「こーこーろちゃんっ。あーそーぼーっ」
「やだ。」
「そんなこと言わないで、遊ぼうよー」
「やだ」
「ねーねー」
「やだ」
「遊ぼう、遊ぼう!」
「やだ」
「ねーったらー」
「絶対やだ」
自分にしがみついてくる古明地こいしをずーりずりと引きずりながら、秦こころは里を行く。
ひたすら鬱陶しいこいしをひっぺがすべく、相手の腕を解こうとするのだが、このこいし、無駄にバカ力があってなかなかそれがかなわない。
「へー」
と、そこでこいしの声のトーンが変わった。
「いいのかなー?」
「何が」
「あのね、今日、遊ぼうって言ってるのは、『一緒にお店に行かない?』ってことなんだけど」
「あ、そう」
「アリスさんのお店のお手伝いなんだー」
「ふーん」
「手伝ってくれたら、美味しいケーキ食べ放題! らしいんだけどー」
ぴたっ、とこころの足が止まった。
――ケーキ。美味しいケーキ。食べ放題。
頭の中に思い浮かぶ、真っ白ないちごのショートケーキ。
口の周りをべったべたにして食べるチョコレートケーキ。
紅茶と一緒に楽しむチーズケーキ。
ふんわりふわふわシュークリーム。
ぷるぷるぷるりんプリン。
「……ごくり」
普段、無表情といわれるこころであるが、このときの彼女は確実に表情を浮かべていた。
美味しいお菓子食べ放題に、目を輝かせる子供の顔だ。
と言うか、この彼女、なかなかに食いしん坊なのだ。
「いいのかなー?」
「……し、仕方ないわね。
アリスさんにはいつもお世話になっているし、そのアリスさんが困っているというなら、手伝ってあげるものよね」
「やったー!」
「い、言っておくけど、古明地こいし! あなたのために手伝うとか、そんなんじゃないんだから!」
その言葉の意味は実にその通りなのだが、ちょっと聞き方間違えると、どこぞの紅の館のメイド長だの天狗の山のツインテール天狗だの、その『御菓子屋さん』のパティシエールだのに分類されかねないセリフを口にして、こころはくるりと回れ右したのだった。
「いらっしゃいませー! 喫茶『かざみ』へようこそー!
あ、おねーさん、ごめーん! これ、みんな並んでるんだ! 入店は一時間待ちなんだけど……。
あ、いいの? ありがとー!」
「い、いらっしゃいませ。あの、えっと、その……えっと……」
さて。
その例のお菓子屋さんこと、人里名物の一つ、喫茶『かざみ』の店内に元気な声としどろもどろな声が響き渡る。
もちろん、前者がこいし、後者がこころのものである。
「こころ。あっちのお菓子、そろそろ足りなくなってきたから。
一度、トレイを下げてきて。新しいのを出すから」
「は、はい」
その店のパトロン、アリス・マーガトロイドの指示に、とたとたとこころは走っていく。
「えっと、えっと……あ、これ……」
「あら、それ、持って行っちゃうの?」
「え? あ、あの、その……」
「残念だわ。そのお菓子、買おうと思ったのに」
「え、えっと……あの……」
三十そこそこの、おっとりとした目許が特徴的な女性にそんなことを言われて、こころはあたふたしてしまう。
彼女はくすくすと笑いながら、『この子、新しい店員さんなのね』と心の中でつぶやき、「いいのよ。ごめんなさいね」と笑いかけた。
「す、すみません。すぐに持ってきます」
トレイを頭の上に掲げたまま、ぺこぺこ頭を下げて、大慌てでくるりとターン。
「ア、アリスさん。えっと、これ……ま、待ってる人が……」
「あ、そう?
幽香ー、季節のフルーツケーキ、待ってるお客さんがいるから早くねー」
「はーい。
お待たせ」
『早っ』
はーい、の返事と、おまたせ、の動作の間に隙間がない。
店の奥、厨房からやってきた、この店の店主かつ幻想郷最強のパティシエール、風見幽香が出来たてケーキを持ってにこにこ笑顔。
こころはそのトレイを受け取って、先ほどの売り場へと戻り、
「えっと、えっと……あ、いた。
あ、あの、すみません」
「あら?」
「えっと、あの、ケ、ケーキ、補充しました。どうぞ」
「ありがとう。かわいい店員さん」
ちょんと鼻の頭をつつかれて、こころがわたわたする。
「いらっしゃいませー! トレイをどうぞー!
あ、おばあちゃん、ケーキを取るときは、このトングを使ってね!
え? そのケーキ? うん、あっちだよ! 一杯買って行ってね!」
その一方、こいしの接客は大したものだ。
店員にとって一番大切な笑顔は決して忘れず、お客さんを的確にサポートしている。
彼女の丁寧な接客は客にも大層好評であり、『ありがとう』の声が絶えない。
「む、むぅ……。わたしだって……」
こころもこいしに対抗しようとするのだが、やはりどう頑張っても、わたわたすってんころりんは直らない。
彼女の不慣れな接客も、これまたかわいく客には大好評なのだが、一応『ライバル』認定しているこいしに遠く及ばないスキルしか発揮できないこころには、その評価も届かないようだ。
そんなこんなで、『かざみ』の大忙しタイムは終了し、人の流れが落ち着いてくる。
「二人とも、お疲れ様」
その大忙しタイムのみの手伝いを二人に依頼していたアリスは、彼女たちを従業員用の休憩スペースへと案内する。
そして、片手に持った、ケーキ満載のトレイをテーブルの上へ。
「約束どおり、うちのケーキ、好きなものを食べ放題よ。
一杯食べていきなさい」
「わーい!」
「あ、ありがとう……ございます……」
「あら、こころ。どうしたの?」
「……」
もぐもぐとケーキを頬張るこころ。その目は少し不満げだ。
対するこいしは、ケーキをぱくりと食べて『おいしいー!』と目を輝かせている。
「ま、いいか。
じゃあ、また後でね」
店はまだまだ忙しい。
アリスはその場を、給仕役の人形に任せて店へと戻っていく。
「……古明地こいし」
「なぁに?」
「……」
「こころちゃん」
「……何」
「接客がなってないなー」
「むぐっ」
ケーキを頬張ったまま、ぷっくぅ~っと、こころはほっぺた膨らませる。
こいしはふっふーんと鼻高々な顔になって胸を張る。
「こいしちゃんはこう見えても、温泉旅館でたくさんの経験を積んだベテランなのです!」
「うぐぐ……!」
「この勝負はこいしちゃんの勝ちぃ! ぶいっ!」
にっこり白い歯を見せて笑って、Vサイン突き出すこいしに、ますますこころは膨れていく。
「えへへ~」
「……ぷぅ~!」
美味しいケーキをぱくぱく頬張る二人。
こいしはそれを堪能し、こころは半分やけ食いだ。
こころの瞳には、そのとき、炎が燃えていた。
「アリスさん!」
「あら、こころ」
その翌日のことだ。
珍しく、『かざみ』人里支店にアリスが二日連続でやってきた。
店が開くその前に、こころはアリスを見つけて声をかける。
「あの! わたしを、ここで雇ってください!」
「は?」
「お願いします!」
何やら勢いたっぷりに声を上げるこころに、アリスは首をかしげた。
瞳の中に炎をめらめら燃やし、やる気満々のこころを見て、不思議には思ってはいるものの、
「わかったわ」
にこっとアリスは笑った。
「うちはいつでも人手が足りてないから。
手伝ってくれるのなら大歓迎よ」
「はい!」
「だけど」
人差し指を立てて、アリス。
「うちはこう見えても、利益追求のお店なの。
うちで働きたいのなら、まずはしっかり面接を受けて、合格してきてね」
「は、はい……」
「だから、そうね。一週間くらいのお試し勤務になるけれど、いい?」
微笑むアリスに、こころは『はい!』とうなずいた。
よしよしとアリスはこころの頭をなでて、
「よろしくね」
と笑いかけた。
さて、アルバイト一日目のこころの仕事は接客からである。
「い、いらっしゃいませ。『かざみ』へ、ようこそ……。
あ、あの、えっと……ど、どうぞ。お次のお客様。
……あ、あの、すいません。今、皆さん、入店待ちをしていて……。
そ、その、待ち時間があって……」
「えー? 待たないと入れないの? せっかく来たのにー」
「じゃあ、いいや。めんどくさいし、他にいこ」
「す、すみません……」
「あの、もう入ってもいいですか?」
「は、はい! ど、どうぞ!」
――と言う具合に、入り口でのお客様案内からスタートしているのだが、なかなか散々な状態である。
この手の仕事に慣れていないせいもあって、声は小さく、しどろもどろ。
状況の把握も出来ないため、客が入り口で滞ってしまっている。
「あいつ、苦戦しているな」
「そうみたいね」
一方、店内で働く店員たちの中に混じって、藤原妹紅と蓬莱山輝夜の姿がある。
妹紅は彼女のお目付け役に『働かざるもの食うべからず』とこの店に投げ込まれ、輝夜は『もこたんばっかり働いていてずるい! 私も働くわ!』と対抗意識燃やしてやってきたのだ。
そんな二人であるが、この店での店員経験はすっかりベテランの領域。
話しながらも、妹紅のレジ打ちは止まらず、輝夜の店内接客も大好評。
「よし。ちょっと助けてこよう」
「邪魔するなよ」
「もこたんと違うの。私はちびっ子に、とっても優しいのよ」
「それ、あの子に言うと、多分、機嫌を損ねるよ」
あのくらいの年頃の子供は、その辺り、複雑だから、と。
妹紅のアドバイスは聞いたのか聞いていないのかわからないが、お仕事のために結ったツインテールふりふりしながら、輝夜は店の外へと歩いていく。
「いらっしゃいませー!」
店の外に響く、高く通る輝夜の声。
こころがはっとなって、輝夜を見る。
「ようこそ、『かざみ』へ。いつもご利用、ありがとうございまーす。
お客様、どうぞ中へ。楽しんでいってくださいね」
「ありがとう」
にっこり微笑む輝夜のスマイルに、客も笑顔を返して店の中へ。
「ああ、お客様。申し訳ございません。
ただいま、入店待ちでして。あちらの列にお並びいただけますか?
ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません」
「ああ、いいですいいです」
「それならしょうがないよねー。並ぶか」
「ありがとうございます」
にっこり笑顔で頭を下げて、客を不快にさせないその接客は、実に見事。
こころが『この人、すごい!』という感情を抱いたのか、その周囲のお面が忙しなく動き出す。
「さあ、あなたも。私と一緒に」
「は、はい!」
「いらっしゃいませー! 『かざみ』へようこそー!」
「い、いらっしゃいませ。『かざみ』へようこそ……」
「声が小さい。
もっと大きな声を上げて。あと、縮こまってちゃダメ。背筋を伸ばして、手は前で」
「は、はい。わかりました」
「うん。よろしい。
はい」
「い、いらっしゃいませ! 『かざみ』へようこそ!」
「よーしよし」
輝夜の指導の下、こころの『接客技術』が培われていく。
その様を眺めながら、『あいつ、教えるのうまいな』と妹紅は思っていた。
「交代でーす」
「はーい。
それじゃ、次は店内接客よ。ほら、急いで急いで」
「は、はい。
あ、あの、お願いします」
「頑張ってね」
アルバイトの女の子が外に出てきた。
『かざみ』では店外での呼び込み、並ぶ客の整理などを担当する店外スタッフと、お店の中の客をさばく店内スタッフがいるのだ。
一時間程度で両者は交代し、お仕事の時間中、一生懸命働くのである。
「焼きたてクッキー、出来ましたー! あったかい、美味しいクッキーでーす! いかがですかー!」
「あ、甘くて美味しいプリンです。プリン、特製です。時間限定です。ぜ、ぜひどうぞー」
店内にもよく通る輝夜の声。
笑顔で元気溌剌、気持ちのいい接客をする彼女に、客が我も我もと手を伸ばす。
一方のこころは小さい体で精一杯、頑張る接客をしている。
こちらにも、『まあ、かわいい店員さん』『頑張っているのねぇ、お嬢ちゃん』といった具合に、主に年配の客が子供や孫に対するような視線と言葉を投げかけ、商品を手にとっていく。
「ああ、すいません。その商品、今、切れていまして。
すぐにお持ちしますから、少々、お待ちくださいませ」
「あ、えっと、あの、その……こ、こちらです。お探しの商品、これです。ど、どうぞ」
「すいませーん! レジ、お願いしまーす!」
「お、お買い上げ、ありがとうございました……」
目の回るような忙しさは、営業時間一杯続く。
こころは輝夜に『そうじゃなくて、こうよ』と指導を受けながら、その時間の間、一生懸命働き、仕事が終わると疲れてへこたれてしまう。
「うぅ……大変です……」
「今日は、ちょっと客が少なかったわね」
「そうね。今日は紅魔館で特別セールやってるから、そっちに客が流れたんでしょ」
「アリスも大変ね。店を黒字にするのがさ」
「まぁね」
カウンターに突っ伏しているこころの横で、まだまだ元気一杯の輝夜と、本日の客の入りなどを計算していたアリスが、何やら恐ろしい話をしている。
普段はこれより忙しいのか、とこころの顔が引きつる中、
「頑張ったじゃない。えらいえらい」
と、輝夜がこころの頭をなでてくれる。
「……あ、ありがとうござい……ます。
あ、あの、輝夜さん」
「ん?」
「ど、どうやったら、輝夜さんみたいに、すごい接客が出来るんですか?」
「んー……」
顎に指を当てて、しばらく天井を見上げていた輝夜が視線を戻す。
「慣れね」
にこっと微笑む彼女に、こころは『な、慣れですか……』と呻くのみだった。
二日目はレジうちのお仕事である。
「それじゃ、こころ、使い方はわかったわね?」
「は、はい」
「仏蘭西と露西亜をサポートにつけるから。
わからないことがあったら、この子達に聞いてね」
「は、はい。頑張ります」
「開店でーす!」
店のドアが開き、客がやってくる。
こころはちょこんとカウンターで客を待つ。アリスが用意した『立ちっぱなしは大変だから、この椅子、使いなさい』と用意してくれた子供用の足の高い椅子に座って待つ彼女の前に、早速、客がやってくる。
「あ、ありがとうございます。
えっと……いちごのショートケーキ、120円……。エクレア……えっと、えっと……90円……。それから、これは……えっと……マロン・グラッセが5つで150円……」
手元の金額の書かれたメニューと客の出してきた商品を交互に見ながら、かしゃかしゃとレジに打ち込んでいく。
時間のかかる会計に、客は『あら、この子、初めてなのね』という暖かい視線を送っている。
「ご、合計で、550円です」
「はい、お願いね」
「あ、ありがとうございます。包むのは……」
そこで、露西亜人形が横から『わたしがやります』と手を挙げた。
レジの裏に用意されているお持ち帰り用の箱をてきぱきと組み上げて、その中に商品を入れて客へと手渡す。
客は『ありがとう』と笑ってレジを去り、
「お会計お願いします」
「は、はい。
えっと、えっと……これは、レアチーズケーキ……なので、130円……」
「ああ、その、レアチーズケーキじゃなくて、レアチーズケーキのクリーム入りなんですけど……」
「す、すみません。150円で……」
ぱっと見た目ではほとんど違いのわからないその商品に、こころは慌てて、レジを打ち直す。
その横で、仏蘭西人形が『これはいけない』と思ったのか、レジを離れた。
露西亜人形が、こころがつたない会計をしている間、少しでも客を待たせないように商品を箱詰めしていく。
「630円……です」
「ありがとう。頑張ってね」
「は、はい」
「すいません。お会計」
「か、かしこまりました。えっと、えっと……」
「こころ、ちょっと変わって」
妹紅がやってきた。
仏蘭西人形が連れてきた彼女は、用意されているメニューを見ることもなく、「ショートケーキ120円、スペシャルクリームケーキ170円、チョコレートケーキ、こちら割引セール対象品なので20%オフになります、100円……」とかしゃかしゃレジを打ち、合計金額を客に提示する。
「……ほわぁ」
こころの目が妹紅を見てきらきらしている。
彼女もまた、こころから見て『この人、すごい!』になったらしい。
「客が並んでる。
あんまり待たせると、みんな、疲れるから」
「は、はい」
「この流れが落ち着いたら代わるから。ちょっと待ってね」
「わ、わかりました」
妹紅のレジ打ち技術は大したもので、こころが苦戦していた作業と同じ作業をしているとは思えないほど鮮やかだ。
かしゃかしゃ、レジを叩く音すらリズミカルに聞こえてくる。
並んでいた10人ほどの客をさばいたところで、妹紅が『落ち着いた』と言ってこころに場所を譲る。
「サポートするから。ほら」
「は、はい。わかりました」
それでも客はやってくる。
こころがかたかた、何とかレジを打つ横で、露西亜と仏蘭西が商品を箱詰めし、妹紅が「それはこっち」とこころを指導する。
なかなか、彼女の作業が早くなることはないが、少なくとも、今のところ、ミスはないようだ。
「忙しい時間帯になったら交代する。
ちょっと、店内の接客いってくる。仏蘭西、こころを頼む」
『わかりました』
フリップを出して応答する仏蘭西人形にこころを任せて、妹紅は次に、店内を歩き回りながら接客していく。
彼女目当ての女の子たちがきゃーきゃー騒ぎ、店内が騒がしくなる中、
「えっと……いちごのショートケーキが120円、花の蜜ケーキが150円……あ、セールなので、105円……」
かしゃかしゃ一生懸命レジを叩くこころ。
忙しくて、とてもじゃないが、椅子に座ってのんびり接客などしていられない。
そんな時間がひたすら続き、大忙しの時間帯は妹紅に代わってもらい、今日も何とかお仕事を乗り切った。
「……ふにぃ~」
またカウンターの上でへこたれるこころの横で、アリスと妹紅が「今日の売り上げ、いつもより減ってない?」「セール品が多く売れたからね。仕方ないわ。損して得取れよ」という会話をしている。
「あ、あの、妹紅さん」
「ん? 何?」
「ど、どうやったら、あんなにすごくレジが打てるんですか?」
こころの問いかけに、腕組みして首をかしげて、妹紅は一言。
「慣れ、かな」
「……慣れ、なんですか」
先日の輝夜と同じ回答を聞かせてくれたのだった。
三日目のお仕事は、店内接客の中でも、さらにひときわ難しいイートインスペースでの接客である。
「いい? こころ。
これは一応、うちの売りなんだから。しっかり頑張って、お店の評判、がっつり上げてちょうだいね」
「が、頑張ります!」
来客数と比較して、イートインスペースは狭い。そのため、利用は先着及び予約式である。
早速、窓際に座っている女性二人が『すいませーん』と手を挙げる。
「ほら、お呼びよ」
背中をアリスに押されて、ぱたぱた、こころが走っていく。
「い、いらっしゃいませ。『かざみ』にようこそ」
「あら、あなた、初めて見る子ね」
「ほんとだー。かわいいー」
「あ、ありがとうございます」
頭をなでなでされて、少し困ったような顔を見せるこころ。
それが彼女たちの心の琴線に触れたのか、ますます『かわいい~』を連呼される。
「え、えっと、あの、ご注文……」
「ああ、そうだったそうだった」
「あたしねー、このフレンチセット!」
「は、はい。フレンチセット、お一つ……」
「あたしは、この『店主お任せケーキセット』かな。それの『デラックス』ね」
「店主お任せケーキセット……デラックス……。
お、お飲み物は……」
「あたし、ハーブティーがいいなー。
今日のハーブティーって何?」
「え? えっと……し、少々お待ちください」
慌ててぱたぱた走って、自分よりも頼りになりそうな人を探す。
「いらっしゃいませー」
笑顔を浮かべて接客をしている相手がいた。
よし、彼女だ。
こころはうなずくと、『あ、あの』と声をかける。
「どうしたの? こころちゃん」
笑顔で振り返る、彼女は東風谷早苗。
この『かざみ』のアルバイト達を統括するバイトリーダーで、一番、経験も知識も豊富な人材だ。
「あの、あっちのお客さんから、今日のハーブティーは何か、って……」
「ああ、今日の?
今日はローズヒップとタイムをちょっとブレンドしたものなんだって。
ほら、寒くなってきて、風邪が流行っているでしょう? 風邪の予防にね」
「は、はい。わかりました」
「頑張ってね」
また、ぱたぱたこころは走っていく。
先ほどのテーブルへと戻ってくると『お、お待たせしました』とまずは頭を下げてから、
「き、今日のハーブティーは、ローズヒップとタイムを……え、えっと、少し混ぜた……? ものになります」
「へぇ~、面白そう。じゃあ、やっぱりそれ!」
「は、はい。フレンチセットのお客様が、ハーブティーで……」
「あたしはロイヤルミルクティーね。ミルク多めで」
「店主お任せケーキセットのお客様が、ロイヤルミルクティー……ミルク多め」
「そうそう」
「し、少々、お待ちください」
「はーい」
「もう、かわいい~」
ぱたぱた走って、厨房へ。
幽香の後姿を見つけたら、『すいません、注文が入りました』と声を上げて伝票を置く。
すると、幽香の手伝いをしている人形たちがやってきて、その伝票を手に幽香の元へ。
「はいどうぞ。落とさないでね」
「……えっ」
いきなり、幽香の手元にケーキやら何やらが現れていた。
作り置きではない、出来立て。しかもお茶も熱々の淹れたて。
何度も手元と幽香の顔を見比べてから、こころはその状況の理解を放棄した。
ぺこりと頭を下げて、落とさないように、トレイを揺らさないように注意しながら先ほどのテーブルへと戻る。
「お、お待たせしました」
「はやーい!」
「すごい!」
「えっと、フレンチセット……ハーブティー……です」
「ありがとう」
「こちら、お任せケーキセットの、ロイヤルミルクティー……ミルクを多めにしました」
「うんうん」
「ご、ごゆっくり」
「うん、ありがとう」
「えらいねー。頑張ってね」
また下げた頭をなでなでされて、こころはぱたぱた、イートインスペースの入り口に戻ろうとして、
「すいませーん。注文、いいですかー?」
「は、はーい」
「すいません。お水ください」
「お、お水ですね。少々……」
「すいません。注文を……」
「ち、注文……!」
あっちこっちから声をかけられて、どちらに行ったらいいのか、そもそもどうしたらいいかがわからなくなって、その場でぐるぐる回ってしまう。
その様を見ていた早苗が、やれやれと苦笑すると、
「こころちゃんは、あっちのお客様にお水を持って行ってね。
その帰りに、あのお客様の注文をとってきて。
こっちはわたしがやるから」
「は、はい。ありがとうございます」
早苗が笑いながら、こころの手伝いに入ってくれた。
二人で注文を処理して、客の要求も処理して、ふぅ、と一息。
「こういうのも慣れだから。
慣れたら、どこから先に行けばいいのかとかどうしたらいいのかとか、自然とわかるようになるから」
「……はい」
「そんなに落ち込まないの。
最初はみんなそんなもんよ。
あ、ほら、こころちゃん。あっちのお客様が手を挙げてるわ。行ってきて」
「は、はい!」
しかし、そこで落ち込まないのがこころである。
自称とはいえ『わたしは頑張れば出来る子』なのだから、そも最初から『諦める』という選択肢はないのだ。
その前向きさとひたむきさが、彼女が『かわいい』とかわいがられる所以なんだろうなと、その背中を眺める早苗は思っていた。
その次の日の仕事は、お店の掃除である。
もちろん、お客さんがたくさん来ている時間帯には出来ないことなので、店を閉めた後が主な仕事の時間だ。
「よいしょ、よいしょ」
「こころちゃん。上も。届きますか?」
「えっと……ん~……」
「あはは。無理みたいですね。
じゃあ、上は私がやりますから。こころちゃんは、下の棚を」
「はい」
命蓮寺の寅丸星と一緒に、お店の掃除をしていく。
すでに他のアルバイトの女の子達は帰った後であり、店内は二人だけだ。
今日は幽香もアリスも本店の方に行っているため、その姿もない。
「寅丸さんは、お掃除、得意なんですか?」
「ええ、一応。
性格的なものですかね。ちょっと汚れているのを見ると拭き掃除したくなるんです」
業務時間中は、妹紅以上に女の子にたかられてきゃーきゃー言われて困惑していた彼女も、この静かな時間では、優しい笑顔を浮かべているだけだ。
こころはうんうんとうなずくと、
「わたしも、おうちを建ててもらったんですけれど」
「そういえば、以前、そんな話を聖がしていましたね。
こころちゃんのおうちに、座布団とかお布団を持って行った、って」
「はい。とても助かりました。
……だけど、ちょっとお掃除が苦手で。
お部屋のほこりを掃くくらいのことしかしてなくて」
「それくらいでもいいと思いますよ。
毎日、こんな風に綺麗にしないといけないのは、ここがお店だからです」
「たくさんお客さん、来ますもんね」
「うちのお寺にも、これくらい人が集まってくれたらなぁ、とは思うのですけど。
逆にさばききれなくて大変なことになるかな」
冗談を口にして笑って、星は雑巾をバケツで絞る。
「貸してください」
「すいません」
星のほうが、こころより力が強い。
こころが絞った後の雑巾を星が絞ると、さらに水が出てくる。
「寅丸さんは家庭的です」
「そうかな? ありがとう」
「そういうところがあるから、こういうお店でも働けるんですね」
「最初は大変でしたけどね。
レジのうち間違いとか、しょっちゅうでした」
「そうなんですか」
「そうですよ。
みんな、最初はそんな感じでしたから。
最初から何でも出来たのって早苗さんくらいですよ。
まぁ、彼女も、外の世界にいた時に、こういうことをやっていたらしいので。そういう意味では、ちっとも初めてじゃないですね」
「……そうですか」
「何事も経験ですね」
二人はよいしょよいしょと掃除をしていく。
お店の中が綺麗になったところで、掃除は終了。時計を見れば、もう夕方だ。
「こころちゃん、うちで晩御飯を食べていきますか?」
「えっと……。お邪魔じゃなければ」
「大丈夫ですよ。
ちょうど、響子も遊び相手がほしがっていたので。ご飯まで、すみませんけど、相手をしてあげてください」
「ぬえさんは?」
「ぬえは、早苗さんから借りた『げぇむ機』に夢中で。
二人で遊びなさいと言ったんだけど、『これ、一人用だし』って。響子は『次は響子が借りるんです』って言ってたけど」
困ったものだが、かわいいものだ、と星は笑った。
子育てとはそういうものなのか、と何やら感慨深くうなずいたこころは、『わかりました』と返事をする。
二人はそろって、従業員用の更衣室へ。
「明日も頑張ります」
こころは何やら、気持ちを新たにしたらしい。
頑張るぞ、おー、と拳を突き上げる彼女を、星は『頑張ってね』と応援するのだった。
最終日のお仕事は、なぜかこいしと一緒だった。
店にいるのは、彼女とこいし、アリスに早苗である。
「いらっしゃいませー!」
こいしは相変わらず、元気一杯、接客も手馴れたものだ。
元々、人懐っこいのと、笑顔がとにかく似合うという点が、誰からも好かれてかわいがられる要因だろう。
「あ、あの、ご注文は……」
こころはイートインスペースで客の相手をしている。
最初にやらせた時よりは、幾分、その手つきはスマートになり、客の注文をしっかりととってこられるようになっている。
「こころちゃん、あっちのお客さん!」
「今、わたし、伝票持って行かないといけないから。古明地こいし、あなたがやって」
「いいよー!
いらっしゃいませ! ご注文を取りに来ました!」
「まあまあ、元気な店員さんね」
「毎日元気一杯、こいしちゃんです!」
「あら、そうなの? それじゃあ、元気一杯のこいしちゃん。注文、よろしいかしら?」
「いいよ、おばあちゃん!」
雰囲気のいい、そして身なりもいい初老の夫婦がこいしに注文をする。
男性のほうは、『わしはこんなもの食べたことがない。何かお勧めはあるかね?』とこいしに尋ね、女性の方は『まあ、おじいさん。なんて失礼な』と彼の態度に怒っている。
「アリスさん。注文です」
「ええ。えっと……ああ、これか。ちょっと待っていてね」
幽香が厨房にいない時は、イートインスペースの、特に料理は作り置きとなる。
しかし、『冷めてもあっためなおしても美味しい』のが『かざみ』の料理。そこら辺に抜かりはない。
すぐに料理を温めて持ってくる。
こころがそれを『お待たせしました』とテーブルに持っていくと、『待ってました』と客はフォークやナイフを手に取る。
「こころちゃん。何か手際がよくなってきたね」
「そうかしら。わたしだって頑張ったんだから」
「すごいねー!」
「えっへん」
二人とも、仲がいいのかそれとも互いに切磋琢磨しているのか、言葉の端々に、何ともいえない感情の色が浮かび上がっている。
そんな様を見せながら働く二人を見ていると、出てくる感想は『かわいい』以外の何物でもないのだが。
「うちの店員にほしいわね」
「もう少しスキルをつけたら、立派に働けますね」
「雇う?」
「どうしましょうね」
一生懸命、お客さんを相手にする二人を見ながら、アリスが笑った。
早苗もつられて小さく笑みを浮かべると、『もうちょっと考えた方がいいかも』と言葉を付け加える。
「お疲れ様」
「はい」
「楽しかったー!」
「二人とも、ありがとう。
特にこころ。一週間、頑張ったわね」
「え? まだ、土曜日と日曜日が残ってます……」
「あら、そうだった? 私は今日までのつもりで、あなたを雇ってたんだけど。一週間って、平日の間を考えていたわ」
「は、はい」
「はいこれ。あなたの分のお給料よ。
こっちはこいしね」
「わーい、やったー!」
こいしはアリスから受け取った封筒を早速開き、『多い!』と声を上げる。
そしてすぐさま、何やらメモ帳を取り出してペンを走らせる。
「……何してるの?」
「えっとね、地上のお店のアルバイトの相場をメモしてるんだ。
うちの温泉でも、アルバイトさんを雇うかどうするか、っていう話になってるの。
正社員の人を増やすにも、ちょっと今は微妙な時期だから、だけど人手不足解消のため、って。
相場より少し上のお給料を出せば、人もたくさん集まるかな~、って」
「そ、そう……」
割としっかりした意見を聞かされて、アリスの頬に汗一筋。
そういえば、地底の有名温泉旅館『ちれいでん』の経営者はこいしだった、と思い出す。
この、一見、自分の好き勝手に思うがまま自由気ままに生きているように見えるこいしが、実は開業以来右肩上がりの売り上げを維持する経営を続ける経営者だと言われて、果たして誰が信じるだろう。事実なのだが。
「……一杯です」
「こころちゃんは、あまり、定期的な収入は持っていないのでしょう?
大事にね」
「はい。ありがとうございます」
「楽しかった?」
「とっても楽しかったです。今まで生きてきて、何だか、上から数えた方が早いくらい楽しかったです」
何やらぱたぱたしたかわいい動きで『楽しさ』を表現するこころに、早苗が笑った。
そのこころの背後にこいしが回ると、
「そういう時はね、こころちゃん」
ぐにっ、とほっぺたを引っ張って、
「笑顔、笑顔!」
「いにゃにゃにゃ~!」
ほっぺたむぎゅむぎゅされてじたばたするこころ。こいしはけらけらと笑っている。
こころの手がこいしの手を掴むと、「痛い!」と彼女を背負い投げの要領で放り投げた。
「こころちゃん、ほっぺたやわらかいね。ぷにぷにしてる」
「ほっといて!
よくもやってくれたわね!」
「え~? 何のことかな~?」
「古明地こいし! やはり、お前はわたしのライバル! この場で成敗してやる!」
「あはは! やってみろ~!」
「待て~!」
どたばたと店の中を走り回る二人。
やれやれ、とアリスは肩をすくめて、「こら! 店の中で騒がない!」と腰に手を当てて二人を叱り飛ばした。
早苗が後ろでくすくすと笑っている。
「全くもう。
ケンカするなら、もうお店に入れてあげないからね! わかった子は手を挙げて!」
「は~い!」
「……はい。ごめんなさい」
「よろしい。
じゃあ、今日はそろそろ帰りなさい。
また、うちで働きたくなったら来なさい。お試しで、また雇ってあげるわ」
アリスに見送られ、早苗に出口まで連れて行ってもらって、二人は店を後にする。
空は夕暮れ。地面に人の影が長く伸びる頃。
「ねぇ、こころちゃん」
「……何よ」
「楽しかったね」
「……うん」
それについては否定しないらしい。
実際、この数日、色々と忙しくて大変だったが、学ぶことも多かった。たくさんの『すごい人』にも会えた。
それを楽しいと言い換えるのなら、確かに、毎日、楽しかった。
「あ、そうだ。
こころちゃん。今度、うちでアルバイトしようよ!」
「やだ」
「この前、来てくれたよね!」
「拉致されたのよ」
「ねーねー! アリスお姉さんがよかったんだから、うちにもこようよー!」
「絶対やだ」
「ふっふーん?」
後ろから、こいしがこころに覆いかぶさるように飛びつく。
離れて、とこころがじたばたするのだが、
「じゃあね、こういうのどう?
うちで働いてくれたら、美味しいご飯、毎日食べ放題!」
「……」
またもや、ぴたっ、とこころの抵抗が止まった。
地底のご飯の美味しさを覚えているのだ。
というか、幻想郷には、美味しいご飯を提供してくれるところがたくさんある。
そこかしこで、こころはご飯をご馳走になっている身分なのだが、その彼女にとって『地底のご飯』はまた指折りの美味しさなのである。
「それにそれに!
温泉の接客って、お菓子屋さんの接客とはまた違うんだよ! 違うお仕事、一杯あるよ!
ね? きっと楽しいよ。一緒に頑張ろ!」
「……そ、そうね。
言っておくけど、わたし、あなたのために働くとかじゃないんだから! 美味しいご飯、食べさせてくれるって言うから仕方なくだからね!」
「やったぁ!
じゃあ、今日はお姉ちゃんに言って、ご馳走作ってもらおう!」
「ご馳走……!」
目がきらきら輝き、思わず、こころの口元からよだれが一筋。
慌てて服の袖でそれをぬぐって、『そ、それなら、あまり遅くに行ったら迷惑だから。すぐに行きましょう』とつんけんとした態度になるこころ。
嬉しそうに笑うこいしが、こころの手を取って「じゃあ、帰ろう!」と声を上げた。
「美味しいご飯、美味しいご飯♪
こころちゃん、何が食べたいの?」
「えっと……ん~……」
「こころちゃん、何でも好き嫌いしないで食べるよね」
「当たり前じゃない」
「じゃあ、特製ステーキの一枚焼き、とかどう!? これくらい分厚いお肉をね、じゅーじゅー焼いて、お塩を振って食べるの!」
「……美味しそう」
「美味しいよ! じゃあ、それにしよう!
お肉、お肉♪」
手をつないで歩いていく少女二人の影法師が、お日様に照らされて長く伸びる。
楽しそうにスキップする一つの影と、ぎこちないながらも、それと一緒に大きく手を振るもう一つの影。
――こころの楽しい日常は、まだもう少し、続きそうである。
「やだ。」
「そんなこと言わないで、遊ぼうよー」
「やだ」
「ねーねー」
「やだ」
「遊ぼう、遊ぼう!」
「やだ」
「ねーったらー」
「絶対やだ」
自分にしがみついてくる古明地こいしをずーりずりと引きずりながら、秦こころは里を行く。
ひたすら鬱陶しいこいしをひっぺがすべく、相手の腕を解こうとするのだが、このこいし、無駄にバカ力があってなかなかそれがかなわない。
「へー」
と、そこでこいしの声のトーンが変わった。
「いいのかなー?」
「何が」
「あのね、今日、遊ぼうって言ってるのは、『一緒にお店に行かない?』ってことなんだけど」
「あ、そう」
「アリスさんのお店のお手伝いなんだー」
「ふーん」
「手伝ってくれたら、美味しいケーキ食べ放題! らしいんだけどー」
ぴたっ、とこころの足が止まった。
――ケーキ。美味しいケーキ。食べ放題。
頭の中に思い浮かぶ、真っ白ないちごのショートケーキ。
口の周りをべったべたにして食べるチョコレートケーキ。
紅茶と一緒に楽しむチーズケーキ。
ふんわりふわふわシュークリーム。
ぷるぷるぷるりんプリン。
「……ごくり」
普段、無表情といわれるこころであるが、このときの彼女は確実に表情を浮かべていた。
美味しいお菓子食べ放題に、目を輝かせる子供の顔だ。
と言うか、この彼女、なかなかに食いしん坊なのだ。
「いいのかなー?」
「……し、仕方ないわね。
アリスさんにはいつもお世話になっているし、そのアリスさんが困っているというなら、手伝ってあげるものよね」
「やったー!」
「い、言っておくけど、古明地こいし! あなたのために手伝うとか、そんなんじゃないんだから!」
その言葉の意味は実にその通りなのだが、ちょっと聞き方間違えると、どこぞの紅の館のメイド長だの天狗の山のツインテール天狗だの、その『御菓子屋さん』のパティシエールだのに分類されかねないセリフを口にして、こころはくるりと回れ右したのだった。
「いらっしゃいませー! 喫茶『かざみ』へようこそー!
あ、おねーさん、ごめーん! これ、みんな並んでるんだ! 入店は一時間待ちなんだけど……。
あ、いいの? ありがとー!」
「い、いらっしゃいませ。あの、えっと、その……えっと……」
さて。
その例のお菓子屋さんこと、人里名物の一つ、喫茶『かざみ』の店内に元気な声としどろもどろな声が響き渡る。
もちろん、前者がこいし、後者がこころのものである。
「こころ。あっちのお菓子、そろそろ足りなくなってきたから。
一度、トレイを下げてきて。新しいのを出すから」
「は、はい」
その店のパトロン、アリス・マーガトロイドの指示に、とたとたとこころは走っていく。
「えっと、えっと……あ、これ……」
「あら、それ、持って行っちゃうの?」
「え? あ、あの、その……」
「残念だわ。そのお菓子、買おうと思ったのに」
「え、えっと……あの……」
三十そこそこの、おっとりとした目許が特徴的な女性にそんなことを言われて、こころはあたふたしてしまう。
彼女はくすくすと笑いながら、『この子、新しい店員さんなのね』と心の中でつぶやき、「いいのよ。ごめんなさいね」と笑いかけた。
「す、すみません。すぐに持ってきます」
トレイを頭の上に掲げたまま、ぺこぺこ頭を下げて、大慌てでくるりとターン。
「ア、アリスさん。えっと、これ……ま、待ってる人が……」
「あ、そう?
幽香ー、季節のフルーツケーキ、待ってるお客さんがいるから早くねー」
「はーい。
お待たせ」
『早っ』
はーい、の返事と、おまたせ、の動作の間に隙間がない。
店の奥、厨房からやってきた、この店の店主かつ幻想郷最強のパティシエール、風見幽香が出来たてケーキを持ってにこにこ笑顔。
こころはそのトレイを受け取って、先ほどの売り場へと戻り、
「えっと、えっと……あ、いた。
あ、あの、すみません」
「あら?」
「えっと、あの、ケ、ケーキ、補充しました。どうぞ」
「ありがとう。かわいい店員さん」
ちょんと鼻の頭をつつかれて、こころがわたわたする。
「いらっしゃいませー! トレイをどうぞー!
あ、おばあちゃん、ケーキを取るときは、このトングを使ってね!
え? そのケーキ? うん、あっちだよ! 一杯買って行ってね!」
その一方、こいしの接客は大したものだ。
店員にとって一番大切な笑顔は決して忘れず、お客さんを的確にサポートしている。
彼女の丁寧な接客は客にも大層好評であり、『ありがとう』の声が絶えない。
「む、むぅ……。わたしだって……」
こころもこいしに対抗しようとするのだが、やはりどう頑張っても、わたわたすってんころりんは直らない。
彼女の不慣れな接客も、これまたかわいく客には大好評なのだが、一応『ライバル』認定しているこいしに遠く及ばないスキルしか発揮できないこころには、その評価も届かないようだ。
そんなこんなで、『かざみ』の大忙しタイムは終了し、人の流れが落ち着いてくる。
「二人とも、お疲れ様」
その大忙しタイムのみの手伝いを二人に依頼していたアリスは、彼女たちを従業員用の休憩スペースへと案内する。
そして、片手に持った、ケーキ満載のトレイをテーブルの上へ。
「約束どおり、うちのケーキ、好きなものを食べ放題よ。
一杯食べていきなさい」
「わーい!」
「あ、ありがとう……ございます……」
「あら、こころ。どうしたの?」
「……」
もぐもぐとケーキを頬張るこころ。その目は少し不満げだ。
対するこいしは、ケーキをぱくりと食べて『おいしいー!』と目を輝かせている。
「ま、いいか。
じゃあ、また後でね」
店はまだまだ忙しい。
アリスはその場を、給仕役の人形に任せて店へと戻っていく。
「……古明地こいし」
「なぁに?」
「……」
「こころちゃん」
「……何」
「接客がなってないなー」
「むぐっ」
ケーキを頬張ったまま、ぷっくぅ~っと、こころはほっぺた膨らませる。
こいしはふっふーんと鼻高々な顔になって胸を張る。
「こいしちゃんはこう見えても、温泉旅館でたくさんの経験を積んだベテランなのです!」
「うぐぐ……!」
「この勝負はこいしちゃんの勝ちぃ! ぶいっ!」
にっこり白い歯を見せて笑って、Vサイン突き出すこいしに、ますますこころは膨れていく。
「えへへ~」
「……ぷぅ~!」
美味しいケーキをぱくぱく頬張る二人。
こいしはそれを堪能し、こころは半分やけ食いだ。
こころの瞳には、そのとき、炎が燃えていた。
「アリスさん!」
「あら、こころ」
その翌日のことだ。
珍しく、『かざみ』人里支店にアリスが二日連続でやってきた。
店が開くその前に、こころはアリスを見つけて声をかける。
「あの! わたしを、ここで雇ってください!」
「は?」
「お願いします!」
何やら勢いたっぷりに声を上げるこころに、アリスは首をかしげた。
瞳の中に炎をめらめら燃やし、やる気満々のこころを見て、不思議には思ってはいるものの、
「わかったわ」
にこっとアリスは笑った。
「うちはいつでも人手が足りてないから。
手伝ってくれるのなら大歓迎よ」
「はい!」
「だけど」
人差し指を立てて、アリス。
「うちはこう見えても、利益追求のお店なの。
うちで働きたいのなら、まずはしっかり面接を受けて、合格してきてね」
「は、はい……」
「だから、そうね。一週間くらいのお試し勤務になるけれど、いい?」
微笑むアリスに、こころは『はい!』とうなずいた。
よしよしとアリスはこころの頭をなでて、
「よろしくね」
と笑いかけた。
さて、アルバイト一日目のこころの仕事は接客からである。
「い、いらっしゃいませ。『かざみ』へ、ようこそ……。
あ、あの、えっと……ど、どうぞ。お次のお客様。
……あ、あの、すいません。今、皆さん、入店待ちをしていて……。
そ、その、待ち時間があって……」
「えー? 待たないと入れないの? せっかく来たのにー」
「じゃあ、いいや。めんどくさいし、他にいこ」
「す、すみません……」
「あの、もう入ってもいいですか?」
「は、はい! ど、どうぞ!」
――と言う具合に、入り口でのお客様案内からスタートしているのだが、なかなか散々な状態である。
この手の仕事に慣れていないせいもあって、声は小さく、しどろもどろ。
状況の把握も出来ないため、客が入り口で滞ってしまっている。
「あいつ、苦戦しているな」
「そうみたいね」
一方、店内で働く店員たちの中に混じって、藤原妹紅と蓬莱山輝夜の姿がある。
妹紅は彼女のお目付け役に『働かざるもの食うべからず』とこの店に投げ込まれ、輝夜は『もこたんばっかり働いていてずるい! 私も働くわ!』と対抗意識燃やしてやってきたのだ。
そんな二人であるが、この店での店員経験はすっかりベテランの領域。
話しながらも、妹紅のレジ打ちは止まらず、輝夜の店内接客も大好評。
「よし。ちょっと助けてこよう」
「邪魔するなよ」
「もこたんと違うの。私はちびっ子に、とっても優しいのよ」
「それ、あの子に言うと、多分、機嫌を損ねるよ」
あのくらいの年頃の子供は、その辺り、複雑だから、と。
妹紅のアドバイスは聞いたのか聞いていないのかわからないが、お仕事のために結ったツインテールふりふりしながら、輝夜は店の外へと歩いていく。
「いらっしゃいませー!」
店の外に響く、高く通る輝夜の声。
こころがはっとなって、輝夜を見る。
「ようこそ、『かざみ』へ。いつもご利用、ありがとうございまーす。
お客様、どうぞ中へ。楽しんでいってくださいね」
「ありがとう」
にっこり微笑む輝夜のスマイルに、客も笑顔を返して店の中へ。
「ああ、お客様。申し訳ございません。
ただいま、入店待ちでして。あちらの列にお並びいただけますか?
ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません」
「ああ、いいですいいです」
「それならしょうがないよねー。並ぶか」
「ありがとうございます」
にっこり笑顔で頭を下げて、客を不快にさせないその接客は、実に見事。
こころが『この人、すごい!』という感情を抱いたのか、その周囲のお面が忙しなく動き出す。
「さあ、あなたも。私と一緒に」
「は、はい!」
「いらっしゃいませー! 『かざみ』へようこそー!」
「い、いらっしゃいませ。『かざみ』へようこそ……」
「声が小さい。
もっと大きな声を上げて。あと、縮こまってちゃダメ。背筋を伸ばして、手は前で」
「は、はい。わかりました」
「うん。よろしい。
はい」
「い、いらっしゃいませ! 『かざみ』へようこそ!」
「よーしよし」
輝夜の指導の下、こころの『接客技術』が培われていく。
その様を眺めながら、『あいつ、教えるのうまいな』と妹紅は思っていた。
「交代でーす」
「はーい。
それじゃ、次は店内接客よ。ほら、急いで急いで」
「は、はい。
あ、あの、お願いします」
「頑張ってね」
アルバイトの女の子が外に出てきた。
『かざみ』では店外での呼び込み、並ぶ客の整理などを担当する店外スタッフと、お店の中の客をさばく店内スタッフがいるのだ。
一時間程度で両者は交代し、お仕事の時間中、一生懸命働くのである。
「焼きたてクッキー、出来ましたー! あったかい、美味しいクッキーでーす! いかがですかー!」
「あ、甘くて美味しいプリンです。プリン、特製です。時間限定です。ぜ、ぜひどうぞー」
店内にもよく通る輝夜の声。
笑顔で元気溌剌、気持ちのいい接客をする彼女に、客が我も我もと手を伸ばす。
一方のこころは小さい体で精一杯、頑張る接客をしている。
こちらにも、『まあ、かわいい店員さん』『頑張っているのねぇ、お嬢ちゃん』といった具合に、主に年配の客が子供や孫に対するような視線と言葉を投げかけ、商品を手にとっていく。
「ああ、すいません。その商品、今、切れていまして。
すぐにお持ちしますから、少々、お待ちくださいませ」
「あ、えっと、あの、その……こ、こちらです。お探しの商品、これです。ど、どうぞ」
「すいませーん! レジ、お願いしまーす!」
「お、お買い上げ、ありがとうございました……」
目の回るような忙しさは、営業時間一杯続く。
こころは輝夜に『そうじゃなくて、こうよ』と指導を受けながら、その時間の間、一生懸命働き、仕事が終わると疲れてへこたれてしまう。
「うぅ……大変です……」
「今日は、ちょっと客が少なかったわね」
「そうね。今日は紅魔館で特別セールやってるから、そっちに客が流れたんでしょ」
「アリスも大変ね。店を黒字にするのがさ」
「まぁね」
カウンターに突っ伏しているこころの横で、まだまだ元気一杯の輝夜と、本日の客の入りなどを計算していたアリスが、何やら恐ろしい話をしている。
普段はこれより忙しいのか、とこころの顔が引きつる中、
「頑張ったじゃない。えらいえらい」
と、輝夜がこころの頭をなでてくれる。
「……あ、ありがとうござい……ます。
あ、あの、輝夜さん」
「ん?」
「ど、どうやったら、輝夜さんみたいに、すごい接客が出来るんですか?」
「んー……」
顎に指を当てて、しばらく天井を見上げていた輝夜が視線を戻す。
「慣れね」
にこっと微笑む彼女に、こころは『な、慣れですか……』と呻くのみだった。
二日目はレジうちのお仕事である。
「それじゃ、こころ、使い方はわかったわね?」
「は、はい」
「仏蘭西と露西亜をサポートにつけるから。
わからないことがあったら、この子達に聞いてね」
「は、はい。頑張ります」
「開店でーす!」
店のドアが開き、客がやってくる。
こころはちょこんとカウンターで客を待つ。アリスが用意した『立ちっぱなしは大変だから、この椅子、使いなさい』と用意してくれた子供用の足の高い椅子に座って待つ彼女の前に、早速、客がやってくる。
「あ、ありがとうございます。
えっと……いちごのショートケーキ、120円……。エクレア……えっと、えっと……90円……。それから、これは……えっと……マロン・グラッセが5つで150円……」
手元の金額の書かれたメニューと客の出してきた商品を交互に見ながら、かしゃかしゃとレジに打ち込んでいく。
時間のかかる会計に、客は『あら、この子、初めてなのね』という暖かい視線を送っている。
「ご、合計で、550円です」
「はい、お願いね」
「あ、ありがとうございます。包むのは……」
そこで、露西亜人形が横から『わたしがやります』と手を挙げた。
レジの裏に用意されているお持ち帰り用の箱をてきぱきと組み上げて、その中に商品を入れて客へと手渡す。
客は『ありがとう』と笑ってレジを去り、
「お会計お願いします」
「は、はい。
えっと、えっと……これは、レアチーズケーキ……なので、130円……」
「ああ、その、レアチーズケーキじゃなくて、レアチーズケーキのクリーム入りなんですけど……」
「す、すみません。150円で……」
ぱっと見た目ではほとんど違いのわからないその商品に、こころは慌てて、レジを打ち直す。
その横で、仏蘭西人形が『これはいけない』と思ったのか、レジを離れた。
露西亜人形が、こころがつたない会計をしている間、少しでも客を待たせないように商品を箱詰めしていく。
「630円……です」
「ありがとう。頑張ってね」
「は、はい」
「すいません。お会計」
「か、かしこまりました。えっと、えっと……」
「こころ、ちょっと変わって」
妹紅がやってきた。
仏蘭西人形が連れてきた彼女は、用意されているメニューを見ることもなく、「ショートケーキ120円、スペシャルクリームケーキ170円、チョコレートケーキ、こちら割引セール対象品なので20%オフになります、100円……」とかしゃかしゃレジを打ち、合計金額を客に提示する。
「……ほわぁ」
こころの目が妹紅を見てきらきらしている。
彼女もまた、こころから見て『この人、すごい!』になったらしい。
「客が並んでる。
あんまり待たせると、みんな、疲れるから」
「は、はい」
「この流れが落ち着いたら代わるから。ちょっと待ってね」
「わ、わかりました」
妹紅のレジ打ち技術は大したもので、こころが苦戦していた作業と同じ作業をしているとは思えないほど鮮やかだ。
かしゃかしゃ、レジを叩く音すらリズミカルに聞こえてくる。
並んでいた10人ほどの客をさばいたところで、妹紅が『落ち着いた』と言ってこころに場所を譲る。
「サポートするから。ほら」
「は、はい。わかりました」
それでも客はやってくる。
こころがかたかた、何とかレジを打つ横で、露西亜と仏蘭西が商品を箱詰めし、妹紅が「それはこっち」とこころを指導する。
なかなか、彼女の作業が早くなることはないが、少なくとも、今のところ、ミスはないようだ。
「忙しい時間帯になったら交代する。
ちょっと、店内の接客いってくる。仏蘭西、こころを頼む」
『わかりました』
フリップを出して応答する仏蘭西人形にこころを任せて、妹紅は次に、店内を歩き回りながら接客していく。
彼女目当ての女の子たちがきゃーきゃー騒ぎ、店内が騒がしくなる中、
「えっと……いちごのショートケーキが120円、花の蜜ケーキが150円……あ、セールなので、105円……」
かしゃかしゃ一生懸命レジを叩くこころ。
忙しくて、とてもじゃないが、椅子に座ってのんびり接客などしていられない。
そんな時間がひたすら続き、大忙しの時間帯は妹紅に代わってもらい、今日も何とかお仕事を乗り切った。
「……ふにぃ~」
またカウンターの上でへこたれるこころの横で、アリスと妹紅が「今日の売り上げ、いつもより減ってない?」「セール品が多く売れたからね。仕方ないわ。損して得取れよ」という会話をしている。
「あ、あの、妹紅さん」
「ん? 何?」
「ど、どうやったら、あんなにすごくレジが打てるんですか?」
こころの問いかけに、腕組みして首をかしげて、妹紅は一言。
「慣れ、かな」
「……慣れ、なんですか」
先日の輝夜と同じ回答を聞かせてくれたのだった。
三日目のお仕事は、店内接客の中でも、さらにひときわ難しいイートインスペースでの接客である。
「いい? こころ。
これは一応、うちの売りなんだから。しっかり頑張って、お店の評判、がっつり上げてちょうだいね」
「が、頑張ります!」
来客数と比較して、イートインスペースは狭い。そのため、利用は先着及び予約式である。
早速、窓際に座っている女性二人が『すいませーん』と手を挙げる。
「ほら、お呼びよ」
背中をアリスに押されて、ぱたぱた、こころが走っていく。
「い、いらっしゃいませ。『かざみ』にようこそ」
「あら、あなた、初めて見る子ね」
「ほんとだー。かわいいー」
「あ、ありがとうございます」
頭をなでなでされて、少し困ったような顔を見せるこころ。
それが彼女たちの心の琴線に触れたのか、ますます『かわいい~』を連呼される。
「え、えっと、あの、ご注文……」
「ああ、そうだったそうだった」
「あたしねー、このフレンチセット!」
「は、はい。フレンチセット、お一つ……」
「あたしは、この『店主お任せケーキセット』かな。それの『デラックス』ね」
「店主お任せケーキセット……デラックス……。
お、お飲み物は……」
「あたし、ハーブティーがいいなー。
今日のハーブティーって何?」
「え? えっと……し、少々お待ちください」
慌ててぱたぱた走って、自分よりも頼りになりそうな人を探す。
「いらっしゃいませー」
笑顔を浮かべて接客をしている相手がいた。
よし、彼女だ。
こころはうなずくと、『あ、あの』と声をかける。
「どうしたの? こころちゃん」
笑顔で振り返る、彼女は東風谷早苗。
この『かざみ』のアルバイト達を統括するバイトリーダーで、一番、経験も知識も豊富な人材だ。
「あの、あっちのお客さんから、今日のハーブティーは何か、って……」
「ああ、今日の?
今日はローズヒップとタイムをちょっとブレンドしたものなんだって。
ほら、寒くなってきて、風邪が流行っているでしょう? 風邪の予防にね」
「は、はい。わかりました」
「頑張ってね」
また、ぱたぱたこころは走っていく。
先ほどのテーブルへと戻ってくると『お、お待たせしました』とまずは頭を下げてから、
「き、今日のハーブティーは、ローズヒップとタイムを……え、えっと、少し混ぜた……? ものになります」
「へぇ~、面白そう。じゃあ、やっぱりそれ!」
「は、はい。フレンチセットのお客様が、ハーブティーで……」
「あたしはロイヤルミルクティーね。ミルク多めで」
「店主お任せケーキセットのお客様が、ロイヤルミルクティー……ミルク多め」
「そうそう」
「し、少々、お待ちください」
「はーい」
「もう、かわいい~」
ぱたぱた走って、厨房へ。
幽香の後姿を見つけたら、『すいません、注文が入りました』と声を上げて伝票を置く。
すると、幽香の手伝いをしている人形たちがやってきて、その伝票を手に幽香の元へ。
「はいどうぞ。落とさないでね」
「……えっ」
いきなり、幽香の手元にケーキやら何やらが現れていた。
作り置きではない、出来立て。しかもお茶も熱々の淹れたて。
何度も手元と幽香の顔を見比べてから、こころはその状況の理解を放棄した。
ぺこりと頭を下げて、落とさないように、トレイを揺らさないように注意しながら先ほどのテーブルへと戻る。
「お、お待たせしました」
「はやーい!」
「すごい!」
「えっと、フレンチセット……ハーブティー……です」
「ありがとう」
「こちら、お任せケーキセットの、ロイヤルミルクティー……ミルクを多めにしました」
「うんうん」
「ご、ごゆっくり」
「うん、ありがとう」
「えらいねー。頑張ってね」
また下げた頭をなでなでされて、こころはぱたぱた、イートインスペースの入り口に戻ろうとして、
「すいませーん。注文、いいですかー?」
「は、はーい」
「すいません。お水ください」
「お、お水ですね。少々……」
「すいません。注文を……」
「ち、注文……!」
あっちこっちから声をかけられて、どちらに行ったらいいのか、そもそもどうしたらいいかがわからなくなって、その場でぐるぐる回ってしまう。
その様を見ていた早苗が、やれやれと苦笑すると、
「こころちゃんは、あっちのお客様にお水を持って行ってね。
その帰りに、あのお客様の注文をとってきて。
こっちはわたしがやるから」
「は、はい。ありがとうございます」
早苗が笑いながら、こころの手伝いに入ってくれた。
二人で注文を処理して、客の要求も処理して、ふぅ、と一息。
「こういうのも慣れだから。
慣れたら、どこから先に行けばいいのかとかどうしたらいいのかとか、自然とわかるようになるから」
「……はい」
「そんなに落ち込まないの。
最初はみんなそんなもんよ。
あ、ほら、こころちゃん。あっちのお客様が手を挙げてるわ。行ってきて」
「は、はい!」
しかし、そこで落ち込まないのがこころである。
自称とはいえ『わたしは頑張れば出来る子』なのだから、そも最初から『諦める』という選択肢はないのだ。
その前向きさとひたむきさが、彼女が『かわいい』とかわいがられる所以なんだろうなと、その背中を眺める早苗は思っていた。
その次の日の仕事は、お店の掃除である。
もちろん、お客さんがたくさん来ている時間帯には出来ないことなので、店を閉めた後が主な仕事の時間だ。
「よいしょ、よいしょ」
「こころちゃん。上も。届きますか?」
「えっと……ん~……」
「あはは。無理みたいですね。
じゃあ、上は私がやりますから。こころちゃんは、下の棚を」
「はい」
命蓮寺の寅丸星と一緒に、お店の掃除をしていく。
すでに他のアルバイトの女の子達は帰った後であり、店内は二人だけだ。
今日は幽香もアリスも本店の方に行っているため、その姿もない。
「寅丸さんは、お掃除、得意なんですか?」
「ええ、一応。
性格的なものですかね。ちょっと汚れているのを見ると拭き掃除したくなるんです」
業務時間中は、妹紅以上に女の子にたかられてきゃーきゃー言われて困惑していた彼女も、この静かな時間では、優しい笑顔を浮かべているだけだ。
こころはうんうんとうなずくと、
「わたしも、おうちを建ててもらったんですけれど」
「そういえば、以前、そんな話を聖がしていましたね。
こころちゃんのおうちに、座布団とかお布団を持って行った、って」
「はい。とても助かりました。
……だけど、ちょっとお掃除が苦手で。
お部屋のほこりを掃くくらいのことしかしてなくて」
「それくらいでもいいと思いますよ。
毎日、こんな風に綺麗にしないといけないのは、ここがお店だからです」
「たくさんお客さん、来ますもんね」
「うちのお寺にも、これくらい人が集まってくれたらなぁ、とは思うのですけど。
逆にさばききれなくて大変なことになるかな」
冗談を口にして笑って、星は雑巾をバケツで絞る。
「貸してください」
「すいません」
星のほうが、こころより力が強い。
こころが絞った後の雑巾を星が絞ると、さらに水が出てくる。
「寅丸さんは家庭的です」
「そうかな? ありがとう」
「そういうところがあるから、こういうお店でも働けるんですね」
「最初は大変でしたけどね。
レジのうち間違いとか、しょっちゅうでした」
「そうなんですか」
「そうですよ。
みんな、最初はそんな感じでしたから。
最初から何でも出来たのって早苗さんくらいですよ。
まぁ、彼女も、外の世界にいた時に、こういうことをやっていたらしいので。そういう意味では、ちっとも初めてじゃないですね」
「……そうですか」
「何事も経験ですね」
二人はよいしょよいしょと掃除をしていく。
お店の中が綺麗になったところで、掃除は終了。時計を見れば、もう夕方だ。
「こころちゃん、うちで晩御飯を食べていきますか?」
「えっと……。お邪魔じゃなければ」
「大丈夫ですよ。
ちょうど、響子も遊び相手がほしがっていたので。ご飯まで、すみませんけど、相手をしてあげてください」
「ぬえさんは?」
「ぬえは、早苗さんから借りた『げぇむ機』に夢中で。
二人で遊びなさいと言ったんだけど、『これ、一人用だし』って。響子は『次は響子が借りるんです』って言ってたけど」
困ったものだが、かわいいものだ、と星は笑った。
子育てとはそういうものなのか、と何やら感慨深くうなずいたこころは、『わかりました』と返事をする。
二人はそろって、従業員用の更衣室へ。
「明日も頑張ります」
こころは何やら、気持ちを新たにしたらしい。
頑張るぞ、おー、と拳を突き上げる彼女を、星は『頑張ってね』と応援するのだった。
最終日のお仕事は、なぜかこいしと一緒だった。
店にいるのは、彼女とこいし、アリスに早苗である。
「いらっしゃいませー!」
こいしは相変わらず、元気一杯、接客も手馴れたものだ。
元々、人懐っこいのと、笑顔がとにかく似合うという点が、誰からも好かれてかわいがられる要因だろう。
「あ、あの、ご注文は……」
こころはイートインスペースで客の相手をしている。
最初にやらせた時よりは、幾分、その手つきはスマートになり、客の注文をしっかりととってこられるようになっている。
「こころちゃん、あっちのお客さん!」
「今、わたし、伝票持って行かないといけないから。古明地こいし、あなたがやって」
「いいよー!
いらっしゃいませ! ご注文を取りに来ました!」
「まあまあ、元気な店員さんね」
「毎日元気一杯、こいしちゃんです!」
「あら、そうなの? それじゃあ、元気一杯のこいしちゃん。注文、よろしいかしら?」
「いいよ、おばあちゃん!」
雰囲気のいい、そして身なりもいい初老の夫婦がこいしに注文をする。
男性のほうは、『わしはこんなもの食べたことがない。何かお勧めはあるかね?』とこいしに尋ね、女性の方は『まあ、おじいさん。なんて失礼な』と彼の態度に怒っている。
「アリスさん。注文です」
「ええ。えっと……ああ、これか。ちょっと待っていてね」
幽香が厨房にいない時は、イートインスペースの、特に料理は作り置きとなる。
しかし、『冷めてもあっためなおしても美味しい』のが『かざみ』の料理。そこら辺に抜かりはない。
すぐに料理を温めて持ってくる。
こころがそれを『お待たせしました』とテーブルに持っていくと、『待ってました』と客はフォークやナイフを手に取る。
「こころちゃん。何か手際がよくなってきたね」
「そうかしら。わたしだって頑張ったんだから」
「すごいねー!」
「えっへん」
二人とも、仲がいいのかそれとも互いに切磋琢磨しているのか、言葉の端々に、何ともいえない感情の色が浮かび上がっている。
そんな様を見せながら働く二人を見ていると、出てくる感想は『かわいい』以外の何物でもないのだが。
「うちの店員にほしいわね」
「もう少しスキルをつけたら、立派に働けますね」
「雇う?」
「どうしましょうね」
一生懸命、お客さんを相手にする二人を見ながら、アリスが笑った。
早苗もつられて小さく笑みを浮かべると、『もうちょっと考えた方がいいかも』と言葉を付け加える。
「お疲れ様」
「はい」
「楽しかったー!」
「二人とも、ありがとう。
特にこころ。一週間、頑張ったわね」
「え? まだ、土曜日と日曜日が残ってます……」
「あら、そうだった? 私は今日までのつもりで、あなたを雇ってたんだけど。一週間って、平日の間を考えていたわ」
「は、はい」
「はいこれ。あなたの分のお給料よ。
こっちはこいしね」
「わーい、やったー!」
こいしはアリスから受け取った封筒を早速開き、『多い!』と声を上げる。
そしてすぐさま、何やらメモ帳を取り出してペンを走らせる。
「……何してるの?」
「えっとね、地上のお店のアルバイトの相場をメモしてるんだ。
うちの温泉でも、アルバイトさんを雇うかどうするか、っていう話になってるの。
正社員の人を増やすにも、ちょっと今は微妙な時期だから、だけど人手不足解消のため、って。
相場より少し上のお給料を出せば、人もたくさん集まるかな~、って」
「そ、そう……」
割としっかりした意見を聞かされて、アリスの頬に汗一筋。
そういえば、地底の有名温泉旅館『ちれいでん』の経営者はこいしだった、と思い出す。
この、一見、自分の好き勝手に思うがまま自由気ままに生きているように見えるこいしが、実は開業以来右肩上がりの売り上げを維持する経営を続ける経営者だと言われて、果たして誰が信じるだろう。事実なのだが。
「……一杯です」
「こころちゃんは、あまり、定期的な収入は持っていないのでしょう?
大事にね」
「はい。ありがとうございます」
「楽しかった?」
「とっても楽しかったです。今まで生きてきて、何だか、上から数えた方が早いくらい楽しかったです」
何やらぱたぱたしたかわいい動きで『楽しさ』を表現するこころに、早苗が笑った。
そのこころの背後にこいしが回ると、
「そういう時はね、こころちゃん」
ぐにっ、とほっぺたを引っ張って、
「笑顔、笑顔!」
「いにゃにゃにゃ~!」
ほっぺたむぎゅむぎゅされてじたばたするこころ。こいしはけらけらと笑っている。
こころの手がこいしの手を掴むと、「痛い!」と彼女を背負い投げの要領で放り投げた。
「こころちゃん、ほっぺたやわらかいね。ぷにぷにしてる」
「ほっといて!
よくもやってくれたわね!」
「え~? 何のことかな~?」
「古明地こいし! やはり、お前はわたしのライバル! この場で成敗してやる!」
「あはは! やってみろ~!」
「待て~!」
どたばたと店の中を走り回る二人。
やれやれ、とアリスは肩をすくめて、「こら! 店の中で騒がない!」と腰に手を当てて二人を叱り飛ばした。
早苗が後ろでくすくすと笑っている。
「全くもう。
ケンカするなら、もうお店に入れてあげないからね! わかった子は手を挙げて!」
「は~い!」
「……はい。ごめんなさい」
「よろしい。
じゃあ、今日はそろそろ帰りなさい。
また、うちで働きたくなったら来なさい。お試しで、また雇ってあげるわ」
アリスに見送られ、早苗に出口まで連れて行ってもらって、二人は店を後にする。
空は夕暮れ。地面に人の影が長く伸びる頃。
「ねぇ、こころちゃん」
「……何よ」
「楽しかったね」
「……うん」
それについては否定しないらしい。
実際、この数日、色々と忙しくて大変だったが、学ぶことも多かった。たくさんの『すごい人』にも会えた。
それを楽しいと言い換えるのなら、確かに、毎日、楽しかった。
「あ、そうだ。
こころちゃん。今度、うちでアルバイトしようよ!」
「やだ」
「この前、来てくれたよね!」
「拉致されたのよ」
「ねーねー! アリスお姉さんがよかったんだから、うちにもこようよー!」
「絶対やだ」
「ふっふーん?」
後ろから、こいしがこころに覆いかぶさるように飛びつく。
離れて、とこころがじたばたするのだが、
「じゃあね、こういうのどう?
うちで働いてくれたら、美味しいご飯、毎日食べ放題!」
「……」
またもや、ぴたっ、とこころの抵抗が止まった。
地底のご飯の美味しさを覚えているのだ。
というか、幻想郷には、美味しいご飯を提供してくれるところがたくさんある。
そこかしこで、こころはご飯をご馳走になっている身分なのだが、その彼女にとって『地底のご飯』はまた指折りの美味しさなのである。
「それにそれに!
温泉の接客って、お菓子屋さんの接客とはまた違うんだよ! 違うお仕事、一杯あるよ!
ね? きっと楽しいよ。一緒に頑張ろ!」
「……そ、そうね。
言っておくけど、わたし、あなたのために働くとかじゃないんだから! 美味しいご飯、食べさせてくれるって言うから仕方なくだからね!」
「やったぁ!
じゃあ、今日はお姉ちゃんに言って、ご馳走作ってもらおう!」
「ご馳走……!」
目がきらきら輝き、思わず、こころの口元からよだれが一筋。
慌てて服の袖でそれをぬぐって、『そ、それなら、あまり遅くに行ったら迷惑だから。すぐに行きましょう』とつんけんとした態度になるこころ。
嬉しそうに笑うこいしが、こころの手を取って「じゃあ、帰ろう!」と声を上げた。
「美味しいご飯、美味しいご飯♪
こころちゃん、何が食べたいの?」
「えっと……ん~……」
「こころちゃん、何でも好き嫌いしないで食べるよね」
「当たり前じゃない」
「じゃあ、特製ステーキの一枚焼き、とかどう!? これくらい分厚いお肉をね、じゅーじゅー焼いて、お塩を振って食べるの!」
「……美味しそう」
「美味しいよ! じゃあ、それにしよう!
お肉、お肉♪」
手をつないで歩いていく少女二人の影法師が、お日様に照らされて長く伸びる。
楽しそうにスキップする一つの影と、ぎこちないながらも、それと一緒に大きく手を振るもう一つの影。
――こころの楽しい日常は、まだもう少し、続きそうである。
10点か20点か30点か迷った
限りなく10点に近い30点
こいここは作家さんごとに関係の描写が個性的で本当に名コンビですわ