宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーン──〈秘封倶楽部〉のふたりは蛇に睨まれた蛙だった。
突然のことに硬直してしまっていた。思考も、体も。
吸血鬼……否、蝙蝠型ロボットがこちらに対してじろじろと視線を投げてくる。
「蓮子……」
メリーの囁くように小さく震えた声が耳に届いた。しっかりしろ、と蓮子はそこでようやく金縛りから解放された。
「さっきも言ったように、メリーは下がってて」
「……わかった」
まず蓮子はメリーの安全を確保することを優先した。メリーは蓮子の言葉に苦い顔でうなずき、建物と建物に挟まれた窮屈な路地裏から離れる。彼女は蓮子とは違い、戦闘能力がほぼ皆無と言っていい。
現実世界においては無力であり、蓮子の足を引っ張るであろうことをメリー自身もよくわかっていた。
「……」
蓮子はもう一度身構える。この蝙蝠ロボットに対してどのように戦うべきか……様子を探りながら黙考する。
しかしそんな彼女を余所に、ロボットは思いがけない言葉を呟いた。
「怪我はないか」
「……な」
そいつは、男の声を発してこちらの身を案じてきたのだ。
蓮子は言葉を詰まらせるが、なんとか「怪我は、ないわよ。それよりも聞きたいことがあるわ……おまえの目的はなにかしら?」と吐き出す。
「私は……私に与えられた任務は正義の執行。悪を抹消するため私は活動している。私は正義の執行人〈ヴラド〉だ」
蝙蝠ロボットは……〈ヴラド〉と名乗った。その〈ヴラド〉の口から出たのはロボット特有の、淡々とした感情の篭っていない声。それはいい。しかし、〈ヴラド〉はある単語を口にしている。
──正義と、悪。
あまりにも抽象的で形のない脆い概念的単語。おおよそ、ロボットの言う言葉ではない。いや、命じられたプログラムに忠実に働くロボットだからこそか?
そういえば小鈴を始めとした目撃者は吸血鬼に助けられたと証言した。それはこういうことか……。こいつは敵ではない? 人間に無害なのか? 蓮子は思考を巡らせる。しかし……しかしだ……こいつがやって来た行いは……。そうして、ひとつの結論に至る。
「あなたがどんなに正義のために行動しても正義を語っても……あなたは殺しを躊躇わない」蓮子は怒りを混じらせた声を吐き出す。「世の中の悪を正すつもりでも……あなたが殺めた人間の中には、まだやり直せるはずの少年少女たちもいたわ」
〈ヴラド〉の、まるで本物の獣のような作り物の顔からは表情を窺うことはできない。
「どんなにあなたにとって悪として認識されるものでも……子供たちの未来を、かけがえのない命ごと殺すのは間違っている! ロボットに人を裁く権利なんてない! 間違ったことをプログラムされたあなたは……この社会にいてはならないのよ!」
蓮子は一気に感情をぶちまけると同時に、〈ヴラド〉めがけて飛びかかった。
至近距離に着地、それと同時に右拳を頬めがけて滑り込ませる。〈ヴラド〉はそれを身体を反らしてかわす。続けて蓮子は左のアッパーを腹部へ。〈ヴラド〉は右手でいなし、一旦距離をとるため地面を蹴って後方へ軽々と飛ぶ。
そして蓮子へと射抜くような鋭い視線を向ける。蓮子は目を逸らすことなく、むしろ睨み返した。
「保護対象を排除対象に変更。……スキャン完了。敵タイプは戦闘サイボーグ。脅威レベルは四。正義のためにこれをデリートする」
「デリートされるのはあなたよ!」
蓮子はその場にしゃがみ込み、立ち膝姿勢に。そして帽子の鍔に指をかけて目深に被り直し、もう一方の手はスカートの下へと潜らせる。彼女が取り出したのはオートマチック拳銃〈天津妖鳥〉。彼女はスカート下のベルトにこの銃を吊るして隠し持っているのだ。
射撃用ソフト〈天空アーミー〉は起動済み。蓮子は起き上がり、素早く「C.A.R System」の構えをとって照準を合わせ、躊躇わずに銃口から弾丸を一気に四発速射する。
〈天空アーミー〉はとある熱血漢の優秀な軍人の射撃能力を使用者に投影させることのできるソフトウェア。そして〈天津妖鳥〉は〈ルナティック・インダストリ〉が製造する白塗りのハンドガンだ。
〈天津妖鳥〉──口径九ミリのダブルアクション。蓮子はこの銃をスポンサーである〈ルナティック・インダストリ〉から支給され、好んで使っている。
命中! 命中! 命中! 三発が〈ヴラド〉の分厚い胸板に炸裂し、たまらず後ずる。しかし……四発目は野球ボールをキャッチするかのように受け止められてしまう。そして〈ヴラド〉は低空を飛んで蓮子へと肉迫する。
「ち……!」
一瞬、五発目を撃つか迷う。その一瞬がミスとなった。すでに〈ヴラド〉は目と鼻の先ほどの至近距離を獲得していた。
蝙蝠ロボットならではの鋭い爪が蓮子の細い喉を狙う。蓮子はほぼ反射的な緊急回避でこれを半身になって避ける。だが続いて〈ヴラド〉の前蹴りが腹部に滑り込んだ。
「がっ……」
先の判断遅れが仇となって二撃目はかわせない。蓮子は蹴飛ばされ、地面をボールのように転がった。
蝙蝠ロボットは追撃せんと羽根を広げて襲いかかる。
「やられるかっ!」
蓮子は倒れた身体を起こさず、仰向けの状態で蝙蝠を迎え撃つ。右脚、左脚を連続して持ち上げて〈ヴラド〉に反撃をくらわせる。〈ヴラド〉が負けじと蹴りを叩き込もうとするも、蓮子はごろごろと転がって回避してのける。
蓮子が行うのは地身尚拳と呼ばれるものだ。たとえ倒れた状態でも、巧みに相手の攻撃を避け、反撃に転じることもできる。
そして僅かな隙を見つけると、蓮子はすぐさま起き上がり、ロボットの懐へと背中から潜り込み体当たり。八極拳のひとつ、靠撃をぶち当てる。
衝撃にたたらを踏む〈ヴラド〉。攻守交代。こんどは蓮子が攻める。低空ジャンプから勢いを乗せたパンチで蝙蝠の顔を叩く。続いて逆の拳でボディブロー。体勢を立て直すこともままならない〈ヴラド〉に、容赦なく膝蹴りを鳩尾に喰らわせる。〈ヴラド〉はぎぃと悲鳴を上げてそのままうつ伏せに倒れる。
そんな蝙蝠ロボットめがけ蓮子はさらに追い討ちをかけようとする。ヤツを戦闘不能にし、にとりの下へと突き出すために。
蓮子は〈天津妖鳥〉を再び構え、頭部に狙いをつけて引き金を引いた。──その瞬間!
〈ヴラド〉は腕の力だけで身体を跳ね上がらせたのだ。撃った銃弾は虚しくコンクリートにめり込む。蓮子は唖然としながら顔を上げる……〈ヴラド〉は彼女の真上に! 急いで回避を試みようとするも間に合わない!
「……!」
〈ヴラド〉は蓮子にのしかかり、コンクリートに叩きつけて押し倒す。そしてそのまま手と足の鋭い爪を彼女の肩に腹に立てて組みついた。万力に挟み込まれたような信じ難い怪力に蓮子は逃れることができない。
まずい。蓮子は脱出の方法を必死に考えながら、にとりに渡された資料に記されていたこの蝙蝠ロボットの兵装を思い出していた。
このロボットが搭載する、まだ正式採用されていない兵装……超高音波によって機械の電子回路を狂わせる能力……。
ロボットが牙を並べた口を開いた。噛みつかれる? 違う。まず無力化させる気なのだ。──先ほどの違法サイボーグ男があまりにもあっけなくやられたように。
「──っ!」
蓮子は声にならない悲鳴を上げた。頭が割れる。身体がばりばりと裂けてしまうかのような感覚。全身の機械群が軋み、そのまま爆ぜてしまいそうな激痛と不快感。〈ヴラド〉が口内から超高音波を発して蓮子を苦しめているのだ。
このロボットが発する音波は、体の機械群、電子回路に響き、脳が受け入れ難い異音として処理する。そして、その伝わった音がまるでウイルスのように体中にかけ回り、電子回路をショートさせ機械群を暴走させ、体を苛むことになる。
蓮子は必死に途切れそうになる意識を手繰り寄せる。だがいつまでも耐えられるわけがない……〈ヴラド〉はトドメを刺さんと顎をがっと開いて電磁牙を覗かせる。噛みつかれる……!
──そのときだった。蓮子とロボットのいる路地裏両脇の建物が、一斉に光を発したのは。建物のすべての電灯が灯ったのだ。
「ぐうっ!」
あまりにも突然に眩しい光に襲われたロボットは悲鳴を上げた。突然の事態に対応することができず、視界がやられたようだった。
このことにより、蓮子を掴んでいた手足の力が緩み、音波も途切れた。蓮子はこの隙を逃すまいと行動に出た。
「やああっ!」
気迫とともに巴投げで〈ヴラド〉を投げ飛ばす。〈ヴラド〉は無様に地面に叩きつけられる。そんな〈ヴラド〉へ蓮子は容赦なく追撃に出る。まだ苦痛の残る身体に鞭打って!
仰向けに倒れる〈ヴラド〉を掴み上げ、勢いよく建物の壁に叩きつける。壁に蜘蛛の巣のようなヒビが走った。
「ググ……」
抵抗しようとする蝙蝠をまるでサンドバッグのようになんども殴りつける。
右のブロー、左のアッパー、回転して勢いを乗せた右の肘打ち、左の貫手を斜め上に繰り出して装甲を抉り、返す刀での手刀を振り下ろす! たちまち〈ヴラド〉の胸部が切り裂かれ、内部が露出した。そしてとどめの……弓を引き絞るかのように力を溜め込んだ最大威力の正拳突きが胸部へと叩き込まれる!
この激しい連撃にロボットはダウン、糸の切れた人形のようにばたりと倒れた……。
「……」
蓮子はその場にへたり込んだ。ここまで厳しい戦いは彼女にとって初めてだった。幾度かロボットや戦闘サイボーグとの戦闘は経験してはいるが、今回のロボットはそれまでのとは別だったのだ。
だが、きっと先代もこれぐらい……これ以上の危機に遭い、乗り越えてきたに違いない。ここで弱ってなんとするか。蓮子はゆっくりと立ち上がった。
「蓮子!」
そこに駆けつけたのはメリー。心配そうに蓮子を見つめる。
「大丈夫よ、私はこの通り……って説得力ないか……まぁ生きてるから平気よ」
「それ平気って言わないじゃないっ」
「まぁまぁ……それよりもメリー。あなたがここの建物にライトを?」
話を変えられたことに不満そうにしながらも彼女はうなずく。
「私がここの建物のブレーカーにハッキングして全点灯させたの。資料にあったでしょ? 想定量をはるかに越える光量を受けると視覚がやられるって」
このロボットは、強襲ロボットとしての夜間運用を前提として設計されている。そのため、耐えられる光量には限度があるのだ。
「ありがと、メリー。あなたがいなければ私はお陀仏だったわ」
蓮子は嬉しそうに、だが申し訳なさそうにも見える表情でメリーに礼を言った。
「現代の〈秘封倶楽部〉も、今は私とあなたのコンビなんだから……無茶はしないでよ? ……戦闘では力になれなくたって、私には私のやり方があるんだから」
メリーも自分が現実世界では戦えないことはわかっていたことだった。だが、それでも今の自分は〈秘封倶楽部〉の一員で、蓮子の相棒だ。なにか別の役割を担っているときならともかく、今この状況で、自分がなにもしないわけにはいかなかった。
だから、こうして自分の得意分野で立ち回った。それが結果として、蓮子を救うことができたのだ。
蓮子はまた思う。先代の祖母もその相棒藤原妹紅のコンビも…….こうして互いに助け合ったのだろうと。
蓮子はメリーに対する感謝の念を強く抱くと同時に、相棒という存在の心強さと有り難さを噛み締めた。
メリーも同じようなことを思い、蓮子を相棒としてしっかりサポートしていくことを誓っていた。
「……とりあえず、こいつを運ばないとねぇ」
蓮子とメリーは活動停止した蝙蝠ロボット、〈ヴラド〉を見下ろした。
「ねぇメリー、ちょっといい?」
「どうしたの?」
「この蝙蝠ロボットのメモリーにアクセスしてもらたいんだけど……いいかしら」
メリーの首の後ろ、生体LANケーブルが備えられた部位を指差して蓮子が言った。
「……今やらなくてもいいんじゃないの?」
「それもそうなんだけどね……引っかかるのよ。こんな戦闘用ロボットにどうしてこんな知能というか……正義感? が植えつけられてるのか。兵器としては邪魔なプログラミングのような気がするの」
「邪魔……って。ただこいつを使用する側を正義と見立てて、敵側を悪としてるだけじゃない?」
メリーは難しい顔をして蝙蝠ロボット〈ヴラド〉に視線を向ける。
「でも……やっぱり変よ。兵器として使うロボットにそんなものを与えるなんて。ね、お願いよ、メリー。こいつをにとりさんに譲渡したらこのロボットの真実を調べられない」そしてさらに付け加える。「それに、こういった不可思議を解き明かすのが〈秘封倶楽部〉なんだもの」
その発言にメリーはなるほど、という顔を作った。
「……わかったわ。調べてみる」
メリーはすぐに首筋のケーブルを〈ヴラド〉の首筋に接続する。
「……」
メリーは神妙な面持ちのままじっと動かない。〈ヴラド〉の電子頭脳の記憶保存領域からデータを汲み取っているのだ。蓮子はそれを黙って見つめる。
数分すると、メリーの表情に変化が見られた。驚いている。蓮子はひどく気になったが、その理由を尋ねて、メリーの邪魔をする訳にはいかないのでもどかしく思いながら静観を続ける。
「……ん?」
蓮子の視線がメリーから〈ヴラド〉に移った。気のせいか? 彼女は、今さっき、このロボットがぴくりと動いたように見えたのだ。いや、しかし……。
「──ぐ」
こんどは間違いではなかった。
『メリー! プラグアウトして!』
蓮子はすぐにメリーへ電脳通信を送りつけた。そこからは一瞬の出来事だった。
メリーははっと現実世界へと意識を戻し、すぐさまケーブルを引き抜いて、蓮子の手を借りて〈ヴラド〉から離れる。その直後、〈ヴラド〉がビデオ映像の逆再生のような動きで起き上がり、飛び上がった。そうして、夜の暗黒の中に呑み込まれて行った。
「ごめん、蓮子……あのロボットが」
せっかく無力化できたターゲットをみすみす取り逃してしまったことを申し訳なく詫びるメリー。だが蓮子はかぶりを振った。
「大丈夫よ、メリーが無事なら。それに私が無理言って頼んだことなんだし……。ごめんね、メリー」
「……うん。大丈夫。平気」
「まぁその……被害が広がる前にもう一回捕まえればいいのよ。こんどは万全の状態で、ね。あいつも手負いだし……すぐには破壊活動に出向けないはずよ。──それで、メリー。なにを掴んだの?」
問いかける蓮子の射抜くような鋭い目に、メリーも真剣な目つきで返す。
「ええ。それは──」
****
「なんだい、話って」
翌日、〈秘封倶楽部〉の応接室には河城にとりが呼び出されていた。
その表情はどこか落ち着かない様子だった。よほど世間を騒がせてるロボットが気になるのだろう。
メリーは蓮子と目配せしてから口火を切る。
「まずは依頼の進捗ね。昨夜その蝙蝠ロボット〈ヴラド〉に遭遇したわ。けれど、取り逃してしまったの。いちど無力化したのだけど……その後再起動してしまって」
「……なんでさ。破壊したならともかく、無力化したなら再起動する危険性を鑑みて、余裕があるうちに……」
憤慨した様子でまくし立てるにとり。メリーは怖気ずに話の続きをした。
「待ってください、にとりさん。確かに、あなたの仰ることは最もです。私があのロボット〈ヴラド〉を連れ帰る前にメモリーにプラグイン、アクセスしたせいですから」
「メモリーに、プラグイン? いったいどうしてそんなこと……」
「〈ヴラド〉は元々蝙蝠型の戦闘アンドロイドではなかった──」
にとりの怒声を遮って、メリーが突き止めた事実を告げると、彼女は硬直した。
「私は、視たんです。あの〈ヴラド〉の記憶を。あなたが設計に携わったアンドロイド。あなたは〈ヴラド〉に……」
「やめてくれ!」
突然張り上げたにとりの叫びにメリーはびくりとした。が、その後すぐににとりは落ち着いて「……ごめん」と謝った。
「予想してなかった展開だけど……知られちゃしかたないな」
「話してもらえるかしら」メリーから蓮子にバトンタッチして事情聴取が始まる。「あのアンドロイドの正体。そしてあなたとの関係を」
にとりはこくりとうなずいて、深呼吸をひとつ。それから口を開いた。
「〈ヴラド〉は元々、私が研究していた、初めて人間と大差ない……いいや、ほぼ同じの感情を持ったアンドロイドとして作られるはずだったんだ。その際になにより重視したのは、良心──つまり優しさだった。善悪を自分で判断し、人との接し方を自分で思考する……」
メリーはその話から、あの〈ヴラド〉が正義を重要視していたことを思い出した。
「完成すれば〈ポロロッカ・エンジニアリング〉の主力製品として……人間のパートナーにもなり、福祉も行えるアンドロイド、ガイノイドを続々量産し、大々的に売り出すつもりだったんだ。私はその試作機の開発を担う主任として携わった。善悪を判断する〈ココロプログラム〉の調整には特に熱を上げたよ」
語るにとりの声は高揚していた。そのときの楽しさが伝わってくる。
──いいかい。おまえは人間と同じ、暖かい優しさを持った世界初のロボットになれるよ。
──優しさ……。
──そう! 人を守るんだ。たくさんの人を、恐怖や悪からね。思いやりを持って人に接して……誰も傷つかない世界に、きっとおまえが必要になるよ。
──誰も傷つかない。人を守る。恐怖、悪、思いやり。……覚えた。
──へへへ……。いやぁ、楽しみだなぁ。たくさんの人が、おまえに、開発者の私に感謝してくれるのが! いくら儲かっちゃうかな……あ、いやいやうそうそ。
──にとりは、嬉しいのか……。
──え?
──私が人のために活躍できるのは。
──もちろん! おまえは私の子供みたいなもんだしな。子供の活躍を喜ばない親なんていないんだぞ!
──わかった。必ず。必ず人のために働こう。
「その後の試験運用のときだった。感情プログラムを処理しきれずに暴走したのは。完成したと思っていた……けれど、いざ複雑な環境に場面に直面すれば〈ココロプログラム〉が対応しきれないことが発覚したのは。
計画は白紙になった。あいつは廃棄されることになった。だけど、私は必死に食い下がった……そしたら、戦闘用ロボットにモデルチェンジすれば廃棄を取り下げると言われたんだ。機体自体の性能は高いから、そっち方面でのニーズもあったってわけさ。
私は我が子を守る想いでやむなく〈ココロプログラム〉を書き換えた。思考をワンパターンにしてね。その結果、攻撃対象を悪と認識させることで爆発的な攻撃性と破壊力を弾き出す凶暴なAIに様変わりし……〈ヴラド〉というコードネームの試作兵器として改修された。あとは、知っての通りだよ。今のあいつは現在の管理者の命令を正義と信じて行動してる……私の教えたことを忘れて……いや、履き違えているだけなのかな」
全て……隠していた真実と溜め込んでいた悲痛な叫びともども全て喋りきって、にとりはひどく疲れた様子だった。
メリーは気遣って、冷蔵庫からペットボトルの水をガラスのコップに注ぎ、それを差し出した。受け取ったにとりは「さんきゅ」と小さい声でつぶやいてから一気に呷った。
ふぅ、と息を吐いてから「それで、どうするんだい?」と、にとりは蓮子に問いかけた。少し回復できたようだ。だがまだ表情は暗い。
「取り逃したあいつをもう一回探すのは骨が折れるんじゃないかな」
「それなら問題ないわ」蓮子はにやりとした。「ねぇ、メリー?」
「あのとき、メモリーにアクセスしたときに〈ヴラド〉の潜伏先も視たのよ。そこには〈ヴラド〉を奪取したヤツ……女の研究員だったわ。にとりさんの同僚かしら? そいつもいたわ」
「というわけで。そこにあと三時間後には乗り込むわ。日が暮れないうちに、ね」
「……大したもんだなぁ」
蓮子とメリーは互いに見合って笑った。出会ってまだ一日というのに、ふたりの絆は強まるばかりだ。
「あぁ、そうだにとりさん」
「ん……なんだい」
「〈ヴラド〉のあの、超高音波兵器なんだけど……」
蓮子とにとりは顔を近づけて話し合う。メリーはそれを眺めるが、あまりよくわからない。聞いたことがあるような単語が聞こえるが、それだけだった。おそらくは、あの〈ヴラド〉に対する作戦なのだろう。
「なるほどね。きっと通用するよ」
「オーケー! これで安心ね。さっそくアプリケーションをダウンロードしないと」
言うと、蓮子はUNIXに生体LANケーブルを繋ぐと、ネットからなにかをダウンロードし始めた。
「蓮子?」
「ふっふっふっ。これで私は一流ブルース歌手も目じゃないわ。音楽家としてもプロの演奏力、どんな楽器の音も鳴らしちゃうわよー」
おそらくはミュージックアプリをダウンロードしているのだろう。それよりも……蓮子の面白い一面を見た。こんな性格なんだなぁ、とメリーは感じて心中で笑った。
「あ、〈プリズムリバー・シスターズ〉の新曲「Message from Leila」も演奏できそう。耳コピでやってみてもいい?」
「しんみりするからやめて」
****
時は昼間の午後二時。場所は廃工場。
科学世紀、神亀時代の現代においてありふれた、バイオ製品を大量生産する工場のひとつ。だが腐るほどあるゆえにこうした廃工場もざらに存在する。
蓮子とメリーの〈秘封倶楽部〉のふたりは、蝙蝠ロボット〈ヴラド〉、そしてそれを盗み我が物として使役する研究員をとっちめるためにここへ潜入をしていた。
「気分は古の名作007! 今の私はさながらジェームズ・ボンドだわー」
声を潜めながらメリーにそんな軽口を叩く蓮子。メリーはそれに笑って返す。
今の蓮子は〈ヴラド〉を相手とするための装備として、手には口径5.56ミリのアサルトライフル〈桃李蹊成〉を持ち、閃光手榴弾三個を腰の後ろにぶら下げ、愛用のオートマチック拳銃〈天津妖鳥〉をスカート下、ふともものベルトに吊るしている。
蓮子とメリーのやりとりの傍らで、ふたりは監視カメラの類いに注意を払いながら進んでいく。そうして、「ここよ」メリーが隠された地下通路への入口を示す。昨夜〈ヴラド〉のメモリーを視たために既に隠れ家の構造は把握済みだ。無論蓮子も、メリーのデータを共有してもらっているため把握している。
足元にある、地下通路入口のハッチをメリーが鮮やかな手並みでハッキング、三秒とかからずロックが解錠される。
「さぁ、突入よ」
ハッチを開いた先には螺旋階段が伸びていた。おそらくこの工場が機能していた頃には倉庫や電算室へと繋がっていた階段であろう。大抵、こういった設備が整えられている場合、なにか非合法のものが生産されていた工場ということだ。ここの工場は、それが露見したために廃工場になったと思われる。
螺旋階段を降りると、一本の通路が待っていた。右には電算室の扉。突き当たりはT字に分かれている。
「それじゃあここで別れましょうか。蓮子はあのロボットのことをお願いね」
「メリーは……例の泥棒研究員と電脳戦ってわけね。倒せる?」
「舐めないでよ」メリーは不敵な笑みを作った。「生の戦闘では弱くったって。電脳戦、諜報戦では最強の私よ?」
「頼もしいわね。それじゃあお互いの得意分野で成果を出しましょうか!」
「ええ!」
蓮子とメリーは互いにサムズアップし笑い合う。
そして蓮子は駆け出し、突き当たりの左側、広々とした隠し倉庫へと向かう。メリーは電算室の扉のロックを開き、中へと侵入した──。
ひんやりとした倉庫。そこには大きな翼を身体を包むように畳み、眠るように待機する〈ヴラド〉がいた。蓮子によって与えられた傷は修復しきれてはおらず、まだ切り裂かれた部位がそのままだった。
「……」
〈ヴラド〉はゆっくり目を開けた。〈ヴラド〉の〝眠り〟が妨げられのだ。侵入者によって。
「──目が覚めた? それにしてもロボットの見る夢ってどんなのかしら」
〈ヴラド〉は答えることはしなかった。必要性は感じない。ヤツは悪なのだ。そして私が正義。
「よかったら教えて欲しいわね。〈槐安の夢〉って店のオーナーに伝え話してあげるわよ」
「……」
「正当防衛待ち? ご立派ね。あなたにとっての悪を襲うことは慣れてても、襲われることは初めてだったかしら。じゃあ……望み通りに!」
侵入者、宇佐見蓮子はアサルトライフルを構え、引金を引いた。銃弾が怒涛の勢いでばらまかれる。
〈ヴラド〉は弾丸の雨を掻い潜り、蓮子めがけ接近、距離を詰める。そして……爪を繰り出す! しかし蓮子は〈ヴラド〉の頭を跳び越して攻撃を避ける。着地すると、〈ヴラド〉の広い背中に狙いをつけてもういちどアサルトライフルを撃つ。
「ぐおっ……」
連続して響くダメージに苦しむ〈ヴラド〉。だがそれを堪え跳躍、壁を蹴ってさらに跳躍……蓮子を翻弄する作戦に出た。
「ちっ」
狙いが定まらない。だからといってむやみに弾丸を無駄撃ちするわけにも行かなかった。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、という理屈は通らないのだ。
蓮子が目で〈ヴラド〉を追いかけるが……捉えきれない。そして一瞬の隙を突き、〈ヴラド〉が背部から奇襲に出る。蓮子は咄嗟に振り向き反応、アサルトライフルを構え……ヴラドはそれに対処しようとする……が、これはブラフ。蓮子はアサルトライフルをあえて手から放して〈ヴラド〉へ投げつける。怯んだ〈ヴラド〉へと脚を繰り出して顎をしたたか蹴り上げる。
「ヌグッ……!」
そして振り上げた脚はそのまま次の一撃に繋がっている。脚を振り下ろし、刀のような鋭い踵落としを叩き込む。大きく退け反る〈ヴラド〉は、ぎりぎりでこの踵落としを両手で押さえ込みガードする。が、衝撃に耐え切れずに地に膝を着ける。そして遂に両手は蓮子の脚から離れ、そのまま……床に叩きつけられる……!
かに見えた。
「があっ……」
直前、〈ヴラド〉は咄嗟に両手を床に着いて腕の力で体を滑らせ蓮子めがけて突進をぶち当てた。
蓮子は痛烈な反撃に吹き飛ばされ、床をバウンドして転がった。
「く……」
痛みに耐えつつ立ち上がり、〈天津妖鳥〉を取り出す蓮子。対する〈ヴラド〉は口を開けている。──超高音波攻撃。前回の遭遇時に彼女を追い詰めた兵器だ。
「あ……あぁ……っ」
耳を塞ぐも防げない異音に苦しむ蓮子。彼女は力なく両膝を着いて苦しみ……やがてぐったりと横になってしまった。〈ヴラド〉はその様子を見てとどめを刺さんと歩み寄る……そして距離は縮まり、〈ヴラド〉は脚を持ち上げて蓮子の頭を踏み潰そうとする。
……そのとき。
「──おはよう」
この緊張した場面に似つかわしくない間抜けな言葉が聞こえると同時に〈ヴラド〉の身体を銃弾が襲った。──蓮子による〈天津妖鳥〉の射撃だ。そして銃撃を与えながら蓮子は跳ね起きると、閃光手榴弾を投擲し〈ヴラド〉の動きを止めつつ、放置していた〈桃李蹊成〉を回収。〈天津妖鳥〉を全弾撃ち尽くすとこんどはアサルトライフルでの応酬に切り替える。
「今日の私は不眠症よ。そんな子守唄は通じない!」
蓮子は初めから〈ヴラド〉の発する超高音波は通じていなかったのだ。しかし、いかにして防いだのか? その秘密は数時間前にダウンロードしていたアプリケーションにある。
あのミュージックアプリは聴きたい曲を聴くだけでなく演奏にも使うことのできる優れものだ。作曲、編曲……という用途に使うことが出来る。
そこで蓮子はそのアプリを使い、〈ヴラド〉の高音に相対する低音を体内で絶え間なく発生させ、自身の聴覚に流し続けることで超高音波を除去し全く聞こえない状態にする。
──音のマスキング効果。この方法で〈ヴラド〉の音波を防いでみせたのだ。
アサルトライフルの弾丸が尽き、蓮子は弾倉を取り替える。と同時に、まだ倒れない〈ヴラド〉が咆哮を上げて砕けぬ戦意を示す。
〈ヴラド〉の全身の装甲には明らかなダメージが見て取れる。だがまだ致命傷ではない。
蓮子はアサルトライフルを構え、〈ヴラド〉は徒手空拳で立ち向かう。
「第二ラウンドといきましょう!」
****
電算室に入ったメリー。彼女は今、室内に設置されたコンピュータに生体LANケーブルの端子を接続し、電脳空間へと意識を飛ばしていた。可視化されたサイバースペースに、精神から作り出す、己の容姿を模したアバターで活動する。
俗に言う〈ダイブ〉。しかしメリーにとっては別の呼称があった。
メリーは可視化されたサイバースペースの圧倒的な空間にある種の美を感じていた。人のネットの数だけ無限に情報が新規登録され更新され続け、どこまでも広がり続ける膨大な世界。
人類の技術から産み出された第二の宇宙空間の味わい。
その美しさと広大さと迫力に、彼女は幻想的な美を見出していたのだ。
故にマエリベリー・ハーンことメリー。ネットにおいて〈My_riverie〉となる彼女は〈ダイブ〉を〈幻想入り〉と呼んでいる。そして口には出さないが、可視化されたネットワークのことは〈幻想郷〉と……呼んでいるのだった。
メリーは飛ぶようにサイバースペースを移動する。このときの感覚は素晴らしい。重力から切り離され、どこまで行けるかのような開放感溢れる気分。それがたまらない。
そんな快楽を味わっていたメリーの行く手を阻むように、前方に敵が現れた。ハッキング先の泥棒研究員がこちらの侵入に気づいたようだ。だからこうしてヤツは迎え撃って来ている。
現れたのは群れをなすbot。それも攻撃的なコンピュータウイルスに改造されたタイプだ。ハッカー……メリーのようなネットに潜る〈ダイバー〉にとって効果的な敵となる。だが、一体一体の戦闘能力は低い。早い話が雑魚キャラということだ。
可視化された電脳空間においてこうしたbotがとる姿は様々だが、基本的には〈妖精〉の姿をとるプログラムの方が多い。これは主にbotが人間の作業を手伝うプログラムであるため、パートナーやサポーターとして親しみを持てるように人型をさせ、そこに神秘性をつけ加えたことで〈妖精〉の姿となるようにしている。
そのときひゅうと弾がメリーを掠める。ふっと笑ってからメリーは戦闘態勢をとった。0と1の羅列が手元に現れると、それが象って扇子に変わった。
「さぁ、そこをどいてもらうわよ!」
扇子を一振り。すると切った虚空からいくつものクナイが勢いよく飛び出した。
そのクナイに撃破されていく〈妖精〉。だが続々と現れる〈妖精〉。負けじと弾幕を張ってくる。
メリーも同じだ。扇子を振ってクナイを放ち、他にも鋭い軌跡を走らせ編隊を切り裂く。飛んでくる弾幕はちょんと小さく避ける、もしくは動かない、かと思えば大きく動いて弾幕を引きつける。そしてそれによりできた隙間を縫って回避……と、手馴れた回避運動をする。
電脳空間における戦闘方法は、こうしたシューティングのような弾幕勝負が基本だ。もちろん、弾幕と弾幕同士の攻防戦だけではなく、近接格闘も可能である。
電脳戦ではこの手法で激しい戦いを繰り広げ、体力、すなわち精神力の許す限り勝負することとなる。これはバーチャルシュミレーションの一般的な遊び、ゲームにもなっている。だが今メリーが行う電脳戦はゲーム形式の公式のお遊びではなく非公式の戦闘、つまり〝リアル〟だ。弾幕にぼろぼろにやられ撃墜されれば、それはイコール精神……ニュローンを完全に破壊される危険性もある。これはゲームではないのだ。
弾幕が織り成す美、そしてそれを避けていくメリー。撃破される〈妖精〉たち。メリーが仮に撃墜されれば、ニューロンが破壊されかねない、そんな恐ろしい事実を忘れさせるように、その激しくも美しい弾幕勝負の光景が電脳空間に描かれていた。
……そうして、軍勢をようやく乗り越えた先に、メリーを待ち構える存在があった。
「……なんの冗談かしらこれは」
ターゲットの女性研究員、その姿を模したアバターが憤りを露わに口を開く。
「なんの冗談って……特に冗談は含んでないわ。あなたにとってそれは「冗談じゃない」って思えるでしょうけど。……今、私うまいこと言った気がするわ」
「ふざけないで!」
冷たい電脳空間に怒声が響く。
「私はね、世の中の悪意を取り除いているのよ? いいかしら。こんな素晴らしく発達した時代においても犯罪はなくならない。それなら犯罪がしたくてもできないようにするほどの脅威が必要なの。馬鹿げたテロだって起こらなくなるし戦争や紛争だって……。マシンが電子が蔓延る世の中においてカウンターとなるアンドロイド〈ヴラド〉は無敵よ! にとりは素晴らしい兵器を作ったわ……正義を実現するにはうってつけの最高のロボット! こいつさえいれば悪党はみんな縮み上がる……」
「あら、そう」
まくし立てる女性研究員をメリーは軽くあしらった。
「言っておくけれど、あなたひとりで犯罪をなくせるはずがないわ。そもそもあなたがしていることは善意ではなく……他者に自分の力を見せびらかしたいというどす黒い欲望よ。あなたはただ優越感に浸っているにすぎない。あなたは醜い。そして間違っている」
メリーはバッサリと切り捨てた。対して女性研究員はその発言にわなわなと震えた。
「所詮は感覚の麻痺した愚民のひとりね……圧倒的な正義の前に屈服なさい!」
「するもんですか!」
叫ぶと、雨のように眩い小弾の弾幕が降り注ぐ。メリーは臆することなく巧みに回避しながら前進した。それと同時にメリーも弾幕を放つ。メリーは得意のクナイ弾と合わせて鱗型の弾を左右に飛ばす。
単調な研究員の弾幕に対してメリーの弾幕は、クナイ弾の5wayによる牽制と捻れるように曲がり囲もうとする鱗弾が右と左で一列ずつ。じわじわと攻撃していく。
ここで研究員の弾幕に変化が出た。上から降り注ぐだけだった弾幕はぴたりと止み、代わりに川の流れのように斜めから中弾が現れ、それがウェーブしたまま襲いかかる。それだけではなく、ミサイルのような弾幕が三つ撃ち出され、素早くメリーに肉迫する。
「くっ」
移動の難しい状態に、ミサイルの連携に接近が敵わない。弾幕を張って微々たる攻撃をするのがやっとだ。だがこれを掻い潜らなければならない。〝アレ〟を使うタイミングも重要だ。
メリーは冷静にチャンスを探る。粘り強く耐えねばならない。弾幕をとめどなく放ちながら、側面から流れてくる弾幕をかすりつつも避け、恐ろしいミサイルの攻撃を十分な余裕を持って回避していく。そして……。
(──今よっ!)
メリーは一気に接近する。だが当然、メリーの猛進する先にはミサイルと中弾が! しかしメリーの瞳には決断的な輝きが光る!
「スペルカード──魍魎〈二重黒死蝶〉!」
「な……!」
メリーの力強い宣言とともに、彼女の周囲から小弾と刀弾がぶわりとばらまかれる。
それは次々に研究員の弾幕を相殺し、見事メリーの進路を作り出す。
スペルカードは弾幕勝負における切り札だ。メリーはうまく判断し、最大限にチャンスを物にしてみせた。
「くそ……!」
研究員は退避しようとするもメリーの接近の方がはるかに速かった。
「やっ!」という気合いとともに、メリーは研究員の頭部めがけ手刀を叩き込む。続けて逆の手に握っている扇子を手頃な得物としてはたくように攻撃する。一撃、一撃、一撃! そして宙に浮かぶ身体をぐるりと側転させ、勢いを乗せた爪先での蹴りを喰らわせる。流れるような猛攻。現実世界では貧弱なメリーだが電脳空間ではその真逆。彼女はでたらめな戦闘能力を発揮できる!
「このっ……!」
ここで、ただ打たれているわけにもいかない研究員が反撃に出ようとサイドキックを試みる。だがメリーは踊るように身を翻してこれを避ける。
「行け!」
続けて研究員はウイルスを発生させ、メリーに攻撃をさせる。
「くっ……」
メリーは一旦距離をとる。〈妖精〉は彼女を追いかけ、弾幕を放つ。メリーはそれを避けながら〈妖精〉の撃墜に努める。
「り、リカバリー……」
研究員はリカバリーソフト〈エクステンド〉でわずかに回復して呼吸を整える。
さらに研究員は、先程の弾幕で発射していたミサイル、それよりもさらに一回り大きな巨大ミサイルを出現させる。狙いはもちろん、メリーだ。今のメリーは〈妖精〉を全滅させるのに集中している。チャンスは今。
──狙いをつけ……
「喰らえ悪党!」
──発射!
巨大ミサイルは一直線にメリーめがけ突進……直撃する! 直後メリーのいた場所は大爆発を起こす。この威力……ひとたまりもない……。
「ざまあ、みなさい! 正義に刃向かうからこうなるのよ! この圧倒的な力こそ正義! 力があるから悪を排除できる! 私はこれからも〈ヴラド〉と……」
勝利に歓喜し大声で吠える研究員。
しかし、そのときだった。
「──力が正義だとすれば、それを倒す力もまた正義となるわ」
いつの間にか研究員の背後に回っていたメリー。
「え」
彼女はとん、と添えるように掌を背中に置く。
「──境符〈四重結界〉!」
刹那、メリーの掌から名の通りの四重の結界が現れる。それが研究員に大ダメージを与える。ゼロ距離、回避することは叶わない。また、耐えきれる威力でもなかった。その必殺技に研究員のアバターは為すすべもなく倒されるのだった……。
(馬鹿な……なぜ……)
電脳空間の冷たい無機質な地面へと落下する中、研究員は敗因について思考を巡らす。
先程ミサイルをぶち当てたメリーに……メリーがいた場所に視線を当てる。0と1の残骸がある……しかしなんの? WHOISコマンドを発して確認する。──IPアドレスがない。
(するとあれは〈妖精〉……。回復しているときは私がヤツに意識を向けていなかった。その隙に……。グラフィックのデータを書き換えたのか……)
なんてヤツだ。そう口に出そうとしたが声にはならなかった。地面に叩きつけられ、身体から力が抜けていく。
「ごめんなさいね、目を盗ませてもらいましたわ」
メリーが仰向けに倒れて動かない研究員にそんな言葉を投げつける。
「なぜ私は負けた……。正義は勝つ。そう昔から言われてきているのに。さっきの言葉通りおまえが正義なのか。おまえこそが……」
うわ言のような力無いろれつで、研究員は問いかける。
「私は別に正義なんてたいそうなものは考えてないわ。ただ」
「……」
「ただ、あなたの間違いを曝いたにすぎない。そしてそれを封じた。それが……私。いいえ私たち」
メリーは一旦区切り、にやりと笑みを向けて言い放つ。
「〈秘封倶楽部〉よ」
……研究員の意識はそれを聞いてからシャットダウンした。
「……」
研究員のアバターが0と1の羅列となってゆっくり消えていくのを見送ってから、メリーは蓮子に通信を送った。
「蓮子! 研究員の方は撃破したわ。そっちは?」
****
『蓮子! 研究員の方は撃破したわ。そっちは?』
蓮子へメリーが通信を送ってきた。
蓮子は身構えながら、「……まだ倒せてない。でもそろそろ決着を着けるわ」と返した。
激しい戦いが繰り広げられ、今の蓮子は徒手空拳での戦闘を余儀なくされていた。アサルトライフルもハンドガンも弾倉は尽きた。閃光手榴弾も使い切った。
対する〈ヴラド〉は全身に傷が刻まれ、ところどころ内部機械が露出していた。
蓮子はぎゅんと風のように駆け出して〈ヴラド〉に迫った。〈ヴラド〉も同様だ。
蓮子の右ストレートが頬を狙う。それに対しクロスカウンターを狙った〈ヴラド〉の拳も蓮子の頬へと迫る。だが、蓄積したダメージのためかタイムラグができ、攻撃が遅れた〈ヴラド〉の拳は首を傾けただけでやすやすとかわされてしまう。
蓮子の拳だけが叩き込まれた。続けて鳩尾へのブロー。〈ヴラド〉はつんのめる。蓮子はしなやかに片足だけの力で軽く跳び、逆の足でニーキックを分厚い胸板に見舞う。大きく退け反る〈ヴラド〉。
「〈ヴラド〉! あなたは自分の行いで本当ににとりさんが喜ぶと思っているの!」
蓮子が問い質す。
『蓮子? 〈ヴラド〉にそんなことを言ったって心を揺さぶるなんてことはできないのよ!』
メリーは電脳通信を送り蓮子を否定する。今の〈ヴラド〉に〈ココロプログラム〉は備わっていない。そもそもロボットには感情など……。
しかし蓮子は構わなかった。続けて叫ぶ。
「にとりさんはあなたに優しさを教え込んだ……人が恐怖や悪に怯えずに済むように思いやりを持って接するパートナーになって欲しいと! 今のあなたは行き過ぎた正義感にがんじがらめにされて逆に人々を恐怖させているのよ!」
その蓮子の呼びかけに、〈ヴラド〉は反応を示した。
「……有り得ない」不思議と怒りの篭った声に聞こえた。「私は……私は間違ってなどいない!」
〈ヴラド〉はどういうわけか〝感情〟を剥き出しにした。激高し、怒り狂っている!
爪を立てて蓮子に襲いかかる〈ヴラド〉。そのスピードは手負いとは思えないほどだった。速い! 蓮子は防御に回った。
「にとりは言った!」
「悪や恐怖から人を守れと!」
「誰も傷つかないようにするため……私が必要だと!」
「そうだ! 私という正義はこの世界に必要だ!」
「おまえは倒すべき悪! 悪はみんなの笑顔を幸せを奪う! 排除し、無辜の人々を救わねばならん!」
ブロー、アッパー、ストレート、サイドキック、回し蹴り、肘打ち、裏拳、チョップ、貫手、噛みつき……休むことなく蓮子を襲うその恐ろしい猛攻! 蓮子は必死にガードまたはぎりぎりの回避をしながら、反撃に転じる隙を探る。
猛攻の最中、〈ヴラド〉は見ていた。記憶領域から浮上してきたヴィジョンを。
己の活動で救った少女に手を差しのべる。──しかしその少女の顔は恐慌に歪んでいた。なぜ? 決まっている。悪に襲われたから。そして私は大丈夫だと迫り……怯えられる……怯えられる? 私が? 正義が恐怖される? 恐怖されるのは悪。すると私は……悪!
「ぐ……お……」
〈ヴラド〉の口から苦しげな悲鳴……と思われる声が漏れた。
続いて浮上してきたのはもっと昔の記憶の一ページ。そう。大切な……約束を交わした人物……にとり……。
そもそも自分は〈ヴラド〉なんて名前ではなかった。そもそも自分は戦闘用アンドロイドになるわけではなかった。
人を思いやり、人のパートナー、サポーターとして寄り添うために作られた。今の自分は、寄り添おうとすれば逃げられている。正義を果たす。あの研究員にそう言われて着いてきた。だが……今の自分は……。
記憶の中、その景色に映るにとりの表情にカメラがかしゃりとズームインする。
泣いていた。顔をくしゃくしゃにして……彼女はいつも元気で朗らかで、あまりよくわからないが、冗談、というものをよく口走る楽しい人物……。そんなにとりが……泣いていた。
そして彼女の声も聞こえてくる。
──ごめんね。おまえを……こんな風に改造して……。でも私は……。
(泣くな。泣かないでくれ。泣かないでよ……)
〈ヴラド〉はにとりへ手を伸ばした。そのとき。
「……」
〈ヴラド〉の胸部装甲から背中にかけて腕が貫通していた。宇佐見蓮子の腕だ。そしてその腕が貫いたのは……動力源であるバッテリーを収めた部分。所謂、心臓部分だ。
行動の鈍った〈ヴラド〉に、蓮子がとどめを叩き込んだのだった。
蓮子が腕を引き抜くのと同時に、〈ヴラド〉は力無く背中から倒れた。
「……メリー。こっちも終わったわ。〈ヴラド〉活動停止よ」
『了解。……お疲れ様』
──撤収しよう。蓮子が〈ヴラド〉の残骸を回収しようと近づいた。
「……あなたは」
蓮子は驚きながら、そうか、とひとり腑に落ちた表情をして〈ヴラド〉を背負ってその場を去っていった。
──こうして〈吸血鬼事件〉は幕を閉じたのだった。
****
「ねえメリー」
「なに、蓮子」
既に夜遅い時間帯、〈秘封倶楽部〉事務所の応接室、その室内に備えられたテーブルを囲んで、蓮子とメリーのふたりはビールを飲んでいた。今は依頼を終えたあとの休暇期間中だった。
あの事件からは既に三日が経つ。
〈ヴラド〉を盗んだ女性研究員はあの後御用となり、〈吸血鬼事件〉を引き起こして世間を混乱させた「悪人」として逮捕(〈ヴラド〉というロボットを使役したのではなく、吸血鬼に扮して事件を起こした、と処理されることになった)。〈ヴラド〉の残骸は河城にとりに引き渡され、悪用されることのないよう、元々の命令通り、〈ポロロッカ・エンジニアリング〉にて廃棄されることになった。
だが、引き渡すとき、にとりに対して蓮子がなにやら言葉を伝えていたのをメリーは見ていた。それを聞いた彼女は、静かに涙を頬に伝らせながら、しこりの取れたような、そんな晴れやかな顔をして帰っていった。
「あの蝙蝠ロボット。メリーならどう考えるかしら」
缶ビールを美味そうにぐびぐびと飲んでいた蓮子はメリーに問答を投げかける。
「……どうって。単なる正義感の暴走じゃないの?」
メリーは口許に運ぼうとした缶ビールを一旦離し、深く考えずに率直に意見を返した。だが蓮子はその発言にふるふると首を振って否定した。
「私はね。メリー。あいつには感情があったと思うのよ」
「……」
「いや、あった、は不正確かしら。憶測に正確もなにもないってことはこの際抜きにしてね。で、正確に言えば、あいつに感情が芽生え始めていた。AIが〈ヴラド〉に合わせて成長していたのではないかって」
「プログラムが自己成長した、ってこと?」
「その通りよ」
そんな馬鹿な、と言おうとしていたがすぐに蓮子は話を再開してきた。そこでメリーは、あぁ、ただ話したいだけか、と納得した。長くかかりそうな気がするが、興味がないわけではないので、耳を傾けることにした。
「だってそうじゃない? いくら善悪を単純に判断し、正義の味方として悪を攻撃する、それだけのワンパターンの思考に成り下がったというのに、どうして……あのとき、怒る、という感情を見せたのかしら。それだけじゃない。私を最後に攻撃していた最中に、明らかな迷い、悩みを見せた。ロボットが悩む。AIという無機質な擬似的感情を生み出す計算機にはそんなことは不可能よ」
「ロボットでも、状況の判断に迫られて迷うことはあるわ」
「それは単に状況判断、その回答を得るまでのアルゴリズムにすぎないわ。あの〈ヴラド〉が見せたのは状況判断ではなく自問自答。己の存在意義についての悩みよ。すべてロボットは自分に与えられた役割には疑問を持たない。ロボットには人間と違って矛盾がなく、二面性もないから自分がなんなのかを気にしない」
「……なるほど、理解、したわ。でもね蓮子。知っているでしょう? 〈ヴラド〉の〈ココロプログラム〉は書き換えられて単純化している。元々の仕様にあった柔軟さはなくなってる。いや、そもそも柔軟すぎる思考は不可能だったと、にとりさんも語っていたわ」
「ええそうよ」
蓮子は深くうなずいた。だが、彼女はメリーの否定を気に止めない。
「でもね、さっきも言ったでしょう? 成長したのではないか、って。たとえプログラムが改変されても、〈ヴラド〉……その元々のアンドロイドとしての記憶は残っていた。メリーもそれを視ているわよね? その当時の「想い出」とも呼ぶべきものが起因して、〈ヴラド〉の単純化された〈ココロプログラム〉にもういちど……いいえ、もっと豊かな感情を芽生えさせたと思ってるわ」
メリーは強く語る蓮子の瞳を凝視して、思わず息を呑んだ。
「……そんなこと、有り得るのかしら」
「有り得るか有り得ないかを説明するのは今の神亀の時代においては不可能ね。現代ではすべて科学的根拠から論理づけられてしまう。私の仮設も、〈ヴラド〉の見せた思考も、面白みもなく、科学だけで骨と肉がつけられる。それでも……」
蓮子はにとりに〈ヴラド〉を受け渡したときのことを思い出す。
──にとりさん。私が〈ヴラド〉を撃退した直後のことなんだけど……。
──……なんだい?
──聞き間違え、かも……いいえ、きっとそう言ったんだと私は思ってる。〈ヴラド〉が最後につぶやいた言葉。それを伝えるわ。
──……。
──途切れ途切れではあったけど、こう、聞こえたわ。「すまない」、と。
──……そっか。
──にとりさん……。
──あとで、〈ヴラド〉に……伝えておかなきゃね。「平気だよ。また会おうね」って。
……蓮子は缶ビールの淵に指先を這わせながらぽつりとつぶやく。
「私は……私たち人間が過去に赤ん坊だったとき、唐突に幅広い考えを巡らせるようになったように……〝感情というプログラム〟が出来上がる過程があったことと同様の成長が、あのアンドロイドにあったのだと、そう強く、強く信じたいわ」
蓮子がそこで喋り終えると、長い静寂が室内を支配した。どれぐらいその状態が続いたのか……五分だろうか、それとも五時間だったか。時間の感覚が麻痺し、ふたりはそのまま黙っていた。
そして、そんな静寂という魔物を追い払ったのは蓮子だった。
「──さて! 明日からはまた活動を再開しましょうか。休暇はおしまいにして、ね」
「そうね。それにしても、初仕事でかなり活躍できたし……私たち、名コンビになれそうね」
「あら、メリー。私たちはもうすでに名コンビよ。これから目指すのはさらにその上にいる先代を越すこと、それが夢なんだから。名コンビのラインで足踏みなんかしてられないわ!」
「確かにね。目標……夢は大きく持たないと! もっと多くの事件や深秘を曝きましょう!」
「そうと決まれば……」
ふたりはすうと息を吸う。そして同時に、決意高らかな言葉とともに吐き出した。
『この広大なネットのもとで、夢を現実に変えに行きましょう!』
突然のことに硬直してしまっていた。思考も、体も。
吸血鬼……否、蝙蝠型ロボットがこちらに対してじろじろと視線を投げてくる。
「蓮子……」
メリーの囁くように小さく震えた声が耳に届いた。しっかりしろ、と蓮子はそこでようやく金縛りから解放された。
「さっきも言ったように、メリーは下がってて」
「……わかった」
まず蓮子はメリーの安全を確保することを優先した。メリーは蓮子の言葉に苦い顔でうなずき、建物と建物に挟まれた窮屈な路地裏から離れる。彼女は蓮子とは違い、戦闘能力がほぼ皆無と言っていい。
現実世界においては無力であり、蓮子の足を引っ張るであろうことをメリー自身もよくわかっていた。
「……」
蓮子はもう一度身構える。この蝙蝠ロボットに対してどのように戦うべきか……様子を探りながら黙考する。
しかしそんな彼女を余所に、ロボットは思いがけない言葉を呟いた。
「怪我はないか」
「……な」
そいつは、男の声を発してこちらの身を案じてきたのだ。
蓮子は言葉を詰まらせるが、なんとか「怪我は、ないわよ。それよりも聞きたいことがあるわ……おまえの目的はなにかしら?」と吐き出す。
「私は……私に与えられた任務は正義の執行。悪を抹消するため私は活動している。私は正義の執行人〈ヴラド〉だ」
蝙蝠ロボットは……〈ヴラド〉と名乗った。その〈ヴラド〉の口から出たのはロボット特有の、淡々とした感情の篭っていない声。それはいい。しかし、〈ヴラド〉はある単語を口にしている。
──正義と、悪。
あまりにも抽象的で形のない脆い概念的単語。おおよそ、ロボットの言う言葉ではない。いや、命じられたプログラムに忠実に働くロボットだからこそか?
そういえば小鈴を始めとした目撃者は吸血鬼に助けられたと証言した。それはこういうことか……。こいつは敵ではない? 人間に無害なのか? 蓮子は思考を巡らせる。しかし……しかしだ……こいつがやって来た行いは……。そうして、ひとつの結論に至る。
「あなたがどんなに正義のために行動しても正義を語っても……あなたは殺しを躊躇わない」蓮子は怒りを混じらせた声を吐き出す。「世の中の悪を正すつもりでも……あなたが殺めた人間の中には、まだやり直せるはずの少年少女たちもいたわ」
〈ヴラド〉の、まるで本物の獣のような作り物の顔からは表情を窺うことはできない。
「どんなにあなたにとって悪として認識されるものでも……子供たちの未来を、かけがえのない命ごと殺すのは間違っている! ロボットに人を裁く権利なんてない! 間違ったことをプログラムされたあなたは……この社会にいてはならないのよ!」
蓮子は一気に感情をぶちまけると同時に、〈ヴラド〉めがけて飛びかかった。
至近距離に着地、それと同時に右拳を頬めがけて滑り込ませる。〈ヴラド〉はそれを身体を反らしてかわす。続けて蓮子は左のアッパーを腹部へ。〈ヴラド〉は右手でいなし、一旦距離をとるため地面を蹴って後方へ軽々と飛ぶ。
そして蓮子へと射抜くような鋭い視線を向ける。蓮子は目を逸らすことなく、むしろ睨み返した。
「保護対象を排除対象に変更。……スキャン完了。敵タイプは戦闘サイボーグ。脅威レベルは四。正義のためにこれをデリートする」
「デリートされるのはあなたよ!」
蓮子はその場にしゃがみ込み、立ち膝姿勢に。そして帽子の鍔に指をかけて目深に被り直し、もう一方の手はスカートの下へと潜らせる。彼女が取り出したのはオートマチック拳銃〈天津妖鳥〉。彼女はスカート下のベルトにこの銃を吊るして隠し持っているのだ。
射撃用ソフト〈天空アーミー〉は起動済み。蓮子は起き上がり、素早く「C.A.R System」の構えをとって照準を合わせ、躊躇わずに銃口から弾丸を一気に四発速射する。
〈天空アーミー〉はとある熱血漢の優秀な軍人の射撃能力を使用者に投影させることのできるソフトウェア。そして〈天津妖鳥〉は〈ルナティック・インダストリ〉が製造する白塗りのハンドガンだ。
〈天津妖鳥〉──口径九ミリのダブルアクション。蓮子はこの銃をスポンサーである〈ルナティック・インダストリ〉から支給され、好んで使っている。
命中! 命中! 命中! 三発が〈ヴラド〉の分厚い胸板に炸裂し、たまらず後ずる。しかし……四発目は野球ボールをキャッチするかのように受け止められてしまう。そして〈ヴラド〉は低空を飛んで蓮子へと肉迫する。
「ち……!」
一瞬、五発目を撃つか迷う。その一瞬がミスとなった。すでに〈ヴラド〉は目と鼻の先ほどの至近距離を獲得していた。
蝙蝠ロボットならではの鋭い爪が蓮子の細い喉を狙う。蓮子はほぼ反射的な緊急回避でこれを半身になって避ける。だが続いて〈ヴラド〉の前蹴りが腹部に滑り込んだ。
「がっ……」
先の判断遅れが仇となって二撃目はかわせない。蓮子は蹴飛ばされ、地面をボールのように転がった。
蝙蝠ロボットは追撃せんと羽根を広げて襲いかかる。
「やられるかっ!」
蓮子は倒れた身体を起こさず、仰向けの状態で蝙蝠を迎え撃つ。右脚、左脚を連続して持ち上げて〈ヴラド〉に反撃をくらわせる。〈ヴラド〉が負けじと蹴りを叩き込もうとするも、蓮子はごろごろと転がって回避してのける。
蓮子が行うのは地身尚拳と呼ばれるものだ。たとえ倒れた状態でも、巧みに相手の攻撃を避け、反撃に転じることもできる。
そして僅かな隙を見つけると、蓮子はすぐさま起き上がり、ロボットの懐へと背中から潜り込み体当たり。八極拳のひとつ、靠撃をぶち当てる。
衝撃にたたらを踏む〈ヴラド〉。攻守交代。こんどは蓮子が攻める。低空ジャンプから勢いを乗せたパンチで蝙蝠の顔を叩く。続いて逆の拳でボディブロー。体勢を立て直すこともままならない〈ヴラド〉に、容赦なく膝蹴りを鳩尾に喰らわせる。〈ヴラド〉はぎぃと悲鳴を上げてそのままうつ伏せに倒れる。
そんな蝙蝠ロボットめがけ蓮子はさらに追い討ちをかけようとする。ヤツを戦闘不能にし、にとりの下へと突き出すために。
蓮子は〈天津妖鳥〉を再び構え、頭部に狙いをつけて引き金を引いた。──その瞬間!
〈ヴラド〉は腕の力だけで身体を跳ね上がらせたのだ。撃った銃弾は虚しくコンクリートにめり込む。蓮子は唖然としながら顔を上げる……〈ヴラド〉は彼女の真上に! 急いで回避を試みようとするも間に合わない!
「……!」
〈ヴラド〉は蓮子にのしかかり、コンクリートに叩きつけて押し倒す。そしてそのまま手と足の鋭い爪を彼女の肩に腹に立てて組みついた。万力に挟み込まれたような信じ難い怪力に蓮子は逃れることができない。
まずい。蓮子は脱出の方法を必死に考えながら、にとりに渡された資料に記されていたこの蝙蝠ロボットの兵装を思い出していた。
このロボットが搭載する、まだ正式採用されていない兵装……超高音波によって機械の電子回路を狂わせる能力……。
ロボットが牙を並べた口を開いた。噛みつかれる? 違う。まず無力化させる気なのだ。──先ほどの違法サイボーグ男があまりにもあっけなくやられたように。
「──っ!」
蓮子は声にならない悲鳴を上げた。頭が割れる。身体がばりばりと裂けてしまうかのような感覚。全身の機械群が軋み、そのまま爆ぜてしまいそうな激痛と不快感。〈ヴラド〉が口内から超高音波を発して蓮子を苦しめているのだ。
このロボットが発する音波は、体の機械群、電子回路に響き、脳が受け入れ難い異音として処理する。そして、その伝わった音がまるでウイルスのように体中にかけ回り、電子回路をショートさせ機械群を暴走させ、体を苛むことになる。
蓮子は必死に途切れそうになる意識を手繰り寄せる。だがいつまでも耐えられるわけがない……〈ヴラド〉はトドメを刺さんと顎をがっと開いて電磁牙を覗かせる。噛みつかれる……!
──そのときだった。蓮子とロボットのいる路地裏両脇の建物が、一斉に光を発したのは。建物のすべての電灯が灯ったのだ。
「ぐうっ!」
あまりにも突然に眩しい光に襲われたロボットは悲鳴を上げた。突然の事態に対応することができず、視界がやられたようだった。
このことにより、蓮子を掴んでいた手足の力が緩み、音波も途切れた。蓮子はこの隙を逃すまいと行動に出た。
「やああっ!」
気迫とともに巴投げで〈ヴラド〉を投げ飛ばす。〈ヴラド〉は無様に地面に叩きつけられる。そんな〈ヴラド〉へ蓮子は容赦なく追撃に出る。まだ苦痛の残る身体に鞭打って!
仰向けに倒れる〈ヴラド〉を掴み上げ、勢いよく建物の壁に叩きつける。壁に蜘蛛の巣のようなヒビが走った。
「ググ……」
抵抗しようとする蝙蝠をまるでサンドバッグのようになんども殴りつける。
右のブロー、左のアッパー、回転して勢いを乗せた右の肘打ち、左の貫手を斜め上に繰り出して装甲を抉り、返す刀での手刀を振り下ろす! たちまち〈ヴラド〉の胸部が切り裂かれ、内部が露出した。そしてとどめの……弓を引き絞るかのように力を溜め込んだ最大威力の正拳突きが胸部へと叩き込まれる!
この激しい連撃にロボットはダウン、糸の切れた人形のようにばたりと倒れた……。
「……」
蓮子はその場にへたり込んだ。ここまで厳しい戦いは彼女にとって初めてだった。幾度かロボットや戦闘サイボーグとの戦闘は経験してはいるが、今回のロボットはそれまでのとは別だったのだ。
だが、きっと先代もこれぐらい……これ以上の危機に遭い、乗り越えてきたに違いない。ここで弱ってなんとするか。蓮子はゆっくりと立ち上がった。
「蓮子!」
そこに駆けつけたのはメリー。心配そうに蓮子を見つめる。
「大丈夫よ、私はこの通り……って説得力ないか……まぁ生きてるから平気よ」
「それ平気って言わないじゃないっ」
「まぁまぁ……それよりもメリー。あなたがここの建物にライトを?」
話を変えられたことに不満そうにしながらも彼女はうなずく。
「私がここの建物のブレーカーにハッキングして全点灯させたの。資料にあったでしょ? 想定量をはるかに越える光量を受けると視覚がやられるって」
このロボットは、強襲ロボットとしての夜間運用を前提として設計されている。そのため、耐えられる光量には限度があるのだ。
「ありがと、メリー。あなたがいなければ私はお陀仏だったわ」
蓮子は嬉しそうに、だが申し訳なさそうにも見える表情でメリーに礼を言った。
「現代の〈秘封倶楽部〉も、今は私とあなたのコンビなんだから……無茶はしないでよ? ……戦闘では力になれなくたって、私には私のやり方があるんだから」
メリーも自分が現実世界では戦えないことはわかっていたことだった。だが、それでも今の自分は〈秘封倶楽部〉の一員で、蓮子の相棒だ。なにか別の役割を担っているときならともかく、今この状況で、自分がなにもしないわけにはいかなかった。
だから、こうして自分の得意分野で立ち回った。それが結果として、蓮子を救うことができたのだ。
蓮子はまた思う。先代の祖母もその相棒藤原妹紅のコンビも…….こうして互いに助け合ったのだろうと。
蓮子はメリーに対する感謝の念を強く抱くと同時に、相棒という存在の心強さと有り難さを噛み締めた。
メリーも同じようなことを思い、蓮子を相棒としてしっかりサポートしていくことを誓っていた。
「……とりあえず、こいつを運ばないとねぇ」
蓮子とメリーは活動停止した蝙蝠ロボット、〈ヴラド〉を見下ろした。
「ねぇメリー、ちょっといい?」
「どうしたの?」
「この蝙蝠ロボットのメモリーにアクセスしてもらたいんだけど……いいかしら」
メリーの首の後ろ、生体LANケーブルが備えられた部位を指差して蓮子が言った。
「……今やらなくてもいいんじゃないの?」
「それもそうなんだけどね……引っかかるのよ。こんな戦闘用ロボットにどうしてこんな知能というか……正義感? が植えつけられてるのか。兵器としては邪魔なプログラミングのような気がするの」
「邪魔……って。ただこいつを使用する側を正義と見立てて、敵側を悪としてるだけじゃない?」
メリーは難しい顔をして蝙蝠ロボット〈ヴラド〉に視線を向ける。
「でも……やっぱり変よ。兵器として使うロボットにそんなものを与えるなんて。ね、お願いよ、メリー。こいつをにとりさんに譲渡したらこのロボットの真実を調べられない」そしてさらに付け加える。「それに、こういった不可思議を解き明かすのが〈秘封倶楽部〉なんだもの」
その発言にメリーはなるほど、という顔を作った。
「……わかったわ。調べてみる」
メリーはすぐに首筋のケーブルを〈ヴラド〉の首筋に接続する。
「……」
メリーは神妙な面持ちのままじっと動かない。〈ヴラド〉の電子頭脳の記憶保存領域からデータを汲み取っているのだ。蓮子はそれを黙って見つめる。
数分すると、メリーの表情に変化が見られた。驚いている。蓮子はひどく気になったが、その理由を尋ねて、メリーの邪魔をする訳にはいかないのでもどかしく思いながら静観を続ける。
「……ん?」
蓮子の視線がメリーから〈ヴラド〉に移った。気のせいか? 彼女は、今さっき、このロボットがぴくりと動いたように見えたのだ。いや、しかし……。
「──ぐ」
こんどは間違いではなかった。
『メリー! プラグアウトして!』
蓮子はすぐにメリーへ電脳通信を送りつけた。そこからは一瞬の出来事だった。
メリーははっと現実世界へと意識を戻し、すぐさまケーブルを引き抜いて、蓮子の手を借りて〈ヴラド〉から離れる。その直後、〈ヴラド〉がビデオ映像の逆再生のような動きで起き上がり、飛び上がった。そうして、夜の暗黒の中に呑み込まれて行った。
「ごめん、蓮子……あのロボットが」
せっかく無力化できたターゲットをみすみす取り逃してしまったことを申し訳なく詫びるメリー。だが蓮子はかぶりを振った。
「大丈夫よ、メリーが無事なら。それに私が無理言って頼んだことなんだし……。ごめんね、メリー」
「……うん。大丈夫。平気」
「まぁその……被害が広がる前にもう一回捕まえればいいのよ。こんどは万全の状態で、ね。あいつも手負いだし……すぐには破壊活動に出向けないはずよ。──それで、メリー。なにを掴んだの?」
問いかける蓮子の射抜くような鋭い目に、メリーも真剣な目つきで返す。
「ええ。それは──」
****
「なんだい、話って」
翌日、〈秘封倶楽部〉の応接室には河城にとりが呼び出されていた。
その表情はどこか落ち着かない様子だった。よほど世間を騒がせてるロボットが気になるのだろう。
メリーは蓮子と目配せしてから口火を切る。
「まずは依頼の進捗ね。昨夜その蝙蝠ロボット〈ヴラド〉に遭遇したわ。けれど、取り逃してしまったの。いちど無力化したのだけど……その後再起動してしまって」
「……なんでさ。破壊したならともかく、無力化したなら再起動する危険性を鑑みて、余裕があるうちに……」
憤慨した様子でまくし立てるにとり。メリーは怖気ずに話の続きをした。
「待ってください、にとりさん。確かに、あなたの仰ることは最もです。私があのロボット〈ヴラド〉を連れ帰る前にメモリーにプラグイン、アクセスしたせいですから」
「メモリーに、プラグイン? いったいどうしてそんなこと……」
「〈ヴラド〉は元々蝙蝠型の戦闘アンドロイドではなかった──」
にとりの怒声を遮って、メリーが突き止めた事実を告げると、彼女は硬直した。
「私は、視たんです。あの〈ヴラド〉の記憶を。あなたが設計に携わったアンドロイド。あなたは〈ヴラド〉に……」
「やめてくれ!」
突然張り上げたにとりの叫びにメリーはびくりとした。が、その後すぐににとりは落ち着いて「……ごめん」と謝った。
「予想してなかった展開だけど……知られちゃしかたないな」
「話してもらえるかしら」メリーから蓮子にバトンタッチして事情聴取が始まる。「あのアンドロイドの正体。そしてあなたとの関係を」
にとりはこくりとうなずいて、深呼吸をひとつ。それから口を開いた。
「〈ヴラド〉は元々、私が研究していた、初めて人間と大差ない……いいや、ほぼ同じの感情を持ったアンドロイドとして作られるはずだったんだ。その際になにより重視したのは、良心──つまり優しさだった。善悪を自分で判断し、人との接し方を自分で思考する……」
メリーはその話から、あの〈ヴラド〉が正義を重要視していたことを思い出した。
「完成すれば〈ポロロッカ・エンジニアリング〉の主力製品として……人間のパートナーにもなり、福祉も行えるアンドロイド、ガイノイドを続々量産し、大々的に売り出すつもりだったんだ。私はその試作機の開発を担う主任として携わった。善悪を判断する〈ココロプログラム〉の調整には特に熱を上げたよ」
語るにとりの声は高揚していた。そのときの楽しさが伝わってくる。
──いいかい。おまえは人間と同じ、暖かい優しさを持った世界初のロボットになれるよ。
──優しさ……。
──そう! 人を守るんだ。たくさんの人を、恐怖や悪からね。思いやりを持って人に接して……誰も傷つかない世界に、きっとおまえが必要になるよ。
──誰も傷つかない。人を守る。恐怖、悪、思いやり。……覚えた。
──へへへ……。いやぁ、楽しみだなぁ。たくさんの人が、おまえに、開発者の私に感謝してくれるのが! いくら儲かっちゃうかな……あ、いやいやうそうそ。
──にとりは、嬉しいのか……。
──え?
──私が人のために活躍できるのは。
──もちろん! おまえは私の子供みたいなもんだしな。子供の活躍を喜ばない親なんていないんだぞ!
──わかった。必ず。必ず人のために働こう。
「その後の試験運用のときだった。感情プログラムを処理しきれずに暴走したのは。完成したと思っていた……けれど、いざ複雑な環境に場面に直面すれば〈ココロプログラム〉が対応しきれないことが発覚したのは。
計画は白紙になった。あいつは廃棄されることになった。だけど、私は必死に食い下がった……そしたら、戦闘用ロボットにモデルチェンジすれば廃棄を取り下げると言われたんだ。機体自体の性能は高いから、そっち方面でのニーズもあったってわけさ。
私は我が子を守る想いでやむなく〈ココロプログラム〉を書き換えた。思考をワンパターンにしてね。その結果、攻撃対象を悪と認識させることで爆発的な攻撃性と破壊力を弾き出す凶暴なAIに様変わりし……〈ヴラド〉というコードネームの試作兵器として改修された。あとは、知っての通りだよ。今のあいつは現在の管理者の命令を正義と信じて行動してる……私の教えたことを忘れて……いや、履き違えているだけなのかな」
全て……隠していた真実と溜め込んでいた悲痛な叫びともども全て喋りきって、にとりはひどく疲れた様子だった。
メリーは気遣って、冷蔵庫からペットボトルの水をガラスのコップに注ぎ、それを差し出した。受け取ったにとりは「さんきゅ」と小さい声でつぶやいてから一気に呷った。
ふぅ、と息を吐いてから「それで、どうするんだい?」と、にとりは蓮子に問いかけた。少し回復できたようだ。だがまだ表情は暗い。
「取り逃したあいつをもう一回探すのは骨が折れるんじゃないかな」
「それなら問題ないわ」蓮子はにやりとした。「ねぇ、メリー?」
「あのとき、メモリーにアクセスしたときに〈ヴラド〉の潜伏先も視たのよ。そこには〈ヴラド〉を奪取したヤツ……女の研究員だったわ。にとりさんの同僚かしら? そいつもいたわ」
「というわけで。そこにあと三時間後には乗り込むわ。日が暮れないうちに、ね」
「……大したもんだなぁ」
蓮子とメリーは互いに見合って笑った。出会ってまだ一日というのに、ふたりの絆は強まるばかりだ。
「あぁ、そうだにとりさん」
「ん……なんだい」
「〈ヴラド〉のあの、超高音波兵器なんだけど……」
蓮子とにとりは顔を近づけて話し合う。メリーはそれを眺めるが、あまりよくわからない。聞いたことがあるような単語が聞こえるが、それだけだった。おそらくは、あの〈ヴラド〉に対する作戦なのだろう。
「なるほどね。きっと通用するよ」
「オーケー! これで安心ね。さっそくアプリケーションをダウンロードしないと」
言うと、蓮子はUNIXに生体LANケーブルを繋ぐと、ネットからなにかをダウンロードし始めた。
「蓮子?」
「ふっふっふっ。これで私は一流ブルース歌手も目じゃないわ。音楽家としてもプロの演奏力、どんな楽器の音も鳴らしちゃうわよー」
おそらくはミュージックアプリをダウンロードしているのだろう。それよりも……蓮子の面白い一面を見た。こんな性格なんだなぁ、とメリーは感じて心中で笑った。
「あ、〈プリズムリバー・シスターズ〉の新曲「Message from Leila」も演奏できそう。耳コピでやってみてもいい?」
「しんみりするからやめて」
****
時は昼間の午後二時。場所は廃工場。
科学世紀、神亀時代の現代においてありふれた、バイオ製品を大量生産する工場のひとつ。だが腐るほどあるゆえにこうした廃工場もざらに存在する。
蓮子とメリーの〈秘封倶楽部〉のふたりは、蝙蝠ロボット〈ヴラド〉、そしてそれを盗み我が物として使役する研究員をとっちめるためにここへ潜入をしていた。
「気分は古の名作007! 今の私はさながらジェームズ・ボンドだわー」
声を潜めながらメリーにそんな軽口を叩く蓮子。メリーはそれに笑って返す。
今の蓮子は〈ヴラド〉を相手とするための装備として、手には口径5.56ミリのアサルトライフル〈桃李蹊成〉を持ち、閃光手榴弾三個を腰の後ろにぶら下げ、愛用のオートマチック拳銃〈天津妖鳥〉をスカート下、ふともものベルトに吊るしている。
蓮子とメリーのやりとりの傍らで、ふたりは監視カメラの類いに注意を払いながら進んでいく。そうして、「ここよ」メリーが隠された地下通路への入口を示す。昨夜〈ヴラド〉のメモリーを視たために既に隠れ家の構造は把握済みだ。無論蓮子も、メリーのデータを共有してもらっているため把握している。
足元にある、地下通路入口のハッチをメリーが鮮やかな手並みでハッキング、三秒とかからずロックが解錠される。
「さぁ、突入よ」
ハッチを開いた先には螺旋階段が伸びていた。おそらくこの工場が機能していた頃には倉庫や電算室へと繋がっていた階段であろう。大抵、こういった設備が整えられている場合、なにか非合法のものが生産されていた工場ということだ。ここの工場は、それが露見したために廃工場になったと思われる。
螺旋階段を降りると、一本の通路が待っていた。右には電算室の扉。突き当たりはT字に分かれている。
「それじゃあここで別れましょうか。蓮子はあのロボットのことをお願いね」
「メリーは……例の泥棒研究員と電脳戦ってわけね。倒せる?」
「舐めないでよ」メリーは不敵な笑みを作った。「生の戦闘では弱くったって。電脳戦、諜報戦では最強の私よ?」
「頼もしいわね。それじゃあお互いの得意分野で成果を出しましょうか!」
「ええ!」
蓮子とメリーは互いにサムズアップし笑い合う。
そして蓮子は駆け出し、突き当たりの左側、広々とした隠し倉庫へと向かう。メリーは電算室の扉のロックを開き、中へと侵入した──。
ひんやりとした倉庫。そこには大きな翼を身体を包むように畳み、眠るように待機する〈ヴラド〉がいた。蓮子によって与えられた傷は修復しきれてはおらず、まだ切り裂かれた部位がそのままだった。
「……」
〈ヴラド〉はゆっくり目を開けた。〈ヴラド〉の〝眠り〟が妨げられのだ。侵入者によって。
「──目が覚めた? それにしてもロボットの見る夢ってどんなのかしら」
〈ヴラド〉は答えることはしなかった。必要性は感じない。ヤツは悪なのだ。そして私が正義。
「よかったら教えて欲しいわね。〈槐安の夢〉って店のオーナーに伝え話してあげるわよ」
「……」
「正当防衛待ち? ご立派ね。あなたにとっての悪を襲うことは慣れてても、襲われることは初めてだったかしら。じゃあ……望み通りに!」
侵入者、宇佐見蓮子はアサルトライフルを構え、引金を引いた。銃弾が怒涛の勢いでばらまかれる。
〈ヴラド〉は弾丸の雨を掻い潜り、蓮子めがけ接近、距離を詰める。そして……爪を繰り出す! しかし蓮子は〈ヴラド〉の頭を跳び越して攻撃を避ける。着地すると、〈ヴラド〉の広い背中に狙いをつけてもういちどアサルトライフルを撃つ。
「ぐおっ……」
連続して響くダメージに苦しむ〈ヴラド〉。だがそれを堪え跳躍、壁を蹴ってさらに跳躍……蓮子を翻弄する作戦に出た。
「ちっ」
狙いが定まらない。だからといってむやみに弾丸を無駄撃ちするわけにも行かなかった。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、という理屈は通らないのだ。
蓮子が目で〈ヴラド〉を追いかけるが……捉えきれない。そして一瞬の隙を突き、〈ヴラド〉が背部から奇襲に出る。蓮子は咄嗟に振り向き反応、アサルトライフルを構え……ヴラドはそれに対処しようとする……が、これはブラフ。蓮子はアサルトライフルをあえて手から放して〈ヴラド〉へ投げつける。怯んだ〈ヴラド〉へと脚を繰り出して顎をしたたか蹴り上げる。
「ヌグッ……!」
そして振り上げた脚はそのまま次の一撃に繋がっている。脚を振り下ろし、刀のような鋭い踵落としを叩き込む。大きく退け反る〈ヴラド〉は、ぎりぎりでこの踵落としを両手で押さえ込みガードする。が、衝撃に耐え切れずに地に膝を着ける。そして遂に両手は蓮子の脚から離れ、そのまま……床に叩きつけられる……!
かに見えた。
「があっ……」
直前、〈ヴラド〉は咄嗟に両手を床に着いて腕の力で体を滑らせ蓮子めがけて突進をぶち当てた。
蓮子は痛烈な反撃に吹き飛ばされ、床をバウンドして転がった。
「く……」
痛みに耐えつつ立ち上がり、〈天津妖鳥〉を取り出す蓮子。対する〈ヴラド〉は口を開けている。──超高音波攻撃。前回の遭遇時に彼女を追い詰めた兵器だ。
「あ……あぁ……っ」
耳を塞ぐも防げない異音に苦しむ蓮子。彼女は力なく両膝を着いて苦しみ……やがてぐったりと横になってしまった。〈ヴラド〉はその様子を見てとどめを刺さんと歩み寄る……そして距離は縮まり、〈ヴラド〉は脚を持ち上げて蓮子の頭を踏み潰そうとする。
……そのとき。
「──おはよう」
この緊張した場面に似つかわしくない間抜けな言葉が聞こえると同時に〈ヴラド〉の身体を銃弾が襲った。──蓮子による〈天津妖鳥〉の射撃だ。そして銃撃を与えながら蓮子は跳ね起きると、閃光手榴弾を投擲し〈ヴラド〉の動きを止めつつ、放置していた〈桃李蹊成〉を回収。〈天津妖鳥〉を全弾撃ち尽くすとこんどはアサルトライフルでの応酬に切り替える。
「今日の私は不眠症よ。そんな子守唄は通じない!」
蓮子は初めから〈ヴラド〉の発する超高音波は通じていなかったのだ。しかし、いかにして防いだのか? その秘密は数時間前にダウンロードしていたアプリケーションにある。
あのミュージックアプリは聴きたい曲を聴くだけでなく演奏にも使うことのできる優れものだ。作曲、編曲……という用途に使うことが出来る。
そこで蓮子はそのアプリを使い、〈ヴラド〉の高音に相対する低音を体内で絶え間なく発生させ、自身の聴覚に流し続けることで超高音波を除去し全く聞こえない状態にする。
──音のマスキング効果。この方法で〈ヴラド〉の音波を防いでみせたのだ。
アサルトライフルの弾丸が尽き、蓮子は弾倉を取り替える。と同時に、まだ倒れない〈ヴラド〉が咆哮を上げて砕けぬ戦意を示す。
〈ヴラド〉の全身の装甲には明らかなダメージが見て取れる。だがまだ致命傷ではない。
蓮子はアサルトライフルを構え、〈ヴラド〉は徒手空拳で立ち向かう。
「第二ラウンドといきましょう!」
****
電算室に入ったメリー。彼女は今、室内に設置されたコンピュータに生体LANケーブルの端子を接続し、電脳空間へと意識を飛ばしていた。可視化されたサイバースペースに、精神から作り出す、己の容姿を模したアバターで活動する。
俗に言う〈ダイブ〉。しかしメリーにとっては別の呼称があった。
メリーは可視化されたサイバースペースの圧倒的な空間にある種の美を感じていた。人のネットの数だけ無限に情報が新規登録され更新され続け、どこまでも広がり続ける膨大な世界。
人類の技術から産み出された第二の宇宙空間の味わい。
その美しさと広大さと迫力に、彼女は幻想的な美を見出していたのだ。
故にマエリベリー・ハーンことメリー。ネットにおいて〈My_riverie〉となる彼女は〈ダイブ〉を〈幻想入り〉と呼んでいる。そして口には出さないが、可視化されたネットワークのことは〈幻想郷〉と……呼んでいるのだった。
メリーは飛ぶようにサイバースペースを移動する。このときの感覚は素晴らしい。重力から切り離され、どこまで行けるかのような開放感溢れる気分。それがたまらない。
そんな快楽を味わっていたメリーの行く手を阻むように、前方に敵が現れた。ハッキング先の泥棒研究員がこちらの侵入に気づいたようだ。だからこうしてヤツは迎え撃って来ている。
現れたのは群れをなすbot。それも攻撃的なコンピュータウイルスに改造されたタイプだ。ハッカー……メリーのようなネットに潜る〈ダイバー〉にとって効果的な敵となる。だが、一体一体の戦闘能力は低い。早い話が雑魚キャラということだ。
可視化された電脳空間においてこうしたbotがとる姿は様々だが、基本的には〈妖精〉の姿をとるプログラムの方が多い。これは主にbotが人間の作業を手伝うプログラムであるため、パートナーやサポーターとして親しみを持てるように人型をさせ、そこに神秘性をつけ加えたことで〈妖精〉の姿となるようにしている。
そのときひゅうと弾がメリーを掠める。ふっと笑ってからメリーは戦闘態勢をとった。0と1の羅列が手元に現れると、それが象って扇子に変わった。
「さぁ、そこをどいてもらうわよ!」
扇子を一振り。すると切った虚空からいくつものクナイが勢いよく飛び出した。
そのクナイに撃破されていく〈妖精〉。だが続々と現れる〈妖精〉。負けじと弾幕を張ってくる。
メリーも同じだ。扇子を振ってクナイを放ち、他にも鋭い軌跡を走らせ編隊を切り裂く。飛んでくる弾幕はちょんと小さく避ける、もしくは動かない、かと思えば大きく動いて弾幕を引きつける。そしてそれによりできた隙間を縫って回避……と、手馴れた回避運動をする。
電脳空間における戦闘方法は、こうしたシューティングのような弾幕勝負が基本だ。もちろん、弾幕と弾幕同士の攻防戦だけではなく、近接格闘も可能である。
電脳戦ではこの手法で激しい戦いを繰り広げ、体力、すなわち精神力の許す限り勝負することとなる。これはバーチャルシュミレーションの一般的な遊び、ゲームにもなっている。だが今メリーが行う電脳戦はゲーム形式の公式のお遊びではなく非公式の戦闘、つまり〝リアル〟だ。弾幕にぼろぼろにやられ撃墜されれば、それはイコール精神……ニュローンを完全に破壊される危険性もある。これはゲームではないのだ。
弾幕が織り成す美、そしてそれを避けていくメリー。撃破される〈妖精〉たち。メリーが仮に撃墜されれば、ニューロンが破壊されかねない、そんな恐ろしい事実を忘れさせるように、その激しくも美しい弾幕勝負の光景が電脳空間に描かれていた。
……そうして、軍勢をようやく乗り越えた先に、メリーを待ち構える存在があった。
「……なんの冗談かしらこれは」
ターゲットの女性研究員、その姿を模したアバターが憤りを露わに口を開く。
「なんの冗談って……特に冗談は含んでないわ。あなたにとってそれは「冗談じゃない」って思えるでしょうけど。……今、私うまいこと言った気がするわ」
「ふざけないで!」
冷たい電脳空間に怒声が響く。
「私はね、世の中の悪意を取り除いているのよ? いいかしら。こんな素晴らしく発達した時代においても犯罪はなくならない。それなら犯罪がしたくてもできないようにするほどの脅威が必要なの。馬鹿げたテロだって起こらなくなるし戦争や紛争だって……。マシンが電子が蔓延る世の中においてカウンターとなるアンドロイド〈ヴラド〉は無敵よ! にとりは素晴らしい兵器を作ったわ……正義を実現するにはうってつけの最高のロボット! こいつさえいれば悪党はみんな縮み上がる……」
「あら、そう」
まくし立てる女性研究員をメリーは軽くあしらった。
「言っておくけれど、あなたひとりで犯罪をなくせるはずがないわ。そもそもあなたがしていることは善意ではなく……他者に自分の力を見せびらかしたいというどす黒い欲望よ。あなたはただ優越感に浸っているにすぎない。あなたは醜い。そして間違っている」
メリーはバッサリと切り捨てた。対して女性研究員はその発言にわなわなと震えた。
「所詮は感覚の麻痺した愚民のひとりね……圧倒的な正義の前に屈服なさい!」
「するもんですか!」
叫ぶと、雨のように眩い小弾の弾幕が降り注ぐ。メリーは臆することなく巧みに回避しながら前進した。それと同時にメリーも弾幕を放つ。メリーは得意のクナイ弾と合わせて鱗型の弾を左右に飛ばす。
単調な研究員の弾幕に対してメリーの弾幕は、クナイ弾の5wayによる牽制と捻れるように曲がり囲もうとする鱗弾が右と左で一列ずつ。じわじわと攻撃していく。
ここで研究員の弾幕に変化が出た。上から降り注ぐだけだった弾幕はぴたりと止み、代わりに川の流れのように斜めから中弾が現れ、それがウェーブしたまま襲いかかる。それだけではなく、ミサイルのような弾幕が三つ撃ち出され、素早くメリーに肉迫する。
「くっ」
移動の難しい状態に、ミサイルの連携に接近が敵わない。弾幕を張って微々たる攻撃をするのがやっとだ。だがこれを掻い潜らなければならない。〝アレ〟を使うタイミングも重要だ。
メリーは冷静にチャンスを探る。粘り強く耐えねばならない。弾幕をとめどなく放ちながら、側面から流れてくる弾幕をかすりつつも避け、恐ろしいミサイルの攻撃を十分な余裕を持って回避していく。そして……。
(──今よっ!)
メリーは一気に接近する。だが当然、メリーの猛進する先にはミサイルと中弾が! しかしメリーの瞳には決断的な輝きが光る!
「スペルカード──魍魎〈二重黒死蝶〉!」
「な……!」
メリーの力強い宣言とともに、彼女の周囲から小弾と刀弾がぶわりとばらまかれる。
それは次々に研究員の弾幕を相殺し、見事メリーの進路を作り出す。
スペルカードは弾幕勝負における切り札だ。メリーはうまく判断し、最大限にチャンスを物にしてみせた。
「くそ……!」
研究員は退避しようとするもメリーの接近の方がはるかに速かった。
「やっ!」という気合いとともに、メリーは研究員の頭部めがけ手刀を叩き込む。続けて逆の手に握っている扇子を手頃な得物としてはたくように攻撃する。一撃、一撃、一撃! そして宙に浮かぶ身体をぐるりと側転させ、勢いを乗せた爪先での蹴りを喰らわせる。流れるような猛攻。現実世界では貧弱なメリーだが電脳空間ではその真逆。彼女はでたらめな戦闘能力を発揮できる!
「このっ……!」
ここで、ただ打たれているわけにもいかない研究員が反撃に出ようとサイドキックを試みる。だがメリーは踊るように身を翻してこれを避ける。
「行け!」
続けて研究員はウイルスを発生させ、メリーに攻撃をさせる。
「くっ……」
メリーは一旦距離をとる。〈妖精〉は彼女を追いかけ、弾幕を放つ。メリーはそれを避けながら〈妖精〉の撃墜に努める。
「り、リカバリー……」
研究員はリカバリーソフト〈エクステンド〉でわずかに回復して呼吸を整える。
さらに研究員は、先程の弾幕で発射していたミサイル、それよりもさらに一回り大きな巨大ミサイルを出現させる。狙いはもちろん、メリーだ。今のメリーは〈妖精〉を全滅させるのに集中している。チャンスは今。
──狙いをつけ……
「喰らえ悪党!」
──発射!
巨大ミサイルは一直線にメリーめがけ突進……直撃する! 直後メリーのいた場所は大爆発を起こす。この威力……ひとたまりもない……。
「ざまあ、みなさい! 正義に刃向かうからこうなるのよ! この圧倒的な力こそ正義! 力があるから悪を排除できる! 私はこれからも〈ヴラド〉と……」
勝利に歓喜し大声で吠える研究員。
しかし、そのときだった。
「──力が正義だとすれば、それを倒す力もまた正義となるわ」
いつの間にか研究員の背後に回っていたメリー。
「え」
彼女はとん、と添えるように掌を背中に置く。
「──境符〈四重結界〉!」
刹那、メリーの掌から名の通りの四重の結界が現れる。それが研究員に大ダメージを与える。ゼロ距離、回避することは叶わない。また、耐えきれる威力でもなかった。その必殺技に研究員のアバターは為すすべもなく倒されるのだった……。
(馬鹿な……なぜ……)
電脳空間の冷たい無機質な地面へと落下する中、研究員は敗因について思考を巡らす。
先程ミサイルをぶち当てたメリーに……メリーがいた場所に視線を当てる。0と1の残骸がある……しかしなんの? WHOISコマンドを発して確認する。──IPアドレスがない。
(するとあれは〈妖精〉……。回復しているときは私がヤツに意識を向けていなかった。その隙に……。グラフィックのデータを書き換えたのか……)
なんてヤツだ。そう口に出そうとしたが声にはならなかった。地面に叩きつけられ、身体から力が抜けていく。
「ごめんなさいね、目を盗ませてもらいましたわ」
メリーが仰向けに倒れて動かない研究員にそんな言葉を投げつける。
「なぜ私は負けた……。正義は勝つ。そう昔から言われてきているのに。さっきの言葉通りおまえが正義なのか。おまえこそが……」
うわ言のような力無いろれつで、研究員は問いかける。
「私は別に正義なんてたいそうなものは考えてないわ。ただ」
「……」
「ただ、あなたの間違いを曝いたにすぎない。そしてそれを封じた。それが……私。いいえ私たち」
メリーは一旦区切り、にやりと笑みを向けて言い放つ。
「〈秘封倶楽部〉よ」
……研究員の意識はそれを聞いてからシャットダウンした。
「……」
研究員のアバターが0と1の羅列となってゆっくり消えていくのを見送ってから、メリーは蓮子に通信を送った。
「蓮子! 研究員の方は撃破したわ。そっちは?」
****
『蓮子! 研究員の方は撃破したわ。そっちは?』
蓮子へメリーが通信を送ってきた。
蓮子は身構えながら、「……まだ倒せてない。でもそろそろ決着を着けるわ」と返した。
激しい戦いが繰り広げられ、今の蓮子は徒手空拳での戦闘を余儀なくされていた。アサルトライフルもハンドガンも弾倉は尽きた。閃光手榴弾も使い切った。
対する〈ヴラド〉は全身に傷が刻まれ、ところどころ内部機械が露出していた。
蓮子はぎゅんと風のように駆け出して〈ヴラド〉に迫った。〈ヴラド〉も同様だ。
蓮子の右ストレートが頬を狙う。それに対しクロスカウンターを狙った〈ヴラド〉の拳も蓮子の頬へと迫る。だが、蓄積したダメージのためかタイムラグができ、攻撃が遅れた〈ヴラド〉の拳は首を傾けただけでやすやすとかわされてしまう。
蓮子の拳だけが叩き込まれた。続けて鳩尾へのブロー。〈ヴラド〉はつんのめる。蓮子はしなやかに片足だけの力で軽く跳び、逆の足でニーキックを分厚い胸板に見舞う。大きく退け反る〈ヴラド〉。
「〈ヴラド〉! あなたは自分の行いで本当ににとりさんが喜ぶと思っているの!」
蓮子が問い質す。
『蓮子? 〈ヴラド〉にそんなことを言ったって心を揺さぶるなんてことはできないのよ!』
メリーは電脳通信を送り蓮子を否定する。今の〈ヴラド〉に〈ココロプログラム〉は備わっていない。そもそもロボットには感情など……。
しかし蓮子は構わなかった。続けて叫ぶ。
「にとりさんはあなたに優しさを教え込んだ……人が恐怖や悪に怯えずに済むように思いやりを持って接するパートナーになって欲しいと! 今のあなたは行き過ぎた正義感にがんじがらめにされて逆に人々を恐怖させているのよ!」
その蓮子の呼びかけに、〈ヴラド〉は反応を示した。
「……有り得ない」不思議と怒りの篭った声に聞こえた。「私は……私は間違ってなどいない!」
〈ヴラド〉はどういうわけか〝感情〟を剥き出しにした。激高し、怒り狂っている!
爪を立てて蓮子に襲いかかる〈ヴラド〉。そのスピードは手負いとは思えないほどだった。速い! 蓮子は防御に回った。
「にとりは言った!」
「悪や恐怖から人を守れと!」
「誰も傷つかないようにするため……私が必要だと!」
「そうだ! 私という正義はこの世界に必要だ!」
「おまえは倒すべき悪! 悪はみんなの笑顔を幸せを奪う! 排除し、無辜の人々を救わねばならん!」
ブロー、アッパー、ストレート、サイドキック、回し蹴り、肘打ち、裏拳、チョップ、貫手、噛みつき……休むことなく蓮子を襲うその恐ろしい猛攻! 蓮子は必死にガードまたはぎりぎりの回避をしながら、反撃に転じる隙を探る。
猛攻の最中、〈ヴラド〉は見ていた。記憶領域から浮上してきたヴィジョンを。
己の活動で救った少女に手を差しのべる。──しかしその少女の顔は恐慌に歪んでいた。なぜ? 決まっている。悪に襲われたから。そして私は大丈夫だと迫り……怯えられる……怯えられる? 私が? 正義が恐怖される? 恐怖されるのは悪。すると私は……悪!
「ぐ……お……」
〈ヴラド〉の口から苦しげな悲鳴……と思われる声が漏れた。
続いて浮上してきたのはもっと昔の記憶の一ページ。そう。大切な……約束を交わした人物……にとり……。
そもそも自分は〈ヴラド〉なんて名前ではなかった。そもそも自分は戦闘用アンドロイドになるわけではなかった。
人を思いやり、人のパートナー、サポーターとして寄り添うために作られた。今の自分は、寄り添おうとすれば逃げられている。正義を果たす。あの研究員にそう言われて着いてきた。だが……今の自分は……。
記憶の中、その景色に映るにとりの表情にカメラがかしゃりとズームインする。
泣いていた。顔をくしゃくしゃにして……彼女はいつも元気で朗らかで、あまりよくわからないが、冗談、というものをよく口走る楽しい人物……。そんなにとりが……泣いていた。
そして彼女の声も聞こえてくる。
──ごめんね。おまえを……こんな風に改造して……。でも私は……。
(泣くな。泣かないでくれ。泣かないでよ……)
〈ヴラド〉はにとりへ手を伸ばした。そのとき。
「……」
〈ヴラド〉の胸部装甲から背中にかけて腕が貫通していた。宇佐見蓮子の腕だ。そしてその腕が貫いたのは……動力源であるバッテリーを収めた部分。所謂、心臓部分だ。
行動の鈍った〈ヴラド〉に、蓮子がとどめを叩き込んだのだった。
蓮子が腕を引き抜くのと同時に、〈ヴラド〉は力無く背中から倒れた。
「……メリー。こっちも終わったわ。〈ヴラド〉活動停止よ」
『了解。……お疲れ様』
──撤収しよう。蓮子が〈ヴラド〉の残骸を回収しようと近づいた。
「……あなたは」
蓮子は驚きながら、そうか、とひとり腑に落ちた表情をして〈ヴラド〉を背負ってその場を去っていった。
──こうして〈吸血鬼事件〉は幕を閉じたのだった。
****
「ねえメリー」
「なに、蓮子」
既に夜遅い時間帯、〈秘封倶楽部〉事務所の応接室、その室内に備えられたテーブルを囲んで、蓮子とメリーのふたりはビールを飲んでいた。今は依頼を終えたあとの休暇期間中だった。
あの事件からは既に三日が経つ。
〈ヴラド〉を盗んだ女性研究員はあの後御用となり、〈吸血鬼事件〉を引き起こして世間を混乱させた「悪人」として逮捕(〈ヴラド〉というロボットを使役したのではなく、吸血鬼に扮して事件を起こした、と処理されることになった)。〈ヴラド〉の残骸は河城にとりに引き渡され、悪用されることのないよう、元々の命令通り、〈ポロロッカ・エンジニアリング〉にて廃棄されることになった。
だが、引き渡すとき、にとりに対して蓮子がなにやら言葉を伝えていたのをメリーは見ていた。それを聞いた彼女は、静かに涙を頬に伝らせながら、しこりの取れたような、そんな晴れやかな顔をして帰っていった。
「あの蝙蝠ロボット。メリーならどう考えるかしら」
缶ビールを美味そうにぐびぐびと飲んでいた蓮子はメリーに問答を投げかける。
「……どうって。単なる正義感の暴走じゃないの?」
メリーは口許に運ぼうとした缶ビールを一旦離し、深く考えずに率直に意見を返した。だが蓮子はその発言にふるふると首を振って否定した。
「私はね。メリー。あいつには感情があったと思うのよ」
「……」
「いや、あった、は不正確かしら。憶測に正確もなにもないってことはこの際抜きにしてね。で、正確に言えば、あいつに感情が芽生え始めていた。AIが〈ヴラド〉に合わせて成長していたのではないかって」
「プログラムが自己成長した、ってこと?」
「その通りよ」
そんな馬鹿な、と言おうとしていたがすぐに蓮子は話を再開してきた。そこでメリーは、あぁ、ただ話したいだけか、と納得した。長くかかりそうな気がするが、興味がないわけではないので、耳を傾けることにした。
「だってそうじゃない? いくら善悪を単純に判断し、正義の味方として悪を攻撃する、それだけのワンパターンの思考に成り下がったというのに、どうして……あのとき、怒る、という感情を見せたのかしら。それだけじゃない。私を最後に攻撃していた最中に、明らかな迷い、悩みを見せた。ロボットが悩む。AIという無機質な擬似的感情を生み出す計算機にはそんなことは不可能よ」
「ロボットでも、状況の判断に迫られて迷うことはあるわ」
「それは単に状況判断、その回答を得るまでのアルゴリズムにすぎないわ。あの〈ヴラド〉が見せたのは状況判断ではなく自問自答。己の存在意義についての悩みよ。すべてロボットは自分に与えられた役割には疑問を持たない。ロボットには人間と違って矛盾がなく、二面性もないから自分がなんなのかを気にしない」
「……なるほど、理解、したわ。でもね蓮子。知っているでしょう? 〈ヴラド〉の〈ココロプログラム〉は書き換えられて単純化している。元々の仕様にあった柔軟さはなくなってる。いや、そもそも柔軟すぎる思考は不可能だったと、にとりさんも語っていたわ」
「ええそうよ」
蓮子は深くうなずいた。だが、彼女はメリーの否定を気に止めない。
「でもね、さっきも言ったでしょう? 成長したのではないか、って。たとえプログラムが改変されても、〈ヴラド〉……その元々のアンドロイドとしての記憶は残っていた。メリーもそれを視ているわよね? その当時の「想い出」とも呼ぶべきものが起因して、〈ヴラド〉の単純化された〈ココロプログラム〉にもういちど……いいえ、もっと豊かな感情を芽生えさせたと思ってるわ」
メリーは強く語る蓮子の瞳を凝視して、思わず息を呑んだ。
「……そんなこと、有り得るのかしら」
「有り得るか有り得ないかを説明するのは今の神亀の時代においては不可能ね。現代ではすべて科学的根拠から論理づけられてしまう。私の仮設も、〈ヴラド〉の見せた思考も、面白みもなく、科学だけで骨と肉がつけられる。それでも……」
蓮子はにとりに〈ヴラド〉を受け渡したときのことを思い出す。
──にとりさん。私が〈ヴラド〉を撃退した直後のことなんだけど……。
──……なんだい?
──聞き間違え、かも……いいえ、きっとそう言ったんだと私は思ってる。〈ヴラド〉が最後につぶやいた言葉。それを伝えるわ。
──……。
──途切れ途切れではあったけど、こう、聞こえたわ。「すまない」、と。
──……そっか。
──にとりさん……。
──あとで、〈ヴラド〉に……伝えておかなきゃね。「平気だよ。また会おうね」って。
……蓮子は缶ビールの淵に指先を這わせながらぽつりとつぶやく。
「私は……私たち人間が過去に赤ん坊だったとき、唐突に幅広い考えを巡らせるようになったように……〝感情というプログラム〟が出来上がる過程があったことと同様の成長が、あのアンドロイドにあったのだと、そう強く、強く信じたいわ」
蓮子がそこで喋り終えると、長い静寂が室内を支配した。どれぐらいその状態が続いたのか……五分だろうか、それとも五時間だったか。時間の感覚が麻痺し、ふたりはそのまま黙っていた。
そして、そんな静寂という魔物を追い払ったのは蓮子だった。
「──さて! 明日からはまた活動を再開しましょうか。休暇はおしまいにして、ね」
「そうね。それにしても、初仕事でかなり活躍できたし……私たち、名コンビになれそうね」
「あら、メリー。私たちはもうすでに名コンビよ。これから目指すのはさらにその上にいる先代を越すこと、それが夢なんだから。名コンビのラインで足踏みなんかしてられないわ!」
「確かにね。目標……夢は大きく持たないと! もっと多くの事件や深秘を曝きましょう!」
「そうと決まれば……」
ふたりはすうと息を吸う。そして同時に、決意高らかな言葉とともに吐き出した。
『この広大なネットのもとで、夢を現実に変えに行きましょう!』
次回もがんばってください
創作で色々と悩むこともあるかもですが頑張ってください。
設定をアレンジするのはかなり頭を悩ませることですが、頑張っていきたいと思います
7.展開や筋書きの物足りなさを感じられてしまったのは、まだまだ経験と力量の不足とだと痛感しています。できればその物足りなさを感じた部分を指摘して欲しかったのですが(参考にし、改善したいため)……とりあえずは自分でもまだ足りていないと思う部分にて努力し向上したいと思っております
次も頑張ります