ごとりという音で夢から覚めた。それは何か重たいものが下に落ちたような重たい音だった。私は布団から身を起こしながら音の出どころを探したけれど、別段部屋に異常は見つからない。いつも寝起きしている平生通りの殺風景である。それじゃあ外かと思って窓の外を見たら、夜の真っ暗い中に、空の黄色い月が浮いているだけで、後はまるきり判然としない。すぐ近くにあるはずの隣家ですらぼんやりしていて、何だか不気味に思われた。しかし不気味というのは妖怪にとって有利に働くものである。私はさっそくこれを利用して人間を驚かせようと思い立ち、家から外へと飛び出した。
走って辿り着いた人里の往来はいつもよりも暗いだろうと思っていたのだが、月明かりに照らされて、むしろ明るかった。でもよく見ると明るいのは白々とした道と黄色い月だけで、脇に建ち並んでいるはずの家々は影絵の如くはっきりしない。そして月は見えるのに何故か星は一つも目に映らない。寒い風が斬るような音を立てて吹き抜けて行った。
そんな淋しいところを歩いていくと、正面からゆっくり人影が来た。私はさっそく首を飛ばして驚かしてやろうと思ったが、何故だかいつも通りに首を飛ばすことが出来なかった。慌てて自分の喉笛あたりに両手をやって具合を確かめてみると、息を呑んだり吐いたりするたびに蠢いて、何だか妖怪らしくないように思われる。私は訳が分からなくなった。
そうして首を飛ばそうと頑張っているうちに、人影が正面で立ち止まった。ほぼ眼前であるのにぼんやりとして、やっぱり影絵のようであった。人影は四苦八苦する私を見て「早く首を飛ばしなよ」とせかした。それから何の前触れもなく己の首を取って脇に抱え込んだ。私はいきなりのことだから吃驚して、影の首を指さしながら「お前は人間じゃないのか」と尋ねた。向こうは質問の意味が分からないというような動きをして、「人間だからこうしてるんじゃないか」と言い、それから「君には出来ないの?」と続けた。出来ないのではなく出来なくなったのであるが、言うのも馬鹿らしいから、ただ黙っていた。
しばらくして人影はこちらの事情を分かったらしく「それじゃあ駄目だよ。まあ、取り敢えずついておいで」と言い残して、白々した真っ直ぐな道を歩き始めた。私は商売道具の首に支障をきたしてどうにもならないから、黙ってついていった。歩いていくとそこらにはっきりしない人影がちらほら見えたが、そのどれもみんなが首を自由にしていた。子供と思われる小さな影はそれぞれの首を交換したり、首をお手玉にしたりして遊んでいる。大人らしき影は自分の首を抱え込んで、何もせぬままぼうっと立ち尽くしている。そんな中でただ私一人だけが首を胴体の上に据えているから、大層目立つだろうと思ったけれど、周りの人影はこちらを見ようともせずに、それぞれの暮らしを営んでいた。
私は前を行く人影を見ながら、自分だけが首をつなげて歩いているのは馬鹿馬鹿しいと思った。一人だけというのは嫌な心地がする。出来ることなら人影の首を全部胴体の上に固定してやりたい。自由な首を見せつけるように弄び楽しげでありながら、それでいてこちらには何の関心も示さないというのが心底不愉快であった。私はふと、「自分は妖怪なのだろうか、それとも人間なのだろうか」と思った。
寒い風が吹き続けている中を人影に続いて無心に歩いていると、いつの間にか人里を抜けて、何もないだだっ広い場所に行き着いた。月明かりがあるはずなのに辺りがよく見えず、地面は暗く沈むような闇であった。人影は立ち止まって私を手招き、静かな声で「ここに座って」と言った。人影の手には知らぬうちに白光りする抜き身の刀が握られていた。私は何も考えずに人影の足元に座った。見えないが下は枯草が一面に生えているらしく、かさかさ音が鳴った。
「これでいい。これで私は人影たちの仲間入りだ」と思って肩の力を抜くと、心がすっと楽になった。後は事が済むのを待つばかりであったが、何故かいつまで経っても刃は降ってこない。辛抱できなくなり、早くしろとせかすように上を向くと、初めて人影の顔がはっきりと見えた。それは私自身であった。私はおかしいような泣きたいような気持ちになって、「なんだ、やっぱり寂しかったんじゃないか」と呟いた。
刀を振り上げる私の背後で、黄色い月が夢の如く浮かんでいた。
走って辿り着いた人里の往来はいつもよりも暗いだろうと思っていたのだが、月明かりに照らされて、むしろ明るかった。でもよく見ると明るいのは白々とした道と黄色い月だけで、脇に建ち並んでいるはずの家々は影絵の如くはっきりしない。そして月は見えるのに何故か星は一つも目に映らない。寒い風が斬るような音を立てて吹き抜けて行った。
そんな淋しいところを歩いていくと、正面からゆっくり人影が来た。私はさっそく首を飛ばして驚かしてやろうと思ったが、何故だかいつも通りに首を飛ばすことが出来なかった。慌てて自分の喉笛あたりに両手をやって具合を確かめてみると、息を呑んだり吐いたりするたびに蠢いて、何だか妖怪らしくないように思われる。私は訳が分からなくなった。
そうして首を飛ばそうと頑張っているうちに、人影が正面で立ち止まった。ほぼ眼前であるのにぼんやりとして、やっぱり影絵のようであった。人影は四苦八苦する私を見て「早く首を飛ばしなよ」とせかした。それから何の前触れもなく己の首を取って脇に抱え込んだ。私はいきなりのことだから吃驚して、影の首を指さしながら「お前は人間じゃないのか」と尋ねた。向こうは質問の意味が分からないというような動きをして、「人間だからこうしてるんじゃないか」と言い、それから「君には出来ないの?」と続けた。出来ないのではなく出来なくなったのであるが、言うのも馬鹿らしいから、ただ黙っていた。
しばらくして人影はこちらの事情を分かったらしく「それじゃあ駄目だよ。まあ、取り敢えずついておいで」と言い残して、白々した真っ直ぐな道を歩き始めた。私は商売道具の首に支障をきたしてどうにもならないから、黙ってついていった。歩いていくとそこらにはっきりしない人影がちらほら見えたが、そのどれもみんなが首を自由にしていた。子供と思われる小さな影はそれぞれの首を交換したり、首をお手玉にしたりして遊んでいる。大人らしき影は自分の首を抱え込んで、何もせぬままぼうっと立ち尽くしている。そんな中でただ私一人だけが首を胴体の上に据えているから、大層目立つだろうと思ったけれど、周りの人影はこちらを見ようともせずに、それぞれの暮らしを営んでいた。
私は前を行く人影を見ながら、自分だけが首をつなげて歩いているのは馬鹿馬鹿しいと思った。一人だけというのは嫌な心地がする。出来ることなら人影の首を全部胴体の上に固定してやりたい。自由な首を見せつけるように弄び楽しげでありながら、それでいてこちらには何の関心も示さないというのが心底不愉快であった。私はふと、「自分は妖怪なのだろうか、それとも人間なのだろうか」と思った。
寒い風が吹き続けている中を人影に続いて無心に歩いていると、いつの間にか人里を抜けて、何もないだだっ広い場所に行き着いた。月明かりがあるはずなのに辺りがよく見えず、地面は暗く沈むような闇であった。人影は立ち止まって私を手招き、静かな声で「ここに座って」と言った。人影の手には知らぬうちに白光りする抜き身の刀が握られていた。私は何も考えずに人影の足元に座った。見えないが下は枯草が一面に生えているらしく、かさかさ音が鳴った。
「これでいい。これで私は人影たちの仲間入りだ」と思って肩の力を抜くと、心がすっと楽になった。後は事が済むのを待つばかりであったが、何故かいつまで経っても刃は降ってこない。辛抱できなくなり、早くしろとせかすように上を向くと、初めて人影の顔がはっきりと見えた。それは私自身であった。私はおかしいような泣きたいような気持ちになって、「なんだ、やっぱり寂しかったんじゃないか」と呟いた。
刀を振り上げる私の背後で、黄色い月が夢の如く浮かんでいた。