Coolier - 新生・東方創想話

黒い翼を染めるもの

2015/12/29 04:27:30
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 文にとって、冬ほど嫌いな季節は無かった。常は障害の無い空の道だというのに、わざわざ風を操り雪を除く面倒はなるほど不満の種だろう。空も山も人すらも白く隠してしまう冬の雪を、どうして好むことができるだろうか。思えば、文の自由を阻むのはいつもこの白だった。例えば頑迷固陋の白狼天狗、旧套墨守の天狗装束、紅白巫女に白黒人間、締切間近の原稿用紙。どうやら全ての白い物は、私を悩ませるためにあるらしいと文は苦笑する。清濁混然たる黒翼だけが自分の自由で、新聞を綴る文字の黒さもまた、そうした白の秩序とは相異なるものなのだろうと思った。
 もし気紛れに新聞書きを止めれば、あの若く狭隘な鴉天狗や白狼天狗は、いったいどのような邪推を働かせるだろうか。最初から悪い冗談だと決めつけて、ひどく身勝手な感情の発露を浴びせてくるに違いない。寧ろ人間の方が、皮肉の一つ二つで済ませてくれそうな気配があって、いくらか冷静で老成しているように見える。だから、妖怪が千年を生きるには、きっと熱が必要なのだと思う。飽かずに同じことを反復できるだけの熱が。或いは、鈍感さなのだろうか。確たる正体は掴めないが、あながち間違ってはいないだろうと文の経験は推論していた。
 腰を上げて山を見渡すと、そこには紅葉の名残があった。これから皆、一時の死に向かって行くという事実は胸を妙に切なくさせる。しかし、これは自然の現象である。四季がもたらす自然の死は、必然的でつまらない。記者が真に求めているのは偶然の滑稽だというのに、と文は自嘲する。誰も彼もが死んで行くこの季節は、如何にも好かないものだった。
 果たしてこれが、ありがちな冬の憂鬱だということに気が付くと、まるでそれを吹き飛ばすかのように文は扇子を一振りした。微風だったが、確かに秋の音がした。しかし同時に、風が葉の一片を落としてゆくのを発見すると、それが耐え難い罪悪のように思えた。平生なら気にも留めぬ些事だというのに、この時ばかりは違っていたのだ。自ら望まぬものを引き寄せるのは、悲劇の筋書きだと思ってしまったのだ。人の不幸は記事になるが、人の悲劇は記事にはならない。専ら喜劇を好む文にとっては猶更で、それも自らの受難なのだから愁嘆も一入だろう。
 冬は悲劇の象徴だと思った。あらゆる物語がここで幕を閉じるのだと文は感じていた。生きている限りは喜劇を好みたいという自らの嗜好も、実はこうした直感への自然な抵抗だと考えると、一つの悲劇の演出装置に他ならないのだと悟っていた。文の憂鬱は、やはり容易に拭い去るにはあまりに深く根差したもので、更なる憂鬱を呼ぶばかりだった。
 それは、生まれ落ちて以来の罪。言うなれば自らの運命が既に悲劇的に決定されているのではないかという、ありきたりな問いだった。元より天狗は外道の身ゆえに、希望的なことなど祈るべくもないのだろうと文は度々自問していた。それに対して与えてきた回答はただ一つ。自らの性格は如何にも鴉天狗的ではないというもののみだった。自らが種族に縛られなければ、天狗の業を背負う論理もあるまいという楽観だ。里に最も近い天狗という別称、或いは蔑称すら貰うほどに、文は人間の幸福に焦がれていた。
 しかし、それはまったく都合の良い錯覚ではないか。天狗として生まれていながら、天狗として生きていながら、天狗の幸福を祈らぬなど、それこそ最大の罪ではないか。それこそ最低の外道ではないか。この一点に気付いた日から彼女の運命がまさしく悲劇的になろうことは容易に予測の付くことで、すると彼女は懸命に悲劇の伏線を張っているだけだということになる。千年掛けて秘められた災厄の匣を開ければ、物語は必ず幕引きに向かって動き始める。だが、彼女は本当にこの事実に気付かないのだろうか。答えは否。千年以上も鈍感にいられるはずが無い。何故なら彼女は鴉天狗なればこそ、その聡明に曇りは無い。ならば何故、こうも破滅的な生涯を送ってきたのだろうか。
 解答はごく単純なものだった。文は、最早悲劇から免れる術を発見していたのだ。それは、この冬についても同じことだった。冬に最も喜劇的な存在を見出した日から、文の生涯の幸福は決定付けられていたのだ。それが氷の妖精だった。彼女こそが一番の喜劇だと文は知ってしまったのだ。妖精にとって、冬は悲劇の象徴ではなく、死すら終わりを意味しない。何度でも蘇る生の象徴が妖精である。ゆえに、彼女を眺めていればこそ、文はいっさいの死を予感する必要が無かったのだ。
 射命丸文は優しい妖怪だと妖精は言う。力を持ち過ぎた妖精にとって、生まれながらに力を持つ妖怪との戯れは、楽しいものだった。文は妖精を見下さないので、それが妖精をいっそう満足させた。そこにある者が一番面白いと文が評したように、互いはそこにあるだけで救われていた。
 そうして、文にとって、冬は少しだけ好きな季節になった。妖精が一途に蛙を凍らせる様を眺めるのが、彼女の冬の楽しみとなった。妖精はひたすら無垢であった。無邪気であった。文の悲劇も憂鬱も、そこに加わる余地はまったく無かった。まさしく妖精の氷の如くにその景色はやわらかく、侵しがたいものだった。純粋な妖精を取り巻く朝の雪原が、晴天を集めて眩い光を放っている。透明に凍った湖の面は、いっさいの風景を淡く溶かした星空のようである。そうしたあらゆる光や氷の結晶が、あの湖の霧を一面の銀河に輝かせているのを発見すると、文はいよいよ白の自由の前に服し、妖精の持つ自然の力を讃えるしかなかった。あまりにうつくしい光景なので、写真に収めることすら無粋に感じられて、文は立ち尽くすことしかできなかった。果たして彼女が自らの滑稽に気付いたのは、妖精が呆けた天狗の姿を笑うまでだった。そして互いの手を取り合えば、二人はまったく自然の銀河に隠され、後の行方を知る者は無かった。
たまには幻想郷と天狗が書きたくなってつらつらと。そういう感じのものです。
空音
http://twitter.com/ideal_howl
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コメント



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3.30名前が無い程度の能力削除
1ゲット!
5.90名前が無い程度の能力削除
冬場はナイーブになることがありますよね
文がチルノの存在に救われているという二人の関係も良かったです