「遅刻よ」
普段ならこのセリフは蓮子のものなのだが、今日は私が言うことになった。
蓮子は走ってきたらしく息が切れていた。その努力に免じて許そう。
「何してたの?」深呼吸している蓮子にそれとなくお茶を渡しながら聞いた。
「まあ、いろいろね」蓮子は一度私の水筒から口を離していった。私のお茶を全部飲む勢いはやめてほしい。止めなかったら最後まで飲む気だったな。
「で、どこに連れて行ってくれるのかしら? クリスマスよ今日は」
そう、今日はクリスマス。数日前から街は彩られ――ないのが現代である。昔は多かったらしいが今ではせいぜいレトロを極めるノスタルジストか……私か。
「実はこの辺りにすごいところがあるって聞いたの」蓮子はいつもの様に目を輝かせて言った。そういう『すごいところと』やらを見つけるのも私の役目なのだが。
「ほら、いこっ?」蓮子は私の手を握って引っ張った。
手袋をしているから体温は伝わらない。熱伝導の高い素材だったらちゃんと伝わるだろう。金属とか。
自分の考えに軽く微笑む。蓮子といるときはだいたいこんな感じになる。
チラホラと見える明かり。まだ、街は寝静まっていない。
実のところ、私は時計を家に忘れてきた。だから、「遅刻よ」といったのは憶測なのだ。蓮子には星さえあれば時間がわかる。初めてその目のことを知った時は気持ち悪いと思った。今は違うけどね。
私の境界が見える目のことを蓮子は気持ち悪いと言った。お互い様だと多少子どもじみた小競り合いをしたが、喧嘩が終わったら蓮子の部屋に泊まってそれ以降は普段通りに接した。その程度のことだと思う。
さっきから蓮子に引っ張られるままに歩いているが、私の目は境界らしきものを全く捉えなかった。それどころか見たことのある景色ばかり。
この辺りで境界を見た覚えはないのに……。
ひょっとすると、面白いものとは非科学的な幻想世界のことではなく、単純にインタレスティングの意味なのではないか?
この聖夜にそんなことに巻き込まれるのは心外だ。ああ、キリスト様。……ええ、どうせ恋人なんかいませんけどね!
あ、でも蓮子はどうなのかな。彼氏とか、恋人とかいるのかな。……好きな人とかいるのかな。
一人で思索をするのが妙に物悲しくなってきた。私にだって……好きな人くらいいるのだから蓮子にもいるのだろう。それに、蓮子は、なんというか……美人だし。もてるだろう。
なぜか、哀しい。自分の思考が、自分の心をえぐってくる。
「メリー?」
その蓮子の一言で、私の意識は帰ってきた。どこに行っていたのか。
辺りを見回せば、よく知っている場所だった。いや、私は毎日ここにいる。
「ちょっと蓮子……」蓮子を睨む。「私の家じゃないの!」
ああもう、本当に蓮子は……。
呼ばれなければコタツで今頃もぬくぬくしていただろうに……。
「ほら、入って入って」ちょっといたずらな笑いが含まれた言い方だった。
癪にさわるがこんなに寒い外でこれ以上いるのも辛い。
普段と同じように鍵を開ける。
あれ?
妙な違和感があった。
玄関の電気をつけっぱなしにしてたかな私。いや、こんな色の光ではない。
「ほら」蓮子は私の家の扉を開けた。
青で統一され、一つ一つは独立し、点滅を一定のリズムで繰り返す。
玄関は、旧式の電飾で彩られていた。
私の家の一人暮らし特有の質素な場所がきらびやかな光に包まれていた。
振り返ると、蓮子はしてやったりな笑みを浮かべていた。きれいな黒い瞳に青い光が映り込む。
「いつの間に私の家はこんなことになっちゃったのかしら?」
「もちろん、メリーが出かけてからよ」
「不法侵入ね」私も微笑んだ。
「全くその通り」蓮子は笑顔のまま家主の私よりも先に部屋に入っていった。蓮子はスニーカだったが私はよりにもよってブーツだった。脱ぐのにすごく時間がかかる。ああ、まどろっこしい。
ようやく脱いで部屋の中に入るとコタツの定位置は取られていた。
「こんな電飾どこから持ってきたのよ?」
「私にはいろいろあるの。メリーはコタツなんてどこから?」
「いろいろあるの」
私もコタツの中に足を突っ込む。
「でも、どうしてあんなことを?」
「忘れたの? 今日はクリスマスよ」
「クリスマスって恋人と過ごすやつでしょう? 蓮子、彼氏いないの?」少し嘲笑ぎみに言った。
――上辺だけは。
もっと深い、自分という人格の奥底。体のどこかにあるはずなのに未だに発見されない……非科学的な心。ああ、胸が引き裂かれる。
どうして?
「メリーこそ彼氏の一人もいないの?」
そう、蓮子は言った。
私は顔を伏せた。蓮子にはこんな顔を見せられない。
頬を熱い液体がなぞっていく。
不思議。
涙は表面の体温と数度も変わらない。それでも、これほど熱い。どうしてかしら。
「コーヒー飲む?」声が上ずらないように言った。そして、できるだけ顔を見られないように下を向きながらコタツを離れた。
どうして泣いているのだろうか。
どこかがおかしい。
ただ、彼氏がいるかいないかといういつもと変わらないレベルのジョーク。それだけ。
キッチンは暗いし、蓮子のいるリビングからは死角に近かった。右手で涙を拭う。
また胸が痛む。
心という不確定なものに身体機能が阻害されるとは。笑える。
胸が痛むのは脳内のホルモンが原因だとどこかで知った。交感神経がどうだとかも言ってたっけ。
心拍数、血圧、脈圧、呼吸数は増加している。
客観的に自分を見つめる自分。
脳内で様々な言葉が交錯する。
ああ、きっとこれは生物が種を残すために用意された機能の一つなんだ。余計なことで処理するものを増やして、直面した危機に対する思考を最小限に抑える。そうしなければ壊れてしまうから。現実逃避の手法。人格が乖離するのもこれが原因か。
こんな考えだってそのプロセスの一つ。恋愛なんてものも結局は――。
「メリー?」
「何?」
感情を出さないように声を、心を押し殺して言った。
背中と胸のあたりに圧迫感。
「今はね、メリー。泣いてもいい時なんだよ」私の耳のすぐ近くで蓮子はささやいた。
蓮子に後ろから抱きしめられながら私は床に崩れるように膝をついた。
*
どれくらい経ったか覚えていないが、なんとか私は落ち着くことができて、今はコタツで蓮子の向かいに座っている。蓮子が作ってくれたスープを抱えながら。
体の奥が温かくなる。
廊下から漏れてくる電飾の青い光の点滅パターンを解析しようとする。第一群が一秒。第二群は二秒。第三群が第二軍の一秒後から光り始める。これも無駄な思考分散式自己保存法(さっき考えた。泣いたりする無駄なプロセスの総称)がまだ働いている証拠だった。長ったらしい名前を考えたのもきっと思考分散式自己保存法のせい。
「……どうして泣いてたの? 何か気に障ったなら謝るよ」蓮子が重い口を開いた。どこか、自分で自分を責めている感情がにじみ出ていた。
「違うよ」私は首をふる「蓮子のせいじゃないの」
原因は確かに蓮子にもある。ただ、蓮子に罪悪感をもたせたり、悲しませたくなかった。
「なら、どうして?」
答えられない。
私は蓮子のその問いに答えることができなかった。
私も蓮子も下を向いて、何も話そうとはしなかった。空調の高いとも低いとも取れるモータ音が聞こえる。
理由はわかっているのだ。泣いたことも、蓮子に対して抱いた――気持ちも。全部絡み合って、全部混ざり合って、私を不安定にする。
話すべき……?
きっと、ここで話さなければ、もう二度と元には戻れないだろう。
きっとここで話したら、もし話して蓮子との関係がこじれたら――それも元には戻せなくなるだろう。
でも、話さなくちゃ。
「ねえ、蓮子」気分が落ち着かない。「私の事どう思ってるの?」
言ってしまった。
ほら、あとには戻れない。
蓮子が顔を上げて、私の目を見据えてきた。でも、言葉を選ぶのに迷っているみたいだった。
「私はね、蓮子」声が思うように出ない。普段と同じように声帯を震わせるだけなのに、どうしてこんなにも――。
「あなたのことが好き」
やっと声が出たと思った。でも、私の声じゃなかった。
「あなたのことが好きです。メリー」
また、涙が頬を伝う。
そう、この言葉。
この言葉が聞きたかったの。
この言葉を言いたかったの。
「私も好きよ。蓮子。あなたのことが好き」
やっと言えた。
それなのに、涙は止まらなかった。うれしいからかな? 私はどうして泣いているのかな。
「私はね、蓮子。蓮子が彼氏の話をし始めたから、なぜかね、私のことが蓮子の眼中には、ないような気がして、それで……」
声が震え始めた。また、さっきと同じ。同じことの繰り返し。
「恋愛ってさ。本当は異性同士でするものだし、こんなふうに、あなたのことが好きになるなんて、おかしいかと思ったりして……」
内容がまったくまとまらない。私のバカ。ここで言わなきゃダメなのに。
「そんなことないよ」鋭く尖った蓮子の声。「別にそんなことは関係ない。恋は恋。愛は愛。感情なんてそんなもの。気持ちがどうかが大切よ。そうじゃなきゃ、私の気持ちをどこにやればいいの?」そう言って蓮子は微笑んだ。が、強がっているのがすぐに分かった。それでも、その鋭い声と言葉は、私の秘かに封じ込めた思いを解き放ってくれている。
「それにさ、今はそれを個性として認める時代よ。人口が調節と安定の直に入ってから人類は自由になった。人口を増やす必要も減らす必要もなくなった。だから、ちょっとくらい何かをしてもどうってことないのよ」
いまいち何が言いたいかわからないけれど、蓮子も思考分散式自己保存法を使っているのだ。その程度。
「もう、大丈夫」私は涙を拭った。「ありがとう蓮子」そう言って今年一番の笑顔を浮かべる。サービスよ、蓮子。
「こんな話より、好きな人とクリスマスを過ごしたいの。今の私は」
蓮子の目から、涙があふれるのが見えた。きっと、さっきの私と同じ気持ちなのだ。
私は立ち上がって、蓮子の隣に座った。
「ねえ、蓮子」
私の呼びかけに、蓮子は少し涙を拭って顔をこっちに向けた。
床に置かれた蓮子の体を支えている左手。その上に私は右手を乗せて包み込む。
顔を近づけて、そっとくちづけを。
本当に一瞬。
それでもその一瞬で私の中に生まれた甘美な感情は私が蓮子を好きだということをいっそう明確にした。
私達は十センチメートルほどの距離でお互いを見つめ合っていた。
蓮子の目。星を見ただけで今の時間が分かり、月を見ただけで今居る場所が分かる目。すごく綺麗だった。
今、相手が何を考えているか。それを探る時間。
「メリー」
私がリアクションを取るよりも早く、蓮子は私にキスをした。
どちらかがどちらかに近づいたか。その程度の違いでしかないし、したことは同じ。
それでも、蓮子がそうしてくれたことはとても嬉しかった。
「好きよ、蓮子」
「うん、知ってる」
お互いに微笑む。
「素敵なクリスマスになるかしら?」
「なるよ。だって、好きな人と一緒だもの」
横になる。
見つめ合う。
まだ、私の右手と蓮子の左手は繋がれたままだった。
*
ちゅんちゅんと雀が泣いたのは気のせいか。朝チュン。
コタツで寝てしまった。蓮子の横で。
幸せな気分で迎える朝。
昨夜から光り続けていた電飾。
なんでもいいか。
そっと彼女にくちづけを。
朝ごはんでも作りますか。二人分。
普段ならこのセリフは蓮子のものなのだが、今日は私が言うことになった。
蓮子は走ってきたらしく息が切れていた。その努力に免じて許そう。
「何してたの?」深呼吸している蓮子にそれとなくお茶を渡しながら聞いた。
「まあ、いろいろね」蓮子は一度私の水筒から口を離していった。私のお茶を全部飲む勢いはやめてほしい。止めなかったら最後まで飲む気だったな。
「で、どこに連れて行ってくれるのかしら? クリスマスよ今日は」
そう、今日はクリスマス。数日前から街は彩られ――ないのが現代である。昔は多かったらしいが今ではせいぜいレトロを極めるノスタルジストか……私か。
「実はこの辺りにすごいところがあるって聞いたの」蓮子はいつもの様に目を輝かせて言った。そういう『すごいところと』やらを見つけるのも私の役目なのだが。
「ほら、いこっ?」蓮子は私の手を握って引っ張った。
手袋をしているから体温は伝わらない。熱伝導の高い素材だったらちゃんと伝わるだろう。金属とか。
自分の考えに軽く微笑む。蓮子といるときはだいたいこんな感じになる。
チラホラと見える明かり。まだ、街は寝静まっていない。
実のところ、私は時計を家に忘れてきた。だから、「遅刻よ」といったのは憶測なのだ。蓮子には星さえあれば時間がわかる。初めてその目のことを知った時は気持ち悪いと思った。今は違うけどね。
私の境界が見える目のことを蓮子は気持ち悪いと言った。お互い様だと多少子どもじみた小競り合いをしたが、喧嘩が終わったら蓮子の部屋に泊まってそれ以降は普段通りに接した。その程度のことだと思う。
さっきから蓮子に引っ張られるままに歩いているが、私の目は境界らしきものを全く捉えなかった。それどころか見たことのある景色ばかり。
この辺りで境界を見た覚えはないのに……。
ひょっとすると、面白いものとは非科学的な幻想世界のことではなく、単純にインタレスティングの意味なのではないか?
この聖夜にそんなことに巻き込まれるのは心外だ。ああ、キリスト様。……ええ、どうせ恋人なんかいませんけどね!
あ、でも蓮子はどうなのかな。彼氏とか、恋人とかいるのかな。……好きな人とかいるのかな。
一人で思索をするのが妙に物悲しくなってきた。私にだって……好きな人くらいいるのだから蓮子にもいるのだろう。それに、蓮子は、なんというか……美人だし。もてるだろう。
なぜか、哀しい。自分の思考が、自分の心をえぐってくる。
「メリー?」
その蓮子の一言で、私の意識は帰ってきた。どこに行っていたのか。
辺りを見回せば、よく知っている場所だった。いや、私は毎日ここにいる。
「ちょっと蓮子……」蓮子を睨む。「私の家じゃないの!」
ああもう、本当に蓮子は……。
呼ばれなければコタツで今頃もぬくぬくしていただろうに……。
「ほら、入って入って」ちょっといたずらな笑いが含まれた言い方だった。
癪にさわるがこんなに寒い外でこれ以上いるのも辛い。
普段と同じように鍵を開ける。
あれ?
妙な違和感があった。
玄関の電気をつけっぱなしにしてたかな私。いや、こんな色の光ではない。
「ほら」蓮子は私の家の扉を開けた。
青で統一され、一つ一つは独立し、点滅を一定のリズムで繰り返す。
玄関は、旧式の電飾で彩られていた。
私の家の一人暮らし特有の質素な場所がきらびやかな光に包まれていた。
振り返ると、蓮子はしてやったりな笑みを浮かべていた。きれいな黒い瞳に青い光が映り込む。
「いつの間に私の家はこんなことになっちゃったのかしら?」
「もちろん、メリーが出かけてからよ」
「不法侵入ね」私も微笑んだ。
「全くその通り」蓮子は笑顔のまま家主の私よりも先に部屋に入っていった。蓮子はスニーカだったが私はよりにもよってブーツだった。脱ぐのにすごく時間がかかる。ああ、まどろっこしい。
ようやく脱いで部屋の中に入るとコタツの定位置は取られていた。
「こんな電飾どこから持ってきたのよ?」
「私にはいろいろあるの。メリーはコタツなんてどこから?」
「いろいろあるの」
私もコタツの中に足を突っ込む。
「でも、どうしてあんなことを?」
「忘れたの? 今日はクリスマスよ」
「クリスマスって恋人と過ごすやつでしょう? 蓮子、彼氏いないの?」少し嘲笑ぎみに言った。
――上辺だけは。
もっと深い、自分という人格の奥底。体のどこかにあるはずなのに未だに発見されない……非科学的な心。ああ、胸が引き裂かれる。
どうして?
「メリーこそ彼氏の一人もいないの?」
そう、蓮子は言った。
私は顔を伏せた。蓮子にはこんな顔を見せられない。
頬を熱い液体がなぞっていく。
不思議。
涙は表面の体温と数度も変わらない。それでも、これほど熱い。どうしてかしら。
「コーヒー飲む?」声が上ずらないように言った。そして、できるだけ顔を見られないように下を向きながらコタツを離れた。
どうして泣いているのだろうか。
どこかがおかしい。
ただ、彼氏がいるかいないかといういつもと変わらないレベルのジョーク。それだけ。
キッチンは暗いし、蓮子のいるリビングからは死角に近かった。右手で涙を拭う。
また胸が痛む。
心という不確定なものに身体機能が阻害されるとは。笑える。
胸が痛むのは脳内のホルモンが原因だとどこかで知った。交感神経がどうだとかも言ってたっけ。
心拍数、血圧、脈圧、呼吸数は増加している。
客観的に自分を見つめる自分。
脳内で様々な言葉が交錯する。
ああ、きっとこれは生物が種を残すために用意された機能の一つなんだ。余計なことで処理するものを増やして、直面した危機に対する思考を最小限に抑える。そうしなければ壊れてしまうから。現実逃避の手法。人格が乖離するのもこれが原因か。
こんな考えだってそのプロセスの一つ。恋愛なんてものも結局は――。
「メリー?」
「何?」
感情を出さないように声を、心を押し殺して言った。
背中と胸のあたりに圧迫感。
「今はね、メリー。泣いてもいい時なんだよ」私の耳のすぐ近くで蓮子はささやいた。
蓮子に後ろから抱きしめられながら私は床に崩れるように膝をついた。
*
どれくらい経ったか覚えていないが、なんとか私は落ち着くことができて、今はコタツで蓮子の向かいに座っている。蓮子が作ってくれたスープを抱えながら。
体の奥が温かくなる。
廊下から漏れてくる電飾の青い光の点滅パターンを解析しようとする。第一群が一秒。第二群は二秒。第三群が第二軍の一秒後から光り始める。これも無駄な思考分散式自己保存法(さっき考えた。泣いたりする無駄なプロセスの総称)がまだ働いている証拠だった。長ったらしい名前を考えたのもきっと思考分散式自己保存法のせい。
「……どうして泣いてたの? 何か気に障ったなら謝るよ」蓮子が重い口を開いた。どこか、自分で自分を責めている感情がにじみ出ていた。
「違うよ」私は首をふる「蓮子のせいじゃないの」
原因は確かに蓮子にもある。ただ、蓮子に罪悪感をもたせたり、悲しませたくなかった。
「なら、どうして?」
答えられない。
私は蓮子のその問いに答えることができなかった。
私も蓮子も下を向いて、何も話そうとはしなかった。空調の高いとも低いとも取れるモータ音が聞こえる。
理由はわかっているのだ。泣いたことも、蓮子に対して抱いた――気持ちも。全部絡み合って、全部混ざり合って、私を不安定にする。
話すべき……?
きっと、ここで話さなければ、もう二度と元には戻れないだろう。
きっとここで話したら、もし話して蓮子との関係がこじれたら――それも元には戻せなくなるだろう。
でも、話さなくちゃ。
「ねえ、蓮子」気分が落ち着かない。「私の事どう思ってるの?」
言ってしまった。
ほら、あとには戻れない。
蓮子が顔を上げて、私の目を見据えてきた。でも、言葉を選ぶのに迷っているみたいだった。
「私はね、蓮子」声が思うように出ない。普段と同じように声帯を震わせるだけなのに、どうしてこんなにも――。
「あなたのことが好き」
やっと声が出たと思った。でも、私の声じゃなかった。
「あなたのことが好きです。メリー」
また、涙が頬を伝う。
そう、この言葉。
この言葉が聞きたかったの。
この言葉を言いたかったの。
「私も好きよ。蓮子。あなたのことが好き」
やっと言えた。
それなのに、涙は止まらなかった。うれしいからかな? 私はどうして泣いているのかな。
「私はね、蓮子。蓮子が彼氏の話をし始めたから、なぜかね、私のことが蓮子の眼中には、ないような気がして、それで……」
声が震え始めた。また、さっきと同じ。同じことの繰り返し。
「恋愛ってさ。本当は異性同士でするものだし、こんなふうに、あなたのことが好きになるなんて、おかしいかと思ったりして……」
内容がまったくまとまらない。私のバカ。ここで言わなきゃダメなのに。
「そんなことないよ」鋭く尖った蓮子の声。「別にそんなことは関係ない。恋は恋。愛は愛。感情なんてそんなもの。気持ちがどうかが大切よ。そうじゃなきゃ、私の気持ちをどこにやればいいの?」そう言って蓮子は微笑んだ。が、強がっているのがすぐに分かった。それでも、その鋭い声と言葉は、私の秘かに封じ込めた思いを解き放ってくれている。
「それにさ、今はそれを個性として認める時代よ。人口が調節と安定の直に入ってから人類は自由になった。人口を増やす必要も減らす必要もなくなった。だから、ちょっとくらい何かをしてもどうってことないのよ」
いまいち何が言いたいかわからないけれど、蓮子も思考分散式自己保存法を使っているのだ。その程度。
「もう、大丈夫」私は涙を拭った。「ありがとう蓮子」そう言って今年一番の笑顔を浮かべる。サービスよ、蓮子。
「こんな話より、好きな人とクリスマスを過ごしたいの。今の私は」
蓮子の目から、涙があふれるのが見えた。きっと、さっきの私と同じ気持ちなのだ。
私は立ち上がって、蓮子の隣に座った。
「ねえ、蓮子」
私の呼びかけに、蓮子は少し涙を拭って顔をこっちに向けた。
床に置かれた蓮子の体を支えている左手。その上に私は右手を乗せて包み込む。
顔を近づけて、そっとくちづけを。
本当に一瞬。
それでもその一瞬で私の中に生まれた甘美な感情は私が蓮子を好きだということをいっそう明確にした。
私達は十センチメートルほどの距離でお互いを見つめ合っていた。
蓮子の目。星を見ただけで今の時間が分かり、月を見ただけで今居る場所が分かる目。すごく綺麗だった。
今、相手が何を考えているか。それを探る時間。
「メリー」
私がリアクションを取るよりも早く、蓮子は私にキスをした。
どちらかがどちらかに近づいたか。その程度の違いでしかないし、したことは同じ。
それでも、蓮子がそうしてくれたことはとても嬉しかった。
「好きよ、蓮子」
「うん、知ってる」
お互いに微笑む。
「素敵なクリスマスになるかしら?」
「なるよ。だって、好きな人と一緒だもの」
横になる。
見つめ合う。
まだ、私の右手と蓮子の左手は繋がれたままだった。
*
ちゅんちゅんと雀が泣いたのは気のせいか。朝チュン。
コタツで寝てしまった。蓮子の横で。
幸せな気分で迎える朝。
昨夜から光り続けていた電飾。
なんでもいいか。
そっと彼女にくちづけを。
朝ごはんでも作りますか。二人分。