たちの来訪と、それに伴う一連の出来事を二人に話した。
 二人はただ無言で、魔理沙を見つめながら、その話を聞いている。
 魔理沙は最後に、「そういう強いやつらが出てくると、多分、色々厄介だ」と言って話を締めくくる。
「疾風迅雷、という言葉を二つに分けたような奴らね。
 文の話にそういうのは出てくるのかしら?」
「彼女やはたてが語るところによると、天狗社会も上から下まであって、実力もピンきりだとか」
「と言うことは、その疾風と迅雷と言うのはピンのほうということね」
「正直、私の攻撃をいなすような奴は、そりゃたくさんいるさ。パチュリーにだってやられたし。
 だけど、あんな至近距離から、しかも完璧なタイミングで攻撃したのに、軽々と返されたのは初めてだ」
「その話が本当なら――まぁ、疑う余地はないけれど――、確かに、天狗連中の『上の奴ら』が出てくると厄介ね」
 パチュリーはカップを傾けてお茶を一口し、『甘い』と文句を言う。
 咲夜はしれっと、『魔理沙にあわせたので』と返すだけである。
 パチュリーは、紅茶に砂糖は入れない派。対する魔理沙は、砂糖をティースプーンに三杯は入れる派なのだ。
「あなたが子供だからじゃないかしら」
「何だよ、唐突に」
「別に」
 パチュリーは一冊の本を取り出す。
 片手に持ったそれをテーブルの上に広げてページをめくり、魔理沙に「これ、読める?」と突き出す。
「……わからん」
「でしょうね」
「何だよ」
 ぷくっとほっぺた膨らませてむくれる彼女に、『それが、今のあなたの実力よ』とパチュリーは返した。
「いい、魔理沙。
 魔法使いに必要なのは、知識、経験、魔力、智慧、それからその他諸々。
 特に重要なのが、前者四つ。
 これが、今のあなたには足りていない。
 年月を経れば、自然と身につく力なのだけど、人間であるあなた――しかも、魔法の研究を始めて十年やそこらの、駆け出しの小娘程度に身についているそれは、せいぜいが付け焼刃。
 まず、それを自覚しなさい」
「うぐ……」
 厳しいわね、と咲夜が後ろで微笑んでいる。
 魔理沙は難しい顔で押し黙り、パチュリーは淡々と、話を続ける。
「自分の持っている実力を、智慧をもって活用し、その智慧を生かすための経験と知識を積み重ねていく。
 魔法使いに限らず、人の成長も、みんなそう。
 あなたが、一千年以上を生きているであろう大妖怪になんて、まともに戦って勝てるわけがない」
「……それはそうだけど」
「じゃあ、どうする?
 修行だとか、勉強だとか、たった三日で人間は劇的に変わらないわ。
 選択肢は二つ。
 諦めて投げ出すか――」
「……やられるのがわかっていて向かっていくか、だろ」
「その通り」
 よく出来ました、とパチュリーは手を叩く。
 魔理沙はますますふてくされ、ティーカップの中身を、音を立ててすすった。
「私は、売られたケンカは買う主義だ」
「あなたの話を聞く限り、ケンカを売ったのはあなたの方でしょう。自業自得よ」
「いや、それはその……」
「まぁ、逃げるなんて選択肢があなたの中にないのは知っている。
 だから、ここに来た。私を頼って。そうでしょ」
 それについては異論はないのか、魔理沙は無言でティーカップをソーサーに戻した。
 咲夜が横から、彼女の空っぽのティーカップを取り上げて、中に暖かい紅茶を注ぐ。
「けど、いくら私でも、魔法の基礎がようやく出来た程度の新米魔法使いを、いきなり、何百年も魔法の研究を続けてきた熟練魔法使いになんてできるわけがない。
 私だって無理なんだから。自分に出来ないことを他人に出来るはずがない」
「……むぅ」
「少しでも戦えるようになるには、ちょっとでもいいから、頭を使うことだけね」
「使ってるぞ。私はいつでも頭脳戦が得意だからな」
「向かってくる相手に対して正面からぶつかっていくだけの猪突猛進娘が何を言う」
 ぺし、と手にした本で魔理沙の頭をはたくパチュリー。
 そう言って、彼女は立ち上がると、『ついてきなさい』と歩いていく。
「おい、どこに行くんだよ」
「とりあえず、壊された箒とやらを修理しないとどうにもならないでしょ。
 あなたの武器の一つはすばしっこさなんだから。
 その上で、あなたに出来る最大限のことを実行できるように、私がレクチャーしてあげるわ」
「何だよ、それ。お前、私の家庭教師か」
「出来の悪い生徒もいたものね」
 やいのやいのと言い合って、二人は歩いていく。
 彼女たちの背中を見ながら、咲夜はテーブルの片づけを始めた。
「ああ見えて、結構、気が合うのよね。あの二人。
 出来はいいけど素直じゃない生徒と、教え方は悪いけれど、とても優秀な教師。
 何だか、ものすごく、育つのも育てるのも苦手そうなコンビだわ」
 しかし、世の中、マイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスになるのは自明の理だ。
 なるほど、してみるとこの二人、意外と馬が合うのかもしれない。
 問題は、そろって、『素直じゃない』と言うところか。
「三日でどれだけ成長するか。楽しみね」
 その言葉はどちらに向けたものであるか。
 咲夜は語らず、手元のトレイにティーカップを載せて、その部屋を後にしたのだった。


「……その話、承服できません」
「ふむ」
「だってさ。神奈子。どうする?」
 妖怪の山の一角に、ちょっとした神社がある。
 そこの母屋の居間には三名の人。
 ……いや、『人』と表現するのは正しくないか。
「そもそも、神奈子さま。諏訪子さま。
 どうして、そのような、妖怪の横暴に我々が協力しなければならないのですか」
「ご近所づきあい」
「そうじゃなくて!」
「落ち着け、早苗」
 早苗、と言われた彼女――東風谷早苗と言う彼女は、目の前の相手の言葉に、握っていた拳を解いて、『……申し訳ありませんでした』と頭を下げる。
「諏訪子の言うように、近所付き合いの意味合いが、かなり強い。それは認めましょう」
「うちって、そんなにご近所さんと仲良かったでしたっけ」
「いいよー。いい。すごくいい。
 早苗のブロマイドなんて『早苗ちゃんの生写真! 言い値で買おう!』ってやつらがうじゃうじゃと」
「即刻取り返してください、その写真!」
 けたけたと楽しそうに笑うのが洩矢諏訪子という神。
 そして、その隣で、何やら堅苦しい空気を漂わせるのが、八坂神奈子と言う、こちらも神である。
「早苗。我々、神は、民からの信仰を糧に己の存在と力を維持しているというのは、以前、教えていたな?」
「ええ、知っています。そのせいで、神奈子さまが幻想郷に逃げ込むはめになりましたから」
「……うぐっ」
「あーあ。あれ、早苗、めちゃくちゃ怒ってるね」
 普段はこの二人には従順で、どのような理不尽にも従う早苗が、言葉の端々どころか言葉そのものをいやみとしてとげとげしく放ってくる。
 神奈子は呻いて顔をしかめ、諏訪子はにやにやと笑う。
「……それはともあれ。
 普段、信仰心をもって信仰をささげてくれる民の言葉には耳を貸し、最大限、己の力でもって慈悲を与えて恵みを注ぐのが、神としての民に対する姿でもある」
「だから、連中から『お願いします、神奈子さま。諏訪子ちゃんっ♪』って言われると、こっちは『やだ』って言えないんだな、これが」
「何だ、その『諏訪子ちゃん』と言うのは」
「あたし、あたし」
「それで?」
 二人のやり取りなどなんのその。
 早苗は冷たい眼差しと鋭い口調を相手に向けるだけである。
 肩をすくめて、神奈子は続ける。
「民に求められているのに応えなければ、それは神ではなく偽神である」
 それだけで、神としての行動の理念は説明がつき、今回の言葉の理由にもなる。神奈子の言葉は全く間違っておらず、厳格な神として名高い彼女らしい答えであった。
 それについては、さすがの早苗も何も言うことが出来ないのか、少しだけ居住まいを正すだけだ。
「そして、あたしらが手を貸しているというのに、その巫女である早苗が知らぬ存ぜぬ、わたしは関係ありません、とは言えないでしょ?
 だからだよ」
「……ですが。
 天魔とは、確か……」
「以前、一度だけ、お前も会ったことがある。あの子供だ」
「あの超飲兵衛幼女ですか」
 かつて、幻想郷にやってきた時、出会ったあの少女。
 突然、この神社へとやってきて、神奈子と何かの会話を交わして、あとは朝まで樽酒抱えてどんちゃん騒ぎ。翌朝、『あれだけ飲んだのに』と早苗を呆れさせながら、二日酔いの欠片も見せずに帰っていった人物である。
 あれがそんなに偉い妖怪だとは知らなかった、と言う顔の早苗に対して、神奈子も「私もそう思う」と包み隠さず素直な気持ちを口にする。
「あれがよこした使いが、直筆の書簡を持ってきた。
『博麗神社に攻撃を仕掛ける。軍神として名高い八坂の神に、是非、配下の妖怪どもを鼓舞する象徴となってほしい』――断る理由はない」
「ついでに言うなら、それに協力もしてくれ、ってね。
 そういや、あたし、博麗のとかとはやりあったこと、ないんだよ。楽しみだね」
「諏訪子さま。不謹慎です」
「何で?
 神様って、みんながみんな、大人しい奴じゃないよ。
 自分の領土にやってくる外様を排除するためには、全力でぶっ殺しにかかるし、信仰を忘れた身の程知らずには七日七晩苦しみ、二度と落ちぬ咎を、その魂に縫い付けて、彼の世に放り込んだりもする。
 これは、戦と言う遊びさ」
 そして古来より、神は『遊び』に興じる生き物であった、と諏訪子は言う。
 それが長く生きる上での娯楽であり智慧であった。そして、多くの民の心をつなぎとめる手段であった。
 強く、気高く、そして優しき神を、人は信仰した。それについていけば、未来永劫の繁栄を営めるとわかっていたからだ。
「あたしは、意外と、ケンカ好きだよ」
 にっと笑う諏訪子の顔はいたずら坊主のそのものだ。
 しかし、その笑顔通りの存在では、もちろん、ない。
 この笑顔ほど厄介な、剣呑なものはないだろう。
「早苗。従いなさい」
「いやです」
 きっぱりと、早苗は答えた。
 絶対にいやだ、という顔で、彼女は相手をにらみつけている。
 こうなると、彼女は厄介だ。何せ、この彼女、その見た目に似合わない芯の強さと共に、徹底的な頑固さを持ち合わせている。岩のように頑固といわれる、あの聖白蓮とどっこいどっこいか、もしかしたら早苗の方が上と思わせるほどだ。
「わたしは、神奈子さま、諏訪子さま。霊夢さんに手を挙げることなど、絶対にできません」
「ならば、後ろで、天狗たちを鼓舞するだけでいい」
「いやです。
 それで戦意を高められたもの達が、わたしの親愛な人たちに危害を加えるのです。
 わたしは、そんなこと、望みません」
「早苗」
「何度も同じことは言いません」
「こりゃダメだ。神奈子。ダメだ、ダメだ」
 諏訪子が笑いながら、ぱたぱたと手を振った。
 神奈子は厳しい顔で早苗に眼差しを送りながら、
「ならば、好きにしなさい」
 そう告げて、ふぅ、と肩から力を抜いた。
 彼女は足を崩し、卓に手を着いて、早苗を見る。
「そこまで言うなら、もう、私はお前をどうこうするつもりはありません。
 元より、お前も、まだ完成されていないとはいえ、現人神という名の神。我々と同じ位置にいるとは到底言えませんが、それでも、その意思には尊重をしなければなりません」
「はい」
「ならば、好きにしなさい。
 何もせず、ここでただ黙っているもよし。博麗神社の側につくもよし。第三勢力となるもよし。
 それはお前の自由です。
 ただし、いずれの場合においても、お前の意思とその覚悟、そして神としての『格』が不適当であると私が判断した場合、もう二度と、この神社に帰ってくることはまかりならん。
 それだけは肝に銘じておくのだな」
 神奈子は立ち上がり、部屋を辞した。
 黙って座っていた早苗も、小さく息をついて立ち上がる。
「早苗」
「……はい」
「怒られたね」
「……わがまま言ってるのはわかってます。けど、その……神様って、物事に対して私を挟まないと聞いていますが……」
「ああ、そんなの嘘、嘘。私情ばりばり入りまくり。誰さ、そんな嘘言ったの」
「……えっと」
 相変わらず、無邪気な笑いを浮かべてぱたぱた手を振る諏訪子は、とても神には見えない存在だ。
 早苗も一瞬、彼女が神であることを忘れてしまいそうになるのだが、この彼女はこの顔の裏側に、神話の時代に『まつろわぬ神』の頂点として君臨した神の顔を持った『神』であることを思い出すと、その思いもどこかにいってしまう。
「ま、好きにするといいよ。
 神奈子の言った通り、早苗だって神様の端くれだ。そして、神は互いに干渉しない。
 相手の好きにさせて、その結果に全ての責任を取らせるのが、また神の行いだ。
 その結果、信仰を得れば正しい行い、そうじゃなかったら指差されて笑われるだけ。そんなもんだよ。人間と変わらない」
「……そうですか」
「あそこで素直になるのも早苗らしくないしね。
 だから、好きにすればいい。
 けど、早苗。多分、今のままじゃ、後悔するよ。
 何せ、この山の妖怪が総出……かどうかまでは知らないけど、博麗の巫女にケンカ売るんだ。どっちがどんな目にあうかなんて、言わずともわかる」
 もしかしたら死んじゃうかもね、と諏訪子は笑う。
 それもまた、お前の人生だ、と言わんばかりのその態度に、早苗は唇をかみ締める。
 そして、早苗は立ち上がった。
 拳を握り、諏訪子に背中を向ける。
「だからさ、ちょっとは頭を使いなよ。早苗一人じゃ、何にも出来ないし、何にもならないよ。けどさ、天狗連中に負けないくらいの力を見つけておくことだって、必要なことだ」
「……え?」
「そんじゃね」
 振り返った早苗の言葉には答えを返さず、諏訪子はひらひらと手を振っている。
 早苗はしばし、その場に立ち尽くした後、静かに、そして深々と頭を下げてその場を後にした。
「神奈子はさー」
「何だ」
「……いいや。何でもないよ」
 上げた声に、すぐ、むすっとした声が返って来る。
「へそ曲げるくらいなら、もっと素直になりゃいいのにね」
 よいせと立ち上がった諏訪子は、『困ったもんだ』とけらけら、声を上げて笑った。

「……空気がぴりぴりしてる」
 神社を後にした早苗は、荷物を入れた鞄を手に、山の上空を飛んでいる。
 あちこち、普段は見ない天狗たちが見受けられる。
 彼らはいずれも鋭い視線を、周囲に忙しなく向けながら、逐一、仲間と連絡を取り合っている。
 声をかけるのも憚られるその空気の中、彼女の視線があるところに向かう。
「穣子さま。静葉さま」
「あれ、早苗じゃん」
「まあ、早苗はん。お久しぶりどす」
 山の中腹にある、妖怪の山の名物、大瀑布。
 その陰になっている、とある林の一角が、『彼女たち』の寄り合い所だ。
「文さんとかは……いませんね。やっぱり」
「ああ、まぁ、そうだろうね。
 雛もいないよ。にとりのところ行ってる」
 そこに敷かれた畳の上でお茶をたしなみ、ついでに将棋を打ってるのは秋静葉と秋穣子と言う『神様』である。
「あの、穣子さま。静葉さま。実は折り入ってお話が……」
「協力は出来ないよ。あたしら、ケンカ苦手」
 早苗の言葉の先を制して、穣子が言った。
 彼女は将棋の盤面を見てうなってから、ぱちんと駒を動かす。
 そして顔を上げると、『ま、座って』と座布団を示す。
「山の連中がどう動くかは大体わかる。天魔が動いてるんだ。従わないわけにはいかない。
 あんた達のところにも、そういう話、来たんでしょ?
 で、早苗は一人、ここに来た。それなら、あんたがどうしてここにいるかは言うまでもない」
「……お話が早くて何よりです」
「その上で言う。手伝えない」
 なぜか。
 早苗が問いかけると、穣子は『ケンカが弱いから』と答える。
「うちらは秋の神。戦の神じゃない。
 そりゃ、神としての格をプラスすれば、天狗連中なんかとは……そこそこにやりあえる自信はあるよ。
 だけど、戦いは苦手だし。痛いの嫌いだしね」
「……そうですか」
「言っておくけど、文たちに手伝いを求めようとしても無駄だよ。
 あの連中は、この山の中における『社会』の一員だ。
 そこから抜け出そうものならえらいことになる。ここで暮らしていけなくなる。
 確かに、あんた達と友達としての付き合いはある。だけど、それはそこで終わり。己の命に代えても維持したい関係ってわけじゃない」
「……そう言われると、結構、寂しいですね」
「だろうね。けど、事実だ」
 神はこうして、『痛いこと』も平気で口にする。
 他人を思いやるという心を持っていないというわけではない。
 神とは嘘をつかない生き物だからだ。
 嘘をついた瞬間、その神としての『格』は地に落ち、力は奪われ、存在は抹消される。
 それほど、神は『嘘が嫌い』なのである。
「あいつらには、この地での暮らしがある。
 それを守るためには、どんな理不尽な命令にでも従わないといけない。縦社会の悲しいところね」
「……はい」
「そして、うちらも、この地での暮らしがある。
 堂々と『あんたら裏切ります』なんてことは、そうそう言えない。
 あたしらの信仰の最たる対象は、人里の人間や、もちろん天狗や河童もそう。だから、こいつらから『手伝え』って言われたら、多分、手伝う。
 あんたはそうじゃない。それだけだよ」
「それ、神奈子さまとかにも言われました」
「あの人は、うちらよりもずっと厳格だからね。めんどくさそうだ」
 穣子はそう言って『他をあたって頂戴』と早苗をあしらった。
 少しだけ、顔を伏せる早苗に、静葉が『気を悪くせんといてくれやす』と笑いかける。
「穣子ちゃんは、うちが言いづらいことも、ちゃんと言ってくれるいい子なだけやから」
「わかってます。
 わかってるんですけど……ちょっと期待してましたから」
「せやね。
 うちもな、ケンカは苦手……というか、大嫌いやし。みんなに『仲ようせんと』って言って回りたいんやけどなぁ」
 困ったような顔を浮かべて笑う静葉。
 差し出される手は、滝の裏などにいるからか、冷たく冷えていた。
「ありがとうございます。
 そうやって、真正面から言われると、何だかすっきりします」
「無理しなくていいよ。
 あとね、早苗。あたし達は、あんたに協力しない。出来ない。
 だけど、あたし達が独り言を言う分には関係ない。それを誰かが聞いていたとしてもね」
「せやね。穣子ちゃん」
「そういえば、姉さん。この一件にまるで関係ない連中がいるわね。
 奴らは祭りが好きで、大暴れするのも好きとくる」
「うん、うん。困ったもんどすな」
「そして、義のないこと、筋の通らないことは大嫌いだ。
 自分が間違ったことをしてないってんなら、そいつらに話をするのが一番いいよね」
「そうどすなぁ。確か、あれや、あれ。地底の?」
「そうそう。あそこの連中さ」
 とん、と言う足音がした。
 振り向くと、そこに、早苗の姿はもうない。
 穣子は将棋の盤面に視線を戻すと、
「……だけどさ、姉さん」
「ん?」
「事なかれ主義ってのは、よくないよね」
 ぱちん、と駒を差す。
 静葉は無言で、『王手』と返した。
「他人任せの神様はかっこ悪いさ」
 穣子は静葉の金を取り、逃げる彼女の王に逆王手をかけた。
 静葉はにっこりと笑い、「穣子。初めての勝ちやね」と言う。
 将棋の盤面を見ても、静葉の王に、逃げるところはまだまだある。しかし、静葉が負けを認めたのだ。穣子の勝ちである。
「あたしらは弱虫じゃないさ」
 上に放り投げた駒を手元に受け取り、『さあ、姉さん。もう一局』と将棋に興じる穣子だった。

「えっと……」
「おや、珍しいお客さんだ」
「わっ」
「あはは。ごめんごめん。脅かすつもりはないんだ」
 深く深く地底に伸びる、一本の穴。
 広い空間となっているそこを脇目も振らずに進む彼女の前に、一人の妖怪が現れる。
 天井から逆さまに釣り下がった彼女、黒谷ヤマメのいたずらに、早苗は『脅かさないでください』と頬を膨らませる。
「珍しいね、洩矢の巫女が来るなんて。
 何しにきたの? 温泉? それとも地底の名物の酒でも飲みに来たかな?」
「それは今度、暇がある時にゆっくりとお願いします。
 さとりさんと、あと、勇儀さんに用事があるんです」
「へぇ。これは珍しい。
 さとりさんはともかく、あんたが勇儀にねぇ。
 何があったの?」
「……地底に、天狗は来ませんでしたか?」
「――ああ、あれか」
 彼女の声のトーンが落ちた。
 そして、早苗の事情を察したのか、『ついてきな』と飛んでいく。
 その後を追いかけ、穴を下り、唐突に広がる広大な空間――地底の威容に、『相変わらず、これには慣れない』と早苗はつぶやく。
「どうしてさ?」
「地底に人が住んでいる……まぁ、人じゃないですけど……なんてのは、わたし達の……外の世界では、御伽噺でしたから」
「その御伽噺に程近い世界が、この幻想郷だ。
 夜の淵には妖怪が住んでいる。夜中、外に出てはいけない。妖怪に攫われて、取って食われてしまうぞ――なんて、道端に明かりが少なかった大昔だから通じた戯言だったから」
「人は光を得て闇を圧し、常闇の国だったこの世界を照日の国――日ノ本の国へと変えました」
「そうだね。
 それを恨む連中なんて、もういない」
 彼女は、その広大な地底空間でも、ひときわ目立つ豪華な建物の前へと舞い降りる。
 門は開いており、無用心極まりないそこの敷地へと足を踏み入れ、彼女の背丈など軽々越える大きな扉を開けた。
「さとりさーん。おーい。お客さんだよー」
 ステンドグラスからの光が差し込むそのホールに、ヤマメの声が反響する。
 しばらくすると、こつこつという小さな靴音が響いてきた。
「誰もお出迎えに上がらなかったのね」
 小柄かつ目が悪いのか、それとも生まれつきなのか、眼差しのきつい人物――この地底の、一応の管理者とされている古明地さとりの登場である。
「全く。他の子達はともかくとして、燐は何をやっているのか。
 ごきげんよう、ヤマメさん。そして、早苗さん。
 何か用事ですか?」
「はい。えっと……ちょっと、今、お時間を頂きたいんですけれど」
「かしこまりました。
 では、奥へどうぞ」
「あたしはおいとまするね」
「はい。ありがとうございました」
 ヤマメは手を振って、その場に背中を向ける。
 早苗はさとりに案内され、彼女の執務室へと連れてこられる。
「適当に腰掛けてください」
 彼女の体に不釣合いな、大きなデスクには大量の書類が積みあがっている。
 椅子に座ると、彼女の体が書類の向こうに隠れ、見えなくなるほどの有様に、早苗は『あ、あの、手伝いましょうか』と申し出る。
「最終的に、わたしが中を見て判子を押すだけの代物ですから。
 それだけでも、腕が腱鞘炎になりそうなほど疲れるんですけどね。おかげで目も悪くなる」
「……眼鏡さとり。割といける」
「何考えてるんだか知らないし知りたくもないので聞きませんからね」
 どさどさとデスクから書類をどかして、さとりは、ふぅ、と息をついた。
 ちょうどその時、部屋の扉が開いて、「すいませんでした、さとり様」と一人の女がやってくる。
「お燐。あなた、お客様をお出迎えもせず、お茶の用意もせず、一体何をやっていたの」
「いや、その……ちょっと屋敷の中で探し物をしていたんです。
 大切なものをなくした、っていう子が泣きついてきて」
「……そう。
 なら、事前に、その連絡だけはしておいてね。今度から」
「すいませんでした」
 ぺこりと頭を下げて、彼女――さとりの第一秘書と言ってもいい働きをする妖怪、火焔猫燐が早苗を見る。そして、『ごめんね。忙しくてさ』という視線を向けた後、部屋を辞する。
 彼女がお茶を持ってくるまでの隙間の時間に、さとりは手元の書類を処理し、早苗が、その処理の終わった書類を『捺印済み』の箱へと振り分けていく。
「早苗さん、手際がいいですね」
「外の世界では、女の子の定番、喫茶店のアルバイトをしてましたから。
 優秀だったんですよ。バイトリーダーやってました」
「そう。
 じゃあ、早苗さんが、もしもそのつもりがあるのなら、うちの秘書をやってみない? お給金は弾むわよ」
「考えておきます」
 十数枚の書類を処理したところで燐が戻ってくる。
 早苗は、デスクの前に置かれているソファに座り、さとりもそちらに移動し、テーブルの上にティーカップが置かれたところで早苗が話を切り出した。
 さとりはそれを聞き、言葉一つ一つに逐次うなずきながら、
「なるほど」
 彼女の話が終わったところで、一度、深くうなずいた。
「確かに、天狗が来ました。
 お前たちは三日間、地上に出てくるな、と。無礼な輩でしたね」
「あの態度にはお空も怒ってましたからね」
「ですが、その天魔とやらの後ろ盾があるのなら、彼らは虎の威を借る狐、そのような横柄な態度にも出るのでしょう」
「……いやぁ、あの人たちはいつも通りですよ」
「ますますたちが悪い」
 他人に対する時、最初に必要なのは礼儀である、とさとり。
 どんな気に食わない相手でも、顔は笑って心で舌を出す程度に留めておくべきだ。それがよき隣人関係を作るこつだ、と。
 もはやその時点で、彼女の言葉に矛盾が生じているのだが、早苗はあえて何も言わずにしておくようだ。
「それで、その天狗たちに対抗する意味で、勇儀さんの力を借りたい、と」
「はい。
 あと、かなうなら、空さんとかこいしさんとかも。
 彼女たちがいれば、天狗が何百かかってこようが、瞬く間に蹴散らすでしょうから」
「確かに」
 さとりは、「わたしは、態度が悪い奴は嫌いです」ときっぱり言う。
 そのため、この申し出については、断る理由がない、とも。
 しかし、
「それを勇儀さんが了承するかは別ですが」
「……まぁ、そうですね」
「彼女は地底の治安……というか、御用があった時に調停をする立場も担ってくれています。
 彼女がいないと、その短い期間であろうとも、よからぬ事を企む輩が出てきてもおかしくない」
「けど、地底って、そんなに悪い人ばかりではありませんよね?」
「悪い人もいます。
 早苗さん。あなたが、ここに親近感を覚えてくれるのは、大変、嬉しいことです。
 しかし、忘れてないですか?
 ここは『地獄』なのですよ」
 悪事を犯した罪人――慈悲深い閻魔の裁きをもってすら、『こいつには罰が必要だ』と判断されたもの達が送り込まれるのが地獄である。
 もはや閉ざされた場所――『旧地獄』と呼ばれるここにすら、そうした輩は確実にいる。
 だから、『勇儀のような人』が必要なのだ、とさとりは言う。
「ご自分の都合で話をするのは大いに結構。
 しかし、相手側の都合も考えずにそれをするのは、ただの常識知らずです」
 さとりは手に持っていたティーカップをソーサーへと戻した。
 そして、ソファに背中を預けて、
「お姉ちゃん、それはひどいよー」
「わひぃっ!?」
 いきなり、にゅっ、と出てきた腕に体を絡め取られ、耳元で甘ったるい声にたしなめられ、彼女は飛び上がった。
 振り返ると、にこにこ笑う少女の顔がある。
 一体、いつからそこにいたのか。それとも、最初からここにいたのか。
「こいし! あなたはどうしてそういう……!」
「はいはーい。こいしちゃんのびっくりどっきり企画ー!」
 けらけら笑いながら、彼女――さとりの妹、古明地こいしは『とうっ』とソファの背もたれを飛び越えて、ソファの上に着地する。
 そして、「お燐、こいしちゃんにもお茶とお菓子!」と片手を挙げる。
 燐は一礼してその場を後にし、さとりはおでこに手をやってため息をつく。
「せっかく、お姉さんが、『助けてほしい』って来てくれたのにさ。
 お姉ちゃん、それは冷たい! 極悪!」
「あのね……」
「こいしちゃんは、別にいいけどなー」
「あなたはそれでいいだろうけど……」
「勇儀さんとかにも、もう話はしてきたよ」
「……いつのまに」
 相変わらず、影で暗躍するのが好きな人物である。
 いや、むしろ、『楽しいこと』が大好きと言い換えるべきか。
 自分にとって『楽しそう』なことが目の前にあるなら、全てを無視して、直線でそれに突っ走るのだ。その結果がいかなるものになろうとも、最終的に『ああ、楽しかった』で終わればそれでいい。それが、古明地こいしという妖の人格なのかもしれない。
「さとり、あたしに話があるって何だい」
「あなたはまたノックもせずにドアを開けて……」
「いいじゃないか。パルスィは固いなぁ」
「あ、早苗さん。また会ったね」
 こいしが呼んで来た連中がやってくる。
 話題の対象――地底の鬼、星熊勇儀。
 彼女をたしなめようとして、やっぱり無理かと諦めるのは、橋姫、水橋パルスィ。
 そして、早苗を案内してきた黒谷ヤマメと、その足下には、ヤマメと仲のいいキスメの姿がある。
 それに少し遅れてドアを開けて戻ってきた燐が『お客さんが増えた』と、慌てて、こいしの分だけテーブルに持ってきたものを置いて、回れ右をする。
「ああ、いえ……。
 早苗さん、どうぞ」
「あ、はい」
 彼女たちに、早苗が、ここへとやってきた目的を告げる。
 彼女たちはそれぞれ適当に腰を下ろして、早苗の話を聞いた後、『なるほど』とうなずいた。
「そういう理由なら、あたしは手を貸そう。
 あの山の天狗ども、ちょっと調子に乗ってるようだ。焼きを入れてやらないといけないね」
「あなた、天魔とかいう妖怪も知り合いなのかしら」
「いいや、知らない。
 あたしがこの地底にやってきた後にやってきた妖怪なんだろう」
「ってことは、ずいぶん、年若い妖怪なのかね。
 勇儀が地底にやってきたのだって、ここ数年、ってわけじゃないんだし」
「かもしれないね」
 そうなると、そいつは珍しい妖怪だな、と勇儀が口を開く。
 妖怪という奴は、年を経れば経るほど力を身につけて強くなっていく。やがて一千年を数えると、世間一般では『大妖怪』と言われるほどの風格を手に入れるとされる。
 だが、稀にではあるが、生まれた当初からとんでもない力を持っている輩もいる。
 鬼や天狗などといった高級な妖怪以外に、突然変異としか思えないような力を持って生まれる奴もいる。
 天魔とは、もしかしたら、そういう妖怪なのではないか。
 ある時を境に突然発生した、それ一人だけの特殊な個体なのではないか。
「まぁ、それをここで論じていても状況は変わりません」
 さとりがその話を打ち切った。
 現状は、博麗神社に、三日後、妖怪の山の妖怪たちが大攻勢を仕掛けるという状況のままだ。天魔の素性がどうあろうと、それは変わらないだろう。
 ならば、それを暴いたところで、意味がない。
 意味があるのは、博麗神社への攻撃をどう防ぐか、あるいはやめさせるかと言う議論の方だ。
「ともあれ、あたしは、頼まれたら手伝うのにやぶさかじゃない。
 さとり、それは構わないね?」
「ここで『はい』と言いたいところですが、この地底にとって重要な人物であるあなたを、そう簡単に地上に出していいものかどうかという疑問はあります」
「じゃあ、こいしちゃんが、その間、何とかするよ」
 あっけらかんとした口調でこいしが話に入ってくる。
 勇儀はこいしを見て、小さくうなずき、「なるほど。こいしなら大丈夫だ」と言い切った。
「じゃあ、こいし。あたしがいない間、地底は頼んだよ」
「はーい!」
 さとりも何も言わない。
 このこいしが――この、ただの無邪気な妹にしか見えない妖怪が、この地底では最も『危険な妖怪』であることを承知しているからだ。
 一度、たがが外れたら何をするかわからない危険人物が『やる』と言っているのだから、その意図を汲んで放置するという選択肢を、さとりは選んだ。
 さとりはこいしを信頼している。だが同時に恐れている。
 この地底に住むものは、皆、同じ。『こいしにだけは深く関わってはいけない』というのは暗黙の了解である。
 彼女の『機嫌』を損ねたが最後、どうなるかわからないからだ。
「あと、パルスィとヤマメも。
 ああ、ヤマメは、もしかしたら手伝いを頼むかもしれないね」
「あたしは天狗となんて戦えないよ。おっかない。
 パルスィの方がいいんじゃない?」
「わたしは、あなた達より、もっとケンカが苦手だわ。口喧嘩なら負けないけどね」
「いやいや。あの手の連中には、精神攻撃、よく効くよ」
「何をさせるつもりよ」
 腕組みして頬を膨らませ、唇を尖らせるパルスィに『そうそう。そういうこと』とヤマメは膝を叩いて笑った。
 キスメが両者の顔の間で、何度もきょろきょろ視線を往復させて、最終的に首をかしげる。
「では、早苗さん。そういうことで決まりました。
 我々、地底のものは、博麗神社に与します」
「はい。ありがとうございます」
「ですが、用意と手続きがあります。
 三日後に間に合うように動きますが、それは了承してください」
「何だ。めんどくさいな」
「事務手続きと言うか、書類仕事はそういうものです。
 勇儀さんも、それには従ってください」
「わかった。さとりがそう言うなら仕方ない。
 じゃあ、早苗。連中の情報は、逐一、こっちに送ってほしい。何も事態が進展してなくても構わない」
「はい」
「それがないと、準備が出来ないからね」
 勇儀は『よーし! 面白くなってきたぁ!』と肩を回して大きな声を上げる。
「久々の祭りだ! 大いに騒いで踊ろうじゃぁないか! なぁ!」
「痛いわね! あなたのバカ力で叩かないでちょうだい!」
 何やら気をよくしたらしい勇儀が『わっはっは』と笑いながら、パルスィの肩を叩いたり、ヤマメと肩を組んだりしている。
「鬼というのは、本当に、大騒ぎが好きな妖怪ですね」
「ええ、そうですね」
「あと、こいし」
「何?」
「空にも声をかけておきなさい。
 あなた一人では不安だし、もしかしたら、追加の戦力として地上に送り出すかもしれないから」
「わかった!」
 そのにぎやかな場で、『よーし! 前祝だ! 酒だ酒だ!』と酒盛りを始めようとする勇儀を、パルスィが耳を掴んで部屋の外へと引きずっていく。
 ヤマメはキスメを抱えると、『そんじゃ、またね』と去っていく。
 そして、早苗もまた、『お邪魔しました』と席を立った。
「燐」
「は、はい」
「此度の一件、あまり深入りするのもどうかと思っています」
「……はあ」
「地底のもの達に、今回の話が知れ渡ることのないよう、努めなさい。
 それから、こいしからは、決して目を離さないで」
「……わかりました。努力します」
「勇儀にも、最低限のことだけしろ、余計なことはするなと。わたしが後で手紙を書きます。それを持って行って」
「……はい」
 皆が去った後、さとりはデスクへと戻って、燐へと命令する。
 普段の口調とは違う、トーンの低い、鋭い指令に、『うわぁ、これ、やばいことになったんじゃないかな』と内心、顔面蒼白の燐は深々と頭を下げ、部屋を後にする。
 ドアを後ろ手に閉めて、彼女は一言、『勘弁してよ……』とつぶやいたのだった。

「けど、早苗ちゃんも来てくれるなんて嬉しいわね。
 しかも、心強い援軍まで連れて」
「何もお手伝いできないかもしれませんけど」
「いいえ。
 少なくとも、今、橙が喜んでいるのだから。役に立っているわ」
 早苗の持ってきた『げぇむ機』にかじりついて、足をぱたぱたさせている子供を見て、紫が笑う。
 博麗神社へとやってきた彼女は、すぐに母屋へと舞い降りた。
 境内周辺から漂う異様な気配を感じつつも、極力、平静を装って戸を開けた彼女を藍が出迎え、ここへと案内してくれている。
「……それで……」
 未だ、『修行』から戻ってこない霊夢を見る。
 紫は『大丈夫。ほっときなさい』と笑っている。
「この修行、本当に……。
 ……過去にクリアした人はいるんですか?」
「いるわ。いくらでも。
 今よりももっと強い力を持ちたいと願った巫女を、私はこの修行へと送り込んだ。
 中には帰ってこないものもいたけれど、きちんと戻ってきて、その命を全うするまで巫女の仕事を頑張った」
「……帰ってこない人……」
「もうどこにもいないわ。その部分は聞かなかったことにしなさい」
 一体、どれほどのもの達が、この修行を終えることが出来なかったのか。
 彼女たちは、今も、目覚めることなく、ただ延々と目の前の『敵』と戦い続けているのか。
 この修行の話を聞いた早苗の心に、そんな思いが去来する。
「私は、早苗ちゃん。霊夢なら大丈夫と思っているわ。
 あなたもそうでしょう?」
「は、はい! それはもちろんです」
「そう。それならいい。ありがとう」
「……はい」
「あとは、あなたが、今回の戦いの戦力となることを申し出てくれた、その事実を確認して感謝するだけ」
「ただ……戦力になるかまではわかりませんよ?」
「敵の群れを一秒でも、その場に足止めすることが出来れば充分よ」
 天狗は強い。その先頭を突き進んでくるであろう天魔は、さらに次元の違う強さを持つ。
 これらを相手に『圧倒しろ』や『蹴散らせ』などということは、紫は言わない。
 なるべくその場に足止めし、少しでも、『霊夢の負担』を減らせ。
 それが、彼女が一同に言っている『指示』である。
「天魔の目的は、話を聞く限りでは、霊夢と戦うこと。それが一騎打ちかどうかまでは知らないけれど、戦闘が好きというのなら――戦と言う祭りが好きなら、それを他人に味わわせるような真似はしないでしょう。
 天狗たちは、あくまで二人の露払い。それ以上でもそれ以下でもない。
 しかし、こちらとしては、霊夢が天魔に勝つように仕込むしかない。
 そのためにも、こちらの戦力は多いほうがいい。
 邪魔者を遠ざけ、霊夢の元にやってくる天魔の力をいくらかでも削いでおくことが出来るなら、それに越したことはない」
「紫さんは、霊夢さんに勝ってほしいんですよね?」
「もちろん」
「……どうして、って。聞いちゃダメですか?」
「この世界の要たるものが、ちょっとした、世界の諍いも平定できないようでは困ります」
「……」
 何かを言いたそうに口を開きかけた早苗が、言っても無駄と判断したのか、それとも、今、言うべきではないと思ったのか、言葉を口に出さずに黙り込む。
 紫は、「言いたいことがあればどうぞ」とそれを促すのだが、早苗は首を左右に振るばかりだ。
「たった三日間。そのうち、祭りのメインイベントは、恐らく数分。
 そのためだけに、多くのものが、今、こうしてたくさんの時間を割いている。
 にぎやかで、大掛かりで。
 だけど、ほんのちょっとの昂揚感のためだけに。
 困ったものだわ」
 それを演じるのも自分の役目である、と言わんばかりの態度だった。
 その時、早苗は『ああ、やっぱり、この人は人間の味方なんかじゃないんだ』と感じる。
 紫の姿は、どう見ても、人間である自分たち――ひいては、霊夢に対して好意的とは見えなかったからだ。
「わたしは……自分のできることを、精一杯やります。
 紫さんも、そうですよね?」
「ええ、そのつもり」
「じゃあ、具体的に何をするんですか?」
「何をするのかしら。わからないわ」
「……今も、何もしていない」
「しているわ。
 こうして、霊夢が修行から戻ってくるのを待っている」
「……」
「あの子の好きな料理、何を作ってあげようかしらと考えながら」
「それって……」
 次の言葉が出てこない。
 言いたいと思った言葉が、頭の中に浮かんで、そして、消える。
 早苗は手にした湯飲みを傾けて、中のお茶を飲み干した。
 何だか、無性に喉が渇く。
「あっ」
 湯飲みが彼女の手元から落ちた。
 それは、紫が畳の上に敷いた線を越えて、霊夢の元に転がっていってしまう。
 少しの間、迷いを見せた彼女は、そっと線の向こうに手を伸ばす。
「……あれ?」
「早苗ちゃん。
 霊夢が、早苗ちゃんを攻撃するわけないでしょ」
 近づいたものを無意識に、欠片も残さず殲滅するだろう霊夢の『結界』は反応しない。
 紫の何気ない一言に、何とも言えない嬉しさと、そして、なぜか悲しいものを覚えて、彼女は湯飲みを拾う。
「……待ってますから。早く戻ってきてくださいね」
 聞こえないであろうその言葉を口にして、早苗は卓に戻っていく。
 紫は時計を見上げると、『さて、そろそろ晩御飯を作ろうかしら』と声を上げた。


「……えーっと」
「妖夢ちゃんって、こういうこと、したことある?」
「……ないです」
「そう。まぁ、そうだろうね。
 じゃあ、私の護衛。お願いね。見つからないように」
「ど、努力します」
「努力じゃ困る」
「や、やります」
「よし。いい返事。いいこいいこ」
「……子供扱いしないでください」
 妖怪の山の一角。
 比較的、ひとけの少ない裏手側――山の北側――から、山を登っていく二つの人影がある。
 一つは鈴仙・優曇華院・イナバという妖怪である。
 つきのうさぎ(ひらがなに他意はない)である彼女は、頭の上の耳を忙しなくぴくぴくと動かしながら、一歩一歩、山を登っていく。
 その後を追いかけるのは魂魄妖夢。鈴仙に言われて、普段の衣装とは違う、体にしっかりとまとわりつく衣装を身に纏っている。
 二人がここにやってきたのには、理由があった。
「君のところにも天狗たちが来ていたんだね」
「いい加減、あの結界、何とかしてほしいんですけどね。
 ただ、今回は、それが役に立った……というか、怪我の功名かもしれませんけど」
 彼女たちが所属するところ――鈴仙は永遠亭と言う屋敷、妖夢は白玉楼と言う冥界――にも、天狗たちはやってきた。
 彼女たちを脅すように、『三日間、部屋にこもって出てくるな』という意味の言葉を放って去っていった彼らであるが、そこの権力者たちが、『はいそうですか』と聞くわけがない。
「うちは師匠がさ、『ああいう不埒なことをなす輩の言うことに従う必要はありません』って、ものすごい怒ってて。
 姫様は『あ、楽しそう』って笑ってた」
「私のところは幽々子さまが、『私は参加しないから、妖夢、よろしくね』って」
「君は何と言うか、いい子だねぇ」
「……なんて返したらいいですかね。それ」
 かくて、鈴仙は此度の一件に、永遠亭の代表として絡むこととなった。
 彼女の師である八意永琳は、『恐らく、博麗神社の一同に医療の知識があるものはいないはずです。あなたは、博麗神社のもの達の怪我を治す医者となりなさい』と鈴仙に言っている。
 そして、博麗神社に合流する際には『手土産を持っていけ』とも。
 一方の妖夢は幽々子によって送り出され、『どうしたもんか』と迷っていたところ、鈴仙と合流したために、今、ここにいることになっている。
「手土産って、何ですか?」
「情報」
 鈴仙は言う。
 戦を制するものは、すなわち、情報を持っているものだ、と。
「天狗の勢力はどれほどのものなのか。天魔とは何者なのか。奴らの最終的な目的は何なのか。
 こういうこと、一つでも知っているのといないのとでは大違いだ」
「……なるほど」
「一応、隠密任務とかはやったことあるし、頼もしい護衛もいるし。
 何とかなるかなって楽観的だよ」
 彼女はそこで足を止める。
 妖夢が首をかしげると、鈴仙は突然、妖夢の頭を押さえて、その場に身を低くした。
「な、な……!」
「しっ。喋るな」
 鈴仙が鋭い視線と口調で言う。妖夢は慌てて、口元を手で押さえて、まだふよふよ浮いている己の半霊を引っ張って地面の上で抱え込む。
 しばらく待っていると、茂みの向こうから、天狗が一人、やってきた。
 彼は辺りを見渡した後、右手に曲がって歩いていく。
 木々の枝葉がすれる音も、地面を踏みしめる音もしない。
「この山に暮らしているだけあって、隠密能力が高いな」
「今のは……」
「歩哨だろうね。
 敵さん側も、こうやって潜入してくる奴がいるってことを理解してるのさ」
 彼らに見つかれば、その時点で任務は失敗する。
 鈴仙はそれを妖夢に言い含めると、足早に茂みから飛び出し、木々の間を走っていく。
「ち、ちょっと、速い……!」
 妖怪――それも、運動能力に優れた兎の妖なだけはある鈴仙と、半人半霊という、人と妖の混成のような妖夢とでは身体能力にすさまじい差があった。
 何とか、鈴仙の姿を見失わないようについていくので精一杯であり、時折、目の前にぶら下がる木々の枝に絡まったり、地面から飛び出ている石や木の根に躓いたりと散々だ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「妖夢ちゃん、運動不足? 体力足りないよ」
「一緒にしないでくださいよぅ……」
 泣き言を口にする妖夢の頭をぽんぽんして、「はい、これ」とポケットから取り出した飴玉を渡す。
 妖夢は受け取ったそれを口の中に入れてころころ転がしながら、視線を鈴仙に向ける。
「さて、どこに行くかな……。
 一番は、天狗の集会所かどこか、偉い連中が集まるところがいいんだけど……」
 鈴仙はなにやら作戦を立てているようだ。
 二人は木々に隠れながら歩みを進め、少ししてから、また鈴仙が『隠れて!』と指示をする。
 視線の先に、また天狗が一人。
 先の天狗と違って、まだ年若い青年の天狗だ。
 鈴仙は辺りを見回すと、突然、走り出した。
 妖夢が『えっ』と思った時には、すでに彼女は茂みから飛び出し、天狗を蹴り倒すと、
「動くな」
 低い声で、手にしていた金属の塊を相手の頭に突きつけている。
「な、何だ、貴様……!」
「黙れ。こちらの質問にだけ答えろ」
 彼女は手にした金属の塊を、抗議してくる相手の口の中に押し込む。
「こいつは『銃』っていう武器だ。
 引き鉄を引くと弾が飛び出して相手を攻撃する。妖怪は体が頑丈だ。そういう妖怪でもぶち殺せる弾丸を使っている。
 いいな? 余計なことはするな、喋るな」
「……うわ、こわい」
 その様子を茂みの中から見ていた妖夢は、思わず体を抱きしめてつぶやく。
 普段の優しく明るい鈴仙とは程遠い、『恐怖』の対象がそこにいた。
「天魔と言う妖怪がいる。
 そいつは、博麗神社を襲うらしい。そう聞いた。それは間違ってないか?」
 顔を真っ青にしている天狗が、首を縦に振る。
「その理由は何だ?」
 知らない、と彼は首を左右に振った。
 鈴仙は『そうだろうね』と小さくつぶやき、
「お前たちの棲家はどこだ。お前たちの上の連中が集まるところだ。教えろ」
 さすがにそれには答えられないのか、天狗は黙って、鈴仙を見据えてくる。
 鈴仙は左手に、また銃を取り出すと、問答無用でその引き鉄を引く。
「もう一度聞くぞ。お前たちの棲家はどこにある」
 放たれた弾丸は、彼の顔の真横、ほんの少しのところに着弾している。
 漂う硝煙の香りに彼は目を見開き、目の前の奴が、本気で自分を殺してくる相手だと悟ったのか、体を固くする。
「言え」
 しかし、だからといってそう簡単に屈するわけにはいかないのか、彼は鈴仙の言葉に答えを返さない。
 鈴仙はしばし相手を見据えた後、静かに囁く。
「お前の家がなくなるぞ」
 その瞬間、彼の瞳がわずかに動いた。
 それを確認した彼女は相手のみぞおちに鋭く拳を入れて相手を失神させた後、彼を担いで茂みの中へと隠す。
「妖夢ちゃん、行くよ」
「え、えっと……どこへですか?」
「こいつが自分たちの家を教えてくれた。そっちに向かう」
「え?」
「一瞬、こいつの目が東側を向いた。そっちに何かある」
「……」
「人間も妖怪も、いざと言う時の、一瞬の、無意識の反応だけはごまかせない」
 何と言うか、さすがと言うべきか、そこまでやらなくても、と言うべきか。
 こういう状況においては鈴仙のやることは正しく、また必要なことなのだろうが、さすがにコメントがしづらい。
 内心、『普段の優しい鈴仙さんでいてくださいよ』と言いたい妖夢である。
 しばらく歩いていると、左手側に、妖怪の山の名物、大瀑布の音が聞こえてくる。
「季節もちょうどいいし、こんな時じゃなければ、みんなでピクニックに来るんだけどね」
「あ、そうですね。私もそういうの大好きです」
「さすが妖夢ちゃん。子供はお外を元気に駆け回るものだ」
「だから子供扱いやめてくださいってば」
 何を言うか、とほっぺたぷにぷにされて、妖夢はふてくされる。
 鈴仙は笑顔を浮かべ――その笑顔をすぐに消し、視線を前に。
「人が増えてきたな」
 段々、辺りを見回りする天狗の数が増えてくる。
 気をつけてないとすぐに見つかってしまう。鈴仙はそれを妖夢に言い含めると、身を低くし、物陰から物陰へと素早く渡っていく。
 妖夢も置いてきぼりにされないように、必死に、鈴仙の後を追いかけて道を進んでいく。
 そして、どれほど歩いた頃か。
 すでに滝の音は遠くに消え、森閑とした森の気配だけが漂っている。
 あちこちには天狗の姿。
 彼らの視界に入らないように息を殺し、気配を隠し、進んでいき――、
「……」
 二人が顔を出したのは、高い崖の上だった。
 目の前の茂みが割れて、急に現れた空に、二人は足を止める。
「……」
「あの、鈴仙さん」
「静かにしてて」
「……ごめんなさい」
 状況を伺おうとした妖夢は、鈴仙に叱責されて縮こまる。
 視線をあたりに彷徨わせていた鈴仙は、『あそこか』と小さくつぶやく。
「え?」
「ほら、あれを見て」
「……家?」
「いや、小屋だ。見張り小屋ってやつかもしれない」
 目の前の崖を左手側に回っていくと、切り立つ断崖絶壁に、小さな道が形成されているのがわかる。
 その道の先に、崖の一角をくりぬいて作ったのか、平たいところがあり、そこに木で出来た小屋があるのが見えた。
「……丸見えですよ?」
「素早く移動すればいい」
 無茶なこともさらりと言って、鈴仙は走り出した。
 その後を追いかける妖夢。
 崖に作られた道の前で身を潜め、辺りの様子を伺う。
 空の向こうに、天狗が数人。鈴仙の瞳でしか捉えられない距離だ。妖夢には全く見えない。
「あのくらいなら、連中にも見えないだろ」
 自分の身体能力を信じる鈴仙は、そう言って、一気に走り出した。
 妖夢が慌てて、それを追いかける。
 二人は一気に道を駆け抜け、小屋の壁に張り付くように隠れた。
 誰かが来る気配は、ない。
「人がいる」
 小屋の壁に耳を当てていた鈴仙は、そうつぶやいた。
 音からして、中にいるのは一人か二人。
 そう結論付けてから、まず、周囲を調べて回る。
「……ここは休憩施設か何かなのかな?」
「さあ……」
 この平らなところ以外に行ける所はない。
 あとは全部、断崖絶壁が延々と続くだけだ。
 じゃあ、別にいいか、と回れ右をしようとした、その時だ。
「……ん?」
「鈴仙さん?」
「あれ」
 遠く――崖の一角を示す鈴仙。
 目の上に手をかざし、それを見る妖夢。
「……何ですか?」
「今、光った」
「え?」
 目を凝らし、じっと、そちらを見る。
 光ったといわれても困るなぁ、と妖夢はつぶやいた。
 今日は天気がいい。お日様は燦々と地面に向かって降り注いでくる。
 その光と混じってしまっては、『光った』と言われても……。
「……あ」
 しかし、それを、妖夢も捉えることが出来た。
 ちかっ、と崖の一部が光を放ったのだ。
 もう一度、目を凝らしてよく見ても、光を放ちそうなものはその周囲にはない。
「今の……」
「何かあるね」
 鈴仙はつぶやくと、視線を、すぐ後ろの小屋に向ける。
「ここの奴が出て行くのを待つのは面倒だ。その間に、他の奴が戻ってくるかもしれない」
「は、はい」
「放置して行くにしても、気づかれたら困る」
「……」
「黙らせよう」
 鈴仙は強硬手段をとるようだ。
 身を低くし、小屋の窓の下を回り、入り口へとやってくる。
 ドアを少しだけ開けて、中を伺う。
 室内は簡素な造りになっており、人が寄り集まり、休憩すると思われる広い空間と、その奥に、トイレか寝室か、それに準ずる何かの施設があると思われるドアが一枚だけだ。
 念のため、妖夢がそのドアの側に向かう。もしかしたら、反対側に出るドアがあるだけという可能性もあったが、そちら側は窓もない壁があるだけだった。
「よし」
 鈴仙は小さくうなずき、妖夢に『君はここで待機して、何か異変があったら教えて』と言う。
 妖夢はここでようやく、自分の得物である刀を鞘から抜いて手に握る。
 室内をもう一度見渡す。
 部屋の隅、椅子に座って目を閉じている天狗が一人。若い。寝ているのかもしれない。
 鈴仙は音を立てないように室内へと入っていく。
 そして――、
「こんにちは、お兄さん」
 いきなり、艶っぽい声を上げて彼へとしなだれかかった。
 天狗の青年が、目を覚ましたか彼女に気づいたのか、驚いたような顔を浮かべる。
「なっ、だ、誰……」
「しっ、静かに」
 己の唇に差し入れた指で、相手の口元をとんと押さえる。
「お兄さん。私ね、ここにいる人たちの、日頃のお仕事をねぎらえと言われたのだけど……」
 それを見ていた妖夢は顔を真っ赤にして、『うわっ、うわっ、うわ~』という声を内心で上げていた。
 視界を覆うために目元に当てた掌だが、指の隙間からばっちりと中の様子を覗いている。
 鈴仙は上着の胸元をはだけさせ、彼に色っぽい表情と潤んだ瞳を向けていた。
 色仕掛け作戦だ。間違いない。
 現に、天狗の青年と来たら。こういうのに耐性がないのかもしれないが、もはやデレッデレである。
「ねぇ、お兄さん。今、ここにはあなた一人だけ?」
「そ、そうだけど?」
「そう。よかった」
 鈴仙が相手の首元に絡めていた腕のうち、右腕を自分の腰に回した。
「ねぇ……」
 そして、そっと、その腕を元の位置に戻して、
「いいこと、し・ま・しょ」
 その一言で、彼はその場にがくんと突っ伏し、身動き一つしなくなる。
 鈴仙が振り返り、『もういいよー』と声を上げた。
「れ、鈴仙さん、何をしたんですか……?」
「ああ、これ? 睡眠薬。即効性のね。
 あと、ちょっと記憶をいじる薬。今頃、夢の中で、いいことの真っ最中なんじゃない?」
 確かに、見れば、彼の顔が助平な感じになっている。
 鈴仙は服の胸元を直しながら、『よいせ』と彼を抱え上げる。
 そして、奥に続くドアを開け、「寝室か」とつぶやいた後、彼をベッドの上へと放り投げた。
「……っと」
 さらに、そのドアには鍵がかけられるようになっている。
 取り出したピッキングツールでかちゃんとドアに鍵をかけると、「これで、いきなり不意をつかれることはない」と言って軽く伸びをする。
「……あの、あれは……」
「あんなの普通でしょ? 女の武器は、最後は色気だよ」
「そ、それはそうですけど……」
「裸の一つや二つ、見られることを躊躇してたらダメ、ダメ」
「見られたら恥ずかしいじゃないですか!」
「大丈夫よ。
 聞くこと聞いたら、後は相手の記憶が消えるまで殴るか、薬で一発、食らわすだけだから」
「……うわぁ」
 何か壮絶なこと聞いちゃった、という顔の妖夢。
 鈴仙は平然と、『それじゃ、行くよ』と歩いていく。
「……すごいな。鈴仙さんって」
 改めて、それを感じてつぶやく妖夢に、『そうでしょ?』と振り返る鈴仙だった。

「何なんでしょう。あれ」
 光はまだ、ちかちかと明滅している。
 それを見つめる鈴仙と妖夢。
 何か怪しい。まず調べよう。そう思っていても、やはり簡単には動けない。
 ここは何せ敵地だ。あれがこちらを罠にはめるための誘いであるという可能性だってある。
 下手に飛び込めば、逆に窮地に陥る可能性もある。ここまで、それなりにうまくいっていたのに、そんな凡ミス一つで全てを無にしてしまうわけにはいかないのだ。
「……鈴仙さん?」
 鈴仙は、じっと光を見つめている。
 どうしたんだろうと思って首をかしげる妖夢。
 しかし、改めて、鈴仙をよく見ると、その口元が小さく動いているのがわかる。
「あの、鈴仙……」
「『こっちに来い。お前たちの知りたいものがある』……か」
「え?」
「あれ、暗号だ」
「……?」
 鈴仙が光の方向を指差した。
 不定期に明滅する光。それを見ながら、「モールス信号っていうのがあるんだ」と言う。
「結構、暗号としては簡単なものなんだけどね。
 だけど、だからこそ、新米でも簡単に使えるから重宝されてる」
「……そうなんですか」
「あれはそれだ。
 こっちに来い、って呼んでる」
「……どうするんですか? 明らかに罠ですよ、これ」
「……そうだね」
 甘い言葉でこちらを誘い、罠にはめる獣や植物には、世の中、事欠かない。これも恐らく、その類だろう。妖夢の言葉は間違っていない。
 無視するべきだ、と視線で訴えてくる妖夢を見て、鈴仙は、空の彼方を見る。
「……あの天狗連中に向けてるとは思えない」
「え?」
「お前たちの知りたいものがある、と言っている。
 天狗連中の知りたいものって、何?」
「えっと……?」
「わからないでしょ。
 あれは明らかに、私達に向けられてるメッセージだ。そして、そんなことを、私達に向けて行って、奴らの利益は何だ?」
「……えっと……侵入者を捕まえられる……」
「それなら、天狗連中に対してメッセージを出してる。
 私達のわからない暗号で、奴らをここに集めようとする。そうじゃないってことは……」
 鈴仙は手に銃を構えた。
 鈍色に光るそれを頭上にかざし、ちかちかと光を反射させる。
 少しすると、崖の向こうから光が返ってくる。
「……あれは?」
「『これは罠か?』って聞いた。『違う』って言ってる」
「……それを信じるんですか?」
「信じるさ」
 鈴仙はそう言って、崖から身を躍らせる。妖夢も慌ててそれに続いた。
「臆病者ってのはね、妖夢ちゃん。便利なものだよ。必要以上に慎重になる」
「……今の鈴仙さんは、かなり大胆だと思いますけど」
「冗談。私はいつでも臆病者だよ」
 二人は崖の、光を放っていたところへと近づいていく。
 二人が移動してきたことを察したのか、光の明滅は収まっている。
 近づいていくと、崖の一角に、穴があるのがわかる。
 その穴の前には平たい足場があり、そこへと、二人は舞い降りる。
「……ここですか」
「そうだね」
「……えっと」
「行くよ」
 鈴仙は中へと進んでいく。
 妖夢も、置いていかれてはかなわないと、鈴仙の後を追いかける。
 中は真っ暗。入り口の光も、少し奥に進めば届かない。
「れ、鈴仙さ~ん……」
「ほら、手を伸ばして」
 怖がりの妖夢が、鈴仙から差し出された手を握る。
 手元から伝わってくる感触にほっとし、「どうして明かりを使わないんですか?」と尋ねる。
「敵に見つかる。
 あと、これくらいの暗闇ならよく見えるから大丈夫」
「……鈴仙さんはいいかもしれませんけど」
 しかし、この場でのリーダー……と言うか、主導的な役割を果たすのは鈴仙だ。
 妖夢は、以降は何も言わず、黙って鈴仙についていくことにしたらしい。
 しばらく……およそ五分か、その程度だろうか……歩き続けて、唐突に鈴仙は足を止めた。
「光だ」
「あ……」
 闇の向こうに光が見えている。
 鈴仙は油断なく前方を見据えながら歩いていく。
 ――唐突に、辺りの空間が開ける。
「……なるほど」
 頭上に大きな穴があいていた。
 岩盤をぶち抜いたのか、それとも元からそうなっていたのかはわからないが、その空間は大きな大きな穴の中に造られた『箱庭』だった。
 岩肌の一部からは水が流れてきている。その水を引いたところには美しい泉が造られ、小さな川が流れ、流れた水はそのままどこかへと吸い込まれて消えていく。
 光が差し込むことから植物も生育しており、木や草、花などが辺りに美しく、彩られている。
 そして、その中央に、大きな和風建築の建物があった。
「あれは……?」
 高床式となっているそれの規模は非常に大きい。
 鮮やかな、そして淡白な色使いの屋根と壁。この、不自然な箱庭の中で、それはさらによく目立つ。
「隠れて」
 鈴仙は、近くの大きな岩の陰に身を隠す。
 妖夢もそれに倣い、そしてそっと辺りを窺うと、その建物の周囲に人の姿が動いているのを見つける。
 ――天狗だ。
「……ここが、天狗たちのアジト……というか、集会所みたいなところなんでしょうか?」
 隠れ家のような施設。外側からは容易に見つけられないこの空間は、確かに、その役割を果たす施設であると言える。
 鈴仙は答えず、じっと、様子を見つめているだけだ。
「あの……」
「数が多いな。二十人はいる」
「……そんなに?」
「そう」
 ついてきて、と鈴仙。
 身を低くし、物陰から物陰へと移動して、徐々に、その建物へと近づいていく。
 そして、その建物に上がるための階段――その裏側に身を潜める。
「……ここ、見て回るんですか?」
「そう」
「……いけそうですか?」
「行くよ」
 鈴仙は力強くうなずくと、慎重に、外の様子を伺う。
 人の流れと動きを見つめ、相手の次の行動を予測する。そして、頭の中でパターンを作り、それを把握した瞬間に、彼女は外へと飛び出した。
 一気に階段を駆け上がり、建物に続く『入り口』に取り付く。
「開かないか」
 舌打ちすると、すぐに、建物周囲をぐるりと囲む板張りの縁側を走っていく。
 走っていくと、潜んでいた位置からは見えなかった空間も見えてくる。
 小さな庭が、その建物の周囲に作られている。わざわざ地面から土を盛って作られている。
「こっち」
 廊下の向こうに人の姿。
 すぐに鈴仙は左手側の手すりから庭へと飛び降り、床下へと潜む。
 妖夢もそれに続き、頭の上を見張りが通り過ぎていくのを確認してから、再び、廊下の上に上がる。
「これ、このままじゃ隠れるところがないんじゃ……」
「どこかが開くはず。暗号を送ってきた奴がこっちを誘っているならね」
 一つ一つ、外に面した襖や戸を調べて回る鈴仙。
 妖夢はしきりに前後左右をきょろきょろし、誰か来ないか、誰かが来たらどうしようという顔でそわそわと落ち着かない様子だ。
「こいつだ」
 鈴仙が声を上げた。
 妖夢が振り返るより早く、鈴仙は妖夢の手を引っ張って、開いた襖の向こうへと転がり込む。
 すぐに襖を閉じて、耳を立てる。
 気配は、ない。
「……よし」
「さすがですね……」
「まぁ、ね」
 辺りを見渡す。
 畳の敷かれた部屋が広がっている。
 奥には、その向こうに続く襖。それを静かに開くと板張りの廊下が左右に延びている。
「……誰かいるのかな」
「いるだろうね」
 音を立てないよう、足音を殺して気配を殺して進んでいく。
 相変わらず落ちつかない様子の妖夢とは違い、鈴仙はまっすぐ前を見据えたまま、呼吸一つ乱していない。
 この状況に慣れているのか、それとも単に胆を据えて開き直っているのか。
「……人の声」
 妖夢がつぶやく。鈴仙もその時には、その声に気づいていた。
 延びる廊下の向こう。右手の部屋から聞こえてくる。
 近づき、襖を開ける。
 入ったところはただの部屋。だが、その右手側に続く部屋を仕切る襖がわずかに開いている。
 そこから、声が漏れている。
「なぜ、こんな騒動を仕掛けたのです?」
「退屈だったからと、奴らに言っただろう?」
 両方とも女の声。そして、どちらの声も幼い。
 鈴仙はその場に膝をついて、耳だけを動かし、気配を殺して全ての神経をそちらに傾ける。
 妖夢も鈴仙に倣った――つもりなのだが、その場にいるはずなのに、目を閉じれば、そこにいることがわからないほどの存在となった鈴仙には及ばない。
「相変わらずですね。いつもそう」
「それくらいは余も自覚している。
 余は気まぐれである、とな」
「それで、天狗や河童に、また恨みを買いますよ」
「構わぬさ。
 奴らがどれだけ、余に恨みを持とうとも、誰一人、余にそれを言うものはおらぬ。
 余の恐ろしさを知っているものは、誰一人、余の元へは来ないものだ」
「だから増長するというのに」
「それに、こんなかわいい女の子の頼みを聞かないなどありえぬしな。わっはっは!」
 何だか気の抜ける言葉だ。
 思わず苦笑いを浮かべる妖夢とは違い、鈴仙は、じっと、その場に留まり動かない。
「彼らは、あなたに従いますか?」
「従うさ。余を恐れている限り、奴らは余に逆らわぬ」
「それで何をするのですか?」
「戦だ」
「……もしかして」
 この声の主こそ天魔ではないか。
 妖夢はつぶやいた。
 幽々子の話、そして警告に来た天狗たちの言葉を思い出す。
「そう。戦だ。戦と言う名の祭りだ。
 皆が大いに騒ぎ、楽しむ、人生の中で思い出に残る祭りだ。
 余はそれがしたい」
「なぜ」
「……」
「どうしました?」
「お前は忘れてしまったかもしれないが、余が初めて、あの博麗神社にケンカを売ったのが今日よ。
 記念日というやつだ」
 詳しい日にちこそ忘れてしまったが、と『天魔』は笑っている。
「しかし、その日付だけは覚えている。もうどれほど前の出来事かまでは忘れたが、その日だけは覚えている」
 永い時を生きる妖怪にとって、数十年前、数百年前の出来事など、もはや覚えてはいられない。
 毎日変わらない日々を送っていれば、やがてその日々に飽きてくる。
 飽きてしまえば、記憶の中からそれを排除する。
 少しでも、楽しい日が送れるように、過去の記憶を消去することで、また『新しい』物を求めていく。
 それはとても寂しく、哀れなものだと、かつて幽々子が――妖夢の主人である、西行寺幽々子が言っていた。
 ずっと覚えていたくても、忘れてしまう。それは妖怪などの、長い命を持ってしまったものに対する『対価』なのかもしれない、と。
「その記念日に祭りを起こそう、と」
「そう。余が主演となった祭りを起こす。
 大勢のもの達を楽しませる。その中で、余も楽しむのさ。それ以外に目的などはない」
「……」
「何だ、その目は」
「嘘つき」
 はっきりと、その声が聞こえた。
 次の瞬間、鈴仙が妖夢を抱えて横っ飛びにその場を飛びのく。
 一瞬遅れて、すさまじい轟音と共に襖が吹き飛び、その向こうの壁が砕け散る。
「ふふふ……なるほど。
 まさか、このような場にまで入り込む斥候がいるとはな。博麗神社も、ずいぶん、様変わりしたものよ」
 濛々と上がる粉塵の向こうから現れるのは、齢十にも満たぬと思われる幼い少女。
 その顔は『面白そうなおもちゃを見つけた』という子供特有の笑顔に染まり、
「だから楽しいのさ」
 彼女の右手から放たれる不可視の波動が、二人をまとめて吹き飛ばす。
 その威力はすさまじく、息をすることも出来ない。二人は廊下の端まで吹き飛び、床に叩きつけられ、体に刻まれたダメージに喘ぐ。
「な、何が……!」
「くそっ……! これが天魔と言う奴か……!」
 侮っていた。
 鈴仙の声に、その色がにじむ。
 どれほど強い妖怪かは知らないが、その強さは、自分の知る常識の範囲内に収まっていると、彼女は考えていた。
 彼女の知り合いには強いやつらがとにかく多い。
 一人で幻想郷を壊滅させることなど朝飯前の奴らがごろごろいる。
 だが、ダメだ。そいつらとも、こいつは次元が違う。
 ――強すぎる。
「逃げるよ!」
「は、はい!」
「何だ、逃げ足の速さは大したものだが、余に向かう勇気は持っておらぬのか?」
 楽しそうに笑いながら、天魔が歩いてくる。
 二人は廊下を突っ走り、外に向かっていた扉の前にやってくる。
 妖夢が手にした剣でその扉を破壊し、吹き飛ばした。
 その直後、背後から、天魔の放つ『力』が迫る。
「このっ!」
 妖夢がそれを切り払うべく、刀を構え、受け止める。
「おお」
 驚いたような、笑っているような、そんな声。
 そして、
「な、そ、そんな……!」
「妖夢!」
 鈴仙が妖夢の襟首を掴むと、彼女を連れて地面へと飛び降りた。
 ぎしぎしときしんでいた妖夢の刀によって止められていた天魔の攻撃が、そのまま虚空を薙ぎ払い、その向こうの岩壁を木っ端微塵にぶち壊す。
「何事だ!?」
「侵入者だ! そこにいるぞ!」
 天狗たちが騒ぎ始めた。
 鈴仙は妖夢を抱えて走り出す。
「そんな……。私の剣が……全然……」
「驚いたぞ。余の力をわずかの間でも受け止めるとは。いい刀を持っているな」
 後ろから響いた天魔の声は、追ってこない。
 代わりに、天狗たちのやかましい叫びが響き渡る。
「落ち込むのは後にしろ!
 妖夢! お前は斬れないものがほとんどないことが自慢だったな! 奴は、その、『ほとんど』の中に当てはまらないだけだ!」
 鈴仙が鋭い声を上げると、外につながる道を走りながら、左手に持った何かを地面に投げつけた。
 爆音と共に、辺りが濃い煙に覆われる。
「君は、私の護衛なんだからね!」
 外に飛び出した鈴仙は、崖に足をつけ、その斜面を滑りながら妖夢を叱咤する。
 妖夢は悔しそうに拳を握り締め、目元に涙が浮かぶくらい、強く強く唇をかみ締め、
「はい!」
 それを振り切るように、力強く叫ぶ。
 鈴仙が崖を蹴り、妖夢を抱えたまま、足下の森の中へと舞い降りる。
 頭上から響く、鋭く甲高い笛の音。恐らく、あれで天狗たちは仲間を呼んだはずだ。
「鈴仙さん!」
「逃げる!
 奴らがどこまで追いかけてくるか知らないけれど、逃げ切れるまで逃げるよ!」
「はい!」
 二人は全力で地面を駆け抜ける。
 天狗の素早さは、二人とも、身にしみて知っている。空を飛べば、瞬く間に彼らに追いつかれてしまうだろう。
 しかし、このような森の中なら、いかに天狗が高速飛行できようとも関係ない。
 普通に空を飛ぶ感覚で、これだけ木々が林立した森の中を飛べば、あっという間に大木に激突して大怪我をしてしまうはずだ。
 頭上から『侵入者だ! 南に向かっているぞ!』という声が響く。こちらを追う視線と気配がずっとついてくる。
 だが、背後から、それがなかなか迫ってこない。
「もういっちょ!」
 鈴仙が手にした煙幕を地面に叩きつけた。
 先ほどの煙幕よりもさらに濃い煙が、あっという間に周囲に広がっていく。
「げほっ、げほっ!」
「ほら、こっち!」
 自分たち――というか、被害を受けてしまう間抜けな妖夢の手を引いて、鈴仙が地面を突っ走る。
「足が動かないなら、こっちにジャンプ!」
 鈴仙の足は速い。地面を疾走する兎には、まともに走っても、人が追いつくことなどできはしない。
 ましてや、鈴仙は妖怪兎だ。
 その足の速さは、とてもではないが、妖夢がついていけるものではない。
 彼女は言われた通り、鈴仙の方に向かって地面を蹴った。
 鈴仙は彼女の手を引っ張り、自分の背中で妖夢を受け止めると、「あ、軽い軽い」と笑う。
「君、あんまり食べてないんじゃないの?
 妖夢ちゃんみたいな小さな子は、ちゃんとご飯を一杯食べて、一杯外で遊んで、そして一杯寝ないと。大きくなれないよ」
「だから、子供扱いしないでくださいってば!」
「子供でしょ?」
 にこっと笑って振り返る鈴仙の顔を見て、妖夢は顔を真っ赤にして、抗議の意思を示すためにほっぺたぱんぱんに膨らませる。
 そして、
「来たぞ!」
 追いついてくる天狗たちの姿を見て、鈴仙が声を上げた。
 妖夢が上を振り仰ぐ。
 上空を飛んで追いかけてきているだけだった天狗たちが、彼女たちを後ろから追いかける仲間があまりにも彼女たちに追いつけないことに焦れたのか、こちらに向かって降下してきている。
 鈴仙は思いっきり、前方に向かって地面を蹴った。
 直後、それまで彼女たちがいた場所に着弾した風の塊が弾けて、追い風となって彼女たちを前方に吹き飛ばす。
「よっと」
 鈴仙たちの前に天狗たちが舞い降りた。
 止まれと叫ぶ彼らに「やーだよ」と鈴仙は舌を出す。
「妖夢ちゃん、任せた!」
 相手が攻撃の姿勢を整える――それより早く、鈴仙は相手の間を駆け抜ける。
 そして、その瞬間、鈴仙の背中で妖夢が手にした剣を一閃した。
「手ごたえあり!」
 その攻撃は相手が手にした武器を叩き落し、天狗たちに動揺を与えて動きを止める。
 あっという間に、鈴仙の足は彼らを突き放し、
「よし、下り坂だ!」
 山は上から下に向かって下っていく。
 その下り坂を駆け抜ける中で、鈴仙の足はどんどん速くなっていく。
 これほど悪い地面をしっかり踏みしめ、体幹を揺らすことなく走り抜けるのは、もはや才能だ。妖夢には真似できない。
「鈴仙さん、すごいですね」
「でしょー。
 お姉さんを見直したか!」
 前方に大きな段差と、地面から突き出た石が見えた。
 鈴仙は地面を踏み切ってジャンプし、数十メートルも前方に着地する。
「このまま逃げ切るよ!」
「はい!」
 二人を追いかける天狗は攻めあぐね、ただこちらを監視しているしかないようだ。
 どこまで彼らが追いかけてくるかわからないが、鈴仙なら、この妖怪の山を出るまで、彼らに捕まることもないだろう。
 潜入作戦成功――二人がわずかに安堵した、その時だ。
「……!」
「鈴仙さん?」
「追いかけてきてる」
「え? あ、は、はい。それは……」
「上じゃない。後ろだ!」
 鈴仙の言葉に、妖夢は後ろを振り返る。
 遠くに、確かに天狗たちの姿が見える。だが、彼らとの距離は、まだだいぶある。この速度で走り続けている限り、追いつかれることはないはずだ。
「鈴仙さん、何を……」
 妖夢は疑問を浮かべて、鈴仙に尋ねようとして、その『音』に気づいた。
 ――木の幹を蹴る音がする。
 靴底で……いや、固いもので木を蹴る、あの独特の音がする。
 それは後ろから徐々に近づいてくる。
「誰!?」
 振り返っても、姿は見えない。
 遠くにいる天狗たちではない。
 だが、誰かが、すぐ近くまで来ている。
「くそっ!」
 鈴仙が毒づくのと、
「かわいいうさぎちゃんとちびっこちゃん、み~つけた」
 軽い、女の声が二人の耳元で響いたのは、ほぼ同時だった。
 鈴仙はブレーキをかけながら後ろを振り返る。
 木がざっと鳴り、そこに、その女の姿を吐き出した。
「嘘だ……!」
 妖夢が目を見張る。
 そいつは、『影』だった。
 いや、速すぎてその姿を認識することが出来なかったのだ。
 周囲の森の『陰』にまぎれてしまっていたのだ。
 鈴仙が足を止め、彼女も追跡をやめたことで、その姿ははっきりと現れる。
 鴉の濡れ羽色の長い黒髪。
 細くシャープな顔立ち。
 切れ長の瞳。
 すらりと高い背。
 一言で言うなら、絶世の美女、である。
「鬼ごっこはもう終わり? もちょっと楽しませてほしいんだけどなー」
 その見た目にそぐわぬ幼い喋り方で言う彼女は、天狗の衣装を身にまとう。鴉天狗だ。
 鈴仙はすぐさま、相手に向かって片手に銃を構える。
「引け」
「ん?」
「黙ってここから離れろ。これ以上、追いかけてくるな。
 ――撃つぞ」
 鈴仙の脅しに、彼女は目を丸くした。
 そして、『へぇ~』と目を細くして鈴仙を見る。
「そんなおもちゃで、こっちを脅かすんだ? かわいいうさぎちゃんね」
「近づくな!」
 彼女の声と共に、銃弾が放たれた。
 それは女の足下に着弾する。
 彼女は大げさに驚いた仕草でその場を飛びのく。
「こいつは銃っていう武器だ。
 妖怪が嫌う、鉄と鉛で作った弾丸を撃ち出す。お前たちよりもずっと速く。よけることなんて出来ないぞ」
「……へぇ?」
「必要のない怪我を負わせるつもりはない。
 こっちを黙って見逃せ」
 鈴仙の言葉を『うんうん』と聴いていた女が、言う。
「今のところ、もう一回」
「……こちらを……」
「そうじゃない。もっと前。
『お前たちよりもずっと速く攻撃できる』――そう言ったよね?」
「そうだ」
 女は、笑った。
 口元に小さな笑みを浮かべて笑いながら、言った。
「試してみよう」
 彼女がゆっくり、こちらに歩み寄ってくる。
 鈴仙は彼女の歩みと同じ分だけ後ろに下がり、同時に妖夢を下がらせる。
「近づくな! 撃つぞ!」
「いいわよ。どうぞ。
 撃つならどこ? 頭? 心臓? 腹? それとも、天狗の象徴の羽?
 どこでもいいわ。しっかり狙って撃ちなさい」
「鈴仙さん……」
「安い挑発を……! 後悔するな!」
 鈴仙は相手をまっすぐ正面に見据え、躊躇なく引き鉄を引いた。
 火花が散って、銃の口から煙が上がる。
 反動で、わずかに鈴仙の腕が上がる。
 そして、女はつぶやく。
「なーんだ」
 ――刹那。
「めちゃくちゃ遅いじゃない」
 妖夢には、何が起きたか理解することが出来なかった。
 一瞬――本当に、一瞬、自分のそばを黒い風が通った、その程度にしか感じることが出来なかった。
 だが、後ろを振り向くと、鈴仙が地面に叩きつけられ、意識を失っていた。
 何が起きたのかわからなかった。
 それまでの全ての瞬間が、やけに遅く見えた。
 ――遅れて、衝撃と、音と、風がやってくる。
「どれくらい速いのかと思ったら、まだまだ遅い。遅すぎる。
 銃だか何だか知らないけど、残念すぎるわ」
 妖夢は、遅れて叩きつけられた衝撃にたたらを踏んだ。
 見たことのない現実に、意識と認識が追いつかない。
 目を見開き、何度も何度も、女と鈴仙の間で視線を往復させた。
「さて、お嬢ちゃん。
 悪いんだけど、私達と一緒に来てくれない?
 だーいじょうぶだいじょーぶ。私ってば、かわいい女の子、だ~い好きだから。何にもしないわよ。うん。大丈夫」
 友好的な笑みを浮かべて、女が手を伸ばしてくる。
 妖夢は慌ててそれを手で振り払い、鈴仙の元まで走る。
「鈴仙さん! 大丈夫ですか!? 鈴仙さん!」
 返事がない。完全に気絶している。
 女が鈴仙にどんな攻撃を叩き込んだのかはわからないが、ともあれ、妖怪であるはずの鈴仙が一撃でやられるほどの威力を放ったのだけは間違いない。
「そんな、お化けを見るような目で見ないでよ。お姉さん、傷つくわぁ~」
 妖夢は手に剣を構えた。
 その切っ先が、かたかたと震えている。
「大丈夫。何にもしないから。ね?」
 妖夢は怖がりであっても泣き虫ではない。
 慎重ではあっても、姑息な臆病者ではない。
 だが、今の彼女は震えていた。
 あの『天魔』。そして、この『女』。
 これまでに自分が見てきた、いかなる『強者』よりも強い、次元の違う『化け物』たちを前に、彼女は怯えていた。
 恐怖で呼吸が荒くなる。心臓が締め付けられるように痛い。鼓動が恐ろしく早く刻まれる。
 寒くもないのに全身の震えが止まらない。視界が涙ににじんでくる。
「鞍馬さま! 侵入者は!」
「あー、もー。無粋な奴らが来た。
 はいはーい。こっちこっち。こっちにいるわよー」
 天狗たちが集まってきた。
 このままでは四方八方を囲まれ、逃げられなくなってしまう。
 いや、たとえ逃げたとして、逃げ切れるものか。
 この女に追いかけられたら、絶対に逃げ切れない。
「あいつら、仕事に忠実なのはいいんだけど、本当に無粋なのよねー。こんなかわいい子達が悪い子のはずないってのに」
 女は頭をかきながら、わずかながら、妖夢たちから意識を逸らした。
 その瞬間、妖夢はがちがちとうるさい自分の歯の根を思いっきりかみ合わせた。
 ぎりぎりと歯が鳴り、顎がみしみしと悲鳴を上げる。
 思い切り地面を踏みしめて、汗が粘つく掌で、もう一度、刀の柄を握り締める。
 脳裏に蘇るのは、鈴仙の言葉。
『君は私の護衛』
 たった、その一言。

 ――そうだ。私は、鈴仙さんを守るんだ。それが、今の私の役目なんだ。子供扱いするなって、あの人に言っただろ!

「……ん?」
 女が何かを感じ取ったのか、妖夢へとゆっくり振り返る。
 その世界がゆっくりと入れ替わる現象を、何と表現したらいいか。
 自分への叱咤を全身の筋肉への命令に替えて、妖夢は刀を振り上げる。
 こんな奴に怯えるな。鈴仙さんはお前を守ってくれてるんだぞ。お前を守って傷ついたんだぞ。このままじゃ、お前は嘘つきになって、この人に顔合わせが出来なくなるんだ。それでいいのか。本当に。今だけでいい。強がりだっていい。破れかぶれのがむしゃらだっていい。

 ――刀を振れ、魂魄妖夢!

「うぉらぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 これまでに上げたことのない、もはや獣の叫びと相違ない絶叫と共に、彼女は手にした刀を一閃した。
「おおっと」
 女は驚きの声と共に、その一撃を易々とよける。
 しかし、妖夢の一閃は、元より彼女を狙いとしたわけではない。
「鞍馬さま!」
「なーるほど」
 天狗たちの焦りの声。
 同時に、女――鞍馬はにやりと笑った。
 周囲の木々が根元から切断され、鞍馬と、妖夢たちに向かって倒れこんでくる。
 しかも、一本や二本の話ではない。
 この周囲、何十本と言う木々がだ。
「これは驚いたわ!」
 不規則に、一斉に倒れる木々の山。
 普通ならばどれか一つの下敷きになってもおかしくないその崩落を、鞍馬は軽々と抜け出てみせた。
 およそ普通の生き物――いや、妖怪には不可能な高速機動でそれら全てをよけ、轟音と共に崩れた森を上空から見下ろす。
「ただかわいいだけじゃないのね。やるじゃない」
「鞍馬さま! お怪我は!」
「ケガなんてするわけないでしょ。あの程度で。
 それより、ほら。ちびっ子たちが逃げるわよ」
「――くそっ!
 追え! 逃がすな!」
 鞍馬の指差す先に、鈴仙を背負って走る妖夢の姿があった。
 天狗たちがそれを追いかけていく。
 それを見送る鞍馬は、『いいことだ』とうなずく。
「やっぱり子供はこうでなきゃ。
 次に会う時は、あの子、見違えるくらいいい面構えになってそうね」
 もう、彼女に妖夢たちを追撃する気はないようだった。
 体を大きく伸ばして、ゆったりのんびり、妖怪の山を山頂の方へと向かって飛んでいく。
 躍起になって二人を追いかける天狗たちに、聞こえないように小さな声で『お前たちには追いつけないよ』と囁いて。

「はっ、はっ、はっ……!」
 鈴仙を担いで走る妖夢の速度はとにかく遅い。
 天狗たちの姿は、木々の向こうに隠れているものの、確実に近づいてきている。声がどんどん大きくなってくる。
「畜生……!」
 先ほど、気力を振り絞ったためか、全身が重たい。
 全ての力を振り絞ってあの女の呪縛から逃れたつけが回ってきている。
 このままでは、遠からず追いつかれる。
「こうなったら……!」
 鈴仙をどこか安全な場所に隠し、自分が囮となって、彼女だけでも無事に博麗神社に行ってもらう――その作戦を立て、辺りを見渡す妖夢。
「あの辺りなら……」
 木々の茂みが濃い場所を見つけて、そちらに移動する。
 奥のほうから水が流れる音が聞こえる。川が近くにあるようだ。
 川に沿って走れば、天狗から姿を見つけてもらいやすくなる。
 相手の目を多くひきつけることが出来るはず――彼女は悲壮な決意を浮かべて、茂みの中に飛び込む。
「こっちだ、こっち!」
 声がした。
 振り向くと、そこに見慣れた相手の姿がある。
「にとりさん!」
「急げ! ほら、早く!」
 彼女たちの友人である河城にとりが立っていた。
 妖夢は一瞬、迷う。
 妖怪の山の妖怪たちが、今回の敵――ならば、河童もそうであるはずだ。
 にとりだって例外ではない。彼女は河童だ。この妖怪の山を住処とする『敵』なのだ。
 だが、しかし。
「はい!」
 妖夢は、にとりとの『友情』に全額をかけた。
 彼女の方へと走りよる。
「しっかり掴まって! あと、息は止めてて!」
 差し出された掌を握り締める。
 妖夢は大きく息を吸い込む。
 にとりは、彼女たちを連れて川の中へと飛び込んだ。
「どこへいった!?」
「そう遠くへは行ってないはずだ! 探せ!」
 一歩遅れてやってきた天狗たちが、彼女たちの頭上で騒いでいる。
 にとりは二人を連れて、素晴らしいスピードで川の中を泳いでいく。
 そして、川底にある大きな岩を手でよけ、そこに空いている穴の中へと入っていく。
 段々、息が苦しくなってくる。
 どれほどの時間、にとりは泳ぎ続けるのか。
 ――もう、限界!
「ぷはっ!」
 妖夢の息が切れるのとほぼ同じタイミングで、三人は目的地へと到着する。
「……ここは?」
 頭上から差し込む光に彩られる大きな空間。
 岩場が広がるそこに、にとりは『ほら、こっちだよ』と上がっていく。
 妖夢は鈴仙を担いで、彼女の後を追いかける。
 その広い空間の岸壁に、銀色のドアがいくつもつけられている。その中の一つを開けると、にとりは二人を中へと呼んだ。
「ベッドの上に寝かせてあげて」
「あ、は、はい」
 その中は部屋になっていた。
 部屋の隅にベッドとテーブルがあるだけで、他は雑多な機械に埋もれた空間だ。
「ここは、あたし達、河童のアジトさ。
 天狗連中も、そうそう入ってこない」
「そうなんですか」
「二人とも大丈夫? 体がぬれてると風邪引くでしょ。
 今なら、この『あったかオンプーくん』が……」
「いえ、いいです。爆発しそうなので」
「……そんなことないんだけどなぁ」
 とは言うが、にとりの失敗作が爆発してえらいことになったのには枚挙に暇がない。
 妖夢もその現場を何度も目撃しているため、『賢いものは危険な橋を渡らない』選択肢を採用する。
「ん……っつぅ……」
「あっ、鈴仙さん!」
 その時、鈴仙が目を覚ました。
 妖夢が彼女に駆け寄り、『よかったぁ……』と安堵する。
「……妖夢ちゃん。ポケットの……後ろの……から、赤い丸薬……」
「は、はい」
 鈴仙が腰に巻いているベルトにつけられたポーチから、言われた薬を取り出す。
 それを彼女は『口、入れて』という鈴仙の言葉に従って、その口へと押し込む。
「……ちょっと寝る」
「へっ?」
 すぐに、鈴仙は寝息を立て始めた。
 なんて寝つきがいいんだ、とにとりが驚きの声を上げている。
「体がぬれてるのに寝ると危ないよ。
 服を脱がせて、タオルで拭いてあげて」
「は、はい」
「あとね……あ、あったあった。懐炉。これ使って」
「ありがとうございます」
 鈴仙の手当てをした後、妖夢も服を脱ぐと、にとりから渡されたバスタオルにくるまった。
 にとりは二人の濡れた服を天井から吊り下げて、その下にストーブを持ってくる。
「いやぁ、危なかったね。鞍馬さまに目をつけられてたでしょ、二人とも」
「……鞍馬さま?」
「髪の長い女の天狗」
「……!」
「あの人、めっちゃくちゃ強いんだよね」
 にとり曰く。
 その『鞍馬』という天狗は、恐らく、大天狗を除いた天狗たちの中で一番に強いのだという。
 本人にも、何度も『大天狗にならないか』というオファーがいっているらしいのだが、片っ端から断っているのだとか。
 その理由が、『年食ったじいさん達と一緒にいるより、かわいい女の子がたくさんいる、華やかな現場の方がいい』というものであり、
「もうひどいくらいの女好きのセクハラ大好き天狗なんだよね」
「……あはは」
 お尻触られた、おっぱいもまれた、などと言う被害は後を絶たず、何度も何度も素行の悪さから処罰を食らっているのだが、全然懲りないらしい。
 しかし、その実力は本物であり、いざと言う時の『強さ』は疑う余地もないため、山から追放されることもなければ最終的に徹底的に嫌われることもないのだとか。
「文さんとかもかなりの速度持ちだけど、鞍馬さまにゃ及ばない。
 あの人は、ほんと、化け物だ」
「……そんなに」
「正直、助けに行くか迷ったんだけど、やっぱね。見捨てるのは寝覚めが悪いし。
 それに、こう言う時に恩を売っておくことが、これを稼ぐチャンスってもんさ」
 にっと笑って、親指と人差し指で丸を作る。
「……よかったんですか?」
「ん?」
「だって、にとりさん達も、霊夢さんの……」
「ああ、まぁ、三日後はね。
 けど、今は関係ない。今のあたしにとっては、あんた達はいいお客さんだし、友達だ」
 河童は天狗に逆らわない。
 上司と部下の関係がある。それを守らなくては、山にはいられない。
 しかし、『見られてなけりゃ関係ない』のだ。
「いざって時に友達を見捨てるような薄情な奴に、あたしはなりたくない」
 そう言って笑うにとりの笑顔は、とてもかわいらしかった。
 ふぅ、と妖夢は息をつく。
 ――この部屋は、恐らく、にとりの部屋なのだろう。
 周囲に天狗たちの目はない。ここは恐らく、数少ない安全地帯だ。
「あんた達、何でこんなところに来たの」
「あ、えっと……」
 妖夢はここに至るまでの経緯を、にとりに語って聞かせた。
 ふんふん、とうなずいて、その話を聞いていたにとりは、妖夢の話が『天魔』に差し掛かったところで目を丸くする。
「天魔さまの御所に入ったの!? マジで!?」
「あ、は、はい。
 多分……」
「……それは……すごいな」
 にとりは驚きのあまり、言葉が続かないようだった。
 わずかな空白の後、「よく生きて帰ってこられたね」と、彼女は真剣な口調で妖夢に向かう。
 妖夢は体を固くし、『はい』とうなずく。
「いや、本当に。冗談抜きで。
 天魔さまの御所に入って、生きて、まともに出てきた奴、あんた達が初めてだよ」
「……え?」
「ああ、いや、ね……。
 もう……どれくらい前になるかな。
 天魔さまが、この山にやってきて、『お前達を従える』って言って、自分の住処――御所、ってあたし達は呼んでるんだけど――を決めてさ。
 それを快く思わない奴らがいたんだ」
 血気盛んな若い天狗と、彼らを統率する、人望と実力に満ちた壮年の天狗たち。
 彼らは、『あのような身勝手な妖怪に、山の秩序を預けるなど以ての外』と大天狗たちに話を持っていき、彼らの了解を得ないまま、天魔の御所を襲撃したのだという。
 大天狗たちは、この山の天狗たちを統率し、同時に、その下にいる妖怪たちも管理する。言ってみれば、山の政治の執行者たちだ。
 彼らは何も言わなかった。止めなかったのだ。
 すなわち、暗黙の了解の下、天魔の暗殺を指示したのである。
「だけどさ……。
 一日たっても、そいつらが帰ってこない。
 何があった、って見に行った天狗がいて……」
 彼は顔を真っ青にして戻ってきた。
 天魔の御所。あの、美しい庭園の一角に、血まみれの天狗たちが積み上がっていたのだ、と。
 天魔は彼の来訪に気づくと、けらけらと楽しそうに笑いながら、こう言ったという。

『余を殺すなら、もっと強い奴をよこせ。こいつらでは話にならんぞ』

 それは嫌味でも何でもなく、本当に素直な、『子供の感想』にしか聞こえなかったとか。
 しかし、それは、その天狗に絶大な恐怖を叩き込むには充分だった。
 大天狗はやられた天狗たちの回収を命じ、天魔に土下座し、服従を誓った。ならばとより強いものを天魔のところへ差し向けることはしなかった。
 やっても同じ――それがわかっていたのだ。
「以後、天魔さまに楯突く奴はいなくなった。
 当時、やられた天狗たちは、未だに目を覚ましていない。死んでないだけの、ありゃ、生きてるだけの死体だよ」
「……そんな……」
「たまに、命知らずの奴が天魔さまに挑んでいることがあるみたいだけど、どいつもこいつも、まともな形でなんて戻ってこなかった。
 五体満足で逃げ切った、あんた達、本当にすごいよ」
 妖夢は彼女の言葉に息を呑み、震え上がる。
 濡れて体が冷えているという以上に、すさまじい寒気がした。
 やはり、あの子供は化け物だった。およそ、世界の常識に当てはまらない化け物だった。その化け物から与えられた恐怖が、今になって蘇る。
「ただ、天魔さまが、そこから出てくることは滅多にない……らしい。
 せいぜい、大天狗さま達のところにやってきて、わがままを言うくらいだ。だから、あたしも、天魔さまの姿を見たことなんて数えるくらいしかない。
 ……ある意味じゃ、あれは引きこもりなのかもね。そっちの方がありがたいけど。
 もしかしたら、あたし達が見てないところで、勝手に外に遊びに出てるのかもしれないけど、そんなの知ったこっちゃない。
 こっちとしては、あんな化け物と、なるたけ関わり合いになんてなりたくないんだ」
「え、ええ……」
「そりゃ、天狗たちも死に物狂いで追いかけるか……。
 天魔さまの御所に、護衛まで配置しておいて、侵入者に逃げられたとあっちゃ、面子が丸つぶれだ」
「あ、あの……!」
「あ、いいよいいよ。気にしないで。
 あたしらは天狗さまにゃ、逆らえない。ただのブルーカラーの労働者だ。
 だけど、知ってる? 世の中って奴はね、そのブルーカラーが動かなきゃ、うまいこと回らないもんなのさ」
 へへへ、と笑うにとり。
 その笑顔に何だか妙な安心感を覚えて、恐怖に怯えていた妖夢の顔にも笑顔が戻る。
 ほっと息をつく。
 ――その時、とんとん、と部屋のドアがノックされた。
「隠れて。ベッドの下」
「は、はい」
 妖夢は立ち上がり、鈴仙を連れてベッドの下にもぐりこんだ。
 にとりは干してある二人の服をまとめて、機械の山の中へと放り込むと、
「はーい?」
 平然を装った顔でドアを開ける。
「にとり。ちょっといいか?」
「あいあい。どうしたんです? 親方」
 彼女の前に立っているのは、小山のような体躯を持った壮年の男性河童だった。
 にとりと比べると、まるで別の種族に見えるほどだ。
 厳しい顔つきで彼は室内を一瞥する。
「天魔さまの元に侵入者があった。天狗さまが、その侵入者を探している。
 ここにも、その手の奴が来なかったか、という使いが来ている」
「ありゃ、それはそれは。
 探すの手伝います?」
「……」
 彼は無言でにとりを見る。
 そして、ふっ、と口元に優しい笑みを浮かべて、彼女の頭をぽんと叩いた。
「いや、いい。
 女の子の部屋に入って悪かったな」
「いいですよ。親方、奥さんに子供が三人もいる」
「ははは。そうだな。
 俺はおしどり夫婦として有名なんだ。まぁ、尻に敷かれてる旦那としても有名だけどな。
 そうだ、にとり。お前に興味があるという奴がいるぞ。
 今度、見合いでもどうだ。俺が間を取り持ってやる」
「いやー。親方の心意気は嬉しいんですけどね。
 あたしは、ほら、機械が恋人ですから。スパナとか、ハンマーとか。そういうのと結婚できるなら考えますよ」
「わっはっは。そうかそうか。
 じゃあ、今度、魔法銀で作ったハンマーの見合い写真を持って来よう」
「やったね!」
 冗談を言い合って笑った二人。
 そして、『親方』と呼ばれた河童は、その笑顔のまま、
「友達を大切にな」
 優しい言葉をかけて、彼女に背中を向けた。
 にとりは彼に向かって手を振って、ドアを閉める。
「出てきていいよ」
 彼女の言葉を受けて、妖夢は鈴仙と共にベッドの下から這い出た。
 ほっと息をつく妖夢。
「見事に気づかれてたね」
「……」
「さすがは親方だ。ほんのちょっとの違和感に気づいてくる。
 だから、あの人が見た機械は壊れないんだな」
 傍目には何も変わらないように見えた、にとりの部屋。
 その中の、ほんの少しの違和感――恐らくは、普段は部屋の隅に置かれているストーブが部屋の中心に置かれていたこと。そして、洗濯物を干すためのロープが、その上にかかっていたことに、何かを察したのだろう。
「……いい人なんですか?」
「ものすごくいい人。義理と人情に厚い。
 河童として、天狗には逆らわないけど、理不尽なことは絶対に受け入れない。受け入れても、必ず、心の中で舌を出してる。
 あたしらを守ってくれる、いい人だよ」
 にとりは一度、部屋の奥へと引っ込んだ。
 そして、「はいこれ」と水の入った入れ物と、
「……きゅうり?」
「きゅうりのスタミナ漬け。美味しいよ」
 ぱかっと蓋を開けると、にんにくの香りがする肉味噌に漬けられたきゅうりがあった。
 妖夢は微妙な笑みを浮かべつつも、『頂きます』とそれを一つ、受け取る。
 見た目はともかくとして、味は、そこそこだった。
「あとは……」
 にとりの視線が、ベッドの上にいる鈴仙に向いた時だ。
 鈴仙が小さな声を上げて起き上がる。
「あ、鈴仙さん!」
「あ~……よく寝た。痛かったな~」
 バスタオルを払った鈴仙の左のわき腹に青あざが残っている。
 そこに、鞍馬の一撃を食らったのだろう。
「鈴仙さん、タオル、タオル」
「いいからいいから」
 その、細いながらも出るとこしっかり出ている裸身を晒す鈴仙は、笑いながら妖夢から差し出されるバスタオルを断った。
 にとりは、『ここに文さんがいたら、「ぜひとも一枚! いや、十枚!」とか言い出してたんだろうなぁ』と苦笑いする。
「妖夢ちゃん、現状報告」
「その前に、服を着ましょうよ」
「いいから」
「……はい」
 裸のまま仁王立ちする鈴仙に、妖夢は現在の状況を伝える。
 鈴仙は小さくうなずきながらそれを聞いている。
 にとりは、二人の服を手に取り、『……うわ、あのうさぎさん、すごいパンツ穿いてるな』と目を丸くする。
「よし、わかった。
 にとりさん、ありがとう」
「あ、ああ、いいよいいよ。
 あ、その代わり、今度、おたくのところに行商に行くからさ。何か買ってね」
「ものによるけどね。ガラクタを押し付けられても買えないよ」
「大丈夫さ」
 彼女は二人に『服、乾いたよ』と手にしたそれを手渡した。
 二人は服を着込んだ後、『さて』と顔を見合わせる。
「にとりさん。私達、博麗神社に行かないといけないんです。
 どうやったらいいですか?」
「そうだね……」
 にとりは部屋のドアを開けて、左右を見渡す。
 広い空間に、他の河童たちの姿はない。
 こっちこっち、と手招きで二人を呼び、にとりは足早に、その空間を走っていく。
「あそこ」
 簡素な骨組みのみの足場が、この空間を囲む岸壁に作られている。
 その一番左手側の一角を、にとりは指差す。
「あそこにね、外に出られる出口がある。
 あたしが勝手に作った抜け穴で、あたししか知らない。まぁ、誰か知ってて勝手に使ってる可能性はあるけどね」
「何でそんなものを?」
「うちのルールでさー。外に出るのにいちいち許可取るのめんどくさいんだもん」
 彼女の、実にいい加減なスタンスの言葉に、二人は微妙な笑みを浮かべる。
 ともあれ、とにとりは『あそこからなら、安全に、山の麓に出られるよ』と教えてくれた。
「じゃあ」
「そうですね」
「気をつけてね。天狗連中も、山の外までは追ってこないとは思うけど」
「はい」
「お世話になりました」
「いいよいいよ。
 あ、だけど。次に会う時は、多分、お互い敵同士だ。手加減してね」
「時と場合によります」
 鈴仙の一言に、『そりゃそうだ』とにとりは肩をすくめた。
 二人は彼女に頭を下げて、示されたところへと移動する。
 閉じられた岸壁の一部に、小さな、ちょっと見ただけではわからない違和感がある。
「これか」
 鈴仙がそれを押す。
 岩から飛び出た、小さな石が中に押し込まれると、『がこん』という音がした。
 目の前の音がした岩を押すと、それが中に向かって開いていく。
 妖夢が一度下を見て、まだそこににとりがいるのを確認して、手を振った。
 二人は隠し通路の中へ入ると、開いた岩を閉じる。
「真っ暗だ」
 さすがにそこの中では夜目も利かないのか、鈴仙は手にライトを取り出すと、それで前方を照らして歩いていく。
 妖夢は慌てて、『鈴仙さん、待ってください』とその後を追いかける。
「あとは博麗神社まで行くだけだ」
「はい」
「妖夢ちゃん、頑張ったね」
「あ、えっと……」
「さすがは私の護衛だ。君はすごい」
「……はい」
 照れくさいのと同時に、やはり、少しだけだが情けない。
 あの鞍馬を前に、そして天魔に対して、ほとんど何も出来なかった自分がいることが、情けない。
「いいよ、別に。
 みんな、最初から何でもできるわけじゃないんだ。一生懸命頑張って、どんどん強くなるんだ。
 君は子供なんだから、何でもこれからさ。
 だから、気負うな気負うな。子供らしくないぞ」
「むぅ」
 鈴仙なりの励ましに、嬉しさと共に、何度も『子供』を連呼されて、妖夢はほっぺた膨らませる。
 彼女は、わかってはいても、子供扱いされるとふてくされる、微妙な年頃の『お子様』なのだ。
「よし、出た」
 前方の岩をよけると、日差しが差し込んでくる。
 振り返ると、妖怪の山はかなり遠くになっていた。
 天狗たちは追いかけてきていない。後はのんびり歩いてでも帰る事が出来るだろう。
「どこかでお昼ご飯を食べていこう。おなかがすいたね」
「あ、はい」
「それからでも、充分、間に合うさ」
 ね? と振り返り、ウインクする鈴仙に、妖夢はただ『はい』とうなずくだけだった。


 ―四幕―


「文さん。失礼します」
 ドアを開けた先に、「ああ、椛さん」と湯上りほこほこで肩にタオルをかけて、腰に手を当てコーヒー牛乳飲む全裸の文が立っていた。
「何してんですか!?」
「ああ、いや。
 はたてさんに『あんた、昨日、お風呂入ってないでしょ!』って怒られて」
「……ったく」
「それより、ドアをいつまでも開けてられると寒いなー、とか」
「わかりました。すいません」
 はぁ、とため息をついて、彼女――犬走椛は、文の家に足を踏み入れる。
 文は『ちょっと待っててくださいね~』と、その辺りに脱ぎ散らかしてある服を手に取ろうとする。
「汚れたままの服を着たら同じじゃないですか! 替えは!?」
「制服ならあっちに」
「うわ洗濯してないし」
「あっはっは」
「……だからはたてさんに怒られるって自覚してください」
 とはいえ、ないものは仕方ない。
 文は落ちていた服を着ると、『それで、どうしたんですか?』と尋ねてくる。
「明確な時刻が決まりました。
 本日より三日後。朝の十時に博麗神社に到達するように移動を開始するとのことです」
「結構遅い時間帯ですね」
「朝ご飯を食べたら休憩しないと、体が動かない。昼の十二時には全部終わらせて宴会したい、そうです」
「なるほど。なんと合理的な」
「わがまま、って言うんですよ。それは」
 ぽんと手を打つ文。不満を隠そうともしない椛。
 精神的に余裕があるのはどちらなのか、よくわかる構図だ。
「椛さんも行くんですか?」
「当然です。
 我ら白狼天狗は一番槍をつくのが仕事ですから」
「それ、上の方々もご納得済みですか?」
「……」
「椛さん?」
「……納得してると思います。多分」
 その指示を持ってきたのは、椛の直属の上司であり、そのまた上の人物ではないのだという。
「椛さんの上司って理不尽な人でしたっけ?」
「誠実な人です。変なことなんて言いません」
「ならいいんじゃないですか?」
「……そうですね」
 これは何かあったな、と感づくが、それを聞くようなことはしない。
 この彼女、何事にもくそ真面目であるが故に、悩む時はとことん悩むのだ。そして、その間、全く使い物にならなくなるのである。
 たとえ理不尽な物事に相対した時も、使命感や責任感などで、彼女はそれを押さえ込む。そうしないと、自分の体が動かなくなるのをわかっているからだ。
 間抜けだな、と思うと同時に、自分はこうはなれないな、とも思う。
「はたてさんのところにも行って来ます。ついてきますか?」
「行ったって、彼女は協力しないと思いますよ。めちゃくちゃ怒ってましたから」
「だけど、それも私の仕事ですから」
「真面目ですね。
 もうちょっと肩の力を抜いたらどう? リラックス、リラックス」
「あなたみたいなちゃらんぽらんを絵に描いたような輩と一緒にされたら困ります」
 強烈な捨て台詞を残して、椛は去っていった。
 それを手を振って見送った後、さて、と文は椅子に腰を下ろす。
「天魔は動く。天狗も動く。河童もみんな動く。
 妖怪の山が大挙して、たかが人間がいるに過ぎない、小汚い小さな神社を襲う。
 なんて規模が小さくて、なんて胸が躍る話なのか」
『ボクは、あまり、そういうの関わりたくないです』
「君はここにいていいですよ。私が一人で動きますから」
『……』
 文の使い魔のかーくんが、不安そうな眼差しを文に向ける。
 大丈夫とへらへら笑い、文は立ち上がった。
 彼女は家を後にすると、とりあえず、山の上空を飛んでいく。
「山の神様たちはどう動くか。
 静葉さまや穣子さまは、多分、動かないだろう。動いたって、あいつら、使い物にならない。
 鍵山さまは争いを望まない人だから、もしかしたら、あちこちで戦いをしないように説得しているかもしれない。健気な人だ。
 八坂と洩矢の神は、恐らく、真っ先に参戦してくる。奴らは好戦的だ。
 そして――」
 その視線が、遠く――山の稜線に沿って飛んでいく、早苗の後ろ姿を捉える。
「奴は敵に回る」
 彼女の姿が木々の間に消えていくまでを追いかけて、『さて』と腕組みしてそこに留まる。
「博麗神社の戦力が具体的にどれほどのものなのか、それを把握している奴はいない。
 まぁ、相手は所詮人間、とたかをくくっているのかもしれないけれど、この山の奴らはあいつのことを知らなさすぎる。
 あれがどれだけ面白くて、どれほど邪魔な奴か、理解しているものはそう多くない。
 ……となると、争いは必然的に大きくなる」
 彼女は知っている。
 あの『博麗の巫女』とやらを取り巻く人間関係を。
 あれをどうにかしようと考えた場合、必ず出てくるであろう戦力の存在を。
 それを警戒して……なのかどうかは知らないが、あちこちの実力者たちの下に、大天狗は使いの天狗を送っていた。
 この三日間、博麗の巫女に関わるな、と。
 だが、そんな警告など、奴らが聞くわけがない。必ず、今回の祭りに参加してくる。
「特に厄介だと知っているのは紅魔館。ひまわりの畑の女妖怪。あとは地獄の鬼神。
 ……いずれも間違いなく、敵に回ってくれる」
 どいつもこいつも剣呑な奴らばかりだ。
 たった一人で、妖怪の山の天狗たちをまとめて相手できるような実力者が勢ぞろいしている。
 こいつらが嬉々として乗り込んできたら、いかに天狗が強いとはいえ、無事にはすむまい。
 祭りは大きくなり、戦は熾烈を極める。
 それはまさに――、
「最っ高のシーン!」
 文は目を輝かせて声を上げる。
 そんな激烈で熾烈で猛烈で、ついでに痛烈爽快な現場を撮影し、記事にして、そして幻想郷のあちこちにばら撒けば。
 妄想ではなく、想像でもなく、間違いなくとんでもないくらいに新聞は売れる。
 我も我もと新聞を買い求める人々と妖の群れ。それに記事を配って歩く自分。
 もうこの時点で、それが頭の中に想像できる。
「うふふ……! やったぁ……! 私、大勝利っ!」
 今回の戦に参加はしても、文はもちろん、真面目にやるつもりはない。
 組織への帰属意識は強く、上司に服従する精神もしっかりしている彼女だが、それはあくまで『天狗』に対してだ。
 天魔のやることに対して、真面目にやるつもりなどこれっぽっちもない。
 部隊に参加してさっさと博麗神社に向かい、そしてとっとと撃墜されるのだ。
 そしてこっそり辺りに潜んで撮影しまくり取材しまくり。
 全部が終わったら、誰よりも早く一目散に山へと戻り、その日の午後には河童連中使って輪転機フル活用して、新聞をばら撒く!
「我ながら、何と完璧なサクセスストーリー!
 よーっし! やる気がみなぎってきたぁぁー!」
 ――サクセスストーリーと言うか、それはもはや『理想』であり『幻想』に近いのだが、文がそれに気づくことはないだろう。
 この彼女、何でも自分の都合のいいことばかりに目を向けて、その裏のデメリットになかなか気づかないのだ。
 それでいつも墓穴を掘るのだが――、
「どうしようかな~。
 天狗の側の情報を霊夢さんに流して、それで、代わりに向こうの情報ももらって……。
 あ、これ、二重スパイってやつ? 何かかっこいい!」
 そんなことしたら間違いなく、真っ先に疑われるのはこいつである。
 天狗連中の中で、一番、博麗の巫女と仲がいいのが彼女なのだ。
 天狗の側の情報が巫女に漏れたとなったら、いの一番にとっ捕まることだろう。
「まぁ、まずは、フィルムの確保と現像、製本の機械の予約よね。
 三日後、午後一。ここに予約入れておかないと。
 さーって――」
 河童連中のところに押しかけて、『今、予約待ち。予約はけるまで待って』と言われるより前に出版設備を押さえなくては。
 大急ぎでその場を飛び去る文。
 彼女があと五分もそこにいれば、地底に続く道へと一目散に向かう早苗を目撃することが出来ただろう。
 やはり、彼女はこういうところで詰めが甘いのだ。

「さて、次は……」
 無事、河童の元で設備の予約が出来た文は、うきうき気分で空を飛んでいく。
 カメラのフィルムも大量に確保し、幻想郷消滅クラスの大災害が起きても、一日は写真を撮り続けられるだけの装備も確保した。
 残すところは、それまでの間をどう立ち回るかの、己の身の振り方である。
「あんまり不真面目でも、辺りに敵を作りそうだし。
 天狗は真面目なのが多いからな」
 自分のような不真面目者は珍しい――そう自嘲気味に言って、『ま、いいや』と彼女は空を飛んでいく。
「あとは……そうだなぁ。
 天狗連中にも根回ししておこうかな。当日は、きっと強い奴が出てくるよーって」
 それを根回しとは言わないのだが、あいにくと、それを指摘するようなものがその場にはいない。
 彼女が妖怪の山の岸壁に沿って飛んでいくと、前方で、突然、爆発のような音が響いた。
 続けて甲高い笛の音が鳴り響く。
「ありゃ、侵入者か」
 その音には覚えがあった。
 哨戒天狗などが使う警告用の笛だ。あれは山全体に響き渡るほど、いい音色を上げる。
 視線を巡らせると、岸壁の一部から濛々と粉塵が上がっていた。
 続いて、たくさんの天狗が、一目散に何かを追いかけて山の南側へと向かっていく。
「……あそこは確か……」
 過去に足を運び、入り口まで行った事のある場所。確か、天魔の御所があるところだ。
 ゆっくりと、そちらに近づいていく。
 集まる天狗たちは侵入者を追いかけるのに必死で、文に気を回している余裕はないようだ。
「こんなところに侵入してくるなんて、勇気のある奴もいたものね。
 私なら、絶対にいやだって言うわ」
 近づいていくと、何やら奇妙な匂いがする。
 あ、これ、粉塵じゃないや、と文は鼻をつまんだ。
「何があったんだろう」
 天魔の御所に続く穴からは煙が立ち上っている。
 中で火が出ているのかもしれない。それはそれで一大事だ。
 ひょこっと横穴の向こうに顔を覗かせる。
 そして、『ちょっと様子を見てくるか』と彼女はそちらへ進んでいく。
「以前、ここに来たの、いつだったかなぁ。
 確か天魔宛に書簡を持ってきたのよね。……宴会のお知らせだったかな?」
 未だに下っ端天狗として使われる文は、そういう雑用を命じられることも数多い。
 そのたびに、笑顔で命令を受け取っては、『いつか見ていろこんにゃろう』と思っているのだ。
「……」
 天魔の御所へと辿り着く。
 岸壁の一部が盛大に崩れ、あちこちに大小さまざまな岩が落下している。
 御所の入り口である豪奢な扉も木っ端微塵に吹っ飛び、中の様子が外から丸見えだ。
「はて。これはこれは」
 ずいぶんと大胆な侵入者だ、と文は感心してうなずいた。
 あの様子を見る限り、侵入者はあの建物の中にまで入り込んだのだ。
 どんな理由があっても建物の中に他人を入れない天魔。その理由は不明だが、あの中に入ったことがあるというものを、文は知らない。
「相手が優れていたのか、何か不具合があったのか」
 天魔が間抜けだった、とは言わない。
 あれは自分への悪口に敏感だ。下手なことを言ったら笑顔でそばにやってきて、とんでもないいやがらせをしてくるのだ。
 実に厄介な『小悪魔』なのである。
「……ん?」
 その崩れた入り口のところに、人影が佇んでいるのが見えた。
 目を凝らす文。
 その相手は、子供のように見える。
 天魔か? いや、しかし、彼女よりは背が高い。
 あの御所の中に入れる人物。大天狗たちですら、入り口の階段までとなっているのはよく知られている。
 ――とすると、
「あれが、天魔のお目付け役の妖怪?」
 天魔が唯一恐れる存在。具体的に言うと、何か悪さをしたことをそのお目付け役に報告すると、泣いて謝っても許してくれない、恐怖のおしりぺんぺんが待っていると聞く。
 だが、天魔のお目付け役がどのようなものであるかを知っているものは、実はいないのだ。
 その妖怪が何者であるか、そもそも妖怪なのかどうかすら知られていない。
 知られているのは、『いつでも天魔のそばにかしずいている』ということだけである。
「……ん~」
 天魔の御所がある開けた空間の、少し手前の暗がりで様子を伺っていた文が、少しだけ、身を乗り出した。
 その途端、彼女の頭上で爆音が響き渡る。
「うわわっ!?」
 崩れてくる岩をぎりぎりでよけて、視線を上げる。
 先ほどまで、そこにいた相手の存在がない。
 どこへいった!?
 視線を巡らせるより早く、彼女はその場を飛びのいた。
「……ちょっと、容赦なさすぎじゃないですかね?」
 そこに、あの妖怪がいた。
 一体、どの瞬間でこちらに向かって移動したのかわからないが、相手は確かにそこにいた。
 頭上から降ってきたと思われる『それ』は、膝を地面にめり込ませている。
 相手は子供だった。しかも女だ。
 だが、彼女が繰り出した膝蹴りの跡を見ると、ぞっとする。
 岩肌が大きくへこみ、クレーターになっているのだから。
「何者? 服装を見る限り、天狗のようだけど」
「ええ、まぁ。天狗ですよ。
 外で騒ぎが起きてましたから。何があったのかと見に来たんです」
「そう。
 じゃあ、悪いのだけど――」
 いきなり、彼女の姿が眼前にあった。
 突き出される拳を慌ててよけて、その腕を絡め取って背負い投げの要領で相手を投げ飛ばす。
 相手は空中を軽々回転して、地面に着地する。
「ここで見たものの記憶は消してもらう」
「いやいやいや。殴って記憶を消すとか、そんな霊夢さんじゃあるまいし!」
 少女の掌が地面に向いた。
 すると、彼女の手から光る蔦のようなものが垂れ下がり、それが地面に触れた途端、文に向かって突き進んでくる。
「何だこれ!」
 とりあえず、触れたらまずそうだと判断し、彼女は上空に飛び上がる。
「いてっ!」
 いきなり背中に衝撃。
 何かに弾かれた彼女は、そのまま地面に落下する。
 蔦が体に絡みつき、地面に拘束してくる。
「くっ……! これは……!」
 ぎりぎりぎしぎしと、全身の骨がきしむ。
 すさまじい力で地面に絡み付けられ、全く身動きをとることができない。
「これがいいかな」
 少女は無表情に、足下に落ちていた石を拾い上げた。
 あれで、文の頭を一発殴って記憶を消そうというのだろう。
 子供ながらにやること、考えることが凶悪である。
「そんなもので殴られたら大怪我するわよ!」
「大丈夫。あなた、頑丈でしょ」
 実際、文は高度百メートルから垂直落下して地面に激突しようが生きている奴である。体の頑丈さには定評がある。
 しかし、それとこれとは話が別だ。
 彼女は辛うじて動く右手の掌を広げて地面に向ける。
「天狗をなめるなよ!」
 その手から放たれる、収束した風が地面にぶつかり、四方八方に広がる爆風となった。
 少女は顔を手で覆い、風に煽られ、わずかに体を揺らす。
 それで少女の術が解けたのか、文を拘束する蔦が消える。
「……これは……!」
 逃げようと空を見上げて、文は目を見張る。
 見たことのある光の檻が、彼女の周囲に展開している。
 それが、先ほど逃げようとした文を弾き飛ばしたのだと知れた。そして、こいつの呼び名には覚えがある。
「お前、結界使いか!」
 霊夢や紫といった、一部のもの達を総称する呼び名。
 幻想郷では当たり前の存在となりつつあるが、その術を使いこなせるものはそう多くない。
 少女が文に向かって左の掌を握った。
 空中を寸断する光の檻のうち、二つが一気に収縮し、文を捕らえようと迫ってくる。
「当たるか!」
 一発目をジャンプしてよけ、二発目を体をひねって回避する。
 がしゃん、がしゃん、という金属音が響き、ガラスの割れるような音が続いて響き渡る。
 文は空中で体勢を整えながら、少女めがけて風の弾丸を放つ。
 それは一発、二発、と彼女ではなくその周囲の地面に着弾してはじける。
「……!」
 弾けた風は指向性を持たない烈風となって辺りを薙ぎ払う。
 風に煽られ、少女の体は揺らぎ、たまらず後ろへと下がっていく。
「もう一枚!」
 文の逃げ道を塞ぐ、分厚く、巨大な結界の壁がある。
 こいつをどうにかしなければ、文はここから逃げられない。
 舌打ちして、彼女は風扇を引き抜いた。
 そして、それによって周囲の風を自分の周囲に収束させると、全力をもって結界へと突撃する。
「力技で破れるものではないわよ」
「やってみなけりゃわからないでしょう!
 それに、こうやって、力技で結界を抜ける奴に心当たりがあってね!」
 風がうねり、結界とぶつかり合って鈍くきしむ音を上げる。
 全く、文の体が前に進んでいかない。
 完全に、彼女はその場に押し留められている。
「くそっ……! なんて分厚い……!」
「逃がさないわ」
 すぐ後ろに少女の声がした。
 振り返ると、彼女が接近してきている。
 破れかぶれに、文は彼女めがけて烈風を放った。
 広がる風が彼女の体を飲み込み、吹き飛ばそうとする。
「……!?」
 彼女が慌てて首元を押さえた。
 よく見れば、彼女のファッションなのか、それとも単なるかっこつけなのか、少女は首にスカーフを巻いていた。
 それが風に煽られ、吹き飛ばされそうになっている。
 彼女は首のスカーフを押さえて、少し、後ろに下がった。
「ラッキー!」
 そして、彼女の集中が乱れたためか、結界にほころびが生じる。
 文は全力でそのチャンスにかけた。
 己の全速全力を叩きつけ、結界をぶち抜き、逃げる。
「おい、奥から音が聞こえるぞ!」
「また侵入者か!?」
 見張りの連中が戻ってきたようだ。
 この御所に近づいていいものは大天狗が決めており、それ以外のものが無目的に近づこうものなら処罰の対象となる。
 このまま飛んでいけば、間違いなく、捕まるだろう。
「しょうがない。それなら、全力で飛ぶか!」
 文は更なる全力を振り絞り、自分の後方に爆風を放って、それを追い風として一気に加速した。
 まさしく黒の線にしか見えないほどにまで加速した彼女は、戻ってきた天狗たちの間を一瞬で駆け抜ける。
 彼らが『え?』という顔をした時には、彼女はすでに洞窟を抜け、空の上まで逃げることに成功していた。
「やれやれ……」
 ふぅ、と息をつく。
 あの少女が追いかけてこないかと、周囲を警戒するのだが、その気配もない。
 どうやら、彼女はあの御所から外に出てくるつもりはないようだ。
「助かったか」
 ここに至って、新たな不確定要素が現れた。
 天魔の御所にいる謎の結界使いの少女。
 あれは一体、何者だ?
 大天狗たちなら知っているかもしれないが、そんなことを聞きに行くのは、不可侵地域への自分の侵入を告白するようなものである。
 しかし、変に不確定要素を残していては、今回の事態の行き先がわからなくなる。
 それでは、『文ちゃんの新聞完売御礼! 大成功!』作戦が危うくなる。
「ちょっと情報収集に行くかな」
 彼女は視線を空の彼方――博麗神社に向けた。
 あそこにいる奴らなら、結界使いのことくらいは知っているだろう。何せ、幻想郷にはレアな種族なのだ。自分と同類の力を使う輩のことくらいは心得ているはずだ。
「よし」
 文は博麗神社に向かって飛ぶ。
 その道中、彼女は同僚の天狗に呼び止められる。『どこへ行くんだ?』『なぁに、ちょっと博麗神社まで』。笑って答える彼女に彼は怪訝な目を向けるのだが、
「……好きにしろ」
 文の性格と生き様を心得ている彼は、止めることなく、彼女を送り出すのだった。

「ちょっと時間かかったなー」
 博麗神社の上空へとやってきたのは、それから二時間ほどが経過した頃だった。
 普段の文なら、妖怪の山からここまで数分程度の時間があれば到着するのだが、今回は背後からの追撃を一応警戒していたのと、地味に、あの少女との戦闘で受けたダメージが体に響いたためだ。
 神社の建物と母屋を上空から見下ろし、特に何か変化がないことを確認してから、文は境内に向かって下りていく。
「すいませーん。
 毎度おなじみ、幻想郷に新風を吹かせる、天狗の美少女文ちゃんでーっすいったー!?」
 境内から高さ十数メートルのところで、いきなり、上空に縦横無尽に走る閃光が現れ、それの直撃を受けて弾き飛ばされた文は、悲鳴を上げて地面へと落下する。
「大丈夫ですか!?」
 やってきたのは寅丸星である。
 文は地面の上でぴくぴく痙攣しており、身動き一つしない。
「……」
 星は迷った末、とりあえず、文を境内へと運び込むことにしたらしい。
 彼女を担いで立ち上がり、自分たちが仕掛けた結界を越えて、母屋へと移動する。
「な、何が……一体……」
「この周囲に妖怪の侵入を防ぐ結界を作ってあるんです。
 触れたのが一瞬だったからいいようなものの、少しでも長い時間、触っていたら、そこが千切れるか存在そのものが木っ端微塵でしたよ」
「そんな危ないもの仕掛けないでくださいよ!?」
「天狗にも効果があるということは確認できましたし、こちらにとっては僥倖ですね」
 普段の星とはまるで違う、やたら冷静冷徹なセリフに、文は涙した。
 とりあえず母屋へと運び込まれた文は、居間へと担ぎこまれる。
 そこでは、つい先ほど、神社に到着した鈴仙と妖夢、紫と将棋を打ってる早苗の姿がある。
 ちなみに隣の寝室には布団が敷いてあり、遊び疲れた橙が寝ているとの事だった。
「文さん、大丈夫ですか?」
「……体が動きません」
「あれは命蓮寺特製の護法退魔の結界ですから」
 星がしれっと容赦のないことを口にした。
 鈴仙が、「ちょっと動かないでくださいね」と、文の首筋に注射針をぷすっと一発。
「……お? 痛みが消えた」
「即効性の治療薬です。まぁ、多少なりとも麻酔成分の入っているごまかし要素の強い薬ではありますけど」
「そして鈴仙さん! 何ともエロいそのお姿!
 ぜひとも一枚! あ、いや、一枚なんてけちなことは言いません! 十枚くらい!」
「即効性の猛毒薬もあるんだよ。巨大なドラゴンですら、一発で即死するくらいの」
「ごめんなさい」
 鞍馬にもらったダメージの治療のため、半裸の鈴仙。その彼女がこめかみに青筋浮かべて、何やら毒々しい色の液体が入ったアンプルを取り出すのを見て、文はその場に土下座した。
 紫が『藍、お客様にお茶を』と言う。
「あ、いや。すぐに立ち去りますので。
 おもてなしは結構です」
「そういうわけにもいかないでしょう。
 たとえ相手が敵とはいえ、その時が来るまでは客人。努めて丁寧にもてなさなくては、その常識が疑われます」
 今回の一同の敵である『天狗』に属する文には、なかなか辛らつな態度だ。
 それも仕方ないと納得している文は、『では、お言葉に甘えて』と卓を囲んだ。
 しばらくして、藍がお茶とお菓子を持ってやってくる。
「あ、何か美味しそうなものがある! わたしにもちょーだい!」
「ぬえ。あなたはさっき、お饅頭を食べたでしょう。あんまりおやつを食べ過ぎると、晩御飯が食べられなくなりますよ」
「ちぇー。
 星のケチ! べー!」
 一体、外で何をしているのか、表に続く障子を開けて顔を出したぬえが、星に向かって舌を出して去っていった。
 やれやれと星はため息をつき、「苦労しているようですね」と藍が慰めている。
「今日はどのような用事ですか?」
「いや。
 紫さんが、今回のリーダーですか?」
「ええ、そのつもり」
「で、霊夢さんがこういうことになってるのは……」
「この子がうちの秘密兵器ですから。天魔と戦えるくらいのね」
「……ほう?」
「あ、近づかない方がいいですよ。攻撃されますから」
「それは?」
「それの詳細を、あなたに教えるわけにはいきません」
 文が敵側に属するものであり、スパイの可能性が多分に大きいのだから、詳しい情報は一切出せないということを、紫は歯に衣着せず言い放つ。
 文は苦笑いを浮かべ、妖夢は「紫さま、そこまで……」とたしなめようとするのだが、
「妖夢ちゃんはいいから」
 と鈴仙に口元を押さえられて、部屋の隅に引っ張られていく。
「まぁ、いいや。
 私は皆さんの情報を、うちに流すつもりはありませんよ。
 それをしてもいいかなーとか思ったけど、今後のことを考えるとね」
「それを信用しろと?」
「信用してくれないと思ってるから言ってるだけですから」
 漂う、いやな形に張り詰めた空気に、「あ、あの、文さんはどうしてここに?」と早苗が声を上げた。
 文は『いやぁ』と笑いながら、
「ちょっと紫さんに聞きたいことがあったんですよ」
「私に?」
「そうです。
 紫さんは結界術を得意とする妖怪じゃないですか?」
「ええ」
「同じ術を使う人間と妖怪については詳しいですよね?」
「それなりに」
 それはよかった、と文。
 実はですね、と話をする彼女。天魔の御所で見た、結界使いの謎の少女。それの話を聞いて、紫は眉をひそめる。
「……少女。天魔と話していた奴かな」
「あれ? あそこの侵入者って、鈴仙さん達だったんですか」
「ええ、まあ。隠しても仕方ないことだから話しますけどね」
「やりますね。
 我々の追撃を振り切って逃げ切るなんて」
「逃げ足だけは速いもので」
「今度、私と競走しましょうよ。亀より手ごわいかもしれませんよ」
 冗談を言って笑う文に、紫は「その相手の顔はご存知?」と問いかける。
 曰く、『結界を使える術者というのはそう多くない。大体の顔は知っている。だけど、天魔の元にそれがいるという話は聞いたことがない』のだそうな。
「天魔さまって結界使えないんですか?」
「あのような繊細な術を、あんないい加減で大胆な奴が使えるわけがない」
「もしかしたら?」
「その『もしかしたら』の可能性すらない。
 ……あまり私をバカにしないように」
「おっと」
 紫の、ちょっと脅しの入った言葉に文は姿勢を正した。
 この妖怪も、とてつもなく強い妖怪なのだ。
 真っ向からぶつかれば、文は間違いなく勝てないだろう。一瞬で、此の世とも彼の世ともわからない、『狭間』の世界へ落とされて終わりだ。
 それに、彼女の機嫌を損ねると、この場にいることすら出来なくなってしまう。
 大人しく、『ごめんなさい』と頭を下げる。
 紫は白い画用紙とペンを文に手渡すと、「顔は覚えている?」ともう一度問いかける。
「えっとー……」
 さらさらと、文はそれにあの妖怪の似顔絵を描いていく。
 早苗が横からそれを見て、「……なかなかやるわね」と、何やら至極感心したような声を上げている。
「こんな感じです」
 文の描いたそれは、あの少女の特徴を見事に表していた。
 少女ゆえのあどけなさと幼さ、しかし、芯の強さと頑固さを表す顔立ちと、丁寧に切りそろえられた髪の毛、細い首、そしてそこに巻かれたスカーフ。
「あ、かわいい」
 早苗が素直な観想を口にして、鈴仙が『……あの時、顔は見えなかったな』と腕組みしてつぶやき、
「……」
 紫は、ただ無言で、その似顔絵を見つめていた。
「どうですか?」
「知りません」
 それは、一切の感情が抜け落ちた、不思議な音だった。
 早苗が紫を見て、目を見張り、思わず後ろに後ずさる。
「このような結界使いがいたことは知りませんでした。情報、感謝いたします」
「いえいえ。どういたしまして」
「あまり、ここに長居しすぎると仲間から疑われるでしょう。早々に立ち去りなさい」
「ええ、そのつもりです。
 こちらにいる戦力も、大体わかりましたしね。もちろん、誰にも言いませんよ。
 戦は、必要充分な不確定要素が増えたほうが面白くなる」
 文は立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
 星が彼女の後を追いかけて、『結界の外に出る時は、私に声をかけてください』と言って歩いていく。
 足音は遠くなり、気配も消える。
「藍。
 私は少し出てきます。みんなの晩御飯はお願いね」
「はい」
「あ、あの……!」
「何ですか?」
 声をかけようとした早苗は、紫の目を見て息を呑み、震え上がった。
 早苗を射すくめるその瞳は、普段の紫の瞳ではない。
 闇に生き、夜の狭間に身を潜める、恐ろしい『妖』の瞳だ。
 爛々と赤く輝く、化け物の目だ。
「い、いえ……」
 紫はその場を去った。
 足音はすぐに消える。
「……紫さまのあんな目、初めて見ました」
「そうなんですか……?」
「は、はい。
 私も、紫さまとお付き合いをするようになって、まだまだですけど……。
 ……どんなに怒っていても、あんな顔をする人じゃありませんでした」
 自然、一同の視線は藍に向く。
 彼女は澄ました様子で、そして、よく慣れた口調で、「思うところがあるのだろう」と言うだけに留める。
「何だか、内側が瓦解しそうな気がしてきたよ」
 鈴仙が頭をかきながらため息をつく。
 戦いとは情報を多く持っているものがそれを制する。だが、それは組織が組織としての体をなしているのを前提としている。
 内側に多くの思惑を潜め、一枚岩でいられない組織など、情報の多寡など関係なしに勝手に滅ぶ。
「そうならないために、藍さんに間を取り持って欲しいですね」
「もう一度言うけれど、紫さまには、何か思うところがあるだけだ。
 あまり気にしなくていい」
「うーん」
「そんなことに私情を挟んで、わざわざ己の手で窮地を招くほど、あの人は愚かではない」
 藍は立ち上がると、時計を見上げる。
 そろそろ時刻は夕方に差し掛かる。この場にいる全員の夕食を作り始める頃合だ。
 台所に歩いていく藍に、妖夢が『お手伝いします』と駆け寄っていく。その場の空気に耐えられなくなったのかもしれない。
「……あの、鈴仙さん」
「はい」
「その……。白蓮さんに、少し、紫さんと話をしてもらったら……。
 わたし達じゃ、どうしようも出来なさそうな……」
「あまり余計なことはしない方がいいと思います」
「……」
「あの様子は尋常じゃない。
 下手につつけば、かえって逆効果になる。
 藍さんが『気にしなくていい』と言ったのだから、気にしないようにしましょう」
「……はい」
「いくら偉そうにしてたって、人間も妖怪も、抱えるものはおんなじなんだから」
 鈴仙の一言は、まるで自分の身内に対しての発言にも聞こえる言葉だった。
 彼女自身、普段から、色々と考えることがあるのだろう。
 普段は、それを人前では口に出さないでいる。言ってしまえば、それがきっかけで、それまでの何かが壊れてしまうからだ。
 しかし、時として、どうしても我慢できずに吐露してしまうこともある。
 今、この時のように。


 轟音が、天魔の御所に響き渡ったのは、すっかり夜の帳が落ちて闇が支配する頃合である。
「またか!?」
「何なんだよ、今日は! 厄日か!?」
「俺たちが何したってんだ畜生!」
 天魔の御所を警備する天狗たちも、三度目の侵入者に、もう何だか投げやりである。
 外を警戒していたもの達は洞窟の中に入り、御所周辺を警備していたものは侵入者へと詰め寄っていく。
「失せろ、下郎ども」
 その冷徹な声が響くと同時、彼らの動きは拘束されて地面へと転がされる。
「余計なことはしなくていい。命が惜しくば、しばし、その場で眠っていろ」
 紫だ。
 真っ暗な闇の中に、真紅に染まる瞳を光らせ、一歩一歩、天魔の御所へと向かって歩いていく。

「何事だ?」
「さあ?」
「お前に任せる。余は眠たい」
「はい」
 一方の天魔はといえば、余裕そのものだ。
 まだ時計の針は九時を示す前だというのに、もう布団に入ってあくびをしている。
 妖の精神は見た目に引きずられるというが、見た目子供である以上、頭の中身も性格も、その行動も子供であるらしい。
 彼女は天魔をその場に残して、部屋を出た。
 長く延びる廊下を進み、日中の一件で吹っ飛んだ扉から外へと顔を覗かせる。
「……」
「ごきげんよう」
 そこで、彼女は初めて、紫と出会った。
 二人が視線を合わせていたのは一瞬。
 紫の右手から伸びるいくつもの線が彼女の周囲に収束し、爆裂する。
「ずいぶんなご挨拶ですね。
 これだから、幻想郷の住民には礼儀が足りない」
「それをあなたに言われるとはね」
 彼女はそれを悠々と回避して、地面の上に舞い降りる。
 地面の上で芋虫みたいにごろごろしている天狗たちを一瞥して、「やっぱり役に立たない人たちね」と彼女はつぶやいた。
「相手が悪いと言ってあげなさい。彼らの名誉のために」
「その名誉のために動くのが天狗ですから。
 自分で自分の名誉を潰しているのです。自業自得」
 実に容赦ない彼女の一言に、彼らはそろって涙した。
 ともあれ、彼女は紫を正面から見据えると、『お帰りください』と告げる。
「この地は天魔さまの御所となります。狼藉はお控えください」
「それはあなたの回答次第」
「わたしに用事ですか。天魔さまではなく」
「天魔などに用事はない。
 答えてもらいたいのですが、よろしい?」
 一本の光の線が数十にばらけて彼女を絡め取る。
 それはまさに一瞬の妙技であり、およそ誰も反応できない結界の早業だった。
「何者?」
「わたしに名前はありません」
「なぜ、この地にいる?」
「天魔さまのおそばを任されているからです」
「なぜ?」
「さあ? 気に入られているのでしょう」
「それを光栄だと思っている」
「ええ」
「そう。
 ならば、答えは決まりです」
 紫は彼女を捕らえる光の束を強く握り締めると、
「死んでしまえ」
 冷たい言葉と共に、それを一気に引き絞った。
 次の瞬間には、ばらばらになった彼女の死体がそこに転がっている――誰もが想像したその瞬間は、訪れない。
 彼女は結界が収束する、まさにその瞬間に、紫の結界を粉砕して拘束を逃れていた。
 ――粉砕した、というよりは中和したという表現の方が、もしかしたら正しいかもしれない。
 彼女の周囲に光る膜のようなものが現れたと思ったら、紫の持っていた光が薄くなり、消えたのだ。
「ちっ!」
「その手の術のよけ方、いなし方には覚えがありますから」
 彼女の手が翻る。
 地面が鳴動し、隆起する岩の塊が紫をその中に閉じ込めようとする。
「この程度の檻で、私を捕らえたと思ってはいまい」
 岩の塊はそのまま岩の檻となり、紫をその中に封印した。
 だが、すぐに彼女はその岩を解く。
 崩れて砂となる岩の中に、紫の姿はない。
「下らん小技ばかりを覚えたものだ」
 虚空から姿を現した紫の指先が指し示す。その先――彼女めがけて、周囲に一斉に展開した空間の亀裂から、光の弾丸が飛び出してくる。
 彼女はわずかに身を固くし、悩んだ後、行動する。
「そう来たか」
 紫が相手の攻撃に対する返し技としてよくやるように、自分の周囲に結界の亀裂を生み出し、その中へと相手の攻撃を吸い込む。そして、吸い込んだ攻撃を、そのまま相手へと撃ち返す。
「霊夢はこの手の術を嫌いと言う。私と似たような術を使うのはいやだ、と」
 飛んでくる己の攻撃をよけながら、紫の指先が、新たな結界を紡ぎ出す。
「あの子は負けず嫌いだ」
 その結界は六つの頂点を刻んで描き出され、中心から、一条の光の束を生み出し、放つ。
 それを彼女は右手で受けると、左手に新たに構えた結界で押し流し、上空へと受け流す。
「この偽物め」
 憎憎しげにつぶやいた紫が、左手に結界を生み出す。
 上空へと流された攻撃が、展開される結界の穴に消え、その形を変えて天から降り注ぐ。
 雨あられと落下してくる閃光の塊を、彼女は慌てず騒がず、自分に当たりそうなもののみ、右手から放つ弾丸で迎撃し、反撃に、左手を紫へと向ける。
「っ!」
 不可視の衝撃波が放たれ、紫の体を直撃する。
 咳き込みながら彼女は距離をとると、「驚いた」とつぶやいた。
「そんな技も身につけているのね」
「ええ。バカの一つ覚えではありませんから」
 彼女の手が地面に突き刺される。
 空間そのものが鳴動し、辺りから、巨大な岩の槍が紫に向かって突き立つ。
 それらは大半が紫の結界に当たって粉砕されるのだが、中には、紫の不意をつくものもある。
「このっ!」
 粉砕された岩の槍は土くれとなり、地面に降り積もる。
 するとそこから、拳大の岩の塊が新たに現れ、紫に向かって飛んでくるのだ。
 礫による目くらましと、岩の槍による二重の攻撃に、わずかに紫の体が揺らぐ。
「捉えた」
 彼女の右手が頭上から真下に向かって振りぬかれる。
 紫の上空に留まる空気が塊となり、強烈な弾丸となって、彼女の頭上を直撃する。
「くっ……!」
「あなたもいくつもの技と術を使い、相手を翻弄し、縛り、囲み、そしてとどめを刺す。
 この程度の不意打ちに面食らうなんて、どうしたんですか?」
「黙りなさい!」
 空間そのものを切り取り、圧縮して、炸裂させる。
 相手がどのような防御手段を用いても関係ない、それごと粉砕する空間爆砕を仕掛ける紫。
 崩れて砕けたそこに、相手の姿はない。
「……しまった!」
 気づいた時にはもう遅い。
 少女はいつの間にか紫の背後に回っていた。そして、接近と同時に紫に結界を叩きつけ、離れる。
 紫の体に刻まれた結界は円を描きながら収束する。紫がそれを解除しようと手を伸ばした瞬間、結界が爆発した。
「くっ……!」
 わき腹を、肉までごっそり吹き飛ばされ、さすがの彼女も体を傾がせる。
「結界を操り、次元を飛び越え、空間を自由自在とする。
 その術なら、わたしはあなたにまるでかなわない。
 だけど、心の隙間を突けばこの通り。
 何を迷っているのですか? 何を悩んでいるのですか? 何を嘆き、そして、悲しんでいるのですか?」
 紫の放つ二枚の結界が、相手の胴体と首元を捉えた。
 上空に結界によって固定され、少女が身動きを封じられる。
「……あまり言葉が過ぎるのも考え物ね。
 余計なことばかりを言って、他人の心を揺らしたつもりになって、勝ち誇る……。
 古今東西、あらゆる敗者がやってきた過ちだわ」
「そうですか」
 何の感慨も見せず、彼女は無理やりに体を動かそうとした。
 閃光が走り、周囲に、言葉には出せない音が響き渡る。
「無駄よ。無理に動かそうとすれば、首と体が千切れてしまう。
 そうなったら、いかにあなたでも生きてはいられないでしょう」
「あなたは、わたしを生かすのですか? 殺すのですか?」
「それを決めるのは私よ」
「身勝手ですね」
「ええ、そう。
 私の一存で、この世界の全てのもの達の生殺与奪が決まる。
 ここは私の理想郷。私の描く理想をかなえぬものに、この世界での存在する権利はない」
「あなたはもう少し、利口で冷静かと思ってました」
 彼女は両手で自分を拘束する結界を掴むと、その結界を中和しようとする。
 耳障りな音が周囲に響き渡り、紫は『やめなさい!』と叫ぶ。
 彼女はそれを聞き入れず、結界に指をめり込ませた。
 そして、顔を苦痛にゆがめながら、結界を打ち消し、自由を取り戻そうとする。
「や……!」

「――かつて一度でもいいから、その言葉をかけてくれればよかったのに」

 無感情な少女の言葉に宿った、確かな感情。
 その、強く、そして確かな感情に、紫は息を呑む。
 その感情の名は――怒り。

「ちっ……!」
 舌打ちか、それとも、何か言葉を発しようとしたのか。
 紫の言葉は弾ける破砕音に飲み込まれて消えた。
 結界が弾ける時に発生する、独特の衝撃が辺り一面を鋭く薙ぎ払う。
 彼女は撤退に転じた。
 衝撃波によって巻き起こる粉塵の向こう、人影が首元にスカーフを巻く仕草を見て、「……似合わないわ。それ」とつぶやいて。
 静寂が戻る。
 紫の結界による破壊はすさまじく、美しい庭園が見るも無残に消し飛んでいる。
 地面に倒れていた芋虫……もとい、天狗たちもどこかに吹っ飛ばされたのか、姿を見ることは出来ない。
 そして、
「なぜ、邪魔をしたのですか?」
「余は睡眠を邪魔されるのが、此の世で二番目か三番目くらいに嫌いなだけだ」
 彼女に声をかけるのは天魔だった。
 御所の入り口に佇み、不愉快そうに眉をひそめて、彼女を見ている。
 その左手が光を放っている。
 紫の結界を破壊したのは彼女ではなく、恐らくは天魔だろう。
 彼女ではそれが出来そうになかったから『助けてやった』のだ。
「全く。どっかんどっかんとやかましい。寝られないではないか。
 いいか。余のようなかわいい女の子はな、夜中、しっかり眠らないと大きくなれぬのだ。
 迷惑千万。親の顔が見てみたい」
「あなたに言われたくないと思いますよ。この幻想郷の、いかなる迷惑とか厄介事量産機も」
 ふっ、と彼女の口元に笑みが浮かぶ。
 気が抜けたのか、それとも力が抜けたのか。
 辺りを見渡して、彼女は『この辺りの修理をしないと』と言った。
 天魔は『余は寝るぞ』とふてくされた顔のまま、御所の中に戻っていく。
 その場に佇むのは彼女だけ。
「……別に似合わなくたっていいのよ。好きでしてるわけじゃないんだから」
 首もとのスカーフを触ってつぶやく。
 その声には、また先ほどとは違う感情が浮かんでいる。
 その感情は先ほどとは違い、ごちゃ混ぜで、何が何だかわからない――自分でもそれを何と表現したらいいかわからない、複雑なものだった。


「天狗の戦力が幾千、幾万いるのかはわかりません。
 ですが、この博麗神社周囲には、私と、命蓮寺の方々による堅牢な結界が張られています。
 大半のものはその結界で押しとどめられ、中には入ってこられない。
 故に、敵として戦うのは、その十分の一にも見たぬ数です」
「……紫さん、何かあったんでしょうか?」
「さあ」
 その翌日のことである。
 朝から、一同を、紫は居間に集めていた。
 その場にいないのは橙。彼女は『しばらくの間、部屋の中にいなさい』と寝室から出ることすら許されていない。ついでに言えば、なぜかアリスの姿も見えなかった。彼女を探しに早苗などが神社の周りを歩いて回ったのだが、結局、アリスは見つからなかった。見つからないものは仕方ないということで、話が始まっている。
 紫は真剣な眼差しと、厳しい口調で、卓の上に広げた地図を示す。
「奴らがやってくるのは北側。
 こちらに、我々も戦力の大半を置いて防波堤とする。先日、藍、あなたに行ってもらったけれど、紅魔館が参戦するのでしょう? 彼女たちにここの防衛に当たってもらいましょう」
「わかりました。伝えます」
「神社の入り口となる東側。こちらは博麗大結界に最も近く、最も狭く、そして最も神聖な場所。
 ここは、藍。あなたが守りなさい。
 あなた一人で、ここにいるもの達、全員分くらいの実力はあるはずです」
「ちぇー。何かぷっぷくぷー」
「ぬえ。静かにしてなさい」
 妖として、一応『大妖』としての表現を用いられるぬえは、ほっぺたぷっぷくぷぅにして、そっぽを向いた。
 星に怒られて、余計にへそを曲げたのか、畳の上に寝そべって、早苗に借りた『げぇむ機』で遊び始めてしまう。
「全くもう……」
「星。放っておきなさい」
 白蓮は、そんなぬえの気持ちもわかるのか、『後で私が叱りますから』という意思もなく、彼女の肩を持った。
 それで星も諦めたのか、「話を先に進めてください」と紫に頭を下げる。
「西側は人里に近く、大きな騒動を起こしづらい場所。
 こちらから攻めてくるものは、それほど多くないはずです。
 鈴仙。妖夢。あなた達二人で敵を押し留めなさい」
「は、はい……」
「わかりました」
「そして、敵の進軍から最も遠い南側。
 こちらは最も敵の行動が薄いと思われる場所ですが、それ故に、伏兵を用意し、挟撃の可能性がある。
 こちらは、早苗。あなたが守りなさい。
 あなたは戦う必要はありません。三枚目の結界として、ただ、壁を作って相手を押し留めればよい。
 多くの兵を出してくる可能性は薄い。回り回れば、こちらの目にもつくし、不意打ちは作戦がばれれば何の意味もない」
「……はい」
「東西南北の守りは以下のようにする。
 白蓮さま。あなたは境内に残り、この守りを抜けてきたもの達が霊夢に辿り着かぬよう、一人残らず蹴散らしていただきたい」
「かしこまりました」
「寅丸星さま。そしてぬえ。
 あなた達は神社上空に留まり、全方位への援護射撃を。
 特にぬえは遊撃要員として、東西南北への移動、また、動くことの出来ない寅丸さまの護衛をお願いします」
「はーいはい。わかったよー」
「こら、ぬえ。
 ……もう」
 作戦は以上です、と告げて紫は席を立った。
 障子が閉じられ、足音は遠ざかり、そして気配が消える。
「……何があったんでしょうか」
 天魔の御所から戻ってきて、紫は豹変した。
 それまでの、余裕に満ちた態度も、『また馬鹿な子達が馬鹿なことを起こして』という苦笑も消した。
 そこにあるのは、完膚なきまでに相手を叩きのめすという徹底抗戦の意思だ。愚か者には罰をもって当たる、情け容赦のない怒りの意識である。
「……さあ」
 早苗の問いかけに、やはり、答えるのは鈴仙だった。
 藍に集まる視線。
 藍は、「いつものことですよ」と答えるのみで、何も言わない。
 何もわからないから言わないのか、それとも、わかっていて言わないのか、そのポーカーフェイスからはまるで読み取れない。
 狐狸の化生独特の、変化の仮面のかぶり方はさすがというほかない。
「ともあれ、紫さんがどのような心変わりをしたのかはわかりませんが、それで我々の内側に亀裂が走ってしまってはどうにもなりません。
 あの方は、我々を裏切らない。そう信じましょう」
「……はい」
「あと、猶予は一日です。
 今日はのんびり過ごして英気を養いましょう」
 それぞれが部屋を後にする。
 早苗は一人、居間に残り、その視線を、未だ目を開けない霊夢へと向ける。
「……どうなっちゃうんだろう」
 たった一日で、事態が大きく変わってしまった。
 ただ一人の心変わりが、これほどまでに事態を進展させて、変遷させてしまうとは思わなかった。
 彼女に頼っていたわけではない。しかし、心のどこかでは頼りにしていた。
 その思いを少しだけ、『裏切られた』と感じても、まだ『いいや、そんなことはない』と思えるところがあった。
 それが今、揺らいでいる。
 彼女は味方だ。間違いない。
 だが、それを本当に『味方』と言ってしまっていいのかわからない。
 敵の敵は味方である保障はない。明日を迎えたら、今まで築いてきた何かが崩れてしまいそうで怖かった。
「ええい! しっかりしろ、東風谷早苗!
 わたしは霊夢さんの嫁! 嫁は夫を守るもの! それでよし!」
 頬を叩いて喝を入れて、彼女は立ち上がる。
 絶対に大丈夫だ。自分がそう信じていれば、大丈夫なんだ。
 それを空元気と言うものがいるかもしれないし、愚かと罵るものもいるかもしれない。
 言われたら言われたでいい。放っておこう。とにかく、今は、目の前の大事が全て。それさえ何とかしてしまえば、それ以外の小事など、きっと何とかなるのだ。
 ――そうして自分を励ましていないと、この妙な違和感に押し潰されてしまうのだから。


 ―五幕―


「文。上の連中が呼んでる。
 天魔が出陣式をやるから、天狗全員、集合だ、って」
「はいはーい」
「……うきうきしてんのね。あんた」
「ええ、もう。
 今日は河童の方々に言って、輪転機も印刷の機械も全部押さえたし、午後十二時を待って、一気に刷れば、一時間で千単位の部数は余裕で出せる!」
「……あんた、ほんと~に、頭イカれてんじゃないの?」
「ちっちっち。違いますね、はたてさん。
 私は、チャンスに、ただ貪欲! それだけなのです!」
「……」
「あふん」
 無言で振りかぶるクッションの一撃が、文を床の上にへち倒す。
 はぁ、とため息をついて、はたては『先に行ってるわ』と飛んでいく。
「よいせ」
 文はぴょこんと立ち上がる。はたてから食らったダメージなどなんのその。
 部屋の中で、ばさばさ、文を心配しながら飛び回るかーくんに『いってきます』と笑顔を向けて、彼女は空に飛び立った。
 先日、天狗と河童と、その他たくさんの妖怪一同が集められた場所へと、彼女はやってくる。
「ああ、やっぱりこの前より少ない」
 元より参加してやるつもりもないもの達が抜けた分、あちこちに空白の目立つ集会所。
 そこに参列して、待つことしばし。
「人が少ないな」
「は、はあ……。ですが、皆、体調不良とかで……」
「何だ。おなかが痛いのか。
 もう秋だというのにおなかを出して寝てるからだぞ」
 天魔がやってきた。
 空間を一瞥して口にする言葉に、大天狗の一人が苦しい言い訳を述べる。
 しかし、天魔は元よりそんなことはどうでもいいのか、まるで子供そのままの感想を口にすると、演壇の上に上がる。
「さて、この日がやってきた。余が示した期限の日だ。
 余はこれより、博麗神社に攻撃を仕掛ける。
 戦だ。祭りだ。
 それに付き従う、有象無象のものどもよ。お前たちは、実に運がいいぞ。今日のこの日は、お前たちの人生の中で、最も楽しい日となるであろうからな。
 以前、課したルールを守れ。そして、大いに楽しみ、歌い、騒げ。
 祭りの締めは、いつも通りの大宴会だ。酒も料理も用意した。
 その時が終われば、敵も味方も関係ない。奴らとも肩を組み、飲み明かそうではないか。
 いやぁ、楽しみだ」
 演説にもなっていない演説を述べた後、「余は長い話が嫌いだから、そろそろいくか」と、まるで遠足にでも出かけるかのような軽い一言を放つ。
「ああ、そうそう。病気のものや、体調が悪いものはついてこなくてもよいぞ。
 余は部下の気持ちを汲んでやる、よき上司だ。無理などは言わぬ。
 それに、無理をして働くものにはよき結果などついてこぬ。
 ……お前ら、部下は大事にしてるだろうな?」
「は、はい! それはもちろん!」
「ならばよい。
 よし、ついてきたい者だけついてこい。立場だとか、理由だとかで、嫌々、この場に来ているものは残れ。来なくていい」
 集会所がざわつく。
 てっきり、『この場に集まったものは、全員、黙ってついてこい』と天魔が言い出すと思っていたからだ。
 しかし、それでも天魔についていくものがいる。
 大天狗を始めとした『偉い連中』と、それに付き従うもの達。
 彼らに『余計なにらみは利かすなよ』と天魔は忠告する。この妖怪の山のコミュニティにおいて、彼ら『上層部』に嫌われたものがどうなるか、皆が身にしみて知っているからだ。
 そういうのは許さない、という天魔の態度を受けて、今回の一件に渋々参加しようとしていたもの達は、その場に残ることにした。
「三百か……四百か。
 まぁ、それでも大した数だけど」
 最終的に、天魔に付き従って、山を飛び立ったのは、天狗や河童、その他大勢の妖怪たちの混成部隊。その数、およそ数百と言う少ないものだった。
 その真ん中辺りを飛ぶ文は、『天魔は嫌われてるからなぁ』と内心でつぶやく。
 この、身勝手で傲慢極まりないお子様は、『子供はわがままなくらいがかわいい』という上限を遥かにぶっちぎった『お子様』なのだ。しつけの悪い子供を、なぜ好き好んで愛でなければならないのか。
 最低限の、立場や保身などと言うものを除けば、やはり天魔の存在などこの程度のものだ。
「まぁ、天魔にとって、自分ひとりが全てだ。
 私らなんて、いてもいなくても関係ない。
 私にとっては、ライバルがいなければいないほど、ありがたいけどね」
 ふっふっふ、と笑う文。
 その視線をふと動かして、『あれ?』と首をかしげる。
「……はたて?」
 あれほど怒っていて、『絶対に参加なんてしない』と公言していた彼女の存在が、そこにあった。
 はて、どうしたのだろう。
 尋ねようと思うのだが、隊列を組んで飛んでいる状況、彼女に近寄ることは出来ない。
「……心変わりってやつ?」
 ちょっとした違和感を覚える。
 まぁ、いいや、と流してしまって相違ない程度のその違和感を、文は『まぁ、いいや』と意識の外へと放り出した。
 視界に、目的地が見えてくる。
「さあ、始まるぞ」
 彼女は手にカメラを握り締める。
 一世一代の大勝負の開始である。
 今日のこの日は、絶対に、楽しい一日となる。ちょっとくらい痛い目を見ても関係ない。
 虎の子を得るには、危険を冒して親虎と戦わなければいけないのだ。
 ――さあ、思いっきり、楽しもうじゃないか。


 ―六幕―


 幻想郷の空を両断する形で、巨大な結界が展開されたのはその時だ。
 運悪く、それに触れてしまったもの達が、黒焦げになり、悲鳴も上げられずに墜落していく。
「ほほう。これはすごい」
 一団の先頭を飛んでいた天魔が、その結界に手を触れさせる。
 その瞳をまっすぐ前方に向けて――いた。
「境界の妖か」
 そこに、こちらをにらみ据える紫の姿が見えた。
 さすがは幻想郷指折りの化け物。この、広い博麗神社周囲を、これほど巨大で頑丈で、凶悪な結界で覆うとは。
「皆の衆、手を貸せ!」
「よい、よい。その必要はないぞ」
「し、しかし、天魔さま……」
「この程度の壁など、あってないがごとし。
 余ではなく、お前たちを中に入れぬための露払いよ」
 結界は、それに触れている彼女の手に光を集めて雷撃を走らせている。
 並大抵の妖なら、もうすでに腕は千切れているだろう。しかし、天魔は全くの無傷であり、余裕の笑みすら浮かべている。
「どれ、ちょっとこじ開けてやろう。
 だが、たとえ余とはいえ、お前たち全員が通るだけの穴を開けていたら、少し疲れてしまうからな。
 ついて来られる奴だけついてこいよ」
 彼女は両手で結界を掴むと、『そーれ』と軽い掛け声と共に、それを縦に引き裂いた。
 大きな穴が結界に生まれ、まるで悲鳴のようにその穴にまばゆい光が走る。
 天魔はその穴を抜け、結界の内側へと入り込んだ。
 困惑の表情を浮かべる一同。
 しかし、ここで天魔に遅れてはならぬと、次々に結界の穴へと飛び込んでいく。
「……痛いなんてもんじゃないな」
 文も、もちろんそれに倣った。
 だが、穴を開けられていて、なお、その結界は凶悪な力をもって文たちを拒もうとする。
 光と雷は彼女たちを捕らえて荒れ狂い、すさまじいダメージを叩き込んでくる。
 それに耐えられず、失神して、落下していくもの達もいる。
 文も、全身を地獄の業火に焼かれているような、そんな錯覚を覚えながらも、歯を食いしばって結界を通り抜けた。
「んー、っと。
 ……ふふふ、どうした。境界の妖よ。この程度は予想していたのだろう?」
 紫は、やはり、天魔を見て歯噛みしている。
 この程度の結界では天魔を止められないと、彼女自身、考えていたことは考えていたのだろう。
 だが、少しくらいは足止めが出来るとも、もちろん、考えていたのだ。
 それをあっさりと突破されて、己の自信が揺らいだのは間違いない。
「博麗の巫女はいるか?」
「えっと……。
 ……いえ、どこにも」
「ん? どうしたのだ。
 余がわざわざ、三日後に遊びに行くと言ったのに。まだ寝ているのか? ねぼすけだな」
 結界を越えてすぐのところに天魔は陣取る。
 結界の穴を抜け、天魔のそばにやってきたのは、およそ二百か、それ以下。半数は、結界を超えられずに脱落し、あるいは、結界の穴を越える際に躊躇したため、再び結界が閉じてしまったことで外に締め出されてしまっている。
「人数は少ないが、一騎当千のもの達を集めたのだろう。
 神社を中心に布陣を敷き、余たちを中に入れぬという顔をしている」
「はい」
「あれらがいると、博麗の巫女との遊びが邪魔されるかもしれぬ。
 排除せよ。
 ただし、必要以上に痛めつけたりはするなよ」
「かしこまりました」
 大天狗が配下の天狗に指示をする。
 彼らは四方八方に飛び、神社を守るもの達へと向かって襲い掛かる。
 天魔は、それらが片付くまで、そこから動くつもりはないようだった。
 腕組みし、仁王立ちして、それを眺めている。
「さて――どう出てくる?」
 境界の妖は姿を消した。
 それまで彼女が守っていた場所が空白となり、そこから多くの天狗たちが雪崩れ込んでいく。だが、直後、そこに新たに展開された結界に弾き飛ばされ、驚きの表情を見せる。紫の置き土産だ。術者がそこにいなくとも機能する、強力な結界を前にどうしたものかと一同は困惑する。
 大天狗たちが配下のもの達に指揮をして、この場を制圧しようと動き出す。

 一番槍をつけるべく、博麗神社に乗り込もうとする天狗たちがいる。
 その彼らが真っ先に撃墜された。
 何事かと振り仰ぐと、神社の上空に留まる人影が見える。
 それが掲げた左手の先から、四方八方360度、余すところなく、無数の閃光が放たれている。
「よけろ!」
 警告をしたものがその直撃を受けて吹き飛ばされた。
 その閃光はすさまじい威力であり、流れ弾は地を穿ち、樹齢百年単位の木々を軽々と抉る。
 傍目に見れば、それは美しい流星のカーテンだ。
 だが、実際は、一撃を受ければ戦線離脱は間違いない死の雨だ。
「奴を潰せ! まずはそれからだ!」
 その相手――星へ、天狗たちが殺到する。
 星は逃げることはせず、ただ、己の役目――味方の援護射撃を継続するだけだ。
 そして、星へと接近した天狗が、彼女に一撃を見舞おうとする。
「あー、ダメ、ダメ。それダメ、それ」
 横手から軽い声がかかり、振り下ろした角棒が止められる。
「星をどうにかしたかったら、まず、わたしに挨拶してくれないと」
 どこから現れたのか、ぬえがそこにいた。
 彼女が手にした三叉の槍は天狗の棒を刃と刃の間で挟み込み、へし折る。
「邪魔をするな、ガキめ!」
「ん~。おじさん達も、相手を見た目で値踏みするのかぁ。
 それは残念だな~」
 その棒の直撃を受けるぬえ。
 体が奇妙なほどにぐにゃりと曲がる。
「ま、いいや。天狗なんて大半がそんなもんでしょ。
 ただ偉ぶってるだけで、本気で強い奴なんて数えるくらい。
 けど、数もそろえば何とやら。少しは遊べるかなぁ?」
「ひっ……!」
 彼女の体は蛇のようにぐねぐねと動き、棒にまきつきながら彼へと迫り、にたり、と笑った。
 恐れをなし、足を引いた瞬間、勝負は決まる。
 彼の影の中から、ぬえが手にした槍が現れる。
 それは影の色に染まった、真っ黒な刃だ。
「まず一人」
 その石突のほうで相手の背骨を一撃する。
 悲鳴と共に体を反らした彼の胴体に、『ぬえ』本体が一撃を入れて、彼女はけらけらと笑う。
「こ、この化け物め!」
「あ、嬉しいな~。そう言ってくれるの、久しぶりだよ」
 周囲の天狗が一斉に、ぬえに攻撃を仕掛けた。
 ぬえの体がぐしゃぐしゃになるまで角棒で殴り続ける彼ら。
 ぬえはけたけたと笑うだけで、抵抗することもなく、痛みを感じている様子もなく、ただ、黙ってされるがままだ。
「もう終わり?」
 原形を留めないくらいにまで歪んだ彼女の体。
 しかし、ぬえは全くダメージを受けた様子もなく、にんまりと、口元を三日月の形に変える。
「じゃあ、反撃だ」
 突如、ぬえの体が弾けた。
 風船が割れるような音と共にばらばらに四散した彼女を見て、全員が目を丸くする。
 そして、その驚きは、そのまま未知なる物への恐怖と変わる。
「もっと驚け。もっと怖がれ」
「どうだい、びっくりしただろう」
「怖い? ねぇ、怖いかい?」
「おじさん達は大人なのに情けないなー」
 ぬえの姿が一つ、二つ、三つ、四つ、五つ……次から次へと増えていく。
 そのいずれもが、もはや人間の形を保っていない、歪な闇の塊なのだ。
 それらが彼らを取り囲み、げらげらと笑い声を上げる。
 あまりの恐怖に一人が絶叫し、ぬえに攻撃を仕掛けようと、手にした角棒を振り上げる。
「そうそう。そういう顔が見たいんだ」
 彼は目を丸くして、その光景を見つめる。
 ぬえの頭が、彼の胴体から生えていた。にたにた笑う彼女の顔は崩れて壊れ、一つ目だけが残ってにやにやと笑っている。
 ついに、彼は悲鳴を上げると、手にした棒で自分の胸を思いっきり突いた。
「何をやってるんだ!?」
 傍目から見れば、それは自爆行為である。
 現に、彼は自分の攻撃で白目をむいて、地面に落下していく。
「おじさん達、ちょっと遊ぼうよ。ね?」
『ぬえ』の形をした、姿なき恐怖が彼らを取り囲む。
 彼らは怯え、すくみあがり、もはや戦意など喪失していた。
 そんな彼らを見ているのがたまらなく楽しいのか、ぬえはけたけたと笑っている。
「……全く。趣味が悪い」
 その様子を間近で見ている星はため息をついた。
 本当に、他人を脅かして、怯える姿を見るのが何より楽しいという悪趣味な連中は困る、とつぶやく。
 しかし、ぬえのこの姿は、実に妖らしい。
 夜の淵、闇の狭間に生きるもの達は、照日の民を脅かして楽しむ連中ばかりなのだ。
 ぬえはその『妖』を己の中に色濃く残し、こうやって、他人を驚かして遊んで回る。そういうことばっかりするから、聖や一輪におしりぺんぺんされるんですよ、と。
 星は小さくつぶやいた。

「妖夢ちゃん、次! そっちいったよ!」
「はい!」
 博麗神社の西側では、鈴仙と妖夢が天狗やそれ以外の妖怪たちを食い止めている。
 紫の予想通り、北側から侵攻した天狗たちは三つの方向に散り、攻撃を仕掛けてきた。
 北側から来るものは、現在、紫の残した結界が押さえている。こちらが本隊であることを示すように、その数は非常に多い。一方、東西に分かれたものの数は少ない。恐らく、邀撃部隊だろう。
 そのためか、こちらにやってくるものは数人程度の散発的な攻撃に留まっている。
「邪魔をするな、小娘たち!」
「その邪魔をするために来てるんですよ!」
 天狗たちがどのような命令を受けて鈴仙たちにぶつかってきてるのかはわからない。
 しかし、襲われているのだから退けるのが道理だ。
 相手が振りかぶる角棒を、鈴仙はよけると相手の胴体に膝蹴りを入れる。
 だが、その一撃は、相手にほとんどダメージを与えられない。
 やはり、華奢な女の蹴りなど、鍛えられた頑健な肉体を持つ妖にはそうダメージは通らないのだ。
 足腰に自信のある兎の妖と言ってもそれは同じこと。だから、鈴仙は、
「ばぁん!」
 超至近距離からの弾丸で相手を追撃する。
 蹴りで相手の動きを止めて、その一瞬の間隙に一撃を見舞う。
 すると、その攻撃をよけることがかなわず、追撃のダメージを受けた相手へと、
「とどめ!」
 上空から、妖夢が一閃を食らわし、撃墜する。
 天狗一人に対して、二人がかりで何とか、という戦力比。それでも何とかやれているのは、星の援護射撃のおかげである。
 彼らの動きは、あれのおかげでだいぶ制限されている。
 何せ、鈴仙と妖夢の渾身の一撃クラスの攻撃が常時放たれているのだ。
「力の差が身にしみる」
「そうですね。お互い、もっともっと、精進しましょう」
「お、生意気」
 ぷにっと妖夢のほっぺたをつついた鈴仙は、星の攻撃で動きの止まっている相手に向かって、手にした銃の引き鉄を引いた。
 先日は鞍馬に軽々と回避された弾丸だが、この天狗たちには、それをよけることが出来ないらしい。
「うぐっ!」
「こ、この!」
 妖怪は、人間の作る金属のうち、鉄と鉛を苦手とする。
 その両方が使われた銃弾は、彼らにも効果覿面であった。
 相手の手足を撃ちぬき、行動を制限した上で、その胴体めがけて致命傷を叩き込む。
 そうした攻撃ならば、鈴仙一人ででも、天狗の一人や二人、倒すことが出来る。
 問題は――、
「っ!」
 奴らが持つ風扇だ。
 あれを使われると、途端に戦況が不利になる。
 荒れ狂う風はこちらの動きを封じ、風故に目視が出来ない攻撃をよけられる道理もなく、放たれる一撃を食らってしまう。
「鈴仙さん!」
 風の弾丸を受け、吹っ飛ばされる鈴仙を助けに、妖夢が飛ぶ。
 それを邪魔する天狗を一刀の下に切り伏せ、「大丈夫ですか!」と鈴仙を抱え込む。
「悔しいなぁ。こういう時、他の人たちはどうやって戦うんだ」
 鈴仙は舌打ちし、腰のポーチを開くと、そこから注射器を取り出して自分の腕に針を突き刺す。
 痛みを消し、傷の回復を促す即席の回復剤だ。
 だが、麻酔成分が多く入っているのと、体の治癒能力に無理を強いるものであり、多量の摂取は逆に命を縮めるものでもある。
「よし!」
 しかし、そんなことは、現状、言っていられない。
 とにかく一人でもここで相手を蹴散らし、神社に降りるものを減らさなければならないのだ。
 次の相手を探し、攻撃に出る鈴仙。
 妖夢もそれに続き、獅子奮迅の活躍で、次から次へと敵を倒していく。
「止まれ!」
 かかる声。
 二人はその声の源へと視線を向ける。
「……椛さん」
 そこに、二人の友人の顔があった。
 周囲の天狗たちも、彼女たちの動きが止まったことで、一時的にこそ攻撃の手を止める。
「鈴仙さん、妖夢さん。我々は、あなた達に危害を加えるつもりはありません。
 しかし、抵抗をするのなら、それを排除するために反撃します。
 ――刃を収め、そこを引いてください」
「断る、といったら?」
「言ったでしょう? 抵抗するというのならそれに応じるだけです」
 妖夢へと、椛が剣の切っ先を向ける。
 二人は互いを見据えると、
「ならば、答えなど一つ!」
 一瞬の間をおいて、妖夢は椛に向かって斬りかかる。
 椛は迷いを見せることもなく、その鋭い瞳で妖夢を見据えてそれを迎え撃つ。
「……あなた達は、どうして天魔に従うのですか」
「奴が強いからだ」
 彼女を率いてきたと思われる白狼天狗の男性がそこにいる。
 彼の後ろには数人の、同じく白狼天狗たち。
 鴉天狗たちは、突撃役が来たから安心したのか、それともそこに漂う気配の異質さに気づいたのか、遠巻きに離れていく。
「間違ったことをしているとしても?」
「誰がそれを決める」
 壮年の白狼天狗が、手にした刃を鈴仙に向ける。
「お前達が、友のために戦うのと同じく、我々は組織のために戦う。その間に違いなどない。
 ただ、お互いの抱えるものが相容れず、ぶつかり合うだけだ。
 そういうところに戦は発生する」
「あなた、年をとっているだけあって、そういうこと、よくわかっている人ですね」
「そこをどけ。そうすれば、あのバカ真面目娘も引き下がらせよう」
「断る」
「そうか」
 次の瞬間、彼は鈴仙へと切りかかってくる。
 その速度、勢いは素晴らしく、『白狼天狗は鴉天狗より格下』などという言葉は嘘に違いないと思うほど。
 振り下ろされる刃の速さも、それを操る身のこなしも大したものだ。
 鈴仙は相手の攻撃を冷静に見つめながら後ろへと下がっていく。
 ちらりと、視線を妖夢へ。
「技は妖夢の方が上。力は椛の方が上」
「よく見ているな」
「あの子、好きなのよ」
 構えた銃の引き鉄を引く。
 弾丸を、彼は手にした刃で切り落とす。
「かわいいしね」
 鈴仙の放つ蹴りを、彼は手にした盾で受けた。
 そのまま力任せに彼女を跳ね飛ばそうと、盾を前に押してくる。その勢いを殺さず、鈴仙は後ろに飛ぶ。
 大きく後ろに宙返りする彼女を追いかけて、彼が迫る。
「あなただって、かわいがってる子が釈然としないまま、戦うことを望むことはないでしょ」
「無論だ」
 鈴仙が体勢を立て直した直後、彼の刃が袈裟懸けに鈴仙を切り下ろした。
「だからこそ、さっさと、こんな下らないことは終わりにしないといけないのだよ」
「……何かさ。天狗って、みんな、頭固いのね」
 その刃が切り裂いたのは、彼女の衣服と肌一枚のみ。
 わずかに身を引くことで直撃を避けた彼女は、至近距離から、相手のふくらはぎに蹴りを叩き込む。
「それは思っている。
 全く……どうしてこう、誰も彼も融通が利かないのか。
 俺が子供の頃からなぁ、そうだったよ」
「あなたも充分、石頭だと思うわ」
 蹴りの反動を利用して体をひねり、さらに、相手の側頭部を薙ぎ払う。
 それはさすがに効いたのか、彼がわずかに体を傾がせる。
 舌打ちして、彼は右の剣を振るった。
 空を裂くその一撃をしゃがんでよけると、相手の胴体に向かって、
「食らえ!」
 放つ弾丸の炸裂。
 銃弾よりも強烈で、銃弾よりも扱いやすい、その攻撃は、
「甘いなぁ、しかし」
 彼にはさほど効いてないようだった。
 彼は少しだけ後ろに下がると、また鈴仙へと向かってくる。
 何度かの銃撃で相手の接近を阻みながら、彼女は後ろへと下がる。
「あんたは堅苦しい組織とかで過ごしたことはあるかい」
「……ない、とは言わない。
 まぁ、この山の連中みたく、何でもかんでもがっちがちに縛ってるようなところじゃなかったけど」
「そうか。そいつは幸せだ。
 俺もガキの頃はな、大人ってのはなんて融通が利かなくて頭の固い連中だって、不満ばっかり持っていたもんだ」
 ぐんと彼は加速し、鈴仙の懐に飛び込んでくる。
 振り下ろす一撃をぎりぎりでよけて、鈴仙は相手の顎を狙って左手を突き出す。
 彼は彼女の手を左手で押さえると、そのまま、力任せに彼女を放り投げる。
「だが、俺が大人になったら、今度は俺のガキが『パパはすごく頑固で大嫌い』って言う。
 ――組織に染まるってのはそういうことなんだ」
 急激な移動で平衡感覚が失われ、体勢を立て直せないでいる彼女の背骨に、彼は手にした盾を叩き込む。
 鈴仙の体が大きく反りあがり、その肺から、音ではなく空気が漏れ出す。
「若い奴らには、上に染まるな、自分を持てって教育してるつもりなんだが、あんなバカ正直な娘が出来上がる」
 力とスピードに勝る椛が妖夢を追い詰めていく。
 その鬼気迫る表情を見て、彼は何を思ったか。
「ケンカの一つもしないで親友にはなれないってのはよく聞くが、それはガキの意思でやるもんだ。
 大人が振り回すもんじゃない」
 彼の蹴りで吹っ飛ばされ、それでも鈴仙は、何とか持ちこたえる。
 痛みにきしむ体を押さえて抱えながら、何度も何度も咳き込み、相手を見据える。
「ガキのわがままに付き合うのも大人の仕事だが、わがままの過ぎるガキを叱るのも、大人の役目ってやつだ。
 俺ぁ、そういうことが出来る大人になりたかったなぁ」
 しかし、痛みで動けない彼女を、彼は切り裂いた。
 その刃が彼女の体に食い込み、肉を引き裂く感触を手に覚えながら、やれやれとため息をつく。
「殺しはしないさ。
 そんなことをしたら、あのわがままなクソガキが大暴れする。
 あんたの噂は聞いてるよ。竹林の奥にある、凄腕のお医者さんのところのだろ。
 とっととケガを治して、下に下がっていろ」
 鈴仙は振り返る。
 その瞳から、未だ闘志は失われておらず、彼をまっすぐに見据えている。
「いい目をしてるな。だが、そろそろ不愉快だ。いい加減に――」
「わかってんなら、黙って見ていろ、犬っころ」
 鈴仙の口が暴力的な言葉を吐いた次の瞬間、彼の視界が真っ赤に染まる。
 一体何が起きたのか、彼は思わず目を見張り、慌てて後ろに下がる。
 周囲一面、血に染まっている。
 あの女がいない。
 いや、いる。
 赤い塊――人間の形をした『何か』がそこに立っている。
「な、何だ!?」
 周囲に飛び散った、真っ赤な血の塊が形を成す。
 一つ一つが鋭くとがり、巨大な矢が、彼の周囲を覆いつくす。
 次に何が起きるのか、それが軽々と予想できる。
 彼は突破口を見つけるべく、忙しなく視線を周囲に走らせ、舌打ちと共にそちらに向かって突っ走る。
 一瞬の間を開けて、彼の周囲に浮かんだ矢が、彼めがけて降り注ぐ。
「くそっ!」
 それらを剣で切り落とし、あるいは盾で防ぎながら、まっすぐに走る。
 よけきれない分が体に突き刺さり、激痛が走る。
「食らえ!」
 彼は、それまで鈴仙だった『もの』を一刀両断に切り裂いた。
 真っ赤な塊は左右に分かれ、崩れて消える――
「……!?」
 ――その前に、その赤は周囲に広がり、彼を包み込む。
 真っ赤な『海』の中に、それよりも赤い目と口が浮かび上がって笑みの形に切れ上がる。
 そこから始まるのは、凄惨な血の宴だった。
 彼の体に空いた穴から周囲の『赤』が彼の体の中に潜り込み、破裂し、真っ赤な血を吐き出させる。
 それらは『赤』の中に取り込まれ、さらに周囲を『紅』に染めていく。
 悲鳴を上げようにも、全身を赤の『海』に取り込まれているため、声すら出せない。
 喉に突き刺さる『赤』が鮮血となって入れ替わる。
 世界が真っ赤に染まり、全てが朱に塗りつぶされ、消えていく――。

「……みんな、人のこと、『臆病者』ってバカにするけれど、逃げるのにも勇気が必要なんだよ」

 赤い世界にひびが入り、割れて、全てが霧散した。
 彼の目の前には鈴仙が立っている。
 疲弊はしているが、最後の横一文字のケガは受けていない。
「……何が……起きた……?」
「私、幻術使いなんてやってましてね。
 ちょっとばかり、悪い夢を見せてあげただけですよ」
 赤く光る彼女の目。
 ふぅ、と彼女は息をつくと、ポーチの中から丸薬を取り出して飲み込んだ。
「薬漬けだ。頭も体もダメになる」
「……何でとどめを刺さなかった」
「子供がいるような人、殺してたまるもんか」
 彼女は視線を、椛に押される妖夢に向けると、その援護のためにその場に背中を向けた。
 その瞬間、彼が彼女に攻撃を仕掛けていれば、この勝負は彼の勝ちで終わっただろう。
 だが、彼はそれをしなかった。
 見送るように彼女の背中を見ていた彼は、黙って、剣を鞘へと収める。
「……言われるだけあって、この神社の連中は強いにも程があるなぁ」
 そう、小さくつぶやいて。

「妖夢ちゃん、フォローするよ!」
「はい!」
 椛の背後から、鈴仙の攻撃が迫る。
 椛は振り返らず、その攻撃をよけると、鈴仙を見て驚いたような表情を見せる。
「……隊長に勝つなんて」
 どうやら、彼は椛たちを率いてきただけあって、それ相応の地位にいる人物だったようだ。
 すなわち、恐らくではあるが椛よりも強いだろう。
 その彼をいなした鈴仙の参戦で、戦いは、一気に椛の不利に傾いていく。
「くっ……!」
「椛さん、この場は引いてください!
 私は、あなた達と理由もなく戦うつもりはありません!」
「甘いことを!」
 椛の刃が妖夢の剣とかみ合う。
 鋭い音を響かせ、両者の剣がかみ合っていたのはわずかな時間。すぐに椛の手が動き、妖夢を跳ね飛ばす。
「そちらになくともこちらに理由があれば、それだけで戦う理由となる!
 あまり、こちらを愚弄するなよ!」
 その椛に側面から鈴仙の援護射撃が決まり、彼女がふらつく。
 鈴仙はすぐさま距離をとる。
 妖夢が前衛をやってくれているなら、自分よりも遥かにスピードとパワーに優れる椛を真正面から相手取る必要がないからだ。
 椛は舌打ちすると、すぐにその視線を妖夢に戻す。
「そんな理由で戦いを強いられるなんて、私は絶対にいやだ!」
 再び両者の剣がかみ合う。
 椛は上空からの妖夢の一撃を受け止め、相手を上に弾き返す。
 その勢いを利用して、妖夢は空中で回転すると、相手の懐ぎりぎりまで飛び込んで、腰から引き抜く短刀で接近戦を挑む。
 椛は剣を振るうことが出来ない。相手が刃のリーチの内側にいれば、その攻撃が何の意味もなさないことくらいはわかっている。
「疑問を持ちながら従うような戦いを、何でしなくちゃいけないんですか!」
「そういうものなんですよ! こっちはね!」
 妖夢の短刀のさらに内側まで接近した椛は、左手で相手の髪の毛を掴むと、彼女を振り回し、思いっきり投げ飛ばす。
「最低限の意思さえあれば、それ以上は必要ない!
 あとは理由が全てを置き換える!」
 再び椛が攻勢に出ようとして、鈴仙に遮られる。
 パワーとスピードは椛に分があっても、やはり技は鈴仙の方が上だ。
 相手の刃の内側へと飛び込み、肩から鋭い当身を見舞う。
 椛が息を詰まらせ、体を揺らすと、そのみぞおちめがけて、鈴仙は拳を突き刺し、吹き飛ばす。
「剣を鈍らせておいてよく言う! どいつもこいつも!
 付き合いきれないと思ったら、しらばっくれればいいんだよ!」
 周囲の鴉天狗たちも、椛の劣勢を見て、彼女に加勢しようとする。
 それを鈴仙は『黙ってろ!』と叫んで追い払う。
 彼女の瞳が妖しく輝くと、彼らはいきなり悲鳴を上げて、宙を逃げ惑う。彼女の見せる『幻』に追い回され、散り散りになって逃げていく。
「これだから無駄に真面目な奴は、ほんと、めんどくさいんだ!」
 鈴仙の射撃と妖夢の斬撃。その双方を凌ぐのも、椛には限界がある。
 元より鈴仙の言う通り、『鈍った刃』では彼女たち二人の相手は出来ない。
 それでも椛は引かず、戦おうとするのだが、ついに手にした剣を妖夢の攻撃で飛ばされる。
「……くそっ」
「もうやめてください。勝負はつきました」
「……まだだ。
 まだ、みんなが戦ってる……。たくさんの人たちが戦ってるのに、自分だけ、負けを認められるか!」
「君の上司は認めてるんだよ! もう戦うつもりはないってさ!」
「そんなの知るか!」
 頭に血が上り、鈴仙に挑む彼女を迎え撃つべく、鈴仙は構えを取った。
 何とかして、彼女を穏便に、可能なら無傷で押さえたい鈴仙は視線を妖夢に一瞬だけ向け、そのサポートを指示する。
 椛が剣も持たず、鈴仙に飛び掛る。その迎撃のために身をかがめる鈴仙。
 その両者の間に、閃く刃が飛び込んでくる。
「……!?」
 その鋭さは大したもの。
 力と速さで押してくる椛に、さらに技も加わった一撃。
 後ろに下がったのは、鈴仙だ。
「本当に、あなたはかっとなったら周りが見えない子なんだから。
 もっと冷静に戦いなさいと言っているでしょ」
 割り込んできたのは二人。
 いずれも、椛よりもずっと大人の雰囲気漂わせる白狼天狗。
 一人は手に弓矢を、そして一人は身の丈よりも巨大な薙刀を武器として持っている。
 声を発したのは弓矢使い。めがねをかけた、きつめの印象を伺わせる顔立ちの女である。
「隊長は、『この一件、俺は手を引いた。お前達も手を引け。ただし、戦いたい奴は好きにさせろ。こいつは祭りだ』って。
 向こうに樽酒探しにいったわ」
「……あの人は」
 黒い長髪をさらりと揺らす、優しい顔立ちの彼女が笑いながら、椛の肩を叩いた。
 椛は額に手をやってため息をついて、「真面目でいい人なのに、糸が切れるとちゃらんぽらんになる」と呻く。
「ほら、あなたの剣。大切なものを手から手放してしまうほど動揺してるならやめとけばいいのに」
「……」
 三人がやり取りをしている間に、鈴仙と妖夢も、一度、体勢を立て直す。
「……増援ですか?」
「そうだね」
「……」
「どっちも強い。多分、椛以上に。
 ……勝てる?」
「もちろんです!」
 妖夢は頼もしい言葉と共に、剣を構えて前に出る。
 椛は、手渡された剣を握り締める。
 その手元をじっと見つめていた彼女は、それを一振りすると、
「動揺なんてしてません!」
 その切っ先を妖夢へと向けてきた。
 両者の視線が一瞬だけ絡み合う。
「竜胆姉さん! 護衛を! 茜姉さんは援護を!」
「逆でしょう、普通。椛がわたし達の護衛をするものじゃない」
「まあまあ。いいじゃない、茜ちゃん。
 椛ちゃんがやる気になってるんだもの。かわいい、かわいい」
「子供扱いやめてください!」
 頭なでなでされた椛は顔を赤くして叫ぶと、妖夢に向かって突っ込んでいく。
 妖夢は後ろの鈴仙を見る。
 鈴仙は『?』と首を傾げる。
「……椛さんも、地味に、私と同じ悩みがあったのか」
 そうつぶやいた後、彼女は迫ってくる椛を迎え撃つ。
 互いの刃がぶつかり合い、つばぜり合いの音が響き渡る。
 茜と呼ばれた弓使いが妖夢へと矢を射掛け、竜胆と呼ばれた女が、椛の背後から妖夢を攻撃しようと刃を振るう。
「状況は好転しないな、全く!」
 鈴仙がそれを迎え撃ち、矢を撃ち落とし、薙刀の刃を拳で払う。
 この空域の戦いは、さらに激しさを増すことはあっても、落ち着くのはまだ少し先になりそうだ。

 ――あちこちで轟音が響き、爆音がやまない。
 彼女が今いる位置は、まだ平穏そのものである。
 空を見上げて、不安そうな眼差しを隠さない彼女――早苗は、視線を前に戻す。
「……紫さんの結界は頑丈だ」
 片手に、彼女は双眼鏡を取り出した。
 それを目元に当てて、彼方を見る。そこには、紫の結界に遮られて入ってこられないもの達の姿がある。
 天狗の先導を受ける、河童の一団である。
 彼女たちは、目の前の結界をどうにか越えようと悪戦苦闘しているようだが、どうにもならない様子で、中には諦めているのか後ろに下がっていくものもいる。
「あれがあれば、あの人たちはこっちに来られない……。
 何事もなければ、一番いい」
 それは、自分が危険な目にあわなければそれでいい、という意味ではない。
 今回のような理不尽な争いに振り回されるものは少なければ少ないほどいい――そういう思いから出た言葉だ。
 天魔と言う、正体不明の、とにかくひたすらめちゃくちゃ徹底的に強くてわがままな奴が気まぐれで起こした、この一件。
 それに振り回されて、多くのもの達がひどい目にあっている。
 しなくていい怪我をして、買わなくていい恨みを買って。
 そんな戦の、どこが祭りだというのだ。
 祭りはみんなが楽しく、笑いあうことが出来る時間のはずだ。
「こんなもの、祭りであってたまるもんか」
 神社に協力するもの達にも、山のもの達にも、そのどちらにも顔見知りや友人がいる彼女だ。
 その両者の、意味のない争いに、一番、心を痛めている。
「神奈子さまも諏訪子さまも、やめさせようとかじゃなくて、むしろ積極的に煽るだなんて。
 何を考えているんだ、全く」
 神は、ものによるが、戦も祭りも好きな連中が多い。
 ある意味、神としての本能に従っているとも言えるが、それはそれであんまりである。
 確かに、神奈子は『軍神』などと呼ばれ、戦の象徴たる一面も持っているが、それにしたってあんまりだ。
「どうして、義のない、理由のない戦いを、好き好んで大きくしたがるのよ」
 自分の欲望のまま、いたずらに争いを拡大させる神など悪神そのものではないか。
 むしろそういう時は、神としての威厳をもって、争いをいさめるものではないのか。
 あの神様どもが何を考えているのか、全くわからない。
「もう」
 足下の小石を蹴り上げて、早苗は憤りの表情を見せる。
「みんなが大変なことになってる。
 紫さん以外の人たちは何してるの?
 そうでなくたって、映姫さんとか、そういう人たち。何でこんな好き勝手を許すのよ」
 相手があまりにも強くて、あまりにも強大だから、手を出したくないのか?
 ならば、そんな事なかれ主義者だったとは思わなかったと、後で言ってやろう。思いっきり幻滅しました、と。
 相手がどのように思っても、関係ない。それを招いたのは自分の態度だ。因果応報なのだ。
「……こんな争い、さっさと終わって欲しい」
 しかし、そう彼女が願っていても、そうは問屋が卸さないのが、この世界のルールなのだ。

「ダメだ! この先にゃ進めない!」
「親方、もう無理ですよ!」
「天狗さま、どうするんですか!」
 大天狗の命令により、本隊から離れ、神社を挟撃する任務を負っていた彼女たちは、完璧に、紫の結界によって足止めされてしまっている。
 無理に突っ込もうとすれば大怪我をして、よくてベッドの上、悪ければ死ぬ。
 悩むもの達にはっぱをかけて、いけいけごーごー、と音頭をとっても、どうすることも出来ないものはどうしようもないのだ。
 だから、一同を指揮する天狗たちも悩んでしまう。
 焚きつけるだけ焚きつけて、自分たちは何も出来ません、であれば河童たちは絶対にぶちキレる。
 彼女たちを敵に回すと、色々、面倒なのだ。表では『はいわかりました』と言っていても、絶対に腹の中で根に持っている。河童たちの道具をありがたく使っているのが天狗たち。こっそりと不良品を渡されでもしたらたまったものではない。
「う……うーむ……」
 腕組みし、悩む。
 そんな時だ。
 音も気配もなく、一団の最後尾に、一人の少女が舞い降りた。
「どいてください」
 あの少女だ。
 天魔の御所に仕える謎の妖怪である。
 彼女は河童たちの間を通って結界へと歩み寄ると、その右手を、結界へと触れさせる。
「ちょっと、何してんのさ! 危ないよ!」
 誰かが警告をする。
 しかし、次の瞬間、全員が声を失い、目を丸くする。
 少女の手は結界を軽々と通り抜け、その手を中心に波紋のようなものが走ると、分厚い光の壁に大きな穴が空いたのだ。
「どうぞ」
「え……?」
 間抜けな声を上げて佇む一同。
 少女は無表情で、彼らを先に促している。
 河童たちの視線は『親方』へ。親方の視線は『天狗』へ。
「ぜ、全員、行くぞ!」
 慌てて、天狗の男性が指示をした。
 それを受けて、一同は結界の中へと雪崩れ込む。
 ――目を丸くしたのは、早苗も同じである。
「紫さんの結界を!?」
 あれほど強力で強烈で、分厚くて凶悪な結界を、軽々通り抜けてくるとは。
 どれほどの実力を持つ結界使いなら可能な芸当なのか。少なくとも、早苗には無理だ。
 彼女が信奉する神奈子や諏訪子といった神ですら、この結界を通り抜けるのには難儀するだろう。
 まさか、あの少女は神より強いのか? いいや、そんな馬鹿な。
「ええい!」
 だが、早苗は己の役割を果たすべく、その困惑を振り切った。
 右手に持った祓え串を一閃し、周囲を巨大な風の壁で覆いつくす。
「止まれ、止まれ!」
 風の結界のすぐ外で、河童たちは足を止めた。
 先を行く天狗の一人が、早苗の結界を破ろうと攻撃を仕掛ける。
 だが、彼の攻撃は風に巻き上げられて天空高く吹っ飛ばされる。ならばと彼本人が風を抜けようとするのだが、
「邪魔!」
 さらに荒れ狂う強風に煽られて吹き飛ばされ、近くの木立の中に落下していく。
 風と共に生きる天狗だろうと拒絶する、凶暴な風の壁だ。河童たちもさすがに尻込みして足を止める。
「立ち去りなさい! これ以上、奥に進むことはまかり通りません!
 これより先は神域! 土足で穢していい地ではありません!」
 早苗は一同に向かって警告を発し、風の勢いを強くする。
 さらに周囲の土や石ころだけでなく、かなりの大きさの岩塊も巻き上げられていく。
 その威力に、河童たちは恐れをなして浮き足立つ。
「さあ!」
 風の向こうで、彼らがどういう顔をしているのかはわからない。
 しかし、こういう脅しは効果があるはずだ。河童たちは、あのにとりの言葉を信じるなら、『争いごとになると真っ先に逃げ出すような奴ら』の集まりなのだから。
 実際、彼女の見せ掛けの脅しは効果があるのか、誰一人、前に進んでいこうとしない。
 手を出して吹っ飛ばされた天狗が、未だ、戻ってこないというのもその理由にあるだろう。
 ここから先に進んだらどういう目にあうかわからない、という恐怖が足をすくませるのだ。
 ――その脅しすら効果のないものなど、そうそういない。
「どいてください」
 あの少女が追いついてきた。
 結界に穴を開け、『仲間』を全員、中へと招きいれた彼女は早苗の作った風の結界へと歩いてくる。
「……まずいな」
 この妖怪もまた、何かの力を持った結界術師。そして、結界術の腕前は、間違いなく、早苗より上の相手だ。
 早苗は風を巻き起こしたまま、相手の足を止めるべく、攻撃を放った。
 撃ちだされる弾丸が、相手の足下に何発も着弾して土煙を巻き上げる。
 この程度の脅しでは、効果はない。相手は表情を変えることなく歩いてくる。
「近づくな!」
 次は本格的に、相手を狙った一撃。
 それを少女は、左手で軽く弾いてしまった。
「天魔さまより話は聞いています。
 守矢神社にいる、神になりそこねている神がいる、と。それがあなたのようですね」
 結界の向こう、まだ顔が見えていないはずなのに、少女はそう看破してくる。
 その言葉に、早苗は憤慨することも、反論することもしない。
 事実だからだ。
 まだ、自分は『人』であり『神』ではないのは、事実だからだ。
「なかなか強い力を持っているようだが、あの神には及ばないだろう――そう言っていました。
 確かに、わたしの見立てではありますが、あなたの力はそれほど強くはないようです」
 少女の手が風を突き抜けてきた。
 それが早苗の左腕をがっしりと掴み、すさまじい力で引き寄せてくる。
「どきなさい」
 次の瞬間、早苗の展開する風の結界は粉々になって吹き飛ばされた。
 早苗自身の体も宙を舞い、河童たちの列を飛び越えて、その後ろに背中から落下する。
「邪魔をするのなら排除します。邪魔をしないなら、一切、手出しはしません。
 それが天魔さまの定めたルールですから。
 わたし達は、それに従うまでです」
「なら、余計に腹が立つ!」
 それほどダメージはなかったのか、早苗はすぐに立ち上がると、河童たちを再度飛び越えて、少女の前に立つ。
「霊夢さんにケンカを売って、何になるって言うんですか!」
「さあ」
「そんな自分勝手な……!」
「元々、この世界の妖怪たちなんて、自分勝手の極みの集まりじゃないですか」
「……」
 確かにそう言われると反論が出来なかった。
 今、早苗たちと付き合いのある妖怪たちも、皆、自分勝手で自己中の集まりばっかりである。
 しかし、それとこれとは別だ。
「それなら、あなた達が自分勝手な理由でこちらに挑むというのなら、わたしだって、自分勝手な理由であなた達を邪魔するだけです。
 わたしは霊夢さんに嫁ぐんですからね! 嫁ぎ先をめちゃくちゃにされてたまるものですか!」
 地面に叩きつけた衝撃が、大地に跳ね返されて真下から少女を襲う。
 彼女はそれを受けて慌てず騒がず、流されるまま上空に吹っ飛んでいく。そして、空中で体勢を立て直すと、反撃とばかりに右手を広げる。
「っ!?」
 天魔も使う不可視の衝撃波だ。
 その直撃を受けて、早苗はその場に膝を突く。
「人間の体はもろいものです。この一発で、もう戦えない」
「……クリーンヒットなら、そうだったかもしれないですけどね……!」
 やせ我慢をして立ち上がり、その場に新たな結界を展開する。
「わたしの役割は、あなた達をこの場に押し留め、先に進ませないことです!
 戦うことじゃない! 邪魔することです!」
 その結界は、彼らを覆うとドーム状の空間を形成した。
 ばちばちと、光を放つ即席の『檻』だ。
「……」
 少女はそれを見下ろして、再び、結界を破壊しようと手をかざす。
 だが、それをすることなく、彼女の姿がその場から消えた。
 一瞬、早苗は相手が何かの攻撃を仕掛けてくるために移動したのかと思ったが、よく見れば違う。
 空に残る力の残滓は彼女のものではない。
 あれは、紫のものだ。
「紫さん……?」
 あの少女が油断の出来ない、そして、早苗では絶対にかなわない力の持ち主だということを察して、早苗から遠ざけてくれたのだろうか。
 あいにくと、紫の姿はその場にないため、回答を聞くことは出来ない。
 だが、おかげで、厄介な相手はその場からいなくなり、自分に有利に事態は傾いたのだ。
「感謝します!」
 早苗は目の前の相手をその場に押しとどめることだけに集中できる。
 河童たちも、事態は飲み込めないながらも、目の前の相手をどうにかしなくては、課せられた役目を果たせないことを察する。
「これをぶっ壊せ!」
 一同、手にした武器をかざして、早苗の結界の破壊に取り掛かる。
 物理的な攻撃も霊的な攻撃も遮断するのが結界。それはかなりの『ダメージ』に対する容量を持っている。
 しかし、一つだけ、欠点がある。
「……もっと修行しよう。これが終わったら」
 早苗の結界術師としての力は、紫は当然、あの少女よりも、霊夢よりも、数段以上、劣るということだった。

「……なかなか事態が動かないな」
 一人、幾人もの天狗を相手取り、全く後ろに下がらない一方的な戦いを展開しているものがいる。
 藍だ。
 たった一人で相手を軽々いなし、誰一人、その場から前に進めてはいない。
「そろそろ紫さまも、何か動きを見せる時だと思っていたのだが」
 視線を相手から逸らす。
 その彼女に、卑怯は承知で天狗の一人が襲い掛かる。
 だが、彼女は彼のほうを見ることすらなく、尻尾を動かしてそれを迎撃した。
 一撃を物理的に食らわし、次に狐火で炎上させるという二段構えの攻撃だ。
「やれやれ。
 今回の一件、意外と色々な思惑が動いている。橙はあの中に置いてきて正解だった」
 辺りを見渡し、様子を見る。
 星とぬえは相変わらず。あれはもう任せておいて問題ないだろう。
 鈴仙と妖夢は、新たな敵の乱入で大苦戦している。誰かが手助けに入らなくては、あそこはいずれ、決壊するだろう。
 早苗の側もほぼ同じ状況だ。河童たちの一斉攻撃を受けて、彼女は『檻』の維持に必死。しかし、それも長くはもたない。
「……アリスは、そういえば、どこにいった?」
 先日から姿の見えない人形遣いを探すのだが、どこにも姿がない。
 まさか、逃げたということはないだろう。
 あの彼女はひどい負けず嫌いだ。戦わずして敵前逃走など、間違ってもやるはずがない。
「……まぁ、いいか」
 ともあれ、今、この場にいるもの達のことを気にするのが一番だ。
 今のところ、東西南北の守りは抜かれていない。境内で相手を待つ白蓮は、さぞかし退屈しているだろう。
 天魔が動いてくれば、その退屈な時間も終わりを告げるのだが、あれは余裕を見せ付けるためか、今のところ、結界を越えたところから前に出てこない。
「紫さまもどこかへ行った。
 あの方にとっては、天魔よりも優先する相手がいたようだ」
 頭上から振り下ろされる角棒を片手で受け止める。
「故に、あまりお前達に時間を割いてもいられない」
 彼女の放つ術は、妖怪特有の術である。
 真っ青な炎が相手を包み込み、焼き尽くす。狐の妖が特に得意とする狐火の術は、その見た目のインパクトはもちろん、威力もすさまじい。
 黒焦げになった天狗をぽいと捨て、彼らを鋭い眼差しで一瞥する。
「私と戦っても勝てないことはわかっただろう。大人しく引け。
 私も、ここから動くつもりはない。
 小さなプライドを守るか、己の命を守るか。
 賢いものなら、どちらを選ぶかはわかりそうなものだがな」
 とりあえず、紫が抜けた穴を埋めなくてはならない。
 視線を向ければ、紫が北側に展開していた二枚目の結界を破ろうとするもの達がいる。
 天魔の力を借りず、無理やり、力でこじ開けようとしている。
 紫が力を注いでいた時なら、その程度で破れる結界ではないが、今、彼女はその場を離脱した。
 放置された結界は徐々に力を弱めていく。早いところ、自分が新たな要とならなければ、あれを破った天狗たちが一斉に雪崩れ込んでくるだろう。
「人に仕事を振って、自分はどこへいったのか。
 全く」
 やれやれとため息をついて、彼女は自分を取り巻く敵を一瞥する。
 誰一人、もはや、藍に向かっていくものはいなかった。

「出遅れたねー、神奈子。どうする?」
 紫の展開した、巨大な一枚目の結界の外で右往左往する天狗たち。その後ろに、神奈子と諏訪子がやってきた。
 諏訪子は事態を眺めながら、「確かに、戦ってより祭りだ。ケンカだな、こりゃ」とけらけら笑っている。
 事態そのものは大きなものなのに、そのスケールが小さく見えて仕方ない。戦場が、博麗神社を囲んで周囲に散り、そこに割かれている人員も大したことがないのがその原因かもしれない。
 ともあれ、諏訪子は結界を指差すと、「あれを何とかしなきゃね」と言う。
「こいつらでこれを破るのは無理っしょ」
 はいどいてどいてー、と天狗たちを押しのけて、結界に手を触れさせる。
 彼女の手に結界の波紋が集まり、一瞬、光を放つ。
「おー、あち」
 彼女の真っ白い掌が黒焦げになっている。
 それも見る間に回復していくのだが、そういうことが出来るのは、彼女のようなもの達だけだ。
 現に、紫の結界にもろに触れた、あるいは無謀にも突撃したものは、全員、地面の上でうめき声すら上げられずに倒れている。救護班の連中が大忙しだ。
「全く……」
 神奈子が前に出てきた。
 結界の使い方に関しては、神奈子の方が諏訪子より上である。
 早速、結界の解除を試みる彼女。天魔は軽々と引き裂いたこれであるが、やはり、正当な術で解除をしようとするとてこずるようだ。
「少し時間がかかりそうだな。
 面倒だが……」
「どれくらいの時間がかかるかねぇ。
 まぁ、のんびりでもいいんじゃない? そっちの方が面白くなるかもしれないし」
「ここの天狗たちが中に入ることが出来れば、また争いは大きくなるだろう。
 今、中で苦戦しているあの連中も、援軍が来れば勢いづく」
「そうだねー」
 その結界の内側に張られた二枚目の結界が、天狗たちの侵入を防いでいる。
 だが、それを維持する人物の姿はそこになく、力の供給が絶たれた結界が徐々に力を弱めているのもわかる。
「個人的にさ、祭りはもっと楽しい方がいいんだよ。
 たくさんの人数とたくさんの出し物があってさ。
 食い物と酒、あとは踊りのうまい綺麗な姉ちゃん。この辺りが必須だ」
「私は酒があれば嬉しいんだが」
「天狗は飲兵衛だから、期待していいんじゃない?」
 神奈子の手が結界を貫く。
 そこを中心に波紋が広がり、結界の表面全体に、うねるような波が生まれていく。
 結界が、神奈子の力に抗しようと抵抗しているようにも見える波紋はどんどん拡大し、その力に耐え切れないところに軋みが生まれ、ひび割れていく。
 周囲で何も出来ずにいた天狗たちが神奈子に喝采を浴びせ、それぞれが手にした武器を握る手に力をこめる。
「やれやれ。何も出来ない奴らのくせに、なんて調子のいい。
 けれど、そういう奴らに崇められて力をつけられるんだから、神様ってのは都合のいい奴らだねぇ」
 その声に隠れて消える小さな声で、諏訪子は自嘲気味なセリフをつぶやいた。
 その間に、神奈子の手を中心に広がった波紋はさらに拡大し、ついに結界に小さな穴が空いた。
 それが広がり、天狗たちが悠々と通れる大きさになるまであと少しといったところか。
 これで、また事態が動く。
 戦は大きくなり、祭りは賑わいを増し、神社の空を覆い尽くす。
 それに参加する身の上だ。余計なことを言って、この熱気に冷や水をかけることもないだろう。
「……んだけど、まぁ」
 諏訪子の視線がゆっくりと、後方へと向いた。
「世の中、そううまいこと、話は進まないよねぇ」
 にんまりと、彼女は笑う。
 その視界の向こうに、ぽつぽつと、黒い影が見えてくる。
 その影は徐々に大きくなり、それに連れて、正体が明らかとなる。
「来たよ、来た来た。綺麗な姉ちゃん達の到着だ。踊りは得意かな。得意だと嬉しいな」
 楽しそうに、踊るような仕草で彼女は両手に武器を取り出した。
 彼女の動きを見て、天狗たちも自分たちの背後へと視線をやり、慌てて迎撃体制をとる。
 だが、遅い。

「一列縦隊にて突撃! 敵陣を蹴散らし、粉砕する! いけ!」
 勇ましい掛け声を上げるのは、遅れて到着した紅魔館のメイド部隊。
 その数、百と少しの少ない数だが、己の部下の勇猛さに満足するレミリアや咲夜が選りすぐった精鋭部隊である。
「迎え撃て! 妖精など、天狗の足下にも及ばん雑魚だ! 蹴散らせ!」
 突っ込んでくる彼女たちを迎撃すべく、天狗たちが攻撃を放った。
 風の嵐や刃やら、色とりどりの弾丸やら。
 それらが一斉にメイド達を襲うのだが、列を組んで突撃してくる、その先頭に立つメイド達が構えた盾が、その攻撃を全て弾き返す。
「何だと!?」
 一番先頭で、彼女たちと激突した天狗が、まず撃墜された。
 陣の中深くへと切り込み、数人を蹴散らした彼女たちは、そのまま部隊を左右に展開させると、今度は左右から彼らに向かって襲い掛かる。
「なんとまぁ、錬度の高い。
 気まぐれお気楽妖精たちを、ここまで使えるように訓練するなんて、大したもんだ」
 天狗たちも無能の集団というわけではない。
 組織としての力は間違いなく、幻想郷最強クラスだ。個人個人の実力も高い。
 しかし、それでも彼女たちのチームワークにはかなわないというところか。
 付け加えるなら、戦と言うのは、士気と勢いの強いほうが勝つのだ。最初の突撃で陣を切り裂かれ、浮き足だった連中など、いかな天狗とはいえ、その力は普段の半分以下となる。
「あら、ごきげんよう。神様」
「おや、レミリア嬢じゃないか。
 あんたは戦いに加わらないのかい」
 天狗とメイドの戦場の後方で、のんびりと、それを眺めるレミリア。紅魔館部隊の総大将と、諏訪子は距離を挟んで対峙し、会話する。
「ええ、もちろん。
 だって面倒くさいもの。
 わたしは、今回、外側から参加する観客よ。こういう祭りは、自分で参加して盛り上げるのも、まぁ、悪くないけれど、外から眺めて手を叩き、おひねりを投げて笑っている方が楽しそうなのよね」
 彼女の周囲には、日傘で彼女を守るメイドが一人。普段、侍らせているメイド長はいない。
 それを見たのか、妖精たちに翻弄されていた天狗のうち数名が、『奴を潰せ!』と襲い掛かってきた。
 紅魔館の象徴であるレミリアを倒すということは、戦において、敵の大将を倒すのと同じ。過去にどれだけ大勢の強兵を集めていても、大将の首を取られるだけで瓦解した部隊の話は枚挙に暇がない。
 彼らの判断は間違ってはいない。
 間違っているとするならば――。
「もっとも、わたしに手を出そうというのなら、当然、蹴散らして差し上げるけれど」
 たかが雑魚天狗では、レミリアにとって準備運動の用にすら満たない『雑魚』に過ぎないということか。
 まさに一瞬。瞬きするような瞬間で、彼女は数名の天狗を軽々と蹴散らした。
 その右手に構えた爪が、剣呑に光る。
「わたしを相手にするより、うちの子達を相手にした方がよろしいのではなくて?
 ほら、大変なことになっているじゃない」
「確かに。こりゃひどい」
 天狗の攻撃をいなす盾は、紅魔館の魔女の特製。
 これを構えたメイドが部隊の先頭に立って仲間を守り、後ろのメイド達が、右往左往する天狗たちを次から次へと襲って蹴散らしていく。
 一人をいなしても次が、それを倒してもまた次が、それを追い払ってもその次が、という次から次へと襲い来る突撃にはさしもの天狗も対処できていない。
 最初の攻撃にうろたえず、正面から部隊の形を保ってぶつかっていることが出来れば、これほど無様なことにはなってはいないだろう。
 やはり、戦と言うのは、最初の勢いが何より大切なのだ。
「神奈子ー」
 諏訪子の声と、神奈子が紫の結界を破壊するのは、ほぼ同じだった。
 巨大な結界に大きな穴が空き、それが連鎖的に広がって、全ての結界がガラスの割れるような音と共に崩壊する。
 中で、何とかして紫の展開した二枚目の結界を破ろうとしていた天狗たちが、仲間の不利を見て参戦してくる。
「わっはっは。これは愉快。まさに総力戦だな!」
 その間に挟まって戦いを眺めていた天魔が、楽しそうに笑いながら拍手を送る。
 彼女の周囲を守る大天狗たちが、『天魔さま、こちらへ!』と彼女を戦場から遠ざけ、再起不能になるまで部隊を崩されるより早く天狗たちの指揮を執り直す。
 それでようやく、部隊としての体が復活した天狗たちが、大暴れする妖精たちに対して反撃を始める。
「そういや、人数少ないけど、こんなんでいいの?」
「ええ、もちろん。
 何せ、うちはいつも通りの平常業務中よ? お客様に不満を持たせてしまうじゃない」
「すごい商売意識だねぇ」
「紅魔館は、妖怪の山などより、ずっと多くの人間や妖を集めているもの。
 あなた達などとは位が違うのよ」
 えっへん、と胸を張って、レミリア。
 誰がどう見ても子供が威張り散らしているようにしか見えない、愛くるしい仕草であるが、
「……むぅ」
 天魔はほっぺた膨らまして、何やら不機嫌な顔である。
『紅魔館は妖怪の山より上だ』ということをずばりと言ってのけられたのがむかついたのだろう。
「おのれ、吸血鬼め。余を愚弄するとは、なんと不遜な奴だ」
 彼女の言葉に、周囲の大天狗たちはそろって『お前が言うな』というツッコミを内心で入れる。
 しかし、天魔相手にそんなこと言えばどんな目にあわされるかわからないというのと、傍目から見れば『ちびっ子同士のケンカ』にしか見えないため、いまいちノリきれなかったというのが本音である。
「よし、神奈子。あたし達も混ざろうか」
「そうだな」
 神奈子は結界破壊の役目を終えて、紅魔館の迎撃を始めるようだ。一方の諏訪子も同じである。
 紫が当初、言ったように『博麗神社の北側』が一番の戦場になる――それをまるで予期したかのような祝砲が鳴り響く。
「予想通りだ! 来た来た!
 遅いぞ、魔法使い!」
「主役ってのは遅れてやってくるもんだろ!」
 彼方から放たれた極太の閃光が、天狗数名を真横から薙ぎ払う。
 自分に迫ってくるそれを、諏訪子は右手で軽々と弾いて笑う。
「よーし、フランドール! 思いっきり遊んでこーい!」
「やったー!」
 彼女の頭の上できゃっきゃとはしゃいでいた、『紅魔館の究極兵器』フランドール・スカーレットが投入された。
 彼女の姿を見て、天狗たちは一斉に顔色を変える。
『紅魔館の、金髪吸血鬼にだけは、遊ぼうといわれても答えるな』
 何者をも恐れない、勇敢な、そしてある意味、無謀な天狗社会にですら伝わっている『危険人物』の登場である。
「いっくよー! どっかーん!」
 フランドールの周囲に浮かぶ、七色の光弾が一斉に周囲に向かって放たれる。
 狙いも何もない、めちゃくちゃな攻撃に、天狗たちはおろか仲間であるはずのメイド達もきゃーきゃーと逃げ回る。
 流れ弾はあちこちの自然を徹底的に粉砕し、緑豊かな博麗神社周囲の光景が、瞬く間に更地となっていく。
「珍しい。お前が自分ひとりではなく、仲間を頼るとはな」
「以前、お前とは本気でやりあって、まぁ、ぎりぎりとはいえ私は勝利した。
 しかし、その時の経験から、私は『利用できるものは利用する』という賢さを得たのだ」
 戦場へと到達した魔理沙が、にやりといたずらっ子の笑みを浮かべる。
「この前みたいにゃいかないぜ!」
「虎の威を借る狐め。
 情けないにも程がある!」
 神奈子の振るう巨大な一撃が、横から魔理沙を殴りつけようとする。
 それを真正面から、フランドールが受け止めた。
「すごーい! おばちゃん、強そう!」
「お、おば……!?」
「あっはっはっは!
 神奈子、『おばちゃん』だって! あはははは!」
「やかましい!
 ……あのな、フランドール……と、いったか。
 私はおばちゃんではなく、『神奈子お姉ちゃん』だ。わかったか?」
「うん、わかった!」
「よしよし、いいこだ。あとで飴玉をやろう」
「わーい! 飴だ、飴だ!」
 両者は力を思いっきりこめて、ぎりぎりぎしぎしと、力と力の押し相撲をしている。
 神奈子が無理やり、力の塊を振りぬこうとすれば、フランドールが笑顔でそれを押さえつける。
 さすがは吸血鬼。妖怪の中でもトップクラスの膂力を持つといわれるだけはある。
「フラン、そのまま押さえてろよ!」
「うん!」
 神奈子の頭上に回った魔理沙が八卦炉を構えた。
「おっと、そいつは通らないね」
 身軽な動きで諏訪子が魔理沙の前に出る。
「霧雨の。確か、あんたらとあたしは戦ったこと、なかったね」
「あっただろ、てんこの時」
「あれはあれで、また別、別。
 あんたらと戦ったのは、あたしの分霊だ。
 あいつを相手に苦戦してたね? あたしはあれより、ずっと強いよ!」
 鋭い蹴りが魔理沙の八卦炉を吹っ飛ばす。
 続けて、体をひねりながら繰り出される、左の鉄輪の一撃を、魔理沙は体勢を低くしてやり過ごす。
 至近距離で魔理沙は右手の弾丸を炸裂させ、周囲を一瞬、閃光で埋め尽くした。
 諏訪子は目元を袖で覆い、その目くらましの直撃を避ける。
 動きが止まった瞬間を見逃さず、魔理沙は飛ばされた八卦炉を拾いに走る。
 だが、それを邪魔しようと、周囲の天狗たちが彼女に向かってくる。
「フラン!」
 ちっ、と彼女は舌打ちした。
 フランドールは魔理沙の方を見ると、神奈子との力比べをやめて、彼女を助けに行こうとする。
 そうはいくかと、神奈子の放つ特大の弾丸が、フランドールを直撃して吹き飛ばした。
 魔理沙は彼女のことを気にかける余裕はない。手を伸ばし、あと少しで八卦炉を手に取れるというのに、周囲を完全に天狗に囲まれている。
 わずかな瞬間すら命取りとなるこの状況。そして、そうなる確率は非常に高い。
「乱入していきなりやられるとかかっこ悪い」
 その、魔理沙をバカにしきった声と、天狗たちのうめき声が響くのはほぼ同時。
「……アリス!?」
「張っていた甲斐があったわ。
 あなた達、勢いだけで何でも片付くと思ったら大間違いよ」
 魔理沙を襲う天狗たちを襲ったのは、数十にもなる、アリスの人形たちだ。
 そして、この人形たち、普段、彼女が使う人形とは違う。
 全身を重厚な鎧に武装し、鋭く巨大な槍と分厚い盾を構えた『戦闘仕様』の人形たちだ。
「姿を見かけなかったけど、ここで出てきたか、人形使い」
「まぁね」
「何してたのさ」
「作戦と言うのは、何重にも張り巡らせておくものでしょ。
 一つがやられても、また他のがカバーするから、どんな手で攻められてもびくともしない要塞が出来上がるのよ」
「頭がいいね。智慧も回る。
 そして、これ以上ないほど、憎たらしい」
「ありがとう。それは褒め言葉だわ」
 相変わらず、口の減らない『いやな奴』は人形を操り、周囲の天狗へと彼女たちをけしかけた。
 メイド達へと反転攻勢に出ていた天狗たちは、横からの敵の増援に、慌てて陣を作りなおす。
「フランドール! 大丈夫なの!?」
「だいじょうぶー!」
 吹っ飛ばされたフランドールは、綺麗なおべべが破れただけで、けろっとしている。
 ぱたぱた手を振って楽しそうに笑い、
「よーし!」
 その手に、破壊の象徴たる炎の魔杖を構えて神奈子へと切りかかった。
「くっ!」
 さすがに、その一撃は、魔理沙の放つ攻撃など足下にも及ばない危険な攻撃である。
 彼女は手に何枚もの結界を携え、何とかそれを受け止める。結界を、その炎の刃は軽々と切り裂き、最後の一枚に当たって止まる。
「おー」
 目を丸くして驚くフランドール。
 こんな風に、真正面から攻撃を受け止めてもらったことがないのだろう。
「すごーい!」
 目をきらきら輝かせ、彼女はさらに、激烈な攻勢に出た。
 あの神奈子が、必死の形相で攻撃を受け止め、フランドールを追い払うべく、反撃を放つ。
「どーん! どーん! どっかーん!」
 それらをフランドールは真っ向から迎え撃ち、神奈子を焦らせるほどの破壊の力をこれでもかと周囲にばら撒く。
「ありゃりゃ、大変なことだ。これは」
 諏訪子はそれを苦笑と共に眺め、視線をレミリアへ。
 レミリアはおなかを抱えて大笑いし、楽しそうに、目じりに浮かんだ涙を人差し指でぬぐっている。
 ――全く、紅魔館の連中は、この祭りの真髄をとくと味わい、理解している。
「これほど楽しんでくれているなら、天魔も本望だろうね」
 アリスは周囲に二体の人形を侍らせ、諏訪子へと攻撃を仕掛けた。
 その素体は、普段から、自分の最も近くに置いている上海人形と蓬莱人形だ。
 彼女たちの攻撃と、魔理沙の援護射撃の双方をさばきながら、
「いよいよ楽しくなってきた!」
 諏訪子は目を輝かせる。

「ねぇ、星。
 これ、押されてない? 押さえてるの、藍のところだけだよ」
「予想通りといえば予想通りなんですけどね」
 乱戦が始まった北側。こちらからの敵の侵入は、今のところ、完全にストップしている。
 西側。鈴仙と妖夢は椛を始めとした天狗たちに押されて、他の連中の相手が出来ないでいる。そのため、ついに、守りを破って中に入ってくるものが現れた。
 東側。これは藍が完全に押さえている。
 南側。早苗はすでに結界の維持に限界が来ているのか、膝を突いている。あれももう長持ちはしないだろう。
「やっぱ戦は数だねー。
 こっちがいくら、一騎当千がそろっていても、何倍、何十倍の戦力で押されちゃ長持ちはしないよ」
「まぁ、仕方ない。
 自分は自分で出来ることをするしかない」
「そうだね。
 んじゃ……そうだな。ちょっと鈴仙たちの手伝いいってくるよ。
 あ、下に下りていくのは結界と聖に任せるから」
 ぬえは飄々とした口調で言うと、西側から攻め込んでくる天狗たちの迎撃に向かう。
 早速、ここまで届くような彼らの悲鳴が聞こえてくるのだから、その実力は大したものだ。
「困ったな」
 星はこの場を動くことが出来ない。
 彼女の援護射撃は、数少ない味方が大勢の敵を足止めする、生命線の一つなのだ。
 故に星にも敵が向かってこようとするのだが、それはぬえが、あるいは手に余裕のある藍が何とかしてくれている。
 視線を足下に向ける。
 自分たちが張り巡らせた結界に天狗たちが取り付き、わーわーとやってる光景がある。
「あれも長持ちしないからなぁ」
 もう一度、結界を張りなおすだけの余裕があるはずもない。
 この場で最も頼りになる戦力の紫の姿はどこにもなく、神社の主は、未だに『修行』から帰ってこない。
 時間の余裕も、もうあまりなさそうだ。

「ダメだ! どうすることも出来ん!」
「ええい、面倒なことを!」
 命蓮寺特製、護法退魔結界の外で天狗たちが騒いでいる。
 彼らは結界の要となっている杭を抜こうとして、その場へと向かうのだが、辿り着いた矢先に攻撃を受けて翻弄されている。
 それを行っているのは、アリスの配置した人形たちだ。
 彼らは皆、森の中に潜み、適時場所を変えながら、杭に近づいた相手に集中砲火を浴びせている。
 アリスの指示もなく、自動で動くオートマタ達を見つけるのは難儀するのか、天狗たちは集中砲火を受けて杭を攻撃するのを諦め、しかし、それをしなければ事態が進まないことにいらだち、また杭へ向かい――と、それを繰り返している。
 結界そのものに攻撃を仕掛け、力任せにそれを破ろうとするものもいるのだが、さすがは命蓮寺の結界。なかなかそれは通さない。
 天魔の力を借りればすぐなのだが、それをするのには抵抗がある。
 天魔に対して頭を下げれば、絶対に弱みとして握られるからだ。そうなったら、この戦が天魔の望みどおりの結果に終わったとしても、彼ら天狗としては敗北である。以後、天魔に、ろくでもないことを押し付けられる際に、今回のことをネタにされるからだ。
 どうしたものか。
 悩む天狗たち。
「どいてどいて~」
 上空から、少し間の抜けた声が降ってくる。
 彼らが振り仰ぐより早く、結界の頂点部分に激しい衝撃と共に閃光が走る。
「疾風ちゃ~ん、いいわよ~」
 その声を上げた女天狗の目の前に、風の塊が刃となって突き刺さった。
 それは、彼女の与えた一撃――風の楔を結界の内部へと押し込み、結界そのものをぶち抜いて神社の境内へと突き立つ。
 そして、風の刃は楔によって開けられた穴から四方八方へと広がり、結界を支える杭ごと、結界をぶち壊す。
「よいしょ」
 境内へと降り立つ女――迅雷。
 その隣に疾風が舞い降りる。
「えっと……」
 迅雷はきょろきょろと辺りを見回した。
 博麗神社の境内は、静かなものだ。外の騒ぎとは無縁なほど静かに整ったそこには、社殿と母屋、蔵。そして、
「あなたは?」
「迅雷姉さん。彼女はお坊様です」
 社殿に上がる階段に座し、座禅を取っていた白蓮が静かに立ち上がる。
「……お坊様?
 ――ああ! そういえば、人里で、最近話題の?」
「ええ、そう。
 初めまして」
「ごきげんよう。
 ずいぶん、乱暴な、そして無礼なご来訪のようですね」
「そう言われると返す言葉がございません」
「私の名前は聖白蓮と申します。
 先日は、ずいぶん、ご丁寧なご挨拶を、あなた達のお仲間に頂きました」
 言葉一つ一つにとげがある。
 それを疾風は軽く受流し、「疾風といいます」と彼女に頭を下げた。
「こちらは、わたしの姉の迅雷です。
 このたびは、天魔さまの命に従い、博麗の巫女を少々お借りしたく」
「なりません」
「そもそも彼女の姿がどこにもありませんね」
 結界につぐ結界という厳重な守りと、その護衛とも言うべき聖白蓮の存在から、社殿か母屋、どちらかに目的の人物はいると疾風は判断したようだ。
 足を一歩、前に進めようとする彼女に対して、白蓮が歩み寄る。
「この地は禁足地。土欲で足を踏み入れていい場所ではありません」
「我々としても、あまり事を大きくするつもりはありません。
 あの巫女がいればそれでいい」
「なりません」
「なぜ?」
「己の欲望ゆえに人を傷つけ、翻弄する不埒なものに対して、いかほどの会話の余地がありましょう」
 疾風の瞳が細くなる。
 真っ向からこちらをにらみつけてくる白蓮――人間の態度に、少し、いらっときたのか。
「残念です。
 徳の高いお坊様であれば、会話の余地があると信じていたのですが」
 放つ皮肉にも、白蓮は動じない。
 さらに一歩、前に進むと、彼女はその場に仁王立ちで立ちはだかる。
「立ち去りなさい」
「出来ません」
「傲岸不遜の痴れ者よ。いかな慈悲深い仏とはいえ、限度がある」
「邪魔をするならば排除する」
 疾風が地面を蹴って、一気に加速し、白蓮の懐に飛び込んだ。
 彼女の鋭い拳が、白蓮のこめかみめがけて放たれる。
 通常の人間なら反応する間もなくなぎ倒されるそれに、しかし、白蓮は対応してみせた。
 相手の拳を左手で軽く払い、右手を前に突き出す。
 疾風が驚いたような表情を浮かべ、その攻撃をガードした瞬間、大きく空いている左のわき腹へと蹴りを叩き込む。
「くっ……!」
「相手が人間だと思って侮るな」
 白蓮の言葉に、疾風は風扇を抜いた。
 にらみ合う二人。
「ん~……。あのかわいい子、いないな~……」
 その間、場違いな空気を醸し出しながら、『お気に入りのあの子』をきょろきょろと探していた迅雷は、『ま、いいか』とうなずいた。
「疾風ちゃん、その人、強い?」
「かなり。
 天狗の中でも上位に属するほど強いですね」
「そうなんだ~」
 ふらふらと、頼りない動作で前に出てくる迅雷。
 彼女は白蓮へと近づき、
「強いんだ?」
 その言葉の後、白蓮は慌てて、左手で相手の攻撃をガードした。
 目に見えるか見えないかくらいのぎりぎりの速さ。
 もはや残像すら残らないほどの速度で放たれた攻撃をガードした白蓮に、迅雷は目を丸くする。
「すごーい……。すごい、すごい、この人!
 疾風ちゃん、この人、わたしの攻撃を受け止めたよ!」
「ち、ちょっと待ってください、迅雷姉さん。あまり……!」
「あなた、すごく強いねぇ!」
 いきなり声の気配と雰囲気ががらりと変わった。
 それまでのおっとりとした、どこか間の抜けた気配はもうどこにもなく、目を爛々と輝かせ、口元を愉悦の形にねじれさせた迅雷が白蓮へと襲い掛かる。
「強い、強い! わたし、かわいい子と強い人はだぁい好きだよぉ!」
「……ああ、もう。キレちゃった……」
 彼女の豹変に、疾風は大きなため息をつき、上空で様子を伺っていた天狗たちは恐れ戦いた表情を浮かべている。
「はっ!」
 鋭い呼気と共に白蓮の放つ膝蹴りが、迅雷のみぞおちを捉えた。
 大きく折れ曲がる彼女の体。
 しかし、迅雷の表情は全く変わらず、不気味な笑い声を上げながら、白蓮の頭をわしづかみにすると、そのまま彼女を社殿へと投げつける。
「こんな強い人間がいたんだぁ!? わたし、知らなかったなぁ!」
「……何者……!」
 砕けた社殿の破片を手でよけながら、白蓮が立ち上がる。
「迅雷姉さんは、昔っから、ひっどい戦闘狂なのよ」
 普段があんなだから誰も信じてくれないけど、と疾風が言う。
「一回、キレると後が大変なの。
 あなたのせいだからね」
 相手が倒れて動かなくなるか、誰から見ても『死んだ』と思われるくらい、粉々にならない限り、迅雷は戦いをやめようとしないのだという。
 だから、普段は、よっぽどのことがない限りは疾風が『余計なことしなくていいから、迅雷姉さんは何もしないで見ていて』と言い含めるのだ。そうでもしなければ、この戦闘狂は天狗の品位を穢す殺戮マシーンとして大暴れするのだから。
「早めに倒れたほうが身のためよ」
 とはいえ、白蓮ほどの相手が相手ならば、迅雷の戦いっぷりも、また好都合。
 痛みを与えても堪えず、それこそ腕や足が一本二本もげた程度では戦いをやめない彼女なら、白蓮を押さえ込むことが可能となる。
「……なるほど」
 さすがの白蓮とはいえ、この天狗姉妹を二人同時に相手するのは厄介だ。
 この二人、かなり強い。
 最初は軽くあしらったとはいえ、疾風も、あの時点では白蓮の実力を侮っていた。
 だが、今は、その目の輝き方が違う。
 この二人が本気で襲い掛かってくれば苦戦は免れない。
「とはいえ、私のお役目は、ここであなた達を含めた全ての相手を足止めすること」
 足を引くつもりはなく、また、臆するつもりもない。
 構えを取る白蓮。
 まず最初に嬌声を上げて襲い掛かってくる迅雷の攻撃をいなし、続いて、その後ろから援護の攻撃を放ってくる疾風を見る。
「ちょこまかと!」
 迅雷の攻撃が白蓮の背後から迫る。
 白蓮は身を低くして、その攻撃をよけると、相手の足を払った。
 迅雷の体が宙を舞う。
 その相手のみぞおちを拳で打ち抜くと、そのまま、彼女の体を疾風からの攻撃の盾に使う。
「迅雷姉さん、大丈夫!?」
 背中に、疾風の放った風の直撃を受けながらも、迅雷はげらげらと笑い声を上げていた。
 白蓮の腕を思いっきり掴むと、その骨がきしむほどの握力で締め付ける。
「くっ……!」
 その苦痛に、一瞬、白蓮の顔が歪んだ瞬間、彼女の頭を迅雷の蹴りが薙ぎ払う。
「そんなものじゃないよねぇ!?」
 迅雷の拳を受け止め、それを払う。
 相手はその勢いを利用して体を反転させると、裏拳で白蓮を攻撃しようとする。
 すかさず、白蓮の右手が、迅雷の左腕の肘を殴りつける。
 その一撃のダメージに、迅雷の顔がわずかに歪んだ。
 即座に追撃を放とうとする白蓮だが、目の前を覆う風の嵐に足を止め、両手で体全体をガードする。
 疾風が風扇を振るい、生まれる旋風で白蓮を足止めする。
 そして、彼女の足を狙って放つ真空の鎌鼬が彼女の右の太ももを深く切り裂いた。
 傷が生まれ、血が流れてくるまでのわずかな瞬間。白蓮はその右足を前方に大きく踏み込み、体勢を立て直しかけていた迅雷のみぞおちを拳で打ち抜く。
「頑丈な人間ね!」
 吹っ飛んでくる姉の体を受け止めた疾風は、姉をその場に残して、二度、風扇を振るった。
 左右から巻き起こる風が合わさり、小さな竜巻となって白蓮を襲う。
 その風に飲み込まれ、縦横無尽に乱舞する真空に体を切り裂かれながらも、白蓮は前を見据えている。
 完全に体勢を立て直した迅雷が突撃してくる。
 彼女は竜巻の壁を爪で切り裂き、左手で白蓮を殴りつけようとする。
「甘い!」
 その攻撃を白蓮は受流し、がら空きになった彼女のわき腹に肩から当身を入れる。
 疾風がさらに攻撃を放とうとしたところで、白蓮の左の掌が光った。
 そこから放たれる弾丸が、防御を忘れていた疾風の胴体を貫く。
「ぐっ……!」
 だが、そこでめげないのが天狗。
 疾風は無理やり風扇を振るい、一発の、巨大な風の刃を作って白蓮に放つ。
「はっ!」
 あろうことか、白蓮はそれを白刃取りの要領で受け止めた。
 生まれるわずかな間隙を縫って横へ飛び、その攻撃を回避する。
 地面を転がり、立ち上がる。
「……っ!」
 右足の痛みに彼女は顔をしかめ、わずかに姿勢を崩す。
 そこへ、雄たけびを上げながら突っ込んできた迅雷のタックルをもろに食らい、吹き飛ばされる。
「捕まえたぁ!」
 マウントを取り、白蓮を殴りつける迅雷。
 何発か、攻撃をガードしながらも、さすがに自由の利かない体では攻撃を全て抑えることは出来ない。
 振り下ろす一撃を、白蓮は己の額で受け止める。
「へぇ……!」
 彼女の頭蓋骨と共に、迅雷の指の骨がめきめきと悲鳴を上げた。
 そのままにらみ合う二人。
 瞬間、白蓮は体を丸めると、両足を相手の両腕の下から通し、そのまま相手を地面に叩きつける。
「はぃぃぃぃぃやっ!」
 紅魔館の門番が使う震脚を真似た踏み付けを相手の胸元に見舞ってから、視線を前に。
 疾風が風扇を構えて、何やら術を展開しようとしている。
 そちらに向かって、白蓮は走る。
「遅い!」
 疾風が扇を振り下ろすと、巨大な風の流れが生まれ、白蓮を飲み込んだ。
 前方から叩きつけられる滝のような勢いにはさすがに抗えず、白蓮の足が止まる。
「動けぬままに倒れろ!」
 その風の流れに乗せて、不可視の風の弾丸や刃が放たれ、白蓮の体を直撃する。
「そんなつまらない攻撃で、こいつを倒したりしないでよねぇ!」
 起き上がった迅雷が、上空から、白蓮の頭を掴んで引っ張り上げる。
 風の流れから無理やり外に引きずり出された白蓮。迅雷は彼女の体を軽々振り回した後、壊れかけている神社の社殿めがけて叩きつけた。
 衝撃で、完全に社殿の屋根が崩壊する。
「おもちゃは壊れるまで遊ぶから楽しいのさぁ!」
 嗤いながら白蓮へと追撃を仕掛ける迅雷。
 白蓮は社殿の中で、すでに立ち上がっている。
 全身を傷だらけにしながら、なお、闘志を失わないその瞳に狂喜し、迅雷が彼女に拳を突き立てる。
「愚かで哀れな戦の狂鳥よ。その行い、誠に大逆無道!」
 相手の拳を受け、その流れを殺さぬまま、己の勢いへと変換し、白蓮の一撃が迅雷に突き刺さる。
「己が行いに因果応報の罰を受けるがいい!
 南無三っ!」
 轟音が響き渡り、すさまじい勢いで迅雷の体が吹っ飛ばされた。
「……ちっ!」
 疾風がすかさず、迅雷と入れ替わりに白蓮へと向かう。
 彼女の風扇が閃き、鋭い風が旋風となり、物理的な衝撃へと変換されて白蓮へと叩きつけられる。
 白蓮はその勢いに逆らわず、地面に向かって体を伏せた。
 その間にわずかに体を半身にして風の勢いを流すと共にその風を拾い上げるように体を回転させていく。
「しまっ……!」
 必要以上に白蓮に接近してしまった疾風のわき腹を、白蓮の拳が貫く。
 彼女は吹き飛び、地面に激突し、沈黙する。
 だが、白蓮は動きを止めることなく、視線を前に戻す。
 すぐそこに迅雷が迫っていた。鬼気迫る形相の彼女は獣の叫びを上げ、白蓮を組み伏せ、食いちぎろうとする。
 しかし、先の一撃のダメージは予想以上に大きかったのか、もうそこに先ほどまでの勢いと迫力はない。
 慌てず騒がず、白蓮は拳を固めると、思いっきり、迅雷の頭を拳骨の要領で殴りつけた。
 迅雷は勢いそのままに地面に倒れていく。
「……妹がいじめられた時、何も出来ないお姉ちゃんって、かっこ悪いわね」
 そう、優しく、愛情に満ちた言葉を口にすると、白蓮の腹に一撃を食らわせた。
 疾風の残した風の残りを拾い上げ、渾身の力をこめて、抉るように放たれたその攻撃はさすがの白蓮にすら膝をつかせるほどの威力だった。
「……はぁ……はぁ……!」
 疾風と迅雷の姉妹を倒し、白蓮は苦痛の表情と満身創痍の体を奮い立たせて、両足を地面につけて天をにらむ。
「誰一人、この場に足を下ろすことは許しません!
 さあ、天狗たちよ! この先へ進みたくば、まず、我を倒してみせるがいい!」
 未だ萎えることのない闘志と、すさまじいまでの迫力に、上空の天狗たちが思わず目を見開く。

「鈴仙さん! その人たちを抑えて!」
「無理!」
 守りを突破され、天狗たちの侵入を止められない二人。
 焦りは募り、互いにかける言葉にもとげが出る。
「我々の勝ちです!」
「まだ!」
 椛の振るう刃を弾き返そうとして、妖夢が前に出る。
 すかさず、そこに矢が飛んでくる。
 針の穴を通すような正確さで放たれる一撃故、見切るのはそう難しくない。
 だが、その鋭さと勢いと、何より手数は侮れない。
「妖夢ちゃん、下がって!」
 鈴仙がその矢を横から片っ端から撃ち落とす。
 妖夢が何とか椛から距離をとったところで、その頭上を、鋭い薙刀の一撃が掠めていく。
「椛ちゃんには、指一本、触れさせないわよ~」
 少し、気の抜けるおっとりとした宣言だが、その刃の鋭さは、椛の振るうそれとは比較にならない。
 妖夢はこの女――竜胆というらしい――を相手に、完全に防戦一方だ。
 そこに椛がちょっかいを出しに来るのだから、二人を同時にさばくだけで手一杯。全く反撃に移れないでいる。
「いい加減に邪魔なんだよ!」
 鈴仙が銃撃で矢を撃ち落とし、右手から放つ弾丸は炸裂して、椛を後ろに下がらせる。
 だが、竜胆はというと、その攻撃の爆発半径を見切って、その被害を受けない外側までしか移動しない。そのため、時間稼ぎもほとんど出来ず、妖夢に対する猛攻が止まらない。
「戦いでは冷静さを失ったほうが負ける。
 いい加減、負けを認めたらどうかしら?」
 矢を放つ女――こちらは茜といったか――の、つんけんとした口調にいらつくものは覚えるものの、相手の言うことは正しい。
 とにかく、熱くなる戦場では、少なくとも場の確認と認識、それに基づく指揮をするものは冷静で居続けなければならない。
 鈴仙は妖夢と違って、状況を把握して、彼女をコントロールする必要があるのだ。
「言われなくてもそうするさ!」
 幸い、この茜というのは、椛や竜胆のような身のこなしは持っていない。
 後ろからの支援、そして戦場の指揮をメインとするのだろう。
 鈴仙の反撃を受けると、攻撃を確実によけられる位置まで下がり、そこから反撃を放つだけで前には出てこない。
 潰しづらいが、面倒で厄介なだけで、確実な大きな脅威と言うわけでもない。
 やはり、脅威の対象は、あの竜胆とかいう女の方だ。
「妖夢ちゃん、下がって!」
 竜胆に向かって銃弾を三発。
 相手が動いてそれを回避したところで、よけるタイミングを潰す形で、炸裂する弾丸を放つ。
 すると――、
「はっ!」
 その薙刀を一閃して、飛んでくる弾丸を切り払うのだ、この女は。
 おかげで、本来、当たるはずの攻撃が当たらない。
 椛の場合は手にした盾で受け止めるだろう。そのため、ある程度のダメージは通せるはずなのだが、この竜胆にはそれが通じないのだ。
「めんどいし、手ごわいね!」
 そうこうしている間にも、防衛の隙間から、敵がどんどんと内部へと入っていく。
 それらを撃墜しようとしても、茜の矢がそれを妨害し、竜胆と椛の波状攻撃が二人をその場に押し留める。
「やっぱり、お互い、もっと強くならないとダメか!」
 鈴仙は叫ぶと、己の武器である魔眼を使う。
 しかし、すでに種明かしされた術にはまるものはほとんどおらず、『やるだけ無駄』になりつつあるのも事実だ。
「このっ……!」
「残念。手元がお留守よ」
 妖夢がさらに刃を一閃しようとして剣の柄を握りなおした瞬間、竜胆の手にした薙刀の石突が、彼女の手首を叩いた。
 衝撃で一瞬力が抜け、彼女は剣を取り落とす。
 そこへ、椛が妖夢の頭上から斬りかかる。
「くっ……!」
 左手の剣だけでそれを受け止める妖夢。
 歯を食いしばる彼女は、物理的な腕力の差に押されていく。
「妖夢ちゃんをいじめる人は、私が許さないよ!」
 茜の矢の間を縫って飛び、妖夢の元に駆けつけた鈴仙が、横から椛の顔面めがけて蹴りを放った。
 それを椛は左腕の盾で受け止める。
 鉄板を思いっきり蹴りつける痛みに顔をしかめながらも、鈴仙は体の勢いを殺さず、飛び上がる。
「!?」
 全身を回転させながらの左足。
 その踵が、盾の向こうにある椛の頭を直撃する。
「椛ちゃんをいじめないように!」
 竜胆が前に出てくる。
 しかし、鈴仙は恐れずに相手の懐に飛び込み、薙刀の武器の一つであるリーチを殺す。
 だが、竜胆はまるで慌てない。
 彼女は薙刀を、あろうことか自分の頭上に投げ捨てると、鈴仙を素手で迎え撃った。
 鈴仙の拳を受け止め、ガードし、払いのけ、相手の胸に突きを入れてくる。
「うぐっ……!」 
 衝撃に一瞬、息を詰まらせ、体を折る鈴仙の顎を竜胆の蹴りが狙う。
 ぎりぎりで頭を動かしてそれをよけ、続く相手の踵落としを右腕と右肩を使って受け止め、そのまま相手の足をホールドする。
「せいっ!」
 振り下ろした手で相手の膝の皿を一撃。
 そのまま全体重をかけて相手の足をへし折ろうとするのだが、あろうことか、竜胆は自由の利かないその体をひねると、左足のソバットを鈴仙に叩き込んできた。
 さすがに威力そのものはほとんどないが、勢いで、鈴仙の体がわずかに横に流される。
「竜胆、さすが」
 そこへ茜の放つ矢が命中し、鈴仙の左の太ももと左肩を貫く。
 激痛に呻き、鈴仙の体から力が抜ける。
 竜胆の手元に、頭上に投げた薙刀が戻ってきた。
 彼女は鈴仙に掴まれていた足を引き戻すと、手にした薙刀の柄で彼女の右のわき腹を一撃する。
「鈴仙さん!」
 とどめの一撃が放たれる、まさにその瞬間、妖夢が鈴仙と竜胆の間に割ってはいる。
 迫る石突の一撃を、彼女は左手の剣の刃で受け止める。
 止まっていたのは一瞬。妖夢が少しだけ刃の角度をずらして、竜胆の勢いを受流す。
「残念、もう少し考えた方がよかったわ」
 だが、それで二人の距離が縮まり、竜胆の膝蹴りが妖夢のみぞおちを貫く結果となる。
 一時的にだが、妖夢が完全に意識を失い、その全身から力が抜ける。
 鈴仙は何とか妖夢の手を掴むと、彼女を自分の元に引き寄せ、破れかぶれの反撃を放とうとする。
「もう少し頑張らないと。
 大物に仕える従者として、情けないわよ」
 そこに第三者の声が響いた。
 竜胆と椛、そして茜へと飛んでくるナイフ。
 突然、眼前に現れたそれに驚いて、椛は盾でナイフを受け止め、茜はぎりぎりでそれを回避し、竜胆は左手でナイフ自体を受け止める。
「十六夜咲夜……!」
「後ろの子達は、私よりも、ずっとキャリアの長い先輩に任せてきたの」
 呻く鈴仙。妖夢も気を取り戻したのか、頭を何度も左右に振っている。
「ほら、妖夢。あなたの剣。拾っておいたわ」
「ありがとう……ございます……」
「何だか美人さんがやってきたわね」
「ごきげんよう。
 そして、初めまして」
 竜胆は手にしたナイフを宙へと投げ捨てる。
 咲夜はたっぷりと嫌味に、慇懃無礼に、彼女に向かって頭を下げる。
「茜姉さん、竜胆姉さん。油断しないでください」
「椛に言われなくても、油断なんてしないわ。
 彼女、紅魔館の人でしょう? 上の人たちが、『天狗とまともに戦って、唯一、互角以上に渡り合う連中』と評していたし」
「大変好意的な評価。感謝いたします」
 その会話の間に、鈴仙は痛み止めの薬を自分に注射する。
 一瞬、意識が朦朧とするが、歯を食いしばってそれに耐えると、妖夢に「はいこれ」と丸薬を渡した。
 自分が使うものよりも効果は落ち、遅効性ではあるものの、痛みを抑えてダメージを回復させる薬だ。
「大丈夫です。私も……」
「だーめ! 君みたいな、成長途中の子供には使えないの!」
「……えっと」
 なぜか眼を三角にして、腰に手を当てて『めっ!』と叱りつけてくる鈴仙に、妖夢は複雑な表情を浮かべる。
 そのまま、視線はなぜか椛へ。
 目が合うと、二人そろって、何となくうなずいてしまう。
 同じ立場のもの同士、感じるものは同じなのだろう。
「え~っ!?」
 そこで、意識は現実に引き戻される。
 今の声を出した人物――竜胆に、全員の視線が集まっている。
「紅魔館の!? あのメイドさん!?
 うわぁ~! 本当に!?」
「え、ええ。そうですけれど……」
「あそこのお菓子とお料理、すっご~く、美味しいのよねぇ!
 わたし、紅魔館のファンなんですよぉ!」
「あ、ありがとうございます……」
「……竜胆、椛よりも食い意地張ってるからね」
 曰く、『一杯体を動かすためには、一杯ご飯を食べなきゃ!』というのが竜胆の信条であるとか。
 美味しいご飯には目のない彼女。幻想郷で初めて『洋食』を提供した紅魔館を訪れた際、その美味しさにすっかりと魅了され、今では紅魔館の常連さんとなっているとのことだった。
「あの、わたし、お料理もするんですけれど!
 今度、是非、お料理のこつを教えてくれませんか!?」
「そ、それは、ええ……是非。
 ああ、えっと……次のお料理のセミナーが……」
「あ、わたし、その日、空いています!」
「でしたら、予約を入れておきますので」
「ありがとうございます!」
 ……何とも平和な空間である。
 この状況、そして、先ほどまでの緊迫した空気などどこへやら。
 竜胆は咲夜の手を握ってぶんぶん上下に振り回し、咲夜は『熱狂的なお客様』の登場に、ちょっと気をよくしているのか、口元が笑っている。
 咲夜がメモを取り終わったところで、『それまでの時間は終わり』と両者は左右に離れる。
「……この切り替えの早さにはついていけないな」
「……奇遇ですね、鈴仙さん」
「……あなた達、意外と気が合うわね」
「……ははは」
 それ以外の四人は、ちょっぴり頭痛が痛いのか、微妙な笑みを浮かべている。
 ――ともあれ。
「まぁ、そんなことで。
 ここに居る人たちを、可能な限り、この場に留めておくのでしょ?
 なら、倒す必要はないわね」
 咲夜が後ろに下がり、軽く指を鳴らした。
 すると、天狗たちの周囲にナイフが現れ、彼らに向かって飛んでいく。
 慌ててよけるもの、よけられずに直撃を受けるものなど、その結果は様々だ。
「長引かせて足止め出来ていれば、あなた達は、充分、仕事をしたことになる――そうじゃない?」
 鈴仙と妖夢は顔を見合わせる。
 そういえば、という顔でお互いうなずくと、そろって手を打った。
 そう。何も、彼女たちは彼らを、彼女らを倒す必要はないのだ。
 神社に下ろさなければいいのである。
 可能な限り、この場で足止めをして、いずれある『霊夢と天魔の戦い』をサポートすればいいのだ。
 力及ばずでも、倒れなければいいのだ。
「よし!」
 妖夢が気を取り直した。
 剣を構えなおして、椛に向かっていく。
「咲夜さんは、あの人、お願いできますか」
「あら、どうして?」
「多分、一番、強いんです!」
 鈴仙は茜と椛、そして竜胆へと攻撃を放ちながら後ろへ下がっていく。
 そして、可能な限り、神社の全景を捉えられる位置にまで下がった彼女は、神社に降下しようとする天狗たちにも攻撃を放つ。
 彼らはそれをよけて神社へと下りていく。中には鈴仙と、星の攻撃をよけきれずに食らって撃墜されるものもいる。
 だが、神社に降り立った天狗は、すかさず、白蓮が撃退している。
 ――今のところ、戦況は一進一退。それまで鈴仙たちが感じていた劣勢は、そこにはない。
「盛り返してきましたね」
 椛がつぶやいた。
 気の持ちよう一つで、人の戦いと言うのは変わるものだ。
 押されていると感じていた妖夢たちには、今、垣間見える余裕と言うものがなかった。
 そこに付け入る隙があったのだが、今の彼女たちにはそれがなく、なかなか攻めづらく戦いづらい。
「逆に追い詰められているのはこちらか……」
 ひたすら戦いを長引かせればそれでいい妖夢たちとは違って、椛たちの最終目的は彼女たちを倒し、天魔が神社へと降り立つ際の補助をすることである。
 天魔の邪魔となるものを、全て排除するのが使命だ。
 それが出来ないということは、劣勢に追いやられているのはこちらということになる。
「あなた、強いのね」
「それほどでも」
 直接的な戦闘力では、咲夜は竜胆に及ばない。
 しかし、彼女のトリッキーな戦い方は、それに慣れていない竜胆を翻弄している。
 少なくとも、数分や十数分で、竜胆がそれを克服できない程度の手品を披露する咲夜は、やはり驚異的だ。
「茜姉さん!」
 椛の言葉を受けて、茜が一同めがけて矢を放つ。
 飛んでくるそれを妖夢が切り払い、鈴仙が撃墜し、咲夜は軽々とよけてみせる。
「……ダメね。やはり、あまり正直な狙いでは当たらない」
 茜がぼやく。
 自分の弓の腕前には絶対の自信を持っている彼女であるが、それは相手とて同じこと。皆、自分の実力には自信を持っているからこそ、この場で戦いに臨んでいる。
 そうなると、最終的な結末を招くのは、それぞれの地力がどこまで相手を勝るかだ。
 茜の視線が戦場を見据える。
 自分たちと戦っている相手――妖夢、鈴仙、咲夜。それぞれの実力はかなりのもの。まともにぶつかれば、勝ち目がないとは言わないが苦戦する。現状がそうだ。
 上空から降り注ぐ援護射撃も厄介極まりない。こうして黙っている間も、その場に少しでも留まることが許されない。
 あれを一発食らえば終わる。かなりの緊張感をもって戦場にいることが強制される。
 ――相手は盛り返してきた。戦闘の流れ自体はあまり変わっていないのだが、こちらの精神的余裕が少しずつ削られ、代わりに向こうの勢いが乗ってきている。
「まずいな」
 結論はそれだった。
 彼女は弓を引き絞って矢を放つ。
 飛んでいったそれは、ちょうど後ろを向いた妖夢に向かうのだが、それを横から鈴仙が撃墜する。
 自分の援護射撃のほとんどを止めてくるあの女。うっとうしいにも程がある。
「だけど、それが普通か」
 直接、前線で戦うもの達が思いっきり戦えるように努めるのが後ろにいる自分たちの役目。あの女は、ただ、自分と同じ事をしているに過ぎない。そして、自分の行いが、他人の邪魔をしているという自覚があるのだから、あの女を鬱陶しいと思うことに何の不思議があるだろうか。
「妖夢ちゃん、後ろに! 咲夜さんは少し前!」
 仲間を指示して動かして、空いた空間や、こちらのわずかな動作の隙間に攻撃をねじ込んでくる。
「あれを倒したいけど……」
 椛や竜胆に、自分に向かってかかってきている相手を相手しながら、鈴仙と戦う余裕はない。
 やるとするなら自分がやるしかないのだが、彼女の矢では、鈴仙を倒すことは出来ない。
「どこかで偶然があればいいんだけど……」
 周囲の天狗たちは、まず、神社の境内に降りることを目的としている。
 境内にいる、あのやたら強い人間を倒すのが必要だからだ。
 しかし、あの人間は強い。自分たち、白狼天狗の上司連中である鴉天狗の中でもかなり上に位置する実力を持った、二人の鴉天狗を倒してしまった。境内に降りる天狗たちは片っ端から迎撃されており、中には足がすくみでもしたのか、境内に下りることをためらうもの達もいる。
 彼らの援護を受けたいところなのだが、それも上空から降り注ぐ援護射撃と、鈴仙が的確な攻撃で邪魔しているため、かなわない。
「孤軍奮闘に近くなっているのは、やはりこちらか」
 後ろをちらりと見れば、自分たちを率いてきた白狼天狗の隊長は、『お前らもさっさと手を引け』という感じで遠くに下がっているのが見える。
 ついでに言えば、宴会に使う樽酒を確保したのか、その脇に寄りかかってあくびまでしている始末だ。
 はぁ、とため息をつく。
「だからといって、ここで下がっては任務放棄とみなされる可能性もある。
 上の連中はそういうところがうるさいから。
 普段は何もしようとしないくせに」
 上司に対する愚痴を吐いてから、彼女は構えた矢を妖夢たちに向けて、それぞれ三発ずつ連射した。
 矢は風の抵抗を受けてその弾道を曲げ、曲射の軌跡をたどって、相手へと向かっていく。
「あなたのところの弓使い、大した腕前ね。あなたもそうだし。
 どうかしら。紅魔館に入らない? 今、とても人材不足で困っているのよ」
 飛んでくる矢の大半は鈴仙が撃墜した。
 落とせない分を、咲夜は蹴りで弾くと、自分に向かってくる竜胆を見る。
「そのお誘い、とても魅力的だし、むしろ積極的に履歴書出したいくらいなんですけれど。
 そういうわけにもいかないんです」
 相手の口調は実にのんびりとしている。
 それでいて、その振るう刃の速度と勢いは全く変わらない。
 ちょっとでも気を抜けば一発を食らってしまう、その鋭さに、咲夜の口元にも笑みが浮かぶ。
「仕事熱心と言うのはいいことだわ。
 うちの子たちも、ちゃんと教育しているのに、すぐサボろうとする子達がいるの。妖精って困るわね」
「だけど、かわいいですよね~。ちっちゃくってぷにぷにしてて。
 うちの椛ちゃんと一緒、一緒」
 にこにこと笑って、見切るのが困難なほどの一撃を放ってくる。
 咲夜はその斬撃を体を半身に構えて回避し、すぐさま、放たれる下からの切り上げを上体を反らしてよける。
 そして、相手の攻撃がさらに続くよりも早くその内側に接近して蹴りを放つ。
 竜胆は手にした薙刀の柄を回転させ、下から咲夜の足を打ち上げる。まっすぐ、相手を狙って放った彼女の蹴りはそれで軌道をずらされ、竜胆の顔のすぐ真横を通り過ぎていく。
「まだまだ」
 即座に打ち込まれる左の拳。
 咲夜は顔をしかめながらもそれを受け止め、左足を引き戻すと、相手の手を右腕で掴んだまま、左に構えたナイフで接近戦を仕掛ける。
「あなた、本当にいい身のこなしね」
 これほどの接近戦にも拘わらず、竜胆は流れるような動きでひょいひょいと咲夜の攻撃をよけてしまう。
 相手の目はこちらをまっすぐに見つめ、わずかな視線の動かし方、筋肉への力の入れ方すらも見切って攻撃を回避してくるのだ。
「それが出来ないと、白狼天狗、やってられませんから」
 そして、咲夜が腕を引いた一瞬を見逃さず、体を前に出してくる。
 咲夜は相手の左腕から右手を離して距離をとろうとする。
 二人の距離はほとんど変わらず――むしろ、踏み込みの速度で上回る竜胆の方が咲夜へと接近する形となる。
「捉えた」
 逃げ切れない咲夜の喉元を狙って、竜胆が拳を伸ばしてくる。
 その一撃を受ければ、よくて致命傷、悪ければ本当に死んでしまう。
 狙いは正確、そして一撃の威力は必殺。
 まっすぐに伸びてくるそれが、ゆっくりと、こちらに迫ってくる。瞳がそれを映像ではなく、ただの情報として頭の中へと送り込んでくる。
「遅いわ」
 故に、咲夜の動きも速い。
 本当にわずかに体を反らす程度でそれをよけると、勢いをつけて体の上下を反転させる。
 反撃に放たれる下から上への蹴り上げを、竜胆は体の勢いを緩めて回避する。
「っ!」
 その目の前で、いきなり、爆発の炎が花開く。
 咲夜は体をかがめているものの、その熱風に体を炙られる。
「いいところに撃ってくる」
 鈴仙の狙撃だ。
 咲夜はその視線を上に向ける。竜胆が鈴仙の攻撃に煽られて、両手で顔の前を覆っている。
 咲夜は体勢を立て直すと、相手の膝頭に蹴りを入れた。
 竜胆がわずかに姿勢を崩し、視線だけで咲夜を見る。その彼女の腹を蹴りつけて、咲夜は一旦、竜胆から距離をとる。
「そろそろお互い、長い戦いは終わりにしませんか」
 妖夢の刃が閃き、椛を後ろに下がらせる。
 椛は視線を竜胆に向け、彼女のサポートのために飛ぼうとする。
 その眼前を、妖夢の剣が薙ぎ払い、その足を止める。
「邪魔をしないでください!」
「そっちこそ!」
 両者が刃を合わせて体を入れ替え、椛が竜胆へ、妖夢が咲夜へ向かい、彼女たちのすぐそばで、再び刃を合わせる。
「いい動きね」
 咲夜のナイフが椛めがけて放たれる。
 椛は手にした盾でそれを弾き、竜胆に近づこうとする咲夜を遠ざけようと、刃を一閃する。
 咲夜は身をかがめてそれをよけ、後ろに下がる。
 妖夢が連続で剣を振るい、椛を下がらせる。
「はい、そこ」
 その椛の背後に、いきなり、咲夜のナイフが現れる。
 振り返ることも出来ず、ナイフの直撃を受けた椛は、痛みに呻いて顔をしかめる。
「攻撃と言うのは、相手を包囲するように放つものだわ」
 直線的な攻撃など、スピードに優れた天狗には絶対と言っていいほど当たらない。
 何か当たるように策をめぐらせるのが、天狗とまともに戦う手段なのだ。
「椛ちゃん!」
 竜胆が椛の助けに入ろうとする。
 その彼女へ、鈴仙が攻撃を放ち、足を止めさせる。
 茜が椛の周囲に矢を降り注がせ、妖夢を後ろに下がらせて、
「確かにその通り」
 椛と竜胆を包囲するように放たれていた、咲夜のナイフを全て撃墜する。
「連携は大したことはないけれど、それを一人ひとりのポテンシャルで補うというのは、あなた達、人間の戦い方とは違うわね」
「そうね。私の住んでいるところに、人間なんて一人しかいないし」
 その子達は違うけど、と妖夢と鈴仙を視線で示して、咲夜。
「そういう戦い方をされると厄介なのよね」
 茜が矢を放つ。
 引き絞って放たれるその一撃は鋭く、速い。
 咲夜はわずかに体を動かして、その攻撃をよける。
「そんなもの、いくら速くても当たらない」
「そうかもね」
 茜がさらに矢を放った。
 二本の矢が咲夜めがけて飛んでくる。
 それを、先ほどと同じようによけようとする咲夜だが、横から鈴仙が「しゃがめ!」と叫び、咲夜に飛んでくる矢を迎撃する。
「え? な、何?」
「矢の矢羽のところに鋭い鋼線を張って、不用意によけた相手に手痛い一発を食らわす――よくある小手先の技ですよ」
「さすがに、お互い、獣の変化。目がいいわね」
 鈴仙が撃墜した矢の後ろの部分が、わずかにきらきらと光っている。
 目で見ることなど出来ないそのトラップに、咲夜が小さく息を呑む。
「お互い、まだまだ負けてない」
 一同は周囲を見る。
 状況は、未だ、変わらない。
 椛と竜胆は戦う気満々。天狗たちも、彼女たちを無視して、何とか境内に降り立とうとする。
 状況は、何も変わらない。
 言うなれば、うまいこと、鈴仙たちの思惑通りに事態は動いていると取ることも出来る。
「撤退指示はまだ出ていません」
 椛が刃の先端を彼女たちに向けた。
「……全く。
 仕事熱心な子は嫌いじゃないけれど、少しくらいいい加減にならないものかしら」
「……それを咲夜さんが言うというのも」
「私、適度に息抜きするわよ。
 紅魔館では、労働時間は8時間厳守だもの」
 何となくずれた回答をしてくれる昨夜に、鈴仙が何ともいえない笑みを浮かべた。
「妖夢ちゃん、何とかなりそう?」
「まだ頑張れます」
「よし、いいこいいこ。あとであめちゃんあげるからね」
「……一応、もらっておきます」
 三人を囲む状況は変わらない。
 変わらないまま、どれほどの間、長持ちさせることが出来るか。
 それも今のところ、わからない。


 ―七幕―


「いやぁ、すごいですね~。派手で騒いで、胸躍る! こんな素晴らしいシーンに遭遇できるなんて、私の日頃の行いがよかったんですね~」
「なぁぁぁぁぁぁに、寝言いってるのよっ」
「あいたぁ~!」
 すぱぁーんっ、という景気のいい音が響き渡る。
 博麗神社一帯を眺望できる大きな木の上でひたすらカメラのシャッターきりまくっていた文が、後頭部を押さえて悲鳴を上げる。
「な、な、な、何をするんですか、はたてさ~ん!」
「やかましいっ」
 さらにもう一発。
 ぶぎゅ、という悲鳴を上げて沈黙した文は、きっかり3秒が経過すると復活する。
「あんた、こんなところで何やってんのよ」
「不運にも攻撃を仕掛けようとして不意打ちを食らったので撃墜されました」
「ほほう?」
「あ、いや、その……。
 そ、それより、はたてさんこそ」
 目を細くして腕組みするはたての視線に、冷や汗流して文はそっぽ向きながら話題を摩り替える。
 はたては、「やっぱりあんたがいないから探していたのよ」と、反論など許されない一言を放ってくる。
「わたしは今回の一件、関わるつもりなんてゼロよ。
 だから、あの結界を突破したところで後ろに下がってた。
 だけど、あんたがどこにもいない。近くの人に話をして、探しに来た。
 で? あんたは?」
「うぐ……。いや、その……」
「今はあっち側、紅魔館の連中が大暴れしているわ。天魔は大喜びして見ているけれど、結構、一進一退というか。
 やたら強い妖精がいて、そいつらにばっさばっさやられていってる」
「へぇ……。妖精も強い奴がいるんですね」
「齢一千年を越えていれば、どんな奴でも大妖怪よ」
 はたては、木の上に座っている文の背中を足で小突く。
「助けに行かないの?」
「どうして?」
「……ま、そうよね。あんたならそう言うはずだわ」
「ですよね。天狗と言うか、妖怪なんてそんなもんですよ」
 あんな風に協力し合うのは人間だけだ、と文。
 お互いがお互いの弱いところ、足りないところをフォローしあうのは、弱いものの象徴だ。妖怪は強い。どんなに弱いといわれる妖怪だって、人間なぞ相手にならないほどに強い。
 普通に生きている限り、彼らは群れる必要がないのだ。
「天狗がこうして群れているのだって、そういう『社会』だからでしょう。上意下達の。
 お互いはお互いで独立してる。不満があっても、組織の中に生きているから仕方ないと納得する。
 組織に所属しているのだって、そうした方がうまくいくことがわかっているから。
 天狗はしたたかなだけですよ」
「あんたは、だけど、違うと思ってるわ」
「え? 何で?」
「あんたはバカだから」
 ぽかんとする文。
 その文に、真っ向から、はたては相手の目を見据えて言う。
「そう。あんたはバカだ。
 多分、わたしの知る連中の中で、一番、バカだ。わたしはあんたのこと、ちっとも理解できない」
「……えーっと」
「いつ頃からだっけ。そんな風になったの。あんた。
 ずっと前は、もう少し、悪賢かったのに」
「……そうですかね」
「三つ子の魂は百まで変わらないって言われるけど、百を過ぎたらどうなんのかしらね」
「お互い、百なんてとっくに過ぎてるでしょう」
「もしかしたら、百歳過ぎれば、いくらでも変わるのかもしれない」
「はあ」
「その時に、そいつの頭がバカであるほど、回りのことを忘れて、新しい物事に熱中するのかもしれない。
 空っぽの中身に色んなもの詰め込んでさ。
 ……だから、助けに行きなさいよ。あんた。わたしだって行くんだから」
 彼女はそう言うと、木の枝を蹴って飛んでいった。
 文はその場に座って、ぽかんと呆けている。
「……いや、そりゃ、私も自分自身が賢いとは思わないけど」
 たとえば、あの八雲紫と計算勝負をしろといわれたら、やる前から白旗を揚げる。自分より遥かに強い奴と戦えといわれたら、何とかして戦わないように立ち回る。
 そう。自分は、それほど賢くないのだ。
 鴉天狗など、所詮、鳥の変化。鳥と言うのは鳥頭だ。頭の中身は空っぽなのだ。
 しかし、そうであるから、毎日が楽しいともいえる。昨日と今日は、全く別の日なのだから。
「ま、そこまですっからかんってわけじゃないけどさ」
 文はその場に立ち上がった。
 片手に持ったカメラの中身は、写真でどっさりぎっしり。まだまだフィルムは余っている。
「何で、そんな危ないことしなきゃなんないのさ」
 腕組みして首をかしげる。
「……戦場に近い方が迫力のある絵が撮れる」
 ぽつりと、彼女はそうつぶやいた。
「……わたしだって助けに行く……」
 はたての言葉を繰り返す。
「……自分はバカだ……」
 そして。
「あーっ!」
 そこで、文は声を上げた。
「そうだ! そうよ! はたての奴、さては抜け駆けしにいったな!?」
 誰を助けに行くのだか知らないが、それがもしも、適当な理由をつけたいい加減な作戦だったとしたら?
 文をのけて、あの戦場を、もっと近くで撮影するためだったとしたら?
 適当な言葉で文を騙して煙に巻いて、美味しいところ独り占めするつもりだったとしたら?
「冗談じゃないわ!」
 慌てて、彼女は空へと舞い上がる。
「もっといい写真といい記事のために、虎の穴に入りに行くのもやぶさかじゃない!
 なるほど、いいこと言うな、姫海棠! その記者魂、評価する!」
 何を勘違いしたのか。
 それとも、変なところでスイッチ入れてしまったのか。
 文は宣言した後、はたての後を追いかけて飛んでいく。
 はたてに騙された、負けそうだ、そうなってなるものか。その思いが最優先されて、それまでのことがすぽーんと頭の中から抜けてしまった。
 はたては言った。
『お前はバカだ』
 ――と。
 その言葉は、ある意味、正しかったのだ。
 文は大急ぎではたての後を追いかける。
 その傍ら、上空から戦場を撮影するのだが、
「……意外と押されてるよね、こっちも」
 天狗と河童、さらにはそれ以外の妖怪の混成部隊。戦力はかなりのものなのだが、それを博麗神社側の勢力は押し留め、あるいは押し返している。
 藍や白蓮のような、一騎当千の剛の者は言うに及ばず、紅魔館の妖精メイド達ですらこちら側の戦力と互角以上に渡り合っているのだ。
「やっぱり、指示したのが天魔だからかな。あいつ嫌われてるし」
 嫌いな奴の命令に従う。それは天狗たち……というか、妖怪の山に生きる妖怪たちの『納得はしないけど仕方ない』事情である。
 天魔は強い。恐ろしく強い。口答えなどしようものなら、瞬きする間に此の世から存在を消されてもおかしくない。
 誰だって死ぬのはいやだ。痛い思いをするのはいやだ。
 だから、天魔には従うしかない。戦っても勝てないのだから。
 しかし、嫌々やるのと『いざ!』と挑むのとでは、やはり士気というか気迫に天地の差が出る。
「そういうところが出やすいのかね」
 妖怪というのは、人間よりも、よっぽど『精神』と言う内面に引きずられる生き物だ。
 やる気のなさが、己が意識しなくても、己の実力を制限する結果になり、このような事態を招いているのかもしれない。
 幸いなのは、一同の一番の指導者である大天狗連中も、半分くらい、その状態にあることか。
 普段なら、このようなふがいない事態となれば大目玉を食らうわけだが、大天狗側からの叱責が放たれたという報告はないのだ。
「さて……」
 視線の先に、紅魔館のメイドたちと交戦する天狗の一同が確認できる。
 複雑かつ高度な戦術を使いこなす『雑魚』と、強い力を持った『強者』の戦いは、しかし、『雑魚』の勢いに『強者』が呑まれている。
 メイド達の中にも、目を見張るほどの実力を持った奴らがいる。
 だが、その数は少なく、それほど脅威となるものではない。
「あそこはほんと、士気が高いというか、上からの命令に絶対服従かつやる気満々というか」
 妖精というのはわからないものだ、と文はつぶやき、
「……あ」
 その視線が足下に向かって止まった。


「はぁ……はぁ……!」
 早苗はすでに地面に膝をつき、苦しそうに息をする。
 大勢の河童や妖怪たちを押し留めていた結界の維持にも、そろそろ限界が訪れようとしていた。
 彼女たちの激しい攻撃を止めるために結界に対して力を割く。
 言うは易し行うは難し。
 結界術の腕前は、まだまだ見習いレベルの彼女にとって、それは一世一代の大仕事。
 疲労の色が濃い彼女は、それでも、歯を食いしばって結界に力を注ぐ。
「もう少しだ! こいつを壊してしまえ!」
 誰かが結界の中で叫んでいる。
 それに負けるものかと、早苗は手にした祓え串に力をこめる。
「親方! あそこ! 割れてますよ!」
「よし、そこだ! そこを集中攻撃しろ!」
 面で展開する結界は、点に対する攻撃に弱い。
 その弱点を補うため、たとえば紫などは細かい結界を無数に連ねて巨大な結界を作ったりする。
 霊夢は何重にも結界を重ね、一枚が破られても次が待つ、という陣を作る。
 残念ながら、早苗には、そのどちらも出来ない。
「神奈子さまの修行……これが終わったら、もっとしっかり受けよう……!」
 もっとも、あの神が、この一件が終わった際、鳥居をくぐることを許してくれるかはわからないのだが。
 早苗はある意味、己が信奉する神に絶縁をしてここに来たのだ。
 今、彼女たちは早苗の敵でもある。
 敵であるものを、あったものを、あっさりと迎え入れてくれるほど、度量があって懐の深い神様は、過去の歴史を紐解いてみてもほとんどいない。
「よし!」
 ついに、結界が崩壊する。
 ガラスの割れるような音と共に砕けた結界の残滓が宙を漂い、消える。
 敵が一斉に、早苗に向かって迫ってくる。
 もはや力尽き、反撃を行うことすら出来ない彼女にとどめを刺そうと迫ってくる。
 それでも早苗はその場に立ち上がる。
 ふらつく足を黙らせて、拳を握り、歯を食いしばり、流れる汗をぬぐって相手を見据える。
「負けてたまるものか……!」
 負けず嫌いの早苗がつぶやく。
 ここより先は、自分にとって大切な場所。そこに、無礼な輩を入れるわけにはいかないのだ。
 たとえ、この場で倒れようとも、敵を前に進めてはならないのだ。
「絶対に……!」
 もう一度、早苗は祓え串を構えて術を放つ。
 放たれる強風が、一旦、相手の勢いを止めた。
 しかし、風が過ぎれば相手は勢いを取り戻す。
 早苗がもう二度と、自分たちの邪魔をしないように。黙らせるために、彼らが迫ってくる。
「負けて……!」
 早苗の視界が埋まってくる。
 彼女は震える腕を無理やり持ち上げる。
 そして、最後の一撃を放つ、その時に、ふっと目の前が翳った。

「いいねぇ。その心意気。そういう奴が、あたしは大好きだ」

 声と共に地面が吹き飛び、すさまじいその衝撃に、早苗に迫る相手の足が完全に止まった。
「あ……勇儀さん……」
「おうさ」
 にっと笑う鬼が、そこにいた。
 崩れ落ちそうになる早苗を、片手一本で軽々抱きとめる。
「はっはっは!
 いいねぇ、早苗! そうそう! 男も女もね、そうでなくっちゃぁ!
 後ろ向きに倒れる奴なんざ、あたしは助けたりしないよ! 負ける時も前のめりに倒れるもんさ!」
 鬼の視線がその場にいるもの達を睥睨する。
「気に入らないねぇ。
 たった一人を相手に、そんな大勢、雁首そろえなくちゃどうにもならないってのか?
 ケンカってのはね、一対一でやるもんさ。
 仲間連れてやるもんじゃないんだよ!」
 彼女の振り上げた足が地面を叩き、土砂を巻き上げる。
 そのすさまじい迫力に、一同は怯え、震え上がる。
「な、何で鬼が!? しかも、あれ、勇儀さまだろ!?」
「どうして勇儀さまがあそこにいるんだ!?」
「お、親方! やばいですって! あたしらじゃ、鬼には絶対かないませんよ!」
 妖怪の山のヒエラルキーの上位に位置する天狗に、河童たちは従っている。
 だが、その天狗たちですら、絶対に頭が上がらないのが『鬼』だ。
「いやしかし、来るのが遅れて悪かったね。
 さとりにさ、こんな山のような書類渡されて、やれ『サインをするところが違う』だの『判子が足りない』だの、もう散々だったよ。
 パルスィに手伝ってもらってやっとこさ、書き上げたんだけど、やっぱりあたしには書類仕事は向いてないね」
 彼らを一喝した勇儀はすぐに笑顔を見せると、早苗に向かって冗談を口にする。
 そして、彼女を『よくやった。あとは任せな』と後ろに下がらせ、
「さあ、どいつからかかってくるんだい!?
 どいつからでもいいよ! 何なら全員、まとめてくるか!? 手加減はしてやるさ!」
 威風堂々、仁王立ちする勇儀にすっかりと足がすくんだのか、彼らは誰一人、勇儀に向かっていこうとはしない。
 鬼が一匹、その場に増えただけでこのざまだ。
 やはり、河童連中には期待ができない。
「何だ何だ、威勢がいいのは自分より弱いと見た奴を相手にする時だけか!
 なっさけないねぇ!
 さあ、どいつでもいいよ! かかってこい!」
 だが、だからといってこの状況をほったらかしにするわけにもいかない。
 天魔の指示は絶対。任務放棄をしたら……いや、してもいいのかもしれないが、あまり体裁はよくないだろう。
 河童たちもそれはわかっている。
 彼らを率いている年上の、壮年のもの達は、震える足を黙らせて勇儀に向かっていこうとしている。
 なけなしの勇気を振り絞る彼らに、勇儀の目が細くなる。
 口元に笑みが生まれ、その掌を上に返して挑発する。
「かかってきな!」
 勇儀のその言葉と、上空からの旋風の一撃が着弾するのとは、ほぼ同時だった。
「ほう……?」
 巻き上げられた土の向こうに舞い降りたのは、文だ。
「部下ばっかり戦わせて、上司が眺めてるのって、あんまり良くないと思いません?」
「いいねぇ。天狗。
 あんた、以前、地底に来たこともあっただろう? あの時は世話になったね」
「私は何もしてませんけどね。勇儀さまに楯突くなんて、そんな恐ろしいこと、出来るもんじゃない」
「はっはっは。
 いやぁ、いい言葉だ。そういうの、何だっけ? 慇懃無礼、だったか」
 彼女は片手に杯を取り出し、それに酒を注ぐ。
 ぐいっとそれをあおり、『お前もどうだ』と杯を示す。
「あいにくと、鬼と酒飲み勝負したら潰されるだけですから。
 けど、それ、美味しそうなお酒ですね」
「ああ、うまいよ。あたしがまずい酒なんて飲むもんかい」
「なら、そいつを奪い取らせてもらおうかな!」
 文が勇儀に向かって地面を蹴った。
 素晴らしい速度で接近し、彼女は勇儀から杯を奪い取ろうと手を伸ばす。
 だが、その手を、勇儀が軽々と掴んだ。
「手加減はしてやるさ」
 その直後、文の体が宙を飛んだ。
 片手一本で文を投げ飛ばした勇儀は、「こいつがハンデさ」となみなみと酒を注いだ杯を示す。
 文は空中で体勢を立て直すと地面に着地し、
「じゃあ、それを奪い取ったら、私の勝ちということで!」
「おお、いいねぇ!」
 挑発すると同時に再び勇儀に迫る。
 彼女の眼前で地面を蹴り、風を操り、上空へと一気に飛び上がる。
 文のフェイントに勇儀はひゅうと口笛を吹き、上空を見上げる。
 文が舞い降りる。
 一直線に、黒い弾丸となって飛んでくる彼女。その腕が再び、勇儀の杯に向かって伸びるのだが、
「まだまだだね」
 勇儀は文のその動きを易々と見切り、体を入れ替えると同時に、無防備になった彼女の腹に拳を打ち込んだ。
「文さん!」
 早苗が、吹っ飛び、地面に激突する文に声をかける。
 文はふらつきながら立ち上がり、何度も咳き込む。
「……今、私はあんたの敵よ。余計なことしない!」
 早苗に向かって少々強めの風を投げつけた後、彼女は再び、勇儀に向かう。
「そのスピードは大したもんだ、天狗。
 その足の速さは評価するんだけど、それ以外が足りてないねぇ」
 今度は、文は緩急を取り入れた動きで、直線的ではなくフェイントを交えながら勇儀に接近する。
 彼女の杯を叩き落そうと風扇を操り、烈風を巻き起こす。
 しかし、その風すら、大地に足をしっかりとつけた鬼神にはそよ風にすら過ぎないものだ。
 小手先の技では自分は倒せない。やるならもっとしっかりやれ。
 そのメッセージをこめた勇儀の拳が、接近した文の顔面に突き刺さる。
「何で助けにきたんだ?」
 河童たちの中に吹っ飛び、その場の数人を巻き込んで倒れた文は、すぐに立ち上がると上空に舞い戻る。
「それを話してあげる義理はありませんよ!」
「あんたは強い。かなり強い。
 真っ当に、真っ向から、小細工なしで戦えば、博麗の巫女だろうが余裕で倒せるかもしれない。
 しかしね、あたしは、そんなあんたより遥かに強いんだ」
 にっと笑う勇儀。
 風を操り、旋風と烈風、そして真空波の複合攻撃を仕掛け、勇儀の足を止め、牽制を放ち、そして自分が攻撃を仕掛ける。
 その風を操る術の見事さと、風と共に走る速さは素晴らしい。
 それは勇儀も認める、文の実力だ。
「天狗ってのは、どいつもこいつも姑息で悪賢い奴らだ。
 あたしみたいな奴には絶対にかかってこない。
 そういうのが嫌いなんだが……」
 風で作った刃を、文は至近距離から勇儀に叩きつける。
「お前のそういうところが大好きだ」
 息のかかるほど近接した状態で、勇儀は言う。
「なぜだ? なぜ、お前は奴らを助けに来た?
 奴らはお前たちにとっては、ただの部下だ。使い捨て出来る駒だ。助ける価値がどこにある。あたしが奴らを蹴散らすのを、黙って見ていればよかった。
 お前らは新聞だか言うものを作っているだろう。それのネタにして、面白おかしく喧伝してりゃそれでよかった。
 なのに、なぜ、ここにやってきた!」
 勇儀は文の風の刃を受け止めていた杯で、彼女の顔を一撃した。
 ぐらりとよろめく文のみぞおちに拳を打ち込み、さらにその背骨に一発を叩きつける。
 地面に激突し、無様に倒れる文の背中を足で踏みつけ、見下ろす。
「勝てないのはわかっているんだろう? お前の実力じゃ、鬼にはどうやってもな。
 だが、なぜ、ここに来た? それがわからない。
 天狗らしくない」
「……私はバカなんだそうだ」
 呻いて、文は地面に手を突いた。
「バカだから、普通の天狗とは、一味違うそうだ」
 膝を地面に立てる。
「そうさ、河童なんて助けてやる義理はない。天狗仲間がやられているなら、まぁ、ちょっとくらいはそういう情けも持つ。
 だが、奴らを助けてやっても、何の見返りもない」
 文は歯を食いしばり、勇儀の圧力を押し返していく。
 勇儀が楽しそうに、そして嬉しそうに、目を細めた。
「お前は言ったな? 天狗は新聞でも書いてりゃいい、って。
 ああ、そうさ。そのつもりさ。
 だがね、天狗は河童の力を借りなきゃ、新聞、作れないんだよ!」
 轟風が勇儀を押し返した。
 立ち上がると同時に、文の拳が勇儀を捉える。
「輪転機! 印刷機! フィルムにカメラの修理! こういうの全部、奴らにやらせてんのさ!
 機嫌を損ねるわけにゃいかないんだよ!」
「はっはっは! そうか、そうか!
 そいつはいい! わっはっはっはっは! ああ、楽しい!
 いいよ! いい! 最高だ! 名前は何と言った! 射命丸文だったか! その名前、覚えたぞ!」
 伸ばしてくる腕を回避する勇儀。
 そのまま体を回転させ、重たく、鋭い蹴りを放つ。
 文は相手の足に両手をつくと、それを台として上空に飛び上がり、さらに彼女めがけて風を叩きつける。
「その自分勝手な理由! お前は天狗らしい天狗だな!
 だが、天狗らしくない天狗だ! そういうところ、気に入ったぞ!」
 降下してくる文を迎え撃ち、勇儀は言った。
 振り下ろした腕で文を地面へと叩きつけ、それを蹴り飛ばす。
「さあ、どうした! もう終わりか!」
 地面に倒れた文は、きしみ、悲鳴を上げる体を黙らせて立ち上がる。
 たまらず、早苗が文に駆け寄った。
「文さん、無理しないでください! 大怪我をしちゃいます!」
「それをお前が言うのか」
「……え?」
「お前だって、無理して、あいつらをここに留めていたんだろ。
 何の利益にもならないのに。
 神どもに混じって、こっちの勢力についていれば、何の軋轢も生まなかったのに。
 自分の勝手な理由でそこを飛び出して、こっち側について。
 それで、お前に、何の利益が生まれた?」
「その……」
「……早苗さんにだけは、『無理しないで』なんて言われたくないんですよ」
 にこっと微笑み、早苗の頭をぽんと軽く叩くと、彼女は早苗を突き飛ばす。
「邪魔だ!」
 文は叫んで地面を蹴った。
 まっすぐに勇儀に向かうと、彼女と真っ向から激突する。
 そのたびに、文は軽々、勇儀にあしらわれる。
 文が弱いわけではない。勇儀があまりにも強すぎるのだ。
 その実力が違いすぎる。文の巻き起こす風など、勇儀にとってはそよ風に過ぎない。勇儀の一撃は大地を割り、空を切り裂くというのに、その違い。
 まさに圧倒的。
 早苗にとっては頼もしい味方だが、文たちにとっては恐るべき相手だ。天魔を相手にするのと、どっちがマシかと言うほどに。
「親方! このままじゃ、文さんがやられちゃいますよ!」
「……わかってる。わかってるが……」
 その様を、ただ眺めるしか出来ない河童たちの中で、声をあげるのはにとりだった。
「親方が、あたしらのことを心配してくれてるのはわかる!
 だけど、あたしらが、今、仕えてる奴はどいつですか!? 山から離れて、地底にいってしまった鬼なんですか!?
 違うでしょう!」
 にとりが、手に構えた武器を握りなおす。
 彼女自身、勇儀を前にして膝が笑っている。手元も震えている。元々、あんまり勇気のないのが河童であり、それに属するにとりだ。
 だが、彼女にとっては、もう一つ、守らなくてはならないものがある。
「あたしはね、親方! 自分の目の前で、自分の知り合いが――友人がやられてるのを黙って見てるなんて、まっぴらごめんなんですよ!」
 彼女は啖呵を切ると、怖くて、震えて、怯えている自分を黙らせて勇儀に向かって構えていた武器の引き鉄を引いた。
「おっと」
 飛んでくる水の弾丸を、勇儀はよける。
 にやりと、彼女は笑った。
「見ろ、文。お前を助けようと、河童たちが勇気を出し始めたぞ」
 にとりに続けとばかりに、誰の指示も受けないまま、数名の河童たちが前に出た。
 彼女たちは勇儀に向かって、必死に武器を向ける。
 体が震えていて照準がうまくつけられないのか、その攻撃の大半はあさっての方向に飛んでいく。
 しかし、それでも、圧倒的強者である『鬼』を前に、がたがた震えながらでも攻撃を仕掛けてくるその気迫は大したものだ。
「そうだそうだ! それでいい!
 何だ、お前ら! 卑怯者なんかじゃなかったなぁ!」
 飛び掛ってくる文を左手で払いのけると、振り上げた足で、彼女は地面を叩く。
 大地が割れ、砕け、土砂を巻き上げる。
 その衝撃に巻き込まれて、数名の河童が吹っ飛ばされる。
「よし、改めて言おう!
 このあたしにかかってくる奴はどいつだ! どいつが、あたしとケンカをしたいんだ!」
 その時になって、ついに、一団を率いる壮年の河童が『攻撃開始』の指示を下した。
 一斉に飛んでくるその攻撃を軽々弾き、よけ、鬼が高笑いする。
「いいねぇ! 久々に楽しいケンカだ!
 こいつはいいよ!」
「あ、あの、勇儀さん……!」
「早苗! お前は後ろに下がっていろ!
 なぁに、大丈夫さ。きちんと役目は果たすし、頑張ったあんたには、指一本触れさせないよ!
 あとであたしと酒を飲もうか!」
「そ、それは遠慮します……」
 苦戦する文を救えとばかりに、河童や妖怪たちが勢いづいた。
 冗談を飛ばして大笑いする勇儀は、並み居る彼らを一撃の下に薙ぎ払う。
「さあ、さあ、さあ! 立て! 立ち上がれ!
 何度倒れても立ち上がって、あたしに向かってこい!」
 それに呼応するように文が立ち上がり、叫び声を上げて気合を入れなおすと、勇儀に向かって飛翔する。
 何度迎撃されても諦めず、どれほど傷ついても、全く衰えないそのスピードは賞賛に値する。勇儀は嬉しそうに笑いながら、文の腕を握ると河童たちの中へと彼女を投げ込む。
「こ、このーっ!」
 涙目になりながら、河童の一人が勇儀に攻撃を仕掛ける。
 飛んでくる水の弾丸を、勇儀は右手で軽々弾くと、地面に落ちている石を拾って彼女へと投げつける。
「危ない!」
 にとりが横から、とんでもない威力で飛んでくるそれを撃墜した。
 ふぇ~んと泣く彼女を後ろに下がらせて、にとりが前に出る。
 弱虫で臆病で泣き虫が、なけなしの勇気を振り絞って攻撃を仕掛ける。その状態を作り出した立役者は、やっぱり足を震えさせながらも勇儀に向かって、果敢に攻撃を仕掛けていく。
「河童! あんたの名前も覚えておく! 名前を名乗れ!」
「か、河城にとりだ!」
「よーし、にとり! いい目だ! いい度胸だ! 胸を張れ! もっと威張れ!
 お前はあたしに向かってきたぞ! 逃げずに向かってきたぞ! その勇気と度胸を、もっともっと、胸を張って威張り散らせ!」
 勇儀の振り回すその腕が、天狗でもないのにすさまじい轟風を巻き起こし、にとりを直撃する。
「にとり!」
「大丈夫!?」
 回りの、彼女の友人の河童たちが吹っ飛ばされて目を回しているにとりを抱きとめ、言葉を投げかける。
「逃げるな! 怯えるな! 俺達は天狗さまを助けるんだ! やれ!」
 親方と呼ばれた河童が、一同の前に出た。
「そうだ! もっと向かってこい! もっと、もっと、もっと!」
 次から次へと放たれる攻撃を軽々といなす勇儀の強さは、もはや筆舌に尽くしがたい。
 片っ端から相手をなぎ倒し、あちこちで痛みに呻くもの達が続出する。
 しかし、その中でも、文やにとりを始めとした何名かは立ち上がり、果敢に攻撃を仕掛けてくる。
 いよいよ勇儀が気をよくし、「いいね! こういうのは本当に楽しい!」と笑い始めた。
 大きな祭りと争いを、何より好む『お祭り好き』の本性発揮というところか。
「文さん、危ない!」
 勇儀の蹴りをにとりが受け止める。
 大木すら薙ぎ倒す鬼の蹴りを、それよりもずっと体の小さい彼女が、歯を食いしばるとはいえ受け止めるその光景に、早苗は目を丸くする。
「さすがだねぇ。河童は見た目に似合わない剛力の持ち主だ!」
 だが、勇儀はそのまま足を振りぬき、にとりを吹っ飛ばした。
 文は勇儀に接近して、何発かの攻撃を見舞うのだが、金剛にも匹敵するといわれるその頑強な肉体には傷一つつけられず、彼女の反撃を食らって弾き飛ばされる。
「どうしたどうしたどうしたぁぁぁぁぁ!」
 気をよくした勇儀が咆哮する。
 その叫びすら物理的な衝撃を伴って、足が震え、怯えているもの達を一撃の下に薙ぎ払う。
 まさに一騎当千。まさに鬼神。
 その圧倒的な強さに、徐々に戦線は崩壊を始め、もう戦えないと膝を突いたもの達が脱落していく。
「そろそろおしまいだよ、文! あんた達はよく戦った!」
「勝手に終わりにしないでください!」
「まだ抗うか! いいねぇ、その覚悟、そして度胸!
 この戦いが終わったら、朝日が来るまで飲み明かそうじゃないか!」
 巨大な岩塊すら粉微塵に粉砕する鬼の剛拳が文に向かっていく。
 すでに全身に、勇儀によって受けたダメージで立っているのもやっとの文は、その攻撃をよけることすら出来ない。
 早苗が立ち上がり、二人の間に割って入ろうとする。
「これで――!」

「――おしまいというのは、少しせっかちすぎるのではない?」

 一陣の風が舞う。
「……!?」
 勇儀にすら、その瞬間、何が起きたのかわからなかった。
 ただ、目の前を風が通り過ぎた――それしか認識することが出来なかった。
 片手に持った杯が地面に落ち、酒をぶちまける、そのときまでは。
「……何だと?」
 目をむき、勇儀は慌てて後ろに下がる。
「みんな、よく頑張ったわね。あとはわたしが受け持ってあげる」
 黒い羽を天に向かって広げた、絶世の美女が舞い降りる。
 ――鞍馬、とにとりは言っていたか。
 太陽を背に舞い降りた黒羽の美しさに、思わず、皆が見惚れる中、
「あんたがやったのか?」
「そう」
 地面に落ちた杯を見ていた勇儀が、その目の色を変える。
「……やるじゃないか。
 このあたしに、まさか、打撃を与えてくるとはね」
「そんなもの、見えてしまえばその程度のもの。
 遅いのよ。あなた」
 にっ、と笑った鞍馬の姿が、勇儀の視界から消えた。
「何っ!?」
 思わずうろたえる勇儀。
 その背後に鞍馬の姿が現れる。
「そう。遅い。遅すぎる。瞬間の速さについていくことは出来ても、刹那の速さには、ぜーんぜん、追いつけないみたいね!」
 鞍馬の蹴りが勇儀のわき腹を捉えた。
 その衝撃に、勇儀が思わず、足を引く。
「世の中、速さが全て。速いものこそ強い。
 どんなに威力があって、どんなに強力な攻撃だろうと、当たらなければ意味がない。
 逆に、どんなに弱い攻撃でも、絶対に当たる攻撃なら、積み重ねていけばいずれ相手を倒せる。その時に敵に当てる方法が、速さってこと!」
 また、鞍馬の姿が消えた。
 勇儀が適当な方向に拳を放つ。
「どこ狙ってるの」
 その間に、鞍馬は勇儀の懐に飛び込んでいた。
 鋭く踏み込み掌底を食らわし、また一瞬で勇儀から距離をとる。
「よけられないほどの速さで放たれる攻撃ならガードすることも出来ないでしょ?」
「……面白いね。
 あんた、あたしのことを知ってるのかい?」
「ええ、知っているわ。
 妖怪の山から追い出されて、おめおめ地底に逃げていったロートル野郎ってね」
「……何だと?」
 鞍馬の安い挑発に、勇儀のこめかみに青筋が浮かぶ。
「てめぇ……もう一回、言ってみな!」
「何度でも言ってあげる。
 自分の強さに酔って、己の力の研鑽を忘れた自惚れ鬼!」
 鞍馬の姿が消え、次の瞬間には勇儀の背後に現れる。
 本当に、瞬間移動したのではないかと思われるその速さに、勇儀を始め、誰もついていくことが出来ないでいる。
 唯一、文のみが、何とか視線だけで鞍馬を追いかけているという状態だ。
「でかい口をたたきすぎなのよ!」
 鞍馬の一撃が勇儀を捉える。
 だが、
「ふっふっふ……!」
 勇儀は、全く揺らがなかった。
 鞍馬の細くてしなやかな足を掴むと、一気に頭上へと吊り上げる。
「はーっはっはっはぁ!」
 そのまま、鞍馬の体を、思い切り地面へと向かって叩きつける。
「鞍馬さま!」
 文が勇儀に攻撃を仕掛けようと、風扇を構えた。
 だが、それに対して、鞍馬が『余計なことはしない!』と制止する。
「なるほど。確かに、あんたの言う通りかもしれないねぇ!
 山でも、地底でも、あたしとまともに戦ってくれる奴はいなかった! ケンカ相手には不自由していたよ!」
 何度も何度も鞍馬を地面に叩きつけた後、彼女は鞍馬を近くの大木に向かって投げつける。
「試してみようか。鞍馬天狗。
 お前の速さがあたしに勝つか、あたしの力があんたを倒すか。
 パワーとスピードの勝負だ! こいつは面白いよ! 漲ってきた!」
「なら、試してみましょうか!」
 地面に倒れていた鞍馬は、立ち上がることすらなく、高速で走る。
 地面を蹴って前方に走り、大地を蹴って上空へと飛び上がる。
 そして、
「……何あれ」
 早苗が目を見張る。
 人間――いや、妖怪や、むしろ生き物として絶対にありえない高速機動で、鞍馬は上空を飛び回る。
 猛烈な速度で移動しながら、空中で直角に軌道を変えるのだ。物理法則など無視。
「ちょこまかと!」
 勇儀は、次に鞍馬が攻撃してくる、あるいは移動するだろうポイントに向かって接近し、先読みの攻撃を放つ。
 それは見事に鞍馬を捉えるのだが、
「見てるだけで把握出来ていない」
 その彼女の突き出した腕に、鞍馬がいた。
 木々の枝に留まるように、片足一本で佇む彼女はにっこりと笑うと、次の瞬間、勇儀の顔面に鋭い蹴りを見舞う。
「ふん……!」
 だが、その攻撃は、勇儀にまるでダメージを与えられていない。
 彼女はちょうど額のところで相手の攻撃を受け止めている。全く、一歩も後ろに下がらず、衝撃に体を揺るがすこともなく。
「確かに、速さじゃ、あたしはあんたにかなわないかもしれないね。
 だが、あんた、言ったね? どんな弱い攻撃でも積み重ねれば相手を倒せる、ってさ。
 こいつはやせ我慢じゃないよ! あんたの攻撃なんて、あたしにゃ効きはしないのさ!」
 勇儀の手が鞍馬を掴もうと伸びる。
 鞍馬はすぐさま上空へと退避し、また、あの目に追えないすさまじい機動で飛び回り、勇儀へと接近していく。
「……二大怪獣大決戦だよ」
 その様を見て、にとりは、この戦いをそのように評価した。
 とんでもない力を持った、化け物鬼と化け物天狗による頂上決戦。
 どちらもお互いを相手に一歩も引かず、次から次へと攻撃を繰り出し、叩き込む。
「……さすがに、鞍馬さまでも、勇儀さんの攻撃をまともに、何発も受けると辛いでしょうから、ハンデ……というか、ビハインドはでかいでしょうけどね」
 ふらふらと立ち上がる文。
 その文を、慌てて、早苗が支える。
「大丈夫ですか?」
「……たはは。敵に心配されるとは、私も落ちぶれたもんです」
「そんなの関係ありません。
 文さんは、わたしにとって、幻想郷で一番最初のお友達なんですから」
「ありがたいです」
 待っててくださいね、と早苗は一度、神社の境内に戻ろうとする。薬の入った救急箱などを持ってくるつもりなのだろう。
「それ、やめたほうがいいですよ。境内は、今、激戦地です」
「……だけど」
「私なら大丈夫です」
「そうそう。文さん、頑丈だしね」
 ばしん、とにとりに背中を叩かれて、文は痛みに悲鳴を上げて飛び上がる。
 やはり、だいぶやせ我慢をしているようだ。
「そういや、あんた、ずいぶん到着が遅れていたけれど! 何で今になって、あたしに挑んできたんだい!」
 大木をへし折る頭突きを放つ勇儀。
 それを鞍馬は悠々とよけると、相手の背中に蹴りを入れてから離脱する。
「そんなもの、当然、これをネタに文ちゃんにいやらしいことするために決まってるじゃない!」
 嬉々として、とんでもない発言をする鞍馬に、早苗の目が点になった。
「そうね! まずは、『いや~ん、見えちゃう、お嫁にいけなくなっちゃう~』な格好をして、わたしのカメラの被写体になってもらおうかな!
 それから、おっぱいもませてもらって、お尻も触らせてもらわないと!」
 そういう、すさまじい発言はさておき、鞍馬は空を蹴ると(早苗には、もはやそのようにしか見えなかった)勇儀に接近し、彼女の顔に拳を見舞う。
「わははははは! 何だい、そりゃぁ!」
 振り下ろす勇儀の一撃は、鞍馬がよけた後の、何もない空間を叩く。
 拳が地面に突き刺さり、轟音を上げて大地を粉砕する。
「わたし、女の子が大、大、大、だぁぁぁぁい好きなのよ!
 こういう時にでも恩を売っておかないと、ストレスたまっちゃうでしょう!」
 鞍馬が右手を振るうと烈風が生まれ、それが勇儀に叩きつけられる。
 風の圧力を両手で受け止め、弾き返す勇儀。
 あっという間に鞍馬は勇儀へと接近し、そのガードのない下半身を蹴りつける。
「なるほどねぇ!」
「女の子と遊ぶの、楽しいわよ!」
 渦巻く風を纏った右手の一撃を、鞍馬は勇儀に叩き込んだ。
 それでも勇儀の体は全く揺るがず、足を引くことすらしない。
 その圧倒的なタフネスぶりと、強靭かつ頑健な肉体を前に、鞍馬は舌打ちする。
「あたしにとって、酒みたいなもんか!」
「それが絶たれたら死ぬって意味ならね!」
 それに、と。
「自分の部下が逃げずに頑張ってるんだから、それを応援して、フォローして、サポートすんのが上司の役目!
 大天狗の爺どもは、すーぐ人のせいにするけどね! わたしは違うのよ!」
 蹴りからの掌底というコンビネーションを決め、鞍馬の動きがわずかに止まる。
「そういう趣味はさておき、あんたはいい奴か!」
 相手の動きがわずかにでも止まる瞬間を、勇儀は見逃さない。
 振りかぶった一撃は、鞍馬には絶対に当たらない。
 ならば、と、彼女は小さな動作で足を動かし、膝蹴りを、鞍馬の腹へと入れる。
「一発じゃ倒れないだろ!」
 さらに追撃を放とうとする勇儀。
 鞍馬は歯を食いしばり、顔を歪ませながらも、素早い動きでそれを回避する。
「くっ……!」
 激痛に呻き、しかし、敗北宣言はしない。
 文やにとり達が頑張って、勇儀と戦い続けたのだ。それを助けに入った、上司たる自分が、あっさりと敗北しては彼女たちに示す顔がないのだ。
 敗北など、絶対にしない。
 彼女の瞳は、その決意をたぎらせている。
「……えっと、文さん」
「あの人、何と言うか……ほんと、ものすごい厄介な人なんですよ。
 セクハラしまくりで、女の子達からはすごく鬱陶しがられてるんですけどね。
 ただ、実力は本物だし、何より、すごく部下思いのいい人なんです」
 だから、普段は鞍馬を嫌う……と言うよりは鬱陶しがっている天狗の女の子たちも、いざという時、あるいは本当に困っている時は、まず鞍馬を頼りにしているのだとか。
 それの交換条件でセクハラしてくることがよくあるのだが、それはもう『相手への報酬』として割り切っていると、文は笑っていた。
「どんな服を着させられるか、今からはらはらどきどきですよ」
「あはは……」
「……ただ、あの人、本当に強いんです。もしかしたら、勇儀さんを倒せるかもしれないってくらいに」
「どうやってるんでしょうね。あのスピード」
「さあ。ただ、私も今はあの人の速さに、まだほんのちょびっとだけ……ちょびっとだけですよ!? 届かないけど、そのうち、追い抜いてやるつもりですから。
 この戦いは、いい研究の材料になります」
「減らず口ばっかり」
「そっちこそ」
 戦いは、勇儀と鞍馬のものとなった。
 ある意味、彼女たちの勝負は祭りの出し物だ。
 それを囲み、眺めるもの達を楽しませる『祭り』なのだ。
 一同に、もはや互いに争うつもりはなく、しかし、状況と立場上、肩を組むことは出来ないでいる。
 その場に集ったもの達は、皆、二人の激しい戦いを見つめている。
 どちらが勝とうとも、恐らく、誰も気にしないだろう。
 これは『祭り』なのだから。


「ふーむ……。戦いは一進一退……。むしろ、こちらが押されているのか?」
「い、いえ、そのようなことは……」
「だが、事態が有利に進んでいるところはないようだな。
 唯一、こちらが有利だった南側の別働隊も、今、地底の鬼神に押されているらしいではないか」
「……それは……」
「まぁ、よい。
 お前達を攻めるつもりはない。余にとって、余計なものを排除しようと奮闘しているのだろう? 感心、感心」
 わっはっは、と偉そうに笑う天魔は、神社の上空を一瞥する。
「西側はうまく進んでいるようだが、防衛がなかなか頑張っている。東側は、行くだけ無駄だな。相手が強すぎる。
 北はこのような乱戦状態。南は……ん? 鞍馬か、あれは。奴が行ったのなら、また面白いことになりそうだ」
 戦いをのんびり眺めて、天魔は大きく伸びをした。
 さて、と肩を軽く動かして、彼女は視線を神社に向ける。
「次から次へと。全く情けない」
 舞い降りる天狗たちを片っ端から倒す白蓮の姿に満足そうに笑ってから、その視線を、自分のそばに控える大天狗たちに向ける。
 彼らを目を細めて一瞥してから、
「余もそろそろいくか」
 そう言って、神社へと向かって移動を始める。
 慌ててついてこようとする大天狗たちを「邪魔だ。来るな」と押しのけて。
「さて、どんな輩が余を待っているか。
 鬼が出るか蛇が出るか」
「――夜の狭間から浮かび上がる魔物が出るかもしれないよ?」
 自分のすぐそばからする声に、彼女は足を止める。
 振り向くと、そこにぬえがいた。
 にやにやと笑う彼女。それを見て、天魔は目を細くする。
「ほう? 貴様、何者だ?」
「わたし? わたしはぬえ。夜の化け物さ」
「……ふーん? 知らぬな」
「は?」
 そこで、ぬえがきょとんとなった。
「えーっと……本気で? 冗談じゃなく」
「うむ。知らない。
 ああ、ぬえと言ったか。お前が有名人であるのなら、それは余の無知によるものだ。気にしなくていいぞ」
「お前、何者さ?」
「余か? 余は天魔だ」
「へぇ。お前が? 想像していたのとちょっと違う」
「何を想像していた」
「こわ~い顔をした大男」
「わっはっは!
 そうそう! 皆、余を見たらそう言うのだ! 本物は、こ~んなにかわいい女の子なのにな。
 全く失礼なことよ」
「あ、わかるわかる」
 なぜかその辺の話で意気投合する二人。
 共に、『世間一般に恐れられる化け物』であると共に、その見た目は人畜無害のかわいらしい少女であるという共通点が、それをなしているのだろう。
「――で、あんた、わたしのことを知らないんだよね?」
「知らない」
「おっかしーなー。
 あんた、いくつさ? 平安時代以前の生まれの妖怪で、わたしを知らない奴なんていないよ?」
 そこに、天狗が一人、襲いかかってきた。
 天魔に近づいたぬえを危険視したのだろう。
 それを、ぬえは彼のほうを見ることすらなく撃墜する。
 蠢く歪な形の翼が、彼の顔を張り飛ばし、胴体を突き、足を掴んで投げ飛ばしたのだ。
「平安時代か。そんな昔に、余は生まれておらぬぞ」
「え? マジで?
 じゃあ、あんたいくつ?」
「んー……いくつだったか。百までは数えていたのだが、それ以降は覚えていない」
「まぁ、妖怪なんてそんなものだよねー。
 ……だけど、わたしのことすら知らないなんて、ちょっと驚いた。
 ってことは、あれ? あんたもこの結界ができた後、外から入ってきた口?」
「そうなのか?
 余は、ふと気がついたら、この世界を放浪していたぞ」
「ふーん」
 うなずいたぬえは、『ま、いいや』と話を打ち切った。
 持っていた槍の切っ先を、彼女は天魔に向ける。
「あんた、強いんだって?」
「うむ。余は強いぞ」
「じゃあさ、ちょっと、わたしと遊ぼうよ」
「……ほう」
 天魔の口元が笑みの形に変わる。
「わたしさ、あんたの話を、文だっけ。誰だっけ。紫だったかな。
 ま、どっちでもいいや。
 ともかく、あんたの話を聞いたときにさ、これは一度、戦ってみないといけない、って思ったんだよね」
「なるほど」
「どれくらい強いのか。どれくらい楽しい奴なのか。
 遊んでみないと、それってわからないじゃん?」
「確かに。お前の言うことは間違ってはいないな」
「じゃあさ、遊ぼうよ。
 天狗なんかより、わたしはずっとずーっと強いよ。大丈夫さ」
「ふふふ……」
 天魔は体の向きを、ぬえの方へと変える。
 腕組みしたまま、彼女は傲岸不遜に言い放つ。
「いいだろう。遊んでやる。
 だが、後悔はするなよ? 余は手加減が苦手なのだ」
「それはこっちも一緒さ。
 手加減しないと、聖とか星に怒られるけど――」
 ざわりと、周囲の空気がざわつく。
 ぬえの体が一瞬で真っ黒に染まり、闇の中に目と口だけを持つ、不気味な化け物が現れる。
「お前相手なら、手加減しなくてもよさそうなんだもん」
 にたりと笑う闇の化け物を前に、天魔は言う。
「やはり、今日は楽しい時間を過ごせそうだ」
 ――と。

「そーれ、それ、それ、それー!」
「ちっ!」
 強烈な破壊の力を軽々振り回すフランドールに、さすがの神奈子も苦戦を強いられる。
 人間ならば粉々に砕けてしまう一撃を反撃として放ち、直撃させても、
「あははは! 楽しいー!」
 と、フランドールはけろっとしているのだ。
 吸血鬼と言う化け物の肉体の頑丈さ、すさまじい回復能力は、実に厄介極まりない。
「フラン! どけ!」
 彼女の後ろから、魔理沙が閃光を放つ。
 撃ち出されたそれを、神奈子は左手の結界で悠々と受け止め、弾こうとする。
 そこへ、
「フランも、フランも! どーん!」
 両手で作った、巨大な弾丸をぶつけてくる。
 神奈子は右手の結界でそれを受け止め、その猛烈な圧力に体を揺るがせた。
 たまらず、左手の結界をそのまま使い、魔理沙の放つ閃光を捻じ曲げて、フランドールの放った弾丸と衝突させる。
 爆発と轟音。
 無差別に撒き散らされる衝撃波に巻き込まれて、天狗の数名と妖精たちが吹っ飛ばされていく。
「いいぞ、フラン! もっと思いっきり遊んでいいぞ!
 そのおばちゃんは強いからな!」
「誰がおばちゃんだ、誰が!」
「わーい! やったー!」
 魔理沙の煽りに神奈子はむきになり、襲ってくるフランドールの一撃を受け止めて、
「いいか、フランドール。他人にな、そうそう『おばちゃん』と言う言葉を使ってはいかん。『お姉さん』だ。いいな?」
「どうして?」
「いや、どうして、って……」
 確かにそう言われると答えづらい。
 これが、魔理沙などの、ちょうど憎たらしい年齢の相手なら『どうしてもだ』と言い返すことが出来るのだが、素直で無邪気な子供そのままのフランドールには、その手が通じないのだ。
「えーい!」
 そのまま、横殴りの一撃が襲ってくる。
 神奈子はそれを身を低くしてよけ、足下に魔理沙が回りこんできているのを確認する。
「食らえ!」
 打ち上げるように放たれる、無数の弾丸。
 それを神奈子は足を踏み鳴らして弾き返し、
「悪いお姉さんの真似をしてはいかん!」
 と、フランドールに対して、拡散する衝撃波を放った。
 それの直撃を受けて、小柄なフランドールが吹っ飛ばされていく。
「魔理沙! お前は、純粋な子供に悪さばかり教えて!」
「はっはっは! 何をいうかな、神様!
 子供は悪さをしでかすもんさ!」
「ならば、そういう悪い子にはお仕置きが必要だ!」
「違うな! 怒るのと叱るのとは違うのさ!」
「そういう身勝手な言い分をするから、お前は怒られるんだ!」
 波状に連続して放たれる閃光を、魔理沙はあちこちを飛び回って回避する。
 そのすばしっこさは、神奈子にとっては、実に鬱陶しい。
 力も防御も神奈子の方が遥かに上。だが、足の速さに関しては、魔理沙のほうが上なのだ。
 かつてもそれが、魔理沙の武器だった。
 大したことのない魔理沙の優位性だが、それ故に、彼女単体を相手にするのではなく、
「とーう!」
 己に匹敵するような破壊力を振り回す相手と同時に相手どった時は、鬱陶しさが倍増する。
「はっ!」
 手に張った結界で、フランドールの剣を受流す。
 そのまま一発、拳を叩き込もうとするのだが、この幼い少女にそれはどうかと思ってしまうと手が止まる。
 仕方なく、掌から放つ烈風でフランドールの体を押し流すだけに留め、こちらに向かってくる魔理沙に、憂さ晴らしとばかりに攻撃を連射する。
「何だ何だ! フランにゃ甘いじゃないか!」
「お前と子供に対する対応を同じにしてどうする!」
「これは驚いた! 神様ってのは、老若男女、すべからく慈悲で無慈悲な存在だと思ってたのにな!」
「すべからく、の言葉の意味が違う!」
 真っ向から激突してくる魔理沙を、結界を重ねた盾で受け止め、それを破砕する衝撃で弾き飛ばす。
「ちっ。やっぱり、私の攻撃じゃ、奴にほとんどダメージを与えられない。
 以前はよく勝てたもんだぜ」
 あの時は手加減してもらってたからかな、と魔理沙はつぶやいた。
 悔しいが、やはり、神奈子と自分の力の差はあまりにも大きい。
 フランドールを相手にしている時の彼女の顔と、自分を相手にする時の顔が違いすぎるのだ。
「人間ってのは、なんていうか、本当に不利な存在なんだね」
 自嘲気味に笑って、彼女は一度、手元の八卦炉を握りなおす。
「ま、そうだから、パチュリーがあんな提案してきたんだろうけどさ。
『勝てない相手と戦う時は、勝てる奴を使え』って」
 彼女の構えた八卦炉から閃光が撃ち出され、フランドールとぶつかり合う神奈子の背中に直撃する。
 神奈子は振り返ることもせず、左手を魔理沙の方に向けると、そこから巨大な柱のような弾丸を何発も撃ち出して来た。
 それらをひょいひょいとよけて、
「フランドール!」
「はーい!」
 神奈子の真下から閃光を一発。
 フランドールがそれに巻き込まれないように神奈子から離れた瞬間、その一撃は神奈子を足下から飲み込んだ。
「鬱陶しい!」
 神奈子は足を振り上げ、それを踏み散らす。
 すさまじい力の奔流は、ただその一撃で蹴散らされる。
 魔理沙はにやりと笑い、
「お前の動作は本当にわかりやすい!」
 神奈子の姿が見えた瞬間を狙って、さらにもう一発、追撃の閃光を放った。
 それは細く絞られ、神奈子の足、その靴の裏を的確に直撃する。
「むっ!?」
 その衝撃で神奈子の体勢が崩れた。
 フランドールが嬉々としてそこに飛び掛り、手にした破壊の魔剣を叩きつける。
 衝撃で体勢が崩れていた時の攻撃に踏ん張りが利かず、神奈子はほぞをかむ。
「もう一発だ!」
 上と下から挟み込む攻撃。魔理沙の追撃が、神奈子の背中を叩く。
「その程度で……」
 神奈子は結界を己の手で捻じ曲げると、フランドールの剣を掴む。
「神は揺るがぬ!」
 そのままフランドールを魔理沙の方へ投げ飛ばすと、彼女は二人めがけて極太の閃光を撃ち出して来た。
「フラン! よけるぞ!」
「うん!」
 魔理沙はフランドールを抱きとめた後、横に放り投げる。
 一瞬、離脱の遅れた彼女を容赦なく、神奈子の閃光が叩く。
「くっ……!」
「まりさ!」
 頭上から叩きつけられる、滝のような圧力に押され、魔理沙が墜落していく。
「よーしよし! まだだ、まだもう少し!」
 片手にした八卦炉が、がきがきと揺れて音を立てている。
 これほどの圧力を受けても全く壊れない、その相棒にウインクを送ると、魔理沙は「ここだ!」と叫ぶ。
 彼女は八卦炉から閃光を放ち、それを炸裂させた。
 その衝撃で、わずかに、神奈子の放った攻撃が捻じ曲がり、軌道が逸らされる。
 その先にいた相手――諏訪子の背中に向かって、神奈子の攻撃が飛んでいく。
「あっぶないなー! 神奈子ー! このノーコンー!」
「うるさい! 文句があるなら、その性悪金髪娘にいえ!」
「それが二人いるから、どっちに言えばいいかわからなーい!」
 諏訪子は神奈子に文句を言った後、目の前の相手に向き直る。
 武装した人形たちを縦横無尽に操るアリスが、そこにいる。
「ちょっと本気出してるでしょ」
「さあ」
「いいなー、そういうの。負けず嫌いって、あたしは大好き」
「あんたには、以前、霊夢たちが苦戦したって聞いたからね。
 そのあんたを軽々倒せば、私の実力、霊夢たちよりずっと上ってことだし」
「あっちの金髪娘にも言ったけどね。あいつらが戦ったのは、あたしの分霊さ。
 奴は確かに強いけど、あたし本体ほどじゃないんだなぁ。これが!」
 四方八方から襲い掛かってきた人形たちを、諏訪子は手にした鉄輪で殴り倒し、槍の一撃を倒立してかわし、周囲を蹴りで薙ぎ払い、ジャンプして高く飛び上がり、残りを放つ弾丸で撃墜する。
「どうだ!」
「……見た目どおり、すごい運動性ね」
「あたしはこう見えても武闘派さ。
 接近戦やったら、神奈子だって相手にゃならないね!」
 空を滑るように諏訪子が接近してくる。
 アリスは慌てず、前方に、分厚い盾を構えた、防御専用の人形を展開する。
「へぇ」
 諏訪子の繰り出す蹴りが、人形の盾をがつんと揺らす。
 表面がへこむだけでびくともしないそれを見て、彼女はひゅうと口笛を吹いた。
 後ろに下がろうとする諏訪子。
 その背後に人形を設置する。
 諏訪子が振り返ると同時、人形が手にした剣を、諏訪子めがけて叩きつけた。
 諏訪子は体の動きを止めず、半回転して、相手の剣の腹を肘で押しのける。勢いのまま、迫る人形の頭を膝蹴りで吹き飛ばすと、
「甘いよ、人形遣い! こんな技じゃあ……!」
「油断大敵ね」
 アリスに向き直った彼女の背中に、頭を失ったままの人形がしがみつく。
「ぼん」
 アリスの唇が動くと、神社の空がそのまま揺らぐような轟音と共に大爆発が発生した。
「……いったいね」
 煙と炎の中から諏訪子が現れる。
 彼女の背中にしがみついた人形が自爆したのだ。その直撃を受けた諏訪子の背中は、服が焼け焦げ、白い素肌が覗いている。
「普通の妖怪なら、もろとも木っ端微塵になるほどの火薬をつめたのだけどね。
 さすがは神様。無傷じゃない」
「いいや、無傷じゃないね。だいぶダメージを食らった。
 肉体じゃない、精神にね」
 諏訪子は一瞬で無数の鉄輪を取り出すと、それをアリスめがけて投げつける。
 アリスは盾を構えた人形でそれを受け止め、槍ではなく、巨大な銃を構えた人形でそれを撃墜していく。
「ちっ」
 がぁん、という音と共に、人形の構えた盾が吹っ飛んだ。
 勢いは殺されることなく、そのまま飛んできた鉄輪が人形を粉々にぶち砕く。
 人形たちの構えた銃から放たれる巨大な閃光すら、諏訪子の鉄輪は切り裂き、彼女たちを破壊していく。
「こいつがお返しだよ」
 人形たちのほとんどが撃墜された。
 諏訪子の放った鉄輪は、そのまま、地面に突き刺さり、その周囲の地面を粉砕している。
 余裕の態勢は崩さない諏訪子を見て、アリスは無表情に、無機質に、人形たちを追加する。
「へぇ」
「まだまだ」
「普段、その人形たちをとても大切に扱っているくせに。
 こういうときには遠慮なく捨て駒にするんだ」
「ええ、そう。この子達には感情のプログラムも何もしていない。
 無機質なただの入れ物。私にとっての道具たち。
 道具は使うものが有効活用しなければ、ただの無用の長物だわ」
「お前は甘いねぇ」
 アリスの繰り出す、人形たちのラッシュ。
 倒しても倒しても、よけてもよけても終わらない、無限ともいえる攻撃だ。
 諏訪子でなければさばくことなどできはしない、その激烈な攻撃を受けながらも、彼女は笑っている。
「確か、お前の目的、早苗から聞いているよ。
 自律し、自立する、完璧な人形を作りたい、と」
「ええ」
「作ってどうする」
「私の魔法技術を証明する」
「証明してどうする」
「私の実力を見せ付ける」
「見せ付けてどうする」
「私の強さを、みんなに教える」
「教えてどうする」
「……何が言いたいの」
「お前のやることは、かみ合っていない。どれもこれも空っぽだ。
 だから、お前は弱いんだよ」
 ぶんと振るったその腕で、彼女は襲い来る人形を全て片付ける。
 彼女の腕が動くたび、人形たちが壊れて吹っ飛んでいく。
「雑魚が」
 諏訪子はきっぱりと言った。
 さすがに、アリスが表情を変えて、後ろに下がる。
「何をしたいか、何をなすべきか、何が出来るのか。
 それを見出せず、ただ闇雲に、自分のやりたいことだけを追い求めて、お前の望む結果なんてついてくるわけがない。
 あの金髪娘の方が、まだマシだ。あいつの目的は単純だからな。
 お前の考えていることとは、そこが違う。
 お前は何を追い求める? この神と戦って、何がしたい? ん? 言えないだろう? わからないだろう?
 お前の実力はそんなもんなんだよ。我の相手ではないわ!」
 諏訪子の振るう力が、いきなり増したように感じた。
 荒れ狂う烈風がアリスを吹き飛ばし、彼女のそばに控えていた上海と蓬莱が、慌ててアリスを抱きとめる。
「神が嫌いなものを教えてやろう。
 嘘つきだ。そして、己を持たず、ただ神にすがる無責任な奴だ。
 ……ま、後者に関しては、信仰心を持ってくれるなら救いの対象ではある。だが、道を正すようなことはしない。
 特に嘘つきが嫌いだ。何よりも嫌いだ。
 お前のように心をヴェールに隠し、自分をさらけ出そうとしない、巧妙な嘘つきが何より嫌いなのさ!」
「この!」
 放たれる攻撃に抗おうと、アリスが人形たちを差し向けた。
 向かっていく、無機質な、心を持たない人形たち。それらが片っ端から諏訪子のそばで渦巻く力に触れて粉々になっていく。
 接近戦は無意味と判断したアリスは、人形たちに遠距離からの攻撃を命じた。
 しかし、その攻撃も、諏訪子の展開する結界のようなものに触れて、諏訪子には届かない。
「強くなりたいなら強くなりたいと願うがいい。
 己の技術を高めたいと願うなら、それを持って研鑽するがいい。
 お前はどちらでもない。
 何がしたい? 何をなしたい? 何をやってみたい?
 そのざまで、神と対面すること自体が愚かしいわ!」
 うねる力は巨大な『蛇』にも似ていた。
 それが横殴りにアリスを殴りつける。
 上海人形がアリスの背中に回り、木に激突する彼女のクッションになった。
「……逆に痛いわ、上海」
 鎧を着込んでいるため、鉄板の固さがそのまま痛みとなる。
 しかし、アリスは上海人形を振り返ると、『ありがとう』と微笑む。
 普段なら、そこで大喜びする上海人形も、今はアリスによって戦い以外のことに向ける意識を抜かれているため、何も答えない。
「……あまり、私を馬鹿にしないでよね」
 アリスが目の色を変える。
 眦を釣り上げる彼女を見て、諏訪子がにたりと笑う。
「あんたがこっちをどう思っても、それはそっちの勝手だけど。
 人の内面を勝手に認定した上で、それを口に出して馬鹿にするのは、ちょっと無礼が過ぎると思わない?」
「そうか? 我はそう思わぬぞ。
 現に、お前は、ほら、むきになっている。
 人間も妖怪も同じだ。図星を指されると、怒り狂うしかない。愚かよな。
 それを認めることが出来るものこそ成長する。
 あの娘のように。
 お前はそれを否定する。
 そんな奴が、今の器からあふれ出すことなど出来るものかよ」
 魔理沙をちらりと見て、彼女は苦笑する。
 アリスは再び人形を用意する。
 いずれの手にも、持たせているのは、先ほどまでの銃撃人形とは違う、より攻撃的なフォルムをした銃……いや、大砲だ。
「消し飛べ」
 アリスの指示を受けて、人形たちが大砲の引き鉄を引いた。
 魔理沙の放つ閃光に匹敵するような威力のそれが、何発も同時に発射される。
 それらは一斉に諏訪子を直撃し、轟音を上げて爆裂する。
「はっはっは!
 何だ、この程度か!」
 だが、煙の向こうから響くのは、諏訪子の高笑いだった。
 煙が晴れると、そこには諏訪子が立っている。無傷で。彼女は右手をこちらにかざしている。その右手の放つ光が、アリスの攻撃を受け止めたか迎撃したのだろう。
「弱い。弱いな。人形遣い。
 お前が何を思って、今の存在に甘んじ、今、この時、この場にいるかなど、我は知らぬさ。
 だが、一言だけ言おう。
 貴様はこの場にいることすら許されぬ。身の程知らずの愚か者だ!」
 諏訪子の反撃が始まった。
 ねじれた、巨大な『何か』を振り回し、襲い来る諏訪子の攻撃に、アリスは防戦一方となる。
 用意した盾を構える人形たちが次々に蹴散らされていく。
 反撃として放つ攻撃用の人形も軽々と撃破され、手持ちの人形たちが減っていく。
「そーれ!」
 真下から伸びる『何か』がアリスをくわえて持ち上げる。
 ぐえっ、という悲鳴が漏れた。
 その『何か』が猛烈な力でアリスを食いちぎろうとする。
 腹の周り、肋骨がきしみ、めしめしと音がする。
「こ、この……!」
 身動き一つ出来ず、振り上げた手でその『何か』を叩くアリス。
 その程度ではびくともしない『何か』が、さらに力を加えてくる。
 上海人形と蓬莱人形が、アリスを助けに向かう。その他の人形は、アリスに命じられた通り、あるものは諏訪子に攻撃を加え、あるものは諏訪子の攻撃からアリスを守ろうとする。
 その中で、彼女たちだけが、アリスを助け出そうと奮闘する。
「なぜ、その人形どもがお前を助けようとする?」
 アリスは答えない。
 痛みと『何か』から加えられる圧迫で肺や腹が膨らまず、声すら出すことが出来ないのだ。
「そこにいる入れ物たちと一緒にしてしまわないのは、なぜだ?
 その理由が、お前にはわからないのか?
 お前がそうした理由――お前の中の無意識の『お前』を、お前は認識できないのか。
 何と哀れな。何と間抜けな。何と愚かな」
 ぼきん、という音がした。
 骨の折れた音。そして、同時に、折れた骨が何かに刺さったのか、それまでよりも数段激しい激痛が襲い掛かってくる。
 身をのけぞらせるアリスを見て、上海と蓬莱が必死に手にした武器を『何か』に叩きつける。
「ほら、見ろ。お前を助けようと必死なものがいる。
 お前はそいつらを見て何を思う。何を考える。何をしたい。どうしたい。どうすればいい。それがわかるか。
 わからないというのなら、お前は神の前に現れることすら許されぬ。
 去ね。此の世より、永遠に!」
 諏訪子が腕を振るい、それに続く『何か』がアリスを勢いよく放り投げた。
 宙を舞うアリスの体は、先の攻撃によるダメージで身動きが出来ず、ただ、宙を飛んでいく。
 上海と蓬莱が彼女を助けに向かう。
 だが、その伸ばす手はむなしく空を切り、アリスの体が、神社の地より生える木に突き刺さる。
「いいか。人形遣い。
 お前が何を考え、何を思い、何をなそうと志すかはお前次第。 
 だが、そこに、お前の意思を持たず、お前の考えを持たず、お前の命も、お前の霊も、何も存在しないものであるなら、お前はそもそも在ることすら認められぬ。
 その痛みと嘆きの中で考えろ。お前が本当に、何のために、そこにいるのかを」
 上海と蓬莱が、呆然と、アリスを見つめている。
 木に突き刺さった彼女の体。真っ赤な血が流れ、大きな大木を濡らしていく。
 妖怪は、この程度で死ぬことはない。
 だが、その苦痛は想像を絶するだろう。
 気を取り直したのか、二人が必死にアリスをそこから降ろそうとした。
 木を断つか、アリスの体を持ち上げるか。
 悩み、困惑し、それでも必死にアリスを助けようとした。
 そこへ一条の光が飛ぶ。
「アリスーっ!」
 叫び声は魔理沙のもの。
 彼女の放つ閃光は、アリスが突き刺さった木のてっぺんをへし折る。
 解放される彼女を抱きとめ、
「大丈夫か!? 大丈夫か、アリス! アリス!」
 必死に、魔理沙はアリスの体を揺さぶる。
 返事がない。げほげほとアリスは咳き込み、真っ赤な血を吐き出す。
「諏訪子……! お前、ここまでするのかよ!」
「何を言ってるのかね、魔理沙。
 あんただって、神奈子とやりあった時、右腕一本失うぎりぎりまでやったんだろう。
 それくらい、お前と神奈子は本気で戦ったんだ。
 あたしだって、アリスと本気で戦うだけ。もっとも、アリスに、本気のあたしと戦う価値がないけれどね」
 ぎりっと奥歯を鳴らし、アリスを抱えた魔理沙は一旦後退する。
「フランドール! そいつは任せたぞ!」
 神奈子と切り結ぶフランドールの背中に声をかける。
 フランドールは魔理沙を振り返ると、状況を全く理解していない、子供らしいあどけない笑みで手を振った。
 そして、その場に残った上海人形と蓬莱人形はアリスを追いかけない。
「……へぇ」
 二人の人形は、その瞳で神を見据え、互いに武器を構える。
 人形ゆえ、その顔が変化することはない。
 だが、気配でわかる。
 たとえ『入れ物』に過ぎぬヒトカタであろうとも、そこに宿るものがあるのなら、いくらでも神には理解が出来る。
 彼女たちが抱いているのは、怒りだ。
「なるほどね。
 これが、あの人形遣いの意識の奥底にあるものがなしたというのなら――」
 二人が諏訪子に向かって襲い掛かった。
「――なかなかやるじゃん」
 諏訪子の顔に、小さな笑みが宿る。

「お前ら!
 誰か、誰でもいい! アリスを治してくれ!」
 一旦、後ろに下がり、後送されてくるメイド達の治療に当たっている部隊の元へと魔理沙は駆け込んだ。
 紅魔館で医療に携わるメイド達が、アリスの様子を一目見て、目を見張り、息を呑む。
「わかった!」
 それを束ねるメイドが魔理沙からアリスを受け取った。
 苦痛に顔を歪ませるアリスを見て、魔理沙は心配そうな表情を浮かべる。
 だが、彼女は、後ろ髪を引かれながらもその場から飛び立ち、戦いの場に戻っていく。
「ゴリ……アテぇぇぇぇーっ!」
 いきなり、アリスが絶叫した。
 そこにわずかな間を開けて、その場にいる誰よりも大きな人形が現れる。
 それはアリスを見て、アリスはそれを見てうなずき、そしてそれは戦場へと飛び立っていく。
 その姿を確認してから、アリスの意識が途切れた。
「最優先! 急げ!」
 場を統括するメイドの指示で、彼女たちは忙しく動き回る。
 奥のテントにアリスを運び、ベッドの上に寝かせようとするのだが、腹に突き刺さっている木を見て動きを止める。
「それを抜かないと治療が始まらない。
 かなり出血するし、見た目、結構きついけど我慢しなさい。
 あと、そのショックでくたばりかねない。点滴!」
 てきぱきと準備を終えて、メイドの二人がアリスを貫く木を握った。
 そして、一度、息を整えて、一気にそれを彼女から引き抜く。
「うぇっ……!」
 えずきを上げて口元を押さえるもの達が数名。
 アリスの腹を貫通する木が引き抜かれ、真っ赤な血が流れ出す。同時に千切れた臓物がベッドの上にぼとぼとと落ちてくる。
 そこまでの重傷者を相手にしたことがないもの達は顔を真っ青にして、テントの外へと走り出していく。
「治療! 急げ! ありったけの輸血!
 魔法使いは血が命だ! 血がなくなったら、他の妖怪より簡単にくたばるよ!」
 彼女はそう指示すると、右手をアリスへと向ける。
 その掌が光ると、アリスを中心に光のドームが形成され、アリスの傷が徐々にふさがって行く。
「……さすが」
 誰かがつぶやいた。
 このメイド、紅魔館の中で、最も治療の魔術に長けたメイドである。パチュリーもこの手の術は使えるのだが、『私はそれに特化してない』と彼女を評価している。
「新しいけが人です!」
「空いてるベッドに寝かせて治療! 任せる!」
 戦いは激しいものが続いている。
 メイド達の被害もかなりのものであり、すでに何十と言うメイド達が戦線を離脱してここで治療を受けている。
 治療が終わると、医療担当のもの達が止めるのにも拘わらず、戦線復帰してしまうのが問題かもしれない。
 あまりにも高い忠誠心と使命感、そして何より、『紅魔館のメイドである』と言う気概がそれをなしているのだろう。それを、医療担当のもの達は困惑しながらも受け入れ、それを束ねるものは言う。
「全く! もうちょっと余裕持って仕事できないのかね!」
 ――と。

「ゴリアテ! 頼りにしてるぞ!」
 魔理沙は後ろからやってくる、アリスが保有する最大最強の人形を見て叫んだ。
 一気に加速し、閃光を連射し、上海と蓬莱を相手に遊んでいる諏訪子を攻撃する。
「おっと」
 狙いの鋭い、足の速いその一撃をよける諏訪子。
 その頭上から、彼女の身長を遥かに超える、巨大な剣が叩きつけられる。
「これはこれは……!」
 ゴリアテ人形のその一撃を、諏訪子は手にした鉄輪で受け止めていた。
 だが、その鉄輪にぴしぴしとひびが入り、悲鳴を上げて砕け散る。
「おっとっとぉ!」
 すさまじい威力だ。
 そして、とてつもない速さと鋭さだ。
 その斬撃は、一流の剣士もかくやというほどの威力で振り回される。
「こいつはすごい」
 諏訪子は素直に、それを賞賛した。
 ゴリアテが諏訪子を押し捲り、上海と蓬莱がそれをサポートする。
 三方向からの一斉攻撃に、諏訪子の口元にも笑みが浮かぶ。
「いいね。いいよ、人形遣い。
 どうして、これを、あの場で見せてこなかったのか。それが悔やまれる」
 戦うこと以外、全ての意思を抜かれ、ただひたすら戦い続けるだけのヒトカタになったもの達。
 それにも拘わらず、それらはその瞳に無機質な光を見せていない。そこに輝くのは、確実な『意思』の光。
 己の主人を傷つけた、諏訪子を絶対に許さないという怒りの気配。
 その怒りが彼女たちの力になり、『たかが人形』に過ぎないはずのそれらをより強くする。
「フランドール! 待たせたな!」
 はっきり言えば、フランドールは神奈子とほぼ互角の戦いを繰り広げている。
 攻撃力に関しては、フランドールが神奈子を上回る。防御力はその逆だ。
 故に、フランドールの攻撃を神奈子が受け止め、その隙を見つけて、神奈子が反撃を放つ、と言うパターンが形成されている。
 フランドールの防御力は脆弱であり、その肉体は子供そのもの。しかし、『吸血鬼』と言う種族が持つ驚異的な生命力と回復力がそれをカバーし、
「わっ」
 よけきれない一撃をガードする、フランドールつきのメイドの存在が、神奈子と互角の戦いをなす要因となっている。
「その傘は、一体どういう素材で出来ているんだ」
「それは内緒です」
 神奈子の放つ攻撃を受けてもびくともせず、それを完璧に受けきる日傘。
 その性能には、さすがの神奈子も呆れている。
 そこに魔理沙が加勢する。
 彼女の放つ攻撃が神奈子の邪魔をする。
 神奈子は別段、魔理沙の攻撃をよける必要はない。彼女を覆う結界の膜は、よほどのことがない限り、魔理沙程度の攻撃では突き破れない。盾を構えてガードする必要すらない。神奈子にとって、魔理沙は、ただ鬱陶しいだけの『ねずみ』だ。
 しかし、世の中には、こんな言葉がある。
 ――窮鼠猫を噛む、と。
「邪魔ばかりをするな!」
「邪魔するのがこっちの仕事だ!」
 故に、かまれる前に、その牙を全てへし折っておかなくてはならない。
 そうしなければ、一瞬の油断で手痛い反撃を食らう。
 この魔理沙を相手にしていると、つくづくそう思う。なぜなら、彼女は、諦めるということを知らないからだ。
「諏訪子、こっちも手伝え!」
「そんな暇ないんだなー、これが」
 フランドールの剣を受け止め、受流す。
 体が流れる彼女を弾き飛ばし、魔理沙へと視線を移す。
 すでに魔理沙は攻撃態勢に入っており、放たれる弾丸の嵐を、神奈子は同じように弾丸を連射して全て撃ち落とす。
 そうしているとフランドールが復帰し、『フランもやる!』と魔理沙の真似をして攻撃を放ってくる。
 こちらに関しては、盾による全力の防御と弾丸による撃墜を同時にやらなければならない。何せ威力が違いすぎる。
 一方の諏訪子も、すさまじい力で剣を振り回すゴリアテと、それを的確にサポートする上海と蓬莱を相手に、なかなか楽しんでいるようだ。
「それ!」
 武器の鉄輪を繰り出す。
 それは、上海たちが持っているような鎧や盾は軽々砕くのだが、ゴリアテの剣は、魔法か何かで強化してあるのか、傷一つつかない。
 ゴリアテがその攻撃をガードして二人を守る。
 上海たちはゴリアテの背後を回る形で諏訪子へと接近し、手にした槍を叩きつける。
「げげっ!」
 槍の先端が二つに割れて変形し、中から砲門が現れた。
 一瞬、光を放った後、そこから強烈な閃光が撃ち出される。
 その前に、諏訪子は上空へと逃れている。閃光は目標を見失い、その先の地面を切り裂き、爆裂させる。
「驚いた。あんな隠し武器があるとはね」
 これもアリスが全ての接近戦用人形に持たせている武器なのだろう。
 アリスからの指示がなければそれを使えないその他の人形と違い、上海たちは、それを自分の意思で使うことが出来るのだ。
「ほんと、あいつは、この違いを自分で認識しているはずなのに。
 何に目を曇らせてるんだろうね」
 それがとても残念だ、と諏訪子はつぶやいた。
 逃げる彼女を追いかけてゴリアテが接近してくる。
 この人形、その図体と得物と比較すると、恐ろしく機敏だ。足の速さだけなら幻想郷でトップを争う天狗たちと戦っても、恐らく、いい勝負が出来るだろう。
「わっと」
 横薙ぎの一撃を諏訪子は回避し、ゴリアテの頭に蹴りを叩き込んだ。
 岩くらいなら軽く粉砕するその一発も、ゴリアテはちょっとだけ頭を揺らしただけでまるで堪えない。
「人形に痛覚はないからね。やるなら木っ端微塵にしないとだめなんだろうけどさ」
 ゴリアテが体勢を入れ替える。
 彼女は視線を、フランドールの相手をしている神奈子に向けると、そちらに向かって飛んでいく。
「おーい、神奈子。厄介なガーディアンがそっちいったよ!」
 余裕なく魔理沙とフランドールを相手にしている神奈子。
 戦力比を見て、自分がそちらに加勢し、まず神奈子を倒した方が得策と考えたのか。
 全く賢い人形だ。
「やるな……!」
 ゴリアテの振り下ろす刃は、フランドールの魔剣と同じかそれ以上の威力がある。
 神奈子の構えた結界の盾がぎしぎしときしむ。
 そこへ魔理沙の援護射撃。
 さすがに受けきることが出来ず、神奈子は両者を振り回して間合いを空けると、自分の前方に結界の盾を張る。
 魔理沙の攻撃はそれによって吹き散らされ、消滅する。
「えーい!」
 頭上から、フランドールが降ってくる。
 自ら生み出した破壊の弾丸を雨あられと降らせ、それを自分に対する援護射撃としながら突っ込んでくる。
 誰からも教えられないというのに、戦いに対するセンスは特筆ものだ。子供は、事、『遊び』に関しては大人など足下にも及ばないほど素晴らしい機転を見せるものだ。
「くそっ!」
 連続で叩きつけられる弾丸の嵐をガードしながら、フランドールの魔剣を受けることは、さすがの神奈子にも出来なかった。
 構えた盾は木っ端微塵に破壊され、その刃を肩で受け止める。結界を膜にして自分を覆っていなければ、その一撃で真っ二つになっていただろう。
 すかさず、神奈子はフランドールの腕を掴み、彼女を上に放り投げる。
 思わず、フランドールは手にした剣を取り落とす。
「フランの真似はできないけどな! 魔法の道具なら、私だって使えるさ!」
 地面に向かって落下して行くそれを受け止めるのは、魔理沙だった。
 彼女が手にした魔剣は、フランドールが手にしていたように破壊の炎を発生させることはなく、代わりに魔力の光を刃とする。
 その一撃がどれほどのものなのか、興味は湧くが、まともに受け止める勇気はない。神奈子は自分の足下に生み出した光の珠を破裂させ、360度、全方位を光の波で薙ぎ払う。
「甘い甘い!」
 その圧力と衝撃をまともに受けながら突っ込んできた魔理沙が、手にした刃を神奈子に叩きつけた。
 間一髪、結界の盾が間に合い、神奈子は内心、ほっとする。
 その威力はフランドールのものに劣る。だが、受け止めた感覚からすると、まともに食らえば甚大なダメージを食らうのは間違いないほどだ。
「この武器いいな! フランに言って、もらいたいくらいだ!」
「人のものを欲しがるな!」
「じゃあ、借りるだけに留めるさ! 私が死ぬまでな!」
 魔理沙は剣を天に向かって振りぬき、神奈子の結界を寸断した。
 そのまま、「フラン!」と手にした剣をフランドールに投げ渡す。彼女はそれをキャッチすると、再び、破壊の魔剣を携えて襲ってくる。
 同時に、ゴリアテが神奈子の背後に回っていた。二つの方向からの斬撃を受け止めて、神奈子は再度、彼女たちを弾き飛ばす。
 魔理沙が神奈子めがけて閃光を放つ。神奈子はそれを半身に構えてよけて、
「諏訪子、よけろ!」
 声を上げた。
「え?」
 諏訪子が一瞬、振り返る。
 その瞳が捉えたのは、魔理沙の閃光がゴリアテに向かい、ゴリアテが、その手にした剣で魔理沙の閃光を弾き返すところだった。
「いったぁーい!」
 その閃光は、見事、諏訪子を直撃した。
 悲鳴を上げて転がる諏訪子に、上海と蓬莱がこれでもかと槍からの砲撃を放ち、ダメージを降り積もらせていく。
「考えたじゃないか!」
 諏訪子は神奈子のように結界術は得意ではない。
 神ゆえの、世界と己を断絶する界を作ることは出来るが、その防御力は神奈子のそれには遠く及ばず、従って、彼女自身の耐久力にそれは跳ね返る。
 魔理沙程度の攻撃であろうとも、諏訪子になら大打撃……とまではいかないが、ダメージを与えることは可能なのだ。
「ゴリアテ、よくやった!」
 魔理沙はゴリアテにウインクをすると、神奈子に視線を向けた。
 ゴリアテは左の剣を神奈子に向かって投げつける。
 神奈子はそれを拳で弾き、弾かれた剣を魔理沙が空中で受け止める。
「うおっ、重てっ! だけど、威力はあるんだよな!」
 ずっしりと重たい剣。振り回すどころか持つだけでも精一杯のそれを、魔理沙は引きずるようにして神奈子に向かっていく。
 神奈子は魔理沙に振り返り、強烈な波動で彼女を吹き飛ばす。
「フランドール、贈り物だ!」
 魔理沙は手にした剣をフランドールに投げ渡した。
 彼女はそれを受け止めると、『よーし!』と笑う。
「いっくよー!」
 今度はフランドールが二刀流になって神奈子に襲ってくる。
 ゴリアテのパワーで振り回される剣の威力もかなりのものだったが、それが吸血鬼の膂力に変わった途端、恐ろしさは激増する。
「純粋な力だけの攻撃だが……!」
 叩きつけられた剣が、神奈子の結界にひびを入れ、叩き割る。
 結界を物理攻撃で割ることなど、普通はできないのだが、それを可能とするのがフランドール・スカーレットと言う少女。
「末恐ろしいにも程がある!」
 攻撃をよけて、通り過ぎていくフランドールの体から視線を外し、少しだけ、彼女を守る日傘を操るメイドを見る。
 このメイドはフランドール・スカーレット最大の弱点だ。
 日光に弱い吸血鬼。このメイドが持つ日傘さえなくなれば、もはや恐れるものは何もない。彼女は日光から身を守るために逃げ回るしかない。
 だが、
「……そんなことは出来ないか」
 それは一言で言ってしまえば『卑怯』な手段だ。
 神として、そんなことをしてしまえば、己の格を否定することになる。
 彼女は振り上げた手から雷光を放ち、フランドールの背中を一撃する。
 そしてすぐに視線を上げて、魔理沙を見る。
 魔理沙は真っ向から、神奈子めがけて攻撃を放ってきた。それを手の一振りで弾き、上から切りかかってくるゴリアテへの牽制攻撃とする。
「諏訪子!」
「うっさーい!」
 諏訪子は叫ぶと、手にした鉄輪を回し、それをゴリアテめがけて投げつける。
 鉄輪は途中で複数に分裂し、無数の弾丸となってゴリアテを襲った。
 彼女は手の剣を振って鉄輪を撃墜し、よけきれないものを体に受けて、その巨体を揺るがせる。
「大丈夫か、ゴリアテ!」
 体のあちこちに鉄輪が食い込み、ひびの入った彼女。
 しかし、ゴリアテは魔理沙にうなずくと、神奈子の結界を剣で一撃し、そのまま諏訪子へと向かっていく。
 神奈子は左手の結界を揺るがされながら、相手が去っていくのを見送る。
「とりゃー!」
 後ろからフランドールが迫ってくる。
 振り返ることもなく、彼女は自分の背後に作った結界の壁でフランドールを受け止める。
「よし、いいぞ、フラン!」
 魔理沙が迫ってくる。
「やれやれ」
 少しだけ、神奈子は笑った。
 この戦い、確かに『戦』だ。しかし、このにぎやかさは、『祭り』に近い。
 神は奉られ、祀られることで祭りを好む生き物だ。
「こうしたことも、長く生きていく上では悪くないぞ!」
 叫び、両手から放つ閃光で、魔理沙とフランドールの二人を散らす。


 ―八幕―


「仕方ないですよ、神綺さま。アリスはまだ小さいんですから」
「そうそう。小さくてかわいいのがアリスのいいところなんだから」
 ――いつもそう言われていた。
 みんな、私のことを『小さくて』『かわいくて』『それがいいところ』なんだ、って。

「そうね。アリスちゃんは、まだ小さいのだものね」
 この人もそう言っていた。
 私は小さくて、『何も出来ない』んだ、って。

「無理をさせないでください」
「無理しちゃダメよ」
 みんな、私のことをそう言った。
 私は何も出来ない、ちっぽけな存在なんだ、って。

 ――それがいやだった。許せなかった。



「……アリスさん?」
「今、こん睡状態で意識が混濁してるだろうから。
 夢を見てるか、何かと何かが邂逅しているかしてるんでしょう。
 ともあれ、急ぎなさい。傷はほとんど塞がった。あとは回復だけよ」
 紅魔館の救護テントで、担ぎ込まれたアリスの周りでメイド達が一生懸命、彼女を助けようとしている。
 意識を完全に失い、糸の切れた操り人形となっているアリスを助けるべく、彼女たちは奮闘している。



 何がしたいか? 何をしなければならないか? 何をなそうとしているのか?
 そんなものは決まっている。
 みんなに、自分を認めさせたいのだ。
 大好きな人たちに、もっともっと、自分のことを見てもらいたいのだ。
 そのためには、強くなって、誰からも認められる存在にならないといけない。
 そのために、私は今、ここにいる。
 己に出来る技術と力を究めて、自分の中の『自分』を確立するために。



「……あれ?」
「どうしたの?」
「今、アリスさんの手が……」
「……意識が戻った?」
 見ると、確かに、アリスの左手がぴくぴくと動いていた。
 ただの無意識の反応によるものか、それともそれが彼女の意思でなされているのかは、見ただけでは判然としない。
「アリスさん。わかる? 聞こえる?
 アリスさん。今、あなたがどこにいるか、わかる? アリスさん」
 メイドがアリスの手を握って語りかける。



 どこにいるのか? 決まっているじゃないか。私は今、『ここ』にいる。
 どこにもいない自分などと言うものは存在しない。私は『ここ』にいるから、『私』なのだ。
 認識の出来ない自分は存在しない。
 見ることの出来ないものは、此の世の存在ではない。
 私は違う。
 私は『ここ』にいる。



「アリスさん!」
「大丈夫ですか!?」
 アリスが起き上がる。
 彼女は痛む体を引きずってベッドの上から立ち上がる。
「どこへ行くの?」
「……」
「言っておくけれど、今、あなたは大量の血を失っている。
 魔法使いの魔力は血に宿る。血を失ったあなたは、今、大幅に弱体化している。あの場に戻っても何も出来ない」
「……そんなことない」
 いつも握っている魔法書を手に取る。
 それは、彼女の血にまみれて、赤く光っている。
「無理をしてはいけない」
「今、無理をしなくて、いつ、無理をするのよ!」
 真っ向から自分を見据えるメイドに怒鳴り散らして、アリス。
 その瞳に宿る光を、彼女は揺らしている。
「外に出すわけにはいかないわ」
 アリスへの診断結果はそれだった。
 今、彼女は弱っている。心も体も。外に出してはいけない。外に出ては死んでしまう。
『彼女』はここからいなくなる。
「……私は弱いのだって」
「パチュリーさんが言ってたわね。あなたも魔理沙も、まだまだ魔法使いとしては中途半端だ、って。
 だからこそ、成長の余地がある、って」
「……そんなことない」
「アリスさん。ベッドに戻りなさい」
「私は弱くなんてない……! 私は強くなった……! 強くなったのよ!」
 手にした書物の鍵を開け、それを開く。
 書物に羅列されている文字が、見たことのない色の光を放って輝いた。
 それと同時に、黒い『何か』がアリスの左手を伝って、彼女の体へと侵食していく。
「これは……!?」
「な、何!?」
「力をくれるのなら……! 今、この私に、誰にも負けない力をくれるなら! 私を証明してくれるなら!」
 アリスが叫んだ。

「魂くらい、くれてやる!」


「……何だ?」
「え? なになに?」
 神奈子が戦いをやめ、フランドールがこくんとかわいらしく小首をかしげた。
 諏訪子もまた、動きを止める。
 異変を感じ取ったのか、諏訪子へと激烈な攻撃を仕掛けていた三体の人形も、後ろを振り返る。
「おい……。何だ、ありゃ……」
 魔理沙がつぶやいた。
 周囲のもの達全てがざわついている。
 見たことのない光が後ろから立ち上っている。
 黒いのか、赤いのか、青いのか。
 それすらわからない何か。
「……なるほどねぇ」
 諏訪子がつぶやく。
「おーい、天狗ー。
 天魔はそこにいるかい?」
 彼女の問いかけに、天狗の一人が、『い、いえ。天魔さまはすでに境内に……』とうろたえながら答える。
「そいつはよかった」
 諏訪子は言う。
「あいつがいたら、えらいことになるところだった」
 その言葉と、光の中から伸びてくる、真っ黒い『何か』が彼女に襲い掛かるのとはほぼ同時だった。
「なになに!?」
「フランドール、離れていろ! 危ない!」
「え? え!?」
「魔理沙! フランドールを連れて、レミリアのところに移動しろ! 奴はこっちに来る!」
 神奈子の指示を受けて、魔理沙はすぐさま、フランドールを抱えると紅魔館の本陣へと移動する。
 こちらもかなりの混乱が部隊を満たしており、天狗たちと交戦していたもの達もその手を止めて、黒い『何か』を眺めている状況だ。
「おい、レミリア!」
「あら、魔理沙。そしてフラン。お帰りなさい。楽しかった?」
「うん、たのしかった!
 おねーさま、あれなぁに?」
「ああ、あれ?」
 レミリアは、反対に、落ち着きはらっている。
 まるで、その光景に見覚えがあるかのようだ。
 口元を隠しながらくすくす笑う彼女。
「……レミリア。お前、何を知っている」
「知っている? ええ、知っているとも。
 あれが何なのか。わたしはむかーし昔、ああいうことをする奴を見たことがある」
 色の区別がつかない光の中から歩みだしてくるものがいる。
「……アリス!?」
 その左手に持った本を開き、真っ黒い何かに体を半分浸食された彼女。
 彼女は左手の本を構えて、何事かを唱えた。
 すると、本から現れた黒い触手が、神奈子と諏訪子に向かって襲い掛かる。
「あれはねぇ、その昔、その昔、その昔。ある一人の魔法使いがやらかしたことと同じ。
 自分より遥かに強いものに対して立ち向かい、かなわず、敗北し、膝を突いた時。
 それでも負けを認めず、愚かにも立ち上がり、刃向かってきた時とまるで同じ」
 くすくすと笑うレミリアの声のトーンが変わる。
 普段の、わがままちびっこの気配を隠し、夜の化け物の王、闇の貴族たる吸血鬼へと。
「そう。あれは、あの時と同じだ。
 己の魂を未知なる『獣』にくれてやる、変化の術だ」
 魔理沙が目を見開いた。
 アリスの持った本が光を放つ。
 すると、それから伸びる黒い触手が凶悪な形に変化して、神奈子たちを襲う。
「おい、神奈子! どうする!」
「どうするもこうするもあるか! 諏訪子、お前は何をやった!? あの娘が『魔物』に魂をくれてやるようなことを、なぜ、仕掛けた!」
「やー、ちょっと失敗したね。
 早苗から聞いていた話だと、あれはもっと賢くて、優しくて、そして聡明だと思っていた。
 だが、そういえば昔、霧雨のから聞いてたよ」
 伸びる触手を蹴りつける諏訪子。
「あれはめちゃくちゃ沸点低くて、一度、ぶちキレたら何しでかすかわからない、ってね」
 ひょいと肩をすくめて、諏訪子は苦笑した。

「諏訪子。責任は取るんだぞ」
「はーいはい。責任取るよ。
 さすがに、あーなったのをそのまま、ってのは寝覚めが悪い」
 神奈子の撃ち出す閃光を、アリスは片手で受け止める。
 正確には、彼女の左手と半ば一体化した魔法書から伸びる黒い塊が盾となり、それをなしている。
「あれは一体何なんだ」
「力を持ってる魔法の道具でしょ。
 何百年何千年を経て、半ば意思を持った化け物になってんじゃない?」
 諏訪子が接近し、アリスを蹴りつける。
 顔を確実に捉えたというのに、『がぁん』という、まるで金属の柱を蹴ったかのような衝撃が返って来る。
 そして、肝心のアリスはというと、全くのノーダメージという有様だ。
「おっと」
 黒い塊は刃や触手、ありとあらゆる形状に形を変えながら諏訪子を追いかけてくる。
 それらを鉄輪で殴りつけて追い払い、距離をとったところで、神奈子が横からアリスに攻撃を仕掛ける。
「どこまで加減していいのか、全くわからん」
 先ほどのものよりも大きく威力を上げた攻撃も、アリスの体半分を覆う黒い塊は、平然と受け止めてみせる。
 神の圧倒的力を前に、これだけ抗することができるなど、よほどあの魔法書が持っている力は大きいものであるらしい。
「一体、誰が書いたのやら」
「人じゃないだろうね。妖怪でもない。もしかしたら、神が書いたのかもしれない」
「ああ、それなら、もう本当に付喪神だ」
 半ば投げやりに言うと、神奈子は再び攻撃を放つ。
 魔理沙の放つ閃光の、何倍もの威力と規模の光の塊がアリスに直撃し、轟音を上げて炸裂する。
 さすがにそれには、あの黒い塊も耐えられなかったのか、直撃を受けた箇所が粉々に砕け散る。
 しかし、それは見る見るうちに再生し、より不気味な色を放って脈動する。
「下手に仕掛けたら、こっちの攻撃を吸収とかしてきたりしてね」
「そこまでになったら、もはや手に負えん」
 しかし、長い間、年月と『力』を吸って育った道具と言うのは強いものだ。
 持ち主の手を何度も渡り、そのたびに、その持ち主と周囲のものから力を吸い続ける。
 何の縁も所縁もない、ただの道具ですら魂を持つ。
 強大な力と意思を最初から持たされた道具など、何をかいわんや。
 ものによっては神などよりよほど長生きするのが『道具』というやつだ。あの人形遣いが持っている本が、どの程度のものなのかはわからないが、手加減しているとはいえ、神を二人同時に相手にして、全く劣ってないどころか軽くあしらっているほどの力を持っている。その出自が気になると同時に、少しだけ、恐ろしくなる。
「神奈子、どうする?」
「あの娘から本を切り離すのが一番だ」
「腕を落とせって?
 あたしはいいけど、後ろの子達が納得しないでしょ」
「じゃあ、どうする」
「要は結合してるところをぶっ壊してしまえばいいんでしょ?
 魂にまで侵食していたら、それこそ殺さないと無理だけど、そこまでいってないなら何とでもなる」
「なら、お前が何とかしろ。
 元々、これを作った原因はお前なんだ」
「はいはい。
 あ、そこの天狗。そこいたら危ないよ」
 状況が全く飲み込めず、立ち尽くすしか出来ない天狗たち。彼らを横によけさせて、諏訪子は『やれやれ』とため息をついた。
「年寄りをこき使うって、こういうこと言うのかねぇ」
 諏訪子の展開する『何か』がアリスに食らいつく。
 一体何に食いついているのかと思うほど、それは固く、揺るがない。
「そこまで決意して、覚悟して、こいつを受け入れたってんならさぁ――」
 がきん、と諏訪子の手から延びる『何か』の牙がアリスの体に食い込んでいく。
「もうちょっと気張って制御してみろっての」
 困ったもんだ、と彼女は肩をすくめる。

「あの時は、ほーんと、大変だった。
 それまでは大したことのない力しか出してこなかったくせに、これは全く別人かと思うほど強くなった。
 吸血鬼の回復力をもってしても回復が追いつかないほど、体を吹き飛ばされてね。
 いや、死ぬかと思った」
 レミリアは、その時の思い出を楽しそうに語る。
 フランドールは横で首をかしげ、魔理沙は神妙な面持ちで、彼女に視線を向けている。
「それくらい強い力を出せるのに、なぜ最初から出さない? それを聞いた時、そいつ、何て言ったと思う?
『こんなまがいものの力に手を出さないと勝てない、お前が悪い』よ。
 全く、笑ってしまう。
 いや、だけど、まさにその通りだった。わたしが強すぎるのが悪かった」
 まがいものだろうが何だろうが、とにかく強い力を使わないと勝てないほど、相手が強かったのがそもそもの誤算だった。
 それほどまで強い力を出さなくても勝てると見込んでいたのが悪かった。
 相手がそれほどの切り札を用意していることが見抜けず、とっとと片をつけなかったのも悪かった。
 たくさんの悪い要素が相乗した結果、世にもとんでもない事態が起きてしまったのだ。
「本当に強かった。こっちが出す攻撃のほとんどが通じない。向こうの攻撃は一発でこっちをふっ飛ばしてくる。
 ああ、こりゃやばいかな~、なんて思っていたら、向こうも、元々制御できない力を無理やり使っているもんだから、段々と違和感が出てきてね。
 最初はね、意識がなくなるんだ。体だけで動くようになる。
 次に、魔力の侵食が全身に広がってくる。ここまで来ると、そいつの意識……っていうか、意思じゃ、どうにもならない。
 最終的に、力に飲み込まれて、見たこともない歪な形の化け物になって、終わり。
 もう二度と、そいつは『そいつ』に戻らない」
 さすがに、そうなったら『つまらない』とレミリアは判断した。
 こんな面白い芸を持っている奴だ。生かしておいたほうが、絶対にいい。今後も、この長い人生の中の楽しみとなる。
 そう思ったから、レミリアは全力で、そいつを『ぶっ飛ばす』ように戦ったのだという。
「どうやったら、そいつから魔力の源……っていうか、供給源を千切り取れるか考えてね。
 腕力じゃ無理だった。自分に出来る、一番強力な技をぶつけても吸収された。
 その時、思いついたんだ。
 魔力と力の両方で抉り取ってやりゃいいんじゃないか、ってね」
 力で無理やり相手を押さえつけ、己の魔力のありったけを叩きつけ、その元凶を取り除く。
 そうすることが出来れば、こいつを『倒す』事は出来るし、相手の用意した『切り札』を潰すことも出来て、まさに一石二鳥。
 ついでに言えば、今後、そいつはそうした危ない手段をとらなくなるかもしれない。
 これら三つの利益があるのなら、なるほど、挑戦してやろうじゃないか。
「ただ、今回のは難しいかもしれないな」
 レミリアはアリスを指差す。
「見ろ。あれを。
 ゆっくりとだが、左手から侵食がどんどん進んでいる。
 あれは奴が本の更なる力を欲している証拠だ。そこまでしなくても何とでもなるだろうに、そこまで自分を追い詰めたのは……まぁ、それも人の在り方か。
 わたしには理解出来ないがね」
 負けず嫌いもここまでいくと大したもんだと、レミリアは笑う。
「……どうすればいい」
「奴を侵食する元凶を切り離せばいい。やり方は、わたしが言った通りだ」
「あいつらに、それが出来るのか」
「出来るだろう。
 だが、やらせない方がいい。なぜだかわかるか?」
 魔理沙の瞳を覗き込むレミリア。その目許が楽しそうに笑っている。
 魔理沙は相手の視線を受け止め、見据え、そして、言った。
「頼む。レミリア。
 あいつをしばらく押さえておいてくれ」
 魔理沙はレミリアに向かって、深々と頭を下げた。そして、彼女は箒を強く握り締めると、その場を後にする。
 魔力の光跡が、ずっと後ろまで伸びていく。
 それを眺めていたレミリアは、笑い出した。
 最初は小さな笑みから。それは徐々に大きくなり、肩を揺らして大笑いした後、
「いいだろう。貴様と約束してやろう。悪魔は必ず、約束は守る。
 守れなかったその時は、この命を貴様にくれてやろう」
 彼女はフランドールに、「あなたは、充分、遊んだでしょう。少し後ろに下がっていなさい」と、いつもの口調で言う。
 フランドールは、神妙な面持ちで小さくうなずいた。
 妹が充分、その場から離れたのを確認してから、彼女は大きく羽を広げて宣言する。
「だが、貴様が我との約束を守れぬのならば、その魂、とって食らってやるぞ!」
 彼女はその場から加速し、一気にアリスと距離を詰めると、右手の爪を相手に叩きつける。
「おっ、何だい何だい、吸血鬼。お前は今回、見ているだけに過ぎぬとか言っていなかったかい」
「気が変わったんだよ、いにしえの神よ。
 狂った獣と戦うのも、そう悪くはあるまい!」
 振り上げた左手で、彼女はアリスの顔を叩く。
「おお、硬い! 硬いなぁ! 人形遣い!」
 両手で相手の頭を押さえ、万力のように力をこめていく。
「貴様の頭をこうして握りつぶしてやりたいところだが、今日の我は約束を守らなくてはならない。残念だ。
 次に、我とこうしてやりあう時は、どちらかが死ぬまで楽しく遊ぼうじゃないか!」
 振り上げた拳で相手を叩き、蹴りを見舞い、右手を振るって赤い刃を放つ。
 その刃はアリスの体に突き刺さり、炸裂する。
「ちっ」
 煙の向こうから伸びる黒い『力』が、レミリアの首のすぐそばをかすめていく。
「まるで効かないか」
「そんなへなちょこな攻撃が通用するようなら、とっととあたしらがけりをつけてるさ」
「ふん。言うじゃないか」
 アリスの体を覆う侵食は、すでに左半身全てに及んでいる。
『黒』に飲み込まれた瞳は変色し、真っ黒な目に、その中心に光り輝く星のような目玉がある。不気味なその瞳をぐりぐり動かし、彼女は『敵』を認識する。
 本と一体化した左手が動くと、そこから無数の『黒』が生まれてくる。
「来たぞ、来た来た! 反撃だ!」
 諏訪子は鉄輪を構えてそれらを蹴散らし、神奈子は片っ端からそれを迎撃する。
 レミリアは四方八方、あらゆる方向を隙間なく埋め尽くすその攻撃の嵐を軽々とよけ、
「遅いぞ、ついてこい!」
 自分を日光から遮る大役を与えている妖精が、その足の速さをもってしても自分についてこられないのを叱咤する。
「恐ろしいなぁ、人形遣いよ!」
『黒』が突き刺さったところは、その黒に侵食されて漆黒に染まり、崩れていく。
 青々とした葉を揺らす木々も、美しく太陽を照り返す水面も、全てを支え、育む大地も。何もかもを侵食し、消滅させていくのだ。
 飲み込まれてしまえば、もはや助かる手段はあるまい。
「だが、そういう危うい強さが大好きだぞ!」
 振り上げた拳で相手を叩き、振りぬく爪で切り裂き、とどめに相手の『黒』をその腕が刺し貫く。
「普段の飄々とした面が見る影もない!
 ここまで外道で、薄汚く、穢れた貴様を見るのは、なんと辛いことだろうなぁ!」
 相手の体から腕を引き抜き、レミリアが真紅の槍を掲げる。
「それ故に、貴様がこれほどまでに汚れた力を欲して、なお、勝ちたいと願うその気持ち!
 そういうのが、我は大好きだ! 貴様にも、人間のような心があったんじゃないか!」
 掲げた槍を相手に投げつけ、直撃させる。
 普段、『スペルカード』などと言うお遊びで使うものとは違う、本気の一撃だ。博麗の巫女の結界すら軽がるぶち抜く威力をこめてやった必殺の一撃だ。
 さすがのアリスも、それを覆う『黒』も、自分に食い込んでくる赤の侵食を止めることは出来ていない。
 槍の先端はその体に突き刺さり、貫き、砕く。
 およそ生き物ではない、器物に対してひびが入るように、アリスの左半身が砕けて大きな穴が空く。
「さあ、もう一撃――!」
 そこで、レミリアは目を見張る。
 彼女の放った槍が、アリスの体に空いた穴を修復するかのように分解され、取り込まれたのだ。
 一瞬で相手は無傷の状態へと戻り、右手がレミリアにむけて差し伸べられる。
「何だと……!?」
 さすがに、これにはレミリアも驚愕するしかなかった。
 直後、アリスの右手から、彼女の放った『槍』そのままが反撃として撃ち出された。
 漆黒に染まった槍の一撃を、なす術なく食らったレミリアの体が粉々に吹っ飛び、足首だけを残してその場から消滅する。
「……神奈子。ありゃ、結構まずくないか?」
「侵食。吸収。反射。ありとあらゆるものを力として取り込むことを貪欲に欲しながら、しかし、自分には受け入れられないものは反発させる。
 ――あの人形遣いの性格そのものだ」
 映像が巻き戻されるかのように、レミリアの体が修復されていく。
 諏訪子は、「悪魔ってのは便利だね」と呻き、「おい、吸血鬼!」と声を上げる。
「……なんだ」
「見ての通り。あんたみたいな力押しが通じるなら、うちらがとっくにやってる。
 奴を倒すには、あの本を切り離すしかない。
 わかってる?」
「わかっているさ。そのつもりで戦っていたんだが……。
 いや、楽しくてつい忘れてしまった。
 何せ、我らには脳みそが存在しない」
「だったら、ここは一つ、共同戦線と行こう。
 神様が悪魔と手を結ぶなんて以ての外だが、なぁに、お前とあたし達の戦う相手が、たまたま一緒なだけだ」
「屁理屈だけはうまいのが神の嫌いなところだ」
「悪魔に好かれようなんて、思っちゃいないよ」
「巻き込まれて消えてしまえ」
「そっくりそのまま、同じ言葉を返してやる」
 二人がそろって、アリスへと向かっていく。
 あの二人が手を組めば、なるほど、さすがのアリスも防戦一方だ。
 素早い動きで飛び回り、致命的な一撃を片っ端から繰り出してくる。それらをアリスはガードし、様子を見て、一瞬でも隙を見つけたら、そこによけきれない速さで攻撃をねじ込んでくる。
「あの戦い方も、いつものあの娘そっくりだ。
 あの本は、よほど、持っている人間の思考をトレースする……というか、持ち主を尊重するらしい」
 してみると、あの本は『いい奴』なのかもしれない。
 あくまで持ち主に尽くし、力となろうとしているだけなのかもしれない。
 問題は、その力があまりにも強すぎる結果、持ち主を飲み込んでしまうということなのだが。
「……それは道具として『欠陥品』と言うのだ」
 はぁ、と神奈子は小さなため息をついた。

「パチュリー! パチュリー・ノーレッジ!」
「大きな声を出さなくても聞こえているわ」
「今の状況、わかってるだろ!」
「ええ。もちろん」
 紅魔館へと戻ってきた魔理沙は、一目散に図書館を訪れていた。
 その一角、普段はパチュリーの魔法の実験場となっているフロアにやってくる。
 その部屋の中心に描かれた大きな魔方陣の中に佇んでいるパチュリー。彼女を中心とした部屋の四隅には一つずつ、巨大な魔力石が設置されていて光を放っている。
 それらの頂点から放たれた光が、部屋の中央の魔方陣に集まり、上空に巨大な魔力の塊を作り出していた。
「アリスがえらいことになっている。助けたい。何とかしてくれ」
「自分で考えもせず、人に助けを求めることはしないように」
「したから言ってるんだろ」
「……あ、そう」
 これは意外だ、といわんばかりにパチュリーは魔理沙から視線を外した。
 普段なら、そういう対応をされると、『そういうめんどくさいことはしたくない』などと言い出すのが魔理沙だからだ。
 それが真っ向から『きちんと自分はやった。その上で頭を下げている』と答えるのは実に珍しい。
「レミリアや諏訪子とかが言っていただろうけれど、あれをどうにかするには、あの本を切り離すしかない」
「出来るのか」
「出来る」
 それにあっさりと、パチュリーは返した。
 先に名前を挙げたもの達は、『面倒だが』ということを必ず付け加えるのにだ。
「あの子、あんな強力な魔法書を持っていたなんて。普段から、あの大切にしている本には何かがあると思っていたけれど、これは意外だったわね。
 今度、正気を取り戻したら、きちんと研究させてもらわないと」
 しかし、そこにはきちんと打算があったようだ。
 パチュリーは、上空に浮かぶ魔力の塊を指差す。
「あれが今回の秘密兵器の大砲よ。
 全ての威力を集中させることが出来れば、多分、博麗大結界にでも穴が空く」
「そりゃ、神奈子や諏訪子をぶっ飛ばすための切り札だからな」
 魔理沙の立てた、今回の紅魔館チームによる戦いのプランは、『自分たちが囮になって神奈子たちの足止めをする。そして、後ろから、パチュリーがこの大砲を相手にぶちかまして倒す』という大雑把なものだった。
 だから、派手で目立つ攻撃を展開するフランドールを連れてきたというのもある。彼女が大暴れすればするほど、皆の意識はそちらに集中し、後ろにこんなとんでもない隠し玉が控えていることなどよもや思いもしないからだ。
「こいつのエネルギーを一点に集中する。
 エネルギーはあそこの増幅器から出力されて、外に射出する際に、あそこのレンズを通る」
 魔力球の上空にある、筒のようなものを示し、そこが壁の一角に即席で作られた窓に向いているのを示す。
「そして、放たれたエネルギーを直撃させれば、間違いなくあれを切り離すことが出来る」
「よし! なら……!」
「ただし問題が一つ」
 人差し指を、パチュリーは魔理沙へと突きつける。
 自分よりも背の低い相手に、人差し指を鼻先に突きつけられて、思わず、魔理沙は一歩、足を引く。
「こいつの威力はすさまじい。
 神奈子やら諏訪子は耐えるだろうけど、アリスは無理。いや、本は耐えるかもしれないけれど、『アリス』は消し飛ぶでしょうね」
「……じゃあ、どうやって……」
「八卦炉」
 魔理沙からそれを受け取り、パチュリーは八卦炉を起動させる。
「いい? こいつのギミックはこうなっている。
 魔力を吸収・増幅させるブースターを周囲に配して、この辺りの経路を通り、中央のレンズへと集中させて放つ。
 ……小型だけど、やっぱりなかなか面白い構造ね。
 まぁ、それはともあれ、この中央のレンズが魔力を放射するための砲門であり、文字通りの『レンズ』でもあるわ。
 こいつであの魔力を一点に収束させて、本だけを切り離すのよ」
 言うなれば、虫眼鏡のようなものだ、とパチュリー。
 それによって、莫大なエネルギーをさらに一点に集中させ、それこそ星にすら穴を開けるくらいの強力な『刃』にするのだと、彼女は説明する。
「発射から着弾まで、その時間、ゼロコンマ三秒。
 その間に、八卦炉を展開し、アリスへ焦点を合わせ、アリス自身には攻撃の影響が及ばないように、もちろん自分自身もその場から離脱。
 精密かつ超がつく高速作業。一瞬でもずれれば、仕掛ける奴は文字通り。アリスももちろん、此の世から吹っ飛んで消える。
 ――やる?」
 それよりは、レミリアや諏訪子、神奈子といった、想像を絶する強さを持った奴らに任せてしまうのがいいのではないか。
 パチュリーの提案に、魔理沙は沈黙する。
 それほどの短時間に、それだけの精度が必要なことが出来るのか? 普段から、『パワー』で押しまくるのが戦い方である魔理沙に、針の穴を通すような、そんな精密な作業が出来るのか?
「私は、やれと言われればいつでも準備は出来ている」
 パチュリーは魔理沙を見据えて、きっぱりと言う。
 魔理沙はパチュリーから八卦炉を返してもらうと、それを服のポケットに押し込んだ。
 そして、
「やるに決まってるだろ」
 相手を真っ向から見据えて宣言する。
「普段から、アリスの奴、私に恩を着せるだか何だかでうるさいからな。
 たまった恩とやらを、これ一発で全部返してやる。
 ついでに、そのオーバーした分の恩を着せ返して、向こう一年くらいはタダで飯をおごってもらうんだ」
 魔理沙は箒にまたがった。
 だから頼んだぞ、とパチュリーに言う。
 パチュリーは無言だった。
 じっと、相手の目を見つめていた。
 その時間は、数秒のことだっただろう。
 長くて短い沈黙の後、彼女は魔理沙に「はいこれ」と何かを投げ渡す。
「……賢者の石?」
「そう。
 賢者の石は、本来、物体を金へと変える道具よ。それ以外の用途には使えない。
 ただ、それ自体は、すさまじい魔力を持っている。小型の爆弾に使えるくらいにはね。
 ……何かに使えるでしょ。持って行きなさい」
「それじゃ、使わなかったら、私が魔法の実験用に、大切に使わせてもらうとするか」
「ちゃんと返してもらうわ」
「やなこった! もらったものだ、私のものだ!」
 魔理沙は外へと飛び出していく。
 それを見送って、パチュリーは「小悪魔、魔力の増幅を開始して。指示があり次第、発射するわ」と部屋の隅で、こちらの様子を伺っていた使い魔に指示をする。
「全く、どいつもこいつも」
 その場に用意されている椅子に腰掛け、右手に水鏡を生み出す。
 そこには、遠く離れた神社の上空で繰り広げられる激闘が映像として映っている。
「レミィには、帰ってきたら、晩御飯を一週間ピーマン料理にするように、咲夜に言っておきましょう」
 そうつぶやくパチュリーの頭上で、形容しがたい音が響き渡る。
 魔力球の上空に浮かんでいた筒がゆっくりと下りてきて、その内部に魔力球を取り込んでいく。
 光が放たれ、それに描かれていた模様が輝きを増していく。
「最大出力。これ一発でいいんだから、使い捨てにするのよ」
「わかりました」
「作るのにかかった費用は、咲夜か会計のメイドに領収書で回しておいて」
「はい。向こう一年くらい、図書館の予算が空っぽになりそうですけど」
「金でも量産して稼がないといけないわね」
 本当に困ったものだ、と。
 口ではぶつくさ文句は言いながらも、水鏡の映像から片時も目を離さない彼女を見て、『これだから魔法使いと言う奴は、嘘つきが多くて困る』と小悪魔は笑っていた。

「よし、神奈子! そいつを動けなくしてくれ!」
「わかっている!」
 神奈子の展開する結界がアリスをその中へと閉じ込める。
 そして、その結界の中に、諏訪子がありったけの弾丸を生成して放つ。
 閉じられた界の中であっても、衝撃が外に漏れてくるほどの破壊の嵐が吹き荒れ、次の瞬間、結界が粉砕される。
「段々、強くなってるような気がする」
 本の侵食は進んでいく。
 左半身に収まっていたそれは、アリスの右半身にも広がっている。残っているのは顔の半分と右手くらいなものか。
 その『黒』に覆われたところは歪に変形し、金属質の光沢を放っている。
 心臓の鼓動のように、定期的に明滅する緑の線が全身に走り、それがひときわ強く輝くと、
「全員、よけろ、よけろ!」
 諏訪子が警告すると同時、アリスの全身から放たれる黒い『槍』が四方八方に降り注ぐ。
 それは、突き刺さったものを抉り、此の世から食いちぎる。
 直撃を受ければ間違いなく死にいたるその攻撃を所構わず放つ彼女に、背後からレミリアが接近する。
「食らえ!」
 彼女の手にした槍が、アリスの首を直撃した。
 がきん、という鈍い衝撃が走る。
「くそっ、どういう装甲になっている」
 もはや、レミリアのその槍すらアリスの体には通用しない。
 一体どういう理屈か、その刃がアリスの首筋で完全に止まっている。それどころか、慌てて手元に引き戻さないと、そこから伸びる黒い触手に絡め取られ、吸収されそうになるほどだ。
「下手なことするなよ、吸血鬼! そいつにえさをくれてやるな!」
「わかっている! 神ごときが、背徳者の最たるものに指図をするな!」
 レミリアの放つ赤い弾丸がアリスにぶつかり、炸裂する。
 ぐらりとよろめくアリス。
 だが、その背中が光を放つと、先ほど、レミリアが放ったものと全く同じ攻撃が黒い弾丸となって射出されてくる。
「ちっ」
 よけきることが出来ず、レミリアは何発か、それを食らってしまう。
 弾丸はレミリアの肌の上で止まると、ぐねぐねと不規則に変形し、まるで生き物であるかのように口を開けてかみついてくる。
「全く!」
 それがかみついてくる腕を切り落とし、レミリアはその場から離脱する。
『黒』はレミリアの腕を食らいつくすと消える。代わりに、アリスの背中の『黒』がまた光を放つ。
「また来るよ!」
 彼女の両手から放たれる巨大な閃光。
 それを360度に向かって放ってくる彼女に、諏訪子がひゅうと口笛を鳴らし、神奈子が「猿真似の繰り返しだ」とうんざりしてつぶやく。
「だけど、猿真似とも言えないんだよね。
 威力や精度には改良が加えられてるし、技の質も向こうのが上だ。
 こっちの攻撃をよく見て、研究し、強化して、自分のものにする。研究熱心じゃないか」
「厄介なだけだ」
 諏訪子が上空からアリスの頭を蹴りつけて、離脱しながら閃光弾で打撃を与えていく。
「あいつはどうやったら倒れるんだろうね。
 本を切り離すまではこのままかもしれない」
「奴は不死身と言うことか」
「不死身というより、本は無機物で、そう簡単に壊れない。形質保存の魔法がかけられていればなおさらだ。
 本にダメージを与えない限り、その依り代となっているものにゃ、なんぼダメージ与えても無駄ってことだね」
 ちっ、とレミリアは舌打ちする。
 アリス本体をどこまで壊していいのかにもよるが、殺してしまうわけにはいかない。
 レミリアは魔理沙と約束したのだ。彼女を押さえておく、と。
 殺していいとは、魔理沙は一言も言っていない。言っていないことを勝手に解釈するのは悪魔にとってはままあることだが、今回は『殺して止める』という手段は許されていないのは言うまでもない。
「悪魔は約束は守るのさ」
 約束を守らない悪魔は悪魔ではないのだ。
 悪魔としてのプライドがあるなら、その絶対のルールだけは違えてはならない。
 故に、めんどくさい。
「奴の本はどうやったら切り離せる!」
「思いっきり殴る!」
「それしかないか!」
 だが、本の周囲の装甲はアリス本人よりもさらに分厚くなっており、レミリアの槍も、諏訪子の鉄輪も、神奈子の閃光も、全く通用しない。
 フランドールならばまた別かもしれないが、彼女の力がアリスに取り込まれたら、それこそ一大事になってしまう。
 あれを後ろに下げておいて正解だった、とレミリアはつぶやく。
「上と下から同時に攻めたらどうだ!」
「よし、それ採用!」
 レミリアが上空から、手にした槍をアリスが手にする本へと投げつける。
 同時に、諏訪子が真下から、アリスの本を鉄輪で思いっきり殴りつける。
 上下から加えられる衝撃に、その装甲がぎしぎしときしみ、ひびが入った。だが、それだけである。
「なんてこった」
「もっと強い攻撃じゃないとダメなようだな」
 そのひびの修復は、だが、それほど早くない。
 アリス本体についた傷は、それこそ一瞬で治るというのに。
 これも、あの本が、『道具』である以上、その持ち主を優先しているのかもしれない。してみると、あれはずいぶん、忠誠心の高い道具だということになる。
「いい道具じゃないか。これほど厄介なものじゃなければ!」
 だが、それならそれで、相手の弱点がわかる結果となる。
 奴の弱点は、まさしく本体たる『本』だ。
 その部分にひたすら攻撃を集中すれば、アリスから奴を切り離すことが出来るだろう。
 ただし、
「うわっと!?」
 だからといって、相手が大人しく、攻撃を受け続けてくれる保証はないということか。
 自分が弱点だとわかっているなら、意思ある道具は己が壊されまいと反撃をしてくるだろう。その証拠に、飛び掛る諏訪子に放たれる攻撃のすさまじさたるや、それまでの比ではない。
 たまらず後退する諏訪子。
「情けないな!」
 レミリアが前に出てくる。
 彼女は手にした槍の柄を短くし、刃の部分を長く変形させると、紅の剣に変形させたそれで本を叩く。
「く~……!」
 衝撃はそのまま手元に伝わり、猛烈なしびれに、レミリアは歯を食いしばる。
 だが、刃は確実に、先ほど二人がつけたひび割れにダメージを与えることに成功していた。
 ぱきん、という音と共に、その部分の装甲が欠けたのだ。
「どけ!」
 そこに、神奈子が攻撃を放った。
 魔理沙の放つ閃光クラス……いや、見た目はそれに準じていても、威力はその何倍もあるそれを連続して放つ。
 それらは的確に、ひび割れ部分を直撃し、傷を大きくしていく。
 ここで初めて、アリスが後ろに下がった。本が、己がダメージを受け続けることを嫌ったのだ。
「逃がしゃしないよ!」
 諏訪子が相手の後ろに回りこみ、蹴りを叩き込む。
 その衝撃でアリスの体が前方に揺れ、接近したレミリアが、欠けた装甲をさらに叩く。
「硬いけれど割れる! お前のような女そのものだ!」
 にやりと笑うレミリア。
 その顔の前に、アリスが変形した右手をかざしてくる。
「何やってんだ、吸血鬼!」
 アリスへの本の侵食は止まらず、ついに顔の右半分を残すまでにそれは広がった。
 変形した右手には砲門のような穴が現れ、そこから放たれる攻撃で、レミリアは頭部を吹っ飛ばされている。
「うるさい! ちょっと油断しただけだ!」
 すぐに頭は回復し、減らず口を叩くレミリア。
 諏訪子に向けて振り回されるアリスの腕。食らえばダメージと共に、触れたところが吸収される攻撃だ。
「よけることは出来ても、受けることは出来ないってのはストレスだ!」
 よけて反撃を放ち、距離をとる。
 さてどうしたものか、と構えを取る。
「あんまり時間をかけすぎるとどうしようもなくなる。もって、あと数分だ」
「さっさと壊してしまえばいい」
「そういうことなんだけどさー」
 頭の一部を残した全身に侵食を果たした本は、黒い力を全方位に向かって放ってくる。
 衝撃波で相手の動きを止め、槍で貫き、よくわからない波動でまとめて薙ぎ払う。
 三発の攻撃を一度に放ち、周囲を薙ぎ払ったアリスは、その視線を神奈子へと向ける。
「距離をとっているから警戒されたか」
 こちらに迫ってくる前に、と連続で閃光を放つ。
 アリスはそれを左手の巨大な装甲部分で弾くと、神奈子に向かって接近しようと動き出す。
「諏訪子、さっさと相手の足を止めろ!」
「やってるってーの!」
 レミリアと共に諏訪子がアリスに攻撃を仕掛けるのだが、徐々に分厚くなっていく装甲のせいで、与えるダメージが小さくなっているのを実感する。相手の足が止まらないのだ。
「さっきのダメージ与えたところに集中攻撃しろ!」
 レミリアが手にした剣を叩きつけ、さらに装甲を叩き割る。
 だが、アリスはレミリアを『鬱陶しい』とばかりに手で払いのける。その仕草だけで、発生する黒い力が、レミリアを前方から殴りつけて跳ね飛ばす。
 そのまま、彼女は神奈子めがけて『黒』を伸ばす。
「おのれ!」
 襲い来るそれを迎撃し、神奈子は後ろに下がろうとする。
 その横を、鋭い刃が駆け抜け、『黒』を弾く。
「何だと……!」
 その巨大な剣でアリスの攻撃を弾いたのは、ゴリアテだ。
 続けて、その背後から無数の閃光が放たれ、アリスの体を直撃する。
「あの人形たち……」
 主人には絶対服従のはずの上海と蓬莱が、手にした槍から放つ閃光でアリスを攻撃している。
 その威力は大したものではないのだが、わずかに、アリスの動きが鈍っている。
「自分が作ったものの事は覚えているのか、人形遣い!」
 レミリアの一喝で、確かに、アリスはうろたえた。
 その体を揺らし、一瞬ではあるが、確実に気配が消えた。
 その隙にゴリアテがアリスの背後に回りこむと、彼女の弱点となっている、本と結合する装甲の割れた部分を押さえつける。
「何をしている、このバカ人形が!」
 アリスを覆う装甲は黒い触手を伸ばし、ゴリアテを取り込もうとする。
 だが、ゴリアテは逃げようとはせず、相手の弱点を押さえ込み、皆の攻撃が通るように押さえつけている。
「自分を犠牲にしようだなんて、根性据わってるね! いい子だ!」
 諏訪子がアリスに接近し、その装甲部分を思いっきり殴りつけた。
 さらに追撃の一撃を放ち、「吸血鬼!」と叫ぶ。
 レミリアが赤い刃を振り上げ、ゴリアテの腕を切り裂いた。
 それによって、ゴリアテ本体がアリスに取り込まれることは防ぐことに成功する。
 上海と蓬莱、そして神奈子の放つ閃光が、諏訪子のつけた装甲のひびをさらに広げ、ついに貫通する。
「さすがに効いたようだな!」
 金属同士がこすれあうような、不快な音を立てながら、アリスを覆う装甲が震える。
 レミリアが、その穴が塞がらないように剣を槍へと変えて突き刺し、ねじり、さらに穴を大きくする。
「あと……!」
 もう少し。
 上げようとした声は封じられる。
 アリスの全身から放たれる、黒い刃と黒い光が、一斉に周囲を薙ぎ払う。
 その攻撃の嵐たるやすさまじく、全員が防御一辺倒となるほどだ。
 その間に、本は己に回復のエネルギーを集中させたのか、見る見るうちに穴が塞がっていく。
「くそっ! やらせるな!」
 攻撃を受け、己が傷つくのもいとわず、レミリアが、諏訪子が、神奈子が、人形たちが攻撃を仕掛けようとする。
 攻撃の隙間を縫うことも出来ず、それでも何とか垣間見えた『可能性』を掴むために手を伸ばす。

「見えてきたぞ……!」
 魔理沙は気力と魔力を振り絞り、全力で箒を加速させる。
 前方に戦場が見えてくる。
 歪に変形したアリスと、それを囲むもの達の姿が見えてくる。
「タイミングとチャンスは、一度っきりだ」
 魔理沙はパチュリーからもらった賢者の石を取り出す。
 そして、それを一回殴りつけ、起動させる。適当な方法だが、うまくいった。赤く光を放つ石を箒にセットする。
「えっと……こうすりゃ、うまく使えるのかな」
 石が甲高い音を上げて震動する。
 すると、箒全体に赤い光が纏わりつき、そこから伸びる光が結界となった。
 一気に、速度が上がる。
 白と赤の光跡を後ろに残して、彼女は飛翔する。
「アリス、こいつはお前に対するでかい貸しだ。いやだって言っても受け取ってもらう!」
 その瞳がアリスの背中を捉える。
 彼女はまだ、こちらに気づいていない。振り返らない。振り返らないこそ、振り返らせてみせる。
「これがお前のためにならないとか、お前がそれを拒否するだとか、そんなこと関係ない!
 お前は私にとって必要な奴なんだからな! お前がいなくなったら本当に困るんだ!
 だから……絶対に助けてやる!」
 宣言と共に、彼女は後ろに向かって八卦炉から閃光を放ち、さらに加速する。

「どけどけどけぇーっ!」

 叫び声と共に、一陣の流星が飛来する。
 閃光を大きく伸ばすほうき星が、そのまま、アリスに激突する。
「よし、捕まえたぁ!」
 魔理沙だ。
 彼女はアリスを掴み、抱きしめ、左手に持った八卦炉を空へと放り投げる。
「おい、離れろ! 魔法使い!」
 レミリアが声を上げる。
 魔理沙の体はゴリアテのように、アリスの装甲から伸びる黒い触手に絡め取られ、一瞬でその中へと取り込まれていく。
「チャンスは作ってやったぞ! 外すなよ! パチュリー・ノーレッジ!」
 宙を舞う八卦炉が、一瞬の間だけ、アリスの弱点となっている装甲の穴を向いた。

「発射」
「はい」
「絶対に外さないように」
「軌道修正はパチュリー様のお仕事です」
 紅魔館の部屋で、パチュリーは魔力球の解放を行う。
 ブースターとなっている筒の中で破裂する魔力球は、その流れを全て一方向へと収束させられ、窓に取り付けられた大型レンズを通して偏向され、一気に館の外へと向かって放たれる。
「どーん」
 その力のすさまじさはブースター部分を粉砕し、力の余波は紅魔館の一角を完全に吹き飛ばす。
 パチュリーは結界を作ってその破壊を押さえ込むのだが、完璧にはそれはかなわず、館のおよそ後ろ半分が消し飛ぶ。

 空を渡って迫る巨大な力の奔流が八卦炉に直撃した。
 それは八卦炉を基点に進路を曲げられ、細く収束し、アリスの弱点となっている装甲部分に突き刺さる。
 耐えたのは、まさに一瞬。
 一撃でその光はアリスを貫き、本と彼女を切り離す。
「よっし! 成功したぁ!」
 本がアリスの手から離れたことにより、彼女への支配は解け、その体を覆っていた歪な装甲が砕け散る。魔理沙も黒の侵食から解き放たれ、ガッツポーズを作って叫ぶ。
 光に飲み込まれないよう、彼女はアリスを抱えて、その場から離脱する。
 そして、光の流れはそのまま地面に突き刺さり、大穴を開けて地面をぶち抜き、いずこかへと消えていく。
「ほい、と」
 空を舞う魔法書。
 それを諏訪子は受け止め、開かれた本を閉じて鍵をかけなおす。
「お見事、霧雨の」
 にっと笑う諏訪子に、魔理沙は振り向き、親指を立てた。
「……何と言う無茶を」
「無茶をするのが私の専売特許だ。神様にゃ、わかんないかなー?」
 呆れ、そして賞賛する呟きを放つ神奈子にもにんまりと、悪ガキの笑みを返す。
「ずいぶんと時間がかかったじゃない。途中で昼寝でもしていたのかしら?」
「そうか? 数分も経ってないぞ」
「あら、そうだったかしら」
 いつものわがままお嬢様へ戻ったレミリアが、珍しく、魔理沙の労をねぎらうようにその肩をたたいた。
 そして、
「……何よ」
 アリスが目を開ける。
 その瞳が、自分を覗き込んでいる魔理沙に向いた。
「いや、別に。
 大丈夫か」
「……当たり前でしょ。
 意識は半分消えていたけど、目で見た光景は覚えているんだから」
 いつものように高慢ちきな物言いをする彼女。
 その彼女に、諏訪子は手にした本を投げ渡す。
「おいおい。大丈夫なのか」
「ああ、だいじょぶだいじょぶ。鍵さえ閉めてしまえば、そいつは何も出来ないよ。
 っていうか、そいつ、悪い奴じゃないだろうしね」
「お母さんから受け取った魔法書だもの。
 ……ま、正確には、私が勝手に持ってきたんだけど。
 私には使うことは出来ないとか言われていたから、悔しくてね」
「その本は一体?」
「さあ?
 魔界の力を携えた、強大な魔力を持つ魔法の書、としか」
 本は静かなものだ。
 何も答えず、何もしようとせず、ただアリスの手に抱かれている。
 先ほどまで、神を二人に吸血鬼一人と互角以上に渡り合っていたとは思えないほど、大人しいその様に、神奈子はつぶやく。
「……変な言葉だが、親には従順な子供ということか」
 このすさまじい戦いのためか、戦場は静まり返っている。
 天狗も妖精も、戦うものなど一人もいない。
 戦いが始まるまでには時間がかかるだろう。もしかしたら、この場は落ち着いたのかもしれない。
 もっとも、両者の戦いの主力部隊がこうして和解したかのような雰囲気を作っているのだから、戦いづらいだけという可能性もあるのだが。
「まぁ、よかったよかった、ってことで」
 魔理沙がにっと笑ってアリスの肩を叩くと、
「何やってんだ、このバカ!」
 大きな声を上げて、アリスを怒鳴りつける。
「お前、あんなことして、元に戻れなくなったらどうするつもりだったんだ!
 自分に制御できない力を振り回して、何、間抜けなことしてんだよ!
 お前、いつも私に言ってるだろ! 自分に出来ることを自分の力でやってみせろ、って! 言ってることとやってることがまるで違うじゃないか!」
 その剣幕に、レミリアが『あら』と驚き、諏訪子が『なるほどね』とにやにや笑っている。
 対するアリスは、やや面食らっているのか、魔理沙の勢いを前にして体を後ろに引いていた。
「お前一人で勝てないと思ったら、回りの力を借りればいいだろ! 私だって、今回、恥を忍んであいつらに声かけてきたんだぞ!
 無茶ばっかりやらかすのはお前のほうじゃないか! 人のこと言えるのか!」
「確かに、あれが『手伝え』と言ってしおらしく頭を下げるのは珍しかったわね」
「余計なことは言うな」
「あら、事実だもの」
 レミリアはけらけらと笑い、神奈子は『これだから、わがままな子供は困る』という顔で彼女をいさめている。
 対する諏訪子はというと、「ま、これも人生、人生」とその場に背中を向けて、さっさと飛び去っていく。
「言っておくけどな! 今回のこれは貸しだぞ! 死ぬかと思ったんだからな!
 第一な、アリス! お前がどうなっても、そんなの、私の知ったことじゃないけど!
 だけどな、困るんだよ!
 お前が……! お前が、お前じゃなくなったら、私がおなかすかした時、誰を頼ればいいんだよ!」
 その一言に、レミリアが声を上げて笑い出した。
 神奈子はきょとんとし、諏訪子は彼女の言葉を背中で聞いて、「こーりゃ、よっぽどどっちも素直じゃない」と笑っている。
「何だ、そういう理由だったのね」
「おう! そうだ!
 私にとっては重要なんだぞ! アリスがご飯作ってくれなくなったら、私は飢え死にしてしまうかもしれないんだからな!
 重要な食事の供給源が、どうにかなったら困るんだ! アリスがあんななりでご飯作れるのか! 作れないだろ!
 私のおなかを、どうするつもりだったんだよ、バカ!」
 レミリアが後ろから声をかけ、魔理沙は激しい剣幕でそれに返す。
 半分くらい、自分が何を言っているのか、わかっていないのだろう。
 そんな彼女の頭を、アリスがぽんぽんと叩いた。
「わかったわかった。
 じゃあ、仕方ないわね。またおなかがすいたら、うちに来てもいいわ。
 ありがと」
「子供扱いするな!」
「子供じゃない」
「どっちが子供なんだか」
 いつものやりとりの二人に聞こえないよう、小さな声で、神奈子がつぶやく。
 その口調には、小さな笑みと、子供を見守る親独特の暖かい音が含まれている。
「……っと」
 そのやりとりを繰り返す二人の間に、上海と蓬莱が割って入った。
 彼女たちはアリスに抱きついて、その体を力強く抱きしめてくる。
「……そいつらだってな、お前を元に戻すのに必死だったんだぞ」
「わかってる。見てたから。
 さすがに、ちょっと失敗したわね。負けず嫌いの自分の性格、少し直さないとな、って思ったもの」
「少しかよ」
 両腕を失ったゴリアテが、魔理沙の後ろから、アリスを見つめている。
 表情の見せない人形の瞳が光を放っている。
『よかったね、マスター』
 そう言っているようだ。
「あなた達にも、迷惑をかけてしまったわね」
「ええ、本当よ。
 だけど、その本に飲み込まれていたとはいえ、恐ろしく強かったわ。あなた。
 今度は、その本の力を完璧に制御できるようになった時、もう一回遊びましょう」
「いやよ。めんどくさい」
「あら、ケチくさいわね」
 差し出してくる小さくてぷにぷにの手を握った後、ぽいとそれを払う。
 レミリアには、手を伸ばして頭をわしゃわしゃしてやる。すると彼女は『やめなさいよ!』と顔を真っ赤にして怒るのだ。
「人に限らず、力を求めた結果が取り返しのつかないものとなることもある。
 お前がそれを理解できない間抜けだと、私は思っていない」
「そうね。
 元から、こいつを使いこなせるとは思っていない。今は、だけど。
 ……でも、どうしても、勝ちたかったのよ」
「その気持ちはわかる。
 だが、魔理沙の言う通り、お前は少し度し難いことをした。それだけは真摯に反省し、己を見つめなおせ」
「神様に言われたら、わかりました、と返すしかないわ」
「あと、その吸血鬼の言う通り、お前はすさまじく強かった。久々に、軍神たる我も心が震えた。
 楽しかったぞ」
「ありがとう。感謝します」
 ふぅ、とアリスは肩から息を抜く。
 その視線を周囲に回し、そして、自分を見上げる魔理沙へと移す。
「ありがとう」
 もう一度、彼女に向かって、アリスはにこっと優しく微笑んだ。


 ―九幕―


「終わらない……」
 境内で、一人、降りてくる天狗たちを片付ける白蓮にも、さすがに疲労の色が濃い。
 鈴仙たちの側の防衛が崩れているため、そこから敵が侵入してくるのだ。
 倒しても倒しても、彼らの攻撃は終わらない。
 鈴仙たちも奮闘し、星やぬえといったもの達による迎撃も続いているのだが、それにもさすがに限度がある。
 白蓮の圧倒的な実力に恐れをなしたもの達も多数いるのだが、忠誠心かそれとも義務感か、無謀にも突撃を仕掛けたもの達を蹴散らし続けている。
 今、目の前にいる、天狗の若者もそうだ。
 実力は白蓮の足下にも及ばないながら、果敢に彼女へと攻撃を仕掛けてくる。
 その心の強さと瞳の光の強さは本物だ。恐らく、彼は今後、大物として大成することだろう。
「甘い!」
 故に、白蓮は手加減をせず、彼を一撃で撃退する。
 相手の攻撃を回避し、カウンターに、その拳を相手のわき腹へと打ち込むのだ。
 吹っ飛び、木に激突して、彼は白目をむいて地面に横たわる。
「さあ、次は――!」
 その勢いが途切れたのはその時のこと。
 突然、上空に影が現れ、その影が地面に激突する。
 それが何者かと視線をやって、目を見張る。
「ぬえ!?」
「あいたたた~……。失敗したよ」
 そこに横たわるのはぬえだった。
 手足が変な方向へと折れ曲がっており、服もずたずたに切り裂かれている。
「なるほど。確かに強かった。天狗どもと比べると雲泥の差だ」
 それをやった人物が、神社の境内へと舞い降りる。
 三日前に唐突にここに現れ、その主を一撃の下に蹴散らした奴――天魔だ。
「なかなか楽しめたぞ。余の人生、まだそう長くはないが、お前はその中でも五本の指に入るくらい強い」
「そいつはどうも。……あいたたた」
「ぬえ、無理はしないで」
「わかってるよ、聖。
 妖怪ってのは頑丈だ。こんくらいじゃ死なない。だけど、痛いものは痛い」
 対する天魔は、服のあちこちが破れ、焦げている程度。ほとんど無傷と言ってもいい。
 ぬえは「一応、何発かは当てたんだけどねぇ」とぼやいた。
「だが、余は、そんなお前よりももっとずっと強かった。それだけのことだ。
 さて、博麗の巫女はどこだ?」
「あなたを、霊夢さんに会わせるわけにはいきません」
「ここにいる天狗どもを蹴散らしたのは、お前か。
 雰囲気は……人間のようだが、およそ人間とは思えないな」
「何者です! 名を名乗りなさい!」
「余は天魔。名前などない。天魔と言う個体がそれを真名としているだけよ」
 子供独特のあどけなさを残す、深い笑みで彼女は笑う。
 白蓮は構えを取り、「私は聖白蓮と言います」と名前を名乗った後、天魔に向かって接近し、一撃を見舞おうとする。
 ほう、とつぶやき、天魔は目を細くする。
「確かに人間とは思えない強さだ」
 天魔は白蓮の拳を顔面で受け止めていた。
 その威力と衝撃をまともに受け止めながら、ぴくりとも揺らがない。それどころか笑っている。
「そんな……!?」
「別に、余は博麗の巫女を殺してしまおうとか、そんなことは考えていない。
 ただ楽しく遊んでもらいたいだけなのだ。
 こんなかわいい女の子のお願いだぞ。聞いてくれない、心の狭いお姉ちゃんではないだろう?」
 天魔が掌を広げて、それを白蓮に向ける。
 次の瞬間、そこから放たれる不可視の衝撃波が白蓮を神社の建物までぶっ飛ばす。
「聖、あいつ、よくわからない。
 わたしも人のことは言えないけれど、得体の知れない強さだ。
 っていうか、おかしい。あそこまで強い化け物、存在そのものがおかしい」
 崩れた社殿。
 その瓦礫の中から、白蓮が現れる。
「ほう。耐えたか。見事、見事」
 足を引きずり、ダメージに歯を食いしばりながらも、白蓮は再び構えを取って天魔へと走る。
「余は格闘技は得意ではない。手加減してもらえないか?」
 白蓮の拳や蹴りは、だいぶ鋭さが落ちているものの、威力はさほど落ちていない。
 天魔はその言葉の通り、彼女の攻撃のほとんどを受け止めることが出来ず、食らっている。
 だが、ダメージを受けている様子はまるでない。
「はぁっ!」
 気合をこめた一撃が天魔のみぞおちを貫いた。
 ふむ、とうなずく天魔。
「確かに、この強さは驚きだ。天狗どもなど、まるでかなわぬのもうなずける。
 お前の強さは、人間の中では特筆ものだ。誇っていいぞ、余が認めるのだ」
 一撃が放たれるタイミングを見切って、白蓮は相手の攻撃を回避する。
 すかさず、相手の顔を蹴りで薙ぎ払い、続く一撃を相手の胸元に入れる。
 ここで天魔が後ろによろめいた。
「己の圧倒的実力に酔って、敵を過小評価する! 傲慢なその振る舞い! それ故の――!」
「それ故の――何だ?」
「!?」
 にやりと笑う天魔。
 白蓮の拳を、彼女は指先一本で止めている。
「確かにお前は人間の中ではとても強い部類に入るだろう。
 だが、悲しいかな、世の中にはお前など相手にもならぬほど強い奴がいるのだ」
「こんなことが……!」
「邪魔だ。失せろ」
 天魔のその一言が圧力となって、白蓮を吹き飛ばした。
 境内を囲む森の中に、彼女の姿が落ちて消える。
 やれやれ、と天魔は肩をすくめてみせる。
「確かに強いのだがな。
 だが、余には遥かに及ばぬ。それだけよ」
 彼女は崩れた社殿へと歩み寄り、そこの階段へと腰掛ける。
「巫女はどこへいったのか。せっかく遊びに来たのに、つまらぬではないか」
「……なら、とっとと帰ったらどうなのさ」
「うーむ。そうなるかもしれないな。
 この分では、だが」
 まだ身動きできないでいるぬえが悪態をつき、天魔はそれに飄々とした口調で返す。
 退屈を持て余す子供そのものの表情で足をぱたぱたさせて、『困ったなぁ』と天魔はつぶやいた。


「なぜ、奴を止めなかった」
「わたしでは天魔は止められません」
「なぜだ」
「そのために、わたしは天魔と一緒にいるからです」
 博麗神社のさらに奥。
 此の世とも彼の世とも区別のつかない境目の世界の中に、二人の姿はある。
 境界の妖、八雲紫と、天魔のそばに仕える謎の少女の二人だ。
「わたしは天魔と一緒にいる、それだけの存在。
 彼女に指図をするつもりもなければ、彼女がわたしに拘束される理由もない。
 まぁ、悪いことしたらおしりぺんぺんですけれど」
「お前は何のために、その場にいる」
「それが自分の役割だと感じたからですよ」
「……なぜだ」
「なぜ? それに理由が必要なのですか」
 少女の周囲に結界の亀裂が現れる。
「理由なくして行動なし。その概念に囚われているのだとしたら、それはあなたらしくないですね」
 撃ち出される無数の閃光を、紫は自分の前方に張った六枚の結界で受け止める。
「……さすが」
「概念に囚われなどしていない。
 だが、お前には聞いておきたい。そして、納得の行く理由を聞き出したい。
 さもなくば、お前がここにいる理由はないからだ」
 反撃に放たれる、色とりどりの閃光弾を、少女は周囲を飛びまわって回避する。
 当たるぎりぎりに飛んでくるものは、あるものは身をひねり、あるものは左手に構えた結界の盾で弾き飛ばす。
「真っ向から戦えば、わたしはあなたに、絶対に勝てないでしょう。
 それくらい、あなたは強いし、わたしは弱い」
「それがわかっているのなら、消えてしまう、その前に口を開け」
「開いています。そして、伝えています。
 わたしがやるべきことは、天魔のそばに仕えること。それ以上でも、それ以下でもない」
 少女の姿が消え、紫の懐に現れる。
 突き出される拳を、彼女は受け止め、少女の体を結界の狭間へと投げ込む。
 閉じる亀裂。
 しかし、少女は別のところに亀裂を生み出し、その空間からこの世界へと舞い戻り、反撃を放ってくる。
「むしろ、迷っているのはあなたでしょう?」
「……何?」
 撃ち出される弾丸は、紫がかざす扇子に当たって消滅する。
「殺してしまうのなら、一瞬で殺してしまえるのに。
 何をこだわっているのです?」
 紫の周囲に現れる空間の亀裂から、真っ黒い塊が現れ、彼女の頭上に雪崩れ落ちてくる。
「何を聞きたいのですか? このわたしに。
 聞いてどうするのですか? あなたほどの人が。
 何を判断したいのですか」
 その黒い塊全てを、紫は開いた亀裂の中へと投げ込み、どこか別の場所へと投げ捨てる。
 紫の指先が少女を示し、彼女の周囲に現れる結界の狭間から、青白い光が生まれて突き進む。
 それは鋭い刃となって、少女の周囲を切り裂き、彼女を追い詰める。
「そう。迷っているのはあなただ」
 その刃の直撃をぎりぎりでよけ、少女は上空へと舞い上がる。
「問いかけましょう、境界の妖よ。
 あなたは一体、何を思って、このわたしをこの場へと案内したのか」
 振り上げた掌から放つ衝撃波が、頭上から紫を叩く。
 紫はわずかに顔をしかめた後、地面に向かって掌を開く。
 足下に開いた黒い亀裂の中から、不気味な音と共にねじくれた角のようなものが現れ、少女に向かって襲い掛かる。
「それを聞いて、何をしたい」
 紫の問いかけに、少女は答える。
「回答次第では、その答えを答えるのもやぶさかではないだけ」
 その一撃をよけて、ねじれた角を彼女は掌で叩いた。
 そこに残った光がひときわ強く光を放ち、爆裂する。
「私の考えているものと、今の現実とが違う。そこを埋めるものを欲しているだけ」
 少女が地面に着地し、滑るように紫に接近してくる。
 紫は地面を再び示す。すると、少女の前方に長く続く亀裂が現れ、無数の針が地面から飛び出してくる。
「それ以外のものを、私は求めていない」
「そうですか。
 ならば、わたしの答えは簡単です」
 針の山へと飛び込む少女。
 足下に張った結界でその攻撃を全て受け止め、紫に肉薄した彼女は、
「一人ぼっちの寂しがり。そのそばにいてあげることに、何の理由がいるんですか」
 そう宣言して、紫の顔を思いっきり殴りつけた。
「あなただって、母親から離されて、夜、寂しくて泣いている子供のそばに寄り添ったことがあるはずです。
 それならわかるでしょう」
 紫は相手の腕を握り締めた。
 少女は反対の手で、再び、紫を殴ろうとする。
 紫の手が、先に少女の腕を受け止める。
 両者はそのままの姿勢で組み合ったまま、にらみ合う。
「わたしは、あなたのその姿を見て、あなたを信じた。だけど、あなたはわたしを裏切った」
 思いっきり、彼女は紫に頭突きを食らわした。
「あなたは、私に復讐しようと言うの?」
「そんな崇高なことは考えていません」
 お互いの顔がすぐそばにある。
 言葉のたびに吐く息がかかる、それほどの距離にあるというのに、両者の視線は絡み合うだけで交わらない。
「わたしが考えているのは、何度も言うように、寂しがりの子のそばにいてあげること」
「なぜ」
「あなたならわかるはず。わかっているはず。どうして、それを否定する」
「言う意味がわからない」
「あなたはおかしい」
 紫の手が、少女の腕を握りつぶした。
 骨の砕ける音と共に、両腕から這い上がる激痛にも、少女は顔を変えようとしない。
「もう一度、言ってみなさい」
「何度でも言います。
 あなたはおかしい。この世界のため、この世界のため、と言っているのに、そのやり方には矛盾がある。
 何を認めようとしないのでしょうか。それが己の大儀のためであると考えているのなら、あなたは愚か者だ」
「黙れ」
 紫の放つ閃光が少女を飲み込み、吹き飛ばす。
 少女は地面に倒れ、すぐに跳ね起きる。
 折れた腕は修復されている。わずか一瞬で。
「頑丈な体ね」
「この体は、わたしのものではありませんから」
「やはりな」
「あなたがわたしに執着しているのは、それが理由でしょう?」
「執着? 違うな。
 私が知りたいのは、お前がなぜ、そこにいるか。ただそれだけだ」
「存在への執着ですか」
 彼女は立ち上がると、その右手を天に、左手を地に向けた。
 すると、天空からは一条の光が降り注ぎ、紫に向かっていく。
 紫は慌てず騒がず、それを軽々とよけ、後ろに下がる。
「なぜ」
 少女の言葉と同時に、今度は地面から、無数の閃光の槍が撃ち出される。
 先ほどの光が分裂したと思われるその攻撃を、紫は足下に開いた結界の狭間へと飲み込み、いなす。
「答えは聞いた。
 だが、納得はしていない」
「なぜ」
「それが、お前の存在にかみ合わないからだ」
 紫が右手を振るうと、目に見えない風のようなものが巻き起こり、一直線に二人の間を薙ぎ払う。
 続けて、彼女は右手に持った扇子で相手を示す。
 すると、周囲の空間がねじれて集まり、不可視の力として突き進んでいく。
 少女は一瞬だけ、その攻撃を右手で受け止めた。
 彼女の掌に形成された結界の盾がきしみ、あっという間に粉砕される。
 そこに生まれた一瞬の隙間を逃さず、彼女は横に飛んで、その攻撃を回避する。
「それをあなたが判断するのですか」
「そう」
「そうですか」
「幻想郷に生きる、ありとあらゆるものの生殺与奪を管理するのが、私の役目。
 故に、お前の命も、また同じ」
「それは嘘ですね」
 少女が走る。
 紫へと接近した彼女は一撃を見舞い、横に飛ぶ。着地と同時に、紫に向かって弾丸を放つ。
 紫はそれを弾き、反撃として光の槍を何発も繰り出した。
 少女はそれをよけながら紫に向かって接近し、地面を蹴って膝蹴りを放つ。
「あなたの、それは嘘だ」
「なぜ、そう思う」
「あなた自身が、自分で言っている通り、己の存在にそれを満たしていないからだ」
 彼女は宙を舞い、地面に着地する。
 そして、靴の裏でだんと地面を踏みしめると、紫を振り返る。
「なぜ、嘘をつくのですか」
 振り上げた手で地面を叩く。
 光の線が地面を走り、紫を中心とした結界を形成する。
 少女の動きをトレースするように走った光の線は上空へと立ち上り、その頂点で結節する。
「嘘などついていない」
「いいえ。
 あなたは迷いの中で、それを覚えた。自分のなすべき事にそぐわないそれをなすことに、違和感を覚えながらも、納得するために。
 全ては己のため」
「それの何が悪い」
「悲しむ人がいる」
 頂点を持つ光の檻を、紫は指先で示す。
 線を一つずつ、指でなぞった彼女は、その右手を振り上げ、叩きつけるように振り下ろす。
「誰が」
 その動きに従って、少女の作った光の檻が砕け散る。
 圧倒的なまでの、結界術に対する力の差。これが八雲紫の実力といわんばかりの振る舞いだ。
 だが、少女はうろたえない。
 元々、己の力は彼女に劣ることがわかっているのだ。
 それなのに戦う理由を持つ少女の姿を、紫は見る。
「それをわかっている」
「なぜ」
「答える必要はない。答えは、あなたがすでに持っている」
「わからないわね」
「それは嘘」
 砕けた結界の残滓が床に落ちて、光を放った。
 紫がわずかに動揺し、足を後ろに引く。
 光の残滓から立ち上る閃光が紫に巻きつき、束縛し、爆裂した。
「この程度の罠にも気づかないくらい、あなたは耄碌した――それであるなら、その答えも納得する」
 紫の姿はそこにない。
 少女を中心に無数の境目が姿を見せ、猛烈な勢いと数の閃光が、彼女めがけて撃ち出される。
「違うでしょう?」
 少女は構えを取った。
 両手の結界で攻撃を弾き、よけられるものは必死になってよける。
 なるべく表情を変えない様に努めているのか、その瞳のみが必死さを表している。
 紫の、無限に続くその攻撃を止めるべく、少女は一旦上空に逃げた。
 攻撃の角度が変わり、少女へと攻撃が集中するより早く、彼女は両手を使って陣を描く。
「わかっているくせに」
 描かれた複雑な陣が強力な結界となり、紫の攻撃を押し留める。
 少女の指先が、結界の亀裂を示す。
 そして、そこから放たれた一条の光が、結界の狭間に飛び込んで消える。
「認めようとしない」
 紫が上空から現れ、手にした扇子を少女に叩きつけた。
 人間なら、頭蓋骨が砕け、そのまま潰れてしまうような一撃だ。
 少女の姿勢もわずかに揺らぐ。彼女は歯を食いしばって後ろの紫を振り向くと、その顔面を掴んで衝撃波を食らわせる。
 紫が後ろに揺らぎ、地面に向かって落下する。一方の少女も、さすがに足を地面につけることはかなわず、膝から折れた。
「……この……!」
「わかっているくせに認めない。まるで人間のように頑固。
 だけど、それがあるから、わたしはあなたを信じた。あなたはわたしを裏切った。裏切ったとしても、わたしは、それを憎んだりはしない。
 ただ、怒るだけ」
 少女が首元を覆うスカーフを掴み、それを外す。
「この傷に、見覚えがないとは言わせない」
 肌に残る、痛々しい肉の亀裂。
 紫は答える。
「ええ、覚えているわ。
 天魔に首をもぎ取られ、死んだ巫女のこと」
「あなたは、わたしを、裏切った」
「言っている意味がわからない」
「助けてくれると思っていた」
「なぜ助けないといけないの」
「ええ。そう答えるのはわかっている。
 だから、残念だけど、わたしはそれを怒るしか出来ない。助けてくれてもよかったじゃない、紫のバカ、って」
 だけど、と少女はつぶやいた。
「今のあなたは違う」
「……」
「理由は、わたしは知らない。
 あなたは知っている。
 知っているのに、何もしようとしない。
 なぜ?」
「……意味がわからない」
「認めて」
「何を」
「あなたを」
「なぜ」
「そうでなければ、わたしが、天魔のそばにいる理由を、あなたは理解してくれないから」
 二人のにらみ合いは続く。
 片方は、この世界の創世と共にそれを『管理』し『運営』してきたもの。
 もう片方は、その世界を動かしていくための『要石』とされたもの。
 要石は壊され、管理者は新たな『要』を探し出し、新しい『要石』を作った。
「この恥知らずが」
 紫の出した結論はそれだった。
「お前は、確かに天魔に殺された。
 それでお前の命は終わり、お前の要としての役割も終えた。
 それにも拘わらず、今、お前はここにいる。
 偽りの命と体を持って、散った魂をもう一度内包して。
 この私の前に、その薄汚れた霊をもってもう一度現れた」
 どうやって生き返った、と紫は憎憎しげに問いかける。
 少女の方は、至って冷静なものだ。
「あの方が、自分の命と体を分けたのです。分霊を生み出すなど、あのクラスの妖怪となればそう難しいことではない。
 生み出した体に、わたしの『御霊』を捧げ、この『わたし』を作り出した」
「人であり、この世界の要と言う崇高な使命に殉じた高潔な命を、お前は汚した」
「ええ。あなたから見ればそうでしょう。
 数ある御魂を道具として扱う、あなたにとっては」
「私の理想郷の邪魔をする」
「しかし、あなたは長い命を経て、少し変わったようだ。
 わたしは、ただ、それを指摘しているだけなのに――」
「消えうせろ。永遠に」
「なぜか、あなたは怒っている」
 撃ち出される攻撃をよけて、彼女は言う。
 一瞬で紫の元へと転移した彼女は、その掌を紫の腹へと押し付ける。
「こんなにも、心と存在に隙を作って。
 何をしたいの、紫。あなた、わかってるんでしょ? 意地張ってんじゃないわよ、ばーか」
 爆発する力をもろに受けて、紫が吹っ飛んでいく。


「やっぱりさ、お母さんと一緒にいると楽しいな」
 霊夢は自分に向かってくる『母』の攻撃をいなしながら言った。
「もうどれくらいになるんだろう。お母さんと離れ離れになってから。
 今、本当のお母さんが、この世界のどこにいるのか、全然わからない。
 お母さんは紫と仲がよかったから、もしかしたら、外の世界にいるのかもしれないね」
 彼女は後ろに飛び、無数の弾丸を自らに侍らせると、それらを一斉に解き放つ。
「たまにはうちに帰ってきて、そういう土産話とか聞かせてくれてもいいのにさ。
 紫の奴、私がお母さんの話をすると、顔をこんな風にして『あなたは本当に、親離れ出来ないのね』って怒るの」
 着弾する弾丸が炎と閃光を巻き上げる。
 彼女の『母』はそこで足を止め、攻撃を受けきると、煙の中から飛び出してきて霊夢に接近してくる。
「別にいいじゃん。私、まだ子供だよ。
 子供は親がいつまででも恋しいものだ、って早苗とかが言うしさ」
 突き出される拳をよけ、続く蹴りを両手を使って受け止める。
 その衝撃を利用して相手と距離を離し、地面に着地すると、右手から無数の針を放つ。
 彼女の『母』はそれら全てを叩き落すと、まっすぐに霊夢に向かって突っ込んでくる。
「昔はさ、お母さんに会いたいなぁ、って思っていると、何だか寂しくなって泣けてきてさ。
 そうしたら、お母さん、いつも私に会いに戻ってきてくれたよね」
 打ち出される鋭い拳を受け止めて、その腕を絡め取って投げ飛ばす。
 相手が体勢を立て直すより早く、霊夢は結界を放ち、相手を地面の上につなぎとめる。
「今はもう帰ってきてくれない。
 まぁ、私が泣くようなことが、ほとんどなくなったんだけどさ。
 それでも、たまに、お母さんのことが恋しくなる」
 結界によって押さえつけられた『母』は、どういう理屈か、その結界を蹴りで粉砕すると、立ち上がる。
 だが、まだ霊夢に背中を向けた状態だ。
 そこに霊夢の攻撃が突き刺さる。
「何となーく、晩御飯作るときとか、『あ、そうだ。お母さんが好きなもの作ろう』とか思ったりしてね。
 ご飯の匂いにつられて帰ってきてくれたらなー、とか」
 よろめく『母』の背中を蹴りつけて、さらに前方に飛ぶ。
 前によろめく『母』の頭を弾丸で叩き、着地すると同時に、地面から伸びる結界の『腕』で殴りつける。
「お母さんが使っていた布団は定期的に洗濯して、干して、ふかふかにしてあるよ。
 部屋だって綺麗にしてある。
 いつだって帰ってきてくれていいのに」
『母』が体勢を立て直した。
 霊夢の攻撃でダメージを受けた様子はほとんどなく、鋭い踏み込みは健在だ。
 接近されてはかなわない。
 霊夢は後ろに下がろうとするのだが、何かに背中がぶつかった。
「そういうことしてると、紫が『霊夢。ちゃんと巫女として精進していますか』ってやってくるのよねぇ」
 まっすぐに踏み込み、突き出される拳を、両腕でガードする。
 脇を締めて、足で地面を踏みつけ、その場に何とか踏みとどまる。
 激痛と衝撃に、霊夢は歯を食いしばる。
「頼んでもいないのに、料理をして、家事をして、ご飯食べながらお説教。
 それでお風呂に入って、布団に入って、寝るの」
 続く蹴りを受け止める。
 ぎしぎしと腕がきしむ。
 何とかその場で持ちこたえ、反撃に移ろうとした瞬間、彼女の『母』の蹴りが霊夢の頭に炸裂する。
 一発目で相手の動きを止め、二発目で急所を抉る、霊夢もよくやる攻撃方法だ。
 鋭い後ろ回し蹴りは霊夢の側頭部を的確に捉え、彼女を吹っ飛ばす。
「今回も、頼んでもいないのに助けてくれたり、修行よ、とか言ってこんなことやらせてさ。
 何様のつもりよ、ったく」
 膝を落としそうになるのをぐっとこらえ、何度も頭を振って立ち直る。
 視界がぐらぐらと揺れている。
 彼女は歯を食いしばって気合を入れなおすと、自分の周囲に結界を展開し、それを相手めがけて放った。
「いつだってそう。
『私はあなたの後見人だから』とか、『あなたは歴代の巫女の中で一番できそこない』とか、『こんな情けない子、お嫁になんていかせられないわ』とかさ。
 ほんと、何したいんだろうね」
 結界が彼女の『母』を弾き飛ばす。
 霊夢はようやく、揺れる視界を黙らせると、前方をまっすぐに見据える。
「――そろそろ終わらせようか」
 その決意の言葉を放つと、周囲の景色が一変した。
 それまでは、己の暮らす神社がそこにあった。
 だが、霊夢のその一言がきっかけとなって、その世界は崩れ、正体不明の『狭間の世界』が現れる。
 倒れた『母』はその姿を変えていく。
「感謝してる。お母さんに、久々に会わせてくれたこと。一緒にこうやって時間を過ごさせてくれたこと。
 私は恩知らずじゃない。受けた恩は倍返ししてやるさ!」
 歪んだ姿が形を成して、そこに、霊夢の『敵』が現れる。
「私が乗り越えるべき存在は、まずお前からだ!」
 前方に現れる『それ』に向かって霊夢は駆け寄り、一撃を加えた。
『それ』が崩れて消えていく。
 消えていくその中で、『それ』の口元に笑みが宿っている。
「……ありがと」
 霊夢のつぶやきと共に世界は消えて消滅し、真っ黒な世界が現れる。
 だが、それも一瞬のこと。
 光が視界一杯に広がり、真っ白な世界に包まれる。
 その世界が終わると、足下に、いつもの感覚が戻ってきた。
「……ふぅ」
 神社の居間。
 誰もいないそこの空間に、霊夢は立っている。
「外がうるさいな」
 どっかんどっかんと爆音が響き渡り、わーわーという威勢のいい声が聞こえてくる。
 彼女は大きく体を伸ばして、「あ、そうだ。服着よう」と自分が裸であることを思い出す。
 自室に戻っていつもの衣装に身を包み、『よし』と気合を入れなおす。
「こんな修行で、本当に強くなれんのかしら」
 鏡を見る限り、いつもの自分がそこにいるだけだ。
 筋肉がむきむきになったり、何かよくわからないオーラが立ち上ったり、目や髪の毛の色が変わったりしたわけでもない。
 普段の霊夢が、そこに立っている。
「……ま、いいか」
 その時、家の外からがさがさという音が響いた。
 反射的に、そちらに向かって結界を展開する。
 霊夢は慌てて外へと飛び出し、家の周囲を囲む森の中を見て、
「……白蓮!」
 そこに、霊夢の結界に守られる形で、白蓮が倒れているのを見て声を上げる。
「ちょっと、どうしたの!? 大丈夫!」
「……霊夢さん……ですか。お帰りなさい……」
「いや、それはどうでもいいから!」
「……天魔。恐ろしい妖怪です……。強い……」
「ああ、確かにそうだね」
 天魔になす術なくやられたとつぶやく白蓮に肩を貸して、霊夢は境内へと歩いていく。
 森を抜けたところで、ぼろぼろに壊れた社殿を見て口をあんぐり開けて沈黙し、そこに座っている天魔が霊夢を振り返る。
「おお、博麗の……?」
 天魔はわずかに眉をひそめた。
 立ち上がり、崩れた階段を下りて、境内へと足を下ろす。
「……貴様、博麗の巫女、だな?」
 なぜか問いかけてくる天魔に、霊夢は答える。
「ええ、そうよ。博麗霊夢。この神社の持ち主よ。
 ……どーしてくれんのよ、これ!?」
「ああ、これか。すまなかった。謝る。あとで、請求書でも何でも妖怪の山に送りつけてくれ。余が責任を持って人を出して直させる」
「本当でしょうね!?」
「余は嘘は言わぬ。冗談を言って遊ぶのは好きだが」
 白蓮を、霊夢は社殿のそばへと連れて行く。
 その場に座らせ、結界で彼女をガードすると、霊夢は天魔と向き直る。
「……もう一度、問うぞ。お前は本当に博麗の巫女だな?」
「しつこいわね」
「……そうか。
 わずか三日の間に、よもやこれほど別人となっていようとはな。
 人間と言うのは成長が速い。何だったか、男子一日会わなければ克目して見ろ、だったか?」
「それは三日!」
「そうだったか!」
「ついでに言えば、私は女!」
「ならば女子は一日とするか!」
 霊夢の放つ攻撃を、天魔は軽く手でなでるだけで弾き飛ばす。
 その反撃は、神社の周囲の木々を薙ぎ倒し、境内の石畳を粉砕する。
「上に来なさい! 徹底的にお仕置きしてやるわ!」
「いいだろう。お前にそれが出来るのならな。
 余はお前に付き合ってやろう!」
 両者が空へと舞い上がり、距離を置いて対峙する。
 霊夢は相手に向かって手を突き出し、指を折って話し出す。
「一つ、弾幕以外の攻撃は禁止。一つ、用意したカードが尽きたら負け。一つ、相手を再起不能に叩きのめすのも殺してしまうのも自由だけど、勝負のルールには従う。一つ、あんたはこっちの弾幕なんて食らっても大したダメージはないだろうから、当たった回数で敗北を認めてもらう。一つ、何度負けようとも、負けを認めなければ負けとはならない!」
「よいだろう。
 人間が、強い妖怪に勝つために考えたルールだ。遊びのルールだ。
 余は遊ぶぞ。楽しく遊ぶ。ルールはしっかりと守ってやろう。約束だぞ、博麗の巫女よ!」
「弾幕勝負はこっちの方がずっと優れてるってこと、その思いあがった頭に教えてやるわ!」
 二人が鮮やかな弾丸を展開する。
 霊夢の動きは軽やか。対する天魔の動きは直線的だ。
「おっと」
 霊夢の放つ追尾弾をよけられず、天魔の体が少し揺らぐ。
「博麗の巫女よ! 何発当たったら、余の敗北なのだ!」
「三十発とかどう!?」
「多いな! 貴様の余裕の表れか!」
 天魔の放つ直線的な弾丸を、霊夢は回避して相手へと接近していく。
 前方から飛んでくるそれを結界の盾で受け止め、受け流す。
 そして、相手がよけられないと踏んだ位置にまで接近すると、一斉に札を放つ。
 それらは複雑な軌道を描きながら天魔へと接近していく。
「遅い」
 にっと笑った天魔が、飛んでくる札を撃墜していく。
 後ろに下がりながら一発、二発、と手から弾丸を放ってそれらを迎撃し、視線を霊夢へと戻す。
 霊夢は左手を後ろに下げ、そこに何かを蓄えているように見える。左手の先が輝いている。
「ほう?」
 目を細めて、口元の笑みを深くする天魔。
 霊夢の放ってきた弾丸は、一直線に、天魔へと向かってくる。
 そのサイズは天魔の頭くらいはあるだろうか。
 飛んできたそれは天魔の直前で破裂し、無数の弾丸となって天魔へと襲い掛かる。
「なるほど。小粒だろうが、一発は一発ということか」
 さすがに、その弾幕の網を抜けることは出来ない。
 天魔は慌てず騒がず、掌に弾丸を作り出すと、それを飛んでくる粒へと向かって放つ。
 天魔の弾丸を貫き、粒となった霊夢の攻撃が天魔に向かう。
 だが、貫かれた天魔の攻撃はその場で膨れ上がり、炸裂した。
 爆風でそれらの攻撃を薙ぎ払い、天魔自身も、風に煽られて霊夢から距離を取る形で流れていく。
「それ、それ!」
 天魔の放つ攻撃が霊夢へと向かってくる。
 霊夢はそれを巧みな機動で回避し、天魔に反撃を放つ。
 飛んでくる攻撃を、天魔はよけ、左手に構えた光の塊で弾き、応戦する。
「あんた、防御とか得意そうじゃないけどね!」
「お前の言う通り、余は防御は苦手だ。これまでの相手は、余に攻撃を仕掛ける前に、余の前から消えていったからな!」
 天魔が両手を広げ、それを体の前で合わせるように動いた。
「作戦としてはそこそこね」
 天魔の放った弾丸は、まだ生きている。
 それらが天魔の腕の動きに合わせて、霊夢へと向かって四方八方から飛んでくる。
 霊夢は飛んでくる弾丸を一度、冷静に見つめてから、その軌道を測り、そして飛んだ。
 一発一発の弾丸が体を掠めていく。
 そのぎりぎりまで天魔の攻撃に接近しながら、収束する攻撃を抜けた彼女は反撃の一発を天魔めがけて放つ。
「まだ終わりではないぞ」
 天魔の宣言の後、収束した弾丸が互いにぶつかり合い、連鎖的に炸裂し、炎と爆風を辺りに撒き散らす。
 思わず、霊夢は顔を覆ってその場を離脱する。
 天魔めがけて放たれた弾丸も、霊夢からの攻撃の意思がなくなったことで、天魔に当たる前に消滅する。
「余も足りない頭は使うのさ」
「っ!」
 その爆風の中から、一発の弾丸が飛び出してきた。
 わずかに軌道をずらすことで、互いの衝突を避けた一撃だ。
 油断していた霊夢はそれをよけることが出来ず、右肩に直撃を食らってしまう。
「っつ~……!」
 衝撃でぐるぐると空を振り回され、彼女は歯を強くかみ締める。
 無理やり軌道を修正し、体勢を立て直すのだが、
「まだまだ。遅いではないか」
 天魔から放たれる高速の弾丸をよけきれない。
 ぎりぎりで、握った祓え串の先端に結界を展開してそれらを弾き、受け止め、一瞬の隙間を作って離脱する。
 高速で放たれる弾丸の嵐はそのまま霊夢の足下を通り過ぎ、消える。
「手加減しろって言ってるのにね」
 あの一発で、霊夢の肩の肉は吹き飛び、骨が覗いている。
 幸い、まだ腕は動かすことは出来るのだが、動かすたびに走る激痛のせいで精神集中など出来るわけがない。
「ちょっと弱体化」
 集中力を必要とする弾幕勝負。そして『必殺技』の展開に、これは大きなハンデとなる。
 しかし、まだやられたわけではない。霊夢は撃墜されてはいないのだ。
「そーれ! これならどうだ!」
 天魔が霊夢の頭上に、巨大な珠を放り投げてきた。
 それが一瞬、力強い光を放った後、小さな矢のような弾丸を、霊夢を中心に雨あられと降らせてくる。
「そういう攻撃、得意な奴、結構いるのよね!」
 頭上に結界の盾を展開し、攻撃をよけながら、霊夢の視線は天魔と、攻撃を放つ光の珠に向けられる。
 よし、とつぶやいた彼女は左手から攻撃を放つ。
 飛翔する針が、鋭く天魔に向かっていく。
 天魔は「何だ。その程度か」と笑いながら、軽く体を動かす程度で、それを回避する。直線的な攻撃など、何の意味もないことを見せ付ける彼女に、『ま、そりゃそうだ』と霊夢はつぶやく。
 放たれた針は、そのまま飛んでいき、霊夢の視界から消える。
 そこで、彼女はかいなを返して、自分に向ける。すると、視界の彼方に消えていった針が戻ってきて、天魔の背後から襲い掛かる。
「ほう」
 意表を突かれた、という顔をして、天魔はその攻撃を回避する。
 不意打ちとはいえ、やはり直線的な攻撃。天魔にはその攻撃は当たらない。
 だが、それこそが霊夢の狙いだ。
「弾けろ!」
 針は、天魔の放った光の珠に吸い込まれていく。
 そして、その中で霊夢の『力』を弾けさせた。
「むっ……!」
 天魔が遅れて振り返る。
 爆裂する光の珠から放たれる衝撃波を受け、彼女は顔をしかめた。
「これで二発!」
「なかなか面白いではないか、この弾幕勝負とやらもな!」
 天魔は自分の体を大きく越える巨大な光の珠を生み出すと、霊夢めがけて放つ。
 それはゆっくりと霊夢へと接近してくる。
 彼女がそれをよけるべく、移動すると、その動きについてくる。
 それが合計で八発。
「へぇ」
 霊夢は先ほど、天魔の攻撃を爆破したのと同じように攻撃を仕掛ける。
 だが、霊夢の攻撃はその光の珠に吸収され、消滅する。
 同じ手は通用しない。天魔が光の向こうで笑っている。
「まだ終わりではないぞ。これならどうだ!」
 続いて、天魔が、巨大な光の珠を迂回するように、小さな弾丸を連続して放ってくる。
 その速度はかなりのものであり、集中して軌道を見切らなければよけられない攻撃だ。
 光の珠で攻撃の出所を隠し、逃げても追いかけてくるそれで圧迫感を与えつつ、本命たる攻撃で狙撃する。
 よくある手段ではあるが、それ故に、対処は厄介なのだ。
「こいつ、本当に、戦う……っていうか、遊びに関しては天才的ね」
 霊夢がどの位置に移動しても、天魔の放つ攻撃は正確に霊夢を狙い打つ。
 大きく動いて逃げようとしても、追いかけてくる光の珠が邪魔となる。
 ならば、光の珠の間を渡ってしまえばいいのだが、霊夢に向かってこない弾丸がその道を塞いでいる。
「……よし」
 霊夢は気合を入れると、その場で足を止めた。
 幸いなことに、光の珠が三つ、前方に重なって隙間を塞いでいるおかげで、天魔の攻撃は飛んでこない。
「くっ……!」
 彼女は掌に五枚の結界を展開し、光の珠を受け止めた。
 次から次へと光の珠が霊夢の結界にぶつかり、圧力を増してくる。
 ずしりと重たい、その攻撃。しかもぎりぎりと圧力を増し、まるで滝を受け止めているかのような力を、霊夢の結界へとかけてくる。
「まだまだ……!」
 霊夢は両手で結界を押さえ、空に足をつけて踏ん張り、攻撃を受け止め続ける。
 結界がきしみ、ひび割れ、壊れていく。
 手元に残る分の結界しか残らない中、霊夢が抑えている天魔の攻撃は、五つとなる。
「よし!」
 彼女は結界を、まず最初の光の珠へと押し込んだ。
 それは楔のように変形し、その光の珠を捕獲する。
 霊夢は光の珠を一つ、抱えたまま後ろへと下がっていく。
「何が狙いだ。博麗の巫女よ!」
 天魔の攻撃は、その光の珠が受け止めてくれる。
 充分に天魔から距離をとったところで、「返すわ!」と振り上げた光の珠を投げ放つ。
 投げる速度が乗った光の珠が、霊夢に向かってくる光の珠の集団と激突する。
 互いに質を同じくするもの達は、ぶつかり合っても爆ぜることはない。
 しかし、
「砕けろ!」
 霊夢は手に持っていた結界を、その珠の中へと残していた。
 結界は大きく広がり、展開し、全ての光の珠を貫通するほどに膨らむと破裂する。
 その衝撃で、全ての光の珠が巻き込まれ、連鎖して爆裂する。
「なるほど、考えたな」
 猛烈な破壊の炎は天魔の攻撃全てを飲み込み、荒れ狂う。
 一度、攻撃をやめて天魔は後ろへと下がった。
 そこへ、
「後ろにご注意」
 霊夢が空間を転移して現れ、一撃を見舞う。
「お前は頭がいいな」
「まぁね。
 力で劣るものが、自分より強い相手と戦うには、頭を使わないとね!」
 そのまま、連続で攻撃を放ち、追撃で四つ、天魔の体に攻撃を当てることに成功する。
 これで七つ。残りは二十三。
 とどめまでのカウントはかなり多いが、このペースで行けば、天魔を『負かす』ことも夢ではない。
「お前はまともに戦えば、余に勝つなど不可能だ。
 だが、こうした遊びであれば、余に迫る実力を発揮する。
 余は手加減が苦手だが、お前には手加減が必要ない。
 ――楽しいぞ!」
 彼女の右手から、無数の弾丸が撃ち出される。
 それは、巨大な中心の珠を主とする衛星が飛び回る、不可思議な弾丸だった。
 霊夢に接近するその弾丸は、複雑な軌道を描いて衛星が飛び回り、回避を非常に困難にする。
 中心の珠はすさまじい力を持っているのか、攻撃して迎撃することが出来ない。
「どこまでよけられるかな!?」
 連続で、霊夢の移動に沿って攻撃が放たれる。
 その複雑な動きをする衛星に、霊夢は目をつける。
 軌道を見切って攻撃を仕掛けると、潰すことが出来た。ぱんっ、という風船が割れるような音を立てて、衛星が破裂する。
 それによって、前方に道が出来る。
 その間を抜けながら、天魔へと反撃を放つ。
「よけられない攻撃はご法度だったな!」
 弾丸の数が増えていく。
 動きを増し、激しさを増す衛星の嵐は、さすがによけるのに意識を集中していないとよけられない。
 右から来たと思えば左から、下からと思えば上から、とにかく四方八方滞ることなく、衛星が飛んでくるのだ。
「くそっ!」
 展開する結界で、被弾を回避する。
 がしんがしんと衛星がそれにぶつかり、結界が激しく揺らされる。
 それなりの防御力を持たせているにも拘わらず、三回もぶつかられれば結界が砕け散る。
 霊夢は何度も何度も結界を張りなおしながら、天魔の放つ攻撃をよけ続ける。
「反撃!」
 撃ち出す誘導弾が天魔へと迫る。
 天魔は片手を軽く振り、そこから放たれる衝撃波で霊夢の弾丸を撃墜していく。
 やはり、力の差がありすぎる。まともに撃っても、攻撃は絶対に当たらない。
 ならば、どうする?
「こいつはよけづらいぞ!」
 天魔の放つ珠に纏わりつく衛星の数が増えていく。
 数が増えれば増えるほど、よけづらくなる。当然の理論だ。それらをひたすら破壊しながら、霊夢はチャンスを探る。
 天魔から姿を隠し、珠の影に隠れて攻撃の軌道をわかりづらくしてから攻撃を放つ。針と札の二重の攻撃を、天魔は片手で軽くいなす。
 正面からの攻撃は、どんなに工夫しても当たらない。
 ならば意表をつくしかない。
 背後に回るか? それとも側面から攻撃を仕掛けるか? はたまた、この攻撃を何とかして押し返して、無理やり、攻撃を食らわせるか?
「……よし。なら、こいつだ」
 霊夢は攻撃のプランを立てると、そのまま一気に移動する。
 自分に出せる最高速度で移動しながら天魔を狙い撃つ。
「ほほう。動きながらの攻撃か。狙いが分散してよけづらいな!」
 天魔は霊夢を追いかけて攻撃を放ちながら、飛んでくる針を的確に迎撃していく。
 彼女が拳を振るうと、何の対策もしていないのに、霊夢の針は薙ぎ払われ、破壊される。
 壊れた針があちこちに散り、きらきらと、光を放つ。
「それ!」
 霊夢の放つ一条の閃光。
 それを天魔は同じように拳で薙ぎ払う。
 だが、それは、空中を舞う折れた針にぶつかると、その先端が向く方向へと移動先を変えて飛んでいく。
「何っ!」
 振り返る天魔の視線の先で、複雑な反射を繰り返した閃光が、まっすぐに天魔に向かって解き放たれた。
 それはさすがによけることが出来ず、眉間に直撃を受ける。
「八発目!」
 天魔は左手を霊夢に向かって振るう。
 その腕の動きに従って、無数の弾丸が一斉にばら撒かれる。
「質より量よ!」
 その数は大したものだ。隙間もほとんど見当たらない。弾丸それ自体の速度もばらばらであり、実によけづらい。
「レミリアで慣れた!」
 しかし、そういう攻撃をしてくる奴に心当たりがある。
 霊夢は弾丸と弾丸の隙間を、体を縦にして無理やり抜け、威力の小さな小型の弾丸を結界の盾で押しのけ、攻撃を回避する。
「まだまだ!」
 そのばら撒きの弾丸で霊夢の動きを封じ、両手の間で練り固めた、野球のボールくらいの大きさの弾丸を、天魔は放つ。
 それは霊夢を追尾して移動し、彼女を一定の距離に捉えると爆裂して、小さな炎の弾丸を周囲へとばら撒く。
 中心で直撃を受ければ大ダメージ、小型の弾丸も、何発も食らえば致命傷。
「あんた、萃香とか妹紅って奴、知ってる!?」
 その攻撃をも霊夢はいなす。
 弾丸の隙間を縫って飛び、ぎりぎりまで相手の攻撃をひきつけてから、反対側へと切り返す。
 それによって、爆裂する弾丸をよけつつ、大きな動きで攻撃を回避できる。
「それっ!」
 放つ札は大回りに回って天魔へと向かう。
 天魔はよけようとはせず、それを振り返ることもなく、放つ弾丸で迎撃する。
「今度は何を企んでいる!」
「本命から目を逸らす作戦よ!」
「なるほど! ならば、その本命というのを見せてもらおう!」
 霊夢が左手に構えたのは、札を何枚も固めた巨大な槍だ。
 天魔の放つ弾丸を迎撃するように、それが投げ放たれる。
 天魔の弾丸とぶつかり合い、一瞬の均衡の後、霊夢の槍が天魔に勝った。
 飛んでくるそれを、天魔はわずかな動きだけで回避する。
「そのような攻撃は当たらぬということを、何度言えば……!」
「その油断も、何回、同じことやったら直るのかしらね!」
 直後、槍がばらけて無数の札へと戻った。
 ひらひらと舞うそれが、天魔の周囲を覆っていく。
「――しまった!」
 天魔が気づいた時には、もう遅い。
 札が一斉に、連鎖して爆発した。
 天魔の周囲で無数の光の花が咲き乱れ、炎の中へと彼女の体を隠していく。
「今ので五発くらいは当たった?」
「……いいや、七発だ」
「じゃあ、合計で十五。あと半分」
 天魔の体には傷一つついていない。彼女自身は、先の攻撃で、全くダメージなど受けていないのだ。
 だが、霊夢と取り交わしたルール上、天魔は徐々に追いつめられている。
「……ふふふふ」
 しかし、天魔は笑っていた。
 衝撃を受け止めるために体を丸めたまま、彼女は笑っていた。
「ははは……!」
 両手を大きく、天に向かって勢いよく広げる。
「はーっはっはっはぁ!」
 その掌から無数に放たれた光が雨となって霊夢の周囲に降り注ぐ。
「なるほど! 確かに、この遊びは面白いぞ!
 妖怪は人間などに負けるはずがない!
 だが、このルールには関係がない! 頭がよく、力が強く、そしてルールを熟知したものが勝つ!
 まさしく『遊び』よ! 気に入った! 気に入ったぞ!」
 降り注ぐ雨で霊夢の動きを制限し、彼女は霊夢に向かって左手を向ける。
「ばーん!」
 そこから放たれる、不可視の高速弾。
 その衝撃波に霊夢が吹っ飛ばされる。
「こら! よけられない攻撃は禁止って言ってるでしょ!」
「よけられるだろう。余の手を見ていればな。
 約束している通り、よけられぬ攻撃など撃つはずがない。一直線にしか飛ばない攻撃だ!」
 天魔の宣言の後、また、霊夢が空中で弾かれる。
「目に見えない、高速の狙撃……! 慧音や星がやってくる奴の見えない版と考えましょうか!」
 天魔は霊夢に狙いを定め、およその位置を特定した後、大体三秒程度の間をおいて目に見えない攻撃を放ってくる。
 相手の掌がこちらの前で止まった時から三秒。それが、霊夢に与えられている猶予だ。
「ちっ」
「ほら、よけられるではないか」
 天魔の狙いは正確。そして、宣言どおり、まっすぐにしか攻撃は飛んでこない。わずかでも、相手が攻撃を特定した位置から動いていれば当たらない。
 だが、この無数の光の雨の中、その隙間を見つけて移動するだけでも難儀するというのに、
「厄介な!」
 この正確無比な攻撃をよけろという。
 全く、このお子様は難しいことを平気な顔でやらかすのだ。
 上空に結界の盾を作り、攻撃を受けながら、雨の隙間を縫って飛ぶ。
 天魔はこちらの動きを正確にトレースしながら、少しでも、動きを止めた瞬間、目に見えない攻撃を撃って来る。
 反撃のチャンスがなかなかつかめない。
 動きながら放つ攻撃は、天魔によって軽々と撃墜されてしまう。
 あいつに当てるには、とにかく、不意を突かなければダメなのだ。罠を仕掛けて待ち構えておかなければダメなのだ。
「これならどうだ!」
 霊夢の放つ大きな光。それは形を変えながら天魔へと接近し、複数に分裂して周囲に散った。
 天魔は眉をひそめる。
「先ほどの罠と同じなら、もう引っかからぬぞ」
 攻撃を反射する、あるいは途中で分裂させて不意をつく。これは二つとも、霊夢がやってきた攻撃だ。
 まだまだ余裕を持って天魔は霊夢と対峙しているものの、状況はわずかではあるが天魔が押されている形となっている。
 自分で取り決めた『撃墜』まで、あと半分。
「そういえば、この敗北ルールと言うのは、余も負けを認めなければ戦い続けられるのか?」
「別にそうしてくれてもいいわよ。
 それなら、もう一回、負かしてやるだけだから」
「なるほど。
 だが、余はそこまで悪あがきはしないさ。
 知っているか。強くて偉くて、大物と言うのは、自分の敗北には潔いものなのだ」
 撃ち出す衝撃波が、再び、霊夢を捉えた。
 ぎりぎりのところでガードに成功していた霊夢だが、その衝撃をもろに食らって体勢を崩している。
 降り注ぐ光の雨が、さらに数発、霊夢に直撃する。
「いったいなぁ~、もう!」
 その一発一発で肉が抉られ、激痛が走る。
 足や腕、肩からの出血が止まらない。
 少しだけ、霊夢は天魔から距離をとって、服を引き裂いて簡易な止血帯を作った。
 そうして戦線に復帰し、さらに攻撃を続けていく。
「何を企んでいるのか、いまいち、様子が見えぬな」
 辺りを見る。
 先ほどのような罠が仕掛けられていないかと警戒するのだが、今のところ、天魔の目の見える範囲には、霊夢の仕掛けた罠はない。
 ふむ、とうなずく天魔。
 相手が何を企んでいるのかはよくわからないが、そろそろ勝負をつけてやろうと考えたのだろう。
「少し速くなるぞ」
 彼女の放つ不可視の衝撃波が霊夢を襲う。
 先ほどまでは一発ずつ放つ攻撃だったのが、二発、三発と連射するようになっている。
 その分、一発目の狙撃ほど精度は高くない。だが、続く攻撃は狙いがぶれることにより、ちょっと体を動かしてよけた程度ではよけられないようになっている。
 雨の密度も高くなってくる。周囲に隙間がほとんど見当たらない中、なるべく大きな動きで天魔の狙撃を回避する。言うのは簡単、やるのはものすごく難しい。
「それっ!」
 霊夢が、ボールのような弾丸を放ってきた。
 天魔はそれを一撃で撃ち抜き、消滅させる。
 すると、破裂したボールの残滓が周囲に飛び散り、ぱんと音を立てて散った。
「……何?」
 そこから、霊夢の反撃が始まる。
 その力の残滓が宙を舞うと、いきなり、空中に赤い光の線が走った。
 それらが互いに結節し、どんどん、大きく、複雑で、そして美しい模様を描いていく。
「……そうか! こいつも結界か!」
「ご名答!」
 今の霊夢の攻撃をスイッチとして起動した結界は、天魔を覆い、その周囲を完全に包み込む巨大な結界となった。
 最初にばら撒いた攻撃で、この結界の布石となる力の『欠片』を、霊夢は作っていたのだ。
 やがて完成した結界は強い光を放ち、天魔の体にずしんと来る圧力となってのしかかってくる。
「……考えたな」
 これで、天魔の動きは、ある程度封じられた。
 彼女の放つ、精度の高い狙撃もそれを失い、簡単な動作で回避できるようになった。
 霊夢は小さく笑い、『それ!』と札を放つ。
 札は結界の一部に張り付き、光を放ち、そこから結界内部に向かって弾丸を炸裂させる。
「攻撃と防御の両方を兼ね備えた結界か。
 余も結界術の一つや二つ、学んでおくべきだったわ!」
「へぇ。学んだこと、ないんだ。便利なのに」
「幸いにも、結界の得意な従者がいるからな。
 奴に任せておいて安心しすぎたわ。
 夜、寝る時に、外がうるさかったりしたら、結界と言うのは便利な技術だからな!」
「ちなみに何時に寝ているの!?」
「八時! 余は早寝早起きなのだ!」
「お子様!」
 連続で放つ札が結界のあちこちに張り付き、中に向かって無数の弾幕を降らせる。
 天魔はその攻撃を何とかよけながら、霊夢を撃ち落としてやろうと攻撃を続ける。
 両者の動きは素早く、鋭い。
 だが、結界によって動きが制限されている天魔の動きは徐々に鈍ってくる。
「ちっ。面倒だな。こいつ、余の力に呼応して出力を変形させているのか」
「そういう芸当も出来るのよね。
 時間をかければかけるほど、そいつはどんどん強い結界になって、最終的にはあんたでも抑えられるくらいになるよ!」
「ならば、壊してしまうまでよ!」
 天魔は結界に向かうと、その光の帯を一本、手で握り締める。
「むんっ!」
 力をこめると、易々と、その結界の帯が砕け散った。
 そのまま、へし折った結界の帯を中心に、霊夢の作った結界を破壊していく。
「腕力で結界破壊する奴とか聞いたことない!」
 それこそ、天地の力の差どころか、此の世と彼の世の彼方ほどの実力の差がなければ、そんな芸当、出来はしない。
 問題は、天魔の力と霊夢の力の差が、それほど開いているという事実なのだが。
「こいつを崩してしまえば楽になりそうだな!」
 しかし、天魔の思い通りにはいかない。
 崩れた結界は、それまで無事であったところの結界の帯が光を放つと修復されていく。
 正確には、それまで描かれていた結界と別の結界が描き出され、天魔を何とかして内側に閉じ込めようとするのだ。
 天魔の破壊が早いか、霊夢の結界が頑張るのが上か。
「先に撃墜してやる!」
 天魔が暴れるのを見て、霊夢の攻撃も激しくなる。
「まだ、あと十五だ! 余裕があるぞ!」
 放たれる弾丸の嵐を、天魔は最小限の動きでよけ、被弾も最小限に抑えながら結界を砕いていく。
 その右手がついに結界を貫き、外に出てきた。
「くそっ!」
 霊夢の放つ針が、彼女の掌を貫通する。
 しかし、天魔は『よいものを手に入れたわ』と笑い、その針を握り締めて自らの元に引き戻すと、
「それ!」
 針を使って己の力を顕現し、巨大な剣へと変形させると、それで一刀両断、霊夢の結界を切り裂いた。
「合計で四発、食らってしまったがな」
 ぱらぱらと崩れた結界が、風に吹かれて消滅する。
 天魔は針を捨ててにやりと笑う。
「あと十一。まだまだか」
「追い詰められてんのよ、あんた」
「知っているか、博麗の巫女。
 遊びと言うのは、負けると思った方が負けるものさ。
 余は、遊びで負けたことはないぞ!」
 無数の弾丸を、彼女は霊夢の周囲に放つ。
 それらは一瞬、虚空に滞空した後、霊夢めがけて散弾のように弾丸をばら撒いてくる。
 その勢いと密度の濃さ、そして威力は、霊夢が先ほどまで天魔に攻撃していたものとは雲泥の差だ。
「余を遊びで負かしたければ、そうだな、頭を使う勝負の方がいいぞ!
 自慢じゃないが、余は将棋がとても弱い!」
「そんなら、この勝負が終わったら、次は将棋でこてんぱんにしてやるわよ!」
 炸裂する弾丸の数はどんどん増えてくる。
 飛び回って弾の間を縫って回避。よけられないものは結界で押さえ込む。
 だが、至近距離で弾丸が破裂したり、もっと単純に、受け止める攻撃の数が多い場合は、彼女の結界などいともたやすく穴だらけにされる。
 四方八方から襲い来る弾丸の嵐。目で見てよけるのではなく、弾丸が炸裂する音を聴いたら体を動かさないと、よけるのが間に合わない。
「食らえ!」
「効かぬ!」
 放つ攻撃は天魔には通用しない。
 通用しないとわかっていても、たまには茶々を入れて気をそらさなければ、天魔は調子に乗ってどんどん攻撃を激しくしてくる。
 よけられない攻撃は禁止だが、自分がよけられなくなる状況を作られるのは禁止していない。
 自分が弱いのが悪いのだ。
「このっ!」
 足下に結界を集中させ、飛んでくる珠を蹴り返す。
 天魔はわははと笑い、自分に向かって戻ってきた弾丸を、霊夢の方に向けて炸裂させる。弾丸の密度は下がるものの、速度と威力はそのままという攻撃を、辛うじて霊夢は回避する。
「押さえ込んで黙らせるしかないか!」
 霊夢はその場に五枚の結界を展開した。
 それらを小さく変形させ、天魔に向かって放つ。
「なるほど」
 それらの攻撃は天魔の攻撃を受けても破壊されず、天魔に向かって突き進む。
 その中の一発が、回避しきれない天魔の左手を直撃し、その場に張りつける。
「動きさえ止めればどうにかなると思うなよ」
 力を入れれば、そんな小さな結界など、天魔は簡単に粉砕する。
 壊されても壊しきれないほど、何度も何度も攻撃を当てるしかない。
 霊夢の攻撃など、当たってやるものかと天魔も回避行動を取る。
 霊夢は放つ結界を、緩急をつけて投げつけたり、大きく回るような軌道を取らせたり、あるいは空間を転移して突然攻撃できるようにしたりと、手を変え品を変え、天魔に向かって叩きつける。
「ちっ」
 三枚の結界が命中し、右足と左手、首がその場に固定される。
 一瞬、天魔の動きが止まる。そして、彼女が力を入れて結界を破壊するより早く、残り二枚の結界が、彼女の左足と左腕を捉えた。
 天魔の動きがそこで完全に停止する。
 すかさず、霊夢は指先で陣を描き、印を結び、叫ぶ。
「封!」
 最後の一枚の結界が天魔の胴体に触れた瞬間、六つの結界が互いに光の腕を伸ばして結節し、閃光を放って炸裂する。
「本来は、相手の力を封印して弱めたところで止めを刺す技なんだけどね」
 風がひときわ強く吹き、発生した爆煙を吹き飛ばす。
 そこに佇むのは無傷の天魔。
 彼女は大きく体を伸ばし、体に違和感がないことを確認しているようだ。
「あんたにゃ、そんな攻撃、効かないことはわかってる。
 だけど、ルール上では、あと五発だ」
「……確かに」
 結界それぞれが爆発して、天魔に『着弾』した。
 両手、両足、首、胴体。それぞれを一発とカウントして、合計六発。
 天魔に残された猶予はあと五発。
「お前が強くなったようには感じない。
 こういう状況だから、遊びに慣れていない余が押されている」
「そうね。
 多分、以前みたいに、真っ向から殴り合いとかしたら、私はあっさりあんたに負けていたと思うわ」
「だが、お前はずいぶんと雰囲気を変えた。
 余を前にして果敢に向かってくる。以前のお前ならば、恐らく、こうした遊びをしても余は勝っていただろう」
「何よ。それ。何を根拠に」
「何、そう感じるだけだ。
 余の勘は全く当たらぬぞ。明日の天気ですら外すのだ」
 彼女は開いた掌を握りこみ、拳を作る。
 そして、それを開いた瞬間、辺りの空気を薙ぎ払う衝撃波が撒き散らされる。
「余は、別に負けることは怖くない。遊びと言うのはそういうものだ。余は、常に勝者の側にいた。たまには敗者の側に回るのも、そう悪くはあるまい」
 彼女は両足で空を踏みつける。
 ただそれだけの動作で、その足下の木々が烈風と衝撃で薙ぎ倒される。
「しかしだな、博麗の巫女よ。
 余は完敗ということは認めても、惨敗などという無様な真似をするつもりはないぞ」
「こんだけ、人を痛めつけておいて、何を」
「ふふふ……」
 目を閉じて、肩を揺らして小さく笑っていた天魔が、かっと目を見開いた。
「確か、お前の立てたゲームのルールに、こういうのがあったな?
『スペルカード』とかいう」
 その目が、金色に輝いている。
 妖怪の目というのは、普通、紅いものだ。化け物の瞳は真っ赤に染まり、爛々と光り輝いて獲物を狙うものだ。
 こいつは、違う。
 その色に輝く目を持つ妖怪というものを、霊夢は見たことがない。
 人にも、神にも、妖にも、こんな目を持っている奴は存在しない。
「あんた、何者!?」
 さすがの霊夢も顔に焦りの色を浮かべて、相手から距離をとった。
 天魔は、宣言する。

「余か? 余は――天魔だ!」


 ―十幕―


「何だ?」
 藍がその場で動きを止めた。
 天狗たちを軽くあしらっていた彼女の瞳が捉えたのは、神社の直上、そこに立ち込める気配だ。
 人でも神でも妖でもない、何か違う『モノ』の気配。
「……ふぅん。なるほど。
 これがもしかしたら、天魔と言う奴の、本当の気配ということか」
 しかし、彼女は動じなかった。
 元々、そんなものだろうと考えていたのだ。
 紫が言っていた。『奴は次元の違う強さを持った怪物だ』と。そういえば、紫は天魔のことを『怪物』と評していた。
 化け物でも、物の怪でも、化生でもなく。
 怪物、と。
「これは面白い。霊夢がダメだった時は、私も戦わせてもらおうか。
 久方ぶりに血がうずく」
 この地に来てから、ずいぶん、自分は大人しくしていた。
 かつては大妖と呼ばれていた自分が、まさか他人の従者となり、日々を家事に忙殺され、どうでもいい日常の瑣末な出来事に心労を積み重ねるとは思っていなかった。
 だが、やはり、こういう光景を見ると血がうずく。体が滾る。
 どこまでいっても、やはり己は妖なのだ。
「……化け物……!」
 天狗の呟きが聞こえた。
 藍の横顔を見て、彼は震えながら言葉を放った。
 同じ『化け物』でありながら、この女狐は自分とはまるで位の違う『化け物』と認識したのだ。

「咲夜さん、あれは……」
「……さあ。
 だけど、あまりよくない予感がする」
 咲夜の視線が、博麗神社の方を向いた。
 境内に倒れているもの達は、ほとんどが気を失っている。
 だが、身動きをしているもの達の姿もある。
「あなた達、休戦しましょう。
 あそこにいる人たちを助けるのよ」
「え?」
「椛、急ぎなさい」
「椛ちゃん、わたし達もお仕事よ」
「は、はい!」
 咲夜の指示を受けて、彼女たちは境内へと舞い降りる。
 そして、未だ、ダメージのせいで動くことの出来ない白蓮やぬえ、気を失ったままの天狗たちを抱えて、一目散にその場を離脱していく。
 その傍ら、彼女たちは、天魔と対峙する霊夢を見やる。
「霊夢さん、大丈夫でしょうか」
「多分、大丈夫じゃないと思う。見た感じ、怪我もひどい。普段のあの人の半分も力を出せたら御の字だ」
「じ、じゃあ、手伝った方が……」
「何にも出来ないよ。行っても。邪魔になるだけだ」
 鈴仙の指摘に、妖夢は沈黙する。
 霊夢と向き合っている『怪物』を見て、それを察していたのだ。
 自分では、どうやっても、こいつに一太刀を浴びせることすら出来ない、と。
 それほどまでにあの『怪物』は強いのだ。
「みんな、けが人は収容した?」
「はい!」
「あなた達は後ろの人たちに通達して。私たちの陣はあっち。けが人を治すところもある」
「じゃあ、そのお手伝いをします」
「ありがとう、鈴仙。医者の卵のあなたがいてくれると安心できるわ」
「それじゃ、私は隊長に報告をして、場所を移動するようにします」
「椛さん、ご無事で」
「皆さんも」
 先ほどまで互いに争い、刃を交わしていたのに、一瞬で一同は和解している。
 これが、この世界に住む連中のいいところなのかもしれない。
 わだかまりをいつまでも持たず、協力するときは、たとえ己の身を危険に晒してでも協力しあう。
 閉じられた世界に生きているからこそ、お互いを強力に支えあわなければ、この世界では生きていけないと、誰もが理解している。
「隊長!」
「おう、終わったか。
 一旦、後ろに引くんだろ?」
「……酒臭い」
「はっはっは。前祝で、ちょっと飲みすぎた! いや、悪い悪い。
 よし、じゃあ、お前ら! 鴉天狗のお歴々も! 下がるぞ! ここはやばい!」
 顔を赤くし、片手に枡を抱えている彼を見て、椛はため息をついた。
 ――この人はこれだから。
 そう、思いっきり表情で語る彼女の頭を、彼はぽんと叩く。
「今度、俺がおごる。うまい飯を、みんなで食べに行こう」
 そう言って彼は椛に笑いかけ、一同を率いてその場を飛び立った。
 きょとんとなった椛は、いわれた言葉の意味を理解したのか、大きくうなずき、その後を追いかけていく。

「いやー、はっはっは! あんたは強いなぁ!」
「あなたこそぉ!」
「そら、飲め飲め! あたしの流儀でね、どんな憎たらしい奴とでも、酒飲んで騒げば仲間ってなもんさ!」
「そうよねー」
「……この飲兵衛たちは」
 神社の南側では、勇儀と鞍馬の戦いが終わって、かなりの時間が経過している。
 勝負の結果はというと、互いが互いの顔面にクロスカウンターで一撃を食らわした後、まるで往年の青春映画のように互いの肩を叩きあって笑いあい、そのまま『よーし! 祭りの前の祝いだ!』と宴会を始めてしまったのである。
 勇儀も鞍馬も酒が入っていい気分なのか、げらげらと下品に笑いながら酒をがぶがぶと飲むわ飲むわ。
「あはは……。
 まぁ、あれだよ。早苗さん。この人たち、いつもこんな感じだし」
「それはそれでいいんですけどね……。
 いつまででも、お互い、いがみ合うよりは」
 しかし、この展開は、それはそれでどうだろうと早苗。
 それについては、にとりも異論がないのか、微妙な顔をしている。
 ――ちょうどその時だ。神社の方で、奇妙な気配が立ち上ったのは。
「え?」
 早苗が振り向くのと、酒を飲んでげらげら笑っていた酔っ払い達が顔を引き締め、立ち上がったのはほぼ同時だ。
「何だ?」
「……さあ」
「おい。お前達。なるべくここから離れろ。よくない気配がする」
「あなた達、河童と妖怪たちを安全な場所に連れて行きなさい。早く」
 二人そろって、周囲への指示をてきぱきと始める。全く、割り切りと言うか、入れ替えの早い人格と言うか。
 神社の方から流れてくる気配は、言葉に出しては言い表せない。
 不穏な、不安な、そしてどこか恐ろしく、物悲しい気配だ。
 これまでに感じたことのない感覚に、早苗が神社の境内へと向かって走り出す。
「おい! どこへ行くんだ!」
「ちょっと様子を見てきます!」
「やめろ! 危ないぞ!」
「そんなら、あたしが連れ戻してくるよ!」
「こら、にとり!」
 にとりは好奇心に負けたか、それとも単純に、早苗を危険な場所に行かせられないと思ったのか、その後を追いかけて走っていく。
 やれやれ、と勇儀は頭をかいた。
「困った奴らだ。
 仕方ない。あたしがあの二人を連れ戻してこよう。
 あんた達は、とにかくここから離れているんだ」
「了解。鬼に言われたら、天狗は従うしかないわ」
「その後は、また飲むぞ。今日は日が落ち、月が昇り、朝が来るまで飲み明かすんだ」
「ええ」
 勇儀がそれを追いかける。
 彼女を手を振って見送った鞍馬は、つと、周囲を見渡した。
「……あら? 文は?」
 つい先ほどまで、その辺りに寝転んで、傷と体力の回復を図っていた人物の姿がない。
 どこへ行ったのかしら、と辺りを探すのだが、どこにもその姿が見えない。
「鞍馬さま、お早く!」
「……ま、いいか。あの子なら、幻想郷が消滅しても生きてるでしょ」
 文の不死身っぷりは、天狗社会でも、常識として知れ渡っているようだ。
 黒い翼を広げて、鞍馬が迎えに来た天狗と共に、そこを飛び去っていく。

「星、何が起きたんだ?」
「私にも、何が起きたのかは……」
「くそっ」
 北側の激戦地は、そのまま、大勢のもの達が、ただそこに集まる空間となっている。
 ――戦いは、ほぼ終わりを告げた。
 役目を終えた星が、そちらの自陣側へと舞い降りていく。真っ先に尋ねた魔理沙が、「私も見に行くか」と箒を握る。
「やめといたほうがいいよ。ありゃ、ろくでもないことにしかならんね」
「だけど……」
「疲労しているものは、今、あそこに近づくべきではない。
 神の言葉だ。素直に聞いておけ」
「ちぇっ」
「神奈子、どうする?」
「まずは結界を張る。あの気配がこちらに……と言うか、この空間から漏れ出ないようにしないといけない。
「りょーかい。それはあんたに任せるよ」
 神奈子が右手を天に向かってかざし、そこからいくつかの光を放った。
 光は神社周囲を囲んで互いに結節し、大きな結界の檻を作り出す。
「あんだけ、こっちとやりあったのに、まだそんな力が残ってるのか。神様ってのはすごいもんだ。私も神様になりたいな」
「あなたの場合、なれてそこらのトイレの貧乏神と言う気がするわ」
「何だとぅ!」
「そうだよ、吸血鬼。それはトイレの神に失礼だ。
 あれは徳の高い、格も高い、偉い神様だからね。霧雨のじゃ、むーりむりむり絶対無理」
「こら、諏訪子!」
 けらけら笑いながら、諏訪子がその場から逃げ出した。
 魔理沙が箒にまたがって、それを追いかける。
 それを見たフランドールが『フランも鬼ごっこする!』と、何を勘違いしたのか、無邪気に混ざってくる。
「どうした? 人形遣い」
「……別に。
 ただ、『ああ、こりゃやばいわね』って感じただけ」
「そうか。わたしはてっきり、お前が、この気配に似たものを感じたのかと思ったぞ」
「……は?」
「この、あらゆるものを求めながら、あらゆるものを拒絶する、孤高の気配は、先ほどのお前の気配にそっくりだったからな」
「冗談やめなさい」
 ぽこぺん、とアリスはレミリアの頭を叩いた。
 すると、レミリアは『何するのよ!』とほっぺた膨らまして抗議してくる。
 その彼女の頭を押さえて、
「……冗談じゃない」
 腕をぐるぐる回して抵抗してくるレミリアを見ることなく、アリスは小さな声でつぶやいた。


「ただ見ているだけだと退屈だろう? 少し、余の話を聞かないか」
 言ってみれば、これは一種の『変身』か。
 全身から、言葉に出しては表せない『気配』を撒き散らしながら、天魔の体が変わっていく。
「余の話だ。
 余は、まだ生まれて間もない妖怪だ。せいぜい、生きて数百年。何歳まで年を取ったかは、数えるのをやめてしまったのでわからない」
 それまで、幼くかわいらしい少女の姿をしていたものは、どんどん、歪にその体を歪めていく。
 手足はねじれ、ひきつり曲がり、鋭い爪が生えていく。
 体は硬質なうろこのようなものに覆われ、不気味に光り輝き、頭からはねじくれた角が生えてくる。
「生まれた時から、余はとても強い力を持っていてな。
 そもそも妖怪というものに、生まれというか、存在の発生というものは曖昧だ。
 ある時、突然、その場に現れる。妖怪を森羅万象の化身と表現する人間がいたそうだが、そいつはずいぶんと賢い。
 妖怪の出自? 神代の時代にまで遡れば、この照日の国が闇に沈んでいた時の、『夜の住人』だろう?」
 彼女の髪の毛が長く伸び、それが装甲のように固くなり、鋭くとがる。
 目が引きつり、つりあがり、口には鋭い牙が伸びる。
「余は、そんな時代のことは知らぬ。
 覚えているのは、ただ一人、当てもなく、とぼとぼと道を歩いていた頃のことだ」
 体の骨も変形しているのか、肌を突き破り、まるで鋭い槍のようにとがったものが突き出してくる。
 どんどん醜く、恐ろしい姿へと変貌していく天魔。
 霊夢はそこに攻撃を仕掛けるべきか、迷っていた。
 取り交わしたルール上、天魔はあと五発の攻撃を食らえば敗北する。このまま敗北に持ち込むことは容易だ。変身シーンを、ただ黙って眺めていてやる義理などない。
「あの頃は、本当に寂しかった。
 人間も妖も、余の姿を見ただけで逃げ出していった。
 時たま、仲良くなったもの達も、余の力に恐れをなして離れていった。
 ……余は、ずっと孤独だった」
 ずしん、と空気が重たくなる。霊夢が天魔と初めて出会った時と同じ……いや、それ以上だ。
 腕を動かすことも、息をすることすらためらわれるほどの圧力が、全身にのしかかってくる。
「父もいない。母もいない。何もない。
 余は何のために生まれたのか、それすらわからぬ。
 誰からも必要とされず、誰にも存在を認めてもらえず、誰一人、余の名前を呼ぶものもいなかった」
 長く伸びる尻尾が生えてきた。
 その小さな体とは不釣合いに巨大で長いそれを一振りする。
「余は、存在そのものを、世界より忘れられたのかもしれぬ」
 ――変身が終わってしまう。
 全身を不気味に変異させた天魔が、今、そこにいる。
 真夜中、道で出会ったら、絶対にその日から夜中に一人でトイレに行けなくなるような、そんな『怪物』だ。
「気がついたら、この世界にいた。
 余は、ここでも一人ぼっちだった。どこにも行くところがなくて困っていてな。
 そんな折、食べ物を求めて迷い込んだ山で、奴らに出会ったのよ」
 ぎらぎらと、光り輝く金色の瞳。
 その瞳で見られるだけで、心臓すら握りつぶされるような錯覚に陥る圧力。
 間違いない。
 こいつは、人でも、神でも、妖でもない。怪物だ。全てのもの達の存在を超越し、想像を絶する、最大級の『怪物』だ。
「奴らをこてんぱんにのしてやったら、いつの間にか、奴らは余に土下座するようになっていた。
 これはいい。己の強い力は、こうして使うのかと、初めてその時、自分の『在り方』と言うものを悟ったぞ。
 ……ところで、カードと言うのはこういうものでいいのか? 初めてなのでな、教えてくれ」
「……ええ」
「そうか。それはよかった」
 一枚のカード。
 表にも裏にも何も書かれていない、真っ白と真っ黒のカード。
 彼女はそれを掲げる。
「余は初めて居場所を得たのだ。
 誰からも必要とされぬ代わりに、誰をも従えても構わぬ居場所をな。
 奴らは面白い。普段は居丈高に調子に乗っているというのに、ちょっと声を荒げるだけで大人しくなる。余の従順な手足となって働いてくれる。
 唯一、『ちょっと遊ぼうか』と言っても答えてくれぬのが不満だが、まぁ、しょうがない」
 彼女は手にしたカードを頭上に放り投げる。
 太陽の光を受けて、それが歪に輝いた。
「余を『アクマ』と評したものがいた。あらゆるものに背き、あらゆるものに受け入れられず、永遠に孤独で、絶望と悲しみに苛まれ、かなわぬ願いに身を焦がす、哀れなバケモノを示す言葉らしい。
 ――なるほど。わかりやすい言葉だ」
 天魔がカードを放り投げたのとほぼ同時に、世界を寸断する光の檻が形成される。
 神奈子の結界が、一瞬先に、間に合った。
 さもなくば、この後の戦いで、遊びで、どれほどの被害がこの世界に出るかわかったものではなかっただろう。
「余は天魔。あらゆる天に背き、全てを穢す魔のものよ。
 余の存在も、名前も、どこにもない。余は余であり、全てが一個の存在にしか過ぎぬ。
 余は『アクマ』だ。故に、余は全てに対して『魔』となろう!」
 解き放たれるのは、絶望的なほど莫大な力。
 力そのものが意思を持っているのではないかと錯覚するほど、巨大で強大な力。
 見るものに、絶対的な絶望を与えるほどの力。
「余の力に名前などない。余は名前など持たぬ。余は天魔なり!
 さあ、博麗の巫女よ! 共に遊ぶとしよう!
 これが、この『名無しのアクマ』、最後の力だ!」
 そこから始まるのは、もはや『弾幕勝負』などとは言えない破壊の力の展開だった。
 天と地。その双方に侵食した天魔の力が巨大な塊となり、そこから、無限に近い数と勢い、そして威力の光弾を一斉にばら撒いてくる。
 リズムを持ち、一定の間隔とテンポで、それは放たれる。
 ただ解き放たれるだけの攻撃。渦を巻き、全てを飲み込むような攻撃。反対に、自分へと放った力を収束させ、集めきったところで解き放つ、二段構えの攻撃。片っ端から周囲を薙ぎ払う、波のような攻撃。互いをいかずちでつなぎ、一瞬の沈黙を見せた後、対象を飲み込み、焼き払う、巨大な閃光のような攻撃。
「冗談じゃないっ!」
 反撃など、考える余裕がない。
 全ての攻撃を、よけるので、霊夢は必死だった。
 何せ展開する結界が全く役に立たない。弾丸一発受け止めるだけで木っ端微塵に砕け、その力の残滓になぶられ、檻に囲まれた空間を端から端までぶっ飛ばされるのだ。
「この醜い姿を晒したのは、お前で三人目だ。
 そういえば、博麗の巫女よ。余はお前の名前を聞いていなかったな。
 余には名前がない。名前を持つものが羨ましい。そして、名前を持つものの『名前』は、どんなことがあっても忘れぬ。
 さあ、名乗れ!」
「博麗霊夢よ! きっかり覚えておきなさい! このお遊びが終わったら、あんたの頭を思いっきりぶん殴って、泣いて謝っても許してあげないくらい、お尻ひっぱたいてやるんだからね!」
「そうか! よし、覚えたぞ、霊夢よ!
 この力を切り抜けることが出来たら、お前の仕置きくらい、甘んじて受けてやろう!」
「その言葉、ずぇぇぇぇぇったいに! 忘れんじゃないわよ!」
 霊夢の展開する七色の光弾が天魔に向かって放たれる。
 天魔はその攻撃を、一歩も動くことなく、その尻尾で全て叩き落した。
 尻尾には、光り輝く力の存在。カウントはゼロだ。
「夢想封印すらまるで効かないとか、どんだけ強いのよ、あいつは!」
 天魔は逃げ回る霊夢を捕らえるべく、右手を彼女へと向ける。
「こいつはおまけだ。とっておくがいい!」
 放つ、目に見えない衝撃波。
 その威力はそれまで以上。破壊の規模も、それまでの比ではない。
 目に見えないため、よけるのも一苦労。直線的かつ狙いをすました後でなければ撃ってこないとはいえ、
「……くっそー……!」
 衝撃波が通り過ぎていくだけで、周囲の空気が空間ごとねじくれ曲がり、彼女から平衡感覚を奪っていく。
 ぎりぎりで回避したのでは、もはやよけたうちに入らない。
 動きが拘束された瞬間に、この周囲を埋め尽くす『破壊』が直撃すれば、それで終了。弾幕勝負にケガはつきものだが、一発食らえば死んでしまうのは、もはやその言葉だけで表現していい問題ではない。
「あと……五発!」
 どんなに攻撃が効かなくても、五発当てればそれでいい。
 相手の防御をかいくぐり、攻撃の嵐をよけて、五発、相手に当てれば霊夢の勝利だ。
 そのためには、とにかく逃げ回るしかない。一瞬でも足を止めてなどいられない。
「うわっと!」
 目の前を閃光が薙ぎ払い、左右から、それが霊夢に向かって迫ってくる。
「当たるか、こんなもの!」
 巨大な光の柱が迫ってくる、その強烈な圧迫感と恐怖感を振り払い、霊夢は光と光の間を抜けて飛んでいく。
 後ろから、気配。
 目に見えないということは、天魔の放つ衝撃波か。少しでも移動が遅れていれば直撃を食らっていただろう。
「結界で押さえて――!」
 展開する、巨大な結界の壁。
 それで天魔の攻撃を少しでも抑え、薙ぎ払い、
「何とか狙い撃つ!」
 撃ち出す札の塊が、天魔に向かって飛んでいく。
 天魔は右手をそれに向け、にやりと笑う。直後、霊夢の放った攻撃が木っ端微塵に砕け散る。
 だが、ばらけた札それ自体の力は失われておらず、それぞれが意思を持っているかのように天魔に向かって飛んでいく。
「一発くらいはくれてやろう!」
 彼女が手を一振りすると、そこに鋭く輝く爪が光を発し、霊夢の放つ札全てを切り裂いた。
 だが、その中の一発の影に隠れていた、鋭い針が天魔の肌に突き刺さる。
「見切ってはいたが、よけられるタイミングではなかったからな」
 しかし、刺さっていたのはうろこ一枚だけ。
 それどころか、天魔の装甲の固さと自身の持つ勢いに負けた針が、べきんと真ん中からへし折れる。
「一発は一発だ! あと四発だぞ、霊夢!」
「うっさい!」
 破壊の球体が三つ、天魔の回りを回り始めた。
 それが反時計回りに、無数の弾丸を空間一杯にばらまいてくる。
 複数の方向からの、タイミングとリズムをずらした集中砲火。気合を入れて目で見て、音を聴いて、気配を探り、あとはもう運に任せてよけるしかない。
「当たったらさっ!」
 一発目をよけると、二発目の攻撃が壁のようになって迫ってくる。
「手足がもげるとか!」
 それを、高度を一気に下げてよける。
 足下から突き上げるように飛んでくる攻撃を、体を縦にしてよける。
 前方から閃光。結界の盾でそれを受け止める。
「そういう問題じゃ!」
 勢いが止まった一瞬を見逃さず、その攻撃の進路から体を逸らせる。
 ちょうどよけたところに、矢のように攻撃が降ってくる。
 前と後ろ、上空から。
「ないっつーの!」
 札をばら撒き、祓え串を振るい、結界を展開して弾き飛ばす。
 天魔の攻撃と衝突したそれは、一方的に粉砕され、消滅する。
 しかし、わずかでも相手の攻撃の隙間に出来た『空間』を見逃さず、霊夢はそこを強行突破し、攻撃を切り抜ける。
「ぎりっぎりでよけられない時はさぁ! 打ち返すとかどうだろう!」
 そして、前方から飛んでくる不可視の衝撃波。
 霊夢は祓え串を構えて振りかぶり、それに串を叩きつけた。
 がきん、というすさまじい音と衝撃。そして同時に、天魔の体に炸裂する波動の力。
「三発だ! さあ、そろそろゴールが見えてきたな!」
 残り三発。どうやって攻撃を当てるか。
 ほとんど、彼女の攻撃は出尽くした。不意を突く攻撃も散々やった。天魔はこちらの攻撃を把握し、もはや油断など爪の先ほどもしていない。
 攻撃を当てる手段はほとんどない。だが、当てなくては勝てない。
 弾幕勝負やって勝てなかったから、真っ向から殴りあい、などは通じない。
「それに、散々、ハンデはもらってるんだ! これで負けたらかっこ悪すぎ! 私、巫女、引退するわ!」
 気合を入れなおし、あとはもう、全力で、正面から、正々堂々、ぶつかるしかない。
 彼女はそう結論づけた。
 何としてでも、あのお子様のお尻をぺんぺんしてやらないと気がすまない。
『怪物』だか『アクマ』だか知らないが、霊夢にとって、そんなものは関係ない。
「悪さする妖怪には、一発、きっついお灸をすえてやるのが巫女の仕事よ!」
 叫び、彼女は攻撃を放つ。
 解き放たれる力は天魔の力にかき消され、反撃を受けて逃げ惑う。
 その間、天魔は楽しそうに笑っている。
 このにぎやかな遊びを、彼女は心から楽しんでいた。


「どうしたのよ、紫。あんた、その程度?」
「この……!」
「わたしのこと、『修行だ』とか言っていじめてた時、もっと強かったじゃない。
 普段から、あんた、言葉に出して言っていたよね?
『自分のやりたいこと、考えていることは、素直に、正直に話せ』って。
 自分に出来ないこと、人にやらせてんじゃないわよ!」
 少女の振り下ろす手が地面に触れ、そこから立ち上る赤い結界の柱が、地面に膝を落とした紫を上空に吹き飛ばす。
 紫は体勢を立て直し、地面に立つ少女めがけて閃光弾を連射すると、大きく振り上げた手を下に叩きつける。
「技も鈍いし攻撃も遅い! 妖怪って、自分の精神状態がもろに外に出てくる生き物だってこと、教えてくれたのあんただったわね!」
 攻撃を後ろに下がりながらよけ、よけきれない分は結界の盾で弾き飛ばす。
 少女の戦い方は、霊夢のそれと全く同じである。
 ついでに言えば、その口調の変容のせいで、どことなく雰囲気そのものも霊夢に似てきている。
「やりあうつもりなら本気で来なさいよ! わたしなんて、あんたなんかよりずっと弱いんだから!
 とっとと倒して、自分のやりたいこと、やりにいけばいいじゃない!」
「ならば、そうさせてもらう!」
 少女の足下に不気味な陣が展開される。
 それは複雑な光と模様を刻み、一瞬で形を成すと、そこから黒い触手を吐き出した。
 触手は少女の体へと絡みつき、彼女を陣の中、その中心部で蠢く光の中に取り込もうとする。
「何も知らず、わからぬ要に過ぎぬものの分際で、何をそこまで、我に刃向かうのか!
 己の無礼と愚かさを悔いて消え去るがいい!」
「人間も妖怪も、根っこのところは一緒だ。
 妖怪って、昔は、人間の心の鏡だって言われていたらしいわね。人の心の中に、妖怪は住んでいる、って。
 図星つかれて怒るの、本当にそっくり!」
 少女が足を振り上げ、黒い光の中に現れた、何物かの巨大な口を思いっきり踏みつけた。
 聞くに堪えない不気味な悲鳴が上がり、黒い触手が苦しむように周囲でばたつき、消える。
 少女の指先が紫を示す。
 その瞬間、紫を中心に結界が展開され、彼女をその中へと閉じ込める。
 だが、結界の扱いに関しては、紫の方が何枚も上手だ。あっという間にその結界を解除し、砕き、その破壊の波を少女へと叩きつける。
 少女は逃げることすらせず、その場にもう一枚、結界を広げる。
 それは紫からの反撃を受け止めると鋭く輝き、その攻撃を何倍にもして撃ち返した。
「反射結界。あんた、結構、得意にしてたわよね。
『調子に乗って攻撃してくる奴にこれをかましてやると、相手は一気に戦意を喪失する』って。得意げな顔でさ」
 地面に激突する紫。
 ダメージに顔をしかめながらも、彼女は立ち上がる。
「あの子、霊夢とかいったっけ。今の巫女」
「……ええ」
「あいつ、天魔と戦って、勝てるはずがない」
「そうかもしれないわね……。
 正直、天魔と正面きって戦うのは、私だって避けたいわ」
「わたしもあいつと戦ってわかった。あいつには誰も勝てない。勝てるとしたら、幻想郷で一番強いっていう龍神様くらいでしょ。
 何で、あいつとあの子を戦わせたの」
「あの子が戦うと言ったからよ」
「なぜ」
「そんなこと知らないわ」
「なぜ、止めなかったの」
「止めたって、あの子はいうことを聞くような子じゃないもの」
「わたしという、奴に殺された巫女の話はしたの?」
「ええ。もちろん」
 二人はにらみ合う。
 一定の距離――決して縮まらない間を空けて、二人は互いに対峙する。
「わたしは、あの子は、そこまで愚か者だとは思わないわ。
 別に血のつながりがあるわけでもないし、身内の贔屓目ってのもなしに見て、あの子は賢い子。
 あんたが本気で止めたら、あんたに従っていた」
「……」
「止めなかったのは、なぜ?
 死んでもいいと、まさか、思っていたの?」
 紫は無言で手を広げると、自分の周囲に結界の亀裂を生み出す。
 そこから、青白い球体を生み出し、放つ。
 その球体は人魂のように震えながら飛び、あるものは地面に落ちて爆裂し、あるものは少女とは全く関係のない方向へと飛んでいき、そしてあるものは、意思を持っているかのように少女へと集まって襲い掛かる。
「答えなさいよ!」
 少女は紫に向かって右手をかざす。
 そこから放たれる不可視の衝撃波が、集まる人魂を蹴散らし、紫に向かってまっすぐ進んでいく。
 紫は広げた扇子でそれをいともたやすく弾き、そのまま、扇子の先端で少女を示す。
「このっ……!」
 周囲を埋め尽くすほどの人魂が、一斉に少女に向かって降り注ぐ。
 あちこちで響く爆音、轟音、そして炎。
 必死になって彼女はそれをよけ、地面に手をつき、跳ねる。
 前方から飛んでくる人魂群を見ると、彼女は左手を地面へと叩きつけた。
「答えられないって事は、あんた、自分でもわかってるんでしょ!? 自分の中の答えってやつ!」
 赤い結界の柱が立ち上り、一瞬で爆ぜて拡散し、人魂を薙ぎ払った。
 少女の前方、そして周囲でいくつもの爆発の花が咲き、光が辺りを埋め尽くす。
「無礼な」
「無礼はどっちだ」
 紫の声が後ろからした。
 振り向くよりも早く、少女はその場に身を伏せる。
 頭の上を、紫の腕が通り過ぎていく。空間に空いた亀裂の向こうに紫の顔が見える。
「あんたは言ったよね。巫女なんていくらでも代わりの利く、幻想郷の維持に必要な駒だ、って。
 その時が来たら、手足を切り落とし、目も鼻も耳も潰してでも、要石として存在してもらう、って。
 だけどさ!」
 結界の亀裂が閉じるより早く、少女はその中に両腕を突っ込み、紫の顔を掴むとこちら側へと引きずり出す。
「だったら、何で、あそこまで心を砕く!?」
 紫の瞳をまっすぐ見つめ、相手がまばたきすることも、視線を逸らすことも許さないという強い意志を持った瞳を、彼女は紫に叩きつける。
「あんたはわたしの頃から、全く別人だ!
 あの子に対して、あんたはすごく優しいよ! 激甘! 親ばかならぬバカ親だ!
 あんた、あの子のこと、大切に思ってんでしょ!? 自分の子供みたいにさ!
 何がきっかけだとか、どうしてそうなったとか、そんなこと聞かないよ! 妖怪なんて、何千年も何万年も生きるんだ! 心変わりくらいいくらでもするさ!
 だけど、わたしが死んでから、まだせいぜい百か二百程度しか経ってない!
 あんたが過ごしてきた時間からすれば、ものすごい短い時間で、あんたはものすごく人間くさくなった!
 そのきっかけがあの子にあるから、あの子のこと、大切にしてんでしょ!? 何か違うぞこいつ、くらいには思ってるんでしょ!?
 だったらさぁ!」
 紫の体を、無理やり、力ずくで亀裂の向こうから引きずり出す。
 少女は彼女の体を持ち上げ、地面へと叩きつける。

「意地張ってないで、助けに行ってあげなさいよ!」

 振り上げた拳に一刃の剣を光らせ、彼女は紫へと、その切っ先を突きつける。
「……神社に入った時、あの気配を感じました。
 わたしも経験した、あの荒行の気配。失敗すれば、二度と帰ってこられなくなる。
 それを、あなたはあの子に課している」
「ええ」
「……信用なんてしていない。
 自分の子供みたいに思っているから、出来て当然だ、って思ってる。あの子にもっと強くなってもらいたい。もっと、巫女としての格と気配を持ってもらいたい。
 それは、自分の子供を立派に育てたいと思う母親にとって、当然の想いです」
 少女は口調を元の『少女』へと変えた。
 手にした刃を消して、紫の上に乗せていた足をよける。
 紫は立ち上がると、ぱんぱんと服の埃を叩いて落とす。
「天魔と戦わせたのだって、それが理由。
 あれほど力の強い化け物を相手にすれば、絶対に、あの子は強くなる。勝つと負けるとに拘わらず。
 これはあの子にとって、いい試練。そう思っている」
「間違いではないわ」
「だけど、人間があれと戦って勝てるはずがない。
 今、幻想郷に充満していて、あらゆる妖怪が『楽しみ』としている勝負をしたって」
「まぁ、そうでしょうね」
「本当は助けに行きたかったくせに、強がって。『私は関係ないわ』みたいな態度を取って。
 ……強がりも程々にしてください」
 空間に亀裂が生まれ、そこがひび割れる。
 太陽の光が空間の中に差し込み、この場を『此の世』へと引き戻す。
「あなた、何を勘違いしているのか知らないけれど。
 言っておくけれど、あの子――霊夢は、ものすごく出来の悪い子よ。あなたもそうだったけれど、私の言うことを全く聞かないし、毎日毎日、サボってばかりで修行もしない。あなたの頃は、まだたくさんの参拝客が神社に訪れていたけれど、それもない。
 それで、おなかをすかして『紫~、ご飯~』なんて、厚かましい」
 紫は少女へと振り向かず、結界の出口に向かって歩いていく。
「本当にダメな子。どうしようもない、出来の悪い巫女だわ。あんなものを要に選んでしまって、私は本当に後悔しているの。
 だって、私の目が曇ったとか、耄碌したとか思われてしまうでしょう。とんだとばっちりだわ。
 だから、私は、あの子に厳しく接して、あの子を一人前の巫女にしてあげないといけないの。
 そのためなら、あの子がどんな目にあっても、それはあの子の責任よ。私の知ったところではないわ」
 彼女は結界の出口で立ち止まり、少女を振り返る。
「どうしたの。来ないの? 私が外に出たら出られなくなるわよ」
「馬鹿にしないで。あんたのずさんな結界くらい、わたしなら抜けられるわ」
「あっそ。じゃあ、好きになさい。
 本当にバカらしい。どうして、私はこんなダメな子達を選んでしまったのか。
 ……ああ、そういえば、もうそろそろ時期も冬。寒くなってくる。霊夢は絶対に、去年のセーターなんて、対策せずにタンスに放り込んでいるから、きっと虫食いだらけで着られたものじゃなくなってる。また新しいのを作らないと。
 今夜は、間違いなく、怒涛の宴会だろうにその用意もしていない。
 回りの人に気遣いも出来ない、どうしてあんな子に育ってしまったのか。あーあ」
 紫の姿が結界の向こうに消え、出口が消える。
 その場に残った少女は、『やれやれ』と肩をすくめた。
「私から見ればね、紫。
 あんたも五十歩百歩。類は友を呼ぶって言葉、知ってる?」
 ――もちろん、その言葉に、答えを返すべき人物はそこにはいない。


 ―十一幕―


「さあ、霊夢よ! どうした! 残り一発まで、お前は余を追い詰めたぞ!
 あともう一息だ! 撃って来い!」
「簡単に言うな!」
 さらに天魔の攻撃は激しさを増し、もはや四方八方、逃げ場など存在していない状況だ。
 四方に配置された力の塊からは、霊夢の動きを追いかけて高速の光弾が絶えることなく吐き出されている。常に動き回っていなければいけない状況にも拘わらず、あちこちに置かれた別の塊からは、霊夢の動きを阻害するように、ゆったりとした、渦のような動きをする弾丸が放たれている。
 それを必死でよけているというのに、天魔の回りを放つ塊からは直線的に飛ぶ弾丸と弧を描いて飛ぶ弾丸の二種類が延々と放たれ、とどめに天魔自身からは目に見えない衝撃波が飛んでくる。
 防戦一方などと言う言葉すら生ぬるい。まさしく『死にたくなきゃ逃げろ』という状況だ。
 その状況にあっても、霊夢は相手への攻撃を諦めず、あれからさらに二発、攻撃を当てることに成功している。
 相手の右目に一発、尻尾に一発。
 そのどちらも『当たった』と言う事実だけを証明するものであり、天魔には何のダメージも与えられていないが、とにかくルールはルール。霊夢の勝利は、あと一発、攻撃を当てることで決まる。
「チャンスくらいよこしなさいよ!」
 破れかぶれに放つ攻撃は、天魔の周囲を回る塊に飲み込まれ、それを乗り越えても、天魔自身の爪や尻尾で叩き落される。
 あまりにもすさまじい弾幕のため、天魔自身も霊夢のいる位置をあまり掴めていないのか、この最終決戦が始まった当初よりは、あの見えない衝撃波の頻度が下がっている。
 しかし、一度攻撃すると、天魔は霊夢の位置をその攻撃で特定し、衝撃波を猛烈な勢いで連射してくる。
「いっつ!」
 よけきれない一発が足に直撃する。
 衝撃と勢いに逆らわず、彼女は空中をくるくると回転して勢いを逃がし、何とかかんとか、天魔の追撃が当たるより前に体勢を立て直し、逃げる。
「誰が治してくれるかなぁ、この傷」
 霊夢もすでに満身創痍。
 肩の傷は痛みが治まらず、無理やり右腕を動かしていたせいか、今はもう完全に肩から先の感覚がなくなっている。
 体のあちこちにつけられた傷も深く、大きなものばかり。止血のために巻きつけた服を真っ赤に染め、しかし、出血が全く止まらない。
 先ほどの一発を食らった右足も変な方向に折れ曲がり、折れた箇所からは骨が覗いている。
 もはや動くことが出来ているだけで奇跡というレベルの重傷だ。普通の人間ならば死んでいるだろう。
「このっ!」
 霊夢はその場に一発の弾丸を残し、飛ぶ。
 その場にしばし留まっていたそれは、霊夢が充分離れたところで炸裂し、数個の光の塊を生み出した。
 それらはその場でしばらく留まった後、四方に散って天魔を襲う。
 天魔はその攻撃を全て迎撃し、力が残る方向を特定し、攻撃する。
「……いない」
 手ごたえがない。
 さては、これは罠か、と素早く判断して辺りを見る。
 自分の放つ無限の破壊の弾幕が、完全に周囲を覆ってしまっているせいで視界が利かない。やりすぎかなと思っても、やめるつもりもない。彼女の目的はただ一つ、霊夢を倒すことだからだ。
「どこだ! 霊夢! どこに逃げた!」
「言われて、『ここに逃げました』なんて言うわけないでしょ!」
「そこか!」
 振り向き、後ろに向かって衝撃波を放つ。
 だが、そこには誰もいない。
 ちょうど、自分の周りを回る塊があるだけだ。
「ちっ!」
 彼女の衝撃波は自分の力の塊を撃ちぬき、大爆発を起こす。
 その爆風に煽られる形で、天魔はわずかに後ろに下がる。
「声のみを――」
 天魔は再度、自分の後ろを振り返る。
「飛ばしたか!」
 そこに霊夢の姿があった。
 天魔の懐まで接近していた彼女は、左手に持った鋭い槍を天魔めがけて突き出す。一歩遅れて、天魔は己の爪でそれを受け止める。
「惜しい!」
「罠の仕掛けがまだまだだな! 出直してこい!」
 天魔は、霊夢の持つ、札を固めて作った槍を握りつぶすと、彼女の腕を掴んで上空へと放り投げる。
 そして、霊夢を衝撃波で撃ち抜こうとするのだが――、
「何っ!?」
 その霊夢すら、無数の札に化けて消えた。
 ひらひらと舞う、霊夢の札。
 ぎりぎりで、彼女は自分とそれの間に、自分の周囲を回る力の塊をねじ込む。
「見事だな」
 爆発が連鎖し、壁として使った力の塊の向こうで、無数の光が炸裂する。
「お前は搦め手を使ってばかりだな!」
「当然!
 自分より強い奴と戦う時は、まず頭を使う! それから、じわじわと、真綿で首を絞めてぶっ倒すのよ!」
 今度のは、本物の霊夢だ。
 天魔の正面に姿を現していた彼女は、七色に輝く光弾を、一斉に天魔に向かって放つ。
 それらは天魔の前方でそれぞれ衝突し、爆発する。
 炎と光に煽られて、天魔は後ろへと下がる。
 その炎の中を抜けてきた、霊夢の放った槍を左手で受け止め、投げ捨てる。
「お前は本当に面白い奴だ!」
 戦いは最終局面に達する。
 全ての攻撃が一旦中断され、空に平穏が戻る。だが、それも一瞬のこと。天魔の放った力の塊は、霊夢を中心として衛星のように彼女の周囲を回りながら、無数の弾丸をこれでもかと放ち、彼女を足止めする。
「これが正真正銘、最後の一発だ」
 天魔が頭上に掲げた掌の先に、一瞬で、巨大な塊が生まれる。
 それは、一度、巨大に膨れ上がった後、収束し、再び膨れ上がるのを繰り返す。
「こいつをよけるか、それとも受け止めるか――」
 やがて、その光の塊は天魔が抱えるくらいの大きさにまで収束し、
「選んでみせろ!」
 霊夢めがけて投げつけられる。

「これは……」
「……またすさまじいね」
 神社の境内までやってきた早苗とにとりの視線は、今、その上空で繰り広げられている、猛烈な弾幕勝負に向けられる。
 にとりは、「あんなの、あたしじゃ、10秒だってもたないよ」と呻いて乾いた笑いを浮かべ、
「……」
 その戦いを見上げる早苗の表情に、憐憫の情を浮かばせる。
「どうしたんだい。早苗さん」
「……その……。
 言葉に出しては言い表しづらい……というか。
 ……霊夢さんと、今、戦っているのが……」
「天魔」
「……楽しそうだな、って」
「そりゃねぇ。あのわがまま娘、遊ぶことが本当に大好きだから」
「ああ、いや、そうではなくて……。
 その……何と言うか、本当に表現しづらいんですけど……。
 今まで、一度も、誰とも遊んでもらったことのない子供が、初めて一緒に遊んでくれる人を見つけた……そんな感じがして」
「……うん?」
 何だい、そりゃ、とにとりがつぶやいた。
 早苗自身も、自分のその感情が何に起因するものかわからず、『すいません』とかぶりを振る。
「ああ、いや、早苗さんは悪くないよ。
 それより何より、ここにいたら流れ弾がやばい。さっさと逃げよう」
 事実、上空から降ってくる流れ弾の数はすさまじい。一発一発が神社の境内にちょっとしたクレーターを作るほどだ。
 すでに社殿も母屋も粉砕され、ほとんど何も残っていない。
 にとりは早苗の手を引き、逃げようとする。
「あ、あの……でも……」
 だが、なぜか早苗はその場から逃げようとしない。
 こうなったら力ずくで、とにとりは彼女の腕を引っ張るのだが、河童の力を持ってしても、早苗の足は、その場に根が生えたかのように動かない。
 どうなってんだ、こりゃ。にとりが早苗の手を引くのをやめた、その時だ。
「あなたも本当に物好きな子ね」
 唐突に、早苗の横の空間に亀裂が走り、そこから紫が現れる。
 振り返り、早苗は紫に声をかけようとして、一瞬、声を失う。
 彼女の姿が、見たこともないくらいにぼろぼろだったからだ。誰かと戦い、辛うじて撃退してきたというような空気があったからだ。
「そこのあなた。彼女たちを守ってくれる?」
「頼まれたらやぶさかじゃない」
 早苗たちを追いかけてきた勇儀が現れる。
 彼女は、頭上から降ってくる天魔の攻撃を拳一つで殴り飛ばし、けろっとした顔で「痛い痛い」と手を振るだけだ。
「……さすがは」
 この状況下においても、力の違いを見せ付ける勇儀に、にとりは素直に賞賛の瞳を向ける。
「本来、こうした勝負に横槍は無粋なのだけど。でも、反則と言うか、ルール上、それが定められているわけでもない」
 紫はぶつくさ文句を言いながら空へと舞い上がる。
「早苗ちゃん。あの出来の悪い子が、そろそろこっちに降ってくるから。
 ちゃんと受け止めてあげてね」
 そう、優しい声と笑顔を早苗に向けてから、彼女はゆっくりと上空へと上がっていく。
「霊夢!」
「何よ、紫! 今更、何しにきたっての!」
「チャンスを作ってあげるわ!」
 今しも、天魔の攻撃は完結を迎えようとしている。
 膨張と圧縮を繰り返した力の珠は、その余波で周囲の空間を歪めるほどにまで存在を高め、天魔の腕の中に収まっていく。
 霊夢は、周囲を囲む攻撃をよけるのに精一杯で、天魔の邪魔をするだけの余裕がない。
「いらない!」
「言うと思った。
 だけど、これは、私からの強制です! あなたに拒否権はありません!」
「また勝手なことを!」
「以前も同じことをやったでしょう! あなたはあの時、散々、足を引っ張ったけれど!」
「それはそっちの方でしょ!」
「なら、それが私の勘違いで、あなたの方が主導権を握っていたというのなら、それを証明してみせなさい!」
 霊夢の周囲に無数の結界が現れ、天魔の攻撃を弾き飛ばす。
 さすがは境界の妖。霊夢の結界術など足下にも及ばない、見事な術だ。
「いいわ、やったろうじゃない!」
 霊夢は天魔の攻撃をよける必要がなくなった。
 まっすぐに、彼女は天魔を見据える。
 天魔が叫ぶ。
「こいつをよけるか、それとも受け止めるか、選んでみせろ!」
 放たれる天魔の力の塊が、霊夢めがけて突き進んでくる。
 霊夢は左手に結界を生み出し、構える。
「紫! 幻想の結界チームの実力、見せてみなさいよ!」
「言われなくともそうします!」
 霊夢の周囲に、紫はさらに結界を重ねて彼女の防御と移動をアシストすると共に、
「名前を持たない怪物よ! お前の力がどれほど強くとも、この境界の妖は越えられぬよ!」
 天魔の周囲に、今度は結界が生み出される。
「何だ!?」
 一つの結界が一本の鎖となり、それが天魔の体へと巻きついていく。
「ええい、離せ! 邪魔だ!」
 天魔が腕や足を振るだけで、その結界は粉砕される。
 だが、その数がすさまじい。
「おのれ!」
 天魔の攻撃が紫に直撃する。
 紫の体が半分、吹き飛ばされる。
「まだまだ!」
 今しがた、放とうとしていた左手の結界を粉砕されたものの、紫はその力を右手に持ち替えて、放つ。
 その一発が天魔に命中すると、彼女の体に絡み付いていた鎖が光を放ち、一斉に活性化し、巨大で分厚い結界を作り出す。
「これは……!?」
「65536枚の封印結界! さすがにそれなら、あなたでも、その力を大幅に封印されてしまうでしょう!?」
 全身に、鉛でもまきつけたかのような重たさがのしかかる。天魔は歯を食いしばり、それでも何とか、その場に踏みとどまる。
「霊夢! 今の奴は、本来の……まぁ、千分の一くらいまでは弱まっています! それで倒せなかったら、あなた、博麗の巫女はクビね!」
「そこまでお膳立てされて負けるものですか!」
 前方から飛んでくる天魔の攻撃を、彼女は左手の結界で受け止める。
 そして、それを自分の周囲に展開されている紫の結界とあわせて、その中に内包すると、左手に構えて天魔に向かう。
「こいつでラスト一発よ、天魔! 覚悟しなさい! 終わったら、あんたが泣いても絶対におしりぺんぺんやめてあげないんだからね!」
 かつて、己の『母』が得意とした結界と破魔の術と近接攻撃を組み合わせた一撃。
 それを構えて接近する霊夢は、天魔を射程に捉えると、左手を振り上げる。
「ルールだから、仕方ないか」
 そこに内包されるのは、極限まで高めた己の力。
 直撃と同時に炸裂するそれは、力を封印されている天魔を薙ぎ払う。
 想像を絶するほど強靭な天魔の肉体を持ってしても、その破滅からは逃れられないだろう。
「……やれやれ。負けたか」
 そうつぶやき、天魔は小さく、そしてほっとしたように微笑む。


「天狗たちは悪賢く、そして性悪ばかり。
 天魔。あんたが負けたら、あいつらは二度とあんたの言うことを聞かなくなる。山の連中が好き勝手しないために、あんたは絶対の頂点に君臨してないと困るのよ!」


「嘘……!?」
 よけることを諦め、敗北を認めた天魔。それに迫る霊夢。その両者の間に、あの少女が割って入った。
 霊夢の左手の一撃は少女のみぞおちを直撃し、結界の破裂と共に荒れ狂う。
「何を……!」
 天魔も目を見開き、声を上げる。
 少女は自分の体に叩きつけられ、炸裂するその力を、両手に広げた結界で無理やり押さえ込み、絶叫と共に破裂させた。
 生まれる衝撃波が彼女と、天魔と、霊夢をまとめて薙ぎ払い、三人がそろって神社の境内に落下していく。
「相打ちか」
 その様を地上から眺めていた勇儀がつぶやいた。
「早苗さん、そっち、そっち!」
「は、はい! にとりさん、こっち!」
「うわ、うわ、うわ! 急いで、急いで!」
「霊夢さんっ!」
 強烈な衝撃をまともに浴びた霊夢は完全に気絶し、腕を差し伸べる早苗にぶつかり、彼女をフォローしようとするにとりをも巻き込んで地面に激突した。
 一方の天魔も少女と共に境内の、一枚だけ無事だった石畳にぶつかり、それを粉々に粉砕する。
「あいたたた~……!
 霊夢さん、大丈夫ですか……?」
「……きゅう。」
「うわ、失神してる! やばいって、これ!」
「は、はい! 霊夢さん、今すぐ、お医者様に連れて行きますからね!」
 慌しく立ち上がった二人が、彼女を抱えて、その場を走り去っていく。
 体を半分失ったままの紫が地面に降り立ち、一瞬で、失われた左半身を復活させる。
「よう、ご苦労さん」
「ええ。その言葉、あなたにもお返しします」
「見事だった。あの巫女が目を覚ましたら、そう伝えておいてくれ」
「ありがとうございます」
「なんのなんの」
 かんらからからと笑いながら、勇儀がその場を後にする。
 ――そして。
「……なぜだ」
 あの少女は、かつての時とは反対に、首のみを残して体を吹き飛ばされ、天魔の腹の上で目を閉じている。
 天魔の、異形への変身も解け、元の子供の姿へと戻っていく。
「……なぜ、邪魔をした。なぜ、余に敗北を認めさせなかった……! なぜ、余をかばったりなどした!? 答えろ!」
 目に涙を浮かべ、激昂して叫ぶ彼女に、少女の瞳が開く。
「……だから、言ったでしょ。あんたは絶対の頂点にいないとダメだ、って。
 そこの『管理者』様が言ってるよ。幻想郷の秩序を乱すようなことは、あんまり好ましくない、ってさ」
 にこっと笑った彼女の体が、ゆっくりと修復されていく。
「天魔と魂と血と霊を分けただけあって、不死身ね」
「この子が死んだら、またわたし、死んでしまうから。人間、もっと長生きしたいのよ」
 よいしょ、と少女が起き上がる。
 彼女は立ち上がると、地面の上に座り込んだままの天魔へと手を差し出した。
「……なぜ、余に負けを認めさせぬのだ。余は敗北したのだぞ……。もう……」
 差し出した手を、少女はぐーの形に固めると、振り上げたその拳骨を一発、天魔の頭に落とした。
 きょとんとなった天魔が、涙でくしゃくしゃになった顔を彼女に向ける。
「あのね! ここは、わたしの家でもあったところよ! 色んな思い出があって、そこの口うるさい奴との時間もあったところ!
 そこをこれだけ壊しておいて、『自分はもう負けた奴だから、誰も言うこと聞かない』とか何とか! まさか言うつもりじゃないでしょうね!?」
「あ、いや、あの……」
 腰に手を当てて、少女は天魔を叱りつける。
「あんたの役目は、自分のやったことの後始末は自分でつけることよ!
 天狗連中に指示をして、迷惑かけたところ、全部に頭を下げて! それで、この神社直しなさい!
 それが終わったら、あんたの好きにしてよし! それが終わるまでは、絶対に、『妖怪の山の支配、やめました』とかは言わせないんだからね!
 わかった!? 『はい』は!?」
 思いっきり彼女に叱られて、天魔の瞳に一気に涙が盛り上がり、我慢できなくなったのか、彼女は大声を上げて泣き始める。
『ごめんなさい。もうしません』と泣き喚く彼女に、ふぅ、と少女は息をつく。
「……言ったとおりでしょ?」
「ええ。寂しがりの一人ぼっちは、自分のことを本当に想ってくれる人には、とことん弱いもの」
「誰のことを言ってるの?」
「誰かしらね」
「言いたい事は全部伝えたけど、まだ何か言うことある?」
「もう結構。
 それより、責任を持って、この神社を直しなさいね」
「もちろん」
 よしよし、と天魔の頭をなでてやる少女の姿に、紫は踵を返す。
 今しばらくは、あの二人はあのままにしておいてやろう。そう思って、その空間に、ちょっとした小さな結界を張り巡らせる。
「あとは霊夢ね。
 まさか、あそこまでお膳立てしてあげて、天魔に負けるなんて。目を覚ましたらお説教だわ」
 開いた亀裂の中に、彼女は消える。
 しんと静まり返る、神社の境内。
 そこに恐る恐る、最初の一人が舞い降りるその時まで、博麗神社は平穏を保っていた。


 ―十二幕―


「かわいい子~、み~つけたぁ!」
「うわ、こら、はなせー!」
「やーだ! はなさな~い! ん~、髪の毛、ふわふわ、いいにおい~」
「まりさ、いいなー。フランも、フランも!」
「あら、あなたも。やったぁ。ふかふか~」
「ふかふかー」
「はーなーせー!」
 天魔の宣言通り、祭りが終わった後は、待望の宴会である。
 きれいに更地になった博麗神社の敷地に、人も妖怪も神も陣取り、飲めや歌えの大騒ぎ。
 用意した料理も酒も、天魔が事前に『余が責任を持って用意するものだ。まずいわけがない』と断言していた通り、その味は実に素晴らしい。
「おい、アリス! 助けてくれ!」
「ちょうどいいわ。あなた、その人にもらわれたら? 面倒見もよさそうだし」
「まあ、いいのぉ!? やったぁ!」
「冗談じゃない! 私はこういう、子供扱いしてくる奴が嫌いなんだ!」
 酒を飲んでいたら、魔理沙は迅雷に捕まってふかふかもふもふされている。
 その魔理沙の隣で、ジュースとお菓子おなか一杯、なフランドールは迅雷に捕まった魔理沙を見て『遊んでる』と勘違いしたのか、自分から迅雷にじゃれついている。
「姉さんは日頃厄介だけど、かわいいもの与えておけば静かだから」
「いいですね。それ。あれは何を与えていても好き勝手するものですから」
「対応策があるのとないのとでは大違いです」
「本当ですね」
 そしてなぜか、疾風とアリスが意気投合して話を弾ませている。
 ちなみにその会話の中で、この疾風がアリスの……というか、ひまわり畑のあの喫茶店の常連だということが判明するのだが、それはまた別の話である。
「妖夢さんも、これ、食べませんか? 美味しいですよ」
「あ、いや、その……」
「ダメよ、妖夢ちゃん。椛ちゃんを見習って、おなか一杯、ご飯を食べないと。大きくなれないのよ」
「……限度がありますよ」
「そう? 妖夢ちゃんは、今日、一杯動いたんだから。もっと食べてもいいよ」
「これでも私、食べてますよ! 茜さんからも何か言ってやってください!」
「この大食い二人の前では、育ち盛りのあなたの食べる量が少なく見える」
「冷静に言わないでください!?」
 大きなどんぶりに目一杯ご飯を盛って、用意される大皿のおかずをがつがつ平らげる椛と竜胆。
 それに付き合わされている妖夢は、いくら運動しまくっておなかがすいているとはいえ、普段の二倍も三倍も食えといわれて食えるかと抗議している。
 その横では、鈴仙が「今日は大変だったねぇ」とにんじんのお漬物をぽりぽりかじり、同僚二人よりは、どちらかというと妖夢や鈴仙よりに座る茜が『はいこれ、おかわり』とおひつを丸ごと持ってくる。
「っていうか、そんなに食べて、よく明日のご飯もおなかに入りますね!?」
「え? 普通じゃないですか?」
「そうよね~」
「……絶対に違う」
「けど、妖夢ちゃん。昔から『食べる子は育つ』と言うでしょ? 食べない子は大きくなれないんだよ、本当に。
 ちなみに、これが医学的統計なのだけど……」
「あ、それ、なかなか面白そうですね。後学のために、少し聞かせてもらってもよろしいですか?」
「ええ、どうぞどうぞ」
 と、なぜか鈴仙による医療講義が始まり、茜がふんふんとうなずきながらメモを取る。
「茜姉さんは、勉強が趣味の人だからなぁ」
「茜ちゃんは、だから頭がいいのね」
 すごいなぁ、と頭脳労働よりは肉体労働の二人は、でっかいステーキを半分ずつ切り分けて、それを真っ白いほかほかご飯の上に載せてもぐもぐと頬張っている。
 実に気持ちのいい食べっぷりだが、もうおなか一杯状態の妖夢にとっては胸焼けしてきそうな光景である。
「しかし、まさか、地底の鬼まで地上に出てくることになるとはな」
「山の神が、天狗どもを率いてという光景も、あまり想像が出来ないな」
「ああ、そりゃそうだ。鬼に一本取られたね」
 こちらは通称『危険地帯』。
 天狗すら酔い潰す鬼の勇儀と、酒豪の神様、そして、
「ん~、このお酒、美味しいわ~。もう一杯!」
「お、いいねいいねぇ! 天狗連中の中にも、あんたみたいに気合の入った奴がいるとは、あたしは嬉しいよ!
 ほら、飲め飲め! がんがんいけ!」
「いただきま~す」
 と、その力の強さに比例して――なのかどうかはわからないが、勇儀の相手も出来る鞍馬天狗が一人という恐怖の空間だ。
 その周囲には死屍累々、天狗と河童と妖怪たちが倒れ伏している。
 皆、こいつらに潰されたのである。
「全く、だらしない。この程度の酒で倒れるなんて、根性が足りないよ、根性が!」
「全くだ。この程度じゃ、あたし達に信仰心くれても、恩恵をやるわけにゃいかないねぇ。わっはっは」
 勇儀から借りた、自分の顔よりでかい杯に酒をなみなみと注ぎ、ぐいぐい飲み干す諏訪子。
「そのなりで見事! よし、これはどうだ!」
「お、そっちはまた違う酒なのかい。ど~れどれ」
「酒もうまいが料理もうまい。
 この料理は誰が用意したんだ?」
「天狗の中の、料理好きの子達って聞いているわね。
 こういう、料理の上手なお嫁さんが、そうね、十人くらい欲しいな~」
「お前は料理はまるでダメなのか」
「出来るわよ。女として当然じゃない。
 だけど、わたしは、かわいい女の子が作ってくれるお料理を食べたいのよ~」
「……そ、そうか」
 煩悩全開でフルスロットルぶっ飛ばす鞍馬に、神奈子の頬に汗一筋。
「勇儀。あんたは料理は出来るのかい」
「あたし? あたしはダメだ、ダメ。握り飯くらいだ。
 それをな、以前、パルスィにこっぴどく怒鳴られたんだが。ほら、あたしに料理なんてのは似合わないだろう?」
「違いないや!」
「何だと、こいつ!」
 わははは、と何がおかしいのか、そろって二人は大笑い。
 上司(色んな意味で)たちの酒が残り少ないことを察した、年若い天狗の青年(ちなみに、白蓮に殴り倒された彼である)が気を利かしてたる酒をごろごろと転がして持ってくるのだが、
「おっ、気が利くねぇ」
「上を立てるその態度! 若いのに見事!」
「は、はあ……」
「ほら、あなたも、せっかくだから飲んでいきなさい」
「あ、いや、しかし、鞍馬さま。私はその……」
「あたしの酒が飲めないってかー!」
「ひぃぃぃぃ!? 飲みます、飲みます、頂きます! よろしくお願いします!」
 と、鬼に神に天狗に絡まれ、涙目になって輪の中に引きずり込まれ、巨大杯に酒をがばがばと注がれる。
「また一人、犠牲者が増えるか」
 それを、比較的冷静な目で眺める神様は、『だったら助けてやれよ』と誰からもツッコミの入るセリフをつぶやき、酒をたしなむのである。
「それにしても、今日は気分がいいわね。
 とても楽しい一日だったわ」
「何よりです」
「これくらい楽しくてやかましくて大騒ぎな一日。
 久しくご無沙汰していたわね。
 咲夜、あなたの怠慢よ」
「何を馬鹿なこと言ってるんですか」
 手渡しされたケーキを取り上げられ、『むー!』とほっぺた膨らまして、レミリア。
 咲夜のそばに立つメイドが、「メイド長、今日くらいは」と笑顔を見せて、咲夜も『しょうがない』と言う顔になる。
「料理も美味しいし飲み物も美味しいし。
 さっきの、ほら、山菜の煮つけなんて、うちの料理より美味しかったのではなくて?」
「確かに」
「うちには和食を得意とする子、あまりいませんからね」
「洋食なら、誰にも負けない自信があるのですけれど」
 と、『幻想郷で一番、人を集めるテーマパーク』の従業員たちが、『このままではいけないわ』という会話を始める。
 レミリアは、自分の一言が余計な波紋を広げたことなどまるで気づかず、ケーキをもぐもぐ、美味しそうに食べている。
「ああ、そういえば、お嬢様」
「何?」
「先ほど、パチュリー様から、『魔導砲(仮)』の作成費用と制御失敗に伴う紅魔館の修復とでこれくらいのお金がかかるという請求書が来ました」
「……何かものすごく0の数が多いわね」
「まぁ、それくらいでしたら、三日あれば、稼ぐことが出来るのですけど」
「マジで!?」
「ちょうど今、株も為替も大きな波が来ておりまして。それに無事、乗ることが出来たという報告がありました」
「そ、そう……」
「それに伴って、パチュリー様より『レミリアが余計なことを言ったので気分を害した。謝罪も賠償も求めないけど厳罰を求める』ということで、明日から一週間、お嬢様のご飯には必ず一品、ピーマン料理を出すようにとのお達しが」
「断りなさいよ!?」
「お嬢様。紅魔館の主として、好き嫌いはいけません。これはちょうどよい機会です」
 幻想郷において、恐れるものなど何もなし、いけいけごーごーごーまえへー、なレミリアであっても勝てない究極の敵、それが『緑黄色野菜』である。
 咲夜をたしなめる周囲のメイドも、レミリアの好き嫌いの多さには手を焼いているため、誰もレミリアを助けようとはしなかった。
 こうして、明日から、レミリアの地獄が始まるのである。
「今回、一番働いたの、わたしだよね!」
 ジュースとお菓子、好きな食べ物を山盛り持って来て、ぬえが星に声をかける。
 すると星は『ええ、そうですね』と笑う。
 ぬえは気をよくして、『そうだよね、そうだよね』と嬉しそうに笑い、ごくごくジュースを飲み干していく。
「……今回の一件、聞けば、考えさせられる話でした」
「聖」
「あの天魔と言う妖怪。結局は、誰からも構ってもらえない、孤独な子だったのですね」
「強い力を持ってしまったものは、往々にして、他者から阻害される存在となります」
「人の世は、誠、世知辛いものです。
 そうしたものに対して、救いを与えるべく、尽力するのが私の役目」
「もう、聖は固いなー! それはそれ、これはこれだよ! はい!」
「ありがとう、ぬえ」
 横から渡される、季節の野菜のてんぷらを口にする。
 その衣のサクサク感と素材の味を生かした作りは見事。思わず、うむ、とうなずいてしまう。
「はい、星」
「ありがとう」
「……ちょっと、星。それはお酒ではありませんか?」
 ぬえが星に手渡したのは杯である。そこにたゆたう液体から、芳醇な酒の香りが漂ってくる。
「いいえ、聖。これは酒ではありません。般若湯です」
「……え?」
「よいですか、聖。
 我々、仏門に帰依するものに酒はご法度です。それは戒律を破る。いわば退廃と乱れの象徴です」
「ええ、それは……」
「しかし、です。これは般若湯。人や妖、無論、仏とて得られぬ智慧を得るための、『知恵の水』なのです。
 もう一度、言います。酒ではありませんよ」
 そう言って、ぐいっとそれを飲み干してしまう。
 ぽかんとしていた白蓮は、星の言葉の意味を咀嚼し、理解したのか、
「……では、私もそれに倣いましょう」
「お、意外だね。『そんな屁理屈を言って』と言うかと思ったのに」
「確かに、酒を飲む言い訳にそれを使うのであれば、私はその対象を戒めるでしょう。
 しかしです、ぬえ。般若というのは智慧の象徴であり、人の到達する『悟り』の一つです。私はこれを胃の腑に収める事により、また一つ、新たな悟りを得る。いわば、これも仏門に帰依するものにとって必要な修行なのです」
 さすがは聖白蓮。何とかかんとか自分なりの答えを見つけ出し、それを適当にこねくり回し、周囲のものを納得させる論理へと構築させる技術は見事である。
 彼女は『般若湯』を飲み干して、
「……あら美味しい」
 と、ぬえに『あ、こいつ酒飲みの才能あるな』という一言を口にするのだった。


「……ごめんなさい」
 頭を下げる天魔を前に、その場の空気が凍りつく。
「迷惑をかけた。謝る。もうしない」
「そ、そそそそんな滅相もない!」
「どうか! どうか頭を上げてくだされ!」
「これ、この通り! 我らに至らぬところがあったのなら、全身全霊をこめて、その不手際の改善に努める所存!」
 と、天魔よりさらに頭を下に下げて――要するに、土下座する大天狗のお歴々。
 天魔はあの少女より、『迷惑をかけた人、全員に謝って来い』と命令されている。
 彼女の指示に従って、あちこち歩いて頭を下げて回っているのだ。
 しかし、そんなことをされたらたまったものではないのが天狗社会である。
 何せ、天魔は自分たちよりもずっと強くて偉いのだ。そんな輩が、どんな理由があろうとも『自分が悪かった。許してくれ』などと言い出そうものなら、まずは自分たちの不手際を全力で謝罪しなければいけない。天魔が頭を下げるような理由を作った、自分たちが悪いのだ、と。
「……政治と言うのはめんどくさい」
 ぽつりと、頭を下げたまま、天魔はつぶやいた。
 そういう思惑が透けて見えるのが厄介なのだが、しかし、『これこれ、頭を上げよ』とは言えないのである。
 とりあえず、何度かその場にいるもの達にしおらしく頭を下げた後、とことこと、天魔はどこかに歩いていく。
「う、うーむ……! これは一大事だぞ、皆の衆」
「天魔さまにどのようなことがあったのか……」
「まさか、心変わりか」
「いやいや、それは失礼千万極まりない。何かお考えがあるに違いない」
「いや、しかし……」
 と爺連中、顔を突き合わせ、車座になってうんうんうなって悩みだす。
 そういう事態を招いた天魔はすでにそこにおらず、次の場所へと歩いていく。
 その後ろ姿は、『悪さをして、叱られて、しょんぼりしている子供そのもの』である。
「……あのようなしおらしいところもあるのか」
「驚きであるな……」
「どうだろうか、兄弟。あのような天魔さまというのも」
「うむ、兄弟よ。実は我もそう思っていたのだ」
「早苗殿が仰っておられた。
 いわゆる『ギャップ萌え』というやつではないか、と」
「うむ……。これはなかなか難しい命題であるな、兄弟」
 などということをほざきだす、『幻想郷紳士淑女同盟』に加入している天狗どももいたりするのだが、それはさておき。
「さて、次は……と。
 しかし、あいつはどこへ行ったのだ。余にばっかり、こんなことをさせて……。
 いや、確かに余が悪いのであるが、これでは飯も食えなければ酒を飲む時間もないではないか。
 ……はぁ。おなかすいたなぁ」
 ぺったんこになったおなかは、きゅ~、と切ない悲鳴を上げている。
 自称『育ち盛りの女の子』な天魔は、食事時になるとご飯を食べなければ目を回して倒れてしまうのだ。三十分の遅れが致命的になるのだ。
 そんな彼女は、お昼時に『祭り』を終えてから、ずっとあちこち、幻想郷中を回って頭を下げているのである。
 つい今しがた、博麗神社に戻ってきてみれば、宴会は相変わらず続いていて、美味しそうな香りがあちこちから。
「……いや、我慢、我慢。余は一度言い出したことは守るのだ。そういうことが出来ない悪い子ではないからな」
 一応、そんなプライドもあるらしい。
 てくてく、辺りを歩きながら、つと、天魔は足を止める。


「祭りには参加されないのですか?」
「したいのは山々なのだけど、そういうわけにもいかないから」
「なぜお化粧など」
「人前に出るのに、着飾らないのは女ではないでしょう。
 ――藍、ありがとう。あなたは橙と一緒にご飯を食べていなさい」
「かしこまりました」
「……そういえば、橙はどこにいったのかしら」
「紫さまの張った結界の中で、何も知らず、『げぇむ機』で遊んでいましたよ。
 つい先ほどから、おなかをすかして騒ぎ始めました」
「そう。それは何より」
 崩れた母屋の一角、瓦礫のおかげで周囲から隔絶されている空間でおめかししていた紫が立ち上がる。
 藍が頭を下げてその場を後にし、残るのは彼女とあの少女だけだ。
「このたびはご迷惑をおかけしました」
「ええ、本当に。
 天魔自身からも謝罪を受けないと、納得がいかないわ」
 頭を下げる少女に高飛車に返して、紫。
 彼女は相手を振り向くと、
「あなたの気の強さは、相変わらず、変わらないわね」
「三つ子の魂は百を越えても続くものですから」
「……戻ってくるつもりはない?」
「ええ、全く。
 もうすでに、博麗の巫女はいくつも代替わりをしました。わたしの居場所は、ここにはない」
「あの子が使い物にならなくなったら、また、新しい巫女を探さないといけないわ。その手間が省けそう」
「彼女がダメになったら、その子供が頑張るでしょう」
「世襲ではない」
「はいはい」
 紫は少女へと歩み寄り、その首に手をかける。
「その魂を穢してまで、なぜ、あれに仕えようとするのか」
「答えなど、もうとうに述べました。そして、あなたはそれに納得した。まだ何か、言いたいことでも?」
「もう知らない。好きにしなさい。
 ただし、私の役目は、この幻想郷の秩序と規律を維持することです。今後、今回のようなことが、またあった、その時には――」
 ぐっ、と彼女は少女の首にかけた手に力をこめる。
 わずかに少女が苦痛に顔を歪めたのを見て、満足したように、紫はその手を離す。
「次は容赦しない」
「肝に銘じます」
「もう二度と、会うこともない。それを祈っているわ」
「はい。
 まぁ、わたしは、天魔さまは意外と活動的なので。あちこち出歩くことも多いですから、あまりあなたの希望には沿わないかもしれませんが」
「全く、忌々しい」
 彼女はその空間に亀裂を作ると、その中へと足を踏み出し、ふと、立ち止まる。
「そういえば、あなた、以前の名前は捨てたのかしら?」
「元々、わたしにも名前はありませんでしたから。
 あなたがつけてくれた名前は、以前の『わたし』が死んだ時に、もう名乗れなくなってしまいましたから」
「親に捨てられ、誰からも助けを与えられず、雨の中、死を待つばかりのお前を助けてやった恩をすっかり忘れて」
「それも、わたしに才能があったから。なければ、あなただって、あの時、わたしを見殺しにしていたでしょう?」
「その通りね」
「恩着せがましい物言いね、紫は。相変わらず。いつもそう言って、わたしに言うことを聞かせてきた」
「名前がないのは面倒くさいわ。
 そうね。あなた、『キョウ』と名乗りなさい。
 天魔の姿を写す、姿見の鏡として。そして、今日のこの日に、新たな名前を得たとして。
 わかったわね?」
 紫は亀裂の向こうに姿を消した。
 それを見送って、少女は後ろを振り返る。
「どうなさったのですか? 天魔さま」
 そこに、今しがた、やってきた天魔の姿があった。
 彼女は『境界の妖と、何の話をしていたのだ』と近寄ってくる。
「別に。ただ、お互い、知る顔として積もる話もあったのです」
「そうか。
 ところで、お前の言った通り、あちこちに頭を下げてきたぞ。そろそろご飯を食べてはダメか?」
「ちゃんと全員に頭を下げたなら、いいですよ」
「やった!」
 彼女は踵を返して、宴会の舞台へと走っていく。おなかがすいておなかがすいて、目が回って倒れそうだったのだ。
 その彼女の背中に、少女は声をかける。
「そうそう。天魔さま。
 いつも『お前』とか『あいつ』と言われるのも、いい加減、いやになってきました。
 これより、わたしのことは、わたしの名前である『キョウ』と呼びなさい」
 立ち止まり、振り返る天魔。
 きょとんとした顔をしていた彼女は、にかっと笑うと、「何だ。いい名前があるじゃないか」と言った。


「やーだー! 私も宴会に行くー! 美味しいご飯とお酒ー!」
「ダメですよ、霊夢さん!」
「そうだよ! 霊夢さん、めっちゃ重体なんだから! っていうか、よくそんだけ暴れられるほどの生命力あるよね! 妖怪以上でびっくりだ!」
 永遠亭に担ぎ込まれた霊夢は、速攻で、永琳によって『即刻入院。ケガが治るまで絶対安静』を命じられていた。
 普通の人間なら失血死していたほどの出血と、ショック死していた傷、おまけに張っていた気が抜けたことによる脱力とで『瀕死』と判定されたのだ。
 ところが、治療が終わって目を覚ました途端、布団の上でこれである。
 絶対安静ということであてがわれた、広い個室を何とか飛び出そうと暴れる彼女を、早苗とにとりが押さえつけている。
「私が今回、思いっきり活躍したのよ! いわば、今回、一番働いた人! みんなに敬われるべき存在なのよ!
 なのに、こんなところでごろごろしていたら、私の活躍を語る奴がいないじゃない!」
「いやそもそも、霊夢さんの活躍を見ていた人、いないと思うよ。
 みんな、それぞれのところで戦うので精一杯だったし」
 にとりの冷静なツッコミに『何ですって!?』と霊夢は怒る。
「あんなバカ強い怪物を、何とかかんとかへち倒してやったのに!」
「いや、まぁ、確かに天魔さまを倒すような人がいるとは思わなかったけど」
「この私を讃えて、宴会では、私に最上級の料理と極上のお酒、あと、たっくさんのお賽銭を持ってくるのが筋ってもんでしょ!?
 だから私は宴会に行く! 邪魔をするな!」
「邪魔するよ!」
「ええい、力の強い奴め!」
 じたばたする霊夢。
 しかし、それをにとりの剛力が押さえ込む。河童の力は鬼の次に強いのだ。人間――しかも怪我をしている奴がかなう相手ではないのである。
「霊夢さん、ダメですよ。永琳さんも、この部屋から出てはいけない、って言っていたじゃないですか」
「だけどー!」
「永琳さん、怒らせたらものすごく怖いですよ。鈴仙さんが震え上がってましたし」
「……う、うーむ……」
 実を言うと、霊夢も永琳を怒らせたことがある。
 今回のように怪我を負って入院して、わがまま言いまくっていた時のことだ。
 あの時の永琳の笑顔は、今でも思い出せる。
 にっこり笑顔を顔面に張り付かせ、低い声で『お静かに』と。
「……確かに怖いからなぁ」
 さすがの霊夢も、あの時は相手を前に全力で土下座した。
 その時、彼女は『幻想郷において勝てない奴』の存在を悟ったのだ。
「……はぁ」
「まぁ、だけど、食事は流動食とか点滴オンリーとまでは言われてないんだし。
 あたしが料理とか酒を持ってくるよ。それでいい?」
「すみません、にとりさん」
「いいよいいよ。ここまで付き合ったんだ。最後まで付き合うよ」
 よいせ、とにとりが立ち上がる。
 ちょうどその時、霊夢の後ろの空間に亀裂が入り、
「また、あなたはみんなに迷惑をかけて。本当に情けないわね」
 と、紫が現れた。
 紫はにとりを見て、「ここから神社に戻れます。ご面倒をかけて、本当に申し訳ございません」と頭を下げた。
 にとりは何ともいえない笑みを浮かべて、『それじゃ、失礼するね』と亀裂の向こうへ。
 早苗も、『包帯の替えをもらってきます』と席を立つ。
「霊夢」
「……何よ」
「情けないわね」
「うっさいな」
「あそこまでお膳立てしてもらって、私の援護もついて、天魔に負けるなんて」
「負けてないでしょ!」
「あなたは事前に取り決めた、天魔との戦いのルールで、『三十発当てたら勝ち』なんて決めていたでしょう。
 残り一発を当てられず、あなたは撃墜された。
 ――あなたの負けじゃない」
「そんなの納得いかないわ!」
 ほっぺた膨らまして、霊夢はそっぽを向いた。
 自分は戦いを優勢に進めていた。最後の一発だって、邪魔に入ってきた妖怪ごと、天魔に食らわせてやった。バックファイアを食らって吹っ飛ばされて気を失ったけれど、当てたのはこっちが先だ。
 そんな理論を展開する霊夢の頭を、紫はぺんとはたいた。
「みっともない。こういう時に潔く、『次は頑張る』と言うものでしょう」
「ふん。そんなの関係ないもんね。
 それに、私の決めたルールだと、『負けを認めるまでは負けじゃない』もん」
「全く、あなたと言う子は……。
 どうして、そう意地っ張りなのかしら。誰に似てこうなったのやら。
 私の育て方が悪かったのね」
「誰が誰に育てられたってのよっ」
 そこからは、いつもの流れの会話である。
 紫が、『私があなたを育ててあげたのよ。それに感謝せず、なんて物言いなの』と言えば『あんたに育てられた覚えはない』と霊夢は返し、『だから、あなたは出来の悪い子なのです。博麗の巫女として嘆かわしい』と言えば『うっさい、ばか!』と返してくる。
 そんな押し問答と、いつも通りの会話が終わると、ちょっとした隙間の空間が現れる。
 静まり返った部屋の中、霊夢は「あいつ、どうなったの」と尋ねた。
「今頃、境内で、みんなと宴会している頃ではないかしら」
「へぇ、いいな。羨ましい。
 私なんて、こんな風に包帯でぐるぐる巻きにされてるってのに」
「人間の体は、ちょっとつつくだけで壊れてしまうもの。仕方ないわね」
「反省してた?」
「してた」
「そう」
 少し沈黙した後、「満足してたなら、まぁ、いいか」と彼女はつぶやいた。
「遊び相手になってあげたという自覚はあるのね」
「まぁね」
「別に、構ってあげないという選択肢も、なくはなかったのだけど」
「そんなことしたら、あんたがまたやかましいだろうし、あいつに『逃げた!』とか思われるのやだし」
 それにさ、と霊夢。
「誰からも遊んでもらえない寂しさとか、一応、わかってるし」
「へぇ。そう」
 自分がそういう存在だった、とまでは言わないのだが、寂しさを言葉にしっかりと乗せてつぶやく霊夢に、紫は軽く肩をすくめるだけだ。
「ま、そっちのが静かでいいけどね。
 今はもう、あっちこちから色んな奴がやってきて、私の平穏な生活を邪魔してくるし。
 あ、そうだ! あいつが壊した、うちの神社! あれどうするのよ! 請求書とか書くなら、費用上乗せして、がっつり請求してやってね! どうせなら、ぼろくなった設備とか全とっかえで!」
「みみっちいことはやめなさい」
「あいてっ」
 ぺしんと頭をはたかれて、霊夢は静かになる。
 紫はまた空間に亀裂を作ると、その中に手を突っ込んだ。
 そして、その手の先に、温かい料理が載った皿を取り出す。
「おなかすいたでしょう。食べなさい」
「見ての通り、まともに体が動かせないんですけど」
「はいはい。
 ほら、口開けて。あーん」
「あーん」
 紫にご飯を食べさせてもらって、ご満悦の霊夢。
 ――しばらくは、そっとしておいてやろう。
 その様を、ちょっとだけ開いた襖の隙間から覗いていた早苗は、小さく微笑んで、静かに襖を閉めたのだった。



 無事、幻想郷は平穏を取り戻した。
 それぞれがそれぞれの生活に戻り、生まれたわだかまりも、一日どころか丸三日続いた怒涛の宴会の中に飲み込まれて消えていった。
 宴会が終わった翌日には、天魔に命じられた河童の集団が博麗神社へとやってきて、神社の修復を始めた。
 いつものようにいつものごとく、ビームが出るようにしたり変形合体してロボットになるように改造していたため、全員、紫に三時間ほどお説教を食らって『元の神社』を作るように命じられる羽目になった。
 パチュリーの設計した『魔導砲』(仮)のせいで建物が半分吹っ飛んだ紅魔館も一日もたたずに修復され、いつものように、幻想郷庶民の皆様に親しまれる、『紅のテーマパーク』を展開している。
 冥界では、そこの庭師が屋敷のお嬢様に『どんなことがあったのかしら?』と一日中質問責めにされ、とどめに『ま、全部見ていたから知ってるんだけど』と笑われて、からかわれていたことにふてくされている。
 永遠亭では、入院した霊夢は相変わらず包帯でぐるぐる巻きにされ、鈴仙が、その専属の医者としてあてがわれることとなった。曰く、『こんな厄介な患者、とっとと治して追い出したい』そうな。
 魔法の森では、魔理沙が毎日のように、『アリス。飯を食わせてくれ。あの時の恩をしっかり返してくれ』とアリスの家に押しかけ、およそ一週間で『とっとと帰れ!』と蹴りだされるようになっている。
 妖怪の山では、無事、家に戻ることが出来た早苗が神奈子や諏訪子から『成長したな』と褒められ、にとりや椛が友人たちに今回の祭りの内容を面白おかしく語って聞かせるという日々が続く。
 地底では、地上の騒ぎから戻ってきた勇儀の前に『これが報告書で、これが帰還に伴う手続き書、あとその他の書類です。必要なところに記入と判子を押して、期日内に提出してください』と山積みの書類が用意され、彼女は絶望して立ち尽くした。
 命蓮寺では相変わらず、ぬえは境内で遊びまわり、星は家事に追われ、白蓮は今回口にした『般若湯』の感想を語り、何やら微妙な不協和音が起きたり起きなかったりしている。

 ――そして。

「文」
「ああ、はたてさん」
「出来たの?」
「もちろん」
「遅かったじゃない」
「ふっふっふ……」
 文は、手にした新聞をずばっとはたての前に掲げる。
「何せ全面フルカラー! 紙には豪勢な上質紙を使い、インクも特注!
 こんな素晴らしいものを作っていたら、ついつい、熱中しちゃいまして!」
 見出しには『博麗神社VS妖怪の山! 世紀の大決戦!』と煽り文句が書かれ、全十六ページの紙面には、びっしりと記事と写真が掲載されている。一ページに使用している写真の枚数は軽く四枚以上。さらには『名場面集』と書かれた別紙も一緒につけられて、そこには文が撮影したあらゆる写真がこれでもかと掲載されている。
 普段、ここまで豪華なものを作ると返ってくる費用もすさまじいのだが、文はこれまでの貯金を全て吐き出し、これを作ったのだとか。
 これより幻想郷中にばら撒いてきます、と彼女は飛び立っていく。
 ちなみに『ばら撒くのはモノクロの号外だけ。本紙面はその後、手渡しで売る』らしい。
「大赤字になるんじゃないの。これ」
『さあ……』
 文の使い魔のかーくんが、はたての頭の上をばさばさ飛び回り、何ともいえない表情をしている。
「まぁ、だけど、確かにあの事態を詳細に取材したのって文だけだしね。
 退屈だ退屈だ、って娯楽に飢えてるこの世界の連中なら、大喜びでこぞって買っていくのかもしれない」
『そうだといいですね。
 じゃないと、文さま、明日のご飯にもありつけませんよ。本当に』
「その時には……まぁ、不本意だけど、わたしのところに来い、って文に言っておいて。
 ご飯くらい食べさせてやるから、って」
『いいんですか?』
「あいつ、頑張ったしね。ご褒美よ」
『はたて様も奮闘されたと聞いてましたけど』
「わたしは仲間に混じってちゃんちゃんやってただけ。あいつはもっと頑張った。そんだけ」
 文から渡された新聞を、彼女は服のポケットへとねじ込んだ。
 そうして、「じゃあね」と去っていく。
 彼女を見送り、かーくんは『文さまはいい友達に恵まれたな』と、鴉のくせに感慨深くうなずくのだった。


 ―終幕―


「退屈だ」
 御所の奥。自室で天魔がつぶやいたのは、その時である。
 霊夢と過ごした楽しい祭りが終わってしまって、平穏な日々が戻ってきて。
 何も変わらぬ毎日に、彼女はかんしゃくを起こす。
「退屈だ! 何か面白いことがしたい!」
「またですか」
「うむ。そうだ。
 余は退屈が嫌いなのだ。何か楽しいことをしたい。回りに迷惑をかけなければいいのだろう?」
「ええ」
 何やら書類を書いているキョウが天魔に返す。
 よし、と天魔はうなずき、どこかへと走っていってしまった。
 はて、何を企んだのやら。
「きっと、またろくでもないことを考え付いたのね。あれは」
 これだから、誰かが天魔のそばについていてやらなくてはならない。
 誰かが彼女のそばにいて、彼女を抑えていなければ、あのわんぱくわがまま娘は、自分の思いつくまま好き放題に『迷惑』を周囲にばらまくのである。

 それから、また数日後。
「あれ。はたてじゃない」
 霊夢は何とかかんとか、いつもの自分に戻ることに成功していた。
 まだ体中、あちこちに包帯を巻いた痛々しい姿ではあるが、少なくとも、日々の日課を送るのに不足はないくらいにまで回復したのだ。
「ちょうどよかった。苦情を言おうと思っていたの。
 文の奴、もう毎日のように『霊夢さんのおかげで、私、大もうけできちゃいました。知名度も鰻登りで超困ってます』って笑顔で自慢に来るの。
 アレ、鬱陶しいから何とかしてよ」
 文がばら撒いた『文々。新聞 秋の特大号』は、すさまじい売れ行きを達成した。
 人里ではその記事の内容と写真の見事さ、そして物事の巨大さ故にセンセーショナルな反応が現れ、人々は皆、『いやぁ、これは素晴らしい』『その場で見たかった』と盛り上がる。
 新聞を持っているものは持っていないものから『見せてくれ』とせがまれ、文はそのたび、増刷増刷の嵐。
 いつしか文が里にやってくると『おーい、天狗さまが来たぞー! お前ら、金を持って集まれー!』と声が上がるほどの人気を獲得したのである。
「はいこれ」
「何。あんたも新聞の拡販?」
「そうよ。それ以外で、こんな危険地帯になんて来ないもの」
「失敬な」
「事実じゃない。あなたはわたし達、妖怪にとって、すさまじく厄介なのよ」
 渡された新聞を一瞥して、霊夢は『はい?』と声を上げる。
「……何よ、これ」
「あのバカ天魔が、またとんでもないことを考え付いたの。
 曰く、『妖怪の山は、これまでの堅苦しい方針を変更し、外に向かって開かれた場所になる。大勢の人妖を呼び込み、皆に楽しんでもらう土地になるのだ』って」
 そこには『妖怪の山に豪華温泉施設の着工開始! 来春開業予定!』と書かれている。
 大きな建物が作られている写真が掲載され、河童たちが一生懸命、働いている姿が写し出されている。
 天魔のインタビューも掲載されており、『妖怪の山はとても楽しいところだ。お前ら来い!』というニュアンスの文章が掲載されている。
「大天狗のうち何名かは、胃痛でノックダウン。年を重ねた天狗たちも、『何だこりゃ!?』って顔で沈黙。
 事態に慣れていたり、順応していたり。もしくは、若い連中とか、楽しいこと好きな奴らは『よし、やってやろう』ってね。
 何かすごいことになってる」
「……なんでこんなこと始めたのよ」
「何か『紅魔館の奴が、うちが幻想郷でナンバーワン、とか言っていたのが気に食わなかった』とか言ってたわよ。
 負けず嫌いの子供そのまんま」
「……なるほど」
 つまるところ、『幻想郷で一番』のテーマパーク、紅魔館に真っ向からケンカを売った、ということらしい。
 何ともコメントのしづらい、呆れる展開だ。
「お土産作ったり、妖怪の山を楽しんでもらうために登山道を作れって話になったり。あちこちの名所を観光地にしろとか、もう大変。
『出来なかったらお前らのせい』なんて言い出してるし」
「……大変ね」
「お目付け役も何も言わないってことは、そいつも天魔の無法を認めてるってことでしょ。
 ……ま、そういうことだから。
 霊夢。あんたには天魔から『宿が完成したら来てくれ』って招待状、もらってきてるわ」
 渡されたのは、手書きのきったない文字がぐねぐね走る『招待状』。
 開いてみれば、『完成したら自慢してやるから絶対に来い』という内容の文章と、恐らくはクレヨンで描いたと思われる、天魔の似顔絵があった。わんぱくな笑顔で笑う、憎たらしいその笑顔に、霊夢も小さく笑う。
「了解。暇があったらね」
「じゃ、よろしくね」
 ああ忙しい忙しい、とはたてが飛び去っていく。
 その後ろ姿を見送って、霊夢は境内の掃き掃除を再開する。
 季節は秋。散る落ち葉が山のように積もって、焼きいもが捗る季節である。
 つと、霊夢は振り返る。
「……」
 そこに、天魔のお目付け役と言う、あの少女が立っていた。
 彼女はぺこりと頭を下げて去っていく。
「ねー、紫。
 あんた、言ってたよね。『あいつは昔、天魔に殺された博麗の巫女の成れの果て』って。
 私の、どれくらい前の人?」
「ひいおばあさんくらいかしらね」
「じゃあ、挨拶くらいはしておいた方がいいわけね」
 虚空から返ってくる言葉に返しても、何も返事はない。
「あとさ。天魔。
 あいつ、私にやられる前に笑ってたわ。あれだけの攻撃、まともに食らったら、自分もただじゃすまないってわかってただろうに。
 何でだろうね。
 もしかしたら、負けて……私に、本当の意味で、討伐してもらいたかったのかもね。
 ――滅びてしまえば、もう自分は、『孤独』ではなくなる、ってさ」
 もう一度、手元の招待状に視線を落とす。
 そこに描かれた、直筆の天魔の『笑顔』。その笑顔はとてもかわいらしく、憎たらしく、そして、晴れ晴れとしたものだ。
 霊夢の顔に浮かんだ笑顔が深くなる。
「ま、それは考えすぎか」
 ふぅ、と一旦、手を止める。
 相変わらず、人の来ない博麗神社。積もり積もった落ち葉の数はものすごく、思う存分、焼き芋が作れるくらいにはなっている。
 それらを見ていると、思うのだ。
 ――毎日毎日、相変わらずの毎日だな、と。
「温泉に美味しい料理、見事な景色があるってなら……そうだな。せっかくだし、行ってみるか。
 この『天狗のお宿』ってやつにさ」
 片手に持った招待状をポケットへとしまって、霊夢はさっさかさっさか竹箒を動かすのだった。
――というわけで、ある日突然、いきなり始まっていた妖怪の山の名所、「天狗のお宿」開店までの秘話でした。
話を思い立ったのは、何となく、「そういえばネタのきっかけくらいは考えておこう」と思ったのがきっかけです。
で、「天狗」というのは幻想郷の中でもかなり強い連中らしいぞ&組織力もしっかりしている一大勢力らしいぞ&天魔っていう奴がそれを率いているらしいぞ、という基礎情報を片手に話を汲み上げました。
強い連中がくせ者ばかりなのは、「だって、あのあややとかの上司とかだぞ。まともな奴なんているわけないじゃないか」という至極、常識的な考えによるものです。
話の展開をさっと組み上げて作ってみると、なぜか前哨戦で250kb以上、本戦でさらに300kb以上というよくわからない量となりました。
話の流れと会話にはそれぞれ意味と伏線を持たせて書き上げて、最終的にはいつもの賑やかな展開にするのは、当方の信条によるものです。
シリアスな展開の喜劇というのが、好きな物語です。

というわけで、以下は天狗のお宿の宣伝です。これからの時期は、雪で染まった妖怪の山をのんびり眺めて温泉に浸かれるプランが人気です。

日帰りプラン
立ち寄り湯:500円(タオルの貸し出しあり)
休憩利用 :5000円(温泉の使用は自由。お部屋は6時間利用可能)

宿泊プラン
梅の間:一泊30000円~
竹の間:一泊50000円~
松の間:一泊100000円~
天狗の間:一泊200000円~
※なお、連泊時は最大15%割引。複数名利用割引あり(最大30%)
(いずれのプランも朝食、夕食あり。連泊の場合は昼食も提供。
 各部屋に専用の従業員を配置。
 お部屋は最低、8畳間を三つ以上。
 全てのお部屋に入浴自由の檜の露天風呂、河童特製うぉしゅれっとつき。
 お帰りの際にはお土産を無料提供。
 また、チェックイン時にウェルカムドリンクを提供。
 松の間以上をご利用のお客様は、館内の全ての設備を無料で利用可能)
 ご利用の際は、要予約のこと。
haruka
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コメント



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1.80奇声を発する程度の能力削除
良かったです
2.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです!
ありがとうございました!
9.100名前が無い程度の能力削除
最高でした!
時間が消えていくー(笑)
10.100名前が無い程度の能力削除
長いけど読んでよかったそんな作品でした
11.100名前が無い程度の能力削除
二日に分けて読んだけど読みきって良かった。
そして時間が消えてゆくぅー(笑)
12.100削除
ところどころ主語がふらついて読みづらい部分はあれど、そうした違和感など物ともせず読ませてくれた。楽しませて頂きました。
13.100名前が無い程度の能力削除
超大作!楽しませていただきました。天狗のお宿行ってみたいけどめちゃくちゃいい値段してますね……
14.100ペンギン削除
素晴らしかった!たっぷり読めて幸せです
15.100絶望を司る程度の能力削除
読むのに滅茶苦茶時間を食われてしまった…w
手に汗を握る戦闘シーンの迫力が凄かったです。また、キャラクターも全員がしっかりとしていてお話にすんなりと入ることが出来ました。
読んでいてとても楽しかったです。
21.100名前がない程度の能力削除
判決:有罪
理由:途中で眠れなかったから
22.100とらねこ削除
相当な遅読なので、読むのに半年以上かかってしまいましたが、戦闘シーンも迫力あって、しかもどの人物も原作、オリキャラ問わず幻想郷の住民として存在感があり、全員に見せ場があって面白かったです
ちなみに茜さん、竜胆さんは椛さんとは別の『犬種』の方でしょうか
普段はharukaさんの作品は仙人シリーズばかり読ませてもらっていただいて、こういうガチ長編は苦手なのですが、最後まで読んで良かったと思える作品でした
27.80宵闇削除
物語の設定は非常に面白い
ただ、ほのぼのな幻想郷が好きな人には合わないかも
31.40名前が無い程度の能力削除
天魔のキャラが萃香の二番煎じ感がひどくて微妙い