Coolier - 新生・東方創想話

春雪が過ぎ、また冬が来て

2015/12/09 01:23:09
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過ぎ去る季節を惜しむ暇もなく季節は巡る。夏が過ぎ去り、すぐに秋がやって来る。
あれだけ早く終わって欲しいと思ってた猛暑も、いざ肌寒くなってくると恋しくなるんだから不思議なものよね。
こうして例年と同じように過ごしているうちに、いつの間にか夏どころか秋も過ぎていって、今度は凍える冬が来て、そこには夏の暑さを羨む私がいるのかな。
去年だってそうだった、きっと今年もそうなんだろう。
変わらないし、変わろうとも思わない。
だって季節ってのはそういうものだし、私ってのはそういう生き物なんだから、変えようと思ったって変わるものじゃないのよ。
それに、夏も冬も一長一短、どっちか一方が欠点だらけってわけじゃないしね。
でも私は、どっちかと言えば冬の方が好きかな、だって――

「おねえちゃん、やっぱり今年も片付けしてるんですね」
「んー、まあね」

思考を遮る声は、私の背後から近づいてくる。
誰かが近づく気配は察知していたので、声をかけられても驚きはしなかった。
軽やかな足音から、なんとなく近づいてきたのが誰かもわかっていたし。
神社に降り立つや否や迷わず倉庫に向かってきたあたり、橙も私が何をしているのかわかってたみたい。
毎年同じパターンだし、そりゃ見抜かれるに決まってるわよね。
看破されるのを嫌がるくせに毎年繰り返す私も悪いんでしょうけど、自力で変えられるんならとっくにどうにかしてるっての。

「藍様が来るのはまだまだ先なのに、毎年そわそわしすぎじゃないですか?」

私は大きめの箱を抱え、奥へとしまい込もうとする。
だが橙はそんな身動きの取れない私の目の前に突然現れた。
しかも、上から。
予想外の行動に思わず驚いてしまったが、すぐに危険な行為に気づき諌めるように睨みつける。
うちの倉庫あんまり広くないのに、飛び回って頭でも打ったらどうするつもりなんだか。
怪我したら藍に怒られるのは私だし、私だって橙に怪我されるのは嫌なんだからね。
元気なのはわかったから、大人しくしときなさいっての。
しかしそんな私の気持ちを知ってか知らずか、上目遣いでこちらを見ながら首を傾げるその姿は、悔しいが可愛らしい。
可愛すぎて思わず頬が緩んでしまうほどに、いっそ抱きしめたくなるぐらいに。
両手が塞がってるのが残念だわ。

「うるさいわね、たまたまこの季節になると片付けしたくなるだけよ、他意は無いわ」
「どうでしょう、おねえちゃんはわたしに負けないぐらい藍様のことが大好きみたいですから。
 口では平気だって言いますけど、いつも会えるのを心待ちにして寂しがってるんですよね」

どこか挑発的に笑いながら私を煽ってくる橙の横を通り過ぎ、私は倉庫の奥へと箱を運んでいく。

「私がそんな殊勝な女に見える?」
「はい、見えます。
 たぶん、藍様もそうやって強がっちゃうおねえちゃんのことが好きなんだと思いますよ」
「あんたねえ、私をからかうのもいい加減にしときなさいよ」

箱を下ろした私が握りこぶしを振りかざすと、届く距離でもないのに橙はびくっと体を縮こませた。
ビビったくせに、顔にはイタズラっぽい笑みが浮かんでいる。
反省してないなこいつ。私より年上のくせに、いい年して悪ガキなんだから。

「はぁ……ま、片付けはこんなもんでいっか。
 橙は――どうせ用事があって来たわけじゃないのよね」
「もちろんっ、いつも通り遊びに来ただけです」
「あんた毎日のように来てるけど、友達付き合いは大丈夫なわけ?」
「そっちはそっちでうまくやってますから。
 おねえちゃんと違って私は行動派なんです、心配されなくても色んな所に顔を出してますよ」
「暇の間違いでしょ。
 忙しくなると取捨選択が難しくなってくるのよ、大人になったらわかるわ」
「永遠の子供は妖怪の専売特許なんですよ、羨ましいでしょう?」

大人になりたがってみたり、成長を拒んでみたり、子供ってほんと忙しい生き物よね。
私も言うほど大人じゃないけど、少なくともこの子よりは大人だって自信はあるかな。
それを言い出すと、そもそも妖怪に大人や子供の区別なんて無いって話になっちゃうんだけど。

「それに、わたしだって大事なものと、そうじゃないものの区別ぐらいば付けてるつもりです。
 優先すべき大事な人がここにるから、私はこうして毎日博麗神社に通ってるわけです」
「お世辞を言ったって何も出ないわよ」
「そう言いながらお菓子をごちそうしてくれる霊夢おねえちゃんがわたしは大好きです」
「ったく、調子いいわね。
 おだてなくてもお菓子ぐらい振る舞うわよ、ほら準備するから手伝いなさい」
「はいはーい! 働かざるもの食うべからず、ですよね。
 ちなみにわたしは芋ようかんが食べたいです」
「あれは貰い物なの、いつもあると思ったら大間違いよ」
「えー、働くんだからごーじゃすなお菓子をくださいよう」
「だったらあんたが買って来なさいっての」

私たちはじゃれあいながら、倉庫から移動する。
腕に絡みつきながら無邪気に微笑む橙のことを見ていると、心が暖かくなるのがわかった。

橙がこうして神社にやってくるようになったのは、春雪異変が終わってからだ。
退治する側と退治される側、ただそれだけの関係だった私達が今のような関係になったのには、色々と理由があるのだけれど、それはまあ置いといて。
妖怪に懐かれるなんて前は面倒なだけだったのに、顔を合わせるたびに情が移っちゃって、結局は今みたいに、私もまんざらじゃないって状態になっちゃったのよね。
仕方のないことなのよ、”おねえちゃん”なんて呼び方されたら悪い気しないに決まってるじゃない、だって私は心を持った人間なんだもの。
橙に限った話ではなく、私と”こいつら”の付き合いが始まったのは、全てはあの異変がきっかけだった。
そう、私が冬を心待ちにするようになったのも、あの頃からだ。

お茶の準備も手慣れたもの、橙はお湯のみやお茶っ葉がどこにあるのかもすっかり把握していて、私がやることと言えばお菓子をお盆に盛りつけるぐらい。
物の配置まで覚えられておいて、一方的に懐かれてると言い訳できるわけがない。
あの頃の私に、『八雲紫と愉快な仲間たち』とお友達になりましたー、なんて言っても絶対に信じないでしょうね。
博麗の巫女とは、妖怪を退治する者。
はっきり言って、そんな建前は以前からお飾りではあったんだけど、でも決めるときは決めてたのよ。
どんなに親しい妖怪でも幻想郷に不利益をもたらす異変を起こしたのなら、容赦なく退治してたし。
それが私。
それが博麗の巫女。
だってのに、今ではもう、仮に橙が何らかの致命的な異変を引き起こしたとしても、私は問答無用で退治なんて出来ないと思う。
苦悩と葛藤の末に、きっと私は橙の手を取ってどこか遠くに逃げ出す道を選ぶんじゃないかな。
この子は藍の式だし、そんなことありえないってわかりきってるんだけどね。
けど何が起こるかわからないのが幻想郷でしょう?
私はその万が一のために、深入りさせてはいけない境界線、最低限の不可侵領域ってやつを守り続けてきたはずだったんだけど、それが消えてなくなったのはどれぐらい昔の事だったかしら。
そして、境界線を死守させようとしてたのは他でもない紫自身だったはずなのに、破らせたのが紫の式ってのは中々に面白い皮肉だと思うわ。
目の前で最中を頬張る橙は、そんなこと全く知らないって顔してるけどね。
あんただって間接的とは言え紫の式の一人なんだから、幻想郷の秩序が乱れたら他人事ってわけにはいかないんだからね、わかってんの?

「んぐ?」

……わかってなさそうね。
まるでハムスターみたいに頬膨らましちゃって、そんな急がなくったってお菓子は逃げないでしょうに。

「はむはむっ、はむっ、んぐっ……」

喉を詰まらせそうになる橙に、私は苦笑いしながらお茶を差し出す。
それにしたってまあ、安物の最中なのにこうも幸せそうに食べてくれると、用意した甲斐があるってもんよね。
以前は貰い物のお菓子を食べさせてただけで、無いなら無いで、仮に橙がどんなに文句を言おうと放っておいて平気だったはずなのに。
今じゃ里に行くたびに私が自分でお菓子を選んでるぐらいなんだもの、おかげで前より家計に余裕が無くなったわ。
ま、見てるだけで幸せになれる物なんてなかなか無いし、その程度のお金で幸せを買えるってんなら安いもんだけどね。

「んくっ、んくっ……ぷはぁっ!
 ありがとうございます、死ぬかと思いました」
「もっと落ち着いて食べなさい、慌てて食べるから口の端にあんこを付ける羽目になるのよ」

指摘すると、橙はすぐに口の端を舌で舐めとった。
その仕草は、当然のことなんだけど驚くほど猫っぽい。

「ところで、おねえちゃんは食べないんですか?」
「まさか私の分まで狙ってるの? 食いしん坊め。
 だーめ、私はゆっくり食べる派なんだから」
「違いますよお、最中さんがわたしに食べて欲しいって語りかけてきただけなんですっ」
「やっぱり食べたいんじゃない……」

年上のくせに、見た目の歳相応に食い意地が張っていて、藍や紫と違って橙は遠慮しないから、私はよくこの子に食べ物を分け与えている。
無条件に自分の食べ物を譲渡しようとするあたり、私もだいぶ橙にやられちゃってるんでしょうね。
仕方無いじゃない、だって可愛いんだもの。
藍が甘やかす気持ちがよくわかるわ。

「いいわよ、そんなにお腹も減ってないし半分あげるわ」
「いいんですか!?」

もう、そうやって無邪気に笑うから、私はなけなしの優しさを振る舞う事になるんじゃない。
半分とは言え、無償で分け与えるなんて藍や橙以外には絶対にやらないんだから。

「おねえちゃん大好きですっ」

そう言いながら、橙の耳が嬉しそうに揺れる。

「はいはい、あざといあざとい」

表情から、それが本気で言ってくれてることはわかってる。
これはただの照れ隠し。
そんな好意の塊みたいな言葉、素直に受け入れられるほど私は他人に好かれ慣れちゃいない。

「とか言いながら、ついついにやけちゃうおねえちゃんが私は本当に大好きなんです」

と言っても、照れ隠しもバレてるみたいだけどね。
実際には橙のが年上とは言え、年下におちょくられてる気がして納得がいかない。
見た目も言動も橙のが年下っぽいんだもん、あれで年上と思えだなんて無茶ぶりにも程あるわ。
ああ、なんて理不尽なのかしら。

「まだまだ食べられますけど、おねえちゃんの気持ちで随分とお腹が膨れた気がします」
「気持ちだけでお腹が膨れるなんて便利ね。
 なら今度から、気持ちを沢山込める代わりに橙に出す分は半分でいいわよね」

照れ隠しついでに、ちょっとしたいじわるを提案してみる。
しかし橙はまったく動じる様子はなく、余裕たっぷりに笑ってみせた。

「おねえちゃんの愛が篭ってるなら、それでもいいですよ?」

こういう時だけ年下っぽくないのよね、少しぐらい私の面子を立てなさいよ。

「……それは難しいからやっぱり全部あげるわ」
「えー、むしろわたしは最中よりおねえちゃんの想いが欲しいんですけど。
 こんなちっちゃな子が愛に飢えてるのにおねえちゃんは見捨てるんですか? それとも藍様がいるから私に与える気持ちは残っていないのでしょうか」
「こら、いちいち藍と比べないの」
「でもでも、おねえちゃんいつだって藍さまの事考えてるじゃないですか。
 ぼーっとしてる時はいつもそうです、私が傍に居たって藍さまのことばかり……」

橙はたびたび自分と藍を比較しようとする。
確かに私は藍と”それなりに”仲が良い。
でもプライベートで会えるのは冬だけだし、頻繁に神社を訪れる橙のがずっと独り占めしてると思うんだけど、それでも不満なのかしら。
二人に対する対応だってそんなに差をつけてるつもりは……たぶん、無いはずなんだけど。
基本的に藍って私より上手なのよね、橙が妹とするなら藍は姉っていうか、甘やかすより甘やかされる立場と言うか、だから完全に同じ扱いは無理なのよ。
要するに、扱いに差があるからって、気持ちに差があるわけじゃないってことを伝えたいんだけど。
……うーん、それってさすがに、恥ずかしいわよね。
遠回しとは言え、橙に”好き”って言えってことでしょう? そんなの、博麗霊夢にできる芸当じゃないわ。
けれど橙のことを考えるのなら、私が姉を名乗るのならそうするべきで。
自分のプライドを取るか、それとも橙の気持ちを取るか。
その二択、博麗霊夢なら選ぶのはもちろん――

「バカね、橙のことも藍と同じぐらい想ってるわよ」

――前者、だったはずなのになあ。
ああ、私ってばどうしちゃったのかしら、妖怪相手ならもっと非情になれたはずなのに。
小さくても妖怪は妖怪、悲しむから何だ、泣いたから何だ、って一蹴してこその博麗霊夢でしょう?
なのに、今の私にはそれが出来ない。
橙の笑顔を守るためなら、きっと命だって張ってみせる。

「好き、ってことです?」
「ええ……す、好きよ。橙のことも藍のことも同じぐらいね」

こんな言葉だって、恥じらいながらも言えてしまう。
だって本心なんだもの、それに言わないと橙が拗ねてしまうんだもの、仕方なくよ、仕方なく。

「えへー……おねえちゃんからそんな言葉が聞けるなんて、毎日通ってみるものです。
 わたしはとんだ幸せものですね」

橙は実に幸せそうに、にへらとだらしなく笑う。
そのまま溶けてしまいそうなほどに頬が緩んでいて、私も思わず釣られて微笑んでしまう。
何よこのハートフルなやりとりは。
巫女と妖怪が、しかも博麗神社でこんなやりとりをするなんて、許されていいのかしら。
それに、やけに胸が暖かいし。
何なのかしらこれ。妹を見守る姉の心境? 母性本能? それとも――ああもう、妖怪相手に私は何を考えてるのよっ!

「今度こそお腹いっぱいになっちゃいました」
「それはよござんした」

やたら恥ずかしくなって、ぶっきらぼうにそう言い放ち、頬杖を付きながらそっぽを向いてしまう。
けれど視界の端に写る橙の笑顔からはなぜか目が離せなくて、私の視線に気づいた橙はさらに花開くように笑ってみせた。



幸せだった。
一人じゃない日常が、たまらなく幸せで仕方なかった。
でも……こんなんだから、一人が余計に寂しくなるんだっての。



夕刻、橙が帰った後の神社は静まり返っていた。
こんな日に限って、いつも騒がしい私の親友は来なかったりする。
夕日は空虚感を煽る。胸の空白、その痛みを増幅させる。
だから私はオレンジ色に染まる空に背中を向けて、ちゃぶ台に突っ伏しながら夜が過ぎていくのを待っていた。
春雪異変以前は、ずっと一人だった。
異変の後も、冬以外は橙が神社に通うようになるまでは一人きりだった。
だから、そこまで静寂が苦手だったわけじゃない。
宴会のある日は例外として、それ以外は静かなのが当たり前だったから。
それが今じゃ……たったの一晩すら耐え切れなくなるぐらい弱くなっちゃって。
辺りが暗くなるだけで胸が痛くて、泣きそうになるぐらいなのよ、ほんと重傷だわ。
冬が来るまで心が満たされないことぐらいわかってるはずなのに、心は強引にその穴を埋めようとして別の場所から奪おうとする、なのに寂しさは消えなくて、余計に惨めになっていく。
だから胸が、こんなにも痛くなる。
だったら冬以外にも呼んでしまえばいい、いっそ三人で暮らせばいいって思うかもしれないけど、そうも行かない事情があった。
藍が冬にしか来ないのには、ちゃんとした理由があるんだから。



春雪異変以降、紫は私の前に頻繁に姿を現すようになった。
私を鍛えるためだとか、面倒を見るためだとか、色々と理由を付けてはいたけど、一番の理由はたぶん私の監視ためだと思ってる。
博麗の巫女として相応しい人間であるために、不用意にどちらか一方に傾いてしまわないよう、”正しい方向”へと導けるように常に監視して、時には自らの手で方向修正する。
操られているようでいい気分はしない、けれどあいつに敵わないことぐらい私にだってわかってるから、反抗はしなかった。

そんな紫も、冬になると冬眠と称して長い眠りについてしまう。
だからと言って私への監視の目を外すわけにもいかず、冬の間だけ紫の代わりに私を見張る式神が派遣されてきた。
それが、藍。
もちろん相手が誰だろうと監視されて良い気分になんかなるわけが無い、藍に対する第一印象は最悪だった。

出会ったばかりの頃の藍は、まるで作り物みたいに静かで、冷たくて、私が話しかけたって必要最低限の反応しか返してくれなかった。
異変の時はもっと饒舌だった気がしたんだけど、式神のイメージ通りと言えばその通りだったし、会話をするなと紫から命令されたのかもしれない。
下手に馴れ馴れしくされるよりはそっちの方が楽だったから、特に気にしたりはしない。
そのままお互いに不干渉のまま、ろくに会話も交さず二週間ほど時間が過ぎて、私は一つの疑問を抱くようになっていた。

藍は、ほぼ毎日神社にやってくる。
私も一応お茶だけは振る舞う、彼女も出されたお茶を拒んだりはしない。
そしてほぼ無言のまま一日を過ごし、日が暮れる頃に帰ってしまう。

紫のように神出鬼没に現れる事が出来ない彼女が、監視のために常に私の傍にいるってのは筋が通ってるようにも思える。
けど、そもそも紫の監視自体が常時ってわけじゃなかったのに、その代理である藍が常に私に付きまとう必要があるのかしら。
藍に理由を聞いても黙りこくって答えてくれないし、かといって文句を言ったって出て行ってくれるわけでもない。
式神とは言え主はあの紫、力ずくで追いだそうにも私の力じゃそれは不可能。
気に留めなければただの置物でしかないんだけど、一度気になりだすとどうにも落ち着かなくて、放っておけなくて。
何より私の質問を無視されたのがむかついたから、私はしつこく何度も何度も問いただした。
時には実力行使までして真実を知ろうとした。
もちろん実力行使と言っても戦いを挑んだわけじゃないわよ、ちょっとしたイタズラでちょっかいを出しただけ。
それが功を奏したのか、さすがの藍も今までと同じように無視を続けるわけにもいかなくなり、やがて彼女の仮面は少しずつ剥がれ始める。
お茶にわさびを混ぜて出すと、少し怒り気味で抗議してくるようになった。
見せつけるようにいなり寿司を食べていると、一個でいいからわけてくれと頼んでくるようになった。
気まぐれで二人分の夕食を用意してみると、最初は驚いて、そして少し笑いながらお礼を言ってくれた。
不思議な気分。
あれだけ嫌っていたはずなのに、血の通った反応を見ることが出来て、何故か私の胸は満足感に満たされている。
思えばあの時から、私は藍に惹かれていたのかもしれない。

藍が感情を見せるようになってからさらに二週間ほどが経ち、私たちは自然に同じ鍋を囲んでいた。
時にはお互いのことを話しながら、時には紫の愚痴を語らいながら、会話が弾む、箸も進む。
今なら聞けるかもしれないと思い、思い切って質問してみると、藍はあっさりと答えてくれた。

『紫様に必要以上の接触は避けるようにと命令されていたんだ。
 なのに、どうしてか……霊夢のことを見ていると、放っておけなくて。
 お前が強いのはわかっている。
 精神的にも、肉体的にも、博麗の巫女に必要な水準を満たしているだろう。
 けれど、私にも理由はわからないんだが、何故か見ていると不安で、心配で……ずっと傍で守っていたいと思ったんだ』

だから、毎日のように神社に通ってたんだってさ。

『大きなお世話よ』

無論これも照れ隠しで、本当は嬉しくて仕方なかった。
あれだけ嫌ってたくせに、ここで喜んでしまったものだから、私はもう”藍のことが嫌い”とは言えなくなってしまった。
さすがに恥ずかしくて、好きとは言えなかったけど。

あの頃の私、そんなに見てて不安だったのかしら。
一人で生きてても平気だったし、少なくとも今よりは強かったと思うんだけど。
まあ理由はともあれ、私たちの関係が始まったのはそれからだった。
藍にくっついて橙も神社に通うようになり、最初は人見知りしてた橙にもやたら懐かれるようになって、それに対抗するかのように藍も私に付きまとってきて、騒がしいのは嫌いだと気取ってた私も実は悪い気はしてなくて。
それが一年目の出来事。
私を変えた最初の冬。
人生の転換点。



それから先、冬を経るたびに私たちは距離を縮めていく。ただの他人と呼べなくなっていく。
心の変化はもちろん、物理的な距離の変化だってあったし、呼び方だって変わっていった。
橙が私をおねえちゃんと呼ぶようになったのが一番顕著な変化かな、最初に呼ばれた時はびっくりしたけど、同時にすっごく嬉しかったのを覚えている。
だって、本当の家族になったみたいじゃない。

藍や橙との関係は変わったけれど、私達が肩を寄せ合うのは他人の目が無いときだけ。
妖怪との家族ごっこなんて博麗の巫女にあるまじき行為、紫に見つかったら二度と藍と橙に会えなくなる可能性だってあったから。
寂しかったけど仕方なかったのよ。
二人が不用意に私に会いに来なかったのも、きっとそれをわかっていたからだろうし、私からも会いに来て欲しいと求めたりはしなかった。
仮に会いに来たとしても、それは紫のついで。
紫の隣に付き添って来た時に、バレないようにアイコンタクトしてみたり、微笑み合ってみたり。
これはこれで中々に恥ずかしいと思うんだけど、私たちに出来るコミュニケーションはそれぐらいしか無かった。
だから、無条件に触れ合える冬が待ち遠しくて、恋しくて。

橙が神社に通うようになったのは本当に最近のこと。
それまでは主に冬、たまにそれ以外の季節に遊びに来ることもあったけれど、それでも一ヶ月に一回とか、多くても二回ぐらいだった。
さすがに毎日会いに来てたんじゃ紫に怪しまれるんじゃないかと思ったんだけど、橙は藍の式であって、紫と直接の繋がりがあるわけじゃないんだってさ。
だからある程度は大丈夫とのこと。
けど、どうして急に毎日来るようになったのか、私は今日の今日まで解せないでいた。
その理由に目星が付いたのはついさっきのこと。
要は、藍に嫉妬してたわけよ。
二人の扱いの違いを時間の長さで埋めようとしてたと、たぶんそういうことだと思う。
可愛いんだから、ほんと。

でも、藍は橙のように気軽に会いに来れる立場ではない。
もし勝手に私に会いに来るようなことがあれば、直接繋がっている紫に知られてしまう可能性が高い。
式神が主の命令に逆らうなんてこと、あってはならない。
きっと最初の冬にに藍が私と喋れたのは、紫の命令が式の書き換えではなく、口頭での注意程度の物だったから。
紫が本気で藍を操っていたのなら、私たちは最初から会話を交わすことすら無かったんでしょうね。
本来なら会話すらタブーで、触れ合うなんてもってのほか。
そんな私達は、冬の季節限定とは言え家族ごっこをしている。
贅沢すぎる、望むことすらわがままだってことぐらい私だってわかってる。
けどね、だからこそ余計に寂しいのよ。
冬にしか会えないことがわかっているから、冬以外では寂しさを埋める方法が無いことを理解しているから、胸の痛みを我慢することしか出来ないの。

「わかってるのよ……どんなに寂しくったって、所詮は私の自滅でしかないの。
 冬が来るまで、藍ねぇが居ない分の寂しさは埋まらない、我慢するしか無いことぐらいわかってる」

静寂が苦しくて、ふと零した独り言は神社に寂しく響き、誰も反応なんてしてくれない。
か細い声は夜風に乗せられ、闇夜に溶けて消えていく。
結局、人間なんて最終的には一人で生きていくしか無い。
誰かに支えられて生きてたって、いずれ置いて行かれて、置いていって、いつまでも、永遠になんてありえない。
相手が妖怪なら尚更に。

「けど、泣きたいぐらい辛い時、耐えられないぐらい寂しい時、私はどうしたらいいのかしら」

わかってた、私にだっていずれ限界は訪れる。
だったら最初から一人に慣れておけば、誰かを支えになんてしなければ。
そう、思ってたのに。
私はそういう生き物だったはずなのに。
変えたのは誰だったかしら。
変えたくせに責任を取らないのはどこの誰かしら。
ほら私、こんなに寂しがってるわよ、泣きたいぐらい辛い思いをしているわよ。
無理だってわかってる。乙女だって見ないぐらい荒唐無稽な夢物語ってこともね。
でも、それでも――願うだけなら、代償も必要ないでしょう?

「すまない、霊夢がそんなに寂しがっているとは思わなかったんだ」

空虚を埋める柔らかな声が耳を撫でて、同時に私の体は優しい体温と柔らかさで包まれた。
一瞬、夢が質量を持ったのかと錯覚する。
すぐにそんな馬鹿げた現象の存在を一蹴して、私はその温もりが現実であることに気付いた。

「……へ?」

私はマヌケな声を漏らした。
その存在に気付いても尚、私はそれを現実だとは思えない。

「我慢できなかったのは霊夢だけじゃないってことだよ、私だって寂しかったんだ」
「う、そ……」

震える言葉と同時に、瞳から一滴の涙がこぼれ落ちた。

「嘘なんかじゃない、私はここにいるよ」

温もりが私の心を溶かして、流れ出た雫が頬を伝う。
いつもだったら絶対にこれぐらいじゃ泣いたりしないのに、泣くわけないのに。
なんで私、こんなにあっさりと涙なんて零してるんだろう。
ほんと、余計なお世話よ、なんてことしてくれるのよ。
せっかく一人で寂しさに耐えようとしていたのに、こんなに優しくされたら、私また弱くなっちゃうじゃない。

「じょ、冗談みたいにタイミング良すぎるのよっ! 何よそれ、ばっかじゃないの!?」

思わず罵倒してしまうぐらい、完璧だった。
絶対にありえないを起こしてしまうんだもの、涙の一つも溢れるってもんよ。
そうよね、そうでしょう? 決して私が弱いわけじゃない。
悪いのは、全部藍ねぇなんだからっ!

「謀ったわけではないんだがね」
「そっちのが余計にタチ悪いわよ、運命とでも言うつもり?」
「そこまで気障ったらしくはなれないが、霊夢がそう思うなら運命でもいいんじゃないか。
 運命か……うん、中々に良い響きだ、私は気に入ったよ」
「勝手に気に入らないで、あんたと運命で繋がってるなんて私はまっぴらごめんよ」
「だったらどう呼べばいいのかな、味気なく偶然とでも言ってしまうのはあまり好きじゃない」
「それは、私もやだ」

理性では拒絶しながら――いや、拒絶したフリをしながらも、私の本能は彼女を求めている。
心の底から、空いた穴を埋めてくれたことに感謝している。
理性なんて弱いもので、辛うじて表面上は理性が拒絶を装っているだけ、所詮それは薄氷よりも薄いヴェールに過ぎない。
冷静さなんてとっくの昔に捨ててしまっている、人間と妖怪の境界線はとうに踏み越えている。
紫の教え通り正しくあろうとした博麗の巫女としての私は、理性と一緒に過去という名のゴミ箱に放置して、そのまま振り返りもせずに進んできてしまった。
こんな場所まで、後戻り出来ない私まで。
せめて上っ面だけは博霊の巫女であろうとして、無理して被った布の仮面は虚勢と呼ぶ他無いほどのみじめさで。
だから、こんな風に強く感情が動くと、すぐにボロが出てしまう。
いや、そもそも仮面は穴だらけ、何もせずとも最初っからみんなわかってるのよ、隠せた気で居るのは私だけ。
知ってる、みんな知ってる、橙も、藍ねぇも。
私の本能が叫んでいることを、求めていることを。
藍ねぇが好き、大好き、会いたい、抱きしめて欲しい、って。
偶然なんて嫌だ、もっとロマンチックな方が良い、って。
恥じらいも見聞もなく、まるで夢見る少女のように。

「運命でもない、偶然でもない。
 私の願いが藍ねぇに届いた、きっとそういうことなのよ」

本当のバカは、たぶん私だと思う。
恥ずかしくないわけじゃない。
言いたかったわけでもない。
これが、こんな乙女じみた言葉が、私の意思であってたまるもんか。
虚勢はそう主張するけれど、これこそが本当の私だってことを私自身が一番良く知っている。
けれど認めてしまうと私が私で無くなってしまいそうで――ああ、違う、違うんだ、博麗霊夢なんて殻にもう意味は無い。
でも、無意味とわかっていても、それを剥ぎとってしまえば、それこそ軟体生物みたいに絡みついて際限なく藍ねぇに甘えてしまいそうで、一生離れられなくなりそうで、だから最後の一歩は踏み出せないでいる。
素直に、なりきれないでいる。

「ふふ、そっちのがよっぽど気障っぽく聞こえるのは気のせいかな」
「べ、別にいいじゃない、私の好みの問題なの!」

わざわざ言われなくたって知ってるっての。
意味は無いと知りながらも、藍ねぇの視線から逃げるようにしてうつむく。
私が赤くなってるの、たぶん体温で伝わってると思う。
それが直接見られるより恥ずかしくって、その羞恥心で私の体はますます熱を帯びていく。
それが藍ねぇをさらに喜ばせてしまったみたいで、彼女は声を弾ませながら私の耳元で囁いてくる。

「霊夢は相変わらず素直じゃないな、そこが可愛いんだけどね」
「藍ねぇは相変わらずいけすかないわ、このすけこまし」
「褒め言葉として受け取っておくよ」

私が天邪鬼かっての。
……。
……ああもう、そうよ、その通りよ! 私は天邪鬼ですよーだ!
藍ねぇの言うとおりこれは褒め言葉、私は藍ねぇのそういう所が割と……ううん、かなり好きだったりするの! 何よ、悪い!?
ふざけてるようで、からかっているようで、実は本当に私のことを心配して、大事にしてくれてる所とか、たまんなく好き。
橙とは正反対で――もちろん橙のことも好きよ、同じぐらい好き、でも形が違うのよ。
あの子は守ってあげたくなるっていうか、愛でてあげたくなるタイプ。
藍ねぇは守って欲しくなるタイプ。
だから愛でて欲しい、そのせいでつい甘えてしまう。
与えるか、与えられるか、そんな形の違う二つの愛情に囲まれて、私は嫌ってほど他人の温もりってやつを知ってしまった。
家族がどんな物で、通じ合うってのがどんな状態か、体に教えこまれてしまった。
記憶はその気になれば忘れられる、目を背けて見ないことも出来る。
けれど体に染み込んだ思い出はそうもいかない、どんなに拒んでも一生消えてくれない。

「でも、冬でも無いのに勝手に会いに来ていいの? 紫にバレたらただでは済まないんじゃ。
 今この一瞬に満たされるためだけに、今生の別れなんて絶対に嫌よ」
「ごめん、冬はもうすぐなのにどうしても我慢できなかったんだ。
 一応、今は紫様に監視されていないのは確認したんだがね、私があの方の目を完全に盗めるわけがない、うかつだったことは認めるよ」

それだけの危機感がありながらも、耐え切れなかった。
さらに、我慢の限界は私と同時に訪れた。
なによそれ、まるで私たちが同じぐらい想い合ってるみたいじゃない。
……すっごい嬉しいんだけど。

「気が済むまで抱きしめたらすぐに帰るから、それまでは許して欲しい」

そんな身勝手、私が許すと思うのかしら。

「好き勝手言っちゃってさ、私の気持ちは無視するんだ。
 例え藍ねぇの気が済んでも、私の気が済まなかったらどうするのよ、きっと冬まで我慢出来ないわ。
 そしたら、今度は私が藍のところに押しかけることになるんだから」
「それは、困るな。今度こそ言い逃れできない、紫様にバレてしまうじゃないか」

いっそバラしてしまおうかしら、そして橙と三人でランデブーなんていかが?
あいつから逃げられるとは思えないけど、どうにか外の世界にまで逃げられたのなら、ひょっとするとひょっとするかもしれないじゃない。
見知らぬ土地で生きていくのは大変でしょうけど、きっと私たち三人なら、どこに行ったって幸せよ。
なーんてね、本気で出来るとは思ってないけどさ。
私たちの関係にハッピーエンドが待っているとは思っちゃいない、きっと悲劇的な結末を迎えるんだろう。
だったら、せめて今だけは幸せでありたい。
不安も恐怖もある、でも今は少しだけ忘れて、抱きしめる藍ねぇの温もりを、冬まで覚えておけるように全身で感じていたい。

「それが嫌なら、私が良いって言うまで抱きしめてなさい」
「構わないが、以前と比べて霊夢はワガママになったね」
「だって、私は藍ねぇの妹なんだもの。
 姉は妹のワガママを聞くものよ?」

私が橙にそうしているように、ね。

きっと私にとっての藍ねぇは間違いなく本物の姉なんだと思う。
もちろん橙も本物の妹で、私たちは冬限定の本当の家族。
家族ごっこなんて言い方してたけど、ごっこ遊びにしては、この胸の高鳴りも、熱さも、全てが生々しすぎる。
二人がどう思ってるかは知らないけど、願わくば、私と同じように互いのことを家族だと思っていて欲しい。

藍ねぇは私を抱きしめてすぐ帰るつもりだったのか、しばし膝立ちの状態で私のことを抱きしめていた。
しかし、私からは逃げられないと悟ったのか、ようやく腰を下ろしてくれた。
もちろん私を抱きしめたままでね、一瞬でも離したら頬を膨らまして拗ねてやるつもりだったわ。
一緒に居るほどに紫にバレるリスクは高まるかもしれないけど、まだまだ秋を乗り越えられるまでは堪能出来てないのよ。
冬が来る前に禁断症状が出たら大変だし、こればっかりは仕方ないわよね。

「昔は橙におねえちゃんと呼ばれることすら嫌がっていた霊夢が、今じゃこんなに甘えんぼさんなんて一体誰が想像できただろうね」
「またそうやって私の羞恥心を煽ろうとするんだから」
「そんなつもりは無いよ、私はただ事実を言っているだけさ」
「その事実が恥ずかしいって言ってんのよ。
 良いじゃない別に、藍ねぇの甘やかし方がうますぎるのが悪いのよ」
「ふっ、それは褒めてくれてるのかな?
 ところで、開き直るついでに、そろそろみんなの前でも藍ねぇって呼んでくれてもいいと思うんだが」
「うっ、それはちょっと……」

どんなに心を開いても、超えられないハードルってあるものなのよね。

「霊夢が望んで呼び始めたんじゃないか、何なら橙と同じようにおねえちゃんって呼んでくれても構わないよ」
「無理無理、絶対無理! 藍ねぇって呼ぶだけでも恥ずかしいのにっ」

だったらなんで”藍ねぇ”なんて呼び方を始めたんだって話なんだけど、これには深そうで実は浅い理由があって。
私にとって藍ねぇは本当の姉みたいな物じゃない?
でもやっぱり本物の姉ではなくって、どんなに距離が近づいても、私たちは他人のまま。
それでもさ、私はできるだけ本当の姉妹に近づきたかったの。
家族を知らない私が、他人から姉妹になる方法なんて知っているわけがない。
そんな私がたどり着いた案が、呼び方を変えることだった。
橙が私のことを”おねえちゃん”と呼び出したのを参考にして、わかりやすい変化があれば、少しぐらいは本当の家族に近づけるんじゃないかって思ったの。
その結果、たどり着いたのが”藍ねぇ”って呼び方。
最初は橙に倣ってお姉ちゃんって呼ぶつもりだったんだけど、実際に鏡の前で何回か練習してみたら想像以上に恥ずかしくって。
しかも、それを橙に見られたもんだから、あえなく却下になったってわけ。
それからも何パターンか呼び方を考えてみたんだけど、一番しっくり来た……と言うか、一番恥ずかしくないのが、藍ねぇって呼び方だった。
でも今になって考えてみると、普通にお姉ちゃんって呼んだほうが恥ずかしくなかった気がしてくるわ。
慣れた以上、今じゃこれ以外の呼び方なんて考えらんないけど。

「霊夢が藍ねぇって呼ぶようになってくれた時、私は本当に嬉しかったんだ。
 身に余る栄誉だとは思ったがね、甘美すぎて拒絶なんてできなかったよ」
「私たちは対等よ、身に余るなんて言葉使わないで」
「わかってるよ、けどそれはあくまで私たち三人の間での話だろう。
 私は所詮ただの式神だ、そんな私が博霊の巫女と家族の契りを結ぶなどと、幻想郷の賢者様が黙っちゃいないさ」

少々の皮肉を込めて、藍ねぇはあえて賢者様という言い方をしてみせた。
紫にとっての幻想郷は、きっと私にとっての藍や橙みたいな物なんだと思う。
お互いに立場があって、守りたいものがあって、もしそれを害する物が現れたとしたら、排除するのは当然のこと。
紫は何も悪く無い、どちらかと言えば悪いのは私の方。
正義は紫にある。
あいつ、普段は飄々としてるくせに、やる時は容赦なくやっちゃうんだもんなあ。
百のために一を切ることを躊躇わない、だから私たちなんて、幻想郷を守るためならいとも容易く切り捨てられてしまうんだろう。
そうならないためにも、私たちは自分たちの関係をずっと隠してきた。

「紫って他のどの妖怪よりも私の安息を邪魔してる気がするわ……いっそ消してしまおうかしら」
「こらこら、師匠でもあり保護者でもあるんだから、そんな言い方はよしなさい」
「そりゃ藍ねぇにとっては目上の存在で尊敬の対象なんでしょうけど、私にとっては目の上のたんこぶなのよ。
 言うなれば、嫌味な姑って感じ?」
「となると私は妻かい?」
「っ!? ちょ、ちょっと何言ってるのよっ!」

出た、藍ねぇは平気でそういうこと言って、いつも私を戸惑わせるんだから。
ここに橙が居たら、膝の上でにやにやと笑っているに違いない。

「違ったか、それなら橙が妻……」
「ちーがーうっ! 藍ねぇは姉で、橙は妹なのっ、それ以上でもそれ以下でもないのよ!」
「姉妹でも十分に行き過ぎてると思うけどね、霊夢がそう言うならそういうことにしておこう。
 それに、姉妹と言っても私たちに血の繋がりはない、愛情を注ぐのを自重する必要だって無いんだからね」

そう言いながら、藍ねぇは私を抱きしめる腕に力を込め、さらに体を密着させる。
肌の柔らかさがじかに伝わってくる。
藍ねぇは……その、別に変な意味は無いんだけど、色々と柔らかい。
胸は大きいし、太ももだってむっちりしてるし、ほっぺたもふんわりしてて、とにかく抱かれ心地がいいのよ。

藍ねぇが私を抱きしめるのは今日に限った話じゃなくて、冬にうちで過ごしてる間は、これが定位置って言ってもいいぐらいに常に抱きしめてたりする。
橙は私の膝の上に座るか、膝枕で寝てるかのどっちかで、下顎を撫でてあげると本当に猫みたいにごろごろ鳴くの。
これがまた可愛いのよね、可愛いって言っちゃうとあの子調子に乗るから言わないけど。
藍ねぇ曰く、私はとても抱き心地が良いらしくて、橙曰く、私の太ももは極上で大好物らしい。
もちろん最初は、どんなに褒められたって拒否してたわよ、抱きしめられる理由も膝枕する理由も無いんだし。
それに、肌を触れ合わせるのが恥ずかしかったから。
みんなが抱く博麗霊夢のイメージって物もあるし、誰かに抱きしめられて、抱きしめて、デレデレに顔が緩んじゃうなんて、そんなの私らしくないじゃない。
博麗の巫女としての威厳もへったくれもありゃしないわ。
でも、強引に抱きしめられて、勢いに負けて膝枕をさせられて、何度も続けるうちに慣らされちゃって、じきに恥ずかしさは消えてしまった。
そうなると、残るのは心地よさ、幸福感だけ。
もう今となっては二人の温もり無しじゃ生きていけないぐらいで、むしろやってくれなかったら私から催促するほどに癖になっちゃってる。
今は膝の上の重みが無い分、いつもと比べてちょっとだけ物足りないけど、そこはいつもより過剰に甘ったるい空気でカバーってことで。
当然、来客が来た時は体を離すわ。
だけど魔理沙だけは、体を離した状態でも呆れたような顔をするのよね、ありゃ気付いてるんだろうな。
仕方ないことなんでしょうけど。
いくら姉妹で家族だったとしても、私たち仲良すぎるんだもの。

私は藍ねぇに強く抱きしめられて、手と手を重ねて、夕日も落ちて暗くなり始めた部屋の中で静かな時間を過ごす。
二人の呼吸音と、たまに聞こえてくる木々のざわめきだけを背景音に、私たちは心を満たし合う。
一人だった時の寂しさはどこへやら、ぽかりと胸に空いた穴はすっかり埋まっている。
辛い気持ちを消し去る方法はこんなに簡単なのに、私たちはどうしてそれが出来ない星の下に生まれてきてしまったのだろう。
私たちが特別でなければ、普通でさえあれば、耐えられないほど我慢する必要なんて無いはずなのに。

「もしも……私が博霊の巫女じゃなかったら、藍ねぇと橙が妖怪じゃなかったら、私たちはどうなってたのかしらね」

ふいに不安になって思わず問いかけてしまったけど、ちょっと女々しすぎたかしら。

「そうあればいいと、私も願ったことはあったかな。
 けどすぐに考えるのを辞めたよ、無駄だって気付いたからね」
「どうして無駄なの?」
「博麗の巫女と紫様の式神でなければ、私たちは出会っていないだろうから。
 どちらの条件も満たして、かつ幾度の偶然を超えて、それでようやく私たちは今の関係までこぎつけたんだ。
 試しに私たちが今の関係に至る確率を計算してみようか。
 きっと数えきれないぐらい零が並んで……それこそ運命とでも呼ばないと辻褄が合わなくなるだろうさ」
「運命かぁ」

私達の出会いの確率を計算するなんて、途方もなさ過ぎて、きっと聞いてもピンと来ないんでしょうね。
そう考えると、運命の一言で済ませた方が楽なのかも。
藍ねぇが運命って言葉を気に入っているのは、計算しなくても済むからだったりしてね。

「その言葉、ずいぶんと気に入ってるのね」
「お気に召さなかったかな。
 霊夢風に言うのなら、私も霊夢もそして橙も、全員がそう願ったからこそ引き合ったってことになるんだろうね。
 どちらにしても、出会いなんて物は超常的な力でも信じない限りはありえない可能性ばかりなんだ。
 だから、生まれが違えば――なんて仮定はお伽話よりも滑稽なものさ、歯車が一つ狂うだけで私たちはすれ違うというのに、生まれの違う私たちが今と同じように出会えるはずがない。
 ひょっとすると霊夢のこの髪が一厘でも短かかっただけで、私は君のことを抱きしめられなかったかもしれないんだよ? そんなの嫌だろう」

藍ねぇは、愛おしげに私の髪に触れる。
触られるのが嫌ってわけじゃないんだけど、そうも優しく触られると、その、色々とむず痒い。
確かに藍ねぇの言うとおり、抱きしめられる温もりも、髪に触れるこそばゆさも、この安らぎを手に入れられない世界なんて、想像したくもない。
けど、そんな屁理屈も、どうせ私に触れるための言い訳でしかないんでしょう?

「藍ねぇのそういう気障ったらしいところ、年々ひどくなってない?」
「それは霊夢との距離が縮まってるってことだよ」
「だからそういうっ……まあいいわ、きっといつまで経っても慣れない私が悪いのよ。
 橙の方にはずいぶんと慣れてきた気がするのに」

ドキドキしないって言うと嘘になるけれど、姉って言う立場が私に合ってるんでしょうね、橙を相手にしてる時は藍ねぇほど心を乱されないで済むわ。

「あの子は回りくどい真似が嫌いだからね、何でも自分の気持ちを真っ直ぐに伝えてくるんだ。
 そのやり方も人によっては有効なんだろうけど、どうも霊夢にはあまり効果はないみたいだね」
「それは遠回しに自分のやり方が効果的だって主張してるのよね……」
「実際そうだろう?」
「そうだけども、普通は本人の前で言わないでしょうが、そういうことは!」

わかってる、藍ねぇは私を恥ずかしがらせようとしてそういう言い方をしてるんだって。
それでまんまと顔を赤くする私が悪いんだろうけど。

「霊夢が恥ずかしがってくれるのが悪いんだよ、嫌だったらもっと可愛げの無い反応をしておくれ」
「出来るわけないじゃない、藍ねぇに心を開いちゃった時点でそんな器用な真似……とっくにできなくなってるわよ」

今の私にできることなんて、バレバレの照れ隠しをしながら、最後は照れ隠しさうらできなくなって、素直に自分の気持ちを伝えることぐらい。
誰にも心を開かない、どこまで行っても中立な博麗霊夢なんて、とっくの昔に消えてなくなっている。
今の私は、たやすく心に触れる事を許す、一人で生きることすら出来ない、ただのか弱い少女だ。

「霊夢は本当にかわいいな。
 君を私の妹に出てきたことは、間違いなく私の人生における一番の成果だよ」
「そう思うなら一生大事にしてよね、私も出来る限りしがみついて見せるから」
「ああ、言われなくてもそうするつもりさ」

まるでプロポーズでもするように私たちは一生を誓い合う。
その後、満足するまで触れ合うと、藍ねぇはあっさりと帰ってしまった。
別れが長引くと辛くなるからと、あえて「またね」の一言だけを交わして。
完全に満足出来たかと言われれば微妙な所で、数ヶ月も一緒に過ごせる冬に比べれば、数十分の蜜月なんて些細なもの。
部屋に一人取り残された私の心を食い散らそうと、暗い静寂がにじり寄る。
私は冬への期待で去来する寂しさを誤魔化しながら、深まる秋をやり過ごしてみせると心に誓うのだった。



翌日、私は再び倉庫の整理をしていた。
昨日でかなり片付けは進んだので、今年はこれぐらいでいいかと思っていたんだけど、あと数ヶ月で藍ねぇがやってくる事を考えると落ち着かなくなってしまった。
結果、気付いたら足が倉庫の方に向かっていたってわけ。
こんなの橙に見つかったら、昨日以上にからかわれて――

「やっぱり、おねえちゃんったらまた片付けしてるんですね」

ほれ見たことか、噂なんてするから。
最近は毎日来ていたし、そろそろ来る頃合いじゃないかとは思ってたんだけどね。
でも、今日ぐらいは空気を読んで予定を変えてくれてもよかったのに。

「藍様から聞きましたよ、昨日こっそり会いに行ったって。
 おねえちゃんが寂しくて泣いてたから、あやすのが大変だったらしいですね」
「ちょっと待って嘘よそんなのっ、私泣いてなんかないわよ!?」

手に持っていた小物を放り投げて、背後から話しかけてきた橙に抗議する。
案の定、橙はニヤニヤと笑いながらこちらを見ていて、ひと目でからかっていることがわかった。

「はい、うそです。
 泣きそうな顔はしてたって言ってましたけど」
「ずっと私の後ろに居たくせに表情なんてわかるわけないじゃない」
「やっぱり後ろから抱きしめていちゃいちゃしてたんですね、ずるいなあ。
 でも、横顔だったら後ろからでも意外と分かるって藍様言ってましたよ」
「そんな、まさか……」
「これはほんとです。
 藍さまは、耳まで真っ赤にして照れてるおねえちゃんの横顔を見るのが好きらしいですよ。
 私は正面が一番好きですけど」

どこで覚えてきたのか、両手の人差し指を親指で四角形を作ると、カメラのように私に向けてくる。
こんなみっともない顔を撮ったって愉快なことなんて無いでしょうに、何が楽しいんだか。
それにしても、本当に全部見られてたなんて、後ろからだったら多少は表情が隠れるから平気だと思ってたのに。
だとしたら、私のあんな表情も、そんな表情も、はたまたこんな表情も全部見られてたってことなの!?
ああ、そうよね、そういうことなのよね。
いや、まあ、藍ねぇにだったら……いい、かな。

「まんざらでも無いって顔してますね、どうせ藍様のこと思い出してるんでしょうけど、私のことなんてどうでもいいんでしょうけどー」
「拗ねないの、あんたは普段からお世辞を言い過ぎなの」
「お世辞じゃありません、本気なんですから!」
「本気だって言うんならもっと言葉を大切になさい、好き好き大好きって毎日言われてたらいい加減に慣れるわよ」

最初のうちは私も恥ずかしがってたんだけどね、それに味をしめて何度も繰り返すもんだから。
藍ねぇ相手にも慣れられればいいのに。

「むー、じゃあどうしたら私は藍様と同じぐらい好きになってもらえるんです?」
「昨日も言ったでしょう、橙のことも藍と同じぐらいに好きだって」

今以上好きになるなんて、これ以上孤独を私の弱点にするのはやめて欲しい。

「でもでもっ!」

橙は子供のように駄々をこねる。
昨日は素直に好きだって伝えたはずなのにね、しばらくは橙の嫉妬もあれで落ち着くと思ったんだけど。
藍ねぇが昨日の出来事を話しちゃったせいでまた爆発しちゃったってことかな。

「はぁ……仕方のない子ね」

子供をあやすように、少し腰を落として橙と目線を合わせ、出来る限り優しく語りかける。
でも、確かに橙の言うとおり、他人から見た私は、藍ねぇのことが好きなように見えたのかもしれない。
私は与えられた愛情に対して溢れる感情を隠し切れない、それは制御出来る物じゃない、思わずこぼれてしまうものなのだから。
一方で与える愛情は、私のさじ加減ひとつで自由に制御出来てしまう。
橙に対する愛情は、間違いなく藍へ向かう感情と同程度存在している、けれど私の羞恥心がその全てを表現することを許してはくれない。
結果的に、橙は藍ねぇほど自分が愛されていないと、そう勘違いしてしまった。
要は私の不注意、姉として気遣いが足りなかったってことなのよね。
橙と自分のプライド、どっちが大切かなんてわかりきってるじゃない、恥ずかしいからって愛情表現を躊躇ってる場合じゃないのよ。

「私は感情を表現するのが上手な方じゃないわ、橙みたいに思ったことをそのまま言葉にできるほど素直じゃないの」
「知ってます」
「だったら察してよ……って、妹にそんなこと期待する姉なんて、おねえちゃん失格よね。
 でもごめんね、やっぱり言葉じゃ昨日のが精一杯なの、藍に比べて私はダメなおねえちゃんなのよ」

橙のためなら、恥ずかしさなんて捨ててしまえる。
だけど私は、この想いの全てを表現できる都合のいい言葉を知らない。
せいぜい”好き”とか、頑張っても”愛してる”とか、私の限界なんてその程度。
けれどそれで足りないって言うんだもの、だったら――言葉以外を使って、全力で甘やかしてみせようじゃないの。

「だから……」

私にとって”姉”の見本が藍ねぇだって言うんなら、それを真似したらいい。
言葉でダメなら体でわからせてやる、なんてね。

「これだけじゃ、伝わらないかしら」
「にゃっ!?」

橙は、猫のように気の抜けた声を出しながら驚く。
体をびくんと振るわせて、尻尾がぴーんと天を向いた。
良いリアクションね、藍ねぇの真似して抱きしめた甲斐があったわ。

「好きよ、一番とか二番とかじゃ無くって、二人とも一番大事なの。
 心の底から、絶対に離したくないって思ってるわ」
「あぅ……その、えっと……」

歯の浮くような言葉を言える器用さはない。
陳腐な言葉を並べただけで、藍ねぇほど上手くは自分の気持ちを伝えられてはいないだろう。
だからこんな強引な手に頼らなければならない、不器用なやり方しか出来ない。
私は昨日の藍ねぇとのやり取りを思い出しつつ、橙の耳元で甘く囁いた。

「ごめんね、言葉じゃ今のが限界なの、だから抱きしめてみたんだけど……これで不満だって言うんなら、ちょっと私には難しいわね、姉ポイントを貯めて成長してくれるのを待ってくれないと」

橙の望む立派な姉になるなんて、何年後になることやら。
ごめんね橙、それまではきっと、何度も嫉妬させることになると思う。
その度に頑張ってみるから、だからずっと、あなたのおねえちゃんでいさせてね。

「大丈夫、です。十分わかりましたから」
「本当に?」
「うん、でも……」

橙は私の胸に顔を埋めたまま、くぐもった声で語りかける。

「ワガママ、言ってもいいですか?」
「言いなさい、妹らしくね」
「……しばらくの間、このままぎゅっとしてて欲しい」
「お安い御用よ」

なんなら一日中こうしていてもいい。
橙の小さな体は私の腕にすっぽりと収まって、少し高めの体温が秋風に冷まされた私の体を温めてくれる。
抱きしめられた時と同じぐらい心地よくて、同時にこの子を守らなきゃって強い使命感に駆られる。
妬ませて、苦しめてたのは私自身だってのに、何が守らなきゃ、だか。
いや、だからこそなのかな。
これからはそんな下らない理由で傷つかせたりはしない、ってさ。

「あの、ね。
 もっともっと、ワガママ言ってもいいですか?」
「いいわよ、今日はおねえちゃんが何でも聞いてあげる」

気の大きくなった私は、お願いの内容も聞かずに気軽に請け負ってしまう。
でも今なら本当に、橙のお願いなら命すら賭けてしまえそうな気がする。
私の返事を聞いた橙は胸に埋めていた顔を上げると、宝石のような澄んだ瞳をこちらに向けた。
上目遣いの潤んだ瞳、紅潮した頬、揺れる耳、安心し緩みきった口元。
以前、私は橙にあざといと言ったことがあったけれど――ああ、なんてことかしら、あんなの、この表情に比べればあざといの内にも入らなかったのね。

「ん……明日も、明後日も、またぎゅっとして欲しいです。
 そしたら、私もう……おねえちゃんの気持ちを疑ったりしないで済むと思いますから」

このお願いを断れる生き物がこの世に存在するのかしら。
明後日と言わず、来週、来月、来年……ううん、100年後だってお願いされたら、いいやお願いされなくたってその場で抱きしめてやる。
これはお仕置きだ。こんなにかわいい顔を見せて、私の心を奪い去ってしまった橙に対するお仕置きなんだから、拒否したってやめてやるもんか。

「お、お姉ちゃん、ちょっと苦しいよ……」

感情が昂りすぎてうまく言葉が出なかった。
気の利いた言葉はおろか、”うん、わかった”という単純明快な一言すら発せない、脳がパンクして思考を拒否している。
体中に満ちる橙への強い思いをどうにか発散しようと、私は思わずその体をぎゅーっと力強く抱きしめてしまった。
そうよね、この体格差で全力で抱きしめたら苦しいに決まってるわよね。
でもしばらくこうさせて、せめて、言葉が出てくるまでは。

「……っ。
 ごめんね、つい、気持ちが高ぶっちゃって」
「あはは、こういうのを痛いぐらいに気持ちが伝わるって言うんでしょうか。
 いいですよ、おねえちゃん。しばらくはこのまま、強く抱きしめていてください。
 私も幸せですから、ちょっと苦しいぐらいはいくらでも我慢できます」

ここは姉を立てる所でしょうに、急に年上っぽい反応されるとこっちが困るわ。
これじゃ、どっちが甘えてるのかわかったもんじゃない。



かくして、今年も秋は過ぎていく。
橙は、相変わらず毎日うちにやってくる。
今まで以上に私に甘えるようになった橙と、それをさらに甘やかす私の姿を見て、冬以外も魔理沙に呆れられる羽目になってしまった。
藍は、あれから本当に一度も姿を見せなかった。
紫が来ないのだからおつきの藍も来ないのは当然のこと、そのための秘密の逢引だったんだから、仕方ないわよね。
橙の存在が随分と私を救ってくれたけど、それでも寂しさはある。
冬以外も常に一緒にいたい、そう望む気持ちは際限なく膨らむ一方。
年月を経るごとに想いは強くなっていって、それに合わせて寂しさも強くなっていく。
おそらくいずれ、本当の意味で耐え切れなくなる日が来るのかもしれない。
いつまでも紫に隠しておくわけにもいかない。
私たちが何を選択するにせよ、三人が離れ離れになる終わりだけは避けなければならない。
例え博麗の巫女という地位を捨てることになっても、人間の理から外れても、幻想郷から離れることがあったとしても、それだけは、絶対に。



そして、冬がやってくる。

「おかえりなさいっ!」
「ただいま、霊夢」
「ただいまっ、おねえちゃん!」

また今年も、家族の時間が始まる――










「……と、言うわけなんだけど」
「あら素敵じゃない、祝福してあげましょうよ」
「幽々子、あんたわかってて言ってるでしょう」
「何が?」

紫はとぼける幽々子を睨みつける。
しかし幽々子は慣れたもので、視線を気にすることもなくみかんを頬張った。
季節はすっかり冬である。
外は一面の銀世界、とまではいかないものの、庭にある桜の木は薄っすらと雪化粧を纏っている。
部屋の中もすっかり冬の装いで、二人はこたつに足を突っ込みながら、対面して座っていた。
机の上にある浅めのカゴにはみかんが山盛りで積まれており、幽々子はすでに十個近くをたいらげているようだ。
紫も紫で、機嫌悪そうにしながらもすでに四個ほど食べているようである。
そう、季節は冬、外も冬なら中も冬、だというのに、この部屋には冬に相応しくない物が存在している。
八雲紫、その存在である。
本来なら、紫はすでに冬眠しているはずだった。
いや、世間的には冬眠していることになっている、実は彼女がまだ起きていることを知っているのは、幽々子と妖夢の二人だけであった。
橙はおろか藍すらも知らない、紫が白玉楼を訪れるまでは幽々子だって知らなかった。

「私にはわからないことばかりだわ、その三人の話に何の問題があるのかも、紫がどうしてまだ活動しているのかも、全部さっぱりよ」

幽々子は、紫がここを訪れた時にそれはもう驚いていた、「あらまあ」と一言言っただけだったので周囲からは驚いたようには見えなかったかもしれないが、実は心の底から驚いていたのである。
今年はもう紫に会えない、そう思っていた幽々子にとっては嬉しいサプライズであった。
しかし、紫がここに来てすでに一時間近くが経過しているが、紫がなぜここに来たのか、どうしてまだ冬眠していないのか、その理由を幽々子は解せないままでいる。
どうも紫は全てを話したつもりでいるようだが、普段は以心伝心な幽々子でさえもまだ理解できない。
幽々子の顔を見るなり、愚痴っぽい口調で藍、橙、そして霊夢の馴れ初めを話し始めた紫だったが、幽々子からしてみれば”だからなあに?”としか言いようが無い。
紫の話を要約すると、三人の仲が良い、友人と言うには少し行き過ぎている、ということである。
ただそれだけの、微笑ましいエピソードでしかない。
だが、どうも三人が仲良くしていることに対して紫は不満があるようで。

「藍ちゃんに霊夢ちゃんの監視を命令したのは紫なのよね?
 だったら、むしろ褒めてあげるべきじゃないかしら、上手くやれてるってことじゃない」
「幽々子、それ本気で言ってるの?」
「紫こそ何をそんなに怒っているのか私にはわからないわ、三人が仲良くなると不都合でもあるのかしら。
 それとも、博麗の巫女は中立でなければならないとか、そんな話?」
「そうよ、それよ!」

紫は机の上に乗り出しそうになりながら、声を荒げた。
その興奮度合いが幽々子にはとても不自然に見えて仕方がない。

「妖怪に心を許す霊夢もだけど、あれだけ口酸っぱく博麗の巫女に近づきすぎるなって言っておいたのに守れてない藍も酷いわ!」

博麗の巫女は幻想郷の秩序を守る存在、よって誰にも心を許すことなく常に中立でなければならない。
そんな話は聞き飽きるぐらい聞いてきたし、人間である霊夢が完全にその条件を満たせないことぐらい、紫だって承知しているはずなのだ。
その相手がよりによって自分の式神だったから、ここまで不機嫌になっているのだろうか。
どうやら藍は実際に命令破りをしているようで、それが紫の不機嫌の原因だと言うのなら全く納得出来ないわけでもないのだが、しかし相手は式神なのだから、命令するなり書き換えるなりして無かったことにしたらいいだけ。
だがそれをせず、わざわざ白玉楼に来て愚痴る紫の目的と言えば――幽々子には一つだけ、思い当たる節があった。

「ねえ、紫」
「どうしたの?」

幽々子は立ち上がると、無言で紫に近づく。

「え、なになに?」

戸惑う紫をよそに、幽々子はおもむろに両手を広げた。

「えいっ!」

そしてそのまま、腕で紫の頭を引き寄せて自らの胸に押し付ける。
「むごっ」とうめき声を漏らしながら、紫の顔が幽々子の豊満な胸に埋もれた。
幽々子の想像が当たっているのなら、おそらく紫は抵抗しないはずだ。

「ぶはっ……! ちょ、ちょっと、なによっ、なんなのよ急にっ!?」
「こうして欲しかったんじゃないの?」
「どこをどう読み取ったらそうなるのよー!」

予想通り、口では不服そうにしているけれど、やはり紫は自分から幽々子を引き剥がしたりはしない。
そもそも紫の能力があれば、抱きしめる前に脱出することだって出来たはずなのだ、まず無抵抗に抱きしめられた時点で結果はわかっていた。

「紫が本気を出せば簡単に解決できる問題じゃない、なのにどうして藍ちゃんや霊夢ちゃんを直接叱らずに私のところに来たのかを考えてみたの。
 そしたら、こうなってしまったのよ」
「さっぱりわかんないわ」

図星だったのか、紫は小さめの声でそう言うと、幽々子の胸に自分から顔をうずめた。
幽々子はそんな紫を見て慈愛に満ちた笑顔を浮かべる。
こう見えて紫は、実は結構な寂しがり屋だったりする。
藍を式神にしたのもそうだし、藍が橙を式神にすることを許したのだってそう、霊夢の前に姿を現したのだって元を正せば、紫が誰かとの繋がりに飢えていたから。

「紫は自分だけ仲間はずれにされたのが寂しかったのよね」
「そんな子供みたいな……」
「違う?」
「……」

紫にとってあの三人は、いわば家族のような存在だった。
彼女たちが紫をどう思っているかは別として。

「……あの子たちね、私を悪者扱いするのよ」
「ふふ、なるほど、それが嫌で拗ねてたのね。
 けれど……そうね、紫の立場からすると、あの子たちが今以上に仲良くなると困るんじゃないかしら」
「だから、気づいていないフリをしてきたの。
 藍ったら隠し通せてるつもりで居たみたいで、気づいてない演技をするのも大変だったわ」

少し考えればわかることだ。
この幻想郷において、八雲紫の目から逃げられるわけがない。
例え冬眠中だろうと――いや、むしろ身動きがとれない時だからこそさらに周到に備えておくべきなのだから、霊夢たちが冬にしか会わないからと言って、それで誤魔化せると思ったら大間違いなのだ。
橙に至ってはほぼ毎日会いに行っている、これで紫が気付かない方がおかしい。

「それで、紫はどうしたいの?」
「それは……やっぱり、間違っていることは正すべきだと、そう思うわ」
「本当にそう思ってるの?」
「幽々子ったら、見透かしたような言い方するのね」
「ふふん、伊達に長く付き合ってないわ」

幻想郷の秩序のために三人の仲を引き裂く、そうするのならそれでも構わないと幽々子は思っていた。
悲しい結末ではあるが、紫が選ぶのなら否定はしないし、その後落ち込むであろう紫を支える覚悟だってできている。

「ねえ紫、幻想郷のことなんて後回しにしちゃいましょうよ、人間が一人、妖怪が二人どうにかなった所で崩壊するような場所じゃないでしょう?
 今は、紫がどうしたいのか、個人的な気持ちを優先すべきよ」

だが白玉楼に来た時点でその選択肢は除外されているはずだ。
ならば、紫が選ぶことの出来る道は一つしかない。

「私は……」

紫は躊躇いがちに、おずおずと口を開く。

「私は、ね。あの子たちに、笑っていて欲しいの。
 藍も、橙も、霊夢も、三人でいる時は本当に幸せそうに笑ってて、本心から幸せな時ってあんな顔するんだって驚いたぐらいよ。
 あの三人の親みたいなものだって勝手に思ってた、何でも知ってるんだって自惚れてた。
 でも、全然だったわ。
 私なんかが傍に居たって本当の幸せなんて与えられっこない。
 きっとあれがあるべき姿なのよ、見てるだけですぐにわかったわ」

紫がここまで言うのだ、さぞ幸せそうに笑っていたのだろう。
長年連れ添ってきた紫ですら一度も見たことがないような笑顔を見て、それを無かったことに出来るほど紫は冷酷な妖怪ではない。

「本当は、全部話して欲しかったのかもしれないわ。
 三人の輪に入りたかったわけじゃなくて、それを見守る立場でも良い、全部わかった上で傍で見守っていたかったのよ。
 隠し事なんてしないで、だって私は親なんだから、三人一緒になって幸せになりたいって、そう言ってくれれば――」
「言ってくれれば、許してた?」
「……」

おそらく、紫は許さなかっただろう。
霊夢たちが紫に隠し続けたのは、決して無駄などではなかった。
今までは見逃していただけに過ぎない。
彼女たちがもっと露骨に、自らの欲望を我慢できなくなれば、紫でも見逃すわけにはいかなくなる。
どちらにせよ、いずれ限界は来るのだ。

「あなたが自分の意思で背負った使命感が、今では逆にあなたの意思を縛り付けているのね」
「違うわ、私はっ」
「きっとその使命感だって、最初は酷く利己的な理由だったはずよ。
 例えば、この幻想郷が自分にとって、あるいは自分の大切な人にとって都合のいい世界だったから、とかね。
 だからこそ幻想郷を守ろうと思ったんじゃないの?」
「それは、その」

幽々子とて、紫の全てを知っているわけではない。
どんなに立派な使命だろうと、壮大な夢だろうと、きっかけはいつだって些細なものだ。
一人の人間の死をきっかけにして、世界平和を望むことだってできるのだから。
幽々子は彼女が聖人でないことは知っている、無償で幻想郷のために身を捧げることなどできるわけがないのだ。

「傍に居る誰かを守るために背負った使命で、大切な誰かを不幸にするなんて、本末転倒だと思わない?
 困った時こそ原点回帰が必要なのよ、自分の意思を邪魔する不純物なんて無視しちゃいなさい、ね?」
「……もし、もしもよ、それで霊夢が不幸になったらどうするのよ。
 妖怪と人間の契りなんて、必ずしも幸せになるとは限らない、むしろ幸せになる可能性の方が低いわ。
 だったら、私が正しい方向に導いてあげた方がいいと思わない?」
「それは、私にはなんとも言えないわね」

確かに紫の言うとおりではある、悲惨な結末を迎えることだって少なくはない。
妖怪自身が自分の衝動を抑えきれなかったがゆえに、不幸な結末を迎えてしまったケースもある。
だが、ほとんどの場合は彼らの所属する集団の掟のせいであったり、あるいは妖怪を敵視する人間が原因であったりと、外的要因による物が多い。

「だけど、そう思うなら、紫が幸せにしてあげればいいんじゃないの?
 あの子たちを引き裂く敵が居るのなら倒してしまえばいい、人間たちが妖怪と愛し合う霊夢ちゃんを拒むのなら、あなたが受け入れてあげればいい。
 簡単なことじゃない、紫の力ならそれが出来るはずよ」

幻想郷を守るという使命とは相反する行いではある。
自分の家族を守る一方で、幻想郷を守るために引き裂かなければならない絆だってあるだろう。
そうなれば、紫は自己矛盾を抱えて生きていくことになる。
しかし、紫は親を自称するほどなのだ、自分の子供たちを引き裂く罪の重さに比べれば、その程度の自己矛盾、無いものと同じ。

「あとは、紫があの子たちを信じられるかどうかよ」
「そんなの今だって信じてるわ!」
「あらそう? じゃあ問題はなにもないわね、紫が許して、あの子たちは幸せになって、ほらハッピーエンド、大団円だわ」
「ぐっ……」

紫は反論出来ない。
三人のことを信じている、そう宣言してしまった以上、もはや道は一つしかないのだから。

「まだ納得出来ない、眠れないって言うのなら、気が済むまでここに来ると良いわ。
 悩んでいるなら諭してあげる、辛いなら慰めてあげる、苦しいなら抱きしめてあげる。
 結局、紫の中ではもう答えは決まっているのよ、それを認めるには紫の使命感が強すぎるだけ。
 昔からそうだもんね、真面目すぎるのよ紫は」
「幽々子が適当すぎるのよ」
「ふふふ、つまり出会ったのが私で良かったってことよね?」
「まったく、どうしてそういう結論に達するのかしら」

紫はため息を吐きながら幽々子から体を離す。
幽々子は少し名残惜しそうだったが、ようやくいつもの調子を取り戻した紫を見て安堵した。
どうやら、迷いは断ち切れたようだ。

「……これ以上、幽々子に迷惑かけるわけにもいかないわね。
 私、決めたわ。
 もしあの子たちが関係を認めて欲しいって言ってきたら、全部許すことにする。
 許して、その上で全力で応援するわ」
「ええ、それがいいわ。きっとみんな幸せになれるもの。
 あの子たちも、紫も、そして私もね」
「なんでそこに幽々子が入ってくるのよ」
「当然じゃない、紫の幸せは私の幸せなの、だから紫が悲しい顔をしてたら私が困るの、わかる?」
「初めて聞いたわ、じゃあこれからはもっと笑うようにしないとね」
「そうそう、紫は笑顔が一番素敵なんだから」

幽々子の言葉を聞いて、紫はほんのり頬を桜色に染めながらはにかんだ。
二人はいつもこうだった。
幽々子の言うとおり、紫は真面目で頑固で、一つの考えに固執しすぎるあまり失敗することがある。
だが幽々子はその逆で、常にふわふわと、掴みどころのない性格をしていた。
二人はお互いに救い、救われながら、今日まで支えあってきたのである。

「さてと、悩みも消えたことだし、そろそろ眠ろうかしら」
「あらあら、寂しくなるわね」
「毎度のことでしょう、それに目を覚ましたら真っ先に会いに来てるじゃない」
「冬が寂しいのに変わりはないわ、私も冬眠と称してずっと布団に潜り込んでいようかしら」
「妖夢ちゃんにこれ以上迷惑をかけないようにしなさいよ」

寂しいと言いながら、幽々子は変わらずのん気だ。
なぜなら、彼女は紫が眠るまで悲しい顔はしないと決めているからだ。
冬の間眠り続ける紫が、せめていい夢を見られるように、と。

「じゃあね、おやすみ。
 また次の春に会いましょう」
「おやすみなさい、紫。
 あなたの温もりが私の雪を解かしてくれるのを待ってるわ」

別れ際、二人はお互いの頬に口づけを交わし微笑み合う。
そして、紫は隙間の向こうに消えていった。

決意を新たにした彼女に、不安はもう無かった。
次に目を覚ました時、春の訪れと共に、新たな日常がやってくる、そんな予感がする。
変わることへの恐怖は、無いといえば嘘になる。
今までは不安の方が上回っていた、だから紫は臆病に、強引に、三人の関係を終わらせようとしていたのだ。
大きな不幸を避けるために、また別の不幸を背負おうとしていた。
それがどんなに愚かな行いだったか、紫は幽々子に思い知らされた。
全てを解決するたった一言を、すでに知っていたはずなのに。
ひたすらに、信じる。
自らの子供たちを信じる、ただそれだけで、こんなにも気持ちは楽になる、怖いものなどもう何もない。
今年の冬眠は、いつになく幸せな夢が見られそうだ――





――しかし、紫の決意など本人と幽々子以外が知る由もなく。
翌年の春、霊夢たちは駆け落ちを企て、紫は子供のように泣きじゃくりながら三人を説得する羽目になるのだが、それはまた別の話である。
藍ねぇか藍ねえちゃんかで悩みましたが、後者だと殺人が起きそうだったのでやめました


12/10追記
誤字指摘ありがとうございます、なるでゅおって何だこの誤字……。
kiki
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コメント



0.400簡易評価
4.80名前が無い程度の能力削除
姉さん派
しかしケモナープラス姉妹丼(?)とは…霊夢のレベルの高さよ
5.80奇声を発する程度の能力削除
良かったです
6.100暇神削除
藍霊夢までは見たがそこに橙が妹属性で割り込むとか
なにこれかわいすぎ。

「なるでゅお」➡「なるほど」?
8.100絶望を司る程度の能力削除
すっごく良かったです。
9.100隙間男削除
紫様(´・ω・`)カワイソス
11.100名前が無い程度の能力削除
みんなかわいすぎかと